はてなキーワード: 自己嫌悪とは
1歳半から始まったイヤイヤ期は、終わりを迎えるどころかそのまま反抗期へと移行した。
誰だ、3歳になると落ち着いてくると言ったのは!
やんちゃとイタズラが度を過ぎていたので、いけないと分かりつつ今日は声を上げて叱ってしまった。
けれど怒ってしまった大人も身を切られるような自己嫌悪と後悔で苦しくなる。
「怒らない育児」なんて難しい。苦しい。育児はほんと千差万別でお手本も攻略法も正解もなく先が見えなくてつらい。
息子がお腹の中にいた頃が懐かしい。2人は一心同体で互いに分け合い、互いが安らぎ合って、温かく満ち足りて幸せだった。
寝かしつけの時そんなこと思いながら目を瞑っていたらビンタが飛んできた。「ママ寝ないで!」と癇癪を起こしている。
しばらく体を揺すったり頭突きをして起こそうとしていたが諦めたらしくプイっと背を向け横になる息子。
お腹の中にいた頃が懐かしい。
いまでは何を考えてるのか分からない意思が通じない怪獣のようだ。息子も私のこと、そう思ってるんだろうな。
やりたい事やってるだけなのに怒られる毎日、「自分でやってごらん」「もう寝る時間だから」と突き放される毎日。
ままならなくて、困惑と怒りと悲しさと不安でグルグルしているんだろうな。
「また、ママのお腹の中に入って暮らせたらいいのにね」独り言のつもりで呟いたら
息子は「…そうだね」と答えて静かになった。眠ったみたい。
ブクマやコメントくださった皆さんありがとう。ひとつひとつ大切に読ませてもらっています。
この日記は、コロナ前の2018-2019年。妊娠&出産したとき書き殴っていたメモがスマホから発掘されまして、削除するのも勿体なかったためここに放流させてもらいました。
あれから我が子はもう3歳になっており、毎日元気にすごしています。(「うちの子と同じくらい!」とコメントくださった方ごめんな...)
・妊娠しているのが判明したとき母親になる実感とか覚悟とか全然なかった。子供は嫌いじゃないけど自分が育てるとなると。。不安と恐怖ばかり。
・仕事や趣味もいっぱいやり残した事あったし、まだもう少し夫と恋人同士でいたかった。でもまあ…40前にもなって結局大成もせず何者にもなれない人生だったが、どうやら母親にはなれそう。か。
・妊娠8wかな。心音確認後、母子手帳交付へ。保健センターは大勢の妊婦さんでいっぱい。つわりが始まりかけていたので、しんどかった。
・エコー写真は相変わらず宇宙人みたいなウネウネ。その得体の知れない存在が怖かった。母としての実感なし。
・空腹が気持ち悪い...かといって何か食べても気持ち悪くて吐いてしまう。。
・つわりの酷かった時期の全てがトラウマに。当時よく食べてた物、よく行ってたスーパー、トイレの芳香剤の香り、よく聴いてた音楽までも…思い浮かべるだけで気持ち悪いよだれが口いっぱいに湧いてきて軽くえづく。
・食材のにおいや鍋の熱気などが気持ち悪くて台所に立てなくなり、以来ずうっと現在に至るまで夫が料理を作ってくれている。。夫は元々料理が趣味だからと快く引き受けてくれている。掃除洗濯皿洗いが私、買い出しと料理が夫。役割分担をしてちゃんとやってるのに、料理をしないことに罪悪感がある。
・15w頃。高齢出産のため出生前検査を受ける。何かしら障害があるのなら生まない選択をするつもりだった...が、容易いことではない。だって、あんな元気な心音を聞かされて、くるくるよく動き回る胎児の姿を見たら。
・18w 結果がわかる。異常なし。いくで!ようやく決心がついた。このあたりから母性と覚悟が座ってきた。
・22w頃。エコーでの最終検査もまったく異常なし。元気な男の子と判明。
・妊娠糖尿病に引っかかる。。1日5回の血糖値測定、毎食の記録、週1糖尿病内科への通院を義務付けられる。
・お腹が大きくなってきた頃、夫以外の男性に生理的嫌悪。道の向かいから男性が歩いてきたら回り道をする、レジ係の男性、会社の同僚と目が合うのも嫌。体の表面が警戒心という電気でビリビリ覆われている感じ。
・妊娠中期〜(産後半年まで続いた)はホルモンバランスのせいか感情過多&涙もろくなる。
・母親学級にて、先生が朗読したポエム「わたしがあなたを選びました」で、おんおん号泣。
・TV番組「ワイルドライフ 野生動物のリアル」産卵終えたばかりで弱っている母ウミガメをバリバリ食うヒョウ。むご過ぎて号泣。
・エコー越しの赤ちゃんが、ただ、ただ、可愛くて愛おしすぎて号泣「可愛い」って感情だけでここまで泣けるものなんだな。
・出産予定日に検診。胎動カウントを聞かれ「そういえば昨晩からあまり動いてないんですよね」と伝えたら即日入院になった。臨月は胎動が落ち着いてくるとか聞いてたから特に気にしてなかったがあかんかったのか。。内診エコーNSTの結果、いまのとこ緊急性はないけど予定日だし促進剤いれてもう産んじゃいましょうって。
・翌朝破水、陣痛はじまる。なんかおかしい...なんか異変を感じるんです看護師さん...→ヘイヘイ赤ちゃん心拍弱ってる〜→緊急帝王切開の流れ。
・硬膜外麻酔で大暴れしてごめんなさい。。陣痛よりも背中に刺す麻酔が1番痛い&恐怖だった…
・感覚のない下半身は、長時間雪遊びしたあとのジーンと痺れる感じに似てた。
・ずっとお腹の辺りでカチャカチャすること約30分後、赤ちゃんの鳴き声。生まれましたよ!と同時、胸元にドサッと生暖かい肉塊を置かれたのを感じた。カンガルーケアってやつ?シートで阻まれ姿がよくみえないうちに連れ去られたw
・術後、朦朧として「お腹の上に乗せてる重り?文鎮ですか?をどかして下さい」と言った。重いと感じていたものは文鎮ではなく、どうやら傷の痛みだったらしい。
・術後の姿を見て「難産だったね…」と義母に同情されたが、赤ちゃんが無事健康に産まれてきたのなら安産だと思う(思ってた。。)のでそう答えた。
・腹の傷の痛みがとにかくつら過ぎた。腹筋どこいった?て感じで腹に力が入らない。あと、傷口にブッ刺さった2本のチューブから出血を溜める小さなボトルがぶら下がってる。トマトジュースのように濁った体液が常にタポタポしてて気持ち悪かった…
・縦に走った傷跡にはホチキスの芯がびっしりと。抜糸はそれを一本一本抜いてく。「陰毛を抜く程度の痛み」とネットで事前に知れたので、恐怖はそれほどでも。
・術後のガスがなかなか出てくれなかったので、入院食はずっと五分粥。お祝い膳をすごく楽しみにしてたが結局出てこなかった…ものすごく豪華で美味しいと評判の産院だったので残念。。
・術後のガス出ない。。お腹はガスでパンパン膨れ、とても産後に見えない大きさw傷口が開きそうで怖くなる。歩くのも苦痛。ガス出すために下剤飲まされたり浣腸されたが無駄だった…肛門ボロボロいぼ痔悪化…。ネットで調べたオナラ体操が一番効いたかな。体をひねってなんとか出した。
・「赤ちゃんと一緒にがんばりましょう♪」という通常分娩を前提としたイメージトレーニングを受け続けてきたせいだろう。緊急帝王切開となり「ちゃんと産めなかった」みたいな負い目がずっとある。泣きたくなる。「出産頑張ったね、大変だったね」の声に紛れて、実母が「この子はラクして産んだから〜」と親戚に話してるのが聞こえて悲しかった。
・産後翌日。保育器に入り色んな管に繋がれた我が子と対面。こんなに可愛い子が胎便漏らすほどお腹の中で苦しんでたなんて...可愛さといたましさに保育器の前で体をくの字に曲げおんおん号泣。異様な姿だったと思う。
・産後すぐ姉や友人たちに送ったメールを読み返すと、出産時の様子を生々しく熱っぽく報告してあって、テンションが二郎レポのそれだった。以上、レポっす!!ってやつ。
・産後すぐ、実母がすごく嫌だった。帝王切開はラクなお産発言とか母乳足りてないんじゃないのとしつこかった。マルチ商品みたいな怪しいドリンク持ってくるし。
・実父が「自分に似てる」と言うのが心底嫌だった。授乳する時思い出しては最悪。。
・ 実家は狭いうえ底冷えがひどく、両親が高齢なのもあり頼れないなと思ってたから里には帰らなかった。かといって、赤ちゃんとの暮らしなんて想像もつかないし実際体験してみないとわからない事だらけだ。退院後すぐ自宅育児が出来る自信がなかったので、産後ケア施設に2週間入所することにした。
・24時間助産師さんのもと赤ちゃんと2人の生活を監修して貰えるのはありがたいと思う。自宅育児が始まる前に、赤ちゃんと実生活しながら育児に必要な細々としたものを揃えていき(夜な夜なAmazonポチポチ)、日々のお世話の仕方をしっかり身につけられてあんしんできた。母乳の状態もみてもらえるし、疲れたら助産師さんに子を預けて休息をとれるし、栄養ボリュームたっぷりな1日3回の食事、おやつ、マッサージと至れり尽くせり。お金があれば、ずうっと入所してたいくらいだった。。。
・2週間、夫は毎日来てくれた。夕食の18時から2時間ほど親子3人で過ごした。たまに夕食を持ち込んで一緒に食べたり。面会終了時間までベッドで横になり、初めて3人一緒に眠ったり。嬉しくて幸せで貴重な時間だった。赤ちゃんの名前はこの時に2人で決めた。
・施設を退所して自宅育児開始。産後0ヶ月は壮絶だった。。赤ちゃんは1日のほとんど寝るか泣くかの繰り返し。愛おしい我が子なのに理由のわからないギャン泣きは異生物感凄くて、正直ギブつって放って逃げ出したかった。独身時代の自由気ままな暮らしに戻りたくてたまらなかった。産後はもっとこう、母性が芽生えて無限の愛に溢れたキラキラママへ自動的になれるものだと思ってたのに。なれない自分に自己嫌悪したり。
・止まないギャン泣き。途方にくれる。リビングが精神と時の部屋化する。
・おっぱい咥えてる間は泣かない、咥えたいだけそうさせればギャン泣きしない。解決!
・産後1〜2ヶ月頃。夢を見るが不思議と我が子は出てこない。一度だけ、仕事もバリバリやってスタイリッシュなオフィス、魅力的な同僚に甘酸っぱい恋、うんとオシャレして素敵なレストランでワインを飲んで…というコテコテの月9かよみたいな世界観の夢みて、まじでどんな悪夢よりもきついものがあった。だって自分には決してもう有り得ないんだもの。
・我が子はものすごく可愛いし毎日幸せでたまらん…のに、退屈で死にそうになる事がある。
・開き直るようになった。これまでは、電話が取れなかったりメールの返事が遅れる自分をだめなやつだと責めてたけど、今では「だって育児してるんだもーんしょうがないでしょ」と。
・お洒落しなくなった。白髪増えていくのにそのまま、化粧も適当、服買わない、身なりに興味なし。
・人とうまく喋れない。言葉がでてこない。話し相手は夫だけ。それも生活上必要最低限の会話だけ。
・自宅育児初日のこと。「沐浴はどうしようか...」となり、とりあえず沐浴マットを敷いたシンクに横たわらせシャワーをジャーっと…したっけ大号泣よ。洗剤スポンジ置く鉄網?を、ちっちゃな手で力一杯握りしめながら怯え泣いている姿を見てハッと我に返った。赤ちゃんをお皿や食材みたいに洗っちゃいかん、これはいかん、わしら何てことをしてしまったんや(寒かっただろうしね…)それ以降は湯舟に一緒に浸かるスタイルで安定。
・母親学級で習った「怒責感(どせきかん)」という言葉が流行る。うんこしたい時の合言葉になった。
(使用例:「怒責感が…」と言ってそそくさとトイレへ立つ。怒責(どせき)ってきた。など)
・オムツ替えは、うんちの回数が多くまぁ進んでやりたいような楽しい作業ではないのもあり、そこでちょっとワクワク感を加えようという思いもあって、うんち量が多いほど小吉〜中吉、うんちがオムツからはみ出したら大吉といううんち占いを
・自宅にて家族3人ようやく念願の川の字になるが、我が子ピンポイントで夫の股間を蹴るため、PK時のサッカー選手みたいなポーズで就寝する夫。
・イベント化する選挙。夫婦2人だった頃の生活上には「投票に行く」なんて一度もなかったが、いまでは選挙があるたび散歩がてら家族揃って投票所へ足を運ぶようになった。
・産後1ヶ月あたりからずーーーっと手首痛い。抱っこが苦痛。おむつ替えのとき、赤ちゃんの蹴りが手首にちょっと当たっただけで痛みにうずくまって泣いた。
・整形外科通院。手首の腱鞘炎に注射。むちゃくちゃ恐怖だったが、硬膜外麻酔よりマシ...!と脳内で繰り返し唱えて耐えた。手首への注射はすんごく不思議ななんともいえん新感覚な感触。。ポクン!て鳴った。
・痛みが緩和されるのはほんの数日。根治治療にはならないのと、あと注射の効きにムラがある。。注射後かえって痛くなる日もあった。
・やたらとオナラがでるんだが。。。
・首、肩、手首、乳首がボロボロ。。首という首がやられる。(足首だけが無事)
・妊娠中20kg近く太り、産後1ヶ月で10kg痩せたが残り10kgェ…
・産後すぐの授乳指導で、助産師さんがおっぱいのあげ方を「手に乗せたハンバーグを差し出すように」と表現したのだが、いまだにイメージがわかない。もしかして単に聞き間違いだったのかな。。
・母乳が壊れた蛇口のようにビャービャー出る。我が子の顔や頭にまき散らして笑ってしまった。
・紐の扱いが天才的にうまいw いつのまにかヒュヒュッと絡め取ってる(見ないで取ることも)胎内で臍の緒で遊んでた名残とも言うがはてさて...。
・新生児期、ミルクあげると両手を胸元でキュッと寄せるぶりっ子ポーズをしたり、ゲップ出しで背中とんとんする際、酔っ払いみたくクッタリする姿がほんと可愛くて。
・いつ見てもホコリや垢を握りしめている。
・布類を顔にかぶせたがる。洗濯物に埋もれていることが多々ある。
・「THIS IS IT」のポーズで大喜びしてくれる。
・たっちができる頃には組み手、歩けるようになったらぶつかり稽古の相手をしている。
・突進してきては抱きついて私の着ている服で口や手を拭ってゆく。
・夜中寝ているとき、ちゃんと生きているのか不安になって呼吸や鼓動を確認する。
実母との関係を心配されているようでしたが関係は至って良好です。母は人から褒められたり持ち上げられると、つい自分sage身内sageをしてしまう性格に加え、母自身もあの頃は孫ハイになっていて深く考えず発言していたんだと思います。実父に対してはほんと理不尽だったなと反省...。
超個人差があると思いますが、ガルガル期、いま振り返ると自分でも異常なほど攻撃的でした。人が変わったように感じることがあるでしょうが一時的なものですので安心してくださいね。
・趣味を否定してくる人 → 何で話しかけてきたの?他者否定っていうつまんない趣味に巻き込まないでもらえますか
・プライベートで説教してくる人 → 何で話しかけてきたの?(以下略)
・見捨てるのか → 10も下の異性頼るって何事。誘拐目的で子供に道聞く異常者と思考回路一緒じゃん
・別れるなら死ぬ → 「太陽熱でいずれ地球は消滅するから、お前の考えてることは無駄」って言ってたの自分じゃん。そっくりそのまま返す
・別れるってことは、死ねってことだろ → 論理破綻してるって気付いてる?できないのであれば、統合失調症か境界性人格障害か自己愛性人格障害か、知能指数が低いかのいずれかの傾向が見られるので、心理検査をすすめます
・一生かけて俺を幸せにする義務がある → 心理学的に人は自らを幸せにする方法しか存在しないんですよ。それだと一生かけたって幸せにならないよ
・俺を利用するために近づいてきた → 利用してないし、近づいてないし。自分がどうしても付き合いたいって3ヶ月も迫ってきたの忘れたんか。というか俺のローン払ってくれとか、ヒモになりたいとか、利用してるのはどっちだよ
・俺のことが恥ずかしいんだ → 被害妄想面倒臭い。自己嫌悪を他者投影して絡んでこないでください
上司が言う。うるせえな。結構面倒くさいんだよ、これをやるのは。知らないのに言うんじゃねえよ。
そう思ってる自分と、簡単な実装もできなくて落ち込む自分がいる。
簡単な実装もできなくてごめんなさい。みんなに迷惑かけてごめんなさい。自己嫌悪の気持ちが日に日に強くなってきた。
ライブラリの仕組み上、違う実装を終わらせないと目的の実装ができない。会社以外で抱えているタスクも結構ある。
そうこうしているうちに締め切りがくる。責められるのが嫌で、直前の日に徹夜で別ブランチにごまかした実装をのせて、ミーティングに向かう。
どんどん技術的な負債が溜まっていき、毎週の徹夜のせいで心も体もボロボロになってしまった。
進捗の埋め合わせをするため、土日も空き時間は作業をしている。
きっと、もっと丁寧にスケジュールを立てて、タスクを整理すれば、すぐに終わる実装なんだろう。
でも、上司の無茶振りが増え、最初はできていたはずのタスクの整理は、途中からできなくなってしまった。
「進捗遅いよね。結果が悪いなあ。もっと性能伸ばせないの?週末までにやってね。」なんて、気軽に言ってくるもんだから、スケジュールにないタスクが増えてしまった。
「このプロジェクトで、この実装はいらないのでは?なんでこの結果が見たいんですか?最初と言ってることが違いますよね。」って、上司に言えたら楽なんだけど。高圧的に来られると萎縮してしまう。「はあ、了解です。やっておきます。」って答えてしまう。徹夜明けで疲れているから。
最初の数ヶ月は、もっと簡単なタスクばかりだったし、ライブラリも小規模であったから、見栄えの良いアルゴリズムを短期で実装できた。結果を見てご機嫌な上司は僕を褒めて、僕もご機嫌だった。
プロジェクトが変わってから、もっと大規模な開発にアルゴリズムを実装する必要がでて、性能がすぐに見れない上司は強い言葉を使うようになった。
「この実装、クレイジーだよね。悪い意味でね」そう言われて落ち込んだり、「お前は何もわかってないな。この実装、全く意味ないよ」なんて言われて、僕は今週何やってたんだろうって、思うことが何度かあった。
落ち込むと作業効率が下がって、また強い言葉が増えて、また下がって、の繰り返し。このままここにいても、負のスパイラルを抜け出す自信がない。
結局、会社を辞めることにした。
この話をすれば、「世の中にはもっと大変なエンジニアがいるんだ、甘えるな」とか、「上司だって納期があるんだよ。仕方ないだろう」とか、色んな意見が出ると思うし、全くそのとおりだと思う。
上司の言葉が強いのも、僕の勘違いかもしれない。僕はメンタルが弱くて、ちょっと弱っただけで作業効率がとても落ちる、すごい面倒な生き物なのだろう。
しかも僕は、上司との雑談では上辺だけの話しかせず、勝手に悩んで、勝手にメンタルに不調をきたしてしまったのだから、明らかに僕にも非がある。僕も過去に強い言葉を使ったことが何度もあるから、僕は文句を言える立場でもない。
でもやっぱり、上司の方々は優しい言い方を心がけてほしい。強い言葉を使うと弱ってしまう生き物が、きっと市場にはたくさんいるだろうし、コロナで交流が減った結果、もっと増えるだろう。
「お前は何もわかってないな」とか、「クレイジーだね」なんて、言わなくてもいいことだ。
上司との相談は積極的に推奨されているけど、強い言葉を使う人に相談できる内容があるわけがない。結果的に、僕らの面倒くささはギリギリまで隠されて、急に辞めてしまう。
焦らない。今のままでも良いが何か頑張ってみても良いよねというスタンス。他人と比較しない。自分が楽しいかどうか。すごい人はたくさんいるけどすぐそういう人になれるわけではないので一歩ずつ進んで少しでも近づければいいよねというスタンス。疲れたら休む。ただし気の休まらないことはしない。周りに壊れた人がたくさんいるのでまあ壊れる時は壊れるよねという感覚でいる。体の病気と同じ。金にならない場所で誇大なことは言わない。大体2割減くらいで説明する。常に6割くらいの力で動く。ブーストをかけても8割。大抵のものにはどうでも良いというスタンスで臨む。いろんな意見があるというスタンスで臨む。批判されてもまあそうかもしれないけどこっちにも事情があってどうしようもないんだよねというスタンスで臨む。実際に自分に落ち度や改善余地があれば反省して改善する。ミスは起こすものという前提で臨む。ただし、原因究明と再発防止には気を付ける。それでもミスをする場合もある。まあ起こってしまったものはしょうがない。知らないことを恥じない。常に知らないのですが教えていただけませんかというスタンスで臨む。基本的なことで聞きそびれてたという場合でも「基本的なことで申し訳ないのですが」とか「今更なのですが」みたいな前置きを置いてどんどん聞く。教えてもらった後はお礼をする。今からではどうしようもないことや自分の力ではどうしようもないことに関してはまあ自分が不安になろうが結果は変わらないしなあというスタンスで臨む。自分は優秀であるというアイデンティティは絶対に持ってはいけない。優秀かどうかというのは相対的なものでありどんなに優秀な人でもさらに優秀な人がいてその人と比較すると優秀でなくなる。同様に下を見れば相対的に優秀になることはできるであろうがそれらから得られるものは何もない。むしろ自分の器の小ささを見つめることになり自己嫌悪に陥るのでやめる。優秀かどうかを評価するのは他人であるがそれにもあまり価値を見出さない方が良い。結局は評価者の主観や能力に依存する。自信を持つとしたら「自分は〇〇ができる」といったような客観的事実に対して自信を持つ方が良い。他人の評価に依存するアイデンティティは弱い。党派性を持たない。できるだけフラットでいる。自分がネガティブになっていたらポジティブになるように調整する。同じことを何回も考えない。余計なことは言わない。余計なことを言わなくて起こる問題は無いが余計なことを言ったがゆえに起こる問題はある。
他人からそういうところがいい、みたいに言われるのもどっちもかなりつらい。
自分の好きを発信するのは、言わないと相手がなんの反応もなかったと悲しんでいたりするので
頑張って伝えていこう!と思ってそのときは口にはするんだけど、
後から「自分ごときが何様のつもりなんだ、そんなこと言われた方が迷惑だっただろ」って、
口にしたことを後悔してしんどくなることが多い。
その人が好きと言われたり褒められたいのは自分みたいなクズじゃなくてもっと素晴らしい人なのに
逆に他人から褒められたりすると「そんなことあるわけないのに気持ち悪い、なんだこの人」って感じて
褒めてくる人ほど嫌いになる。自分のことを嫌味でからかってるのか?って、
聞いてて全然嬉しくない。お前の目は腐ってんのか?とイライラしてしまって却って気分が悪い。
どうしたら思考が変わるんだろう?このままじゃいけない気はするんだけど、
いい歳こいて彼氏もできたことないノーメイク子供部屋おばさんオタク女だったけど、オタク友達と集まった時にノリでマッチングアプリに登録した。
「ノリで」なんて言ったけど、本当はみんな心のどこかで彼氏欲しいって思ってたのに、そう言葉にするのがなんか恥ずかしかったから酒飲んで"ノリ"ってことにした。
そこから真面目に女になろうと頑張ってみて、パーソナルカラー診断と顔タイプ・骨格診断してもらった。美容部員に話しかけるなんて絶対無理だからメイクレッスンに行ってイチから化粧を教えてもらった。学生のうちにやっておくべきだったんだろうなって思うけど、やってなかったんだから仕方ない。大学生の頃から着続けていた服を年相応で無難なものに買い換えて、眉カットして美容室行って脱毛も契約した。突然美容に40万円近くぶち込んだ私を、色気付いてと親が茶化してくるのが恥ずかしくて、推しとのチェキ会があるって変な嘘をついた。
女はイージーって増田たちは言うけど、本当の本当は髭の生えた女とは付き合ってくれないじゃん、常に原稿とソシャゲ周回の寝不足でクマがとれない女とは付き合ってくれないじゃんと怒りを覚えつつ、遅れた分を取り返すようにインスタに登録してひたすら垢抜けメイクとか筋トレ動画見てた。
そうしてく間に、オタク女ならイケそうという意識の透けたオタク男からの「いいね」が来た。
マッチングしてメッセージのやりとりを続ける。好きなアニメの話をしてみる。まあ女性向けジャンルの話は合わないので、無難に鬼滅の刃と呪術廻戦の話をダラダラする。ランチデートへ行く約束をした。マスクを外す瞬間は緊張したが、相手がグッと前のめりになったので、私の顔面がまあ及第点であったんだろうなとは思う。
ただ相手の喋り方があまりにも早口でオタクすぎて、ウワ〜!もしかして私もこんな話し方してるの?一般人からはこうやって見えてるの?笑い声高いし本当に「デュフッ!」じゃん!私ってこのレベルとしかマッチング出来ないしマジで選ぶ立場にはないんだ!と自己嫌悪に陥ったし、「実は僕プロフィールの詳細には書いてなかったけどこんな所に勤めてて〜」というダサいアピールされて、大企業に勤めてるからなんなの?私だって資格職だし旦那が最悪将来働けなくなったとしてもオタクなりに好きになった男1人くらいは養う覚悟だが?って思っちゃったし、なにより私が1番好きなコンテンツの名前出したら「あ〜ちょっと前に流行ってましたよね」とか私が1番嫌いな言葉を自然に言ってくるし、登録名って本名ですか?電車何線で来ました?どこに住んでるんですか?とか早すぎる距離の詰め方が嫌で全部適当な嘘ついてLINEも交換せずに帰宅してブロックしてしまった。
今の自分に釣り合う男のレベルはまだここ、という事が痛々しいほど分かったので、もう少しコミュニケーション能力のある男とマッチング出来るよう努力しようと思えた初デートだった。諦めずにコツコツがんばって可愛くなろうと思う。
垢抜けるのには最低5年くらいかかるらしいってネットで見た。5年あったら三十路越えちゃうよ。今からブーストかけられる方法あったら教えて下さい。
今日もまたひとつ英語が苦手な理由をみつけた。言い訳がまたひとつふえた。
「言いたいことが英語で言えない」の原因は「英語力が低い」だと思ってる人が多いけど、実は「日本語力が低い」が本当の原因であることがマジで多い。 - Togetter
仕事で英語を使うんだが、英語をまじめに勉強しだしたのは、まさに仕事で必要だからだった。
そうすると何が起きるかというと、
時間が経てば、自分の仕事に関することやプレゼンは英語でなんとかできるようになるんだけれど
日本語でも普段から、そんなノリのいい会話をしているわけではなかったから、ノリについていけないし、雑談力を磨こうとも思っていないし、
どうしたら英語で楽し気に雑談できるか、まじめに考えたことがなければ、結果としてそうなる。
しかし、ひとたび話題が仕事の話に戻り、専門的な事項について話が及ぶと、急に身を乗り出して
熱弁をふるい始めてしまう。
何のこっちゃっていうタイトルだが、本当にそのままだ。
突然だが、私はクリエイターの端くれだ。それ1本で生計を立てているわけではないが、VTuber企業様からも多少なりともお金をいただいている。
とある私の携わった動画は、タレントさんの高い能力と知名度のおかげで、ものすごい再生数も叩き出したし、そこからさらに他のお仕事へ繋がったりもしている。
察しの良い方はここでお気づきだろうが、私が推しVのオリ曲を聴けない理由、それはあまりにも情けない理由だ。
嫉妬をしたのだ。私の推しVのオリ曲に携わった、私の友人たちに。
悲しいかな、私のちっぽけな自尊心は、こんなしょうもないことでズタボロに引き裂かれてしまったのだ。
私は"選ばれなかった"。
全部能力不足な自分のせいだなんてことはハナっから分かってる。それでも、自分の惨めなプライドが邪魔をする。
大真面目な話、私はとある推しVのオリ曲がリリースされてから1年以上経ってもまともに聴くことができなかった。聴いてしまったら、その作品の良さに飲み込まれてしまって、敗北を認めてしまう。何と闘ってるんだ、自分は。
こんなことでポキっとメンタルが折れてしまう自分は、きっとクリエイターに向いていないのだと思う。
だが、それすら失ってしまったら、私は何をして生きていけば良いのだろう。その先を思うのがとても怖い。
決して安くはない金額をつぎ込んできた機材・ソフトたち、積み上げてきた知識・経験・実績、これまでに得てきたファン・認知度。
ああ、情けないな。こんなものに縋ることでしか、自分の存在価値を見出せない。
そうしているうちに、私は推しの配信すら見れなくなってしまっていた。それが楽しみだった、それが癒しだった、そんなはずの配信に、必死にリアタイしようとも思えなくなり、アーカイブを追う気力すら湧いてこない。
私はあれだ、小さな箱でライブしてた頃から応援してたアイドルが大きなステージに羽ばたいて行くことを素直に喜べない、醜くて小さい人間だ。そうはなりたくなかったはずなんだけど、結局自分ってそういう奴だったんだって気づいてしまった。
「勇気」なんて言葉をいっちょまえに使ってみたけど、勇気なんてカッコいいもんじゃないよな。
そんな自分に自己嫌悪しながら、今日もパソコンに向かって作り続ける。きっと自分が望む自分になることはないだろうと、自分を諦めながら。
今年30歳のオッサンです
言いたいことはタイトルに書いたのですがもう少し詳しく状況を説明します
通帳を持っている両親は通帳で引き出しや振り込みの履歴が確認できます
どうしてこうなったかと言うと今から5年ほど前に金銭問題(簡単に言うと自分が詐欺にあって貯金を失ったトラブル)を起こして親にも迷惑をかけてしまったから
だから両親が心配するのは自然なことだと思うけどそれでもしんどいものはしんどいです
転職や退職などで給与の振り込み期間や金額に違和感があれば電話で根掘り葉掘り聞かれるから簡単に仕事は変えられない (過去に転職した際には実家に戻って直接経緯を話すように言われるくらいでした)
5万円10万円も大金を引き出せば当然何に使ったかも説明する必要があります
大金の引き出しに関しては一例として転職の影響で税金の支払いがあっても詳細を聞かれるのが面倒で先延ばしにしてしまうといった感じで影響が出ています
もちろん自分が無駄遣いを一切しなければ問題はないので自己責任と言われればそれまでです
正直に金銭に言及されるのは辛いからやめてくれと言えればいいのですが言ったところで事態が自分にとっていい方向に向かうとも思えません
このまま生きていくのはしんどいというところでタイトルに戻ることになります
両親に対して過去に迷惑をかけているのにしんどい気持ちになるのはワガママすぎるんじゃないかとか自己嫌悪もしてきました
正直よくわからない感じです
まず、「世の中に左右対立なり男女対立がある」という事を強く意識している人だ。はてなーにもそんな人はそこまで多くないだろう。
そして、その中でもなんとなく「左」の方が好きだなー、とか、「右」の方がいい感じだなー、みたいにサイドをうまく決められている人とか、
「どっちもどっちだろw」と笑い飛ばす人とか、是々非々で見ることが出来ている人とか、「中道」の人たちとかはこの文章の対象ではない。
この文章の対象は、「『右』についても『左』についても(場合によっては『中道』についても)、彼らの掲げる『正しさ』を無視することが出来ず、さりとて彼らの『正しさ』を丸呑みしてしまえばそれは自己否定になってしまうから、結果として『右』に対しても『左』に対しても嫌悪や否定から入るタイプの人」である。大概「インターネットはクソ」的な事を言っておきながらインターネットを辞められない人だったりする。自己認識とは裏腹に、外部からは「左」を攻撃する「右」や、「右」を攻撃する「左」と区別がつかない。事実上どちらかの論理に絡み取られることも少なくない。そうでない人たちも、人の正義を笑う事が目的化している「冷笑系」と呼ばれることが多いし、実際外部から見ればその通りである。このタイプの人たちが引き起こす害の存在を否定するつもりはないが、今回はそれについてはあまり語らない。今回は、このような「右」や「左」の「正しさ」がしんどい、冷笑系と呼ばれるような人たちに向けた文章を書く。この増田はすべての人たちに対して公開するが、この増田でこのタイプ以外の人に対して配慮する気は一切ない。まあ、最低限攻撃にはならないように尽くすが、そう聞こえてしまったら申し訳ない。
まず、ここでは鍵カッコつきの「正しさ」と、そうではない正しさを明確に区別する。端的に言えば、前者は自分がそれに納得も反発してもいないうちから無理に賛成か反対か決めさせられる二分法的世界観のことであり、後者は自分で沢山考えて、さまざまな意見を聞き、それらを柔軟に取りいれ、そのうえで自己批判を重ねることで、自分の血肉となる正しさである。
あなたは、「右」や「左」を嫌悪している。それにもかかわらず、彼らを眺め、時には何か文句を言ってやることが辞められない。なぜだろうか?
一因としては、あなたの孤独、あるいは社会問題について接する機会の多さ、または暇な時間の多さ、などの要因が考えられるだろう。ここではそれは大きな問題としない。
私個人の体験の話をすると、(「右」か「左」かは書かないが)「このままでは日本が滅びる」的な事をヒステリックに連呼する家族に対する恐怖が大きな要因だったと思う。
ここで、「そんなことあるわけないだろ~」と笑って以後その人をシャットアウトできる人は幸せ者だと思う。(そして、この文章の対象ではない)
私はそれを聞いてこう考えた。
「日本が滅びるという事をヒステリックに危惧することでいったい何が解決するんだ?
まして、そもそも前提を共有していない相手に対して前提を共有してほしいならその手のコミュニケーションは悪手中の悪手じゃないか?
そもそも、日本が滅びそうかどうかなんて直観的には分からない。テレビを見ても新聞を見ても本を読んでも友達と語らっても、当然インターネットでエコーチェンバーに堕ちても、
感覚と実情には相関のかけらもないだろう。何やら身内だけで通用する『論法』をありがたがり、反対意見はすべて『悪』の手先と決めつけているようだが、
そもそも世の中に対する見方など無数にあるわけで、もし本気で日本が滅びることを危惧するならば多様な視点を持ち現状を正確に把握する方がいいんじゃないか?」と。
しかし考えてもみよう。多様な視点を持つべきであると私は言った。という事は、その「ヒステリック」な彼らの視点を、私たちが知らなくていいわけないじゃないか。「世間」の正しさによって「ヒステリック」な「右」「左」をたたくのと、その逆は構造としてはほとんど同じで、ほとんど同じレベルの不誠実だ。私は家族に対して素直に「自分は聞きたくないから聞かない」とする事が出来なかった。それは自分自身が、世間の「正しさ」や、自分の感覚としての「正しさ」に何ら信頼を持っておらず、意見を異にする人を「聞きたくない」という理由で目の前から排除することは、そのまま自分が意見の違いによって排除される事を認めることになるから絶対に聞かなければならない、という強迫観念があったのだと思う。で、当然ながら家族の意見と私の意見は大分異なっていたので、それを否定するために向こうの論理を知らなきゃ、という事で気が付けばはてなで本来そこそこマトモな思想であるはずの右と左を乱用する「右」と「左」の人たちのコンテクストを学んでいった。
細部の体験は違うだろうが、「正しさ」がしんどい人たちの多くは、「正しさ」によって排除されたか、「正しさ」によって排除された人の「正しさ」に人格を非難されたように感じたかのどちらかだと思う。そしてみんな世間の正しさや自分の正しさに自信がないんだと思う。世間を信じることが出来ていれば、(念のため。盲信ではない。たぶん大体正しいだろうなーと感情レベルで思える事)「おかしな『左』と『右』は世間と言っていることがあまりに違うからノイズとみなします」とすることができる。(その中には有益な情報も混じっているし、世間が致命的に間違う事もそこそこあるので、失うものは当然あるが、リスクベネフィットを鑑みればそこそこ優秀な処世術だと思う)あるいは、自分自身できちんと正しさについて考えて、誰かの「正しさ」に「圧力」を感じない人はこうはならない。ひどい言い方をすると、世間に包摂されることもなく、個人として自立できてもいない人たちがそうなるのだ。
あなたは「正しさ」を恐れている。もしあなたが「フェミ」の「正しさ」におびえているのならば、目の前の女性が少し自分とは関係のない特定の男性を軽く批判したとしても、それに恐怖するだろう。「アンチフェミ」の正しさに怯えるならば、「ただしイケメンに限る」みたいなしょうもない自虐を、直ちにジェンダー平等に対する攻撃の準備と受け取るだろう。「右」の「正しさ」におびえるなら、少し日本が好きだという発言をする人がいても怖いだろう。あなたが見たものそれ自体はよくある普通のものでしかないが、あなたの頭の中では、それは「正しさ」による抑圧の枕詞なのだ。絶対に、予防しなくてはならないという防衛本能が高まる。(典型的な反応が、ちょっとした男性批判に対して「男性差別だ」と言ったり、「右」に対して「お前こそ反日だ」と言うなど、「彼ら自身の言葉」で彼らを批判することだ。これはほとんど脊髄反射のようなものである)これではまるで、あなたが嫌いなヒステリックな「右」「左」と同じだ。残念ながらあなたはあなた自身の正しさを持つことが出来ていない。だから、もしかしたら目の前の相手は自分を洗脳しようとしているんじゃないか、いやいや自分こそが洗脳されているんじゃないかという恐怖に襲われる。こうなるともうパラノイアだ。あなたはあなた自身の混沌とした葛藤にあなた自身の問題として向き合う事を避け、代わりに「右」「左」の独善性を他者の問題として批判している。右や左がバカで害悪なのではない。あなたがバカで害悪な「右」と「左」を探して見つけているのである。なぜなら、そういう人たちを批判し続けていないと、自らの内面と向き合うことになり、それは辛い事だから。
あなたは自分の問題から目をそらしているのだ。(ちなみに、これは私自身の自己批判でもある。なかなか書いていて辛い内容である)
もしかしたら、私が「どっちもどっち論は正しくない」、と迫る「左」のように見えたかもしれない。しかし、私は正しい正しくないという軸はここでは採用しない。ここではもっとプリミティブな、「それはあなたにとって損か得か」という軸を使う。
あなたの葛藤はあなただけの責任ではない。社会にも当然原因がある。「右」や「左」の「正しさ」にも原因があるだろう。また私の考察が正しいとも限らない。少なくとも「正しく」はない。
しかし、歪んだ「正しさ」を持つ「右」「左」を非難する事で、自分が自分の芯となる正しさを持たずフラフラしているという実際問題から目をそらしていないだろうか。それはあなた自身の人生にとって大きく不利な事ではないか、と言いたいのだ。あなたがこのまま誰かの「正しさ」に怯え続けるならば、人とかかわる時もいちいち自分は「正しい」かどうか考え続けるだろう。
いわゆる踏み絵を踏まされるような類の教義的な「正しさ」と、自分できちんと考えて出す類の正しさを区別できないと大変だ。「正しさ」を否定するあまり正しさも否定して倫理など投げ捨てる人間になってしまうかもしれない。それが嫌なら、陰謀論者ルートもある。あなたのような、陰謀論者を親の仇のように憎む人は、陰謀論者の卵である。正しさを肯定するあまり陰謀論という「正しさ」もまとめて肯定してしまう陰謀論者と、「正しさ」を否定するあまり正しさにまで怯えるあなたは、自己認識では正反対かもしれないが、抱えている問題はほぼ一緒だ。
ならば、どうすればいいのだろう?あなたが「正しさ」と正しさを区別して生きるためにはどうすればいいのだろう?
あなたが世間の正しさを緩やかに信じるのは、きっともう無理だろう。ならば、あなたにできることは自分の正しさを確立する事だろう。そうすれば、他人の正しさのこともきちんとそれなりに尊重できると思う。
インターネットを辞めることは問題の解決にならない。いや、正確に言えば、問題が解決したら勝手にインターネット(より正確に言えば、インターネットで「右」や「左」の頭のおかしい人をわざわざ探してきて嘆くマゾ行為)を辞める事になるだろう。インターネットは結果であって原因ではない。
そのためにどうするかの方法論までは、さすがに一般化できなそうなので、各自で考えて!(適当)
なんか注目エントリにこの増田でしている話題と近そうな話が載ってた(https://anond.hatelabo.jp/20220814232604)
この増田は、インターネットのイナゴたちを人として見下している節があって、自分自身もまたそれと同じになりつつある!と自己嫌悪してる感。
たぶんどれだけ言葉を飾ってもイナゴたちとnotイナゴたちで後者の方が「上」としてしまう時点で根本の問題からはあんまり抜け出せてない気がする。
親切心でないことは確かだ
読む人にはそれをよく考えてほしいね
自分としては、主に自分自身へのアドバイスで、折角書いたこれを一人で持っておくだけなのもなあと思って放流しました。親切心では間違いなくないです。
こういう文章で増田の党派性を書かないのは不誠実だと思うので書いておくと、増田はどちらかと言えば「左」「フェミ」の「正しさ」の方に良くも悪くも存在感を感じます。「右」と「アンチフェミ」は、正直何言ってんだこいつらと切断処理するのが割と簡単ですが、「左」「フェミ」に対しては難しいです。また、自分は恐らく左翼や親フェミニストと呼ばれる類の人間ではあるが、一方で「左」のテンプレともやや違うと思っています。(同性婚賛成、天皇制反対、自衛隊明記賛成、と言えば、どんな人か多少イメージがつくかと)たぶん、真剣に「右」をやっている人<真剣に「左」をやっている人<<どちらにも興味がないがほんのり右な世間の人 という数と影響力のバランスなので、この数の順に権威を感じて怖いんだと思います。
そう思ったという事はあなたはおそらく対象ではないですね。お目汚し失礼しました。
私はこの文章を私のような人たちのために書いています。公的な意味はおそらくないでしょう。
日常のことを話して隠れるか、(歴史や古典を含めて)過去に旅立つかが個人的な解決方法なんだけど、「正しさ」が苦手なのか「正しさを旗印にした他者への圧迫」が嫌いなのかは気づいておいてもいいかもけ。
えっと、一応その二者は区別してます。(確かに、正しさと「正しさ」なんてわかりづらい表記じゃなくて、正しさと正しさを旗印にした他者への圧迫みたいな表現にすればよかった...)
ご指摘の解決方法はまったくもってその通りです。「世界は敵と味方に分かれている戦いの場というだけのものではない」という実感(「理解」ではない)を得る事が救いなのだと思います。
党派性に駆られて訳の分からない事を言っている人たちの叫びも、大体この実感を得たいがために敵を滅しようとしてる感があります。
だいぶ前にどっかの「左」の人が「いい人だけの国を作りたい」と言って炎上していましたが、アレもそういう感じなんですよねたぶん。
敵がいてもそれでも大丈夫だ、とりあえず危害は加えられないという安心感が足りない。
あるいは、「右」の荒唐無稽な歴史修正とか、中韓と断交!とかも、そうした安心感を求めてやっているのかなー、と。
もちろんちゃんと信念をもって右と左をやっている人は素晴らしいのですが、そうではない人は少なくとも個人の幸せという事を考えれば、敵を攻撃するより世界に対する恐怖感を取り除く方がよいのかなーと思っています。
サマセット=モーム全集で『月と六ペンス』の次の作品だったので、この作品から続けて読んだ。結果、興味深い点もあったが、全体としてはいまいちだった。
1925年に発表された、中国の英国植民地になっている仮想の町を舞台とした作品で、その設定は面白く、簡潔で要領を得た人物描写も巧みで興味深く読んだが、人物の書き込みが足りない。またプロットが性急すぎる(展開が早すぎる)。このせいで全体としてやや散漫な印象を受け、作者が連載小説を書くために書いているだけの印象を受けて、全80章を最後まで読むのがだるく感じた。
全編を通してKittyの揺れ動く心理描写がテーマになっているといえばいえるが、読後感としては、何だこりゃという感じである。サマセット=モームは人間の多様さを書くのだが、それ以外に何もない。中国を題材に取っているため、タオを人生観として提示してこの小説は終わるのだが、どうもとってつけたような結末だという印象がぬぐえない。
この小説を読んで、もうしばらくサマセット=モームはいいやと思った。
主人公のKittyは植民地官僚のCharlieと不倫をしている。夫で細菌学者のWalterは典型的な理系の人として描かれている。非常に真面目で、抑制的で、冷徹な印象を与える。不倫が露見すると、WalterはCharlieを訴えるかわりにKittyをMei-tan-fuという街に連れて転任するよう提案する。この町はコレラが蔓延していて、Walterは医者として派遣される。Kittyは自暴自棄でMei-tan-fu行きを承諾する。転任しても二人の間には冷たいものが流れる。仮面夫婦だ。ある日Kittyは街の修道院を何の期待もなく訪問し、そこで働く修道女たちの姿に感銘を受ける。また修道女たちはWalterの献身的な努力を褒めたたえる。Kittyは自分が無価値な人間であることを悟り、修道院で働き始め、修道院長のMother Superioの人格にも感化されつつ、少しずつ変わっていく。そんな折、Kittyの妊娠が発覚する。身体に宿っているのがWalterの子か、Charlieの子か、はっきりしない。そのことをKittyはWalterに正直に言う。Walterはその直後にコレラにかかって死ぬ。検視によれば、彼は事故でコレラに感染したのか、実験中に故意にコレラに感染したのか、判別がつかない。KittyはWalterの死に衝撃を受ける。修道院長に諭されて帰国を決意する。もとの植民地都市に戻った時にCharlieの妻の発案でCharlieの家に寄宿して、憎んでいたはずのこの男に結局再び身体を許してしまい、激しい自己嫌悪に駆られ、英国に帰ることを決意する。帰途、マルセイユでKittyは母の病死を知る。ロンドンの家に戻ると、父はバハマの植民地総督として赴任が決まったところであり、Kittyはロンドンでの生活を選ばず、父に着いていくことを決める。
根本的な話なんだけどさ
やつは「女性を不幸にする男性全員にむかって言論で戦う」みたいな事をしていたわけじゃん?
まずその行動原理が 女性のためでもなく 自分のためにもならないどころか現実の自分を追い詰める結果になるのと 実際の女性に迷惑をかけて活動してたわけじゃん?
フェミニズムとかネットの言論とかいう前に この一見して異常な行動を考えてみる必要があるんじゃない?
主義とか思想とか行動とかが 根本的に論理だってないじゃん?もうランダムに発生する凶悪事件で関連性がないけど被害が一律系統建てられる難事件みたいなものに見えるよ
とりあえず自分自身がどうであれ主義や主張になんの行動原理の目的性がなかったとしても 先鋭化されていくアイデアとしてどこか奥深いところに刺さって成長していくんでしょ?
その異常な人の行動が 主義は間違ってないとか行動は間違ってないとか 方向性は間違ってないとか 基礎が腐ってるのに高層ビルを建て増ししても問題ないみたいなこと ないよね?
カビからペニシリンができるしペニシリンは有用だよ だからカビを食べようってはならんよね どこかよい点があったならそこだけ抽出して安全で健全に運用できるようにすべきだよね
ペニシリンはカビだ ってイコールで言ってる人いる? カビからできているのだからカビは大事だってなんか意味ないメタな発言はありとしても 家にはえてるカビが有用だなんて人は誰一人いないよね
異常者が言った名言だけど 名言だから ってそれイコールで結ぶ必要はないよね 名言なのだったら あらためて出たところはそれだったとしても それを浄化する何かをはさむべきだろう
せっかくの名言を有効活用させる方法はほかにもいくつかあると思うよ
とりあえずそういうところにも属人性をもってくるものではないと思うんだ
まず最初になにが異常かって根本の「守る気もない女性を守る」という行動を選択したのはなぜか
現に一番手の届きやすい 手をかけても犯罪にならない(であろうと思っていた)女性を使って人権侵害を行っていたわけじゃん?
もはやこの時点で本末転倒なんだけど それをしてまでその主題を持ちたかったのはなぜなのだろうか
これは攻撃対処である「男性」をなにかしらの方法でギャフンと言わせたいからなのではないか
人の行動原理や思考の形成はひとつだけから生まれるものではないと思うのでこれだと私がおもったのは 私が知りたい「あったとしたら」の根拠の話だ
彼はなんらかの方法で男性に攻撃がしたかったのではないだろうか
自分が勝ち誇ってエリートで幸福な生活を手に入れて見下す という方法では勝者の優雅さをもってひけらかすことでそれをできるとしても リソースが足りないだろう
山積みの現金や宝飾品 家族や広い家にペットなど 準備するのも感想を述べるのも リソースとその品位は準備できないだろうというのはチャレンジする前からわかる
ならば煽って口喧嘩ではい論破すればいいだろうけれども 不特定多数の揚げ足をとるのはまず足をあげる隙間に入り込む必要 論客が必要だろうけれどもコミュ障にはそこもむつかしそうだ
そうなると闇雲に被害者面をしてなんかそれなりっぽい素材を投下すれば 高性能の同胞がそれをソースとして奮闘してくれるだろうと給弾係になるという手段をみつけたのではないだろうか
あの選手を育てたのは私だ といわんばかりに あのホームランは私の給弾だ と満足げに あの給弾がなければホームランになったボールは存在しなかっただろうといわんばかりに自身を評価していたのではないだろうか
実際に攻撃していたのは傍にいた女性二人であって事実上の被害を与えている 実際に攻撃はしているのだ
それとは別に その女性への攻撃を用いてネット上の攻撃の原動力にして 男性をターゲットにした これはどういうことか
彼シュナムルは 自分の近くにいた女性を使って被害を起こさせ その被害を用いて自分が被害についてだれにでも使いやすい素材としてだれかに行動を起こさせるため 行動を起こしたヒーローの親ポジションを得るために 被害者を演じたのではないだろうか
逆ミュンヒハウゼン症候群そのものっぽいが 自分の救済のために必要としているものが 自分の問題提起からヒットを生み出した親であるポジションではなく どこかの男性がなにかしらの社会的制裁が加えられるであろう期待だった所が謎ではないだろうか
簡単にまとめてしまうと 彼のターゲットは自分が大好きな「(性別としての)女性」というマクロな存在に対して「それを楽しみとして(それはごく一般的な)消費している男性」に攻撃がしたかったのではないだろうか
それって結局自分の首しめてない?って事になるわけだけど つまりは自己嫌悪から自分を罰したり自分を攻撃するために自分を対象にして攻撃をしたその相手がたまたま自分以外の男性だった とは考えられないだろうか
いわゆる「死刑になりたいから人を殺した」の亜種である これは反社会的な心理状況においてとても厄介なものだと思われるのだがいかがだろうか
攻撃的な衝動の起因となる欲求は大きくわけて3つあるのではないか
ひとつは選択肢の不足 回避や改善について手段を考え付く事ができない為 とりあえず攻撃をして行動を不能にし 回避改善の代替としようというもの
ふたつめは攻撃そのものの嗜好 攻撃をする理由づけになんらかの平等性の欠如を持ち出すが実際は攻撃そのもをしたいだけ
みっつめは攻撃による被害をうけた状態を求める心 相手がなんらかの攻撃でダメージをうけた状態に持っていきたいという気持ち
どれかである場合やどれも全部あわせたものであることも可能性としてはありそうな気がする
シュナムル氏はまずどんな気持ちで身近な女性を 顔見知りの女性を被害者にしたのだろうか プライバシー情報を利用して本人の知らないところで被害を発生させる加害者となったのだろうか
女性の被害を代弁することで社会的に問いかけをするという崇高な使命の為ならば多少の犠牲は厭わないとしてあえて苦肉の策として 最悪謝罪ができる範囲の人物として選んだ女性に危害を加えて被害者となってもらったのだろうか
これは考えにくい
彼自身が女性が好きで 女性に対してなにか自分より優位なアプローチができる立場にいる同性を嫌い それらとは違う手段で女性に対して優位なアプローチないしは女性からのアプローチを受けられる立場になりたかったのではないだろうか
最終的にはシュナムル氏自身が語っていた身分に相当するものになりたい目標があったのではないだろうか
そうすると犠牲となった親族の女性二人は「だれでもよかった」のではないか
手あたり次第に 自分の都合のよい相手を探して だれかの救済行動のための被害者にすべく 攻撃を仕掛ける
自分の欲求は その救済行動をとった人間を 自分が評価することで 自分自身の価値と思い込む
その手段に選んだものが 数少ない選択肢の中からの フェミニズムだった
こういうことなんじゃないのか
普通に治療が必要なものだとおもうし 治療が必要な人間が残したものは だれかまともな人間がそれをしたとき価値がでるかもしれない可能性だけなのではないか
なにかしら価値のある行動や言説が一つでもあったのだったら もうシュナムル氏の名前はまったく関係ないところからそれを成り立たせるべきだと思うね