はてなキーワード: 三人三様とは
出かけたメンバーはいわゆる『いつメン』というやつで、私ともう2人。名前は朝子と夕子にしておこう。三人三様、性格も全く違うがとても仲良くやってきていて、先日も特に大きな問題も起こらず無事に一日が終わった。
そもそもこのいつメンでのドライブが実現するまでには長い時間を要した。
『3人で富士急行きたいね!』という何の変哲もないただの女子大生同士の会話の中での一言。
大学2年と言えば、多くの学生が20歳になる年。つまり、大人の仲間入りをする年である。例に漏れず私は20歳になっており、朝子と夕子も19歳を終えようとしていた。
私にとって『大人になる』とは、世間的にも気持ち的にも、制約がなくなり開放的になる感覚があった。その影響を受けてか、遊ぶにしても行動範囲や選択肢が広まり、『富士急』という、今まで3人で行動したきた範囲から大きく離れた場所へ行く、という選択肢が現れたのだ。
それと同時に、交通手段として現れたのが車。
...これが私にとっては大問題であった。
当時3人の中で免許を持っていたのは私だけ。大学1年の夏に父親から急かされ1ヶ月みっちり通い、MT免許を無事取得。そしてこの夏で丁度初心者マークとお別れした時だった。
つまり何が言いたいかというと、まだまだ初心者に毛が生えたような奴が他人の命を預かり県外へと運転出来るはずがないということだ。しかも2人も乗せるなんてそんな無責任なことは出来ない。
『のり(私)の運転で行こうよ!』なんて、よくそんなことが簡単に言えるね、と心の中でめちゃくちゃ怒った。
当時免許を持っていない朝子と夕子からしたら、3人でドライブができる!としか考えてなかったのだろう。私はもし実現出来たら楽しいだろうしドライブも本当はしたいと思ったが、やはり危ないだろうし何かあった時に責任はとれない。一応親にも聞いたが明らかに危険だと大反対された。
唯一運転出来る私やその背後にいる親が否定的な態度をとっても、構わず『行こうよ!』とゴリ押ししてくる朝子と夕子にしばらくイライラした。
結局、運転の怖さや免許をとって改めて思い知る車の危険性は、教習所に通わないと分からないのだろうと諦めることしか出来なかった。
その後もことある事に『のりの運転で行きたいね』と懲りずに言ってくる2人にはなんとも言えない感情を抱いていた。
この話をした同時期に朝子が教習所に通い始めた。3人でドライブするには最低でももう1人運転できる人が必要だと気づいた様だ。
しかし朝子の教習所に通う態度は舐めているようにしか思えなかった。『頑張って3ヶ月で取る!』と言った割にはよくサボっているのを見かけるし、教習所内で受ける試験にも2回ほど落ちていた。やっと教習所を卒業し後は免許センターでの試験だけだとなったのは2年が終わる頃。そこからまた数ヶ月空いて結局免許を取ったのは3年の夏前だった。
一応これでドライブするための人員は揃ったが不安は当然まだまだあり、心置き無くドライブするには早すぎる。しかも朝子は4年の夏前まで初心者マーク付き運転手なわけで、流石に本人も他人は乗せられないと言っていた。(当時の私の気持ちがやっとわかったかと内心嬉しくなった。嫌な友達だなほんとに。)
そして時が経ち4年になった2020年。3人とも無事に就活は終えた。今頃出かけまくって遊びまくって、人生の夏休みを満喫しているはずだったのに...。
経済活動が再開され外出する人も多くなってきた6月7月頃。インスタのストーリーではドライブする同級生が多く見られた。電車に乗って不特定多数の人と接触するくらいなら、仲の良いと人達と車で移動した方が感染リスクは確かに低くなる。
私もそう考えるうちの1人だった。遊ぶなら車が基本、になりつつあった。
そしてついに先日、無事に初心者マークを卒業した朝子と、夕子とのドライブが実現した。
朝子はこのドライブの前に、何回も家族や友人を乗せて運転の練習をしていた。私も何回か練習に付き合った。教習所に通っている時はそうでもなかったが、実際に他人を乗せるとなると運転に対して本気になり、恐怖も感じていた。
それは、とても嬉しいことであった。
私が運転に対して感じる危機感を、同じように感じてくれているから。
私の周りだけではないと思うが、やはり免許を取ると人を乗せて運転したくなる人は多い。初心者マーク期間のうちに他人を乗せてドライブしていた同級生にはバカなのか?としか思わなかった。人の命を軽くみているとも思った。だって、そうでしょう?車に乗ることで得られる利便性、優越感ばかりみて、本来考えるべき危険性や責任感を欠いている馬鹿者だと。問題になっているのは高齢者ドライバーの事故率の高さだけではなく、若者の事故率の高さも同じように問題だぞと。
20歳の夏に、同い年の若者と呼ばれる人達がどれだけ車に対して低い意識で接しているか目の当たりにした。免許の有無に関係しているかもしれないが、いつもそばにある大きな危険なのだとわかって欲しい。今、朝子は免許をとる前とは変わり、車に関する危険性を念頭に置いてくれているし、夕子も免許を持っていないながら理解してくれている(はず)。
私は運転は好きだが、向いていない人。だからこそこの気持ちを慣れのせいで忘れたくない。多くの若者が馬鹿者と呼ばれないようにして欲しいなと思う、22歳の夏。
今後初心に帰るためにここに書き留めておく!
出かけたメンバーはいわゆる『いつメン』というやつで、私ともう2人。名前は朝子と夕子にしておこう。三人三様、性格も全く違うがとても仲良くやってきていて、先日も特に大きな問題も起こらず無事に一日が終わった。
そもそもこのいつメンでのドライブが実現するまでには長い時間を要した。
『3人で富士急行きたいね!』という何の変哲もないただの女子大生同士の会話の中での一言。
大学2年と言えば、多くの学生が20歳になる年。つまり、大人の仲間入りをする年である。例に漏れず私は20歳になっており、朝子と夕子も19歳を終えようとしていた。
私にとって『大人になる』とは、世間的にも気持ち的にも、制約がなくなり開放的になる感覚があった。その影響を受けてか、遊ぶにしても行動範囲や選択肢が広まり、『富士急』という今まで3人で行動したきた範囲から大きく離れた場所へ行く、という選択肢が現れたのだ。
それと同時に、交通手段として現れたのが車。
...その話が私にとっては大問題であった。
当時3人の中で免許を持っていたのは私だけ。大学1年の夏に父親から急かされ1ヶ月みっちり通い、MT免許を無事取得。そしてこの夏で丁度初心者マークとお別れした時だった。
つまり何が言いたいかというと、まだまだ初心者に毛が生えたような奴が他人の命を預かり県外へと運転出来るはずがないということだ。しかも2人も乗せるなんてそんな無責任なことは出来ない。
『のり(私)の運転で行こうよ!』なんて、よくそんなことが簡単に言えるね、と心の中でめちゃくちゃ怒った。
当時免許を持っていない朝子と夕子からしたら、3人でドライブができる!としか考えてなかったのだろう。私はもし実現出来たら楽しいだろうしドライブも本当はしたいと思ったが、やはり危ないだろうしそんな責任はとれない。一応親にも聞いたが明らかに危険だと大反対された。
唯一運転出来る私やその背後にいる親が否定的な態度をとっても、構わず『行こうよ!』とゴリ押ししてくる朝子と夕子にしばらくイライラした。
結局、運転の怖さや免許をとって改めて思い知る車の危険性は、教習所に通わないと分からないのだろうと諦めることしか出来なかった。
その後もことある事に『のりの運転で行きたいね』と懲りずに言ってくる2人にはなんとも言えない感情を抱いていた。
この話をした同時期に朝子が教習所に通い始めた。3人でドライブするには最低でももう1人運転できる人が必要だと気づいた様だ。
しかし朝子の教習所に通う態度は舐めているようにしか思えなかった。『頑張って3ヶ月で取る!』と言った割にはよくサボっているのを見かけるし、教習所内で受ける試験にも2回ほど落ちていた。やっと教習所を卒業し後は免許センターでの試験だけだとなったのは2年が終わる頃。そこからまた数ヶ月空いて結局免許を取ったのは3年の夏前だった。
やっとこれでドライブするための人員は揃った。ただ不安はまだまだあり、心置き無くドライブするには早すぎる。しかも朝子は4年の夏前まで初心者マーク付き運転手なわけで、流石に本人も他人は乗せられないと言っていた。(当時の私の気持ちがやっとわかったかと内心嬉しくなった。嫌な友達だなほんとに。)
そして時が経ち4年になった2020年。3人とも無事に就活は終えた。今頃出かけまくって遊びまくって、人生の夏休みを満喫しているはずだったのに...。
経済活動が再開され外出する人も多くなってきた6月7月頃。インスタのストーリーではドライブする同級生が多く見られた。電車に乗って不特定多数の人と接触するくらいなら、仲の良いと人達と車で移動した方が感染リスクは確かに低くなる。
私もそう考えるうちの1人だった。遊ぶなら車が基本、になりつつあった。
そしてついに、無事に初心者マークを卒業した朝子と、夕子とのドライブが実現する。
朝子はこのドライブの前に、何回も家族や友人を乗せて運転の練習をしていた。私も何回か練習に付き合った。教習所に通っている時はそうでもなかったが、実際に他人を乗せるとなると運転に対して本気になり、恐怖も感じていた。
それは、私からするととても嬉しいことであった。私が運転に対して感じる危機感を、同じように感じてくれているから。
私の周りだけではないと思うが、やはり免許を取ると人を乗せて運転したくなる人は多い。初心者マーク期間のうちに他人を乗せてドライブしていた同級生にはバカなのか?としか思わなかった。
うちは子どもが3人。今年一番下が受験で、それが終わると我が家の中学受験が終わる。
上の子の時から数えると10年くらい断続的に中学受験に関わってきたが、子どもと一緒に受験に取り組んで本当によかったと思ってる。
今日が一緒に勉強できるのも最後かと感慨深くなりながら、ここに駄文を書き殴ろうと思う。
大学は国立大学に行けたのでありがたくも「私立」とはまったく無縁だった。受験はしたけれど。
社会人になり地方都市で働いていてそこで出会った今の奥さんと結婚。
子どもが生まれて一番上が3歳くらいの時に東京に転勤。それから転職などもしながらずっと東京に住んでいる。
子どもが小学生になると、まわりからは中学受験の話が聞こえるようになってきた。
自分も妻も地方出身で公立あがりだったから、私立受験ってまったくピンとこず、しばらくは「公立で十分だろう」と考えて流していた。
でも3年生後半になってきて、妻が色々調べだすとどうも住んでいるエリアでは公立があまりガラがよくなく、いけるなら私立がいいのではというように夫婦間でも変わってきた。
ただ、この頃の自分は、仕事に謀殺されていたのと、週末も自分の時間を優先させていて、あまり家族に関心を向けていなかった。
だから当時受験のこととかは妻が色々考えて悩んでいて、相談されたときに「まぁ、それでいいんじゃない」みたいな感じだったと思う。
まあ平たく言えば、なんとなく家庭は維持していて、子どもに対してそこまで関心がなかったという感じか。そういう男親けっこういるんじゃないかな?
表面的には家族は維持していても、深く関わっていないというか・・・そもそも日中仕事でいないし週末もどこかに出かけてしまえば関係性は薄くなるわな。
そして上の子が5年生の夏の頃、一番下がまだ幼い我が家では、妻が上の子の受験でピリピリ、幼い一番下の面倒をみながらも、私はあまり家族に関わっていなかったから、妻がついに切れた。
離婚をつきつけられ、家を追い出される。
まあ、今思ってもそりゃそうだ。仕方ない。本当自分勝手すぎたなと思う。
それでも一度切れた妻はなかなか落ち着いて話を聞いてもらえなかった。
で、成績がなかなかあがらないし、やる気も見せない上の子について、「俺が絶対受からせる。俺がついて勉強見る」といって私の中学受験がスタートした。
「なんでこんなのがわからないんだ?」「やるきあんのか?」など勉強を見ながらイライラすることばかりだった。
でも、受からせるって啖呵きった手前、泣かしながらも維持になって勉強を見ていた。
これまでは自分の時間として使っていた時間が子どもとの勉強の時間になった。
周囲の友人は週末有意義に過ごしてる。でも自分は・・・とかね。今となっては既婚子持ちが何言ってるんだと思うけれど、当時はそう思っていた。
それくらいそれ以前が無自覚の父親、無自覚の旦那だったんだな。
本命校は本人の偏差値からはとてもチャレンジングな学校だったけれど、なんとか少しずつ成績があがっていき、あとひと伸びで届くかもしれない・・
くらいまで成績があがってきたから最後の数ヶ月は自分も必死だった。絶対受からせるって啖呵きったのが残っていたし。
もしかして自分が受験していたんじゃないかって思うくらい悔しくて落ち込んだ。
その様子を見ていた妻から
「受験してあなたがよかったんじゃない?あの子のためにそんなに落ち込むなんて、それだけ真剣に向き合ったってことなんじゃないの」
と言われてハッとした。
受験を通じて確かに子どもとずっと向き合ってきた。真剣に向き合ってきた。
ああ、そういうことか。それ以前の自分は家族をみている大事にしていると言いながらも、こうして本気で向き合うってしてきてなかったなって気づいた。
真ん中はそれなりに真面目にコツコツ取り組むタイプだったし、他にスポーツとかもやっていなかったから、4年生から都内で有名な受験塾SAPIXに入れた。
SAPIXは知っているひとはしっている通り、宿題が多いし競争もはげしい。
ちなみに上の子も最初SAPIXに入れたけれどついていけなくて途中でやめた。
真ん中はどうかと様子をみていたけれど、クラスは決して上のほうではなかったけれど、最後までくらいついていった。
特に最後の11月から1月はこれまた本気モード。テキストの中からやる問題を選んで一緒にとき直しをして取り組んだ。
塾からは絶対無理だから志望校を下げろと言われていた本命の学校に合格し、今元気に通っている。
このときも、本命に受かったときは本当に嬉しかったし、一緒に喜んだ。あの感覚もまた、真剣に向きあったからこそなんだろう。
SAPIXなんてとても入れずついていけるはずもないくらい。地元の補習塾に通わせながら受験をすることにした。
上2人に比べると、受ける学校の偏差値は低めだし、勉強時間も少ないかもしれない。
でもその分違う才能が上二人よりあってその道を伸ばして欲しいと思ってる。
そういう子には受験ってあまり向かないんだよね。でも中高6年間にそれに没頭できることも考えると、受験もありだと今は思う。
勉強が苦手な下の子だけど、今では真剣に取り組み、明日の本命校に向けて努力を積み重ねてきている。
ここでも朝の勉強は続けていて、叱ったり、泣かせたり、模試のたびに喜んだり、そうしたことをこの1年続けてきた。
そんな日々ももう終わる。
結果は明日以降の試験次第だけれど、3人の受験一緒にやってきて思うことはいくつかある。
まずは、子どもはみんなそれぞれだということ。
同じ親から生まれ、同じ環境で、同じように育ててきたつもりでいても、みんなバラバラ。
受験勉強を通じて三人三様の人格に深く触れられたことはとてもよかった。
子どもにあった学校ってなにも偏差値の高いところばかりじゃない。
そこしか目指せないのはもしかしたら子どもと向きあいきれていないのかもしれない。
偏差値が高くても環境がいまいちなところ、偏差値が低くても、その子の未来につながりそうなところ、
そうした色々な学校をたくさんみて、子どもたちと一緒に話をして、子どもの人生を一緒に考えることができたことがよかった。
そして最後に、これは数年前に出会った佐藤尚之さんの大好きな言葉。
受かったら、そっちのほうがいい人生
落ちたら、そっちのほうがいい人生
どっちに行っても絶妙ないい「縁」が待っている。
人生はそういう風にできている
これは本当にそう思う。毎回最後は子ども達にこの言葉を送って送り出している。
そこに一緒に真剣に向き合うことを通じて、子どものことをより深く知り、愛する機会になった。
特に仕事やなりやらで奥さんに任せっきりにしているような男親には、真剣に向き合うことで新たな子どもたちとの関係性が生まれるよとぜひおすすめしたい。
っていうかやるべきだとすら思うよ。
ということで、今年で我が家の中学受験が終わり、私もひとつの役目が終わるかな。
明日、頑張れよ!!
隣人の語ること、行うこと、考えることを気にかけないもの。アウレリウス
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
[アドラー][心理学][マズロー][欲求5段階説][反証可能性]
世の中のすべてから愛されようといった、虫のよいことは考えず、異端を恐れずに進む。
この道をいけばどうなるものか・・・迷わず行けよ 行けばわかるさ 一休さん - 名言から学ぶ幸せのヒント
この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ。
行けばわかるさ。
どの港に入るのか分からなければ、どの風も追い風にはならない。
コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である。
The greatest problem in communication is the illusion that it has been accomplished.
George Bernard Shaw
コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想
[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]
イソップ物語3-「こな屋とロバ」「ウサギとカメ」「けんかした牛」「ひつじかいの少年」
何物かを選ぶことは、他の一切を捨てることである。チェスタートン
[ホトトギス][不如帰][時鳥][織田信長][豊臣秀吉][徳川家康][上司]
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
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「『空気より重い空飛ぶ機械』は不可能だ。」ロード・ケビン、英国学士院総裁
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「君にそんなことができるはずはないよ」とあなたに言ったのは誰ですか?その人は、あなたの限界を定める資格を持つほど、大きな成功を収めたというのでしょうか?ナポレオン
私も入ったころ「この人本当にいいひとだなぁー」っておもっていた所にしばらくして
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9563/Aesop/reader_Aesop10.txt
粉屋とかれの息子が、となりまちのいちで、ロバを売るためにロバを曳いていった。
歩き出してからすぐ、彼らは、井戸端会議をしている女将さんたちに出合った。
「ほらみてごらん。」一人が叫んだ。
「あの人たちときたら、ロバに乗らずに、とぼとぼ歩いているよ。みんなはあんなのを見たことがあるかい?」
粉屋はこれを聞くと、すぐさま息子をロバに乗せた。そうして、自分はその脇をさも楽し気に歩き続けた。
それからまたしばらく行くと、老人たちが熱心に議論しているところへやってきた。
「あれを見なさい。」その中の一人が言った。
「ほら、わしの言うとおりじゃろう。近頃では、年寄りにどんな敬意が払われているのだ? 年老いた父親が歩いていると言うのに、怠け者の息子はロバに乗っておる。やくざな若者よ、下りるのだ! そして、年老いた父親を休ませてやりなさい。」
こうして、父親は息子をロバから下ろすと、自分がロバにまたがった。
こうして歩いていると、またすぐに、彼らは母親と子供たちの一団に出くわした。
「あんたときたら、なんて、いけずな年寄りなんだい。」数人が粉屋を非難した。
「可哀想に小さな息子は、あんたの脇を、やっとの思いでついて行っているというのに、よく自分はロバに乗って、平気でいられるね。」
気のよい粉屋は、すぐさま息子を自分の後ろに乗せた。こうして、彼らは町の入口にさしかかった。
「おお、正直な我が友よ!」ある市民が言った。「これはあなたがたのロバですか?」
「その通りですよ。」年老いた父親がこう答えた。
「本当ですか? あんたがた二人がロバに乗っているのでは、誰もそうとは思わないですよ。」男はそう言うと更に続けた。
「ロバに乗るよりも、自分たちでロバを運んだ方がよいのに、なぜそうしないんですか?」
こうして、粉屋は息子と共にロバから下りると、ロバの脚を束ねた。
そして棒を使って肩に担ぐと、町の入口の橋までロバを運んでいった。
この様子を見ようと人だかりができ、人々は笑い転げた。
ロバはうるさいのが嫌いなのに、その上、へんてこりんな扱いを受けたので、縛っている縄を破ろうと、棒を揺さぶった。そして川に落ちてしまった。
苦い思いをして、恥ずかしくなった粉屋は、家に引き返すしかなかった。
こうして粉屋が得たものは、全てを喜ばせようとすることは、結局誰も喜ばせないことであり、そのうえロバまで失うということであった。
これからは、どんなに非難されようが、ほめられようが、人があれこれ言おうが言うまいが、俺は俺の考えに従う。
ラ・フォンテーヌ
そんな言葉抱きしめながら
だけど最後の答えは一人で見つけるのね
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって、形式が異なる。
ある国では美徳とされている事が、他の国では不快に思われることもある。
例えば日本ではげっぷをすれば不快に思われるが、アラブ諸国では食後にげっぷをするのが礼儀とされている、など。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
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どんな馬鹿でも、あらを探したり、難癖をつけたり、苦情を言ったりできる・・・
そしてたいていの馬鹿がそれをやる。
人間は考えることが少なければ少ないほど余計にしゃべる。
しつけとは、他人のことをどれほど考えていないかを隠すことである。
http://anond.hatelabo.jp/20150921000522
http://anond.hatelabo.jp/20130306084251