はてなキーワード: 言葉の力とは
あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手は応援したい、というジレンマ。
全国的に感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。
wikipediaによると以下。
認知的不協和とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手を軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和の典型例なんじゃないだろうか。
しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。
例としては、うなぎは大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみは規制すべき等も思いつく。
自分の欲求と社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分のなかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。
うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。
うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共的判断は成立しない。
うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法のひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的な制度設計だ。
そう考えると、現代の民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。
個人的には好きではないけど自分が社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。
そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。
近代の民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカの建国者のひとりジェファーソンは、
公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共的課題を自分の欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政に必要な市民の資質だと考え、他方、代表者(議員)に必要な資質をアリストクラシー(自然的貴族)と呼んだ。
しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。
社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき、
ふつうの人々は、自分の内面を整理するために、どちらかの認知に一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知を修正してゆくことになる。
今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。
オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。
社会の規範に合わせて自分に対して一貫性を要求しがちな日本人は特に、自分の欲求を我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。
別の例を挙げれば、60年代にセクト化が加速したサヨクの動きが典型例。
また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知の一貫性を他人に求める一例。
サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。
自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。
党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、
それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。
ますます両極化が進んでいき、相手方の一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやすい立場の人とと
そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。
コロナ対策では人流の抑制が課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。
しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、
次第に言葉の力は失われ、今では行政も政治家も口にしなくなってしまった。
もっとも同時に、自粛警察もあんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。
ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。
思い出すのはベトナム反戦運動。ベトナム反戦真っ盛りの60年代のアメリカでブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たちに
反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全な場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。
コロナ禍でのステイホームのムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。
自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしまう業界。
それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。
オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会の安全と自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。
以上の話は、人々のジレンマを構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、
自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在の自分の社会的立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、
知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性がアピールされているに過ぎない。
しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。
重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、
オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、
そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。
飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。
タレコミも減ってきたという声もきかれる。
こうした寛容さは、行政の飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。
人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。
こうして考えてみると、自粛要請をベースとした日本流の政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすいタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。
自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人のメンタリティと、同じ社会の構成員にも同じ一貫性を要求したがる相互監視のムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルールや判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。
などと、都合のいい解釈で認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、
人々は、ルールへ従うことの意味が不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視は機能せず、自分の生活を変えることなくコロナへの懸念も自分の認知のなかで両立させてゆくだけだ。
しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢の限界をとっくに超えているしで、
人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当な自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。
自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナは心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。
本来の政策というのは、そんな人々の認知(世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。
例えば、自分の考えと相反していても、オリンピックは応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、
あるいは、オリンピックは懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。
「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元で政策を決めるべきではない。
むしろ「個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民の判断を見極めたほうがいい。
しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。
いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。
将来シナリオを示さない。予測や分析を共有しないから、いつも唐突に首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。
これは俺が仕事のストレスで会社に行けなくなってしまい惰眠をむさぼってるせいだ。心療内科の予約は明日とれた、なんとか安眠とこころの平穏をクスリで解決したい。そう願ってやまないのでR。
さいとうさんのほぼすべてのエントリーが西野で構成されたnoteを読んでいると、俺も西野サロンのメンバーになったかのようでトリップしてしまう。つまりそれは、プペルのポスターを貼り、プペルのチケットを手売りし、時にサロンの正式メンバーに「あやかり」と「乗っかり」は違うんだよと禅問答を持ちかけられる日々である。
さいとうさんが時折ボールドにした言葉の力強さとその言葉をキャッチする西野はいないという空虚さ。今はまだ見えていない夢とそれを実現する手段が思いつかないことに起因するふんわりとした読後感。言うなれば最後に「いかがでしたか?」と一声かけられるような文章には明らかに中毒性があり、クリックとスクロールを止めることは難しい。
みんなもわりと本気で読んでほしい。
そして西野が作り上げたシステムを西野が作り上げていることに背筋を寒くして欲しいのでR。
以下、俺が気に入ったエントリーだ。
https://note.com/shishishiho/n/nbc78efabdf05
ポイント…すごく大きな夢があるように言ってるがプペルのポスターを貼るだけである。
私は"勝たせたい"人だった。
https://note.com/shishishiho/n/ne70874d410d0
ポイント…手持ちなカードがないのに勝たせることはできないのではないかと思ったが、西野はいつも勝つシステムなので勝たせることは余裕な気もする。
Candyを"勝たせて"、ファンを作る。【全国Candy巡り】
https://note.com/shishishiho/n/n03fe1198ed22
ポイント…勝たせるはキーワードなのか。「西野さんが作る「1」を「100」にするのが自分の仕事だ、と話していました。」「セトちゃんは西野さんの影響力を貰ってたくさん貴重な経験をさせてもらう上で、必ず「西野さんに"お返しする"」という精神を持っています。」、しかしピラミッドの頂点にいていつも勝つのは西野なのである。
https://note.com/shishishiho/n/n468de73c6487
ポイント…「スナックCandyは、キングコング西野さんとSHOWROOMの前田さんがオーナーを務めるスナックです!」、度々登場するCandyとはなにかと思ってたらこれも西野である。
相手は今年初めて行った二十代のデリヘル嬢だった。こんなパッとしないKKOには彼女ができるとは思わなかったし、セックスがこんなに幸せだとは思わなかった。
私はいままで告白もされたことないし、したこともない典型的なKKOだった。
私は大学卒業後に子供部屋おじさんライフを謳歌しながら、とりあえず就職して働いて転職して食って寝て一人で酒飲みながらゲームやYouTube見てときどき増田見ながら生きてるって生活をしてた。
私と風俗嬢さんはシティヘブンネットで出会った。親しくなったキッカケは私がメッセージを送ったことだった。
一度も店に行かないまま「どこが感じるの?」「潮吹いたことある?」「アナル舐めはできるの?」などの質問を約1年に渡ってし続けたところで、そろそろ店に電話して私を指名したらと誘われた。
セックスのときの肌と肌が触れ合う感覚はまだ忘れていない。女の人の裸を生で見るのは初めてだったし、「あぁ、なんかAVで見るよりおっぱいすごい」って感想だった。
他人の肌の温度を感じるのも初めてですごいオドオドしてたと思う。彼女は「緊張しなくていいよ」って優しく言ってくれたけど、「あ、はい…」ってとりあえず返事しただけで、
この言葉を思い出したのもホテルから帰ってきてからお風呂に入ってたときだったし。
「あぁ、そっか、私ってそんなに緊張でカチカチだったんだ」って一人反省会してた。彼女は入店して3年くらいって言ってたから経験はそれなりにあるのだろう。
でも私は相手の経験はそんなに気にしないので別にどうも思ってなかった。
彼女から「ホテルに入ったらまずは2分間だけでいいからハミガキをしよう」と約束させられた。最初は「この人何考えてるんだろう」って思ったけど、今思えば私の口が本当に臭かったんだと理解した。
プレイが終わったときには「次はいつきてくれるの」とか「この後予約入ってないから延長も出来るよ」と言ってくれる。私はその一つ一つに「ありがとう」と言って、「今日のコスプレかわいいね」とか「香水のいい匂いするね」とか言う。
私は初めこそ褒められることも褒めることも慣れてなくて「今日は会ってくれてありがとう」とか意味不明なこと言ってたけど、彼女は「こちらこそありがとう」って優しく笑って言ってくれた。
こうすることで私のマイナス思考は少しずつ治っていった。足が臭いところだったり、デブだったり、髪が薄いところだったり、酷い歯並びだったり、声が低いところだったり。
でも、彼女はそんな私のコンプレックスを少しずつ褒めていってくれた。そして自分が思ってるより他人はそんなに思ってないことを教えてくれた。
セックスのときも同じだった。お互い裸で正座で向き合って、「なんか改まって言うのは恥ずかしいね」なんて笑って言いながら「指名料込みで90分22000円です」とか言われたり。
お互いに褒め合うことで相手を敬う精神やお礼を言う習慣を育んでいってたんだと思う。褒める言葉とお礼の言葉の力は大きいと思う。他人に認められるってこういうことだったんだと思った。
セックスのときに「好きだよ」と何度も言ってくれたし、キスもいっぱいしてくれた。すごい幸せだった。ほんとセックスってすごいと思う。なんだろう精神的に満たされる感じ。
理解力がないフリをして軽薄な煽り言葉でマウントを取り続ける人を増田ではしばしば見かける。
それは相手を諦めさせて言い負かしたように見せるには最善手かもしれない。
だがそのような表面上の格闘パフォーマンスより、「相手の心にどれだけ楔を打ち込めたか」のような見えないパラメータこそ重要だと俺は思っている。
その時に打ち込まれた楔が、ふとしたきっかけで気づきに繋がることもあるだろう。
人は言葉だけで直ちに物事を理解することはできない。だから人生経験が重要で、あとになってから「あの言葉には魂がこもっていた」と理解することが多々ある。
そういう場面で役立つのが、強く真っ直ぐな言葉の力で打ち込まれた楔だ。
楔は一見モノを2つに分かつもののように見えて、その実、打ち込まれたモノを強固に保持し繋ぎ止める役割も果たす。
いつ、どのような役立ち方をするか、あるいはしないのかは、器次第だ。俺はそれを読み手に委ねる。
だから、今理解力がないような露悪的振る舞いをしていても、本当はそうではない、最終的には理性的な判断ができる人が大多数であると俺は信じている。
そしてインターネットを見続ける限り、最終の段に至っていない人ばかりが目につくことになる事実も承知している。
だから得てしてインターネット上に溢れる言葉というのは、無知蒙昧に見える。それは仕方がない。
けれども何かを勘違いして、そこに安住し続ける者が出ないように、俺は楔を打ち込み続ける。
うざすぎるので一回見た。みんなは負けないでくれ。
盲目のホームレスが道端で「私は盲目です、お金を恵んでください」って書いて物乞いをしていたらだれもお金を恵んでくれなかったが
あるときに通りがかった女性が「It's a beatutiful day and I can't see it」と書いたらみんなが小銭を恵んでくれるようになった。
以上。
元ネタの動画は2300万再生されている話でこれも実はではなく創作CM。
言葉の力を教えてくれるショートフィルム「The Power of Words」を分析する | 戦略的プレゼンテーション講座
言葉の力ってすごいだろ? 言葉の力を教えるPDFを配ってるから読んでくれっていう情報商材のCMである。
CMをやってるのは元ネットワークビジネスをやっていて、
海外のダンケネディやヤニク・シルバーといった情報商材屋の情報商材を輸入・翻訳して販売代理店として情報商材ビジネスをやっていた小川という人人物。
現在ではダイレクト出版という情報商材専門の出版社をやっている。
一時期はてなでも互助会でアクセスを集めてダイレクト出版の情報商材をアフィしようとする人間がわんさかわいた時期があった。
今はこうやって堂々と出てくるんだな。
この小川という人物に限らず、あなたは百万人に一人の動画に当選しました。みたいな古典的詐欺動画が普通に流れたりするときもある。
kawangoのことは好きではないが、少なくともkawango時代はこういうことはなかった。
自分はかつて作家になることを志して夢破れた(そこそこ夢が叶いそうなところまでは行った)自分が、一昨日あたりに出版業界の増田たちが書いた文章を読んで思ったことを書く。
以下長々と書いたが、一言でまとめると、「あー、やめといてよかった」
https://anond.hatelabo.jp/20200716012131
まずライターをやってる増田の文章。これを読んで思ったのは、作家というのは自分が思っていた何百倍もくだらない仕事だったのだなということ。
作家を目指していた頃、自分でも「甘いよなあ」とは思いながら夢見ていたのは、筆一本で身を立てる職人的生活だ。しかし、今時はオンラインサロンやYouTubeをやらざるを得ないくらいに、儲からない仕事になっているらしい。
もちろん、当時から出版不況だとは言われていたし、作家になれば世情に媚びた文章を書いたり、執筆以外の仕事もやらざるを得ないことは分かっていた。しかし、オンライサロンだのYouTubeだの、ここまでくると、もはや作家というより「売文ネット芸人」だろう。
これからますます、作家は顔も私生活も晒して、芸人じみた生き方をしていかざるを得なくなるのだろう(専業でやる場合だが)。そこまでして数百数千の読者を抱えても、生活は並の会社員にも及ばない。ようやく文章を世に出せたと思ったら、Twitterだのブコメだので頭の足らない連中にゴミみたいな感想を書き散らされる。想像するだに身の毛がよだつ。
作家たるもの、自分の書いたもので少しでも世を変えたい、そしてあわよくば、歴史にわずかでも爪痕を残したい、という夢想をするものだと思う。程度は人それぞれだろうが、少しは作品を後世に残したいという思いは持つだろう。だが、今では作家の書く文章など、無数の娯楽の中の一つに過ぎず、ただただ消費されるだけのものだ。それも、一部の物好きが消費するだけで、ろくに金も産まない。断言するが、かつての大作家たちのように何十年何百年と読まれるものなど、現代の作家から生まれることはない。残ってせいぜい五年か十年か。
無数の駄文がネット上に書き捨てられ、毎日のように駄本が出版される現代。作家の書いたものが世を変えたり、歴史に残ったりすることはあり得ない。現代に書かれたもので、後世振り返られるものと言えば、おそらくドナルド・トランプのツイートくらいだろう。「作家の書くものには言葉の力がある」などと言われる。だとするなら、「言葉の力」で世界を一喜一憂させ、株価を動かし、世界情勢すら変えかねない、トランプこそ現代最高の作家だろう。業としての作家には、何の影響力もない。歴史にも残らない。何ならアルファツイッタラーの方が遥かに影響力がある。これが現実だ。
つまり、自分が夢見ていた作家像は、徳川埋蔵金と同じくらいの馬鹿げたものだったのだ。仮にこんな馬鹿げた夢を持ったまま業界に入っていたらと思うと背筋が寒くなる。絶望して生きていけなかっただろうな。
https://anond.hatelabo.jp/20200716203604
さて、次にこの編集者氏の文章だが、「いい本を多くの人に読んでもらう、それが編集者の仕事だ」という矜持が僅かでもあれば、意地でも言わないようなことを言っている時点で終わっている。
もしも、作家になれていたとして、こんな人に偉そうなことを言われるのだと思ったら…こんな業界に身を置かなかった自分を賢明だと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20200717110714
もしも自分が作家になって、それなりに自由にものを言える立場だったになれていたとしたら(無理に決まっているが)、こういう低い立場に置かれた人たちのことなど知りもせず、「搾取はいかん!」的なことを書いていただろう。自分も搾取構造の一部になっていることなど気づきもせず。
自分を顧みもせず、綺麗事を言う作家どもが如何に醜悪かは、皆さんよく知っていることと思う。Twitterを見れば、「よくもまあ、そんな偉そうなこと言えるよなあ」という腐れ作家どもが山ほど見れる。そんな人間にならなくてよかったと、心から思う。
いやあ、本当に、作家になることなど諦めてよかった。作家目指してあれこれ努力していた頃、「馬鹿言ってないで就職しろ」と言ってくれた両親に感謝したい。下手にチャンスが近づいていたため、当時は親を恨みもしたが、今では感謝の念しかない。
現在は、小さな会社のしがない社員だが、それなりに楽しくやっている。幸いコロナの影響も少なく、将来の不安は小さい。ステイホーム中は嫁と楽しく過ごすことができた。作家業なんてしていたら、この安心感は得られなかったろう。金もなければ、結婚もできていなかっただろうな。
「こんな文章書いて未練たらたらだな」と思われるかもしれない。確かに、未練が全くないとは言わない。一度は目指した夢だったのだから。だが、「やめといてよかった」もまた本音なのだ。
夢を追って叶えていたら、もちろん得るものも大きかっただろうが、失うものはそれよりも大きかっただろう。そこそこ安定した生活、家族のいる安心感、これらがないまま今の年齢になっていたら…。死んでただろうな、間違いなく。
腐すような書き方をしたが、作家諸氏には本当に頑張ってほしい。大変な時代と思うが、工夫して乗り切っていただきたい。乗り越えた先には、明るい時代が待っているだろう。知らんけど。
連休明け、職場のPCを開くと200件を超えるメールが届いている。その殆どの文中に、「お疲れ様です。」「大変恐縮ですが、」と、決まりきった文言が決まりきった個所に現れる。確かにうんざりする気持ちも理解できる。こんなものを是としている文化があるなら残念な話だが、おそらくこれは根付いた文化よりも言葉を扱う人間の問題であろう。
人間は言葉を操り、言葉は人間に操られる。そんな一方的な関係で人間と言葉は成り立っているわけではないはずだ。例えば人は、誰に頼まれたわけでもないのに自身の目標を書き起こして張り出したりする。書き起こす最中には目標へ至るまでの苦しい道のりや達成した自分をイメージしながら決意を新たにし、文字として形を持った言葉は以降も自身をことあるごとに奮わせるだろう。また、言葉を用いて他者の態度や思考、延いては行動を変化させることは、自身の言葉が相手を操っているとことと同義だ。他者を操りたいと考えるなら当然言葉が持つ意味と、そこに内在する想いが肝要になってくる。この世で初めてメールの文頭に「お疲れ様です。」と挨拶を加えた上司は強い好感を抱かれたのではないか。業務の指示がわんさと飛び交うなか、部下の心身を慮る上司の言葉には想いと力が宿っていたはずだ。「想い」というのは殊更にアピールしないと伝わりづらい。こうした文字だけの文章ではなおさらのことである。「お疲れ様です。」が当たり前の現代であるなら、「コロナの対応、連日お疲れ様です。」これだけでも良い。変化を加えて殊更さを出すことで、もしかすると相手は自分が頼んだ業務を優先的に、あるいは精密に取り組んでくれるかもしれない。何も難しいことはでなく、人間と言葉というのは互いに作用するのだ。言葉が変われば人間が変わり、人間が変われば言葉が変わる。こうした簡単な関係性もわからない人たちが、挨拶やクッション言葉をなくそうなどと的外れなムーブを起こすのだろう。
少々前置きが長くなった。
なぜなら女性にペニスを舐めてもらうと気持ちいいからだ。しかし女性にペニスを舐めてもらうには大き過ぎるハードルがある。そう、「密」である。ペニスを舐めるには「密」にならないといけないのは誰でもわかる。新型コロナウィルスの感染が拡大する今日の日本において、当然看過できる話ではない。こうなるともう私は言葉に頼るしかない。「ペニスを舐めてもらえませんか?」無論不可である。コロナの脅威は皆が知るところであり、それを打破するほどの力はこの文言にはない。今回私がお願いした人はとびきりの美人というわけではないが、愛嬌があり可愛らしい女性だ。仮に名前は松本さんとしておこう。年齢は1つ下だが、当然私は大学をストレートに卒業していないので、彼女のほうが職歴は1年長い。普段から仕事ではお世話になっている間柄だ。挨拶やクッション言葉を交えつつ、親しみも込めて丁寧にお願いをしていく。
「連日状況が変化する中で松本さんの業務は一際しんどいですよね。こんな時に密になっちゃって申し訳ないんですけど、ペニスを舐めていただけませんか?」
最初の試行は失敗に終わった。仕方ない側面はある。誰でも健康は害したくないし、何も言葉の力は万能というわけではない。言葉でコロナウィルスが根絶されるなら苦労はない。「密」であることの抵抗感はその先にあるコロナウィルス罹患からくるものなのだから、感染リスクを軽減する言葉がなければ成功しないのも自明である。再試行。
「こう来るたびに本部の意向が二転三転してるとやってらんないですよね。加えて密になっちゃって申し訳ないんですけど、ペニスを舐めていただけませんか?もちろん消毒済みですので」
失敗。他の課員がいるオフィスで頼んでいることが原因だと再度気付く。どこかの県ではコロナウィルス感染者の家に石が投げられたりもしているらしい。感染に繋がる行為を見られるという事態そのものが、今日の日本ではタブーなのだ。彼女がバックヤードに足を運ぶのを追いかけ、2人きりになったところでロックダウン。
「さっきは無配慮なお願いしちゃってすみませんでした。ちょっとだけ密なので重ねて心苦しいんですが、消毒済みのペニスを舐めていただけませんか?」
拒絶。コロナに言葉の力が奪われていることが証明された瞬間である。コロナは命だけなく人々の夢や娯楽、自由、経済力に加えて言葉の力までも奪おうというのか。
一人になったバックヤードで私ははたと涙を落とした。
いい力と悪い力があるとする、幸福につながるか不幸につながるか
言葉に力がないのならいったい人間は何によって学び、何によって何事かを成すのだろうな
伝言ゲームになりがちなら妄信と曲解の権化、自分に都合のいい事実の歪曲を止める能力もない
眼中にないそれらを目に入れていなかった故に理解も及ばなかった
思い上がり、自己の失敗や間違いを言葉を理解できない自分を棚に上げて他人のせいにする人種
間違えることの常態化によって恥を恥だとも思わなくなったくせに人一倍自分の愚かさだけは理解している
すべてを拒絶することで身を守っているのだから
懐疑とは思考し続けることではあるが、その真逆の拒絶という思考停止を処世術として使っている
痛ましい劣等感の塊
先日、30代になったばかりの方と会話をしていた時のことだ。
「私もうおばさんだから」正直な所、この人は何を言ってるんだ?と思った。急に何をオカルトめいたことを言い出すんだと。
「全然若いじゃないですか。あんまり自分のことおばさんとか言わない方がいいですよ」
「あっ、そうだよね。言霊ってあるもんね」
言葉の力や人の感情をなめてたんだろうな。ただのゲームだと思ってたんだろう。罵倒の先に実際の人間がいるという想像力がない。
ゲーム感覚で「悪いやつ」「馬鹿なやつ」とレッテルを貼り、晒しあげて、さあどうぞ! みんなで楽しく集団リンチ。げらげら嘲笑して楽しめればそれでよし。
「俺たちは論理的に間違ってないから」そんな思い上がった態度。もちろん反撃されるなんて思っていないし、反撃されることはあってはならないと傲慢に開き直ってすらいる。「お前は人の批判を受け入れられないのか」「お前は謝ったら死ぬ病だな」
「俺たちは論理的に間違っていないから、俺たちに反撃するのは間違っている」というスタンス。だから無敵。相手に反撃させず、一方的に蹴っ飛ばし、げらげら笑っている。これはゲームだ。そしてこの狂った世界ではこれが唯一の言論だ。
左寄りとされるはてなでなぜかこの残虐な集団リンチゲームはずっと支持されてきた。まるでこれが公平な「知の戦い」であるかのように集団リンチを肯定し続けた。「俺のは正しい批判だよ」
相手の人格を尊重しようという気も最初からない。対等な立場に立って真摯に言葉をやりとりしようという気もなく、いかに相手を見下すか、馬鹿にするか、みんなで指差してげらげら笑ってやるか、そういった幼稚な価値観しか持たないネットウォッチャーたちがずっとはてなに居座って強い影響力を持ってきた。
罵倒や嘲笑が基本の世界になってしまって、相手を人間として尊重するようなまともな人も少なくなってしまった。いかに素早くマウントを取るか。自分の方が上だぞと言い張るか。そういう世界になってしまった。
ここに倫理はない。他者に対する思いやりも配慮も何もない。良識も良心もない。相手はただの「情報」にすぎない。これはゲームだ。そして言論だ。他人を馬鹿にするのは楽しい。これは言論だ。
オタクは人間音痴だ。人間がわかっていない。人間音痴のオタクがインテリになってしまった結果、狂ったゲーム脳が出来上がった。「俺は論理的に正しい」そうかもしれない。きみはゲームの覇者かもしれない。
だけど、きみはわかっていない。この世はゲームではないということを。
父が認知症になったのは3年前のことだ。悪化したのが2年前の夏で、そこから2年で要介護の認定を受けた。70歳台前半でこの状態というのは平均よりも早く、進行も速いらしい。
2018年になり、私は実家に戻ることになった。親と同居するのは10年ぶりになる。認知症になってからの父と暮らすのは初めてだ。帰省で2、3日いるのとはわけが違う。
母は介護と家事と仕事で疲弊していた。介護士の人に母の外出中だけ父を見てもらっているが、彼らのいない朝や夜ほどやることは多い。私も仕事があるので、母のいない日中をカバーすることはできない。ワンオペから脱しただけでも御の字と母は言うが、どこまで力になれているかは疑問だ。
父は家族に対しては何処までも優しく、一度も怒鳴ることも手をあげることもなく、料理と日曜大工と植物の世話が好きで、グルメでワイン好きで、読書家で博識で、母が昔病気をした時は付きっきりで看病したり家事をこなす、こうやって並べるとちょっと信じられないくらい良き家庭人であり、知識人だった。それは今も変わらない。ただ本が読めなくなり、包丁が持てなくなり、服に頓着しなくなり、会話が成り立たなくなり、自分で服を着たり用を足したり風呂に入ったりできなくなった。前半は習慣から消え去り、後半は母が介助している。
認知症はタンパク質が変質し、脳が萎縮していく病気だ。萎縮する箇所や速度は人それぞれで、予測することはできない。萎縮による記憶や能力の衰退も、人格や活動の変化も顕出するまで分からない。もちろん治療法もない。ただ、いくつかの傾向はあるらしい。父の場合は次の2つが表れた。ひとつめは一日に独自のルーティーンを作ること、ふたつめは何に対しても否定から入り、気難しくなったことだ。どちらも典型的な認知症の症状だ。
父は毎日、カフェに朝食を買いに行く。毎日同じものを頼むが、ストローをもらえなかったり店員の態度が気に食わないと不機嫌になり、店に迷惑をかけたこともあるそうだ。だが母が一緒に行くとそういうことはないという。
父は毎日、昼食を同じ店に食べに行く。時計の進みが正確に把握できないので、毎日開店前に行っては入店を断られ、やはり不機嫌になって帰ってくる。でもしばらくするとそれを忘れてまた足を向け、食べて帰ってくる。
父は毎日、ケーブルテレビを見ている。大好きな洋ドラはおとなしく見ているが、CMに入ったり日本のドラマに切り替わると文句を言いはじめる。でもお手洗いに行っている間に録画しておいた洋ドラに変えておけば、けろりとそれを見ている。
父は白身の刺身を食べなくなった。鯛やかんぱちという魚が分からないからだ。風呂にひとりで入れなくなったのは身体を洗う順番が分からないから。文字は読めるが新しい知識は入らない。郵便受けに手紙を取りに行くことは覚えているが、その後どうすれば分からないからその場で捨ててしまう。食後には皿を片付けてくれるが、洗うことを忘れているのでそのまま戸棚にしまおうとする。
ルーティーンはある日突然変わったり、じわじわ増えたり減ったりする。そのタイミングは本人にも家族にも、医者にも分からない。毎日の観察が大切だが、一日中目を離さずにいるのは難しい。
父は会話というものが分からなくなった。人の話を遮って喋り出す。それを諌めても、話題を変えようと質問しても自分の話をやめない。記憶に残っていることを喋るから話題はいつも同じだ。機嫌のいい時は相手の話を聞いたり、上手くやりとりが進むこともあるが、都合が悪くなるとおどけて誤魔化そうとする。何故かアイシュタインの変顔の真似をするのだ。その無邪気な笑顔を見て、私は父が72歳の5歳児になったのだと思った。自我はあるが社会生活を営むには不十分で、言葉の力に無自覚で、物事の因果も感情の律し方も分からず、大人の監視と補助が必要な5歳児。それが私が今一緒に住んでいる、大好きな大好きな父だ。
実際の5歳児と違うのは、これから先、父が成長することはないということ。代わりに72年分の(穴抜けになった)記憶を抱えているが、その記憶も徐々に失われ、人格は変わり、最後には脳が不随意筋の動かし方を忘れて死ぬ。認知症とはそういう病気だ。
父が私を覚えているうちに、また一緒に暮らせて良かったと思う。
相手は今年初めてできた一つ上の彼氏だった。こんなパッとしない女にも彼氏ができるとは思わなかったし、セックスがこんなに幸せだとは思わなかった。私はいままで告白もされたことないし、したこともない典型的なモテない女だった。
私は大学卒業後に実家を出て一人暮らししながら、とりあえず就職して働いて転職して食って寝て一人で酒飲みながらゲームやYouTube見てときどき増田見ながら生きてるって生活をしてた。
私と彼氏さんは職場で出会った。部署は同じだったけど、お互い最初はそんなに気にしてなかった。親しくなったキッカケは去年の部署の忘年会でたまたま席が隣だった。どちらも洋楽が好きで、あるアーティストのファンだった。それからちょくちょく職場で話していくうちに連絡先交換をして食事に誘われた。
セックスのときの肌と肌が触れ合う感覚はまだ忘れていない。男の人の裸を生で見るのは初めてだったし、「あぁ、なんか女の人より筋肉すごい」って感想だった。他人の肌の温度を感じるのも初めてですごいオドオドしてたと思う。彼は「緊張しなくていいよ」って優しく言ってくれたけど、「あ、はい…」ってとりあえず返事しただけで、この言葉を思い出したのも帰ってきてからお風呂に入ってたときだったし。
「あぁ、そっか、私ってそんなに緊張でカチカチだったんだ」って一人反省会してた。彼はいままで2人ほどお付き合いしたことがあるって言ってたから経験はそれなりにあるのだろう。でも私は相手の経験はそんなに気にしないので別にどうも思ってなかった。
私はすごいマイナス思考で自己評価の低い人間なんだけど、こんな性格は他人からもめんどくさがられるとは分かってる。だけど、彼はそんな性格の私を受け入れてくれた。
初めてのセックスに至るまでは結構長かったと思う。裸になるのも怖かった。自分に自信がなかったから。ムダ毛の処理とか日頃からめっちゃ頑張ってた。剃刀も5枚刃買ったって言ったら腹抱えて笑われた。「女で5枚刃使ってるやつ初めて見たわ」って言ってたし。うるさいわ。
普段の自分を見せるのも怖かったから、彼から「会ったら毎回、2つだけでいいから褒め言葉を言い合おう」と約束させられた。最初は「この人何考えてるんだろう」って思ったけど、今思えば私に自信を持たせるためだったんだと理解した。
例えば、デートの待ち合わせ場所で会ったときには「今日も髪の毛がキレイだね」とか「ネイル変えた?かわいいね」と言ってくれる。私はその一つ一つに「ありがとう」と言って、「今日の服かっこいいね」とか「香水のいい匂いするね」とか言う。私は初めこそ褒められることも褒めることも慣れてなくて「今日は来てくれてありがとう」とか意味不明なこと言ってたけど、彼は「こちらこそありがとう」って優しく笑って言ってくれた。こうすることで私のマイナス思考は少しずつ治っていった。鼻が低いところだったり、一重だったり、唇が薄いところだったり、貧相な乳だったり、声が低いところだったり、おでこが広いところだったり。でも、彼はそんな私のコンプレックスを少しずつ褒めていってくれた。そして自分が思ってるより他人はそんなに思ってないことを教えてくれた。
セックスのときも同じだった。お互い裸で正座で向き合って、「なんか改まって言うのは恥ずかしいね」なんて笑って言いながら「肌が白くて綺麗だね」とか「その下着かわいいね」とか言われたり、私は「腕のスジや血管がかっこいいね」って言ってた。そしてお互いに「ありがとう」って言った。
お互いに褒め合うことで相手を敬う精神やお礼を言う習慣を育んでいってたんだと思う。褒める言葉とお礼の言葉の力は大きいと思う。他人に認められるってこういうことだったんだと思った。セックスのときに「好きだよ」と何度も言ってくれたし、キスもいっぱいしてくれた。すごい幸せだった。ほんとセックスってすごいと思う。なんだろう精神的に満たされる感じ。
記者2 ミヤネ屋のシカナイともうします。今回の騒動、そして引退ということでダブルでショックを受けられた方も本当に多いと思います。あらためて、引退とおっしゃっていましたが、実際さまざまなプロジェクトも始動していると思います。いつ頃、本格的にすべて音楽から携わるのを退くのでしょうか?
小室 先ほど申しましたとおり、自発的に「あれがやりたい」「これがやりたい」という音楽活動は今日から退こうと思っております。そして今の話のような、それでも責任があるじゃないかと、「やってくれ」というものの責任は果たしたいと思っておりますので、不快な思いをされる方の目にはかからないようなかたちで全うしたいと思います。
先ほども言いましたように、今、「まだやれよ」と期待をしていただいている方の制作に関しては、随時対応していこうと思っています。
記者15 今後もファンの方となにかしらのつながりという場は持つことを期待をしてもよろしいのでしょうか?
小室 世の中の世論の比率によるかなと思います。51対49みたいなことがありますけれども。その割合が「なんでもいいから、生き恥晒してでもいいから音楽つくれよ」という意見が何割あるのかというところで。
ファンというすごく不特定多数の微妙な表現よりは、この時代ですから数字に如実に全部出てきますので。その数字に従いたいかなぁと今漠然と思っています。
引用は全部 https://logmi.jp/259338 から(3 ページ目と 4 ページ目から引用してます)
これは「引退しない」ということですよね。
ということを宣言しているわけです。
俺はこれまで小室哲哉の「音楽」については結構いろいろはてなで鬱陶しい評論を読んだことがあったのだが、「作詞家」としての彼の評価について読んだことはなかったし、また彼の作る曲の歌詞をじっくりと鑑賞してみたこともなかった(あらためて検索してみると結構彼の作詞家としての魅力を論じている人は多い、俺のインターネットへの向き合い方は怠慢であった)。
しかし、俺は今回この「引退」によって彼が圧倒的な言葉の力を持っていることを知った。この論点ずらしとごまかししかない「引退しない宣言」を人々に受け入れさせ、そして世論のほぼ全てを一瞬にして味方にすることができた。彼はこの世論をもって、見事に「復活」を遂げることだろう。
思えば、彼はもはや持ってもいない原盤権を売りつけるという詐欺をやった人物である。詐欺とはまさに言葉による戦闘の極北であろう。彼は、本当に圧倒的な言葉の力を持っている。そして、それを自分自身の利益のためだけに悪用することをなんら躊躇しない、第一級の危険人物だ。
そのような魅力的な人物が作る歌詞に注目してこなかったというのは、随分もったいないことをしてきたと思うし、そういう点に注意してあらためて彼の提供楽曲を鑑賞してみようと思っている。