花魁道中に対してはポリコレ的批判があるけれど、寡聞にして今までに炎上したものを知らない。
花魁道中に対するポリコレ的批判というのは、現在の倫理的基準では管理売春や人身売買が認められる遊女を称揚するような取扱はおかしいだろうというもので、私はその批判に対する有効な反論を知らない。
花魁体験的に写真を撮影して楽しむものは京都など観光地にあるのだけれど、ポリコレ的批判はそこまで届くべきではないと考えている。それは個人的な楽しみの範疇に収まるから。
ただ、花魁道中に関しては行政が行っているものもあり、大きな批判になればそれを上手く避けることは難しいと思う。
創作の中で遊女を取扱い称揚するような描写があっても問題ないと考えるが、そこに行政が加わるのであれば話は変わるだろう。
現在行われる花魁道中はifの世界で架空の創作だと言い逃れることは出来るけれど、少なくとも歴史的には存在しているのだから、過去に存在した花魁と創作上の花魁を区別するような創作が加わる必要があると思うが、それはないように思える。
というのも、花魁道中は乱れた成人式で見られるような着物を着崩したような花魁風ではなく資料にある花魁を再現したようなものが多い。
(あの着崩しは花魁ではなく夜鷹だと成人式になるとTwitterで指摘されるけれど、想像上の花魁風とする方がましだと考えている)
花魁道中の中には禿(かむろ)と呼ばれた子供を利用するものまである。
大人ならともかく、子供まで巻き込むのはさすがに止めるべきだと思うのだけれども、私のちからでは止めることが出来ないので、どうにか炎上しないものかと考え、ここに書いた。
花魁道中ならともかく、地元で花魁コンテストというというものが開催されるらしく、いくら田舎とはいえ誰も止めなかったのかと思うと薄暗い気持ちになってしまう。