2017-05-17

興味があるということ、それ自体が才能

私はオシャレというものに興味がない。興味がないというか、私の好む服装所謂オシャレなものではない、と言った方が正しい。

そして化粧をすることは、興味がないを通り越して苦痛だ。肌の上に何かを塗りたくるあの感触気持ち悪すぎて卒倒しそうだ。ハンドクリームでさえ気持ち悪くて使えないほどだ。だが気持ち悪い、ということについては少し置いておこう。

問題は人並みに興味が持てない、ということなのだ。

女子大生として「オシャレ」ではない服を着て、化粧もしないとあらば、低身長も相まって小学生中学生のようにも見える。周りを見れば、量産型茶髪女子ばかり。しかし、そちらの方が社会に適合できているという点において、明らかに勝者なのだ

幸いにして、好きな服を着て大学に行かせてもらっている。そのこと自体には心が躍るのだ。しかし、外に出て、大学へ行ってみるとどうだろう。皆(ブスでも美女でも)一様に同じ格好をしていて、私ひとり、みすぼらしく見える。その服装が好き、という気持ちはそのままに、服も自分も貶められるような気持ちがある。言うなれば、周りと比べてみすぼらしい格好が好きな自分のものもみすぼらしいものに思えてきてしまう。

では人並みにオシャレをすればいいじゃないか!と思うかもしれない。だが世間一般女子大生制服のようなもの、アレがとても苦痛なのだ。興味が持てないし、いつもよりやたらと露出ばかり高く、むしろ人の目を気にしてしまう。

結局のところ、自分が一番好きな服を着るのが一番マシ、ということになる。が、「マシ」というのは必ずしも肯定的感情ではない。マイナス50がマイナス10になったようなものだ。

もっと多様な服装の人がいれば気にならないだろうな、とぼんやり考えることがある。しかし、彼女たちは、あれはあれで自分の好きな服を着ている者が大半なのだある意味日本の横並び教育大成功している。

興味が持てる、そのこと自体が才能なのだから

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