2012-02-19

知識の蓄積と創造性の頽廃社会の隆盛と

「覚えないといけない」知識は、社会で必要だと思われているほど多くはない。いや、多くはなかった、と言うべきだろうか。

社会が進展するにつれ、文化資本文明資本が蓄積してきた。一方、その裏で抱えきれないものは手から零れ落ちていった。

文化文明を維持するには何にもまして人こそが肝である。人ひとりがすべてを支えることは不可能だが、多くの人が寄り集まって支え合えば、可能な限り多くの資本を守ることができる。

しかし、このように理想的な状態が保たれるのは現実的な話ではない。どこかに集中し、資本と同じくして零れ落ちる人の存在がある。社会が――人と文化文明との集合が――それを放置するのは散財以前の問題であり、これはなかば使命として、より最適な配分状態を志向されるべきだろう。

さて、その蓄積した資本を維持するためには知識の蓄積が重要である創造性とは異なる、維持するための知識である。これを日常的には『精通する』などという。

維持される資本が高度化、複雑化するに従い、求められる知識も高度化、複雑化する。当然、高度化された知識に精通できる人間は限られている。それは概ね科学に通ずることと等しい。

そして、文化文明の蓄積それ自体を促すものとして、創造性が挙げられよう。既存資本の組み替えから、それらを利用した独創的な発明まで、創造性が欠かせない。

勘違いされやすいのだが、創造性とは偏在するものである。人の数だけ創造可能性がある。高度化された資本を組み合わせるためには高度な維持知識が必要だが、高度な創造性が備わっているわけではない。また、単純な資本同士でありながら驚くべき創造性で新たな地平を切り開くこともできる。何よりオリジナルな文章を著すには創造性が大事である。頭を良くするためには本を読めなどという人がいるが、本を読むだけではなく、何らかの形にまとめたり、自己の考えを付随させてみたりすることも、併せて重要だろう。

すなわち、表題に挙げた『創造性の頽廃』とは誤りである創造性の頽廃を掲げる人は、自身にとって興味がないか不快にさせる創造性をそれと見做さないか、あるいは己の意見社会の代表として振舞わせているか、あるいはこれから起こるだろう、私が懸念しているような衰退の結果のいずれかである

我が国では少子化が叫ばれて久しい。先に述べたように、創造性とは人頭で決まる。少子化が進めば併せて創造可能性も衰える。少数精鋭などというが、少数精鋭では、少数精鋭限りの創造と維持しかできない。このような発言の裏には、文化文明への理解と、それらや他者への尊敬とが不足している。

社会が隆盛するためには人の繁栄が大事である子供を産みたくないと思わせるような社会では先が知れるというものだ。このような事態において、我らが知識を結集し、次の代に遺すのは借金だけではないことを示さねばならない。

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