はてなキーワード: ぼんやりとは
恋愛成就に必要なポイントって色々あるだろうけど、「女側がうまく操って男にリードさせる」技術って多分大事なのだろう
私は若いし結構モテるが、今まで一度も彼氏が出来たことがない。大抵男性側が苦しみながら片想いし陰ながらアプローチしてくるけど、私が一切応えられないまま、恋は死んでいく
「陰ながらアプローチ」とはつまり、直接的でないアプローチのことだ。直接言葉に出したり連絡して来るわけではないけど、視界に入って来ようとしたり、緊張しながらも頑張って話しかけてきたり、などなど。
こう書くと勘違い女的な印象を与えてしまうかもしれないけど、そうではなく。現実に「あいつ君のこと好きらしいよ」という証拠があるのに、そのあいつから直接的アプローチを受けることがあまり無いのだ。私が普通に生活している側で彼らはジタバタして、結局本格的に関わることが無いまま終わってしまう。
この現象が起こってしまう理由として2つ程思い当たる所がある。
私は何故か繊細な男子に好かれることが多く、ガサツな私が無意識のうちに彼等の心を踏みにじって恋愛可能性を殺していってるのかもしれない。実際、率直で積極的な外国人男性からアプローチを受けた際はトントン拍子に上手くいった(彼が国に帰ってしまい長期的に付き合えなかったけど)。シャイな日本人男性なんて言うと茶化してるみたいだが、男性側が恋愛に尻込みしてるから私も上手く踏み込めないのだと思う。しかし、周りを見渡してみると、草食系だったりシャイボーイな男性と上手く付き合っている女性は沢山いる。また、そんな男性からも積極的なLINEや食事、デートのお誘いを受けてるおなごも沢山いる。てことは、私が積極的な直接アプローチを受けられないのは、ただたんにモテない、低評価されてる女だからなのだろうか?直接アプローチするほどでもない、片手間アプローチで十分な女だからなのだろうか?ガーン…
と思ってみるが、実際「間接アプローチ」を受ける機会は多い。相手から連絡やデートの誘いが無いだけで、可愛いねとかモテそうだね、など女子としての評価は定期的にされるし、そんなに悪く無いんじゃないかな自分、と思っているし願っている。
となると、私が直接アプローチを受けられない理由として、以下のもう1つの説が有力視できる。
②私が上手くサイン出したり「もっときてもええで…」と誘導できないから
恋する男性達は小さなサインを発していて、それを私が汲み取って形に出来ないからかもしれない。実際、モテるお姉さま達は男性を上手く誘導して関係をリードさせたり、告白させたり、デートに誘わせたりしているイメージがある。女性がある程度思わせぶりな態度を取ることで、男性側から安心してアプローチ出来るように仕向けることも、恋愛には大切なのかもしれない。
私はといえば恋愛への努力なくぼんやり毎日過ごし、「あ、この人私と仲良くしたいんだな…」と思っても話しかけたりできない。ラインもめんどいから出来ない。好きな人もできない。なんだか踏み込むのが怖い。仲の良い男友達とは恋愛関係に移行したくないので適度に距離を離す。出会いの努力もしてない。私に興味を持ってくれる男性と話してても、向こうが過度に緊張してたり躊躇いがちだと面倒臭ささを感じて距離を置いてしまう。今の時点で2日お風呂に入ってないし、今日やんなきゃいけないことまだやってないのにこんな物書いてるし…
書いてるうちに己の問題点が他にも色々出てきてしまったが、取り敢えず最近気付いたことは、恋愛関係をうまく構築するには女性側も上手に誘導する能力が必要なんだな、ということ。
そしてこの間少し良い感じになってた男性と上手くいかなかったのも、私が上手く導いたりサインを送れなかったからなんだろうな、と虚しい反省をする日曜日なのであった
俺はたまに暇な休日の夜なんかには酒を飲んでのんびりネットを眺めたりしているけど、ついつい酒が進んだときなんかには眺めてるだけに飽き足らずに
増田に思いつくままに何かを書いたりする。
それはなんということもないぼんやりとした文章だし、そのとき俺が思いついただけのとりとめのない独白でしかないのだが、
そういうのが次の日になるといつも100ブクマ以上ついたりしている。俺はそういうブクマを二日酔いの気怠さの中で、不思議な気持ちで目を通す。
文章は特に読みやすくもないし、これといってコンテンツとしての目新しさもなく、もちろんイデオロギー的な確信があるわけでもない、はっきりって糞みたいな情緒の発露でしかない。
だけどブクマだけは伸びる。それはだから俺にとっては謎でしかない現象だ。
お前ら自身はそうした文章を何気ない気持ちでブクマするんだろうけど。そんな何気なさが100も集まればそれは何かになるのだろうか。
「いちはらアート×ミックス 2017」ってイベントがやっていると聞いて千葉県の市原市に行ってきた。
内房線五井駅で小湊鐵道に乗換えも、たまたま乗合せた便は上総牛久駅までで終点。折りよくトロッコ列車と時間が繋がったので、蒸気機関車に初乗車してきた。
汽笛が鳴り、ゴトゴトと走り出す。でも速度は大人の駆け足ほど。青空から注ぐ陽光や風を感じながらぼんやり里山を眺める。
田圃の畦道でキジが声上げて縄張りアピールするそばから鴨が空気読まずにザブーンとダイブをかましたり、それをダイサギがポーカーフェイスで見ていたり。
農作業中の婆ちゃんや部屋着のおっちゃん、散歩中の母子連れが沿線でめっちゃニコニコしながら手を振ってくる。俺ってこんなに人気あったっけ、ああ、汽車だからか、子供も乗ってるしな、って思いながら、悪い気はしない。そこへ、オルゴールの音色とともに停車場のアナウンス。オルゴールってなんだか異世界の音色だよね、このシチュエーションだと、まるであの世に連れてかれていくみたいに感じるね。彼女がいたら絶対そんな寒いことを呟いていたと思う。
廃校やら湖畔やらの会場を散策し、肝心のアートもたくさん巡ってきた。なんというか、アーティストさんもスタッフさんたちもまったりとしてて距離が近かった。何よりも、子供たちがやたら伸び伸びと楽しんでた。
なんだか、地域まるごとピクニックって感じだったし、これがあの世ならまあいいんじゃないかと思った。
間もなく連休は終わっちゃうけど、東京近郊在住、近場で家族サービスしたい向きにはぜひお勧め。期間中は最寄り駅から各会場へ、市営バスが無料運行も行っている。
同棲を始めて半年が過ぎた今、家での暇つぶしを目的に久々に漫画をいくつか買った。
そのうちのひとつが「東京タラレバ娘」だったわけであるが、この漫画、ひどく情緒不安定にさせられる。しかし、中毒性があって、読むのを、考えるのをやめられない。恐ろしい漫画である。
二十代前半の頃、足を使った芸能人の追っかけをしていたわたしは、時折ふと自分の未来に不安を感じて、アラサーの友達と集まるたびに将来どうするのかということを話していた。
とてもかわいくて、若い頃に、そのかわいさを使って当時の推しの関係者と身体を張って繋がり、なんかうっかり付き合ってしまったY子ちゃんから、言われた一言が印象深い。
「わたしも25くらいからすごく悩み出したよ。そういう年なんだよね。もうおたく辞めようと思って現場控えたこともあるし、彼氏も何人か作ったよ。けど結局今ここにいるから、もう諦めてるかな」
Y子ちゃんとは水面下で繋がり、業界人的な芸能人的な人たちの集まりなどにたまに一緒に行ったりする仲だった。
普通にご飯を食べたり家で遊んだりしたこともあるが、当時はお互いに、このコネを使ってなんとかもっと状況を改善できないか(繋がり的な意味で)と必死だったので、どこか浮ついた心でそんな話をしていた。
当時まだ二十代前半だったわたしの漠然とした不安はぽっかりと宙に浮いて、「誰しもそろそろそんな不安を抱える年頃なのだな」という程度に、結論を伴わず据え置きとなった。
ぼんやりと生きている人にも、堅実に生きている人にも、平等に時間は過ぎる。
その頃と状況はうってかわって、わたしはもうレコーディングスタジオやリハーサルスタジオの前で立ち続けることをかなり前に辞めていた。
あまりにも辞められなくて一時期は、当人に「好き過ぎてやめられない、つらい、もう辞めたい」とメンヘラ気味に相談したこともあったが、ふとしたきっかけにダメ男に引っかかり、そのダメ男から立ち直るためにまた別のダメ男に引っかかり、今に至る。
趣味に思い詰め過ぎて、恋愛ごっこ以下の付き合いばかりになっていたわたしにはそれはちょうどいい荒療治で、すっかりほとんどおたくからは足を洗って、澄まし顔で二人暮らしのマンションと職場の往復の毎日を送っている。
けれど、今後の数十年、もとい生きている間の時間の方向性を決定するには、わたしの中身は子供過ぎた。
内申点が足りないから適当な私立高校に進学する、三年先までの未来を決めた。
特に就きたい仕事がないから通える範囲で一番偏差値の高い大学に進学する、四年先までの未来を決めた。
転勤なく関東圏で就職して職歴をつけたいから、とりあえず社会人スタート地点という数年分の未来を決めた。
たまたま就職に関しては特に問題もなかったので定年まで勤めようと考えているが、それは今の日本を考えれば本当に運が良かっただけだと思う。
わたしはたった26年生きてきた人生の中の経験だけでは、どれだけ振り絞っても、結婚するという未来に向かって大ジャンプを決められない。
一方で、この26という数字が28、30、そして、33になったところで、特に何か特記するような経験を得られるわけでもなく、それこそ「タラレバ」のように、26のあのとき決断していれば、28のあのとき、30のあのとき、というふうに、得られるのは、数年先の未来からの後悔だけだということはなんとなくわかっている。
特に彼氏になにか大きな問題があるわけでもないが、特別「このひととなら絶対に幸せになれる」という保証があるわけでもなかった。
そんなの当たり前である。そんな人間はどこにも存在しないのである。
しかし、大義名分のようなものをもって、結婚するカップルもいる。
初恋同士の結婚は、結局旦那に社会的地位や年収がそれほどなくても「やっぱり二人は結婚しなきゃね!」と持て囃される。
当人同士だって、今更別れて条件のいい相手と結婚しても絶対死ぬまでに数えきれないほど「やっぱりあのとき初恋の人と結婚していたら」とタラレバするだろう。
「堅実ね」と親世代から大プッシュな上に「公務員か〜、安定してていいね」と女友達からも絶賛である。
こういう客観的な要素で他人からプッシュしてもらえる結婚を少し羨ましいなと思った。
もう26されど26である。
大卒だとまだあまり結婚している友達は少ない。SNSを見れば飲み歩く女友達に溢れている。みんなきらきらした独身を謳歌している。
幼稚園の頃のように無垢ではないから、「結婚してお嫁さんになる」ということを「幸せ」とまっすぐ結びつけられない。
結婚して、子供を産んで、子供が大人になって、結婚して、孫が産まれてという当たり前の幸せを送ることがどれだけ困難なことか、知識だけでは知り過ぎていた。
何組に1組が離婚する世の中だとか、統計上では、片手で数字を数えられる子供ならわかるような算数なのに、
その原因は十人十色で、こうがこうである、ゆえにこうである、というような明確な条件下に成立する結果ではない。
それなのにまわりは、アラサー女子に「次はあなたの番ね」などと軽々しく声をかける。
二十代前半の頃に、鼻で笑ってかわしていた言葉となんら違いはないはずなのに、もうあの頃のように軽やかにかわせない。
それほどまでにわたしの背中には、知らない間に、生きていくには無駄ないろんなもの(一種の保身のようなもの)が住み着いていた。
最近結婚したアラサーの事務さんに結婚するのか、と聞かれて、「しようって話になってるし、するんだろうと思うんですけど、漠然とこれでいいのかなって不安です」みたいな話をしていたときに、
「結婚ってまわりに言われたからするもんじゃないよ、自分たちで決めてしなきゃ」と言われた。
たしかにきっとその人はまわりに結婚を急かされても大事に大事に愛を育んで、自分たちのタイミングで結婚したに違いなかった。
「どうして結婚しようと思ったんですか」と聞いたときに、「ずっと同棲してたからこの人とするんだろうなと思ってた」と言われた返事がわたしには眩しかった。
わたしは、すぐ結婚してくれない彼氏と同棲し続けていたらメンヘラ拗らせて酒飲んで泣いて吐いてを周期的に繰り返すくらいには弱いだろうし、たぶん別れて婚活する選択をとるだろうと思う。
そのひとはわたしにはない強さを持っていた。
わたしは今、そんな強さを持ち合わせていない。
好きだからずっと一緒にいたい、という気持ちと、結婚するということとの間に乖離があって、その重さの違いに戸惑う。
家族になる、ということはわたし一人が失敗しないようにコントロールできる範囲を超えていて、絶対的な自信を持てない。
けれど、持たなければいけないのだ、きっと。
もしこの人と結婚したら、とか、結婚しなければとか言っている場合ではないのだ。
制服を着ていた頃、「マリッジブルー」という言葉の意味を理解できなかった。
きっとつらつらと書き連ねた言葉たちは、一言でいうと、一種のマリッジブルーなのだろう。
けれど、16の頃のわたしは知らなかった。
好きな漫画が終わった。
数年間すごく好きで好きでずっと追いかけて二次創作にまで手を出した。
最終的には下手くそながら自ら二次創作漫画を描くようにまでなった。
ずっとその漫画のことばっかり考えてたから終わってしまって燃え尽きてしまったのか、何もやる気が起こらない。
ずっとぼんやりしている。
生き甲斐だったのに終わってしまって、その作品が過去になってしまったような気がしてすごく悲しい。
二次創作もずっと続けて行きたい気持ちはめちゃくちゃあるのに、なんだか手が動かない。
抜け殻だ。
男女混合だったから、内心ニヤニヤしながらやってた
そしたら相手チームの女子がいきなりどんってぶつかってきて、お腹がチクッってした
痛いというか熱いというか
さわったら血が出てた
顔上げたら女の子がこっちを恨めしげに見てた
そこで刺されたって分かった
刺されたときに感じるのは痛いというより熱いってのは本当だったんだなとかぼんやり思った
体育館でみんながさわいで体育館の外を指差したりスマホで写メしたりしてる
なんだなんだと思って騒いでる方向をみてみると、数km先ででっかい竜巻が2つ、まるで戦ってるみたいにぶつかり合ってた
そのあと知らない女子と二人ペアで学校の敷地のいろんなところにある机やらいすを拭いてまわった
その女子が俺に「ちゃんとやってよ」みたいに言ってきたけど、内心「俺刺されたのになあ」とか思ってた(別に痛みがあるわけじゃなかった)
刺されたことがある人間なんてそういないだろうし、自慢できるぞとかアホなこと考えてた
4月、所属している部署に異動してきた人は「業務上配慮の必要な人」だった。
50代半ば、優しそうな顔立ちで、物腰の柔らかな人だった。ここではAさんとする。
遡ること3月。「業務上配慮の必要な」Aさんが来るということで、わたしの部署の業務分担が見直された。ただでさえ少人数なので、それぞれがめいっぱい仕事を抱えていた。様々な心理戦の結果、Aさんがやるべき仕事は3/2減らされ、その減らされた分の8割を、私が担当することになった。
更に、仕事に良く慣れた、優秀な先輩が異動することになった。
なんの代わりなんだろう、と思ったが、私はただ頷いた。
1番の繁忙期にこの仕打ちはひどいと思った。思ったが、口に出しても無駄なことだった。私に伝えられるのは、決定事項のみだからだ。
結果的に、Aさんは3日で来るのを辞めた。4日目は欠勤し、5日目は労働組合を連れて人事担当者の元にやってきて、会社に病院の診断書を提出した。彼は今、病気休暇を取っている。
思い出す。Aさんの3日目。慌ただしく仕事をしている私たちの中で、Aさんはただ1人、ぼんやりと座っていた。背筋をまっすぐにして、手を膝に置いて。茫然自失というような、そんな表情だった。
私の席からはそれがよく見えた。私とAさんは、通路を挟んで向かい合うような席にいるからだ。
私は一瞬声をかけようとしたけれど、仕事におわれ、すぐに忘れてしまった。気づいたらAさんは帰宅していた。
後から聞いた話だと、Aさんは、本来彼がするべき仕事を私が引き受けたことを、申し訳なく思っていたらしい。30も年が下の小娘が、目の前で忙しそうに自分のすべき仕事をしているのを、Aさんはどんな気持ちで見ていたのだろう。私は多分、Aさんが仕事に来れなくなる一因を作ったのだろう。
Aさんが来なくなって数週間がたつ。みんなで少しずつフォローし合いながら何とか仕事をまわしている。
たまの休日。少しでも外に出ないと気が滅入る。平日は仕事が忙しくて外の空気すら吸えない。本音を言うとぐったりと寝ていたいのだけれど、休みすら壁の内側にいると、人生がすり潰されていく焦燥感や仕事の辛さ、コミュ障ゆえの寂しさに耐えられなくなってしまう。だから外に出るのだ。
その日はとくに行きたい場所もなく、ただ食事と買い出しをするためだけの予定でショッピングモールに寄った。ふと目についたのは、閉店セールをしている中堅家具屋。移転のため在庫をゼロにしたいらしく、いつも広い売り場いっぱいに家具が置かれていたはずのスペースはがらんどうになっており数点の家具が残るのみだった。そのうちの一つが今回のソファ。通常数十万円の品だが閉店まであと数日というところで70%引きと破格の値になっていた。
ひと目見て気に入り、ぼんやりと目分量で自分の部屋に入りそうだったので契約してしまった。家の中は足の踏み場もないほぼゴミ屋敷だが、なんとかなるだろうと思った。とにかく環境を変えたかったのだ。配送は翌週末である。
翌日の月曜日。仕事はいつもと同じく、とても辛かった。ただ帰ってきてソファのことに思いを馳せたときに少し変化があった。メモしてきた寸法をもとに配置を考えて、酷い環境の家をどう変え、どういう間取りにするか考える。それが楽しかった。
その次の日、仕事中ソファのことで頭がいっぱいになった。職場のメモを使って家具のテトリスゲームをして、ハッと我に返り早く帰るために仕事を頑張った。帰宅後、テトリスの結果ここだと思った場所を空ける。ゴミを集め袋に詰め、下にたまったホコリを取る。いつもはとても平日になんかできない掃除が、ソファという目的を持ったことで楽しいものになった。
それからの日々、仕事が、いや世界の景色が一変した。ソファ、早くこないかな。そんな思いを中心に仕事も買い物も、そして家の掃除や洗濯もすべて楽しいものになった。窓や水回り、そして玄関までピカピカにした。買い物一つでここまで変わるのかと自分でも驚いた。早く逃げ出したいと思っていた仕事に身が入り、どこか遠くに引っ越したいと思っていた空間がまるで新居のようになった。そしてぽっかりと開いているソファの予定位置。今週末ここにソファが来るんだ。そんな初恋にも似たドキドキする感情が僕を突き動かした。
今日ソファをお迎えした。結局、テトリスゲームで予定していた場所では座りが悪く違う位置に移動したけど、そうしたハプニングさえ心地よいものに思えた。ソファの上で本を読み、そして増田を書く。漏らした話とかくだらない煽り合いとかを投稿していた増田に、こんな明るい話題を書く日が来るとは思わなかった。
少し高いソファを買った。そしたら人生が楽しくなった。これからしばらく節約生活をしないといけないけど、でもそれも楽しいひとときとして生きていきたいと思う。
そうだ、転職もしよう。
コンビニの冷やし中華を肴に「いいちこ」をストレートで飲みながら、くだらいない深夜番組を見ながら寝入ってしまった。
アルコールの脱水症状特有の喉の奥に皮膚が張り付くような渇きを覚えて目覚めると俺は異世界にいた。
なぜか、野外の石畳の地面で寝転がっていたので体の方々が痛い。
深爪しすぎた親指の先が石の角に食い込む絶妙の配置が殊更によく効いていた。
強いて言えば便秘と、花粉症のためか目がかゆいことぐらいが普段とはちがっていたが。
そもそも俺は常にぼんやりしてなんとなく生きているのであまり細かいことに気を配っていないのだ。
そんな俺でも、異世界にたどり着いていしまったという確信を持っている。
小人のひとりがaと名乗った。
aの使う言葉がわかることには少し驚いたがこんなものかと思うことにした。
言葉はわかったが、俺には学がないので話の内容がほとんど理解できないでいた。
三回ほど話を聞きなおしたところによると、彼らと虫の狩場をめぐって抗争があるらしい。
わかりはしたが、そんなことをこちらに伝えられてもどうしてよいかわらない。
三人の小人の一人は終始俯きながら小声で引き笑いをする陰気な男で右腕が欠損していた。
彼の話す声は蚊の羽音に似た小さく細い声だった。
片腕の小人は小人の雌とおなじく、敵対している勢力の特徴を語っていた。
それにしても俺はこれからどうすればいいのだろう。
目の前の小人が言う程度の野ネズミなら腕立て伏せのできない俺でもどうにかなるのか。
何も決めないままずっと曖昧な笑みを浮かべていると、aと目が合った。気まずい。
俺は野ネズミと戦わないといけないのだろうか。
もうずっと昔のこと。
ヒト一人が生まれて、大人になって、そこからまたヒトが生まれるぐらいの昔のこと。
だったのに。
あの時はあんなに忘れないって思ったのに
忘れられるわけなんてないって思ってたのに
そんなことは不可能で
気が付いたらそのことを一度も思い出さずにいる日があって
そんな日が気が付いたら週に何度もあって
気が付いたらそれが1ヶ月の半分ぐらいになって
でも時々思い出して泣くんだよ
いつの間にか、思い出しても涙が出なくなって
いつの間にか 思い出せていたはずのディテールがあやふやになって
その頃の辛かったことなんてもう思い出せないけど
その頃の幸せだったことだけは何故か消えなくて
悲しみは薄れこそすれ
愛しさは消えることはないのに
それなのに、思い出せない
今もこんなに愛おしく思っているのに
忘れてしまう
砂時計の砂粒よりも小さい欠片になって崩れていくように?
素焼きの器から水が染み出していくように?
いつの間にか
その笑顔さえも
いくつかの長ったらしい病名と薬を与えられて、
二十と数年の人生に判子が捺された。
薬を飲むと、ぼんやりとする。
思考は奪われ、やる気も起きず、
加えて、嘔吐感。
それがまた私を不安にさせて、夜に眠れなくなる。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
動機もするし涙も出るし、不眠にもなる。
人生だ。
これまで積み重ねてきたはずの人生が、
重く重くのしかかっているのだ。
そういうことができない子どもだった。
他人が悲しんでいる時に、
なぜ悲しんでいるのかわからない。
泣いているというステータスを人に見せつけて、
誇張無く、嘘偽り無く、
ということを、精神科医と話して初めて知った。
そして言われたのが
「それは普通じゃ無いんですよ」
という類の言葉だった。
他にもいろいろなことを話し、
いくつもの違いを指摘された。
そしてその後語られた症例が、
その時に初めて知った。
そう、知ったのだ。
この時は知っただけで、まだ何も考えられなかった。
それからとりあえず
「いい薬があるから」
私のこれまでの人生はなんだったんだろう、と。
私は熱に浮かされたような状況だったから、
まともに何かを考えることは、当然できていなかった。
そしてそれは治療できるというのだ!
なんと素晴らしいことだろう!
そう考えていた矢先、ふと、思ってしまった。
私のこれまでの人生はなんだったんだろう。
それを薬を飲むことで治療できるとして。
その先にある、正常な私は、
これまでの人生を歩んできた私と同一なのか。
それを裏切らないように、生きてきた。
行動は全てそれに準じている。
それは私のアイデンティティであり、
でも、これまでの話を総合すると、
病気によって生じた柱をもとに、二十数年を歩んできたのだ。
これまでの人生は、案外悪くなかった。
親とは不仲だし、顔を合わせたくもないし、
そんなことはどうでもいいくらいには、
親との不仲も、いじめの原因も、
結局は病気由来だったことも判明したのだけれど、
それを含めても、まあ、歩いてきたなと思う。
社会人になって大きく躓いた。
激務に次ぐ激務だったが、
他の人間には、それができていた。
でも自分にはできなかった。
限界を感じていた。
そして仕事で失敗をして、
巡り巡って精神科医にかかることになったわけだけれど。
そして今回発覚したのが、病気だったということだ。
それを「治療」することが、途端に怖くなった。
これまで意識をしたことはもちろん無かったが、
薬を飲んで治れば「普通の人」になることができる?
いままで歩いてきた人生はすべて間違っていたのか?
怖くて仕方がない。
でも、このままでは、生きていくことが難しいのだ。
お金も無い。人とのつながりも無い。親には関わりたくない。
きっとこのままなら、職も失う。
私は何を選べばいいのだろう。
某ラジオ番組に送った長文をそのまま載せますね(未採用)。思春期あるあるなのかなあ。当時もちろん誰にも言えなかったし今まで誰にも言えてない。たまたま女子同志だっただけで男女間でも男子同士でもあり得る話だとは思う。
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みなさんこんばんは。いつも本当に楽しく拝聴しています大好きです。35歳、女、既婚です。はじめてメールいたします。
当時、私はゲーム大好きっ子で、今で言うところの「腐女子」であり、ゲームジャンルのBL二次創作に手を染めておりました。夜な夜な推しキャラの絵を描き、さらに男×男のカップリングを妄想し、その滾る思いの丈と自らの性の芽生えをミックスジュースにして同人誌というカタチにしたためていました。
定期的に地元の同人誌即売会(以下イベントとします)に出店して、そこそこに売れてファンレターのようなものをもらったり、同じ趣向の友人が沢山できてイベント以外でも会って一緒に遊んだりして、普段の学生生活を凌ぐ楽しさでした。
彼女と出会ったのはその同人活動がきっかけでした。仮にSさんとします。
Sさんは私の3つ上のオネーサン。同じゲームが好きで、知人に紹介してもらって意気投合。初めは文通(メール文化はまだなかったので)からはじまり、電話で話すようになり、そのうち個人的に二人で遊んだりするようになりました。私が年下ということも関わらず、対等に優しく楽しく接してくれて、一人っ子の私は趣味の合う素敵なおねえちゃんができたみたいでとっても嬉しかったことをおぼえています。
Sさんとは、好きなゲームやBL妄想で盛り上がる他にも、イベントで知り合った共通の友人であるコスプレイヤーの男性に思いを寄せていることを打ち明けてくれて、ちょっと現実の恋バナなんかで盛り上がったりもして。
Sさんと二人で遊んでるうちに「M(私のこと)ちゃん、本当に可愛いねえ、すっごい好き」「私、本当にMちゃんのこと大好きなんだよー♡♡」など、ダイレクトな愛情表現が散見されるようになり、私ももちろんSさんのことは友人として好きだったので、その熱量に違和感を感じながらも「うん、私もSさんのこと大好きだよ」と普通に返していました。
二人で遊ぶようになってから4ヶ月程経って迎えたバレンタイン当日。その年のバレンタインはど平日で、私は学校から帰ってきて家でせっせと同人活動にいそしんでいました。夕方7時くらいに家の電話が鳴り出てみるとSさんからでした。
Sさんの家から私の家までは徒歩とバスを組み合わせて40分ほどかかります。
「うん、私は大丈夫だけどもう暗くなるし…これから来るの大変じゃないかな?家の人は心配しない?」
何だろう?とは思いましたが深追いはせずに、私はSさんがやってくるのを待ちました。
私は母子家庭で二人暮らし、母は看護師で夜勤もやっており、ちょうどその日母は夜勤シフトでした。帰ってくるのは深夜1時過ぎ。母が居ない夜に友達が遊びに来るという、ちょっとしたワクワク感と心強さのようなものもあり、遠いところ悪いなあと思いながらも深く考えずに来てもらうことにしてしまいました。
「いらっしゃーい」と出迎えた私に「急にごめんね、ありがとう」と言ったSさんの表情はどこか固く、家にあがってからもどこか雰囲気がぎこちなく心配になる私。「平日にMちゃんち来るのはじめてだね」「ああ、そうだね、今日はお母さん夜勤でいないんだ」など他愛のない会話を交わしていましたが、やっぱり顔つきが冴えないSさん。
「遠いところ来てくれてありがとう。でも、どうしても今日、って何かあったの?」
「あの…今日バレンタインだから。これ、Mちゃんに。手作りしたんだ」
と、手渡されたのは可愛いラッピングが施されたバレンタインの手作りチョコレートでした。
「えっ、そうだったの!私なんにも用意してなかったよー!ありがとう、うれしい!」
素直に驚きと喜びを伝えたら、Sさんは泣きそうとも笑顔ともとれそうな複雑な表情で私を見つめたあと、強く抱きついてきて「Mちゃん、本当に大好き」と囁くように呟きました。
「う、うん?私も好きだよ…?」
「でもきっと、Mちゃんが言う“好き”と私の“好き”はちょっと違うと思うんだ」
「えっ?…」
そしてそっと私にキスをしました。ほっぺにでも、おでこにでもなく、くちびるにです。これが私にとってのファーストキスでした。
とにかくびっくりしたけれど、不思議と嫌な感情は特には湧きませんでした。その後何を話したのか、どうやってSさんが帰って行ったのかもよく覚えていませんが、すっかり元気な笑顔を取り戻したSさんを玄関口で見送った画はしっかりと記憶しています。
その次の週末、Sさんの家へ遊びに行くことになりました。
キスのこともあってドキドキはありましたが、あれは何かのきまぐれだろう、きっと普通に友達でいられるだろう、と思っていました。その日、Sさん宅では二人でゲームをしたり同人活動にいそしんだりとこれまで通りの楽しい一日を過ごしました。特にこの間のキスの話題も出ませんでした。
私が「じゃあ、時間だからそろそろ帰るね」と、帰り支度をしようとしたとき「やだ、帰っちゃやだ、大好き」と言ってまた抱きしめられて、キスされました。何度かキスをされるうちに、舌が入ってきましたが、私はまた拒否もせず、受け入れてしまっていました。
その日から一緒に遊んだ日の最後は、こんなふうに抱きしめられてキスされることが多くなってきました。私からしようとしたことは一度もありません。拒否をするほど嫌だったわけでもなく、実際キスという行為はやわらかくあたたかく気持ちいいもので、拒絶することでSさんとの友情関係が崩れることを避けたかったこともあり、背徳感を抱えたままその関係を続けていました。
そんな関係が3ヶ月位経ったあるとき、私はとあるバンドに出会い雷を打たれたように骨抜きになってしまいました。そのバンドのことで頭が一杯の毎日、TVや雑誌などを追いかけるのはもちろんのこと、同人活動の土俵にもそのバンドを持ち込んで、また、同じバンド好きの新しい友達が沢山できました。私とSさんはともに受験生となっていましたが(私は高校受験、Sさんは大学受験)、電話は週に2、3回ほど、月に2回ほどは一緒に遊んでいました。ですが、Sさんは他の友人たちと一緒のときでも手をつないできたり抱きしめてきたりと過剰なスキンシップが多く、私はちょっとうざったいなあと思い始めていました。
だんだん私の興味がバンド一番になっていることに気付いて、Sさんはひどく寂しさを覚えてしまったのだと思います。バンド関係の友人と遊びに行くことにはじまり、そのうちSさんも交えて共通の友人と居るとき私が他の友人と話しているだけでも深い嫉妬をするようになりました。友人がいてもお構いなし、その場の雰囲気が悪くなるくらいあからさまに不機嫌になり、悲しそうな顔をするのです。周りの友人にも「SさんはMちゃんのこと好きすぎじゃない」「SさんってMちゃんにベタベタしすぎ」などとからかわれることも多くなってきて、私は正直もう面倒くさくなっていました。当時のモットーは友人関係は広く浅くみんなと公平に、束縛するのもされるのも本当に苦手でした。これ以上踏み込まれたくない、と私のSさんに対する態度はだんだん冷たくなり、そうなるとSさんがひたすら謝ってすがるようにさらに甘えてくることに辟易し、電話も合う頻度も自然と減っていきました。自分からきちんと嫌なことを嫌だとは伝えずに、冷たい態度をとることで私のことを嫌いになってもらってうやむやのまま自然消滅すればいい、と思っていました。私にとってSさんを傷つけ続けていることよりも、あの熱量の高い束縛から開放された安堵の方が大きかったのです。子どもですね。
その後、私はバンドに熱を上げつつも勉強を続け、無事志望校高校に合格。Sさんからも東京の大学への進学が決まったとの連絡が来ました。
Sさんが東京へ行く前に駅前のマクドナルドで待ち合わせて二人で会いました。10月頃、同人誌即売会ですれ違って話したのが最後だったので、ずいぶん久しぶりでした。お互いの合格を祝って、近況やこれからの新生活についてぼんやりと話して、元気で頑張ってね、と言って普通に別れました。もちろん、好きだという言葉も抱擁もキスもありませんでした。
その後、一度だけSさんに会いました。私が19歳の夏でした。
私は高校を卒業して東京の専門学校へ進学しました。1年生の夏休みのことです。帰省して久しぶりに地元の同人誌即売会へ参加しました。その後、居酒屋へ流れて友人たちと飲みに行ったのですが、そこに遅れて現れたのがSさんでした。3年以上振りの再会。私たちはぎこちない笑顔で「ひさしぶり」くらいの最低限の挨拶を交わして、私を避けるようにして遠い席に座ったSさん。それぞれ周りの友人たちと盛り上がり、Sさんとは全く話しませんでした。ただ、居酒屋の喧噪にまぎれてSさんが自分の彼氏の話で盛り上がっているのが、ぼんやりと聞こえてきたのでした。
現在、私は同人活動からも一切足を洗って、イベントなども10年以上参加していません。当時の友人たちとも疎遠になっていて、Sさんがどこで何をしているのかは一切わかりません。
毎年バレンタインの時期になると思い出す、私にとっての忘れ得ぬ人です。
長文乱文失礼しました。
大学2年生の4月からAと一緒に暮らし始めて、気がついたら10年が経っていた。
それが間違いだった。
とにかく「先輩」が嫌だった。それに迎合する同級生も嫌だった。
入寮してすぐのコンパでは、風呂につかりながら、お酒を飲まされる「伝統行事」を強いられた。
「これはイニシエーションなんだよ」と先輩からはきつく言われ、私は大人になった。
私はここをすぐにでも出て行きたかったが、
そんなある日、それほど仲良くなかったけど、友達の友達つながりで知り合ったAと
「ほんじゃ、うちへこない?」と誘われた。
それほど仲がよかったわけではなかったので驚いたところ、
「ルームシェアしていた子が、大学を辞めるので困っていたところ」
ということだった。
私には渡りに船で、正月に実家に戻った時に親にも説明し、春から引っ越すことにOKをもらえた。
二人暮らしは快適だった。
みんなからも二人暮らしを羨ましがられ、共通の友達もよく遊びに来てたまり場のようになっていた。
大学を卒業する時に、わたしはAとこの生活をどうするか相談したが、
Aは当たり前のように、「え?出ていくつもりだったの?」と言っただけで、私の心配は杞憂に終わった。
私は広告代理店のデザイン室に入り、Aは有名な建築事務所に就職することになったが、
そして10年が経っていた。
私もAもそれなりに仕事の実績と経験を積んで、大きな仕事を担当するようになった。
Aには彼氏がいるような話は聞かないが、男友達がいないわけでも無い。
ただ、ここに連れてくることはない。このあたりの距離感が居心地良い。
昨日、
「居心地が良すぎるのも問題かなー」とふとつぶやいたら、
「そうでもないよ?」とAがおどけて抱きついてきた。
そこにはスポーツで培う人間力、というようなキャッチフレーズで
中国から来た女の子は「ああ!○○さんみたいな人のことですね?」と
彼はよく喋り、根回し上手で、人の気持ちを逆撫でることなく、要領よくうまくやるタイプの子で
たしかに”コミュ力”という単語なら間違いなく彼が一番適切な例だろう
しかし、広告のキャッチコピーは”人間力”のもと絵面はサッカーだかアメフトだかのスポーツマンである
うん、うーん、もちろん○○さんはコミュ力高いけど、ちょっとニュアンス違うかな?
あの広告のいう人間力は、コミュニケーションが上手なことに加えて、タフで、
チームワークがよくできて、リーダーシップもできる…体育会系?みたいな感じだと思うよ、
ほら、よくあるデキる男ってイメージの、…中国ではそういうの、ないのかな・・
うまく答えられずぼやけた返事をすると
中国から来た女の子は「タフ、ってどういういみですか?」と聞いてきた
ああ、丈夫だとか、強いとか、…
毎日終電残業でも明るい気持ちと周囲への振る舞いで、周囲と(特に上司と)うまくやっていけるスキル
人間力、というキャッチコピーでその企業が育てようとしているなにがしか、に疑問を感じつつ
それは国を超えて通じる価値観なのか?と単純に思いつつ
家の犬は13歳まで生きた。
寂しがり屋の甘えん坊で犬のくせに一人では寝られない子だったので
普段は父親の布団の足元付近に丸くなって寝、冬は私が腕に抱きかかえて寝る子だった。
(夏は彼女も暑いので、冷たい板間とタイルを行ったり来たりして寝ていたけど)
死ぬ間際は彼女も苦しそうで抱いて寝てあげられなかったんだけど、死んで暫くたったある日の明け方
寝ている自分が彼女を抱いているような腕の形をしていて腕の輪の間からスッと何かが出ていく様な気配を感じた。
寝ぼけながらぼんやりと、ああ、お別れに来てくれたんだなと思いました。
調べてみたらその日は丁度四九日でした。
本当は別に好きなヒトがいるけど、かないそうもないからとりあえずフェイクでさびしさを埋めるために付き合うといういびつな関係をする二人と
うーん
なんかメタメタになりすぎて(知ってることを知ってることを知ってたとか)混乱した部分があった
あとセリフとか説明口調で語りすぎてて逆にわかりづらくなってる気がした・・・
いや端的に言えばひとり最高な人間にはリア充の悩みをいろいろ見ても正直つまらんなーっていうのが、漫画自体の面白さの前にきてしまって、ノれなかった
なんかね、たとえるのもアレだけど又吉の火花読んでるときと似た感覚になった
初体験は遅くもなくはやくもない高校生とかね・。。。はあ・・・
いや自分にあてはめて考えるのとかあほすぎるのわかってるけど、こればっかりはしょうがないんだよなー
1回さらっと読む限りではいまいち全部わかんなかった漢字するけどかといって2回目読む気にはなれないんだよなー
たぶん芸術家肌のヒトとかそれなりに「普通」の恋愛をしてきたヒトにとってはひびくものがあるんだろうけど
うーん
夫とは会社で知り合って、2年くらいずっと食事やデートに誘われつづけ、何度かお付き合いの申し出も受けたのを断ってきたけど、私がちょうど仕事が大変な時に大きい病気をしてしまって弱ってるタイミングで優しくされて、情にほだされて付き合い、去年結婚した。
すごく優しくて私のことを心から愛してる人だと思う。この人以上に愛してくれる人なんていないと思う。
それに人格も素晴らしい人だ。頭が良くて仕事ができるけどそれを鼻にかけない穏やかな性格。付き合う前、私が仕事でミスしても分からないようにフォローしてくれていたのも、後から知った。
だけどつまらない人っていうわけじゃなく適度に面白くて知的で、好奇心が旺盛でいろんな本を読んでて、面白い話をいつも教えてくれる。
私には実にもったいない夫である。会社の同僚にも仲良しでいいねっていつも言われている。
だけど、だけどどうしても、顔が好きじゃない。全然好きになれない。最初はそれでも、数年経てば好きになれると思って我慢していた。でも結婚して1年。お付き合いから3年半。やっぱり全く顔が好きになれない。顔が好きじゃないのでどうしてもセクシーな気持ちになれず、ここ3年くらいセックスを1度もしていない。
しかもこれで不細工ならいいんだけど、不細工じゃないのが困る。不細工なら不細工なりにかわいく思えてくるけど、彼はどちらかというとアラブの王子みたいな濃くて色黒でワイルドな感じの顔(ハンサムなわけではない)。それが本当に受け付けない。
嫌いな顔が薄ぼんやりしてたら、なんとなく目が慣れてきそうだけど、彼の顔はいつでも濃くて、見れば見るほど濃くて、それはもうサダム・フセインで、それはもう全然ぼんやりしてない。慣れてくるどころか、夫と過ごしていると、じめじめした夏の雨の日に角砂糖を200個くらい入れたアツアツのココアを飲まされたくらいの胸焼けがしてくる。
母に言うと、「あんないい人、、、他にいないよ?顔が濃いっていったって、三代目ジェイソールブラザーズみたいで良いじゃないの」と言われる。もちろん三代目JSBではない。
今日も会社で夫をみつけて胸焼けした。Facebookとかも不意に夫の写真が出てきて食欲が失せてしまう。自分の夫に対する発言ではないと思う。写真を見ただけで胸焼けしてしまうなんて、そんなことは角砂糖200個入りのアツアツココアwithマシュマロに対して言うべきであり夫に対して言うべきことじゃない。
だけどもう限界なの。この3年ずっと胸焼けしていて、餃子やステーキが食べられないの。夫といると味噌汁と焼き魚しか食べられない。こういうところから抜け出した人いますか?この先、夫とどうしていけばいいんだろう。
昨日から今朝にかけて、寝てる途中で目がさめてぼんやりしてたんだけど、
寝てる姿勢が真横向いた胎児ポーズで片耳ふさがってたからめっちゃ心臓のおとが よく聞こえる状態だったのね
ドッドッド
・。。
ドッ
ドッドッドッドッド
みたいな
えっ!?って思ったけどそのときはまたそのまま寝ちゃったのよね
でも昨日から今朝にかけて電気つけっぱで寝ちゃったしやたら暑くて起きたりもしたから、単に不整脈って感じでもない肝するけど
でもこれまで暑すぎて起きることはあったけど不整脈ははじめてなのよね・・
これは今のしごとをやめろと体が言っているに違いないわね
もともと残業多くて(しかも固定残業代だから全額でない)平日はプライベート時間ほぼなしで、
完全週休2日ではあるけど、週末土曜は平日の疲れで丸一日ダウンしてるから実質週休一日みたいな生活だったから、
やりたいこともやらなきゃいけないこともたくさんあるのに全然できなくてつらいのよね
来年度はたぶん今よりも新しいこととかいろいろやんなきゃいけなくて今年度よりもきつくなりそうだから、今年度ですでにこんな調子じゃたぶん近々限界がくると思うからね
1年前に夫が会社を辞めて、家業を継いで義実家とは近距離別居。
友達が作れなくて途方に暮れている。
子育てサークルにも行くし、夫の友人の奥さんと遊べば、と勧めたりもされるけど、
話しかけられない、誘えない。
話しかけられれば話せる。誘われれば遊べると思う。
片手で足りるけど。
そういう子には気軽に遊ぼうとか言えるし、どうでもいい話を振れるんだけど、
「子持ち」「主婦」「夫同士が仲良し」とかいう大雑把な括りで、
目は泳ぐし直前の会話には後悔したり反省したりするし、疲弊してしまう。
そんなコミュ障のくせに、仲のいい人が近くに誰もいないことがたまに寂しくなったりもする。
みんなどうやって友達作ってるんだろ。
私よりも何ヶ月かあとからサークル入ってきた人が、もう周りに溶け込んでいろんな人と話しているのをぼんやり眺めて、
これがコミュニケーション能力の差かあ、なんて考えてる。
それでも、子供を保育所入れたら、パート出て頑張って友達作りできるかな…!って思ってたら
友達作りの先は長い。