2024-02-07

「チャニゴシ」にみる日本語の将来への不安

チャニゴシってなんだ?

…ああ、「茶濁し」か。

文脈で「お茶を濁す」の省略形だとはわかる。

口語なのだからかいところにケチをつけるべきではないかもしれない。

しかし「お茶を濁す」くらいきちんと言ったらどうか、と思う。

最近とみに思うのだが世間で見られる日本語がいつからおかしくなってきているのではないだろうか。

中でも表現の過剰な省略化と助詞(てにをは)の欠落の二点が目立つように感じる。

自由に変化してこそ言葉だ。だからこそ言葉面白い。それはその通りである

現代風の柔軟な日本語問題があるというより、現代話し手の話し方や言葉選びに日本語をしっかり使おうという意識がなかなか感じられないのが問題に感じる。

言葉を軽んじているようにも見える。

言葉の使い方、言葉の力、それによって起こる影響について慎重に考えている人がきわめてすくない。

そんな思考のままでいるかSNSにおける誹謗中傷人間トラブルといったものが止まないのではないか?(というのはいささか暴論であるが)

日本語の将来が私はとても心配である

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