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はてなキーワード: かみさんとは

2021-03-22

D坂

それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私は、D坂の大通りの中程にある、白梅軒はくばいけんという、行きつけのカフェで、冷しコーヒーを啜すすっていた。当時私は、学校を出たばかりで、まだこれという職業もなく、下宿屋にゴロゴロして本でも読んでいるか、それに飽ると、当てどもなく散歩に出て、あまり費用のかからカフェ廻りをやる位が、毎日日課だった。この白梅軒というのは、下宿から近くもあり、どこへ散歩するにも、必ずその前を通る様な位置にあったので、随したがって一番よく出入した訳であったが、私という男は悪い癖で、カフェに入るとどうも長尻ながっちりになる。それも、元来食慾の少い方なので、一つは嚢中のうちゅうの乏しいせいもあってだが、洋食一皿注文するでなく、安いコーヒーを二杯も三杯もお代りして、一時間も二時間もじっとしているのだ。そうかといって、別段、ウエトレスに思召おぼしめしがあったり、からかったりする訳ではない。まあ、下宿より何となく派手で、居心地がいいのだろう。私はその晩も、例によって、一杯の冷しコーヒーを十分もかかって飲みながら、いつもの往来に面したテーブルに陣取って、ボンヤリ窓の外を眺めていた。

 さて、この白梅軒のあるD坂というのは、以前菊人形きくにんぎょうの名所だった所で、狭かった通りが、市区改正で取拡げられ、何間なんげん道路かい大通になって間もなくだから、まだ大通の両側に所々空地などもあって、今よりずっと淋しかった時分の話だ。大通を越して白梅軒の丁度真向うに、一軒の古本屋がある。実は私は、先程から、そこの店先を眺めていたのだ。みすぼらしい場末ばすえの古本屋で、別段眺める程の景色でもないのだが、私には一寸ちょっと特別の興味があった。というのは、私が近頃この白梅軒で知合になった一人の妙な男があって、名前明智小五郎あけちこごろうというのだが、話をして見ると如何いかにも変り者で、それで頭がよさ相で、私の惚れ込んだことには、探偵小説なのだが、その男の幼馴染の女が今ではこの古本屋女房になっているという事を、この前、彼から聞いていたからだった。二三度本を買って覚えている所によれば、この古本屋の細君というのが、却々なかなかの美人で、どこがどういうではないが、何となく官能的に男を引きつける様な所があるのだ。彼女は夜はいつでも店番をしているのだから、今晩もいるに違いないと、店中を、といっても二間半間口の手狭てぜまな店だけれど、探して見たが、誰れもいない。いずれそのうちに出て来るのだろうと、私はじっと目で待っていたものだ。

 だが、女房は却々出て来ない。で、いい加減面倒臭くなって、隣の時計屋へ目を移そうとしている時であった。私はふと店と奥の間との境に閉めてある障子の格子戸がピッシャリ閉るのを見つけた。――その障子は、専門家の方では無窓むそうと称するもので、普通、紙をはるべき中央の部分が、こまかい縦の二重の格子になっていて、それが開閉出来るのだ――ハテ変なこともあるものだ。古本屋などというものは、万引され易い商売から、仮令たとい店に番をしていなくても、奥に人がいて、障子のすきまなどから、じっと見張っているものなのに、そのすき見の箇所を塞ふさいで了しまうとはおかしい、寒い時分なら兎とも角かく、九月になったばかりのこんな蒸し暑い晩だのに、第一あの障子が閉切ってあるのから変だ。そんな風に色々考えて見ると、古本屋奥の間に何事かあり相で、私は目を移す気にはなれなかった。

 古本屋の細君といえば、ある時、このカフェのウエトレス達が、妙な噂をしているのを聞いたことがある。何でも、銭湯で出逢うお神かみさんや娘達の棚卸たなおろしの続きらしかったが、「古本屋のお神さんは、あんな綺麗きれいな人だけれど、裸体はだかになると、身体中傷だらけだ、叩かれたり抓つねられたりした痕あとに違いないわ。別に夫婦仲が悪くもない様だのに、おかしいわねえ」すると別の女がそれを受けて喋るのだ。「あの並びの蕎麦屋そばやの旭屋あさひやのお神さんだって、よく傷をしているわ。あれもどうも叩かれた傷に違いないわ」……で、この、噂話が何を意味するか、私は深くも気に止めないで、ただ亭主が邪険なのだろう位に考えたことだが、読者諸君、それが却々そうではなかったのだ。一寸した事柄だが、この物語全体に大きな関係を持っていることが、後になって分った。

 それは兎も角、そうして、私は三十分程も同じ所を見詰めていた。虫が知らすとでも云うのか、何だかこう、傍見わきみをしているすきに何事か起り相で、どうも外へ目を向けられなかったのだ。其時、先程一寸名前の出た明智小五郎が、いつもの荒い棒縞ぼうじまの浴衣ゆかたを着て、変に肩を振る歩き方で、窓の外を通りかかった。彼は私に気づくと会釈えしゃくして中へ入って来たが、冷しコーヒーを命じて置いて、私と同じ様に窓の方を向いて、私の隣に腰をかけた。そして、私が一つの所を見詰めているのに気づくと、彼はその私の視線をたどって、同じく向うの古本屋を眺めた。しかも、不思議なことには、彼も亦また如何にも興味ありげに、少しも目をそらさないで、その方を凝視し出したのである

 私達は、そうして、申合せた様に同じ場所を眺めながら、色々の無駄話を取交した。その時私達の間にどんな話題が話されたか、今ではもう忘れてもいるし、それに、この物語には余り関係のないことだから、略するけれど、それが、犯罪探偵に関したものであったことは確かだ。試みに見本を一つ取出して見ると、

絶対発見されない犯罪というのは不可能でしょうか。僕は随分可能性があると思うのですがね。例えば、谷崎潤一郎の『途上』ですね。ああした犯罪は先ず発見されることはありませんよ。尤もっとも、あの小説では、探偵発見したことになってますけれど、あれは作者のすばらしい想像力が作り出したことですからね」と明智

「イヤ、僕はそうは思いませんよ。実際問題としてなら兎も角、理論的に云いって、探偵の出来ない犯罪なんてありませんよ。唯、現在警察に『途上』に出て来る様な偉い探偵がいない丈ですよ」と私。

 ざっとこう云った風なのだ。だが、ある瞬間、二人は云い合せた様に、黙り込んで了った。さっきから話しながらも目をそらさないでいた向うの古本屋に、ある面白い事件が発生していたのだ。

「君も気づいている様ですね」

 と私が囁くと、彼は即座に答えた。

「本泥坊でしょう。どうも変ですね。僕も此処ここへ入って来た時から、見ていたんですよ。これで四人目ですね」

「君が来てからまだ三十分にもなりませんが、三十分に四人も、少しおかしいですね。僕は君の来る前からあすこを見ていたんですよ。一時間程前にね、あの障子があるでしょう。あれの格子の様になった所が、閉るのを見たんですが、それからずっと注意していたのです」

「家の人が出て行ったのじゃないのですか」

「それが、あの障子は一度も開かなかったのですよ。出て行ったとすれば裏口からしょうが、……三十分も人がいないなんて確かに変ですよ。どうです。行って見ようじゃありませんか」

「そうですね。家の中に別状ないとしても、外で何かあったのかも知れませんからね」

 私はこれが犯罪事件ででもあって呉れれば面白いと思いながらカフェを出た。明智とても同じ思いに違いなかった。彼も少からず興奮しているのだ。

 古本屋はよくある型で、店全体土間になっていて、正面と左右に天井まで届く様な本棚を取付け、その腰の所が本を並べる為の台になっている。土間の中央には、島の様に、これも本を並べたり積上げたりする為の、長方形の台が置いてある。そして、正面の本棚の右の方が三尺許ばかりあいていて奥の部屋との通路になり、先に云った一枚の障子が立ててある。いつもは、この障子の前の半畳程の畳敷の所に、主人か、細君がチョコンと坐って番をしているのだ。

 明智と私とは、その畳敷の所まで行って、大声に呼んで見たけれど、何の返事もない。果して誰もいないらしい。私は障子を少し開けて、奥の間を覗いて見ると、中は電燈が消えて真暗だが、どうやら、人間らしいものが、部屋の隅に倒れている様子だ。不審に思ってもう一度声をかけたが、返事をしない。

「構わない、上って見ようじゃありませんか」

 そこで、二人はドカド奥の間上り込んで行った。明智の手で電燈のスイッチがひねられた。そのとたん、私達は同時に「アッ」と声を立てた。明るくなった部屋の片隅には、女の死骸が横わっているのだ。

「ここの細君ですね」やっと私が云った。「首を絞められている様ではありませんか」

 明智は側へ寄って死体を検しらべていたが、「とても蘇生そせいの見込はありませんよ。早く警察へ知らせなきゃ。僕、自動電話まで行って来ましょう。君、番をしてて下さい。近所へはまだ知らせない方がいいでしょう。手掛りを消して了ってはいけないから」

 彼はこう命令的に云い残して、半町許りの所にある自動電話へ飛んで行った。

 平常ふだんから犯罪探偵だと、議論丈は却々なかなか一人前にやってのける私だが、さて実際に打ぶっつかったのは初めてだ。手のつけ様がない。私は、ただ、まじまじと部屋の様子を眺めている外はなかった。

 部屋は一間切りの六畳で、奥の方は、右一間は幅の狭い縁側をへだてて、二坪許りの庭と便所があり、庭の向うは板塀になっている。――夏のことで、開けぱなしだから、すっかり、見通しなのだ、――左半間は開き戸で、その奥に二畳敷程の板の間があり裏口に接して狭い流し場が見え、そこの腰高障子は閉っている。向って右側は、四枚の襖が閉っていて、中は二階への階段と物入場になっているらしい。ごくありふれた安長屋の間取だ。

 死骸は、左側の壁寄りに、店の間の方を頭にして倒れている。私は、なるべく兇行当時の模様を乱すまいとして、一つは気味も悪かったので、死骸の側へ近寄らない様にしていた。でも、狭い部屋のことであり、見まいとしても、自然その方に目が行くのだ。女は荒い中形模様の湯衣ゆかたを着て、殆ど仰向きに倒れている。併し、着物が膝の上の方までまくれて、股ももがむき出しになっている位で、別に抵抗した様子はない。首の所は、よくは分らぬが、どうやら、絞しめられた痕きずが紫色になっているらしい。

 表の大通りには往来が絶えない。声高に話し合って、カラカラ日和下駄ひよりげたを引きずって行くのや、酒に酔って流行唄はやりうたをどなって行くのや、至極天下泰平なことだ。そして、障子一重の家の中には、一人の女が惨殺されて横わっている。何という皮肉だ。私は妙にセンティメンタルになって、呆然と佇たたずんでいた。

「すぐ来る相ですよ」

 明智が息を切って帰って来た。

「あ、そう」

 私は何だか口を利くのも大儀たいぎになっていた。二人は長い間、一言も云わないで顔を見合せていた。

 間もなく、一人の正服せいふくの警官背広の男と連立ってやって来た。正服の方は、後で知ったのだが、K警察署の司法主任で、もう一人は、その顔つきや持物でも分る様に、同じ署に属する警察医だった。私達は司法主任に、最初から事情を大略説明した。そして、私はこう附加えた。

「この明智君がカフェへ入って来た時、偶然時計を見たのですが、丁度八時半頃でしたから、この障子の格子が閉ったのは、恐らく八時頃だったと思います。その時は確か中には電燈がついてました。ですから、少くとも八時頃には、誰れか生きた人間がこの部屋にいたことは明かです」

 司法主任が私達の陳述を聞取って、手帳に書留めている間に、警察医は一応死体の検診を済ませていた。彼は私達の言葉のとぎれるのを待って云った。

絞殺ですね。手でやられたのです。これ御覧なさい。この紫色になっているのが指の痕あとです。それから、この出血しているのは爪が当った箇所ですよ。拇指おやゆびの痕が頸くびの右側についているのを見ると、右手でやったものですね。そうですね。恐らく死後一時間以上はたっていないでしょう。併し、無論もう蘇生そせいの見込はありません」

「上から押えつけたのですね」司法主任が考え考え云った。「併し、それにしては、抵抗した様子がないが……恐らく非常に急激にやったのでしょうね。ひどい力で」

 それから、彼は私達の方を向いて、この家の主人はどうしたのだと尋ねた。だが、無論私達が知っている筈はない。そこで、明智は気を利かして、隣家時計屋の主人を呼んで来た。

 司法主任時計屋の問答は大体次の様なものであった。

「主人はどこへ行ったのかね」

「ここの主人は、毎晩古本の夜店を出しに参りますんで、いつも十二時頃でなきゃ帰って参りません。ヘイ」

「どこへ夜店を出すんだね」

「よく上野うえのの広小路ひろこうじへ参ります様ですが。今晩はどこへ出ましたか、どうも手前には分り兼ねますんで。ヘイ」

「一時間ばかり前に、何か物音を聞かなかったかね」

「物音と申しますと」

「極っているじゃないか。この女が殺される時の叫び声とか、格闘の音とか……」

「別段これという物音を聞きません様でございましたが」

 そうこうする内に、近所の人達が聞伝えて集って来たのと、通りがかりの弥次馬で、古本屋の表は一杯の人だかりになった。その中に、もう一方の、隣家足袋屋たびやのお神さんがいて、時計屋に応援した。そして、彼女も何も物音を聞かなかった旨むね陳述した。

 この間、近所の人達は、協議の上、古本屋の主人の所へ使つかいを走らせた様子だった。

 そこへ、表に自動車の止る音がして、数人の人がドヤドヤと入って来た。それは警察からの急報で駈けつけた裁判所の連中と、偶然同時に到着したK警察署長、及び当時の名探偵という噂の高かった小林こばやし刑事などの一行だった。――無論これは後になって分ったことだ、というのは、私の友達に一人の司法記者があって、それがこの事件の係りの小林刑事とごく懇意こんいだったので、私は後日彼から色々と聞くことが出来たのだ。――先着の司法主任は、この人達の前で今までの模様を説明した。私達も先の陳述をもう一度繰返さねばならなかった。

「表の戸を閉めましょう」

 突然、黒いアルパカ上衣に、白ズボンという、下廻りの会社員見たいな男が、大声でどなって、さっさと戸を閉め出した。これが小林刑事だった。彼はこうして弥次馬を撃退して置いて、さて探偵にとりかかった。彼のやり方は如何にも傍若無人で、検事や署長などはまるで眼中にない様子だった。彼は始めから終りまで一人で活動した。他の人達は唯、彼の敏捷びんしょうな行動を傍観する為にやって来た見物人に過ぎない様に見えた。彼は第一死体を検べた。頸の廻りは殊に念入りにいじり廻していたが、

「この指の痕には別に特徴がありません。つまり普通人間が、右手で押えつけたという以外に何の手掛りもありません」

 と検事の方を見て云った。次に彼は一度死体を裸体にして見るといい出した。そこで、議会秘密会見たいに、傍聴者の私達は、店の間へ追出されねばならなかった。だから、その間にどういう発見があったか、よく分らないが、察する所、彼等は死人の身体に沢山の生傷のあることに注意したに相違ない。カフェのウエトレスの噂していたあれだ。

 やがて、この秘密会が解かれたけれど、私達は奥の間へ入って行くのを遠慮して、例の店の間と奥との境の畳敷の所から奥の方を覗き込んでいた。幸なことには、私達は事件発見者だったし、それに、後から明智指紋をとらねばならなかった為に、最後まで追出されずに済んだ。というよりは抑留よくりゅうされていたという方が正しいかも知れぬ。併し小林刑事活動奥の間丈に限られていた訳でなく、屋内屋外の広い範囲に亙わたっていたのだから、一つ所にじっとしていた私達に、その捜査の模様が分ろう筈がないのだが、うまい工合に、検事奥の間に陣取っていて、始終殆ど動かなかったので、刑事が出たり入ったりする毎に、一々捜査の結果を報告するのを、洩れなく聞きとることが出来た。検事はその報告に基いて、調書の材料書記に書きとめさしていた。

 先ず、死体のあった奥の間の捜索が行われたが、遺留品も、足跡も、その他探偵の目に触れる何物もなかった様子だ。ただ一つのものを除いては。

「電燈のスイッチ指紋があります」黒いエボナイトスイッチに何か白い粉をふりかけていた刑事が云った。「前後事情から考えて、電燈を消したのは犯人に相違ありません。併しこれをつけたのはあなた方のうちどちらですか」

 明智自分だと答えた。

「そうですか。あとであなた指紋をとらせて下さい。この電燈は触らない様にして、このまま取はずして持って行きましょう」

 それから刑事は二階へ上って行って暫く下りて来なかったが、下りて来るとすぐに路地を検べるのだといって出て行った。それが十分もかかったろうか、やがて、彼はまだついたままの懐中電燈を片手に、一人の男を連れて帰って来た。それは汚れたクレップシャツにカーキ色のズボンという扮装いでたちで、四十許ばかりの汚い男だ。

足跡はまるで駄目です」刑事が報告した。「この裏口の辺は、日当りが悪いせいかひどいぬかるみで、下駄の跡が滅多無性についているんだから、迚とても分りっこありません。ところで、この男ですが」と今連れて来た男を指し「これは、この裏の路地を出た所の角に店を出していたアイスクリーム屋ですが、若し犯人が裏口から逃げたとすれば、路地は一方口なんですから、必ずこの男の目についた筈です。君、もう一度私の尋ねることに答えて御覧」

 そこで、アイスクリーム屋と刑事の問答。

「今晩八時前後に、この路地を出入でいりしたものはないかね」

「一人もありませんので、日が暮れてからこっち、猫の子一匹通りませんので」アイスクリーム屋は却々要領よく答える。

「私は長らくここへ店を出させて貰ってますが、あすこは、この長屋お上さん達も、夜分は滅多に通りませんので、何分あの足場の悪い所へ持って来て、真暗なんですから

「君の店のお客で路地の中へ入ったものはないかね」

「それも御座いません。皆さん私の目の前でアイスクリームを食べて、すぐ元の方へ御帰りになりました。それはもう間違いはありません」

 さて、若しこのアイスクリーム屋の証言が信用すべきものだとすると、犯人は仮令この家の裏口から逃げたとしても、その裏口からの唯一の通路である路地は出なかったことになる。さればといって、表の方から出なかったことも、私達が白梅から見ていたのだから間違いはない。では彼は一体どうしたのであろう。小林刑事の考えによれば、これは、犯人がこの路地を取りまいている裏表二側の長屋の、どこかの家に潜伏しているか、それとも借家人の内に犯人があるのかどちらかであろう。尤も二階から屋根伝いに逃げる路はあるけれど、二階を検べた所によると、表の方の窓は取りつけの格子が嵌はまっていて少しも動かした様子はないのだし、裏の方の窓だって、この暑さでは、どこの家も二階は明けっぱなしで、中には物干で涼んでいる人もある位だから、ここから逃げるのは一寸難しい様に思われる。とこういうのだ。

 そこで臨検者達の間に、一寸捜査方針についての協議が開かれたが、結局、手分けをして近所を軒並に検べて見ることになった。といっても、裏表の長屋を合せて十一軒しかないのだから、大して面倒ではない。それと同時に家の中も再度、縁の下から天井裏まで残る隈くまなく検べられた。ところがその結果は、何の得うる処もなかったばかりでなく、却って事情を困難にして了った様に見えた。というのは、古本屋の一軒置いて隣の菓子屋の主人が、日暮れ時分からつい今し方まで屋上の物干へ出て尺八を吹いていたことが分ったが、彼は始めから終いまで、丁度古本屋の二階の窓の出来事を見逃す筈のない様な位置に坐っていたのだ。

 読者諸君事件は却々面白くなって来た。犯人はどこから入って、どこから逃げたのか、裏口からでもない、二階の窓からでもない、そして表からでは勿論ない。彼は最初から存在しなかったのか、それとも煙の様に消えて了ったのか。不思議はそればかりでない。小林刑事が、検事の前に連れて来た二人の学生が、実に妙なことを申立てたのだ。それは裏側の長屋に間借りしている、ある工業学校の生徒達で、二人共出鱈目でたらめを云う様な男とも見えぬが、それにも拘かかわらず、彼等の陳述は、この事件を益々不可解にする様な性質のものだったのである

 検事質問に対して、彼等は大体左さの様に答えた。

「僕は丁度八時頃に、この古本屋の前に立って、そこの台にある雑誌を開いて見ていたのです。すると、奥の方で何だか物音がしたもんですから、ふと目を上げてこの障子の方を見ますと、障子は閉まっていましたけれど、この格子の様になった所が開いてましたので、そのすき間に一人の男の立っているのが見えました。しかし、私が目を上げるのと、その男が、この格子を閉めるのと殆ど同時でしたから、詳しいことは無論分りませんが、でも、帯の工合ぐあいで男だったことは確かです」

「で、男だったという外に何か気附いた点はありませんか、背恰好とか、着物の柄とか」

「見えたのは腰から下ですから、背恰好は一寸分りませんが、着物は黒いものでした。ひょっとしたら、細い縞か絣かすりであったかも知れませんけれど。私の目には黒無地に見えました」

「僕もこの友達と一緒に本を見ていたんです」ともう一方の学生、「そして、同じ様に物音に気づいて同じ様に格子の閉るのを見ました。ですが、その男は確かに白い着物を着ていました。縞も模様もない、真白な着物です」

「それは変ではありませんか。君達の内どちらかが間違いでなけりゃ」

「決して間違いではありません」

「僕も嘘は云いません」

 この二人の学生不思議な陳述は何を意味するか、鋭敏な読者は恐らくあることに気づかれたであろう。実は、私もそれに気附いたのだ。併し、裁判所警察人達は、この点について、余りに深く考えない様子だった。

 間もなく、死人の夫の古本屋が、知らせを聞いて帰って来た。彼は古本屋らしくない、きゃしゃな、若い男だったが、細君の死骸を見ると、気の弱い性質たちと見えて、声こそ出さないけれど、涙をぼろぼろ零こぼしていた。小林刑事は、彼が落着くのを待って、質問を始めた。検事も口を添えた。だが、彼等の失望したことは、主人は全然犯人の心当りがないというのだ。彼は「これに限って、人様に怨みを受ける様なものではございません」といって泣くのだ。それに、彼が色々調べた結果、物とりの仕業でないことも確められた。そこで、主人の経歴、細君の身許みもと其他様々の取調べがあったけれど、それらは別段疑うべき点もなく、この話の筋に大した関係もないので略することにする。最後に死人の身体にある多くの生傷についてPermalink | 記事への反応(0) | 22:40

2021-02-04

新見南吉「おぢいさんのランプ自動車

 菜の花ばたの、あたたかい月夜であった。どこかの村で春祭の支度したくに打つ太鼓がとほとほと聞えて来た。

 巳之助は道を通ってゆかなかった。みぞの中を鼬いたちのように身をかがめて走ったり、藪やぶの中を捨犬のようにかきわけたりしていった。他人に見られたくないとき、人はこうするものだ。

 区長さんの家には長い間やっかいになっていたので、よくその様子はわかっていた。火をつけるにいちばん都合のよいのは藁屋根わらやねの牛小屋であることは、もう家を出るときから考えていた。

 母屋おもやはもうひっそり寝しずまっていた。牛小屋もしずかだった。しずかだといって、牛は眠っているかめざめているかわかったもんじゃない。牛は起きていても寝ていてもしずかなものからもっとも牛が眼めをさましていたって、火をつけるにはいっこうさしつかえないわけだけれども。

 巳之助はマッチのかわりに、マッチがまだなかったじぶん使われていた火ひ打うちの道具を持って来た。家を出るとき、かまどのあたりでマッチを探さがしたが、どうしたわけかなかなか見つからないので、手にあたったのをさいわい、火打の道具を持って来たのだった。

 巳之助は火打で火を切りはじめた。火花は飛んだが、ほくちがしめっているのか、ちっとも燃えあがらないのであった。巳之助は火打というものは、あまり便利なものではないと思った。火が出ないくせにカチカチと大きな音ばかりして、これでは寝ている人が眼をさましてしまうのである

「ちえッ」と巳之助は舌打ちしていった。「マッチを持って来りゃよかった。こげな火打みてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア」

 そういってしまって巳之助は、ふと自分言葉をききとがめた。

「古くせえもなア、いざというとき間にあわねえ、……古くせえもなア間にあわねえ……」

 ちょうど月が出て空が明かるくなるように、巳之助の頭がこの言葉きっかけにして明かるく晴れて来た。

 巳之助は、今になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。――ガソリン車はもはや古い道具になったのであるEVという新しいいっそう便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである文明開化が進んだのである。巳之助もまた日本お国人間なら、日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。古い自分のしょうばいが失われるからとて、世の中の進むのにじゃましようとしたり、何の怨みもない人を怨んで火をつけようとしたのは、男として何という見苦しいざまであったことか。世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいは棄すてて、世の中のためになる新しいしょうばいにかわろうじゃないか。――

 巳之助はすぐ家へとってかえした。

 そしてそれからどうしたか

 寝ているおかみさんを起して、今家にあるすべてのガソリン車に石油をつがせた。

 おかみさんは、こんな夜更よふけに何をするつもりか巳之助にきいたが、巳之助は自分がこれからしようとしていることをきかせれば、おかみさんが止めるにきまっているので、黙っていた。

 ガソリン車は大小さまざまのがみなで五十ぐらいあった。それにみな石油をついだ。そしていつもあきないに出るときと同じように、車にそれらのガソリン車をつるして、外に出た。こんどはマッチを忘れずに持って。

 道が西の峠とうげにさしかかるあたりに、半田池はんだいけという大きな池がある。春のことでいっぱいたたえた水が、月の下で銀盤のようにけぶり光っていた。池の岸にははんの木や柳が、水の中をのぞくようなかっこうで立っていた。

 巳之助は人気ひとけのないここを選んで来た。

 さて巳之助はどうするというのだろう。

 巳之助はガソリン車に火をともした。一つともしては、それを池のふちの木の枝に吊した。小さいのも大きいのも、とりまぜて、木にいっぱい吊した。一本の木で吊しきれないと、そのとなりの木に吊した。こうしてとうとうみんなのガソリン車を三本の木に吊した。

 風のない夜で、ガソリン車は一つ一つがしずかにまじろがず、燃え、あたりは昼のように明かるくなった。あかりをしたって寄って来た魚が、水の中にきらりきらりナイフのように光った。

「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」

と巳之助は一人でいった。しかし立去りかねて、ながいあいだ両手を垂たれたままガソリン車の鈴なりになった木を見つめていた。

 ガソリン車、ガソリン車、なつかしいガソリン車。ながの年月なじんで来たガソリン車。

「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」

 それから巳之助は池のこちら側の往還おうかんに来た。まだガソリン車は、向こう側の岸の上にみなともっていた。五十いくつがみなともっていた。そして水の上にも五十いくつの、さかさまのガソリン車がともっていた。立ちどまって巳之助は、そこでもながく見つめていた。

 ガソリン車、ガソリン車、なつかしいガソリン車。

 やがて巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つ拾った。そして、いちばん大きくともっているガソリン車に狙ねらいをさだめて、力いっぱい投げた。パリーンと音がして、大きい火がひとつ消えた。

「お前たちの時世じせいはすぎた。世の中は進んだ」

と巳之助はいった。そしてまた一つ石ころを拾った。二番目に大きかったガソリン車が、パリーンと鳴って消えた。

「世の中は進んだ。電気の時世になった」

 三番目のガソリン車を割ったとき、巳之助はなぜか涙がうかんで来て、もうガソリン車に狙ねらいを定めることができなかった。

2021-01-03

anond:20210103183458

でも客から「お母さん」と慕われている惣菜屋のおかみさんにかかる迷惑のことは考えないんですよね?

anond:20210103104548

超絶スペックじゃん

旅行先でとまったおかみさんがまさにこんな感じで感動したことがある

2020-12-12

毎晩マッギョぬいぐるみを抱いて寝る娘が先ほど、マッギョがポケモ

毎晩マッギョぬいぐるみを抱いて寝る5歳の娘が先ほど、マッギョポケモンであることを知って驚いてた。ぬいぐるみタグポケモンって書いてあるのに気づいたのだ。

かみさんは娘がマッギョポケモンと知らなかったことに驚いてた。

でもマッギョってかなり古いポケモンだし、多分最近ゲームに出てこないし、知らなくてもしょうがないよね。

ちなみに俺はマッギョ上下を間違えてた。あいつ立つんだと思ってた。

2020-06-29

とても大きなごん狐

 これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。

 むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに人類を守るためのお城があって、中山さまという将軍さまが、おられたそうです。

 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」という狐がいました。ごんは、一人ぼっちゴジラよりも大きな狐で、しだの一ぱいしげったアマゾンのような原生林の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って東京ドーム十個分の芋をほりちらしたり、菜種油の貯めてあるタンクへ火をつけて村を焼き払ったり、百姓家の裏手に建っている発電用風車の羽をむしりとっていったり、いろんなことをしました。

 或秋のことでした。二、三年雨がふりつづいたその間、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。

 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、ごんが穴からたことを知らせる警戒警報が地の果てまできんきん、ひびいていました。

 ごんは、村を流れる黄河十倍ぐらいある川の堤まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少いのですが、三年もの雨で、水が、どっとまし、辺りの村々は全て水没していました。ただのときは水につかることのない、川べりの大きな鉄塔や、世界一長い橋が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下の方へと、すっかり水没した高速道路を歩いていきました。

 ふと見ると、川の中にシュワルツネッガーを百倍屈強にしたような人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと原生林の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。

「兵十だな」と、ごんは思いました。兵十はその名の通りグリーンベレーの選りすぐりの兵隊十人を瞬殺したという人類最強の男で、盛り上がった筋肉によってぼろぼろにはち切れた黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、総延長五十キロに及ぶ定置網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、お盆が一まい、大きな黒子みたいにへばりついていました。

 しばらくすると、兵十は、定置網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、車や家や橋の残骸などが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものきらきら光っています。それは、鯨ぐらい太いうなぎの腹や、ジンベエザメぐらい大きなきすの腹でした。兵十は、体育館ぐらいの大きさのびくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。

 兵十はそれから、びくをもって川から上りびくを山の峰においといて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。

 兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと原生林の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、定置網のかかっているところより下手の川の中を目がけて、大谷翔平投手のような豪速球でびゅんびゅんなげこみました。どの魚も、「ドゴォォォン!」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみ、大きな水柱を立てました。

 一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュオオオオオオンと超音波のような叫び声を上げてごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから

「うわア石川五右衛門アルセーヌ・ルパン怪盗セイント・テールを足して三で割らない大泥棒狐め」と、地球の裏側でも聞こえるような大声でどなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままごんを縊り殺さんと巨大重機のような力で締めあげてはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、超音速旅客機コンコルド並みの速度でにげていきました。

 ほら穴の近くの、ごんの挙動監視するためのセンサーの下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。

 ごんは、ほっとして、象ぐらいの大きさのうなぎの頭をかみくだき、なおも圧搾機のような力で締めあげてくる胴体を渾身の力でやっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。

 十日ほどたって、ごんが、大日本プロレス代表する悪役レスターである地獄カントリーエレベーター”弥助の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木で懸垂をしながら、弥助が、おはぐろをつけていました。総合格闘技界の若きカリスマ、”溶接王”新兵衛の家のうらを通ると、新兵衛がダンベルを上げながら髪をセットしていました。ごんは、

「ふふん、格闘技村に何かあるんだな」と、思いました。

「何だろう、異種格闘技戦かな。異種格闘技戦なら、プレスリリースがありそうなものだ。それに第一、告知ののぼりが立つはずだが」

 こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間にか、表に手掘りで地下30キロまで掘り抜いた赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その大きな、兵十が歩くたびに立てる地響きによってこわれかけた家の中には、大勢の人があつまっていました。よそいきのコック服を着て、腰に手拭をさげたりした三ツ星シェフたちが、厨房で下ごしらえをしています。大きな鍋の中では、本日メインディッシュである比内地鶏胸肉の香草和え~キャビアを添えて~”がぐずぐず煮えていました。

「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。

「兵十の家のだれが死んだんだろう」

 お午がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、坐像としては日本一の高さの大仏さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、ごんから人類を守るためのお城の大砲が光っています墓地には、ラフレシアより大きなひがん花が、赤い布のようにさきつづいていました。と、延暦寺東大寺金剛峯寺増上寺永平寺など日本中の名だたる寺から一斉に、ゴーン、ゴーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。

 やがて、世界各国から集った黒い喪服を着た葬列のものたち七十万人がやって来るのがちらちら見えはじめました。話声も近くなりました。葬列は墓地はいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、跡形もないほど木っ端微塵にふみおられていました。

 ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、3m程の位牌をささげています。いつもは、赤い閻魔大王みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。

「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」

 ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。

 その晩、ごんは、穴の中で考えました。

レスリング女子世界チャンピオンだった兵十のおっ母は、床についていて、巨大うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十が定置網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母に世界三大珍味を始め、ありとあらゆる有名店の美味しいものは食べさせても、巨大うなぎだけは食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、巨大うなぎが食べたい、ゴテゴテに脂が乗って胃もたれがする巨大うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」

 兵十が、世界一深い井戸のところで、指懸垂をしていました。

 兵十は今まで、おっ母と二人きりで、ストイックなくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。

「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」

 こちらの道場の後から見ていたごんは、そう思いました。

 ごんは道場そばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。

いわしやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」

 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが、裏戸口から

いわしを五千匹おくれ。」と言いました。いわしの仲買人は、いわしつんトラック三百台を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを満載にした発泡スチロール容器を三百人がかりで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、車列の中から、五、六台のトラックをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の屋敷の裏口から屋敷の中へトラックを投げこんで、穴へ向ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、落ちたら骨まで砕け散る井戸のところで小指一本で懸垂をしているのが小さく見えました。

 ごんは、うなぎつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。

 つぎの日には、ごんは栗がなった木々を山ごと削りとって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、鶏のささみ肉十キロの午飯をたべかけて、茶椀をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬ぺたに、かすり傷がついていますボクシング世界ヘビー級王者と戦った時も傷一つつかなかった兵十の顔にです。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。

「一たいだれが、いわしトラックなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人と思われて、いわし仲買人のやつに、ひどい目にあわされかけた。まさかトラック三百台が一斉に突っ込んでくるとはな。受け止めるのはなかなか骨だったぞ」と、ぶつぶつ言っています

 ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし仲買人にトラック三百台で突っ込まれて、あんな傷までつけられたのか。

 ごんはこうおもいながら、そっと兵十の三十年連続総合格闘技世界王者防衛を記念して建てられた東洋一の大きさを持つ道場の方へまわってその入口に、山をおいてかえりました。

 つぎの日も、そのつぎの日もごんは、山を丸ごと削り取っては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗の山ばかりでなく、まつたけの生えた松の山も二、三個もっていきました。

 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を間断なく降り注ぐ砲弾を手で払いのけながら通ってすこしいくと、非常時には戦闘機が離着陸するために滑走路並みに広くなっている道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えますチンチロリンチンチロリンと緊急警報が鳴っています

 ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助というムエタイ世界王者でした。

「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。

「ああん?」

「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」

「何が?」

「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに大量の土砂を、まいにちまいにちくれるんだよ」

「ふうん、だれが?」

「それがはっきりとはわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」

 ごんは、ふたりのあとをつけていきました。

「ほんとかい?」

「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来いよ。俺の屋敷を埋め尽くす土砂の山を見せてやるよ」

「へえ、へんなこともあるもんだなア」

 それなり、二人はだまって歩いていきました。

 加助がひょいと、後を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気づいていましたが、そのままさっさとあるきました。吉兵衛という館長の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンサンドバッグを叩く音がしています。窓の障子にあかりがさしていて、兵十よりさらに大きな坊主頭うつって動いていました。ごんは、

連合稽古があるんだな」と思いながら井戸そばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三万人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。千人組手の声がきこえて来ました。

 ごんは、吉兵衛館長主催の一週間で参加者の九割が病院送りになるという連合稽古がすむまで、井戸そばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。中山将軍が最終防衛ライン死守のために投入した戦車部隊ふみふみいきました。

 お城の前まで来たとき、振りかかる火の粉を払いながら加助が言い出しました。

「さっきの話は、きっと、そりゃあ、怪獣のしわざだぞ」

「まあそうだろうな」と、兵十は飛んできた流れ弾をかわしながら、うんざりした顔で、加助の顔を見ました。

「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、怪獣だ、怪獣が、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」

「そうかなあ」

「そうだとも。だから、まいにち怪獣お礼参りをするがいいよ」

「無茶を言うな」

 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、怪獣にお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。

 そのあくる日もごんは、栗山をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は道場で縄登りのトレーニングを行っていました。それでごんは屋敷の裏口から、こっそり中へはいりました。

 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が屋敷の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。

「ようし。」

 兵十は立ちあがって、中山の城に設置してある、対ごん戦に特化して開発された砲身長30mの520mm榴弾砲をとってきて、火薬をつめました。

 そして足音をしのばせてちかよって、今門を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、びくともしませんでした。兵十は五百発ほど打ち込みました。ごんはかすり傷一つ負っていません。兵十は榴弾砲を剣のように構えると、ごんの足に五千連撃を叩き込みました。ようやくごんは足をくじいてばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、家の大部分が栗山で押しつぶされているのが目につきました。

「おやおや」と兵十は、うんざりした顔でごんに目を落しました。

「ごん、やはりお前だったのか。いつも栗山をくれたのは」

 ごんは、お礼を言われることを期待したきらきらした目で、うなずきました。

 兵十は榴弾砲を地面に叩きつけました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。

2020-04-17

「心づけはあるに決まってます」──きっぱりとそう答えるのは、首都圏内の大病院に勤める某内科医だ。

医者自分サイトでよく『貰ってない』だの『突き返してる』だのと書いてますが、少なくとも、私の周囲の医師は上も同僚も後輩も基本的に全員いただいています。私が接してきたのが特殊な人ばかりとは思えないし、彼らとは『税金がかからないお金は、やっぱデカいよね』という会話になります。突き返すような人のほうが特殊ですね」

 

から、逆に医師自身患者として手術を受けた場合は、「九分九厘現金商品券を置いていきますよ。私自身が手術を受けたときは15(万円)、かみさん出産ときも5(万円)置いていった」(同)という。

「もし出さなかったら、仲間内で『ふーん、そういう奴だったのね……』という評価が下される」

別の都内病院勤務医が言う。

「親しい医師に母のがんを診てもらった際、母に『お菓子だけでいい?』ときかれて、『お菓子の袋に(現金を)一緒に入れとけ』とアドバイスした。その通りにやってましたよ」

もっとも手術後、その医師から母親が「ウチの妻からです」と手渡された菓子の箱の中に、渡した全額が入っていた。ならばとホテル食事券等々10万円相当を直接自宅に郵送しておいた。「母を叱っておきました」とその勤務医は苦笑する。

https://president.jp/articles/-/17587

PCR検査を平熱で儲けてる人って要はそういうことなのかな

2020-04-07

ブラジャー販売員叫び勝手に代筆)

かみさんとある大手下着メーカーの「販売正社員」。デパートスーパーに常設されたメーカーブース派遣されて、お客さんと対面にて商品の良さを伝え、適切なバストサイズの計測を行いフィッティングをし、購入につなげるプロだ。彼女プロ意識商品への愛着はとても清々しく尊敬に値するといつも思っている。

そんな彼女最近、出勤したくないという。もちろん理由は「新型コロナ」のせいだ。

彼女がいま勤務しているのは、直近で新型コロナウィルス感染した人が出た店舗だ。ただその店舗ではクリーニング半日営業を再開しているし、患者が出た階はかみさんのいる衣料品販売をしているところではないとのことで、「安心してくれ」とのアナウンスがあったそうだ。

そんなアナウンスに対し、かみさんは「何を安心すればいいんだ?」と疑問を抱え最近毎日自身のまえで愚痴っている。またかみさん含む販売正社員LINEグループ内では、やはり同じような危機感を覚えている人も多いようで、「なぜ会社出勤停止にしないのか」「こんな環境安心してお客さんに商品アピールはできない」という声もあがっているようだ。またこの前段として、北海道緊急事態宣言があった際にも何の対策もなく会社から常勤務を命じられたことが、不安をいや増す形にしているように見える。

もちろん昨今の流れで対策をしていない訳ではないらしい。明らかに濃厚接触となる、フィッティングルームに入ってフィッティングサポートするということは会社から禁止として指示が降りたそうだし、それらの指示に関する張り紙もしているそうだ。

一方で、そこそこ高いブラを買いに来ているお客さんは言わばバストに対して意識が高いため、コロナだろうがなんだろうがフィッティングサポート要求するし、何故かフィッティングルームではマスクも取るらしい(マスクを取るのはn数少なめなので全員とは言わない)。しかもこのご時世だから「空いている」と判断してわざわざ買いに来るらしい。かみさんからすると、こうしたお客さんがリピーターになるため無下にはできず、ストレスがいや増す結果となっているようだ。

そこにきて、昨日の緊急事態宣言に関する話。僕とかみさんが住んでいるのは、当該の地域。そして店舗も当該の地域にある。

一方で今朝の報道を見ていると、デパートはどうやら営業停止になる可能性が高いようだが、かみさんが勤務しているのは食料品を扱う(すなわち緊急事態宣言後も営業している)大型スーパーの上層階に設置された衣料品コーナーだ。

そこでかみさんの疑問とストレスになっているのは、「下着って今必要か?」というところだ。

下着メーカーからすると売らなければ売上が立たない、その販路はこうしたスーパーデパートとなる、だから販売を続けなければならない(でも内勤の人間リモート)という理屈が成り立つ、とかみさんは激高している。かみさん自身バストに対して意識が高い人間なので、プロとしてバストにいいものを届けたいという気持ち人一倍強い。おっぱい好きとしては尊敬に値する妻だが、だからこそそのおっぱいプロたる意識を安月給で使い捨てにするような態度には、我慢がならない。

多分彼女ことなのでこれが生活を支えるインフラたる商品を扱っていたとしたら、ストレスを抱えながらも仕事を続けていただろう。そこは夫として心配はするし利己的に仕事へ行くなと言いもするかもしれないが、そこは彼女意思尊重しながらの話になるだろう。

でもいまって、下着必要か?

その疑問は、プロたるかみさんの頭にすっかりこびりついているし、僕自身必要ないと思っている。手持ちの下着で十分だ。

今朝もかみさんは不満とストレスを抱えながら店舗へと出勤した。

僕は彼女と同じく家庭をともにする子供心配なので、緊急事態宣言発動後に彼女が望んだら「めんどくさい夫」となって、店舗クレームも出すし会社クレームも出すだろう。結果彼女会社を辞めることになっても、僕が生活を支えるシフトは組むことができる。そうした話までは対話をして完了している。

だが、彼女と同じように働いている人もいるし、彼女たちは同じような危機感を覚えている。

なので彼女たちを使い捨てにするのではなく、きちんと考えて欲しい。どことは言わないが、京都下着メーカーに。

2020-03-25

パパになった後の趣味

30半ば都内在住SE

昨年、結婚して、かみさんお腹子供がいることが判明しましたw

子供ができてすごく嬉しいのですが、ふと「子供まれた後の息抜きってどうすりゃいいんだ?」と思うようになりました。

今は資格試験勉強の間にソシャゲ(FFのw)をやってます

子供まれたらゲームをする時間は圧倒的に減るので、すこし視野を広げるため、楽天マガジンで読み物を摘むようにしようか考えてますが...

おすすめできる趣味があれば是非教えてください!

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-01-08

配偶者呼び方

嫁→息子の配偶者ことなので誤り

妻→添え物扱いが×

家内→家に押し込めてるのが×

奥さん→奥に押し込めてるのが×

女房使用人扱いが×

かみさん旅館

細君→文学

家人召使い

相方漫才

同居人→一緒に住んでるだけか

お前→何様だ(女がいう「あなた」も男の増長を招くのでよくない)

パートナー日本語

ワイフ→日本語

結論:「配偶者

これならば性別立場も状況も関係なく使える。

「家のことはすべて配偶者に任せてるよ」

配偶者を質に入れても買う」

配偶者元気で留守が良い」

配偶者や、飯はまだかい」「あらやだ配偶者、さっき食べたでしょう」

極道配偶者たち」

「奴は所詮、先の時代配偶者じゃけェ」

2020-01-03

NHK BSで好きだった番組

チョイ住み

年上と年下の男性二人が海外で1週間同居する番組。いつの間にか新作が作られなくなっていた。

はてなではhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1003469: 土井先生キューバに行った回]が有名か。

私は小川直也竹内涼真体育会系コンビ回が好きだった。竹内涼真が一瞬で上下関係を作り出し小川直也腰巾着にまわり、可愛い女の子を進んでナンパする様に爆笑した。

南明奈はあちゅうの回の緊張感がやばかったが、女子同士の組み合わせでももっと見たかった。

世界入りにくい居酒屋

タイトル通り、いろんな都市で入りにくそうな居酒屋取材する番組。単にネタが尽きて終わったものと思われる。

公式サイトに毎回レシピや大量の写真が公開されるのが楽しかったが、今はその公式サイトも消えてしまった……(Internet Archiveからは見られるが)。

印象に残っているのは韓国回で、美人なおかみさん下町のおじさまたちから愛されている様がほほえましかった。ズッキーニチヂミは未だによく作る。

街道てくてく旅

NHK BSの旅番組ファンにはおなじみ、関口知宏鉄道旅のフォーマット生中継を加えたシリーズ街道を歩きつくしたため終了したか

公式サイトで見られた旅日記が楽しかったが、もちろん今は見ることができない(Internet Archiveからは見られるが写真アーカイブされていない)。

北京オリンピックに併せて放送された北京版も楽しかったが、生中継が入るぶん海外版は難しいのだろうなあ。

2019-12-08

男なんだから我慢しろが心地よい場面

格闘技やってるんだけど怪我して痛がってたら、そこのおかみさん的な存在に「男なんだから痛がらない!」って言われる。

普段は男だからっていう発言嫌なんだけど、逆にここでは心地よい。

格闘技っていう空間がそうさせるのか、もしかしたら母親に小さい頃に言われてた事を思い出して重ねてるマザコンからなのか

2019-10-09

https://anond.hatelabo.jp/20191008225958

結婚前は一人が好きで、一人の時間がないとどうしようもなかった。

それが子どもができて以降、かみさん仕事の都合もあって週末を子どもと二人で過ごさざるを得ず、一人の時間といえば通勤中くらいなものとなったが、まあそれはそれで割り切れている。子どもかわいいし、どうせ10年もすれば子ども自身自分時間を楽しむようになるだろうし。

んなわけで、納得できるかどうかってあるわな、と思った。ペットにしても子どもにしてもそれに時間を使うのは責任範疇だけれど、パートナーと常に一緒にいなければいけないと言ったら、正直息が詰まると思う。

2019-09-18

意図的女性にぶつかってくるおっさん

いるよね

今日ハッピーデーだからかみさんヨーカドー行ったんだけど、

俺がパンコーナーでランチパックピーナッツ味いくつ買うか相談しようと思って惣菜コーナーのかみさん見たら

惣菜コーナーでかみさんおっさん意図的にぶつかられてるの見たんだよね

防犯カメラもあるし本気で争えば暴行罪書類送検くらいはできるだろうけど面倒だから次に何かしたらこっちも行動するよってやつ

これどうすればいいんだろうね

観察してると特にベビーカーとかのお母さんに突っかかろうとしてる

北斗の拳ヒャッハー世界だったらぶっ飛ばして終わりだろうけどこれどうすればいいの?

2019-08-03

anond:20190803124006

うちのかみさんは完全に財布握ってるから俺の方が顔色伺いながら買い物してるけど?

はい論破

2019-08-01

anond:20190801214027

うちのかみさんがこれだわ

いつまでもぐじぐじぐじ悩んでててイライラしてくる

3年くらいカメラがほしいとか言ってるくせに買う気配がない

2019-07-25

共産党は「女性」を悪用しすぎだろ

築地かみさん会といい、日本婦人の会といい

障害利用どころのレベルじゃないですよ

2019-07-17

anond:20190717142003

「うちのかみさん」はもうどう転んでもコロンボ感に引っ張られるからちょっとねw

2019-06-04

anond:20190604001842

嫌な客排除して選ばれた客だけが入店できるお店作ったおかみさんがおってな。

一定数クソ客が入店するのは逃れられないか自分が選ばれる客になるんしかないんよ。

もしくは選ぶ側に回るか。

2019-03-01

[]2019年2月28日木曜日増田

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6062669(3763)

2019-02-19

anond:20190218091846

以前、元増田と同じような状況になった時に

上司が「俺を悪者にして、家に帰ったらかみさんと一緒に俺を悪者にすれば、家庭も円満になるだろ」

みたいなことを言われて、こいつマジで人として屑だなと思った

本人は自己犠牲ポーズをとってるが、お前ただ単純に原因だから

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