はてなキーワード: 3月とは
ダイプリの老人から老人コミュニティに広がったり、いろんな層に広がってたんだろ
それに3月頃にはまだレジの仕切りとか飲食店等々の仕切りも出来てないから、飲食店や商店を介した広がりが会ったろ
現在はスタートが若者だから今の所若者の間で広がってるけど、若者と同居の老人から老人コミュニティに広がりだしたら、重傷者死者が増えるぞ
今日の感染者数。クラスター発生。ずさんな感染対策。夜の街。感染経路不明。無症状。医療従事者。経済回復。
これで私のメンタルは崩壊して全てが虚無になったお気持ち表明をしたい。
コロナが本格的に広まり始めた3月。私の自粛期間は半年になろうとしている。
ちょうど一年前、色々あり大きい病気をして半年間の入院生活、半年間のリハビリ生活を経てやっと社会復帰できる。と思った矢先だった。
最初は収束のために、感染を抑えるために、ステイホームを徹底していた。病気をしたばっかりだったし、家にまだ赤ん坊の甥と同居しているし、何よりも家族がすごく心配していたからだ。その気持ちはよく分かる。完治したばかりで、また難しい病気にかかりたくない恐怖は私にもあった。
それなりに楽しく過ごしていた。リングフィットアドベンチャーやYouTubeで運動不足を解消したり、無料配信の舞台をみて新しい沼にどっぷり浸かった。
妹も自宅待機になり会社が休みになったので久しぶりに家族と長い時間、家で過ごすことができた。それはそれで楽しかった。
緊急事態宣言が終わり、みんなが少しずつ日常を取り戻そうと動き始めた。この時点でおそらく第二波は来るだろうと予測はできていた。
ただ、他の国と比べたら死者数も感染者数も少なかった日本だから、そこまで深刻にはならないだろうと甘くて見ていたのかもしれない。
そろそろ東京に出て、友人達とご飯食べたり、推しの舞台に行ったり、おしゃれなお店に行ったり、京都に行って刀巡りしたり。
期待が少しずつ膨らむについて、チケット情報を無意識に追っている自分がいた。
しかし、緊急事態宣言解除から約1ヶ月後、東京からクラスターが出た。それからテレビは東京のコロナ話ばかりするようになった。
毎日更新される感染者数。東京ではなく全国で増えていく感染者数。クラスター。感染経路不明。若い世代の割合。無症状。
少し平和ボケしかけた私の脳に緊張が走った。これは駄目だ…しばらく現場は無理だ……。
何度も仕方ない、我慢するしかない。今を乗り越えなければ。みんなに迷惑をかけるわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせて耐えてきた。
あるニュースが流れた。舞台役者がコロナに感染。次から次へと感染者が発覚。濃厚接触者は800人と発表。
運営側のずさんな対応。観劇者の感染対策に反する行動。嫌でも毎日テレビやSNSから流れてきた。
私は恐ろしくなった。これは他人事ではないのでは?自分もああなってたかもしれない。知人達もあそこにいたかもしれない。推しの舞台だったら。好きな作品だったら。
今思えばこの時から恐怖に近いものを抱き始めたのかもしれない。でも小さな感情の起伏に気づける余裕は無かった。
SNSで繋がっているフォロワーさんが、自分はちゃんと配慮して東京エンジョイするとつぶやいていた。それが正しいのか、間違っているのかはっきりと答えが出なかった。
お願いだからみんな自粛してくれ。ニュース見たでしょ?毎日更新される数字知ってるでしょ?ねえ、みんなこれ以上はやめよ。
届かない声をずっとSNSを見ながら心の中で叫んでいた。
昨日好きな作品の舞台が初日を迎えた。それについて推しがSNSを更新した。普段滅多に呟かない推しだからものすごく嬉しかった。
ゲネプロから初演に参加した人達の感想が流れてきた。楽しそうだった。無事終わったようで安心した。いいな。
……なんで私は自粛しているんだろう。
長らく耐えてきた我慢は限界を迎えて、行き場のない怒りをぶつけることもできず、気持ちが死んで虚無感に襲われた。
この日、友人達に初めて自分のお気持ち表明をした。そこで初めて私は難癖を付けていると言われた。
そうか、そうなのか。確かに暴論を言ってる自覚はあったけどやめられなかった。
どうして行き場のない怒りを持ってしまったのか。それは自分にしかわからない気持ちによる孤独からなのではないか。
2019年4月に入院して8月に退院した。それから約半年、副作用による痛みに悩みながらもリハビリを頑張ってきた。
今年の2月からやっと身体がまともに動けるようになり、痛みからも完全に解放されて普通の日常を送れるようになった。その後、襲ってきたのはコロナウィルスの恐怖だった。
私は去年から一年半近く自粛生活をしている。たまにお買い物行ったり、外食はするけど、ここ半年は電車にすら乗っていない。車で近場を行くことしかできない。
入院生活で自分を慰めるものとしてTODOリストを作っていた。退院したらやりたいこと。たくさん書いた。それを実行することを楽しみに治療を受けていたのもある。
辛いことがあっても耐えて、耐えて、なるべく弱音を吐かずに、耐えて、耐えて、自由を目指して頑張ってきた。
コロナ疲れの話になる時、よくこう言う人がいる。そうね。みんな我慢している。自分だけじゃない。でも私の我慢はきっとあなた達にはわからない。
病気による苦しみは病気になった人にしかわからない。健康が当たり前な日常を送っている人たちはそれが当たり前じゃないことに気づけない。
健康であることは幸せで恵まれている。身体を大事にして、ちゃんと自分を大事にして。悪くしてからじゃ遅いんだよ。
私も身内に発信してきた。その場では同意を得られるけど、当事者意識になれない人が多かった。これが現実なんだろうなと思った。
だから私の自粛疲れは私にしか分からない。これは誰とも共有できない孤独な気持ちなのだ。
友人達に難癖を言ってしまったことを反省して、自分のメンタルケアの為にもニュースとSNSをしばらく断つことにした。
感情をコントロールできないのであれば、情報を視野に入れることを避けるしかないとアドバイスをもらった。
一晩寝て、少しスッキリした状態で冷静に考えてみたら、入院生活に比べたら全然幸せなのでは?と思えてきたので多分大丈夫な気がしてきた。
でもひとつだけ言わせてもらいたい。
私はそこに週に3回は通うくらいには大好きな場所だった
そこがコロナのせいで閉園することが決まった。
それが決まった時フォロワーはチケット取る!絶対行く!と言っている人が多くて
正直言うと、私はそれを見てドン引きした
丁度その時、都内でコロナ患者が3日連続で200人越えていた頃で
そんな中で手放しでタワー再開に喜ぶのはわかるけどなにも考えずに行くと言っている人が沢山いた
内心、「え、みんな、コロナ怖くないの?」って思った
持病を持つ父親がいる
その父から引き継いだお店がある
もしわたしが菌を保有していたら職場にも、従業員にも、お客様にも迷惑が掛かってしまう
でも周りは違った
周りはチケット取った人が沢山いる
当たり前のようにフォロワー同士が「この日タワーいるので会いましょう!」ってやりとりしてる
(タワーが三密対策してるのに、オタクが会いましょうって言って密になったら世話なくないか?って思ったのは内緒。)
なんかそれを見るとわたしの考えは間違っていたんだなって
たとえコロナになって死んでも推しに会いたいって言っている人がいた
気持ちはわかる。わかるけど、じゃあ、貴方が菌を持ち帰って周りに移させたら? 家族がそれで死んだら? 責任取れるの?
取る取れない以前にそういう考えが起きないからあんな死んでも良いっていえるんだろうな
1人で勝手に死んでろって思った
ここまで色々言ってきたけど
3月。4月コロナの感染が拡大して行く中、コロナなんて知らない〜!っつって、コロナなんてお構いなしにタワーに行った人
7月。コロナ患者がまだ増え続けている中でタワーに行こうとしてる人
結局は我慢した人の負け。行った者勝ち
正直者がバカを見る
なーんてこんなこと言うけど全部は行ける人達への嫉妬。羨ましいだけなんだよね!
タワーに行く人のことを責めるつもりはない
おわり!
基本的に自己責任の国だぞ、生活保護と医療保険があるからなんとかなるだろうの精神だ
にも関わらず、生活保護と医療保険を無くそう・縮小しようというバカがいる
現場猫コラはセンス抜群ですきだが、医療保険のクソキャンペーンにイラストを提供していた オリジナルのくまみね氏の方はブロックしている。お前はすべて自己責任でいけ
[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る
https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK
富岡、浪江、飯舘の3町村の住民は原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。
つまり、被災者たちは強制的に避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである。
今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」
Sさんたちの住む東雲の国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。
完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html
宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。
震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。
地震が起きたとき、男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波で生活に必要なものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。
「市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなたの場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、
『あなたの場合、自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者の男性)
国は災害救助法の運用基準で、仮設住宅に入居できる対象を原則として次のように定義している。
「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府の告示)
70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。
「うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性)
[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子店 Tさんの9年
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html
岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケートの自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。
Tさんは東日本大震災の津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います。
Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族で住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。
しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅で不自由な生活を送りながら仮設店舗で営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料だけが増えていく日々が続きました。
▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージの言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志と希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています。
当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジにお金を入れたこともあった」と語りました。
それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。
工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。
震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。
Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政の方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。
ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅が高台に移転し商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。
Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています。
非API、グーグルマップのネイティブ機能のみを利用して、地方にコロナを持ち込んだ事例をまとめた地図を作ってみました。
グーグルマップノンプログラムでもこんな事まで出来るから本当にアイディア次第ですね。。。
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1BlYPAT9iZEUeJtCzOgjARBV69W_yvoPi&usp=sharing
※札幌、仙台、関東圏、名古屋圏、関西圏、広島、福岡は除外してます。
調べてて感じた事、山形、熊本、岐阜、福島、青森はちょっと残念な感じ、、、山梨の事件を知らないのかな??
逆に秋田、岩手、島根、山口、愛媛、佐賀、大分は久しく(1ヶ月以上)感染者が出てない本当にすごい!!
これからも身勝手な方によって記録を破られないこと切に願います!!
自分のじいちゃん、ばあちゃん、年老いた親が死ぬかもしれないんだぞ!!
特にGotoキャンペーンとかうかれてるチャラIT屋や某広告代理の社員ども!!
----------------------------
作者です、バンドやってますが3月以降まともに活動できてません一刻も早い収束を願ってます。。。
しかし、このままだと観光産業は死ぬ ~Go Toトラベルをどう考えればいいのか~
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakatadaigo/20200714-00188107/
https://news.yahoo.co.jp/articles/321c0d1e6a3690ba8d0ca86966b223d7a34d5b27
しかし進める方も進める方ならば、擁護する方も擁護する方で面白い事を言うよね。
そもそも感染者数が爆発的に増加しているとは言え、今の段階では旅行自体は規制されている訳ではないし、この理屈で言えば、それこそ政府官庁が旅行関係の特定業種にのみ優遇措置を行っている事自体がおかしいと言う話になるのだけどね。
この点はコロナであろうがなかろうが一般人からすればおかしく感じる点だよ。
こう言うのが突然湧き出してきたのもクーポン利権が大きいのかなと思ったりもする。
ただ当時からお肉券やら言っている人達だからそんな感覚も抜けているのだろうけど。
そもそも今回のコロナの再拡散にしても元々5月の感染者数が減りだした途端に政府官庁与野党問わず、コロナ対策を蔑ろにして、平時にやるべき法案等を優先したり、元法相の話題ばかりやっていた結果、増加に転じたと言うある種の人災と言うべき事態であるし、この経済面から緊急事態宣言を早期に解除せざる事態も元々麻生大臣が3月に企業に対して粗利補償等の措置を変にケチった結果招いた事だからね。
何にしても当初の行動のミスが後々まで響き、経済面においても更に深刻な事態をも招いたと言ったも良いからね。
最も寄りにもよってレジ袋有料化やgotoキャンペーン等を情勢を見ずに強行する様なセンスの無さを発揮している人達だから今後もやらかし続けるだろうけどね。
また経済的側面から見てもボーナスカットやそれで女子医大の大量退職希望が出始めたりと医療面にも悪影響が出始めたし、東京は今日165人だけど、大阪が61人と関東の以外でもかなり増え始めたので今後どの道碌でもない方向にしか行かないだろうね。
吉村知事に関しては大阪モデルとか言って当時緊急事態宣言の解除を状況的にせかした一面がある人と言っても良いから、今後場合によっては自身の立場すら危うくなる可能性もあるだろうなと思ったりもする。
・ネットでホテルや交通の予約ができるようになりマージンを抜く仕事が儲からなくなってきている。
・JTBは冬のボーナスカットがすでに表明、3月の時点で非正規のスタッフは大幅カット。
・日本旅行は夏冬の賞与がでなかった・でないと決定したらしい。Jもここの社員も某給付金の事務所へ出向して働かされる人多数。
・1月までホテルの稼働率が100%を超えるところもあったのにに、今は東京大阪で10%ぐらい。
・関西圏ではそれでも4000人/月ぐらいのインバウンドはある。
・リネンの会社やベッドメイキングのスタッフが全然たりず、ホテルを開業するもシーツの手配ができなかったのが12月まで。
・そこで設備投資や人を増員したリネン会社が傾いている(外国人労働者も多く、解雇の憂き目にあっている)。
・大手広告代理店など五輪関係の特需を当て込んでいたがすっかり冷え込んでいる。
・大手制作会社も現実に人が集まるイベント、SPがなくなり、Webに特化してマーケできるところだけが生き残りを図っている。
・観光通訳、商業通訳、イベント・会議通訳は事実上の廃業状態。
・オンライン通訳が出てきたので、ここらのスキルがある人間だけが生き残れるかもしれない。
・小屋は全滅。音照などスタッフは個人事業主のフリーランスがおおく食えない状態。
・舞台以外の利用用途を模索するも、他にあてもないといった状況。
・ホテルも宴会で持っていたのに、宴会のキャンセルが相次ぎ、どうにもならない状況。
・この辺はよく把握できておらず。
「コロナはただの風邪」と言う人が知らない事実(東洋経済オンライン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f4d22fe52f1bb4a00f9022d57dda5e8a932ef75
堀江貴文氏、東京都のコロナ感染者増に問題提起「重症者が増えないのはなんでなの?」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a03769542d622f1f237360e45927ef0fca608471
最もそのただの風邪であるコロナウイルスが厄介な変異をしたせいでここまで世界中を騒がせる事態に発展しているのだけど。
大方この様な事を言っている様な人達はそれこそ当時のGWでコロナは終わったと思っていたような人たちでしょう。
それと是非ともコロナはただの風邪と言い張る人々には自身が感染した後にもただの風邪だと言い張ってほしいね。
そもそも今回に関してもいきなり200人を超えたわけでもないし、緊急事態解除後に徐々にくすぶり始めて、暫くは50人前後が続き、その後100人超え、200人超えと言う風に増えた訳で。
しかし重篤者と言う単語の意味自体、世間と医療関係との剥離も大きいのだろうなと色々見ていて思う。
何にしても東京だと舞台、大阪では学校で出始めたり、東京女子医大でボーナスゼロやそれに関係した話から大量の退職希望者が出たり、医療機関の3割でボーナス引き下げが行われたりとそちらの方面でも色々ヤバい事になってきだしたりしたから、大方碌な方向に行かないか最悪手遅れになる事も覚悟した方が良いかもね。
それに前々から言われていた様に案の定大雨で衛生状況も悪化してきたし、今後は台風等もある訳だから。
少し前にも豪雨に晒されている熊本に派遣された職員が感染したみたいだしね。
どちらにしろこの辺も3月当時麻生大臣や政府がコロナ対策の補償とかを出し渋った悪影響と言える代物であるし、今回に関しては人災の側面もあったりするから、その関係もあって、コロナはただの風邪とか言い出した人間もまた見受けられるようになってきたのかも知れない。
しかし夜の街のせいにしたり、若者のせいにしたり、あの人達は相変わらず他所に責任転嫁をしようとしているよね。
どちらにしろ今だにレジ袋有料化をしでかしたり、gotoキャンペーンを強行しようとしている時点で政府や官庁の人達は危機感に欠けている事は事実な訳だけど。
2月から任意での在宅勤務開始、3月から原則出社禁止になった。
業種的には在宅勤務で基本的に問題なし。
少なくとも向こう2ヶ月はこの勤務形態でいくことが決定済み、仮に収束したとしてもずっとこのままかも。
でも俺は在宅勤務がしんどい。
なぜかって、俺は仕事なんてしたくないけど、生活のためにしょうがなく働いているから。
仕方なく仕事をするには、スーツを着て、会社に行ってという、サラリーマン役を演じる舞台が必要だから。
ワーク・ライフ・バランスなんて言葉があるが、在宅勤務はライフ・ウィズ・ワークだ。
生活と仕事は切り離しておきたいのに。
一人暮らしで孤独な思いをしながら在宅勤務をしている奴らも大変だろう。
でも、物置という名の仮設仕事部屋を出ると、妻と子供が遊んだり、昼寝したりしてるのが嫌でも目に入る俺もしんどい。
もしコロナ が収束して、でも会社が在宅勤務の継続を認めた場合に、それでも会社に行く俺を妻はどう思うだろうか。
家族を煙たがるダメ親父に見えやしないだろうか。
在宅勤務が終わった後もしんどい。
そうめん大好きで袋でちまちま買うのも面倒になり、3月末に化粧箱で9kg買った。
家族が糖質オフなどで手を出さす、ほぼほぼ一人で食ってる。さすがに飽きてきた。
まだ1kg程度あるので鼓舞のため自分が好きだった食べ方を書き出す。
・つけタイプ
めんつゆ+ごま油+ラー油/ラー油は飽きてから味変のほうがいいかも
ごまだれ/市販のもの、めんつゆ+ごまドレッシング どちらも好き
釜玉風
油そば風
たいそうめん(金目鯛の煮付けを煮汁ごとかけた/甘め)/金目鯛の煮付けは缶詰を使った。
焼き肉の塩だれ/惣菜の塩油鶏というのをかけて食べたらおいしかったので。
冷やし中華のつゆ/何かしら具材はいるけど、めんつゆに飽きたときの代打になる。
・その他
冷製パスタ/カッペリーニ代わりにする。トマトベース・バジルベース
味噌汁に入れる
ソーメンチャンプルー/肉野菜を炒めて、ゆでた後ごま油をよく和えたそうめんを合わせる。味付けはだし・塩昆布・醤油・塩・こしょうで適当。身も蓋もないが沖縄そば版が好き。
とんこつラーメンにする/ばりかた!
サーモンといくら/オリーブオイル・バジル系ソルト めんつゆ版レシピも有
麺を油多めで焼いてあんかけ焼きそばにする
こう書き出してみると思ってたよりバリエーション少ないな。今度はポン酢と豚肉の和風パスタ風で食べよう。
==========
【追記】
今日は残ってた惣菜で、五目あんかけ焼きそば風にしました。うまい!
面倒くさがりなので焼き系統のレシピがまだ薄い気がする。マーボーそうめんやってみたい。
ブコメで教えてもらった鯛そうめん、食べたいが自炊するには敷居高いなと思ってたけど
トムヤムクンペーストはまだ買えていない…。カルディいったら絶対買う。
残りもののつゆだく野菜炒めにめんつゆ足して、あったかいそうめんにかけたらうまかった。
にゅうめんだとこの時期熱すぎるけど、つけめんあつもりみたいなほどよいあったかさ。
木箱に入れたまま使ってたけど1番底のほう、虫に食われてしまった…。
まめに小分けにしたほうがいいな。夏が終わる…
あと、底が見えて気づいたけど、この増田書いた時点でたぶん3kgは余ってたわ。ごめんね。8kgは完食予定だから許して。
ブコメとか
今まで「そうめんに飽きるのは食べる側のバリエーションが少ないせい」だと信じていたので、バグったんだと思う。
そうめんは飽きない。食べる側のバリエーションが少ないだけだ。
>カレー
おいしい。おいしいけど、「ご飯・うどんで食べたかった」感も正直感じる。
書き忘れてたので足した。いなばのやつおいしいよね。つけダレにすると合う!うまい!
>冷やし中華風
盲点だった。うまそう。
28歳女
5年ほど前にパチンコを始めました。
2年ほど続けましたが結局150万近く損をし、
清く一回引退。
本当は、パチンコで300万ほど作ったら大学院に行こうと思っていました。
大バカ者です。決して人には言えないです。
高い勉強代と思ってもうパチンコは触らない方がいいでしょうか。
地道に貯金が1番でしょうか?
ただ、自分でも情けないのがまた利益が出せるかもしれないという考えが捨てきれずにいます。
作品を読み進めたいのに、どうしても気になって読み進められない。
この度話題になっている河出書房の文藝の文藝賞受賞作品の「推し、燃ゆ」についてである。
この作品の主人公が推している「推し」の「真幸くん」のモデルが、ほぼ確実に3月下旬に謹慎処分を受け、7月1日付で仕事に復帰した、ジャニーズグループ「Snow Man」の「岩本照」がモデルなのでは、と感じさせる描写が多く、そちらばかり気になってしまっている。
物語は主人公が推しているアイドル「真幸くん」がファンを殴り謹慎処分が下るところから始まる。
先述の岩本照の謹慎は2017年ごろの未成年とのホテルでの飲酒を文春に報道されたためであった。
しかし、彼は2014年ごろに、粘着質なファン(所謂「ヤラカシ」と呼ばれる迷惑行為を行うジャニオタ)を殴って謹慎している。
当時はあまり話題にならなかったが、一部ジャニーズのファンの間では帰ってこないのでは、と言われていたりした。(また、この度の謹慎は2度目であることから、今度こそ帰ってこない可能性もあるのではと一部で話題にもなった。ファンの皆さんは帰ってきて良かったですね。)
また、子供時代に「ピーターパンのミュージカル」に「ピーターパン役」で出演していた「推し」と言う描写がある。
そして、岩本照も子役時代にピーターパン役ではないものの「ピーターパンのミュージカル」に「ジョン(ウェンディの弟役。演出により変わるかもしれないがフライングするシーンがある)役」で出演しているのだ。
もちろん様々なアイドルを調べた上で(もしくは作者自体がアイドルのファンである可能性も十分あるだろうが。)、さらに読者に伝えたいことは別のことだと言うのは重々理解しているつもりなのだが、あまりに自分の人生の近くにこの物語が横たわりすぎている。
岩本照のファンではないが、青春時代、岩本照周辺にいた、もしかしたら炎上するかもしれなかった推しのいちファンとして、誰かとこの想いを共有したくなってしまったのだ。
みなさんの「推し(およびその周辺)、燃ゆ」エピソードは何かも気になる。
なんの脈絡もなく、役にも立たず、面白くもない文章を書いてしまい申し訳ない。
書いて満足したので本編に戻る。
内容はタイトルの通りだ。
なんだかもう色々と疲れてしまったし、自分がなにをしたいのかもとうの昔に解らなくなった。
元々、浪人して適当に都内で遊べる理系大学、ということで選んだだけの大学なので思い入れもなんもないし、そもそも今いる学部だって正直なにも興味がない。機械やりたかったのに全く違うところにいるし。
大学生活はだらだらと、文系のように過ごしてしまった。いや、文系以下かもしれない。サークルは一年で辞め、ぷらぷらと単位を落としつつ、人当たりだけはいいので友達に助けてもらってなんとか留年はしなかった。大学生活は女の子を落とすこと、車で遊ぶことに励み(全然容姿はオタクだけど)、勉強はほぼしなかった。
バイトは適当にサボれてそこそこ稼げるところ、だからなんのスキルもない。もし、身についたものがあるとすれば、適当に愛想笑いをし、適当に客の気分を取る。それぐらい。
趣味は車。金がかかる趣味の代名詞とも言えよう。いろんな車を乗り継いで売って...というのを大体15台ぐらいやったと思う。仲間の輪は広がったし、たぶん一生付き合うなこいつらとはっていう奴らにも出会った。これだけは唯一大学生活で成功したことだと思う。
他にも、マーケティングだとか、そういうのがちょっとだけ興味があった...といえば聞こえはいいが、ただ馬鹿みたいに安い金額でモノが欲しい、ついでに稼げたらいいなっていう理由だけで労力をかけない転売まがいのこともやってる。中国とかアメリカから適当にモノを買ってきて、日本で捌く。後メルカリのバカ安いのをヤフオクに流す。まあこれがそこそこの利益が得られるからって一昨年ぐらいからやってる。情報商材屋を嘲笑うぐらいの事は独学でできたと思う。
さて、就活に話を戻したい。
元々ぼんやりと就活と院試で迷っていた。去年の11月はどうすっかな、ってマックの外でメニューどれにする〜駄弁ってるようなレベル。インターンは第一志望のインターンに参加できたし、ここ入れたらいいな〜って思ってた。
それが2月に入り、気がついたら3月の早期選考ラッシュの時期だった。この段階ではまだ早期どうなるかな〜って自動車系にエントリーをなんとなくしていた。
4月。採用中止の連絡が届いたり、不合格の連絡が届き始める。この段階で本命に落とされる。
5月。大学も行けない。就活も進まない。不合格の通知がそこそこ溜まってきた。自分は無能なんじゃないか?焦り始める。エントリーすらままならない。なにをすればいいんだ?
6月。無気力。逆オファーアプリで選考の案内が来た企業に落とされる。もうダメだ。でも今年採用遅れてるっていうしな〜ってヤケになっている。
何もかもままならない。この頃には自動車以外のITとかも考えるようになってた。遅すぎる。俺はなにがしたいんだろう?
そして気がついたら7月、大学が再開した。周りの友達はみんなホワイト大企業の内定を持っている。院進勢は外部を受け始め結果待ち。対して自分はどうだ?なにも決まっていない、就活はエントリーすら出来ていないし、院試の勉強のために買った教材すら開いていない。マックの注文はレジ前でキャンセルした。就職が決まった人達の内定先を聞いて回る。みんな仲がいいからすぐに教えてくれる。どこどこだよ〜だとか、あそこだよ〜とか。聞くたびに、自分が無能だとわかる。
大企業のエントリーはほぼ終わったし、一番あれだけ行きたいと思っていた自動車系にすら興味がなくなってきた。日に日に焦りが募るだけで何もしない。やるとしたら日々ヤフオクとメルカリの監視。いつから自分はこんなにつまらない人間になったんだろう。もうなにがしたいかもわからなくなってきた。そもそもこんな自分を雇ってくれる、まともな企業はあるのか?
今日、大学の喫煙所で一人黙々とタバコを吸っていたらヒグラシが鳴いていた。
もうそろそろ夏がやってくる。今思うと、自分の就活が完全に失敗したのは
無計画
の三つが起因していると思う。
ちなみに今日もエントリーしたところから落とされた連絡がきた。
これはコロナのせいではなく、完全に自分の責任だ。ただ、自分が無能だと自覚させられるだけの就活。
一番タチが悪いのは、少なくとも死ぬ気には全くならないこと。ぼんやりと、今でもなんとかなるだろうって考えている。だが行動は起こさない。
結局、全てが中途半端になっている。やる気も、行動力も全て中途半端。これはたぶん元々。それが今まで単に上手く行ってただけ。人当たりはいいから。
それなのに、自分だけは違うと思っていた。別の意味で周りと違う人間になったけど。
長々書いてきて、尻切れトンボになるけど今日はこれで終わり。ここまで書いてきて、さらに一つ分かったとすれば、自分には特技はなにもないし、やる気も続かない、とてもつまらない人間だということ。
社会から見ればこんなの、無気力、無価値だとか評価されると思う。ものすごく妥当。
今日は家に帰ってからヤフオクに投げる商品をアップロードして、タオバオとebayの進捗状況を見守って寝る。
最後に。
タオバオでモノ買う時は650元以下にしないとAsiax通されて通関手数料バカ高くなるから気を付けろよ!軽かったらEMSを使おう。デカかったら4pxで涙を飲もう。
常磐線でこれ書いてて辛くなってきたわ。
はてな匿名ダイアリーでやってるあたりも”逃げ”なんだろうな。俺の人生そのもの。
3月からずっと休業で、必要最低限な用事以外ではずっと家にいる
ぐうたら過ごして仕事のブランクを作ってしまうのも嫌なので、これまで生産的なことは継続してやってきたつもりなんだけど、少し疲れたのでこの一週間意図的に休んでみた
あまりに退屈で死にそうだった
どうやら何かしらやっていないと病むようだ
6年くらい勤めた今の職場にも飽きてきたし、ここらで転職するのも手だと思うんだけど、なんだか怖い
遥か昔の学歴に縋るならMARCH理系院卒クラスではあるものの、自分は何もできない人間なんじゃないかって思ってしまう(事実そうなのかもしれないが)
人生を諦めて、実家に寄生して、1000万の貯金をすり減らしながら細々とこの先生きていけば良いのか
どうしたら良いかなぁ
給料の100%を毎月使い切る「金の貯まらないオタク」のテンプレだった人間が1月1日から貯金を始めて、今日までに起こった心境の変化など。
どうしても当てたいライブツアーが発表されたのが昨年末。最初はツアーに余裕を持って参加できるであろう20万を春までに貯めようという計画を立てた。1〜4月に出るお給料で、毎月5万貯めればクリアできる計算だった。
●使い道の無くなった貯金
ところが3月末にはすでに20万ちょっと溜まっていた。というのも、すでに決まってたイベントの返金が相次いで5万ほど返ってきたり、「そろそろ申し込みスタートかな?」と思っていた時期にライブツアー延期のお知らせがあったり。手元には使い道を失った20万が残った。
●目標を50万に変更
3ヶ月間の貯金生活は、意外にも負担がなかった。単に貯金計画を圧迫する現場がなかっただけなんだけど、しばらくエンタメ業界に投資する機会もないだろうし、もうすこし貯金を続けてみることにした。
私がしていた貯金は給料から毎月6万を先に抜くというもので、順調にいけば6月末で50万に到達する計算だったので、目標を50万にした。
はずだったんだけど、趣味に全力だったころの後遺症(クレカの引き落とし)のために実際は平均4〜5万くらいだったと思う。給付金とボーナスを合わせて無事に6/30で50万+に到達した。
①将来について考えられるようになった
毎月給料を使い切っていた頃は、とにかく目先の快楽を追い求めていて、「今」幸せになりたくて仕方なかった。
実家暮らしなので精神面でも経済的にも楽な暮らしをしているとは思う。でも奨学金とマイカーローンという借金を、大卒と同時に背負ったのは私には十分に重かった。絶対に仕事辞められないんだなって初めての返済月に覚悟せざるを得なかった。どちらも自分の意思で借りたお金ではあったけれど、今ははやいとこ一括返済できるように実家暮らしをとことん利用してやろうと思ってる。
マイカーローンを返し終わったら家を出てもそれなりに貯金できるようになる計算なので、ひとまずマイカーローン用の貯金計画を進めている。オタ活のための貯金だったのに、こんな風に路線変更するなんて半年前まで想像もしてなかった。
どうして毎月十数万も使ってしまっていたのか。結論は簡単で、学生時代の反動。これしかない。
大学4年間は一人暮らしをしてたけど、親からの仕送りがなかったので、奨学金とバイト代で最低限の暮らしをしていた。常に赤字だったので、家計を見直す意味を感じる瞬間もなく、とにかく毎月ギリギリの暮らしをしてた。
就職を機に家に帰ってきていろんな意味で楽になった私は、学生時代に我慢してた買い物と美容と旅行にお金を使いまくった。学生の頃には逆立ちしても買えないものを買えるようになった自分が嬉しくて、ものすごくテンションが上がった。
浪費を浪費と自覚していたから、お金を使った瞬間は楽しくても後から後悔することももちろんあった。でも使うことをやめられなかったのは、学生の頃に感じた「お金を使わないのは惨めな暮らし」という気持ちが強すぎたからだと思う。
でも、いま思うのは「限界まで出費を抑えること」と「不要なものを買わないように自分を抑えること」とは全然違ってた。欲しいものは、ちゃんとお小遣いの範囲で買ってもいいよってルールを作ったら、お買い物がちゃんと楽しくなったし、好きなものしか手元に残らなくなった。
浪費を止めるきっかけがあって、本当によかったと思う。推しに最大級の感謝。
●お給料の使い道について
貯金→6万
という感じで、平和な暮らしを維持できるようにいろいろ試行錯誤してこの配分に行き着いた。
やりくり費の5千円は、楽しいものにしか使わないようにしている。たとえばグッズとかCDとかスイーツとか。5千円を超える楽しい買い物に関しては、自分の気持ちと何度も相談をして、後悔しないと思った時にだけカードで買って翌月の貯金額を減らすようにしている。
カードを使うのは毎月の貯金額が減ることよりも、いま貯まってるお金を崩すことに抵抗があるからだけど、追々はクレカも手放したい。
7月のお給料からは「使える貯金」を20万貯めて行こうと思っている。いつでもオタ活ができる心の余裕にしたいなあと。延期になってるライブ参加費もこの枠の中でやりくりして、いま貯めてる50万には触らないつもり。真剣に本来の目的を見失ってるんだよなあ……。
キャッシュレス全盛期に前時代的なアナログ貯金をしているけど、半年いろいろチャレンジしてこれが自分なりのベストだと思ってる。
以上おわり。