はてなキーワード: 夏休みとは
反応読んでいろいろな考え方の人がいるんだなと思った。
勤務状況の事例を挙げてくれた人、具体例を読めて大変参考になる。
併せて追記書いたので目を通してもらえると嬉しい
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.orangeitems.com/entry/2020/08/25/111954
上記blog記事がブコメでえらく叩かれているが、個人的には賛同できるポイントが多々あったので、上記と合わせてn=2の体験談とすべく個人的な話を書きたい。
個人的にはテレワークという言葉に和製英語的な違和感を覚えるので、以下ではリモートワークと記述させてもらう。
増田スペック:地方出身アラサー独身都内賃貸ワンルームマンション住み技術職
勤務先にはもともとリモートワークの環境自体はあったのだが、産休・育休明けの女性社員や、両親の介護といった特別な理由がある人だけが使っていた制度だった。
新型コロナの影響で今年の3月から全面的にリモートワークに全面移行。
・隙間時間で家事ができる。洗濯機や炊飯器のセットとかちょっとしたことが進む。
・自炊の頻度が上がったので食費が下がった。
・通販の受け取りに苦労しない。
・昼休みに昼寝ができる
・外見を構わなくてもよい。
・就寝前や休日に短時間、仕事のメールや問い合わせを確認できるので効率が上がる部分がある。(本来は勤務時間外であるが10分程度の作業で翌日楽になるので個人的にはあり)
・通勤時間が無くなるのは一面ではメリットであるが、逆に読書等の通勤時間の合間でやってた習慣がなくなった
・通勤ついでにターミナル駅によって買い物できなくなった。よほどマニアックなモノでない限り、通販で届くのを待つよりも、仕事の帰りに買う方が早い。
・外見を構わなくてもよいので、逆に自堕落になる。気が付けば髭もじゃでパンツとランニングシャツで仕事していた。
・運動不足がひどい。体感的に分かるくらい体力が落ちて半年で体重が5kg増えた。
(追記)
運動の件は、コロナ前はときどき区民体育館とかに行っていた。ここ半年はジムでコロナのクラスタ発生がニュースになってるので利用しずらい感がある。
緊急事態宣言時のステイホームで引きこもっていたらそのまま外出する習慣が消滅した感じ。
近所散歩すればいいのかもだけど、昼間は暑いし、夜は仕事が長時間化してるから時間取れていない。うまく工夫したいとは思っている。
・人と会わないストレス。つまらないうわさ話をする奴と距離を取れたのはメリットだったが、仲の良い同僚と世間話をすることができなくなったデメリットの方が大きいと感じる。
(追記)
大きな不満点を書き忘れていた。リモートワーク前提の勤務形態になったので、有給が取りにくくなった。
世間的にも不要不急の外出は避けろ的な流れが続いているし、社内でも有給とる人が激減したので非常に困っている。
・仕事の習慣が変わった。業務報告が以前は対面のミーティングと週報ベースが多かったが、勤務の確証を兼ねた日報ベースになった。以前なら2,3日かけてもよかったものでも、1日以内に何かしらの成果物を出さないと気まずい雰囲気になっている。
・全員在宅でいつでも連絡取れる前提になってしまったので、深夜帯に平気で連絡をしてくる奴が多い。
・一日中同じ部屋で代り映え無いので、時間感覚が徐々に無くなってくる。
・以前からTeamsを導入していたが、席が近くの人は直接声掛けしていたのでチャットの連絡頻度が上がったが、想像以上にストレス。ある人の問い合わせに対する回答を打っているときに第3者が別の問い合わせで割り込んできたりとか。
・今年入社の新卒社員の教育の難しさ。そもそも不慣れな人は問題点を言語化できなかったり、適切な用語を使用して説明したりできないので毎回画面共有しながら通話するのだが手間がすごい。
・一日中部屋にいるので、リモートワークが長期化してくると曜日感覚がなくなってきた。
・マンションで通信回線を共用しているので、住民が帰宅して動画のネット配信を見だすであろう夕方以降の速度低下。自宅でネットサーフィンする程度だと気づかなかったが社内のワークステーションにリモートアクセスして操作するとタイムラグがイラつく。引っ越さない限り改善は無理。
・オフィスの空調等の恩恵が意外に大きい。窓のそばの部屋で仕事しているので、夏に向かうにつれて日中の日差しが気になってきた。これまで自宅でPCを使うのは夜が多く、休日はよく出かけていたので気づかなかった。
・上記と合わせて照明の影響。机 / 椅子は元からそこそこお金をかけていたので長時間仕事しても腰や肩は平気だが、照明は気にしていなかったので目の疲れがデカい。
・コミュニケーション不足解消でZOOM飲み会やってみたがあれはくそだな。居酒屋のテーブル席分(4人)以上での会話が成り立たないし、普通の飲み会であった店移動や電車の時間といった抜けるタイミングが作りにくい。
何より同じ料理を食べるという体験がやれない。会社・友人等で1回やったらみんな似たような感想だったのか、2度とやらなくなった。
というわけで、最初の1、2週間はデメリットが目立たず、長期化するにつれてストレスがたまったという点は元のblog主と同じ。
いろいろデメリットが目立つようになってきたので、モチベーションが徐々に低下していって、夏休みが明けた今週からは業務の合間に増田を見る程度には堕落してしまってる。このままだとサボり魔になりそうで危ない自覚がある。
とはいえメリットも体験しているので、個人的にはコロナが収束したら全面的に出社するよりも週に1, 2度程度リモートワークできるのが効率良いんじゃないかなと思っている。
また、地方出身なので休暇の延長として地元滞在を伸ばしてリモートで仕事できることが認められると嬉しい。
仕事始める前にいつものサボりで増田見たらえらくたくさんブコメついててビビった。
リモートワークの改善点できるポイントが寄せられていたが、ぶっちゃけ私の場合は引っ越すしかないと思ってる。
とはいえ、リモートワークが解除された時の利便性と引っ越し費用+オフィス家具の購入費用等のコスト面を秤にかけると踏ん切りがつかない。
最低でも下記のポイントは抑えたいが、都心からそれなりに離れた場所でも固定費上がりそうだしな…
・高速な通信回線を確保できる築浅の物件(今のマンションは共用回線をVDSLで分配)
・仕事と生活空間を分けられる2部屋以上の間取り。部屋数増えれば運動器具の置き場やSwitchのフィットネスゲームやるスペース確保できそう。
その他、チャットの頻度については社内文化としか言いようがない。
割と急ぎの案件が夜中に飛んでくるからガン無視決めるわけにもいかないので困っている。
自分がルール決めれる管理職ポジションだったら良いんだけどね。
単純な内容や急ぎじゃないことはメールにして欲しいというのはぶっちゃけあるが、これも相手が次第だからすぐには変わらないわけで難しいよね。
気になる人ができたけど、気になる人をミスったので吐き出す。
(高校生で、尚且つブログを初めて書くから、読みづらい文章なのを許して欲しい。)
委員会が同じこともありよく話す。友達として仲が悪い訳ではないと思う。
ただ、悪くない。はずだ。だからこうなった。
男女4人くらいで、朝まで電話することがある。
その中に俺もA子もいる。
その場で俺はB子を好きだと言っている。(その時は本当だったが、夏休みで分からなくなった)
皆その場ではそれなりに自分のことを話すきまりなのだ。(最もA子は過去の話がアホほどあるので今のことはあまり話さない)
そんな風に、普通の仲良い人だ。
なんとなーく俺が好意を持ってしまった。ミスった。同じクラスだから今も普通に話す。完全に
ミスった。お互い好きにならないところに居心地の良さを感じてたのに。ミス。
告白なんてする気も無ければ、元からそれをする勇気もない。それに、普通のことかもしれないけど、今の関係を崩すのが怖い。くわばら。
自分は何もしないのが正解だと思っている。だからここに書いた。
やっぱり、仲の良い異性の友達はまた違う関係なんだろうか。どうすりゃいんだ。
何も行動してないしどこにでもある当たり前の出来事かもしれないけど、書いてみたくなった。
このままいるのも、すこしモヤっとしてしまう。
困る。
(拙い文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。)
おわり
この時期だからなのか、読書感想文云々な書き込みが目に留まったかはわからないが、小学生のときの思い出が蘇った。
夏休みの恒例となって久しい読書感想文だか作文の宿題をやっつけていたとき。テーマは「木の家」で、まだ幼きわしは図書館へ行って木の家の利点をくまなく調べて作文用紙へしたためたもんである。
いわく、木は木材となった後でも気温や湿度に応じて収縮したり湿気を吸ったりだの、冬暖かく夏涼しいだの、耐久性があるので長持ちだの。まあ木の家のメリットを調べ上げて、木の家のいいところをまとめた文章をモリモリ書き込んで肩の重荷を1つ降ろすことに成功したんだよ。
そんな作文を無事提出し終わり、特に待ってもなかった結果発表。なんの賞も貰えなかったけどこれもまた日常。しかしふと入賞した作文が気になったのだな。だって結構木の家のメリット調べあげた訳だし、かすりもしなかったわしの文章を尻目に賞もらったやつの文章、んまあ気になりますわな。
んで読んでみたわけさ、金賞だか最優秀賞だか忘れたけど「1番」のやつをさ。そしたらさぁ、
「木の家」「おじいちゃんとおばあちゃんの家」「柱に傷」「お父さんの背を図った跡」「当時の様子が目に浮かぶ」「私の背の跡」「私の背の跡とお父さんの背の跡が柱にどうたらこうたら」
大体こんな感じ
もう20年前くらいの話だからちょっと違うかもしれないけど大体こんな感じ。
もうこれ母親か誰かが書いたやつだろ。少なくとも小学生が書いたシナリオじゃねーわ。文章力はともかく。(どんな文章だったかは覚えてないけど)
お父さんが子供の頃の風景が〜〜〜みたいなことが書いてあんの。当時のわしもこれゼッテー嘘だわ思いましたわ。今でもこれゼッテー嘘だわ思ってます。
とは言え誰が書いたとかは当時のわし的には割とどうでも良くて、このとき抱いた感情ってのが怒りでも呆れでもなんでもなくて、
「あーーーーー……こういう感じかぁ……」
っていう、わしの視点がズレてたんだなぁ、求められてるのはこういうのだったんだなぁっていう、単なる、ただただ「はぇ〜」っていう感情だった。
別に関心したわけでもないけど。あーこういうのね、あーそっか、はぁ。みたいな
呆れもてないんだけどね。はぇはぇみたいな。やっぱなんか調べた事実の羅列よりもお話〜〜みたいな、感情〜〜みたいなのが「いい」んだなぁってしみじみ思いました。
そんな思い出の夏でした
おわり
何か夏らしいことしたかしら?って思い出したら、
もう8月31日に夏休み全日の絵日記を1日で描き上げなくちゃいけない作家先生大忙しよね。
華麗にもコピーアンドペーストで、
もちろん、
そのままコピペしたらアウトなので、
ほどよく自分のマイルドな考えを1行ぐらいは付け加えたらオリジナル!
これで決まりね!
どうやって書いていいか分かんないわ。
気のない本を読んだって
中身入ってこないのよね。
あの夏の自由研究も
私やる気無かったわー
何やったかもどうかも忘れちゃったぐらいよ。
でも朝顔育てたのは
でもやっぱり花だけじゃなくて、
喜びも感じあえれるELTみたいな夏休みの研究ができると思うんだけど、
やっぱりそれはそれで花より団子なのかしら。
実がならないとやる気が無いし
ぜひちびっ子にも収穫の楽しさを知らしめるばっきばきのべきべきよね。
そうあるべきだと思うわ。
上手に育たなくたって、
きっとたぶん。
うふふ。
私の好きなのが無かったけど、
とても食べきれないので、
いくら何でもそのままが美味しいと言っても、
1玉は多すぎるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
元々Gotoトラベルを決めた時期は、夏休みには正常化が見込めたって言うのもあるし大体そこが3ヶ月の限界点って言われていたのもある。
で、じゃあ国が強権を使って経済を止めたらどうなると思う?
みんな助かると思う?そう思う奴は「ソ連崩壊で経済が死んだソ連」で「誰が死んだのか」を調べてみような?
都市部ではもっと死ぬと思われたけど小さい農園やってたりして思ったよりはしなかったが
一時期ソ連では死者数>出生数となっていて旧ソ連構成国なんかからの移民があったから国民の減少数を抑えられた。
プーチン以降は、支援を増やして今は出生率は回復してるけどな。
日本でも経済を止めると社会福祉を止めるのか何を止めるのかになるので老人が死ぬことを認めるかね?コロナで死ぬよりも恐らく増えるよ?
税金を一杯支払ってるだろ?おいおい、大多数の国民は「受けている行政サービスのコスト」の方が「納税額より大きい」ぞ?
企業から取れば良い?経済を止めた先にあるのは企業の死だぞ?内部留保があるだろ?土地だの資産を合わせての物なのにそれを捨てるって自らの手足を切り売りすることなんだけど。
国債を発行すれば良いっていう?マイナス金利なんだから大丈夫だ!って?
ドイツと比べてみ?
https://www.bloomberg.co.jp/markets/rates-bonds/government-bonds/japan
https://www.bloomberg.co.jp/markets/rates-bonds/government-bonds/germany
日本国債は段々とマイナス金利の維持も辛くなってきてるんだよ?
これマイナス金利維持出来なくなったらどうなると思う?
夏休み終わったんじゃないの?
今、私は二年目で大学院を中退して、既卒生として就活をしている。学部も大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較的知名度の高い大学だ。受験勉強をしたことがない人でも知っているような大学に所属していた。
大学院を中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかもコロナに関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれていたことに起因することは、断言できる。
さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。
企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解も共感もできる。
が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。
当記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定の人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷な経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。
私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。
中退という部分を隠して読めば、比較的キレイな学歴をしていると思う。
ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ、中退をすることとなった。奨学金で生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。
就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代に友達のウェブテストを替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ESや面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。
そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人が自発的に就活をすることはなかった。
さて、私は無事に大学院の合格通知を得ることができた。確か9月か10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。
そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。
ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。
結局、私がした就職活動は、企業分析・業界分析、自己分析、ESの推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズに上場している中規模投資銀行と三井住友銀行に応募してみることとした。
三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったことから、結果に関してはもういうまでもない。
投資銀行については、説明会兼選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。
さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語、飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接は私の履歴書に打ち出された単語が面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。
そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。
と、学部時代は比較的わかりやすい就活をできていたので、既卒就活も既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。
既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りである。そもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。
学部時代より、より入念にESを作成するようにしていた。就活のハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテストは学部時代の経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。
他に落ちる原因は何か。ESとウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符は24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか。
さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。
というのも、まず、既卒生の就活記事やハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである。既卒生の就活成功談を見ない。
そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったことである)、「既卒で大企業に就職できた」という記事は見ない。クラシックなオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒で就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。
勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしいものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界・職種でないことから断っていた。
話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。
学業においては、学部上位5%以上の英語のクラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングはからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。
二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授に奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。
ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文を執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価で単位を授与してもらえた。
学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。
課外については、私は文化系のサークルに所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。
役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル内研究会の会長を務めていた。
サークル内研究会会長については、基本的に後輩の勉強の指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。
ただ、企画系については、一筋縄ではいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿の企画発案や、旅行会社・ホテルとの交渉、参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職に関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。
大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。
…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルのパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。
さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りでパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージを飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。
精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会から当サークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生でバイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織の移譲に伴ってするべき後輩への引継資料の作成が本当に苦痛だった。当然、在学生の参加者を募るための広報もしなければならない。
このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンやプリンターといった周辺機器も一新してもらえた。大変有難かった。
さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシートが既卒だからという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。
勿論、就活では上記のエピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論→理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。
成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。
ウェブテストやESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。
でも、シンプルに留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。
形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である。留学やインターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプルな留年であっても、新卒は新卒である。既卒には劣らない。
私は、大学を四年間で卒業し、大学院で一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。
但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれて大学院を退学をせざるを得なかった。
それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。
新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。
この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。
特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分のキャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別は残酷なものとなっている。
高校生のときに先生に言われた言葉をはっきり思い出せなくなった。
それは私がこれまでの人生で言われた中で、一番心に傷として残っていた言葉だった。
シチュエーションは今でも覚えている。
高3の夏休み、午前中から始まる夏期講習を前に早く登校し、私はいつも早朝から自習室で勉強をしていた。
早く来すぎると昇降口が空いていないので、偶然外にいる先生を呼んでくるか、昇降口前で待つことになる。
校庭にも先生は見当たらないので、私は待つことを選んだ。
先生は、鍵を開けると私に対してぶつぶつ言い始めた。
まず、呼びに来ればいいのに、と。
それから、私がずっとクラスに馴染めずにいることを、靴を履き替える私を背に話し続ける。
そして、私の将来について、人格否定のようなことを言われたと記憶している。
そのあと私は、誰もいない自習室で悔しくて小さく声を上げながら号泣したのを覚えている。
そりゃ10年もすれば忘れるかという思いと、10年もしないと忘れられなかったのかという思い。
はっきりとした言葉を思い出せなくなった。
それだけで私は心が軽くなり、ツイッターにも書きなぐれないこの思いを、勢いだけではてなにしたためることにした。
私が場面緘黙症かもしれないと思ったのは、今から5年ほど前だろうか。
自分が喋れないことはずっと引っかかっていたが、学生時代は、私は人見知りだ、社会不適合者なんだと単純な言葉で片付けていた。
自分と見つめ合うことが多くなった社会人数年目で、病気じゃないんだろうかと検索した先に、やっと見つけた答えだった。
正確に診断されたわけじゃない。
しかも、今となっては周囲との人間関係の築き方が学生時代とは異なるのもあって、うまく社内でやっていけている。
ただ、私は場面緘黙症のような症状に追加して、自己肯定感が低いという特徴もある。
自分が発する言葉は必ず誰かに否定される。自分の発した何かは周囲に受け入れられるはずがない。
自分の声が、体が嫌い。自分は周りより劣っている。自分の行動は相手にとって不快でしかない。
声を発する怖さ、体を動かす怖さ、学生時代は常にこうした劣等感と恐怖感が渦巻いていた。
その症状がいつからかと聞かれると、物覚えついたときからが答えになるかもしれない。
内弁慶ともいうかもしれない。
ただ、周りがいう、人見知り、恥ずかしがり屋、そんな言葉で片付けられるレベルではなかった。
とくに幼稚園、小学1,2年生のときは、先生とは首を縦か横にふるか、傾げるかのコミュニケーションしかとらなかった。
Whatで聞かれたときのみ、答えを言った。
人見知りの次元を超えていた、と思う。
小学6年生のときの担任に言われた「この中には、まだ殻を破れない人がいる」という言葉に対して、
あ、私かと思ったと同時に、殻をかぶっているつもりなんて毛頭ないのにと感じていた。
数人の友達がいることもあったが、高校までの学生時代の大半は1人で過ごしていた。
1人のほうが楽だったし、喋れない自分を否定する気分にならなくてすむから。
でも、症状が改善することはなかった。
それを一度も言われることはなかったし、真面目、大人しいの一言で、親にも伝えられていたと思う。
ただ、緘黙症状は、兄にも弟にもあったのを私は知っている。
兄は小学生のときはいつも1人だったし、クラスでも馴染めていないのを私は知っていた。
私と帰りが同じになっても、絶対に話さないのが暗黙のルールのようだった。
弟は友達ができることもあったようだが、学校から持ち帰ってきた紙には、「なんで喋らないの?」と書かれていた(クラスのみんなから言葉をもらう何かだったと思う)。
母親が数年前に正式にADHDであることが診断されたが、うちの血筋はどうやら精神疾患になりやすいらしい。
統失の話はまた別として、家庭内の環境が問題か、遺伝要因から緘黙症状が引き起こされたのかもしれない。
インスタグラムで、自分の子供が緘黙症であることを公表しているアカウントを見つけたが、
どうやら「普通」の家庭なようなので、もしかしたら要因はまた違うのかもしれないけれど。
幸い私は、大学生、社会人と成功体験を積み、周囲に自分の性格を理解してもらえる機会が増えたのもあって、
普通の「人見知り」くらいになったし、コミュニケーションも以前と比較してとれるようになった。
ネットでは普通にやり取りができていたし、中学生以降はネットを通じて日々の思いを発信していたので、その影響も大きいかもしれない。
緘黙症状は人によって違うし、その人それぞれで改善方法やきっかけも違うんだと思う。
子供を産む年頃になった今は、子供が場面緘黙症になったらと考えることもある。
でも、親や周囲が気づけなかったことを私は気付けるかもしれない。
それだけでよしとしよう。
職場には同職種で時短で勤務する社員がいる。数で言うと、2割ぐらいか。
都内で勤務しているが、先生がコロナ陽性とPCR検査対象者(子供も含む)になり
保育園が休園になり、夏休み明けから出勤できなくなった社員が何名も出ている。
公休扱いで彼女たちは休んでいる。その間の業務を他のメンバーで回している。
陰性ってことは子供は今、元気なわけで。
保育園が休園で預け先がないので仕方はないが、そうなるとただの休みなのでは?
今日も20時過ぎて残ってるの私みたいな独身女ばかりなんだけど……
30半ばすぎると、これから結婚して子供を持つという可能性も狭まってくるので
会社がテレワーク環境の準備が遅れたのが原因のひとつにあるけど
私がこのブログで書く内容を簡潔にまとめると、高校の頃の担任に言われた呪いの言葉についてだ。
彼は簡単に放った言葉だったと信じたいけれど、これから先の人生の中で何度も何度も私を引き止める言葉たちだから、どうせならここに全て置いていきたい。
どうかこのブログが担任のアカウントまで届きますように。決して高校の目には止まりませんように。担任の鍵垢、知らないけど。
私は去年まで高校生だった。3年間クラス替えが無いクラスで、結果的に担任も変わらなかった。
まず最初に伝えたいのは、全国の女子高生がみんなJKブランドを持っていたら大間違いだということ。JKブランドを持てるJKは限られていて、少なくとも私の高校にはJKと呼べそうな子はいなかった。
当たり前だ。制服が泣きたくなるほど地味な偏差値60前後の自称進学校なんてそんなものだ。みんなJKブランドなんか知りませんという顔をして、晴れの日は暑い、雨の日は重くなる膝下スカートを履いて登校する女子高生だった。たまに都心に出る時はスカートを引っ張るんだけどすぐに落ちていくし、ウエスト部分がゴムじゃないから巻くとお腹の部分が膨らんでいた。
校則も厳しかった。メイクをすることも髪を下ろすことを禁止していたため、中学校とほとんど変わらなかった。「ここを望んだのだからここのルールに従いなさい」こんなことを集会で言われた記憶がある。
こんな高校生活だったから早くに女子高生を諦めた私(周りはどうか知らないけれど)は大学では自由になりたいと願った。だから1年生の夏休みの宿題だったオープンキャンパス巡りで都内の女子大を中心に巡った。
オープンキャンパス巡りは夏休み明けの個人面談で活用する媒体だった。担任になりたい職業や行きたい学部を絞っていく。1年生の秋だったから、みんななんとなくの個人面談だった。
私は今のところの第1志望を担任に伝えた。すると困った顔をされてこう言ったのだ。
「そこの大学に通う子と○○(私の苗字)は会話が合わないよ?うちと偏差値が5〜10違う高校の子が通うんだけど、わかりやすく言うと中学校の頃みたいな感じかな。その子たちと一緒に勉強してもいいの?」
いますぐ志望校を変えろとでも言いたいのか。さもその女子大に通ったことがあるかのように担任は話していた。私は「会話が合わない」という言葉が何よりも悲しかった。16年間生きてきた中で会話が合わなかったことは無かったし、偏差値で人を測る担任が素直に怖かった。今の私だったらてめえの物差しで勝手にはかるんじゃねえ、くらいのことは言う。
これが1つ目の呪いになった。
2つ目の呪いは2年生の修学旅行前に起きた(起こした)。前述した通り、私のクラスは3年間クラス替えがない。その中で1年半一緒にいた友人がいた。運動会も文化祭もその子たちと回っていたし、修学旅行の班も
低学年の頃から自分の読書感想文も何回もコンクールに送られています。
低学年にして、「大人はこれを喜ぶ」を確立していたといっても過言ではありません。
さて、前置きはこれくらいにして、ずばり切り込んで読書感想文のコツを書きます。
読書感想文の、及第点と言われる最もシンプルな構造は下のとおりです。
・印象に残ったこと
・未来の行動
読書感想文と言われると、勘違いしてしまうパターンが大きく分けて2つあります。
ひとつはよくある「あらすじ」を書くこと。これはいつも言われていることなので割愛します。
読書感想文に最も求められることは、感想文の作者が、その本と出会ったことでどのように行動や思考が変化したのかという点です。
それに対し、書評は「あらすじ」からは逸脱できているものの、作品紹介の域をでません。
そんな感想文を受け取っても「へぇ」以上の評価をすることはできません。
まずはこれを「〇〇が興味深かったです。」に変えるだけでも、感想文としての印象は大きく変わってきます。
これから書く感想を説明する上での心構えをしてもらうための部分であり、それ以外の情報は余計です。
本は必ずしも面白くなくてはならないわけではありません。
逆を返せば、印象に残る部分がなかった本は感想文を書くに値しないからです。
「感動しました」「憤りを感じました」「悲しく思いました」「楽しくなりました」「共感しました」
・実体験、身近な存在への置き換え(感想文全体の20~30%が好ましい。)
印象に残った部分、もし自分だったらどうか、身近な存在だったらどうかと置き換えてみます。
それをする理由は、その内容は感想文の作者しか絶対に書けない内容になるからです。
つまり、これをすることによって唯一無二、その作者しか書くことのできない感想文ができあがります。
小学生低学年ではあまり必要のない部分なので括弧書きになっています。
なくてもいいけど、あったらいいよねという部分です。
先程の「実体験、身近な存在への置き換え」で書いた内容に対して、自発的に反論を試みることで、その人の成熟度や成長過程を表現することができます。
いわゆる思考の深さを読み手に感じさせることのできる部分です。
「実体験、身近な存在への置き換え」が最も肝の部分だとするならば、この部分は最も評価を稼げる部分です。
感想文を書かせたい人は、例外なく、その作品を読んだことで心が動かされて、その人の未来が変わってほしいと願っています。
だから、そうなるかもしれない片鱗を見せて、その邪な気持ちを成仏させてあげるのです。
戦争を扱う作品を読んだら、「戦争は良くないと思いました。」で終わるのではなく「そうさせないために、自分はこういうことをしていきたいです。」のように、できるだけ具体的に書くことが大切です。
自分の場合は、大人のこうしてほしいが透けて見えるタイプだったので、そことは少しフォーカスをずらした、それでいて前向きな内容で締めるようにしていたところ、アホな大人がたくさん釣れました。
では、実践してみましょう。
「正解などない読書感想文の、正解と言える書き方」を読んで
https://anond.hatelabo.jp/20200820204626
この増田は、夏休みも終わりに近づき、読書感想文で苦しむ家族を救うことを目的に書かれた、一見乱暴な口調ながら優しさあふれる増田です。
・印象に残ったこと
印象深く感じられる部分はとにかくその言葉選びにあります。下品な単語や言葉遣いを随所に散りばめて、読み手を飽きさせないリズムを作っています。
ただ、面白い手法ではあるものの、こうした手法は増田ではすでにポピュラーであり、目新しさに欠けているというのが素直な感想でした。
しかしながら、ハウツー的な内容であるにも関わらず余計な言葉でいたずらに文字数を増やしているこの増田自体が、逆説的に余計な肉付けで文字数を稼ぐ読書感想文のハウツーになりえていて、結果的にこの増田が読書感想文を得意とすることを裏付けていることに気づいたときは、思わずにやりとしてしまいました。
自分に限って言えば、肉付けで苦労したことはなく、むしろ文字数に収まらせることのほうに時間がかかりました。説明が冗長ではないか、同じような内容や表現を繰り返してないかなど、思いつくままに書いた内容を並び替え、削っていく苦労ばかりが思い出されました。
そもそも、文字数が予め規定されている事自体が読書感想文における余計な肉付け問題の原因であり、その中でシンプルながら鋭い言葉で規定文字数を下回る感想文を提出できるだけの文章力に自信のある生徒がどれくらいいるかと考えれば疑問だと言わざるを得ず、結果的にこの肉付けハウツーは不可欠なものなのだと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
・未来の行動
この増田が読書感想文の正解と言える書き方かと言われれば疑問ですが、実際の増田に対して感想文を書くという手法は斬新で、そもそもその増田に対するコメントを書きたかっただけで感想文のハウツーは後付だったのではないかとも勘ぐってみながらも、早速真似してみましたところ簡単ではないことに気づき、今後も少しずつ取り入れていこうと思いました。。
大学の友達に「夏休みやることあって結構がんばってるんだよね」って言ったら、「あ~趣味(一次創作)のこと?がんばれ」って言われた。だから、「資格の勉強だよ」と返したところ、「ダサッ」と返されました。何がダサいのか全くわからん。夏休みなのに遊んでないことか?
「ダサい」という言葉は、以前、試験勉強してたときにも言われた。友達(というか知り合い)に頑張ることはダサいことっていう考えの人が多くて困る。その癖してお金払うから勉強教えろだのレポート手伝ってだの言ってくるんだよな。
そこそこの偏差値の大学のはずなんだけど…偏差値操作なんておとぎ話だと思ってた。
個人的には学生時代に勉強を頑張ることより、いい大人になったのに知識もなく何かを頑張ることができない方が恥ずかしいと思う。学生にとっての勉強は、知識を身に付けるために必要なだけでなく、やりたくないことでもやる練習だと思ってるんだが間違っているんだろうか。
まあ結局他人の考えは他人のことだし、気にするだけ無意味だから関係ないんだけどさ。ちょっと疲れたから愚痴らせてもらった、すまんな。
小学生の子供がいる増田・ブクマカもいるだろ、その中に読書感想文が苦手だった奴いるだろ。8月も終わりに近づいてきて、そろそろ「かーさんとーさん、読書感想文ってどうやって書いたら良いの」が来る頃だろ。安心しろ、読書感想文でナントカ賞をいくつも貰った私が書き方を伝授してやる。これは私に娘息子が生まれたら伝授する一子相伝の技にしたかったんだが、そんな予定は一切なく、今後一生ないだろうという見通しになってしまったので全国公開だ。滅びよ人類。
そもそも、コロナ禍で3月4月休みだったけど夏休みはちゃんとあるのか?読書感想文の課題って今でもあるのか?しらねえ、書きたくなったから書くんだ。書かせろ。
なんでもいい。薄ければ薄いほどいい。読みやすいからな。課題図書じゃないと駄目っていう狭量な小学校なら課題図書でいい。私くらいになると増田でも書ける。あとで実践編やるので期待せず待て。
読書感想文の「読書」は前項で満たした。次は「感想」だ。感想に正解はあるのか?そんなものはない。感想とは誰のものか?筆者のものだ。筆者が絶対王政の、何やっても良い文章が感想だ。つまり、筆者が書いたことこそが唯一の正解だと心得ることだ。読書感想文の中ではな。
読書感想文苦手パーソンは、結構な割合で読書感想文の主役を「本」にしがちだ。だからあらすじを書きたくなるし、この本が伝えたいことは何か、みたいな答えを探し出す。それをやるのは感想文じゃなくて紹介文。読書感想文の主役は筆者。あらすじも引用も正しい読解も不要だ。堂々と誤読、曲解、勘違い、拡大解釈、被害妄想を自信満々に書いていけ。しかし、文章を書く訓練を積んでない人が「書きたいこと書け」って言われたって難しいことくらいはわかる。読書感想文こそが文章を書く訓練だからな。必要なのは具体的な方法論だ。
自分語りって嫌われがち?それは公園の砂場でしょんべんしたら嫌われるのと同義。しょんべんはトイレで。読書感想文はトイレだ。本を適当に開いて、気になった一文について文句つけたり褒めたりしよう。正しさは不要だ。そこに自分の体験をくっつければ、あっというまに400字は書ける。1ページ埋まったな?
自分語りに繋がるが、好きなものの話というのはリアリティがあって、本人にしか書けない素晴らしいお気持ちが書ける。好きなものと本との共通点をこじつけろ。400字は書けるな?
好きなもの同様、嫌いなものへの悪口もスラスラ出てくるものだ。嫌いなものの悪口言っても怒られないのが読書感想文という場だ。好きなだけこじつけて、比較して、罵倒しよう。適当な一文をあげつらって、怒って、作者は性格が悪いと決めつけよう。400字以上余裕だな?
何でも良い。その学年の児童・生徒が興味を持ちそうな、センセーショナルではない、できれば同じ議論が繰り返されてるような社会問題にこじつけよう。環境問題とか、食料廃棄問題とか、いじめ問題とか。本の感想として自分の体験を書いて、それを社会問題まで広げる。国語の先生の花丸と、ナントカ賞のニオイがしてきたな?
以上が方法論。賞が不要で、とにかく終わらせたいなら、社会問題にこじつける必要はない。自分語りだけでOK。さて、実践編だ。
実際に増田をピックアップして書いてみるぞ。まあ今のタイミングならこれだろ。
タイトル:嫌なら嫌とそう言おうぜ
自分はひねくれ者だ。いや、ひねくれ者でありたいと思っているだけの、単純な奴かもしれない。なぜそんなことを思ったかというと、兄から「お前は単純だな」と、何度もだまされてバカにされたからだ※。だから、単純であることは人として劣っていて、ひねくれているずる賢い奴のほうが優れている、という思い込みがあるのかもしれない。だから、自分はひねくれ者だ、なんてことを考えている。
今回読んだ本は「夫を松潤扱いしてみた」だ。松潤、松本潤といえば、アイドルグループの嵐のメンバーであり、とてもカッコいい人だ。夫を松潤扱いするということは、つまりは夫を騙して調子に乗せて、あとからハシゴを外してバカにする、自分がよく兄にやられていることを、自らが選んだ夫にするのか、なんて性格の悪いやつだと怒りを覚えた※。他人を騙してバカにして、何が楽しいのか!いじめと同じ構造じゃないか!と怒りつつも、自分もTBSの「モニタリング」という番組が好きなことを思い出した※。あれも、突然〇〇したら、人はどうするの?という、騙して反応を楽しむという構造だ。いじめと何が違うのか?そしてそれを笑って見ていられるのに、自分にふりかかったら怒ってしまう自分は薄情で性格の悪い人間なのか?そんなはずはない、あの性格の腐った兄よりも、自分はずっとマシなはずだ。兄とモニタリングは違うはずだ。
そんなことを考えて、頑張って違いを見つけた。「騙された側の反応」だ。兄はただ自分を不快にして、兄だけ笑って終わる。モニタリングは、騙された側も笑顔で、騙した側も笑顔だ。騙された側も嫌じゃないのだ。騙された側もハッピーに終わるなら良いことだ。騙された側が「嫌だ!辞めろ!」と言えば辞めるのがモニタリングだろう、ただ人に嫌がらせがしたい兄とは大違いだ。相手が嫌な気持ちになったら辞める、謝る、というのが、いじめ大好きな兄と普通の人の違いだろう。
実際に、この本も「夫」は楽しく騙されて、そして良い結果になっている。作者も、悪意が合って騙しにいっているのではなく、うまく調子にのせて良い結果を生み出している。そうだ、この「夫」は単純なのだ。そして単純で素直だからこそ、いい結果が生まれている。やはり単純であることは悪いことじゃない。悪意のあるひねくれ者の兄こそいじめっ子で、悪い奴なのだ。
しかし、自分も友達に対して「嫌だ」と思われていることをしてしまっているのかもしれない、という思いが出てきた※。いじりやからかいの名目で、いじめと変わらないことをしてしまっているのかも、と不安になってきた※。そこで、自分にルールを決めようと思う。「『嫌だ』と言われたら善意であっても辞めてきちんと謝る」だ。きっと、この本の作者も、「夫」が辞めてと言ったら素直に松潤扱いを辞めているだろう。嫌がらせのつもりはなく、悪意がないからだ。そして、自分も嫌だったらきっぱりと「嫌だ」と言うようにしよう。
米津玄師のLOSERという私が大好きな曲がある※1。とてもカッコいい曲で、タイトルは「敗者」なのに、全く負けている感じがない。歌詞はひねくれ者の歌詞でも、ひねくれてちゃ何も始まらないぜ、負け犬だっていい、遠吠えだっていいから、それこそ単純に「愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね」と歌っている。自分の好きな曲も、ひねくれ者でもいいから、思ったことを単純に言って伝える、そんな単純さを肯定している。やっぱりひねくれ者に憧れるのは辞めだ、単純に生きていこう。嫌なら嫌とそう言おう、悪意がない相手なら伝わってくれるはずだ。
今後、自分は「嫌だ」「愛されたい」をはっきりと言っていこうと思う。そして願わくば、この本の夫婦のように、信頼しあい、愛し愛されて幸せに生きていけるようなパートナーに恵まれますように※1。この祈りに、「恵まれますように、なんて受け身じゃ始まらないね」なんて混ぜっ返す、心の中の兄が顔を出してきた。兄は居なくても他人に嫌がらせをする。兄よ、愛されたいならそう言おうぜ。
※1 本当
原稿用紙5枚分である。書くのに1時間くらい。便宜上元増田のことを本と呼んでいる。賞がほしければ、ここから架空の兄への恨み節みたいなものを削って、もっと「いじめ」問題へフォーカスしていけばいい。今回は架空の兄への恨み節をメインに据えているが、やりたければ好きな曲とかゲームの話でも良いから、書けるものの話を延々すればいいし、ちゃんと本を読んだなら本の内容をメインにしてもいい。これ全部読んだ人はわかると思うが、私は元増田はそこまで読み込んでない。好き勝手自分のことを話しているだけだ。あらすじなんて微塵も引用してないし、正しいテーマなんて探していない。読書感想文なんて、本は添え物だ、好きなものと嫌いなものを書け。賞が欲しかったら社会問題をトッピングだ。簡単だろ、簡単に書くんだよ。難しく考えるな。
出かけたメンバーはいわゆる『いつメン』というやつで、私ともう2人。名前は朝子と夕子にしておこう。三人三様、性格も全く違うがとても仲良くやってきていて、先日も特に大きな問題も起こらず無事に一日が終わった。
そもそもこのいつメンでのドライブが実現するまでには長い時間を要した。
『3人で富士急行きたいね!』という何の変哲もないただの女子大生同士の会話の中での一言。
大学2年と言えば、多くの学生が20歳になる年。つまり、大人の仲間入りをする年である。例に漏れず私は20歳になっており、朝子と夕子も19歳を終えようとしていた。
私にとって『大人になる』とは、世間的にも気持ち的にも、制約がなくなり開放的になる感覚があった。その影響を受けてか、遊ぶにしても行動範囲や選択肢が広まり、『富士急』という、今まで3人で行動したきた範囲から大きく離れた場所へ行く、という選択肢が現れたのだ。
それと同時に、交通手段として現れたのが車。
...これが私にとっては大問題であった。
当時3人の中で免許を持っていたのは私だけ。大学1年の夏に父親から急かされ1ヶ月みっちり通い、MT免許を無事取得。そしてこの夏で丁度初心者マークとお別れした時だった。
つまり何が言いたいかというと、まだまだ初心者に毛が生えたような奴が他人の命を預かり県外へと運転出来るはずがないということだ。しかも2人も乗せるなんてそんな無責任なことは出来ない。
『のり(私)の運転で行こうよ!』なんて、よくそんなことが簡単に言えるね、と心の中でめちゃくちゃ怒った。
当時免許を持っていない朝子と夕子からしたら、3人でドライブができる!としか考えてなかったのだろう。私はもし実現出来たら楽しいだろうしドライブも本当はしたいと思ったが、やはり危ないだろうし何かあった時に責任はとれない。一応親にも聞いたが明らかに危険だと大反対された。
唯一運転出来る私やその背後にいる親が否定的な態度をとっても、構わず『行こうよ!』とゴリ押ししてくる朝子と夕子にしばらくイライラした。
結局、運転の怖さや免許をとって改めて思い知る車の危険性は、教習所に通わないと分からないのだろうと諦めることしか出来なかった。
その後もことある事に『のりの運転で行きたいね』と懲りずに言ってくる2人にはなんとも言えない感情を抱いていた。
この話をした同時期に朝子が教習所に通い始めた。3人でドライブするには最低でももう1人運転できる人が必要だと気づいた様だ。
しかし朝子の教習所に通う態度は舐めているようにしか思えなかった。『頑張って3ヶ月で取る!』と言った割にはよくサボっているのを見かけるし、教習所内で受ける試験にも2回ほど落ちていた。やっと教習所を卒業し後は免許センターでの試験だけだとなったのは2年が終わる頃。そこからまた数ヶ月空いて結局免許を取ったのは3年の夏前だった。
一応これでドライブするための人員は揃ったが不安は当然まだまだあり、心置き無くドライブするには早すぎる。しかも朝子は4年の夏前まで初心者マーク付き運転手なわけで、流石に本人も他人は乗せられないと言っていた。(当時の私の気持ちがやっとわかったかと内心嬉しくなった。嫌な友達だなほんとに。)
そして時が経ち4年になった2020年。3人とも無事に就活は終えた。今頃出かけまくって遊びまくって、人生の夏休みを満喫しているはずだったのに...。
経済活動が再開され外出する人も多くなってきた6月7月頃。インスタのストーリーではドライブする同級生が多く見られた。電車に乗って不特定多数の人と接触するくらいなら、仲の良いと人達と車で移動した方が感染リスクは確かに低くなる。
私もそう考えるうちの1人だった。遊ぶなら車が基本、になりつつあった。
そしてついに先日、無事に初心者マークを卒業した朝子と、夕子とのドライブが実現した。
朝子はこのドライブの前に、何回も家族や友人を乗せて運転の練習をしていた。私も何回か練習に付き合った。教習所に通っている時はそうでもなかったが、実際に他人を乗せるとなると運転に対して本気になり、恐怖も感じていた。
それは、とても嬉しいことであった。
私が運転に対して感じる危機感を、同じように感じてくれているから。
私の周りだけではないと思うが、やはり免許を取ると人を乗せて運転したくなる人は多い。初心者マーク期間のうちに他人を乗せてドライブしていた同級生にはバカなのか?としか思わなかった。人の命を軽くみているとも思った。だって、そうでしょう?車に乗ることで得られる利便性、優越感ばかりみて、本来考えるべき危険性や責任感を欠いている馬鹿者だと。問題になっているのは高齢者ドライバーの事故率の高さだけではなく、若者の事故率の高さも同じように問題だぞと。
20歳の夏に、同い年の若者と呼ばれる人達がどれだけ車に対して低い意識で接しているか目の当たりにした。免許の有無に関係しているかもしれないが、いつもそばにある大きな危険なのだとわかって欲しい。今、朝子は免許をとる前とは変わり、車に関する危険性を念頭に置いてくれているし、夕子も免許を持っていないながら理解してくれている(はず)。
私は運転は好きだが、向いていない人。だからこそこの気持ちを慣れのせいで忘れたくない。多くの若者が馬鹿者と呼ばれないようにして欲しいなと思う、22歳の夏。
今後初心に帰るためにここに書き留めておく!
出かけたメンバーはいわゆる『いつメン』というやつで、私ともう2人。名前は朝子と夕子にしておこう。三人三様、性格も全く違うがとても仲良くやってきていて、先日も特に大きな問題も起こらず無事に一日が終わった。
そもそもこのいつメンでのドライブが実現するまでには長い時間を要した。
『3人で富士急行きたいね!』という何の変哲もないただの女子大生同士の会話の中での一言。
大学2年と言えば、多くの学生が20歳になる年。つまり、大人の仲間入りをする年である。例に漏れず私は20歳になっており、朝子と夕子も19歳を終えようとしていた。
私にとって『大人になる』とは、世間的にも気持ち的にも、制約がなくなり開放的になる感覚があった。その影響を受けてか、遊ぶにしても行動範囲や選択肢が広まり、『富士急』という今まで3人で行動したきた範囲から大きく離れた場所へ行く、という選択肢が現れたのだ。
それと同時に、交通手段として現れたのが車。
...その話が私にとっては大問題であった。
当時3人の中で免許を持っていたのは私だけ。大学1年の夏に父親から急かされ1ヶ月みっちり通い、MT免許を無事取得。そしてこの夏で丁度初心者マークとお別れした時だった。
つまり何が言いたいかというと、まだまだ初心者に毛が生えたような奴が他人の命を預かり県外へと運転出来るはずがないということだ。しかも2人も乗せるなんてそんな無責任なことは出来ない。
『のり(私)の運転で行こうよ!』なんて、よくそんなことが簡単に言えるね、と心の中でめちゃくちゃ怒った。
当時免許を持っていない朝子と夕子からしたら、3人でドライブができる!としか考えてなかったのだろう。私はもし実現出来たら楽しいだろうしドライブも本当はしたいと思ったが、やはり危ないだろうしそんな責任はとれない。一応親にも聞いたが明らかに危険だと大反対された。
唯一運転出来る私やその背後にいる親が否定的な態度をとっても、構わず『行こうよ!』とゴリ押ししてくる朝子と夕子にしばらくイライラした。
結局、運転の怖さや免許をとって改めて思い知る車の危険性は、教習所に通わないと分からないのだろうと諦めることしか出来なかった。
その後もことある事に『のりの運転で行きたいね』と懲りずに言ってくる2人にはなんとも言えない感情を抱いていた。
この話をした同時期に朝子が教習所に通い始めた。3人でドライブするには最低でももう1人運転できる人が必要だと気づいた様だ。
しかし朝子の教習所に通う態度は舐めているようにしか思えなかった。『頑張って3ヶ月で取る!』と言った割にはよくサボっているのを見かけるし、教習所内で受ける試験にも2回ほど落ちていた。やっと教習所を卒業し後は免許センターでの試験だけだとなったのは2年が終わる頃。そこからまた数ヶ月空いて結局免許を取ったのは3年の夏前だった。
やっとこれでドライブするための人員は揃った。ただ不安はまだまだあり、心置き無くドライブするには早すぎる。しかも朝子は4年の夏前まで初心者マーク付き運転手なわけで、流石に本人も他人は乗せられないと言っていた。(当時の私の気持ちがやっとわかったかと内心嬉しくなった。嫌な友達だなほんとに。)
そして時が経ち4年になった2020年。3人とも無事に就活は終えた。今頃出かけまくって遊びまくって、人生の夏休みを満喫しているはずだったのに...。
経済活動が再開され外出する人も多くなってきた6月7月頃。インスタのストーリーではドライブする同級生が多く見られた。電車に乗って不特定多数の人と接触するくらいなら、仲の良いと人達と車で移動した方が感染リスクは確かに低くなる。
私もそう考えるうちの1人だった。遊ぶなら車が基本、になりつつあった。
そしてついに、無事に初心者マークを卒業した朝子と、夕子とのドライブが実現する。
朝子はこのドライブの前に、何回も家族や友人を乗せて運転の練習をしていた。私も何回か練習に付き合った。教習所に通っている時はそうでもなかったが、実際に他人を乗せるとなると運転に対して本気になり、恐怖も感じていた。
それは、私からするととても嬉しいことであった。私が運転に対して感じる危機感を、同じように感じてくれているから。
私の周りだけではないと思うが、やはり免許を取ると人を乗せて運転したくなる人は多い。初心者マーク期間のうちに他人を乗せてドライブしていた同級生にはバカなのか?としか思わなかった。
事務員さん「無能さん、夏休みまだとってないですよね?いつとるのかわかったら教えてくださいねー😊」
無能「夏休みというのは怠け者がとるものです。私は一生懸命働きたいので夏休みはとりません!」
事務員さん「真面目に働かれるのはいいんですけど、決まりなのでお願いします…😅」
この無能、いつも自覚なしに場を混乱させたり無駄な仕事増やしたりするのではっきり言って存在自体が迷惑なんだよな。在宅勤務してくれって言っても意地でも出社してくる(以前、微熱があったのに出社してゲホゲホ咳をして菌を撒き散らした前科あり)し、リモート会議も絶対やらなくて何としてでも対面で会議しようとするしで害悪しかない。
クビにしろって反応がありそうなのであらかじめ書いておくと簡単にはクビにできない職種なのでそれは難しい。パワハラ常習者なので裁判すればなんとか…くらい。