はてなキーワード: スタンスとは
・6人が主役のドラマは全員続投
・歌ダンスひとりだけ極端に苦手
な時点で、一人ハブられてることに説明しろってオタクが文句言ってるの意味わからん。
どう考えても実力不足でしょ。
先人たちだって職業は役者といえどもアイドル的活動があることは本人もドラマオーデの時点でわかってたでしょ?
それならドラマ後の展開としてアイドル的活動も一つの通過点として用意される可能性があるのはわかるだろ?
そして自分が歌やダンスが苦手な事は本人が一番理解してるはず。
しかも、彼らは同じ事務所で同時デビューでお相手がいるとはいえ、あくまでスタンスは個々の役者でしょ。
常に一緒である保証はないし、一人だけ能力が怠るならなおさら。
事務所がコンビ売りしたいって一存では決められないし、今回は仕方ないことだと思うのは冷たいのか?
出来ないところが可愛いと思うファン心理とクオリティを追求したい会社側で反りが合わないのはわかる。
でもこのプロジェクトではファンへの配慮よりもクオリティを優先したってことでしょ。
事務所がファンからそういう批判が来ることくらい予測できてないわけがない。
悔しかったら本人が努力するだろうし、ファンはくだらんモンペしてないで本人を見てあげて尊重して応援するべきなんじゃないの?
※前提として、筆者は首都圏や大阪だけでも早急に経済停止を含む処置(少なくとも緊急事態宣言)をとるべきだと考えています。
これについては、文章の最後に私以外の人の意見もいくつか紹介していますので、反論自体に興味がない人も読んでいただけると嬉しいです。
なお、増田における個人への言及が規約違反になりうる、という話については承知していますが、
上記記事の著者であるdeztecjp氏自身がそれについて 「穏当な批判まで第三者が不当視することではない」というスタンスをとられていることと、
今回の内容がなるべく多くの人の目に触れてほしいということを鑑み、増田という形を選ばせていただきました。
もし、deztecjp氏自身から削除依頼があれば、対応いたします。
さて、私がdeztecjp氏の記事について引っかかったのは、主に以下のような箇所です。
新型コロナだけ、必死に対応しようとする人々は、他のほとんど全ての危険について、忘れているのではないか。だからこそ、一点集中で全リソースを投入することを望むのではないだろうか。
最大限の見積もりでも総人口の数%が死ぬ程度で、おそらくはスペイン風邪(総人口の1%)が現実的な目安になる。
ひとつのご意見として理解はしますが、少なくとも「総人口」を基準に置く書き方はフェアではないかと思います。
リスクの高い場所(都心など)に住む人々の何%が死ぬか、というファクターも重要ではないでしょうか。
ひとつの思考実験として、より極端なケースを考えてみればはっきりするかと思います。
例えば、コロナとは別にある特殊なウイルスが流行したとしましょう。
特定の区域に住む260万人の人々だけは免疫を持たず、感染した場合に確率50%で死ぬとします。
また、何も対策を打たない場合、この区域の人々に徐々にウイルスが感染していき、やがて全員に感染するとします。
この場合、亡くなるのは日本の人口1億3000万人の1%程度です。
しかしながら、これを放置するのは、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬウイルスを放置する」というのと比べ、倫理的に大きく問題があると考えます。
それは、「放置する」という決定は国民全員(の代表たる国会)でしても、そのリスクを負うのは一部の人々だけであり、また当該の区域に住む人が死ぬまでに感じる恐怖といった面も無視できないからです。
さらには、生き残った50%の人たちについても、家族を含む当該地域の人間関係を複数失うことが想定され、
その人たちのQOLに大きく悪い影響を与えてしまうというようなこともいえます。
大雑把に言うと、「人間関係の5割を失う悲しみを味わうひとが130万人いる」というのは「人間関係の1%を失う悲しみを味わう人が1億数千万人いる」より望ましくない状態だということです(筆者の考えでは)。
以上のようなことから、私は、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬケースなら経済を止める必要がないかもしれない」「しかし、今回のケースでは経済を止めるに値する」と考えます。
その上で、deztecjpさんが「いや、今回のケースでも命の値段はそこまで高くない」と考えるのであれば、私に説得することはできません。
(実際のところ、自動車事故や自然死も「完全に平等な死」ではない以上、どこまでいっても価値観の問題ではあるかもしれません)
それでも、「命の値段はリスクの不平等さによっても変化しうる」という点については、同意していただけないかと考えるのですが、いかがでしょうか。
なお、私個人としては、コロナとの戦いを諦めた場合、死亡リスクが高い地域においてパニックが起きると考えており、その意味でも首都圏や大阪は少なくとも緊急事態宣言を行うべきだと考えています。
(以下、いくつか私が同意している意見を引用します。ツイートの文脈については引用しきれていないので、すみませんがクリックでご確認ください)
このくらいの生命の危機に晒された場合、ほんとうにみんなが職場放棄して逃げるエビデンスがあるのかといわれるとわかりませんが、私が都民なら逃げるので、個人的には、感染爆発下で経済活動維持なんて無理だろうと思いますね。
2月くらいにロイター等海外紙が論じていましたが、感染が急拡大しても武漢のように移動制限も取らずに政府が状況をひたすら放置すると、パニックによる都市機能停止が起きることが懸念されていました。欧米はロックダウンでパニックを抑えたので、日本が初ケースになる可能性があると考えています;;
イギリスでの試算では、「緩和」を選ぶと、25万人が死ぬという。
もちろん、医療システムは完全に崩壊する。
集団としての人間は、その状態に耐えられない。
あなた個人がいくら冷血で「いくら人が死んでも気にすることはない」と思っていたとしても、いざ死体の山ができて火葬が追いつかないような状態になってみると、あなた以外の多くの人間が「これではだめだ」と思うようになり、結局は「封じ込め」に方針転換せざるを得なくなる。
イタリアもそうなっている。
日本も、そういう状況になったら、確実にそうすることになる。
※最後のtakeda25氏の意見はちょっと本題と逸れますが、「冷血」などの価値判断はともかく、「結局のところコロナ対策を行うことになる以上、対策を行うのは早いほうがよい」というのには理があると思い、紹介させて頂きました。
実際、下記のニュースのような状態になったら、封じ込めに転換しないというのは不可能だと考えます。(deztecjpさんの書く "負けが明白になっても食い下がるのは、なしにしてほしい。" というのはこのような状態を想定しているのでしょうか? 私は、仮に経済をある程度重んじるとしても、下記のような状態を避けようとする対処は最低限必要不可欠と考えます)
イタリアのコロナ死者数、統計はるかに上回る
死者の多くは病院まで行きつけずか、検査されず
上記のような「完全に崩壊した」地域の経済リスクについて考慮する必要があると考えます。
その点、deztecjpさんの「総人口の数%が死ぬ程度」というような書き方はそのようなリスクを見えなくするものであって、ミスリーディングさを孕むように私には感じられました。
https://anond.hatelabo.jp/20191212165757
読んでいて草。
久々に今や絶滅危惧種である昔ながらの国籍透視系の能力者ネトウヨ(今の行儀が良くなった保守系の人達と違うと言う意味でもあえてこの単語を使う)に出会ったが、あいつらフェミニスト、ポリコレ、LGBTと言った先鋭化しきった彼等の言う所のパヨクと言う海外でいう所のSJWとか言うリベラルとそっくりだ。
この人達は右左の方向性の違いはあっても思考の方向性は全く同じ。
特にフェミニストと近いと言うより親和性が高いのは一部の保守系の俗にいうお母さん保守とか呼ばれる連中や宗教系の人達だった。
ここから長くなってしまうが、この手のネトウヨにもフェミニスト他リベラルにも共通して言えるのは。
こうして見ると政治スタンスに関係なく、この手の人々の行動が似通っているのは根底に常に自分を優先するクレーマー気質が強いと言う事も言えるだろう。
その自分本位の思考回路の結果が他者への配慮をも全く考慮しない行動に繋がるのだ。
また右左どちらの人から見てもこれ等のクレーマー気質の人間は敵よりも余程厄介な所謂無能な味方でしかないのは事実であろう。
ある種この様な暴力的で攻撃的な人間の行為そのものが自身の所属する思想や集団に対しての評価の下落や票の継続的な減少等の割と致命的な事態を招く事を繋がる。
その結果は自身の所属する思想や集団の悪評をも招く事になり、全体の評価を下げる事にも繋がる。
何にしろこれ等の人々は右左の思想関係なく、まともな人から見れば、関係ない人物や中立勢力及び本来味方とも言える勢力や人物にも平然と噛みつき、迷惑行為を行う単に迷惑な人物及び集団であるのは明白である。
その事は選挙の結果にも響いてくる。
これ等の行為が当時の自民党の政権交代の一端であったのは事実だろう。(また当時自民党の側にフェミニスト団体やキリスト系が加担して規制を推し進めていたのも事実だが。)
そして現在のフェミニスト等と言った集団による赤十字やJA等に対しての迷惑行為の積み重ねがリベラルの散々たる結果の一端になっているのは想像に難くない。
以前ツイッターでこれ等の人々は現実社会では最底辺であり、統合失調症等の精神病なのではないか?や通院歴のある人間が多いと言う事実なのか判らない情報を結構見かけた事があったが、少なくとも一般の視点から見れば、普通に常軌を逸した常識的ではない行動ばかり行っているのは事実であり、世間にもそう言う風な目で見られるのも仕方がない所であろう。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 72 | 9662 | 134.2 | 46.5 |
01 | 45 | 5410 | 120.2 | 55 |
02 | 35 | 6481 | 185.2 | 67 |
03 | 26 | 4902 | 188.5 | 65 |
04 | 14 | 1372 | 98.0 | 28 |
05 | 31 | 3199 | 103.2 | 55 |
06 | 17 | 1948 | 114.6 | 39 |
07 | 40 | 2458 | 61.5 | 38 |
08 | 82 | 5290 | 64.5 | 29 |
09 | 134 | 11993 | 89.5 | 38 |
10 | 174 | 10117 | 58.1 | 28.5 |
11 | 138 | 9090 | 65.9 | 25.5 |
12 | 103 | 10962 | 106.4 | 41 |
13 | 213 | 23564 | 110.6 | 31 |
14 | 116 | 7771 | 67.0 | 39 |
15 | 96 | 9177 | 95.6 | 52 |
16 | 157 | 16226 | 103.4 | 44 |
17 | 145 | 18527 | 127.8 | 45 |
18 | 113 | 8557 | 75.7 | 41 |
19 | 150 | 13845 | 92.3 | 33.5 |
20 | 191 | 14613 | 76.5 | 40 |
21 | 148 | 13344 | 90.2 | 35 |
22 | 171 | 13422 | 78.5 | 36 |
23 | 142 | 14213 | 100.1 | 39 |
1日 | 2553 | 236143 | 92.5 | 37 |
酸素吸入(4), 生まれ故郷(3), 寝かす(3), ロシアンルーレット(4), BCG(6), 池田信夫(4), 黒死病(3), BIOS(3), 藤浪(3), 神戸大学(4), アロンアルファ(3), 自粛(92), 外出(70), 首都(13), 感染拡大(12), 重症(30), 濃厚接触(11), 雪(19), 封鎖(14), コロナ(245), イタリア(29), リモート(19), 要請(23), 感染者(41), 感染(122), 新型(31), コロナウイルス(25), 検査(51), マスク(53), ウイルス(27)
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昨今の新型コロナウィルスの流行に対してここ数日でスーパーから食品が消えて緊迫感が高まっているのだが、ニュースで伝わる政府の対応には正直憤りを感じてる。法的根拠に基づく休校措置とか外出禁止とかじゃなくて、あくまで自粛要請という形で国民に空気を読ませる無責任さとか。お肉券、お魚券の配布といったバカみたいな政策が部会内のブレストでとどまらずにオフィシャルに出てきてしまう頭の悪さとか。
政府に巣食うアホな議員は選挙で落選させるしかないと思うのだけど、さりとて野党もたいがい微妙なので困ったものである。政権を取る可能性がなくはない野党3党、立憲、国民、維新のどれを見ても自民党より良いかといわれると一長一短。個人的には、下記の理由で野党も積極的に支持できない。
野党最大勢力だが、旧民主党が分裂した影響で現実的な考え方をする実務家タイプが離散して、活動家タイプの比率が上がり昔の社会党のような固定支持層に支えられる党派性の強さが近寄りがたい。
穏健保守的な立ち位置で対案路線には好感が持てるが、議席のために政党移動を繰り返した渡り鳥議員が多そう。マスメディアやSNSでバカな発言をする議員も目立つ。数合わせの烏合の衆感が強い。
即断即決で物事を進める改革イメージはあるが、民主主義の手続きを軽視した強権的な政治手法や、反対意見に耳を貸さない独善的な要素、学術・文化の軽視が個人的に受け入れがたい。
なんということだろう。政党ベースで候補を考えるなら選択肢が残されていないのだ。俺の理想とする政治スタンスはどんな感じかというと、コロナ対策の外出禁止令なら、事前に特措法を用意して法的根拠に基づいて発令し、
発令タイミングも事前に基準を公開しておいて混乱を避ける。(該当エリアの感染症病床キャパシティの50%を超えた段階でとか数字で出す)、経済対策ならまずは一律で全国民に現金ばらまいて収入を絶たれた人への対策とし、その後で大型減税、最後にダメージのでかい業界への個別支援とか必要な対象に段階を持って進めれる感じ。
要は、「民主主義の手続きを踏んで」「ロジカルな政策立案をし」「責任感を持って必要な情報を出せる」というのが個人的な望みなのだ。だが現実問題、こういう方針をとれている政党が残念ながら存在しない。じゃあどうするか。ビミョーな選択肢の中からよりましな選択肢を選ぶしかないのか?
そうだ、政治家個人で見ると上記の資質を持った人もいるんじゃね? 個人献金でまともな政治家を支援しよう!と思ったのがつい先ほど。献金先は少し考えたが、現政権にも良くなってほしいし、まともな野党が育つのもよいなと思って、与野党からそれぞれ1名献金することにした。与党議員からは防衛大臣に、野党議員からは対案路線の党首を献金先に選んだ。彼らのコロナ対策における言動が理にかなっているように見えたので、これなら支持できると思ったのだ。
ということで、選挙以外で政治を良くする選択肢として生まれてはじめて個人献金をしてみたのでした。日本の政治が少しでもましになりますように。
三月二十五日(水)
地味な作業が続く。おそらく明日はもっと地味な作業を一日中続けることになる。今のうちに英気を養っておこう。そのため夕食に加えて、香ばしいベーグルを食べた。
COVID-19はどんどん大ごとになってきており、首都の封鎖までまじめに検討されている。気が重いので、ニュースも必要最低限を追うにとどめ、ツイッターでの評論家や素人の議論はほとんど無視している。このままだと、懸念していたとおりに美術館を全部閉めることになってしまうだろう。やはり今週末のうちに出かけておこう。金曜日の職場帰りなら土日の外出自粛にはかぶらないし、バンクシーは横浜市内なので小池都知事の管轄外だ。冗談はさておき、今のうちに気晴らしをしておかないと、今以上の危機の際に平常心を保っていられない。これで図書館まで営業を取りやめられてしまったら、目も当てられない。家にこもって久しぶりにcivilization 6でもやるべきか。
で、ますます風俗どころの話ではなくなってきているが、そもそも自分が本当に行きたいのだとはあまり思っていない。実際に行くよりも、行ったところを空想するほうがずっと好きだということもありうる。性的な自由というか放縦さは、自分の中では無制限の自由のシンボルになっていて、だから仕事中にしんどくなったときに人妻ヘルスで二人のおっぱいを同時にもみもみすることを思い浮かべてやり過ごすのだ。実行したところで自分のようなタイプは、まず初対面の人間二人を前にして、確実にアウェイに感じるだろう。こうやって自分の風俗に対するスタンスをメモしてみると、自分の本当にやりたいことが見えてきてありがたい。
そうだ、金曜日にベトナム料理を食べようとして調べたのだが、bunkamuraのそばにはベトナム料理屋が二件あるらしい。二つともすぐそばの雑居ビルの六階にあるのは面白い偶然だ。食べログの情報を信じるならば片方は日本人好み、もう片方は本格派らしい。本格派のほうが面白そうなので、そちらに向かうとしよう。
それにしても本当に娯楽施設が全面閉鎖になったらどうしようか。ずっとためらっていたアマゾンプライムへの加入も検討してもいいかもしれない。一応docomoユーザーなので、無料券をもらっているのだが、面倒くさがってまだ手続きをしていない。自分は必要がないならやらないという無精者だ。
今思い出したが、今日は職場でランチ会があった。以前はパクチーを名物にしていた店だったのだが、それがつぶれていつの間にかパスタ屋になっていた。期待していたよりも麺がもちもちしていておいしかった。ただ、十数人で押し掛けたのに台所を一人で切り盛りしていて、大変そうだった。普段はそれほどお客さんが来ないのだろうか。
小説の執筆は、日曜日に再開するつもりだ。再開したら、日記をここで書くのも取りやめるかもしれない。
追記。
三月二十六日(木)
起きたときにまたもは片頭痛、加えて吐き気があった。大分収まったが、まだ具合が悪く、ひとまず午前休をもらった。
思い当たる理由は特にない。強いてあげれば、非常に不快なニュースを増田経由で見てしまったことだが、海外の翻訳サイトであり、フェイクニュースである可能性も否定できない。実際カテゴリを見るときわものばかりで、大いに疑わしい。事実だとしても、自分が取れる対処としては特にない。
増田は、自分の感情を整理して公開するにとてもいい場所だと思うが、垂れ流し状態というか、自分の負の感情を吐き出すというか、他人に八つ当たりしているようなトピックもあるので、そうしたものからは適度に距離を置きたい。
ワニについて「無償でやってることだと思ったのに金儲けかよ!」という批判はかなり少数だと思うんだけど、この人もそうだけど相手をそのスタンスで固定してのカウンター批判とか擁護とか思い出なんだよね。
ってブコメがあるけど、
だからそういう記事だけ見て知って他を知らない人はそう勘違いするんだと思う。
実際は死んだ直後に天使の輪っかと羽生やしたワニの絵出して追悼POPUPSHOP!という不謹慎っぷりが一番の炎上ポイントだと思ってたけど
(で、それをやってるのが電通と判明→流石人殺した企業がやる事だなで更に炎上、って経緯だったかと)
ワニのメディア展開の件で、大炎上した件について、自分も数年前に似たような感じで
たぶん、目線としては作者、および電通とかの目線なんでよろしく。
自分はWEBデザイナーだ。ちょうど、大炎上した時はリーマンショック云々とかで超不景気で
中小企業がバスバス倒産した頃だ。ちょうど自分の会社も資金繰りがうまくいかず倒産した。
んで、次どうするかなーと失業保険もらいながらニートしてた頃に
その会社でお世話になった企画プランナーの人から連絡があった。
「バナーを作ってほしい」
最初はそんな感じだった。その企画プランナーさんは自分よりも前に退職したんだが
前職はSI系と教育系がメインのお硬い感じのITだったが、その人の仕事だけは特殊で
割とメディア寄りの事をやっていた。イベントとかそういった感じの。
「盛り上がる」ような事であれば何でもやるっていう感じの人だった。
詳細を聞いた所、どうやら、気まぐれで動物を保護して、その動物との生活をブログで公開していた所
結構な人気が出たらしく、今で言う「バズった状態」になったらしい。まだFBやtwitterが一般的になる前(か、なり始め)
会社ではわりとぶっきらぼうなタイプの人だったんで「動物保護とかするんかい」とちょっと以外だったんだが
・お世話になった人だったから
というような感じだった。そんな感じで、ブログのデザインテンプレをちょいちょいと修正して
若干見た目を良くしてあげた。
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その後も順調にブログを運営していたようで、ちょいちょい連絡を貰って現状を聞いていた。
ちょうどブログ本とかが流行ってた時期でもあったんで、広告代理店等から出版化の打診とかも来ていたようだ。
この辺がちょっとワニとかぶるんだが、広告代理店などのアンテナばりっていうのはまじでめちゃくちゃ早い。
アンオフィシャルな状態から仕掛けが入っている。たぶんなんだけど、ワニもそういうどっかしらのタイミングで
ふわっと噛んできたんだろうな。。
話は当時に戻って
「動物を保護しバズった」のは結果としてそうなったわけであって
「動物を保護した事自体」は完全にこの人の気まぐれと善意から始まった事である。
そういう訳で、この企画プランナーさんは、こういった保護されるような不幸な動物達(虐待やらなんやら)のために
何か出来ないか?という事で、募金?のような感じで賛同者を募る事にしたそうだ。
ちなみにこの時点でも動物に興味が無い自分なんで、色々熱心に説明してくれたんだが
「まぁ何か良いことしたい」って感じなんだろなーぐらいなもんだった。
とりあえず、募金の使いみちは出資してくれた方々とブログとかで交流しながら詰めるとして
去勢とかそういうような方向性で貢献できるような感じを想像していたらしい。
これまでハートフルだったブログ読者達の中で「金銭」がからむ事への何かしら不穏な空気が流れだしたようだ。
まぁただこの時点では、大多数は賛同者だったらしく、このプランナーさんも
ぐらいに言っていた。
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さて、この時点で振り返ると、
事の発端は、この人の完全なる善意でスタートしているんだが、この人は企画屋という側面もある事。
んで、実際に多くの人に注目され、ブログ本化の打診も来ている
という状態だった。
そのタイミングで基金を募るという行動は、スムーズに行けばめちゃくちゃ良い方向につながったに違いない。
動物を保護してからの生活をブログで公開し、注目され、基金を設立し
その基金からさらに動物に対して「良い」事につながる活動をする。
そしてそれがブログ本で出され多くの人の手に渡り、さらに相乗効果が生まれる。
トントン拍子で行ければそうなったに違い無い。
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この基金を開設するにあたって、さすがにそういった知識等が無いプランナーさんは
そういった慈善活動等を通して社会貢献を行う事を種としたNPO団体とつながる事になる。
IT系の会社ながら、そんなイベンターや、慈善活動やらをやってる人たちがいたっていう
今考えれば、色とりどりな会社だったのかなと思う。
そのNPO団体の代表さんに相談し、基金を開設するまでのフォローをおねがいすることにしたそうだ。
そういう点に関しては、このNPO団体のおはこといえる部分だろう。
それのプロフェッショナルな訳だ。
なんとなく始まったブログから、実際にこういった具体的な活動に繋がった事に
自分も、ただブログバナーだけの協力だったり、話を聞くだけレベルの携わり方だったが
何か嬉しく感じた。
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そんな中ちょっと事件が起こる。保護していた動物が死んでしまったのだ。
ちょっと身バレにもつながるんでファジーに書くんだが、このブログのスタートは
「虐待等で傷ついていた動物を、このプランナーさんが保護した」という事からスタートした
ブログだった。その動物を世話や交流を綴っていくという感じのブログだったと思う。
この基金開設のタイミングが自分はよく分かっていないんでアバウトなんだが
この出来事が強く影響していたのは間違いない。
「こういった悲しい事をなくす為の基金にしよう」
という思いは本物だった。
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実際に基金を募るため、NPO団体側としても人々を集めるための動きに出るようになる。
ここで善意のこじれが出てくる。
このNPO団体のスタンスとしては「外部」という形で協力しているというスタンスだったんだと思う。
なんで、この一連の活動に関して
「こんな素晴らしい活動が行われているんです。みなさん知ってください!」
という感じで、中核にいるというスタンスではなかったんだと思う。
このNPO団体は、そういった事を「外部」としてサポートするプロフェッショナルだったわけだ。
そして、そのNPO団体が作ったバナーに掲載された文言が「感動の物語」という一文だった。
この一文がトリガーになる。
動物を保護し、その交流の中で生まれたたくさんの出来事、そのハートフルさに人が集まる
しかし、そんな中動物は他界してしまい、そんな悲しい出来事を起こさないようにしたいという思い
というアウトラインは、外部が纏めるならば「感動の物語」の一言でしか無いだろう。
NPO団体は外部からの目線でそういったワードを選んだんだと思う。
この活動の中心になっている人たちが自分達で「感動の物語」と称している
ように写ったんだと思う。
んで、このバナーを見て自分は「この文言大丈夫なんすか?」っとプランナーさんに訪ねたが
「そうなんだよね。ちょっとこの文言大丈夫なのかなっておもうんだよ…」
とぼやいていた。ここで、じゃあこのプランナーさんが「修正」を出せば良いと思うかもしれないが
このNPO団体さんも完全に「善意」と「前職のよしみ」という感じで協力をしてくれているのだ。
そして、そういった基金設立というようなノウハウに関しては、完全にNPO団体さんの方がもっている。
という訳でこのプランナーさんは、そういった力関係から、このバナーのワードに関して
口を出さなかったようだ。いや、たぶん気を使って言わなかったんだろう。
というような感じだったんだろう。
---------------------------------------------
さて、そんな不安満点のワードが盛り込まれたバナーは案の定大炎上する。
・感動商法の金集めなんじゃないのか
そういったような意見が多く寄せられたようだ。
ブログのコメント欄も大荒れで、掲示板でもスレッドが立つ等炎上をしてしまう。
そういった負の感情の連鎖っていうのは本当にものすごいエネルギーで
これまで積み上げてきたものを一瞬でふっとばすかのようだった。
ワニの件でも「嫌儲」というキーワードがあったが、「お金」が絡むと本当にすごい事になる。
まったく事実無根な事ばかりが書かれまくるのだ。
このプランナーさんとしてもブログ本の出版というようなメディアミックスを行う事も
頭の中にあったのは間違い無い。
しかし、それは最後の最後にきれいな形でそうなれば良いし、そしてその活動でそういった不幸な動物達に対して
目が向き、世の中が変われば良いと思っていたのも間違い無い。
この「基金」自体でお金を集め儲けようなんて思っていなかったのは、本当だ。
もちろん、このプランナーさんも個人のブログという形でやってたんで、人間臭いところもあったんだろう。
そしてNPO側の情報がネット上にさらされる。代表者の名前、経歴等
なんというか「疑い」の目というのは本当に怖いなと感じた。
「急にプロっぽいクオリティになる金銭が発生している可能性がある」というような疑いをかけられいた。
金銭は発生していないが、まぁ本職の人間がやってるんだからそうだろう。
※プロっぽいクオリティと言われて、内心ふふんと思ってたりしていたが。
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そんな感じで、あることないこと書かれて、一気に燃え上がった。
こんなはずでは…とプランナーさんと話す。
これはもう、経緯をもっと詳しく書き、ブログ読者達にしっかりと理解してもらうしかない。
そうなったプランナーさん、読者にむけてのメッセージを書くことにした。
そして自分はその文章が大丈夫かどうか読者目線で見てほしいとおねがいされた。
んで、そのプランナーさんが出してきた文章は、そのブログでの口調が反映された文章だった。
「謝罪や釈明ならば、もう少し社会的な感じの方がよいのではないか?」
というアドバイスをした。自分としては、プランナーさんが出してきた文を見た時に
その意見を受け、プランナーさんは文章を硬い感じの文章に書き換えた
的な。
んで、これがまた大炎上する。「急に会社っぽくなりやがった!」と。
もうこれに関してはエェぇぇエエエ……!!って感じだった。
疑惑の目ってマジに怖すぎ。
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誰かにすがりたいっていう感じだったんだろう。
自分もなんとか協力したいという思いもあったが、それ以上に、この大炎上騒ぎが本当に
怖くて怖くてたまらなかった。
画像も、ブログCMSの容量制限から設置が出来ず、自分の管理している個人サーバーに
このままだと、ブログソースまで解析されて、自分までやり玉に上がってしまう!!!
連日相談をかけてくるプランナーさんに自分もとうとう疲れてはててしまい
とブチギレてしまった。
あの時のプランナーさんのしょんぼり具合は本当に悪い事をしたと今でも思う。
でも俺も怖かったんだよ…。
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違う部分もたくさんあるんだろうけど、なんというか凄く思い当たる節がたくさんありました。
何ていうか、「一つの事柄」にたくさんの人が携わって行くことで制御が出来なくなっていく感じ。
たとえば「感動」というワードも人によってはまったくの別物なわけだ。
とにかく、何でこうなってしまったんだろうと制御が効かない感じ。
ちょうど、先日の伊集院さんのラジオでも過去に伊集院さんがプロデュースした
バーチャルアイドル?の「芳賀ゆい(はがゆい)」に関して言及していた。
ものすごく分かるわーと思い聞いたわけだが。
以上、何か駄文でした。
とんでもなく話題になったワニ。
もちろんこれは局所的なブームだろうし、知らない人は知らないはずだ。何の話かわからなければそれはそれでいい。
知っている人の中でも、どんな感情を抱いたかは人それぞれだろう。
純粋に感動した人もいるし、その後の商業展開に怒っている人もいる。なんにも感じなかった人も、中にはいるはずだ。
なので、これは私の感想だ。
いや、そこまでのことか?これ。
いやね、俺だって見てきたよ、100日間。
へえ、こんなのあるんだ。このワニ死ぬのかな、死なないなら死なないなりの理由がいるだろうし、大変だな。
そんな感じで「お、やってるやってる」みたいなスタンスで見てたよ。
作者にクソリプ飛ばしてるヤツらも、パロみたいなパクリみたいな改変してるヤツらも。多分1通りって言っても過言ではない感じで眺めていた。
残りの日数が死に近づいてくる度に、人気も上がっていって、おーデカいコンテンツになったなーと見守ってた。
じわじわと、周りが悲しみ始めていることくらい、わかってた。
まぁ言っても100日見てきたわけで、それなりに愛着くらい湧いてるだろ。最終日くらいは悲しくなるだろ。
そんな風に考えながら、迎えた100日目。
すーごいバズってたね。そんなか?そんなにか、これは?ってくらい。
あとどこにいたんだ、こんな人数のユーザー。
みんなが死を悼んでいるか、商法に騙された〜だのなんだの怒ってるかだった感じだ。俺のTLではね!
さて、俺の感想だ。
「あ、死んだな。やっぱ死ぬ他ないよな」
それだけである。
呟いても良かったけど、なんだか水を差すようでやめた。
この感覚、よく味わう。
みんなの感情の渦の中、自分だけ手持ち無沙汰で「早く落ち着かないかな」と思っているこの感覚。
周りを見りゃみんな泣いてる。特に小中だな。
泣いてないのは少数派だった。最初から泣いてるやつ、感極まったやつ、堪えきれなかったやつ。
それを毎回「そんなか?」と思いながら過ごしてきた。ずっと「泣けなかったやつ」としての気持ちがある。
それこそ「そんなか?」と思われるかもしれないけど、友人たちが泣いてる中、俺だけ泣こうとしても泣けず、慰めるようなものでもない、いたたまれなくて居心地の悪い空間にいた、あの記憶は、ずっと心にこびりついている。
みんなに合わせる必要が無いと分かっていても、集団行動こそが美学!みたいな教育方針にどっぷり過ごすのだから、自分だけ違うのは気になってしまう。
そして、ここに来てのワニだ。
でも感性も成長しているはずで、今回こそは行けるかもしれないじゃん。
そんな淡い期待を持って挑んで、俺はまた卒業式に飛んでしまった。
人と同じ感動がしたい。人と似た気持ちを共有したい。
そんな気持ちをずっと抱え込んでいる。
マジレスすると、別に商業展開も何も悪いわけではない。ただ、商売にする人が、全員、作者自身も含めてワニを悼んでいないことが反感を生んでるんだと思う。
「悼む」というのは、この場合、ある人の人生やその死に対して、真摯な思いを抱いていることを意味する仕草であり、そういう態度表明のことである。ワニの死をいま「悼んで」いる人々は、言い換えれば「100日目に死んでしまうのだろうか…」と心配しながらその物語を見つめ続けていた人だ。ワニを身近に感じ、共に泣き、笑い、あるいは儚い存在としての自己を投影してきた人々だ。そういう人に対して、その関心の持ち方自体がすでにゲスいだろ、という批判も散見されるが、それを言うなら当然それを商売にするのはもっとゲスいことになってしまうので、批判への批判としては意味がない。そういう人を批判できるのは、「そういうゲスい漫画は最初から読まない」というスタンスをとっていた人だけだ。
したがって、「悼んでいる」人から見れば、「悼んでいない」作者、商業展開に関わる広告業者、出版社の人々はみな、心情的に同志ではない。なぜなら、彼らはワニを「悼んで」いないからだ。たとえば葬式の場で遺産の話をあけすけにし始める親戚のようなものだ。彼らは「悼んで」いない、それが、それだけが感情的反発をもたらす。「どうせ貰うんだから一緒でしょ」「所詮フリでしょ」「タイミング逃したら大事な話(商業展開)ができないっしょ」……等のもろもろは、確かにその通りだとしても彼ら遺族の不興を止める根拠にはならない。彼らの感情的批判を止める種にはならない。
ただ、たぶん作者、広告業者、出版社の人々もそんなことは分かっているのだろう。そして、そうしない理由はただ「多少の不興を買って炎上しても結局は儲かるからいいだろう」なのだろう。いや分かってる。彼らのお客さんはただ「流行りに乗りたい」人々だけだからだ。「なんか話題になってるんだって。おもしろそー。」って理由で本を手に取って「うわー、泣けるー」って言ってくれる(チョロい)人々だ。決して、ネットでポチポチと毎日無料のSNSで無料で広告漫画を見続けてきたファンではない。彼らにとってファンとは、ただ話題を作るだけの存在だ。作者、広告業者、出版社から見れば、話題を広げてくれる物好きなボランティア、言ってみれば読ませてやる代わりに無料で使える下働きなのだろう。彼らにとって「読者」とは、実際に小銭を出して何かを購入してくれる「お客様」のことなのだ。そして、「悼む」仕草は前者にのみ効き、後者には効かない。だから彼らは「悼まない」。分かりやすい話だ。何ならこれまでもさんざん繰り返されてきた構図だ。
この問題の背後にあるのは、「作品は誰のものか」という古くからあるテーマだ。
作者、広告業者、出版社は、全て「作品は俺(たち)のものだ」と思っている。俺(たち)が作り、俺(たち)が計画し、俺(たち)が煽り、俺(たち)が成功した、その結果だと思っているのだろう。だが、それは正しくない。「読み手のいない物語」というのは「誰にも解読できない言葉」と同じで、そもそも意味がない。すべての「物語」は「誰か」に向けて語られるものであり、その前提でなくてはいかなる物語も存在しない。いかなる孤高の作家であろうとも、自分の書いたものを「読む人」を想定して作品を書かない人はいない。この、想定される読み手のことを「(作品に)内在する読者」と言ったりする。
一方で、作品には、更に大きな意味で一種の社会現象としての側面がある。ある時代、タイミングで社会に送り出された作品は、そういう「文脈」をもって読まれ、受け止められることを避けることはできない。たとえば、KANが皮肉のつもりで作った「必ず愛は勝つ」が皮肉でない意味で流行したが、この場合、作品の「正しい読み」は皮肉なのだといくら作者が叫んだところで、意味がない。この場合、多くの人がそう受け止めたという事実があるのであって、多くの人のその受け止めが「間違っている」ということにはならないのだ。その原因を作品内部に求めることは、全く不可能ではないだろうがあまり意味がない。多くの人に受けたという現象がその作品を歴史に残すのであって、内在する意味が残すのではない。これは「外在する読者」ということになる。
これらの考察から分かることは、作品は「誰か特定の側のものではない」ということだ。そして、一定の読者を想定して作者、広告業者、出版社がうつキャンペーンは、それ自体として作品の一部であり、かつまた、それらの行為によって「外在する読者」自体も変化する(新たなファンが流入する)という形で、両者は相互に影響しあうということだ。何なら、「旧来のファンが文句をつける」という行為まで含めて、それは作品の一部なのだ。ある作品を評価するなら、それを全て含みこんで論じる必要があるだろう。
今回の作品やその展開は、革新的だと褒める人もいるが、使用した道具が新しいだけで、特に手法として新しいわけではない。このようなメディアミックスによる話題作りは、明治の終わりころから新聞小説などでもよく見られた手法だ。何なら、広告・宣伝というものが世に生まれたそのときから、普通に行われてきた手法だ。彼らがみたところ「節操がない」のは、今に始まった話ではない。広告・宣伝に関わる人は、自分自身のそういう性質を十分理解しているから、そういう批判を全く気にしないのだから、批判者も、今更彼らに良心など期待しない方がいい。
ブックマークのお気に入りに入れてるid:lady-joker氏がよく似たエントリを上げていて面白かった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217
いや、まあ大体そういうことなんすよ……。
クリエイター支援サイトPatreon「日本のアニメ絵は幼く見えるので禁止します!児童ポルノの掲載は許可できません」https://t.co/90GvwMyxR0— ユルクヤル、外国人から見た世界 (@Yurukuyaru) 2020年3月18日
そのPatreon自体がこれ以後イベントのキャンセルが多発し急速に資金ぶりが悪化している点は笑い所。
大方これも豪州や尼のミクの一件で暴れているフェミさんの仕業だろうけどね。
こんな弱者の権利にかこつけて実在児童を救わず、自身の気に入らないモノは何でも規制しようとするスタンスだから、幾ら世の中の人間が反論しにくい話題であった児童ポルノであっても世間の我慢の限界がいよいよ差し迫ってきだして、フェミや人権団体がこそおかしいと言う認識がされ始め、急速に反社扱いされる事態になったのだけどなw
それでも季節性インフルエンザの10倍やし、全世界感染前提なら5000万人死ぬけど「インフルエンザと変わりないから安全!」なんだよな。
OKOK、そのスタンスで続けてくれていて構わんぞ。
結構前になるが、1度だけプロの性感マッサージ(いわゆる女風)にいったことがある。
というのも、私は悩んでいたのだ。自分が「イけない」ことに。
まだ彼氏と付き合いだして間もないころ、なぜ私がセックスでイけないのか、という議題で揉めたことがある。
そのときの私は「そんなこと私が知りたい」という思いでいっぱいだったのだが、彼はずいぶんと落ち込んでおり、悲しみからくる苛立ちを私にぶつけているようだった。耐えられなくなった私は、その日から禁断の「イったフリ」をするようになった。
しかし当然ながら、それを1度でもやってしまったら、今後永遠にそのパフォーマンスをし続けねばならない。私はそれが嫌だったからこそ、それまで「イけなかった、でもあなたのせいじゃない」のスタンスで乗り切っていた。でもこれでもう、彼は間違った正解を得てしまったから、私の未来は閉ざされたと言えよう。
私はどちらかというと性欲も強い方だと思う。なのに、初めての彼氏は小さすぎてまじで入っているかわからなかったし、次の彼氏には性病をもらうし、今の彼氏は瞬間でセックスがおわるし、全然充実した性生活を送れていなかった。いつかは、いつかでいいから、出来ることならイってみたかった。だからこそ、これは割と絶望的な選択だった。
どうしても諦められなかった私は、ある日ふと、プロにお願いすれば何とかなるのでは?と思いたち、性感マッサージを予約した。
ただ薄々気づいてはいたが、「イく」というのは、雰囲気とか相手への愛とかで自分を盛り上げないと達成できないらしい。相手の方は、仕事なので一生懸命雰囲気を作ってくれたし、なるべく恋人っぽい感じにしてくれようとしていたのだけど、全然好きな人とかではないせいか私はむしろそれをやられると萎えてしまう。なので終始性の探究者みたいな感じでいたため、なんだか仕事の邪魔をしてしまって申し訳ないことをした気がする。
最後にプロの技術で潮吹きだけさせてもらったのだが、「潮吹きって気持ちいいから出るもんじゃないってマジなんですね」などといってしまい、微妙な顔をさせてしまった。
ただそこで「プロから見てなぜイけないと思うか?」と熱心に聞いた結果、要約すると「精神的に興奮してないから」だという回答を得た。体に刺激を与えて無理矢理イく手前まで持っていくことはできるけど、最後のところは自分の気持ちを持っていけないと難しい、と。
なるほど、と思った。彼氏としているときは、気持ち良くはないけど幸せ!と思っているけれど、この日は、気持ちいいってこれのことか?いやこれか?ほうほう…などと考えていて恋愛的バロメーターはゼロだった。だから向こうも察して、キスも色恋営業的なことも一切してこなかった(ありがとう)。
この経験で得た学びは、好きな人じゃないとイけないのに、好きな人(彼氏)ではイけそうにないということだ。えっ、それって私この先一生いけないかもしれないってこと?という結構絶望感のある結論となった。
まあそれがわかっただけいいか。プロでも無理なんだからこれから頑張ってイこうとしなくてもいいじゃないか。それもそれで人生。