はてなキーワード: カフェイン中毒とは
頭。偏頭痛になる頻度が増える。天気の悪い日や寒い日に確率が上がる。コーヒーを飲まなくても確率が上がる。カフェイン中毒か?
目。集中して1時間も画面を見ていると、目の奥が痛む。ツボやこめかみをマッサージしたり、遠くをみて目を休めながら、生産性の低下を噛みしめる。
睡眠。前の日に少しでも夜更かしすると、翌日の集中力が目に見えて下がる。あと寝る直前までディスプレイを見ると、明らかに入眠が遅くなり、睡眠の質が下がる。若い頃は徹夜も余裕だったし、限界まで作業してそのままベッドに倒れ込んで一瞬で寝てたが。
家族との時間。朝ごはんも夜ご飯もきちんとパートナーや子供と食卓囲んで、団らんしてコミュニケーションとって。育児・家事やってると数時間がすぐ溶ける。
この間の休日は子供たちをチームラボに連れてったよ。合間にスマホでツイッター見てたら若いエンジニア達、Rust難しいわ笑ってつぶやきながらガリガリ実装してるみたいだった もう、そういう生活には戻れそうにない。
なるほど、定年とはこういうことかって気づいた40歳のある日だった。
今日のオレの気分は、出前のカツ丼の衣のようにグジュグジュだったのだ。どうしてグジュグジュな気分になったかというと、説明は長くなる。時計の針は昨夜の寝る前に飲んだビールの缶を開けるときまで戻さなくてはいけない。
午後に喫茶店での打ち合わせが重なったオレは、3件の打ち合わせで合計5杯のアイスコーヒーを胃の中にぶちこんだのだった。普段からカフェイン中毒になりかかっているオレにしてみれば、そーゆー量のアイスコーヒーのカフェインにジューブンな耐性ができているという自負があったのだが、明日の出勤に備えて床につこうと思ったときには、まぶたを閉じてもオレは寝るんだかんねという強い意志に反して、まぶたは大きく開き続け、目ン玉を通じて体外の情報をオレの頭の中へぶち込み続けようとするのであった。
玄関を抜け、リビングルームのドアを開けると食後のコーヒーをすすっていたワイフが僕に言った。
「目がフクロウのように大きく開いているわ」
今日の昼間の僕の行動を見透かすかのように、今の僕の姿を的確に形容したのだった。
「やれやれ」
これでは、冷製パンプキンスープに浸したバンケットのような僕の気持ちをオープンにすることははばかられた。
死を目の前にするとコーヒーの1杯や2杯余計に飲んだことなど、砂浜の一粒の砂のごとく、些細なこととなる。
平壌から38度線を越えて、着の身着のままで逃げてきたときは、寝るに寝れなかった。コーヒーのカフェインに頼らずとも、夜中になっても目は大きく開き、黒い瞳がまん丸く輝いていた。輝ていたというのは正確ではないかもしれない。獲物として捕食されそうな動物が最後の輝きを放っていたのに近い。ちょっとした運命のいたずらで、絶えてしまう命は、最後の神判を待ちつつも生きたいという方向に傾いていたのだ。
エヌ氏はコーヒーから摂取したカフェインの量が、医師からの警告値を超えているにもかかわらず仕事のためにアイスコーヒーを飲み続けた。午後の打ち合わせ中は、特に体調に変化はなかった。エヌ氏が体調の変化に気づいたのは、日付が次の日に変わろうとしていたときだった。
「おーい、ひつじさん!はじめるよ」
エヌ氏は、大人になってから初めて、羊を数えて睡魔を呼び起こそうとしていた。エヌ氏が大人のプライドを捨て、必死に羊を数えていくのだが、途中の数字が素数だの2の何乗になるのかが気になって、羊のカウントが滞ってしまうのだった。単純に1ずつカウントが増えていけばいいだけの話なのだが、数学に精通したエヌ氏にとって、それぞれの数字には、素因数分解ができるとか2と3と6のどれでも割りやすいとか数字にキャラクターがあるのだった。