はてなキーワード: 歴史的とは
ネットは既にリアルで付き合いがある友人知人と交友するツールであるとか、あるいはネット内人間関係が人間関係の全部であるから、ネットとリアル世間の差異が意識されないのではないかと思われる
で、今となっては20代以下の人間には理解しにくいと思うのであるが
1990年代に日本でネットが普及した当時というのは、以前から交友のある友人知人や会社の同僚はまだネットをやっていない、自分だけネットを使ってるという場合が往々にあり
ネット上での人間関係は、すでに一定の年齢を重ねてからネット上で初めて知り合った相手が多かった
すると、「リアル世間での過去20~30年の間に出会った人・現在の職場の同僚とか」と、「ネット上での友人知人」は、まったく別物になるわけだ
「被害者こそが加害者なのだ」的なところへいっちゃってる差別主義者さん。ミソジニーがメインだけどそのうちレイシズムもやりそう。
これはネトウヨの格下げるためのネトウヨパロディかな、と思ったら非公開って、おいガチかよ。金貰ってるにしては流石に自爆芸すぎるしなぁ。
ネトウヨミソジニーの誰かが、自分で自分に星打つための赤かなこれは。となると本赤の候補が何人か……
コピペ量産型ネトウヨ。というか、マジで金貰ってコピペしてるだけなんじゃ感すらある
典型的なネトウヨと近いんだけど微妙に違うなぁ、と思ってたがこれnekoraの転生か。納得……。
ネトウヨさんのスターをセルフ打ちするためのサブ垢アリバイ作りでひたすら雑で被害者への罵倒しかしてない差別コメントを多少、かな、って感じ。何人か星連打対象で本アカ候補はあるがさて……?
ネトウヨでミソジニーでかつ自己の感情を敵と看做した相手に投影して鏡に吼え続けるといういわゆる役満さん。自分が言ってることを相手が行ったんだと言い出すあたり、自己の境界線が曖昧になる典型の病を患い中。
典型的なミソジニー様。暴言吐きまくって停止になったアカウントの転生かな、と思うんだけどさて誰だろう?
なんていうかこう「差別させろ!! 一方的に人を殴らせろ!! でも被害者が殴り返すのは悪だ!!」っていうことを延々叫び続けてるタイプの差別主義者さん。溺れる犬に石を投げろってタイプ。
もともと色々おかしい感じのネトウヨさんだったけど、最近何かいよいよ知性を放棄した感じ。botだったら凄いが。
理論武装が足りないタイプのネトウヨかつミソジニーも併発っていう典型的なお方。
ミソジニーにありがちな、本気で国家社会に生きることが向いてないタイプの人なので、檻に入るか国家のないジャングルあたりへ帰った方がよさそう。国家自体否定しないと成立しない意見ばかり言う犯罪主義者としか。
自称中立系ネトウヨ件ミソジニーで鏡に吠えまくるという典型的な役満様。多分差別さえできればなんでもよくて、ある意味正直
ミソジニーの彼方へ行ってしまわれている方。しかし分かりやすいくらい自分を相手に投影して鏡に吼えておられるな。典型的。
「差別されるのは嫌なのでその差別行為を辞めろ」に対して「俺の行為をキモいって言いやがったので差別されてるぅぅぅ」って返す差別主義っぽい言動が……
あー、薄々あれだったけど要は「差別させてくれないなんて俺たち差別主義者は反差別主義者に差別されてので、差別主義こそ反差別で、反差別こそ差別ー」と言い出すアレだった。
「女は嫌だと言っても本当はして欲しいに違いないから、女への嫌がらせは絶対にやめない!!」という典型的な現実の言葉をフィクション扱いする系のミソジニー様。そりゃ表現規制にもなるわさ。現実と虚構の区別がない
これはまた香ばしいというか、ダブスタを延々繰り返し続ける、思考停滞起こしてるタイプのわりと救いようがないタイプのネトウヨさん。
流石にこれも雑すぎて量産型複垢感のネトウヨ様。ミソジニーも併発発覚……というよりただひたすら「差別させろぉぉぉぉぉぉ」としか言ってない感じなのがいっそ清々しいレベル
これはネトウヨというよりは自民から金貰ってるか親戚にいるかしそうなタイプだなぁ、と。
ネトウヨの人たちでも流石に駄目だと思ったかなかなか言わない「共謀罪は必要!!」を言い切っていたある意味歴史的な記録になるかもしれない人。
ネトウヨさんというより、犯罪者思考の持ち主がそれに合った所にいきついたらネトウヨだった感。
これは流石にネトウヨのメインではなくサブ赤っぽい。言ってる事が雑すぎるので、なんなら金もらって書いてるだけかもしれないが。
すんごいセカンドレイバーだなぁ、と。多分この人基準ではどんなに相手が嫌がっている証拠が挙がっていても合意で合法セックス、って言い出すよね。もはや実際にやらかしてないかのホラーの域
性欲がとまらないタイプのミソジニー様っぽい。ある意味物凄く分かりやすいすっぱいぶどう系。
ネトウヨと呼ぶのはさすがにちょっと他のネトウヨの人らに失礼かもな、というくらい、理屈付けが出来てない人。雑すぎてサブ垢かどこかから金貰って作った垢感もちょっとある。
でミソジニーで、鏡に向かって吼え続けるお方という典型的な感じの人。自分のコンプレックスが相手のコンプレックスに見えてるっぽい言動が多い。
いわゆるジャングルに帰った方がいいタイプのミソジニーさん。司法に判断をゆだねるシステムを受け入れられない時点で、そもそも国家に生きること自体向いてないよね、この人。
おっと絵に描いたようなネトウヨ様。いじめを繰り返しながら、自分はいじめられっ子からいじめられてるいじめられっ子なんだと主張する系の。敵味方思想に陥り切ってて妄想もなかなか凄いことに。
うわぁ、いまだに日韓合意がー、言ってるのか。5年くらい時間が止まった感じのネトウヨ様。
あ、ネトウヨさんでしたか。差別を辞めさせるなんて差別ぅぅぅぅ、というタイプ/小宮氏との対話で露呈した青識の支離滅裂話法を見てなお「言語がされてる」と思って要る辺り、論理性も学問的思考も不可能で対話不能
自分が執着しまくっているものがばれるような言動をして、無関心なんだと言い張るような典型的なタイプのネトウヨさん。
まぁ判で捺したタイプの差別主義者のセリフを繰り返すロボット、って感じ。
10年前のネトウヨのデマと嘘の思考をまだ引き続けて持ってるタイプ。そろそろこういうのをオールドネトウヨって呼びたい段階。
最近レイシズムを隠したり転嫁したりしようとするネトウヨが多い中、レイシズムもろだしという色々とあれなタイプのネトウヨさん。
あー、未だに日本の姿をカンコクガーと投影してる大分古いタイプのネトウヨ様。なんというか、まぁネトウヨの中でも大分周回遅れ。
粛々と電波を放つ何か。多分ネトウヨには分類できるんだろうけども……
さて、ここからどう悪化していくのか、それともすでに悪化済みの人の副垢か、って感じのネトウヨ様アカウント
典型的な国家システムがあるところでは生きていけないタイプのネトウヨさん。犯罪の取り締まりがある法治国家では生きていけない論法を繰り返し、鏡に向かって今日も吠え続ける感じ。
ネトウヨ様が自分アカウントと星つけあうために作ったサブ垢っぽい。というかたった4記事でいきなりハテサガーというワードは普通出てこないので、メイン垢ではないと思われる。色々と必死感が漂う。
量産型のネトウヨ様過ぎて、流石にbotなんじゃないか疑惑が……
2ch系のネトウヨの間だけで成立している妄想をソースに更なる差別を肯定する妄想を積み上げていく、ネトウヨ世界の彼方へ行ってしまっているお方。多分現実は何も見えない状態で日々を暮らしておられるのだろうが。
あー、またサブ垢作ってる。というか、ミソジニーにユダヤ陰謀論ミックスして、次々垢作って消す、って行動パターン分かりやすい。あと、共産主義がどうこう言いながら、日本の水産庁擁護あたりの新ネタも来てた。
ネトウヨ発言は目立つけど、色々とテキトウ感があって、金貰ってやってるタイプっぽくみえる。
差別脳が止められない止まらないタイプのコメに星つけまくっているけども、晒し上げなのか、同意なのかちょっとまだ掴みきれてない。
「差別できないなんて、逆差別!! 差別者されてる人を差別する人から引きはがして守るなんて泥棒!! その労力は本来俺たち差別者をもっと差別できるよう救うためのものなのに盗られた!!」という典型的なアレ。
流石にネトウヨ言動をかきあつめたbotなんじゃないか疑惑が……
男性優遇であるというデータを前に「そんなデータを見せるなんて、女性は差別される方が得だから下であることに縋りついてる!! ゆえに女性優遇がいっぱいある!!」という幻覚見出すしゅんごい脳の回路のお方
差別脳こじらせたネトウヨ様の中では、典型的な「10年前の2ch系列」のお方。同じネトウヨの中でも脳みそがアップデートできないタイプなあたり、色々と救われなさそう……。
中国では著作権周りの法律が機能してないに等しい状況であることを理由に、宇宙開発技術で日本は中国に勝っている、というトンデモ論法をご披露なさってたネトウヨ様。ホントこじらせると思考回路に悪影響だよなぁ
10年前の2chのデマの世界でいまだに生きておられるタイプのネトウヨ様。レイシズムの方向性が最近の子たちについて行けていない感ある。まぁ、ついていけてもあれだが……。
「自民=トランプ政権=Brexit=レイシスト」を認める、結構珍しいネトウヨさん。/なおオタナチ。自分がナチスだと気づいているので鏡に吼える/あー、とうとう低能先生みたいな事を言い出した。語彙がかなり減りつつある
性犯罪者思考っぽいタイプのミソジニーの人。鏡に向かって吠えるところまでが様式美だがさて……。/消すまでのペースが最近早くなってる?
いわゆる鏡に向かって吠える論法の使い手さん。存在しない言葉を読み取り、それを理由に相手は存在しない言葉を読み取ってるんだと訴え、以下略。やっぱり主客の境界が曖昧なまま育ってしまったのかな、と。
絵にかいたようなネトウヨ様。しかも10年前の今のネトウヨなら「こんなこと言ってたのは左翼の方ーーーー」と嘘つきだすくらいネタが割れてるデマを、延々繰り返している。
有名すぎてブクマ忘れてた。「女がレイプされるのを嫌がるのは、レイプされたがって男にたかってる証拠!! レイプさせてくれないなんて男はたかられていてるんだ!!」をやらかす典型的なソシオパス系オタク様。
この人はミソジニーではなくただのレイピストだな、と普通に犯罪者思考で、ちょっと洒落にならない。性暴力が性行為だと思い込んでいて、それがおかしい事に気づくための基本的な思考すらかけてる。
「それが被害かどうかは主観が決めるんだから、被害にあったと思うのが悪い!!」論法を駆使する、いわゆる「法治国家に住めないタイプの差別主義者」。ジャングルへ還るしか生きる道なさそう……。
「サヨクは○○だ!!」→「○○を成立させる理屈がこれこれこうで間違ってますね」→「左翼は自分で○○だと言い出したぞ馬鹿だ―――!!」という手のひらクルクルを延々やって、手首がプロペラになって飛んでる人
性差別的な表現の自由は大事だけど、女子という名乗りや夫婦別姓のような性差別から逃れる表現をする自由はない、ってあたりに、自称表現の自由好きさんの正体が見えてしまう感じ。
ミソジニーでオタクでネトウヨのいつものパターンのお方だが、全てにおいて雑すぎるせいで、身内含めた全方面敵に回しまくっとる……。
11ブコマ目にして最近来たばかりの人はまず知らない古めの単語ハテサを使うネトウヨ様という、サブ垢もろばれ感。多分相互に星つけている誰かが元垢なんだろうな、さてさて……。
電波系ネトウヨさんなんだけども、電波の持ち方が、ちょっと独特感はある。2ch系とも違っていて、わりと本気で意思疎通難しそうな感じ。
あ、この人まだメタブしてなかったの意外。かなり電波なネトウヨ系差別言動にピンポイントで星つけてる割に、あんま自分でのコメが見当たらない人。ブクマ見るとそれ系してるのになんかそっちは目立たない。
はてな系ミソジニストの新人さんかな? と思ったが、どちらかというと2ch系っぽい。男が女を殴り倒しているのを見て、女の敵は女―みたいなタイプは、あんまりはてな系ではないタイプ。
あ、もう一人のばってんの人とごっちゃになってて放置してしまってた。ネトウヨ差別主義者様ではあるけど、言ってることが支離滅裂すぎて、むしろこの人に星つける人がやばいとわかるリトマス試験紙タイプの人
トチ狂ったネトウヨ意見にスター乱舞で晒しあげ、みたいな感じ。手打ちならやばいが、できなくはないレベルでちょっとどっちなのか判別しづらくて怖い
思想があるというよりは、単純に差別脳がやめられない止まらないタイプ。こういうのはもう、自分では制御できないレベルなのかもなぁ、という感じ。
おうむ返しにさよきゅさよきゅと言い続けるだけのネトウヨbotという感じ。最近ならTwitter連携のあれこれで多分一日でできる。中の人がいるのならその脳みそは……。
絵に描いた様なネトウヨ様。とりあえずどうしてここまで論理に反する思考をもてるのか、位置から十までしゅんごいかんじでやばい
ネトウヨの人のサブ赤っぽい立ち回りをしてるけどさて……
どストライク香ばしいネトウヨ様なんだけども、最近見かけない気がする……
x = 10
という変数xについて考える。
ここで、
x
と書いた場合、xの値が返ってくる。
&x
と書いた場合、xの参照(参照値)が返ってくる。参照とはメモリ上のアドレスのことである。
次に、なんかの関数func()があるとする。以下のようにして呼んでみる。
func(x)
これが、値渡しである。
func(&x)
これが、参照渡しである。
さて次に、新しく変数yについて考える。
y = &x
yはxの参照を値として持っている。
これもx同様、
y
と書くとyの値が返ってくる。
&y
と書くとyの参照が返ってくる。
で、ここから本題。以下のように関数func()を呼んでみる。
func(y)
再度書くが、yはxの参照を 値 として持っている。
・「yの値を渡してるんだから『値渡し』と呼ぶよ(でもまあ、xの参照を渡してるからあえて言うと『参照の値渡し』だよ)」派
・「xの参照を渡してるんだから『参照渡し』と呼ぶよ」派
のバトルである。
歴史的に(?)は前者が正しいのだが、後者の誤解は根深く今も争いの種となっている。
ちなみにこの話にC言語とC++が入ってくるとややこしくなる。なぜなら「C言語には参照渡しはない」からである。別の表現をすれば、「他言語で『参照渡し』と呼んでいるものの書き方と、C言語で『ポインタ渡し』と呼んでいるものの書き方は非常によく似ている」である。
C言語だけ呼び名が違うので、C言語は他言語と違う言葉を使いだした空気読めてない糞言語みたいに見えるが、おそらく順序としては逆である。
(1) C言語では「値渡し」と「ポインタ渡し」が使われてきた
(2) ポインタを直接扱うのはバグの温床だよね、ということに人類が気づき始める
(3) C言語の進化版C++では新しく「参照渡し」という機能が追加された。これは「ポインタ渡し」に代わる「制約の厳しいポインタ渡し」みたいなものであった
(4) モダンな言語ではポインタという概念を捨て(?)、この「参照渡し」を参考にした(ただしモダンな言語の『参照』とC++の『参照』は意味合いが異なる)
(5) モダンな言語では「値渡し」と「参照渡し」の2種類がスタンダードとなった
構文的にはモダンな言語の「参照渡し」とC言語の「ポインタ渡し」は似た書き方をするので、モダンな言語学習者がC言語の「ポインタ渡し」を見て「C言語では参照渡しってこう書くのかー^^」と言うとフルボッコにあい、C++の「参照渡し」を見て「C++の参照渡しってこう書くのかー^^」と言った場合でもその理解はずれている場合が多い。
「ヰ」や「ヱ」については、仮名ができた当初の発音は w だったけれども、その後、日本語の音の歴史的変遷があったので、iseki や yebisu のような事例が出来てきたのだとか。
ヰ wi の音は早くに無くなって実際の音は i になった後も旧仮名遣いとして文字だけ残ったようだけれども、 ヱ の方は当初は we だったのが後で je に変化したので面倒らしい。
女性が主人公である、という1点においてはおそらく日本でもかなりトップクラスのジャンルだと思ってはいる。
ただ、それ以外の外国人の表出、差別問題、経済、政治みたいなほとんどの場面で少年、青年系の漫画より退行的で非進歩的だと思ってた。
ただそれだけで悪いと思ってたわけじゃないし読みたい人がいるジャンルならそれはそれでまぁいいかなとは。
漫画の発行部数とか雑誌の売り上げ、現代の少年漫画の女性読者の多さ(つまり、少女漫画を読む時間を少年漫画に割いてる人がどんどん増えてる)
とか統計を見ても少年漫画は歴史的に見ても定期的にジェンダーの壁を緩くする傾向あって、逆に少女漫画は排他的な傾向にあると思ってた。
『移動都市/モータル・エンジン』(以下、移動都市と省略)を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ。
120点ヤッター!バンザイ!。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。大満足なんではあるが、この大満足は極めて個人的な感情であり、しかもタイミングによるところが大きい(後述)。なんで皆様におすすめできるか? オールタイムズベスト的な価値があるか? といえばおそらくない。見なくて良い。
しかし一方で今じゃないと書けない評価もあると思うので、この記事はその辺について触れたいと思う。
当方は「パンフとか購入するくらいならもう一本別の映画見るわ教」の人間なので詳しいセールス文句は知らないのだけれど、スタッフ的には『ロード・オブ・ザ・リング』のスタッフが結集!とのことで、ほうなるほどと思って足を運んだ。どうでもいいけど、この映画、日本での広報に失敗してない?
んでもって内容なのだけれど、想像した以上にCGが良かった。「CGが良い」っていろんな方向性があるんだけど、一昔前の重要課題だった「嘘くさくない」とか「合成に違和感がない」みたいな部分は今やもうすでに解決済みであって、現在では「どれくらい見たことがないすごい景色を見せてくれるか?」ってとこが焦点だとおもう。
その点において『移動都市』は素晴らしかった。超巨大戦車じみた土台の上に一個の都市ロンドンが乗っかって、スチームパンクともレトロフューチャーとも言える鉄量にまかせてゴンゴンガンガン進みながら、その中には宮殿も大英博物館もあってゴシックな生活もあるってあたりが、もう、きゅんとくる。世界観の荒唐無稽さを、CGによる映像美と迫力で押し切るという、いわば「嘘の芸術」である映画のセンス・オブ・ワンダーが花開いていた。その点は二重丸。
アクションも、チェイス、市街戦、空中戦、焼け落ちる基地からの脱出、潜入、銃撃戦と各種取りそろえそれぞれにレベルが高く、十分以上に楽しめる。
一方で脚本は、まあ、悪くもないんだけど、そこまで良くもない。割りとありきたりな復讐劇で世界観とCGによる大美術とアクションに全ふりしたような映画ではあった。
登場人物も、主人公ヘスター・ショウ(母親を殺害された件をきっかけとする復讐者)とトム・ナッツワーシー(ヘスターに好意を抱き所属するロンドンを裏切って協力する史学者&飛行機乗り)は、内面的にも平坦でそこまで感情移入するってほどでもない感じ。
二人をお助けする女性賞金稼ぎのアナ・ファンのほうが汎アジアキャラ的なドラマをもっていて好感度高かったほど。
だいたいしめて90点くらいで、レイトショーで割引で見ると満足な映画というのが評価だろうか。
しかし!上記のような説明ではこの映画を120点評価した理由が全くわからないだろう。ここではそこを解説したい。
そもそも『移動都市』の世界観は、現在の文明が大戦争でほぼ滅んだアフターホロコーストな地球である。大量破壊兵器メデューサで欧州は完全に壊滅して、泥炭じみたぬかるむ湿地の広がる大荒野になってしまっている。そこではもはや土地に根付いた生産をすることは不可能であり、都市は「移動都市国家」としてそれぞれが巨大陸上兵器になりつつ、荒野をさまよって、より小さな移動都市を鹵獲して、食料や燃料や労働力(そこの市民)を略奪して暮らしているのだった。
今回映画『移動都市』の主役都市とも言えるロンドンは、その中でもかなり大きなものであり、旧時代の文明研究をして工業力を維持しつつ、小都市を略奪して巨大化しているっぽい。
ロンドンはどうやら物語開幕直前にドーバー海峡を渡ったようで、欧州東部の小都市国家郡にたいする略奪旅行にでる。わーお!プレデタージャーニー!これを市長は「都市淘汰論」とかうそぶいて正当化する(ダーウィニズム! キタコレ)。
この時点で映画開始から10分もたってない。すごいよロンドン。めっちゃゲスじゃないですか。
移動略奪都市ロンドンは「移動派」を名乗っていて、一方で、ユーラシア大陸当方には「反移動派」がいて、これは旧来の都市運営のように普通に地面に都市を作って周辺で農耕しているらしい。映画後半になるとそっちにもカメラが行くんだけど、緑豊かな自然を復興している。
東へ向かうには要所となる渓谷があり、そこに東部の「反移動派」たちは「盾の壁」なるものを築いていて移動略奪都市の侵入を拒んでいる。この「盾の壁」と移動略奪都市ロンドンの大戦争が映画のクライマックスだ。
物語中では明言してない(してるわけがない)んだけど、この「移動派」の移動略奪都市ロンドンって、もう、完全に植民地主義なわけですよ。
巨大な鉄の破砕口で逃げ惑う小移動都市を捕捉してバリバリ噛み砕き、そこの住民たちを「強制移住」させて「ロンドンへようこそ!あなた達には住居と仕事が提供されます!」とか放送しちゃってるけれど、そういうひとたちは都市最下層の労働者タコ部屋みたいなところに押し込んで働かせている。
そういう小移動都市を奪って「燃料一ヶ月分の足しになるか」とか市長は言い放つし、ロンドンの公園テラス(周辺の荒野が見える)では、ロンドン上級市民が鈴なりになって、(おそらく東欧の貧乏な)小移動都市に銛を打ち込んで串刺しにして鹵獲するシーンとかで「うぉおおお!!ロンドン最高!!」「やれー!やっちまえーー!!」「貧乏人を奴隷にしろ!」とか大歓喜なんですよ。
もう、このシーンだけで興奮してしまう。
まじか。スタッフまじでこの映画作ってんのか? っていうか原作小説からこれかよ。パンクだな。
しかもそのうえ「反移動主義者どもは盾の壁などをつくって我々を干上がらせるつもりだ!けしからん!奴らの土地を奪うぞ!!決戦だ!!」「うぉおおお!ロンドン!ロンドン!!」とか言い始める。
これだよ。これこそが大英帝国だよ! 大英博物館はそうやって鹵獲した貧乏都市に残されていた旧時代の文明異物を収集して飾っておくとか説明されて、「わかってるよこの作者ぁ!?」ってなるなった。
んでまあ、そうやってね。植民地最高!労働力は移民(白目)でOK!上層部では光降り注ぐ庭園とヴィクトリアンなライフスタイルで下層はスチームパンクな労働者で身分が違うからろくな会話もできません。みたいなロンドンが、最終的にはコテンパンに負けるんですけどね。
原作者フィリップ・リーヴはイギリス出身なんだけど、自虐っていうかシニカルな笑いが凄まじいな。まさにこのシニカルかつブラックな笑いがこの映画の加点理由であって、だめな人には全くダメだし、歴史的な経緯がわからないと小芝居に意味が無いとも言えるし、そういう意味では難しい映画かもしれない。でも、めっちゃパンク。
まあそういう感じでゲスなダメダメさを楽しむ映画ではあるんでが、日本の場合はさらにボーナスがあって、それはイギリスがただ今絶賛ブレグジットに関するgdgdの真っ最中であって、過去自分がやった鬼畜所業を再確認中だってことですよね(欧米での公開は去年なのでそこまでタイミングドンピシャじゃなかった)。
イギリス人「だってイギリスはイギリスのものなのに政治の中枢がEU本国側にあるなんていやでしょ?」
みたいなことを思い出しながら『移動都市』を鑑賞のは最高に贅沢だと思うのですわ。メイちゃん首相もだんだん顔が怖くなってきたし。『移動都市』みたいにEUぶらり旅で離脱できるとええな。
日本のコンテンツ、というかテレビ映画業界は、歴史的に「脚本」というものを本当に軽視してきたので、まず脚本家というものの人数が少ない。太秦に出入りしていて目橋の聞く若造がやっと書かせてもらえるかという世界。優秀な脚本家を賞レースやコンペで選定することをまるでしてこなかった。内輪でやらせてみて、良いものができたらラッキーのレベル。世代交代やポシャッたらおちるシステムもない。オリジナルのTVドラマの脚本とか大抵は酷い。たまにいいドラマがあってもそれはせいぜい数人が作っているし、彼らも既に老害に足をつっこんでいる。
ゲームもそう。あの大作ゲームやこの大作ゲームのシナリオは誰が書いているんだ? 社内の適当なやつが書いているんだよ。面白いわけがない。でもゲームは売れちゃう。結局のところ、脚本なんて添え物だから。ゲームというコンテンツは本当に素晴らしいので、少々ストーリーがクソでも感情移入させてもらえたり、楽しませてもらえたりする。良いストーリーは、あればいいけど、無くても大丈夫だ。
ヒプマイもそういうところがあるんだろうな。
歌と声優はガチプロに外注したからめちゃすばらしいです。脚本はだめ。わかるわかる。ありがち。
ハリウッドが脚本家養成の大学学部まで作って、どんなベテランも脚本家なら熾烈な競争下にいるのと対照的だ。幸い、日本にもハリウッドと同じような環境にいるクリエイターがいる。エンタメ小説家や漫画家だ。この人たちは本当にすごい才能……は恐らくハリウッドでも太秦でもどこでもあるのでともかく、合理的な訓練を積んだ人うえ、プロになってからも絶えず競争にさらされて生き残った人たちだ。だから最近の映像作品は漫画原作や小説原作の映像作品ばかり作られてヒットする。
最近は日本もようやくそういう現実に気付いてきて、脚本家を募集する賞を新設するだとか、有名な小説家や漫画家に脚本を依頼するだとか、そういうことをするようになってきた。
けものフレンズ2が大いに荒れているそうだ。まー見てないけど。
だから振り返って1のおはなし。あと、これけもフレに云々言うのではなくFO3/4への文句なのでご注意。
廃遊園地がモチーフになっているように、世界観方面で不安を煽っていく。
実際作中でも露骨にポストアポカリプス的な要素が散見されて、実際人類は滅んだとまで作中で言われているわけで。
でも、それでも前向きに話が終わっているから、逆にFalloutへの不満が思い出されてしまった。
ちょっと話は変わるが、「ポストアポカリプス」的なフェチめいたものはわりと歴史的にサブカルチャーの中にあり続けた。
たとえば「ヨコハマ買い出し紀行」。最近だと「少女終末旅行」とか。
海外でいえば「マッドマックス」。ただこれはだいぶカルチャーの部分なのでゲームを見てみると、その中には「Fallout」という傑作が燦然と輝いている。
冷戦真っただ中で明日いきなり核兵器が頭の上に落っこちてくるっていうのがまああり得ない話ではなかった時代に生まれた作品が、そうした懸念が晴れた後の世代に影響を与えてできた作品と言えるのかもしれない。
「Fallout」はどちらかといえば「1984」とか「すばらしい新世界」の方向かもしれないが、ジョーク的なレトロフューチャー世界に準じているし、そういうロマンが詰まっている。
ことにこれらの作品に顕著なのが、「破壊のあとに生きる人間」というテーマだ。
「Fallout」の1、2を製作した製作会社の作品には特にこれが現れている。「war never changes」という言葉は「第三次世界大戦は石で殺し合う」という意味もあるのだが、大事なのは「世界が終わっても人びとは生きるために殺し合う」という明確なテーマを指すものだった。
わたしが初めて「Fallout」に触れたのは3だった。もともと「Oblivion」が大好きだったのでこれにも結構ハマったわけだが、もっとハマったのは「New Vegas」だった。そしてあとになってやった「4」は救いようのない駄作だと感じた。
なにが不満かと言えば、結局は「古い世界への郷愁」をわざわざ誘うような展開ばかりだったからだ。そのうえローカライズは「人は過ちを繰り返す」と訳した。
3のマップデザインを見てほしい。廃墟ばっかじゃん。戦争から何百年とか経ってるのに、ビルや建物はあんまり風化してない。
何が言いたいかといえば、「人が住んでない」ようにしか見えないのだ。
レイダーにはまともな拠点とかないし、ウェイストランド人の居留地なんていうのも生活感がまったくと言っていいほどない。
4はもっとひどい。風景が「せいぜい戦後20年とかじゃない?」という程度なのだ。おかしいだろ!
オンラインのヤツはやっていないのだが、正直こんなゲームを出していくのならBETHESDAには二度とFalloutシリーズを作らないでほしい。
まあ、それは無理があるのでわたしはNVのスタッフが作ってる「The Outer Worlds」を楽しみにしておくということで、愚痴おしまい。
相方があんだけラブコール送ってんなら終わりも何もねえって感じ
もし、電気グルーヴや石野卓球やらテクノ音楽やらに理解が無いのだとしたら、音楽業界なんて清濁併せ持ったクソの掃き溜めでは多少トンだ事やってようが最高の曲を作れば一生どころか死んでも歴史的に評価され続けるもので
電気グルーヴとか人生だったかを好きな人って刹那的かつ恒久的に「あの時は楽しかったなぁ」を出来る人達だと思うので、ピエール瀧や石野卓球のどちらかが死なない限り彼等を愛し続けるんだと思う
もしかしたら、死んでしまっても、両方一緒に死んでしまっても悲しみに包まれはするけど何かしらのギャグを呟いて電気の曲を聴き続けるんだと
むしろ公共放送なんぞに出て活動が縛られてやりづらくねえかと思うところもしばしばある。
なんつーか、どこぞの誰かが思っているより、公の場で活躍し続けるってのは、ストレスフルで名誉よりも不名誉でその人のやりたい事と合わなければとことん合わずに精神が擦り減っていくものでしょうに。
享楽的な芸風の彼等にとってそうやってわざわざ歯車を合わせに行った業界がそんな自分達に今更ギャースカ言ってるのなんてアホらしくて仕方がないと思う。
正直、謝罪会見の時に「めげるなよ!」とも「にげるなよ!」とも「ウェげるなよ!」とも「ドラゲナイよ!」ともわからない声がかけられた事も彼等にとっては格好の音ネタであり、最高の声援だと思うし。
なにより、他者を傷つけてはいないが社会的には許されない犯罪を犯した人にとって帰ってきても「お前バカだなー!」と言って待っててくれる人が一人でも残っていることはとても心強い事だと感じる訳で
つまり、その時点で終わりでもなんでもなくて、瀧が今回の件て疲れてない限りはまだまだ活動してくれそうだなぁっていう感じ
まぁ、瀧が謝りに行くところは多いと思う。
つまりさあ、
種馬の大きなチンポが、いま、まさに、まさにいま、ゲートイン、わたくしの中に、ゲートインしようとしています、さあ3億とも4億とも言われる精子が、一斉にスタートする、その歴史的な瞬間に、わたくしはいま、立ち会おうとしております、数多の精子、種馬の精子が、目指すゴールはこのわたくし、わたくしの卵子であります、さあすでに減数分裂を再開、まもなく極体放出となります、このたった一つの卵子に受精する精子は同胞の中でただ一つ、厳粛なレースが、戦いの火蓋が切って落とされようとしております、多くの女性が貫かれながらも孕むことのなかったこの大きな大きなチンポ、まさに種馬のソレが、わたくしを孕ませるのか、世界中が注目しております、さあさあ
っていう宣言だったんだよ
花魁道中に対してはポリコレ的批判があるけれど、寡聞にして今までに炎上したものを知らない。
花魁道中に対するポリコレ的批判というのは、現在の倫理的基準では管理売春や人身売買が認められる遊女を称揚するような取扱はおかしいだろうというもので、私はその批判に対する有効な反論を知らない。
花魁体験的に写真を撮影して楽しむものは京都など観光地にあるのだけれど、ポリコレ的批判はそこまで届くべきではないと考えている。それは個人的な楽しみの範疇に収まるから。
ただ、花魁道中に関しては行政が行っているものもあり、大きな批判になればそれを上手く避けることは難しいと思う。
創作の中で遊女を取扱い称揚するような描写があっても問題ないと考えるが、そこに行政が加わるのであれば話は変わるだろう。
現在行われる花魁道中はifの世界で架空の創作だと言い逃れることは出来るけれど、少なくとも歴史的には存在しているのだから、過去に存在した花魁と創作上の花魁を区別するような創作が加わる必要があると思うが、それはないように思える。
というのも、花魁道中は乱れた成人式で見られるような着物を着崩したような花魁風ではなく資料にある花魁を再現したようなものが多い。
(あの着崩しは花魁ではなく夜鷹だと成人式になるとTwitterで指摘されるけれど、想像上の花魁風とする方がましだと考えている)
花魁道中の中には禿(かむろ)と呼ばれた子供を利用するものまである。
大人ならともかく、子供まで巻き込むのはさすがに止めるべきだと思うのだけれども、私のちからでは止めることが出来ないので、どうにか炎上しないものかと考え、ここに書いた。
花魁道中ならともかく、地元で花魁コンテストというというものが開催されるらしく、いくら田舎とはいえ誰も止めなかったのかと思うと薄暗い気持ちになってしまう。
人生とは、誰かが当たり前のように価値を与えてくれていると信じ込んでいるほぼ大半の人間には絶対にこの映画の良さが伝わらないということ。
一度でも絶対に逃げられない瞬間に、奇跡みたいな偶然で救われた経験がある人間は、この作品をみたら共感が止まらないはず。
逆を返せば、世の中は、プロが絶対に失敗せずに当たり前のように高いクオリティを提供してくれると信じているバカが多すぎるということ。
プロは失敗をしないんじゃない。
失敗が絶対に表面に現れてしまわないように大半の人間が気づかないところでものすごい用意と努力をしている人間のことをプロという。覚えておけ。
与えられるものをひたすらに消化し続けて消費のプロになった糞市民には絶対に良さがわからない。本当に残念。
残念ながら、圧倒的大人数に期待されている中で絶対に先送りにできない本番一発勝負をしたことがない人間に、この映画の価値はわからない。
口では説明できないけど、あの瞬間のプレッシャーは味わった人間以外には絶対わからないと断言できる。
ただ、残念なのは広め方がクソ。まじで糞。万人が共感できる映画ではないのに、みんな絶対に面白い!とか、まじでクソ。
なによりも作品にすぐに価値を求めなきゃいけないこの時代本当にクソ。
アングラで、湧き水が岩を割るような浸透の仕方をしてほしかった。
お金にならないから仕方ないけど、でも、目先のお金のために歴史的価値を犠牲にしてしまったかと思うと本当に残念でならない。
この作品の歴史的価値は計り知れない。それを目先のマネーのためにテレビ局に魂を売ったのかと思うと本当に残念。むしろ悔しいまである。
でもこの映画最高。原案から脚本から撮影から、参加している全員の魂が一時の猶予も与えずそこかしこから滲み出し続けてて最高。
まじで涙が止まらない。報われる苦労があってよかった。それに尽きる。
いい映画ありがとう。それを安っぽいショービジネスにしてしまったTVうんこ。
発案者はあとの時代に絶対に名前を発掘されるから安心したらいいと思う。
そもそも金で売れる価値を持った作品ではない。金で売ろうとした連中だけが、ただただこの作品の価値を貶めているに過ぎないのだから。
こっそり少しだけ補足するね。
放置しても何も起きないのが「区別」。それを正そうとする力が働くのが「差別」だ。
うん、そうだね。それについては「区別が曖昧なのを利用して騒ぎ立てる人間がいる」という言い方で、すでに言及してる。
それを踏まえて、「何か起きる/何も起きない」ということを、私はもっと大きく「歴史がそれで動くかどうか」というレベルで話をしてる。100年後、男女間で戦争かそれに近い状態になっているなら、それは歴史的に「何か起きた」ということだから、女性専用車両は差別だったってことになるんだろう。そうならないなら(つまり長い目で見て何も起こらないなら)、いくら(一時的に)多少騒ぎ立てる人がいたところで、そんなのは差別じゃない。私が言ってるのはそういうこと。それを審判するのは歴史だということ。
だいたい今の差別とされているものだって昔は正当な区別だったのが、後付けで遡及的にあっやっぱりこれ差別でしたってことになっただけだろうが
だから差別と区別、不当と正当のはっきりした境界なんてないし、せいぜいが単なる力関係の結果に過ぎない、時代が変わればコロコロ変わるのだってそのせい
前半と後半は、「だから」でつなげない。そこには論理性がないよね。後付けで分かったことが全て「単なる力関係の結果に過ぎない」と言えるなら、地動説だってそうだってことになるよ。後から長い胃時間をかけて正しさが判明することだって世の中にはたくさんある。というより、ほとんどがそう。
うん。分かってないね。私が言ってるのも、ほぼほぼ「パワーゲームですよね」って話だよ? ただそのスパンを100年とか1000年という幅で取っているだけで。
一時的に、君の言う「パワーゲーム」に負けた人たちも、歴史の中でいつか復讐を果たすよ。あるいは、負けた人たち自体が滅びたとしても、「誰かを差別して利得を得た」という事実をもって勝者を攻撃する人が消えることはなく、いつか誰かが代わって復讐を果たす。永遠に誰の恨みも買わないで不当な利得だけを延々と貪る、なんてことが可能だと思うかね? 「公正さ」を求める人間の本能から言って、そういう話に私は余り信憑性を感じない。無理に差別を区別と言いつくろったところでその嘘はやがて崩壊するんだ。だから、一時的にパワーゲームで押さえつけても無駄であり差別される人だけでなく差別する側にも利がないよ、というのが「誰にとっても」の意味するところだ。いくら生きているうちに俺様偉いと叫んで人に頭を下げさせたところで、死んだ後で「あいつは差別者のどクズだった」という評価が定着し、子孫に至るまで「差別者のどクズの子孫でありその利得をすする存在」としてその借金を払い続ける日々、そんな目に遭いたいのかね?
つまり、君に見えている現実は、今生きている人だけの現実。私が述べているのは、もっと時間的な幅の大きな現実。それを「フィクション」と呼ぶのは君の自由だし、実際私にも1000年の寿命があるわけじゃないから事実証明しろと言われても当然できないんだけど、少なくともただのフィクションよりは遙かに確信をもって私はそうなる方に賭けることができるよ。
「差別をすれば復讐される。」「そして、復讐が(歴史の中で)発生しないのは、それが差別ではないから。」「よって、差別は誰にも利がない。」…というのは、つまりそういうこと。
ちなみに、この話を私は、1000年というスパンで考えるべきある対象をイメージしながら書いている。けど、それはまた別な議論になってしまうからここでは述べないよ。
オレってばその道にめっちゃ詳しいんで
正直最近のキモオタクたちがバイブルとか叙事詩とかネタにした作品に「史実と違う💢 捏造するな!💢」とか怒ってんのマジでウケるっていうか冷笑我慢できないっていうか…
そういうのネットの外で言うの辞めた方がいいよ() まじで馬鹿にされるから() 低脳乙()
とここまで半分嘘で半分本気くらい。まず本気で言ってるところは全部自分が経験した事で、神話や伝説の出来事を歴史上の事実であるかのように人前で話すのは、特に何の裏付けもないと馬鹿にされる場合がある。僕がそうで、正確な言い方をするなら「空想上の話をなんの下調べもせず鵜呑みにして人前で得意げに語るような、特別にアホな人間が」「裏付けがまったくない空想の話をまるで真実かのように語るのが決して許されない環境で」やらかしたから、二重に特別だったので馬鹿にされたという話。
つまり、低脳は僕の事なので本当に気にしないで欲しい。でもひどい言い方をしたのでどんなひどい放置をされても何も文句は言わないから思うようにして欲しい。
本題に入る。
まだこの時代にはタイムマシンがないので、大昔の出来事を目で見て、耳で聞いて、本当かどうか確かめるという事はできない。状況証拠を可能な限り探し出して、どうやらそういう事があったらしいと限りなく真実に近い推理をするのが限界である。ただまあ、古代エジプトのファラオの木乃伊が見つかって、パピルスにはどこそこのファラオの胸には北斗七星並びの傷跡があったとされている…ならこの木乃伊はそのファラオ本人で、この木乃伊が発掘された遺跡は古代エジプトの特にいつの時代の…とここまで研究されているなら、このナントカのファラオが神話上の人物であっても実在した事は認めるしかない(このナントカのファラオは喩え話で、完全に僕の中の空想上の存在であるが)。ここで「よって神話は真実だ!」とまで言われるとやはり少し渋りたい気持ちになるので次は神話に登場した超テクノロジーの産物が発掘される日を待つばかりである。
まあようするに、荒唐無稽な神話や伝説の話を歴史として実証する為にはエジプトの砂漠で穴を掘り続けるような途方もない労力が本来なら必要という話なのだ。その途方もない労力が前提とされる場でそれ無くしてそんな話をしはじめると失笑されてしまうという「何を当たり前な」というそれだけのお話。
もちろん、場にそぐわなかったから顰蹙を買ったという失敗談である訳だから、同好が集まって好きなアニメや漫画の話をする場なら特に問題ないと思われる。逆にここで「古代エジプトの架空のファラオが古代エジプト拳法によって諸国を統一した話が元になって現在のエジプト神話が形成された」設定のアニメの話をしている時に「でも冥界の神とかオシリス神とかいる訳ないじゃん…世界史で習わなかったもん…」と発言すると白けられる可能性まである。そういう設定のアニメの話をしているので、歴史上実在した根拠が無くとも本人たちすらその設定を事実として真に受けていなくとも、ここではとりあえずそれらが実在している事にして話が進む。つまり「実在している事にしてもいい」「それが史実であるかのように語ってもいい」場というのがあり、そこでは各々好きに夢や空想を思い描き口にしても許されるのである、たぶん。もし誰かがここまで読んでくれたなら、ありがとう、そういう場をぜひ見つけて欲しいし、もう既にそういう場所にいるならそこを大切にして欲しい、とても得難いものだから。
ここからは蛇足。「神話や伝説を史実と言って欲しくない」というのは完全な建前で、「このアニメは〇〇神話を元ネタにしているが、ウィキペディアに書かれている〇〇神話の説明と違う!」みたいな事を言われると僕が結構白けているというかぶっちゃけ傷ついているというのを主張したかった。流石に「坂本龍馬は女じゃない」「江戸時代の日本人が抗生剤を開発してる訳ない」という批判なら、写真や文字記録から確かめられる当たり前の事実なので甘んじて受け入れたい。それでも面白いアニメなんだよ…と内心思っているだろうけど。
ただまあ神話や伝説となってくると本当にそういう事が実際あったかどうかは確かめようがないし、それを話題にする人によって微妙に内容が違ったりするので、ウィキペディアに書いてある説明文だけを正式な記述扱いにされると寂しいなぁと。大国主がシヴァ神と同一視されていたりされていなかったりしていいし、お爺さんが川に洗濯に行って桃を拾ってくる桃太郎とかあってもいい。ようは受け取る僕か誰かがその話を面白いと思うか思わないか、と。アニメの話だし、空想の話だし、この話はフィクションで実在する人物・団体とは関係ありませんし…生前の大国主や桃太郎が写ってる写真とか残ってないし…。もちろん、これから実在した証拠が見つかって、空想上の話だと思われていた事が本当にあった事だったんだと周知されはじめたら、それはそれで面白いと思う。そういう話したいよね…シュリーマンっていうトロイア戦争の話の大ファンで実際に歴史的発見しちゃった人がいるし。でもゴッドハンドはダメ。
海外の会社に勤務したこととかないので日本特有かどうかはわからないけど、少なくとも今どきの日本のオッサン・オバハン(とそれに準じた思考回路の人)によくある思考回路な気がする。
・少子化対策→恋人がいないことや子供がいないことを恥ずかしいと思える雰囲気を作ろう。家族の温かさやありがたみを知るための教育をしよう。
・若者の離職率対策→会社内のチーム結束を高めて士気を高めよう。
・介護、保育、医療など福祉系の人材不足対策→やりがいをアピールして自分の仕事に誇りを持ってもらおう。
・自衛官募集対策→アニメの絵を使って居心地のよい場所アピールをしよう。誇りを持てるように憲法改正しよう。
こういうこと言い出す人たちって、人は利益無視して気持ちで動くものだって思いこんでるんだろうかと思う。
普通の世間一般の人は自分の損得で行動を決めるのが当たり前なのに、損得で動くとまるで「日本人らしくない」とか思ってるみたいでそのあたりが気持ち悪い。
空気作れば安く改革できるという発想なのかもしれないけど、損得のメリハリつけるよりも空気作るほうが何倍も金と手間がかかると思うんだけどなあ。
この日記には、とても特別な意味があります。なぜなら、単なる世代交代をしているわけではなく、東京から国民である皆さんへ、世代の主役を取り戻しているからです。
あまりにも長い間、東京にいる一部の人たちだけが、社会から利益や恩恵を受けてきました。その代償を払ったのは残りの国民です。東京は繁栄しましたが、国民はその富を共有できませんでした。政治家などは潤いましたが、職は失われ、会社は閉鎖されました。権力層は自分たちを守りましたが、日本国民を守りませんでした。彼らの勝利は、皆さんの勝利ではありませんでした。彼らは首都東京で祝福しましたが、日本全土で苦しんでいる家族への祝福は、ほとんどありませんでした。
すべての変革は、この場所から始まります。今、ここで始まっているのです。なぜなら、この瞬間は皆さんの瞬間だからです。皆さんのものです。今日、ここに集まっている皆さん、地球のどこかでこれを見ている皆さんのものです。今日という日は、皆さんの1日なのです。これは皆さんの日記です。そして、この今の日本の国は、皆さんの国なのです。
本当に大切なことは、どの勢力が実験を握るかということではなく、政府が国民により統治されることです。2019年3月26日のこの記事は、国民がこの国の治める日として、これからずっと記憶に刻まれるでしょう。この国の忘れ去られた人々は、もう忘れ去られることはありません。誰もが皆さんに耳を傾けています。何千万の人々が、歴史的な運動に参加しています。
今まで日本の人々が見たことのない動きが起きています。この動向の中心にあるのは、とても強い信念です。それは、国は国民に奉仕するために存在しているということです。日本国民は、学生や子供たちのために素晴らしい学校を望んでいます。また、家族のために安全を、自分自身のために良い仕事を望んでいます。正しい人々、そして、正しい国民がそう望むのは正当で、当然のことです。
しかし、多くの市民には、異なる現実が存在しています。家族と子供や学生は貧困や憎悪に苦しみ、産業は錆びき、日本全国に墓石のごとく散らばっています。労働は低賃金かつ劣悪で、輝かしい成人たちは、社会で活躍できていません。犯罪、差別、病気があまりにも多くの命を奪い、花開くことのない可能性をこの国から奪っています。
こうしたこの国の殺戮は、今ここで終わります。今、ここでです。
私たちはひとつの国家であり、彼らの痛みは、私たちの痛みです。彼らの夢は、私たちの夢です。そして、彼らの成功は、私たちの成功です。私たちは、ひとつの心、ひとつの故郷、ひとつの輝きに満ちた運命を共有しています。今日、私がした就任の誓いは、すべての国民の忠誠の誓いです。
何十年もの間、私たちは日本の産業を犠牲にし、他国の産業を豊かにしてきました。他の国々の教育を援助してきました。一方で、日本の教育は、悲しくも枯渇しています。私たちは他の国の生活を守っていますが、自分たちの生活を守るのを拒んでいます。外国に何兆円ものお金を投資しましたが、日本のインフラは絶望に陥り、腐っています。他の国々を豊かにしましたが、自国の富、力、自信は、地平線のかなたへ消えて行きました。ひとりずつ、貧しい若者が移民になり、あるいは自殺者となり、この国を去りました。数百万人の日本人労働者が置き去りになることなど考えもしないで、そうしたのです。平均的な日本人の環境が、その家庭から奪われ、日本のあちこちないし世界のあちこちに再分配されました。
しかし、それは過去です。今、私たちは未来だけを見据えています。私たちは今日、ここに集まり、新しい決意を発し、すべての街、すべての日本の都市、すべての政党にそれを響かせます。今日、この日から始まります。新しいビジョンが日本を治めるでしょう。今日、この日から、あたらしい日本のみになります。新しい時代のはじまりです。
経済、福祉、政治、生活についてのすべての決定は、日本の労働者と家族の利益のために下されます。他国の暴挙から国境を守らなければなりません。彼らは私たちの資源・産業を生産し、私たちの資産や産業を盗み、私たちの仕事を破壊しています。保護こそが偉大な繁栄と力に繋がるのです。
私は全力で皆さんのために戦います。決して失望させません。日本は再び勝利します。これまでにない勝利です。雇用を取り戻し、国境を回復し、富を取り戻し、そして、夢を取り戻します。このすばらしい国の隅々に必要最大限のインフラを整備します。生活保護を受けている人たちに仕事を与え、日本の労働者の手と力で国を再建します。貧しい学生に教育を与え、日本を再び輝きのある国にします。
私たちは2つの単純なルールに従います。日本国民は常に日本の社会に向き合っていくことです。世界の国々と友好的な善意の関係を築きますが、すべての国には自国の利益を優先させる権利があることを理解した上で、そうします。私たちは自分たちの生き方をすべての人に押し付けることはしませんが、模範として輝やかせたいと思っています。私たちはすべての人が追随するような輝きを放つでしょう。私たちは古い同盟関係を強化し、新たなものを形づくります。マフィアのような悪質なアウトローに対し国民を結束させ、日本から完全に根絶させます。
私たちの政治の基盤は、この国への完全な忠誠心です。国への忠誠を通し、私たちはお互いへの忠誠を再発見するでしょう。愛国心に心を開けば、偏見など持たないはずです。私たちは隠さずに思っていることを語り、相違について討論しますが、いつも団結を求めなければなりません。国民が団結すれば、誰もこの国を止めることはできません。
恐れることはありません。私たちには未来が保障されています。そして、私たちはこの先の未来も保障されているでしょう。私たちは学術界や社会の素晴らしい人たちに未来が保障されています。そして、最も大切なのは、未来を国民が常に追求し続けることです。
最後に、私たちは大きく考え、さらに大きな夢をみなければなりません。この日本で、私たちは分かっていると思うのですが、国家は、努力してこそ存続するのです。口ばかりで行動が伴わない人間をこれ以上受け入れることはできません。彼らは文句ばかり言って、何もしていません。意味のないお喋りは終わりを迎える時です。今、行動の時が来ています。それはできない、と言うのはやめましょう。どんな課題も、心を開き、戦うという精神を持てば、乗り越えられます。失敗することはありません。私たちの国は再び繁栄し、栄えるでしょう。
私たちは、新しい時代の誕生に立ち会っています。この世界の神秘を解き明かし、未来の産業とテクノロジーを利用する準備をしています。新しいこの国の誇りは、私たちの魂を揺さぶり、視野を高め、分断を埋めるでしょう。今こそ、思い出す時です。成人男性、成人女性、未成年者、誰であろうと、同じ愛国心の赤い血が流れています。私たちは同じ輝かしい社会を享受しています。みんな同じ偉大なこの社会に忠誠を誓っているのです。子供がビルと文化の発信地の都市部で生まれようと、緑豊かな田舎で生まれようと、同じ夜空を見上げ、同じ夢を心に抱き、同じ全知全能の創造主によって生命の息吹が吹き込まれます。
ですから、国民の皆さん、すべての街に住んでいる同胞の皆さん、それが近くても、遠くても、小さくても、大きくても、山から山まで、海から海まで、この言葉を聞いてください。皆さんは再び無視されることは決してありません。皆さんの声、希望、夢が、この国の歩む道を決めるのです。そして、皆さんの勇気、善意、愛が、その道を永遠に照らすのです。
一致団結して、私たちはこの国を再び強い国にしましょう。この国を再び富める国にしましょう。この国を再び誇り高い国にしましょう。この国を再び輝きのある国にします。そうです。ともに力を合わせ、この国を再び偉大な国にします。ありがとうございます。