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2015-09-04

読書メモ代替医療トリック

代替医療トリック

http://www.amazon.co.jp/dp/4105393057

代替医療:主流派医師の大半が受け入れていない治療法(この本の中での定義)。

ホメオパシー※1とか鍼とかハーブとかその他得体の知れない代替医療は数あれど、それらを冷静に論じた研究は意外に少ない。盲目的に信じ込むか、逆に根拠のないたわごとから皆殺しにすべきとか、ヒステリック物言いは割とあるのだけど。

この本では、医薬品では実際に行われている二重盲検法を同様に用いて、代替医療各々は効果があるのか、何にどれくらいの効果があるのかというところを冷静に検証している。第一章では、経験ではなく根拠に基づいて医学を発展させてきた歴史を大まかに説明している。二重盲検法について知っている人でも医学史として楽しめること請け合い。壊血病の対策をいち早く発見できたイギリスの躍進とか激アツ。

※1:ある物質が持つエネルギーを水に記憶させることで治療薬を作成する。溶液は百万分の一以上に薄められて有効成分の分子が含まれてないかもしれないけど、希釈されればされるほどエネルギーは増幅されるから大丈夫だよ(大丈夫じゃない)。材料植物鉱物生物など様々。ベルリンの壁材料にしたものもあるよ。

この本の中では、具体的なエピソードは読んで欲しいので省きますが、多くの代替医療科学的な検証を経てプラセボと同等の効果しかないという結果が繰り返し提示されます効果があるものも、検証する立場の人が中立じゃなかったり、認知的なバイアスによるものなんじゃないかという検証がなされます一時的に悪い状態(風邪とか)が平均への回帰でほっといても治ったのを、代替医療を施したせいだと思ってもらう工夫とか。

作中でも、また世の中にも「プラセボでも効果があるのならそれでいいじゃないか」という意見がしばしば出されます。著者はこれに対し、以下のように反論していました。

プラセボ効果を最大にするために、医師意図的患者を騙すことになる

=水平的な立場ではなくなり、患者自己決定権を阻害する、不誠実な関係を築くことになる

医師プラセボ効果を守るために薬効の真実について口をつぐむことになり、医学進歩ストップする。製薬企業も金のかかる新薬開発を投げ出して砂糖玉販売に終止するようになってしま

代替医療自体に害がなかったとしても、代替医療を選択することで主流派医療を受ける機会損失となり危険

予防接種を受けさせない親とか)

治験でもプラセボ効果が出やすい分野とかはあるそうです。軽度・中等度のうつとか。でも抗癌剤とかだと明らかにプラセボは駄目なことが多いっぽいので、そっち方面までプラセボでもいいんだの民に駆逐されるとやばそうな。▲

などなど。このあたりがヒステリックじゃなくエレガントに書いてあって感じが良かったです。

アメリカでは代替医療の一つであるホメオパシーが、昔から有力者に好きな人が多いとかでFDAアメリカ食品医薬品局。医薬品臨床試験とかする。つよいきびしい)の審査抜きでガバガバ売られてたり、イギリスではチャールズ皇太子代替医療大好きでその効果の程を知らしめるための機関を作って研究者から批判されたりとか、日本とは違う実情があるみたいです。日本でもやってる人はやってるみたいですけど。

巻末には30種類くらいの代替医療効果のほどが簡略にまとめてあるので、代替医療概論としてもおすすめ

代替医療についてまとめて学ぶのが初めてだったので興味深かった。「多次元DNA手術はチャネリングテクニックを用いて、DNAレベル問題のある配列を取り除き、神のような完璧配列で置き換える治療法です」とか最高にキてる。▲

代替医療呪術構造が似ていると思った。

呪術がその効力を発するには、以上の条件を満たさなくてはいけない。呪術それ単体で存在するのではなく、呪いにかかったと信じる人がいて、それが呪いにかかったからだと信じる社会があって、呪いをかけた人間がいて、はじめて呪術が成立する。呪いにかかったと思わなければ呪いは成立しない。

以前『医療人類学のレッスン』でも書いたんだけど、プラセボあるいは代替医療効果を発する状況には、似たような構造があると思う。

代替医療を受ける人が居て、それが効果があるものだとする社会存在して、そのコミュニティでは権威のある施術者が居て。施術者と患者関係が非水平的(知ってる人と知らない人、授ける人と助けを乞う人)という構造も似ている。実際には何もないのに、なにかあるように見せかけることができるってほんとに魔法のようだと思う。呪術代替医療プラセボ類似性が私の中で熱いので、今後も追いかけていきたい。▲

医療人類学のレッスン』私的読書メモ

▼▲でコメント挿入。

医療人類学のレッスン 病をめぐる文化を探る』 http://www.amazon.co.jp/dp/4313340165

著者本人HPインデックスあり

http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/00-Frame2012.html

論点くらいは確認できるっぽい。

医療人類学の始まり

前提:歴史一定の方向に進化しており、最後絶対的価値を持つ正しいものけが残る(勝利者史観)が支配する状況

19世紀から20世紀初頭のヨーロッパにて、「歴史時間的に遅れた未開民族医療を調べれば、西洋人過去発見できるのではないか?」という発想から調査。現地に赴く宣教師等に非西洋の様々な文化的事象蒐集させた。

▼私としては文化結合症候群トピックが興味深い。文化の違いで人々の葛藤行動やストレス表現行動は異なる。文化的差異精神疾患に典型にみられるということだった。

このあたりは『クレイジー・アライク・アメリカ』に詳しかった。香港での拒食症欧米拒食症と違う病像だったけど、DSM基準で診察する精神科医の増加でその病像が変わっていくとか。

苦痛イディオム」というのも興味深い。ストレス表現するそれぞれの文化独自イディオム日本語でいうところの慣用句的なところでの「肩が凝った」とかか。身体に表現されやすい(身体を表現する言葉に落とし込まれやすい)かどうかは文化次第かな。精神ストレス精神的異常を表明しづらい文化圏では心身症が多く出ると聞くし。日本とか中国とか。ヨーロッパ心身症少ないと聞くけど本当なのか。どっかで統計拾いたい。

各論

著者本人HPインデックスあり

http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/00-Frame2012.html

論点くらいは確認できるっぽい。

読んだ中だと、特に呪術」「憑依」と「狂気」が興味深かったです。狂気フーコーとかのアレでおなじみ。でも、狂気だけでなく、国家が個人の健康・身体をどう扱うかみたいな部分でも頻出していました。

呪術

http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/000606magicLS.html

呪術がその効力を発するには、以上の条件を満たさなくてはいけない。呪術それ単体で存在するのではなく、呪いにかかったと信じる人がいて、それが呪いにかかったからだと信じる社会があって、呪いをかけた人間がいて、はじめて呪術が成立する。呪いにかかったと思わなければ呪いは成立しない。

▼このあたりは治験プラセボを使ったダブルブラインドテストとは真逆ダブルブラインドテストは、薬効のないプラセボと実薬を、医師患者もどっちか分からない状態で投与して、薬効の有無や程度、安全性確認する。プラセボでも改善効果副作用が出ることはあるので、プラセボに対する優越性を確認するのが目的試験

しかし、向精神薬や鎮痛剤の類など、プラセボ効果比較的出やすジャンルがある。器質的な異常なんかをプラセボ改善するのは難しいけど、精神症状や痛みの評価は気の持ちようのファクターがある程度あるので。(もちろん、実際に世に出ている薬はそれらを乗り越えて承認されたものなので、有効な薬だとは考えられますが。)

プラセボが効いちゃうというのは、呪術構造的に似てると思う。

薬に対する期待(あるいは副作用があるのではという不安)があり、治験薬を処方する医師治験に対する期待(不安)があり。服薬したのが単に乳糖を固めただけのプラセボであっても実際の改善効果副作用として現れてしまう。これは科学という権威に支えられて発動した呪いだと思う。

精神科のくすりを語ろう』で熊木先生がいってた、向精神薬は薬への期待や医師への思いも含めて服薬する、効くということなのだよみたいな話を思い出す。薬効だけでなく、薬をめぐる心の揺れ動きも効き方のファクターになる。それが向精神薬を使うということ。

webですれ違った人に、不安発作に襲われた時のために抗不安薬を持ち歩くこと、薬が入っている包みをさわることそれ自体安心する人がいた。その人はとっくに使用期限が切れたそれを「私のおまもり」といって大事にしていた。以前それを飲んで安定したとか、医師との関係とか、色々な要素があって、そのひとにその薬は安定をもたらしていた。もはや飲まなくていいレベルで。これも向精神薬を「使う」ことになると思う。現代呪術。▲

☆憑依

憑依とは:異常性をもたらす主体

私が病気になっているという状態ではなく、外部に症状の原因となる霊的存在を想定する。

それ故に、人ではなく霊的存在に働きかけることでどうにかするという話。

憑依の認識と流れ

苦痛がある

オーソリティによって何らかの霊的存在に憑依されているという判断がなされる

それによって症状の見方が変わる。身体内部の問題でなく、外部に存在するものとの関係問題へとシフトする

憑依したものに対する儀式

呼びかけ、憑依された人をトランス状態にする、命名する

自己=身体から精霊主体の分離)

意識的意思決定ではなく儀礼空間に身体が感応するという意味で身体的自己による参与

化物語の蟹のアレとか分かりやすいですね▲

自分の中にある困りごとを、外在化させて対象化する、私・誰か・それの三項関係で扱えるものにするというのは心理療法的。分かりやすいところではフォーカシングがそうだし、普通カウンセリングの中でも言語化することで自分の中のもやもやと向き合い、扱えるようにしていくというプロセスは踏むし。対象化したそれに対して、言語アプローチするのではなく、あくまで身体的・無意識的なアプローチをかけるのも面白い象徴象徴のまま扱っている。そのものの持つエネルギー減圧させない感じがしてすごい。▲

 
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