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はてなキーワード: 呪術とは

2017-08-14

呪術合理性

呪術ってアフリカではまだ一般的みたいですねってのは置いといて

呪術ってどんなイメージですか?

俺は正直、んなもんに振り回されてた大昔の人アホだなくらいにしか思ってなかったんですよ

けど、シロクマ先生のついさっきのエントリーを読んで呪術って実は合理的なもんなんだなと納得してしまいました

ネットでここまで罵詈雑言が溢れかえるのを見ると

人間内面ってDNAレベル呪詛を唱え続けてるんだなと実感しますよね

もう自分正義の元で人を叩くというのは人の本能のようなもの

人間界にはそれが人を滅ぼさないように正しく導く装置絶対必要なんですよ

それが大昔は呪術だったってわけ

何か悪いことがあると人は誰かのせいにしたがる

何かのせいにしたがる

それは共同体にとって脅威ですよ

ただ、呪術さえあれば大丈夫

悪いことは生贄を捧げればいいんだから

最初は身近な動物

それが効果がないと人と発展したのは不幸だけど

共同体崩壊に追い込むような争い諍いを避けられるという点においては大切なシステムだった

そういうことでしょ

皮肉なのはインターネットによってまた呪術必要なくらいの殴り合いがあちこちで起きはじめてることだな

2017-05-28

立命館pixiv論文みたいなテロ被害者に合わないための

被害者にならないためのライフハックというのは法的に無理そうなので、自分が晒されたら、どのように隠れるかを話し合うほうが建設的なのでは

めっちゃ悪意のあるやり方としては、「〇〇大学の☓☓さんの論文に使われたことが不快なので取り下げます」って言って作品を消しちゃえばいいんじゃないかな?

その後昔のネットみたいなパス請求みたいなとこで再アップロードしてもいいし。

使われるのも自由なら、気に入らんかったら下げる、それどころかそもそも「作者の気分で」公開範囲狭めるのも全然自由なので。

あいつらは観測した瞬間に消える=論文ネタとしてはリスキーみたいなコンセンサス引用側に植え付ければ引用もされないでしょ

相手は未開の蛮族を観察する文明人なんだから、「お前が来たせいで呪術が成り立たなくなった、お前の前では二度と儀式はしない」の方法で「関わっても時間無駄」だと思わせるのが一番効きそう。

2017-03-22

挨拶が出来ない、名乗れない社会人が多すぎる。

ガチ零細で働いている。誰がどう見ても零細企業だ。社屋が物理的につぶれかけている。社長老害。実質社員は俺一人。しかし中身はなかなかに健全だ。仕事やってれば細かいこと言われないし、給料もそこそこ。次期社長を操って社会保険も完備させた。定期的に短い出張があるのでリフレッシュも出来る。残業なし。これがでかい社長ガチ老害だが、老害すぎて客も社長を避けるレベルに到達したので基本的平和だ。老害トークが始まったら外に出れば良いからな。事務員さんも平気で外に出る。

入社以来、ひたすらにストレス要因をつぶしてきたが、最後ストレス源が残っている。それは客だ。

客の品質がとにかく悪い。

何とか客も厳選して来たんだが、やはりどうにもならないところはある。

これは中小零細大企業わずだが、とにかく50代以降のオッサンどもは挨拶が出来ねぇ。

横柄な奴、ニヤけた奴、不機嫌な奴、やたら忙しいフリをしてる奴、高級スーツに着られている奴、美人秘書を連れてくる時代錯誤な奴、日本語が出来ない奴、ヤンキー上がり丸出しな奴、いろんなオッサンどもが来るが、どいつもこいつも挨拶をしねぇ。挨拶をしたとしても、名乗らねぇ。

どいつもこいつも、「自分のことは知っていて当然」な面をしていやがる。そんなのどうでも良いから名乗れよ。とにかく名乗れ。名前をいえ。所属目的を言え。おまえらは親に「ごあいさつは?」って言われないと挨拶出来ないのかよ。

もちろん例外はいる。幸いなことにな。

まぁ大企業のお偉方が俺らのようなガチ零細に礼儀を尽くさないのは仕方ないかもしれんがな。でも名乗れよ。首が短いのに高級スーツ着てるなよ。せせこましいオヤジだなおい。ダセぇよ。っていうか名乗れよ。名乗れば来客ノート名刺の裏に「ブランドスーツに着られている猪首オヤジ」と書いておけるからな。名乗らねぇとそれも書けないだろ。いや、ちゃんと名前は訊くけどな。尋ねるよ。「お名前はなんとおっしゃいますか?」って。でも訊かせるなよ。名乗れよ。名前を。お前の名前を。

とにかくオッサン連中にストレスを感じる毎日だが、事はオッサンに限らない。

思うに、会社規模を横軸に、名乗り具合を縦軸にグラフを書くと正規分布になるんじゃないか

中小企業が一番名乗る。中小企業は「自分会社が知られているかどうかわからない微妙ライン」だから、ちゃんと名乗る人が多いな。大企業礼儀正しく名乗る人と名乗らない奴で二極化される。零細企業はまず名乗らんな。っていうか、零細の中には、生まれから一度も自己紹介したこと無いようなのがけっこういる。生まれからずっと狭い世界で生きていたので、自分の知らない人と話す機会が無いんだろう。老害社長の知り合いはこの手の輩が多いな。汚らしい格好でふらっとやってきて「○○ちゃん(老害社長の幼名)いないの?」とか事務員さんに絡み始める。うるせぇ。仕事邪魔をするな。暗に茶を要求してるんじゃねえよ。こっちが仕事してると「忙しそうだぇ~」とか言い出す。黙れよ。お前は誰なんだよ。俺はお前には絶対名前は訊かねぇからな。出がらしの茶をすすって帰りやがれ。

つーかもう、マジで名乗ることを法制化してくれ。名乗らなかった奴は厳罰で良いだろ。「本当の名を知られると呪術をかけられる」みたいな時代じゃねえんだぞ。陰陽師かよ。名乗れない奴は名札つけろ。いや、ゼッケンつけろ。名乗れ。名乗ってくれ。頼む。頼まれなくても名乗ってくれ。

いか新人さんであろうとも、名乗ってくれるだけで信頼度は格段に上がる。新入社員の人はちゃんと名乗ってくれるからいい。数年するt名乗らなくなる奴もでてくるがな。そういう奴には仕事は回さねぇ。

名乗ったり自己紹介したりが苦手な人は居るだろう。その気持ちはわかる。しかし、名乗りと自己紹介だけは人間の基本スキルとして押さえておいてほしい。人間として。そうでなければあの汚らしいオッサンどもと同類になるぞ。

自己紹介のコツはたった一つだ。

自分がなぜこの場にいるのか、その理由を述べる」だけだ。

まず名乗る「~~の○○です」。次に、ここにいる理由を言う「○○さんの紹介で、こちらでは○○を取り扱っていると伺ったので参りました。お忙しいところありがとう御座います」。これでもう非の打ち所のない自己紹介だ。あとは自分普段何をしているのかとか適当に付け足していけば良い。

これから会社で働き始める人とか、新人教育する人とか、とにかく、「名乗って、自己紹介する」事に注意してくれよな。

海外でも仕事するけど、海外でさえ名乗らない日本人多いんだよ。

「人に名前を尋ねるなら、先に名乗れ」みたいなカッコイ台詞あるけどさ。そんな事言ってる間に名乗れ。その発音の労力を名乗ることに注力してくれと思うんだよね。この台詞は「必殺技名を叫ぶ」みたいなもんでさ。リアルじゃないんだよ。リアル創作区別はつけようぜ。

名乗れ。

2017-03-08

↑↑滅びるべくして滅びたという理由にあたるまではダメだし・・・そっからさきもダメだし・・・敷島製パン第一次世界大戦ドイツ軍捕虜からパン作りを教わったことからスタートしたらしいですが戦争以外に旅団的なあり方はあるのでは・・・

この世界が巨大な呪術形式・・・アルトーはすごいですけど・・・

2016-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20161016012712

元増田ブコメから

id:fucktory いや「論理」とか「正当性」とかじゃないだろ、あの黒い情念の強度の勝利だよ。ブログというのは生き様なんだ、読者を楽しませるとかPVとか知ったことじゃないだろ

まさしく「村」って感じ。「論理」や「正当性」より、非科学的で不確定要素の強い「情念」が優越する。ある種民俗的かつ呪術的で、おどろおどろしいものを感じさせる。

それに比べると、今は「市」ぐらいにはなったんじゃないかダイアリーからブログに移行したことでユーザー(=住民)も増えてる。

村民は激しく田舎(とその風習)を嫌うが、自分たち自身が逆にそれを強いる要素を少なからず持っていたことに気が付くものは少ない。

結論はてな村は、はてな市に改称・移行するべき

2016-09-27

集合住宅で窓を全開で

しかカーテンは閉めた状態

アニメ先生呪術で僕をイケナイ状態にして

しかし僕のそれはすごく元気で

いきたい、いきたいって何度も言って

しかしその夢は叶わなくて

ようやくイケると思ったら配下にされていて

汚いものを吐き出して

そのとたんに外からトラックの轟音が聞こえて

それは窓が開いていたからで

しかし僕には明日から山積みの仕事があるので

ゆっくり風呂に浸かっていい夢を見ます

2016-06-10

なぜマンガキャラ覚醒パワーアップすると髪が伸びるのか?

髪が伸びるキャラたち

覚醒したり、パワーアップしたりするときに長髪になるキャラって多いですよね?

ぱっと思い付くだけでも、

ドラゴンボール(1984~)におけるスーパーサイヤ人3

うしおととら(1990~)の潮(獣の槍所持時)

※厳密には髪が伸びているわけではないらしい

幽遊白書(1990~)における幽助

ハンターハンター(1998~)におけるゴン(さん)

BLEACH(2001~)の一護最後の月牙天衝

ぬらりひょんの孫(2008~)のリクオ

などなどたくさんいます

(変身すると髪が長い、というとWILD HALFワイルドハーフ)もそうですね。)

なぜみんな髪が伸びるのでしょう?

演出上の要請

まず、覚醒したり、パワーアップしたりしたことを分かりやすく示すためには、見た目ががらっと変わることが必要です。

そのような演出上の必要性があるから、髪が伸びるのかもしれません。

髪が伸びる以外だと、以下のようなパターンがありますね。

・眼の色が変わる、瞳に模様が浮かぶ

ハンターハンタークラピカNARUTO写輪眼輪廻眼、仙人モードBLEACH虚化Get Backers-奪還屋-の聖痕スティグマ)、新世紀エヴァンゲリオン

ブコメで指摘を受けて、キングブラッドレイは削除しました。

・髪の色が変わる

ドラゴンボールスーパーサイヤ人武装錬金ヴィクター化、東京喰種

・肌の色が変わる、紋様・模様が浮かび上がる

武装錬金ヴィクター化、七つの大罪のメリオダス、アメコミハルクONE PIECEルフィギア4、進撃の巨人金色ガッシュ!!

・光をまとう

ドラゴンボールスーパーサイヤ人テニスの王子様無我の境地

これらのパターンと違って、髪が伸びた場合キャラクターのシルエットそのものが変わるため、使い勝手が良い、ということはありそうです。

ロン毛ブームの影響

江口洋介木村拓哉などに人気が出て、男性の長髪が流行したロン毛ブーム

これが起きたのが1990年代でした。

当時の、男性の長髪がかっこいい、という風潮が影響しているのかもしれません。

野生化の象徴としての長髪

覚醒すると、強力になる代わりに理性を失ったりするのもお約束の一つです。

そういった性質象徴として、髪が伸びて野生化した姿になるのかも。

ライオンのたてがみのイメージ根底にあるのかもしれませんね。

怒りの表現としての長髪

覚醒シーンにおいては、その人物の怒りが伴うことも多いです。

怒髪天を衝く」という言葉もあり、髪の毛が逆立つのは怒りの表現

髪の毛が伸びて逆立つのは、そのキャラの怒りを象徴とも読み取れます

魔法少女モノにおける変身との関係

詳しくは知らないですが、プリキュアシリーズ(2004~)や美少女戦士セーラームーンシリーズ(1992~)など、魔法少女モノでは、変身して髪が伸びるイメージがあります

これらについては、ターゲットとする女児のあこがれ、「大人の女性」の象徴として、髪が伸びている側面もあると思います

ただ、少年漫画等とも、「髪が伸びて、変身・パワーアップ」というところでは共通しているので、こちらの方にルーツがあるのかもしれません。

旧約聖書における力の源としての髪の毛

旧約聖書登場人物サムソンは、怪力の持ち主ですが、その力の源は、髪の毛にあります

髪の毛が力の源という発想は、このあたりから来ているのでしょか。

ブコメでの指摘によると、髪の毛がというより、髪の毛を切らないという誓約問題のようです。

神話宗教呪術・昔話における髪の毛

丑の刻参りの方法として、相手の髪の毛が必要とされる場合があるように、宗教呪術的にも髪の毛が重要場合があります

日本の昔話でも髪が伸びるエピソードがあるようです。

まんが日本昔ばなしデータベース〜 - 山姥の毛

http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=507

きちんと確認できていませんが、ギルガメシュ叙事詩におけるギルガメシュギルガメッシュ)は、長髪が抜けると力を失うようです。

ブコメで指摘を受けて、「髪を失う」を「力を失う」に修正

ギリシャ神話では、髪の毛に関するエピソードとして、メドゥーサやかみのけ座の話がありますね。

古来から髪の毛には何らかの力が宿るとされきたんですね。

憶測疑問形だらけで結論は分かりませんが、思っていた以上に「覚醒して髪が伸びる」のルーツは古いところにありそうです。

追記

ブコメであがっているワンパンマンは逆のパターンですね。

あれは、アンパンマンビジュアルありきの設定なのと、髪の毛があったころが描かれていない(たしか)のでちょっと事情が違いそうです。

フリーザは、元々髪がないですが、シルエットがすっきりするという意味では逆のパターンですね。

ブコメでは、時間の経過の表現、異形化系の説話と設定上の都合、動物の威嚇、成熟期の発毛、歌舞伎など色々な指摘があって興味深く読ませていただきました。

ありがとうございます

2016-02-22

日本GDPを一気に倍にする話は正しいけど結論が間違い

エグい話になるからこっちで。

GDP付加価値の総和なので、架空取引でっち上げて二者間で相殺すれば付加価値500兆円は生まれるのでは?

というのは、GDP定義的には正しいんだけど、オチが違う。

消費税GDPをあげる足かせになる。

消費税をなくせばGDPは上がるようになるのでは?(呪術思考

日本のGDPを一気に倍にする簡単な方法 - orangestarの雑記

これ、話としては逆で、なんでGDP重要指標とされているのか?がポイント

そう、ストック(溜まってる資産)じゃなくてフロー(生み出せる資産)を測れるから

で、なんでフロー重要かって言うと、コレは単純に「現在の国力」を示しているから。

現在の国力」が何を意味するかって言うと、コレは端的に「いくら税金が取れるか」だ。

担税力(国力)を測る指標として、GDPがなんだかんだ入って便利だから使われている。

まりGDP数字の上であがって問題になるのは、税金が取れなかった時だけで、徴税できるならOKと言える。

おまけのオチの部分が本筋。

(だから、例えば投資ハイリスクハイリターンの危険取引のほうがGDPは大きくなるけど、それって良いの?的な指摘もある)

こっからがワリとエグい話なんだけど、循環取引って別に違法じゃないんだよね。形の上では。

何が違法かって言うと、そりゃ帳簿をごまかしてるから虚偽記載違法になること多いよね。

んで、循環取引をなんでやるかって言うと、売上の数字を上げたいからで、

で、売上の数字を上げたいのは、まあ上手く行ってると見せかけたいから

誰に対して見せかけたいかっていうと、そりゃ銀行とか株主に対してで、つまりは「金を出してくれる人」を騙すのが循環取引キモ

ってことは、例えば国家他所の国から外貨を引っ張りたいときに、

うちの国は順調ですよーってことにして、投資家が「お、この国順調に伸びてんじゃん投資すっぺ」ってなったら、

国として嬉しいよね。GDP誤魔化すインセンティブあるよね、的な。

どこの国とは言わないけど、そういうのしたい国、あるよね。

まあ、とは言え、GDPの推計値ぐらいしか使えそうな数字がないってのもあるんだけどねー

2016-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20160102221028

なんで部落差別が心のなかにのこるかさっぱりわからない。生まれ場所がその人の属性になんらかの影響を及ぼすって思ってる?呪術的な何か?

ましてや日本黒人差別なんて。よくわからんが、アメリカ大統領のことを自分より下の存在と見てる?それとも、国務長官とかケニア首相とかは全部まとめて例外?ウサインボルトは?

2016-01-01

ガーナ育ちの岡本翔太さん(21)、初の訪日に大興奮

ガーナで生まれ育った日本人ダニエルオカモト(日本名岡本翔太)さんが訪日し、コミケ書店をまわった。

岡本さんは「父から日本の話はよく聞いていた。はじめての故郷に興奮している」と語った。

岡本さんは日本アニメ漫画のほか、神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)にも興味を持ち関連書籍を購入したという。「アフリカでは呪術を信じているひとが多い。生首を校門に置くという儀式にはガーナのひとたちも興味津々だ」と語る。

2015-12-01

いつか暇ができたら丹念に呪う儀式をするリスト

もしくは私の敵リスト

やっぱ丑の刻参りが良いかな。名前入りてるてる坊主っていう手もあるかな

思いついたらあとで足しとこうっと

足した忘れてた

2015-09-04

読書メモ代替医療トリック

代替医療トリック

http://www.amazon.co.jp/dp/4105393057

代替医療:主流派医師の大半が受け入れていない治療法(この本の中での定義)。

ホメオパシー※1とか鍼とかハーブとかその他得体の知れない代替医療は数あれど、それらを冷静に論じた研究は意外に少ない。盲目的に信じ込むか、逆に根拠のないたわごとから皆殺しにすべきとか、ヒステリック物言いは割とあるのだけど。

この本では、医薬品では実際に行われている二重盲検法を同様に用いて、代替医療各々は効果があるのか、何にどれくらいの効果があるのかというところを冷静に検証している。第一章では、経験ではなく根拠に基づいて医学を発展させてきた歴史を大まかに説明している。二重盲検法について知っている人でも医学史として楽しめること請け合い。壊血病の対策をいち早く発見できたイギリスの躍進とか激アツ。

※1:ある物質が持つエネルギーを水に記憶させることで治療薬を作成する。溶液は百万分の一以上に薄められて有効成分の分子が含まれてないかもしれないけど、希釈されればされるほどエネルギーは増幅されるから大丈夫だよ(大丈夫じゃない)。材料植物鉱物生物など様々。ベルリンの壁材料にしたものもあるよ。

この本の中では、具体的なエピソードは読んで欲しいので省きますが、多くの代替医療科学的な検証を経てプラセボと同等の効果しかないという結果が繰り返し提示されます効果があるものも、検証する立場の人が中立じゃなかったり、認知的なバイアスによるものなんじゃないかという検証がなされます一時的に悪い状態(風邪とか)が平均への回帰でほっといても治ったのを、代替医療を施したせいだと思ってもらう工夫とか。

作中でも、また世の中にも「プラセボでも効果があるのならそれでいいじゃないか」という意見がしばしば出されます。著者はこれに対し、以下のように反論していました。

プラセボ効果を最大にするために、医師意図的患者を騙すことになる

=水平的な立場ではなくなり、患者自己決定権を阻害する、不誠実な関係を築くことになる

医師プラセボ効果を守るために薬効の真実について口をつぐむことになり、医学進歩ストップする。製薬企業も金のかかる新薬開発を投げ出して砂糖玉販売に終止するようになってしま

代替医療自体に害がなかったとしても、代替医療を選択することで主流派医療を受ける機会損失となり危険

予防接種を受けさせない親とか)

治験でもプラセボ効果が出やすい分野とかはあるそうです。軽度・中等度のうつとか。でも抗癌剤とかだと明らかにプラセボは駄目なことが多いっぽいので、そっち方面までプラセボでもいいんだの民に駆逐されるとやばそうな。▲

などなど。このあたりがヒステリックじゃなくエレガントに書いてあって感じが良かったです。

アメリカでは代替医療の一つであるホメオパシーが、昔から有力者に好きな人が多いとかでFDAアメリカ食品医薬品局。医薬品臨床試験とかする。つよいきびしい)の審査抜きでガバガバ売られてたり、イギリスではチャールズ皇太子代替医療大好きでその効果の程を知らしめるための機関を作って研究者から批判されたりとか、日本とは違う実情があるみたいです。日本でもやってる人はやってるみたいですけど。

巻末には30種類くらいの代替医療効果のほどが簡略にまとめてあるので、代替医療概論としてもおすすめ

代替医療についてまとめて学ぶのが初めてだったので興味深かった。「多次元DNA手術はチャネリングテクニックを用いて、DNAレベル問題のある配列を取り除き、神のような完璧配列で置き換える治療法です」とか最高にキてる。▲

代替医療呪術構造が似ていると思った。

呪術がその効力を発するには、以上の条件を満たさなくてはいけない。呪術それ単体で存在するのではなく、呪いにかかったと信じる人がいて、それが呪いにかかったからだと信じる社会があって、呪いをかけた人間がいて、はじめて呪術が成立する。呪いにかかったと思わなければ呪いは成立しない。

以前『医療人類学のレッスン』でも書いたんだけど、プラセボあるいは代替医療効果を発する状況には、似たような構造があると思う。

代替医療を受ける人が居て、それが効果があるものだとする社会存在して、そのコミュニティでは権威のある施術者が居て。施術者と患者関係が非水平的(知ってる人と知らない人、授ける人と助けを乞う人)という構造も似ている。実際には何もないのに、なにかあるように見せかけることができるってほんとに魔法のようだと思う。呪術代替医療プラセボ類似性が私の中で熱いので、今後も追いかけていきたい。▲

医療人類学のレッスン』私的読書メモ

▼▲でコメント挿入。

医療人類学のレッスン 病をめぐる文化を探る』 http://www.amazon.co.jp/dp/4313340165

著者本人HPインデックスあり

http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/00-Frame2012.html

論点くらいは確認できるっぽい。

医療人類学の始まり

前提:歴史一定の方向に進化しており、最後絶対的価値を持つ正しいものけが残る(勝利者史観)が支配する状況

19世紀から20世紀初頭のヨーロッパにて、「歴史時間的に遅れた未開民族医療を調べれば、西洋人過去発見できるのではないか?」という発想から調査。現地に赴く宣教師等に非西洋の様々な文化的事象蒐集させた。

▼私としては文化結合症候群トピックが興味深い。文化の違いで人々の葛藤行動やストレス表現行動は異なる。文化的差異精神疾患に典型にみられるということだった。

このあたりは『クレイジー・アライク・アメリカ』に詳しかった。香港での拒食症欧米拒食症と違う病像だったけど、DSM基準で診察する精神科医の増加でその病像が変わっていくとか。

苦痛イディオム」というのも興味深い。ストレス表現するそれぞれの文化独自イディオム日本語でいうところの慣用句的なところでの「肩が凝った」とかか。身体に表現されやすい(身体を表現する言葉に落とし込まれやすい)かどうかは文化次第かな。精神ストレス精神的異常を表明しづらい文化圏では心身症が多く出ると聞くし。日本とか中国とか。ヨーロッパ心身症少ないと聞くけど本当なのか。どっかで統計拾いたい。

各論

著者本人HPインデックスあり

http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/00-Frame2012.html

論点くらいは確認できるっぽい。

読んだ中だと、特に呪術」「憑依」と「狂気」が興味深かったです。狂気フーコーとかのアレでおなじみ。でも、狂気だけでなく、国家が個人の健康・身体をどう扱うかみたいな部分でも頻出していました。

呪術

http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/000606magicLS.html

呪術がその効力を発するには、以上の条件を満たさなくてはいけない。呪術それ単体で存在するのではなく、呪いにかかったと信じる人がいて、それが呪いにかかったからだと信じる社会があって、呪いをかけた人間がいて、はじめて呪術が成立する。呪いにかかったと思わなければ呪いは成立しない。

▼このあたりは治験プラセボを使ったダブルブラインドテストとは真逆ダブルブラインドテストは、薬効のないプラセボと実薬を、医師患者もどっちか分からない状態で投与して、薬効の有無や程度、安全性確認する。プラセボでも改善効果副作用が出ることはあるので、プラセボに対する優越性を確認するのが目的試験

しかし、向精神薬や鎮痛剤の類など、プラセボ効果比較的出やすジャンルがある。器質的な異常なんかをプラセボ改善するのは難しいけど、精神症状や痛みの評価は気の持ちようのファクターがある程度あるので。(もちろん、実際に世に出ている薬はそれらを乗り越えて承認されたものなので、有効な薬だとは考えられますが。)

プラセボが効いちゃうというのは、呪術構造的に似てると思う。

薬に対する期待(あるいは副作用があるのではという不安)があり、治験薬を処方する医師治験に対する期待(不安)があり。服薬したのが単に乳糖を固めただけのプラセボであっても実際の改善効果副作用として現れてしまう。これは科学という権威に支えられて発動した呪いだと思う。

精神科のくすりを語ろう』で熊木先生がいってた、向精神薬は薬への期待や医師への思いも含めて服薬する、効くということなのだよみたいな話を思い出す。薬効だけでなく、薬をめぐる心の揺れ動きも効き方のファクターになる。それが向精神薬を使うということ。

webですれ違った人に、不安発作に襲われた時のために抗不安薬を持ち歩くこと、薬が入っている包みをさわることそれ自体安心する人がいた。その人はとっくに使用期限が切れたそれを「私のおまもり」といって大事にしていた。以前それを飲んで安定したとか、医師との関係とか、色々な要素があって、そのひとにその薬は安定をもたらしていた。もはや飲まなくていいレベルで。これも向精神薬を「使う」ことになると思う。現代呪術。▲

☆憑依

憑依とは:異常性をもたらす主体

私が病気になっているという状態ではなく、外部に症状の原因となる霊的存在を想定する。

それ故に、人ではなく霊的存在に働きかけることでどうにかするという話。

憑依の認識と流れ

苦痛がある

オーソリティによって何らかの霊的存在に憑依されているという判断がなされる

それによって症状の見方が変わる。身体内部の問題でなく、外部に存在するものとの関係問題へとシフトする

憑依したものに対する儀式

呼びかけ、憑依された人をトランス状態にする、命名する

自己=身体から精霊主体の分離)

意識的意思決定ではなく儀礼空間に身体が感応するという意味で身体的自己による参与

化物語の蟹のアレとか分かりやすいですね▲

自分の中にある困りごとを、外在化させて対象化する、私・誰か・それの三項関係で扱えるものにするというのは心理療法的。分かりやすいところではフォーカシングがそうだし、普通カウンセリングの中でも言語化することで自分の中のもやもやと向き合い、扱えるようにしていくというプロセスは踏むし。対象化したそれに対して、言語アプローチするのではなく、あくまで身体的・無意識的なアプローチをかけるのも面白い象徴象徴のまま扱っている。そのものの持つエネルギー減圧させない感じがしてすごい。▲

2015-06-13

陰謀脳的に考えると、補聴器誤認取締り警察DISを気にして、『イヤホン危険ですよ気運』を高めたいみたいな動きがあたかもしれないみたいな。

多分直接は関係ないだろうし、関連のないことを結び付けてみる呪術思考に過ぎないとは思うが。

2015-02-07

何かを知らずにバカにするのは現役引退宣言ですよね

バカにするのはよくしらないから」というのは半分しか語ってません。

バカにするのは、知らなくて済むようにするためです。

バカにする人は、自分が知らないものが人気だと、落ち着かないのです。

「知らないと許されないような気がする、劣っている気がする」から、それに反発しているのです。

「知らないと許されないような気がする」のは、その人が勝手電波を受信しているだけなのですが、

普段の自意識がホンモノを知るゴールドブレンドみたいなイメージな感じだったら、

「良い物があるのに知らないことは恥ずかしい」と思ってしまうのです。

特にオタク界隈では

自分は良い物を知っている

 →自分が知っているものが良いもの

  →自分が知らないものは良いものではない

という呪術が発動して、自分が知らないものはけなしても良いという価値の零落を脳内で実現してしまっている人がたくさんいらっしゃいます


この人達は、知らないからバカにするのではありません。

知らないことを怖がるから、恐れるに足りないものだとおもいたくてバカにするのです。

知らないことを知る手間がめんどくさいから知る価値がないことにしたいのです。



自意識を高く保ちたいが、そのために新しく何かをしるのが面倒だったり、

自分過去の知識で俺TUEEEEEできない分野に手をだすのが怖かったりするからバカにするのです。


ただの面倒くさがり屋であり、彼らに良い物をすすめても無駄です。

知りたくないから馬鹿にしてるのです。教えようとする人間など邪魔なだけでしょう。

たとえ「いいものがあるなら教えてみろ」と挑発いたことを言っていても相手にしてはいけません。

こういう行動パターンを取る人は、世間一般でなんといわれるか知っていますか? 老害です。


「知らないからバカにしてます」って告白ドヤ顔晒していらっしゃる方が数名いらっしゃいましたが、それは老害宣言であり、現役引退宣言です。

自分たち老害であるとうい認識を持って、これ以上なにか喋っても害にしかならないという事実を受け入れ、安らかな気持ちでご隠居なさってください。

2015-01-13

人はなぜアドラー心理学に騙されるのか

理屈通りにいかない事が世の中に存在することに耐えられないとき人は屁理屈に騙される。

ニセ科学古典宗教カルト呪術、昔から人間ってのは理屈存在しないものに強引にでも理屈をつけてくれる存在をやたらとありがたがる。

人間の様々な感情パラドックス二律背反は全てそれらが『目的』に根ざしているかである」という甘い言葉によって自分コントロールしきれないい感情理解しきれない他者感情を強引に理解してしまおうとする事こそがアドラー心理学の根幹である

それはある種の怠惰だ。

説明しきれない物にとりあえずの説明をつけてひとまず蓋をする。大人が子供に「赤ちゃんコウノトリキャベツ畑にインサートしてアッフンするんだよ」と説明するのが面倒だから適当な嘘をついてごまかすのと同じだ。

理屈を完全につけきることが出来ないもの存在する」というストレスに向き合う勇気のない者達の聖典としてアドラー心理学は崇められているにすぎないのだ。

2014-09-25

ASKA歌詞はなぜ素晴らしいのか?──母音想像力試論

 ASKAの詞の特徴の一つは、複雑な比喩を折り重ねていくことにある。そうした複雑な比喩の解読については、「On Your Mark」の楽曲分析で先日書いたところであるhttp://anond.hatelabo.jp/20140924014048)。

 しかしながら、私はCHAGE&ASKAの熱烈なファンであるけれども、「比喩」の観点から歌詞を見ればASKAよりも巧者は他にもいると思っている。例えば、スピッツ。「ロビンソン」の印象派絵画を思わせる複雑な比喩を見るとASKAに少々分が悪い。では人生の機敏という観点から見ればどうか? 私の考えでは、ASKA中島みゆきに遠く及ばない。しかしそれゆえにASKA歌詞は二流であるわけではない。

 ASKAの詞はJ-POP史上稀に見る「音楽性」を持っている、というのが私の意見だ。「言葉音楽性を持っている」とはどういうことか? 分かりやすい例として、まず"YAH YAH YAH"をとりあげて、それを説明したい。

YAH YAH YAH」はYAH YAH YAHでなければならなかった

 「YAH YAH YAH」のサビは、ご存じのように、ひたすらYAH YAH YAHが繰り返されるだけであるしかし「YAH YAH YAH」という発音には極めて綿密で、天才的な直観があると私は考えている。仮に、YAH YAH YAHの部分を「ウ」でも「エ」でもよいが、別の母音に置き換えたもの想像してみると、「YAH YAH YAH」という曲そのものが成立しなくなることが了解されるだろう。YAH YAH YAH発音秘密はそれだけにとどまらない。その前の歌詞に注目する必要がある。

から一緒に これから一緒に 殴りにいこうか

 この部分を読むと、「イ」の発音が異様に多いことに気がつく。「イ」は、歯を食いしばって発声される。怒りを耐え忍ぶかのような身振りを発音要求している。そして、サビに入る時に「ア」の開放的な音に切り替わる(殴りにいこう「か」)。サビの一個手前に、このような母音ドラマが隠されている。この「イ」と「ア」の動きをYAH YAH YAHというサビで何度も何度も再現するのである。なお、「今から一緒に」の前にある「勇気だ愛だと騒ぎ立てずに その気になればいい」では「イ」で終わっているので、まだ耐え忍ばなければならずYAH YAH YAHと叫ぶことができないように発声的にも規制されていることが分かる。こうして見てみると、一見単純に見えるYAH YAH YAH歌詞には天才的な音楽直観が働いていることが分かるだろう。

先人・井上陽水

 そうした作詞法はASKA専売特許ではない。そうした作詞法を意識的採用しているのは、ASKA尊敬している井上陽水である陽水は、「Tokyo」の冒頭部分「銀座へ鳩バスが走る」という歌詞秘密を次のように語っている。

タモリ で、それを作りたいってことに、なんで銀座が浮かんできたわけ? しょっちゅう行ってるから

陽水 いや、そういうことじゃなくてホラ…、東京でね、やっぱり一曲ね[作りたいと思ってたから]。で、「銀座へ~」っていうね、あのー、人によってね、いろいろ、発音でね、取り柄がある発音とあんま響かないのがある。「銀座へ~」っていうのが、この口にすごく合ってたの。「銀座へ~」、あ、響くなあ、って。

7:00-7:40頃 https://www.youtube.com/watch?v=szB9lhaX2XY

 井上陽水の曲を聞いてみると、たしか言葉の「音」に対する独特の"美意識"があることが分かる。これはこれで、余人には真似しがたい孤高の美をたたえている。「Tokyo」であれ「Make-up Shadow」であれ、言葉に対するきわめて繊細な美意識を私は感じる。

 完全に余談だが、全世界的に流行した「Let It Go」の歌詞にも言葉の音に対するこだわりを強く感じるので紹介しておく。

My power flurries through the air into the ground

My soul is spiraling in frozen fractals all around

And one thought crystallizes like an icy blast

I'm never going back, the past is in the past

この部分は、一番の大サビに向かう、心躍る箇所だ。

歌い始めの「My power flurries through」の部分は、口をすぼめる内気な発音が多い。しかし、「the air」の所でやや反抗的な「エ」の発音がやってきて、「into the ground」で一回大きく開放的になるが、すぐに締められる。「My soul is spiraling in frozen」までは基本的にはやはり内気な発音が多い。「fractals」のところで「the air」とは別のしかたで(歌い方で)反抗的な様子を見せるが、これも「all around」の個所で一回開放的になるが閉じられる。こうした発音ドラマ最後に、「the past is in the past」の個所がやってくる。このようにして、まこと開放的で、ドラマチックな「ア」の発音がここに訪れるのである

 このように、言葉の音に対する意識世界的に存在する。しかしながら、日本語は、世界の様々な言語と比べても「母音」の割合が非常に多いという特徴をもっている。日本ロックミュージシャンたちはこの母音に苦しめられてきたのだ、と言っても過言ではないだろう。そこで例えばサザンは子音に着目した。サザン日本語における子音の可能性を大きく拡張したミュージシャンとして評価することができる。しかし、ASKAあくまで「母音」の可能性にこだわったミュージシャンであると私は考えている。日本語本来の特徴が「母音」にあるのだとしたら、その「母音」を徹底的に活用したのがASKAである

話をASKAに戻すと……

 こうやって私が言葉の音に対して敏感になったのは、チャゲアス音楽を聴いてからだ。ASKAは、まず歌唱からして、母音を強調している。これは良くも悪くも「古さ」を感じる歌唱であろう。母音を強調する歌手として、例えば尾崎紀世彦布施明を挙げることができる。彼らの歌唱には「昔ながらの情念」を感じる人が、とくに若い人になればなるほど多いのではないだろうか。一方、母音を強調しない歌手小田和正歌唱にはそうした「古さ」を感じることはないのではないか。母音は、本能的な部分に訴えかける、ほとんど呪術的と言える原始的な力をもっている。しかし、それを真に受け止めるためには現代はいささかシャイなのだ、というのが私の持論だ。母音とは、一種の「ますらをぶり」であるASKAは「ますらをぶり」のシンガーである

 私の見立てでは、ASKA母音から歌詞構成する方法意識化したのは、だいたいシングル「WALK」以降である。「WALK」より前の曲には、母音に対する美意識を見出すことが難しかった。逆を言えば、WALK以降には母音に対する鋭敏な感覚ASKAの曲に感じる。国民シンガーCHAGE&ASKAが出来上がったのは「SAY YESであるが、「SAY YES」と同レベル作品を量産できるようになったのはだいたいシングル「WALK」の時期からだ。一つ一つ楽曲分析をして証明をすることもできなくはないが、それをするとなると、ちょっと本格的にやらなくてはいけない。そこで、ASKAの曲の中でも、母音の使用がもっとも素晴らしいと思う楽曲を一つ見てみることにしよう。「はじまりはいつも雨」だ。

全てが奇跡的な「はじまりはいつも雨」

 「はじまりはいつも雨」はASKAソロの曲だが、チャゲアスVer.も残されている。私の一番好きな音源であるhttps://www.youtube.com/watch?v=5mzj72QxrYo)。

 「はじまりはいつも雨」は、メロディー歌詞の二つが複雑なハーモニー形成しており、決して不協和音をつくっていない。母音の使用法も極めて洗練されている。しかしながら、冒頭から母音分析をはじめても感覚的に分かりづらいと思うので、もっとも分かりやすいところから見てみよう。それはサビの終わる所である

はじまりはいつも雨 星をよけて(一番)

失くした恋達の 足跡(あと)をつけて(二番)

はじまりはいつも雨 星をよけて ふたり 星をよけて(大サビ

 まず気がつくのは、これら全ての終わりが「エ」で終わっているということである。仮にこれを「エ」以外の音だと考えてみよう。すると、この曲自体がぶち壊しになることが分かると思う。「ア」だと少々なさけない感じがするし、「イ」はやや幻想的になるかもしれないが悲痛な雰囲気も漂いそぐわず、「ウ」はそこで完結してしまい、「オ」では重すぎる。ここは「エ」でなければならない。暗い街中に消えていく複雑な余韻は、ここでは「エ」によってしかつくることができない(なお、似たような曲として井上陽水「帰れない二人」があることを指摘しておく。また、ASKAは「はじまりはいつも雨」を作る時にその曲を意識していると私は考えている)。

 さて、この曲における母音もっとも美しいと思うのはサビに入る前の「誰よりも 誰よりも」という箇所だ。J-POP広しといえども、このような「オ」の大胆な使い方をして、それが成功をおさめている例を私は他に知らない。この箇所は「ア」と「ウ」でも成り立たないことはない。しかし、「ア」だとあまりに開けっぴろげで楽観的すぎるし、「ウ」だと少しストーカーのようないやらしさを感じる。ここはやはり「オ」でなければならず、「オ」という少しくぐもった母音によっていささか内気な青年の、胸の奥底からやってくる高鳴る期待が的確に表現されていると私は考えている。言葉の「意味」ではなく「音」によってこんな複雑な操作をできるシンガーソングライターが今どこにいるだろうか? たいへん残念なことに私はASKA以外に知らない。

 他にも「はじまりはいつも雨」には美しい母音が色々ある。例えば「今夜君のこと誘うから 空を見てた」の「と」の遠慮がちな「オ」とその後にメロディーとともに上を見た時にある開放の「ア」であったり(綺麗な夜空を見て嘆息つくような場景が思い浮かびます)。こういうことは言いすぎると野暮になることかもしれない。とりあえずは「はじまりはいつも雨」を聞いていただきたい。それから、「Say Yes」や「no no darlin'」などのチャゲアス名曲から美しい母音たちを集めて、それぞれ言葉の音を解釈してみるのも一興だと思う。

2014-09-19

うふふふふ

アトリビュートは引喩――アリュージョン系統の神働術だ。

 神働術は神やその御使いといった上位者の力を借用・引用することを得意とする呪術であり、【星見の塔】の四大分類では宗教的世界観の具現化は邪視宗教的記号運用呪文、高位の霊的存在との交信は使い魔、聖遺物などの使用は杖という解釈がされる。

 しかし、そうした特定様式スタイル記号コードはそれを自明のものとして理解していなければただの装飾的で思わせぶりな言動でしかない。知識のデータベースを参照する者。情報を共有している者。すなわち同じ世界という文化圏に属していなければその情報は読み取れない。

2014-07-09

人は呪いをかける事が出来る

人は他人に、自分自身呪いをかける事が出来る

最も強い呪術士は、親であろう

「私が悪いんだ」「私が出来ないせいで怒るんだ」「私がお母さんを助けなきゃ」「私が怒られれば、他の人が助かる」「喜んではいけない、他人不快にさせるから」「他人本心を話してはいけない、付け入られるから」「笑ってはいけない、何か悪い事が起るから

掛けられた呪いは人を蝕み、心を腐らせ、人生を狂わせる

その不条理さに気づけるほど年を重ねても、それは消えずに残る

終わらない連鎖は、次なる呪いを生み出す

からの子へ、その子からの子

世代間の連鎖は死によってのみ絶ち切られ、墓標の数だけが増え続ける事になる

大人になれず、永遠サバイバーとして終わりのないサバイバルに身を投じる事になる

人は、ほんの少しの言葉により他人呪いをかける事が出来る

そして、人は自らに呪いをかける事も出来る

人の不幸は終わらない

2014-07-02

なんかの会見の変な人

佐用町に何があるのかなと思って調べたら天常教ていう宗教団体発見

御嶽信仰の一派らしい

よくいってたらしい豊岡市にも直霊教という御嶽信仰系の団体があった。ただ今は無いらしい

神道親導教というのが同市にあるけど御嶽系との関係はよく分からない

系統福岡市にはなかったが北九州市神理教というのがある。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9C%A8%E6%9B%BD%E5%BE%A1%E5%B6%BD%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%81%AE%E6%95%99%E5%9B%A3

というのを踏まえてこのコメントをもう一度見て欲しい

「天に誓って嘘偽りはなく、現地で意見交換政策の教示を受けるために訪問した」

あるいはあの独特なテンションを思い出しつつ次の文章を読んで欲しい

御嶽山信仰

「御座(おざ)は講活動の中心をなすもので、御嶽信仰する人々にとって共有化されたコスモロジーの上に具現化された儀式です。その儀礼神霊を統御する力能を技術を獲得した前座と深いトランス状態になる訓練と高神との接触、交流技術を獲得した中座という役割の異なる二人の行者が一組となって行われます前座御嶽神霊降臨させて、トランス状態になった中座の身体にそれを憑依させます。そして神霊自身に変化した中座が信者の依頼に応えて病気治癒占いなどを行うという呪術的な儀礼です。」

http://www.geocities.jp/ninoike2905/sinko3.html

2014-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20140630003845

関係ないけど、「祈願ってなんなんですか」っていうのは、漠然とは知ってるしこれまで自分家族も何回もお世話になってきたけど、

もっとしっかり学んでみたいというような気が時々している。

お金トレードオフっていうのは本来的にそれでいいのか(なんか呪術とかだともっと怖い副作用あったりしそうじゃない)、とか

どういう起源でやってるのかとか神主さんの言ってはる文章割と意味がわかる感じだけどどのくらい様式なのかとか

ほんとうに関係なくてごめん。

魔術の福音

民俗学の先輩が言うには魔術や呪術の類いは人の願望の産物なのだという。どうしても欲しいけど手に入れられないものがある時、

人は魔法でも使えたらと独り言ちる。中には本当に禁断の書物を繙いて(ひもといて)しまう人もいるのだから驚きである

日本では言霊という概念があるね。これは西洋には全く見られない独自の思想というふうに言われるけど、根っこは一緒なの。

どうしても呪いたい人がいる時オンソワカ~フンヌラバ~と呪い言葉を繰り返していると相手にダメージが与えられないかなと願うわけ。

そういう血なまぐさい思想技法体系は何も陰陽師さんに限ったことではなくどこの国にもある。シャーマンだってそうだ。


ただまあ現代ではそういうのは流行らない。原初的人間文化形態ではあるが、成熟した文化は魔術性を封印していく傾向にある。

いわゆる土俗的な文化であれその例外ではないのだよ。原住民というといつまでも魔術とかまじないとか信じてると思ったら大間違い。


なぜ流行らなくなるかという時に科学進歩するから胡散臭い文化排除されるというふうに説明する人がいるね。これも矛盾した説明なんですわ。

最初に言ったでしょう。人の願望の産物だと。願望がある限り魔術は生き続ける余地がある。けれどもその願望というもの自体流行らなくなったら?

そういうことを考えてみたことはあるかね?文化成熟して利便性が向上することで泥臭い願望というもの自体流行らなくなる。そういう話なんですわ。


魔術と混同されがちなのがスピリチュアリズムである。これは似て非なる代物と言って良い。魔術は欲望モロ出しのおっぴろげなのに対して

スピリチュアリズムは着衣エロティシズム略して着エロでね。着メロじゃないぞ。表向きは隠すの。つまり魔術が人の願望が生み出したモンスターだとすれば、

スピリチュアリズムというのは願望をうまく手なずけ善い生き方をしようという思想(これもまた願望ともいえるのだが)が生み出したモンスターといえる。

しばしば現代スピリチュアリズム元ネタとして言及されるのが19C前後西洋神秘思想(occultism)であるが、なるほどそこまで遡ると

確かに多分に中世からの魔術思想に源流が認められるところはある。まあ似てるんだけど、そもそもの発想が違う。

魔術は願望の成就を目指すのに対してスピリチュアリズムと来たらどうだ、願望のコントロールを目指すのだ。スピリチュアルやね。


で、権威的な話をすると魔術とスピリチュアリズム関係は、支配者と奴隷関係に似ている。魔術のほうが支配者ね。魔術を使って支配するのではない。

魔術っぽさがここでは肝心なのね。何も魔術なんか実在しなくたっていい。それっぽさに一部の人々はカリスマ性を感じるわけ。ここに芸術の魔術性がある。

時代音楽家たちに影響を与えた書物、ピーターバスティアンの『音楽霊性』に書かれていたことも結局はそういうことだった。

支配と芸術関係性を理解しているかどうかは重要よ。支配者は魔術師でありながら奴隷たちには魔術ではなくスピリチュアリズムを勧めるの。

結局これって権力というもの普遍的に語る1つのフレームワークだと思うんだけど。プロレタリアートブルジョワジー関係だってそう。

2014-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20140223160133

この手の「○○だと思って期待したのに、がっかりしたー」呪文ばっかり唱える呪術者へは、なんと名前をつけるべきなんだろうな。

(こういうこと書く人の過去の文章を見ると、まず間違いなく、ただの反対派で、「期待してたのに」な期間は一日もない)

多分「俺にとって都合の悪い意見への賛同者なんているわけない。きっと騙されているだけだ!! 勘違いしてるんだ!!」と考えた末にたどり着く定型文なんだろうけど。

2014-01-17

永遠の0に際して

永遠の0の作者なあ……。いっそのこと、思想的には対極の位置にありながら築き上げた業績では足の爪にも及ばない宮﨑駿に対して反旗を翻したのち、著作よろしく華麗に玉砕などして存在感永遠に0になったら超面白いと思いましたが、映画大ヒットの報を拝見するかぎりそれも難しい様相で、なんとも盛り上がりません。

http://biz-journal.jp/2013/09/post_2979.html

この記事によれば「風立ちぬ」をべた褒めしたところパヤオからこれ以上ないカウンターフルボッコ、という状況です。それについてのリアクション寡聞にして知らない。そもそもパヤオに対する反骨の相もあるのかないのか……あるいはガン無視でしょうか。このテの人材がこうもボロクソ言われたら自尊心が刺激されないわけが無いのだが……。

さて、俗にいう“特攻”、自国民の消耗にもとづいた戦法を肯定的にとらえようとしている時点でコイツの視座が現実から乖離して形而上的ステージへと突入しつつあるのは明快であります特攻を美化し、賛美したものを書物にしたため、売り物にしてお金を儲けている。劇中でも「史実を知らない現代若者」に蔑視まなざしを向ける配慮も忘れないと聞きます映画は大ヒットだそうですから、さぞおいしいもの毎日たくさん食べているのでしょう。戦没者300万人をおかずに供して日本人の感動を誘い、その涙とともにこぼれ落ちたお金の力を使って召し上がる食事の味とは、果たしてかばかりのものか……。“第二次大戦中における日本戦没者のおよそ5割は餓死”という話とあわせて考えると大層感慨深いものがあります

そのような彼の勢いはツイッターでもとどまるところを知らず、やたらと威勢のよい佞言を垂れ流してリツイートを稼いではえびす顔、というわけですからいよいよもって香ばしい。俺は当初、これほどの大ヒットを叩きだした小説家なのだから賛否両論あるにせよ洞察に満ちた示唆ツイッターでも与えてくれるのだろうとおもっていたが、彼のツイートからプンプン漂ってくるのはネトウヨフレーバーの小物感でした。なに、これ。ただのクソウヨじゃないか……。彼の著作はゼロ戦モノなのに、申し合わせたように嫌韓嫌中というのも見逃せません。

これが、この人物こそが、本邦で話題沸騰中の小説家その人である

この煉獄めいた事実には絶望諦観を禁じ得ません。水嶋ヒロの話題で盛り上がるほうが5億倍マシだ……。

――敗戦濃厚な状況下にあって、それでも敵に立ち向かわねばならないという時に“お国のために命を捨てる”ということが美しいのか、あるいは愚かしいのか、そんなもの平和と飽食のなかに生まれ育った俺が一言に断じることは出来ません。が、国家という視点で眺めてみると、替えの効かない人間100%使い捨てる「特攻」という手段が戦略的にはあきらかな悪手であり、絶対に死ぬという前提のもとで14,000名もの人的資源を消費してなお局面を打開することかなわず敗戦に至った、その現実を忘れてはなりません。

特攻しても、日本、守れなかったからね?

ところで、戦地に赴く兵員も守られるべき国民の一部です。まともな軍隊無意味な命の消耗を決して行いません。生還が期待できない作戦に従事させるなどありえないと聞きます。なればこそ、最低限の技術すら充分に仕込まず、戦略的確信もロクにないまま、垂れ流すように人間を消費していった大日本帝國という組織が、もはやマトモに判断する頭を持っていなかったのは想像に難くない。というかそんなもん作戦でもなんでもなくて、呪術か狂信の域です。氾濫した川に人柱を捧げるとか、そういう次元の愚行。20世紀の話ですよ? そんなクソ『作戦』に殉じて死んでいった人間を「護国の英霊」だなんだと奉じてただただ祀り上げたり、「日本を護ってくれてありがとう」などと謝意を述べたりするのは、まず現実に即していないという意味において死者の耳に届くものではありません。

繰り返しますが日本敗戦しております

特攻では日本を守ることが叶いませんでした。われわれは、国を挙げた狂乱の最も哀れな犠牲者である彼らについて、ただただ哀悼の意を捧げるしかありません。まったくの非論理性に基づいて死んでいくことを強いられた彼らについて、国に身をささげて護ってくれた偉人だと位置づけるのは、どう取り繕ったところで美化だし、また身勝手にも程があります

もし靖国神社におもむいたなら、特攻で死んでいった霊前に際して感じるべきは、決して感謝の意のたぐいであってはならない。ましてや参拝者自身のナショナリズム(笑)のズリネタとするなどもってのほかです。お前自身の事なんざどうだっていいわ。われわれは彼らに対して『あなたがたのような無意味犠牲を今後二度と生み出すことのないよう、いついかなる時においても冷静な判断力を保持し続けるべく不断努力をする』と誓わねばなりません。彼らの無意味な死に意味を与えたいのなら、彼らの教訓から悪い部分を点検・評価をし、処置改善を施し、よりよいみちすじを計画し、そして実行する。そうやって戦後の我々がつねに賢く在ることで、彼らに報いねばなりません。それができなかったからこそ戦前日本はあれほどの愚を犯したのだから

――とは申せ、この国においては困難に取り組む姿勢努力のものが崇高であって結果は二の次三の次、という精神論が未だに根強いので、自爆攻撃が二度と繰り返すべきではない馬鹿げた愚行だと確信するにいたるのは少々先の話だとは思うのだけれども。とりあえず日本人特攻隊員を美しく思っているうちは、いまなお旺盛なサービス残業はきっと無くならないでしょう、残念ながら。ていうかよくポツダム宣言なんて受諾できたもんだな日本……。

そんなウワサの永遠の0さんですが、述べたようにツイッターの閉じた輪っかの中で自らの考えを発信しては、同好の士(と書いてネトウヨと読む)のさんざ輻輳しきった肯定のレスポンスを受け取ってほっこりしているようでありますRTとfavの数字だけみたらまぁよくも次々と数百RTを連発するなあという感じですが、実際のところ汚泥汚泥と混じりあって発酵していく毒の沼地のような醜悪さです。日夜この国のトラフィックを増大させてプロバイダの業務を1%くらい煩雑にしておりますが、その様子はナメクジ同士の交歓にも似た淫靡さで、読んでて正直恥ずかしい。とあるツイートなどでは『有事の際には9条論者を最前線に立たせ、彼らの物言い戦争を止められるかどうか眺めればいい』などと超ドヤ顔で言いだす香ばしさ。うーん、これは上手いことを言ったつもりなのかな? たいへん粘着味あふれる皮肉センスで小生は惚れ惚れいたします。膨れ上がった自尊心が伺えます。かようなトラフィック上のクソですら、山ほどの(とはいえ3ケタ程度の)RTをされてしまう魔のフィードバックに取り囲まれた裸の王様こと氏は、お勤め時代ならいざしらず、今はもう自分の見たいものだけを見て生きているに相違ありますまい。実に幸せそうです。人間かくあるべきというお手本のような状況です。われわれ日本国民は、かの映画を見ることでこんなおもしろ人材を養っているのだという現実にそろそろ向き合う覚悟必要でしょう。くわばらくわばら。

――以上は多少のオブラートに包んだ物言いでしたが、ただいまの気持ちに偽りなく申し上げるならば、先の大戦からこのようなスイーツ受けする感動話(笑)しか導きだせないこのようなボケナスは、有事の際においてまず靖国ならびに千鳥ヶ淵で1億回陳謝ののち速やかに最前線に赴き、一億火の玉嚆矢と成り果てて欲しいと思った。氏の著書に感銘を受けたフォロアーが80人くらい同行するかもしれませんし。

映画の方ですが、あんな見え見えの地雷をだれが踏むかって感じなので5億円くれたら見たいです。ツイッター感想をつぶやいた人々がおおむねスイーツ(笑)層とジャニオタ人材である点には少しホッとしています。単純に「泣ける感動モノ」という文脈で受け止めているようです。とりあえず、根底うごめくクソウヨ史観に運悪く感染してしまったインフェクテッドがそう多く見受けられないのは不幸中の幸いでしょう。人々はいまだ中庸なり。多分。

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