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はてなキーワード: 部活とは

2022-07-09

anond:20220709195241

どうなんかねぇ

大学部活で6年武道してた時は就職して人に触れられたら即殴る反応してたけど社会人適応するにつれて即時即応ができなくなって飲み会で甘んじて殴られたりしてたからゆるい環境に身を置くと腐るんだろうな

初めての会社歓迎会で別の部署部長を殴った時は殴っちゃダメなんだなと猛省したわ

その後は別の飲み会ではビンタされたりも防いだりカウンターせずただ殴られて愛想笑いしてた

そんなことばかりしてると自然に弱くなって殴れなくなるんよな

2022-07-08

anond:20220707144247

なんの部活か分からねーんだが 俺が見落としてるだけか?

2022-07-07

anond:20220707144513

そりゃあ九州高校なら日帰りよ

部活就活でも宿泊は厳しく禁じられておる

助けて 【追記:07/11

自分大事にしている記憶第三者的エビデンスが全くなくて怖くなってきた

普通の思い出とか個人間の何かしらのやり取りならそんなものがなくても大丈夫だと思うんだけど

私の今回揺らいでるのは高校生の時に打ち込んだ部活の受賞歴がどこにも残ってないってことに所以してる

自分の才能を客観的裏付け証拠だと思ってたんだ、全国大会で準優勝だったって記憶

でもどこにもない、ネットの海を彷徨っても見つけられない

母校のホームページは近年リニューアルされたみたいで古い情報がない

主催団体もここ5年分しか受賞者を公表してない

どこかの個人ブログやなにかで紹介されてないか躍起になって探したけど無い

怖い

私の覚えてる「これ」は何なんだ

顧問名前も思い出せない、当時の部員の連絡先は悉く知らない

でも確かに行ったんだ、顧問と2人で新幹線に乗って鹿児島に行って開会式遅刻して天文館白くま食べたんだ

準優勝でめちゃくちゃ悔しかったんだ、授賞式は最優秀賞しか行けないって聞いて泣いたんだ

作品とかは実家にあるはずだけど毒親の母が処分たかもしれない、曖昧

こんなに大事な拠り所なのに何もエビデンスがない、全部妄想捏造かもしれない、怖い

写真とかも手元には残ってない、私は本当に部活で成績を残したのか?

私は今まで何を信じてたんだ?


ここから7/11時点での追記

たくさんのトラバブコメありがとう、途中から私じゃない人が返信してて爆笑した、勝手に人を便秘にするな

先週の木曜日、ここに書き込んで母校に電話で問い合わせた

事務員さんに不審がられながらも今現在顧問をしている人に代わってもらえて、色々話した結果調べてまた折り返すと

次の日の夕方電話があり詳細を教えてもらえた、まとめるとこんな感じ

あなた作品はきちんと保管されているし活動裏付けもある

・〇〇大会の全国準優勝ではなく、××大会の準優勝で記録が残っている

そもそも〇〇大会の出場記録は無い

・当時の顧問教職を辞めている

・他にも県大会地区予選の記録もある

ホッとした、なんだか私は大会名や開催地混同していたようだった

正しい大会名と主催団体を教えてもらったので再度検索にかけてみた

何も引っかからない

また怖くなった、何度も調べてまたネットの海を彷徨ったけど、この土日に一度も自分名前を見ることはなかった

大会名はそれっぽいのがあるけれど、主催団体に対する情報そもそもどこにもない

出口だと思っていたのにまた新たな迷宮に足を踏み入れてしまった


私はもうきっと助からない

創作しかない無名人間

小さい頃からことなく疎外感を感じて生きてきた

親友という存在恋人という存在とも縁がなく、学生時代部活をやっていたから辛うじて他者との繋がりがあったが、引退した途端、自発的に人と付き合うことをしていないことを思い知った

つのからWeb小説マンガに興味を抱き、細々とマンガを描いて自サイト投稿したりpixivに投げたりしていた

とある共同制作コミュニティに入れた時は、創作について話せる人がいるって楽しいなと思った

が、時が来れば人の心も移り変わるもので、そのコミュニティ人間関係が嫌になってしまった自分は、pixivの関連作品を非公開にして、親しい人にだけアカウント削除を伝える旨のDMを送った

一方的に共同制作を持ちかけておきながら作品削除をした自分非難する人がいたが、相手方に非はないのでその通りだと落ち込んだ

コミュニティに関連するアカウントを削除し、新しいアカウントを作ったら、びっくりするほどフォロワーが少なくなってしまった

いかコミュニティにべったりだったのかが分かって、自分はそのコミュニティ学生時代部活のような依存をしてしまったのだと気づいた


そして、コミュニティから出た自分は、以前のように個人サイトマンガを描くことを試みようとしたのだが、うまくはいかなかった

なぜなら前のコミュニティ非難DMを送った人がフォロワーフォロワーにいることに気づいてしまたからだ

あの人が自分を恨んでいることを知ってるし、自分迷惑をかけた自覚はあるからせめてその人の目の入らないところで活動を続けたいという気持ちアカウントを作り直したつもりだったのだが、考えが甘かった

そりゃあ前のコミュニティと繋がりがある人をフォロワーに持てば大なり小なり自分の行動は筒抜けになるだろう

自分で撒いた種ではあるのだが、自分は行動力計画力もないのだと悩んだ

いくら鍵をかけても、アカウント存在する限り「あいつまだマンガ描いてるの」と思われるのだろう

いや、あの人はそんな性格じゃないと言い聞かせるも、心の中で例の批難DMしこりになって残っているようだった

相手方が「許して欲しいという気持ちが透けて見える」と語った文章けが今でも目に焼き付いている

自分気持ち相手理解して貰えないのは辛いことなんだなと、今文章を書きながら思った


時は経ち、吹っ切れては無いものの、噛み切れるようになった想いを抱えながら、自分は新たに(というか以前まで存在していた化石サイト改装した)サイトを作ってぼちぼちマンガ制作を再開している

就職をしたものの、人間関係は依然として希薄なのでプライベートで人と会うことなどとんとなくなった

他人に失礼をしておきながら、そして名のある作家ではない大前提がありながらも、自分には創作しかないのだと理解してしまった

それ以外にやることがないと言えばそれまでなのだが、辛うじて趣味らしきものがあるのは有難くは思う

ところで、以前Twitterとある呟きを見かけて、意味がわからないけど意味をわかりたいかメモっておいたものがある



やべえこツイート2014年のなのかよ!と一瞬思ったが、8年も経てばなんとなくニュアンスが分かるようになった、と思う

読解力がないというか、頭の中で線と線が繋がらないために心から言葉理解出来ていないが、つまるところ自分は満たされていなかったのだろうという結論が出た

ホッテントリの、恋人が出来たか創作活動が出来なくなった、というのはご最もだと思う

満たされない感情の置き場が創作から恋人に移ったのだろうし、生物としての仕組みはそれが正しいものだと思うから是非その人を大切にして欲しい

残念ながら自分生物として欠陥があるようなので、今後も創作という一人相撲を続けるだろう

SNSの#繋がりたい 系のタグ生理的に受け付けないし、創作人間関係で人様に迷惑をかけたのだし、そもそもクローラーサイト画像舐められて自分の手元から作品が独り歩きすることが嫌な人間から検索避けをする以上、SNSで迂闊にサイトURLは貼れない

故に、表立って作品宣伝することはせず、その辺の隅っこで自分専用の墓場を作る予定である

自分で書いてて思ったが、凄く陰気で頑固で根暗人間だなと思った

から創作なんて毒にも薬にもならないもの趣味にしているのだろう

インターネット墓場と言っても、デジタル遺産となってネット藻屑になってしまうのだろうけども、ひとまずはその認識で行きたいと考えている

創作と言いつつ、結局は自己満足から自分の見やすい形で管理したいというのが本望なのだ

自分楽しいものたまたま覗いた他の人が楽しんでくれたら嬉しいけれど、道端に歩いてる人にこれ面白いよ!と宣伝することはしたくはない

労力だから

インターネットの中でも自分のことをアピール出来る人は凄いと思う

例のDMきっかけになっただけで、元々自分ネガティブ寄りの思考を持つ人間だったのは自覚している


最近自分が見かける範囲で、だが)「音楽制作は続けるけど作品を表に出すことは辞めたいと思っている」「このゲームが完成したらもう絵なんて描きたくない」という呟きをちらほら見かけるようになった

もちろん締め切り前のイヤイヤ発言ではなく、ばっさりと今後一切の活動を辞めるニュアンス発言である

彼らのフォロワーでもなんでもない自分は、悲しいなと思いつつ、創作が心の障害になるのなら辞めることも選択肢ひとつだとも思った

現在創作くらいしか趣味がない自分も、いずれそんなことを思う日が来るのだろう

コミュニティを抜けた日から永遠夢想だと思うようになったので、その日が来るまでになんとか絶望しないように生きていきたい

出来ることならその前に死にたい

2022-07-06

まれ変わるなら多少おバカでも超絶美人可愛い方がいい。

当方アラサー彼氏ナシ。

人生行き詰まってきたので人生ゼロからやり直したい。

私は自分容姿が大嫌いだ。

小さめの目、面長でパーツのバランスが悪く、全体的にのっぺらぼう、どう足掻いても幼さが残るこの顔が。

これまで歯列矯正、顔の脂肪吸引、眼瞼下垂の手術兼二重形成自分で稼いだお金でしてきたが、手術するのが難しい中顔面のせいで理想の顔には程遠い。

メイク勉強したり、就活で太った時はジム通いで痩せて標準体重以下にできたりもしたが、すっぴんでも可愛い子や、痩せたブスより太ってても可愛い子のほうがいいに決まってる。世の中どうせ顔なんだ。

どうしてこれまで自分の見た目が大嫌いなのか。それは幼少期から

クラス男子デブと罵られる(※客観的に見たら普通くらいなのに)

席替えで好きな女の子の隣ではなく私の隣になるのが嫌すぎて男子から延々と泣かれたことがある

・私(当時一重)の前で「一重って可愛くないもんね」って部活の同期から言われる

部活の同期のマネしておでこあげてたら陰で男子から落武者と言われていることを知る

SNSで知り合ったオタク仲間に、見せてと言われたので自分の他撮り写真を見せたら無反応だった(おそらく可愛くなくて反応に困ったのだろう)

・当然ナンパなんてされたことない

などなど……書き出したらキリがないのでこれくらいにしておくが、小学校低学年には既に自分容姿は良くないことは自覚していたのだ。

そんな私でも、中学くらいまでは勉強カバーできていた。高校は市内でトップの“自称進学校に進んだのだが、自分よりも可愛いくて美人勉強できる子がたくさんで心が病んだ。私には何もないじゃんか。こうして中途半端レベルしか勉強のできぬブスが出来上がってしまった。

これで東大やら京大やら受かるレベル勉強できてたら何も憂いていなかったかもしれないのに。残念ながら神様は不平等だ。

有難いことにこんな顔面でも彼氏いたこともあったが、私が仕事でクソがつくほどの田舎に突然飛ばされ、一年遠距離の末捨てられた。

私をそんなクソ田舎飛ばし職場退職して別の職場転職したけど、コロナ禍も相まって時間をいたずらに消費され、無駄に歳だけ喰ってしまった。

現在アラサー彼氏ナシ、見た目には気を遣っているが容姿に自信ナシ。

コロナ禍を経て、現代の男女が出会う場として、マッチングアプリが主要になっている。そろそろパートナーが欲しいな…一緒にいればより楽しめる様な相手がいればな…と思うんだけど…

こんなの無理じゃないか???

「自信がなくても顔写真登録しましょう!」「プロフィールは詳しく書きましょう!」

無理だろ!!!!!!顔写真見てアッ…ごめんなさい…って遠慮されて誰ともマッチングできないの目に見えてるよ…

ネット上でマッチングアプリ婚活話題になる際、「本当に良い異性はマッチングアプリ婚活市場には来ない(そんなことしなくても恋人できるから)」「自分は‘売れ残り’だと自覚した上で婚活しろ」という声を見かけたことがある。

私の様なブスは当然売れ残りだ。でも、売れ残りだとしても、後悔のない相手を選びたいし選ばれたいのにな…

その点、美人なら、選びたい放題だし、多少積極性を出しても受け入れられるんだろうなと思う。

少し前に、某動画サイト投稿されているギタボの人をネトストして特定した結果、その相手結婚できたという女性話題になった。

ネトストという行為は決して許されたものではないが、顔が良ければ想い通りの人と結婚できるなんて超絶イージーモードじゃん…と思ったものだ…しかもそのお相手さん関学卒(関東でいうMARCH相当)とかいハイスペだし…

私はもう遺伝子レベルで生まれ変わらないと、自分人生に満足できなくなってしまった。だから人生ゼロからやり直したい。自分容姿に悩まない、恋人パートナーが途切れることに悩まない人生送りたい。

来世はさ、もう今世ほど勉強出来なくていいから、フォロワー4桁抱えれるコスプレイヤーになれるレベルくらいの、100人いたら100人可愛い美人って言えるくらいの女性にしてください。

anond:20220706211846

社会を変えるような人間ならすごい

アスリートでもこの人がいなければ今はこうなってないみたいな人いるだろ

企業ならユニコーン系の会社とか

そういうとこの人らはゲームやる暇なくて勉強なり部活なりメインでやってきたんじゃないの

これまでの日本社会がそうだったように

ゲーセン底辺の溜まりだって日本一ゲーマー梅原大吾が言ってるのにゲーマーの中でも底辺の奴らがイヤ!ゲーマーはすごいんだぞ!ってなんの慰めにもなってないよね

2022-07-05

不登校 バイト 大学進学 うつ病

 今現在不登校に悩んでいる中学高校生の中にも死んでしまいたいと思って日々の時間が過ぎていくのをただ待っているだけの生活を送っている人がいるかもしれないけれど。地獄のような生活から逃げ出したい一心自殺を考えている人には、少しだけでも楽しいと思えることができる日が来るのを待っていてほしい。どうか自殺へと行動を移さずに、今も流れ続ける時間を忘れられる方法で一日を過ごしてほしい。

そんな思いで書いています

 成人して数年、久しぶりに一本の煙草を吸ったらいろいろな記憶が蘇った。あの頃までは元気になんでもできるような気がしていたのに、ある時をきっかけに学校へも通えなくなった。

 時を遡ると、高校入学した15歳のころ。ある程度の学力がある人々が集まっていた高校なのに、私のクラスはいじめがあった。被害者はNくんとしておこう。Nくんは比較的活発なグループからまずいじめられはじめ、もともと彼が仲良くしていたおとなしめのグループからいじめられるようになった。彼がいじめられる姿を見て、情けない姿を皆が嘲笑うようになった。私はそこに存在するただの傍観者だった。

 時々、私は彼と帰った。Nくんは太鼓の達人が大好きで、放課後ゲームセンターで上手なプレイを見せてくれた。彼は確かに挙動不審なことが多かったが、それでもいじめられる理由にはならないはずだった。私はその中で、彼がいじめられ続け精神的に追い込まれ部活も行けなくなったこと。勉強も手につかなくなったことを知った。それでも私は彼とたまに帰宅する程度の仲を保っていた。

 このころ、母が国指定難病罹患してしまった。そして私は最低の行為をしてしまった。うつ病の薬のこともあり記憶にもやがかかっているが、自分が最低のことを母にしてしまたことは覚えている。

 体調を崩し脱衣所で四つん這いになったままの母に、私は「何してるの? 大丈夫?」という声をかけながら、心の中では私だって忙しいしつらいのになんで家事をしてくれないんだろうと母を責めた。もちろんそれは口に出さなかったが、それと同じくらい非道言葉を母に投げかけた。

「体調が悪いふり?」なんて、今考えるとどうしてそんなことを言ってしまったのかわからないほどの言葉を投げかけたのだ。当時私は母が何に苦しんでいるのかつゆ知らず、難病のことも知らされておらず気を許せる友達もいない戦場のような高校必死に通っていた。

 母はまもなく入院となり、それが信じられなかったのかもしれない父は私には何も教えなかった。家庭から笑顔は消え、父は仕事、私は学校へ通い夜は二人で家事をするという無機質な日々だけが続いた。

母が数か月後家に帰ってきたとき彼女は骨と皮だけのような姿になっており、帰ってきて階段を上がりきった途端にリストカットするような素振りで「死にたい」と何度もつぶやいていた。私は綺麗だった母が幽霊のようになってしまたこと、悲壮感に溢れた声にもならない声で言ったことに大きなショックを受けたことは覚えている。

数か月後、母は元気になった。朝に起きられるようになり、私の朝ごはんを作ってくれるようになるまで元気になった。抜け落ちていた髪も、青々と茂る夏の木々のように生えそろった。

 朝ごはんを食べ終わり、自室に鞄を取りに戻って登校しようとしたある日、私は階段下りながら涙を流してしまった。すすり泣く私を母が見つけ、その日は学校を休んだ。思えば、この日が私の不登校と出不精のはじまりになってしまった。今思うと、知らぬ間に心にダメージを負っていたのだと思う。

 この数か月前から、授業を聴いていても何も頭に入らず、自分がひどく落ちこぼれたような気がして意気消沈していたのを覚えている。数学テストでは一桁の点数を取り、頭の良い生徒ばかりの高校ではあり得ないほどの点数を取った私は、周囲から馬鹿にされた。盗み見られたその点数を見て。Nくんをいじめていた悪魔から「あたまわっるいね馬鹿なっちゃった?」と言われたことを、今日煙草を吸いながら思い出した。

 体調が悪いと言って登校しなかったその日から、私は完全に学校に行きたくなくなった。もうすぐ高校二年生になるころだったのに、私は自宅でうつろに日々を過ごすのみだった。このあたりの記憶防衛反応によるものなのかほとんど残っていない。覚えているのは、今でも大好きな昔の映画を観たり、小さいころに観ていたポケモンアニメを見ながら昔は良かったなと思いを馳せていたことくらいだ。まるで老人のようなその生活を見た母は、私を精神科へと連れて行った。そこでひとまず一種類の薬を飲むようになり、だんだんと種類が増えていったあたりから私は昼過ぎまで起き上がれなくなった。

 こうして”立派”な不登校になった私は、デ・ニーロのグッドフェローズダニー・ボイルの(ユアン・マクレガー名前を出したほうが分かる人が多いかもしれない)トレインスポッティングを観たり、破滅的な思考をなんとか創作の中で味わい続け、自殺を耐えていた。

 結局、高校2年生の1年間はほとんど学校に行けなかった。

 詳しいことは知らないが、3年生に上がるころ担任から「3年生になると2年生のころのように不登校のままだと卒業ができなくなってしまう」ことを告げられ、私は仕方なく登校を再開した。

 正直2年生のころも同じようなことを言われて、もうどうせ進級もできなくて中卒不登校ひきこもりになってしま未来しか見えていなかった私は、4月から懸命に学校に通った。死にたいことを何度もほのめかす私を。父と母は応援してくれた。父は通勤用の車を私のために家に残し、毎日40分近く自転車を漕いで通勤していた。母は私を学校と自宅まで送迎してくれた。毎日だ。

 途中、休むときもあったが基本的には登校ができていた。Nくんへのいじめ常態化していたクラスいたことで脳にダメージがいっていたのか、相変わらず記憶が思うようにいか勉強はさっぱりできなくなってしまっていた。1学期、定期テストではひどい点数を取り、受験どころか卒業が危ぶまれた。担任から何とかならないかと言われたけれど、何とかなんてならないことは私が一番分かっていた。

 あのころどうしていたのかは分からないけれど、2学期からは死に物狂いで勉強をし、数学では及第点、1学期で0点に近かった世界史テストでは90数点を取った。とりあえず3学期もまた90点ほど取れれば卒業はできるだろうと考えて、3学期も同じくらいの点数を取った。記憶がうまくできなかったので、本当に反復の反復、さらに反復のような状態だった。(今では治った)

 大学ももともと目指していた高偏差値のところなんて行けるはずもなく、必死に受けたセンター試験を利用してそこそこの大学に入った。幸い、高校入学するまでに相当勉強していたのでほとんど勉強しなくても9割近く3教科は取れたのだ。それでも自分にとってはショックで、大学に入っても落ちこぼれた印象はずっとついて回った。

 心を入れ替え大学に通い始めたけれど、不登校の癖がついてしまっていて社会的生活に恐怖を感じていた私は、数か月で電車通学が苦しすぎて中途退学してしまった。

 今、その大学に入りなおしてそろそろ卒業を迎える。内定も得て、自分のやりたかった職業チャレンジできる未来が見えている。

 それでも、いじめを見て疑心暗鬼になっていたことの私の時間は帰ってこない。電車に乗って高校生を見ると、あのころ違う高校に通っていればあんな思いもせずに記憶障害のようなものに悩まされることもなかったのかもしれない、と思ってしまって稀に目に涙が浮かんでしまう。

 それでも時は流れ、日々は続いていく。あの頃は帰ってこないし、私もも20台中盤だ。物事に折り合いをつけられるようになり、バイトまでできるようになった。他人と話すのが怖かったくらいだったのに、今ではコミュニケーション能力も高いよね、と年齢が上の方々からも言っていただけるようになった。(バイトを通して苦手だったコミュニケーションを何度も何度も練習するつもりで磨いた)

 

 今、どうしようもなく不安になってこの日記を書いてしまったが、最近うつ病のような症状も収まりひきこもる頻度も減った。それでも時折、元気がなくなると数日ひきこもってしまう。大学生活だってストレートはいかなかった。体調を崩しひきこもった瞬間もあった。

 それでも父と母は私を理解してくれ、応援してくれた。父に関しては昭和の男だから鉄拳制裁を喰らって殴り合いのけんかになってしまたこともあるけれど、いつの日かを境にうつ病を抱えている私を理解してくれるようになった。遊びに誘ってくれたり、断っても体調が悪いなら仕方ないと理解してくれるようになった。

 うつ病の薬を断って、大学でのストレスからやせ体形だったはずなのに食にストレスをぶつけてしまって今では30㎏ほど増えてしまったし、今の体形の自分は嫌いだけれどそれでも毎日を楽しくは過ごせている。だからこそ、今不登校に悩んでいたり死んでしまいたいと思っている中、高校生学生の同じくらいの年齢の方々に伝えたい。

 どうか諦めずに、つらい今は好きなことをして時間が経つのを待ってみてほしい。

 男だから泣くんじゃない、女だからはしたないことなんてするななんて声は無視してしまえ。男だって泣いていいし、女だって冒険をしてもいい。

 いつしか心に余裕ができて、何かができるようになるかもしれないから。

2022-07-04

夏休み期間の部活は止めるべき

代わりに夏休みエアコンの効いた部屋で授業をするべき

私は嘘つきだった

嘘をつく癖があった。

一番最初に覚えてる嘘は、小学1年の時に親の財布から金を盗んで友達の家に大量のお菓子を買っていった時だ。

友達には知らないおじさんにもらった、と訳の分からない嘘をつき、不審に思った友達母親がうちのの母親に連絡してバレ、その日の夜に親父に顔の形が変わるくらい殴られた。

その他にもゲームでありもしないバグ技を友達にべらべらと喋ったりしてた。今思えばみんなが知らないことを披露して承認欲求を得たかったのだろう。今でも思い出してじたばたするくらい鮮明に覚えている。

幸い親が転勤族で1年に一回学校が変わっていたため、致命的に嘘がバレていじめられたりなどは経験したことがなかった。

中学の頃は少しは知恵をつけ、ここぞという時にしか嘘をつかなくなった。

その頃は中二病も周りにいっぱいいて、親に成績ごまかすとか、塾での自己採点の模試の点数ごまかしてクラスで1位になったりして優越感に浸ったりしてた。

高校の時、県内で上位の進学校入学体育会系部活に入り勉強との両立がもちろんできなくなり、割とサボった。

勉強もついていけないし、部活もきついしで週1とかで学校行くふりして漫喫に朝から部活終わる時間までサボったりしてた。

恋空とか流行ってて、少女漫画の僕らがいたにもドはまりして架空彼女が死んで海まで行ったとか匂わせSNSとかしてた。

友達は割といっぱいいた方だと思うが特につっこんまれもせず「ああ・・・」みたいな空気になってた。

高校落ちこぼれたが何とかセンター利用で私立大学入学

飲みサーみたいなところに入り、毎日酒浸りしてた。

人よりお酒が飲める方だったため、周りから評価されている気になり毎日ぶれるまで飲み、優越感に浸れてた。

架空彼女が死んだ設定も忘れておらず、ちょいちょい痛いやつみたいになってた。

そんな日々を送っていたらもちろん4年で卒業できず、留年した。

親への言い訳は僕らがいたか引用して、パニック障害電車に乗れない嘘でごり押しした。

借金もバレて、親に肩代わりしてもらった。

色々とボロボロだった。

家にいたくなくて週6でバイトしてた。

気づいたらバイトリーダーになってて、後輩もできて、みんなから頼られて承認欲求が満たされて気持ちよかった。

バイトしすぎて大事な実習に行けなくなったことが学校経由で親にバレ、怒られるのが嫌で逃げた。

とりあえず沖縄に行こうと思って電車に乗り続けて名古屋あきらめて漫喫泊まって次の日帰った。

めちゃくちゃ心配されてうやむやになってとりあえず卒業がんばろうみたいな感じで落ち着いた。

なんとか卒業してバイトしてた会社にそのまま就職した。

かなりのブラック企業で月300時間オーバーで働いてた。最初は楽しかったが、上司が変わって辛くなった。

会社に行きたくなさ過ぎて、2年目にマンションの2階から飛び降りた。

思いのほか痛くて、色々骨折して痛みで正気になりひき逃げにあった嘘をついた。

2か月入院して保険もおりないから親に肩代わりしてもらった。

その1年後くらいに会社をバックレて友人のつての工場で働きだした。

会社バックレたときは友人に心療内科に連れていかれたりして通院してた。自律神経失調症パニック障害と鬱の診断書が出た。

薬も1年くらい飲み続けた。

工場で働きだした当初は相変わらず嘘をついたりしてたが、本当のことを言っても誰も怒らないことがわかり嘘をつく癖がなくなっていった。

前職の半分の労働時間で倍以上の給料をもらえるようになった。

嘘をつくことも少なくなった。

自分ごまさないとかなり気持ちが楽だと知った。

仕事が暇でふと思い出して初めて増田文章を書いている。

人生何が起こるか本当にわからない。

死にたいと思ったことはあまりないけど、全て投げ出して誰も知らない土地かに逃げ出さなくて本当によかった。

と、ボーナス支給日前に思った。

2022-07-03

anond:20220703010024

勉強部活の話をいましていません...

大人なってもずっと勉強部活の話するの?

anond:20220703005757

から、何で学校とか勉強とか部活とかそういう話しない前提なんだ

釣りかと思ったけど、本当に生粋コミュ障オタクなのかな…

anond:20220703005250

から、何でリアルの友人が存在しない前提なんだ…

そもそも今も昔も高校生話題なんて漫画より学校とか勉強とか部活とかそういう事の比重が高いだろうに

そういう前提が全く無くて、漫画やその他コンテンツの話しかしてない前提で物事考えてるって…

大人になったってコンテンツの話しかしない出来ない大人ってやばいだろ…

どんだけ社会性がないオタクなんだよ

2022-07-02

anond:20220702070421

教員不足で自習」と「部活バレーボールぶつけて逮捕」なんてニュースが同時に報じられるのも矛盾を感じるよねえ

現実的に考えて人手がたりてねんだから多少の虐待には目をつむるしかないじゃん

2022-07-01

日本人力士外国人力士インタビュー聞き取りやすさ」なぜ違う

取り組み直後で息があがってるからある程度聞き取りにくいのは仕方ないけど

日本人力士の方が何言ってるかわからん度合が強い

インタビュアー質問も型通りしかいから返答も

胸を借りるつもりで気持ちは負けないように、勝ち星は意識していない、一番一番全力で取り組みます

あたりの定型しかなくてなんとか理解できるけど

応答文を教え込まされてるであろう外国人力士の方がたどたどしくもしっかり発音できている一方

ネイティブの方は流暢というよりも部活言葉のような崩れ方で

未来プロレス転向して長州力のようなマイクパフォーマンスできそうなのもいる

エロマンガを描いて生きている 1/3 


pixivに初めて投稿したのは約八年前になる。

それから長い時間が経って、今は野良プロとして漫画を描いている。特定組織には所属していない。ごく稀にR18雑誌寄稿したりもするが、基本はずっと一人だ。

今回、こうしてエッセイみたいなのを増田投稿しようと思ったのは、感謝の念が芽生えたからだ。

ずっと、社会に恨みを抱いて生きてきた。子どもの頃からストレスが多い環境にいたせいだろう。最近、ようやく周りに感謝ができるようになった。以前は、作品を認めてくれるファンの人だったり、SNS意見コメントをくれる人だったり、本気で叱ってくれる人にしか感謝できなかった。

最近になって、子どもの頃から散々な目に遭わされた家族とか、昔々の、辛い状況でも諦めなかった自分感謝ができるようになりつつある。ちょっと長くなるけど、自分語りをさせてほしい。



見た目があまりよくない。いじめに遭うことが多かった。

虫取り網を叩き折られたり、廊下を歩いていると後ろから蹴られたり、みんなで遊んでいる時も置いてけぼりにされたり、自分の家で遊んでいる時は貯金箱からお金を盗まれたりした。

イジメから助けてくれる先生はいたが、見て見ぬ振りをする先生も多かった。中学に上がってからは、暴力ますます激しくなって、週に1,2回くらいしか学校に行かなくなった。保健室通いというやつだ。

学校だけじゃない。家族もそうだった。自営業工場主兼農場主)をしている父はただ黙々と働いているだけだったが、母(介護福祉士)がとにかく理不尽だった。小四くらいで整体マッサージを覚えさせられ、母が夜ドラマを観ている最中、足や背中をひたすら揉まされた。

数学テスト20点を取ったり、ワイシャツ洗濯に出さなくて洗濯機で汚れが落ちなかったりすると、決まって布団叩きで頭をぶん殴る。その後は決まって反省文の提出と朗読がセットで付いてくる。

一番ムカついたのは妹(現在イラストレーター女性誌挿絵とかリクルート雑誌4コマ作ってる)だ。3つ下だったが、自分中学一年生の秋に不登校になり始めてからは、ひたすらバカにしてきた。

母と一緒になって、「役立たず」「頭が悪い」「人間性問題がある」「兄ちゃんのせいで学校で嫌な思いをする」「早く家から出て行って」など言いたい放題だった。

中学卒業して偏差値52の公立高校に通った。イジメに遭いそうにない環境生き方必死で探したおかげか、陰キャラとして3年間を過ごすことで平穏無事に高卒肩書を得た。

人間としては全然ダメだった。今でもそうだ。青春期に、部活とかボランティアとか、人と関わる活動をしてこなかったせいか社会性に問題がある。クリエイターを目指す専門学校に入っても変わらなかった。マックアルバイトを始めたけど、根本的なところはいっしょだった。

自信がなかったのだと思う。自分自身の生き方に対する信仰、というか。それが社会性のなさに繋がって、いつまで経っても結果が出せなくて、それで自信を失っての悪循環だった。

普通20代前半くらいの人間だったら、「お前はすごい」と言われたことがあるはずだ。自分にはそれがない。もどかしい気分になったけど、当時は鬱蒼鬱屈(教えてくれた人サンキューです笑)とした気分で街を歩くしか手段がなかった。

ちょっと前に、マクドナルド面接に出かけて、遅刻して店長に怒られて逆切れをした人のはてなブログがバズったことがあったはずだ。まさにそんな気分だった。あれは自分だった。もう一人の自分。今思えば愛おしい。



専門学校入学してすぐだったか。あるまとめサイトを見たのは。

絵師の上達みたいなタイトル2ちゃんねるスレッドだった。いろんな神絵師の上達していく過程が何枚かの絵を抜き出すことで説明されていた。ところで、自分シナリオ学科だった。イラストとは縁がない。けど感動したのは覚えている。

ある神絵師最初イラストは、東方チルノだった。最初小学生が描いたみたいなシンプル鉛筆書きみたいなノリだったのだが、年を経る毎にどんどんうまくなっていって、最後イラスト神輿と一緒に映っているチルノはまさに圧巻だった。

この時になって思い出した。小学生の頃は、授業中のノートに絵を描くのが好きだった。当然、大したことはない。まさに子ども落書きだ。中学生になる頃には一切書かなくなっていた。

自分イラストをやってみたいと思った。確かな感情だった。自分が好きなアニメイラストを描いてみたい。あの時、確かにそう感じた。

まずは自由に描いてみた。

一番最初に描いたのは実家で飼っていた猫だった。灰色のやつで、自分と妹が小学生の時に拾ってきた。自分達が近付くと、「ヌアァン」と鳴いて田んぼ稲穂の中に入って行った。

出てくるまでに20分はかかったろうか。「いつまでも一緒に待つんだぞ」と妹に提案して、出てきた猫を妹が抱えて家に持って帰ったんだっけ。父には反対されたけど、母を味方に付けることに成功した。

そんなこんなで初めて描いた猫は、猫ではなかった。よくわからない物体だった。耳がへなっと折れていて、ほわほわとした毛並みを表したはずの鉛筆でのなぞり書きは、角が折れたトーストの上に浮かんだような暗黒物質を生み出していた。小倉トーストだった。

二番目に描いたのは、好きなアニメキャラだった。アイカツ!星宮いちごを描いてみた。二次元だったら何とかなるかと思ったが、ぜんぜんそんなことはなかった。一応人間にはなっていたが、こっちの方がまだ猫に似ていた。

三番目は、風景に挑戦した。上で田んぼと書いたが、当時は関東圏でもそれなりの田舎に住んでいた。実家の近くに小高い山があるのだが、そこに昇って、自分が住んでいる町を見下ろしてスケッチをしてみた――結果は燦々ではなく、散々とした出来だった。透き通った空気の中に浮かぶ田畑が並んだ一帯を描くはずが、自室の襖に飛び散ったとある黄ばんだ一角のような、痴態のようなものしか描くことができなかった。

独学で学んでいるかダメなんだと思い、ネットで上達方法を学んでみた。といってもツイッター検索だが。「とにかく量をこなせ」というメッセージが心を掴んだ。

次は書店で本を買い、何周も読み返して基礎的な人体の描き方を頭に叩き込んだ。新しい何かが開けた気がした。

そんなこんなで、何を描いたのか判然としないようなモノを1週間につき1枚のペースで仕上げていった。努力しただけあって「ヘタクソ」の領域に到達することができた。

これでいい。あとはpixiv投稿しさえすれば、絵描きへの第一歩を踏み出せる。ここまでに約二ヶ月かかっている。今までのpixivの使い方はといえば、好きな漫画アニメイラストを見たり、さあ寝るかと思った時に、より深く就寝に至るための聖なる行為(SeaCallと呼んでいた)をするためだった。

それが今、人生で初めて本気で描いたアイカツ!キャラ絵を投稿しようとしている。色々と入力していって、最後に「投稿する」ボタンを押すと、ブラウザ画面がぐるぐると回って投稿が終わった。

最初ブクマ数は、3時間で「5」だった。閲覧数は70くらい。コメントも付いた。テンプレだったけど。

しかった。自分イラストを気に入ってくれる人がいたのが嬉しかった。この時が絵描きとして人生で一番最高の瞬間だった。この時以上に嬉しかたことはない。

ところで、検索で一番上に出てくる上位勢とは月とすっぽんだった。それくらい画力に差があった。子どもの頃に観ていた夜ドラマで喩えると、彼らがお空に浮かぶお月様だとしたら、自分味噌汁出汁に使われる煮干し様だった。彼ら彼女らを引き立てるための数多のヘタクソの1人。それが当時の自分だった。

今の自分は、漫画的な儲けであれば、彼ら上位勢のほとんど全員に勝っているだろう。もしかすると、pixiv出身の若手作家という括りでは自分歴代一位かもしれない。いや、多分そうだ。

しかしbut。あいつらの画力には到底及ばない。あれは常人が至れる領域じゃない。努力できる天才けがあそこまでいける。

当時は、気が狂ったようにイラストを描いた。専門学校の授業が終わると、真っ先に家に帰ってイラストを描いた。アルバイトは当初週4でシフトに入っていたけど、週2に減らした。

ここでいったん筆を止めて、pixivマイアカウントを眺めてみる。過去に描いた作品時系列に巡ってみたのだ。すると、端的なある特徴が出てきた。割とすぐに一般からエロ主体に移行しているのだ。もっと遅いと思っていた。

今の自分は、一応プロだ。エロ絵で生きている。絵の初心者だった当時は、そんな未来は全く想定していなかった。自分が描いていて楽しいものを作っていただけだ。自分はおそらく、エロに興味がある人間だったのだろう。

とにかく、たくさん投稿していた。週に2~3つ上げていたこともある。今だと月に1枚が限度だ。暇な時間がなくなってしまって、好きなキャラ絵を描く時間も体力も気力もない。専門学校卒業する頃には、200本以上のイラスト漫画をアップしていた。子ども向け~若者向けのアニメが多い。アイカツ!とか、プリパラとか、ポケモンとか、ラノベ作品とかそんな感じだ。

すっかり絵描きになっていた。マックアルバイトで貯めたお金ペンタブを買ったりした。今でも使っているお気に入りのやつだ。

絵を好きになれたのはよかったが、専門学校卒業しても就職しなかった。シナリオ勉強は存分にさせてもらったけど、別に脚本家になりたいわけでもなし、ゲーム制作の実績があるわけでもなし、就職活動コネ作りなど当然しているはずもなく。文章を書くのは好きだったが、小説書きには興味がない。そんなことより絵が描きたかった。

いや、違う。専門学校に居た時、違う学科同士でグループを作ってゲーム制作したことがある。途中で抜けることになったが。コテコテRPGだった。

ツクール制作を進めていて、魔法名前を考えている時、自分が水属性魔法として「シーコール」を提案したのだ。それで、3人居た仲間の1人が噴き出した。また別の子が、「海をイメージしてるんだね。きれいな名前だね」と言ってくれた。それで、「発展形はどういう名前になるの?」と聞いてきた。

「ゼンイン・シーコールというのはどう?」と自分がいうと、さっき噴き出した奴が机に突っ伏していた。「それは、どういう描写イメージしてるん?」とさっきの女の子が聞いてきた。

「みんなで力を放出して集めたやつを、その聖なるやつをさ、敵に流し込んでやるんだ。思い浮かべてみて」と言ったところで、また別の人が「お前はふざけているのか。帰ってくれ!!」と憤った。

以後は、それなりのペースで開発は進んだ。順調だったように思う。上の女の子が、みんなをうまくリードしてくれた。自分にキレた人も、開発の途中から冗談を言うようになっていた。

増田君、いいシナリオが思い浮かばない? じゃあ、この主人公がトツゼン・シーコールをするのはどう?」

冗談を言ってくれるようになった。

懐かしい記憶だ。ちなみに、シーコールきれいな名前だと言ってくれた子は、卒業後にガンホー入社した。当専門学校では一番の出世株だ。同窓会ではスマホゲームを開発してると言っていた。参考までに、マジメに考えた技や魔法も一応提出した。

グランドアクセラレーション攻撃ではなくて地属性のバフ)

イモータルブル-(水属性のバフ的なやつだったと思う)

・赤薔薇の檻(どくどくみたいな感じ。味方にかけると回復

・無窮動(ペルペトゥーム・モビーレと読む。それ以外は亡失)

規律ある発狂状態(ディシプリナ・インサイアと読む。それ以外は亡失)

・全領域侵食(この名前以外は記憶にない)

夜明けの羽ばたき(〃。たぶんミネルヴァの梟から取ったのだろう)

こうして自分は、絵を描いていたいがあまりフリーターとしての道を選んだ。父や母から馬鹿にされ、軽んじられた。当然、妹からも。

当時の妹は、実家台所自分存在を認める度に、ごみを眺めるような感じで素通りした。なんというか、存在認識していないのだ。あいつも高校を出てすぐに入った会社で嫌なことがあって、1年ちょっとで辞めてしまって辛かったのかもしれないが、とにかく目線が冷たかった。

自分フリーター身分なので、家族内で大したことは言えなかった。母にはよく「役立たず」「プーの分際で」「一生トイレ掃除でもしてなさい」など冷たい言葉を吐かれた。

フリーターだった頃の自分は、何を思っていたのだろう。「見返してやる。世の中で絶対成功してやる」などと思っていたのだろうか……いや、そんなことは思っていない。自分がやりたいように、やりたいことをして生きていきたい。そう思っていた。それだけだった。



マックで週2~3回のアルバイトをして、家に帰ったら小学校に上がる時に買ってもらった児童机に座り、ペンタブを握って作業に没頭した。傍らの床には、スケッチ帳を破って放り投げた下書きが何十枚も落っこちている。そんな毎日だった。

できた、できた、できた!! 作品を完成させた時のあの感覚自分がまるで神にでもなったかのような、いま過去最高を更新し続けている、今この瞬間の自分過去のどの自分よりも優れている――という、あの頃の高揚感にはもう戻れない。あの日々、俺は俺で満たされていた。我を忘れるほど。自分が決めて進んでいた道のなかで。

成長しすぎてしまった。10ヵ月以上かけて長編作品を完成させたとしても、喜びはあまりない。それよりも、ホッとした、安心したという感情の方が強くて。ある時期を境に、自分は作者として堕ちているのか、このままで大丈夫なのかという疑問が湧いてきた。一方で、FANZADLsiteで多くの人達が楽しんでくれているのを観ると、やはり絵描きをしていてよかったと感じる。

DLsite長編作品投稿しようと思ったのは、ある夏の日のことだ。アルバイトが終わり、家に帰って夕食を食べていた。すると、台所の四角い卓の斜めに座っていた妹が、「ん」と親指を床に向かって指した。そこには、おそらく何日か前のご飯の残りカスみたいなものが落ちていた。妹は、ウザそうな顔で「拾え」というジェスチャーを繰り返した。

しぶしぶ右手を屈めて拾ったのだけど、それから時間か経って、自分が相当馬鹿にされていることに気が付いた。あれはそもそも自分が落とした残りカスだったのだろうか? 違うんじゃないのか。とにかく馬鹿にされていたのは間違いない。怒りが込み上げてきた。許せないという気持ちが何日も続いた。

ある日、ようやく思い立った。自分の思いに決着をつける方法を。解決になるかはわからなかったが、とにかくやってみようと思った。

R18作品を扱っている販売サイトを見て廻った。それで、処女作DLsiteに捧げようと思った。これまで同人作品同人ゲームを購入したことがあるというシンプル理由だ。「此処で作品を売ろう」と思ったら判断は早かった。すぐにpixivマイページを開いて、これまでに投稿した約250作品ひとつひとつクリックしていった。読者の反応を観るためだ。

長編作品と向き合うにあたっては、自分の強みでとにかく突き抜けようと思った。専門学生の頃に、ヒルティという人の『眠られぬ夜のために』を読んだことがある。あまりに感動してしまって、つい何篇かの言葉メモ帳に書きつけていた。

突き抜けよ。この短い言葉は、内的生活の多くの危機に、ほとんど魔術的な効果もつものである

195ページ

あなた義務を行いなさい、できるならば楽しい気分で。できなければ、そうした気分なしでもよい。この方が一層ほむべきことであり、一層大きな実りがある。

211ページ

まこと人生の楽しみを得ようと思うならば、なによりもまず、その楽しみがいったい何にあるかをはっきりさせ、それを妨げるすべてのものを、断然さけなければならない。

237ページ



今でも好きな本のひとつだ。

とにかく、突き抜けてみようと思った。頭に閃いた何かを形にするために、これまで作品お気に入り登録してくれた人達意見を集め、この試練に立ち向かうのだ!

スケッチ帳への下書き(追記 専門用語でいうネームから始めて、セリフを付けて、大まかに色を塗って(追記 色鉛筆でザザッと塗るだけ。難しい場合は✓で表す。自分場合は一度紙で表現しないとデジタル作業に移ることが難しい)、効果音のイメージを書いて……いや、大事なことを忘れていた。基礎設定はできていたのだが、キャラクター同士の人間関係をまるで作っていなかった。これでは駄目だ。というわけで、もう一度スケッチ帳への下書きからやり直した。「うん、これでいい。やっぱりやり直してよかった」と、当時の日記に書いてあった。

今でもそう思う。キャラクター間の繋がりが何よりも大事だ。特にR18コンテンツにおいては。「男性カタログシチュエーション萌え女性物語関係性に萌える」のだから

粉骨砕身の末、三ヶ月以上かけて初めての長編作品ができた。50ページ近くはある。誰に対しても胸を張ることができる妹凌辱ものだった。

精一杯、想いを込めて突き抜けた作品だった。2022年6月現在インターネット掲示板での自分は、近親相姦ジャンル大家として知られている。恋人たちの予感がするほど、そんなラブラブ作品は作らない。ガチ凌辱とかではなくて、『ライト強姦』とか『ソフト凌辱』とか言われるコンテンツになる。



自分場合は七千字ちょっと文字数制限のようです。

以下に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20220701210745

2022-06-30

美容皮膚科でシミそばかす取ってきた

子供の頃はずっと外遊び、中学高校では屋外で毎日部活してきたせいか社会人になってシミそばかすが急に目立ってきた。とはいえまり気にしてなかったが、仲の良い友達似顔絵描いてもらったらそばかすを描かれて、急にコンプレックスを感じるようになった。(結果やって良かったのでいいキッカケだった)

皮膚科自由診療で、光治療スーパーフォトフェイシャルをしてもらった。1回1万5-6千円くらい。

「耐えられない痛みじゃないですよ」と言われたが私は反応するメラニンが多すぎたのか、激痛。パチンと光る度に勝手に涙がでてきた。しかもそれを全顔2周。

ダウンタイムなく直後にメイクして帰れるという施術のはずだが炎症が激しすぎてメイクはおろかマスクすらもつけられなかった。赤みは2-3時間で引いて、そしたらシミそばかすが黒く反応してきた。焦げたような。その日の夜に勝手に顔からぽろっと皮が剥けた。シミが1個とれた。感動した。

1週間も経てばかなり反応した黒い皮が取れ新しい肌が出てきた。濃くて目立つシミは1回では取れないが、薄ーいそばかすほとんどわからなくなったし、元々5回コースとかで根気強く行う治療だったので1回でコレだけ効果があるとは、驚いた。毎日ツルツルになった肌を眺めている。

金かけて治るコンプレックスがあるなら、早めにトライしてみるべきと学んだ。

吹奏楽部系しっかり者自認長女と相性が合わない

クラスに一人はいたじゃん、吹奏楽部(か合唱部オーケストラ部かまあなんかみんなでやる系の音楽部活)で長女ではきはきもの喋って行事にも真面目にも取り組む女の子

自分がしっかり者だって自覚あるからクラスもめごとの大半に首突っ込んでくる感じの

責任感が強いあまり感情が先走って怒ったり笑ったり泣いたり人一倍忙しい感じの

教師大人から評価はもちろんたいていのクラスメイトとも上手くやってる感じの

そりゃまあ一部の女にうざがられてたりはするんだろうけど全体でみればそこそこ人望がある感じの

そういう女がさあ、そのまま社会に出るとマジで手に負えないんだわ

「私がいないと会社は回らない」くらいの勘違い新人の頃から平気でしてるし自分空気読めてないことも気付けてない

もちろん他よりはるか気遣いできるタイプなのは間違いないんだけど、とにかく高すぎる意識に本人の能力と周囲の期待がかみ合ってなくて社内の士気が本人以外落ちまくる

こういうタイプには何て言えばいいのか教えてほしい

え、マツケンサンバIIめっちゃ泣けるんだが

昨日水曜日のダウンタウンでやっていた「マツケンサンバを踊りながら泣くことなど出来ない説」。

俺、マツケンサンバIIに思い入れがあって、泣けるんだよ!

マツケンサンバIIが流行ってCDリリースされた2004年当時、俺は就職活動中の大学生で、将来に不安を抱きながら日々を過ごしていた。そんなときラジオで、テレビで、カラオケで、マツケンサンバIIを聴くたび、その時間だけでも不安気持ちが和らいだんだ。

社会人になって20年近く経つけど、マツケンサンバIIを聴く大学生活とか部活とかの思い出がよみがえって泣けてきちゃうよ。

あと地味に伴奏もかっこいいんだよな! よく聴いてみてほしい。腰元ダンサーとか照明とか紙吹雪とか舞台演出も含めて、みんなでがんばって幸せ空間を作ろうとしていて、実際、曲の間は幸せ時間に包まれていて、個人的思い入れもあるけど、この要素でも泣けちゃうなぁ。

久しぶりにいい音響ちゃんと聴こうかな。

2022-06-28

人権を盾に舞妓を潰すのは辞めてほしい

いい加減にしてほしい

ほとんどの置屋では今時、性接待飲酒はないし、水揚げなんて死語

親に売られるわけでもなく、むしろ親の反対を説得して地方から舞妓を目指す芯の強い女の子たち。

 

タダ働きというのも言いがかりに近い。

女の子稽古代、着付け代、髪結い衣装居住食をすべて置屋負担している、 

お金をかけても一人前になる前に辞めてしまう子も多い。

それでも女将さんは実の娘のようにあたたかく育てる。

学費寮費無料の全寮制学校のようなもの

その上労働者として給与なんて払ったら置屋お茶屋はすべて潰れる。

給与を払うなら稽古代も衣装代も自前になる。するとお金持ちのお嬢様しか舞妓になれなくなる。 

23時過ぎたら座敷にいることはないし、朝は8時まで寝れる。昼間は自由時間もあるし、定期的に休みもある。例えば高校で厳しい部活やってるような子は朝練などでもっと辛いのでは?

舞妓無償労働なら、例えば教育実習生とか介護実習生無償労働だよね?って話。

接客人間関係を学び、芸を磨くための大切な修行。艶やかな美しさと優雅所作で客をもてなすのも立派な伝統芸能


舞妓芸妓を目指す女の子たちの夢を奪い、伝統芸能を潰すのは辞めてほしい。

美容こだわってる娘いる親〜!!

特に近所に姑が住んでたり、妄想激しいとか噂好きとか面倒臭いタイプママ友と関わりある人、

気をつけた方がいいぞ〜!!

私の所はキチ姑にネグレクト虐待家庭内いじめ疑われたぞ〜!!

うちの娘は高校生だけど美容こだわってて、PFCバランス?を計算した食事を摂って毎日2リットルの水を飲んで肌や髪のケア勉強して、筋トレストレッチ有酸素運動を欠かさずしてスマホ触るのを止める時間まで決めて就寝するような、大人でもなかなか続けられない大変な努力毎日続けてる。

でも娘が理想としている食生活毎日疲れて帰ってくる夫や部活毎日お腹空かせてる息子には絶対に合わない。第一みんなと違う食事を別で毎日用意するのは私の負担が大きすぎる。だから

あんたがやりたい食生活にみんなが合わせるのは無理だから、みんなと同じ献立が食べたくないならお金はある程度なら渡してもいいし冷蔵庫の中身は勝手に使っていいか自分で用意しなさい」と伝えて自由にさせてた。

それを買い物帰りの娘に会った姑が知って、

娘が自分一人分の夕食を作るために買い物をしていた→娘だけが自分で夕食を調達しないといけない→つまり家で娘の分だけ食事が用意されていない→虐待を受けているのでは?と勝手妄想を広げてうちに乗り込んで来て怒鳴り散らかされる事態が発生した。

プラスその日たまたま食後のデザートケーキを買っていて、 4人家族なのに3つしか用意されていない所も見咎められてさら陰湿いじめだとガチギレ、何を言っても手がつけられなくて地獄だった。

これも娘の希望で、ケーキを買うけどみんな何がいいか事前に確認したところ太るから自分は食べたくないと言われたため娘の分は買わなかっただけ。

娘がその場で誤解だと何回も主張してくれて、後に帰宅した夫も直ぐ電話を入れてとりなしてくれたから収まった(向こうが未だに疑っていないかどうかまでは知らないし流石に疲れるから確認する気も無い)ものの、まさかこんな下らない思い込みで姑に怒鳴り込まれるなんて思っていなかったから吐き出し。姑の頭がもっとおかしかったら警察通報されたりしていた可能性もあるのかと思うとゾッとする。

2022-06-20

anond:20220620125700

ワイは大学生ときシンクゴミ受けカゴにけっこうな量の生ゴミ放置したまま部活夏合宿に出かけてしまった。

4日経って帰ってきたらなんか室内にやたらハエが飛んでるなと不思議に思ったんよ。

あっ!と思ってゴミ受けカゴ覗いてみると、生ゴミが分量そのまま蛆虫のかたまりになってた。

カゴいっぱいの蛆虫がうねうね動いていて、まじであのとき脳みそ切れて発狂するかと思った。

 

その後はなるべく見ないように触らないようにポリ袋に移し、近所のコンビニゴミ箱に叩き込んだわ。

セブイレ店員には悪いことしたが、ワイは生き残った。

ジャンポケの斉藤慎二さんの記事が絶賛なの、俺は納得いかない

https://news.yahoo.co.jp/articles/18aac0fcb692573b3f7c70a8b1f354f578deddd6

この記事、とそのブクマね。納得いかない。

いじめた人は一瞬で忘れるが僕は一生恨んでいる、それはそう。じゃあ自分が一瞬で忘れて一生恨まれてる可能性に関しては考えないの?そこに言及のない人を俺は信用できない。

ブコメじゃあドッキリ番組で好感度上がったとか言ってる人もいてさ。ゲーってなる。ぴゅあぴゅあはーとかよ。本気でクロちゃんのこと憎悪してそう。

だいたい、いじめ問題だと思ってるならそもそもドッキリみたいなイジメ番組許すんじゃないよ。

俺もさ小学校までいじめられっ子だったのよ。早生まれでヒョロガリでさ。今思うと死んでてもおかしくない(自死ではなく)いじめもあって子供ってやべえなって思うんだけど。

中学上がるくらいに背が馬鹿みたいに伸びたのと転校したのでイジメにはあわなくなってまあ楽しくやってたのね。

同じクラスの同じ部活孤立気味の子がいてさ。

表立っていじめに加担していたわけではないと自分では思っていたけど、いじめられてるのはヘラヘラ見てたし、あいつ置いて先行こうぜみたいのも否定しないし、加担してるな。これは加担してる。

の子は結局不登校なっちゃって、きっとその子にとっては俺も一生許さな相手なんだよな。

俺がもっと大人だったらもっとうまいことできたのかなとか、プリント持ってくときに一声かけたけど、それもあの子にとっては恐怖だったのかもしれないとか。未だに引っかかってるんだよ。

自分もっと大人だったら、もっとうまいことできたのかなあとか。あ、なんか少し涙でてきた。俺が泣くような話じゃねえのにな。失礼だよな。

でもはっきり覚えてるだけでもコレだかんね。一瞬で忘れて、一生恨まれてることが他にもたぶんあるんだろうと思う。

人はどっかの時点で被害者でも、他のどっかの時点で加害者だったり、あるいは同時進行で他の人を虐げているかもしれないし、いじめっ子は家で虐げられてたのかもしれないし、とはいえ一生許せないっていう感情否定できないし。

そういう葛藤、ねえのかなと。

自身はそんなにテレビみないからジャンポケの斎藤さんという人の人となりは知らなくて、記事で読んだことが全てなんだけど。

野球部から吉本だろ?偏見なのは承知だけどさ。その環境いじめ的なもの被害者加害者にならないことってある?

まあ表に出てないだけで葛藤はあるのかもしれんけどさ。せっかく勇気をだして壮絶な体験を語り続けてインタビューも受けてるのに、そっちがわの話が出てこないのは片手落ちというか、不誠実に俺はは見える。

からすごい聖人あつかいなの、俺はなんかヤだな。

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