はてなキーワード: 有効とは
44マグみたいな大型拳銃なら有効らしいよ。アメリカでは熊対策の補助武器として使ってる地域あるしね。日本でも大型拳銃の携帯を解禁するべき。デザートイーグル欲しいなあ。
「悲劇のヒロインを自覚することによる自己憐憫の効果」の実感。
僕がもし弱者男性じゃなかったら、この認識は得られなかったと思う。たぶん。
自分自身がこの世界から置き去りにされた悲劇のヒロインだと確認する。
自己憐憫に浸る。
まぁ… 誰も信じてくれないだろうけど。
というのも本当は悲劇のヒロインなんかじゃない、と心のどこかで分かってる場合は逆効果だから。
実際に間違いなく、自分は弱者男性だと理解して初めて、有効に働くようになる。
それともう一つ。
みんなはおそらく、自己憐憫は「情けない」行為だと思ってるよね?
それだともちろんセルフネグレクトになる。
誰しもが苦労していて、配られたカードで頑張っていて、それでも不幸なんだと、正しく認識してること。
経済政策の話題を見てるとなんでみんなそんなに自信を持って発言できるのかわからない
インフレはだめだデフレにしろとか、いやインフレでいいとか色々言ってるけど
経済学の名誉教授ですら全く有効な政策を打ち出せてないのに、なぜその辺の一般ピーポーが自信満々に持論を展開できるのか?
ウクライナがどんどん領地を奪い返しているというニュースもあれば、ウクライナはどうせ負けるという悲観的なニュースもある
そもそもウクライナがここまで粘るとは専門家すらわかっていなかったじゃないか
が、全然そんなことはなかった
イラストなどの芸術分野は人間しかできないことであって、AIには無理だと誰もが信じていた
山上が事件を起こした当時、政治家や著名人ですらそんなものは陰謀論だと切り捨てていた
結局みんな何が正しくて何が間違っているのか全然わかっていないじゃん
幸せそうでいいなとは思う
自然の流れ。
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昔は余暇時間の過ごし方の種類が少なかったうえに、結婚して子供(跡取り)を育てるという社会的圧力が強かった。
現代は昔に比べ余暇時間の過ごし方が増えた上に、多様性を重んじるということで結婚・出産・育児を強制することは減った。
昔に比べて余暇時間に結婚・出産・育児を選択する人が減ったということ。
強制されなければ結婚・出産・育児って他の余暇時間の過ごし方に比べると面倒(それ以上の見返りもあるかもしれないが)だからね。
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なんか所得が少ない、子育てにお金がかかるから少子化だと行っている人がいるけど、
昔は所得が高かったわけでもないし、子育てにお金がかからなかったわけでもないのに出生率高かったよ。
出生率が高かったのは社会的に跡取りを作って家を継承するという圧が強かった(余暇時間を強制的に選択させていた)からだよ。
さらに小児医療もまだ未熟(現代に比べてね)だったから「7歳までは神のうち」なんて言葉もあったよね。
そのために跡取りを確実に残すためには2人以上産む必要があった。
現代では1人生まれたらよほど不幸な事が起こらない限りはほぼ跡取りになるよね。しかも女児でも跡取りとして問題なし。
余った子供は所得が少なかったので口減らしとして丁稚奉公(人身売買)なんかされてたし、虐待やネグレクトもあったよね。
「現代は裕福じゃないと産めない」ではなく「昔は貧乏でも産まないといけなかった」なんだよね。
貧乏子沢山なんて言葉もあったね。これは強制よりも余暇時間の選択肢が少なかったって面もあるけどね。
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そもそも「結婚しない(出来ない)からだ」とか言ってる人もいるけど
これも昔は周りで結婚していない人がいたら、親や親戚、近所の人、会社の上司等周りのみんなから圧がかかり、お見合いをさせられ、
それでも結婚しないと40ぐらいで社会不適合者扱いして社会(身の回り)からはじき出していただけだよ。
なので「現代は結婚しない(出来ない)」ではなく、「昔は強制的に結婚させられていた」だけだよね。
出産も同様で結婚している人に「子供はまだ?」って昔は普通に言って圧かけていたよね。
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上記を踏まえて少子化対策に有効な策は現代の倫理観の上ではほぼないと思うよ。
社会をよくしよう(実際によくなっていると思う)とした上での自然な流れでこうなったわけで、
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倫理的な事を置いておけば以下は考えられる。
→まあ強勢なんで増えるでしょうね。
→今の社会は結婚して子供を責任持って育てないといけないからみんな躊躇するのであって産むだけなら今よりは増えるでしょう。
これが進んで人工子宮でとかSFの世界のようなことになるのかなと。
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現在の倫理的に問題が無い範囲で少子化を遅らせるとしたら余暇時間の過ごし方として出産を他の過ごし方よりもよりよいと思わせる(自主的に選択してもらう)しかないと思うんだよね。
例えばSNSでもう少し結婚・出産・育児はいいものだって発言が増えるとかね。
現状結婚・出産・育児に対してのコメントって上から目線の糞アドバイスが多いよね。
自分の趣味に人を引き込むときにどうするかと考えればもう少し違う接し方があると思う。
子供の命がーって言うんだろうけど、それ以上に糞アドバイスが多いよね。
お金もらって(教育費・医療費無償化等)もそれ以上にいろんな責任が伴うのに選択するかっていわれたらどうだろう…。
でも政府がメリットを発信すると昔の「産めよ殖やせよ」を想起させるよね。
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よし3人目産もう!大学入れよう!
ってなったとして、
って問題がある。
直近で金渡したれやとしか思わない。
有効なのは来年あたりから大学入学が決まってそうな現在3人以上の子持ちだけよ。
少子化対策としては大いに疑問。
多産の家庭は大学を無償化、と言うアイデアが「少子化対策」として出てきたが、
https://digital.asahi.com/articles/ASRD67KLKRD6UTFL011.html
これは
といえるので、最低でももう少し工夫をしてくれという話をする。
簡単に言えば、少子化の主因を捉えていないから、少子化対策にならない。
これは繰り返し言われてきたが、少子化の主要因は、非婚化と言われている(注1)
詳しくは注記に文献を上げておくので見てほしいが、簡単に言うと
と言う状況があるためだ。
結婚した夫婦がもうける子どもの数は微減状態にはあるが、そこに合計特殊出生率の変化のグラフと、婚姻率のグラフを重ねてみてほしい。そうすれば一目瞭然で「結婚した夫婦も減ってるじゃ無いか」という抗弁は枝葉であり、全くマトを得てない事が分かると思う。
結婚しない人を結婚させるより、3人目を諦める人を支援した方が良いと言う事実はない事も既に研究で明らかになっている。確かに理想の人数の子の数を諦めた理由という調査では、その理由に経済を上げる人が多いが、統計で分析すると
要するにまともに取り組むなら晩婚化の対策が必要だと言うことになるが、政治的にタブーでありこの路線はほぼ無理だと思われる。
もちろん、ミクロで金銭的理由を子どもをもうけない理由に挙げている人がいるかぎり、それをフォローする事は重要ではある。また経済対策として子育て支援は効率が良い施策なのでやるべきではあるのだが、これを有効な少子化対策として捉えられてしまっても困る。
子育て支援は少子化対策としては有効ではないと言うことをとにかく認識してほしい。
よく「子育て支援・少子化対策」と並べる人がいるが、この二つは似て非なるものである。少子化対策とは別に考えるべきだ。
まず、前提の事実を並べる
最新の統計はコロナ禍の影響があるとは言え、再配分が間に合っていない状況である。
その中で、最近は所得制限なしに給付を行うのがはやり始めている。高所得者層にはそれほど大きな金額ではいのかもしれないが、負担率という形でみると低所得者層ほどインパクトが大きいので、所得制限無しの上に、低所得者層に給付対象者が少ない助成金などをやったりすると、一気に格差が広がる。
つまり、言い方はあるにせよ
と言う事で、現在の状況をより補強し、子育て支援は本質的に少子化対策としては問題が多い。
特定の部分をターゲットにして単純に補助金を作ると、産業が補助金に対して最適化するので、全体として金額が上がって非効率になる。例えば、ネットで買うと5000円、地元で買うと8000円だが、1/2補助の地域振興券がつくので地元で買う、と言うような現象だ。この構造から、一見すると消費者に対する補助の様に見えるが、実際には店側の方への補助金としての性質が強い。
また、最近問題になっているのが、出産一時金である。出産一時金をはじめとして、出産に関する各種の補助は強化されて金額が増えているが、結果どうなったかと言うと、病院がそれに合わせて、出産費用を値上げをした。出産に関わる費用が上昇しているのである。
妊娠出産は自由診療であり、病院は自由に価格設定ができるためだ。結局、出産する人たちへの負担軽減には効果が限定的であるというばかりか、効果の怪しい代替治療のような者まで出ている。これを受けて政府は、出産を保険診療のように、標準報酬のようなものを定めようとしている。
これらから、何も考えずに補助を作ると、大学にも同じ現象が発生する。授業料分は補助が出るだろうが、全体としては助成金を充てにして値上げが行われるだろう。結果、補助の大部分は大学への補助として作用し、実際に支援したい子育て世帯への恩恵はわずかになる。
ではどうするかというと、補助をする対象を個人では無く、大学に支払うようにするべきだということだ。何故かと言うと、個人に給付するときに個人に条件を付けるのは難しいが、大学に条件を付けることは容易だからである。
例えば、便乗値上げをしない事、上限金額を決めた上で「追加で対象の学生から授業料を徴収しないこと」といったはどめをかけて、条件に合致する大学にだけ対応させるといった処置である。
再掲するが、せめて
が必要だ。
ばらまきはある程度民主主義のコストであるので、人気取りで分かりやすい施策をやろうとするのは、まぁ仕方が無いと思う。
ただ、それで「やった感」だけを醸し出して、あるいは、有限の予算の中で優先度を間違えて支出された予算になってしまって、本質的な対策が行われないがまずい。
政治的に
みたいなことを堂々といったら炎上するだけで難しいのはわかる。例えば、子育て支援は所得制限無し無制限が支持される一方で、自治体が頑張って結婚相談所を作っても参加補助どころか無料も無理で、実費請求されるところがほとんどだ。これは有権者の支持が得られないというところであろう。
が、もうこれを上手くオブラートに包んで実行していくほかにないのでは無いと思われる。
子育て支援をするなと行っているのでは無い。子育て支援はやるべきだ。しかし、子育て支援は少子化対策にならないのを直視して、少子化対策は別枠でちゃんとやってくれと言う事である。
20代は毎日のように飲んでいたけれど、30代になって結婚して子供が生まれて、ついに酒を飲むのは取引先との仕方無い会食と実家の両親の晩酌に付き合うときくらいになった。
子供が生まれると自分の時間なんてほとんどなくて、その貴重な時間を飲み会や二日酔いで潰してしまうなんて勿体無いのが一つの大きな理由。
さらにそういう生活が続いてたまに酒を飲むと、ちょっとの量でも翌日は信じられないくらい調子が悪い。
お酒の何が好きだったかというと、お酒自体の味や食事を美味しく食べるという要素もあるが、それよりはお酒と共に友人たちと楽しい時間を過ごすのが一番だった。
若い頃は仲の良い異性と飲み明かして、それだけでも楽しいし、たまに懇ろな関係になってみたり、といった関係性を楽しむのもあったが、結婚した今間違ってもそんなことにはなれないので、ゆっくり飲むなら仲の良い同性が良いが、同年代は概して育児か仕事に忙しくなかなか都合が合わない。
レストランに行ったらワイン1本くらいは頼むのが礼儀だとは思っているが、そもそも子育て中にそんな店は行かない。
の翻訳。執筆者はステットソン大学の心理学教授、クリストファー・J・ファーガソン。
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2020年に起きた比較的マイナーな(トランプ大統領や新型コロナと比較して)炎上ニュースの中に、ジャーナリストのアビゲイル・シュライアーの『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇(Irreversible Damage)』をめぐる論争があった。
本書は、みずからのトランス男性として認識するティーンエイジャーの「女子」の急増は、性別違和やトランスジェンダリズムが原因ではなく、社会から疎外されたアイデンティティが社会的な影響によって、本来他の精神疾患を持っている少女たちが誤って自分をトランスとして認識しているためだと主張している。
この本に自分の家族や娘を重ね合わせ、娘たちが直面している現実の問題を語っていると考える親もいる。(原注:シュライアーの見解を反映し、生物学的性別のみを反映することを意図しているため、ここでは「娘(daughters)」という用語を使用する。) しかし、多くのトランス活動家たちは、この本をトランスフォビックであり、敵対的であり、より広くトランスの人々にとって有害であるとして非難している。そのため本書への販売反対運動も広まっている。*1
私は最近この本を読んだので、ここに感想を述べておきたい。はじめに言っておくと、これは複雑で微妙な問題だと思う。しかし、現代の言論は、感情的な議論のどちらの側にも、ニュアンスや複雑さを認めることはめったにない。
基本的に以下のふたつの状況は傍から見てほとんど区別がつかないことは、残念ながら確かだ。a)トランスであると自認する青少年を含むほとんどの個人は本当にトランスであり、医学的な移行から恩恵を受けるであろうということ、b)青少年としてトランスであると自認しているが、境界性パーソナリティ障害やその他のパーソナリティ障害、自閉症スペクトラム障害など、アイデンティティの混乱を引き起こすような他の精神的健康状態にあり、これらの個人は医学的な移行からあまり恩恵を受けないかもしれない、ということ。
第一に、「ジェンダーは社会的構築物である」というスローガン(シュライアーがその大部分を支持している)に反して、ジェンダー・アイデンティティは視床下部に存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学的証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別の身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせやいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞や名前が尊重されるべきであり、恋愛、結婚、子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ。
同時に、境界性パーソナリティ障害は、多重人格障害(解離性同一性障害)や双極性障害など、他の有名な精神疾患と併発したり、誤診されたりすることが多いという証拠もある。したがって、トランスであると自認する人の一部(すべて、あるいは大多数ではないことは確かだが)が、アイデンティティの混乱というより広範な問題を抱えている懸念もあるにはある。
本書を読んでいて、私はいくらか批判的にならざるを得ない点があった。その主なものは、シュライアーの科学への関心が、時として表面的であるという懸念であった。もちろん、これは本書に限ったことではないが、このようなセンセーショナルなトピックでは、科学的議論のいくつかにもっと精妙な検証が要求される。シュライアーは、この分野の学者たちのデータや意見を掲載し、リサ・リットマンの「急速発症型性別違和」*2と呼ばれる物議を醸した研究(過去にはこの研究自体が議論の対象となったが、研究の是非はともかく、科学的には嘆かわしいものであった)など、重要な(しかし是非の多い)研究をいくつか取り上げている。
ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠が豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体が刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露が視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。
もちろん、この見解はシュライアーの創作とは言い難く、第二波フェミニズムにまでさかのぼる〈ジェンダー・クリティカル〉なフェミニスト(一般的に、この非常に論争的な議論においてトランス活動家と対立する側)を反映している。実際、この論争で興味深いことのひとつは、伝統的な右派と左派の対立というのではなく、左派を標榜する2つのグループの間の感情的な蔑視がしばしば反映されていることだ。
シュライアーはまた、インターネットに時間を費やしすぎることが少女たちにトランスであるという認識を抱かせる原因になっている、という考え方に奇妙なほど執着している。彼女は、ソーシャルメディアが精神衛生にどのような影響を与えるかについて、ジャン・マリー・トゥエンジ*3の研究を引き合いに出すが、トゥエンジの主張の多くがかなり徹底的に否定されていることを読者に知らせない。彼女がこの種のモラル・パニックにしばしば戻るのは気が散るし、急速に発症する性別違和という概念自体がモラル・パニックなのではないかと思わせられた。
とはいえ、彼女の論文を完全に否定する気にはなれない。実際のところ、トランスであると自認する女子の割合が本当に増えているのか、あるいは増えていないのかについて、きちんとしたデータは存在しないようだ。私の交友関係でも、伝聞的に、このようなことを耳にする機会が少しずつ増えてきているが、伝聞は証拠ではないし、もっと確かなデータが必要されている。
境界性パーソナリティ障害に加えて、性別違和も自閉症スペクトラムの思春期の女の子に多いという研究がある。この意味で、青少年が公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチに懐疑的な最近の英国の裁判所の判決の背景にある理由のようである。
私たちは、どのような青少年が医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータが必要である。いずれも、トランスジェンダーの権利と福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和が実在するかどうかを研究する余地が必要である。私は、査読と科学的再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学的検閲は問題を混乱させるだけだろう。
結論として、ここには検討すべき有効なアイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティ・ポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンスを考慮する意欲と、より多くの情報が必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究が必要である。
私は本書のどのような部分が論議を巻き起こしているかを理解するためだけなく。本書に反対する立場から検閲しようと努力する向きにも一読を薦めたい。しかし、科学について慎重かつ忠実な本を期待していたのであれば、この本がそうでないことは確かであり、その点で、本書がトランス・コミュニティで集めた否定的な反応はまったく理解できる。将来、質の高い、事前登録された、オープンサイエンス、インターネット検閲の努力から解放された科学的な取り組みが行われ、この複雑な問題をより明確に理解できるようになることを願うばかりだ。
*1……本書に対する販売反対運動が巻き起こったのは日本だけではない。
Amazonは同書のジェンダーの取り扱いに対するスタンスへの懸念から有料広告キャンペーンを打ち切ったものの、販売自体は行ったため、ヘイトに反対する従業員グループから販売中止の要請を受けた。結局Amazon社は「Amazonのコンテンツポリシーには違反していない」として、販売を継続し、その態度に失望した一部従業員はAmazonを辞めた。
また、大手量販店のターゲットではやはり論争を受けてオンラインでの販売を中止したが、翌日に再開し、三ヶ月後に再度中止した。
ここで興味深いのは、販売反対運動が出版社に対してではなく、販売プラットフォームに対してなされたことだ。日本でもヘイト本を扱っている書店に対する苦言などはたまに見られるが、反対活動によって販路を閉ざし実質上の販売中止させようという動きはあまりない。アメリカではAmazonが書籍販売について(日本より普及している電子版を含め)かなり独占的な勢力を占めていることなども関係しているように思われる。カナダでは図書館に対しても貸出の中止を求める請願が出されたという。
ちなみに出版元であるRegnery Publishingは保守系の老舗で、過去にはインテリジェント・デザイン説を擁護する書籍などを出し、そのたびに批判を受けてきた。『あの子もトランスジェンダーになった』で「エモやアニメ、無神論、共産主義、ゲイ」などが批判的な文脈で持ち出されるのもこうした文脈に沿っている。
*2……本書がサポートしている rapid-onset gender dysphoria (ROGD、急速発症型性別違和)はリサ・リットマンによって2018年に提唱された概念であるが、臨床的・科学的な証拠が不十分であるとして医学的診断としては認められていない。
*3……アメリカの心理学者。2017年に iGen という本で若年世代のナルシシズムとインターネットの関係を書いた。が、同書は多くの批判を受けた。
夜に買物に行く不便さがあってさ、
だけど一駅手前で降りなければいけないの。
そんで最寄りの駅のマーケットにも21時すぎまで開いているマーケットはあるんだけど、
22時まで開いているマーケットで買い物してから一駅歩いて帰るのとほぼ距離が一緒なのよね。
だからやっぱりちょっと遅くなる夜のマーケットでの買い物は時間をロスにしているみたいで、
ここのところ
5分でも無駄にしたくないF-ZERO99のラッキークジを5枚集めなくちゃいけないのよ!
1戦でもレースできんじゃん!って。
まあ今回はスタンプ1日で5枚集めなかったけれどスプラトゥーン3の1日1勝は初戦で勝てたらかなり気の負担は楽よね。
だからよ!
だから夜のお買い物を極限に減らしてと言うか無くして
もうまさにミュートシティーのIからIIIまでに通ずる最終コーナーを極めすぎてきわきわまでギリギリのところでコーナーリングを決める!って感じなのよね。
夜の買い物は避ける!
ましてや最近は全然行ってないいやむしろ行けなさすぎて行っていない銭湯もしかり!
銭湯行ったら2時間は見ておかないと行けないこの毎日2時間の時間可処分時間の2時間はでかくない?
それなら全部もう1日のノルマ達成できる充分に!って思う反面、
でね、
また恒例のHDDがいっぱいになってきた祭が開催される山脈に向かってヤッホー!ってもうそれこそ叫びたい感じなんだけど、
ネット配信でカバーできそうな1週間以内の番組であればまだ見れる!って思うので、
人類はネット配信で全部カバーできることが網羅できない悲しさがこのインターネッツ全盛期でも感じる不便さなのよ。
あれさー
地方の局の番組はネットでもフォローできない辛さの辛みがあるじゃない。
それがネックなのよね。
だから逆に夜優雅にマーケットでの買い物をうかうかしていられないし
銭湯も行っていられないし、
かと言ってゆっくり湯船に家の湯船に浸かって湯船るってことはできるの!
私のお気に入りのお風呂対応法人専用防水タブレットがあるので、
それをお風呂に入りながらテレビ番組をネット配信のものは消化できるけれど、
さすがに、
防水性能のあるゲーム機が発売されたらちょっと便利かも!って思うの。
それはないとしても
1日の時間をより短縮にしまくりまくりまくりすてぃーな組み立てをしなくてはいけない、
迫り来る年末年始のこのまだ来年の干支も決まっていないというのに!
私が干支レースで1位になるならもしかしたらワイルドグースのF-ZERO99のマシンになるかも知れない期待を寄せて、
最近はみんなより走りに磨きが掛かっているので、
3回しか私は1位取れてないけれど、
もしこの12月に1位を獲得することが出来たら私の年賀状の絵柄はワイルドグースになること待ったなしなのよね!
100いや!256も承知なのよ!
でもさ、
F-ZERO99でもうちょっとここのコーナーを上手に走ることが出来たらライバルより速くなる!とかっての、
日々も無駄な時間をショートカットしたらこの時間有効にできる!って
人生はもしかしたらスプラトゥーン3じゃなくてF-ZERO99に真理があるのかも知れない鴨鹿って思って、
そんな鰯気になっちゃうのよね。
もうさあまりにも
F-ZERO99のイベントレースのクラシックレースがマジ過酷すぎて適当に走っているとリタイア宣告されて回収されてしまうし、
全てにおいて速さを感じる体感速度が上がっている
クラシックレースが常時レースじゃなくイベントレースだったことも幸いね。
コース幅も若干狭く感じるし、
その分後ろからの後続車のターボぶつかりでターボ使わずとも後ろからのプッシュで速く走れるので、
それも上手く利用したいのよ。
F-ZERO99のここのコーナーをもっと速く!って思っている人生はメリーゴーラウンドって言うけど
分かり始めたマイレボリューションなのよ!
日々学ぶことは多いわ!
心して走ることにする!
私にはまだまだ走りが足りないってことなのよ!
うふふ。
朝の美味しい元気を私に与えてくれるわ!
黄色い色って元気の色よ!
ヒーコー色だけど。
寒かったのでホッツ白湯ウォーラーストレート途中味変のレモン果汁ポッカレモンインのものをいただいたわ。
朝寒かったので寝起きすぐに
ふーふーしながら飲む
クノールのそれを越える温かさがあるわ。
起きてボーッとしている間に温めて始動よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
アルバート アインシュタインが一般相対性理論で説明したように、大規模なスケールでは重力が時空構造の曲線のように見えるように、重力を自然の量子法則に適合させるという非常に困難な仕事を担っている。
どういうわけか、時空の湾曲は、重力エネルギーの量子化単位、つまり重力子として知られる粒子の集合的な影響として現れる。
しかし、重力子がどのように相互作用するかを単純に計算しようとすると、無意味な無限が生じ、重力についてより深く理解する必要があることがわかる。
M理論は、宇宙のあらゆるものの理論の有力な候補としてよく言われる。
しかし、それについての経験的証拠や、重力が他の基本的な力とどのように統合されるかについての代替アイデアはない。
この理論は、重力子、電子、光子、その他すべてのものは点粒子ではなく、さまざまな方法で振動する、目に見えないほど小さなエネルギーの「糸」であると仮定していることは有名である。
1980 年代半ばに弦理論への関心が高まり、物理学者は弦理論が量子化重力の数学的に一貫した記述を与えることに気づいた。
しかし、ひも理論の既知の 5 つのバージョンはすべて「摂動的」であり、一部の体制では破綻することを意味していた。
理論家は、2 つの重力子の紐が高エネルギーで衝突したときに何が起こるかを計算できるが、ブラック ホールを形成するほど極端な重力子の合流がある場合には計算できない。
その後、1995 年に物理学者のエドワード・ウィッテンがすべての弦理論の母を発見した。
彼は、摂動弦理論が一貫した非摂動理論に適合することを示すさまざまな兆候を発見し、これを M 理論と名付けた。
M 理論は、異なる物理的文脈におけるそれぞれの弦理論に似ているが、それ自体には、すべての理論の主要な要件である有効性の領域に制限がない。
2 年後、物理学者のフアン・マルダセナが AdS/CFT 対応関係を発見したとき、別の研究が爆発的に起こった。
これは、反ド シッター (AdS) 空間と呼ばれる時空領域の重力を粒子の量子記述 (と呼ばれる) に結び付けるホログラムのような関係である「共形場理論」がその領域の境界上を動き回る。
AdS/CFT は、AdS 時空幾何形状の特殊なケースに対する M 理論の完全な定義を提供する。
AdS 時空幾何形状には負のエネルギーが注入されており、私たちの宇宙とは異なる方法で曲がる。
このような想像上の世界では、物理学者は、原理的にはブラック ホールの形成と蒸発を含む、あらゆるエネルギーでのプロセスを記述することができる。
この基本的な一連の出来事により、ほとんどの専門家は M 理論を有力な TOE 候補とみなすようになった。
ただし、私たちのような宇宙におけるその正確な定義は依然として不明である。
それが想定する文字列、およびこれらの文字列が動き回ると思われる余分なカールした空間次元は、大型ハドロン衝突型加速器のような実験が解決できるものよりも 1,000 万分の 1 倍小さい。
そして、宇宙ひもや超対称性など、見られたかもしれない理論の巨視的な兆候のいくつかは現れていない。
一方、他の TOE アイデアにはさまざまな技術的問題があるとみなされており、重力子-重力子散乱計算など、弦理論による数学的一貫性の実証を再現したものはまだない。
遠い競争相手には、漸近的安全重力、E8 理論、非可換幾何学、因果フェルミオン系などがある。
たとえば、漸近的に安全な重力は、無限に悩まされる計算を解決するために、より小さなスケールに進むにつれて重力の強さが変化する可能性があることを示唆している。
それはガチャが完全ランダムだった爆死ありソシャゲ時代の問題でしょ
長期プレイすれば狙ったキャラは計画的に取得できる何らかの仕組みがあって
例えば天井カウントの引き継ぎだったり、一ヶ月有効なガチャ証票を貯めると現PUキャラと引き換えできたり、数ヶ月有効なバトルパス証票を貯めると1年前のキャラを取れたりと
キャラコンプくらいならサ開から月に数千円程度の常識的な額を払い続けてれば手が届くのが増えてる
昔のソシャゲは確実にほしいと思ったら数ヶ月かけて膨大な石を貯め込んで短い限定ガチャ期間中に放出しないと、無課金微課金じゃまるで天井ラインに届かなかった
そういうスタイルだと「スルー」するキャラが多くなるし、「人権」キャラかどうかの見極めも必要になってみんな取るキャラや編成が同じになるし、溜め込み量が半端だと何も得られない「爆死」になる
そういう古い仕様で作ってるゲームは、最近の仕様のゲームに一度でも触れたら「ついてくのアホらしい」となるから廃れていくのが必定よ
まあ運営側の視点でいうと、溜め込み必須なガチャ仕様であるほうが「課金で石補充させないと逃しちゃう!」って心理で誘導できるから美味しいんだろうけど
ユーザーもそういうやり方はアコギだしゲーム自体が陳腐でもガチャ煽りさえ上手ければ稼げてしまう「ガチャゲー」にすぎん事を見抜くようになってきた
仕組み上インフレも避けられないから、「どうせ型落ちになる」「どうせインフレ対策の無料10連週間に非課金者に追いつかれる」と思って課金のしがいもないしね
海外ゲームでバトルパスが流行するようになってからは、「ガチャゲー」に特化したゲーム作りではなく、ゲーム自体をおもしろくして、バトルパス系のコツコツプレイ課金を主軸にして
ガチャ課金もあるけどランダム性は抑えめにして取得ハードルを下げ、ユーザーの好感度を稼ぐ手法を取る作品のほうがヒットしやすい土壌になってきた
→エラー出て起動できん
→Hyper-V オフ&VMware側の仮想マシン設定VT-x/EPTなんちゃらをオフ
→起動した!
→あかんやんけ!
→メモリ整合性とかいう、なんかOSよりつよい(?)やつがいて、そいつが有効になってるからっぽい
→無効にした
→起動した!そしてその仮想マシンの中で仮想マシンも起動した!
でもええんかなあこれという一抹の不安が
コア分離とかメモリ整合性とかのあたり、ようわからんけど、めっちゃ最新のセキュリティ技術なわけよね?
最新すぎてVMwareも対応できてない、みたいな感じ?そのうち対応するんかな?
というかこれオンになってる人、今の段階でそんなにおらん気がするし、別にオフっててもええんかな
あー
最新技術ついていけねえええええええ
ひろゆきの「1人産んだら1000万円」が元だが、こちらの方がより効率的になっている。
数学的な結果を先に書いておくと、女の子が2人産まれるまでの試行回数の期待値は4回。
ただ、明らかにこちらの方が財政面で得だし、子供の人数も増える。
一回ガチャ引けば、一貫性の心理が働くから、多くの夫婦は女の子2人産むまで子供作り続ける。
心理学的にも理に適っている。
というか、なんでこんな簡単なことを誰も思いつかなかったんだろう?
括弧を使うかどうかは、自分が考えるための文章か、他社に伝えるための文章かで使い分けられれば、自分にとって書きやすい文章を書くためにはとても有用だと思う。
対して、他者に伝えるためには文章ルールの共有ができないので難しさがある。
文章構造としての括弧もあると思うが、文章に図解の要素を加えるものとしては有効だと思う。
- 文章のみで表現する場合には、絵面もしくは字面で情報の密度を整理することは難しく、文章を読み、解釈することで必要な情報を取捨選択する必要がある
文章を書き方と伝え方のルールはある程度共有されているので伝達には使いやすいが、文章をしっかり読まないといけないので時間と労力が必要。
しかし文章に{メタ情報}を付加することで{早い}理解に繋がるので、個人で「括弧」の使い方を工夫してみるのは有用だと思う。
数か月に1度くらい長文を投稿するが、そこそこバズっている(今年は数十から数百だった)著者が、釣りに頼らずはてな匿名ダイアリーでバズるには、次の条件が必要だと示す。
当たり前のことかもしれないが、その一つずつについて具体例を挙げていく。
なお、ここでいう釣りとは、虚偽の出来事を書くことと、他人の神経を意図的に逆なでしてブコメを稼ぐ方法の両方を指す。
筆者はこの方法を取らない。嘘をつくことで、起きなかった出来事で人々を怒らせたり不安にさせたりしても意味がないし、他人を不快にする表現を多用することは、政治的に対立する・相反する利益を持つ相手との対話の窓を閉ざすので有害だからだ。
ヤバい過激派の意見ばかり見てきた著名人が、その反対側の過激派に染まってどんどん視野が狭くなり、どんどん口汚くなっていくのを何度も見てきており、うんざりしている。
暗い話はやめよう。以下が本題だ。
参考資料にも書かれているが、1000を超えるブクマを稼ぐのは、魂の叫びがほとんどだ。
具体的には次の増田がそうだ。
素人童貞の32歳が彼女を作ろうとマッチングアプリを使ってみた結果
この増田は明確に誰かを非難することもしていないし、口汚く罵ることもしていない。つらい中で前向きな結論を出し、行動に向かっている。にもかかわらず、あまりにも深い悲しみが伝わってくるのでバズったのだろう。何百人もが一言書かずにはいられなかった。
個人的経験だが、数百程度のブクマだとツイッターでちょっとバズる、せいぜい数十のRTがされるくらいだが、1000を超えるブクマを稼ぐと、5chやyoutube、個人のブログなどでも言及される。ツイッターでも数千RTされているのを見た。
【22時追記あり】「三体」が好きだった人にオススメしたいSF小説・前編。
ベストセラーであった「三体」を読んだ読者に向けての記事だが、母数が大きいのでかなりのブクマを稼いだ。
とはいえ、これだけ書くにはある程度の読書量が要求される。言い換えるならば、読書習慣が無いとだめで、一朝一夕に書ける内容ではない。少なくとも数か月の準備がいる。
積み重ねが必要であり、簡単にバズることを目指している書き手には向いていない。
フィギュアスケートの見せパン、新体操のレオタード、陸上のブルマー
こちらもそうだ。
多くの人がテレビで触れる女子スポーツ選手の衣装について、「なぜ?」と思ってもネットで調べても細かい経緯はまでは出てこないことについてまとめられている。
また、ブルマ増田がブコメを稼いだのは、上記の共感性も理由だ。
つまり、国民の多くが学校に通っており(学園物の漫画やドラマが途絶えない訳だ)、ジェネレーションギャップに驚いたことがあり、保守であれ革新であれ自分なりのジェンダー規範を持っている。ブルマーというのはすべての条件を満たしている話題だ。
ネット記事なんかでも昔の学校と今の学校の違いなんかが定期的に特集されるのもそれが理由だ。
これらは有益な経験談であり、健康問題ということで共感性も稼いでいる。
もしこうなったら……の対処法は誰もが関心を持っており、ブクマを稼ぎがちだ。
今までに紹介した増田の多くは、「文章がうまい」というコメントがある。
文法の誤りの有無、明確な主語と述語、必要以上に複文重文を多用しないのも大事だが、同じくらい大事なのが起承転結またはIMRADに従った文体だ。
冒頭に何について述べるかを書き、論理的に経緯を書き、結論を示す。
何が起きたかをだらだらと書くのではなく、短くしていいところはどしどし省略する。
そうしないと、よほど引き込まれるような文章を書く才能がない限り、そもそも読む気にならないだろう。
ただし、これは文章力のせいなのか、健康診断あるあるでウケたかは不明だ。
ちなみにこれを書いたのは自分だが、意図的に登場人物の性別をぼやかし、男性とも女性ともとれるようにしている。そのほうが共感されやすいようだ。
参考資料にも投稿数の少ない朝のほうがバズるのではと推測しているものがある。
しかし、本記事はちょっとした実験として、夕方に投稿することにする。
【翌朝追記あり】劉慈欣「三体」の好きなところと微妙なところについて
就寝時には400を超え、翌日は461、昼までに471まで行った。その後は数日かけて481件で止まったようだ。
【22時追記あり】「三体」が好きだった人にオススメしたいSF小説・前編
昼休み前にファーストブクマして(11時半過ぎにくらい)、昼休みを過ぎても伸びなかったが、ある時点で3ブクマを超え、帰宅間際に30に伸び、みるみるうちに40になった。電車の中で80を超えた。帰宅時間とバズるのが重なったか。帰宅間際で100。その後はぐんぐん伸びて行って翌日には700を超えた。
それ以上細かい記録は取っていないが、通勤時間・休み時間・帰宅時間・夜あたりに伸びている。ある程度の内容があり、かつ運が良ければセルクマでバズることも考えられる。
長い文章になると読むのが面倒なので、章や節に分けるといい。
具体的には「*」を使った見出しだ。
また、場合によっては太字を用いるといい。
現に、上の三体の記事は、本のタイトルや著者名で太字を用いている。
多用しすぎると鬱陶しいのでほどほどに。
以上。
SNSもスマートフォンも普及してなかったような時代、さらに言えばガラケーすらもなかった時代なら、そのアンガーマネジメントは非常に有効だっただろうな。怒りが治まるというか、怒りのぶつける先が無かったので治まらざるを得なかったというのが正しいかな?
SNSや携帯電話による連絡手段がなかった時代、友達と喧嘩して別れてきて家に帰っても、次の日に顔を合わせるまでは連絡を取る手段がなかったんだな。家に帰ってもムシャクシャした感情を抱えたまま布団に入るしか無い。でも、ぐっすり眠って朝になると、昨日あんなにムシャクシャしてた感情がケロッと治っている。学校で顔合わせした時自然と仲直りできたものだ。
だが現代はどうだ?友達とリアルで喧嘩したら、家に帰った後もSNSで罵倒し合うことになる。それでさらに怒りが増し、次の日学校で顔合わせしたら殴り合いだよ。
アンガーマネジメントも、現代に対応したバージョンが必要だな?