はてなキーワード: カルフとは
J.K.ローリングが探偵小説シリーズの新作『Troubled Blood』で、事件の犯人のキャラクターとして「女性を殺害するために女装をして犯罪を繰り返すシスジェンダー(異性愛者)の男性連続殺人犯」を登場させたことが話題になり、
「#RIPJKRowling(J.K.ローリングよ安らかに眠れ」)」というハッシュタグがツイッターでトレンド入りしたらしい。
J.K.ローリングは以前からTERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)として批判されていて、今回の件があったわけだが、
これ受けて女性やフェミニストの人達はどう思っているのだろうか?
私はその小説を読んでいないのでニュースの情報しか手がかりは無いが、「これでアウトなの?」と思った人も居るのでは?
件のニュースのブコメでも見たが、性別を誤認させるトリックはよくある。ネタバレになるので言えないが、かの叙述トリックの金字塔や、確か金田一少年の事件簿にもそんなエピソードがあったはずだ(便座の蓋を上げてた事で男だと見破られた、とかだった筈)
そういうものを書く自由もないのか、普段TERFとして批判されているから?しかも「RIP」だなんて、菊の花を置いて暗に「死ね」と言ういじめのようじゃないか。
そう思う人も居るのではないだろうか?
私は表現の自由戦士として、当然J.K.ローリング氏の表現の自由を支持する。
そしてツイッター上での運動は彼女の表現の自由を侵害する不当な運動だと思う。
ならば、これを機に表現の自由戦士と(一部の)女性、フェミニストは手に手を取り合えるのではないか?
一部、表現の自由よりもTERF叩き女性叩きを優先させてしまっている表現の自由戦士たちが居るのは残念な事だが、
もし女性やフェミニスト達と和解できるなら考えを改める者も出てくるかもしれない。なにしろ、私達は実の所、あなた達が怖いのだ。
どう怖いか、それはあなた達が今感じている恐怖と非常に似ている。「こんな事もアウトなのか」「これも差別だと言われるのか」「差別だと思われたらこんな仕打ちも正当化されるのか」「あれも批判されるかもしれない」「これからもっと厳しい基準で批判されるかもしれない」
その恐怖の中で、表現は委縮せざるを得ない。J.K.ローリング氏もこれからの執筆活動に支障を来すかも知れない。
そういう事は不当だ。表現の自由は守られなければならない。「ツイッター上の運動は一般人の行いだから、表現の自由の侵害には当たらない」なんて、彼女が実際に陥っている危機を無視している。
そう、思う人も居るのではないか、なら、
他に吐き出すところがないのでここに書く。
私は多分、肩書き的にはエリートに分類される女だと思う。都内の中高一貫女子校からストレートでいい大学を出て、いい企業で働く若い女だ(こういうこと書くと、この掲示板では「うんち」って言われるのもなんとなく知ってる)。
そして私は多分、ミサンドリストだと思う。女子校から半ば男子校みたいな大学に入って、すっかり男性が嫌いになってしまった。容姿やメイク、服装に口を出されるのが本当に嫌(お前らは襟ダルンダルンのクソダサ英字Tシャツ着てるのに、どうして同じ学歴でも女はコンサバ系のお洒落じゃなきゃいけないと思ってるの?)。勝手に「ヤレる/ヤレない」でランク付けられたのが嫌(こっちから願い下げ)。生理痛が重い人間なのだが、それを理由にサークルを休んだらセクハラと嫌味を言われたのも嫌(男子も男女別学出身者が多いからだと思うけど、とにかく女の体について無神経)。
サークルでも、渉外先のおじさんに散々体触られて家に帰ってからわんわん泣いた。やめて欲しいというメールを送ったら次から電話を無視されるようになった。
就活も地獄。うちの大学から行くのが現実的な企業は、管理職のほぼ100%が男性だ。ある大手広告代理店のインターンは、講師役のお偉いさんはみーんなおじさんだった。
女性にはキャリアの断絶があり、それは出産だけではない。同じような経歴の男性の多くは育児を手伝ってくれない。というかそれこそ学歴や職歴が下でも手伝ってくれない。そのせいで女性は男性より出世できない。結婚orキャリアの世界だ。女子校時代に教えて貰えなかったこ情報が一気に入ってきて、私は一時期躁鬱の薬を飲んでいた。
そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのが、ヒプノシスマイクの中王区だった。
ヒプノシスマイクはガバガバ女尊男卑の世界線を描いた女性オタク向け音楽ジャンルだ。言の葉党というラディカルフェミニスト政党を中心に、女性が実権支配している中王区には壁が築かれ、男たちは重税をかけられながら壁の外で暮らす。中王区に住む女たちの娯楽として、メインキャラクターである選ばれし男たちがラップバトルをする、というストーリーだ。
現状の男尊女卑のミラーリングになっているかというと、全くそんなことはない。女オタクはなんやかんやで地位の高い男性キャラが大好きなので、メインキャラクターたちもかなりいい職に就いてる人間が多い。医師、弁護士、キャリア警官、教師、売れっ子漫才師……ドラマパートでも、彼らが女性に虐げられるシーンはない。モブ女性は柔らかい声で彼らを「先生」と呼ぶ。
恐らく、女尊男卑の制度が出来て日が浅い世界線なのだと思う。既に公式から出されている情報と合わせてみても、ベースは現代と一緒。現世に嫌気が指した言の葉党員たちが革命を起こし、戦争を経て、勝ち取った社会の潮流を無理矢理変えるべく「男性にだけ重税をかける」という方法に出たのだと思う。
いや、それが悪いことはわかる。私はミサンドリストだけど、実際に男性に重税に苦しんで欲しいわけじゃないし、どうせなら両方が楽になる道を模索したい。だからやっぱり言の葉党がやろうとしていることはラディカル過ぎる。彼女たちが完成させようとしているのはポリティカル・コレクトネスではなく男性への復讐だ。
でも、せめて、フィクションの中くらいは、不満を持った女性たちに好きにさせてはくれまいか。
物語の進行構造上、これから男性キャラクターたちが言の葉党を打倒することになるだろう。「平等を掲げた男たちが女たちを打倒する」ストーリーだ。でもそれで勝ち得た社会は、本当に平等な社会なのか?絶対に元の木阿弥、男尊女卑に逆戻りだと思う。
嫌だ、言の葉党が負けるのが怖い。このまま「女性しかいない国」を保って欲しい。フィクションの中だけでいいから私に逃げ場を残しておいて欲しい。
これが中王区のMVだ。最高。男に媚びない強い女最高。
彼女たちはここまでのし上がるのに、どんな努力をしてきたんだろう。一応血反吐を吐くような試験勉強や就活を経てきたキャリア女性である私は、勝手に共感して苦しくなる。
「男のためではなく、自分のために」露出度の高い格好をしているキャラクターに心の底から共感する。MVが出てから余計に中王区が好きになった。
助けてくれ。怖い。中王区が倒されるのが怖い。せめて彼女たちが国外逃亡して、その先で男尊女卑に怯えず幸せに暮らしてくれないかなと願う。
最初は女性を庇護する強い男になるべく成長し、それはフェミニズムではないと知り、女性を尊重するべきと考えなおし、自分のできる範囲でちゃんとフェミニズムを勉強し、ラジカルフェミニズムは女性のためにはならないと考えリベラルフェミニズムで行った方が良いなという思想を持ち、いろいろ長い間勉強したり調べたりして、最近のツイフェミなどに接した結果、
正しくアンチフェミ、というよりアンチラジカルフェミニズムとかアンチ宗教保守主義とかになろうとしていたんですけど
もうそういう正しいアンチフェミとか、正しいルールの中で競い合い高めあう言論とか、そういうのやめました。
これからは女性憎悪主義者になります。守るのは法律だけにします。理屈とか高めあうとか正しさとかやめます。私にあるのは女性憎悪ということにします。
あーすっきりした。あっちが何もルール守ってないというか法律も気にしてない、脅迫とか誣告とか名誉棄損とか侮辱とか知ってんのかって動きをするので、なんで私が正しい手法で対応しなくちゃいけないんだって思うよ。
「死ね」って言われたら「そういうことをおいいでないよ」って諭すひとはえらい。すごい。えらいけどしんどい。もう私はできない。ごめんねもう君たちの仲間じゃない。君たちはこれからも頑張って。
「死ね」って言われたら「皆さん!こいつは死ねって言いました!」ってひとのうわさの75日過ぎても言い続けるし、また別の人のふりをして「お前が死ねや」っていいつづけます。
私の女性憎悪って明らかに「理不尽な言動を叩きつけてくる母」から来てることに気づいてしまったんでね。まるで母みたいなことをする奴はみんな敵でみんな憎悪の対象よ。一見理不尽に思えるかもしれないけど、お前らの言動が悪いのよ。
ツイッターでフェミニスト達の活動を見てた人は分かると思うけど、大部分のフェミニストは緊急避妊薬の市販化に否定的どころか批判的だったんだよ
「市販化なんかしたら男がコンドームを付けずに女性に緊急避妊薬を飲ませようとする!」って感じでね(まさに「性教育の不足」による「悪用」を危惧していた訳だ)
一部緊急避妊薬の市販化を進めようとするリベラルフェミニストはいたけど、大部分を占めるラディカルフェミニストからは名誉男性とかミソジニストに媚びてるとかアンチフェミとか散々な言われ様だった
それが、今は何?市販化を進めるべき、どころか、今まで進んで無かったのは男性側のせいってことになって、緊急避妊薬の市販化が認められない現在の日本は女性にとって地獄だ、ってどの口が言ってんの?
まぁ、もう殆ど分かったけどね、そうだね、フェミニストは、女性は、絶対に間違わないし絶対に正しいわ
そりゃこんな事してたらそうなるわ、フェミニストや女性の間違いを指摘する方法なんかこの世には一つも存在しない、自分達の間違いも全部「男のせい」に出来て、自分達はその間違いを指摘する側だった、って事に出来るんだから
良かったですね
ここ最近、日本の脱コル(韓国の脱コル運動についてはよくわからないため、ここでは日本に限定した)への違和感が最近高まってきているので、ここで整理する。
声を大にして言いたいが、このエントリを書くのは誰のためでも何の妨害でもなく、私のため、私の思索のためである。
1. 「男性化」ではないという主張
脱コルを推進する人達の一人称は「俺」。短髪にメンズもののファッション。しかし彼女達はこれは男性化ではなく、機能的な格好・他者に媚びない表現方法を選んだだけであると主張する。しかし、ラディカルフェミニズムの文脈における「女性性の徹底的な無力化と破壊」は自明に「男性性の入手と強化する」と同義ではないのか?なぜなら女性ではない男性、男性ではない女性、と二項対立で論じてきたのがラディフェミだからだ。違うとすれば、女性性を破壊した後には何が残るのか?性のないニュートラルな自分?
脱コル漫画を最近いくつか目にする。韓国で脱コルに取り組んでいる人達が書いた漫画の日本語訳である。
これには少々ずっこけた。
モテて、周りの男性達から綺麗、可愛いと称される子なんてごく少数。女子の大半はフツーである(当たり前すぎる話だ)。女性の美しさは男性から消費されるだけだ、要らない、美しくなくていい、美しさを追い求めることは男の奴隷となることなのだ、というラディカルな主張のわりにヒロインはモテる可愛い子、というおきまりの設定にハテナが浮かぶ。「走っていく女性」が1番反響を呼んだ漫画だと思うが、そこでは1人の可愛いモテそうな女の子がメシアの如く女性達を導き闘う。女性を導くリーダー的存在として、女性のうち少数しかいない可愛い子を設定していることは、脱コル漫画として自己矛盾を起こしている。漫画の内容としては「美しくなくていい女性」を追い求めているのに、作者も読者も、ヒロインをつとめるのは可愛いくて美しい女性が普通である、というお決まりの価値観から抜け出せていない。可愛くなく美しくない女性が大半なのに。可愛い子じゃないと、美しくないと画がもたないから?説得力がないから?だとしたら「全ての女性は美しくなくていい」はどこまで説得力があるのか。「不細工」と自称する女性の脱コル漫画もあることは知っているが、あくまでも体験記。ドラマティックな展開の脱コル漫画を2本ほど読んだがどちらも可愛いモテる女子だった。うーん…
脱コルについてもう少し考えていきたい。
増田のテーマが深く、ブコメ100文字では返答しきれないと思ったのでこちらに書く
基本的に自分の意見を垂れ流すのだが、増田の苦悩を解消する一助になれば幸いだ。
まず一見して気になった部分がここ
「人をカテゴリで捉えるな」というコメントも多かった。それから、「リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ」という文章を書いてくれた増田もあった。
正しいとは思う。ただ、実際に遣るとなると、難しい、というか、無理な気がしている。
社会問題を考える上でよく知らない人間について考える必要があるのはわかる。
ただ、それは情報の質と量にどうしても限界があるからそうなってるんであって、
人をカテゴリで捉えることは偏見・差別に繋がるためあるべき姿ではない
例えば入れ墨入れてる人間を銭湯に入れないのは入れ墨がヤクザのマークなので安心して入浴できないからだがこれは差別だ
しかし普段の生活でそこまで吟味する時間もないので、あるべき姿ではないものの一律風呂出入り禁止にしてる
これが「入れ墨の人」ではなく「俺の良く知ってる山田」が「俺と山田以外いない野湯」に入るなら問題ないはずだ
こういう高い解像度の情報が手に入る状況で人をカテゴリで捉えるのはよくない
そういう前提の中で増田は社会問題を前に自分を内省しているわけだが、増田自身については増田が一番解像度が高いのに
なぜか増田は「男」「リベラル」「ミソジニー」など見知らぬ他人を探るための仮面を被って喋るのだ。そこが一番の違和感だ
ゾーニング、しかし「公」とはどこまで?ネットも?民間の組織である赤十字も?コンビニも?どこまでがアウトなのか基準は?私刑では?BLは免罪されるのか、男性を消費する場合は、3次元は?ジャニーズは?objectificationをモノ化と訳すのは誤解を生まないか?元の論文ではobjectificationが全て悪いという話では無かったはずだが、では悪さの基準は?本当に巨乳の女性を叩いていないのか、実際に居ると本人がスクショを上げていたが、ルッキズムはアニメだけじゃなくジャニーズやBLやドラマや俳優やほぼ全てのテレビ番組や女性の好きなかなり色んなモノが該当するのでは?
こうした論点が思いつくにもかかわらずそこから考えないのは増田が「男」というカテゴリに入ってしまっているからだろうか
もし増田が女であればこれらの問題の議論に参加できるというのなら、内省の間だけでもそのカテゴリは外した方がいい。そこは誰もいない野湯なんだし
「もし増田が女であれば」の仮定を考える上で補助線となる別の増田が、最近ホッテントリに上ってきた
https://anond.hatelabo.jp/20151204005556
こっちの増田(以降女増田)ははてブに出会うまでなぜか女叩きのまとめサイトを自傷行為のように読みあさっていた
自分からするとなぜわざわざ自ら選んでそんなところを見に行く?と疑問に思うだろうけど、俺から見ると増田も同じに見える
理屈としてわかるのは内面を吐露して反省するといいフィードバックを得るなどの経験を積んだのだろうと思う。
増田のブコメにも増田の苦悩した状態を好意的に見る者も散見された
ところでこれを女増田に置きかえて見てほしいのだが、
女叩きに苦しみ、自分は叩かれるような対象なのだろうかと苦悩する姿を誠実な態度だと賞賛する人間をどう思うか
人だから悩む時期もあるだろうが、それが正しい状態だと言う意見は残酷だと俺は思う
脱するヒントも女増田の方に書いてある。はてブでバランスを取ったそうだ。
はてブもいい加減治安の悪い場所だが、マサカリが飛び交う分偏った意見に固まらないっていういい特性は持ってると思う。
ネトウヨやミソジニーに偏らず、増田が言うところのリベラルやフェミニズムの間違った部分に異を唱えるようなアカウントもいっぱいある
俺は知らないけど他のサービスにもそういうクラスタはあるんだろう。探してみてくれ
「リベラルならラディカルフェミニズムじゃなくリベラルフェミニズムの方に向くべきでは?」というコメントに対する返答も先程とほぼ同様、
このコメントを書いたのは俺だからこのブコメで言いたかったことを補足させてほしい
増田は「現実」というキーワードを用いて「表現の自由 vs 弱者の保護」のような対立構造を肯定してるけど
でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身がリベラルの問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。
実際にはそれらは対立構造になく、ちゃんと自由主義を標榜しながら女性や弱者の保護を訴える思想もあるということを示したかった。
こうした男性の悩みにも射程範囲を広げるフェミニズムは、よく「男性も男性の役割を降りて自由になるべき」という意見を出す
役割から降りた後の責任を取らない意見だと否定されがちだけど、俺はこの意見は好きだ。自由主義の精神をよく現わしていると思う
性役割は結局男性も女性も幸せにしないという思想から発生してるのだけど、この思想は増田も共有できるはずだ
ところで増田を見ると、「男」の役割に完全に嵌りこんでいるように見える。
それは結局のところ増田が初心に思っていた男女の平等の精神に反しているのではないだろうか
ラディカルフェミニズムって、「過激なフェミニスト」ではなく「抜本的なフェミニスト」という意味で、1960〜70年代に発言力を持った本質主義的フェミニストのことなんだがな。なので「日本ではラディカルフェミニズムが支配的」は全く間違っている。今は日本でも社会構築主義の立場に立ったフェミニズムが主流なので。(そうじゃないやつもまあまあいるが、中心的な思想じゃない)
メンズリブとか、フェミニズムの流れから出た男性性研究のほうに目配りしてみればいいのでは? 男性の辛さについて話題にしている男性研究者はけっこういる。
「リベラリズムに従えよ」増田だけど、俺の本意は「自分の主義主張と合わない界隈からは離れれば? 派閥じゃなくて自分の主義主張に忠実になろう?」って話だったんだよね。語り口で誤解させちゃったら申し訳ないけど。
で、もしリベラル増田が本心から“リベラル”やフェミニズムを支持しているならそのまま派閥に所属してればいいと思うんだけど、この返答を読む限りだとやっぱり派閥に属するのやめた方がよくない? とは思うよ。
また、現実の話もある。例えばある女性やフェミニストの方の主張に疑問を感じたり、リベラリズムに反すると思った場合、それを男性の私が指摘したり疑問を言葉にするのは、正直言って、難しい。
この雰囲気をどう伝えれば良いのか分からない、兎に角、難しい。それによって私がセクシストであり、差別主義者だと言われてしまうのでは無いかという恐れが常に有る。
増田が「社会的強者である自分が口を挟むのは差別主義だ」と本心で思っているから口を挟まない……のではなくて、差別主義者だと思われるのは怖いから口を挟まないって話なんだよね? 派閥抜けた方がよくない?
ここでまた、「またカテゴリで考えている」と言われるだろう、でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身がリベラルの問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。
内部批判を利敵行為とみなすの率直に言って末期症状だから早めに派閥抜けた方がよくない?
リベラルやフェミニズムに疑問を感じた事を表に出すことは出来ないし、だから、なるべく考えない様にする。納得してなくても、納得してるふりをする、でも、リベラルである事は続ける。
なんで納得できないのに納得してるふりをしなきゃいけないの? そんなことを強いられる派閥なんてさっさと抜けた方がよくない?
別に、増田に“リベラル”な思想を捨てろとは言わんよ。弱者の保護は尊い思想だと思うから増田がそれを掲げるのはけっこうなことだよ。
でも、その思想を抱えたまま、変な派閥的思考を捨てることはできるんじゃない? 同じ思想のやつからネトウヨと罵られようが、うるせえこれが俺の信じる“リベラル”だ、って自分の信じる道を貫き通す道もあるんじゃない?
で、こっから先は、増田の“リベラル”に対する俺からの疑問ね。主義主張の違いだから別に読む必要はないよ。
それに開き直るつもりは無い、「弱者を守る事を優先する」という事は、他の何かと衝突した時、そちらの優先度を下げるという事に成る。それは時には不当な加害になる事も、暴力性を持つ事も、自由の制限に繋がる事も、他者を抑圧する事も傷付ける事も、どれもあり得る。それに、そもそも自分の中の「弱者」の基準が正しい保証は無い。「弱者を守っている」つもりで、別の弱者を気付かずに足蹴にしている事も当然あり得る。
もちろん増田もわかった上で書いてるんだろうけど、強い弱いというのはあくまで相対的なものだからね。たとえば左利きのシスジェンダーの在日同性愛者男性は、左利きと在日と同性愛者という属性では弱者で、シスジェンダーの男性という点では強者だよね。女性差別やトランス差別の問題ではその人は強者側だけど、民族差別やホモフォビアや右利き中心主義の問題では弱者側で、そのときの話題によってポジションが変わってくるわけじゃん。まあ右利きシスジェンダー日本人ヘテロセクシュアル男性である俺みたいなのがいるんだから、当然左利きトランスジェンダー在日レズビアン女性みたいな弱者要素の詰め合わせみたいな人もいるんだろうけど、多くの場合は特定の要素において弱者なのであって全方位に弱者な人なんてそうそういないよね。
だとすると、基準は「弱者の保護」じゃなくて、やっぱり自由と公正に置かれるべきじゃない? どのような属性の持ち主であっても公正に扱われ、それぞれの自由を最大限に謳歌できる社会が目指されるべきじゃない? リベラリズムの信奉者としてはそう思うけど。
リベラルフェミニズムは前者のリベラル(つまり自由を優先する方)と相性が良く、後者のリベラル(弱者を優先する方)はラディカルフェミニズムと相性が良い(相性がと言うより、仲が良い、と言った方が正確かもしれない)
自分は後者が主軸なので、ラディカルフェミニズムと協調する事に成る、そうすると必然的に表現の自由等より、弱者を守る事を優先する事に成り、女性を消費するようなコンテンツを肯定できない→オタクである自分自身と不調をきたす、という事に成る。
でもあいつら弱者の保護とかいいつつトランスジェンダーを差別してるじゃん。
もちろんTERFはあくまでも一部の連中がやってることだからその罪を全体に敷衍するのはよくないんだけどさ、弱者の保護というお題目が自由とかよりも優先されるみたいな話をしてるから「女性は弱者なので保護されるべき! 女性専用スペースに男体持ちは入ってくるな!」みたいな論理に飛びついちゃうんじゃないの?
当たり前だけど、自由を重視する俺も、構造的弱者が存在するってことは公正な自由競争を行う条件が整ってないってことなんだから弱者救済には賛成だよ。でもそれは自由で公正な社会のための地ならしであって、弱者の救済そのものが目的じゃない。あくまでそれは手段で、最終的な目標は自由な社会の実現(この手段としての弱者救済を否定するリバタリアニズムには明確に反対)。だから弱者側の要求が自由や公正を脅かすのならそれに反対する。
自由を優先しない、というのは別にいいんだけど、だったらリベラルって名乗るのやめたらいいんじゃない? リベラリズムは読んで字のごとく自由の実現を重視する主張だよ。自由よりも社会的弱者の救済に重きを置くならソーシャリズムとか名乗れば?
↑を書いた後、予想以上の量のコメントを貰ってびっくりした。量も驚いたが、内容も、人によって結構違う内容や態度だったりで、何故か、その事に少し救われた(妙な話だが、敵対的な態度の人も居る事が、むしろ嬉しかった)
で、増田でたまに見るブコメ等への返事の追記をやるべきかどうか悩んでいる内に日が過ぎてしまった、ひとまずここに書いておこうと思う。
まず、「SNSをやめたほうがいい」「フェミニズムから一旦離れた方が良い」という意見が有ったが、離れるつもりは無い。
何故なのか?と言うのは自分でも良く分からない。単純に意地になって居るのかもしれない。
ただ、一つ思うのは、「終わったものボックス」に入れられるのは嫌だな、という事だ。
私が例えばSNSから離れたり、カウンセリングを受けたりしたら、私の懊悩は「じゃあ解決したね、よかったよかった」になってしまう、そうはなりたくない。(そもそも、カウンセリングはそんなに万能ではないとも思う。どちらかと言うと、他人の問題を「お終い」にしてしまう為の道具として、便利に使われている印象がある)
それに、基本的に私はリベラルもフェミニズムも正しいと思っている。
いくつか疑問に思う部分が有ったとしても、やはり離れる訳にはいかない。
また、離れても無駄だとも思う。既に私はフェミニズム的な視点や捉え方や規範を他者から学び、内面化している。
SNSから離れようが、既にそのコピーのフェミニストは自分の中にいて、その声からは逃れることは出来ないし、すべきでも無い。
「人をカテゴリで捉えるな」というコメントも多かった。それから、「リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ」という文章を書いてくれた増田もあった。
正しいとは思う。ただ、実際に遣るとなると、難しい、というか、無理な気がしている。
社会問題を扱う限り、会った事も無い人の被害や加害を考えなければならない(そうでなければ、それは「社会」に対する思考ではない)、会った事の無い人について考える時に、「女性」や「男性」や「フェミニスト」や「リベラル」のようなカテゴリは非常に有用だし、それ無しで考えるのは不可能じゃないかと思う。
また、現実の話もある。例えばある女性やフェミニストの方の主張に疑問を感じたり、リベラリズムに反すると思った場合、それを男性の私が指摘したり疑問を言葉にするのは、正直言って、難しい。
この雰囲気をどう伝えれば良いのか分からない、兎に角、難しい。それによって私がセクシストであり、差別主義者だと言われてしまうのでは無いかという恐れが常に有る。
これは私に限った事ではなく、私の周囲の人も、女性に限らず、社会的弱者や当事者の方の言う事に疑問を呈す場合は、かなり慎重に行う。社会の非対称性を考えれば当然の事だとも思う。例え多少おかしな部分があったとしても、それを強者である男性が、当事者の口を塞ぐというのは、有ってはならない、と思う。
それから、リベラリズムについては、説明がし辛い。昔は自分も所謂「自由を貴ぶ」という意味でのリベラリストのつもりだったが、今は、(大雑把な表現だが)「弱者を守る」という意味でのリベラルである。今の日本でリベラルと名乗る人の大半は後者だと思う。
ただ、彼の言う事は本質を突いている気がする。恐らく、自分は今後者のつもりだが、後者に成り切れておらず、前者の部分が残ってしまっているのだ。
前者の意味でのリベラルは、現在の日本ではむしろ所謂「ネトウヨ」や「ミソジニー男性」(と、後者のリベラルが見做している人達)と相性が良い。
気付いた人は多分居ると思うが、前回の増田で私が書いたフェミニズムへの疑問(ゾーニングの公の範囲や、BL等の免罪等)は、上記の様な、リベラル、フェミニズムの敵対者が良く主張している事に非常に似ている。そのもののものもある。
恐らく、つまり、私はリベラルを自認しているが、私の中にはネトウヨ的な部分や、ミソジニーも有るのだと思う。
だから私は、恐らく正確には、前者と後者、両方のリベラルであり、だから、その矛盾に引き裂かれているんだと思う。
「ネトウヨ」や「ミソジニー男性」といった言葉の選択には怒る人も居るかもしれない、ただ、これは便宜的な呼称だと思って欲しい。
少なくとも現在の日本では、後者の意味でのリベラルやフェミニズムの問題点を指摘できるのは、彼らだけだろう、といより、問題点を指摘すれば「ネトウヨ」「ミソジニー」と呼ばれる事に成る。
だから、私のフェミニズムへの疑問は、「ネトウヨ」「ミソジニー」という事に成らざるを得ない。
ここでまた、「またカテゴリで考えている」と言われるだろう、でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身がリベラルの問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。
リベラルやフェミニズムへの疑問や矛盾に悩む私に「SNSから離れた方が良い」と言葉を掛けてくれる人は一杯居た。けれども、「そのような矛盾をこれから解消しよう」と言ってくれる人は一人も居なかった。
(いや、こう言う言い方は不当かもしれない。そもそも、リベラル側の人は、そのような矛盾が有るとは思っていないのだろう。だからその解消を求める事自体がお門違いなのだ)
これまで書いた事について、正直な所、後ろめたさというか、これでいいのだろうか、という迷いが有る。
リベラルやフェミニズムに矛盾や問題点がある、なんて事を書いて、いいのか・・・分からない、それ自体間違っている気もするし、「間違っている」と言われる気もする。
ただ、まぁいい、もうこうなったらいっそ、(滅茶苦茶長くなるだろうが)思った事全部書いてしまおう。
「リベラルならラディカルフェミニズムじゃなくリベラルフェミニズムの方に向くべきでは?」というコメントに対する返答も先程とほぼ同様、
リベラルフェミニズムは前者のリベラル(つまり自由を優先する方)と相性が良く、後者のリベラル(弱者を優先する方)はラディカルフェミニズムと相性が良い(相性がと言うより、仲が良い、と言った方が正確かもしれない)
自分は後者が主軸なので、ラディカルフェミニズムと協調する事に成る、そうすると必然的に表現の自由等より、弱者を守る事を優先する事に成り、女性を消費するようなコンテンツを肯定できない→オタクである自分自身と不調をきたす、という事に成る。
まぁ、日本ではラディカルフェミニズムが支配的で、リベラルフェミニズムはあまり広まっていないという事情も有るとは思う。(アカデミズムでリベラルフェミニストの有名な人って例えば誰が居るんだろうか)
訂正と謝罪をするべき事が有る。
増田で↓のように書いた。
学生時代の苦しみは、一体何だったんだろうか?あの時の加害者の中には女性もいる。彼女は弱者で、自分は強者である。
キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人がフェミニストとして、男性を糾弾する。
俺は一体何なんだろうか?
これについて、「キラキラしてない、パッとしない女性もいると思い出してほしい」「美人の苦しみを矮小化している」という批判があった。宇野ゆうか氏の下記のページもそれに当たるだろう。
https://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2020/06/28/134939
これについては謝罪すべきだと思うのだが、うまく出来る自信が無い、何故かと言うと、↑の部分は指摘された様な意図で書いた訳ではないのだが、
「そういうつもりでは無かった」「誤解を与えてしまった」という謝罪は、正しい謝罪では無い、と言うのは常識になっている。では、他のどのような謝り方が正しいのか、考えてみたが、上手く答えが出なかった。
ただ、それも難しい。この部分は、正直に言うと、自分でも何が言いたいのか分からない、「俺は一体何なんだろうか?」という漠然とした疑問が主題だからだ。
ただ、いくつか明言できることは有る。まず一つは、「キラキラしてない、パッとしない女性もいる」という事は、自分も勿論分かっている。この文は「女性やフェミニストはみんな、キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人である」という意味では無いし、そう意図しても居ない(ただ、そう読み取れる余地を残してしまった事はやはり自分の落ち度だと思う)
女性の中に、「キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人」が居る、と言う事を念頭に置いて書いていた。(「女性はみんな~である」と「女性の中に~な人も居る」の違い)
また、「キラキラした人、美しい女性はみんな、充実した人生を送っている」という意味でも書いていない。キラキラした、美しい人にもそれぞれ固有の苦しみは有るし、そもそも女性差別は制度的な差別を含むから、社会的な美醜に関わらず多くの場合被害は受ける。外見からその人の人生を推し量ることはできない(だから、宇野ゆうか氏の書いた事は正しいと思う(正しいとか、何目線で言ってるんだという話だけど・・・・))
従って、「キラキラした、美しい、充実した人生を送る人が男性を糾弾するのは間違っている」と言いたい訳でも無い。そういった人も女性差別には遭うのだから、糾弾するのは正当な権利だ。
ただ、分からない、この感じをどう表現すれば良いのか、この「何なんだろうか?」と言う、分からない感じ、分からないと言う事を、どういう言葉で表現すれば伝わるのか。
ミクロに、カテゴリに頼らず個人個人で幸福度を比べれば、私より幸福な人生を送っている女性は居る、それは確かだと思う、けれど、それで女性差別の糾弾をしなくていい事には当然ならないし、私は糾弾を続ける。ただ・・・ダメだ、分からない、どう言えば良いのか、つまり、名前が無い、と言えば良いのだろうか、女性が人生で被る苦しみの一部は女性差別に起因する、では、私の苦しみは?男性差別?それも違う、分からない、どう言えば良いのか、言葉にできない・・・・・
ただ、そんな私の言語化能力の拙さとは関係無く、訂正と謝罪はするべきだろう。
件の文章は「キラキラしていない、パッとしない女性は居ない」と言う意味や、「キラキラした人、美しい女性は苦しみを抱えていない」という意味では無く、書いた時の事を思い出す限り、「キラキラした、美しい女性」の中でも特に幸せな人を念頭に置いて書いた(だから、美人であり、かつ苦しんでいる人はここでは対象に含めて居ないので、安心して欲しい(安心して欲しい、というのも変か・・・・・))、しかし、にも拘らず、そのような解釈の余地を残してしまう拙い書き方でした。申し訳ございません。
これで上手く出来ているのか、分からない。もっと適切な謝り方が有るんだと思う。
色々書いたけど、(まだ、思っている事は全然書き切れて居ない気がするけど)改めて言っておく、疑問を感じることはあるけど、それでも、自分は「リベラル男性」を続ける。
リベラルやフェミニズムに疑問を感じた事を表に出すことは出来ないし、だから、なるべく考えない様にする。納得してなくても、納得してるふりをする、でも、リベラルである事は続ける。
自由を何より優先するという意味では無く、弱者を守る事を優先するという意味で、リベラルである事を続ける。
それに開き直るつもりは無い、「弱者を守る事を優先する」という事は、他の何かと衝突した時、そちらの優先度を下げるという事に成る。それは時には不当な加害になる事も、暴力性を持つ事も、自由の制限に繋がる事も、他者を抑圧する事も傷付ける事も、どれもあり得る。それに、そもそも自分の中の「弱者」の基準が正しい保証は無い。「弱者を守っている」つもりで、別の弱者を気付かずに足蹴にしている事も当然あり得る。
だから、私は、正しいとはとても言えない。むしろ、客観的に見れば悪である可能性も有る。
でも、兎も角、自分の見える範囲を見て、考えられる範囲を考えた結果、やっぱり自分はリベラルである事を選ぶ。ただ、それが正しいと盲信する事だけは絶対にしない様にしたい。
長く書いた。流石にこれは読まれないと思うけど、まぁ、構わない、謝罪部分だけは然るべき人に届けばと思うが、それも望む事しか出来ない。
最後に、この文章を前回の増田と分けた理由は、単純に馬鹿な程長くなってしまったと言うのも有るけど、それだけじゃなく、「本当に元の増田が書いたか分からない」ようにするのも良いのではないか、と思ったからだ。
この文章はもしかしたら、元の増田とは別人が、彼を装って書いただけかもしれない、そうだった場合、読んだ人の感想は変わるだろうか?
まぁ、そもそも、こんな長い文章読む人は居ないと思うけど、もし居たら、なるべくどちらとも決め付けずに読んで欲しい。本物か、偽物か、平等に考えてどちらか判断できる根拠をあなたは持っていないはずだ、だから本物でも、偽物でも、どちらでもあり得るように読み、考えて欲しい。
(最後に、前回の増田の様に沢山のコメントを貰えたのは初めてだったので、痛々しいと思いつつ、ブコメを見るだけじゃなく、ツイッターでも検索してしまった。
そしたら(もしかしたら検索の仕方とか過去ログの有効期限のせいかもしれないけど)最初にこの増田の事をツイートしたのが、おねロリキメセク天皇で笑った。ちょっと、嬉しかった)
…昭和関西棋界の二大巨頭、有吉道夫九段と内藤國雄九段の話。峻烈なライバル関係と、歳を重ねてからの友情。
…高校生時代のライバルが全国大会に都代表で出ることを新聞で知った話。昔同じ立場だった人に置いていかれる話、好きなんだよな。咲-Saki-でいえば穏乃が和の全国優勝でめちゃくちゃ動揺してるとこ。
…赤ドラと、ギャンブルとして発展した麻雀の歴史の話。まあ、麻雀を競技にしたい人は少なくとも一発裏ドラ赤ドラくらいは不採用でやってほしいよね。
【麻雀】福地誠presents 坊主マッチ2016 | FRESH LIVE(フレッシュライブ) - ライブ配信サービス
…「負けたら坊主」というルールの麻雀をした動画。俺が見たい「他人の麻雀」ってのはこういうのなんですよ。
…多数意見を批判する言葉が強すぎて面白い裁判官の話。「齋藤先生と灰皿を投げ合って論争したというのは本当ですか?」「そんなことはしない。六法全書を投げ合ったんだよ」
実践するフェミニズム――【悲報】テラケイがラディカルフェミニストとお友だちだった件|兵頭新児|note
…牟田和恵をボコボコに批判して、ついでに白饅頭を皮肉る記事。正直牟田和恵も白饅頭もよく知らないんだけど、フェミニストの主張の構造を解明していく過程がなんか面白い。
棋士だけの持つメリーゴーランドの世界 | 将棋ペンクラブログ
…吉野家で晩酌をする団鬼六のエッセイ。出入りする人々との一期一会、死んだ男への追想。
水曜日、JKローリングが「TERF戦争」と題した声明をツイートした。ローリングが「月経のある人」というフレーズを揶揄したり、「トランス・アクテヴィズム」が女性を抑圧しているとするなど、トランスフォビックな発言をツイートして論争を呼んだ直後のことだ。
https://courrier.jp/news/archives/201920/
前々からローリングはTERF(トランス排除主義的なラディカル・フェミニスト)とみなされていた。
TERFと呼ばれる人々はトランスフォビックな発言をしたり、トランス女性は女性の空間(women’s spaces)に属していないと主張したり、ときにはトランスジェンダーの実在を認めることは女性の権利を侵害することだとほのめかしたりもする。
TERFという呼び名は1970年代のフェミニズム理論に由来するが、より広く知られるようになったのはネットの発達した2000年代以降のことだ。
1970年代当時、ラディカル・フェミニストのサークルは、トランス女性を支持するフェミニストと支持しないフェミニストを分ける言葉が必要だという信念を有していた。
フェミニストグループは基本女性オンリーの集まりであり、物理的な意味でも男性とは「別の部屋」を形成していた。ここで物事をやっかいにしたのが「トランス女性」という存在だったのだ。特にラディカル・フェミニストのサークルではトランス女性の受け入れについて激論が交わされたそう。
その際に女性の空間にトランス女性を含めることを反対するフェミニストたちが自称しだしたのが gender critical feminists だ。
初期のジェンダークリティカル・フェミニストたちはトランス女性やノンバイナリーの人々を女性の空間から締め出す運動を始め、トランスの人々に対して暴力的な脅迫を繰り返したりもした。
「生物学的な性別(biological sexes)」を重視するローリングのような人々は、こうした半世紀前のラディカル・フェミニストたちの信念を引き継いでいる。ローリングは「”生物学的な性別””は二種類しかない」と自身のブログでたびたたび強調しているが、これも70年代の残響のひとつだ(ちなみに彼女のこの発言は研究者によって否定されている)。
「生物学的な性別」の神聖視に加え、ローリングはもうひとつ、1970年代において使われていたジェンダークリティカルな論点を繰り出している。すなわち、「トランス女性が女性の空間に入ることで、シスジェンダーの女性の安全が脅かされる」というアイディアだ。
彼女はこう述べている。「私はトランス女性が安全であってほしいと思っています。同時に、生まれつきの女の子や女性たちにおける安全を弱めたくないのです」
TERF的なイデオロギーを持つ人々は性別適合ケア(性別適合手術やホルモン療法など)に反対している。単に女性の空間からトランス女性を排除することだけでなく、トランスジェンダーの人たちからそうしたケアも取り上げようと古くから提唱してきたのだ。
たとえば、マサチューセッツ大学教授のジャニス・レイモンドは1979年に著した悪名高い "Transsexual Empire: The Making of the Shemale”(https://wezz-y.com/archives/63653)において、ヘルスケアなどをカットするなどの措置によってトランスジェンダーの人々を「道徳的に根絶すべきだ」と書いている。
こうした反トランス的な感情は、トランスジェンダーの人々にネガティブな影響をおよぼしつづけてきた。アメリカでは、保険会社が何十年にもわたって性別適合ケアを拒絶してきたし、医師たちもトランスやノンバイナリーのひとびとにHRT(ホルモン補充療法)を提供することを敬遠してきた。そうした状況が変わったのはここ数年のことだ。
2017年まで「性同一性障害」はアメリカのDSM(精神医学会の精神疾患の診断と統計マニュアル)において精神疾患として分類されてきたが、2018年に削除された。WHOも国際疾病分類から「性転換」の項目を撤回している。
ローリングは声明の中で、レイモンドと同様の指摘を行った。彼女はトランスジェンダーの若者に対して性別適合ケアを制限すべき理由として、HRTのあとで「脱移行(detransiton、性別適合ケアを受けたあとに以前の性別に戻ろうとすること)」をしたがる人々が増えている問題をあげている。一方で、性別適合ケアがトランスジェンダーの若者たちの自殺率やうつ病の罹患率を下げていることは証明されているのだが。
TERFはトランス女性を「本当の女性」とは考えておらず、トランス男性を「本当の男性」とみなしてはいない。ノンバイナリーの人々の実在も信じていない。
トランス女性を女性の空間にいれるべきではないのなら、トランス男性についての扱いはローリング的にどうなのか。
「皮肉なことに、ラディカル・フェミニストはトランスジェンダーを排除しきってはいません。彼らはトランス男性をフェミニズムのなかに含めています。なぜなら彼らは女性として生まれたからです」
かなり侮蔑的な発言だ。トランス男性が女性の空間に属している、と断言するのは彼らが「本当の男性」ではないと暗に指摘し、彼らのジェンダー・アイデンティティを貶めるようなものだ。
こうしたふるまいは”皮肉なことに”、「生物学的な」理屈でもって女性差別を行うミソジニストの振る舞いと通底している。
また、こうした発言は「自分は誤った性別に”生まれ”てきた」と感じているトランスの人々に、性別適合処置が絶対的に必要なのだという誤った考えを植え付けることにもつながる。すべてのトランスジェンダーの人が、自分の身体や性別で快適に過ごすために医学的な処置を受ける必要はない。
近年のアメリカにおいてはフェミニストやクィアコミュニティにおいてトランスに対する包摂の動きが高まりつつある。一方で、ローリングの住んでいるイギリスはそうした変化に遅れていると指摘されてもいる。
https://slate.com/human-interest/2019/12/rowling-transphobia-tweet-radical-feminism-discourse.html
保守大国イギリスでは、トランスジェンダーに対する反感が根強い。2000年代に入ってもトランスジェンダーに融和的な法律が制定されようとするとラディカルフェミニスト団体が猛烈な抗議をしかけてくるほどだ。「ジェンダークリティシズムの本場」の異名は伊達ではない。
ラディカル・フェミニズムそのものは第二派フェミニズムの副産物であるとされる。その流れを汲むジェンダークリティカル・フェミニストたちの問題はラディカルであることではなくて、その価値観が50年前から更新されず、社会の現実と乖離しつつあることだ。
60年代70年代の日本のフェミニストたちが学生運動に同調しきれなかったように、結局オールドで分断的な価値観の行き着く先は古き悪しき家父長制の存続だ。
beataraxia ゲイというだけでコンテンツとして腐女子に消費されるっていうのがゲイからするとなんかイラッとする。我々の恋愛はあなた達の妄想のためにあるんではないんです。
こういう言説毎度毎度みるけどなんかおかしくない?
別にお前を名指しにしたりお前のプライバシーを暴いてオカズにしたりしたわけではない訳じゃん。
それっぽっちで咎められるの?
じゃあゲイの皆さんはその程度の身勝手な妄想もせずに心の中まで清く正しく生きてるわけか?
俺の知ってるゲイはそんな修行僧みたいに生きてはいなかったが。
しょっちゅう好みの芸能人とかスポーツ選手とか妄想のネタにしまくってワイワイ楽しそうに語り合ってたよ。
それとも妄想で抜くたびに謝ってるわけ?
「警察官の職務は僕のオカズのためにあるんじゃないのに。えーんえーんごめんなさい」って。
謝ってねえだろ?(謝ってたら病気だが。)
ゲイだって普通の人間なんだから絶対身勝手な妄想しまくってるしネットにもバンバンそういうこと書いてんだよ。
「我々の恋愛はあなた達の妄想のためにあるんではないんです。(キリッ)」
とか言えるわけ?
このタイプのゲイさんがいったいどういう思考してるのか気になるんだよ。
(ゲイみんながこんな面白い感じじゃないことはもちろん知ってる。)
「お前ら」呼ばわりっていうのはどこから来たの。
だからそういう風に個人のプライベートに踏み込まれたり名指しされたりはしてないわけじゃんあのゲイは。
つかあのさあ、それまさに最初に潰してある反論ポイントなんだよね。
「別にお前を名指しにしたりお前のプライバシーを暴いてオカズにしたりしたわけではない訳じゃん。」と先頭に書いてあるの。
あーたていどが思い付きそうな詭弁はきちんと真っ先に潰してあるわけ。
kitassandro
コロナ患者の人が恋愛している話、身体障害者が結婚する話、とかさ、そういうのだったらどう感じますか?風俗嬢が、原発作業員が、とかだったらどうですか?
どう思いますかも糞もそういうのは既に大量にあるしな。
白血病で死んじゃう美少女とか、信長のとこにタイムスリップするやつぐらいにいっぱいおったぞ。ヒロインが耳聞こえんとか車イスとかいうトレンディドラマもあったし。「実は同性愛者」なキャラが葛藤したり自殺したりするのを感情揺さぶる要素として使ってる創作なんてのすらとっくに色々あるわいな。
質問の意図がわからんけど「どう思いますか」と言われたら「ありふれすぎてて今さら特段の感想はない」だな。
俺のすい臓でも食ってろ。
欧州に行くと、ジャップはうっすら差別されるね。レストランでいい席には通されないわな。自分が少数派になる環境を体験してみるのも面白いよ。
はあ?
あのさあ、俺の話を理解してるのか?
俺は「社会に差別なんてない!」とか「ゲイは差別被害を訴えるな!」とかそういう話してた?
ゲイにも腐女子にも恨みも恩も言いたいこともないし、まさにこういうバカについて言っているわけ。
こいつのブコメはなんか「社会の中の差別を指摘している」と言う点でポリコレポイントは高い。
でも相手の話と全く噛み合わない、問題文一文字も読まないで書いた答案のような頓珍漢コメントなので国語力とか論理性とかでは深刻なレベルの0点じゃん。
こいつやこいつに星つけたような奴らはもの考える能力が全くないわけよ。
一見お利口そうな真摯そうな姿勢を作ることだけは押さえてて、少しも真面目に考えてないよね。
ゲイに対して失礼なのはおめえらの方だよ。というかゲイに限らず誰に対しても失礼。
こういう頓珍漢なことしか言ってないけどポリコレ点だけ高いアホをきちんと見抜いて軽蔑できるようになりましょうということを、俺は言いたい。
ロリコンが女性や子どもの権利を守るのではなくむしろ都合良く利用する側であるように、腐女子もゲイの権利を守るものではなく一方的に利用する側。それを肝に銘じて初めて「同性愛(者)」に向き合えるのだと思うよ。
じゃあゲイもノンケを「一方的に利用する」側なので、更衣室やトイレを使うときなどは身の程をわきまえることが肝要だな。ノンケに対する一方的な性愛に引け目を感じ続けることを肝に銘じて初めてノンケに向き合えるのだと思うよ。
誰でも他人や他集団にどんな妄想を抱いても自由だし、同時に誰でも自分や所属集団について妄想を露わにされたらイラッと来てよい。考えるべきはその妄想の表象・流通の仕方には非対称性や権力性が伴うってことです
ゲイは腐女子をオカズにしないけど腐女子はゲイをオカズにするから?
ならゲイはノンケに対して権力性を持つんだなあ。申し訳ない顔で生きるべきなんだ。ほえー。
そこに座っててくれ。
自陣営の論理が壊れてても「権力構造ガー」「非対称性ガー」などと喚けばダブスタセーフだと思ってる考えるの苦手な身分制思考のバカ達にはいい鬼瓦として機能するだろう。
要するにあいつらは自分達のスペックの悪い頭を甘やかすためにそういう言葉を便利使いしてるんだよな。
困ってる弱者の誰かに優しいんじゃなくて自分の頭悪さに優しいの。
社会的に否定されがちだったりマイノリティであることの悲哀を、大衆の娯楽のために利用されるのは腹立たしい、という気持ちはあるのかもな。そういう気持ち自体は誰が何を言おうと否定することはできないと思う。
バカ達よりはまともな回答なので罵る気はないけどさ。
その「気持ち」はきちんと観察すれば成分を分解できるよね。
問題なのは「社会で否定されがち」ということでしょう?そこはゲイとしていくらでも言い続けていいこと。
けど妄想することはお互い様であって、それ自体に問題ないんだから、結びつけて抗議するのおかしくない?
その「社会的に否定されがち」と好きなときだけ自在にくっつけて抗議する論法を認めると、どんな恣意的な抗議も八つ当たりもやりたい放題になるんだよね。
それは違わない?ゲイがかわいそうな目に遭うシーンというのは社会のなかにまだまだあるし、そこで辛い気持ちをしたことは否定できない。
けどその気持ちを別の場面にくっつけることで非論理的な怒りを表明できるし周りはこうべを垂れるべき、というのは違うよね。
だってそれでなんかゲイの問題が解決されるの?されねーよ。そういう非論理的フィールドを発生させると、考えるの苦手なバカが寄ってきてさも倫理的風に頓珍漢な非論理論陣でいいこちゃん顔したり誰かをつるし上げたりして楽しむだけ。
バカどもが卑しい愉悦を楽しむための養分が生まれるだけなんだよ。
そこを考えてほしいね。
当たり前のことをどや顔で言うべきではないし
そうね。ストレートの人間だってヘテロ恋愛の漫画やらドラマやらAVやら楽しんでるわけだし一緒だよ。とはいえセクシャルマイノリティはまだまだ酷い扱いをされていると思うので増田みたいに雑に扱う気も起きないが。
あのさあ、よく読んでくれよ。
俺がいつセクシャルマイノリティを雑にあつかったの?具体的なこの部分だ、といえるなら言ってみ?
fukazawakyoko 腐女子フェミニスト「女性性への搾取だァァァァ!」腐女子フェミニスト「ゲイ搾取?おまえのことじゃないしキリッ」
そういう種類のフェミニストがおかしいと思うなら同じ論理で腐女子が叩かれてるときも擁護すべきだと思う。
これは女性が普段性的消費だの何だの言ってることの意趣返しなんだと思ったけどな。なんで自分達が消費するのは良くてされるのはダメなんて言えるんだ?
https://togetter.com/li/1469177
読んでいて草。
その通りだわ。
でもフェミ止めた途端こうしてまともになる人は逆に偉いと思うよ。
その事を自分で気づける人間はなかなかいないし、過ちをフィードバックできる事はまだ賢い証拠。
素晴らしい。
しかしフェミニズムなんて、この人達のバッシングする漫画やアニメ、そして名称のみがWHOを認可され、因果関係や内容すら証明されていないにも関わらず、当時の国連の児童ポルノ禁止法の時の様に権威のみで香川及び国政でゴリ押しをしようとしているゲーム障害なんかよりも余程世の中に対する実被害や有害さが証明されているのは皮肉以外何でもないよね。
当時オタクをロリコンや犯罪者予備軍呼ばわりしていた連中がまさに実社会に悪影響を与えまくっているのは皮肉。
実際赤十字やJAに被害を与えているのはフェミニストそのものであり、反社会勢力化しているのは事実だしね。
いっそフェミニズムやジェンダー、ポリコレや社会学自体を規制したらどうだろうか?
この人達は過去に何でも他者に対して、規制を要求していたのだから、フェミニスト自身が規制されても文句を言う所か健全化される事に泣いて喜ぶと思うけどな(嫌味)
フェミニズムが反社会的集団な訳がない。中にはヘンな人もいるかもしれないけど、そういうのってどんな集団にでも含まれるでしょ。明らかに反社会的な思想で結集した集団なら反社会的集団と呼べるけど、フェミニズムは女性差別撤廃思想であって、それは反社会的思想とは言えない>RT— 音楽ナスカ (@m_nsc) 2018年4月29日
絵の批判で、声優やポップ立ててる店にまで凸るのはもはや集団ヒステリーやテロ
https://togetter.com/li/1470089
宇崎ちゃん×献血コラボ第2弾が好評。太田啓子弁護士「いい方向になったんだな、赤十字社がはじめからこういう企画でやっていたらよかったですね、と思います」
https://togetter.com/li/1463136
「フェミニズム不支持」思想強要問題-韓国における反フェミニズム事情について
https://togetter.com/li/1224125
寝言は寝て言えって感じだよねw
幾ら社会的にフェミニストが反社と意識され始めたのは10月以降とは言え、2018年にはもう多くの問題行動を引き起こしていたからね。
それと良くフェミニストとツイフェミは別だと言うけど、日本のフェミニズム自体、ラディカルフェミニズムと純潔教育が根底にあるから、元から酷いと言うかツイフェミなんてまだマシに見える程度には酷い代物だと言う事実があるからね。
日本以外でも韓国のメガリアがアレなのは以前から有名な話だし、イギリスやアメリカにおいてもフェミニストが暴走している事実もあるわけだしね。
何せニンフの絵画を公開中止に追い込む等の退廃芸術までしでかす所まで行っているのは事実。
またあちらさんではロボ娘まで狩ろうとしているらしいし、それを見てもそれこそ人間は神の創造物であり、人間が神の真似をする事は烏滸がましいと言うキリスト教的価値観が根底にある事は否定できる事ではないでしょ。
両方ともコメント欄ですぐにゴリラが湧いている点もポイントが高い(笑)
https://togetter.com/li/1471498
草。
まあこんなもんでしょ。
きちんとフェミニストとツイフェミを区別しているのが素晴らしいとあるけど、日本のフェミニズム自体、それこそラディカルフェミニズムと純潔教育のハイブリッドでしかないから、ある意味においてはツイフェミ界隈より地獄そのものなんだけどね。
しかしこの界隈は魔窟だよね。
https://togetter.com/li/1471542
俗にいう所の腐フェミや(ヨ)界隈のリベラル連中辺りの思想の奴等とかかな?
オタクと言うか表現規制の反対派と呼ばれていたもの自体が、当時から言われているけど一枚岩ではないし、それこそ昔から後ろから味方撃ちをしている奴やら机の下に隠れていれば、嵐は過ぎ去るみたいな事なかれ主義の連中もいたので、その当時から変わっていないとも言えなくもないよ。
当時はそれをしていたのがネトウヨだったけど、今はリベラルや腐フェミってだけ。
またこの手のはオタクより政治成分の方が強い連中が特に多いね。
いずれにしろオタクや奴ら曰く表現の自由戦士からすれば敵よりも余程厄介な連中だけど。
これも当時の構図から変わっていない事。
あるラディカルフェミニストの、ラブライブのポスターについての雑感
https://togetter.com/li/1469400
「ミカンはお母さんが買うもの」フェミニスト学者牟田和恵氏の女性蔑視のステレオタイプ発言
https://togetter.com/li/1469374
フェミもいちいち詭弁や綺麗事を言わずに私が嫌いと言った方が世間受けするだろうにねw
この手の詭弁は一番嫌われる。
しっかし例の社会学者がジェンダーやらフェミニズムを掲げておきながら実は女性に対してジェンダーロール押し付けてましたと言う裏付けが取れたことと言い、順調にボロが出始めているのが本当に楽しいね。
そもそも日本のラディカルフェミニズム自体、キリスト系カルトの純潔教育に根付いた家父長制主義でしかない代物だと言うのは当時から散々指摘されていた事だし、以降児童ポルノやら男女平等やらのフェミ自身の思う規制の成功で増長しきって、それで先鋭化しすぎて今ではボロが出てメッキが完全に剥がれ出しただけに過ぎないからね。
そもそも日本に限らず、それこそあの人達の言うアメリカでもフェミニズムって代物自体この程度の代物に過ぎないけどw
所詮良い共産主義や社会主義やナチズムがあったか?と言う程度の代物に過ぎなかったわけ。
女性の表象問題、「累積的な抑圧体験を刺激」なんて関係なかった可能性
https://togetter.com/li/1460501
単にフェミニストと呼ばれるクレーマーが殴りやすい棒を持って、気に入らないものをわざわざ見つけ出して、他者に因縁付けて殴りかかっているだけやぞ。
あいつら女性の権利でも子供の権利でもLGBTでもポリコレでも殴りやすい棒があればそれで他者を殴るだけやで。
それよりコメでツイフェミとか似非フェミとか言って本来のフェミとは違うアピールしているのが草。
日本のフェミニズム自体元々ラディカルフェミニズムに汚染された代物なのだから、フェミニズムに良いも何も悪いモノしかない。
言わば本来の共産主義や社会主義が良かったと言っているようなもの。
それと聖職者や国連が児童レイプしている様な本物志向の欧米で草。
今や創作物規制をした国の方が日本より酷くて、効果がなかったorより悪化した事が実証されたし、規制を推進していた団体が実はこの手の事をしていましたと言う事がバレ始めているもんな。
それと世界的潮流で言えば、今やフェミニズムやリベラル、グローバル化と言うモノ自体が余りにこいつらが平等や反差別、人権などを盾にして、一般人を叩きすぎた為、毛嫌いされ出して、急速に古臭くダサいものと化していて、どこも選挙が勝てなくなり出しているんだよね。
実際日本に限らず、トランプが当選したり、イギリスで保守党が大勝したりしたのもその辺だし、ドイツですら極右及び極左と言う両極端な政党が力を持ち始め、あのフィンランドですら反リベラルが台頭し始めたみたいだしな。