はてなキーワード: 呪術とは
昨年、求人も出してない今の職場にコネで入ってきた下っ端の話なんだけども、
どういうわけか、こいつが関わるとよく人が死ぬ。
こいつが世間話でなんとなく名前を口にしてた人物が翌日死亡、というのが複数回。(死にそうなんて情報は全く出てなかった)
こいつに仕事を受け渡した途端に関係者が相次いで倒れ、しかも原因が全く同じ脳血栓。
この関係者ってのはどちらもスーパーの店長なんだけど、一人は死亡、一人は重症。まだ入院してる。
そろって大黒柱を失った家族経営スーパーは、片方は倒産、片方は無期限休業。
仕事を引き継がせようとしたら仕入先がのきなみ潰れてそもそも仕事が引き継げなくなるとか想定外すぎた。
ちなみにそいつの親も先日突然死した。確か脳梗塞とか言ってた。
まあそもそも呪術とか全く無関係じゃない仕事ではあるし、そいつ自身もそういうおどろおどろしい家の出身ではあるんだけどさ。
隣の席なのよ。
こちらはその手の呪い全般がひたすら効かない人間なんでこんな仕事にも平気でついていられる、という事情はあるんだが。
隣の席なのよ。
計三ヶ月の速成教育で資格取ったような奴だから、先輩に対する態度とかも全然なってなくて思わず「お前この仕事向いてないし辞めたら?」と肩を叩いてあげたくなるタイプでもあるし、正直関わりたくないんだが。
会話になったら、なるべくこちらの話題は避けて、ひたすらこいつ自身の事を話させるのが一番いいとはわかっているんだが。
そもそも凄く嫌な奴で会話したくないからついつい適当に流してしまう。
でも昨年末あたり、なんだか急に腸管出血とかいうのを起こして病院に検査しに行ってたし、アレは対応策が地味に効いてたのかな。
(なんか腸管出血は性格のアレな人がよくかかる病気だ、みたいな話も聞いたが)
ぜひこれからも、下っ端には自分の事をもっと積極的に話していって欲しいと思う。
全然興味無いけどな。
アニミズム自体に呪術的とか生殖器崇拝とかはないよ。弥生期のそれは朝鮮宗教が根付いてるからだよ。少なくともシャマニズムが誕生する以前をアニミズムなんて言う。アニミズムが根付いてる神社で有名なのは奈良の大神神社。
てか勉強不足どころかアニミズムの意味を理解してないよね。ググるなり何なりした方が賢明だよ。
以下は全く別問題なので切り離して考えよう。
>疑問を抱くのは、どうして男根を祀る生殖器崇拝が多いのかということにある。多産、豊穣を願うのならば、どちらかと言えば女性性的なる象徴を崇めたほうが自然な成り行きなのではないだろうか。
東北地方の神道は基本的に女性が豊穣祈願の役割を担ってる。東北の代表的な山岳信仰の一つである出羽三山は恐山などとは異なり乙女に田植えをさせる風習があるけどね。神様も女性に喩えられてるし。大阪では、住吉信仰(海神信仰とすべきか)が有名かな。
一方、東北は女人禁制の信仰が多く残ってるけど、女人禁制そのものは神道でなく仏道だから、基本的に男根祭も仏道になる。神道論といいながらも実際は仏道だったりするのが神仏習合の結果なんだろうね。ちなみに弥生時代までは女尊男卑が通例だったけど、仏教伝来から男尊女卑になったのは皆知ってるよね。
愛知は有名な仏教都市。三大稲荷のひとつである愛知の豊川稲荷がその例。曹洞宗ね。
結論からいうと、弥生期までは女性が豊穣祈願の担い手だったけど仏教伝来以降は男性主義になったってこと。女には穢れがあるなんて発言したのは時の権力者の都合の良い方便だったと解釈するのが無難かもね。実際は女性に穢れはないって思想観念こそがわが国固有の神道なんだよ。
日本の生殖器崇拝は男根の方が多いらしい。生殖器にの形を模した造形物に、多産、豊穣をもたらす呪術的な力を認めて、崇め奉るのだそうだ。
愛知県小牧市にある田縣神社で毎年催されている豊年祭など、その最たるものだろう。男根を神輿で担いで通りを練り歩く姿は、日本人であっても衝撃的な光景に映るに違いない。
まあ、そんなことはどうでもいい。男根の形をした飴を女の子がねぶっている画像とか、思うところはあるけれどそういう文化と捉えてしまえば受け入れられるものだと思う。
疑問を抱くのは、どうして男根を祀る生殖器崇拝が多いのかということにある。多産、豊穣を願うのならば、どちらかと言えば女性性的なる象徴を崇めたほうが自然な成り行きなのではないだろうか。
地母神の描写が世界各国の神話に現れているように、古来人は生命を肉体から生み出す女性性に、多産、肥沃、豊穣といった大地の母としての信仰をあてていた。
疑問は簡素で、どうして男根信仰が多いのかってことに尽きるんだよね。女陰信仰もあるにはあるみたいだけど、そんなに見聞きしたことがないし。
なんでなんだろうって思うわけで。日本で言えば、汚れの思想が理由に当たるのかしらんとは想像するのだけれど、まあわからないわな。
そもそも汚れなる思想が難しいし。なぜ血が汚れにあたるのか。血っていうのは、人間的な範疇に捉えられてしまうからなのかしらん。超越者に、血は似合わないからなのかしらん。
何にしろ、昔らから人ってばギャップが大好きだったんだなあって思う。矛盾なきギャップを有したキャラクターは、羨望の的だったのかもしれないなあ。嫉妬の間違いかな。
なんか面倒になってきた。やめる。
http://plaza.rakuten.co.jp/nakedfish/diary/201108090000/
違う。そうじゃないんだよ。
旦那に「ノー」と言われたら、こちらも「ノー」と言い返せばいい。嫌だ、あなたがやってくれ、と。
そのときに、「私がやったんだからそちらも、という見返りを求めて」はいけない。
ただ単純に、旦那が「やりたくないこと」はやらない、というのと同じレベルで、「病気になったとき」はやりたくない、と言えばいいんだ。
それが、「manipulative」でないってことなんだよ。
双方が同じレベルで主張をしたとき、まっとうな対立が生まれ、交渉ができるようになる。
そのときに初めて、普段「大変尽くしてあげた」のだから今回は「やって」ほしい、と言えばいい。
どういう選択を相手に与えるかという問題なんだよ。
あなたの主張は、普段私が世話をしてるんだから、今回はあなたがしなければならない、というものだ。
相手に選択の余地がない。だからmanipulativeと言われるんだ。これじゃ交渉としてフェアじゃない。
もしもそういう主張をするなら、あなたは一番初め、旦那の世話をするときに、今回私が世話をするから、私がダウンしたときは世話をしてほしい、と言うべきだった。
それが受け入れられないなら私は世話をしないが、どうしてほしいか、と相手に選択を提示すべきだった。
それをしないから、相手は後出しの交渉自体を卑怯なものと放棄して、「ノー」と言ったんだ。
そうでないなら、旦那に世話を要求する際に、今まで「旦那が病気になったとき」に「世話をした」ことを理由に持ち出すべきじゃない。
ただ単純に、「ノー」と言い返すべきだ。
そうすれば、旦那には、自分が妻の世話をするか、または、世話をせず、妻の機嫌を悪くし、もしかしたらこれから病気になったときは世話をしてくれなくなるか、という選択が与えられる。
これなら、公正な交渉であり、一方が他方をmanipulateしてる、ということはなくなる。
ただ、この文章で、あなたの考え方はともかく、行動は批判するつもりじゃない。
夫の方から見れば、あなたが「尽くしてあげた」ことをタテにしようが単に「ノー」と言おうが、世話をするか世話をしないかという二つの選択があることに変わりはない。
つまりこの場合あなたがmanipulativeに振る舞おうがそうしまいが、夫に大した違いはない。
夫はmanipulativeなのが嫌だったのか単に世話したくなかったのか知らんが、ヘンな理屈つけて、良い関係を保つためにすべきことをサボってるに過ぎない。
もしまっとうにmanipulativeであると批判するなら、私が今上に書いたようなことまで含めてあなたに話して聞かせるべきだった。
あなたが旦那に見切りをつけたことも、まあ当然と思う。
結果を見れば、旦那はあなたがして欲しいことをしてくれなかった、だからあなたは旦那と別れた、ということに過ぎない。
あと、あなたの子供の教育に対する考え方は決定的に間違ってる。
どこでそういう勘違いをしたのか知らんが、教育は、無関係なことで「脅したりすかしたり」、余計な「罪悪感を植えつけ」て子供を怖がらせることでは断じてない。
そういうことをすると、子供は関係のないこと同士を結びつけて考える呪術的な思考をするようになるし、他人の感情でしか行動の是非を測れなくなる。
そういう考えは即刻やめなさい。
親はあらゆる行動について子供を納得させるべきだし、子供が納得する説明ができないのは親の不勉強だ。
実際的な問題としてそうするしかない場面があるのは分かるし絶対にするなとは言えないけど、積極的にすることじゃない。
まず感染の法則を「どんなに離れたとしても」を「どんなに薄めたとしても」に拡張します。まあ自然です。
類似の対象として
を選びます。
するとこうなります。
さて、基本原理に基づき正しい構成から成り立っているのがわかっていただけましたでしょうか。
問題なのはこの基本原理の方でありまして、これは類感呪術と感染呪術という古典的な呪術の基本法則なのです。
つまり、ホメオパシーは正統なものです。これはれっきとした伝統呪術でありまして、川崎大師の身代わりお守りがその存在を責め立てられないように、ホメオパシーそれ自身は責められる道理のないものなのであります。
そのかわり、西洋医学との置き換えには決して使えないものであることも事実であります。人事を尽くして天命を待つと申しますが、現代の呪術はその天命の部分に影響できると信じて行うものであります。西洋医学をないがしろにしては、人事を尽くしていることにはなりません。
ホメオパシーは正しく使いましょう。
結局、問題は「いかに(比較的)健全な逃げ道を用意してやるか」に尽きるんじゃねーのと思ってる。ただホメオパシー叩いてりゃいいってもんじゃない。はてな村民にはそこが足りない。
ホメオパシーとか今すぐ地球上から滅びればいいと思ってやまないんだけど、でもそういうのに縋る人の気持ちもわかんないでもないんだよね。
自分の家族がそうで、タイムリーなことについ最近ホメオパシー関連の団体に入会した(ついでに入会書に勝手に俺の名前書いてたので死ねと思った)んだけど、その直接的な理由がどうも、妹のアトピーが皮膚科でくれる薬を塗ってもちっともよくならない、それどころか数年来悪化する一方(であるように本人たちの目には見える)なのが原因らしい。
その話を聞いて正直アホかと思ったんだけど、同時にその心理はわからなくはないわけで。
一般化すれば末期ガンの患者が拝み屋だの黒酢だのに手を出すような。
はてな村民なんかはバリバリの科学的世界観に生きていて、俺も今のところはそうなんだけど、だから疑似科学をボッコボコにしてもなんともないわけですよ。新大陸行ったら現地人がわけのわからん偶像拝んでた、みたいなもんで、打ち滅ぼすべき悪と確信してやまず、あまつさえ教化の使命に身を震わせてたり。
でも日本人のほとんどはまだまだ呪術的世界観に生きてるわけで(この前どっかの大学の社会学の先生がブログでそんなこと書いてた)、彼らが病院でもうダメだ、となったときにどうするのか。縋るものが必要なわけでしょ。
終末医療におけるホスピスのように、そういう適度な精神安定剤は当然必要なわけ(このへん、日本では宗教がうまく役目を果たしてないからよけいに悪徳宗教とか疑似科学が流行るって話もあったりするわけで)。
これからのこの社会の課題として、そういう「逃げ道」として(比較的)健全さを保った、(比喩としての)プラシーヴォ効果を一定程度供給してくる疑似科学なり宗教なりをいかに確保し、かつ100万円の壷買わせる拝み屋、みたいのをいかに排除していくか、について科学的世界観の持ち主、社会の善導者たるエリート様におかれましては向きあう必要があるのではないでしょうか(そういう意味では、現状での温泉とか鍼灸がヒントになる気もする)。せめてもの妥協として。
少数派は批判されればされるほど、その事実こそが自らの正しさを証明しているのだと思うようになる(って心理学実験の論文が出たってGIGAZINEかどっかにも書いてあった)わけだし、叩くのではなく「仕分け」た方が効率がいいはず。
もちろん同時に、義務教育課程においていかに科学的な思考法を浸透させていくかも問題になるわけだけど、まあ所詮限度があるだろうし、そもそも世代交代には時代がかかるわけだから、当面は上に書いたことを推し進めていくしかないと思う。
逆説的だが。
そもそも父権社会が生まれる前の、母権社会における処女というのは、今みたいな清らで優しいなイメージとはほど遠いものだったようだ。
処女神は地母神の対義的存在であり、まぁ端的に言えば、流血と死を好む、闘争的でヒステリックな存在だ。
例えば偶然迷い込んで自分の裸を見ただけの男を、残酷な手口で殺す女神アルテミスだとか、
血と死にまみれた道を自分の領分として、平気で歩き進む娘だけが、処女神のよりしろとして選ばれるクマリだとか。
荒ぶる御霊のご機嫌をとって、味方に付けるというアニミズムの発想から、彼女たちは崇拝されるのだが、基本的にはとても残虐な、あらゆる男を自らの処女性を犯す穢れとして殺害しかねない存在。それが処女神だ。
これ、処女厨が忌み嫌い、思い描いているらしい「フェミニスト」の絵にぴったり嵌る。
で、彼女たちを優しく穏やかで、男達を包み込み、育む豊かな存在である「地母神」にする手段があると、昔の人々は信じた。
処女とセックスすることは、荒ぶる神である処女の怒りを買うことだから、彼女たちに対抗できる呪力が強い、呪い師や長みたいな人が、村の処女と一度セックスして、それから他の男とセックスしてもイイコトになる、みたいな風習もそこかしこにあったらしい。
要は、もう男を受け入れて、優しくしてくれる地母神になったので、セックスしても祟り殺されないよ、ということだ。
これが男根崇拝にも繋がるのだろう。すなわち男根には、女神達をコントロールできる呪力があるという信仰だ。
ところが現実の女はそうはいかない。
女にとっては最初のセックスなど、他のセックスと同等以上の価値はない。別に特別でも何でもないという。
男根には、女をコントロールできる呪術など何も備わっておらず、ただの生殖器にすぎないのが現実だ。
セックスしてもセックスしても、地母神にはならず、処女性を失わない現実の女が、多分処女厨は恐ろしいのだ。
なぜなら、セックスに女を母に変える呪力がないことを、すなわち「自分だけを愛してくれるお母さん」を新たに獲得する術などないという事実をつきつけてくるからだ。
さらに不公平感も誘発する。
女の子宮は生命をコントロールする力を持ち、男の男根はその女をコントロールする力がある、という幻想が、「男も女も生命の営み、流れに影響する呪力がある」という幻想の源だった。
だが、実際に男根に呪力がない現実がつきつけられているにもかかわらず、「女の子宮は生命をコントロールする権限」だという幻想は、未だ効力を失っていない。
人工精子は作れても人工卵子は未だ作れないし、人工子宮は未だ夢のまた夢だ。
昨今は病院で出産するため、嬰児殺しは簡単に出来ないし、そもそもそうしたいのなら堕胎するのが普通だが、その気になれば女は一人で産んで、その子供を捨てることも、完全に不可能ではない。すなわち、確実に出産に立ち会えるという保証から、生まれてくるべき生命とそうでない生命を決める原初からの権限を、未だ女達は失ってはいない。
(母権社会であった日本では、生まれてくる赤子を育てるか否かの決定は、出産の儀式のうちに組み込まれており、当然その判断は母親や義母などの、出産の儀式に参加する女達で決められた)
少なくとも処女厨たちはそう思っているのではないだろうか。
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
なんかこの文章昼間もあったよね。
消したの?
なんのつもりか知らないけど人の書いた文章を何回も増田に載せるのってキモいわ。
調べてみたら昨日の夜中も同じようなの載せてるね。
http://anond.hatelabo.jp/20100611232824
意味がわからない。っていうか薄気味悪い。
■次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 なお、出題の都合上、一部改変した箇所がある。
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
少し水洟が出る。いよいよ花粉症だろうか。朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、なにかを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
まあ、それはそれとして。このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などはようするにバイラルなのだが、が、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
で、これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外すのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
同性愛の「原因」や「目的」をさぐろうとする研究について、個人的見解
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20100427/p1
査読者1のコメント:
筆者は原因と目的という全く異なる概念を混同させて議論している。同性愛が生じる原因は何かを考える事は自然な科学的思考であって、目的論であるかどうかは、筆者が原因と目的を恣意的に同一視しているかどうかで変わってくる。それ以下のキリンの議論も目的論的世界観に対する反論にはなっているが、当の同性愛の問題に同様のロジックを必ずしも当てはめることはできないことを見落としている。呪術的とも言い換えられているが、なぜこのように言い換えることが妥当であるかという説明が欠落している。筆者は最後に、「個人的には、「同性愛は『ランダムに繰り返される突然変異』のひとつで、たまたま環境に適応したもの」なのではないかと考えている。」と帰無仮説が妥当である可能性を主張しているが、なぜその主張が同性愛が生じる原因を調べること自体を否定することになるのかがきちんと説明されていない。このように筆者は、言葉の言い換えにおいて複数の軽率な誤りをおかしているため、全体として論理的整合性と説得力に欠けている。よってリジェクト。
アホばっかりだった。
そんなやつらをほっておけなかった。
オレはしがない大工だったが、仕事が暇なときにやつらのためにフィクションを作ってやった。
まあ既存の宗教の真似だったので、創造性などかけらもなかった。
そいつが俺らを守ってくれていることにした。
フィクションという手段は美しくなかったが、他に適当な手段を思いつかなかった。
アホどもはそれでやっと安心したようだ。
オレは目的を達成できたと思った。
だがあまりにもこれがうまく行き過ぎた。
古い宗教はそれ自身が硬直化していて呪術めいたものになっていた。
万人に認められる簡便さ、わかりやすさを失っていた。
下層階級のためのものではなくなっていた。
オレが作った宗教はその隙間に入り込んだ。
学のない人々の不安な気持ちをうまく救うことができた。
オレは権威主義的なやり方が嫌いだったから、人を当惑させるような難しい言葉や無駄な言葉は一切使わなかった。
アピールが成功したために、当初想定したよりも信者が増えていく。
だんだんにオレの手には負えなくなっていった。
単にアホどもを救いたかっただけなのに、集団が拡張するのを止められない。
最後には体制側に目をつけられた。
ちょうどそんなとき、体制側の人間はスケープゴートを探していた。
新興勢力に危機感を抱いた保守派からつるし上げを食らった。
いくら熱狂的な右翼といえども、異教徒というだけで殺しはしないだろうと高をくくっていたオレが甘かった。
行動に自覚的でない原理主義者というのは救いようがない。
なんで排除したいのか、という感情的な理由について、きっと彼らもはっきりとは認識していなかっただろうと思う。
オレは磔刑になって死んだ。オレの肉体は空しく鳥に食われ、血液は乾いた地面にしみ込んだ。
困ったことに後世の連中はオレの行状に尾ひれをつけてオレをあがめることにしたようだ。
いつまでも保護者を必要とするとはな。
やれやれ、何年たってもアホは減らないようだぜ。
言っとくが「神の愛」なんてものは存在しない。
おまえらが見てるのはオレの愛さ。
国家元首の仕事が「祈り」だというのは、まぁそうかな、という気もするけど、
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090415/p1
「就職や学校生活において、「本名」によって差別されるという事例はいまだ多くあります。」
耳目を集めるために暴言を書きますが、
「全くの嘘です」。
今の日本で本名によって差別なんてすると、あっという間に糾弾され、告訴されます。
(本名を知られたくない在日韓国人は、チマチョゴリ着て韓文化を誇りにしている人達にゴメンナサイしないといけないね。あ、誇っているのは女性だけか)
実態は存在しないのに、恐怖感から実際に起こったかのように騒ぎ立てているだけです。
つーか、本当に差別されたのであったら、“法治国家”では告訴しなければ
積水ハウスの事件、知らないのかね?
名誉回復のための手段は用意されているのに、何考えてるんだろう?
未開の部族の中には「本名を知られると魂を操られるから偽名で通す」っていうところがあると聞くけど、
http://www.crdc.gifu-u.ac.jp/cerd/scs/resume2k7/scs20070706sugimura.pdf
強姦犯罪においては、少年の79.0%、成人の61.2%が、計画を立ててから犯行に及んでいる。また、その女性を「被害者」として選択した理由は、「警察に届け出ることはないと思った」37.5%、「おとなしそうに見えた」36.1%であり、「挑発的な服装をしていた」を選んだものは5%に満たなかったという。
http://homepage1.nifty.com/midnightsapporo/mas/masp/hanzai/hanp/han02/hanzai.html
なぜその被害者を襲ったののか、という容疑者に対する質問では、「前からつけ回していた」「相手が納得していると思った」など16の理由の中から容疑者が複数選択で選んだところ、「挑発的な服装をしていた」は全体で5%に過ぎず、「好みのタイプ」「だれでもよかった」は約1割だった。
最も多かった「理由」は罪種で違い、強姦事件では「警察に届け出ることはないと思った」(45%)。強制わいせつ事件では「おとなしそうにみえた(抵抗されないと思った)」(48%)が多かったという。
調査をまとめた科警研防犯少年部の内山絢子主任研究官は「『挑発的な服装をしているから襲われる』とよく言われるが、実際にはさほど理由にはなっていなかった。偏見が被害者に声をあげにくくさせている面もあるので、実態を多くの人に知ってほしい」と話しているという。つまり、襲われないように地味な服装をしていると、かえって標的になりやすいということらしい。
ここなんかも読んでみるといいよ。
実際に流してるということとトンデモということは両立するぞ。
いくつか考えられる可能性をあげると、
1.本当は効かないけど信じ込んでやっている
2.本当に収穫量は増える
2-1.増えることは増えるが、別の理由で増える(他の人が紹介してるけど振動とか)
この辺を厳密に線分けしていくのが科学なんだけど、農業の現場じゃ別に科学的正しさは要求されないからな。
増えるなら理由なんかどうでもいい、という意味では呪術みたいなもんだ。職人の世界に行ったら、なんでそうすんのかわかんないけどみんなそうしてる、みたいな決まりごとはいっぱいあるぞ。特定音楽だけが特に効く、というのなら何か科学的根拠が欲しいところだな。
今までのデータの信頼性によっては、1の、本当は効かない、という可能性すらあるぞ。そうめんは古いほうが上手い、という業界の定説に疑問を呈する実験と論文がこのあいだ発表されてたぞ。
http://www.asahi.com/national/update/0217/OSK200902170030.html