はてなキーワード: 結果的とは
>「グエルは最高、それに比べてシャディクやラウダは最低」
別にグエルは嫌いではないし実際かっこいいキャラだと思うが、こういう感想を見るたびに
「そりゃあグエルは尺を使って活躍シーンやかっこいいシーンを描いてもらったからな」と冷めた目で見てしまう。
「スレッタよりもグエルの方が主人公らしい」という感想にしてもそう。
例えば15話なんて、グエルはもう他に充分良いシーンをもらっているのだから
それこそシャディクやラウダ、スレッタのフォローに時間を使った方が良かったんではないか?
御曹司のグエルがやたら視聴者に持ち上げられる脚本になっていて
(それこそスレッタが落ち込んで行動不能になるのを繰り返していた2期中盤などは、グエルこそが真の主人公だ!貴種流離譚だ!なんて言われていた)、
戦災孤児から実力で成り上がったシャディクや、愛人の子で母親に捨てられたラウダなど、
弱者性を持つキャラクターが視聴者のヘイトタンク化したのも本当に希望がないなと思う。
シャディク
・シャディクが戦災孤児である設定がミオリネのセリフでさらっと明かされ、回想がない。地球でどう育ってきたのかや、アカデミーに拾われて実力で勝ち上がってきたことの詳細などは、何も明かされない。
・シャディクの思想についての掘り下げが全く行われず、ミオリネに対する恋愛感情の描写ばかりがくどいほど繰り返される。視聴者に「ミオリネに振られたからテロリストになった」と動機を矮小化される始末。
・テロリストにならずサリウスの後継者を狙い続ければ、シャディク個人の地位は富裕なスペーシアン相当のままいられる。それを捨ててまでテロリストになる動機の描写が浅いまま、グエルのPTSDの原因を作ったり、ソフィとノレアを使い捨てて死なせたことで、どれだけ殴っても良いヘイトタンクキャラと化した。大量のヘイト創作が作られた。
・シャディクの行動は戦争シェアリングに加担する構造を維持していたサリウスに「愚かな息子よ」とまとめられておしまい。サリウスの思想も描写が曖昧で考察不能、憶測を書き散らすしかない状態。
ラウダ
・グエルの腰巾着。なのに父には逆らえずグエルのプライドを傷つける。
・グエルのスレッタを大切にしたい気持ちは知らないし無視で、スレッタに暴言。しかもスレッタがシャディクに勝利したばかりの絶好調で調子に乗っているときは黙っていて、スレッタが負けて振られて人生どん底状態のときに死体蹴り。
・父殺しのPTSDで浮かない表情のグエルの変化に気づかず(部外者であるセセリアですら気づいていたのに)、八百長での決闘勝利に泣いて喜ぶ。グエルとの温度差がひどいことに。
・パイロットにヘルメットを渡す表面的な役割だけを、グエルのMS整備担当のカミルから奪っている。ペトラは自分自身で整備したうえでヘルメットを渡していたのに。表面のラウダと、中身のカミルになっている。
・兄がミオリネにつけ込まれミオリネに縋っていると勘違いして、無関係の第三者も巻き込んだ殺人未遂。フェルシーに文字通り火消しさせる。脚本にあったト書きは「しょうもない兄弟喧嘩」だが、客観的にみるとグエルは攻撃していないから喧嘩ではなく一方的な殺人未遂なのでは。
・母親に捨てられたのをグエルに存在承認されて救われているのに、グエルを殺しそうになる展開。
・地球寮を勢いで殺しそうになったのに、殺人未遂の直後に「僕はお前達を許したわけじゃない」と喧嘩を売りに行く。視聴者から「ハァ?」という反応が噴出しただけでなく、ラウダ役声優ですら「殺しかけてどの口が」と思ったとコメント。
・グエルは言うまでもなく強制的に大人にされたような大幅変化をした。それだけでなく、後輩の小物いじめっこ腰巾着として登場したフェルシーが、元々アーシアン差別をしていたのにアーシアンであるチュチュと共闘する展開や、ペトラがスレッタに礼を言いモブを助けようとする展開があった。ラウダは最後まで性格が悪いまま終わった。
ノレアもニカを攻撃したメンヘラバカ女扱いされたり、5号とノレアの関係が「理解ある彼くん(笑)」と揶揄されるなどヘイトタンク化してた時期あったし、
社会的弱者キャラが視聴者に袋叩きにされやすい構造のキャラクター配置・描写になっていた。
そしてペイル社で金儲けのことしか頭にない風見鶏してたCEOが無罪放免で、強化人士死んでも平気な上級国民してたケレスさんとやらも味方面して参戦。
フィクションに一番やられたくないことをやられた感じがした。
恵まれてる人は性格がよく、相対的に恵まれてない人が性格が悪いのは現実に似ているけど、若い人に見せるつもりで作っているアニメならこういう希望を摘む真似はやめてほしかった。
結果的に水星の魔女はアラサー以上しか見ていないようだけど、プロジェクトの意図としては10代など若い視聴者を新規で取り込みたかった様子。
でも見てて息苦しくなるような嫌なリアリティは希望がなくなる。二次元っぽい性格の悪さではなく、実際にいそうな性格の悪さの「湿度」が本当に見ててしんどかった。
大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。
この作品が好きだったのは、クラークやイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星の風景描写があったことだ。僕が映像作品を評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星とイオのあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインからの携帯メールにも確かクラークへの言及があった。
また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。
敵方の宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨にエヴァの影響を受けているし、詩的な文章も村上春樹のフォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督の作品をもっと見てみたいと感じた。
「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分が好意を寄せている女性視点の失恋の話だった気がする。
僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空の歴史、知的に早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道のメガストラクチャーという、自分の想像力をはるかに超えた世界を見ることができた。
もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系の典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど、主人公のやっていることはテロリズムの肯定だ。
テロ組織の名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン・樺太の先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロインの祖父の名前ツキノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族の悲劇は、ごくわずかしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。
にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京の景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界の彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。
そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれる北海道の美しさで息をのんだ。
自分の青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲の映画に呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。
退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常の風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星の風景は、僕が創作していたSF小説の舞台として何度も用いた。
そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。
振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちにちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期だから初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。
後に、貴樹をはじめとした新海アニメの主人公たちはどうやって童貞を卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。
統一感のない固有名詞(※僕はファンタジーで名前を付ける際には一貫性が必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数の言語圏から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写、主人公・明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカと揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠が思い入れを持っているように感じてしまったところだ。
愛するものの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワードも村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか?
冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。
しかし、作者の意図や性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的に作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。
言いたいことはたくさんある。
けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞で説明してしまうこと」だ。
最後のタカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽と映像がうるさいなので、台詞なんていらない。
新海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明は小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画の受け手を見くびるな」とも感じた。
そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。
ただ、この頃から日本の古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやかな愛国心が満たされる。
僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。
観ていない。
「言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠が自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。
「君の名は」の予告の「スカート注意、男子の目線!」といったセリフにも、新海誠の性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。
これは男子高出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督が女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二の映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明が俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。
ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。
「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。
被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災の記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性が自分自身だったってのも良かった。周囲の支援が必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。
ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。
今まで肯定的だった(あるいはマスコットでしかなかった)猫が、ダイジンという善悪の不明な存在になったのも面白い。
今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。
恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督は大人になったんだな」と感じた。
それでも無念な個所はある。人口が希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代だから出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。
あとは、震災の描写がリアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画で大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石で地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。
ところで、この作品は村上春樹「かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車でドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松をドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。
そのくせ、村上春樹はオマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。
疑問点。すずめの三本足の椅子、過去の自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか?
どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。
当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。
あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。
でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けのクリエイターから、国民的監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。
こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?
これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情でラブコメ苦手だし。
特に性被害も受けず、喜多川容疑者に恩義しかないタレントも沢山いるんだろう。
でも、「ジャニーズ事務所」が「性犯罪のための檻」だったんだよ。
沢山被害者がいるんだよ。
特に性被害を受けていないタレントは別の事務所に移って個人として好きなだけ喜多川一家に報いたらいいよ。
それが喜多川一家を永らえさせてより安定的に贖罪を続けられることになって、巡り巡って被害者救済につながるかもしれない。
けど「ジャニーズ事務所という檻」は、看板をいくら挿げ替えても、もう後世に残せないよ。
喜多川容疑者が生きてる頃にちゃんと問題に出来てれば、個人の犯罪として終わらせて
事務所は「管理不行き届きでした、すいません」って永らえる道もあったかもしれないのにな。
なあなあのまま埋葬品として墓に埋めようとしたのが結果的に事務所の看板に泥を塗る形になった。
俺はそう思ってるんだけど違うのか?
違うんだろうな
俺なんかの知恵ではこんなもんさ
といいながらやっぱり5%くらいに下げたら消費が増えて税収も増えると思うんだがなぁ
足らない分はお札を刷ろう
グランツーリスモを観た。
ゲームの実写化という感じではなくて、最近広告とかで見るようなゲームなり道楽なりの技術を現実(?)で活かすやつみたいだった。
実際結果的にはトントン拍子の快進撃ではあるけど、一娯楽にしてはあまりにも大きいモーターレースのリスクがちゃんと描かれるのも良かった。自分が死ぬだけならとまだしも……っていう。
訓練パートもフルメタルジャケットのような、デスゲームもののような感じで中々良かった。そこが最後の24耐で活きてくるのも熱い。
新人潰しの奴がクラッシュして事故のトラウマがフラッシュバックするシーンは、傍から観てる分にはスカッとしか感じの方が大きかった。それはそれとして、金色のチームの嫌な奴には実力で物言わすのも良かった。
やっぱりゲームとは違うレーサーの基本技術が大事になってくるんだけど、最後の最後にゲーマーらしい発想のも熱い。スラムダンクは最後の最後に持って生まれたフィジカルじゃなく地道な練習の成果が決定打になるけど、この作品の場合も別にチートスキルな訳ではなくて、何千時間もゲームに費やして得たセンスだし。
あとは何よりスレた偏屈な師匠と若くて斬新な可能性の師弟関係が良かった。レースに情熱を持ってて色々思う所があるからこそゲーマーを認められないし、認める時は認める。レースだけじゃない信頼関係が生まれて背中を押してやるのも良かった。
モーターレースにはあんまり興味がないけど抜きつ抜かれつの攻防は緊迫感があるし、フィニッシュ時には薄々結果が分かってても身体が動いちゃう。
レースシーンも普通の車映画過ぎず、ゲーム過ぎずくらいのバランス感で良かったんじゃないかと思う。
映画館で観といて良かった。
○仕事
P社とはパートナー会社のことで、電設(日本電設工業)、リーテック、TEMSのこと。
○川柳
作業の安全啓発のため毎年社内で募集が行われる。川柳以外にポスターや動画作成でも良い。
川柳は毎年やるとネタが着きてくるが、安全教育として新白河の研修施設に「事故の歴史展示館」を作るなどたまにはインプットもしてくれる。
川崎駅の京浜東北線の事故車両を使った展示などを見ると、もし営業車だったならと想像すると気が引き締まる思いではあった。
○iPad
office 365 を全面導入し業務改革しようと頑張っている。
今は多少改善されていると思いたいが、当時はExcel で書類を作ってた。
JINJRE(ジンジャー)という設備管理システムがあり、法定点検の周期に従い工事箇所のリストを作る。
工事の見積もりはP社から取る。その見積り額を社内の人工(にんく)や歩掛(ぶがかり)の単価と比較すると全然合わない。人件費の高騰などもあり2倍以上の乖離があることも。
社員では工事できないため、結果的に相手の要求呑むしかなく、現場レベルで会計不正しているようで、気分が重かった。
書類が揃ったら社内で稟議を回す。もちろんプリントアウトした紙で。
チェックしたことを示すため、金額や数量に色鉛筆でチェックをつける。本人、上司、助役で赤、青、緑などと色が変わる。
誤りの修正が面倒で、当該書類を差し替える。助役以上に指摘された場合が厄介で、本人の赤と上司分の青は自分でチェックをつけねばならない。これが何回も繰り返される。工事の規模が大きくなると4段階5段階と増えていく。
見積額の水増しと上司の代理のチェックを合わせればなんでも出来そうな気がした。
○評価
言ってることは分かるし、この内容が伝わらない人は少ないと思う
そもそもこれってジャニーズに限らずアイドル一般的な話だし、男女も関係ない
ただ問題はそこじゃなくて、そのアイドルの所属事務所がジャニーズだということ
創始者の一人が生粋のレイパーで被害者は数百人単位、マスコミや芸能界への影響も大きく悪習を広めてきた
アイドル個人は悪くないという感情は分かるし、むしろ被害者の可能性も高いけど、結果的にそのアイドル個人はこの事務所を支えている一端になっているという歪な構造
そしてそのアイドルを支えてるファンの人達も事務所を支える一端になってしまっているという現実
というのが建前で、実際には非ジャニーズ勢のマウント・勢力拡大、正義の代弁者オナニー、お祭り好き・アフィのネタといったところじゃないかと思う
業界が腐ってるのなんて数十年前からの周知の事実だし、アイドルなんて最も穢れた類のものだし、今更そこに正義やクリーンさを求めてもね
言ってることは分かるし、この内容が伝わらない人は少ないと思う
そもそもこれってジャニーズに限らずアイドル一般的な話だし、男女も関係ない
ただ問題はそこじゃなくて、そのアイドルの所属事務所がジャニーズだということ
創始者の一人が生粋のレイパーで被害者は数百人単位、マスコミや芸能界への影響も大きく悪習を広めてきた
アイドル個人は悪くないという感情は分かるし、むしろ被害者の可能性も高いけど、結果的にそのアイドル個人はこの事務所を支えている一端になっているという歪な構造
そしてそのアイドルを支えてるファンの人達も事務所を支える一端になってしまっているという現実
というのが建前で、実際には非ジャニーズ勢のマウント・勢力拡大、正義の代弁者オナニー、お祭り好き・アフィのネタといったところじゃないかと思う
業界が腐ってるのなんて数十年前からの周知の事実だし、アイドルなんて最も穢れた類のものだし、今更そこに正義やクリーンさを求めてもね
創作ノートやブレストで出てきたフレーズの一番いい所を使って1番を作る。このとき足りない部分があったらアイディア出しをやりなおす。
余った部分のうち使えそうなものを使って2番を作る。このとき足りない所は音ハメ重視でテキトーにでっち上げる。
3番以降はおふざけ半分で作る。特に面白いのが出来そうもなかったら1番のフレーズを繰り返す。
「無性愛者のフリをするのがこれからの文明人としての文明的な態度だ」と言うならそれもいいなと思うんだけど、結婚制度のようにシスヘテロ対人性愛を自明視した社会構造を変革する気は全くないくせに、ただ「性欲がないフリをしろ」というだけでは、結果的にシスヘテロ対人性愛の特権化に奉仕するだけですよ、という話なんですよね。
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
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・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
添削前
10 月 2 日に開催した弊社の記者会見に関して、一部報道機関により、指名する記者と指名をしない記者を決めていた旨等の報道が
なされています。
弊社は、会見前々日に本件について会見を委託したコンサルティング会社と打ち合わせをいたしました。
その時にコンサルティング会社がメディアのリストを持ってこられて、そこにNGと言う文字があったので、井ノ原が、「これどういう意味ですか?絶対当てないとダメですよ」と言いました。その時に会見を委託したコンサルティング会社の方は、では当てるようにします。と答えました。
ですから今回流出したと言われている資料は、弊社の関係者は誰も作成に関与しておりませんし、指名をしない記者を決める等も全く行なっておりません。
はなし言葉を多用し過ぎ
時系列わかりづらすぎ
こういった場合は箇条書き推奨
会見を委託したコンサルティング会社に、このことをきちんと伝え、謝罪してほしいとお願いしましたが、外資なので本国の許可が必要で調整に時間がかかると言われてしまいました。
弊社は誰か特定の人を当てないで欲しいなどと言うような失礼なお願いは、決してしておりません。
”きちんと伝え”とか”失礼な”とかは、言わなくてもわかることなので冗長
弊社としては、今後は、メディアの皆様との健全な関係を築き、対話を継続してまいりたいと考えていたところです。
今回は、会見を委託したコンサルティング会社がしたことであっても、それは弊社が雇った責任があると言われれば、その通りであり、大変悩みましたが、現時点でわかっていることだけをご報告させて頂きます。
いわないでいいこと言い過ぎ
今後も弊社は、故ジャニー喜多川による性加害問題に関する弊社の
再発防止策、および、被害に遭われた方々への補償、さらには、弊社の社名変更と新会社設立に関する取り組みに関し、適宜・適切にすべての関係の皆様に説明責任を果たしていく所存です。何卒、事情をご賢察の上、引き続き、ご指導・ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
再発防止の前に事実確認が先。再発防止なんて甘い表現を使っている自体、状況を軽く見ていると見られかねないので不適切
”および”、”さらには”という接続詞を使うことで羅列した内容に優先順位があると思われかねないので危険。横並びにするべき
”事情をご賢察の上”はこちら側が決めることであって、それを申し出るということは「忖度しろ」という意味にほかならない
皆に”誰?”の部分が注目されているのだから、代表者の名前を明記すべき。
というわけで添削した内容は以下の通り。
2023年10月5日付け 弊社記者会見に関する一部報道について
10 月 2 日に開催した弊社の記者会見に関して、一部報道機関により、指名する記者と指名をしない記者を決めていた旨等の報道がなされました。
弊社として把握している内容は以下の通りです。
・会見前々日に会見を委託しているコンサルティング会社との打ち合わせ実施
・その際にコンサルティング会社より取材メディアのリストが提示された
・それら一連のやり取りは、その場にいた役員全員が承知している
今回取り沙汰されているリストについては弊社の伺い知らぬ場所にて作成されたものであり、会見前に存在は把握していたものの、使用については禁止するように事前に確認を行ったはずのものでした。
しかしながら、結果として指名の順位に優劣がつくなどの影響が発生しているのは事実であり、弊社としての対応が不十分であったと認める次第です。
信用回復を目的とした記者会見の中で、更に皆様からの信用を損なうような事態へと至ってしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。
なお、会見を委託したコンサルティング会社からも謝罪、もしくはプレスリリースの発行ができないか現在確認中です。
繰り返しとなりますが、弊社としては特定の個人を指名して質疑を行わないように指示をしたという事実はございません。
しかしながら、コンサルティング会社が弊社を慮ってのこととは言え、独自判断にて指名の優劣が生じてしまったことは事実です。
メディアの皆さまと健全な関係回復を行おうとした矢先に、信用を失うような結果になってしまったことを重ねてお詫び申し上げます。
今件については引き続き調査を続けるとともに、コンサルティング会社との契約解除も視野に再発防止に努めます。
今後も、故ジャニー喜多川による性加害問題に関する解明に向けた取り組み、被害に遭われた方々への補償、弊社の社名変更と新会社設立に関する取り組みなど、これらについては適宜・適切にすべての関係の皆様に説明責任を果たしていく所存です。
何卒、引き続き、ご指導・ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
この度は被害者の皆様、ファンの皆様、及び各社メディアの皆様の信用を損なう事態と至ってしまいましたこと、誠に申し訳ございませんでした。
まぁなんというか、どこ見て発信しなきゃいけないのかが全くわかってないというのが一番の印象。
あと、勝手に終わらせるな感が読んでて笑える。
なので、視点の整理を中心に、時間軸、進行形、目線を合わせた謝罪などを加えてみました。
「何卒、事情をご賢察の上、」っていう言葉から「お前ら言わなくてもわかってるよな」感が出まくっててぬかりねえなって部分が最高にロックだった。最初に削除した。
昔飲み会行ったらたくさん飲んだ人が多めに払うと言ってくれて、
そしたら同じくたくさん飲んでた別の人が「これじゃ多く払い過ぎ!」とか言ってゴネはじめて
すごい気まずい空気になってしまい下戸衆がいいよいいよと遠慮し始め、
しかし最初の言い出しっぺの多く飲んだ人は多く払いたいと言い続け、
結果的の400円差になったんだけど流れ的に下戸衆が「ごちそうさまでした…?」って言うはめになって
まじで金を払いたくないやつは飲み会にくるな…と思った。
そういうの、過去に戻って取り得た中でベストの選択肢と比べて後悔してしまうかもしれないけど、それやるとキリがない。常に、結果論で、選ぶ前には分かる筈のない、ベストの選択肢と競争させられることになる。
それに、別の選択肢を選んでいたとしても、そのまま田舎で独り暮らしさせてたら、母親の生活は変わらなかったかもしれないけど、最期に娘と過ごす安心を得られなかったかもしれない。増田が仕事を変えて田舎に引っ越してたら、転職失敗や将来性の見通しで、新たな問題が生じていたかもしれない。結果的に半年だったから、今の職のままリモートや一時休職、週末田舎に通うなどで乗り切れたかもしれないけど、始める前には分からなかったことだし。 <h3>o- *</h3>
この件で思うのは、お母さん、独り暮らしの時は、気を張って、無理してたんじゃないかな。それで娘と暮らせることになって、一気に疲れと甘えが出たんじゃないかな。昔の人って、あんまり家族間で甘える習慣なかったから、弱みを見せるところがなくて常にちょっとずつ無理してて、しゃんとしてるようで、実はずっと無理してるところがあるみたい。そういうのって、最期の体が弱った時期に見えたりする。
だからこれで良かったと思うよ。
ファンの熱心な応援が、結果的に加害した組織を存続させることになってしまった。ファンはそんなつもりで応援してきたんじゃないよな。
この状況を作ったのは誰なんだよって話。
そしたらたまたま新人体験入店の空き枠あったんでその子にしてみたんすよ!
その子の出勤時間的に俺は恐らく3人目の客だったと思われるのですが!なんかもう酷かった!
どうもガチな初風俗体験入店だったようです!それで1人目と2人目の客とのセックスしてみてよっぽど嫌だったんですかね!
おいおい大衆店にいるには勿体ないじゃんってくらいの美形嬢だったのですが!
俺に対してはもう俯いちゃって挨拶も無いし会話も全然弾まないし!ソープ経験はそれなりにある俺が頑張って会話しようとしても全然ダメ!
この時点で超萎えてたんですが!でもまあソープじゃないですか!
そろそろ脱いで欲しい!やることやりたい!と申し出たんですよ!
脱いでみたらまあスタイルもよくて美乳の恐らくEカップで腰はクビレてるしそのくせ尻も良い感じに丸くてすげえ!
確実に俺の経験上でルックスだけならベスト5以内だ!とここで愚息は元気になりました!
ソープにおける通常の範囲内で特にNGは無いとのことで!当然にマグロだったので俺頑張ったんですが!
何も反応が無い!濡れない!ローションつけて入れてもらっていいですかとすごい嫌そうに言ってくる!
一応入れたところやっぱり反応無いしやっぱりすごい嫌そうなんですよ!
もう超萎えたんですよ!結果的にイクのに時間かかって中折れとかじゃなくて本当に萎えて愚息もシナシナになりました!
そこで俺は思いました!「そうか、俺は今、嫌がる相手と一応合意の上ではあるが無理やりセックスをしている。つまり俺はレイプの疑似体験をしているのだ」と!
無理!俺レイプ無理!あくまでエロ漫画とかAVではレイプモノでも普通に抜いてましたがリアルなレイプは無理だ!
勉強になりました!ホントシナシナです!あとは時間まで普通に風呂入ってました!その子はいつの間にか服着てベッドでスマホいじってました!
ところで俺はその店の新人嬢に入ったら感想と改善点をスタッフに聞かれる程度には常連です!自慢になりませんが!
やっぱりスタッフに聞かれたので!ちょっとあの子マジでこの仕事向いてないと思うよという感じのことを答えました!
今日になってシティヘブン見てみたらその子は1日でいなくなってました!
てか見た目すごい良かったからもうちょいまともな仕事で見た目を活かして稼げそうな気がしますよ!
父は早くに亡くなったため私(独りっ子)が就職で東京に出てから実家で独り暮らしだった母。
昨年の初めに大きめの病気をして、寝たきりほどではないけど相当体力が落ちてしまい、母本人もちょっと匂わせてたのもあって同居した方がいいか?ということになった。
でも私は今の会社だと東京を出る可能性はないし、ちょっと調べたけど実家近くで転職すると年収三分の一になって母娘行き倒れてしまうので、やむを得ず東京で同居介護をすることにした。
幸い会社も理解してくれて出社は週一回以下でほぼテレワークになり、どうにか介護と両立できる状況になった。
だったはずが。
体力が落ちても頭はハッキリしていて、どちらかと言うとガミガミタイプだった母が東京に来た途端急に呆けてしまって一気に寝たきり状態になり、同居開始から半年も経たずに行ってしまった。
それからまだ何ヶ月も経ってない。
私はできる限りのことをしたし母のために全力を尽くした、と思う。
でも、それが結果的に早めることになってしまったかな、という後悔がずっと頭をモヤモヤしている。
結局、同居介護の間も水入らず的な会話はできなかった。
これを増田に書いて、どういう反応が欲しいのか自分でもよく分からん。まだ心の整理がついてない。頑張ったといって欲しいのかもしれない。
とりあえず疲れたわ。