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2019-05-23

anond:20190523190055

例えば「屠殺場の閉鎖」などという主張はダメだ。今はまだ代用肉の開発までにとどめてくれ。

それはまあ、屠殺場を即刻閉鎖するのは無理だよね。働いてる人もいるし。

しかし将来的に食肉産業は縮小していくべき。

(代用肉が安くなれば自然とそうなるという楽観視がないわけではない)

まず人類健康である

…あと文化である

…そして上記二つによって重要もの毀損される。人類幸福である

それもある程度同意できる。

しかしそれは肉食だけによって担保されるものではないはずだ。

人間は野生から始まって、炭水化物依存した状態など、様々な栄養上の問題を克服してきたし、産業としての食肉文化から脱却することは可能なはずだ。

…殺さないことで明確に新たな苦痛生まれる。

人間家畜化された状況でないと生きていけない生物

…多くの家畜…牛、豚、鶏卵らは、野良に放されればたちまち絶滅する。

これは端的に事実だけど、同時にこれを理由として食肉文化倫理的な利点を見いだすのは、マッチポンプであろうとも思う。

人間家畜化した動物たちに明確な責任がある。彼らを野生状態に返すべきではないだろう。

でも、それは食肉産業を今後も続けていく理由にはならない。

一番の問題は、「食べるために殺す」ことよりも、「殺すために産まれさせる」ことだと俺は思ってる。

あと飼ってる猫とか犬に肉をあげないのはやめたほうがいいと思う。

あと、兎、鹿、猪、熊、象、鯨などの生き物は、むしろヒトが狩らなければ生態系破壊することがよく知られる。

それはそう。ジビエとか狩猟を俺は否定しない。交通事故で死んだシカとか、むしろ食ってやったほうがいいと思う。動物愛護系のヴィーガンには狩猟をやめろっていう人もいるからややこしくなるけど。

あと、野生の大型動物による生態系破壊は、そもそも人間がその土地バランスを崩したために起きてる場合が多いはず。

ヴィーガン人間幸福を減ずることを推進しようとしている。すなわち、人間幸福を軽視している。なぜそうなのか? 貴方がたがありのまま人間を愛せないからだと思う。

人類幸福を減らそうとしてるわけじゃない。

他の種を搾取することによる一時的幸福は正しくないし、必ず代わりが見つかると思ってる。

貴方がたがありのまま人間を愛せないからだと思う。

特に、今回やようなデモで極端な主張に走る人たちはそうであるはずだ。

それはわからないし、ありのまま人間でいたいのもわかるが、そうするには人類進歩しすぎてると思う。

ペット虐待反対運動なら、俺も賛成するよ? フェイクファー推進や象牙禁輸もまあゆるすわ。しか社会的な肉食の禁止とは!自分自分以外の他者人生嫌悪してないとその発想は出ないんじゃないか

その間にあるのって「自分利益があるかどうか」だけじゃない?

他の人のことはわからないけど、俺はハンコ作るために殺されるゾウは減ってほしいし、死ぬために生まれるオスひよこかにも減ってほしいよ。家畜たちにも幸せになってほしいんだよ。

そのためならまあ肉ぐらい我慢して豆腐でも食うかってなるよ。

とりあえず、満員電車が嫌な奴は地方に来い

地方満員電車なんかないし、待機児童もいないし、そしてなにより土地が安いぞ

ヴィーガンが壊す食文化

動物人間ご飯でした。過去数千年も人間狩猟採集で生きていました。

狩で仕留めたマンモスを食べて氷河期を生き抜き、山でシカイノシシを食べて生き抜きました。私たち祖先はヤギや豚や牛や羊や鶏を、長い長い長い年月をかけて家畜しました。家畜化なんて一朝一夕一世代で出来ることではありません。祖父から父へ、父から子へ、飼育ノウハウを受け継ぎながら、家畜を食べる肉食文化を発展させました。

色々な国で色々な食文化が発展してきました。それは日本のように仏教によって禁止されながらも、こっそりと楽しまれたり、文明開化とともに最先端料理として食べられたり、ヨーロッパのようにソーセージベーコン干し肉なんかにして長期保存できるようにされたり、焼いたり蒸したり揚げたりして、美味しく食べれるように工夫されたりしてきました。イヌイットのように生食する民族も、沢山の香辛料スパイシーに食べる民族もいます食文化は、宗教やその土地気候と密に絡み合いながら発展してきました。

文化人間が長い歴史の中で作り上げた叡智の結晶です。衣、食、住の1つである、生き物にとって欠かせない「食」の文化は何にも劣らない人類史の大切な要素です。文化人類学的な価値を持つものです。

生物学的にも人間動物を食べるのには意味があります日本人だけが海苔を消化できるように進化したことは有名ですが、お肉も同じです。人間が肉を美味しく食べて、消化して、エネルギーとして利用できるのも、人間が長い間肉を食べ続けて、そのように進化たから美味しくお肉が食べられるのです。お肉を食べるのは人間が生態です。人間は雑食なのですから

連綿と続くこの歴史の中で、動物可哀想だという考えを持ち、肉食をやめることもまた文化です。人類がそのように方向転換し得る可能性を持つこともまた大切なことです。

しかし、それを望まぬ人に強要すること、人間全体から食文化を奪うことは文化破壊です。畜産家や肉屋やコックさんから仕事を奪う権利は誰にもありません。

食文化生活根付いて始めて意味がありますレシピの本だけあっても仕方がありません。肉を食べないということは今まで育んできた肉食文化永久に手放してしまうことになります日本和食文化遺産であるように、世界の肉食文化和食よりもうんと重要文化です。ヴィーガンの肉を食べない「食」が尊重されるべきように、私たち雑食の食文化尊重されるべきです。

そうして考えると「動物はあなたのごはんじゃない」というスローガンはあまり暴力的文化否定ではありませんか。

2019-05-22

anond:20190521223912

増田とおなじ氷河期世代で、同じグレード感で進学@東京だけど、中・高・大学通して殴られる躾は当たり前だったという話を当然顔で同級生からされたら内心ドン引きしてたと思う。

広島という土地柄なのかもしれないけど、または増田の家がたまたまバイオレンスだっただけじゃない?

いやなことではあるが、かしこ学校に通ってる子たちは賢いだけあって、友達ドン引きエピソードを聞いても顔色を変えたりせずに、うっすら分からないようにその人との距離感を徐々に離して行ったりするんだよなぁ。君子危うきに近寄らず精神というか。

進学校かい大学に入る子は結局のところ育ちが良いというか富裕で穏当な家庭に育っているケースが多いし、そうでもなかった子も、賢さから空気を読んで浮かないようにアジャストしてたりするんだよ。中・高から親友で一人、両親が某宗教団体にのめり込んで色々難儀をしてた子がいたが、中2で仲良くなってそのままずっと親友で、でも親の宗教とか進学問題で疲弊つくしてることを打ち明けられたのは高2の秋の進路調査票を出す時期だった。打ち明けられるまでは私も他の子も誰も気づかなかった。

2019-05-21

anond:20190521212700

年齢 あらふぃふ

職業 自営業 士業名簿にのってるからマンションと車のDMがずっとくる 土地アパート売り込みや仕事くれFAXも来る メールもくる 全部いらん 送らないでほしい 配偶者会社員

どこらへん 日本の真ん中あたりの都会エリア 家出て最短20分で新幹線に乗れる

どんな家 重量鉄骨3階建て ネット光ファイバ+屋内全部屋有線LANクラスケーブル設置でMMOゲームラクラクだけど なぜか有線より遅いとわかってるスマホソシャゲポチポチやっちゃうようになった 人生不思議だね 駐車場2台有 食洗機ビルトイン トイレは2箇所あって自動で電灯がつくしきえるし蓋があくし閉まるやつ

まだ東京で消耗してるの?

痴漢問題にしてもベビーカー問題にしても満員電車通勤問題にしても保育園に入れない問題にしても

全部、地方に転勤すれば解決する

地方は、まず満員電車がない

待機児童もいない

土地は安い

お前らそんだけ優秀なんだから地方で働けよ

2019-05-20

anond:20190519205656

新鮮なのと美味いのは違うからなぁ。

うまい野菜作るには肥料やったり日あたりが良い土地確保したり間引きしたりとなんだかんだ言ってコストかかるので、田舎農家自分たちで食べる野菜は新鮮だけどスッカスカだったりする。

2019-05-19

根無し草依存


ふたりで暮らそうと話している人がいるが、その人は5年経ったら家を出ていくつもりらしい。

私は実家暮らしで、家から死ぬほど出たかった。ここで生い立ちとか話すつもりもないから深くは言わないが、家は私が帰ってくる場所だと思ったことがなかった。

それで相手が「2人で暮らしてみよう」って提案してくれたから、乗らないわけはなかったんだ。家が嫌いだった。

県外から来てくれるって言うんだから、失礼なことに何度も疑ったし、その分とても嬉しかった。「リビングでくつろげない家は幸せとは言えない」って言ってくれた彼女だったから、私に帰る家をくれるのかなって期待してた。この家を出ていくきっかけをくれて、私と暮らしてくれる選択をしてくれたことが、どれほど救いになったことか。

でも冒頭の通り、5年ぐらいしたら別の県に出ていくらしい。「郵便番号覚えたら引越し時」だと、私と暮らす提案をした時も言っていた。

彼女自分でも根無し草を名乗ってる。ひとものに執着せず、自分が死んでもいい場所を探して定期的に移動したいのだという。

自分勝手で被害妄想だと自覚しているが、私と暮らす前から私を置いていくことを考えるんだと思って悲しかった。もしそうするならついて行きたかったが、仕事上どこでもやっていけるのが彼女で、私はどう考えてもやっていくのは無理だった。

文面から感じ取れると思うが、私はとても重たい。私と暮らすことを選んでくれたひとのことを、簡単はいさようならと見送ることができる自信が無い。絶対執着する。

それを伝えて、酷く困惑させてしまった。5年なんて過ごしたら、依存してしまう執着してしまう。執着される覚悟彼女にはないのだ。簡単に暮らそうなんて言ってしま彼女には。

恨み言みたいになってしまった。それほど好きで、根無し草彼女が私に執着してくれないかと思う。

私も君も結婚する気がないならいいじゃないか

一緒にこの土地で死んでくれ。

あー重い重いもうやだ誰か助けて。どうすればいいんだ。もうグーグルで、根無し草スペース依存とかで検索かけてヤフー知恵袋とか出てこねぇかなって思ってるよ。

anond:20190519194550

伯父が、わざわざ送ってくれてたリンゴは全部蜜が入ってて最高に美味しかったよ。

個人的には地元のものはやっぱり美味しいと思う。その土地でとれるもの

輸送がよくなってるので、全国のものが手に入る都会はなんでも美味しいのかも。

私は貧乏+自炊だったので、東京なのにまぁ普通でした。良い食材を買うとか

美味しい総菜屋さんに行くとか、食事に行けば感想は違うと思います

2019-05-18

どこでも暮らせる人

たまにどこでも暮らせるような土地への適応力が高い人っているじゃん?

転勤続きだとか、海外飛び回ってる人だとか

あい人種って大別すると二極化すると思うのね

行動範囲が極端に狭い人か、極端に広い人

前者は生活圏が自宅とか通勤ルートくらいしかないタイプで、行動範囲ルーチン化している

後者は逆に制限いくら生活圏が広いタイプ

その分土地への接触が多い分馴染みやす


今まで人生であった人で、居住が変わりまくってる人ってそのどちらかだった

そういう人じゃないとあちこち引越しが多かったりする職務ってキツいのかな、と思う

子供の頃の残虐性が抜けてないと感じた話

※この文章には少しグロテスク表現が含まれます。虫表現あり。





突然だが、これを読んでいる人は子供の頃、アリの後を追ったことはないだろうか。

アリを追って巣穴まで辿り着き、巣穴に水を入れたり、砂をかけて穴を塞いでみたり。アリでなくともダンゴムシを無理やり開いてみようとしたり、ミミズスコップで叩いてみたり。

自分はアリの巣穴を砂で埋めたことはあるが、水を入れたりしたことは無い。そういうことをやる人もいると聞いただけの話だ。ダンゴムシを開いたのは小学生の頃の友人だし(そのダンゴムシは無理矢理開かされて逆に反り返って死んだ)ミミズスコップで叩いていたのは小学生の頃の男子同級生だ。

ここで少し自分の話をしようと思う。

自分はどういう人間かと言うと、飲食店で「ごちそうさまでした」を店員さんに言うタイプ人間であるコンビニ店員さんにもタメで話しかたこともないし、レジのあとは「ありがとうございました」を言う人間である。むしろこれが普通で当たり前の世の中であって欲しいと思っている。

動物は好きだ。猫も犬も兎もハムスター可愛いと思う。動物虐待のニュースを見ると心が痛む。虫だって出来れば殺さずに逃がたいので部屋の電気を消して窓の外に懐中電灯誘導することだってあった。

自分ミミズスコップで叩いていた同級生を「やめろ」と止めた側だし、反り返されたダンゴムシをみて怯えた側である。花の蜜を吸ったこともあるし、たまに野生の桑の実を食べていたこともあるので普通と言うよりは野生寄りだったかもしれないが、「他者の痛み」に関しては普通感覚を持つ、普通人間である。と、思っていた。(アリの巣を砂で埋めた件はあったが、水を入れた話を聞いて自分はむしろそんな残虐なことはしないと思った)

話を戻す。

何故自分の残虐性が抜けてないと感じたのかについて話そう。 数日前に外掃除をしていたら職場駐車場隅に不自然な土の盛り上がりを発見した。ホウキで軽く散らしてみるとアリがわんさか出てきた。どうやらアリの巣があるようだった。

アリくらいいるだろうと思って気にせず雑草を抜いていると次はムカデが出てきた。さすがにビックリして自分の方に来ないように気をつけつつ外掃除を終えた。

子供も多く来る職場なのでさすがにムカデはマズいと感じ、上司に報告したところ殺虫剤を渡された。バリア機能がどうとかで即殺す力はないが家の周りに撒けば寄り付きにくくなるという粉末殺虫剤だった。

アリの巣があった所に粉を出すと目に見えてアリがそこを避けていく。なんなら気づいていなかったムカデまでうじゃりと出てきて飛び退いたほどだ。

そこで薬剤だけ撒いて帰るのが普通大人だったのだと思う。しか自分は出てきたムカデ殺虫剤をかけた。嫌がって逃げて動き回るムカデの後を追った。即効性のない殺虫剤からその場では死ななかった。

ムカデは隙間に逃げ込んだ。なのでそこが巣かと思って粉をかけてみた。(あとから調べて知ったのだがムカデは巣を作ることはないらしい。卵から孵る場所はあるらしいのでおそらくこの隙間がそうだったのだろう)

すると外に出ていた別のムカデが帰れなくなった。薬剤の周りをウロウロしている。そのムカデにも私は薬剤をかけた。同じようににげまわるムカデさらに追って周りに薬剤をかけて袋小路にしてみた。

ムカデも移動するので完全には囲い込めずムカデは別の隙間の中に逃げていった。

自分も別の業務に移らなければ行けなかった時間なのでそこで殺虫剤を撒くのをやめた。

終えてから、ただ、「おもしろかった」と感じた。

そう感じた自分を振り返って愕然とした。自分はもういい歳をした大人である。その大人が虫を追い回して逃げ惑う姿を「おもしろい」と感じたのである

よくよく思い返すと近い事例がほかにもあった。これを読んでいる人は「Godus」というゲームを知っているだろうか。簡単に言うと自分が神となり人間を発展させるゲームである。地形を変えて人間を導き、発展させるシュミレーションゲームである

このゲームの中で自分は神であるので、その指先ひとつ文字通り指先ひとつタップ1回だ)で人を殺すことも、家を燃やすことも、隕石を降らすことだって出来る。

ゲーム的には自分信者を増やすことが目的なので、用意された道に従い自分土地を広げ、人に家を建てさせ発展させて遊んでいた。

このゲームには自分を信奉する信者とは別の民が存在する。その民とこちらの民の幸福度によっては、こちらの信者は向こうへ逃亡して人口が減ってしまう。その幸福度簡単確認できるので逃げられてしまわないように自分信者幸福度を上げてゆき発展させていくという遊び方なのだと思う。

だが自分自分信者幸福度をあげるのではなく、相手幸福度を下げる方に傾いた。なぜならゲーム的にはそっちの方が楽だったかである

手始めに、ワンタップで殺してみた。それからギミックである底なし沼を発動させて溺れさせて殺してみた。最後集落隕石を降らして殺してみた。隕石の火で火事が起きて集落燃えている木を慌てて消す動作、木ではなく民自体燃えて逃げ惑う様を見ていた。

しかった。多分笑っていた。

ゲームとしては「文化的決着」というのがあって、手順を踏めばその民もこちらの信者に出来る。それを知ったのはその民が全滅してからだ。

そこで自分が思ったのは「あーあ」であった。別に信者を増やせてゲームがやりやすくなる機会を逃したからではない。

1人か2人この民を生かしておけばまた増えて、プチプチ出来たのにな。と思ったからだ。実際山火事を起こして全滅しそうになった時は雨をふらせて全滅しないようにしていた。隕石を降らしてちょっと余所事をしているうちにこの民は死んでしまった。失敗したなぁ。とそれだけ思った。

記憶力が残念なので最近出来事だとこの2つしか思い出せない。思い出せないだけで他にも自分の残虐性を認識する事柄はあったのかもしれない。

こういう残虐性って子供の頃の上手く命を理解してない頃特有だと思っていたのでいい歳した自分がこんなことを楽しんでいる事にかなりビックリしたのでこの文を書いてみた。

でも多分反省してる訳では無い。またムカデが出てきたら殺虫剤をかけて逃げ惑う様を見るだろう。

どうしたらいいんだろう。ちょっとよく分からないのだ。このまま他人に気づかれない残虐性を抱えて自分普通人間であるように生きていくんだろうな。

2019-05-16

anond:20190516133752

そうなんだよな。まともじゃないと思う、

他人迷惑かけるより自分優先の生き物。

人間として軽蔑する。

という自分他人のために送迎するのもお金を払うのは嫌だから、おんなじなのかもしれないけどさ。

でもやっぱり子供世代負担をかけるのが当たり前な解決策は、老人が若者を轢き殺すのと構造的には変わらないと思うんだよ。

若者世代に害を成して生きてる、という意味で。

さっさと死んでくれればすべて解決なんだけどな。母親は車なしで元気に生活してるから土地柄って問題でもないと思う。

バス停まで行くのも、バス停で待つのもいやなんだってさ。

タクシーも呼んでからつのも本当は嫌なんだってさ。

そんなに何もかも嫌なら生きるのをやめてしまえばいいのに、という感想しかない。

anond:20190516124652

そんなことないんだよな。それこそ実業家に騙されている。

地方の国公立入学して地元中堅企業入社もしくは公務員になれば、都会で大企業入社するより圧倒的に安定で、実質可処分所得もよくなる。

地方土地の安さを舐めたらだめだよ。

2019-05-15

anond:20190515223845

えー、だって都会の人達って田舎さら僻地なんかに興味ないでしょう。

仮に竹島北方領土なんかの支配権を取り戻したとしても、その土地のためになることを何かしてくれるとは思えないし。

だったら実効支配してる国に差し出した方が有効活用してくれるだろうし、島も島冥利に尽きるだろう。(尖閣中国実効支配してるわけでもないが)

例え一方的日本の負けだって領土問題解決には違いない。

anond:20190515184741

AEDに手を出してはならぬ

AEDが生まれてより10

いくたびも人はAED女性を救おうと試みて来た

が そのたびに置換を糾弾したい女の群れが怒りに狂い

新聞の読者欄を埋めつくす大波となって

押し寄せて来た

良心を滅ぼし 善意をのみ込み

自らの命が果てるまで

女性女性に触れるAED利用者ののしり続けた

やがて僕はやってないと言い張るAED冤罪者のむくろを苗床にして

失望男性社会に根を張り

広大な土地が無関心に没したのじゃ

AEDに手を出してはならん

anond:20190515192850

それって住宅ローンのことを言ってるの?銀行なんて審査して確実に借金返せそうな人にしかさないんだから収入不安定な人とか非正規労働者にはメリットないと思うけど。

あと、親の土地かに家建てるときだと返済できなそうなの分かってて、返済が滞ったら土地を取り上げてやろうみたいな悪質金融機関もあるようなので、結局頭金が沢山ある人とか収入が安定している人しかローン借りない方が良いんじゃね?

2019-05-14

俺を不幸とはカテゴライズ出来ない辛さ

あとがき最初は色々とドラマチックに書こうとしていたが、最終的にただの自分語りになりました。多分タイトルに込めようとした物ほど深い内容は無いです。

まあでも色々とコメント頂けると嬉しいです。もう私の周りに私に背狂してくれる人が居なくなってしまったので。



あとがきあとがき)全部書き終わってみてみたら文章量えげつなくてやばい

誰にも自分の事をちゃんと話したことがないって、悲しいことです。


家もある、定職もある。俺をあやす友人もいる。俺は前よりはずっとまともになったし、人付き合いも随分うまくなった。

これも家族と俺の問題を許してくれた社会の親切な人たちのおかげだ。借金は多分50万くらいあるが、ようやく職にありつけたのでなんとかなるだろう。

商売も学んだ。小銭くらいすぐ稼げるようになった。借金の元はまあ取り返せそうだ。

俺は社会の屑でもド底辺でもない。そうならずに済んだのは全部周りのお陰だ。だから俺はギリギリ畜生になれずにいる。

誇りも倫理も人道も全部捨てた鬼になれずにいる。俺は根っからの善人だと思うが、犯罪者素養はかなりあると思っている。

俺は不幸ではないらしい。俺もそう思う。つらい時期もあったがなんとか脱した。その時につけた知恵は一生モノ

でも幸福とは決して思えない。というか俺の中に幸福基準が一切無いからなんだろうな。こうやって文字にしてみたら尚更不幸だとは思えない。かなり恵まれてる。

今一番の問題は俺が何に対しても幸福感を感じられない感性を持っている事なんだろうか。

自分語りをさせてくれ。Twitterじゃ誰も俺に関心を示さなかった。ここはそういう場所なんだろう?そして出来れば何か一言俺に物申してくれ。

悪口でも何でもいい。学生の頃もっと教師説教をよく聞いておくべきだった。もう俺の年じゃ誰も俺を思って言葉を発さないんだよ。

ちょっとナルシストで無表情で、でも別に特別他者を害したりしないから悪い奴じゃないよねって感じでそっとしておかれるんだよ。

聞いて行ってくれ。頼む。こことTwitterでだけは現実で誰にも見せたことのない俺が出せるんだ。

俺に一言物申してくれ。

遠慮はいらないぞ。多分一瞬ひるんで1日くらい落ち込むだろうが飲み込める。多分。

さて話そう。どこから書こうか。そうだ

俺は典型的アダルトチルドレンで、無関心な父親とやや過保護母親のいる家で育った。

さらアスペバカで、幼少期のころ地主が威張り散らす様な昔ながら土地引っ越してきた。近所にいたのは悪ガキ集団だったが、俺は気が弱い子ちゃんだったので色々あった。

次第に荒れた。すぐキレる。すぐキレる奴で子供はどう遊ぶか?気軽にキレさせて遊ぶ。誰もが何時ものことかと俺を見下した。

しかもすぐキレて暴れる上に好奇心が強くて普段からいたずら好きだったので、あらゆる悪事の容疑は俺にかけられた。ちなみに俺を擁護するやつはいなかった。

俺を憐れんでくれていた同級生ママも、声のでかい性悪親によるつるし上げが怖くて中立未満を決め込む始末。そんな人が居たというだけ気持ちも幾分救われるが。

ちなみに肝心の教師は俺の事を全く信用していなかった。平成といっても初期の初期だからな。SNSも無かったし俺は小さな町でひたすら1つしかないコミュニティ玩具にされていた。

多分いじめられ経験者はそいつらがどんな奴らだったかすぐわかるだろうが、わからない人のために軽く説明すると今で言うとネット暇人どもみたいな奴等だ。

自由に叩いても許される奴を見つけて、居なければ自分たちで罪を被せレッテルを張り、皆で叩いて自分たちの正しさを証明し合うのだ。

今ってネット有名人断罪した気になれるすごい時代からリアルいじめは少なかったりするのかね?どうせなら大物狩ったほうが楽しいよな?

話がそれた。まあそうやってボス猿が獲物を見つけては取り巻きと叩く。猛烈に叩く。ネットリンチはネットから離れれば避けられるが、リアルは違うぞ。しか小学生

不幸中の幸いは俺がバカだったことだな。俺は学校いじめは良くないと聞いたのでみんないじめなんてやらないと思っていた。

なんかよくわからんけど俺だけ怒られるけど、その事に疑問も持たなかった。バカから。当然不登校なんて選択肢にも無い。そんな発想は無かった。

自分他人と違うって悩み始めたのもここ数か月だからな。15年おせーよ。しかし、あの当時何をされてもすぐ忘れる馬鹿さが無ければ今の俺は無かったと思うとアレはアレで幸運だったとは思う。

ちゃんマジでありがとう。1度や2度かあるいはもっと理不尽言葉を投げかけられたが、あの状況で俺を守ってくれてありがとう。これが一番の幸福だった。

父親は何もしなかったからな。若いのにガキ作ってひーこら働く羽目になったってのもあるだろうが。

父親の話もするか。毒親。おわり。

俺と妹が人嫌いになったのはあんたのお陰だよ。もっと言うと祖父あんなんだったかあんたもそうなんだろうがな。多分そのまた親もそうだったんだろう。

だが俺に罪は無い。俺が平均点よりいい点とったんだからせめて貶すな。本人は高学歴で頭がいいつもりかもしれんが子に対する行動言動としては最低だよ。

俺の自己肯定感が皆無なのはこの父親の影響が多分7割くらいあると思う。もっとかな。

まあでも最終的には平和家族になったから良いけどな。これ以上はやめとくか。心配性なのでよくある話にとどめとこう。

次は何を話そうかな。あ、そうだ。部活の話を聞いてくれ。俺は多感な時期にブラック企業みたいな部活に入って心が壊れたんだ。

マインドクラッシュだぜ。心のピースはある程度組み立て終わったが今でも人の心として大事なパーツがいくつか見つからない。

冒頭で言った「比較的まとも」な感性を取り戻したのはつい最近のことだ。気が付いたら青春時代全部消えてたぜ。幸い友人達のお陰でゼロではないがな。

でも俺のあの辛さを共有できる相手は居ない。暗い部屋に毎日押し込めて、朝は早く夕方遅く。自律神経は乱れまくって夜は眠れず次の日の朝は極限状態

それをコーヒーで無理やり動かすのさ。合宿ハードメニューな上に睡眠時間がどう見積もっても5時間未満。眠気覚ましに俺はバカだったので自主ランニングまでやってた。

お陰で若くしてカフェイン中毒さ。あとなんだ?統合失調症的な?数時間だけだが自宅以外のあらゆる場所殺人鬼が潜んでいて俺を殺そうとしていると何故か思い込んでいた時間があった。

幸い次の日が休みだったので朝から夕までたっぷり寝てある程度回復したが。(その晩からはまた不眠ね)

結局その部活は辞めたんだが、後遺症がひどかった。元々多感な時期で、俺はアスペで、最終的に自衛隊に行った上級生が顧問とともに恐怖で支配していた閉鎖空間で。

そりゃあもう俺へのヘイトがやばかった。まただよ。俺はアスペから理解していなかったがな。惜しいことをした。もっと早くこの世の生き方がわかっていれば俺もちょっと楽しい高校生活を送れてたのにな。

まああの経験が無ければ今の俺は無かったわけだが。今では必要経験だったと割り切っている。

で、部活辞めた後の続きね。あ、ちなみにだけどめちゃくちゃ辞める奴が多かったその部活の中で俺はわりとまともな辞め方をしたんだ。

顧問にこの部活あんたらと幹部矛盾だらけって言って、俺はもうあんたらの考えにそぐえないって。全員参加の夏の大会だって価値が見いだせないって。

顧問は俺の事を褒めたよ。男らしいってな。ほかの先生も今どきの生徒にしては自分の考えを持ってるって。

今思えばあの教師たちも昭和犠牲者だった様に思える。その犠牲者の事を思うとできれば死後裁かれてほしいもんだが。生徒を追い詰めてもらった賞と、その時の賞与で買ったロレックスだぞ。

あれも世の中の仕組みに気づくきっかけの一つだったな。

で、そうそう。部活辞めた後。俺は何もしなった。バイトだけ始めた。人手不足の店で優しい社員の元で働いた。彼らもブラック犠牲者しか現在進行形だったので俺の雰囲気から何かを察してくれていたのかもしれない。

ただ客層がクソ過ぎて辞めた。部活の奴らが夏の大会にギスギスしながら取り組む一方で俺は強迫性障害発症した。まだ治ってない。

ちなみに俺が在籍していた2年間で連勝記録が止まったらしいんだが、俺が辞めた年からまた勝ち始めたらしい。なんなんだろうな。同期も結構やめたから俺だけのせいじゃないんだろうが。

次のバイト普通にクソだった。働く奴の人間性がクソだった。

三が日にシフトに入ってしっかり働いたが、確か5時間以上勤務でお正月ボーナスが出るところを1日4時間半だけ3日間全部働かされてキレた覚えがある。

次に務める飲食店にもクソな奴が一人いたが、他は良かったので結構続いた。ちなみにそこの新人離職率は多分8割超えてた。クッソ忙しい上にクソが居たから。

どっちかに耐えられる奴も両方には耐えられない。俺はまだバカだったのと、田舎に他にまともなバイト先が無いと知っていたのでつづけた。

あとは確か大学2年だったか。そこで派遣アルバイトをして色々知ってついに辞めたんだった。で、ようやく趣味に手が付き始めて、それを商売にしてついに短い間だがノーバイト生活を始めた。

話逸れまくってるな。俺がいかに不幸だったかって話をしないと。

部活辞めた後はの流れはこんな感じだった。

高3...マジでなんもしてない。後からネットで知った情報から察するにほとんど鬱だったと思われる。机の前に座って何時間も何もしなかったり、それを父親にいろいろ言われてまたストレスためたりしてた。

高3男子の部屋いきなり開けてんじゃねぇよ。

大学1年...一応ロケットスタートで仲間は探してボッチ回避。俺は行動力があるんだ。でも特に何もしてない。ここでも最初に入った部活でクソ先輩に当たり部活崩壊したりしたが、もういいや話すのもめんどくさい

2年...俺はこの時何もしてないと思っていたが、よく考えれば大学生ってそんなもんだった。サークルに飽きてひたすらゲーム

3年...俺のビジネス前身を始めた。すこし性格が前向きになるも、コミュ障炸裂。あとゲーム

4年...わりと平穏だった。しかし大きな病気をして価値観がいろいろ変わる。さら就活を通じてまたいろいろと学ぶ。ゲームもやらなくなった

今...楽しくないゲーム楽しいゲームに変わった。ようやく遊び方を思いだしたが時すでに遅し。社会人。ただし今までの経験からブラック回避にだけは成功した。



こんな感じ。いやあ上手く立ち直ったねぇ。もうこの辺に関しては納得しちゃったんで今冒頭にあとがきを書き足しておきました。

じゃあ今から俺が不幸ではないにも関わらず何に嘆いているかを書いてみようと思う。

俺は他人が怖い。それはもう俺がアダルトチルドレンからに違いない。

俺は他者を一切信用できない。幼少期に親どころかあらゆる存在から悪意を受けて育った。悪意の中の悪意だからだ。

そのうえ自己肯定感も低い。時々自信満々になるが実際には何となくそんな気分になってるだけ。部活の奴らはもう底辺ルートに入ったが自分にはまだまだ先があるってね。

でも俺は思うんだ。世の中バカばっかりであいつらはドラマで見た様な恋愛ごっこオナホ探し、財布探しに必死。でも普通はそうなんだよ多分。

世の中大半そんなんばっかで俺は面倒くさいから関わりたくない。サルを除いて残った人類は3割くらいとしてみよう。

やつらはまともだ。親に周囲に愛を受けて育ったから、他者と当たり前に愛の交換ができる。愛とは無償の愛の事ね。セックスもまあ間違いではないが。

だが俺はどうだ。俺は他者に借りを作らない。俺はそいつを信用しないからだ。この時点で愛の交換は成り立たない。

俺は何を交換できるか。利害関係。それだけ。だからビジネス脳はすくすくと育っている。

しかし愛だけはどうしても理解できない。どんな善良な人と会っても信用できないし、俺は自分の事をどちらかといえば闇にいる側の人間から彼らを汚してはならないと思ってしまう。

向こうは気にしないようだが、それならなおさら友達にもならない。今の上っ面な世の中で彼らのような存在は貴重だから、俺のような人間が関わってはならないと。

これが俺の一つ目の悩み。いや根源にして最大の悩みか。

どうしても人が怖い。まして裸で抱き合うなんて不用心な交流なんかできる筈もない。

あ、ちょっと話逸れるけどセックスでイけない女の子もわりとこういう側面あると思うんだけどどうなんですかね。その道のプロの方はいらっしゃいますか?

相手のいるなしはさておいて、俺はセックスも怖い。金を払えばどうにでもなるし、童貞食いが趣味上品な奥様とか多分いるだろ。裏垢界隈で学んだ。

あとこういう哀れな男を落とすのが趣味の人とか、ああそうだ多分今の俺ならおとなしいバカは落とせる。いわゆるだメンズウォーカーとかなんだかって人ね。

最近そういう人に会って何となく察してしまった。おれも多分屑だ。でも俺は変に正義感があるからそういう事はできない。基本的に人よしだからな。

じゃなくて。俺は人が怖いか信頼関係の不可欠なセックスはできない。ましてや恋人も作れない。一度だけガチ恋したことがあるが、多分2度とないような気がしている。

最近ラブコメ漫画が好きなんだけど、俺がどっちの立場でも無理。

相手がどれだけ俺を好きでも答えられないと思う。どんな美女がいつの間にか裸で俺のベッドにもぐりこんでいたとしてもセックスはできない気がしている。

そうだな。愛されたいけど愛し返せる自信がまるでないんだな俺は。彼女ができるとしたら俺の事が純粋に好きすぎるメンヘラ相手責任感感じて一緒にいるくらいが限界じゃないのか。

他のパターンが思いつかない。思ったより俺って誠実だな。このパターンでも俺はすごく悩むと思う、、、いや、こういうメンヘラは大体自分問題直視出来てないだけだから多分俺通報するか誰かに押し付けるわ。

なんだ。うまい例が思いつかないけど平成初期くらいのイメージ主人公だけを無条件に愛してくれる系ヒロイン?がいれば少しづつ変われるかも?なるほどなだから流行ったのか。俺みたいな育ち方をした奴ら向けで。

正直2時間くらいぶっ通しで無修正で書いてるからもう自分が何を書いているのかわからなかったりする。

やっぱ俺ってあんまり頭良くないな。誰が読むんだこんな文章。とは思うがたぶん誰かは読むだろうとか打算している俺もいる。頼む俺にコメントくれ。

しかすると俺は俺をよく知る誰かの言葉が欲しかったのかもしれない。正直無限時間があれば半生全部書いてた気がする。

でも議論するなら愛がどうのこうのの下りに絞るべきだったね。明日時間があれば書き直してみようか。

色々冷めて落ち着いたしもう眠いので寝ます

どなか人を愛せなかった自分が変われたって方、是非色々教えてください。

文句言うな甘えんなだって愛されたいって方もどうぞ。他人を見てきた期間が圧倒的に短いのでそういう生の声も聞きたいのです。

しかし一番聞きたいのは自分の愛し方です。誰に褒められてもどこまでも続く上と比べて自分ゴミだと逆に落ち込むような、そんな人間が何をすべきか。

本当に心の支えがない。

2019-05-13

夢を見た。高校時代と今と、なんだか変な土地が混ざった夢。あとカウンセラー。飴玉で歯が欠ける。テスト期間で部活がなかったから、吉野先生にイジられた。

2019-05-12

anond:20190512150214

バブル世代あたりのことでしょうか?

氷河期世代よりも余裕で給与水準高い世代なんだから、少しは蓄えがあるでしょう。

使っちゃったって言ったって、家や土地資産になるし。

新しい事始めるのに日本土地代が高すぎるんじゃないか

シャッター商店街でも借りようとすると家賃高いしさ。

広い場所必要だなーと思ったら雑草と石ころばかりであまり管理されてないところでも高いし。

普通に仕事して稼いだお金で何かしようとすると桁でたりないし。

anond:20190512023517

横だが、内廷費私有財産から出してなんてないぞ。話が逆だ。

国費で計上された内廷費が、皇族にわたされて、いわば皇族人達私有財産になる。まあ特殊公務員ともいえる皇族給料みたいなもん。

から、使い道が公的に追求されないって話。宮中祭祀も、皇室私的活動から、そこから費用だしてるはず。

余ったら少しずつ貯めて多少株式運用したりもしてるらしく、私有財産が無い訳じゃないらしいけど、内廷費が捻出できるような私有財産は持ってないよ。

家も土地国有だしな。

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-05-10

anond:20190510143257

かにそれはないですね。

うちの父親も叔母の旦那婿養子ではないため(祖母と同じ土地に住んでいるが)私の姓も父方のだ。

anond:20190510011642

ゴキブリが冬も出る程度の土地柄なので絶対無理

みぐるしいか玄関にいれとくと食い破られてうひー

2019-05-09

左翼右翼の種類

自由主義

政治面では「俺たちには自由に生きる権利があって国王貴族でさえそれを侵害できないぜ」という感じ。

民主主義とか共和主義フランス革命時における「左翼」。

経済面では「俺たちが自由商売すれば自然バランスが取れるんだから政府は余計な口出しすんな」という感じ。

資本主義とか市場主義

どちらにせよ、個人権利を重視して「国家権力は小さくあるべき」と考える。

社会自由主義」の台頭後は、区別のために「古典的自由主義」と呼ばれる。

社会自由主義リベラル

古典的自由主義のように市場に任せて野放しにしていると、

差別や不平等が拡大して却って個人自由制限されるから

政府が介入して是正していくべきだ、という感じ。

中道左派。いま日本で言われているところの「リベラル」。

新自由主義ネオリベ

社会自由主義反動から、一周して市場主義に戻ってきた感じ。

自由市場のために規制緩和をし、法人税を下げたり、国営企業民営化したりする。

リベラルとの対比で中道右派と見なされる。

社会主義

資本主義格差が激しくてついてけないからもっと平等を目指そうぜ、という感じ。

共産主義マルクス主義)と社会民主主義に大別される。

左翼

マルクス主義

資本主義の発展に伴い、土地工場などの生産手段私有する資本家が、

労働者をこき使って搾取するようになったので、それを打破して平等社会を目指す。

そのためには、労働者自身生産手段管理する体制プロレタリア独裁)を、

武力を用いてでも築くべきだ(暴力革命)、という感じ。

暴力革命志向するテロリストスターリン毛沢東のような独裁者を生み出す。

左翼テロリストとかまでいくと極左

社会民主主義

マルクス主義反省して、暴力革命プロレタリア独裁否定する。

民主主義を通じて政府に働きかけ、平和的に社会主義を達成しよう、という感じ。

中道左派北欧福祉国家など。

保守主義

何らかの急進的な政治運動に対して、それに反対する立場が「保守」と見なされる。

それぞれの政治体制歴史的経緯によって何が「保守」となるかは異なってくるが、

現在のところ、政治的には「国家主義」を、経済的には「新自由主義」を指すことが多い。

右翼

国家主義ナショナリズム

もとは自由主義と連動していて、

かに支配されたりするのではなく「俺たち」が主体的に行動すべきなんだ、という感じだったが、

国民国家が成立して「俺たち=国家」となると、

「おまえも俺たちと一緒だよな」と均質化を強要したり、

「おまえは俺たちと一緒じゃない」と排外主義になったりした。

「俺たち」を結びつけるものは「民族「家族」宗教」「伝統文化」などである

個人権利よりも国家利益が優先される」までいくと「全体主義ファシズム)」となる。

こうなると自由主義とは対極という感じ。

スターリン毛沢東全体主義者とみなされたりするが)基本的には右翼排外主義とかまでいくと極右

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