はてなキーワード: ぼんやりとは
飼い主にはペットの仕草などで意図はわかる(わからない若年の飼い主もいるが)。
・画素が荒いが不愉快、諸事情で自分にはどうにもできないと理解したらなるべく遠ざかる
などのリアクションが得られれば、
そのような動画を見せることはある程度の体力と精神力を消耗させ視聴犬の虐待に該当したと飼い主は理解できる。
また、逆になんらかの誤解(「テレビにぼんやりと写っているが、どうやらいじめられているのはイケナイ泥棒ネコかミニヒグマに違いない」と解釈したなど)により冷静~喜ぶなどの場合も考えられる。
なお、犬は白黒のぼやけた視覚しかもっていないので嗅覚が発達したといわれており、
現在の動画は嗅覚をつたえられないため、テレビ画面が「ぼんやりと写っているように見える」のが犬にとっての通常状態とかんがえられる。
話をもとにもどして、それらの解釈が全く得られないほどペット関係が薄い~野良犬の場合は、
「KING OF PRISM -PRIDE the HERO-」を観ました。
なんかヤバイ映画があると、公開初日に偶然見ていた友達に誘われ、卒論を提出したその足で、新宿バルト9の通常上映22時半の回のチケットを取った。
平日の22時過ぎで、終わるころには23時もとっくに過ぎた時間になるのに、劇場フロアには満面にも近い笑顔の大人がたくさんいた。
「えっなにこれ? なんでこんなに人いるの?」
キンプリは女児向けアニメ、プリティリズムの続編だということ、これは友達から聞いていた。それで、プリズムジャンプとかいうなんかすごいフィギュアスケートがテーマの作品らしいことを教えてもらったりした。
びっくりしたのはそれだけじゃない。今を時めく若手男性声優がクレジットされまくる映画なのに、男の人がめちゃくちゃいた。っていうか男の人の方が多かった。なんか黄色いバラ持ってて、わたし、これから何を見るんだろう……?って不安とかではなくて、ただただ目の前の不慣れな状況に混乱してた。
で、見たんだけど。もう超意味わかんなかった。
だって意味わかんなかったんだもん。すごい、笑いをこらえるのに必死で、見てるこっちとしても、一瞬たりとも気が抜けなかった。
キャラクターは何事にも全力で、清々しい。すごい、本気ってこういうことなんだなって。
作中でキャラクターが言う「世界が輝いて見える!」って、全力を手に入れた人が見ることのできる世界なんだなって。
映画館を出て、1月初旬の、日付も変わる時間で、その日もすごく寒い日だったはずだけど、そんなの全然関係なくてからだがぽかぽかした。
本当に、本当に楽しみにしてた。
もうこれだった。
監督が「見れば見るほどもやもやが残る」って前もって言ってたけど、1回目で大分かなりやばい。
すごい、笑うところ、全然ない。
そしてめちゃくちゃ忙しい。
内容が濃すぎて、覚えてようとおもったところにばんばん情報が投げられてくるから、脳みそからはじき出されていく。
速水ヒロくんが大好きなんだけど、最初の20分(ちゃんと時計見てないけどそれぐらい)、こんな仕打ちするのかよって開いた口がふさがらなかった。
本当に、口を開けたまま、大型スクリーンに映写されるヒロの挫折を眺めてた。
あとさ、公開前から話題になってた、シンくんとルヰくんのキスシーン寸前みたいなあれ、
もうさ、公開前「エヴァじゃん」とか言ってたけどエヴァだよ!!!!!!!!!!!
ルヰくんの愛が深すぎて、もうずっと泣いてた。
ルヰくんの愛にただただ圧倒されて、でもシンくんは自覚もないし、夢か……とかそんなんだし、いやそうでしょうけど! 現実だったらえぐい死に方してたけど……。
問題が片付くどころか、まずいものが発覚して、この二人の行く末を心配していた人は、これを見て、日常に戻れるのかな……と十分にやられた頭でぼんやり心配した。
う~~~~~~~~~~つらいよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
同じように、見た友達、ED以下以外なにもかもしんどい。考えたくない。って感じで、メンタルはちゃめちゃだよ。
「見た人を土下座させる映画」がキンプラらしいけど、土下座通り越して五体投地してる。
あと、前回のキンプリで応援上映がほとんどトラウマになってるんだけど、今回キスシーンがむちゃくちゃあるから、そこで「ヒュ~~~」みたいな声聞いたらその場でキンブレでもなんでも投げてしまう気がして、怖くて行けない。
応援上映は、感じたまま楽しく、悪口は言わないでねって上映だから、ヒュ~~~ってはやし立てる人がいても全然いいと思うけど、わたしは、自分を守るためにしばらく通常上映で自分のキンプラ解釈を探そうと思う。
こんな気持ちで放り出されて、ユキさまの親との確執とか、ヒロの父親の問題とか、冷さんの子供とか、当然シンくんとルヰくんとか、もう全然、何にも解決してないから、続編を見るためにキンプラ通います。
あと仁のこと、あんまりだよ……。なにあれ、あんな、さんざんだったじゃん。彼の精神的に満たしてあげてよ……金と地位とか、それで埋められてないじゃんよ……。
なんていうか、生きなきゃ。
ああ、つらい。つらいけど、考えても何が起こっていたか、防衛本能なのか、もうほとんど記憶がないから、キンプラ、早く2回目いかなきゃ。
なんだかアイマスのことを書くとどうしてもポエミーになってしまい、
ごめんなさい。
元増田を否定しようとか、元増田に啓蒙かましてやろうとか、そういう上から目線の文章を書くつもりは一切なくて。
ただ、アイドルマスターを楽しむにはどうしたらいいんだろうなあ、と寄り添いたいなあと思いました。
それでも、なんだか意図が伝わらないポエミーで支離滅裂で意味不明な文章になってしまった気がします、ごめんなさい。
って書いといてなんだし、アイマスに関しては浅瀬で財布を極力傷めずに遊んでるだけなのであれだけど
変な話デレステで将来、何年後になるかわからないし、そんな日はこないかもだけど「最後にボイスがついたアイドルのP」は、声がついたということへの感動は、初期から声がいるアイドルのPとは違うと思うんだよね。
別にそうであれとか、そちらの方が感動の度合いが大きいとか、そういう大小とか善い悪いじゃなくて、
ただ「違う」と思うだよ。
もちろんこれは、そんな日が来ることを前提とした考え方だし、そんな日が来ると誰も確約してないのに期待するのは恐ろしいことなんだけど、
それでも、これはバネにならないかな。
今この不平等さは、それがいつかの瞬間平等になるわけではないし。
だから、この考え方が、今の元増田を救えるとは到底思わないけども。
ただ変な話、不平等さをなくそうと今不平等なアイドルを公式が推してしまったら、今この瞬間に展開が多い側が今度は割りを食って
「未来のその瞬間においては」別の誰かの担当アイドルが不平等を被ってしまうとも言えるかもしれない
いや、だから我慢しろとか、だから不平等さを受け入れろとかじゃなくて、
どうしたって、300人以上いるアイドルマスターというコンテンツのアイドル、アイドル以外のキャラクタ全員を平等に扱うのは不可能だし、過去の不平等さを、未来の別の不平等さに転換するのは巡り巡って今この瞬間の不平等さに結局なってしまう気もする
だからもう、元増田の気持ちは本当ただありのまま「そうだね」と受け止めるしかなくて、
「だらかこうしろ」「だからああしろ」って話題を問いかけることは僕にはできない。
ただ、それでも、アイマスというコンテンツは本当長い目で楽しめるコンテンツになったとも思う。
もちろん、今はまだなんの展開もなくほっとかれている部分もたくさんあるんだけど
なんていうか、アイマスと一緒にい続けていればいつかなにか夢が叶う日が来るかもしれなくて
今この瞬間の一瞬かもしれないけど、ある時のバネにするよう、
程よい距離感をもって、自分が嫌になりそうになったら距離を取れると良いのかもなあ。
と、ぼんやり思いました。
繰り返しですが、ポエミーで申し訳有りません。
鬱になった要因を徹底的に避けて職場を選んだ。症状は出なくなった。
治ったものだと思っていた。だが、そんなことはなかったのだ。
どうすれば胸の中を渦巻くストレスや不安が消えてくれるのか分からない。
他人の些細な言動、嫌なこと、不安、色々なことが自分の中に薄く薄く降り積もっていく。
他人が楽々抱えている責任を抱えられない。抱えただけでストレスで潰されてしまう。
これぐらい大丈夫でしょが通じない。自分のメンタルの許容量は恐ろしく低い。
高熱を出してぶっ倒れた。
風を引いたと思って安静にしていた。
しかし、熱は治らなかった。妙な病気にかかったのかもしれないと思った。
自分のデスクに座っていると身体がものすごく熱くなり、頭がぼんやりして、息苦しい。
辛い。座っているだけで辛い。
頭が回らない。仕事など出来るはずもない。
なぜこんなことになってしまったのか。そう考えて気づいた。
一番初めに軽く症状が出た日、ものすごい嫌なことがあって、ずっとそのことを考えて、ストレスでどうにかなりそうだった。
あれがトリガーだった。でも、あれだけではなく日々の色々なことが自分には重荷だった。消えない不安だった。
原因が判明したのは良かったが、状況が改善するわけではなかった。
呼吸するだけで苦しい。浅い呼吸しかできない。座っていることしかできない。
頭が回らないから能動的に仕事ができない。依頼された仕事をなんとかこなすだけだ。
なんとか今日は耐えることができた。
しかし、これが長続きするとも思えない。もうダメかもしれない。
また会社をやめることになるかもしれない。
家族がいなくてよかった。
子供がいなくてよかった。
病院は週末に予約できた。
それまで会社で耐えられるだろうか。
表現がやたら出てくるあたりは気になる。
「私は芸能界か美術しか考えてなかったから(中学受験は)意味ないな」とか、モデルはダメと言われて「全てに」絶望とか、「親にマイナスになる事も多く考えて、それでもこの道『しか』ないと」とか、「アニメが好きだった自分を全否定した」とか……
いま必要なもの・目に入るもの以外はすべてゴミのように扱い、切り捨てているようだ。
なんでよ。多数派と少数派が入れ替わったぐらいで「狂った」とか、ほんと表現が強い……
「これからの人生絶望しかない」と言うけど、確率的にンなわけないと思う。もし向こう60年、本当に絶望しかなかったら、それはマジで稀少な人生なので、本でも書いて売ったらいい。
考え方が極端だから視野が狭いのか、その逆かはわからないし、多かれ少なかれ子供はそういうとこあるんだけど、元増田はもう20歳なんだから、もう少し世界を広く捉えられていてもいい。そういう意味では、「元増田は幼い」とも言えるように思う。
未来が暗黒に見えるのは、自分で光を締め出してるからじゃないか、と私には映る。
世界ってけっこう雑然としているし、視野が広くなれば目に入る光の量も増えて、「お先真っ暗」が「お先うすぼんやり」ぐらいにはなってくれないかな。
自分が好きなものは自分にとっての光だ。そういうものを大切に、ちゃんと手元につかんでおけば自分を慰め、励ましてくれる。これからの夏、渋谷のスイーツでもなんでも食べたらいいじゃないか。青学生である必要なんかないよ。
私ももう30越えてオバサンと言われておかしくない年齢だけど、今年の夏こそ原宿アイスモンスターでかき氷食べてみたいと思っている。
元増田から見たら、こういうオバサンはきっとみっともないんだろうけれど、私と元増田はなんの関係もないし、元増田にどう思われようと私は痛くもかゆくもないのだ。
多分、その手の人たちは国家やら政権といったものは自分たちが全くタッチできない超然たるものであって、革命みたいな一発逆転でも起こらないとタッチできないものだと思ってるフシがある。
こっちがタッチできない以上、向こうは好き放題してくると思えてくる。
自民党やら安倍総理は同じ人間ではなく、得体の知れない魔術師のようなもので、日本会議やら政権支持者は人間の言葉が通じない悪魔の軍勢だと思ってるから、ぼんやりとした「権力」の一言で片づけられるわけ。
だから政権を監視するとか批判することを考えることができても、取って代わることができない。
森友学園やら加計学園みたいな派手なスキャンダルには飛びつくけど、経済政策の立案なんてお勉強が必要な面倒事はやってられない。
選挙だなんて地道なものは馬鹿らしくてやってられないし、信用できない。だって「不正選挙」なんだから。
国民一人一人を説得するようなゴールの見えないことはやりたくないし、そんなものは無意味だと言えるわけ。
こっちが反撃できない幽霊を恐れるようなもんよ。
廊下ですれ違うたびに「今日ももっさりしてるな……」と思う数人がいて、
その数人の一人が彼女だった。
おそらくきちんと乾かさずに寝ているだろう髪の毛はなんとなくしっとりし、
全体的に加齢と睡眠不足を感じさせる顔だ。
そのうえ、控えめに言っても「ぽっちゃり」に分類されるだろう体形のくせに
やたらとフリルやレースのついた安っぽい布の服装を好んでいて、
フレアスカートから大根のようにずんぐりした足をむきだしにし、
すれ違うだけでも
「もっさりしていてやだな……」
「その魔法少女みたいなハートとリボンまみれのスマホケース何なんだよ……」
「せっかく美容院に行ったなら毎日のヘアケアもきちんとしろ!」
「30代になってサマンサベガのカバンを使うな! アニメキャラのマスコットもつけるな!」
といった感想がうかんでしまう相手と同じチームに配属されたのが、去年の9月。
歓迎会で「あ、増田さんって26歳なんだね。私より2つ下とは思えないくらいしっかりしてるね」と言われて、彼女がまだ20代であることを知り、非常に驚いた。ついつい「先輩こそいつもかわいいお洋服を着て若々しいので、もしかして私より若いのかも……?とか思ってました(笑)」と思ってもみない返答をしてしまったくらいだ。
だからこそ、周囲にオタクや腐女子であることがバレないよう、そしてバカにされないよう、身だしなみに人一倍気を使ってきた。
努力が功を奏して、オフの人間関係では、休日は一人BLを読みふけりPixivを回遊してはオンリーイベントに出陣しているオタク女だとバレることもなく、「そこそこリア充」ぽく見せることができている。「美人」と言われることはほとんどないが、自分の素材を生かしつつTPOと清潔感に配慮したファッションを心がけているので、自分よりも土台のいい女の子から「かわいい」「おしゃれ」「その服どこで買ったか教えて~」と言われることは少なくない。好きなキャラのグッズを買うことはあるけれど、身に着けていくのはオンリーやファンイベント、オフ会のときだけ。
今の会社はIT系だし、ソーシャルゲームの部署もあるからオタクも多い。比較的自由な服装がOKな気風で、男性エンジニアなどはアニメキャラのTシャツで出勤したりもしている。それでもうちの部署は比較的外回りが発生するし、つねに「会社の一員としてどうみられるか」「年相応の落ち着きを伴っているか」も意識しながら、ヘアスタイルや髪色、日々の服装・バッグ・ネイルの色などを選択している。痛ネイルをしたくなっても、イベントの前の日の施術してもらって、終わったらすぐオフする。彼氏がいるときは、休日の服装には彼の好みを取り入れる(ちなみに現在はフリー。相手の地方赴任で遠距離恋愛になってしまった彼氏と自然消滅して以来、今のところ彼氏はいない)。毎月の美容院、毎週のジム通いに、毎日のスキンケアと、日々のさまざまなメンテナンスも欠かさない。おしゃれは努力なのだ。
もちろん、それはあくまで私の自己満足であって、他人に押し付けるつもりはない。それでも、隣にもっさりした人がいたら不快感が生じてしまうのまでは止められない。同じチームではあるが直属の上司部下というわけではないから、できるだけかかわらずに過ごそうと決めた。
決めたのだが……その決意はすぐに覆された。なんと、先輩に「増田さん、もしかして〇〇ってアニメ好きじゃない? この間のオンリーイベント出てなかった?」と私がオタクで腐女子であること、ジャンル、そしてオンリーに出展していることまで当てられてしまったのだ。そのアニメのグッズを持っているところを見ていたので警戒はしていたが、まさか同じCPだったとは……。
「気づいたにしても本人に黙ってろよ!これだからデリカシーのねえオタクは……」という気持ちはあったが、現場をおさえられている以上否定するわけにもいかない。次のオンリーも出る予定だったし。やむをえず認めたものの、「ぜったいに内緒にしててくださいね。ランチおごりますから」と念を押し、二人きりで初めてランチを食べることになった。
「えー、〇〇好きな人、うちの部署にも結構いるよ。一緒に話したかったな」
「会社で、趣味の話をするつもりはないんです……。すみません」
自分のスタンスを明確に伝えると、先輩はそれ以上無理には押してこなかったが、「でも増田さんっていつもおしゃれで爪先にまで気を使ってるし、全然オタクだと思ってなかったから、オンリーで見たときはびっくりしたよ。会場ではたしかにいつもよりもラフな格好だったけど、やっぱり周りに比べて垢ぬけてたもん」と私を褒めまくった。
しかも「実は増田さんのところのサークルの本、いつも買ってるんだよね。私が行くときは売り子さんがいることが多かったから気づかなかったんだな。表紙とか装丁もやっぱおしゃれだし、二人の気持ちの流れが丁寧に書いてあって、本当に好きなんだよね……書いている本人といっしょに働いてるなんて、すごいうれしいな」と言う。
「なんだもっさりしてるくせに意外と見る目あるじゃん……」とうっかり調子に乗った私はついペラペラと自分の話をしてしまった。
「見栄っ張りなので、『やっぱオタクだからダサいんだ』みたいに見られたくないし、オタクだからこそ人一倍身だしなみにも同人誌のデザインにも気を使ってますね。彼氏にも、『え、オタクだったの!?』と驚かれることが多いです」
「徹底してるなあ……。私、ここだけの話、ずっと女子校育ちで、彼氏できたことないんだよね。それもあってあまり人の目を気にしてこなかったな。ファッション誌もきちんと読んだことなくって、今まで少女漫画で読んできたかわいい女の子のイメージとか、そういうのをごちゃごちゃに取り入れてこの年齢まで来ちゃった。自分に全然合ってないのかも……とは思いつつ、オンリーとかライブに行ったら似たような服着てる同年代の人もたくさんいるし、まあいいかな~ってスルーしてたんだ。でも、増田さんの話聞いたら、ちょっと自分もがんばろうかなと思ってきた」
「見ていてかわいい服と、自分に合った服って違いますもんね。もちろん、『自分がテンションの上がる格好』も大事だと思うんですけど、『人は見た目が9割』という本もありますし、少しだけ自分の好みを譲歩して人にどう思われるかを考えながら暮らしてみると、思いもよらない反響があったりして、楽しくなりますよ。自己表現は、同人活動ですればいいんですよ」
「いやいや、見栄っ張りなだけなので……」
「ねえ……もしよかったらなんだけど、私の服装についてちょっとアドバイスに乗ってもらったりはできないかな? 実は、最近思い切って婚活アプリに登録したんだけど、全然マッチングしなくて……。素材がアレだからしょうがないかもしれないけど、増田さんの話聞いて、もう少し頑張る余地がある気がしてきた」
まさかの展開である。なんでそんな面倒な頼みを引き受けないといけないんだ……。断ろうかとも思ったが、一瞬考えたすえ「私でよければ……」と応じた。面倒ではあるが、さすがに同じチームの先輩である。オンリーに出ていることも、活動ジャンルもCPまでバレている。見栄っ張りの私としては、先輩がそれを言いふらす危険性をできるだけ排除しておきたい。
それに……もっさりしている怠惰な人間は嫌いだが、努力して改善しようとする人間は嫌いじゃない。私も、中高時代はもっさりしていて、スクールカーストでは底辺オタクグループに入れられていたから。
「その代わり、ちょっと厳しい意見も言うと思いますし、運動とかもしてもらいますよ? お金もかかると思う」
「え、運動?」
「ファッションには体形も大切です。今の体形にあった服装を選ぶのでもいいですが、彼氏を作るのが目的なんですから、体形とか髪型とか、ふだんの過ごし方から見直したほうが絶対にいいです!」
「そこまで親身になってくれるなんて……。精いっぱいがんばるよ!」
結論として、先輩はきちんとミッションを遂行した。私がいい教師だったということなのだが、この9カ月、ずいぶんと頑張ってくれたと思う。
体重は7kg減ったまま週2のジム通いで維持しているし、髪の毛はすすめた美容院できっちり整え、清潔感のあるボブスタイルにしてもらった。たまのイベントの際に施術していたというジェルネイルも、ゴテゴテしたデザインをやめてもらい、綺麗な塗り方を覚えさせ、自分でピンク系のワンカラーをほどこしてもらっている。メイクも、適当に買ったプチプラの集合体を一つずつやめさせて、年齢に合ったデパコスに置き換えつつ、BAさんから顔に合ったメイクのアドバイスを聞くように指導した。
服も、既存の安っぽい服のほとんどはメルカリで売ってもらった。フリルやレースのついた服、アシンメトリーのスカート、個性的な柄のワンピースなどが上級者のたしなみであること、サマンサベガのバッグはどう考えても年齢に合わないこと、などを丁寧に伝え、休日に恵比寿のアトレにいっしょに赴いて、シンプルで使い勝手と質のいい服をコツコツと買ってもらった。
きちんとしたプロがトータルでアドバイスしたらまた違う結果になるかもしれないが、少なくともこの8年ほど見栄をはりつづけてきた私の基準でも、納得のいく「小奇麗なアラサー」ができあがったはずだ。実際先輩も、前より鏡を見るのが楽しくなったと言うし、つづけている婚活アプリでも、マッチングして食事デートくらいまではするようになっているそうだ。
「ただ、相変わらずコミュニケーションスキルが低いから、結局アニメやマンガか、仕事の話しかできなくて、あんまり話が弾むところまではいっていないんだよねえ……練習あるのみかなあ……」
それでも私は知っている。社内の男性社員たちが、先輩を見る目がなんとなく変わっていることを。そして街を一緒に歩いているときの、周囲の男性のまなざしも変わってきたことを。肉体とファッション改造をしてもらううちに気づいたのだが、先輩、思ったよりも素材が良かったのだ。私なんかより全然美人である。笑うと、元AKBの大島優子に似ている。
自分が指導した成果が世間にも評価されていることがうれしい反面、最近、先輩が婚活アプリで出会った男性について話すときに、胸がチクチクする自分にも気づいてきた。つい話をさえぎって、自分からアニメやマンガの話を不自然にねじこんだりもしてしまう。先輩が彼氏をつくれるようにサポートしたはずなのに、先輩が男の話を自分からするのを聞くのが、イヤなのだ。
この気持ち、一体なんなんだろう。
今回の件をうけて、腐女子の側は一方的に被害者とか、弱者という立場を維持するのだけでなく、
自分たちの慣習を、腐女子コミュニティの外の人たちにもわかるような形で
また、腐女子だけでなく、コミュニティ独自のローカルルール抱えてるオタコミュニティの人々は
今回の件は、他山の石となるんじゃなかろうか
・まず、主張自体への支持について述べるなら、私自身の立場はこの中で選ぶのならBが近い。しかしBそのものではない。AとCについても一定の妥当性のある主張だと思う。
・Dの主張にはいろいろ誤解がある。著作権の枠組みで主張をするのであれば「無許可な転載」は確かに問題だが、著作権上、正当な「引用」は許可を求める必要はないし、求めるべきでもない。また親告罪云々という話も「転載」と「引用」の違いが把握できていないものと思われる。
著作権法基準(A)の人が、ローカルな慣習(C)のありようを把握していなければ、両者の対立はどこまでいっても平行線である。この人達にずっと不満がたまり続けるので、互いの正当性を主張し続けて炎上は終わらない。また、基準Dのような勘違いを含んだことを言うひとも大量発生していて、これを基準Aの世界にいるひとからすれば「バカじゃねーの」という感じになるし、そう発言してしまう。基準Bの世界にいるひとも人によっては「それはちょっと、落ち着いて整理しましょうか」とたしなめる。なので、またしても火がよく燃える。これが今回の炎上の基本的なメカニズムだと思う。
炎上は「誰かが決定的に間違っている」から続くのではなく、「ある立場の人からみると、別の立場の人のやっていることが極めて無作法に見える」ということによって起こり、その行為が「別の立場から見たときには実は何の問題もない」場合に、火が消えるタイミングというのは失われてしまう。
・基準Bの態度を採用することは、全体的に見通しがよく相対的に中庸な温度感のある態度だということになるだろうし、この立場を表明している人は、おおむね良識的に火消しをしているという感じだと思う。
・基準Bは、基準Aないし基準Cのみで完結して争っている人々の立場より、バランスのとれたものであろうとしているのは確かだろう。しかし、私は別の基準Eが必要だと思う立場である。
基準Eは、明文化されていない慣習を、きちんと取扱可能にすべきだという方法である。明文化するなりプログラム的に制御するという方法だ。以下に、なぜそのような立場を採用するべきかを述べる。
法がどうであれ、運用の水準で、実質的に慣習法を作り上げるということはいくらでもできるということはよくある。そして、ローカルな場にいる人たちは、その場の慣習があたかも普遍的に適用可能な「常識」であるかのような主張をはじめることが多い。だが、そうローカルな商慣習や、コミュニティ内の慣習は多くの場合、炎上の温床となってしまう。今回の件だけでなく慣習と法の間での齟齬が「炎上」を生んだことは数多くあった。
「様々な慣習に対して、可能であるのならば配慮すべきである」という主張は正しいと思う。可能であるのならば配慮するに越したことはない。
しかし「様々な慣習に対して、常に配慮すべきである」という主張は、どうか。わたしは難しいのではないか、と思う。単純にそれは人間にとって不可能なことを要請しているように思うからだ。
たとえば今回、火の手があがったのは、801界隈だったわけだけれども、オタク界隈どころかゲーマー界隈に限っても「同人ゲーマー界隈」「格闘ゲーマー界隈」「シューター界隈」「MMO界隈」「東方界隈」「レトロゲーマー界隈」など、細かなコミュニティがそれぞれの慣習をもっていて、自分が属していない界隈での慣習がどうなっているかというのは正直なところ把握しきれない。「私はオタク界隈のほぼ全てのコミュニティの慣習について把握しています」と自信をもって言えるという個人はいないだろう。まあ、それでもオタクコミュニティ界隈のことであれば、長くオタクをやってる人なら「ああ、これだったら何とかさんに聞いとけば温度感わかるっしょ」という人脈による解決はできなくはない。
ただ、それが、もっと遠い界隈のことになってくると、限界が出て来る。芸術・コンテンツまわりでも、現代芸術とかならまだしも、古典芸能の世界でのセンシティヴな話題とか言われても、細かなことはさっぱりわからない自信がある。手芸とかもわからないし、動物園のこともわからないし、外食産業のこともわからない。わからないことがいっぱいある。
で、まったく知らない界隈に飛び込んで、そこで見つけたものをよかれと思って引用しようとしたら、当事者からいきなり激怒されるなどしたら、私はビビる。めっちゃビビる。超うろたえる。
そんで、まあ、たぶんゴメンナサイすると思うけど、なぜキレられたのか、理解が追いつかないだろう。正直、ぜんぜんわからんと思う。小心者なので、とりあえず反射的にゴメンナサイをするでしょう。
「よく知らないものに言及しない」というのが重要だという人もいる。まあ、特にやる気がないなら、あんまりセンシティブそうなものには言及しないほうがいいかもしれない。
ただし「よく知らないものを知る」ということ自体は、世の中に多様な人々がいるということの相互理解をすすめる上では実は非常に重要なことでもある。たとえばLGBTや人種の問題というのは、言及の仕方についてしょっちゅう諍いが起こっているが、まったく言及されないよりも「善意に基づく無理解」のような言及は、議論をよびながらも、なされていったほうがいいだろう(まあ、場合によっては無視されたほうがマシということは少なからずあるにはあるだろうが)。
私としては、「同じ文脈を共有しない人にも、慣習上、重要な点を共有できるようにする仕組みづくり」を行っていくしかないと思う。
その仕組みづくりにはいくつかの段階があるだろう。
以上。STEPと書いてあるが、コレ全部やれという話ではない。まあ全部やれたらすごいとは思う。
もっとも、慣習によっては標準化が難しかったり、明文化しないことによってこそ意味をもっているような慣習などもあるだろう。そういうものを取り扱うのは確かに難しいが、すべての慣習が取扱い不可能ということもないだろう。
明文化できる慣習は、明文化して、可能な限りで、コミュニティの外部にいる第三者にも把握可能な形にするというのは、決して無意味なことではないと思う。お互いの不幸な行き違いをなくす基本的な方法だとも思う。
もちろん行き違いをなくすという方法自体を、腐女子コミュニティがいままで模索してこなかったとは思わない。
腐女子コミュニティ内部にいる人達同士ですら、行き違いはあったのだろうし、そのなかでの行き違いをなくすために、R-18タグは付けることで「ひっそりとやってます」ということを暗に伝えるという慣習が成立したのだろうと思う。その慣習の成立はとても重要なことだったと思う。
少なくとも腐女子コミュニティの内部では、この慣習はかなり機能していたはずだ。
そして、今回の事件はその慣習が、実は一般的な著作権法の枠組みと整合的なわけではないということによって起こってしまった。コミュニティが大きくなれば大きくなるほど、考慮すべき文脈の多様性は広がってくるのだから、近年の腐女子コミュニティの拡大とともに、こういった事件が何かしらの形で起こることはありえたことだろうとは思う。
それにもう一点付け加えておけば、私は「【基準B】:法的問題はない。しかし、当事者たちにとってセンシティブなことへの配慮が足りなかったという点で、研究倫理上の問題はある。」という態度だけを強調することは、一見、配慮をうたっているようでいて、そこまで素晴らしい態度というわけでもないと思う。
基本的には、この論理だけを強調せざるを得ないシーンというのは「対話することが難しいほど弱っている人たち」とか「西洋文化基準でもって踏み込むべきでもない人たち」、「複雑すぎる背景をもっているので相手に明文化とかをそこまで期待すべきでもない人たち」に対する場合ではないだろうか。
つまり、言及をする側からの一方的な配慮である。鬱でほんとに今にも死にそうな人とかに対しては確かにそういう形でのコミュニケーションしかできないから、そういう場合は仕方がない。
もちろん、言及をする側は可能な限り配慮すべきだ。しかし、だからといって、言及をする側だけに配慮を要求するというのは、言及される側を馬鹿にした話ではないだろうか。配慮は相互になされてよいと思うし、腐女子の方々は、一方的に配慮されるだけの弱者とかではないと思う。
多くの腐女子のお姉さまがたは、尊敬すべき人々であると思っている。ぜひとも腐女子コミュニティの今後の拡大にあたって、より受け入れられやすいコミュニティの形成をしていっていただければ幸いだと思う。
また、今回はたまたま腐女子のコミュニティと一般法との間の問題であったが、これは見えにくい慣習と一般法の間にズレがあるケースでは、似たような問題は何度も起こるタイプの話だとも思う。ローカルなライセンスのようなものが増えすぎたら、それもそれで面倒だということもあるとは思うが、何もないよりは、だいぶよいだろうとは思う。
「慣習は、法の前には下位の基準でしかない」という話についても簡単に触れておきたい。
基本的には法のほうが重要だとは私も思う。ただし、それは慣習と、法とのガチンコ対決が回避できないという事態が訪れた場合、法が優先するということであって、ガチンコ対決が回避可能な場合や、慣習が公序良俗に反するというわけでもない場合は、別に回避してやってけばいいのではないか、と思っている。
今回、腐女子コミュニティで「引用」に関わるルールが特殊な形で扱われていたが、もし腐女子コミュニティにおける「引用」ルールを、一般社会全体にまで拡大させようという動きにつながることがあるのならば、これは断固ととして反対する。
「引用」の自由は、研究にとって重要という以上に、自由な言論、政治、社会にとって重要なものだ。たとえば、それを政治的な言論(たとえばヘイトスピーチ)をやっている人たちが「引用」ルールの除外適用を求めてきたとしたら、それは素人の文章だったとしても、まったく受け入れられない。「公開した俺の政治的発言を引用しないでくれ」などありえない。それを引用して批判する自由を奪われれば、政治的なことについて公共の場で議論することに多大な支障が出るだろう。
今回の場合は(1)性的プライバシーの問題であるということ(2)腐女子コミュニティの内部で、そのコミュニティに属する人々の合意において特殊な「オープン/クローズ」概念が実効力をもった慣習である、という前提があって、はじめて「それは配慮しましょう」という話がありうるのであって、著作権における「引用」そのものを捻じ曲げるような話であってはならない。
この著作権における「引用」を捻じ曲げていいかどうか、というの話はすべての人にとっての言論の自由の確保という意味で、致命的に重要なポイントである。これを安易に捻じ曲げるような権利主張は極めて危ういとも思う。
STEP3、STEP4とかはアクションの担い手が限られるだろうとは思う。ただ、腐女子コミュニティもだいぶ拡大しているわけなので弁護士、研究者、経営者などの腐女子の方などが行動すれば決して不可能な話でもないのではなかろうか。
腐女子の人たちについて「二次創作やってる人たちはダブスタなんじゃねーの」問題。この件はダブスタとわかってて、恐縮しながらも、言うべきことは言おうという人と、なんもわかってない人が両方いると思う。
後者の人たちについては、わかってくださいね、というしかないと思う。自分たちだけが弱者で被害者という立場でないことは理解してほしいとしか。
#あと、二次創作でも「作者公認系」とかもあるので、全てがアウトというわけでもないだろうが、今回問題になったものがどっちだったかまでは調べていない。まあ、おそ松さんとかは、公式も問題にしないタイプだから、公式との関係では、まあどうといった問題もないのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20170527202448
流通プラットフォームが変わるごとにちょっとずつ腐界隈の慣習と、
実態との関係性もちょっとずつ変質していっているという話だと思う。
その変化にあわせてぼんやりした慣習だと、運用に失敗しました、というのが今回の話なんだと思う。
オタ界隈は、かなり基盤技術の変化がはやいので、この変化に対応できるような基準が成立しないと、この手のことは何度も起こるのだろうなと思う。
家事がへたくそでずぼらなんだけど、と諦めずに、仕事が上達するように頑張れば、達成感につながるのに。
仲間はいないけど家族はいるし、夫が感謝してくれることじゃ満足できないなら、それは夫を軽視してるとも言える。
予告なく朝帰りするのは、別に主に働く人の特権じゃないし一緒に生活する人に失礼な行為だから、夫にもやめてもらった方がいいと思うし
あなたも自由にしたい思っているのなら、夫に子を預けられる日には、友達と会うんじゃなくて無計画な旅行に行かせてもらうとかは?
専業だから全部我慢すべきとも思わないし、良い夫に不満を持つことだって人間だもの、と思うけどさ
自分でも分かってるみたいだけど、その感じのまま働いたところでメンタルは一つも良くならないどころか、悪化するんじゃないかな
今年もまた梅雨が来る。
私は幼少期から雨の日に滅法弱い。
主な症状は以下の通り。
普段から寝起きは悪いが、輪をかけて悪くなる。起きられないし起こされてもなかなか起きなくなる。
強い眠気がずっと付き纏う。歩きながら寝ていて道路をはみ出して事故に遭いかけたり、電車で立ったまま寝てしまって乗り過ごしたりする。
眠気の強さは、例えるなら午後イチの授業がプールだったときの次の授業が退屈な時くらい眠い。
小学生の頃はよく雨の日に下駄箱までたどり着いたところで力尽きて昇降口で寝ていた。
一日中身体がだるく重くなり、頭がぼんやりする。寝起きなどは四肢に力が入らずうまく立てないことも。
雨音や濡れたアスファルトを車が走る音で会話がしにくくなったり、湿気によって服や自分の産毛や皮膚の感触が気になるなど、感覚刺激による不快感からひどく注意散漫な状態になる。
手がすぐに疲れてしまうのか、いつの間にか握力が弱まって傘を落とす。
レインウェアはゴアテックスのちょっといいやつなんかも買ってみたが、レインウェア全般に感触や擦れる音がダメで体力をごっそり持っていかれる。
肩や首がひどくこり、締め付けるような頭痛が常に発生する。たまにズキズキドクドクという片頭痛の強い発作が起きて寝込む。
色々書いたが、要は雨が降っているだけで割と使い物にならないレベルにまで弱体化する。
雨の日に狩りなんか行ってられっかよ!休みだ休み、はいおやすみ~!とADHDなDNAが言っているような気さえする。
身体の覚醒度が低くリラックス状態に向かっているために起きているらしき症状と、
逆に感覚過敏がある聴覚・触覚では、刺激が増えて緊張状態になって起きているような症状がごちゃまぜになっているような印象もある。
女性にはタイムリミットが伝々という言説が定着して久しいが、男にも生涯未婚童貞になるか否か運命の分かれ目になるタイムリミットがある。18歳だ。
大学入学時点で恋愛経験(必ずしも性体験でなくて良い、それぞれの年齢相応の成功体験)のない男は「体は18!心は小6!」状態になってしまう。同年代にチャレンジしても門前払いを受け続け、改善のためのフィードバックも自信を付けるチャンスも一度も掴めないまま見下され鼻で笑われ続け心が折れる。学歴だけ高い生涯未婚童貞はてな粘着ミソジニー男の一丁上がりだ。
女性は三十何歳まで学生時代と社会人合わせて十余年の猶予があるが、18歳で最終バスが出発してしまうのである。若い大人に仲間入りしてなんとなく世の中や物事が見えるようになってきたら、なんと自分が既に手遅れで挽回不能なことに気付くのだ。
18までの環境は否応なく家庭の強い影響下にあり、本人の自己責任とだけ切り捨てるのは酷だと思う。よほど素材がイケメンかどんな環境でもアクティブに女子に突進していく子であれば心配ないが、周りを見ると上記の認識も危機感もないまま、ぼんやりした子を偏差値が高いからとなんとなく男子小中(高へエスカレーター)に入れてしまい取り返しがつかなくなる悲劇が後を絶たない。
おそらく父はこの時代に既婚者なので自由恋愛の勝者であり「普通に生きてりゃ彼女くらいできんだろ」くらいにしか思ってないのだろう。母は女性なので上のような失敗男が眼前に登場したことなど人生で一度もなくピンと来ないのではないか。あるいは愛する可愛い王子がモテない可能性など発想自体が存在しないか、悪い虫に奪われるくらいならモテなくて結構くらいに溺愛しているかもしれない。
水は桶板の一番低い高さまでしか貯まらない。親の自慢に役立つのは学歴や職業など分かりやすい高い桶板かも知れないが、子の主観的な幸福を願うなら決定的な欠落が生じないよう目を配って欲しい。
※1 大学デビュー性交組の諸兄の中には、いや、22歳だろ、という異論もおありかと思うが、否定はしない。大意は汲んでいただけることと思う。
※2 学校が共学なら万事解決というわけではない。今ならたぶん下から2割くらい(もっとかな?)は脱落するのだろう。私が言いたいのは(受験に例えると)「受験があるなんて知らなかった」子の中には準備すれば受かってた子もいるだろうし、最終的にダメでもせめて「全力で勉強したが落ちた」にしてあげようということ。
30手前で独立するためにそこそこの企業を退職したのが2年前の話
つまらなすぎる説教を聞きながら、頭のなかでチンコウンコと唱えて時間が過ぎるのを待つ
こんなことをして何かになるのだろうか
ハトを咥えてどこかへ消えていった。
襲われたハトは苦しそうに「くるー…くるー…」と鳴いていた。
状況が飲み込めていない他のハトたちがその様子を
「なんだ?なんだくるっぽ?」っていう感じで眺めていた。
いちどだけ自殺しようと思ったことがある。中2の時。俺はクラスでかなりハードなイジメに遇ってた。家に帰れば両親は離婚寸前でもめてるし、とにかく最悪だった。
当時、神奈川県の中学では2年次にAテストというのがあって、高校入試にめちゃめちゃ影響する重要なテストと言われてた。俺はその結果も散々だった。勉強なんかできる精神状態じゃなかったのだ。3才から一緒に暮らしてた犬も死んじゃうし、かわいいなと思ってた女子から「バイ菌」と呼ばれるし、もう死ぬしかねえと思った。
文学にかぶれていた俺は、太宰治にあやかって鎌倉のこゆるぎ岬で死のうと思った。太宰が心中に失敗した場所だ。
俺は太宰みたいに睡眠薬を持ってなかったので、家中の薬をかき集めて持って行った。でたらめに飲んでやるつもりだった。
こゆるぎ岬に着いて岩畳の上でぼんやり突っ立ってたら「おい」と呼ぶ声がした。
振り返ると、ネプチューン名倉みたいな妙に濃い顔のおっさんが立ってた。片手にでかいビデオカメラを抱え、もう片方の手で缶ビールを握ってた。赤ら顔。完全に酔ってた。
おっさんは映画の撮影中だと言う。それだけならまだしも、俺に協力を仰いできた。浜辺でのカンフーシーンを撮りたいから、ぜひ闘ってくれという。完全にヤバイ奴だと思った。
断ってその場から走り去ることもできたが、おっさんはすぐに三脚を用意してカメラのセッティングを始めた。その様子をぼーっと眺めていると、おっさんが「よーい、スタート!」と叫んでいきなり俺に飛び蹴りをかましてきた。蹴りは俺まで届かず、おっさんは勝手に転んで派手に尻餅を付いた。俺はなぜか爆笑してしまった。おっさんがうずくまりながら「撮影は中止だ」と呟いた。
それからおっさんはなぜか俺にもビールを勧めてきた。おっさんはクーラーボックスを持参していて、中に大量のビールが入っていた。
俺は生まれてはじめて酒というものを飲んだ。ぐでんぐでんに酔った。泣きながらおっさんに洗いざらい喋った。勉強のこと、いじめのこと、両親のこと。おっさんがどんなリアクションだったかはおぼえてない。
おっさんはなぜか別れ際にヌンチャクをくれた。そして、浜から見える大きな病院の方に帰って行った。
あのおっさんは何者だったのだろうか。ひとりで酔っぱらってカメラを持ってうろついてた。中学生の俺にいきなり飛び蹴りを仕掛け、そのあとがんがんビールを飲ませた。まったくろくなもんじゃない。
でも俺は自殺を免れた。それに今もこうして生きてる。おっさんは世間的には不審者と呼ばれる部類の人だったのかもしれないが、俺にとっちゃ救いの神ってことになる。
あの暗黒時代をどうやってくぐり抜けたのか、今となってはさっぱりわからない。ヌンチャクはとっくに無くしてしまった。でもたまにおっさんのことは思い出す。こゆるぎ岬のおっさん。
もちろんそのつもり。
もちろんかわりにせめてそんな理由で死ぬ人がいるなら少し踏みとどまってくれたら、同じ思いをする人が少しでも減って、苦しいところから出るきっかけにでもなってくれたらいいなって思ったんだけど、変かしらね。
死にたいって常々考えてる人にはもう効果はない!ってのは身をもって知った気もするからまあそうなんだろうけど。
でもまー、軽症の人は少しくらい一時停止してくれたらいいなって事なんだけどナー。
もちろん、今から死にたい人がすべて同じ考え方でそうなってるわけじゃないのは承知してるんだ。
ここならモヤモヤ吐き出しつつ誰かの目にとまってなんかのきっかけにもなるかなーって思った、それだけ。
あとロープはキッチンバサミですぐ切れるから慌てず(まあ慌てるけど)、そんな大仰なもの探したり解いたりしないでも大丈夫、とりあえずキッチンバサミで切ってください。
あと救急にコールするときは可能ならスピーカーホンで繋ぐと安心かと思います。まあ安心な状況ではないが。
あと可能なら周囲に人がいたら大声で呼んで自分ともう1人で救急来るまで居ると助かります。心臓マッサージは思ってる以上に疲れる。マッサージはビー・ジーズのStayin'alive のリズムでやると良いらしいよ。
生きていればどうにか朝は来るんだぜ。
※中高年の虚無感、諸行無常感、燃え尽き感などにはご家族の皆様十分にご注意を。甘くみていると根は深く暗いかもよ。親がなんだか最近ぼんやり、疲れて無気力、食べる量すこし減ったかな、寝るのやたら早くなってきたな、とか。
気をつけてみてくださいね。
私はオシャレというものに興味がない。興味がないというか、私の好む服装が所謂オシャレなものではない、と言った方が正しい。
そして化粧をすることは、興味がないを通り越して苦痛だ。肌の上に何かを塗りたくるあの感触、気持ち悪すぎて卒倒しそうだ。ハンドクリームでさえ気持ち悪くて使えないほどだ。だが気持ち悪い、ということについては少し置いておこう。
女子大生として「オシャレ」ではない服を着て、化粧もしないとあらば、低身長も相まって小学生か中学生のようにも見える。周りを見れば、量産型の茶髪女子ばかり。しかし、そちらの方が社会に適合できているという点において、明らかに勝者なのだ。
幸いにして、好きな服を着て大学に行かせてもらっている。そのこと自体には心が躍るのだ。しかし、外に出て、大学へ行ってみるとどうだろう。皆(ブスでも美女でも)一様に同じ格好をしていて、私ひとり、みすぼらしく見える。その服装が好き、という気持ちはそのままに、服も自分も貶められるような気持ちがある。言うなれば、周りと比べてみすぼらしい格好が好きな自分そのものもみすぼらしいものに思えてきてしまう。
では人並みにオシャレをすればいいじゃないか!と思うかもしれない。だが世間一般の女子大生の制服のようなもの、アレがとても苦痛なのだ。興味が持てないし、いつもよりやたらと露出ばかり高く、むしろ人の目を気にしてしまう。
結局のところ、自分が一番好きな服を着るのが一番マシ、ということになる。が、「マシ」というのは必ずしも肯定的な感情ではない。マイナス50がマイナス10になったようなものだ。
もっと多様な服装の人がいれば気にならないだろうな、とぼんやり考えることがある。しかし、彼女たちは、あれはあれで自分の好きな服を着ている者が大半なのだ。ある意味で日本の横並び教育は大成功している。
どっかのお店でごはん食べてた
隣のテーブルで若かりし頃の酒井法子とそのマネージャーがごはん食べながら談笑してた
ヤクチュウになったことしってる俺はココロの中で、つらくなっても絶対クスリになんか手出したらダメだよって声かけたくてしょうがなかったけど、なぜか話しかけることができなかった
マネージャーが酒井法子にそんなんじゃケッコンできないぞーっ→こないだケッコンしましたよーって酒井法子が返してて、
その直後酒井法子が、
でも夫はドラマに出ても切られ役ばっかりでぜんぜん出世しないんですよねーってちょっと困った感じで苦笑いしながらしゃべってて、
はっもしやそれが原因でくすりに手を出したのか!?とか考えた