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はてなキーワード: 大学ノートとは

2024-11-18

anond:20241118100522

御朱印帳ってただの装丁の綺麗なメモ帳でしょ?

大学ノートと何も変わらんと思うがバカ神主もいたもんだな

anond:20241118100223

同大社は「御朱印きっかけに信仰に興味を抱いてもらえれば」とするが、

中には御朱印帳ではなく大学ノート御朱印をもらおうとするなど「スタンプラリー感覚」で集める参拝客もいるといい、戸惑いを隠せない。

大学ノート御朱印は辞めてくれという話であって、

御朱印帳でスタンプラリーは辞めてくれということではないかと。

2024-10-10

大学ノート鉛筆キャラ模写程度の

お絵かきマンデジタル作画存在を教えたら

一週間後、自分より上手くなって帰ってきた

・すまん、クソ舐めてたけど

そのイラストは私はかけんわ

・もしトレスとかパクじゃなくて

100%自力で描いたならマジすごい

画力上下関係が私が下で固定になるし

もう絵の見せ合いしたくねー

しかし、一週間前に見せてくれた絵から

今回までの飛躍が不自然すぎる→トレスとかパクしてない?男子5日会わざればというけど変わりすぎだろ!!!

(原作模写するのにいっぱいいっぱいだった人が

一週間で全体の美術解剖を理解してないと描けないような絵を描けるようになるか?)

・「わ、私はイラストじゃなくて漫画描きたいだけだから!絵っていうか象形文字みたいに読み手意図が簡潔に伝わる絵を描きたいんであって美麗イラストとか目が滑るから興味ない」という心はあるが両方できたうえで言うのとできないで言うのは全然違うやんけ〜!

・お互い楽しいお絵かきライフを!

2024-08-25

絵師界隈とDTM界隈ってどっちの方が深淵作者多いんだろうな

いやどっちもハッタショホイホイではあるんだけどさ。米津でさえハッタショなんだし

DTMだと絵でいえば生首絵とか大学ノートにらくがきレベル作品として仕上げてないレベル投稿(未完成で恥もなく投稿できるのは障碍者所業)ってあまりないイメージなんだよね

2023-10-23

夫婦漢検勉強をしている

書店問題集を買ってきて、ふたりで一緒に、なるべく毎日、その問題集の1単元ずつやっている。

60~70問くらいの問題をウンウン言いながら解き、大学ノートに答えを書きつけ、終わったら交換して互いに採点しあう。

検定を受検して級をとろうとは特に考えていない。単に大人として一般教養をかためておこうよ、それくらいの動機

しかしこれが楽しい

そもそも夫婦ともに机に向かってお勉強をすることじたいン十年ぶりなので新鮮。

それに、漢字テストのもの楽しい

「あー! ここまで出かかってるんだけど!」

「読めるけど書けない!」

「点、つくんだっけつかないんだっけ?」「ここ突き抜けるんだっけ?」

「こんな部首知るか!」

「ほんとは書けるんだよー!ど忘れなんだよー!」

みたいにキャーキャー騒ぎながらクイズ感覚ゲーム感覚で楽しんでいる。

ひとりでやったらたぶん全然おもしろくないと思う。ふたりでワイワイやるから楽しめている。

もっとこういう時間を過ごしたい。

 

※恥ずかしいので級は明かさない。少なくとも準1級や1級ではない。

※恥ずかしいので歳は明かさない。かなりいい歳である

2023-10-21

宅建に落ちた コロナのせいにしたい

 先週の日曜日宅地建物取引士試験を受けた。不合格可能性がかなり高い。

 その前の木曜日、ある行事に参加したところ、その最中から鼻が強くムズムズした。古い建物なので何かアレルギーでも起きたのではないかと思った。金曜日会社で、社員総出の恒例作業があった。とくに体の不調は感じなかった。

 翌土曜日は、本来なら1年間続けてきた試験対策の総仕上げとして、弱点を点検するつもりで、実際、気になっていた一部の単元の教科書見直したのだが、手足にだるさ、無力感を覚えて、ほとんど横になっていた。熱はなく、コロナだとは思わなかったが、家にあった簡易検査キットを使ってみたところ、陰性との結果が出た。

 試験当日の朝は、100%調子ではなかったものの、好転しているように思えた。試験会場は車乗り入れ禁止だったので、会社まで行き、自転車に乗り換えたが、苦にはならなかった。試験開始。想定していなかった問題ばかりが出た。2時間試験時間のうち半分を過ぎたこから胸が痛みだした。が、集中力が途切れることは終始なかった。実力を100%出し切れたと思う。

 問題は、現実を突きつけられれば落ち込んで1週間程度廃人になってしまうのが目に見えているのでまだ答え合わせをしていないのだが、試験の手ごたえのなさから判断して、私の実力100%では到底合格ラインに手が届かないということだ。徹底的に過去問をやったが、少し角度が違う設問に遭遇するだけで歯が立たなかった。合格するにはいまの5割増しの実力を完全発揮する必要があった。

 再挑戦する権利はあるし、実際、一発合格する人は少数派のようだが、これまで1年間、十分に時間エネルギーを費やして準備してきたので、もう1年同じ挑戦をする決心がつかずにいる。決意するとしても、それは「不合格」という結果をつきつけられたあとになるだろう。

 試験が終わって帰宅する途中、急激な体調の悪化を感じた。たんがのどに絡み、大きな咳が出るたびに食道の壁が破れるのではないかと思うような痛みを感じた。それでも発熱はなく、「陰性」結果に安心していたのだが、翌朝、会社電話を入れてから、痛みをなんとかしてほしいと考えていつもの耳鼻咽喉科に行った。医師に「いまのコロナは熱が出ないこともある」と、検査を勧められた。粘膜の採取から約15分後に陽性が判明した。会社メールで連絡したところ「他に数人、症状が出ている。今週内は臨時休業」とのことだった。

 で、宅建のことだが、私はユーキャン通信ネット教材を購入して勉強した。教科書はよくできていた。私も、大学卒業してから初めてというくらい、集中的に勉強した。ただ、過去問を熱心に解くあまり、「3人兄弟が出てくる相続問題バツ」というように、無意味なコツが身についてしまったような気がする。教科書には別の大学ノートを用意する必要はないとのアドバイスがあったのだが、宅建は借地と借家詐欺脅迫というように、類似している事項間のひっかけの設問がよく行われるので、ユーキャンサイトに、関連情報へのリンクなどひっかけ対応機能が乏しい以上、やはり大学ノートを知識の整理用に準備しておくべきだったのではないかという気がしている。

2023-08-16

anond:20230816142303

これだね

その日の内に歌入れをすませて完成させなければ11月28日リリースできなくなるという状況下で、真夜中に尾崎廊下に寝そべって歌詞を考えていた。その後、午後6時もしくは7時頃に尾崎は一度帰宅したいと要望し、12時までに戻らなければ間に合わないと念を押した上で須藤帰宅許可した。

しか尾崎12時を過ぎてもスタジオに戻らず、スタッフも半ば諦めかけていたが明け方の5時頃にスーツを着てネクタイを締めた尾崎スタジオに現れた。尾崎ワイン2本と折詰の寿司と共に「Forget-me-not」の詞を書いた大学ノートを抱えていた。尾崎は「みんなでこれ食べてください」と述べスタッフ寿司を振舞ったが、須藤から「何言ってんだよ。歌詞はできたの?」と問われ、「できました」と回答。その直後に録音したものアルバムに収録されているテイクとなった。また、本作は2回歌入れが行われたが1回目のテイクが採用される事となった。


https://ja.wikipedia.org/wiki/Forget-me-not_(尾崎豊の曲)

2023-08-15

契約書の袋綴じと和綴じが別のものになったのは結構最近コンピュータプリンタ進化のため

契約書袋綴じを指示されて和書の袋綴じをして怒られたって棘がバズってるけど

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2205369

いや、元々契約書の綴じ方も和綴じの袋綴じをしていて今でもやる場合があるのだ。そして昭和契約書やら判決文、戸籍謄本などの法的文書は和綴じの方の袋綴じがされている。

そもそも現代契約書の綴じ方には「袋」になっているところがない。なのに袋綴じと言われるのは和綴じから変わったかなのだ

なんで平成中期というか1990年代前半に替ったかというと、コンピュータの出力法が変わったせいなのだ

 

和綴じ式法的文書の袋綴じ

契約書などには割り印をする。ページの差し替えをされない為だ。そして契約時点で書面の内容に異存なしという意味で双方のハンコをページにまたがる形で押す。また背表紙の封紙と表紙にも割り印をする。

ページの割り印の仕方は、上の余白で折って隣のページとまたがる様に押印する。

でもこれちょっと無理やりだと思わない?

実は1990年代までは今のように両面印刷して製本するのではなく、原稿用紙のような升目用紙(内容証明用紙のようなの)に手書きで書き、それを半分に折って重ね袋綴じしていた。綴じるのに使うのは布の「こより」で、千枚通しで穴を開けてから紐を通す。河野太郎廃止させたやつだね。だから千枚通しはオフィス用品だったのだ。

そして袋綴じされた紙を膨らませて片側のページを山型に折ってそこに割り印をしていた。

ワープロ」を使うようになっても同じ。片面印刷して袋綴じにして割り印をする。

なんでパソコンじゃなくてワープロなのか?これは後で説明する。

 

戸籍謄本などはやはり手書きで同じように袋綴じされて割り印され渡された。

そもそも謄本」と云う言い方をするのは、昔はコピーが無かった(青焼きはあるがコストが高くナンセンス)ので手写しであり、書面の中身を全部写したのが謄本で、労力が大変なので必要な部分だけ写したのが「抄本」だった為だ。今でも閉鎖謄本/抄本請求するとこの形式で出てくる(流石にコピーを使うが)。そして和綴じ式の袋綴じで割り印されている場合がある。

 

こより綴じの方は昭和後期には省略されてホチキスになり、これは市役所弁護士が先行したようだ。だが契約書類はこよりorこより+封紙+割り印が使用されていた。

 

ラインプリンタとページプリンタ

コンピュータ印刷するというのは今では当たり前で、印刷するのは白いオフィス用紙で、一枚ずつ印刷される。

この印刷が出来るプリンタはページプリンタという。

だが嘗てはコンピュータで使われるプリンタラインプリンタが主流だった。ページプリンタDTPなど特殊分野でのみ使用され、一般的OA機器メーカーラインプリンタしか製造していなかった。

ラインプリンタの用紙というのは、両側に穴が沢山開いてて薄緑などで罫線が引かれていて、ミシン目が入ってて切り取りが出来る連続用紙の事である

ラインプリンタ場合印刷区切りが一行づつになっていて、プリンタ印刷指示が送られるとそのテキスト印刷して改行の必要がある場合は改行しそこで終了する。ミシン目まで行送りするという事は無い。

から票として一枚ずつ切り離す場合は、ミシン目が来るところまで行送りを行って停止するという印刷指示を組んでおく。

また、嘗ての標準出力の延長でもあるのでコマンドラインとの相性も良く、リダイレクトパイプ(|)でデバイスファイルlp、PRN)にテキストを流すとそれが印刷されるという簡単さであった。

 

ラインプリンタはページプリンタに押されて無くなったかに見えるが、実はPC POS印刷されるレシートラインプリンタの生き残りだ。

 

プリンタ印刷方法インクをしみ込ませたインクリボンを活字で叩くというのが主流で、日本語圏だと沢山のピンを弾いて打つ、ドットマトリックス方式が主流だった。これだと一字のドット数が16*16くらいが限界なので、細かい漢字は打てない。

からカタカナ+数字しか出力されない伝票などの使用が主で、ページプリンタは普及しなかった。

 

一方、ワープロ専用機は最初からサーマルプリンタを備えていてページプリントが前提であった。だから普段オフィス業務コンピュータドットマトリクス文書の清書はワープロというのが一般的だった。

これで法的文書ワープロ作成し、縦書きで出力して手書きと同じ袋綴じにするというのが増えてきた。

今でも弁護士文書表題倍角文字が使われたりするのもこの名残だ。

 

これがWindows95が普及するとページプリンタの普及も進み、イントラネット接続される複合機が普及するなどで印刷=ページプリントとなったのだ。そしてやがて法的書類も両面印刷して製本するという形になった。

その時に本来の袋が出来る袋綴じは過去のものとなって袋が無いのに袋綴じと言われるようになった。故に今の袋綴じ方が当たり前になったのは20年位かと思われる。

 

和文タイプライター

因みにワープロより早くから、またワープロと平行する形で和文タイプというのがあり、これで升目用紙に、または白紙に升目用紙と同じ字の間隔で印刷するという方法もあったのだが、和文タイプというのはとても時間が掛かった。

https://youtu.be/JHJhah1c-K0

この人は流石に遅過ぎなのだが、タイプするのが超絶大変な代物で、行政書士弁護士など気合が入った士業と法務局裁判所など気合が入った役所気合が入った大企業契約書など、兎に角気合が相当入ってないと使われない清書用アイテムだった。ある意味、100kgぐらいの巨大複合機より気合がある。

 

オフィスプリンタ歴史

というわけで袋の部分が無いのに袋綴じという謎かけみたいな名前の背景にはオフィス史とコンピュータプリンター史が隠れていたのであります

 

 

ついでなのでオフィスと紙に関するトリビアを置いておくよ

A4が当たり前になったのは1990年代前半

昭和日本ではオフィス用紙も法的文書原稿用紙も、B5だった。ずっとA4より小さい。会社でも役所でも裁判所判決文でも全てB5だ。

だが1990年頃に役所関係書類をA4にするというお触れが出た。これは国際化の一環で、ISOに定めれているのはA列だけでB列は日本独自規格。困ったことに当時一番の貿易相手国だったアメリカアメリカレターサイズをN倍したANSIという独自規格なのだが(またですか)、まぁレターサイズはA4に近いしA4を標準化すれば万事うまくいくでしょとの見込みだ。

これに数年遅れで企業も倣ったのでB5というのはパージされることになった。

今、昔の裁判書類契約書、権利書を見ると実に小さい。

世の中全部B5からA4に変わったのに、大学ノートだけはB5が主流のままだ。あれは何でなんでしょね?小さいと使いにくいのに。

 

紙質の変遷

今はオフィス用紙として白くてある程度の厚みがあるものが使われているが、これはコンピュータ印刷一般化するまではとても薄いペラペラでテカテカつるつるしている紙が使われ、これが「公的場所で使う」紙だった。

先述の手書きワープロの升目用紙も全てこの極薄+つるつるの紙である。両面印刷して製本されなかったのもこれが理由の一つだろう。

これは「カレンダー紙」で、紙を押しつぶす鉄製のカレンダーロールの間を極圧で通して押しつぶし、薄くする。

トレーシングペーパークッキングペーパーと同じだ。

また、請求書類封筒は中の請求書の名前住所が見えてあて名書きを省略してあるが、あの透けた部分が透明ビニルじゃなくて透けた紙である場合もある。この透ける紙もカレンダー紙だ。

 

公的書類カレンダー紙が使わるようになった理由だが、増田羊皮紙代替ではないかと考えている。羊皮紙中世欧州から使われていた「紙」で、羊やその他の皮膚の薄い動物の皮を剥ぎ、石灰水で皮下脂肪を除去して薄く削いで引っ張り、紙のようにした。 https://w.wiki/7FnV

鞣しをしないのがポイント。これは高額なので貴族手紙や証文、聖書の写本など「公的」な書面に使われた。

これの代替の紙としてカレンダー紙が使われ、それが「高級紙」として日本に輸入されて、ペラペラカレンダー紙を契約書や判決文に使うようになったのではないか?と推測している。

 

こういう訳で、昔の契約書やら公的書類などはやたら薄いのが特徴だ。破れそうで怖いのだが、そっとめくるだけなら破れない。

なお、トレーシングペーパークッキングシートは長期間放置するとバラバラ崩壊してしまう。これは硫酸晒しをする為に酸性になっているからで、昔のペラペラ重要書類はそうはならないので、硫酸晒しをやってないのではないかと考えられる。

2023-04-02

こまめに、自分の知らなかったり気にいったりした単語を集めた「単語帳」を作っている

そういう単語は、普段から携帯メモ帳に溜めておく。

そして、半年に一回ほど、短い自己解説とともにエクセルに書き出している。

また、それをPDF化して携帯へと送り、暇なときに読んで自ら喜んでいる。

なお、小説ネット記事を読むときは、そういう視点でも目を配る。

珍しい単語をみつけると、そういう意味で嬉しくなる。

海岸きれいな色の石をみつけた、みたいな気分になれる。

あと、増田にも「今日知った言葉」というカテゴリがあり、個人的には重宝している。

普段触れない方面での単語が多く、こんな概念にも対応する言葉があるのかと驚かされる。

今日もその書き出し作業を行い、単語帳は680語程度となった。

さもない趣味ではあるけれど、初めてからもう14年が経った。

当初は大学ノートに書き出していて、可搬性に欠けていたけれど、

最近ようやく電子化エクセルデータ化)を達成した。いつでも読んで楽しむことができるようになった。

この単語帳はどこまで膨らんでいくのだろうか。文章を読む際の副産物として、ぼちぼち続けていきたい。

2023-03-05

気まぐれで日記をつけ始める癖がある

から、思い立った時に、日記をつけ始める癖がある。

長ったらしい文章のものもあれば、書き殴ったものもあって、そうかと思えば事実だけを箇条書きにするなど、特に形式はない。

書く場所も同じ。スケジュール帳や、某出版社が出してる文庫本のものや、はたまた大学ノート、気まぐれで作ったブログ等々様々である

当然一冊を使い切るなんて事は出来なくて、大体中途半端に終わる。学校なり仕事なりプライベートなりが忙しくなって、日常忙殺され始めると書かなくなって、この感覚は分かる人居るんじゃないだろうか。

忘れた頃に、要は大掃除か何か時に読み直すと、「懐かしい」とか、「気持ち悪い」とか、「こんなことあった?」みたいな感情と一緒にシュレッダーにかけちゃうんだけど、今更ながら捨てた日記が勿体無くなってきた。(モノ自体じゃなくて、自分が生きてきた証に対してね)

歳を取っても、まあ自分自分だし、変化なんてねえよって思ってても、日記読み直すと、やっぱり当時の自分と今のそれは違う。反対に良くも悪くも変わらない部分がある。日記はそんなことに気付くためのツールだったんだなあ。

さーて、お出かけしよ。

2022-04-02

若かりし頃の日記で泣く

地方都市在住の50歳。妻子あり。東京単身赴任中だが、コロナが始まってから東京借家には月に一度、一週間ほど滞在するだけになった。

中学2年生の時から書き溜めてきた日記帳東京借家に持って来ている。20年前の1月に書いたのを最後更新が途絶えている。死後に読まれたくないが、処分してしまうと自分自分でなくなってしまうような気がして、ドキュメントスキャナーでPCに取り込むことにした。

部活いじめを受けていた中学時代高校県内トップ校を受検するもボーダーラインに数点足りず、県立高校二次募集で片道1時間半の中堅高校に通うことになった。学校に馴染めず悶々としていた高1の夏、母親が癌で入院し、その冬にあっけなく逝ってしまう。その頃、今の高校を退学して大検を受けようと考え始め、父親とも激しく対立する日々──。

日記を読むつもりはなく、ただスキャン作業だけを淡々と進めるつもりだったが、どうしても作業の都合上、目に留まったページは読んでしまう。辛い記憶が蘇ってくる。

4冊目の大学ノートバラそうとしたら、高1の進路指導プリントが挟まっていた。提出したプリント担任先生がひとりひとりに手書きメッセージを書いて、3学期の終業式の日に返却してくれたものだ。国語書道担当する年配の男性教諭である担任のS先生には、退学や大検受検のこともよく相談に乗っていただいたものだ。プリントの余白には、こんなメッセージが書かれていた。

今年度はいろいろ辛い思いをして、本当にたいへんでした。一ぺんに学校以外のことで試練を受けましたネ。それにくじけなかった増田君は、本当に強い、と感心しました。新年度は、又、心機一転がんばってください。この1年、何の役にも立てなかったこと、許してください。K先生(部活顧問)や必要あれば進路指導部の先生などとよく相談して、最終的には自分自身で決意してください。悔いのないように! 将来を期待しています

藁半紙プリントボールペンで書かれたこメッセージを見た瞬間、涙が止めどなく溢れてきて、声を立てて泣いてしまった。記憶から抜け落ちていたこ文章が、あの頃の辛かった記憶呼び戻したのだろうか。あまりにも予想外のことで、自分もびっくりした。

S先生は翌年度から県内の別の高校に転任され、それ以来お目にかかっていない。ご存命なら、今は80代中頃だろうか。

結局、高校は退学せずに卒業した。大学受験は何度も失敗し、就職してからも苦労が絶えなかったが、今では人並み以上の幸せ生活ができている。当時は自分のことで精いっぱいだったが、今思い返せば、S先生にはずいぶんと支えていただいた。直接お礼を伝える機会はもうない気がするのが、なおさら悲しい。

今日はこれ以上のスキャン作業は無理だな。少し酒を飲んで休もう。

2022-03-31

https://b.hatena.ne.jp/entry/4716987301510122050/comment/toshihiko150

ああ、Qiitaなんて99%は役に立たないよな

プログラミング日記大学ノート増田に書いとけ

SEOだけはしっかりしてるから情弱が書いててもQiitaに乗ってるだけでランキング高く出てきて邪魔なんだよ

2022-02-28

気持ち悪いので吐きに来た。

世界とどこかでつながっていたい気持ち。でも完全につながっているんじゃなくて、安全なところに隠れて、そっと伺い見るような、そんなのを望んでいる。誰かが話しかけてきたら逃げてしまうだろう。いや、そんな気取られることすら嫌だ。そっと、屋上の物陰とか、屋根裏の隙間からとか。

ぼくは出て行っていいのかな。挨拶をしたり、話しかけたりしていいのかな。ぼくのような出来損ないが。

 

LIVE東京新宿駅ライブカメラ Shinjuku, Tokyo JAPAN - YouTube

 

あの新宿南口は、何度も行ったり来たり出たり入ったりしたところ。高校生の頃からおなじみの場所予備校の帰りとか、入試日のチキンライス弁当とか。

受験弁当を駅の西口コンコース階段の広い踊り場にある売店で買って、いつも唐揚げチキンライス弁当で。30年以上前のこと。

ほんとうに、ぼくはどうしてこんなに無駄に回り道ばかりしているんだろうか。それとも回り道じゃなくて彷徨っているだけなのか。目的地すら知らない。もしかしたらずっと東の彼方に見える海峡の向こう、もしくは夜の黒い平原の彼方の光の粒に向かっているつもりなんだろうか。

降る雨が窓ガラスに降りかかり、細く開けた窓枠の横の隙間から右手を肘まで出して、手には何か棒状で平らなもの、たとえば定規とか持って、バスのワイパーになったつもりで動かす。扇形に。5歳、6歳のぼくだ。

あの頃、目的地なんて知らなくて、そんなものなくても平気で。でも、毎日から叱られるのは嫌だった。脚を持たれて逆さにぶら下げられたり、床の上を引きずり回されたり。お母さんはいつも寝ていて、話しかけても叱られるだけで、そして仕事から帰ってきたお父さんに告げ口して、同じことでお父さんから叱られて、それも毎日時間、2時間、立ちっぱなしで。晩ご飯を食べながらお父さんは叱り、食べ終えても叱り。

知らないおじさんおばさんのくせに。

 

家の前の石段で苔の盛り上がりを撫でたり、側溝の流れに揺れるご飯粒と、白くなったミミズの死骸の生臭さをかいだりしていた頃。自分のつま先よりも大きな石が転がる砂利道を歩いて、道端のコンクリ製のゴミ箱の中をのぞき込んだりしていた頃。台所の電灯の笠のスイッチを回す「キュッ」という音で夜がやってきていた頃。

 

ぼくはずっとあの町で過ごしたかったのに。あそこが一番素敵だったのに。寝台特急サンドイッチと、そして車窓から射し込む朝日コーヒー匂いで騙されるようにして、知らない町、知らない大人のところに連れてこられた。そして、学期途中から入った幼稚園初日、園庭の遊びの途中に他の子に触られて吃驚して、ぼくはその女の子を叩いて、そしてぼく自身が泣き出した。

通園バッグのパイピングは、ぼくの噛み痕ですぐにぼろぼろになった。ワイシャツも、吊りズボンも、蝶ネクタイも、カンカン帽も嫌いだった。

小学校も知らない町だった。卒業するまで、両手指は深爪のままだった。だって、通園バッグを噛むわけにはいかないから。「よくできる真面目な子」が通り相場だった。十本の手指だけでは足りなかったが、幸いなことに体は柔らかかった。ニ十本で何とかなった。

中学校友達のいない遠くの私立で、中高生友達も出来ず、大学受験宅浪で、でも共通一次は頑張った。しかし、それをお父さんは認めてくれなくて、国大で最底辺の遠くの学校しか許してくれなかった。入学しても受験勉強して大学を受け直せとお母さんには言われた。

そんなぼくに、何ができただろう。

 

靴は指を丸めて履くんだと思っていた。だから、駈けっこはいつでもビリだった。中学生になるまで、両足指の関節は丸くタコのようになっていた。靴は指を伸ばして履くもんだと知ったのはいつだったろうか。

 

うん。

中高生とき、ぼくは何をすればいいのかわからなかった。大人は「テストで点をとれ」とばかり言うだけで、それにはどうすればいいのか、そんなことは一言も教えてくれなかった。「勉強しろ」としか言わなかった。勉強って何? 何をどうすればいいの? という質問すら思いつかず、おそらく思いついたとしても質問自体が禁じられていただろう。「そんなこともわからいかダメなんだ」って叱られただろう。もしかしたら物を投げつけられたり、殴られたりしたかもしれない。教師は笑って相手にしてくれなかった。

勉強する、身につける、試験でそれなりの成績をとる――そこへ向かうには、幾重もの疑問や課題障害不安ひとつずつ解決していかねばならないというのに、それを一気呵成にぶち破れるような幻想を抱かせる言葉しか手許にないとしたら、夢の中に暮らすしかないじゃないか

そして、ぼくは夢の中に逃げ込んだ。

東の窓。黒い平原。地平線の光の粒々は未来都市宇宙港。ほら、横切る点滅は惑星からの到着便だ。低く流したAMラジオハチミツたっぷり紅茶大学ノートに青インクの極細サインペンで思いつきを書きつけていく。お手本は稲垣足穂

そうか、40年も同じことを続けているのか。

大したもんだ。

夢の中に40年間も暮らしている。

おかしくもなる。中も外も。

ぼくの人生復讐か。復讐する相手は、もういないけど、居る。だから、ぼくは自分自身復讐する。

道理で苦しいわけだ。

 

息子には味わわせたくない。

余った大学ノートは、4分割してメモ帳に使おう

まもなく3月ですね。

授業で使った大学ノートをたくさん処分する季節になりました。

しかし、ノートが全部使い切れなかったのに処分するのはもったいない!と思う人も多いはず。

そこで、大学ノートのまだ使っていないページを、どうにか再利用する方法を考えてみました!

もちろん、使ったページを破り、残りのページをそのまま大学ノートとして使うという方法もありますが、

授業や職場などで、そんな半端なノートを使うのもみすぼらしいですよね。

なので、ノートは加工して、書いてすぐ捨てるような形に変えた方が良いです。

そこでオススメなのが「メモ帳」です。

作り方は以下のとおりです。

大学ノートは、既に書き込んだページを破り捨て、白いページだけを残す。

ノートの長い辺に一枚一枚糊付けし、表紙から裏表紙まで全てくっつける。

③定規を用意して、ノートの表紙に十字に線を入れる。

④押し切りを用意し、その線の通りに切る。

そうすると、いい感じのサイズメモ帳が4ブロックできますエコにも繋がるので、お試しあれ。

2021-11-15

anond:20211109152906

この元日記書いた増田です。

>>自分場合はなんだけど、そのキャラたちが大好きなのとあの時楽しかったっていう記憶が紐づけられて「昔友達とすっごい楽しかった」っていう記憶キャラを見るとひっぱりだされるからより一層執着してるところがあるかも。

これ見た時心の底からうなずいてしまいました。

>>昔のオリキャラを延々懇々と描き続けてる同士自体はここにいるよということで。

すごく救われました。本当にありがとうございます

>>休み時間友達大学ノートにどうでもいい落書きしあって、放課後カラオケかいって「イメソン!」って大騒ぎしながらはしゃいだの楽しかったなぁ……

これも泣きそうになるくらい同意してしまった。

見てくれるか分かりませんが、このコメントくれた人、ありがとうございます

2021-11-09

anond:20211028160927

もう見ていないかな。

からないけど、一例として。といっても解決策とかではないけど。

当方年代増田小説ではないけど、中学生の時にオタクグループ友達と一緒にオリキャラを作っていて絵とか漫画とか量産してた。自分小説はそこまで書かなかったんだけど、絵を描くのがどうにもこうにも好きで、今もずっと描き続けているんだけど、昔みたいにオリキャラは描かずに今では二次創作かばっかり。

表向きは。

多分元増田キャラクターよりもよっぽど痛々しいキャラ設定と厨すぎる世界観で作り出した自キャラのことが今でもずっと宝物みたいに大事で、人に見せることもなくめちゃくちゃ絵とか量産してる。ずっと抜け出せないから、元増田気持ちも一部すごくわかる。

自分場合はなんだけど、そのキャラたちが大好きなのとあの時楽しかったっていう記憶が紐づけられて「昔友達とすっごい楽しかった」っていう記憶キャラを見るとひっぱりだされるからより一層執着してるところがあるかも。元増田がどうだかはわかんないんだけど。

自分で描いたものは外に出さないし、痛いな~って自身を顧みることもあるけど、でも特に恥ずかしい辞めたいとは思ってないか元増田と違って頭の中がずっと中学生なのかもしれないけど、昔のオリキャラを延々懇々と描き続けてる同士自体はここにいるよということで。

休み時間友達大学ノートにどうでもいい落書きしあって、放課後カラオケかいって「イメソン!」って大騒ぎしながらはしゃいだの楽しかったなぁ……

2021-04-25

私は過去へとタイムリープしたことがある。人生をやり直すために。

まあ、そう言ったところで多くの人には信じてもらえないのだろう。

からまずは、どのようにタイムリープ可能となったのか、その理屈を述べ、

納得を得るべきなのだろうが、先方との約束でそれはできない。

今回のタイムリープには協力者が居て、その人のおかげでタイムリープが実現できた。

それ以上のことは先方との約束により、絶対に明らかにできない。

しかし、タイムリープ理屈など、私にとってはどうでもいいことだ。

そんなことよりも、タイムリープによって知った驚きの事実を、私は「ある期待」を込めて皆に伝えたいのだ。

さて、そもそも私の場合入試恋愛、大きな事件事故など、現在に至るまでの人生の中で、

強い悔いを残し、これだけは絶対に変えたい!というイベント特に無かったのだ。

それでも、先方からタイムリープの誘いに乗ったのは、既に結果を知る過去を再度歩めるのなら、

そこに現れる人生選択肢もより良いものが選べるはずだと考えたからだった。

例えば、学生の頃のテスト現在知識によって、より良い点数が取れるだろう。

また逆に、記憶の限り日々のトラブルはすべて回避できるだろう。そういったことだ。

すなわち、自分記憶によって、2度目の過去ではより良い選択肢が選べ、

現在までの人生もっと高いステージに引き上げることができるだろうと思ったのだ。

おそらく、大多数の人間がそう考えるように。

ちなみに、私には中学生の頃から大学ノート日記を記す習慣があった。

さすがに、過去の細かなことなど覚えていないわけで、過去をより良く選択するには、

日記という貴重なデータ絶対に持っていく必要があると思った。

から、先方にも無理を言って説得し、その十数冊ある日記の束と共にタイムリープすることを許してもらった。

それは、ちょうど今日に当たる日付の出来事だった。

しかしながら、今になって思い返してみれば、それが一番の悪手であった。

その日記という紙束が、自分選択肢を強く制約し、新たな可能性を潰してしまったのだ。

まりは、実際にタイムリープしてみると、日記記載記憶どおりの人生を歩んでしまい、

新たな選択肢を選び直すことなほとんどできやしなかったのだ。

いや、タイムリープして最初のうちは、出し惜しみのつもりだった。

中学生に戻って、日記記載記憶どおりに繰り返す毎日

その不思議さは、自分が全知であるかのような錯覚を生む。このままで居たい。

すると、新たな選択億劫さ。

そこで、新たな選択未来を知る自分アドバンテージを損なうことなのだと理屈を付けた。

そして、自分はまだ中学生なのだから、さほど大きな選択肢も無いだろうと、

タイムリープして最初のうちは意図的に、1度目の過去とわりと同じ選択肢を選び続けていたのだった。

さらに、先に述べたとおり、私には絶対に変えたいというイベント特に無かった。

そのため、新たな選択肢を出し惜しむ状態は、数年間にも渡って続いてしまった。

しかし、高校生にもなれば、日々の会話の中で「バタフライ効果」の存在に思い至る。

どんな小さな行動でも、新たな選択肢を選んでしまえばその影響の大きさは読み切れない。

未来を知るアドバンテージもその行動に留まらず、完全に失われかねない。

それに気づいてからは全てを不安に感じ始めてしまい、いつか来る大きな選択肢のために

そのアドバンテージを保持しようと、それが自分にとって良いことであろうと悪いことであろうと、

ひたすら日記記載記憶の通り行動した。それは大人になっても同じだった。

例えば、その日は職場トラブルを起こし、大迷惑をかけるとわかっていた。

それでも出勤し、何の対策も取らず、上司に怒られながら対応に奔走した。

例えば、その日は旅行でどんな光景を見たのか、おぼろ気ながらも覚えていた。

それでも出発し、同じ忘れ物をして、退屈を感じながらも時刻表に追われた。

もちろん、毎日何を食べて暮らしていたかなど、日記にも記憶にも無いこともあったが、

それらは詳しく追わなかった。それなら、意識しないことこそ自然だと思ったから。

そして日記も書いた。

もはや、日々起きるイベントは1度目の過去と全く同じであり、

日記を書くというよりは、持参した日記の単なる引き写しでしかなかったわけだが。

それでも、日記を書かないこともバタフライ効果を起こすと信じてしまい、

持参した日記まっさら大学ノートにそのまま書写するという、

客観的に見ればまさに馬鹿馬鹿しいだろう行動を、現在まで真剣に続けてきたのだった。

そうやって、タイムリープの出発時点である現在」に十数年もかけて、ただ出戻ってしまったわけだ。

外見的には、同じ日記の束が1組増えただけのひたすら長い時間だった。

ここまで述べた思考過程により、人生を変えるような選択肢は何一つ選べなかったわけだが、

それでも、一つだけ新たに気づいたことがある。

それは、2度目の過去は少々退屈ではあるけれど、ひたすら快適だということだった。

2度目の過去の後半はむしろ自発的に新たな選択肢を選ぼうとしなかったのかもしれない。

なにしろ選択肢を選び直さなければ、明日に何が起こるのかまたわかるのだから

その明日トラブルだらけだったとしても、それはいつどのように治まるかを知っている。

「止まない雨は無い」ということを、実体験によりわかっていたのだ。

それゆえ、バタフライ効果の影響が狭まったやり直しの後半においても、

トラブル回避するつもりの選択肢を選ぶリスクバタフライ効果でそれはリスクにもなり得るのだ)より、

選択肢を選び直さないことによるメリットの方を選んだ。

そうして、私はこの2度目の現在に至るまで、リスクのある新しい選択肢ではなく、

苦しくとも理解できる未来が選べる快適さの方を選んできたのだった。

ここまで長々と書いてきたが、今回のタイムリープでは、

タイムリープによる人生のやり直しなど物語上の幻想に過ぎないと身を以て知った。

おそらく、私のような常人には、タイムリープを以てしても人生はやり直せない。

タイムリープ人生をやり直すには、タイムリープの誘いを受けたという幸運だけでなく、

ある種の快適さ、未来を知る快適さを打ち捨てるだけの強い意志必要なのだ

それは本当に強い意志だ。私が驚きとともに伝えたかったのは、まさにそのことだ。

人生にやり直しがきかないのは、タイムリープができないからではないのだ。

そういえば、タイムリープで戻った時点よりももっと前、

しか小学生の頃には、私もいわゆるロールプレイングゲーム遊んだことがある。

しかし、それを最後までクリアしたことは一度も無かった。

なぜなら、ガイドブック存在する範囲シナリオが終わってしまうと、

何をどう進めて最終目標に向かえばよいかからなかったからだ。

そのことを、2度目の現在に戻ってようやく思い出す。

これからの、日記記憶も、当然ガイドブックも無いまっさら未来が本当に恐ろしい。

それに比べて、あの快適さに包まれ過去の日々は、本当に素晴らしいものだった。

強い意志の無い私のような人間には、新たな選択肢が選べ直せないと重々わかりきった上でも、

もう一度、日記とともにタイムリープを繰り返したいと思うくらいに。

そして、今はあの「現在」だ。タイムリープの出発時点である現在」だ。

から、1度目の人生と同様、協力者である先方は再び現れるはずだ。

迷惑メールのようなぎこちない文面で、タイムリープの誘いを持ち掛けてくるはずなのだ

そう、そのはずだったのだ。

しかし、タイムリープの誘いを持ち掛けるメールは、いまだに来ない。

その時期が日記記載から遅れていても許すから、どうか早く現れてほしい。

まっさら未来などまっぴらだ。もう、結果のわからない未来なんて体験したくない。

私はタイムリープで、あの快適な過去にもう一度引きこもりたいのだ。

かつては、タイムリープでもう一度、人生をやり直すことを期待していたが、

今回は、タイムリープでもう一度、人生を「繰り返す」ためにメールが欲しいのだ。

そう思いながら、メール更新しては気分の塞ぐ日々を過ごしていたが、

昨日ようやく、自分バタフライ効果から解放されていることに気づいた。

自分にはもう、守るべき「1度目の過去」は存在しないのだから

バタフライ効果を恐れて、現状を維持しようと努めなくてもよいのだ。

長い習慣ゆえ、そんな当たり前のことに思い至るまで時間がかかってしまったが、

とにかく、現状を打破する行動のひとつとして、この長すぎる文章を書いた。

先述の「ある期待」というのも、まさにそういうことだ。

あんなに嫌っていたバタフライ効果だったわけだが、今回はそれに「期待」を込めて、

すなわち、タイムリープの誘いが来る未来に切り替わるよう期待を込めて、この文章を投じておくことにする。

anond:20210111174701

2021-01-15

見せ方と見せる場所

テレビ吉本興業理系敏腕社員として紹介されていた人物が、タレントスケジュール管理エクセル使用することを絶賛されていた

・街歩きのテレビ番組や雑誌で、年季のある手書きメニュー表や所々剥がれているような古いカウンターが好感をもって紹介されている

こういう例から見えてくるものがある。

頑張ってるけどくすぶってる人の大半は、見せ方か見せる場所かその両方を間違ってるケースが多い。

見せる場所は年齢とともにそう頻繁に移動できなくなる。

から一番工夫のやりがいがあるのは見せ方。

オタサーの姫という言葉がある。

オタク気質男の子が多いグループに同じ趣味女の子がポツンと加入するとお姫様のように大切にされるという現象のことだ。

ここまで極端ではなくても、こういう視点は大切にするべきだ。

例えばものすごいキレイ写真たっぷり編集されたメニュー表がどこにでもあるチェーン店っぽく見えてしまうのは感覚として分かるはず。

でもそこには破った大学ノートに書かれた手書きメニューよりかは遥かに労力がかかっているのは確かだ。

その労力が本当にその成果に見合っているかと振り返る癖を持つ事。

努力を怠るなと言ってるんじゃないよ。

営業マンであるなら、同じ営業マンライバルではない。

そこで競って足を引っ張り合っても上には上がいて10の成果を手に入れるのに50とか60の労力を求められる。

同業は戦友・仲間だ。

伸ばしたいスキルが有るならスキルを盗み・盗ますために仲間や自分がいる。

そこは見せる場所でも見せ方を工夫する場所でもない。

スキルを磨くことは絶対に大切だけど、スキルを見せる場所とその見せ方をよく考えろという事。

北海道飲食店四国漁港で取れた鮮魚取り扱いませんか?って営業かけるバカはいないでしょ?

でも「俺はこんなにエクセルを高度に使いこなしているのに何故評価されないんだ!あいつはあの程度で評価されてずるい!」ってバカはたくさんいる。

今ある場所で咲くでも、誰かを蹴落とすでもなく、とにかく見せ方を考えよう。

大喜利M-1と一緒。

誰でも・いつでも、光るものが遠くまで届くチャンスは必ずある。

2021-01-11

タイムリープ人生はやり直せない。それでも、もう一度過去に戻りたい

=== 1 ===

私は今、過去へとタイムリープして、2度目の「現在」を生きている。

まあ、そう言ったところで多くの人には信じてもらえないのだろう。

からまずは、どのようにタイムリープ可能となったのか、その理屈を述べ、

納得を得るべきなのだろうが、先方との約束でそれはできない。

今回のタイムリープには協力者が居て、その人のおかげでタイムリープが実現できた。

それ以上のことは先方との約束により、絶対に明らかにできない。

しかし、タイムリープ理屈など、私にとってはどうでもいいのだ。

私が伝えたいのは、タイムリープを以てしても、結局人生はやり直せなかったという事実だ。

タイムリープ人生をやり直すには、タイムリープの誘いを受けたという幸運だけでなく、

ある種の「快適さ」を打ち捨てるだけの強い意志必要だと知ったのだ。

身を以て知ったその事実を、強い驚きに加えて、ある「期待」を持って皆に伝えたいのだ。

=== 2 ===

そもそも私の場合入試恋愛、大きな事件事故など、「現在」に至るまでの人生の中で、

強い悔いを残し、これだけは絶対に変えたい!というイベント特に無かった。

それでも、先方からタイムリープの誘いに乗ったのは、既に結果を知る過去を再度歩めるのだから

そこに現れる人生選択肢もより良いものが選べるはずだと考えたからだった。

例えば、学生の頃のテストは「現在」の知識によって、より良い点数が取れるだろう。

また逆に、記憶の限り日々のトラブルはすべて回避できるだろう。そういったことだ。

すなわち、自分記憶によって、2度目の過去ではより良い選択肢が選べ、

現在」までの人生もっと高いステージに引き上げることができるだろうと思ったのだ。

おそらく、大多数の人間がそう考えるように。

ちなみに、私には中学生の頃から大学ノート日記を記す習慣があった。

さすがに、過去の細かなことなど覚えていないわけで、過去をより良く選択するには、

日記という貴重なデータ絶対に持っていく必要があると思った。

から、先方にも無理を言って説得し、

その十数冊ある日記の束と共にタイムリープすることを許してもらった。

しかしながら、今になって思い返してみれば、それが一番の悪手だった。

その日記という紙束が、自分選択肢を強く制約し、新たな可能性を潰してしまったのだ。

すなわち、実際にタイムリープしてみると、日記記載記憶どおりの人生を歩んでしまい、

新たな選択肢を選び直すことなほとんどできやしなかったのだ。

いや、タイムリープして最初のうちは、出し惜しみのつもりだった。

中学生に戻って、日記記載記憶どおりに繰り返す毎日

その不思議さは、自分が全知であるかのような錯覚を生む。このままで居たい。

すると、新たな選択億劫さ。

そこで、新たな選択未来を知るアドバンテージを損なうことなのだと理屈を付けた。

そして、自分はまだ中学生なのだから、さほど大きな選択肢も無いだろうと、

タイムリープして最初のうちは意図的に、1度目の過去とわりと同じ選択肢を選び続けていたのだった。

さらに、先に述べたとおり、私には絶対に変えたいというイベント特に無かった。

そのため、新たな選択肢を出し惜しむ状態は、数年間にも渡って続いてしまった。

しかし、高校生にもなれば、日々の会話の中で「バタフライ効果」の存在に思い至る。

どんな小さな行動でも、新たな選択肢を選んでしまえばその影響の大きさは読み切れない。

未来を知るアドバンテージもその行動に留まらず、完全に失われかねない。

それに気づいてからは全てを不安に感じ始めてしまい、いつか来る大きな選択肢のために

そのアドバンテージを保持しようと、それが自分にとって良いことであろうと悪いことであろうと、

ひたすら日記記載記憶の通り行動した。それは大人になっても同じだった。

例えば、その日は職場トラブルを起こし、大迷惑をかけるとわかっていた。

それでも出勤し、何の対策も取らず、上司に怒られながら対応に奔走した。

例えば、その日は旅行でどんな光景を見たのか、おぼろ気ながらも覚えていた。

それでも出発し、同じ忘れ物をして、退屈を感じながらも時刻表に追われた。

もちろん、毎日何を食べて暮らしていたかなど、日記にも記憶にも無いこともあったが、

それらは詳しく追わなかった。それなら、意識しないことこそ自然だと思ったから。

そして日記も書いた。

もはや、日々起きるイベントは1度目の過去と全く同じであり、

日記を書くというよりは、持参した日記の単なる引き写しでしかなかったわけだが。

それでも、日記を書かないことも「バタフライ効果」を起こすと信じてしまい、

持参した日記まっさら大学ノートにそのまま書写するという、

客観的に見ればまさに馬鹿馬鹿しいだろう行動を、「現在」まで真剣に続けてきたのだった。

=== 3 ===

そうやって、タイムリープの出発時点である現在」に十数年もかけて、ただ出戻ってしまったわけだ。

外見的には、同じ日記の束が1組増えただけのひたすら長い時間だった。

前節に述べた思考過程により、人生を変えるような選択肢は何一つ選べなかったわけだが、

それでも、一つだけ新たに気づいたことがある。

それは、2度目の過去は少々退屈ではあるけれど、ひたすら快適だということだった。

2度目の過去の後半はむしろ自発的に新たな選択肢を選ぼうとしなかったのかもしれない。

なにしろ選択肢を選び直さなければ、明日に何が起こるのかまたわかるのだから

その明日トラブルだらけだったとしても、それはいつどのように治まるかを知っている。

「止まない雨は無い」ということを、実体験によりわかっていたのだ。

それゆえ、「バタフライ効果」の影響が狭まったやり直しの後半においても、

トラブル回避するつもりの選択肢を選ぶリスク(「バタフライ効果」でリスクにもなり得るのだ)より、

選択肢を選び直さないことによるメリットの方を選んだ。

そうして、私は「現在」に至るまで、リスクのある新しい選択肢ではなく、

苦しくとも理解できる未来が選べる「快適さ」の方を選んできたのだった。

そういえば、タイムリープで戻った時点よりももっと前、

しか小学生の頃には、私もいわゆるロールプレイングゲーム遊んだことがある。

しかし、それを最後までクリアしたことは一度も無かった。

なぜなら、ガイドブック存在する範囲シナリオが終わってしまうと、

何をどう進めて最終目標に向かえばよいかからなかったからだ。

そのことを、2度目の「現在」に戻ってようやく思い出す。

これからの、日記記憶も、当然ガイドブックも無いまっさら未来が本当に恐ろしい。

それに比べて、あの「快適さ」に包まれ過去の日々は、本当に素晴らしいものだった。

強い意志の無い私のような人間には、新たな選択肢が選べ直せないと重々わかりきった上でも、

もう一度、日記とともにタイムリープを繰り返したいと思うくらいに。


そして、今はあの「現在」だ。

1度目の人生と同様、かの先方は再び現れるはずだ。

迷惑メールのようなぎこちない文面で、タイムリープの誘いを持ち掛けてくるはずなのだ

=== 4 ===

そう、そのはずだったのだ。

しかし、タイムリープの誘いを持ち掛けるメールは、いまだに来ない。

その時期が日記記載から遅れていても許すから、どうか早く現れてほしい。

まっさら未来などまっぴらだ。私は「快適さ」のある過去に、もう一度引きこもりたいのだ。

あんなに嫌っていた「バタフライ効果」だったが、今度だけはそれを「期待」して、この文章を投じておく。

2020-06-20

anond:20200620214145

積みマスキングテープとか、積み付箋とかはする。

でもそれは個別デザイン可愛いとか違いがあるからなので、普通大学ノートを積むのはまたちょっと違うかもしれない。

積みノートちゃういるかな?

積みゲーとか積みアニメとか積みプラとかあるよね、あんな感じで。

100均をぶらつくと大学ノートが3冊か4冊ぐらいひとまとめで売ってるの見るとついつい衝動買いしてしまう。

帰ったらまだ使ってないノートが沢山あることに気づく。

ここならわかってもらえるかなと思って。

2020-04-30

趣味としての小説執筆はとてもコスパがいい

なんせ、どれだけ書いてもほとんどタダなのだ

専用の器具必要ない。大学ノート鉛筆で書いてもいいし、型落ちのゴミのようなパソコンでも書ける。

時間を持て余したときいくら書いていても他人迷惑をかけない。

周囲を汚さないし、騒音も発さない。場所も取らない。

傑作を書こう、誰かに見せて褒めてもらおう、賞に応募しよう。

そんなことを思い始めると、途端に苦痛が始まるけれど、それだって金のかかることではない。

やることはどこまで行っても、また、小説で金を稼げるようになったって、小説執筆以上のことはやらないのだ。

暇で仕方ないなら小説を書いてみればいい。

世の中には時々、天才が潜んでいて、中場利一のようにそれ一本で金持ちになることもある。

2019-10-02

anond:20191002011844

おまおれ

そういう発達障害一歩手前(もしくは両足突っ込んでる)の奴は見直しの癖を付けようとしても付かない

ただ20%のミス確率10%くらいに下げることはできる(実体験)

まず書き文字行間を空けろ

あと問題文に書いてある重要数字は囲っておけ

1つ2つどころか全部計算間違ってても気にしないメンタルを持て

とにかく行間を空けるだけでかなり違ってくる

ノートの罫線も重要で、大学ノートならB罫よりA罫だ

プライドを捨てるなら小学生の使うデカいマス目ノートがいい

1行飛ばしで書くんだ、いいな

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