はてなキーワード: 公言とは
https://satanix.hatenablog.com/entry/2020/03/19/135416
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被害者個人がここまで頑張らないといけない犯罪が日常生活の中にこんなに跋扈してるの、めちゃくちゃ腹立たしいし悲しいな。この人には本当に敬意を表したい
街中で暴力振るわれて、きちんと加害者を追い詰められる被害者がどれだけいると思ってんだ
一握りの理性を外したバカによる「被害」なんざそこら中に溢れてる
これで、痴漢問題だけが、ことさら特別な問題であるかの様に喧伝されるのは、被害者が女性に偏るというジェンダー問題だからだ
女が被害者で、男が加害者だから、数多ある被害者泣き寝入り案件の中で、痴漢だけが特別に酷い案件かのように話される
そんなわけ無いだろ?
(3/20追記:冤罪について 誤解されている方が多いようですが、冤罪=無罪なのに有罪となることで、≠この人痴漢です!と言われ被疑者になること。また、警察で嘘の自白を強要され有罪となることを心配している方を散見しますが、そこで折れなければ推定無罪の原則で無罪を勝ち取れるはずです。捜査体制に問題があるのは事実で、自分で自分の身を守っていただくしかないのが現状。被害者側も誤認逮捕を防ぐ努力は尽くしていますが申し訳ない)
と語るやつが、示談についてこう語る
自力救済は違法で、私刑は論外なのに、懲らしめる目的と公言して、「損害賠償」の金額を増やすのか?
すげぇ話しだな
これで、本人が痴漢された状態で、全く無関係な他人が手を掴まれても
こいつマジで言ってんのか?
半同棲を初めてひと月も経たないが、早くも愛想つかされて「今日はもう帰って」と追い出されてしまった。
積もり積もった不満が、《彼が私の帰宅前に晩ごはんを先に一人で食べてしまった》という一点で決壊したようだが、不満が溜まってたのはお前だけではない。
もう多分別れるし、この際だから嫌いな所を挙げまくってすっきりしたいと思う。運悪くこのページを開いてしまった方々には申し訳ないがお付き合いいただきたい。
①我が強い
…根本的にはこの一点に集約されるのではないだろうか。本当にわがままな奴だ。「私に非がないときは絶対に謝らない」と公言するほどである。果たして、そんな彼女に僕が謝りたいと思うだろうか、考えてみてほしいものだ。
②愚痴が多い
…口を開けば会社の愚痴。家族の愚痴。おれはお前の愚痴聞きマシーンではない。そのくせ「何か面白い話してよ」などと言う。面白い冗談を言うもんだ。
③何でもやってもらって当然と思っている
…最近はっきりと感謝を示された試しがない。確かにおれは彼女の家にお邪魔させて貰ってる立場ではあるが、それを差し引いても「施されて当然」と考えている風にしか見えない。男が味噌汁作って待ってんだぞ。何か思うところはないのか。
④自分のことを姫だと思っている
…だいたい③と変わらないが、自分こそが一番正義で、彼は自分に合わせるものと考えているとしか思えない。お前が歩み寄ろうとしたことはあるか?庶民に合わせる気がないなら、執事か王子様でも探してくれ。そのまま30くらいになれ。
指が疲れたので、この辺で終わり。
ポール・ハギンズ監督による映画『クラッシュ』という秀逸な映画がある。アカデミー賞を取っている。
人種の坩堝であるアメリカにおいては、日常様々なところで人種差別があるのは当たり前の日常になっていて、差別する方もしたくない方も疲れ果てている。しかし一旦大変なことが起こると、人種の壁など一瞬で超えることが私たちは出来るじゃないか。という主張の映画である。もう私はこの映画に感動しまくって、涙が止まらなかった記憶がある。批判もあった。そうはいっても差別をなくさなければならないのだから、この映画のように差別なんかどうでもいいじゃないか、という主張なのでは問題解決にもならない、など。
どちらの意見も整合的ではあるとは思った。が、どっしにしろ、私たち人間は協力しないとこの世界では生きてはいけないという、赤裸々な真実はあって、目をそらしていいわけではないのである。どちらの意味においても、である。
さて、フェミニズムの話題として、最近はあの石川優実さんによる#KuToo が話題をかっさらっている感がある。華やかな表舞台では#KuTooは石川優実さんとともに世界的に評価されつつも、その裏側では石川優実氏のあまりに矛盾した態度とそれをよく表した#KuToo本(靴から考える本気のフェミニズム)に対する猛烈な批判である。
私が気になったのは、どちらが正しいかなのではなく、どうしてそんなに極端に矛盾した状態になっているのか? であった。これは一旦はいってみる価値があるのではないかと、フェミニスト側の立場の仮面を被ってTwitter上で観測を始めた。
こうした問題は、双方の目を持たないと、実はその真相が見えてこないのである。実はこれ、全くの単純な考え方であり、例えば子供二人が喧嘩していた時、仲裁に入る人はどちらの目線にも立つはずであろう。別に仲裁したかったわけではないが、一方の側にばかり視点を偏重させると結局、人はため息か悪態をつく以外になくなってしまうのである。その視点を私に与えたのが、昔見た映画の冒頭の「クラッシュ」だった。
で、どうだったか。
結論を言おう。
#KuTooはそんなこと無関係に大いに役に立っている、それは間違い無いという単純な事実が一つある。石川優実さんがいう通り、少しずつ労働現場では強制がなくっていているなどということの他に、安倍首相と共産党小池氏が、日々国会で厳しく論戦を繰り広げていたのに、#KuTooの話で、小池氏が安倍首相の言質をとって、一時予算委員会が拍手と笑いに包まれたという名シーンである。あんな和やかなシーンはあまり見たことがない。
だが、一方で、KuToo本は最悪の駄本である。あんな酷い本もない。たとえ敵側の人たちをクソリプする人達と罵ろうとも、やってはいけないことのオンパレードで、現代書館までその人たちをなんの根拠もなく犯罪者呼ばわりするのである。やってはいけない改竄・捏造・酷い引用の仕方、到底倫理観のかけらもない行為としか思えないものである。裁判になりそうなので、そうなったらコテンパンにやられて欲しい。
そして、石川優実氏は相変わらずで、クソリプ攻撃応酬に疲れ果てたのか、とうとう「死にたい」とまでTwitter上で公言する有様。それをみる味方側も誰も批判しないという異常な光景、私はもはやこれはただ事ではないとしか思えなかった。
死にたい、と公言したのは、いわゆる死ぬ死ぬ詐欺である。あのねぇ、石川さん、それ女の弱さを利用する、フェミニズムに最も反する行為じゃないか。信じがたい暴挙である。
そして彼女はすぐさま、ハングルで韓国に応援要請(これは彼女が心を落ち着ける以外の目的はないと推測)、英語で同様にTweet拡散。あまりにもこれは自己本位であり、あんなのを許す味方も含め、頭おかしいとしか思えない様相。
私はその時点ではまだよくわかっていなかったが、何れにせよ、#KuTooを崩壊させかねない、愚行そのものであった。
どうしてそこまでに至ったのかについては、理由は簡単である。「怒り」に任せたからである。KuToo本ではっきりそう言っている。彼女の原体験は、彼氏にブチ切れて彼氏に女の苦労を認めさせた、そこにあるからだ。
だから怒りは一番正当であり、怒ってさえいたらなんとかなる、と。しかしそれは、あまりにも無知であり、彼女が受けたMeToo被害だって、失礼だけど有り体に言って無知だったからに他ならない。もちろん男が悪いのではあるが。
宇崎ちゃん騒動や、ラブライブ騒動も実は全てそれで、あまりに「怒り」に任せすぎるのである。
何故なのか。
それはもう、はっきりしている、女性差別が現に存在するからである。彼女は無知ながらも自分一人で「女性だけがどうしてハイヒールを履かねばならないのか」を発見できたのも、女性差別が現に存在するからである。そうした認知がなければ彼女は静々「ルールだから仕方がない」と大人風に冷淡にただ納得していただけであろう。
結局は、怒りに任せないと、理解させる方法がないのだ。少年ブレンダさんも、怒る以外に方法がない。どうしてもわかってもらえない。
ーーー追記
他にも女性差別に関し様々な怒りの声が世界で沸き起こっている。真っ先に思いつくのは前述した#MeTooでもある。
あるいは視点を変えて女性教育の重要性を主張するマララさんであったり、アメリカで女性もトップレスでも良いじゃないかと主張して上半身露出でデモを行う人たちもそうであろう。多くの女性差別への怒りに対する声はもう止められない。
それでもなかなかそれら勢力と反対側にいる人たちは理解しないのだ。
もちろん現実には共感して支持する人もいるにはいるが、それらは彼女達女性が「怒る」のは差別の大きな枠組みとして「女性差別」があると言うことをどうにか認めてほしいと言う切なる願いに他ならないとしか思えないのである。
本当に理解の壁というのは高過ぎて絶句するほどに思えることすらあった。
ーーーー
彼女たちに怒る理由は十分すぎるほどある。それは決して「あなたたちそんなに怒るな」なんて到底言えるレベルの話ではない。差別とは何か、もう一度原点に戻って考えるべきではあるが、冷めた目で事態をを見つめるのは、例えばブコメなどで、適当な意見をいう程度で済ませるのは、関心を持つのであれば、できたらやめて欲しい。
言論の自由はある。
私だって、そうした問題を見つけられたのははてブコメントやTwitterなどで、騒ぎになって可視化されたからそれは否定しない。
だけど、そうした悲しいフェミニズムの持つ現実、女性差別があるというのを少しでもいいから、どうしてもわかって欲しい。
単純に、親は子供の同意を得ないで勝手に産んで勝手に育てている、という批判は事実で反論できないと思う。
あり得ない思考実験だが、
「私は、他人を私と配偶者の遺伝子を持った赤ん坊に変える魔法が使える。この魔法で大人のあなたを私の子供に生まれ変わらせて育てたい」
と判断力のある他人の大人相手にお願いして、YESと言わせられる人間がどれだけいるだろう?
子供がどんな障害を持って生まれてきても、学校や仕事で挫折して引き籠りになったとしても、一生遊ばせてやれるレベルの金持ちでなければ無理ではないだろうか。
ほとんどの他人の大人が同意しないであろう契約を、自分の子供だからといって押し付けていい理由は無い。
というわけで、自分は出生は親の子供に対する罪悪と主張する反出生主義者に賛成だ。
では、どうしてお前は子供を作ったのかと言われれば、これはもう完全に自分のエゴで、子供や孫のいない老後は厳しいという理由からだ。
仕事で色々な年寄りを見てきて、特に男は、仕事を引退し健康も失って妻にも先立たれたり離婚をしたりして身寄りのない年寄りになってしまうと悲惨だということに気付いた。
ちょっとした役所や病院の手続きにいちいちつまづいて、公的な援助や病気の治療を諦めて引き籠ったまま孤独死したり、それなりの資産があっても宗教や詐欺のカモにされたりする。
逆に子供や孫がいる年寄りは、「いやいや、お恥ずかしい」と言いながらも、定職に就かない中年の子供や留学費用をねだる孫のことを幸せそうな顔で語る。
反出生主義がアイデンティティーになってしまったような人でなければ、子供を作って、子供にも孫を作らせた方が、幸せになれる可能性が高いと思う。
もちろん、こんな理由で子供を作ったことは子供本人には言わないし、顰蹙を買うのはわかっているから公言もしない(インターネットで全世界に発信してしまっているが)。
私がヒプノシスマイクを嫌いになった原因の一端として、宇崎ちゃんの献血ポスター騒動がある。
献血ポスターの騒動は、ネット上では広く議論されていたので知らない人はいないだろうが、簡潔に説明するとポスターの絵柄が女性を性的に搾取していると主張をする女性が多くいたのだ。
私の周りの女オタクたちも大半が不快だと声高々主張をしていた。
宇崎ちゃんのポスターの是非については、趣旨がズレるので私の意見は割愛する。
私が気持ちが悪いと感じたのは、宇崎ちゃんのポスターを批判していた女性達がヒプノシスマイクのコンセプトに一度も切り込んでいない事だ。
ヒプノシスマイクのコンセプトについては、「ヒプノシスマイクが怖い話」という匿名ダイアリーが話題になった事があった。
世界観に女尊男卑の文字がある事、男が虐げられている事を理由に女を攻撃する作品のあり方に問題があるのではないかというような内容だったかと思う。
しかし、
そうして話題になった時期があったにも関わらず、私の周りの女性達はヒプノシスマイクの世界観に疑問を呈する事は一度もなかった。
公式サイトからこっそり女尊男卑の文字が消された事に反応しなかったし、そもそもの世界観の必要性や女性蔑視の傾向がある事に触れることすらなかった。
そんなに彼女たちが宇崎ちゃんのポスターの件で一斉に女はいつも搾取されていると主張を始めたので私は心底驚いた。
ヒプノシスマイクの世界観をスルーした時点で彼女たちは、創作作品におけるある程度のミソジニーを許容しているものと思っていたからだ。
彼女たちは別の土壌のミソジニーを問題視する割に自分たちのホームであるヒプノシスマイクの女尊男卑という名の皮を被った女性軽視に目を向けない。
宇崎ちゃんを擁護する男オタクを口汚く罵りながら、女を軽視する世界観を歓迎する事はダブルスタンダードではないだろうか。
正確に言えば私は自分に関りのないジャンルのミソジニーを問題視する癖にヒプノシスマイクを推している女オタクが嫌い、という事になるのだろう。
その範疇から飛び出て作品にまで嫌悪が及んだのは、問題が内包されている作品を好きだと公言しながら、他所の粗を強い語調で責める立てる女性たちをあまりに多く見続けたからだ。
オタクであるからこそ、コンテンツの出来不出来以外の部分で作品を嫌忌している現状は苦しい。
一定以上の年齢の人間をターゲットに据えた作品において、誰も不快にさせない表現をするというのは不可能だろう。
どんな作品も人を傷つける可能性があるからこそ、他人の好むものを批判する前に自分の好きな作品を思い返してほしい。
あなたの好きな作品も何処かで誰かが不快になる表現をきっとしているはずだ。
問題のある作品を好む人間は議論をするな、問題提起をするなと言っているのでもない。
ヒプノシスマイクが嫌いだ、などと八つ当たりでしかないタイトルの日記を投稿した私が言えた義理ではないのも重々承知している。
しかし、
何かを読んで不快だと、問題があると感じた時、強い語調で主張を書き込む前に一度でいいから別の表現がないか検討してほしい。
私はできれば、誰かの好きな作品を無闇に嫌いになりたくないのだ。
卑屈な字書き、勘弁してくれ。
最近軽く話題になった件でとうとう積もりに積もった感情を吐き出したくなっただけで、件の話題についてでは別にないです。し、特定のエピソードについてとか特定の誰々に向けたものでもないです。ただ今まで何度も見てきた「そういうやつ」について話してます。学級会したいわけでもないです。個人的な感情の話です。あと実経験としては一次創作ではなく二次の話。ここまで前置き。
卑屈な字書き、マジで勘弁してくれ。
卑屈な字書き→「絵/漫画に比べて小説は〜」とうだうだ言う字書きや、「絵や漫画が書けないから(仕方なく)文章書いてる」と何故か公言してしまう字書きのことを私が勝手に呼んでます。で、その卑屈な字書き、何か定期的に主語をでかくしてツイートしがちなんですよね。何ならアンケートとか取りがち。多分Twitterに長くいる人たちは少なからず「またか……」って思ってるでしょ。私も思う。
卑屈な字書き、文章書くのが好きだからこそ字書きやってる人間にとっては本当勘弁してくれよって感じなんですよ。ただただそれを好きでやってる人間にとって、好きなものを訳分からん理由(大体その人自身の本が捌けないとか閲覧がどうのとかそういうやつ)で無遠慮に踏みつけられてるように思える。し、何なら「字書きってそういうところあるよね」に括られるわけです。
いやほんと一緒にしないでほしい。文章書くのが好きで書いてるんですよこっちは。私は絵も描きますけど、それでも表現方法として文章が好きで文章書くのが好きだから文章書いてるんですよ。捌けるとか捌けないとかブクマがどうとか閲覧がどうとか関係ないんですよ。というかそういうものが奮わないことを「小説のせい」にしないでくださいませんか。「小説は絵や漫画より〜」とか本当に何?だったら絵描けば良くないですか?もうほんと勘弁してくれ。
あと普通に絵描きにも失礼なので。絵描きは努力をしてその画力を手に入れてるわけですよね。「絵や漫画の方が〜」って言うならその努力をして絵や漫画を作れば良いんじゃないですか?え?どうなんですか?
それに絵や漫画の方がシビアな世界ですよねきっと。直接的な言葉で言えば「上手い下手」がすぐわかっちゃうから…。
そういうことも想像できずでかい主語使ってる卑屈な字書き、ほんと色んなもの踏みつけてるので。そこんとこよろしくお願いします。いやよろしくしなくて良いんですけどね。別にメッセージじゃないので。ただの個人の感情の吐露です。お疲れ様でした。
就活解禁つってもそんな感じのしない今年の就活生に伝えたい個人的な会社の見方
かなり多いけど、今時パスワード管理が煩雑になるシステムに頼ってるところはヤバいし
会社都合で全部そう言うのを進めてるので割と採用については雑な感じ
入ってくる人間もそんな感じで雑多な奴なので入社してからが辛い→採用が雑なので人に統一感がなく、自分に合わない人間が多くなる
また、IT系とかだけかも知れないけど、自社採用ページを設けている会社は、その会社のスキルレベルや開発に関する意識なども
そこから得ることができる
カオスなシステムだったり、やたら使いづらい採用ページなどを作っている会社はマジでカスで、恐らく次は自分がそう言うのを作る側になるので地獄
(毎年何社かそう言うのが存在する)
書類以外って言うのは自己PR動画とかそう言うのを出せって言う会社
お前ら就活生は別にyoutuberになりにいくわけじゃないし不要だと思う
それに、テキストだけでなく、見た目や声、立ち振る舞いなど様々な情報の塊である「動画」は扱いを非常に慎重にしなければならない
まあそう言う物を扱うのにも、セキュリティや情報管理に自信があるのだと捉えてもいいが……(昔流出事件もあったので、普通は避けるんだけど)
日本の企業でそんなセキュリティがしっかりしている会社がそうそうある訳がなく、大抵はバカな考えでそう言う採用方針を決定してるだけ
こっちの都合を理解せず、即レスを求める会社って言うのがあるんだけど
まあ、その時点でやる気のある奴ないやつをしっかり見定めているので賢いなとも思うが
大抵そう言う会社は高給ではあるが、超どブラックなので、個人的にはヤバいなって思った
お金が全てじゃなくて、死んだら終わりだと思ってるんだけど、結構金さえ払えば何しても良いって考えている
体育会系の企業にありがち。ハイレベルなIT企業でもそう言うのはあるんだけど、増田で内部告発記事みててやっぱりな…となる
(とは言え説明会などを受けて、お話しした後に即メールでお礼を言うなどはかなり好印象なので、受かりたいなら即レスは必須)
大抵企業っていうのはプレゼンが上手いから、説明会で分かった気になるけど、実は中身すっからかんだった
みたいなことは多々あるんだけど、そういう時に限って企業ページなど見て具体的に何をやっているのか分からない会社は
あまり公言できない事(マネジメントが曖昧だとか、情報共有がされていない、業務の属人化やシンプルに理解する気のない風土)が体現されているのでマズい
そういう会社で面接したら、上手い事言えずにみんな似たり寄ったりの回答をするんだけど、まあそれで運よく採られたりするので
入ってからの人間はみんなまぐれで入社みたいなのが多い(ビックマウスもいる)
なので、業務内容などがしっかり自分の中で理解でき、魅力を感じるところっていうのが一番ベストだと思う
面白かったのが、HIT●CHIが「社員に聞いた、自社のいいところ」を1〜5位まで説明会で挙げてて、5位に「自由がある」みたいなことを書いてて
それについて、聞いたら「自由はあまりない」って回答だったってこと(言った本人が動揺してたから失言だったのかも知れない)
トップ5って訳じゃないんだな〜
・聞いても仕方がないことを聞く会社
パワハラやモラハラがある会社でありがちな面接内容(富●通とか…)
面接は回答内容よりも、どう考えたかなど立ち振る舞いなどを雑談から引き出すので、雑談としてそういう内容があるのは仕方がないとは思うが
例えば、働いたこともない我らに「どう仕事をするか」を具体的に聞いちゃう会社はちょっとヤバいなって思う
こういうのは働きながら学ぶ物だし、例えば車にしたって「どう運転するのか」を教習前に聞いたところで何の意味もない(知りながら見つかる価値観が殆どなので)
大抵の人間がそうかも知れないが、相手の立場に立って考えられない奴や、理解のプロセスを理解していない人間がそういうのをやりがちなので
少なくとも、採用担当にはそういう人間がいて、そういう人間を採用担当に選んじゃう人間もいて、それをおかしいと思える人間もいない会社なんだなってわかる
(要求レベルがなんか乖離してるなって思う会社はちょっと地雷かも)
見下しがちな態度やラフな態度を取る採用担当のいる会社は、大抵環境が地元スーパーみたいな感じになってて
いわゆる知識層とかへの敬意とかそういうのがなくて、シンプルに「見下すか・見下さないか」の2択の人間しかいないので
体育会系な部分もあるけど、卍みたいなオラついた輩の方が優遇される社内環境だったりするので、結構しんどい
大学生にもなってそんなところ行くな、人手不足以上にブラックに直結する理由はない
ベンチャーに関しては、合う人はあうが、大学出てまで?というのはある
そもそもベンチャーや中小は学生時代にアルバイトなどで行って体験する物で、今更行くんじゃちょっと手遅れだと思う。
そんで意識だけ高くなってエンジニア志望でIT系ベンチャー入った奴が気がついたらwi-fiルーター売る仕事してる、みたいな訳わかんないのも結構聞いた
ベンチャーの良い所に勤められる奴は、大学行かなくても問題ない奴しかいないし、横のつながりに恵まれすぎている。
大企業は人数多くても破綻していない有能な環境があるので、その点だけは評価できる
騙し騙しやってる場所もあるので、まあ、そこは上記の情報から判断すれば良いが
社会人は社会人なだけにある程度社会性があって、めちゃくちゃなのにそれっぽくするのが結構できるので
上に挙げたような特徴があっても、程々に機能しているところはある(まあでもあまり良い環境とは言えない)
・説明会などでみる会社のPCがwindows7とかだったら終わり
・SPIとかそう言うのは茶番、どうせwebテストはみんなでやるし、会場の筆記試験は答え付きの過去問が売られてる
選んだ会社が来年度から外資系になってしまう、みたいなケースもあるし、逆に親会社に合併されるケースもある
あとは能力のギャップが辛いので、正直に答えて入れる方が居心地が良い
あと、付け焼き刃って結構ボロが出るので、聞かれてボロが出ないのは逆にヤバい質問内容をする会社だと思うし
話の広げやすさは付け焼き刃じゃないものの方があるので、なるべく自分の話をしよう
・初任給は大抵同じなので、福利厚生や補助(特に都会なら家賃補助)を意識すること
生活できないと困るので、給料以外の方が重要かもしれん。あくまで家賃補助で、自社寮などは地獄なのでやめておいた方がいい。
・リモートワークも一長一短
あんまり信仰される物ではないが、そういう制度をしっかり意識しているっていうのはそれだけでアドかもしれん
古い考えの奴が多くて、実際に使い物にもならない、ブラックな会社ばっかり教える とかよくある
思わず「それは忖度しすぎじゃない?」みたいな嫌な拒絶反応を示すアドバイスをうける場合もあると思うが、大体その直感は正しい
就職課の教えるマナー講師みたいな変な風習は、なくても困らないことばかりなので適当に受け流せ
それはそれとして、古い価値観や「安定」みたいな部分については知識が豊富なので、そういう部分で頼ればいい
四季報などにも詳しいので、そこら辺は就職課に丸投げして、自分ができる部分で就活を進めれば良い
・実際に目で見たものだけ信じる
就活ビジネス(詐欺)が前に比べてめちゃくちゃ目立つ印象がある
この内容も話半分で聞いて、実際に見て聞いて、体験したものだけ自分の中に入れた方がいい
就活意識高い系って、友達もなくすし品性も失うし、結構お金も飛ぶらしい
ご飯食べてしっかり寝ること
別に就活失敗したからって人生詰むわけでもないし、定職についたから幸せってわけでも、大企業だから幸せってことでもない
就活失敗してフリーターで社会復帰難しい奴って確かにいるけど、大抵そういう奴は情報が足りていないだけで
定職につくっていうのは、会社や社会から得られる情報の間口が広いから有利なだけで、ネットを駆使したり人と交流さえしていればチャンスはいくらでもあると思う
「頭の良さ・社会などから得られる情報・金」の3つで人間成功するので、いわゆる環境っていう奴は後者2つかも知れん
どうでもいいけど、今年は説明会とかもないし、企業の採用ページか問い合わせから個人的に連絡した方が採用されやすいんじゃないかな
『公共広告なのだから同性愛者であることを公言している人をわざわざ起用しないで欲しい。何も人口の1割未満しかいない人たちのために9割の人を不快にする必要はない。同性愛者は殺せとか隔離しろとか言っているのではない。単に公共物に使わないで欲しいと言っているだけだ』
『公共広告なのだから黒人をわざわざ起用しないで欲しい。何も黒人は殺せとか隔離しろとか言っているのではない。単に公共物に使わないで欲しいと言っているだけだ。人口で言うならば白人の方が多いのだからそれらの人をわざわざ不快にするようなことをしないで欲しい』
『この国では95%以上の人がA教を信仰していてB教の信者は2%程度なのにわざわざB教の建築物をポスターに描かないで欲しい。何もB教信徒は殺せとか隔離しろとか言っているのではない。単に公共物に使わないで欲しいと言っているだけだ。人口で言うならばA教信徒の方が多いのだからそれらの人をわざわざ不快にするようなことをしないで欲しい』
なんか「仕様書どおりに作ってきてもつまらん」みたいな寝言になんでこんな頭くるんだろと考えてたんだけど、俺の中で仕様書というのは「約束」と同じと捉えてるんかなと思い当たった。
だから破られると腹たつしイヤになる。
もちろん伝達ミスとか事情が変わったとか、意図しない場合もあるけど、それは仕方ない話で「約束したときはこうだったけど変わっちゃってごめん」で済む話。
約束したことどおりにするのが「本当に目的のために正しいか」ってのももちろんあって、ただ愚直に言われたとおりにしてても上手くいくかどうかはわからない。それは理解してるつもり。
でも「仕様書どおり作ってきてもつまらん(最初から約束を守っていたら仕事できないと公言し、守る気もない)」とかみたいなのは、人としても信用できないしビジネスとしては関わりたくない。
仕様書どおり作っていったら「ぼくのかんがえてたのとちがう」みたいなのも、手前の勝手で約束反故にしといて悪びれもしないクズにしかみえない。(これも、約束の内容そのものが間違ってたパターンだから、ちゃんとしたフィードバックだったら大丈夫)
そんでまあ、そんなやつが仕切ってたらそらまともに進まんわ。
そんでそういう嘘吐きについていけるのは同じような嘘吐きか忖度マンくらいか。
そら無理だわ。
https://anond.hatelabo.jp/20200203232919
https://anond.hatelabo.jp/20200218234717
お金の掛かる趣味なので、友人には公言できないからね。値段を言うと確実に引かれてしまうよ。いい機会なので、一介のエンジニアがエドワードグリーン(EDWARD GREEN)のMTO(Make to Order:個別受注生産)に手を出し始めるまでの革靴遍歴についてまとめてみようと思う。ちなみにグリーンのMTOは、日本でオーダーすると25万円くらいの高級品。これを連発することになるだなんて誰が予想できただろう?
初めて買った本格靴はトリッカーズ(Trickerʼs)のBOURTON(バートン)だった。ちなみに “本格靴” って言葉はバズワードなので定義はないんだ。自分は “グッドイヤーウェルト製法で作られた靴” という意味で使ってる。
社会人1年目のボーナスで買ったから8年前かな。当時は日本に直営店が無かったから、渋谷にある革靴のセレクトショップ “トレーディングポスト” で購入した。本格的な夏を迎えた蒸し暑ーい日に、現金7万円を財布に入れて電車に揺られてた。靴に7万円だなんで自分はどうかしてると思って、心臓がバクバク脈打ってたのを覚えてる。高級靴店に汗だくはマズいよなーと思って、お店近くのファミマで涼んでた。汗が引いたら、ついにトリッカーズとご対面。第一印象は「かっこいい!!」だった。これまでの雑念はついぞ忘れて、迷わずに買った。スーツは着ないしTシャツもOKな職場だけど、雨の日以外は必ず履いてた。新社会人の自分を大きくみせてくれる相棒だった。
のちに、革靴は一度履いたら2日間は寝かせた方が良いことを知った。革靴は水分をよく吸収するからね(だから、もちろん木製のシューツリーを入れるんだ)。そして相棒が寝ている間、僕のテンションを上げてくれる2足目の靴を探すことになった。この頃から革靴の沼に片足を突っ込んでいたのかもしれない。
初めての本格靴にトリッカーズを選んだ理由は、 “ロイヤルワラント” に認定されているためだった。これは英国王室からメーカーに送られる認定制度で、 “所定の評価基準を満たす品質がありますよ” という指標になる。ただ当時の自分は品質なんて気にしていなくて、「ロイヤルワラント!?かっこいい!!」とだけ思ってた。007のボンドとか、シャーロックのホームズが纏ってるような英国紳士の装いが大好きなんだ。そんな彼らが愛用するチャーチ(Church's)やクロケット&ジョーンズ(Crockett&Jones)に手を出すのは自然な流れだった。
この頃から伊勢丹新宿のB1F、丸の内のブリティッシュメイド、表参道のチャーチ路面店にヴァルカナイズロンドンなど、イギリス靴が置いてあるお店に月一くらいで顔を出すようになった。モデルを眺めてると「これ、最高級靴読本で見たやつだ!!」となることもあって、顔のニヤニヤが抑えられなかった。イギリスはもともと家具とか鞄とかを親子世代に引き継いでいく文化があるらしい。靴になると “子に引き継ぐ” のは難しいけど、それでも一生モノとして使えるように、靴底を張替えられるように手間をかけて作られてる。“一生モノ” っていうのが靴業界のセールストークなのか今はまだ分からないけど、自分にはとっても魅力的に映ってるんだ。
2足目に選んだのはチャーチのDiplomat(ディプロマット)だった。トリッカーズのBOURTON(バートン)がアメフト選手だとすると、Diplomatはその名の通り外交官のような落ち着いた雰囲気。高い買い物になるので悩んでたけど、チャーチが過去に扱ってた伝説のラスト“73” の限定復刻モデルということで、頭の中では両親に「こんな自分でごめんね……」なんて謝りながら、勇気を振り絞って買ったのを覚えてる。トリッカーズのような質実剛健さはないのですっごく丁寧に扱ってた。ゲリラ豪雨に遭った日なんて、靴をその場でぬいで抱えてたから今思い出しても恥ずかしくなる。後述するようにもうお別れしてしまったけど、今この瞬間でも同じ行動をとったと思う。それくらい大事だった。
これの経験がトラウマになって3足目にはクロケット&ジョーンズのPembroke(ペンブローク)を選んだ。グレインレザーになっているモデルだったので、多少の雨でもへっちゃら!これで雨の日も晴れ日も、(病めるときも健やかなるときも笑)革靴と一緒だー!なんて思って一人でテンション上がってた。
そうそう、イギリス靴ってモデル(型番)が人物名や地名になってるんだよね。英数字の羅列よりも愛着が湧くし、ある界隈では擬人化されてるとかされてないとか……も納得だね笑
チャーチのくだりでも書いた “ラスト” って何だ?って思うよね。ラストというのは靴製造で使う木型のこと。職人さんはこのラストに革を被せて靴型を作ってるんだ。ラストの形状がそのまま足を入れる空間の形状になっている。だから、ラストの種類は革靴を選ぶ上ですっごく重要なパラメータなんだ。ただ、例えばチャーチだったらDiplomat(ディプロマット)はラスト173、Burwood(バーウッド)はラスト81、って具合に各モデルと紐付いてることが多い。なので、自分の足型には81ラストが合うのに、モデルとしてはDiplomatが欲しいよーっていうときは、困る!笑 (こんな悩みも、のちにエドワードグリーンが解決してくれるなんてびっくりだよね。)
本格靴のサイズ表記には、一般的なサイズに加えて “幅(ウィズ)” と “ラスト” が併記されている。サイズとウィズよりも大事なのがラストで(ラストはもう大丈夫だよね?)、自分の足型に合ってないと僅かな空間ができたり、小指の先が少し押されたりする。つまり既製品で満足するためには、この3つの組み合わせが足型にピタリと一致しないといけない。加えて本格靴は中物がコルクでできているので、しばらく履くと形状が変化する。つまり自分に合ったサイズを見つけるという行為は、トンデモない組合わせ最適化問題を解くようなものなのだ。
一度「このサイズ、足型に合ってるのかなあ?」と思い初めたが最後、喉に刺さった小骨のようなもので、一日中違和感を感じるようになった。伊勢丹や阪急で仲良くなった店員さんに相談したところ、自分は甲高幅広の日本人系でおまけに左右の足幅が数ミリ違うので、完全に合うサイズを見つけるのは至難の業と診断された。それならチャーチ、クロケット&ジョーンズ、チーニーから主要ラストのモデルを集めるぞ!とおかしな発想をしてしまい、最終的にチャーチの81ラストが一番合う!と結論するまで本格靴を10足も買うことになってしまった。
話はここでは終わらないんだ。ある出会いをきっかけに、思い入れのあるトリッカーズのBOURTON(バートン)を残して、集めたイギリス靴を全て処分してしまった。それは革靴界の老舗名門エドワードグリーン(EDWARD GREEN)との出会いだった。価格は20万近いので、文字通りこれまでの本格靴とは価格が1桁違う。もともと手が届かないと思ってたんだけど、妻とフラフラ散歩してたとき、気になって直営店に入ってみたんだ(高いから買うつもりはなかったけど、革靴ってこんなに素敵なんだよーって言いたくて、少し背伸びしたのは内緒ね笑)。そのとき僕が履いてた靴はクロケット&ジョーンズのISLAY(アイラ)だった。007スカイフォールでボンドが履いてたことで有名で、とっても鼻高々だった。エドワードグリーンの靴にも引けを取らないかっこよさだと確信していた。ただ、CADOGAN(カドガン)のラスト202を試着させてもらったとき、かっこよさよりも大事なことに気付いたんだ。CADOGANに足を入れ進めると、行き場を無くした空気が圧縮されて、ぷしゅっと踵から抜ける音が鳴った。そして、右足の土踏まずから甲を回って右小指まで滑らかに包まれる感覚があった。極めつけにヒールカップは僕の小振りな踵をしっかりと掴んでくれた!すぐに「これだ!!」と思った。妻の手前、さすがに即購入はできなかった。「なーに言ってんの!買わないでしょ笑」と言われるのがオチだった。そして1週間後、またお店の前に立っていたのはみんなの想像通りだ。
エドワードグリーンのラスト202との出会いは、サイズに悩んでいたこれまでの自分を肯定してくれるようだった。これまで集めたDiplomat(ディプロマット)やPembroke(ペンブローク)といった本格靴は、僕の足には合わなかったけどとっても魅力的な靴だった。もっと履いてくれる人の元で大事にされて欲しいと思って売ることにした。処分した後は胸にポッカリと穴が空いたようだったけど、あの子達を想うと不思議と寂しくはなかった。少しずつあの子達のいない生活に慣れ始めた頃、胸の中には黒くモヤモヤした霧がかかっていた。それは、ジョンロブ(JOHN LOBB)やガジアーノ&ガーリング(GAZIANO GIRLING)は果たしてどういったフィッティングなんだろうというものだった。この頃の自分は、大事な靴をまた手放すことになるんじゃないかって、まともにエドワードグリーンを直視できなかったように思う。
すぐに銀座三越にジョンロブのCITY2(シティ2)とWILLIAM(ウィリアム)を試着しにいった。エドワードグリーンと同じ衝撃だったなら、その場で買う決意をしていた。値段をどうこう言っている精神状況ではなかった。結果、どうサイズ調整しても踵が緩かった。次に表参道のトレーディングポストでガジアーノ&ガーリングのST.JAMES(セント・ジェームズ)を試着させてもらったけど、幅広な自分の足にはとっても窮屈だった。
全てが報われた気がした。僕の足にはどんな高級靴よりも、エドワードグリーンの202ラストが合うって確信した。今まで積み上げてきた経験は無駄じゃなかったんだよって、別れた靴達が言ってくれた気がした。ST.JAMESを履きながら、泣き笑い顔をしてたから店員さん驚いてたんじゃないかな。
エドワードグリーンの良いところは、モデルに複数のラストが割当てられているところなんだ。だから、「モデルはCHELSEA(チェルシー)にして、ラストは202にしよー。」なんてことができるんだ。例外はあるけどね。そうこうしてるうちに、エドワードグリーンが4足になっちゃった。もちろん全部ラスト202だし、雨用に “ユタカーフ” っていうオイルドレザーを使ったモデルも揃えちゃった。雨の日でもグリーンを履きたいっ!!
ただモデル毎に推奨ラストっていうのがあって、それを満足しない組み合わせだとMTO(セミオーダー)になる。僕はとってもGalway(ガルウェイ)っていうモデルが欲しかったんだけど、なかなかラスト202で販売されないのでオーダーしてみることにした(もちろん、雨の日でも履けるようにユタカーフで頼んだ笑)。日本で価格を聞いたらsurcharge込みで25万円!うちは子どももいなくて共働き、おまけに妻は革靴を理解してくれてるから払うことはできるんだけど、少し尻込みした。8年前のように、靴に25万円だなんで自分はどうかしてると思って、心臓がバクバク脈打ってた笑 念のため、モデルについて過去に問い合わせていたロンドン本国のsales担当にメールしてみたら、関税込みでもずっと安い!ということでロンドン本国にオーダーしてみることにした。彼とはすごい気が合って、2モデルもオーダーしちゃった!ここまで来て、増田に “革靴” の文字があったからビックリしてこれを書いてるよ。
エドワードグリーンに出会ってからとっても散歩が増えた笑 一緒に歩く時間が本当に幸せなんだ。けど最近、革靴の個体差が気になってる。本格靴には手作業の工程があるから、職人さんの “くせ” からくる数ミリオーダーの僅かな偏りがある。気にしたくないんだけど、ちょっとだけ気になる。この先にあるのはフルオーダーのBespoke(ビスポーク)なのも分かってる。去年の年末時点で、これ以上ないくらい最高峰のジョンロブとガジアーノ&ガーリングのBespoke価格は6500ポンドと5000ポンド。今日時点のレートだと933533円と718102円。革靴は怖い。時計とかと違って、最高級品も手が出せちゃうんだ。。。
「今週も始まりました、『みんなのアニマルパーク』! 今回は動物に関する映像特集です!」
俺は学校の課題に取り掛かっており、テレビから背を向けていた。
「ん~? なんだこれ~? なんだろう~?」
「うわ~すごいなあ」
強い拒否感を覚えた俺は、咄嗟に近くにあったリモコンへ手を伸ばした。
「別にどうしても観たい、楽しみにしてる番組ってわけでもないだろう」
わざわざ公言することでもないが、俺はこういう動物バラエティが苦手だ。
出演者のリアクション、足されたサウンドエフェクト、ナレーション、ドラマティックなストーリー。
そりゃあ低俗には低俗なりの良さはあるし、必ずしも高尚な作りの方が良いとも思わない。
「兄貴って、こういうの観たがらないよな。ウチだって猫いるのにさ」
「……だからこそ、だ」
ふと同じ部屋にいる、キトゥンに目を向けた。
何食わぬ顔で飯を食っている。
だって、そうだろう?
自宅に軟禁して代わり映えしない生活を強いて、挙句には去勢するんだからさ。
そんなことをしても問題にならないのは、結局のところ愛玩動物でしかないからだ。
或いは彼らがいう“家族”ってのは、そういう意味なのだろうか。
彼らにとっては“愛しい玩具”の延長線上なのかもしれない。
じゃあキトゥンの飼い主である俺は何なのかっていうと、もちろん例外じゃあない。
飼うようになったのも、そうしなければ駆除される寸前だったからだ。
とどのつまり自分の心を守るために、たった一匹の猫を守る選択をしたわけだ。
それは動物を慈しむ心だとかではなく、極めてエゴイスティックなものに近い。
他の生物と身近になるというのは綺麗事じゃなく、そういうものだ。
あいつにキトゥンという名前をつける前から、俺はそのことに自覚的だった。
だからこそ、ああやって無邪気に動物を弄び、それをさも尊いかのように見せる番組が苦手なんだ。
まあ、共感を得られるかというとビミョーだが。
現に、これについて説明を試みたものの、弟の反応は素っ頓狂だった。
「うーん、よく分からないけど……たぶん兄貴はさ、自分がキトゥンにどう思われてるか自信がないんじゃない? だから、そういう斜に構えた感じになっちゃうというか」
俺の話をどう聞いたら、そういう解釈になるのだろうか。
自信のあるなしなんて関係ない。
「弟よ、お前の言う“自信”ってのはな、ほぼ“幻想”と一緒なんだよ。動物の心情を、人様が都合よく思い描いているに過ぎない」
そう語気を強めて言ったつもりだったが、弟は怯まなかった。
むしろ意気揚々と、おこがましいことを言ってのけ、その勢いで足早に出かけていった。
何かアテでもあるようだが、あり得ない。
それができれば苦労はしない。
ブログの隆盛に始まり、ツイッターなどのSNSの台頭、さらにジオシティーやインフォシークがなくなったことでほぼ消滅したといわれる個人サイト。
個人サイトは、まだ、「オタク」を公言することが世間で後ろ指さされる時代の産物だった時代に「オタク」を開放し、密かに、だが確実な仲間を見つける唯一の手段だったように思う。
そして、唯一だっただけに、裏切り(嗜好の移り変わり)も少ない。
味噌汁に例えるなら、
個人サイトは、その分離して底によどんでいる部分
とてつもなく濃いので、とっつきにくいが、嗜好がハマればとても有用(下手すると市販品よりも使えたり、面白かったりする)
一応、2010年代初頭あたりまでは、動画サイトもその傾向にあったが、(著作権侵害もあったが、後ろめたさも残っていて、ひっそりとしていた)
金儲けができるようになると、似たような、そして勘違いしたものが量産された。
味噌汁に例えるならレトルト物に各自で具材を足したもの。うまく出来たものもあるが、大半がケチってレトルトを半分以下しか使わずに味がほぼ無く、話題に上がるものは具材の味が味噌汁の味をじゃましていたり、砂糖山盛りでもはや味噌汁じゃなくなっていたり、下手するとう〇こを使ったものなど。
そして、自分に合った「よどみ」に近いレトルトを見つけても、それ以上に製作者に目の前でチップを期待するまなざしで見つめられるものが多い。
個人サイトは、見る方に「気軽さ」があった気がする。
痴漢もセクハラも俺はやりまぁす!って公言するやつがいたら叩かれるよ
つまり、既にそういう内心を公言することをはばかられるレベルで叩かれてる
流行りは変わっても常に何か投稿・交流する場所を開拓していた。
怖いもの知らずな年頃だったってのもあるかもしれない。
今は「発信」という感覚があるのか、
昔はあれもこれも全部投稿していたのに。
気がついたらいま、インターネットのどこにも「自分」の投稿がない。
Twitter、FB、インスタ、Youtube、TikTokなどアカウントは持っていて毎日チェックしている。
でも全てROM専。
でもなんで?叩かれるのが怖いから。
いや、実際叩かれるなんて滅多に無いよ。一般人だし。
でも違うの、叩かれる・炎上の手前にある
「ふ〜ん」「ププッ」「キモ」「ださ」これら感想を抱く人がごくわずかでもいることが想像できてしまって嫌。
この人、アンチスレあるかな?あるとしたら「〇〇」って書かれてるだろうな・・・
だから自分が何かを投稿しようとしても粗探しポイントに目がいってしまって
すごく楽しかった。
今は「いいな」と思うものがあってもハマるまでいけない。
今は何にもハマっていない、という回答じゃ満足してもらえなかった。
これうまく乗り切れる嘘あったら教えて。
「発信」へのハードルが高いよりは低い方がいいって自分でもわかる。
情報を集めるため、趣味仲間と交流するため、ネットをたくさん使った。
だからこそネットで悪口を見つける方法も叩かれる事案もたくさん知ってしまったのかな?
みたいなやつも一例な気がしてきた。
手料理も、結婚式も、飲み会も、空の写真も、いいと思ったコトも、些細なことも。
いま人生初「ストロングゼロ」を飲んでるから、どうか許してください。
同じような気持ちの人、居る?