はてなキーワード: バックハグとは
正直に言って滅茶苦茶に嫌だ。
RTした後感想呟いてくれる他の人はみんな私の推しカプのここが可愛い!とか、他にも絵のここが好きだとか色使いとかそういう「私の絵」をちゃんと見て感想をくれる。それはとても嬉しい。
けれどその人だけは「私の推しカプ」についても絵についても全然触れずに全部「自分の推しカプ」の話にすり替える。
例えばバックハグしてる二人の絵を描けば「自カプにもバックハグやってほしい~~~」「自カプでこれやったらこうなると思う~~」と言った感じだ。
あなたが見てるのは多分「私の絵」じゃなくて「自分の推しカプの妄想に使えるネタ」なんだと思う。
それが嫌だ。私はあなたの推しカプの妄想の幅を広げるためにこの絵を描いたのではない。
私は私の絵を好きだと言ってくれる人や私が愛を込めて描いた推しカプの絵をきちんと見てくれる人が好きだ。多分あなたはそうじゃないんだろう。
チバユウスケが死んだ。最近のミッシェル絡みの動き(LAST HEAVENの上映とか)からして長くないんだろうと思っていたので意外感はない。世界の終わりが砕け散り悲しみ見あたらねえし、灰になってもハートは残るのだ。
で、またぞろ巻き添えを食ってXのトレンド入りしたのが、20年前にMステでドタキャンかましたt.A.T.u.である。もはや当時のブームは忘れ去られ、穴埋めで2曲演ったミッシェルの知名度爆上げ(解散間近だったが)に貢献した、ようわからんロシアの噛ませ犬のような扱いを受けている。
否、受け続けている。それこそ20年近くだ。動画サイトができて当時の録画映像が投稿されては擦られ、アベが死んでは擦られ、何かのはずみでミッシェルの話題が持ち上がっては擦られ、そして今回また擦られ。今後も日本では延々、ウエノやクハラ、はたまた当人たちが死ぬたび擦られていくのだろう。そう運命づけられてしまったとしか言いようがない。
ミッシェルだけでなくThe BirthdayやROSSOも聴いてほしいと呟いているファンがいたが、俺は敢えて付け加えたい。t.A.T.u.も聴いてくれと。
俺は日本でt.A.T.u.ブームに火が付く前、単にТАТУと記されていたロシア盤を直輸入したくらいには当時、彼女たちのファンだった。もちろん日本盤も買った。それより前からミッシェルのファンでもあったので、あのMステの日は楽しみだった、はずだ。どういうわけか当日の記憶がないのだが。あまりの事態に、心の奥底に封印してしまったのだろうか。
シャポバロフという胡散臭いプロデューサーの指示(昨今本邦の芸能界を騒がせているアレコレにも通ずる問題をはらんでいるのではないかと昔から考えているが真相や如何)によるドタキャン演出、今で言う炎上商法であることは早くから知られていた。他国でもすでに同じようなことをやっていたのである。やらされていた、というべきだろう。不敵な態度の、同性愛を匂わせる危うげな少女デュオ。それはあからさまにギミックだったが、それでも俺は好んだ。音楽的には洗練されていたし頽廃的なMVは良かった。当時の推しキャラに例のバックハグポーズをさせた絵を描いたし、とある伝説の女性声優ユニットもやっていた。
そういうあれやこれやが20年前、一夜にして綺麗さっぱり吹っ飛んで、もはやt.A.T.u.が好きと人前で口にするのも憚られる存在になり果ててしまった。それが20年続いて、今日もXで「t.A.T.u.のチバへのお悔やみマダー?」などと言われている。
わかるかこの遣る瀬なさ。
さらに付け加えると現在、黒髪のユーリャはプーチン支持者で、相方のリェーナはロシアのウクライナ侵攻直後、白い鳩のイラストをインスタに投稿していた。そして昨年、ミンスクで久々に揃ってライヴを演った。そんなことを今どれだけの日本人が知っている? あの頃のタトゥシュキィたちも、昨年から少なからずウクライナの草生す屍と化しているかもしれない。
世界の終わりを聴くもよし。バードメンを聴くもよし。シャロンを、1000のタンバリンを、何故か今日はを聴くもよし。
よかったらそこに、Нас не догонят(Not Gonna Get Us)やЯ сошла с ума(All the Things She Said)を加えてやってはくれまいか。せめてそんな曲を歌っていた2人組のことにも、思いを致してはくれまいか。サンタクロースの死んだ朝にでも。
『お兄ちゃんはおしまい』がフェミに見つかって、それはもうひどく炎上してほしい。それは俺がフェミ騎士だからではない。女児の体つきに対する作画の熱意がすごいからでもない。俺がトランス男性(女性の体→男性)だから、フェミの人におにまいを見てほしい。中身が男の『女の子』が、女性の裸が見れることを期待しながら銭湯に入るシーンを見て、フェミの人に怒ってほしい。中身が男なら女性専用スペースに入るのはおかしい、って言ってほしい。
全員が全員そうではないという前置きをした上で、はっきり言わせてもらう。女性スペースに合法で入れるのは、性的な意味でめちゃめちゃ助かる。
トランス男性は、強制TSで産まれてきたようなものだ。更衣室では俺がちゃんと男の身体で産まれてこれてたら目さえ合わせてもらえなかったような一軍女子と隣で着替えられて、いい匂いを嗅げて、下着をチラ見できる。プールがあればさらにいい。友達同士で胸を揉み合ったり大きさを比べたりするやつはなかったけど、髪の毛の匂い嗅いで「いい匂い〜なんのシャンプー?」とかは全然仲良かったらアリ。ほっぺたとかも触らせてくれるし、手はめちゃくちゃ気軽に繋がせてくれるし、なんと「テストで悪い点とったから慰めて」とか言ったらハグさせてくれる! 人によっては何もなくても向こうからバックハグしてきてくれたりしてすごい。「今日二日目でめっちゃしんどい……」みたいな話はめちゃくちゃカジュアルに振られるから(じゃああと一週間ぐらいで排卵日か……ニチャア)となれる。こっちが聞かなくても誰と誰が付き合ってるみたいな話を延々としてくるし、彼氏とどういうことをしてるのかみたいな話がたまに聞けてめちゃくちゃ興奮する。トイレではカメラ仕掛けたりするまでもなく女の子のおしっこの音聴き放題だし、俺の性癖がもっとヤバかったらサニタリーボックスから経血ゼリー取り放題だ。合宿とかの泊まりイベントに至ってはいうまでもない。お風呂上がりのめちゃくちゃかわいい女の子の匂いを至近距離で嗅げて、同室で寝れる! 小学校の修学旅行で好きだった女の子のおっぱいガン見して隣で湯船に浸かったのは今でもいい思い出だ。自分の家に連れ込むハードルも全然低いし、お泊まり会も開ける。しないけど、泊まりに来た子がお風呂入ってる間なんでもし放題でヤバすぎる。
もしも女性がこれを読んでくれていたら、絶対俺をキモすぎわいせつ罪で捕まえてほしいと思うだろう。俺もそう思う。俺を女湯からつまみ出して刑務所の男子房でおっさんと暮らさせてくれ。女の子のいい匂いなんて一生嗅げなくていいから、朝起きた時に枕からおっさんの匂いがしててくれ。好きなキャラが歌ってる歌が原キーで歌えなくていいから、チーズ牛丼を注文しそうな声が喉から出ててくれ。トランス男性が女性の体のままでいることを違法にしてくれ。ホルモン治療に保険は適用されないわ諸々の手術にバカ高い金がかかるわ、って現状を変えてくれ。もう俺は性犯罪者でいいからさっさと警察病院で二度と女湯に入れない体にしてくれ。
フェミはトランス女性を偽ったただのおっさんが女湯に入ってくることばかり気にしているが、俺みたいなのがすでに女湯にいることもキモがってほしい。
そのために、おにまいを見てくれ。科学者の妹に女児にされた引きこもりニートキモオタクのおっさんが女湯に入り、女性の裸が見れることを期待するものの銭湯にいるのはおばあちゃんばっかりだった、というシーンを見てどう思うかをTwitterで発信してくれ。原作漫画読んでないから分からんけど多分ここからも主人公はドギマギしながら女性スペースに入ったりするだろう。その都度、どう思うか考えてほしい。
最後に、まひろが女の子も悪くないと思い始めていることなど色々無視して自分の言いたいことを言うためだけにこの作品を利用して本当に申し訳ありません。作画や際どいシーンにめちゃくちゃ気合が入っているのでキモオタクとしては毎週楽しみにしていて、作品には全く恨みがないです。ただ、ここからおにまい人気に本格的に火がついて、フェミが燃やす材料を探し始める頃に、俺のことを思い出してくれたらいいなと思う。
もう数十年前のことだけど、いまだにこの季節になると思い出す。
高校3年生の時の冬休み、進学が決まってたのでヒマを持て余してそば屋でバイトしてた。
最初は正気を保つ努力をしていたけれど、性欲有り余るギンギンの10代では限界があった。
バイト先のそば屋は製麺から自ら行う凝った店で、毎朝、店舗の2階の事務所で足で踏み踏みしてこねる仕事をやっていた。
その日はたまたま、俺と巨乳娘だけが二人だけで事務所でこねこねする仕事をしていた。
足で踏み踏みしてこねる仕事は、つまり体がちょこちょこ揺れる。
すると巨乳娘の見事なソレは、プリプリ揺れる。ずっと、ずっと。。。プリプリ、、、たまにプルンと。。。
もう我慢できなくなっていた。
この巨乳娘は、県内で一番の進学校に通ってて、後から知ったことだけど東大に進学したほどに頭のいい巨乳娘だった。
そこまで頭が良いなら、と、俺は賭けに出た。
俺は巨乳娘に対して、いかに劣情を抱かざるを得ない状況下に陥ったことを出来る限り論理的に説いた。
そして、性犯罪者の発生を未然に防ぐ唯一の手立てとして、その見事な脂肪的造形物を短時間接触させるべきことを、床に正座して誠心誠意懇願した。
最初こそ巨乳娘が短い今までの人生の中でしたこともないと思われる、汚物を下げずむような顔をしていたものの、俺が論破できたのか、不承不承で承知してくれて、果たして俺は巨乳娘の巨乳を同意のもとで揉めることになった。
背後にまわって、バックハグの形で揉ませてもらった。
(ちなみにこの体勢にしたのは、股間を尻に擦りつけることができるから)
あ、
なんか思ってたのと違った。
乳が大きいと、その重みを支えるだけの屈強なブラが必須となるようだ。
その上、真冬の装いなので、全然柔らか味を味わうことができなかった。
だけどポニテの首筋から甘い良い香りが立ち込めていて、それで勃起したので尻に擦りつけさせてもらった。
すごい良い思い出をつくってもらった。
冬休み期間中の短いバイトが終わったあとは一切会うこともなく、数十年が経った。
俺は全く別の女の人と結婚して、今は子供のためにサンタの準備をしている。
きっと元気なはず。
会って即は絶対やらない。
3回くらい一緒に出掛けたりご飯行って話してフィーリングが合って好きだなって感情が湧けばやる。
1回やったら基本もうやらない。会わない。好きになられて付き合ったりしたくない。
相手の私のことが好きなんだなって表情やしぐさにわくわくする。
【嫌なこと】
・「ちんちん小さいかな?」と聞いてくる→勃起時親指以下だとしても、そうだね、なんて言えないでしょ。「え〜どうだろ、わかんないなぁ」って答えてる。大きい人には大きいよと言ってる。
・「日本人はサイズは小さいけど硬くて気持ちいいらしいよ!(何故か自慢気)」などちんちんについての話題→しらんがな。
・乾燥した指でガシガシいじる→痛い。保湿した手でそっと触れて
・口をベロベロ舐めて吸う→優しくふわっとキスして
・おっぱいを執拗に揉む、吸う→私はG70で珍しいかもしれないけどそればっかだとヒリヒリしてくるし気持ち良くないし大人の赤ちゃん見てるようでだんだん笑えてくるからほどほどにして
・無言→緊張してるの?嫌なの?怒ってるの?
・セックス後に本気で付き合いたいと告白してくる→勘弁してくれ
・「仕事が忙しいくてあなたを大切にできない、でもすごいよかったありがとう」と穏便に断ると泣く、ポエムのような連絡をしてくる→本当に彼女にしたいなら付き合ってからセックスして。そんな人と付き合っても浮気されて終わりじゃん絶対嫌。これは遊び。
【良いこと】
・少しの電マ
・表情豊か、声が出る→気持ち良さそうで嬉しい
・「うわ、柔らか」とか「気持ちくてすぐ出そう‥」みたいな声→嬉しい。かわいいなと思う。
・ふわっと抱きしめる
パッと思いついたのは以上です。
あーまたやりたくなってきた
今朝、推しカプの夢を見た。
普段なら自分のツイッターで呟く内容だが、今回はちょっと自分でも憚られるものがある内容だったのでここに書く。
まず夢の中で私は推しカプの受けだった。肉体が受けで精神が私ということだ。
場面は原作にあったワンシーンで、仲間と話し合いをしている最中だった。受けは床に三角座りをして、仲間の話に耳を傾けている。
その場面には攻めもいるのだが、なぜか攻めは受け(つまり私)を両脚の間に置き、バックハグでがっしり抱きしめているのだ。もちろん原作にそんな描写は無い。そして仲間のキャラクターがツッコミを入れることもなく話し合いが続く。
自分の場合、夢の中で視覚と聴覚以外の五感を感じることが無いのだが、今回は珍しく触覚を感じることの出来る夢だった。攻めの体温と体重と触感が、背中と前に回された両腕からビンビンに伝わってくるのだ。夢の中の攻めはあったかくてズッシリしていた。攻めは公式で体脂肪率一桁だと公表されているのだが、それをリアルに感じられる質感だった。
自分が受けである自覚のあった私は(え、何この状況?推しカプ!?推しカプなの!?)とひたすらドキドキしていた。
やがて話し合いが終わり、解散となったのでその場から立ち上がると、何と攻めがバックハグした腕を解かないまま一緒に立ち上がった。受けが歩き出すとそのまま体を受けにくっつけたまま歩き始める。どこのバカップルだ。
原作ではこの話し合いの後、攻めと受けは別行動を取ることになる。となると、この攻めの行動は受けと離れたくない意思の表れであるとしか私には思えなかった。
(なぜ離さない!?)(やはりこの攻め、推しカプの攻めか!?)(おいおいこの攻め、受けのこと好きすぎだろ!)
常にクールな受けの顔面を崩すことなく心の中で嬉しい悲鳴をあげていると、急に場面が切り替わった。そこは旅館の一室のようで、布団が二組並んで敷かれている。原作にこんなシーンは無い。
ここで攻めの体が受けから離れたので、私は驚愕した。どうやら攻めは隣の布団で寝るらしい。あれだけ離れたくないと行動で示していた攻めが、なぜ個室に二人きりという状況で律儀にも独り寝を選ぶのか理解できなかった。
どうにか流れを戻せないだろうか。そう強く願うと、受けの体が動いた。受けの精神は私であるが、私がこう動こうと考えたわけではなく勝手に体が動いたのだ。
受けは攻めに見せつけるように、ゆっくりと体をうつ伏せに布団へ横たわらせた。その時わざと服の裾が捲れ上がるように体を捻ったのだ。そして上半身を起こし、無言でじっと攻めの目を見つめる。
私はこの行動に衝撃を受けた。受けはストイックで流され受けタイプのキャラなのだ。それが自ら攻めを誘う動きをしたのだ。しかもその誘い方が解釈一致の百点満点なのだから最高としか言いようがない。
受けの視界を通して服の裾から覗いた白い肌が見える。薄く筋肉の乗った、だが少年らしさも感じられる細い腰。これ二次創作でめちゃくちゃ見た受けの体じゃん!!!再現度すげえな私の夢!!!
攻めは明らかにこの受けに見惚れていた。これまた二次創作でめちゃくちゃ見た欲情顔をしていた。かわいい。
超スーパーレアな誘い受けする受けをスルーするはずもなく、攻めはこちらの布団へとその身を横たわらせた──ところで目が覚めた。
この時間になってもしっかり覚えてるくらいリアルで濃い夢だった。
二次元キャラがなかなか夢に出てこないタイプなので、とにかく嬉しくてどこかに記録しておきたかったし、誰かに聞いて欲しかった。
父親が息子をモーツァルトの再来に仕立て上げるべく7歳3ヶ月だったのを6歳とした話は読んだ。そのせいでベートーヴェンは中年すぎまで自分の年齢を正確に把握できなかったとか。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』では、父親はアル中でとんでもない奴だけど根はいい奴で、自由主義者としてベートーヴェンを導く役割を果たしている。まあさすがにこれは現実ではなかったかな。なおこの漫画の中でもベートーヴェンの難聴の驚きの理由が判明している。
青木やよひ『ゲーテとベートーヴェン』には、父親が宮廷に出した手紙の書き出しが「尊敬すべきお慈悲深き大司教兼選帝侯殿下」、結びは「御足下にひれ伏し服従申し上げます」だったと書かれている。ベートーヴェンと父親の関係については、ベートーヴェンが、バッハのカンタータの未完成写譜を「父が書き写したもの」と書き込んで大切にしていた、とある。
謎の女=死
ヴェーゲラーはベートーヴェンの5歳上。ロールヘンは2歳下。ヴェーゲラーとベートーヴェンの出会いのきっかけは明らかではないらしい。ヴェーゲラーの紹介でブロイニング家に出入りするようになった。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』ではヴェーゲラーは出てこないが、ロールヘンとの出会いは本作と似ていて、いじめられてたベートーヴェンをロールヘンが助けるシーンになっていた(ただしこれがきっかけでブロイニング家に出入りするようになるわけではない)。
ここで出るか。
強さ、か。生きるための、成し遂げるための。
fffはFuto Final Forever説を信じているけど、第2場で触れた通り交響曲第7番と第8番でベートーヴェンが史上初めてfffを使ったとのこと(第7番は手元にスコアがあるので確認済み)。これは、難聴が関係していたのではないかなと邪推している。難聴の時期は高音があまり使われなくなった(=自分で聴こえる音で作っていた)らしいし。そしてほぼ聴覚を失ってからは高音が再び使われるようになった、というか、第九は演奏困難な高音であったと。そしてこれも触れた通り、第九にはfffはない(オーケストラの編成の大きさも関係してるのか?)。第九は、実際ちょっと常軌を逸した曲だと思う。聴覚がないからこそ書けた曲。第4楽章のコントラバスとかもそうだけど(これはベートーヴェンのお友達コントラバス奏者のドラゴネッティのせいか)、第3楽章。美しい理想が見えるけど、理想に近い演奏を探してみたけど出会えなかった、何年も前の話だけど。オーケストレーションに難あり、だよなと。もしくは時代がまだベートーヴェンに追いついていないのか。
実際は出入りする間に自然と啓蒙思想に触れていったのかなと想像。
なんか泣ける。朝美マジック?
あらきた。1804年12月。
謎の女「心のおともだち、ナポレオン」
んーー、第4場Bで少し構えていたけど、ここハイリゲンシュタットの遺書だったのかあ。いつの間にかハイリゲンシュタットに移動してた?劇場のままかと思っていた。時間もほんとは結構経ってる設定だったのかなあ(ナポレオンの戴冠式はあったけど、もともとの劇場の時間もふわっとしてるし、伝わるのに時差あるかなと思うし。あ、謎の女からの情報だからリアルタイムだったかな)。気が付ける要素あったかなあ。
難聴や失恋からくる衝動は救済の記憶でおさまった後(実際の遺書ではただ"芸術"が引き留めたと)、心のおともだちナポレオンが皇帝になったショックからのシーンだしなあ。
ベートーヴェン(歌)「
歌い続けろ 聴こえない カラダ
歌い続けろ カラダ カラダの そとに
歌い続けろ 中に鳴り響く音
歌い続けろ 出し尽くすまで
大きく 大きく 大きく もっと
強く 強く 強く きっと
たとえ命 たとえ魂
この体が朽ち果てても
たとえひとり 声もしない
孤独の道 ひた走ろうと」
「大きく」「強く」 3回ずつ(=fff)。
ハイリゲンシュタットの遺書から該当しそうな箇所を以下に抜いてみる。
私を引き留めたものはただ「芸術」である。自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。そのためこのみじめな、実際みじめな生を延引して、この不安定な肉体を――ほんのちょっとした変化によっても私を最善の状態から最悪の状態へ投げ落とすことのあるこの肉体をひきずって生きて来た!――忍従!――今や私が自分の案内者として選ぶべきは忍従であると人はいう。私はそのようにした。――願わくば、耐えようとする私の決意が永く持ちこたえてくれればいい。――厳しい運命の女神らが、ついに私の生命の糸を断ち切ることを喜ぶその瞬間まで。自分の状態がよい方へ向かうにもせよ悪化するにもせよ、私の覚悟はできている。(片山敏彦訳)
遺書の中の「難聴の苦しみ」「孤独の叫び」「自死願望」ついて参考までに抜き追加。長いけど。一部難読字は平仮名に、一部ルビ省略。
社交の楽しみにも応じやすいほど熱情的で活溌な性質をもって生まれた私は、早くも人々からひとり遠ざかって孤独の生活をしなければならなくなった。
しかも人々に向かって――「もっと大きい声で話して下さい。叫んでみて下さい。私はつんぼですから!」ということは私にはどうしてもできなかったのだ。ああ! 他の人々にとってよりも私にはいっそう完全なものでなければならない一つの感覚(聴覚)、かつては申し分のない完全さで私が所有していた感覚、たしかにかつては、私と同じ専門の人々でもほとんど持たないほどの完全さで私が所有していたその感覚の弱点を人々の前へさらけ出しに行くことがどうして私にできようか!――何としてもそれはできない!――それ故に、私がお前たちの仲間入りをしたいのにしかもわざと孤独に生活するのをお前たちが見ても、私を赦してくれ! 私はこの不幸の真相を人々から誤解されるようにして置くよりほか仕方がないために、この不幸は私には二重につらいのだ。人々の集まりの中へ交じって元気づいたり、精妙な談話を楽しんだり、話し合って互いに感情を流露させたりすることが私には許されないのだ。ただどうしても余儀ないときにだけ私は人々の中へ出かけてゆく。まるで放逐されている人間のように私は生きなければならない。人々の集まりへ近づくと、自分の病状を気づかれはしまいかという恐ろしい不安が私の心を襲う。
私の脇にいる人が遠くの横笛の音を聴いているのに私にはまったく何も聴こえず、だれかが羊飼いのうたう歌を聴いているのに私には全然聴こえないとき、それは何という屈辱だろう***!
たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。みずから自分の生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。