理屈通りにいかない事が世の中に存在することに耐えられないとき人は屁理屈に騙される。
ニセ科学、古典宗教、カルト、呪術、昔から人間ってのは理屈が存在しないものに強引にでも理屈をつけてくれる存在をやたらとありがたがる。
「人間の様々な感情のパラドックスや二律背反は全てそれらが『目的』に根ざしているからである」という甘い言葉によって自分にコントロールしきれないい感情、理解しきれない他者の感情を強引に理解してしまおうとする事こそがアドラー心理学の根幹である。
それはある種の怠惰だ。
説明しきれない物にとりあえずの説明をつけてひとまず蓋をする。大人が子供に「赤ちゃんはコウノトリがキャベツ畑にインサートしてアッフンするんだよ」と説明するのが面倒だからと適当な嘘をついてごまかすのと同じだ。
「理屈を完全につけきることが出来ないものが存在する」というストレスに向き合う勇気のない者達の聖典としてアドラー心理学は崇められているにすぎないのだ。
なんていうか、生活してる人間はそういうのにまともに向き合う余裕とか無いんだろうね。 それが高じて「考える余裕がある人間は幼稚である」という方向に先鋭化する人も多いので、 ...