2020-02-09

かつての個人サイトと、そのほかのネット発表の場の違和感の原因

ブログの隆盛に始まりツイッターなどのSNSの台頭、さらジオティーインフォシークがなくなったことでほぼ消滅したといわれる個人サイト

個人サイトは、まだ、「オタク」を公言することが世間で後ろ指さされる時代産物だった時代に「オタク」を開放し、密かに、だが確実な仲間を見つける唯一の手段だったように思う。

そして、唯一だっただけに、裏切り(嗜好の移り変わり)も少ない。

味噌汁に例えるなら、

ブログが、自家製味噌汁(衛生面、出来の良し悪しは問わない)

SNSは、自家製味噌汁時間がたって分離した上澄みの部分

個人サイトは、その分離して底によどんでいる部分

とてつもなく濃いので、とっつきにくいが、嗜好がハマればとても有用(下手すると市販品よりも使えたり、面白かったりする)

一応、2010年代初頭あたりまでは、動画サイトもその傾向にあったが、(著作権侵害もあったが、後ろめたさも残っていて、ひっそりとしていた)

金儲けができるようになると、似たような、そして勘違いしたものが量産された。

味噌汁に例えるならレトルト物に各自具材を足したもの。うまく出来たものもあるが、大半がケチってレトルトを半分以下しか使わずに味がほぼ無く、話題に上がるもの具材の味が味噌汁の味をじゃましていたり、砂糖山盛りでもはや味噌汁じゃなくなっていたり、下手するとう〇こを使ったものなど。

そして、自分に合った「よどみ」に近いレトルトを見つけても、それ以上に製作者に目の前でチップを期待するまなざしで見つめられるものが多い。

個人サイトは、見る方に「気軽さ」があった気がする。

だれに何と言われようと、お金にならなくても、好きで始めたという前提があるから、押しつけがましさがない。

そして、個人+αのスケールで完結するので、余計な自己顕示欲も働かず、好きなこと以上の発信は無かった。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん