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2020-08-20

20歳葛藤】友人とのドライブ実現に至るまで

先日、大学の友人とドライブに出かけた。

出かけたメンバーはいわゆる『いつメン』というやつで、私ともう2人。名前は朝子と夕子にしておこう。三人三様性格も全く違うがとても仲良くやってきていて、先日も特に大きな問題も起こらず無事に一日が終わった。

そもそもこのいつメンでのドライブが実現するまでには長い時間を要した。

まり大学2年の夏。きっかけは夕子の発言

『3人で富士急行きたいね!』という何の変哲もないただの女子大生同士の会話の中での一言

大学2年と言えば、多くの学生20歳になる年。つまり大人の仲間入りをする年である。例に漏れず私は20歳になっており、朝子と夕子も19歳を終えようとしていた。

私にとって『大人になる』とは、世間的にも気持ち的にも、制約がなくなり開放的になる感覚があった。その影響を受けてか、遊ぶにしても行動範囲選択肢が広まり、『富士急』という、今まで3人で行動したきた範囲から大きく離れた場所へ行く、という選択肢が現れたのだ。

それと同時に、交通手段として現れたのが車。

...これが私にとっては大問題であった。

当時3人の中で免許を持っていたのは私だけ。大学1年の夏に父親から急かされ1ヶ月みっちり通い、MT免許を無事取得。そしてこの夏で丁度初心者マークとお別れした時だった。

まり何が言いたいかというと、まだまだ初心者に毛が生えたような奴が他人の命を預かり県外へと運転出来るはずがないということだ。しかも2人も乗せるなんてそんな無責任なことは出来ない。

『のり(私)の運転で行こうよ!』なんて、よくそんなことが簡単に言えるね、と心の中でめちゃくちゃ怒った。

当時免許を持っていない朝子と夕子からしたら、3人でドライブができる!としか考えてなかったのだろう。私はもし実現出来たら楽しいだろうしドライブも本当はしたいと思ったが、やはり危ないだろうし何かあった時に責任はとれない。一応親にも聞いたが明らかに危険だと大反対された。

唯一運転出来る私やその背後にいる親が否定的な態度をとっても、構わず『行こうよ!』とゴリ押ししてくる朝子と夕子にしばらくイライラした。

結局、運転の怖さや免許をとって改めて思い知る車の危険性は、教習所に通わないと分からないのだろうと諦めることしか出来なかった。

その後もことある事に『のりの運転で行きたいね』と懲りずに言ってくる2人にはなんとも言えない感情を抱いていた。



この話をした同時期に朝子が教習所に通い始めた。3人でドライブするには最低でももう1人運転できる人が必要だと気づいた様だ。

しかし朝子の教習所に通う態度は舐めているようにしか思えなかった。『頑張って3ヶ月で取る!』と言った割にはよくサボっているのを見かけるし、教習所内で受ける試験にも2回ほど落ちていた。やっと教習所卒業し後は免許センターでの試験だけだとなったのは2年が終わる頃。そこからまた数ヶ月空いて結局免許を取ったのは3年の夏前だった。


一応これでドライブするための人員は揃ったが不安は当然まだまだあり、心置き無くドライブするには早すぎる。しかも朝子は4年の夏前まで初心者マーク付き運転手なわけで、流石に本人も他人は乗せられないと言っていた。(当時の私の気持ちがやっとわかったかと内心嬉しくなった。嫌な友達だなほんとに。)




そして時が経ち4年になった2020年。3人とも無事に就活は終えた。今頃出かけまくって遊びまくって、人生夏休み満喫しているはずだったのに...‪。

経済活動が再開され外出する人も多くなってきた6月7月頃。インスタのストーリーではドライブする同級生が多く見られた。電車に乗って不特定多数の人と接触するくらいなら、仲の良いと人達と車で移動した方が感染リスクは確かに低くなる。

私もそう考えるうちの1人だった。遊ぶなら車が基本、になりつつあった。

そしてついに先日、無事に初心者マーク卒業した朝子と、夕子とのドライブが実現した。

行きの運転は朝子、帰りの運転は私だった。

朝子はこのドライブの前に、何回も家族や友人を乗せて運転練習をしていた。私も何回か練習に付き合った。教習所に通っている時はそうでもなかったが、実際に他人を乗せるとなると運転に対して本気になり、恐怖も感じていた。

それは、とても嬉しいことであった。

私が運転に対して感じる危機感を、同じように感じてくれているから。

私の周りだけではないと思うが、やはり免許を取ると人を乗せて運転したくなる人は多い。初心者マーク期間のうちに他人を乗せてドライブしていた同級生にはバカなのか?としか思わなかった。人の命を軽くみているとも思った。だって、そうでしょう?車に乗ることで得られる利便性優越感ばかりみて、本来考えるべき危険性や責任感を欠いている馬鹿者だと。問題になっているのは高齢者ドライバー事故率の高さだけではなく、若者事故率の高さも同じように問題だぞと。



20歳の夏に、同い年の若者と呼ばれる人達がどれだけ車に対して低い意識で接しているか目の当たりにした。免許の有無に関係しているかもしれないが、いつもそばにある大きな危険なのだとわかって欲しい。今、朝子は免許をとる前とは変わり、車に関する危険性を念頭に置いてくれているし、夕子も免許を持っていないながら理解してくれている(はず)。

私は運転は好きだが、向いていない人。だからこそこの気持ちを慣れのせいで忘れたくない。多くの若者馬鹿者と呼ばれないようにして欲しいなと思う、22歳の夏。


今後初心に帰るためにここに書き留めておく!

20歳葛藤】友人とのドライブ実現に至るまで

先日、大学の友人とドライブに出かけた。

出かけたメンバーはいわゆる『いつメン』というやつで、私ともう2人。名前は朝子と夕子にしておこう。三人三様性格も全く違うがとても仲良くやってきていて、先日も特に大きな問題も起こらず無事に一日が終わった。

そもそもこのいつメンでのドライブが実現するまでには長い時間を要した。

まり大学2年の夏。きっかけは夕子の発言

『3人で富士急行きたいね!』という何の変哲もないただの女子大生同士の会話の中での一言

大学2年と言えば、多くの学生20歳になる年。つまり大人の仲間入りをする年である。例に漏れず私は20歳になっており、朝子と夕子も19歳を終えようとしていた。

私にとって『大人になる』とは、世間的にも気持ち的にも、制約がなくなり開放的になる感覚があった。その影響を受けてか、遊ぶにしても行動範囲選択肢が広まり、『富士急』という今まで3人で行動したきた範囲から大きく離れた場所へ行く、という選択肢が現れたのだ。

それと同時に、交通手段として現れたのが車。

...その話が私にとっては大問題であった。

当時3人の中で免許を持っていたのは私だけ。大学1年の夏に父親から急かされ1ヶ月みっちり通い、MT免許を無事取得。そしてこの夏で丁度初心者マークとお別れした時だった。

まり何が言いたいかというと、まだまだ初心者に毛が生えたような奴が他人の命を預かり県外へと運転出来るはずがないということだ。しかも2人も乗せるなんてそんな無責任なことは出来ない。

『のり(私)の運転で行こうよ!』なんて、よくそんなことが簡単に言えるね、と心の中でめちゃくちゃ怒った。

当時免許を持っていない朝子と夕子からしたら、3人でドライブができる!としか考えてなかったのだろう。私はもし実現出来たら楽しいだろうしドライブも本当はしたいと思ったが、やはり危ないだろうしそんな責任はとれない。一応親にも聞いたが明らかに危険だと大反対された。

唯一運転出来る私やその背後にいる親が否定的な態度をとっても、構わず『行こうよ!』とゴリ押ししてくる朝子と夕子にしばらくイライラした。

結局、運転の怖さや免許をとって改めて思い知る車の危険性は、教習所に通わないと分からないのだろうと諦めることしか出来なかった。

その後もことある事に『のりの運転で行きたいね』と懲りずに言ってくる2人にはなんとも言えない感情を抱いていた。

この話をした同時期に朝子が教習所に通い始めた。3人でドライブするには最低でももう1人運転できる人が必要だと気づいた様だ。

しかし朝子の教習所に通う態度は舐めているようにしか思えなかった。『頑張って3ヶ月で取る!』と言った割にはよくサボっているのを見かけるし、教習所内で受ける試験にも2回ほど落ちていた。やっと教習所卒業し後は免許センターでの試験だけだとなったのは2年が終わる頃。そこからまた数ヶ月空いて結局免許を取ったのは3年の夏前だった。

やっとこれでドライブするための人員は揃った。ただ不安はまだまだあり、心置き無くドライブするには早すぎる。しかも朝子は4年の夏前まで初心者マーク付き運転手なわけで、流石に本人も他人は乗せられないと言っていた。(当時の私の気持ちがやっとわかったかと内心嬉しくなった。嫌な友達だなほんとに。)

そして時が経ち4年になった2020年。3人とも無事に就活は終えた。今頃出かけまくって遊びまくって、人生夏休み満喫しているはずだったのに...‪。

経済活動が再開され外出する人も多くなってきた6月7月頃。インスタのストーリーではドライブする同級生が多く見られた。電車に乗って不特定多数の人と接触するくらいなら、仲の良いと人達と車で移動した方が感染リスクは確かに低くなる。

私もそう考えるうちの1人だった。遊ぶなら車が基本、になりつつあった。

そしてついに、無事に初心者マーク卒業した朝子と、夕子とのドライブが実現する。

行きの運転は朝子、帰りの運転は私だった。

朝子はこのドライブの前に、何回も家族や友人を乗せて運転練習をしていた。私も何回か練習に付き合った。教習所に通っている時はそうでもなかったが、実際に他人を乗せるとなると運転に対して本気になり、恐怖も感じていた。

それは、私からするととても嬉しいことであった。私が運転に対して感じる危機感を、同じように感じてくれているから。

私の周りだけではないと思うが、やはり免許を取ると人を乗せて運転したくなる人は多い。初心者マーク期間のうちに他人を乗せてドライブしていた同級生にはバカなのか?としか思わなかった。

2020-02-25

そうか、私は嫌われてたんだ

親友と思ってた子との温度差を感じてて、 

それをここに吐露したらコメントに「嫌われてるんだよ」って 

書いてあって、えー?なにこれ?と思ってたんだけど。 

  

ネットで同じ状況の人いないか探したら、似たような質問が 

たくさんあって、同じような返事をされてるのをみて、愕然。 

そうか、、、 

 

 

友達他にいないから、気を使って付き合ってくれてたのかもなー・・・。 

無理させてたんだな。 

私の愚痴とか相談かいつもたくさん聞いてもらってたけど、ごめん。 

気づかなかったよ。 

 

一番身近にいた友人のことすら考える余裕もなくて、 

無我夢中で突っ走ってきて、今やっと生活が安定して初めて気づいた 

私、ぼっちなんだ。 

 

俗に言う、ぼっち検定だと「神レベル(一人ラブホOK)」だわー、と 

笑ってたけど、本当にぼっちだったか(苦笑) 

この性格から、人と合わせられないんだよね。 

から在宅で仕事してるけど、ますます人と合わせるのが苦痛になってきた。 

 

無理させてきたんだ。 

電話かけるといつも喜んで出てくれるから、多少は楽しんでくれてると 

思ってたけど、それもリップサービスだったんだろうな。 

 

「本当に気持ちは行きたいと思ってるの」 

っつー言葉同様に。 

(本当に行きたい人は、「行く」と言う) 

 

富士急行こう、って約束してたけど、私とだから行きたいんじゃなくて

単に他に一緒に行く人がいなかったんだろうね。 

 

そんな空気感の人と一緒に私旅したくない。 

私、一人で遊園地も楽しめるし(FUJIYAMA一人は不安だけど)、

なんか、今回の押し問答に対する不誠実さに頭に来てるのもある。 

 

あんた、自分モットーは「誠実さだ」っつってたじゃん。 

いっき八方美人でこっちの予定振り回してるんだけど(怒) 

 

富士急は、また今度にして、別のとこ一人で行こう。 

の子と一緒だと、またボッロボロの安ホテルに泊まる羽目になる。 

もういい歳してやめよう。 

体がもたんよ。 

 

知り合いに相談したら、距離をおいた方がいいとのこと。 

尤もだよな。 

いつも私からアクション起こさせるのも腹立たしいし。  

 

 

友達いなくても、プライドはある。 

私は私ファーストで生きる。

2019-12-11

金持ち日本の物買え

金持ちは金使え。というか国産買え。なに外車買ってるんだ。海外ブランドとか買うな

食い物も国産食べよう。けちんな。100%日本に落とせ。HUBギネス飲むんじゃねえ、キリンティビール飲め

もう国内旅行で贅沢しまくれ。寝台列車乗って温泉入れ。海外旅行とか行くな。パスポート焼け!割高じゃねえわ、ホスピタリティ最強だぞ

ディズニー行くな、USJ行くな、富士急行け、ナガシマスパーランド行け。ハウステンボス行け

金あるから外車買ってロレックス買って外国絵画買って海外旅行とか行くんじゃねえよ。その金全部日本で使え。日本に落とせ。それが出来なきゃ死んで相続税強制的に落とせ

2011-09-15

夢の記録 9.15

ふるさとが濁った水で浸しになっている。

道路の水の流れが速い。スライダーのようだ。

夜、曇天、何か目的があったらしい僕は、その流れに身を任せたり、たまに抗ったりして、母校へ向かう。

その母校は小学校だった。しかし、中で待ち受けていたのは中学校時代の音楽教師だった。

3年生の時に僕の部活顧問となった当時25歳のその若い女性は、僕が引退するかしないかというところで妊娠が発覚し、僕らの年代が引退するに併せて産休に入った。

卒業してから顔を合わせたことのないその女性は変わらぬ姿でそこにいて、僕と再開した。

ここでわかったことなのだが、どうやらこの水浸し、僕と100人ほどの学生のしわざだということで、反省文を書かされることとなった。

そして通された部屋が近所のマクドナルドの二階席。そこで僕らは談笑しながら反省文を綴った。

ちらほら帰る人も出てきたあたりで僕も仕上がり、反省文も受理されて帰宅の運びとなった。

外を出れば未だに急流は衰えず、その流れに身を任せて自宅へと戻った。

しかし、ここでメールが届く。母からだ。

なんと、僕が反省文も書いている間に黙って一家揃って引っ越したという。待ってるから早くおいで、と、電車で一本で着くから、駅の近くだから、との文面。

どこだかわからない。とりあえず自宅(小学校時に借りていたアパート)に向かう。

そこももちろん水浸しだが、家は原型をとどめていた。宛もない旅が始まる。


==ここで一度目を覚ます。暑くて穿いだタオルケットがテーブルにまで届き、コップが床に転がった音で目が覚めた記憶はある。しかし、治す気もせず、また眠る。目が覚めたのはここではないかもしれない==


場所はどこともわからない部屋の一室。水浸しどころではなく、潜らないといけないところもある。なぜいるのかはわからない。ところどころでアメリカ人とすれ違う。

「オー、ニホンジンtie’ヘンネー。ミズbeatAシノヘヤデ Sayカツnounテ デキマセ’ーン」とアメリカ人は言い、黒のパジェロJr.に乗っていずこへと去りゆく。

それを幾人か見届けた後、僕も部屋を出、家族を探しに歩く。

隣町の離れた森、小学校ときクワガタを捕りによく父と車で通った道を歩く。木を蹴るだけで、ミヤマクワガタがごっそり取れた、森。

そこに、駅があった。正確には、森は現実にあるが、駅は夢のなかだけ、そこにあった。駅名は覚えていない。

中は、山手線に走っている車両と同型だと記憶している。見た目はとても清潔で、人は4,5人ほどしか乗車していない。とても空いている。

そこの、緑のシートの座席に腰掛ける。このとき、僕はまだ全身水浸しだ。床もシートも濡れる。

途中下車をする。というより、手がかりもないので、ひと駅ひと駅虱潰しに当たるほかない。


確か、この駅に降りたとき、誰か女性と一緒にいた気がする。しかし、外に出たときは、僕一人だったはずだ。

駅の外に出るまでは、改札を抜けてからもうひとつ噛ませてあって、レストランやら、蕎麦屋やら並ぶ通りを抜けなければならなかった。

蕎麦屋は繁盛してるが、レストランは寂れている。

ここで、確か昼ごはんを食べようとするが、結局やめたのだった。

ちなみにこの駅、この町は見覚えがない。

外に出ると、森にあった駅の隣なのに、人が集まっていた。道路も整備され、郵便局も駅前にあり、商店街があり、生鮮市場もあった。

その風貌はいわゆる都心とは違い、たとえば温泉街のようなところだったり、たとえば小さい町の駅周辺だったり、そんな感じだ。たしかヤマザキショップもあった気がする。

そこの駅名は、よく思い出せないし、夢のなかで見た時も初めて見たとか、この世ではないどこかのような印象を持ったことは、覚えている。

名前は、人偏に鬼のよう漢字と、『離』という字とも『雑』という字とも取れるようなものを、もう少し難しくしたような漢字の、二字で表記されていたはずだ。

そこのマーケットに足を運んで、いろいろ物色していたのだけど、食べ物面白い

全部現実ものより食材けが大きくて、背負ったり両手で持たないと運べないようなものばかりだった。

面白いのだけど、仕入れてる人が持ってきた手羽先から揚げが、持ち運ぶときに何度も地面を擦ってるのを見てしまい、がっかりしてマーケットを出た。


そして駅に戻り、電車に乗る。いくつもの駅を通り過ぎ、気が付けば300km以上は進んでいたのではないか

からメールが来る。

このメールは、目を覚まして数時間経った今でもはっきりと思い出せる。

『場所は報徳というところです。待っています。』

こんな内容だ。

僕ははっきりおかしいと思った。ここには電車一本では付かないからだ。

そこで僕は以前の森の中にあった駅で降りて、歩くことにした。

歩いて、歩いて、報徳の駅にたどり着いた。

ここも寂れており、ちょうど富士急行に乗り継ぐあたりのような駅の風貌だ。

これもまた、はっきりと覚えている。僕はここで何かに絶望したのだ。絶望しながらも、満足したのだ。あとのことは覚えていない。


目を覚ます

時刻は8時40分を過ぎようかというところだ。

おもらしはしていない。が、いつもより喉が乾いている。ゴミ出しをしないと。日常が戻る。

そういえば、津波だの洪水だの水まみれの夢を見てお漏らし、って誰が始めたんだろう。

 
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