はてなキーワード: 土地とは
ググってこういうのも見つけたぞ。
https://www.rengo-ilec.or.jp/seminar/doshisha/2008/12th.pdf
年表っぽくするとこんな感じか。
牛肉と豚肉と鶏肉の違いがわからない人って今までどうしてた?っていう話よくあるじゃない。
さすがに牛の肉は分かりそうだけど、
はい!私です。
あのさ、
また落とし物拾っちゃって届けてきたんだけど、
もうこれは明らかに絶望的な観光客が落としたであろうと思われる
全国で使えるからいいけど、
落っことしたの多たぶん分関東の人かしら?
残高なんてチェックしないけど65565ゴールド入っててビビったわ。
でもちゃんと知らん顔して全部の権利を放棄して交番に届けたわよ。
情けは人のためならずって言うけど
親切にするとその人のためにならないから甘やかしちゃいそうだけど、
ちゃんと持ち主に戻るといいわね。
落とし物拾ったとき、
毎回思うんだけど、
すぐパッと拾って届けに行った方がいいのか?
落とした人が落としたことに気付いて戻ってくるに賭けた方がいいのか?
迷うのよ。
とても金券とかとなると微妙よね。
マフラーとかだとその場のお地蔵さんとかにそっと掛けてある場合があるけど、
ほんと迷うわ。
なんか突然急に突如食欲が爆発する事ってないかしら?
そこを我慢よ!
がまんがまん!
なんで赤しそのそういうのをゆかりって言うのかしらね?って思ったわ。
この時期珍しいホッツをふーふーして飲みました。
なんかさかき氷食べるときも癖でふーふーして食べる人っていない?
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
実態はさびれた地方都市だし人はまとまって住んでるからご近所がいる
大草原の小さな家みたいに200Mぐらい離れて家が建ってるところに住めれば家族以外は虫しかいない開放感あふれるいい土地なんだろうけど
自分から好きな人を捨ててまで選んだ土地で得たのは、メンタル壊して昼で働けなくてやった風俗歴とその客できた気持ち悪いストーカーと経年劣化で醜くなる容姿と鬱のような強迫性のようなよくわからん頭の病気
正直失敗だ この人生は失敗
新卒の会社だって自分が選んだのにろくなキャリアを積めずに辞めることになった
どうして周りの人みたいにまともに働けないんだろう
国家資格持ちなのに
今まで失敗の選択ばかりしてきたので次決まったところもそうなったらと思うともう自信が無い
もうやだ
横浜という都会的で魅力的な土地に慣れた人に鳥取県は向いてないと思う。
自然の景色さいこー澄んだ空気うめー田舎さいこーと思えるような本当に自然が好きなひとじゃないと
鬱になるぞ
生まれ育った市町村の方言やイントネーションがベースで、これはいまだに抜け切らなくある
高校は同じ県内だけど少し離れた別の市へ通っていて、そこではその市周辺の子が多かったからその土地のイントネーションや方言、言い回しがうつって全てではないけど定着した
大学で上京したら今度は全国あちこちの友達ができて、方言が残っている子のイントネーションがなんとなくうつった
余談だけど、保育園から一緒だった友達は同じく上京して早々に方言が抜けてギャルになった
前の仕事で香港に行くことがあって、商社のおばちゃんとカタコトの広東語で話していたら「発音がうまい」とほめられた。これもイントネーションがうつったのと近いのかな?と思う
今の仕事は大学の時と同じで各地の人と話す機会が多いから、またいろんな土地の方言やイントネーションがうつってしまっている
全部一時的なものではなくて蓄積されているので、普段からいろんなところの方言やイントネーションが出てしまう
上司の無理なスケジュール進行のせいで連休が潰れるのではヒヤヒヤしたが、なんとか旅立つ前日に休日出勤は終わった。
初めて訪れる土地、初めて食う名物、初めて関わる人たち。そのすべてが温かく、荒んだ東京での暮らしから癒してくれた。
あれは旅行最終日、フェリー乗り場近くでのこと。雨模様がずっと続いていたが、最終日だけでも晴れてよかった。今しがた出た喫茶店でコーヒーを飲みすぎたせいか突如尿意に襲われた。近くに公衆トイレがあったので小便器に用を足していると、屁も一発こきたくなってきた。どれ景気づけに「ブッ」といくか、と思い力むと
「 」
音がしなかった。代わりに残ったのは、ぬるりと何かが這い出てきた感覚だけ。
しまった——いや、噓だろう?
何かの間違いではと祈りつつ個室に入り、パンツを下ろしたが、現実は非情だ。チューブからパレットに出した絵の具のよう形状で、ブツが俺の下着を染めあげていた。
咄嗟にジーンズも確認する。黒のスキニーにはうっすら丸く濡れた跡が見えた。顔に近づけて鼻を鳴らしてみる。
不幸中の幸いであるのはこれが一人旅であること。当然待たせる相手もいないし、替えの下着や服はすべてバックパックに詰め込まれている。
クソ漏らしの達人たる増田諸氏には「なんだ、その程度で」と鼻で笑われるかもしれない。だがそれでも、つい開放感あふれる青空とどこまでも続くような大海に囲まれて清々しい空気を吸っていた5分前までの俺が、ゴキブリが今にも壁を走ってきそうな狭く汚い便所で自分のクソの始末をしている。
浮かれた気分を一瞬で茶色に塗りつぶされてしまったのだ。その絶望は、脱糞ビギナーの俺には耐えきれない。
ケツだのパンツだのを拭いている最中、俺は5年前に別れた彼女のことを思い出していた。偶然にも、その日の朝に彼女の夢を見たのだ。
ホテルで目が覚めたときは「令和の初夢がこれだなんて、未練がましい」と自嘲気味に笑っていたのだが、そんなセンチメンタルに酔う俺はとっくにどこかへ行ってしまった。
昔の女を引きずるよりも情けない、うんこ漏らしマンがここにいる。
久しぶりの旅行だったものだから持ち物リストをネットで調べていたのだが、あるページに「ビニール袋は何枚あっても便利!」と書かれていた。なるほどここまで想定されていたのかと感心しながら、俺はズボンとパンツをドンキのレジ袋に詰め、固く口を縛った。
ひと仕事終えたので扉を開け外に出る。太陽が眩しい。忌々しい気分だ。
トイレからフェリー乗り場に歩いていると、道端の立て看板に「合図を出そう」という交通標語が書いてあった。これを先に見ておけば肛門もあんな事故は起こさなかったのかもしれない。
近くに置いてあった燃えるゴミ箱にうんこパンツとお気に入りだったジーンズ、すなわち旅の恥をかき捨てる。今思えばファスナーやボタンを分けて出さなければならなかったかもしれない。
とても申し訳ない。あのときの俺は、そこに気をやれないほどに傷ついていたんだ。
喫煙所があったからタバコをふかそうと100円ライターを取り出したが、オイルも切れかかっていたため全然火がつかない。やっとついたと思えば、潮風に吹き消され、その繰り返しだ。
カチカチカチカチ何度も音をたてていると、情けなさが苛立ちを経て怒りに変わってきた。
どうしてこんな目に遭わなきゃならないんだ。
俺がいったい何をしたんだ。
もうこの土地に来ることはよそう。
きっと俺はここに来るたび「俺はここでうんこを漏らしたんだ」と悲哀に暮れる羽目になる。
あんなに楽しかったのに、たった一度の過ちのせいで辛い思い出しか残らない。
こっちも観光客なのに道を聞いてきて互いにカタコト英語で交流を試みながら一緒に地図を回し見たアジア人家族も、
オススメの地元グルメを聞いたら俺そっちのけで論争を始めた居酒屋の店主と常連のおっさんも、
予約の日付を間違えてホテルが取れず夜を明かしたバーでの酒の味も、
カチカチカチカチ。
「ありますよ」
60から70くらいの人の良さそうな爺さんが、俺を見かねたのかにこやかに話しかけてきた。
「風、強いですからねぇ」
「ええ、本当に」
会話はそれだけで、あとはふたりとも無言でタバコを吸っていた。人の優しさに触れて少しだけ落ち着くと、自分の思い違いに気付かされた。
被害者は脱糞した自分ではなく、勝手に脱糞されてその汚物を公共のゴミ箱に捨てられたこの土地ではないか。
——俺、ここでさっき、うんこを漏らしたんです。
結局言い出せないまま、彼はタバコを消して、近くで遊んでいた孫らしき子どもと手を繋いで行ってしまった。
言わなくてよかった。あの人の一日まで汚してしまうところだった。自分は余計なことまで口走ってしまいがちだ。
そういえば、彼女ともそれが原因だった。平成も終わったのだ、もう少し上手に生きよう。上の口だろうと下の口だろうと、滑らせて取り返しのつかない過ちを犯すのは、もうゴメンだ。
また来よう。
今度も、ビニール袋だけは忘れない。
いま彼女らのtweetがエモい。特に以下に合致するほどエモさが加速する(増田調べ)。
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・研究所や都会の本社で働くことを夢見て入社(総合職、正社員)
・知らない土地で頑張る自分を、自身で認めることで精神を保っている
・セクハラ、パワハラ、不具合への突発対応などに疲弊し転職検討中
・バリキャリやハイスペは幻想、自分とは違う世界線という価値観
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私はこれまで、外銀・外コンに勤める戦闘狂女性や、自身は大したことないのにハイスペ旦那を捕まえて"#年収2000万円の世界"などつぶやく女性を中心にフォローしてきた。
だが、なんというか、心が苦しかった。いろんな意味で"強い"彼女らの姿、私には少々刺激が強かったのかもしれない。
そんな時、ふと琴線に触れるtweetを目にしてbioを確認すると「僻地、工場勤務、メーカー、女子」の類の文字が。
気付いたら指が動いていた、フォローフォローフォロー。おすすめユーザーには似た属性がどんどん表示される、フォローフォローフォロー。
1854年4月、日米和親条約調印を終わったペリー提督は士官を伴って横浜周辺に上陸して、土地の視察を行いました。その際、初めて見る日本の女性について、彼等の興味深い印象を遠征記に書き記しているので、次に取りあげてみます。
穏やかに微笑してルビーのような唇が開いていたので、ひどく腐食された歯茎に生えている一列の黒い歯が見えた。日本の既婚婦人だけが、歯を染める特権をもっており、染めるにはおはぐろという鉄の粉と酒とを含んだ汚い成分の混合物を用いる。この混合物は、その成分から当然に推察されるように心地よい香りもないし、衛生的でもない。それは非常な腐食性のもので、それを歯につけるときには、歯茎や唇などの柔らかい組織を何かで覆う必要がある。さもなくば、ちょっとでも肉にふれると直ぐにただれて、紫色の斑点が出来てしまう。いくら注意しても、歯茎は腐って赤い色と活力を失う。
この習慣は、夫婦間の幸福を導くことがほとんど無いと考えるべきであろう。また、当然、求婚時代の夢中なときに接吻してしまわなければならないことも推測されるだろう。しかし、未来の花婿は往々にしてこの報酬さえ失ってしまう。なぜなら、ある若い婦人たちは、縁談を申し込まれたときに、このお歯黒をはじめることも珍しくないからである。
この厭うべき習慣は、他の習慣、即ち紅で唇を染めることで一層明らかになる。赤くした口は、黒い歯と著しい対照をなすからである。「べに」と呼ばれる日本の化粧品は、紅花でつくられ、陶器の盃に入れてある。薄く一塗りすると鮮やかな赤色となるが、厚く塗ると暗紫色となる。この暗紫色が一番いいとされている。
(町役人宅の)妻や妹は、外国人の前ではいつも膝をついたままであった。このような不体裁な恰好をしていても、女たちは自分達の働きを妨げられるようでもなかった。なぜなら、銀の徳利をもって、非常に敏速に走り回っていたからである。盃が小さいため、酒を注ぐことがたえず必要であった。二人の婦人はいつまでも慇懃(いんぎん)で、玩具の首振り人形のようにたえず頭を下げた。また、たえず賓客に微笑をもって挨拶していたが、微笑しない方がよかったと思う。唇を動かすたびに、嫌な黒い歯と色のあせた歯茎が見えたからである。
日本の社会には、他の東洋諸国民に勝る日本人の美徳を明らかに示している一つの特質がある。それは、女が伴侶と認められていて、単なる奴隷として待遇されてはいないことである。女の地位が、キリスト教教義の影響下にある諸国におけると同様な高さではないことは確かだが、日本の母、妻、娘は、中国の女のように家畜でも家内奴隷でもなく、トルコのハーレムにおける女のように浮気な淫楽のために買い入れられたものでもない。一夫多妻制が存在しないという事実は、日本があらゆる東洋諸国民のうちで、最も道徳的であり、洗練されている国民であるという勝れた特性を現す著しい特徴である。この恥ずべき習慣がないことは、単に婦人の優れた性質のうちに現れているばかりでなく、家庭内の道徳が大いに一般化しているという当然の結果の中にも現れている。
既婚女性が常に厭わしい歯黒をしていることを除けば、日本女性の容姿は悪くない。若い娘はよい姿をして、どちらかといえば美しく、立ち振る舞いは大いに活発であり、自主的である。それは、彼女たちが比較的高い尊敬を受けているために生ずる品位の自覚から来るものである。日常相互の友人同士、家族同士の交際には、女性も加わるのであって、相互の訪問、茶会は、合衆国におけると同じように日本でも盛んに行われている。
提督とその一行の面前に平伏した女たちのとった態度は、彼女たちが隷属的であるという証拠ではなく、むしろ外国人に対する尊敬のしるしと考えるべきだろう。日本の大きな町々や都会には、大いに淫楽が行われているものと当然想像される、なぜならばこのようなことは、不幸にも、すべての大都会における普遍的な法則だからである。しかし、日本女性の名誉のために言わなければならないことは、艦隊が江戸湾にある間、時々、種々の海員たちと女性たちが交渉を持ったときにも、普通の放逸淫蕩なようすが少しもなかったのである。
みんな旅行とか行ったのかな。
積ん読してた本が2、3冊消費されたところでたまらなくなってエッセイ紛いのものが出来上がったので、どこに書くにも場所がないのでこちらに。
運良く窓際の席を取れたが、ゴールデンウィーク、しかも異例の10連休である故か通路には立っている人が端から端まで広がっている。自由席だからなのだろうが。
当日に特急券を購入するという考えが甘かったと悟ったのははるばる新潟駅に到着したその時である。慌てて自由席のチケットを購入し、1時間も前からホームに並んで電車が到着するのを今か今かと待っていた甲斐があり、無事に窓際で座り込んで駅弁を食べる贅沢をする権利を得た。
窓の外には平野の田園風景が広がっている。その遥か向こうにそびえる奥羽山脈の頂には、5月にもなろうかというのに相変わらず雪が降り積もり白く輝いていた。
奥羽山脈は手前の山に阻まれ隠れ、そしてまた姿を見せる。手前の山には仄かに淡い白さが点在している。どうやらあれは山桜のようだ。
そう、窓際の席とは山側なのだった。
初夏の日本海の底知れぬ青黒い美しさはえもいわれぬ郷愁が湧くが、遠く高くそびえる山脈の頂上の銀色もまたノスタルジーである。
列車が北に向かえば線路は海に近くなっていき、奥羽山脈は遠く離れて行く。その遥か向こうに見える頂に銀色が輝いていればいるほど、胸の奥が詰まってたまらない心持ちにさせられるのだ。あの山の上から下に降りてくればきっと緑が増えるのだろうが、初夏になろうとしている時季に尚白く輝く凛とした佇まいが胸を打つ。これを横目に眺めながら移動するとはなんとも美しい初夏の電車の旅である。
新潟らしく広く大きな田んぼの中ではトラクターが動いている。ちらほらと水が張られた田んぼも見られ、秋になればここ一帯は美しい金色の広がる風景が見られるに違いない。
さて、新潟平野の自然の豊かさ美しさは想像するに難くない。今回は駅弁をただただ食べている1人の女の話である。
そもそもの旅の出発点は京都なのだが、本日の始まりは富山からだった。富山発、始発の電車に揺られて向かったのは直江津である。つまりは日本海側を延々と北上していくのが今回の旅の目的なのだ。というか、それだけである。日本海側を北上して秋田に向かうのを目的とした旅だった。どこに書くにも宛がないし、需要もなにもあったものでないからこうしてつらつら散文を書き連ねている。
富山駅前に24時間経営または早朝から開いているお寿司屋さんなんかがあればおそらく私はそこに直行しお寿司を朝からとはいえお腹いっぱいいただいていたと思う。しかし富山駅前には何もない。朝5時から、もしくは6時から…更に粘って7時なんかにも開いている店、更にいうならば寿司屋なんて存在しない。7時台から開くのはチェーン店かモーニングをやっている喫茶店か何かだけである。そして元気に営業していたのは24時間営業の吉野家のみであった。
その時点で私は富山で味わう海の幸の幻想を頭の中から叩き出した。白えびの軍艦に唐揚げ、新鮮な蛍烏賊の踊り食いや辛子味噌和え、ずわいがにや幻魚、その他内陸では食べられないお魚などなどである。食べたかった。
しかしそうも言っていられない。猶予はあまり無いのだ。今日中に秋田のその先まで着かなくてはならない。家族と合流する予定がある。そのためにただ日本海を傍目に北上しているのだ。
あいの風とやま鉄道に揺られて泊駅に着けば、1時間近くの待機時間の後に直江津行きが発車する。その頃には7時も回っており、ワンマン運行の1両のみの車内には案外人がいた。
さて直江津に着くまでに私がしていたことといえば、ただ海を眺めることだった。
日本海は海が近い。個人的な感覚だがみんなそう思うのだろうか。太平洋側の事はあまり詳しく無いが、日本海の海は近く深くあるような気がする。その黒く光る朝の海の美しさと言ったら!まるで海の表面にも溢れそうに青魚の群れが泳いでいるかのように、白く立った波が時々日光を浴びて生き物のように揺れている。青さの深い、銀と灰色と藍と黒が混ざったような深い深い海色は、海から随分と離れた所に行ってしまった私の目にも優しく映った。遠く沖には白い漁船が横切って行った。すわ喘ぎそうになる郷愁を感じる。胸の奥に響いて打ち震えるかのような懐かしさと海への憧れが込み上がっては目の奥がじいんと熱くなった。
電車の揺れが心地よくてどうやら眠っていたらしい。これは最近しばらく満足に寝られていないせいだろう。気がついたら直江津駅に着いていて、次の電車が出るまであと1時間の間があった。
大正時代の立ち売り衣装に身を包んだおじさまがいるということをきちんと事前に調べておいた。スマホでなんでも調べられるとは便利な世の中になったものだ。
到着するのが9時前でなくお昼時だったなら今度こそ寿司を食べに行っていたが、時間がないのでそうも言っていられない。
電車好きの皆々様が声高らかに宣言するように、私ももれなくそうだと頷くことにしている。車窓から見える景色も楽しいものだが、そこにご当地の駅弁が加われば怖いもの無しであるし何よりお腹いっぱいになって幸せになる。
朝ご飯代わりに駅弁を購入する事を楽しみに直江津駅に降り立った。
改札口に向かうと、出る直前の部分にこじんまりとしたささやかな売り場がある。まあ何がどうなっているかは気になった人が各自で調べればいいので詳しくは書かない。
しばらく待ってもおじさまが来ないのでどうしようとウンウン首をひねっていたら、親切な黄色ジャンパーの方が声をかけてくれる。同じ会社の人のようで連絡を取ってくれた。すぐに戻ってくるそうだ。どうやら弁当が残り少なくなってきたから補充をしに行っていたらしい。
いただいたのは鱈づくし弁当である。しかし、戻ってきた駅弁売りのおじさまが持ってきた物の中にさらに目を惹く物が存在した。上越名物(?)スルメの天ぷらだった。本当にこれが名物なのかもわからないがとにかく美味しそうなので購入してしまった。繰り返すようだが朝9時前である。少しというか結構重たいラインナップなんじゃないか?との一抹の不安と、大人になった事によって気になったものをパッと買える喜びで押し挟まれながらわくわくと胸を躍らせた。
味や中身の紹介は調べればいくらでも出てくるので割愛するが、鱈づくしの弁当は珍しいものだし鱈子も入っていて味も良い。スイスイ食べれてしまう。しかもスルメの天ぷら、これが1番の食わせ者だった。とにかく美味しい。お酒飲みたい。これを文字通り酒の肴にすればいくらでも日本酒が進むこと間違いない。移動距離が長いため朝の脳内では流石に自重してしまったのだが、どうせ移動中に転寝するならお酒を嗜むのを選択するのが大人の行動だったと今になって反省している。今度こそは間違わず躊躇わずに酒を購入する事をここに誓います。
流れる景色を眺めながら食べる駅弁の味わいの乙な事と言ったら!と満足ながらもやっぱり少し重たかった。行儀が悪いのは重々承知で半分残し、今度はお昼ご飯にするためにとっておいた。
今が秋ならば目の前一面に稲穂の海が広がっているだろう。田園風景の美しさとは未来が楽しみなことにもあるかもしれない。
点在する民家の遥か向こうに山々がそびえている。その更に向こうに相変わらず悠然と存在する白い山脈の頂きを眺めながら駅弁の蓋を開けるこの瞬間の静かな興奮である。
美しい景色を眺めながら、その土地の食べ物をいただき、更に移動までさせてくれる。電車の旅でなければ味わえない幸福な感覚に1人で酔いしれながら最後まで食べきったが、終わってしまうのも少し物哀しい。
ここが機内食やなんかと違う所なのである。駅弁は去り際に満足感と一緒に微かな残り香を置いていく。決して美味しい匂いが残るわけではない。なんだか少し物足りないような、それでいて胸がいっぱいになるような、この土地に少し近づけたような、微かな証を残していく。
反対の窓の向こうには日本海が近づいてきていた。人と人の隙間からちらちらと光る海が見える。
ネトウヨネトウヨ呼ばれ続けて、自分でもネトウヨだと思ってきたが、
何か最近、本当にネトウヨなのかどうなのか判らなくなって来たんで、ジャッジしてほしい。
・支持政党について:なし。ただ、記録の隠蔽・改ざんは、国民から判断基準を奪う行為で看過できないので、次は自民以外(多分、立憲民主)に入れる。もし自民党が2つの党に分裂したら、多分迷う。
・経済政策について:わからない。しかし、上がり続ける消費税と、遠ざかり続ける年金受給年齢と、負け続ける日本企業と、増え続ける国債残高と、全く示されない将来像を見るに、まともな経済政策が行われているとは思えない。政権ガチャを引きたい。
・原発について:反対。コスパとか技術力とかでなく、とにかく管理してる組織が全く信用できないし、事故は起こるもの、という認識なので。即時でなくても速やかに全廃に向けてロードマップを開示して確実に進めるべき。事故を問題なく処理する技術ができたなら、賛成に回ると思う。
・普天間基地の辺野古移転について:賛成。本来、普天間の街は米軍基地の周りに後から作った物なので、米軍に移れと言うのは筋が通らないが、街を移設する事ができないので仕方ない。本土移転については、米軍がそれでいいなら、その方がいい。
・移民政策について:反対。難民を人道的見地から受け入れるのならともかく、労働力不足解消のために受け入れるというのは、明らかに「対等な立場の国民を受け入れる」姿勢ではなく、将来に渡って酷い害を発生させるだろうと思うので。
・天皇制について:廃止すべき。皇族への人権侵害が酷すぎるし、「国民の審判や掣肘を受ける事が無い権力者」がトップにいるのは民主国家とは言えないと思う。
・女系天皇について:上の項目により、無い方が良い。但し、天皇制が存続するなら女系だろうが男系だろうが同じなので、そこに拘る事はない。
・慰安婦問題について:絶対解決しないので、後は放置しとく方向で。
・自衛隊について:軍なので、軍と呼ぶべき。憲法9条は国防目的の軍事力行使を認める方向で改憲するべき。現状追認が良いとは思わないが、実態と原則(憲法)の違いが大き過ぎて詐欺になってるし、原則の方には合わせられないと判断している。
・大きな政府か小さな政府かについて:小さな政府を目指すべき。年金とか国債とかの運用を見るに、大きな政府をやり切るだけの体制はない。
・親米か親中かについて:親米。たとえ米国のやり口にどれだけ不満があろうと、国民が政府を掣肘できるという一点のみで、米国の方が遥かにマシ。
・韓国について:恨みつらみがあるので仲良くできるとは思わんが、米中対立や対北朝鮮については概ね同陣営である事に留意し、ビジネスライクに付き合うべき。
・LGBTについて:恋愛は自由。ただし子供作らない人たちが結婚したがるのは、たとえ異性間だろうと図々しいと思う。ただでさえ一人暮らしより同棲二人暮らしの方が経済的に楽なのに、この上税制優遇を受けさせるべきではない。
・女性の社会進出について:進出は積極的にすれば良いと思う。医学部問題のような差別的扱いは話にならないが、アファーマティブアクションについては個々人の努力を蔑ろにするものと考えており、現状においては導入するべきではないと考えている。
もし女性側に強い問題意識があるなら、女性有権者が女性議員をガンガン当選させているはずなので、大多数の女性は大して問題意識を持ってないのではないかと薄っすら考えている。
保育園については、いっそ小学校と同様に全員入所くらいで良いと思う。
・第二次大戦について:侵略なんて大抵の国でやってるし、およそ戦時中ならば虐殺もレイプもどこの国でもやってると認識している。戦争をするべきだったとは思わないが、際立って悪かったとも思わない。普通の戦争と普通の軍隊だったと認識してる。無能だったとは思うが、無能もまた日本だけの話じゃない。
・原爆について:威力が大きい爆弾という以上の意味はない。原爆で死ぬのも焼夷弾で死ぬのも同じ。核軍縮に倫理的な側面はなく、単に「相手に使われるとやばいから減らしたい」以上の意味はないと判断している。
・捕鯨について:他を獲ってるのに鯨だけ取らないのは生態系のバランス上望ましくないと考えている。もしその問題がないなら、バランスが崩れない程度に獲って食う分には文句言われる筋合いはないと考える。鯨は家畜よりは幸せな一生であろう。
・就職氷河期の中年無職について:バイトでもしろ。定年過ぎた老人でもバイトする時代だぞ。他の世代よりは楽じゃないかもしれないが、衣食住と読み書きそろばんと健康な身体があるなら、全然詰んでないだろ。
・政治活動について:ネット上でコメント書いたり、家族友人とブーブー言う以上の事はしない。
ズラズラ書いてきて思うに、ネトウヨというのは、「全体としてネトウヨか」というより、
数多ある問題についてどれか一つでも該当したらネトウヨと呼ばれるものなのかもしれんな。
追記:
ただこんな質問する以上、主張の理由くらい書いとかなきゃ何が何だか判断のしようもないでしょう。
そうだろうなーとは思うが、そこは気にしない事にしている。
確証バイアスについては自覚しづらいから何とも言えんけど、そういう事もあるだろうね。
とはいえ自分で全てを経験して考えるなんてできないんだから、せいぜい聞いた話から自分の経験に照らして比較的信用できそうな話をピン止めする程度の事しかできませんよ。
あまり時間をかけてないので、個人ブログを複数読んである程度信用できそうな記述を選んだだけなのは容赦願いたい。
なお、検索キーワードは「普天間 歴史」や「普天間 どっちが先」等。
・普天間の場所には、戦前は集落があった(サイズについては主張が別れており、「田んぼがある程度で町は無かった」説から、「1万人位住んできた」説まであるので、概ね100人~10000人の間と思われる)
・戦時中は、疎開や日本軍による作戦等により、無人化した。(その場所には、まず日本軍が飛行場を作ろうとした、という主張するブログもあった。真偽不明。)
・戦後、元の住人は捕虜として隔離されており、その間に米軍が基地と飛行場を建設した。
・元の住人が解放された。(ここで、行く場所のない元の住人たちは基地の周りに住むことを余儀なくされた、と主張するブログもあった。真偽不明。)
・米軍は基地の規模を拡大するために、周りの土地を接収し、そこの住人を追い出した。(真偽不明。これを「銃剣とブルドーザー」と呼んでいるブログが複数あり)
・米軍基地の周りには、基地の仕事や経済をあてにした街が形成された。(これについては、航空写真によりほぼ間違いないと思われる)
・米軍は交渉を通じて何度かに分けて基地を縮小・土地を返還しており、そのたびに返還された土地には街が形成され、今のように街に囲まれた基地が作られた。(本来、安全を確保するために山林のままにしておくべきだった土地が街になってしまったため、大変危険な基地になった)
※これ以降については、色々な主張が入り乱れていて全く真偽不明。
・基地の形成に際して(人が死なない程度ではあるが)強引且つ悲劇的な方法が取られた。
・基地の周囲に街が作られたのは、元住んでいた数千人を除き、ほぼ自己都合によるもの。
・基地が危なくなったのは、安全についての見境なく周囲に街を作ったため。
1:「普天間の土地を返還せよ」というのは、元住んでいた数千人及びその子孫に限り正当な主張であると言える。
ただし、先祖伝来の土地である可能性を考慮しても、既に土地が基地となって久しく、その場所が元々は彼らの物であった事を除いては主張するべき権利がほとんどないため、金銭による補償を以って解決する事は不当とは言えない。
2:移転が必要となった原因である「基地と街が近すぎる」については、ほぼ自己都合で移り住んで来た人達であるため、その責任は住人自身にある。米軍の責任は「危ないから街を作ってはいけない地域」を設けなかった事に限定される。
従って、「土地を返せ」というのは正当な主張だが、「危ないから他へ移れ」というのは止むを得ない部分はあるにせよ大部分の責任が住人側及び行政にある。
こういっちゃなんだけど、世の中、沖縄より重要な問題なんて沢山あるし。
っつーか、id:hagakuress氏もそうだったけど、
自分の見解も書かずに「勉強しろ」と主張するのは余り感心しないね。
あんた、自分の満足する回答が出てくるまで相手を不勉強扱いする気じゃない?
議論なら応じるにやぶさかでないが、教育に付き合う気はないよ。
とはいえ、それはネトウヨであるかどうかとは関係しない点だと思う。
えー。
これまでの皆さんのトラバ及びブコメを拝見させていただきました結果、
多くの気づき及び啓発を得られましたが、
あえて焦点を「俺はネトウヨなのか?」に限定して結論を出しますと、
「ほぼほぼ右派である事については意見の一致を見るものの、観測者によってネトウヨであったりなかったりするシュレディンガーのネトウヨである」という結果となりました。
同時に、ネトウヨの定義とは人によって様々なのだなあと思った次第です。