はてなキーワード: ブラッシュとは
ループがノベルゲー、特に美少女片っ端からドラマチックに殺しまくれるエロゲに向いている設定だからとか?
それはそれとしてまどマギ、ハッピーデスデイとか普通に沢山あるよね。
pixivのループ物の所にあった作品貼っといたから女の子がループしてる奴は何作品あるか数えといて。
https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%82%E3%81%AE
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最高の教師-1年後、私は生徒に■された-
ハッピー・デス・デイ
困惑している。
「ひまそらあかね氏の公約を真っ向から批判してみる」を書いて、一日ぐらい全く動いてなかったので「まあそんなもんだよね」と思っていたら、
昨日突然なんか反応が色々来た。
https://x.com/himasoraakane/status/1805466811674280183
正直なところ、再度言及するのは味を占めている感というか骨しゃぶり感というかがあり、反応するかどうかは迷ったのだが、
こちらの理解不足であった点、さらに疑問の生じた点などあるので、改めて言及していきたい。
なお、今回は政策集note記事(https://note.com/hima_kuuhaku/n/n00a0ba9943d1)に加えてXの投稿もサッと眺めたが、
やはり他の場所で言及している可能性はある。そこはご容赦いただきたい。
①公金チューチューをなくす
これについては、予算決議の時点で公金不正が無くなるように食い止める、という主張と思っていたが、
補助金受領の不正な手続きがあった場合は返還を求める、という対応を強化する内容のようである。
そして、その実現のための具体案が「チェックルームとチェックルールを作」るという内容と受け取った。
ここは私が誤解していた部分である。
確かに、暇空氏はColaboの件で領収書が揃っていないことを指摘している。
それに鑑みれば、現状の補助金の不正な手続きへのチェック体制は不十分と言えるかもしれない。
だが、現状でチェックが全く行われていないかというと、そうではない。
各種補助金の手続きについては、各種補助金の担当部署が管理しており、不備・不正等がないかについても
各種補助金については、その担当部署の方が詳しく、内容の精査も可能だと思われる。
新たにチェック専門の部署を作ることはどれほど有益なのだろうか。
また、現状でチェックが不十分になっている要因についても一考する余地がある。
仮にその要因に「都職員のモラルの低下」があるとするならば、たとえチェックルームを作ったところで
チェックルームのモラルを維持できず、結局チェックは十分に行われないであろう。
各部署が多忙でチェックにリソースが割けないのであれば、その部署の人員を増やすことで解決可能である。
不正が野放しである状態は、新たな枠組みを作ることでキレイに解決、といった類の問題では無いであろう。
既存のルールの中で当該問題が解決しうるという点は、ひまそら氏も同じ見解であると思われるので、
なおこれは揚げ足取りであるが「チェックルーム」の設置には東京都組織条例の改正が必要と思われる。
ひまそら氏が提示している方法では、「議会を通」さないのは難しいだろう。
全ての経済政策には曲りなりにも意図がある。例えばコロナ禍の旅行支援、飲食業支援は分かりやすい。
いわば災害のような不可避的な要因で、収益が得られない業種に対する補助が目的であった。
それでは、ひまそら氏が案として提示する用途限定のクーポンはどうか。
「バズのため」というのは何なのだろうか。
これが「普及のため」などであればまだわかる。例えばマイナンバーカードは適正な利用が広がれば
国として非常に有益であることから、その普及のためにマイナポイントを支給していた。
しかし、例として挙がっているのは「ファミレス」や「映画」である。そして「バズのため」にクーポンを発行するとしている。
一ファミレスのメニューが人気になること、一映画が大きなヒット作となることがあれば、
「バズ」は都政によって生み出され得るものであろうか?
仮に生み出せたとして、都が主導して生み出すべきものなのであろうか?
用途を限定したクーポンについて、その本質は「特定業種の業者への根拠なき補助金」であると思われる。
どれだけひまそら氏が透明性を確保し、どれだけ分野を広げたところで、
その対象業種の選定に合理性が無ければ「趣味に血税を使うな」の声は免れないであろう。
「政治的繋がりがあること」が悪なのではなく、「無駄に税金を使うこと」が悪なのである。
ただ、ひまそら氏の「普段取らない行動もおのずから選択できるような設計、施策」は非常にいい発想であると思う。
同一ブランドまたは同一事業者が経営する店での複数回利用を制限してはどうか。
こうすれば先述の恣意性を緩和でき、また長期的には普段取らない行動を促す効果が期待できる。
「癒着」については、クーポンの対象業者選定段階での、ひまそら氏以外の「癒着」についての疑問であった。
ひまそら氏が独断で業者選定を行うことはまさか無いと思うので、どのように行う予定であったのかを尋ねたかった。
「癒着」が無いことを示すのは、いわゆる悪魔の証明であるため、それを絶対に起こさないのは極めて難しい。
ひまそら氏は「透明化が一番の対策」としているが、それがなかなか難しい。
例えば、文書の残らない談合での口利きがあったとして、どう「透明化」するのか?
都でのアプリ内製化については、他に優れたプラットフォームがある現状において私は不要と考えるが
「東京都がすることに意味がある」という主張は一理あると思う。
ただしこの政策において、ひまそら氏のアプリ設計運用知識が活きる場所は、
これは以前に述べた通り、アプリの設計運営は知事の職務では無いためである。
これも揚げ足取りだが、「深く施策を見ることができる」と意見ツイート内にあったが
これは問題のある発言である。知事は施策を執行する側であり、見られる側である。
この手の誤りは政治家としては致命傷になりかねない。
慎重な言葉遣いをお願いしたい。
ついでに、いろいろと反応いただいた件についても取り上げたい。
なお、反応については要約して軽めの語尾にしている。
・代案出せよ
①問題の存在→②解決策の提示→③解決策の問題の指摘→④代案出せ
上記の流れの④は、②で問題が発生していることを否定できていない。
ただし、代案が無ければ「思いつく限りでは②の解決策が①を解決する最良策である」は間違いではないし、
②の抱える問題が①の問題を放置するほどに大きいか、という比較検討になる。
今回でいえば、「公金チューチュー」は無くすべきであるし、都民への還元策はあってもいいと思う。
何より、外からワーワー指摘するのは簡単だが、実際に作り上げるのは難しいものである。
そこで、今回は①の問題の所在について触れつつ、一部代案も提示した。
代案を提示せず批判に終始している箇所は、公約から文言を無くしてしまった方がいいのではないかと思っている。
これは私はひまそら氏ではないために、なんとも言えない問題。
ただ、立候補して政策を立てている以上は、それについて一考する価値はある。
加えて、支持者が手放しで称賛しているのを見て「いやいや……」と思ったため記事を出した。
その通りかもしれない。が、ひまそら氏はそれを批判しており、約束は守ると公言しているため
実現可能性について疑問がある点は指摘すべきだろう。
そもそも、「現職が公約実現してないから他の人もいい」にはならない。公職選挙法違反関連と同じ。
・こうやって取り上げるのがひまそら氏の利になるからそっとしといて
もし、この記事が政策のブラッシュアップの一助となり、それによってひまそら氏の票が増えるのであれば
それはそれで悪くないことであると考える。
私はひまそら氏の支持者ではないが、アンチでもない。政策が良くなった上で票が増える分には何も問題ないと思う。
加えて、ぶっちゃけた話、この記事にそんなに価値は無い。利にもならない。
この記事を読む層、リンクを見る層、ひまそら氏の意見ツイートを見てキャーステキとなる層はごくわずかであることは自覚すべきである。
少なくとも、ひまそら氏が選挙戦を戦うにあたって取り込まなければならない層は見ない。
その上でなんでこの記事を書いているかと聞かれたら、自己満足としか言いようがない。
・暇空氏がオンブズマンから門前払い食らったのは知ってて書いてる?
知っている。「オンズブズブマン」というパワーワードが誕生したのを忘れはしない。
オンブズマンにも問題があり得るが、これは調査される側である知事が口出しする内容ではない。
ただし重ねてになるが、この辺りの補助金の実績報告後の調査という点は、ひまそら氏は公約としては織り込んでいないと解釈している。
すなわち、補助金の実績報告時にしっかりチェックをする、という仕組み作りを目指しているようである。
この点、支持層でも誤解している方はいらっしゃるのではないだろうか。
ヘイトスピーチ……
それはご指摘の通り。お恥ずかしい。
人格否定はしていないと思う。「口が悪い」は言ったが、これは支持層も共通見解なのではないだろうか。
他にもアイコンの件など思うところはあるが、可能な限り政策に関連するところに話をとどめたつもりである。
以上である。
ひまそら氏の性格からして、セルフ二番煎じである当記事をどれだけ誰かがひまそら氏に見せたとしても、
ひまそら氏がタッチすることはないと思われる。
したがって凸は控えることを推奨したうえで、この記事を締めたい。
キャンセルを受けた人、受けなかった人。ざっくりと右、左でわけられる人たちやん
こいつ草津の件で町長が犯人だと何の根拠もないのに騒いでました!そんな人を雇ってていいんですか?みたいにさ
そうやって交互にブラッシュアップしていくことで社会がどんどん政治的に正しくなっていくんちゃうの
その上で
「誤っていた場合の補填」それは決定権者がしろよ。大勢の声に惑わされて誤ってキャンセルする決定をしたのは責任者だろ。大勢の声が誤ってると認識したんなら擁護するなり無視するなりしろよ
「実質的に私刑」これも決定権者がどう思うかじゃん。別にキャンセル仕掛けること自体は合法じゃん。それを受けてどう判断するかが問われてるだけじゃん
なので、誤ったキャンセルを主導した奴らにキャンセル仕掛ければいいと思うし、大勢の声に惑わされて誤った判断をした責任者も同時に糾弾すればいいと思います
日本のゲームスタジオが、このレベルのオープンワールドを作りあげたことに感動している。
もちろん、スパイダーマンやアサシンクリード、サイバーパンク2077といった一線級のオープンワールド作品に比べると、まだまだ物足りないことは否めない。
だが、それらの背中が見えるところまで来ている、食らいつけているという印象を持った。
ゲーム自体はわかりやすく『Ghost of Tsushima』の影響を受けている。
海外のゲームスタジオが日本史を題材にしてあれほどのものを作ったのだから、コーエーがそれ以上のものを作らねばどうするんだ、というアンサーだとも言える。
実際、オープンワールドとしてはやや作りが古かったツシマに対し、『Rise of the Ronin』は最新のスタンダードを取り入れてブラッシュアップに成功している。
オープンワールドで最も重要なファクターである「移動の自由度」は高い。
幕末の横浜・京都・江戸を舞台に、その街並みを縦横無尽に駆け巡ることができる。
手が届く段差は基本的に登れるようになっていて、慣れれば建物の上をぴょんぴょんと軽快に移動できるだろう。
敵の手薄なところからステルスで侵入してもいいし、屋根にのぼって遠距離攻撃してもいいし、上空からいきなり敵のリーダーを狙ってもいい。
オープンワールドならではの立体的で自由度の高い攻略を楽しめるようになっている。
ストーリーに関しては、かなり荒唐無稽な描写を交えつつも、黒船来航から江戸開城までの歴史を追っていく手際はさすがコーエーである。
登場するキャラクターは、ほとんど幕末オールスターと言ってよく、それぞれに個別のサブクエストがあり、いくつかのifも織り込んでいてなかなか面白い。
1. 鈎縄はどこでも使えるべき
移動の自由度は高いと書いたが、鈎縄が特定ポイントでしか使えないのは重大な瑕疵である。
この点で言えばスパイダーマンどころか隻狼以下だ。
アクション面の不満はこれに尽きると言っていい。
この手のゲームでは敵の視界が異常に狭いのが常ではあるが、それにしても本作はかなり違和感がある。
相当な遠距離からいきなり攻撃されることもあれば、すぐ近くでどたばたと戦っているのに他の敵はそれに気付かず棒立ちしていることも多い。
プレイヤーがエリアの境界から一歩でも出ると、追いかけてきていた敵が急に戻っていくのも、さすがに作りが雑すぎると感じた。
ある人物を殺さない選択をしたのに結局殺されてしまうとか、幕府側につく選択をしたと思ったらいつのまにか長州側についているとか、そういうのは本当によくない。
坂本龍馬をパートナーにすることで、最初は攘夷志士として行動して、次に勝海舟と出会って幕府のもとで行動して、という流れは上手いと思ったのだが。
京都の最初で佐幕ルートか倒幕ルートかを決定したら、そこからは完全に専用シナリオになる、というかたちが良かったのではないか。
やはりサイパンなどとの決定的な差はシナリオの質・量なのだろう。
サブクエストなども楽しめはしたが、史実そのものの面白さを借りているところが大きいとも感じた。
ただ、そうした点を考慮しても『Rise of the Ronin』は十分によく出来たオープンワールドゲームである。
上司、「自分は人の意見を聞くタイプで合理的で人に優しくコミュ力抜群」って思ってるタイプなんだけど、その実自分が大正義で「なるほど、いいですね。でも」と枕詞を付けてあとは一切の意見や要望や提案を却下するタイプなのでヤバい。
一番ヤバいのは本人自身は「人の意見を聞いてブラッシュアップできる」と思っていることで、人に意見は出させるんだけど、結局自分の意見が一番(←この時点で認知バイアスやばい。自分が関わったものはそれだけで他より良いものと思ってしまう)なので、必ず却下する。
本人が合理的理論的だと思ってるのも厄介で、『やらない理由』のみを語る。やるメリットとやらないデメリットの話は意識にも上がってないし、やらない理由を「じゃあ○○なら大丈夫ですね」と解決してあげても更にそれがダメな理由などを延々語る。
つまり『やらない』という感情論からスタートしてるので、この『合理的』ってのは小手先でしかないんだけど、本人はこれで合理的なつもりなのでマジ全く会話が成立しない。
そもそも本人がこっちの言い分受け入れる気ゼロ(無自覚)なのでコミュニケーションになっていない。結局「話すだけ無駄」ってなって上司命令通りすることにするんだけど、それがまた上司の「合理的に説得できた」の自信に繋がってしまう負の循環。
で、意見出す側(つまり俺)からしたら何をどれだけ出したところで延々ダメ出されて却下されるだけだし、これこの間ネットで見た「部下の潰し方」と一緒だなって思った。
あーあ、俺が使う(使わされる)ものだからマトモにしたかったのに。これ他所で「増田さんの作ったこれ使いにくいですよね」って言われるんだぜ。
その前に潰れるかもだけど。
みんな俺に優しくしてくれよな!
作家本人の絵柄のみを学習させる「ピュアモデルAI」作品が初披露…日本漫画家協会理事長の里中満智子、「味いちもんめ」の倉田よしみが参加
https://www.anime-recorder.com/ai/291151/
この記事読んで、ようやくイラストレーターと漫画家の違いのひとつを見つけた。
イラストレーターと違って、漫画家さんって一人で仕事仕上げてないんだよね。
アシスタント入るの基本だし、大多数はどう頑張っても一人で仕上げれない作業量。
(それが嫌な作家さんは一人でやってるが、本当に限られた人だけで、その分発行ペースがかなり遅い)
そもそも自分の作品に他人の手が入ることに嫌悪を持ってたらやってられない仕事。
カラーの仕事を外注してる作家さんが居るの知ってる。背景は全部アシスタントさんの人も昔から居るよね。
AIの介入に嫌悪しにくいタイプのクリエイターだなと改めて思った。
導入して時間が浮いた分ブラッシュアップするとか、特色を盛り込む余地を試行錯誤するのかもしれないけど。
納期が決まってる上に、質と品質を求められる仕事な以上、3D背景や素材を積極的に導入してきた人には、AIは幅が広がるし時短の期待が持てる。
体壊してる作家さんが多い業界なので、出版社が権利のしっかりしてる自社のデータを使って、システム開発をして欲しいと痛切に思う。
最近の世の中には、「自分の好きな世界や趣味を貫ければ独身でもいい」的な風潮があって、ブラッシュアップライフやら大豆田とわ子やら独身エンパワメント!みたいな雰囲気だけど、
パートナーもいなければ貫きたいような自分の世界観も特にないんですよね、みたいな人間だしそういう独身の方が多いと思う
愛されたい願望から解脱して愛する喜びを理解できている年齢だが、喜べるほど愛する人もいないし
すべてを分かりあうことなんて無理だと知りながら、友達を大事にできる年齢だが、友達なんか少ないし
自分にできることなど何もないとわかりながら、できる範囲で自己実現を目指せる年齢だが、やる気を出して生きるコストの方がつらい
熱中できる趣味もいつかは飽きると知りながら、遠泳の息継ぎのように夢中になってみているだけ
別に何かがつらいとかじゃなくて、特別何もうまいこといかないから、普通にもう生きるのやめたいみたいな気持ちになる
日常のちょっとした快楽と日常のちょっとした躓きを天秤にかけると後者の方が少し重い
けど死を選ぶ面倒さの方がもっと重いだけで生きている
羨ましすぎて涙が止まらない
時代も全くおんなじ。みんなバラバラの進路に進んだけど、30代になっても月2、3で会って他愛のない話をずーーーーっとしてた。プリクラも撮った。カラオケも旅行も行った。老人ホームの話だってした。写真だって何百枚もある
一昨年、そのうちの1人が事故で亡くなった
通夜も行った。葬式も行った。親御さんから受付係を頼まれて、入り口に飾ってある遺影を信じられない気持ちで眺めていた。親戚ではなかったけど、釘打ちまでさせてもらえた。棺に入っていた品物は、ほとんど私たちの思い出にあるものだった
もしドラマみたいにやり直せたら
来世がアリクイでもいい。シロアリでも、フナムシでもいい。彼女に会えるなら、また4人で他愛のない話なら、生まれ変われなくてもいい
羨ましい。寂しい。会いたい
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
①まず自分の素直な願望を思い浮かべてみるex.)お金持ちと結婚したい、橋本環奈と結婚したい、小学生と付き合いたい、処女と結婚したい
②その願望の粗を探してみるex.)お金持ちならだれでもいいの?橋本環奈でも性格が悪くていいの?現実的じゃなくていいの?逮捕されてもいいの?処女ならブスでも性格悪くてもいいの?
③自分の願望をブラッシュアップしてみるex.)お金持ちならだれでもいい、お金持ちでイケメンで優しい人が良い、性格が良くて自分だけを見てくれる橋本環奈がいい、現実的じゃないと嫌だ、逮捕されるなら付き合わなくていい、処女で性格が良くてかわいい子が良い
④抜き出した『差異』が本当の願望な事が多いex.)お金持ちと結婚したい、イケメンで優しい人が良い、性格が良くて自分だけを見てくれる人が良い、現実的に生きたい、逮捕されたくない、性格が良くて可愛い子がいい
何故このライフハックが有効かと言うと、人は「絶対条件」と「相対条件」の違いを見抜くのが苦手だからです。
また、「社会的に押し付けられた願望」などが一番最初に来やすいから
こういうライフハック教えて欲しい。
なんでフリゲが衰退したのかってことについて、1日ぐらい俺もこのことについて考えたんだけど、やっぱどうしてもここに行き着くんだよな。
フリーゲームって結局はゲーム買う金も作る金もない学生の遊び場なんだろうな。
その昔凄いフリーゲーム作ってた人が後々にプロになったりして当時の年齢を逆算していくと学生時代にやってたことが判明したりするじゃん。
学生時代の趣味の延長で大人になっても続けている人はいるけど、基本的にはやっぱ学生が作るものなんだと思うわけよ。
そういう意味では学生サークル製のゲームって凄く理想的な制作環境なんだろうな。
ニュー・スーパーフックガールがまさにそんな感じで作られていてこういうの実在するんだなと思ったし、凄くいい思い出になってるんだろうなとも。
作ってるのが学生なら、プレイしてるのも学生なんだろうと思うわけよ。
大人になるとゲームをやるにもタイパ重視になってきて、そうなるとフリーゲームってなんとなーくテンポが悪く感じるんだよな。
あと学生時代には読み込めなかった難しい本とが読めるようになると、作者の哲学に触れたいなら古い有名文学漁ってきゃいくらでも会えるじゃんってなるわけ。
そうしてくとゲームに求めるものは優れたレスポンスや入念なゲームバランス・レベルデザイン・経験値テーブル、そして美麗なグラフィックや豪華声優となっていくわけでさ。
すると少なくともインディーズゲームが最低ラインで、フリーゲームはちょっと刺激が薄すぎるようになっていく。
学生の場合は金が無いからタダなのが嬉しいってのもあるんだろうけど、それとは別に自分自身が作る側だから他のフリーゲームも遊んでみたくなるってのがあるんじゃねえかな。
同人誌即売会に参加する人は自分も同人誌作ってる人が多いのと同じで、素人同士でお互いに作品見せ合うってこと自体を楽しんでる感じ。
アレはまあ割りとオッサンも紛れ込んでいる気がするけど、お互いに自分の作ったのを見せあって互いに影響されあうのを楽しんでる。
ゲームを通して自分を晒して、他人がゲームを通して晒してきた赤裸々な部分を見て楽しむ、ヌードビーチ的なノリの文化があるんかなと。
まあそうなると結局楽しいのは作ってる人間同士だけで、フリーゲームを作ることに人生を使えない変に忙しいおっさん達は金払ってプロメイドのゲームを遊ぶようになっていく流れがあるというのが俺のイメージ。
まあ結局さ、「お前がフリーゲーム終わったと思うのは、お前がオッサンになって時間がないからフリーゲームじゃなくて有料ゲーばっか遊ぶようになったからじゃね?」って思うわけさ。
ぶっちゃけ作らない側だったとしても心のどっかで「まあ俺もツールがもっとよくなったら作る側に回りますし?その前にライバルの実力とかリスペクト対象とするようなロールモデルでも探しますかね?」と考えながら遊んでたんじゃねえのかね?
それがもう完全に自分はゲーム作らない側の人間だって分かり切ってくると、段々とゲームの奥に造り手の拘りを見出すセンスが錆びついていき、工数がバリバリかかったコンテンツからしか興奮を摂取できなくなった……こういう仮説はどう思うね?
まあぶっちゃけ、これは俺のことだな。
俺がまさにそうだったと思うわけだな。
なんかもうさ、フリーゲームやるのが面倒になってきてるんだよな。
というか名前の全然売れてないゲームに手を出す余裕が全然なくなった。
日本中でマジスゲーって言われてるゲームやるだけでもう時間がねえんだわ。
ブルアカとか原神とかウマ娘とかACVとかのメインストーリー追うだけでもう結構時間がカツカツっていうかな。
もうゲーム選びで失敗する余裕さえないんだ。
フリゲによくある後半の難易度急上昇とかぶん投げ脚本とかそういうのにつきあわされる時間が人生にもう残ってないような肌感覚というかだな。
ほんのちょっと話題になったフリーゲームを片っ端から齧って5時間10時間してから口に合わないって吐き出して次のゲームにどんどん移るようなバイタリティはもうないわ。
まあフリーゲームでもその年で一番面白そうな3つぐらいは遊ぶけどね。
5年に1度ぐらい急にやりたくなって3ヶ月ぐらいで10作ぐらいババって遊んでまた5年触れないとかそんな感じ。
そういうのんびりした距離感でフリゲ見てる自分からするとフリゲもまだまだ全然元気に感じるけどな。
インディーズに行ったゲームもあるけど、その前にフリゲとして公開して話題になったから完全版開発したとか、同じコンセプトのブラッシュアップ版を作ったとか、踏み台にされてる感じはあるにしろ後にインディーズで話題になる作者がフリーで公開してたりするわけじゃんか今も。
全然元気じゃねと思う。
ロザリオーとかそのうちやろうとしたんだけどさー気づいたらダウンロード出来なくなってやんのー。
でも今落とせてもやらなかったと思うわ。
シナリオがよくても何十時間もフリゲのSRPGやるだけの覚悟がもう俺にねえんだ。
魔法少女もはよやらんと公開停止になるんかなー。
今のうちに落とすだけ落とすかー。
普通のPCゲーでもWIN11対応してないからWIN10のうちに遊んでおかないといけないゲームがあったりするんだよなー。
もう遊べずに終わったゲームは諦めるか。
セクシー田中さんに同じ毎熊(読み方は違うらしいが)って名字の俳優さんが出演してて、その人の「原作をブラッシュアップ」みたいな内容のコメントが叩かれてた。
俺には定型文的なコメントにしか見えなかったが、今の状況だとこんなものさえ叩く材料になるようだ。
悪意を勝手に見出して叩く奴は論外として、「原作読んでないからこんなコメントが書けるんだ!」みたいな感じで叩く奴もいた。
この俳優さんって確か大河にも出たりしてるはずで、サッカーの毎熊のつもりで検索するとよく引っかかるので印象に残ってる。
結構忙しそうなんだよね。