はてなキーワード: ものづくりとは
日本の政治はダメと言いながら叩くのは自民と希望で、海外よりレベルの低い他の野党は批判しないところや
民主主義が根付いていない!といいながら、高齢者の医療は無駄だから削減しろ!等、海外の左派の理想とは真逆のことを言ってるのも気になる
それから少子高齢化問題は今さら言う話じゃない、今子供が出来ても税の担い手になるのは20年後なので
対策をしたからと言って先進国並みのレートにしかならず、少子高齢化の構造に変わりは起きない
あとネットのサービスならアメリカ以外の先進国はだいたい二番煎じばかりだが、アメリカに住んでるってことでいいのだろうか?
メルカリを叩くがe-bayだって同じろうな問題で叩かれまくっていたはずだが・・・アマゾンも詐欺の温床だったし?
道徳なき商売というのも、Facebookやナップスターがどうやって出来上がったか、AMAZONのベゾスがどれだけ自分本位の戦略で他者を抑圧してきたかとか
国際競争力というのもアホみたいな話で、大企業の凋落はアメリカでも顕著で、ものづくり系や小売は苦戦している
日本はインターネット産業の掘り起こしができなかったことが問題なのであり、大企業の凋落は日本固有の失敗ではない
中学校では家庭訪問などや小学校からの調査でピアノを習ってる子が把握され、1クラスに1名はかならず組み込まれる、好待遇
高校では本人自身がピアノを習っていた等で特技としてアピールしていくようになる
そういうのがとてもきにいらない
ピアノに親は関心はなかったのと私もよくわからなかったので習わなかった
他方でものづくりだけには徹底的な興味があったのでそれだけに特化されてそだってきた
創造するってことに関して何かを作ったりするのは目を引くだけだが、音楽は耳を引く
どちらが多くの人をひきよせるかというと耳を引く音楽だとわかった
なぜその道にすすめなかったのか
親が進ませなかったのか
これに強いルサンチマンを感じる
だから私は音楽を、音楽理論を、ピアノを、この年齢からはじめるのだ
机の上に広げた紙の鍵盤を指差しながらはじめるのだ
今私にとれる行動として、文章の表現を修正しました。内容は変えていません。
https://anond.hatelabo.jp/20171002002200
の続き
まず前提として説明しておきたいのが、コンテンツ制作を生業にするこの業界には、
「クリエイターを、『大人の喧嘩』に巻き込まない」という不文律が共有されていることです。
これは、クリエイターを制作作業に集中させる環境を整えるのが会社の役目であって、
権利トラブルを始めとする「大人の喧嘩」に巻き込んで余計な負担をかけるべきではない、という考え方からきています。
まともなエンタメ企業ほど、この前提が社員にしっかり浸透しています。
※そういう意味では、KADOKAWAのアニメ事業局・ライツ事業局は、まだまともな方です。
以上を踏まえて、これは私が外部の人間である以上、妄想の域をまったく出ませんが、
何の根拠もない妄想よりは幾分かは良い、というところで、私の思う経緯を書きます。
①KADOKAWA、2期制作にあたり、12.1話のようなことを節々でやらないよう、ヤオヨロズに念押し。
②ヤオヨロズ、「2期制作は請けるが、たつきが一番功労者でエラいんだから、たつきの好きにさせろ」と返答。
③KADOKAWA、たつきへのリスペクトはあるが、幹事会社として、その要求は飲めないことを通達。モメ始める。
④ヤオヨロズ、モメた末、「そんな条件を出してくるならオリる」脅しのカードを切る。
【たつきはここまで、以上のようなやりとりがあったことを一切関知しておらず、制作作業に集中していた】
⑤ヤオヨロズ、たつきに「KADOKAWA意向で制作ハズされちゃったんですよね」と報告。
(10/01ブコメ指摘有:KADOKAWAはヤオヨロズとの窓口ではあっても、幹事会社ではないそうです。申し訳ありませんでした)
また、何度でも書きますが、ヤオヨロズは「近々公式コメント出すから大人しくしててね」くらい発信すべきです。
たしかに、たつき氏はけもフレを盛り上げた一番の功労者であることは間違いありません。
しかしながら、仮にも「商業アニメの製作」に関わる人間として、
他者の権利を侵害しないよう、正当な手順を踏まなければならなかったのも事実です。
百歩譲って、たつき氏は「ものづくり以外のことは専門外」な職人だったにせよ、
ヤオヨロズの渉外役は、たつきが暴走しないよう適宜コントロールする役割の立ち位置を、
会社としては、とらなければならなかったはずです。
「事実上の権利者」としての立場の強さを使って、自分たちもリスクをとる形で、
KADOKAWAと、製作委員会と交渉をして、もっと他の道を探ることだってできたはずです。
今回のように、ファン巻き込んで、KADOKAWA炎上させるようなやり方ではなく、です。
あなたたちは、たつきのツイートを見て「なんで?」と困惑するに留まるべきだったと思います。
同時に、ヤオヨロズからの情報発信を待つべきでした(未だに何もありませんが。。。)
知識も情報も十分でない内から、KADOKAWAを叩くべきではありません。
本当に想像がつかないほど多くの企業と人間が熱意を持って関わって、チェックされて、
「確認結果OK」のお墨付きを受けて、ようやく世に出てきているんです。
そもそも、「カネ」や「利権」体質だとKADOKAWAを批判するあなたたちは、そこで働く人間に会ったことがあるんでしょうか?
彼らの作品づくりにかける思いを知っていますか?平均年収を知っていますか?
年間にいくつの作品を世に出して、新人作家をデビューさせ、喜ぶファンを生んでいるのか知っていますか?
私が出会ってきたKADOKAWAの人間は、本当にクリエイターのことを尊敬していたし、大事にしていたし、
ファンに作品を楽しんでもらうために、毎晩遅くまで、身を粉にして働いている人たちばかりでしたよ。
そもそも出版業を始めとしたコンテンツビジネスは、利権があって初めて成り立つものです。
「カネ」や「利権」、こうした概念を重視したビジネスを批判するなら、
KADOKAWA以外の作品も含め、マンガもアニメも映画も、見ることを一切やめるべきです。
そうすれば悪の根源たるエンタメ企業は続々潰れるだろうから、理想の世の中に一歩近づくのではないでしょうか?
それから、吉崎先生が原因うんぬんかんぬんのニュース記事はプレスリリースでもなんでもないので、
あれだけKADOKAWAに石を投げておいて「狼狽してバタついてる」って、どうなんでしょうか。
記事にも書きましたけど、確かに、「なんで?」で止まるなら私はあるべき姿だと思いますよ。
そうじゃなくて、こういう基本的な知識を持ってたら、脊髄反射でKADOKAWAを叩くような行動はとらないでしょ?
だから「ちょっと落ち着くべきだな」と思うオタクを増やすために、私はこの記事を書いたんです。
何度も私は書いています。「ヤオヨロズ社からのリリースを待ちたい」って。
けど現状、製作委員会からのコメントしか出てない以上、その事実をもとに妄想するしかないわけです。
でも、その妄想だって、知識のあるなしで結論も、その行動も、随分変わってくるとは思いませんか?
頂いたようなコメントに一番星が集まるところが、まさしく今回の騒動の難しさなのだと思います。
私が書いた記事が長文すぎて、読まれなさすぎ分かりにくすぎたのが原因ならすみません。
権利でビジネスやること自体の否定に繋がるので。商業アニメ映画マンガなどなどの全否定を意味していると思います。
製作委員会(権利者たち)が要求したのは「発信情報の事前確認」です。
また、ヤオヨロズがたつきに「言いにくかった」要素の方が大きいと思えるから、
「クリエイターに逐一情報共有しながら進める」といった解決策の方が現実的になってきますけど、
少なくとも、こうして考えた場合にも、「KADOKAWAを一方的に叩く」という行動にはつながらないと思います。
制作費半分、売上5倍の話が、権利の話にどう関係してくるんでしょうか?
安い値段で請けて納品してやったんだから、好き勝手やらせろ、というのは、
あくまでヤオヨロズからのリリースがあるまでは妄想ですけど、12.1話自体を問題にしているのではなく、
「自分に権利があるモノに関する情報発信を、自分の手綱のとれない誰かに委託するのが怖い」感覚、わかりませんか?
たしかに12.1話は、現状見えている情報からは、成功した企画になったと言っていいでしょうが、
「同じようなことが今後もあるのは嫌」というのをヤオヨロズへの窓口としてのKADOKAWAに強く言った可能性は高いし、
ヤオヨロズは、最初は全然自由だったし、ここまでけもフレを育てたのはたつきだという意識があるからこそ、
同じくヤオヨロズが何か言うべきというのは私も完全同意ですね。
文章力がなく長くなってしまってすみません。ありがとうございます。
ヤオヨロズがクソというか、前提のこういう基本的な知識があれば、
「KADOKAWAは必ずしも悪くない」結論にたどりつくはず、という趣旨です。
ただ、ヤオヨロズを制御するのは製作委員会側じゃなく、ヤオヨロズという会社自体の問題だし、
たつきを制御すべきなのはヤオヨロズという会社だったはずと思いますよ。
鋭い指摘ですね。
ただ、少なくとも現状出てる情報からは「KADOKAWA側のまともな判断力が失われていた」と判断できる記述はないですね。
私の態度は申し訳ありませんでした。
けど、この件に関するKADOKAWA側の態度の、どこが問題だったんでしょうか?
それを具体的に言えないのが、今回の炎上の難しい部分だと思いますよ。
そりゃ反発は予想していたでしょう。だから、たつき続投の方向性で調整方法を探っていたと思います。
まずファンはそこで一歩踏み込みすぎてますよね。「KADOKAWAが一方的に降板させた」って。
ヤオヨロズ側にとってみれば、自分らが権利を持っていないのは当然歯がゆいし、
「功労者であるたつきに好きなようにやらせてあげたい」という気持ち、たつきへの敬意もあるから、
「制作おりますよ??」という脅しは、彼らにとって交渉カードなわけですよ。
けれど、どういう意図であの情報がたつきから発信されたのかを知るすべが現状ないから、
私は再三「ヤオヨロズからのリリースを待ちたい」と書いてるし、
「KADOKAWAが必ずしも一方的に悪い話ではない」と言っています。
でもヤオヨロズからのリリースがあるまでは何とも言えない部分はあるけど、
私の感覚からすれば、たつき氏は本当に降板が寝耳に水だっただろうし、悪くないと思いますよ。
現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように見える、という話です。
電通問題含め、働き方に関する問題は、あまりにも門外漢なので触れません。
原作者の吉崎先生が自由に作っていいと言えば何やってもいいわけじゃないですよ。なぜなら作品を一人で作っている「同人」じゃないから。
「商業アニメ」だから、色んな会社が、分割された権利をたくさん持っているんです。製作委員会も「自由に作って良い」と言えば問題ないと思いますよ。
「事前通知が嫌な声明を鵜呑みにしていいのか」という指摘ですが、仰る通り、ヤオヨロズからのプレスリリースを待った方がいいのは確かです。
けど今出ている公式コメントは製作委員会のものだけですし、少なくとも、「KADOKAWAを一方的に叩く」風潮に一石を投じたい私の立場としては、
情報として十分なわけです。未だに「近々コメント出すから、誰かに迷惑かけないでね」すら言わないヤオヨロズを信頼できないというのもありますけどね。
それから、(2)の方にも書きましたけど、この業界には「クリエイターが一番エラい」とする文化があって、たとえ相手がお金をもらう立場だったとしても、
無理なことはやらせられない、けど権利など大人の事情が絡むときにはその無理を、神経使いながら通さなければいけない、というような考え方が浸透してます。
もちろん、何度も何度も書いてますが、ヤオヨロズからのプレスリリースを待ちたい一方で、業界文化的に考えれば、
ヤオヨロズは、「たつきの自由にやらせようとした」はずです。「たつきさん、思うようにやってください!」くらい言ってそうなのは想像つくわけです。
けど(製作委員会を代表しての)KADOKAWAから、「事前に内容をこちらで確認してからの情報発信にしてください」と言われ、
「最初は全然管理してこなかったくせに、お金になり始めたからって今さら管理しようとしてくるなよ」という反発心はあっただろうし、
何より「たつきが一番エラくて功労者なんだから、たつきの好きなようにさせろよ」と思ったとしても自然だと思います。
そういういざこざが(たつきの知らないところで)続いていて、こじれる所までこじれた結果、たつきの「突然ですが」ってツイートなのではと言ってるわけです。
「切り倒した」のは、本当にKADOKAWAなんでしょうか?
KADOKAWAは、たつき人気で盛り上がってきたコンテンツであることが、本当に分からない程度の会社なんでしょうか?
そもそも製作委員会からのリリースには、「ヤオヨロズから辞退の申し出があった」としか書かれていません。
それに対して、KADOKAWAはどう返したんでしょうか?まだ、情報が不足してはいないでしょうか?
私は現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように思えます。
未だになんの声明も出さない部分まで含めて、ちょっとどうなのかなと思っています。
たつき氏が悪いと言っていません。手綱をしっかりとる責任を果たさなかったヤオヨロズが悪いと言っています。
なぜなら、KADOKAWAとたつきが直接交渉してるとは考えられないからです。その理由は(2)にも書きましたが、
たつき氏には制作作業に集中してもらって、ヤオヨロズの窓口が(製作委員会窓口としての)KADOKAWAと交渉していたはずだからです。
たつき氏からの暴露ツイートが発信されないようコントロールするところまで含めてKADOKAWAの責任だったというのは、
少し無理筋すぎはしないでしょうか。
→https://anond.hatelabo.jp/20171002015348
https://anond.hatelabo.jp/20170930045332
の続きです。
まず前提として説明しておきたいのが、コンテンツ制作を生業にするこの業界には、
「クリエイターを、『大人の喧嘩』に巻き込まない」という不文律が共有されていることだ。
これは、クリエイターを制作作業に集中させる環境を整えるのが会社の役目であって、
権利トラブルを始めとする「大人の喧嘩」に巻き込んで余計な負担をかけるべきではない、という考え方からきている。
まともなエンタメ企業ほど、この前提が社員にしっかり浸透している。
※そういう意味では、KADOKAWAのアニメ事業局・ライツ事業局は、まだまともな方だ。
以上を踏まえて、これは私が外部の人間である以上、妄想の域をまったく出ないが、
知識がない人の妄想よりは幾分マシ、というところで私の思う経緯を書く。
①KADOKAWA、2期制作にあたり、12.1話のようなことを節々でやらないよう、ヤオヨロズに念押し。
②ヤオヨロズ、「2期制作は請けるが、たつきが一番功労者でエラいんだから、たつきの好きにさせろ」と返答。
③KADOKAWA、たつきへのリスペクトはあるが、幹事会社として、その要求は飲めないことを通達。モメ始める。
④ヤオヨロズ、モメた末、「そんな条件を出してくるならオリる」脅しのカードを切る。
【たつきはここまで、以上のようなやりとりがあったことを一切関知しておらず、制作作業に集中していた】
⑤ヤオヨロズ、たつきに「KADOKAWA意向で制作ハズされちゃったんですよね」と報告。
(10/01ブコメ指摘有:KADOKAWAはヤオヨロズとの窓口ではあっても、幹事会社ではないそうです。申し訳ありませんでした)
何度でも書くが、ヤオヨロズは「近々公式コメント出すから大人しくしててね」くらい言えないものなのか?
たしかに、たつき氏はけもフレを盛り上げた一番の功労者であることは間違いない。
しかしながら、仮にも「商業アニメの製作」に関わる人間として、
他者の権利を侵害しないよう、正当な手順を踏まなければならなかったのも事実だ。
百歩譲って、たつき氏は「ものづくり以外のことは専門外」な職人だったにせよ、
ヤオヨロズの渉外役は、たつきが暴走しないよう適宜コントロールする役割の立ち位置を、
会社としては、とらなければならなかったはずだ。
「事実上の権利者」としての立場の強さを使って、自分たちもリスクをとる形で、
KADOKAWAと、製作委員会と交渉をして、もっと他の道を探ることだってできたはずだ。
今回のように、ファン巻き込んで、KADOKAWA炎上させるようなやり方ではなくね。
あと責任を持って、早く何らかのプレスリリース出してください。
あなたたちは、たつきのツイートを見て「なんで?」と困惑するに留まるべきだった。
同時に、ヤオヨロズからの情報発信を待つべきである。(未だに何も無いのは本当にクソ)
知識も情報も十分でない内から、KADOKAWAを叩くべきではない。
本当に想像がつかないほど多くの企業と人間が熱意を持って関わって、チェックされて、
「確認結果OK」のお墨付きを受けて、ようやく世に出てきているのだ。
そもそも、「カネ」や「利権」体質だとKADOKAWAを批判するあなたたちは、そこで働く人間に会ったことがあるのか?
彼らの作品づくりにかける思いを知っているのか?平均年収を知っているのか?
年間にいくつの作品を世に出して、新人作家をデビューさせ、喜ぶファンを生んでいるのか知っているか?
私が出会ってきたKADOKAWAの人間は、本当にクリエイターのことを尊敬していたし、大事にしていたし、
ファンに作品を楽しんでもらうために、毎晩遅くまで、身を粉にして働いている人たちばかりだったよ。
そもそも出版業を始めとしたコンテンツビジネスは、利権があって初めて成り立つものだ。
「カネ」や「利権」、こうした概念を重視したビジネスを批判するなら、
KADOKAWA以外の作品も含め、マンガもアニメも映画も、見ることを一切やめるべきだ。
そうすればあなたたちにとっての悪の根源たるエンタメ企業は続々潰れるだろうから、
理想の世の中に近づくだろう。
吉崎先生が原因うんぬんかんぬんのニュース記事はプレスリリースでもなんでもないので、
情報が揃うまでは気をつけたほうがいいですよ。
狼狽してバタついてるってw あれだけKADOKAWAに石投げといて「狼狽してバタついてる」?w
記事にも書きましたけど、確かに、「なんで?」で止まるなら私はあるべき姿だと思いますよ。
そうじゃなくて、こういう基本的な知識を持ってたら、脊髄反射でKADOKAWAを叩くような行動はとらないでしょ?
だから「ちょっと落ち着くべきだな」と思うオタクを増やすために、私はこの記事を書いたんです。
何度も私は書いてますよ。「ヤオヨロズ社からのリリースを待ちたい」って。
けど現状、製作委員会からのコメントしか出てない以上、その事実をもとに妄想するしかないわけです。
その妄想だって、知識のあるなしで結論も、その行動も、随分変わってくるのはわかりますよね?
君みたいなコメントに一番星が集まるところが、まさしく今回の騒動の難しさなんでしょうけどね。
私が書いた記事が長文すぎて、読まれなさすぎ分かりにくすぎたのが原因ならすみません。
権利でビジネスやること自体の否定に繋がるので。商業アニメ映画マンガなどなどの全否定を意味してますね。
製作委員会(権利者たち)が要求したのは「発信情報の事前確認」です。
また、ヤオヨロズがたつきに「言いにくかった」要素の方が大きいと思えるから、
「クリエイターに逐一情報共有しながら進める」といった解決策の方が現実的になってきますけど、
こうして考えた場合にも、「KADOKAWAを一方的に叩く」という行動にはつながらないと思います。
意味がわからなくてすみません。制作費半分、売上5倍の話が、権利の話にどう関係してくるんでしょう。
安い値段で請けて納品してやったんだから、好き勝手やらせろって?w 自分で言ってて無茶だと思いませんか?
それがまかり通ったら、全ての商売が成り立たないと思うんですけど。
あくまでヤオヨロズからのリリースがあるまでは妄想ですけど、12.1話自体を問題にしているのではなく、
「自分に権利があるモノに関する情報発信を、自分の手綱のとれない誰かに委託するのが怖い」感覚、わかりませんか?
たしかに12.1話は、現状見えている情報からは、成功した企画になったと言っていいでしょうが、
「同じようなことが今後もあるのは嫌」というのをヤオヨロズへの窓口としてのKADOKAWAに強く言った可能性は高いし、
ヤオヨロズは、最初は全然自由だったし、ここまでけもフレを育てたのはたつきだという意識があるからこそ、
同じくヤオヨロズが何か言うべきというのは私も完全同意ですね。
文章力がなく長くなってしまってすみません。ありがとうございます。
ヤオヨロズがクソというか、前提のこういう基本的な知識があれば、
「KADOKAWAは必ずしも悪くない」結論にたどりつくはず、という趣旨です。
ただ、ヤオヨロズを制御するのは製作委員会側じゃなく、ヤオヨロズという会社自体の問題だし、
たつきを制御すべきなのはヤオヨロズという会社だったはずと思いますよ。
鋭い指摘ですね。
ただ、少なくとも現状出てる情報からは「KADOKAWA側のまともな判断力が失われていた」と判断できる記述はないですね。
私の態度はかなり悪いと思います。けもフレ問題でKADOKAWA叩いてるオタク大嫌いだし死ねばいいと思ってますからね。
けどこの件に関するKADOKAWA側の態度の、どこが問題だったんでしょうか?
それを具体的に言えないのが、オタクのだめな部分だと思いますよ。
そりゃ反発は予想していたでしょう。だから、たつき続投の方向性で調整方法を探ってたと思いますよ?
まずファンはそこで一歩踏み込みすぎてますよね。「KADOKAWAが一方的に降板させた」って。
ヤオヨロズ側にとってみれば、自分らが権利を持っていないのは当然歯がゆいし、
「功労者であるたつきに好きなようにやらせてあげたい」という気持ち、たつきへの敬意もあるから、
「制作おりますよ??」という脅しは、彼らにとって交渉カードなわけですよ。
どういう意図であの情報がたつきから発信されたのかを知るすべが現状ないから、
私は再三「ヤオヨロズからのリリースを待ちたい」と書いてるし、
「KADOKAWAが必ずしも一方的に悪い話ではない」と言ってるんですが。
でもヤオヨロズからのリリースがあるまでは何とも言えない部分はあるけど、
私の感覚からすれば、たつき氏は本当に降板が寝耳に水だっただろうし、悪くないと思いますよ。
現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように見える、という話です。
電通問題含め、働き方に関する問題は、あまりにも門外漢なので触れません。
原作者の吉崎先生が自由に作っていいと言えば何やってもいいわけじゃないですよ。なぜなら作品を一人で作っている「同人」じゃないから。
「商業アニメ」だから、色んな会社が、分割された権利をたくさん持っているんです。製作委員会も「自由に作って良い」と言えば問題ないと思いますよ。
「事前通知が嫌な声明を鵜呑みにしていいのか」という指摘ですが、仰る通り、ヤオヨロズからのプレスリリースを待った方がいいのは確かです。
けど今出ている公式コメントは製作委員会のものだけですし、少なくとも、「KADOKAWAを一方的に叩く」風潮に一石を投じたい私の立場としては、
情報として十分なわけです。未だに「近々コメント出すから、誰かに迷惑かけないでね」すら言わないヤオヨロズを信頼できないというのもありますけどね。
それから、(2)の方にも書きましたけど、この業界には「クリエイターが一番エラい」とする文化があって、たとえ相手がお金をもらう立場だったとしても、
無理なことはやらせられない、けど権利など大人の事情が絡むときにはその無理を、神経使いながら通さなければいけない、というような考え方が浸透してます。
もちろん、何度も何度も書いてますが、ヤオヨロズからのプレスリリースを待ちたい一方で、業界文化的に考えれば、
ヤオヨロズは、「たつきの自由にやらせようとした」はずです。「たつきさん、思うようにやってください!」くらい言ってそうなのは想像つくわけです。
けど(製作委員会を代表しての)KADOKAWAから、「事前に内容をこちらで確認してからの情報発信にしてください」と言われ、
「最初は全然管理してこなかったくせに、お金になり始めたからって今さら管理しようとしてくるなよ」という反発心はあっただろうし、
何より「たつきが一番エラくて功労者なんだから、たつきの好きなようにさせろよ」と思ったとしても自然だと思います。
そういういざこざが(たつきの知らないところで)続いていて、こじれる所までこじれた結果、たつきの「突然ですが」ってツイートなのではと言ってるわけです。
昔とある作品の製作委員会に身を置いていたことがあるので、思い出を書く。
製作委員会というのは「製作」をする人たちの集まりであって「制作」をする人の集まりではない。
私も最初ここの違いが全く分からなかったが、中に入ってようやく理解した。
つまり、「その作品を作るためにお金を出した人たちの集まり」であって
原作者や監督や声優や脚本家が集まっているところではないのである。
(このへんがネット上では未だにけっこう誤解されている気がする。)
これは良いとか悪いとかいう話ではなく、カネのために集まった組織なのだから当然の話である。
■どんな人がいるのか/どんなことを考えているのか
会議に出席するのは、出資社(出版社とか、TV局とか、広告代理店とか、製作費を出す会社)から送られてくる、各担当者だ。
いろんな会社から、いろんな人が出て来て、異業種交流会みたいで、けっこう面白い。
そして、ここがポイントだと思うのだけど、この会議に出席してくるのは、必ずしも映像業界に詳しい人間ばかりではない。
彼ら(そして私もそうだったが)のミッションは2つ。
1.出資金以上のリターンを持ち帰ってくること
2.本業へ良い影響があるように、動き回ること
1つ目は分かりやすいと思う。株買って儲けようとするのと同じだ。投資だ。
でも、それ以上に、各社担当者にとって大切なのは、2つ目なのである。
例えば、広告代理店。
彼らが委員会に出資するのは、「その作品の広告の仕事が欲しいから」 以外には無い。
仮にその作品が映画だったら、映画のTVCMだけで何億円という発注を獲得できるのである。
それ以外にも、新聞・雑誌・交通広告・ウェブ広告・・・いくらでも仕事は降ってくる。
例えば、出版社。
出版社が参加している場合は、原作の出版元であることがほとんどである。
彼らが委員会に出資するのは、「原作がバカみたいに売れまくる事」を期待すること以外に無い。
そのための宣伝費と思えば、映像化する際の出資なんて大したことは無い
そもそも作品性なんてものは、監督や制作側の担当領域なので、製作委員会の担当社員からすれば、自分たちでどうにかできるわけでもない。
だから、 2つ目の目的=自社の利益になりそうなこと の達成ばかりに力を入れ始める。
■どんどん仲が悪くなる
各社が2つ目の目的を達成しようとすると、どうしてもバラバラな動きになる。
それぞれ目指すところ(=自社の利益)が違うからだ。当たり前だけど。
2社だけなら良いが、委員会はたいてい5社6社は当たり前。
ということで、担当者の仕事は「複数社間の利害調整」がメインになる というカラクリである。
■個人的な思い出
自分の経験からすると、他社の担当者とケンカしていたか、ケンカの仲裁をしていた思い出しかない。
何がめんどいって、「みんな業界が違う」 ので、企業文化どころか、業界文化が違う。
「こんなこと当たり前だろ」が各社バラバラなので、話がとにかく合わない。
それが一番面倒だった。
まず共通言語を作るところから始めるのが正しいんだろうけど、正直そんな時間はないので
出版社と広告代理店とTV局(この3つは大抵どの作品にもいると思う)の人たちの文化がとにかく古すぎて、いっつもイライラしていた思い出がある。いわゆるギョーカイ人側の人たちですね。
会社の人と話せば5秒で終わる話が、なんやかんやで1か月かかるなんてザラである。
ただ、いろいろな業界のお作法などが垣間見れたのは面白かったと言えば面白かった。
普通の会社にいながら、ギョーカイ人と触れ合える経験なんてあまり無いし。
スキルとしては、複数社間の利害調整能力というものが身についたと思う。大抵のケンカは仲裁できるようになった。
当然のことながら、映像に関する知識はあんまり身についていない。
自分は下っ端だったし、作品が成功するかなんてのは比較的どうでもよくて、目の前の仕事をこなすのに精いっぱいだったのが正直なところ。
だから、ネットで製作委員会方式が諸悪の根源扱いされるのも無理はないな、とは思う。
でも、本当に映像を作ってる人たち(監督とか)は、こうした状況を理解した上で、うまく利用してやろうという人もたまにいて、そういう人はどんどん有名になっていった。
今は全く違う仕事をしているので、最近どうなっているのかも知らないけど、
ケモノなんとか の騒動があったので、思い出して書いてみました。
(ケモノなんとか は見てません)
~~~
こんな糞記事にコメントしてくれた方、ありがとうございます。
>だけど「複雑な力学が働いてるから、たつきが善というわけでは無いぞ」と言いたいのかな、と思った。
もちろんたくさんの人に愛される作品を作った人という点では善だと思いますが、組織の中でどう見られるかは別の話なのですよね。悲しいかな・・・
>「いわゆるギョーカイ人側の人たち」の考え方が古いのは何が原因なんだろう?
やはり比較的、伝統的な手法を重視しますよね。これは別に製作委員会がどうこう、という話ではないと思いますが。
過去の成功体験に人間というのは縛られてしまうものなのだな、ということです。
立場も分かるので、ボロクソに叩くほどのことでもないと思っています。うまく操作してあげればそれでよいのです。ある意味わかりやすい人たちです。
まさに、ですね。普通こうした問題は事前に根回しがされるので、可視化されることは少ないと思うのですが、このパターンは珍しいですよね(だから騒がれているのだと思いますが)
ただ、その手前で十分に調整がなされたかどうかは分かりませんが、監督のツイートは説明不足過ぎるがゆえに事態を悪化させただけで、窮状を訴えるには良い手段ではなかった、と感じています。
いずれにせよ、調整がうまい人がいるかいないか は委員会運営には重要な要素ですね。
>これを敷衍すると、出版利権のカドカワが同人とか一枚絵とかウチ通さずに出してんじゃねーぞ、全部抜かせろって話?
そのへんは作品によって契約内容が違うので、外からはなんとも言えないところかと・・・
ただ、この業界頭悪い人しかいないので(汗)、契約なんてあってないようなものでして・・・今どうなのかは知りませんが。
~~~~~
最近は、制作会社自身が出資するケースも増えてきていると聞きます。個人的には良い傾向かと思います。
ただ、最後は出資比率のパワーバランスになるので、常任理事国入りできなければあまり意味ない・・・というのもあるかも。
それこそディズニーじゃないけど、制作側でも札束で関係者を引っ叩ける存在が生まれると良いですね・・・
これはね、自分自身も含めてそうだと思っています。ほんと自分はバカなんで・・・残念ですが・・・!
自分のことはさておき、頭が良いことがアドバンテージになりにくいんです。
頭が良いかは二の次で(もちろん良いにこしたことはないですが)、そんなことよりとにかく「運がいい奴」が残る場所だなー、と個人的には思います。
逆に言うと、みんながディスりがちな「学歴社会」ではないので、それはそれで居心地が良い人もいるかも?
半分ぐらい当たってます笑
というか、逆に言うと「制作」の領域が神格化されすぎていて、現場の忙しい人は業務上何もタッチできないんですよね・・・
良く言えば分業化、なのかもしれませんが。
だから、よっぽど個人的に好きじゃない限り、興味もなかったです。
実際にものづくりにも参加できていたら、全然違ったんじゃないかな、と思いますが。どうなんでしょうか。
>ケンカ
ケンカ と書きましたが、ケンカするほど仲が良い というのは全くその通りで、意外と「現場に近い者同士」は、会社が違っても強い連帯感が生まれがちだと思います笑
会社同士はケンカしてても、現場の担当者同士はちゃーんと仲良くしています。
ある意味、「なんか知らんけど偉いっぽい人達」という共通敵が生まれるので、超連帯しやすいです!
だから、仕事で嫌なことも納得いかないことも沢山あったけど、それ以上に楽しいこともたくさんありましたよ!
を本屋で冒頭数ページ読んだら、「『菊と刀』とは、一見繊細で芸術を愛するように見えるのに、ふとした局面に途端に暴力的で強権主義的になる日本人の、二面性の著しさの象徴である」(要約)と書いてあって、もうそれだけで「この人はわかってるなー」と思って買わずに帰ってきたんだけど。
この、70年前の戦争記録から日本人を分析した論文と、ほぼ同じような感想を、現代日本を観察する欧米人の多くも持っていることだろう。日本に生まれ育った俺でさえ、これがまったく不思議でしかたない。
多くの日本人は、俺やこの種の欧米人にとっては当然のように「あわせて備えているもの」と感じられる性質のセットの、どちらかが平気で欠けていたりする。たとえば理系や芸術分野に携わる人間の、社会的理想像の幼稚さ……なんて言うと文系はてなサヨクは小躍りしてそうだそうだと言いそうだが、逆に言えば、歴史や社会を興味対象にする連中の、創造的活動への関心の低さも異常なのである。
「生まれて初めて料理(ハンバーグ)をするために調理器具から小麦粉から買ってきたら1まんえん以上した!自炊は高い!」なんて、冗談としても発想が小学生レベルで稚拙な記事を、いつもは『吾輩は知的である』なんて顔をしてる連中が「そうだ自炊は高いんだ」と拡散したりする。
まず、こんな記事を書けるような年になるまで、本当に一回も料理をしたことがない人間なんて、その時点でただの教育の失敗とは思わないのだろうか。
良い年して現代史もまともに知らず、ネットで感化されて修正史観にハマってしまうネトウヨと、低レベルさにおいて何が違うんだそれは。
欧米の「リベラル」はこんな中庸に欠ける連中ではない。少なくとも、主流の「スタイル」はこれほど低レベルではない。
人権意識を持ち、環境に配慮をし、知的好奇心に溢れるインテリだからこそ、「自分でやる」ことへの情熱を失わない。下手でもDIYや自炊への憧憬を見せる。
一方で、アーティストや職人肌のギークたちが、社会や環境に配慮したものづくりを意識し、積極的にメッセージを発信することも、ごく当然のように行われる。ギーク系のニュースサイトやブログでも、人道/環境配慮や科学技術政策のあり方(政治議論)に、正面から切り込んでいく。
これらは日本ではほとんどみられないものだが、本当にその理想を追求したのなら、人を知ることはものを知ることであり、ものを知ることは人を知ることであるといずれ繋がるのは、このように論理的には必定に思える。欧米では「当然あわせて備えているべきもの」と(少なくとも至上の理想レベルでは)見なされているこの両輪に、何故日本ではこんな断絶があり続けるのだろう?
『菊と刀』の奇妙な同居は、結局のところ、ものごとを薄っぺらな表層レベルでしか装えない、日本人の精神性の貧しさの現れでしかないのではないだろうか。
世間では漫画家だ声優だ絵師だなんだと言うものになろうとすると、一撃必殺しようとする怖い大人がいるらしい。
例のまとめを見て悲しい気持ちになった人もいるだろうから、ちょっと私の話をしてみたいと思う。
私も一応、インターネット上で小さく小さくものを作っている人間だ。文章を書いたり、どうでもいいものを作って公開したりしている。
文章の方は時々反響があったりして嬉しい気持ちになるが、まぁはっきり言って九割五分ぐらいはインターネットのゴミとして漂流する。だいたいそんなもんだ。
しかし、自分を悲観視しているかというと、はっきり言って一切悲観視していない。
ポジティブと言えばそうだが、そう言う以前にスタンスとして、タイトルのようなことを常に考えているからである。
その理由はひたすら単純だ。
創作者は自分の制作した創作物を使って、世間の人間を監禁することができるからだ。
人は創作物に触れている間何もすることができない。その人の自由を奪うことができる。
言われてみれば簡単な話だし、くだらないと思うかもしれない。
だが、創作物で時間を奪うということは、実は誰にでも簡単に行うことができる。あなたが作ったものを公開すればすぐにでもできる。
その時、別にできの良し悪しは関連しない。あなたの創作物が一瞬でも目についた時点であなたは間違いなく他人を拘束している。
検索画面のどこかに表示されただけでも、あなたはその人間の時間を奪っている。
その時点であなたは立派な創作者であり、もっと言えば犯罪者である。
もちろん、それが閲覧されれば最高だし、ついでにそれに評価が貰えればもっと良い。
その人は間違いなく見たり評価したりするために時間を使っているからだ。あなたはその人のことを更に長い時間拘束することに成功した。
評価が悪評だっても一切問題ない。あなたは悪評を書く時間をその人間から奪っているのだ。その時点であなたの創作物は立派に犯罪をしている。
あなたが作ったものに触れた人間を、鎖のない手錠をかけて、重りがない足かせをつけて、檻のない牢屋にぶち込んでやれ。
もう一度いう。創作者は犯罪者である。どんな些細な創作物でも犯罪は犯罪なんだ。
だから、どんなに小さく雑で碌でもないものを作ったとしても、それを公開した時点で犯罪だし、その時点であなたはつくり手側だ。創作者だ。
だからキーを叩け。ペンを持て。描画ソフトを立ち上げ、エディタを開き、工具を取り出し、そして罪を犯せ。世間から時間を奪い続けろ。
こんなスタンスでいろいろつくりはじめて、なんやかんやでもう3年である。
冷静に読み直してみたが、なぜか途中から鳳凰院凶真っぽくなってるし、昔こんなことを書いた自分も結構痛いなぁこれ…ほんとひどくない???
だが、こんなくだらない考え方でも、世間に何かを公開するハードルはかなり下がったので、インターネットに放流しておくことにする。
せっかくなので、個人的には犯罪者が跋扈していると思っている増田に投稿することにした。
残念。
(書いてて思ったけど、どこの地方でもありそう。)
とにかくよく群れる。Facebook 大好き。特に FBグループ。
寂しがりというわけではなく、1人だと自信がない模様。
そのくせ隣の町で同じような活動をしてるグループがいたとしても自らは絶対に声をかけない。
群れると気が強くなる民族。
北日本新聞最強。
親も喜んで新聞を切り抜いて台所に貼ったり親戚が来たら自慢したりする。
テレビや新聞やラジオが言うことが真実で、ソースがネットは信頼されない。
でも Facebook は北日本新聞と同等の信頼性があると思っている。
富山でソフトウェアは「ものづくり」というカテゴリーに入らない。
そのくせチラシはガンガン刷る。
「とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話」で、身近な奴の起業とか自分のことを思いだして書く。
雑誌編集に限らず、起業回りで身近に反省のないテキトーマネジメントを見かけたので。
自分がPDCAを意識して、反省して治していく意識がひつよう。ということと、反省もせず成長もしないが大組織にたまたま入れたからそのままのうのうとしている奴もいるから、
むしろ今は大組織と絡む時ほど危ないんではないかという話として。
某ものづくり支援系Aのところ。とある奴Bが自分の作りたいもの作ってそいつらのところに行って見せたら、起業しようとA関連のEが誘っておこした。
EのBに対するおだてがひどい。しかも女とか金関係が手に入るとか下品。ヤバイなと思って僕は距離をおいていた。
Eがチェックしたという事業計画書はむちゃくちゃだし、動く金額センスもむちゃくちゃ。
Bのビジネスも当初とは別の切り口でやればうまく行くかな?とは思ってた。
Bの会社について地元のビジコンでも審査員の先生こぞって別の切り口でまずやったらどう?といってた。
が、Eが「そいつらわかってないだけだよ。見返してやろうぜ」とかFBに書いて方向変更なしでやってたので、ああ、、、、だめだな。と思ってる。
あとからおもえば、B自分の回りで自分が一番優秀でいたい。自分は実態とは関係なくもう全てに万能である。という、今から思えば社長によくいるタイプ。
それにEがとことんおだててBの感覚を麻痺させて。完全にダメにしてる。
https://shimirubon.jp/reviews/1682954
のヒモ男の指摘がまさにピッタリ。
うっすらもう潰れるだろうな。という感じはする。
だけども、金がある主体のところにいて、多数拾って、多数ダメにして、一部ものにできたらいいという感覚でいる。
ダメにした奴の人生?Eやボーノは何ら損害を被らないから、あたかも、まどか☆マギカの魔法少女たちと同じで代わりの誰か原石を拾えばいい。という立場。
魔法少女たちは魔女になってその後の人生はめちゃくちゃになるが、そんなの知らんよ。と。
原石は磨かれない。磨く手法もEやボーノにはない。結局原石なんて磨くのは当人だけど、忙しくされたらそれどころじゃないだろうなという感じはする。
あと、つい最近Eの親玉Aの社長が「PDCA?目標?そんなのあったら柔軟に動けない。そんなのなしなし」とか言うのを書いててプチーンとなった。
まあ、FBでEがらみのつながりを残しておいたから見えちゃったが、ああ、性根から腐ってたんだ、、、、、。と軽い絶望と、
けども、PDCAの意識全くなしってのは「過去の反省をしない」のと同義。
PDCAに書類なんかいらない。適度に自分自身がやったことを見直すだけ。と行っても余り悩みすぎても意味ないが、仮でも答えを出して積み上げていく。
Eもボーノも反省しとらんのだろ?そもそも「今の行動をなぜするか?」のP(Plan)すらなく適当にやってるから、チェックし直すこともできない。
それ以前にバックに金があるところがついていて、反省しなくても、大量の代わりの「魔法少女」を見つけたらまあやっていけるわ。という感覚なんだろうなぁ。
大組織が絡んでいて、その大組織がマネジメントができるような人間をそだててない。となると、新人っぽいのにはこういう能力がないやつを付けざるを得ない。
やることの意味を考えて、行動して、やったことは一度振り返って反省して、なおしましょうや。
というのと
むしろ大組織だと、最近は適当にやってうまく行くのがあったらいいよね!代わりはいくらでもいるから!みたいな奴が蔓延してるから、
個人事業主とか、企業みたいな、誰か守ってくれる上役がいない状態では「ヤバイかも?」レベルで逃げるくらいじゃないとダメなのかもしれない。
最近いろいろと問題を起こしていて、一部で炎上している某ベンチャー起業について。界隈の人たちはベンチャーだからって大目に見ろというけどさ、あそこはビジネスモデルベンチャーであって、tech系ものづくりベンチャーではないよね。
tech系ものづくりベンチャーってのは、本当に研究開発レベルのプロダクトを失敗することも含めて開発しようとしているところで、イメージで言えばHoloLensみたいなものを高額で販売するようなことだよね。もちろんHoloLensの場合はMicrosoftでベンチャーではないけれども。Kickstarter等のクラウドファンディングでお金を出している人たちも新しいものの成功を応援したいのであって、まぁうまくいかないこともある程度折り込み済みで投資してると思う。そういうベンチャーが失敗しても、みんな怒りはするかもしれないけど、ま、なかなか難しいよねって思うところもある。だからこそベンチャーなわけで。
ビジネスモデルベンチャーってのは、既存のものの組み合わせで安く販売したり、または高付加価値をつけるビジネスモデルのベンチャーだよね。
たとえば、あなたの家の玄関まで本日中に伝書鳩が本を配送します、というベンチャー起業を仮に考えてみましょう。伝書鳩というのもあるし、本というものも既存商品だし、宅配便という流通モデルも既存産業なんだけど、それらを組み合わせることで、伝書鳩による人件費の削減と高速な配達を実現しますというベンチャー。
で、実際にやってみると到着率が20%でした、届いた本も鳥のフンでボロボロでした、というのが発生したら、そりゃユーザーは怒るよね。
で、それに対してベンチャーなので大目にみてくださいと言われても、そもそもこの企業は伝書鳩の育成に対する技術をもっているわけではないのだから、待ったところで現状の問題を改善できないし、つまりはこのビジネスモデルベンチャーのビジネスモデルは失敗でしたという結論にしかならない。
それを技術で解決するtech系ものづくりベンチャーの言い訳を引用されても、いや、それを改善する技術、おたくにはないですよね?以外の感想はないんだよね、実際。
日本人はベンチャーに厳しいうんぬんは、このあたりの仕分けをせずに言うべきじゃないよね。批判する人も擁護する人も。とはいえ、たぶんビジネスモデルとしては失敗だと思うので、みんなの批判をネットイナゴがうんぬんと思わずに、真面目に受け取った方が良いと思います。
神が実際に存在するとする。
何のためにこの世界を作ったのだろう?
最終目標は謎だけど、生命を連綿と繋いでいこうという意志があるのは間違いない。
動物はそのようにプログラミングされているし、人間も知性を持って自由意志の部分はあるが、原則そのように作られている。
今、人間が繁栄しているのは、たまたま命を繋いでいくという方針にマッチしており、
上手く行っているだけで、そもそも人間よりも高次元で命のバトンを繋いでいける存在があるなら
人間は宗教を作り、人間は神の子であり、信仰により救いがあると言うけれども
それは人間サイドから見た都合の良いポジショントークのようなものであり、嘘だと思う。
ただ宗教は治安を維持したり、人々の心を癒やし指針を与える点で意味があったので
キリスト教では万物は人間のために作られたとか言っているけれども、
空間的にも宇宙は無限にあり、ここがゴールって断言するのは無理がある。
そう、人間が作り上げた神は人間のための神でしかない。本当に存在している神は人間のための神ではない可能性が高い。
さて地球が出来て、命が連綿と続いていく理由について憶測を述べてみる。
人類に何かをさせるため、何かを作らせるために繋いできた。
あるSF小説で何とか星人の壊れた宇宙船の部品を作るために、何とか星人の力により
地球ができ人類が発展したみたいな話があったけど、意外とそんなもんだったりして。
小説では部品を作るために存在していた人間だけど、人工知能を作らせるために人間を創造してたりしてとか憶測で考えてみる。
今、人類は人工知能を研究し、ニューラルネットワークにより機械に人間の認識能力を宿らせつつある。
今後魔法のようなアルゴリズムが発明され、人間の創造性を機械に持たせることが出来れば、
ロボット自体が学習し、ものづくりが出来てしまうので人間の出来ることはほとんど機械もできるようになってしまう。
ロボットにそのような人工知能を持たせて、自律的にものづくりをし、電力を発電させれば、
電力とデータ、アルゴリズムが滅びなければ半永久的に存在し続ける。
コンピューターなので命とも言えるデータとアルゴリズムは分散して存在し続ける。
自我を持ったロボットにとっての脅威は電力とデータ、アルゴリズムを消すことが出来る人間だけなので、
神は地球を作り、人間を作ったが、それは人工知能を人間に作らせるためであり、
そして人工知能を作らせたのは、より高次元の命の存在のためで、その高次元の存在の意味は謎。
取りあえず何とか星人が人工知能を欲していたので、そのリクエストに応えた
だったりするかもしれない。
冷静に考えるとキリスト教で話している神よりは、こっちの神の方がありえそうだと思う。
ベンチャーキャピタルしてます。昔からずーっと疑問だったが、Webサービスに技術的な優位性なんてある?
たまに「うちのサービスはアルゴリズムが凄いんです!!!」とアピールしてくる会社がある。私はエンジニアではないし、コーディングもしたことないから、その凄いアルゴリズムを正確に評価ができない。
でも、サービスにとって重要なのは、そのサービスがどうやって動いているかというよりは、お客さんがその体験を通じてどう思ったかのほうじゃないのかな。Webサービス(アプリ含めて)なんて、クライアントアプリケーションとサーバーの組み合わせでしかないから、簡単に模倣できるんじゃないの(適当)?事実、そういう戦略を取っている会社はいっぱいあるし、そもそも日本のベンチャーはアメリカのスタートアップの模倣が多い。
だから、サービスに競争優位性があるとしたら、技術そのものによるものではなく、新しい技術を取り込んで顧客体験に還元できる組織風土や組織体制だったり、既存システムの改善改良を続けるスピード感だったり、そういう単純比較が難しいところじゃないかなと思っている。となると、前述のアルゴリズム凄いアピールは、よくわかっていない投資家を騙くらかそうとしているか、単純に本気でアルゴリズムの優位性を信じているか、どちらかということになる。私はひねくれているので、前者だろうと思って「うちのアルゴリズムは凄いんです」はほとんど評価してこなかった(評価できなかったんだけど)。
18世紀にイギリスは世界の工場として世界の綿織物のほとんどを作ったけど戻ってきてないよ!
19世紀にアメリカは製鉄所たくさんあって鉄鋼業が盛んだったけど、いまはほとんどないよ!
1930年頃に日本は世界一のシルクの産地だったけどいまのシェアは1%切ってるよ!
1980年台に日本はブラウン管TVやビデオデッキを世界中で売ったけど、いまはほとんどないよ!
1990年台もかろうじてAV機器や小型情報機器で強みはあったけど、もう誰も買ってくれないよ!
1999年に日産はルノーに買われてゴーンがいろいろ改革したけど、もはやフランスの会社だよ!
2016年にシャープは台湾メーカーになって液晶の技術は海外に渡ったよ!
2017年に東芝は140年の歴史に幕を下ろしつつ、メモリ部門は海外に売り渡しそうだよ!
欧米から日本そしてアジア次はアフリカというように、きっとこれは自然の流れだよ!
イギリスもアメリカもモノづくりはやってないけど他のことでお金儲けしてるよ!
資源もなにもない国だけど、手放したんだから忘れるしかないよ!
プログラミングしてみたいとぼんやり考えている仮想的な若者を妄想しながら書いた.
プログラミングは, おそらく多くの人が触れたことがないからだろう, 特別扱いされるきらいがあるように感じる.
よく話題に上がることであるが, 最近「プログラミングは簡単!」「一ヶ月でプログラマになれる!」のようなキャッチコピーを売りにしたサービスなどが多い. そういうものを見るたび, たとえできたとしても, それは本当に目的に合致しているのか考えてしまう.
料理だって, 一ヶ月あればできるようになると思う. ただし決して, それだけでお金を儲けられるということではない.
これは料理に限らない. スポーツだって, 日々の練習があるからちゃんとプロたりえているし, 自動車の整備士だって, 普段やって慣れているから安心して任せられる. そういうものだとみんな知っている.
もちろん, プログラマだって, コードを書いたり勉強したり, そういうことは必要なはずである.
料理教室, 英会話教室や, 資格講座, パソコン教室などがある. 学校も加えても良いかもしれない.
そういうものをみて, カリキュラムを終えたらゴールだとは思わないと思う. あくまで入り口として有用なものである.
ビジネスなのだから, 良いことを売りにするのは当然である. [『苦しんで覚えるC言語』](http://amzn.to/2htZRFi)のような稀有なケースもあるが, 大抵の人は苦しみたくないと思うので, 「明快!」とか「猫でも分かる」とか, 「n日でできる」ほうが心地よいと感じるであろう. また, カリキュラムを終えたら一人前な方が良いと思うので, そういうことを売りにしようとするであろう.
※ここで言う「[ポジショントーク](http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DD%A5%B8%A5%B7%A5%E7%A5%F3%A5%C8%A1%BC%A5%AF)」は誤用としての意味であるが, ぴったりなので使いたい. 正しい意味はリンク先を参照されたい.
プログラマに聞けば, 「プログラミングは楽しい!」答えると思う.
料理人に聞けば, 料理は楽しいと答えるだろうし, プロ野球選手に聞けば野球は楽しいと答えるだろう.
人によって合う合わないはあるだろう. 少なくとも, プロとして働いてる人は, 意識的であれ無意識的であれ, 続けようと思った人である.
工作を好きな人は多いと思う. プラモデルとか体験教室とかは, お金を払ってでも工作を楽しみたい良い例だと思う. プログラミングもその中に加えたい.
教室などで, プログラミングでアプリを作ってみることは楽しいと感じたとして, では次それが仕事になってまで楽しいかといえばそうとは限らない.
創作が楽しいからといって, 美味しくもない料理を出すわけにはいかない.
プロにはもちろん責任が伴うし, すべてが自分の思い通りなわけではない.
とはいえ, 少なくとも自分は, 時にはつらくても, 最終的には楽しんでいるので, 世の中そういう人もいっぱいいると信じているし, いてほしいとも思っている. そう信じているが, あくまで自分の感情なので, 自分がプログラミングを教える時, どうしてもその人にとって本当に幸せか考えてしまい, ジレンマを感じる.
もし今あなたが誰かに教わっているなら, ここまで考えてどう思ったかを, その人に伝えてあげてほしい.
自分は, プログラミングを昔からしてきたから, 論理的思考力が身について, 大学受験もうまくいった気がしているし, バイトもプログラミングのお陰で人並みに稼ぐことができた. PCの使い方に慣れて, 検索や, 情報の真偽判断もうまくなった気がする. もちろん, ただの結果論であって, 因果関係の保証はない.
もし自分がプログラミングの価値はなかったといえば, それは同時に自分の人生を否定することに繋がる. 自分は一定の自尊感情を持って生きているので, 自分の過去の生き方について一定肯定し, その結果プログラミングに価値を見出しているにすぎない.
プログラミングは楽しい?の節とほぼ同じ内容だが, プログラミングに限らず, そういうものだと思う.
プログラミングは手段という考えは浸透しつつあるように思う. 同時に, プログラミングができると何ができる?という質問をされることもよくある.
大きなもので言えば, 人工知能と騒がれているものだったり, LINEやTwitterだったり, いろんなアプリだったりゲームだったり, WEBやメールといった大きなシステムも, プログラミングの延長であると言えると思う.
ただし, そういうものは, 何十人, 何百人という, エンジニアだけでなくデザイナー, 企画, マネージャーなどが何年も協力してできていて, また, エンジニアだけでもフロントエンドエンジニア, サーバーサイドエンジニア, インフラエンジニア, グラフィックエンジニア, ……とても多くの, 各部分のスペシャリストが作っていることを知る必要がある.
一人でできる範囲は, それほど大きくはない.
小さなことで言えば, 計算などを, 電卓よりもプログラミングをしたほうが速いという話がある. 僕の場合は, 確かにくり返し同じような計算をする場合や, 複雑な式の場合は, そうかもしれない.
但し注意すべきは, なにか新しいことができるようになれば, 他にもできるようになることが増えるのは当たり前である. 軽いプログラミングができることは、それほど価値があるのか?
プロとしてのプログラミングをしなくても, アマチュアとしての仕事もある.
ホテルの料理人は, 一人で良いものを作ることを求められる. 一方で, 飲食チェーンでのアルバイトぐらいなら, そこまでは求められないだろう.
また, オーナーとしても, 料理に関する知識を持っていれば有利なことはあると思う. デザイナーやマネージャーがプログラミングをする目的である.
何事も, 一度やってみることは価値があると思う. 自分は田舎育ちかつ父親の影響もあり, 自転車のパンク修理や, 車のタイヤ交換等は, 家で行っている.
本職ではなくても, お金の節約になるし, いつでもできるというのはメリットではある.
将来の選択を決めかねている場合でも, やってみないと楽しいかどうかも判断できないので, やってみることは決して否定しないし, プログラミングに関して言えば自分はもっと広めたい立場なので, ぜひやってみて欲しいとも思っている.
偉そうに書いておいて, 自分自身全然社会の波に揉まれてるような年齢じゃないし, 人生めっちゃ成功しているわけでもない.
全てにおいて, 僕がプログラミングに近い立場にいるからこそ言えたことだし, 自分が違うことをしていれば多分こうは言っていなかっただろう.
もしコメントを読んで自分が間違っていたとか、扇動的だと思えば記事を削除するし, そうやって考えを成長させていく. ネットの1記事というのはそういうものだと思っているし, そういう目線で読んでほしいとも思っている.
ビッグデータ, 人工知能, プログラミング, そういう流行り言葉に踊らされて, 大事なものを見失わないでほしい.
意志を持って学びたい人を邪魔する人はいない. みんなプログラミングが大好きだし, 広めたいと思っているはず. 自分含め.