はてなキーワード: 轟沈とは
終末のイゼッタは視聴後の余韻が心地よく毎回楽しんで見ているので、中間報告ってことでメモを残しとく。
今期のアニメを見ている本数は数本なんだけど、このアニメは続きを一週間じっくり待ちながらリアルタイムで見て良かったと思う。はじめは「原作なし」と知らなかったので、「どうせ原作読者は結末知ってんだろ」と思いながら冷めた気持ちで(姫様目当てに)見てたんだけど、オリジナルと知って俄然結末を待つ楽しみも増えてる。
で、このアニメの魅力は綺麗な暴力性とカワイイセクシャリティとの2点に尽きると思う。
綺麗な暴力性のところは、言うまでもなく戦争と兵器。ネットを見ると比較的ミリオタ諸兄には好評の描写が多いんだけど、私はそのへん知識も見識も無いんで評価できん。ただ、実在らしい兵器を使って戦争っぽいことしているのを見るのはスキ。このアニメを思わず見入ってしまうのは、リアリティは差し置いて戦闘するイゼッタの立ち回りがとっても綺麗に纏まってるからなんだよね。剣で戦闘機を貫き、槍で戦車を射止め、対物ライフルに乗ってそれを発射する。そうかと思えば、剣で戦車の砲弾を弾き返し、戦車を横転させる。ついには、空母のエレベータに魚雷を打ち込み轟沈させる。次々と手を変え品を買え、視聴者に息をつかせぬ映像を見せてくれたと思うけど、バトル物に目の肥えた諸兄からはどのように見ているのだろうか。
ついでに言っておくと、兵器の部分は表層的な暴力性と映像の快感だけじゃなく、アイデアとしてもきちんと練られているんじゃないか。魔法というフィクションを利用して物語を進めながら第二次世界大戦とか現代の兵器やらからアイデアを入れてまとめ上げているのは見ていて本当にテンションが上がる。空を飛びながら戦車を一方的に攻撃するのはイラク戦争での航空機からの映像を彷彿とさせるし、魚雷を連れて地面スレスレを飛ぶのは湾岸戦争でみたトマホークじゃないかと思って思わず関心してしまった。
「性的」の部分はフィーネもとい早見沙織大公とイゼッタの百合絡みだよね。百合は物語の本筋としては関係ないし、それを作中で意識されることもないが、視聴者としてはこれは最高と感じてる。当然のようにレズっ気を発露する女王様とイゼッタ達は見ていて落ち着くんよ。フィーネとイゼッタのどちらかが男だったら、ゴチうさのような安心感を戦争アニメで見ることはできないよね。つくづく思うのは、アニメキャラってのはカワイイだけじゃやっていけない時代になったんだなあ、声優のように積極的に百合営業していかないとアッピールできんのかいなあ、としみじみ思う。
まとめると、「パワフルさ」と「ちょっぴりエッチ(百合)さ」、男の子がスキな要素を大盛りで盛り込んだアニメが終末のイゼッタなんだろうと思う。つぎはどんな魔法(兵器)でワクワクさせてくれるのだろうか、そして物語の結末はどうなるのだろうか。そんなふうに期待しながら次回を待ちわびている。
個人的にはオタク向けのアニメとして、よく纏まった作品、あるいは佳作レベルとして十分魅力的になる可能性を秘めていると思う。あとはストーリーのまとめ方次第だと思う。今後の展開にワクワクしてる。
暴力としての戦争という快感、かわいい美少女、そして「これトマホークじゃん!」と突っ込む楽しみを提供してくれたこのアニメに期待している。
ネタバレ注意。
・突っ込みどころ多いけど全体的には良かった。とても良かった
とても面白いアニメだったと思う。自分の中では今期の中でもかなり上位に入る。
ただ、話の展開の仕方や突っ込みどころ多い設定など、非常にもったいない点が多かった。
中盤以降での艦長、しろちゃんの成長っぷりは見てて感動だったし、戦闘シーンも迫力あって良かった。
終わり方もなあなあに終わらせるのでなく、武蔵を助けてハッピーエンドで終わったのは非常に良い。
登場人物が一人ひとりかわいい。艦橋メンバー以外はそんなに描写されないかと思ったら、所々でちゃんとスポット当たっているのは良かった。麻侖ちゃんと美波さんが特に可愛い。万里小路さんは出てくるだけで面白い。
そして、回を重ねるに連れて艦長やしろちゃんが成長していくのが見えて良かった。5話6話の意見無視単独突撃から、7話で艦橋からしろちゃんを見守る立場になってようやく艦長が艦長らしくなったのは良かった。そこから比叡、シュペーとの連戦に繋がるし、艦長として成長してるのが見えたのは本当によかった。9話でスキッパーに乗る時にしろちゃんに帽子預けるシーンとか、まさにこれが見たかったんだよって感じ。
しろちゃんも艦長の良き相棒って感じで良かった。しろちゃん優秀だけどリーダーになると判断遅くて脆い、ってところがまた良いと思う(海難救助時にあたふたしていたり、シュペー戦で艦を任されたら判断遅くて被弾したり)。暴走しがちだけど即断できる艦長と相性いいじゃん。完璧だ
個人的にくろちゃんは離反するんじゃないかと途中思っていた。艦長の単独突撃にものすごい批判的だったり、「宗谷さんが艦長だったらよかったのに」とか言うし。結局は宗谷さんLOVEなだけだったけどね
1話2話で猿島やシュペーがなぜ攻撃してきたのか、その説明が遅い。ネズミの登場は4話だったけど、もっと早くにそれを匂わせた方が良かったと感じた。3話でミーちゃんが「シュペーの皆が命令を聞かなくなった」とは言ってたけど、船員全員が何者かに操られているとはこの時点では気付かないと思う。あと潜水艦は結局良くわからなかった
3話までの感想は「日常パートと戦闘パートがごっちゃになっていて話が進んでいない」だった。結局その後もシリアスシーンと日常シーンごちゃまぜにして緊張感あるのかないのか分からないように描写していたし、戦闘シーンとかに呑気なBGM流してたけど、脚本や監督はこのアニメで何を伝えたいんだ。どこをオススメしたいんだ。これじゃ分かりづらいよ
4話以降からネズミ云々の話が進むけど、ネズミの話ももう少しなんとかならなかったのかと。はいふりがバトル寄りのアニメだったらネズミを作ったような悪役がいてもおかしくないよなーと思う。実験艦が事故って海底に沈み、火山活動で浮き上がってきたら謎の生物兵器ネズミが誕生、というのはちょっと無理やりすぎるかと。
その反動か、中盤以降は展開がとても良かった。海難救助、比叡とシュペーとの連戦は熱い展開だった。艦長も立派に成長したし、万里小路さんとマッチが完全にネタキャラと化していて面白かった。突入はもう二人と美波さんだけでいいじゃん。竹の水鉄砲は何だったんだ。最終話かわいかったけどさぁ
艦長の成長物語なのでその辺目をつぶるべきなんだろうけど、1話から3話で晴風乗員を守るために戦ったのに5話でスキッパー単独突撃はどういうことなの。しろちゃんの言う通り晴風乗員よりもかちゃんが大事ってなる描写がちょっと弱い(もかちゃん優先になる理由を納得できるエピソードがない)。
そして、スキッパー単独突撃をちゃんと反省していないことがもっと良くない。6話の機雷でも艦長が副長の意見無視するし、そりゃあ気まずくなるよ。乗員の意見聞かず自分の判断で単独行動しまくりなんだもの
あと11話で艦長が戦闘不能になった描写も気になった。8話9話あたりでは何故平然としてたんだろう。もっと早くに気付くべきでしょう。比叡だってシュペーだって一撃当たれば轟沈するのに。武蔵とは危険性そんなに変わらないだろうに。
ただ、11話で艦長が戦闘不能になるのは9話10話から伏線引っ張ってるので、突然戦闘不能にならないだけ良いとは思う。9話で晴風はボロボロになり、10話で皆と仲良くなって信頼関係築けて、そうしたら失うのも怖くなるよね。それ以前に皆を何度も危険に晒しているのはもう突っ込まないぞ
ネズミの扱いが最初から最後まで雑。最終話でも拾われなかった。もう少しなんとかならんかったのかな。設定自体は結構練られてたと思うんだけどなぁ
はいふりが第二のガルパンになりそこなった、みたいな意見をちらほら聞くけど目指すところが違うからなりそこなうも何もないと思う。比較対象として間違ってる。スタッフが一部同じとか似たようなミリタリーものってだけで比べてる人が多い印象。
ガルパンは「スポ根もの+ミリタリー」だし、戦車道はスポーツだから人は死なないし血も流れない。
はいふりは「成長ドラマ+ミリタリー」だし、砲撃されたら死んでもおかしくない設定だ(シュペー戦MVPはエアバッグ)。
ガルパンは最初から「戦車道の大会で優勝する」ことが目的として掲げられている。
はいふりは最初から明確な目的はない。攻撃されたから戦うし、近くで暴走している船が見つかったから戦闘不能にさせようと頑張るし、もかちゃんが助けを求めているのが分かったから武蔵相手に無茶する。
あと、はいふりは成長ドラマだ。正直、西住殿は最初から完璧すぎる指揮官だ。成長の要素がほとんどないレベル100の存在なんだよ。成長してレベル上がっていく艦長と比べるのは酷だよ
ということで再度結論。
・突っ込みどころ多いけど全体的には良かった。とても良かった
あれこれ突っ込みどころに触れたけど、もっと面白くなる余地があったのにもったいないなと思って書いた。
でも、最終回までの持って行き方と最後の展開は本当に良かった。しいて言うなら最終回でもっとミーちゃん出してほしかった。あんなに一緒にいた家族なのに……。
あと、最後に晴風が沈んで終わるのは良かった。乗員だけじゃなくて、晴風も一緒に戦っていたんだな、と
。本当にお疲れさま。
本当に良いアニメだった。OP、EDも良かったけど本編だって良かったよ。
追記:二期があるなら嬉しいし見たいと思うけれど、終わり方的に続かなさそうなのは少し残念。
でも、とても良い終わり方だったから、無理に続編作ってほしくはないなぁ……
追記その二:竹鉄砲について。海水がウイルスに効くのは覚えてました。「マッチは性能良さそうな水鉄砲使ってるのに、竹鉄砲でいいの?」という事を言いたかった。言葉が足りなかった
・「艦これは設定があやふやだから二次創作が豊作」→設定固めにかかったアニメシンデレラガールズ放映後、しぶりんに関する二次創作が爆発的に増えた 逆にア艦これ放映後は如月=轟沈しか見なくなった
・「艦これは無課金でも遊べるのがいい 他のソシャゲは数ヶ月経てば産廃になる」→どっかの記事で廃課金自慢してましたよね?他ソシャゲが数ヶ月で産廃ってあまりにもソシャゲやらなさすぎでしょ。うちの覚醒バステトは今でも現役ですが。ストライクウィッチーズ軌跡の輪舞曲では初期に引いた攻撃S+が今でも切り札ですが。それに最近のソシャゲは課金しなくても楽しめるし、課金に対してある程度の救済がある。それに比べ艦これはなんの救済もない。
・「艦これは一人でのんびりやれるのがいい」→マスクデータ多すぎ、札やルート固定で一手間違えれば詰みかねないイベント、など他ユーザーとの繋がりが半ば必須。運営自身もほかユーザーと情報を共有していただくためにこの仕様にしたとの発言あり。
最近のラノベでも最近のアニメでも最近の漫画でもいいですが、この手の批判(?)をネット上ではよく目にします。
「最近のラノベはいじめられっ子の中高生が自己投影して楽しめるように初めから一切努力せず異世界とか行って無双するものしかない」みたいなのね。
1.フィクションに自己投影して楽しむのが悪いかのように言っている
全く悪くありません。フィクションの楽しみ方は人それぞれです。
全くいないとは言いませんし聞いたわけじゃないので完全に想像なんですが。理由は3に絡めて語ります。
3.フィクションに自己投影するのが「楽」で「弱い」楽しみ方だと思われている
これは1の「悪いとされる理由」にも関わるでしょう。
別に楽で弱くても全然悪くはないし、悪いと見做す態度こそ悪しきマッチョ主義だと思うのですが、そもそも「楽」というのに大きな誤りがあります。フィクションに自己投影して楽しむというのはなかなかできることではありません。
物語を描く上で「共感を得られるキャラクター作り」は極めて重要だと言われます。
たとえ現実離れしたキャラクターであっても、何かしら弱点を設定するとか、普通の人間にも通じる悩みを抱えているとか。
これは現実でもそうですが、人は他者を見るとき、相手が自分と重なる部分があると思うからこそ、「自分だったら」という感情が働き、相手の内面を想像しようとするのだと思います。
そういった意味では誰もが現実非現実を問わず他者に「自己投影」しているのでしょうが、一般に言われる「自己投影」は相手を自分の分身と捉えることだと思います。
しかし、そんなことがそう簡単にできるでしょうか。
「ラノベ主人公はオタク中高生が自己投影できるように無個性な『普通の高校生』に設定されている」とか、その逆に「自己投影して楽しめるように最初から最強で一度も負けない主人公しか受けない」とか言われます。
前者に関しては、「共感」しやすいように平凡な造形にしている面はあると思います。しかし、読者/視聴者が同一視できるほど彼らは無個性でしょうか。
後者のキリトや司波達也はもちろん、前者に分類されそうなキョンも折木奉太郎も阿良々木暦も高坂京介も、自分が見た限りはっきりと人間性を描写されています。
人間としてのディティールが細かくなればなるほど、当然に読者と「違う」部分は増えていくでしょう。彼らは自分なら言わないことを言い、しないことをします。明らかに彼らは自分じゃありません。
また、多くの作品では主人公はもちろんその仲間たち、敵に至ってもそれなりに共感できる部分を描かれています。作品世界で主人公だけが共感できる対象ではないのです。
こうした状態で自己投影ができるなら、それは(皮肉でなく)稀有な才能と言えると思います。
また、自己投影したとして安楽に無双やヒロインたちに愛される快楽が得られるかというと、これもそうとは思えません。
私は自己投影してプレイしたことのあるゲームがあります。艦これやデレマス(音ゲーじゃなく、最初の「モバマス」と呼ばれていた方)などで、あれらの作品ではPCの人間性がほとんど描かれていません。
プレイヤーが彼らを「自分の分身」として操り楽しむためだと思います。
キャラクターの中には提督やプロデューサー(=私)にとりわけ強い好意を向けてくる子がいます。その結果、私は幸せになれたかと言うと、そうでもないです。むしろ愛されることに変な罪悪感があるのです。
「俺なんかのことを愛さないでくれ」「俺はお前の仲間をよその事務所に売却したし、中破した状態で進撃してお前の仲間を轟沈させているんだ。そもそも鼻くそほじってアニメ見ながらプレイしてる」「俺に愛される資格なんかないんだ」
というような。
私がガチ勢で決してキャラクターを犠牲にしないプレイをしていたなら、女の子に愛されてもまだマシだったかも知れませんが。
(個人的に、自己投影して気楽に楽しめるゲームとはPCの人間性が描かれないのに加え、NPCがPCに対して一切人格面での好意を向けず、ゲーム中での成果についても過大に讃えたりしてこない作品だと思います)
つまり、自己投影というのは主人公のキャラを立てざるを得ない多くの小説や漫画、アニメといった作品では難しく、仮にできたとしても批判者が考えているような「楽して無双やハーレムの快楽を享受できる作品消費」ではないのです。
なんというか、「正しい楽しみ方なんてない」と言いましたけど、結局、大抵の人の楽しみ方ってそんなに多様なものではないと思うんですよね。個々の作品への好みはあるでしょうけど、オタク中高生が異世界でチーレムする作品を愛好する中高生も、筋肉もりもりマッチョマンな歴戦のオッサンが泥臭く戦う話を好む(自称も含む)オッサンも、多分同じような楽しみ方をしてますよ。前者が後者を楽しむことも、もちろんその逆も普通にあるだろうしね。
人間だから、好みが正反対の人間でも重なる部分があったり、すごく気の合う人間ともわかり合えない部分があったり、自己投影という鑑賞姿勢を批判する人はそういった認識が欠けてるんじゃないでしょうか。
まともに書くと長くなるが、戦闘中の水上艦が沈むのは2パターンある
元増田とかが書いてる爆発して沈むのは轟沈ってやつだが、これは普通は火薬庫に火が入って誘爆することで起きる。何時間もかけて撃つつもりの弾薬が一度に爆発したら、そりゃ無事では済まない。当然、戦艦の場合、一番厳重に守られているのも火薬庫で、よほど当たり所が悪くない限りそんなことは起きない。起きないはずだが実際には結構起きている。
魚雷を搭載している艦だと、そいつらが誘爆することでも轟沈になりがち。砲弾の場合、主砲砲塔はその艦で一番装甲が厚い場所だから、そうそう誘爆なんておきないが、魚雷はむき出しの台にすえて使う物だし、しかも魚雷発射管が2連とか3連とか束になってることもあって、結構起きる。
誘爆を伴わない轟沈もある。端的には核攻撃くらったとか、複数の魚雷が連続して命中したとか、戦艦の主砲に綺麗に艦内主要部を貫通された上に船底に大穴が開いたとかで、大量の浸水で浮力を奪われて沈没する。
普通の軍艦は簡単に沈没しないように、水面下の区画を細かく防水構造で区切って、何区画か浸水しても浮いていられるようにしてある。しかし、複数の区画に短時間で大量に浸水すると、対応が間に合わない。
対応が間に合えば、そうそう軍艦は沈まない。浸水しても、ポンプで排水したり、反対舷に注水して転覆しないようにバランスを取ったり、浸水口を塞いだりできる。
編成で一番前に置いた艦は、もらえる経験値が上がるってやつ。
あと、公式にアナウンスされたことはたぶんないと思うんだけど、旗艦に置いた艦って絶対に轟沈しないでしょ。
母港に旗艦1人しかいないのに、旗艦まで沈んじゃったらゲームの進行上ヤバいからね。
で、こっからが本題だけどさ。生きるか死ぬかの戦場で、ひとつだけ絶対に死なない席があったら、
そりゃー媚を売ってでも欲しくなるのが人情でしょ。
どこの誰とは言わないけどさ、露骨に好意アピールしてる人もいるし。
提督はあの通り、みんなにセクハラしまくってるけど、そういう事情があるから、大半は怒られるだけで済んでるんだよね。
別に補給に限らず、近代化改修でステータスが上がった時も感謝してるでしょ。
単に補給と改修のボイスが同じ設定だった、って事情もあるけどね。
まー、みんなもいろいろ考えてるわけですよ。角度とか。
ところどころに今ドキの青春の痛々しい思い出が散りばめられている作品なのだけれど
その主人公が「確信犯的難聴系男子」とでも言うべき男なのである。
放課後に部室へ集まってただ一緒に過ごすだけという部活「隣人部」に所属している彼は
同じ部活動に入っている女性陣から好意を向けられていることを明確に自覚しつつ
それらをすべて断るわけでもなく進展させるわけでもなく受け流し続け
「え?なんだって?」
との発言。
他にもいろいろと逸話があるのだが、総じてなかなかドイヒーな男である。
こういう小説や漫画に描かれるような自由な学生生活には憧れるもので
仲の良いメンツとそれなりに充実した日々を過ごした。
最後の年には生徒側の統括長として様々な折衝や企画に携わり楽しい毎日だった。
いや・・良いんだけど
特に3年♂が後輩に手を出して破局して、後輩の子のほうが気まずくなって辞めるってパターン多すぎぃ!!
学べよ!!
あと微妙な話は誰か俺にチクって(涙)
その後ずっと「あの二人には何もなかった」みたいな顔して回し続けなくちゃならなくなるんだからね!!
というのもあって自分は
誰かに好きですアピールをするのは極力控えていたのだけど
ずっと気になってた子はいた・・
けれど向こうもこっちも大学入ってからちょっと疎遠になってたし
たまに会うとどんどん綺麗になってるし
酔った勢いで恋話を振っても「えー全然そんなの無いです」の一点張り・・
そのうちこっちに彼女ができて別れて・・
むこうは向こうでサークルがずいぶん楽しそう
このまま昔の友人になってくんだろうなー
「・・気になる人が」
のお答え
まぁそんなこともあるさ、と持ち直すもこっちの熱量は引ききらず・・
くっ・・これが彼氏持ちの余裕か・・
などと思っていたら
その後はあえなく退場
「私ついに彼氏出来ました」
と
はぁん?
俺、動揺
いや当然いままでの付き合いからすれば
「おめでとう!惚気けろよ」
この日は少し疲れていた
そのあとはアレだ
「ずっと好きだったとか」
「なんで今さら言う」
「ようやく諦められたのに」
「氏ね」
いやそこまでは言われてない
けどまぁ
最長で5年も引っ張った挙句
きのうはじめて1日3社回った
どの会社も説明会やって、そのあとは初めの1社は筆記試験、残りの2社はGDだった
1社目は一部工事中のビルで営業中であることをわからず、別のビルに入ってたら企業の方から電話が来てはじめて営業中であることを知り、慌てて入ったが遅刻した
筆記試験は√の問題やたすき掛けが必要な因数分解、角度の問題が出てきて轟沈した
2社目のGDは、発表者でないに関わらず、(発表者でなくても答えていいと言われたが)発表後の会社の人の質問に答え、会社の人を納得させられなかった
2社目の説明会の終了が20分くらい遅れて、使うつもりだった安い鉄道の経路を選択できず、速いが高いルートを選ばざるを得ず、損した
予定時間通りに終わらない会社が多すぎる、これでは残業もなくならないと思った
3社目の説明会の開催前に、会社の人に「この業界を中心に回っているのですか?」と聞かれ、そうですね、と答えた
会社の人が他の学生に同じ質問をしたら、他の学生は業界を絞った理由とか詳細に答えていて負けを感じた
3社目のGDは1グループでしか行わなかったが結論が出ず、選考に不安が残る結果となった
先週(お盆明け)と今週の2週間で19社回った(もちろん説明会だけの会社もある)が1社も選考フェーズが前に進まない
来週は11社回り6枚履歴書を書かないといけないがどれだけ残るか
時は21世紀、かつて大戦で轟沈した艦のサルベージが一部富裕層の間で行われていた。
ある時そのような形でサルベージされた艦艇の内部から、特殊なコアのようなものが見つかる。同時期にサルベージされた複数の艦艇において同様のコアが発掘され、世界各地でコアの研究が盛んになり始める。
コアの効用は生物の強壮作用である。コアを浸した海水をラットなどに飲ませることで、これまでの生物の常識を超えた力や耐久力を持った生物に生まれ変わった事例などが確認された。
研究が進む中、まことしやかに米国では人体実験の情報も覗うことができた。
単なる爆発事故、と当時はされていたのだが、しかし実験体の逃走と、実験体によるコアの簒奪のニュースが遅れて日本にも届く。
暫くの時間の後、アメリカにおける多数の研究施設や軍事施設に謎の襲撃が相次ぐようになる。海洋大国日本はそのようなニュースを傍観していたのだが、米国において通信インフラ施設が破壊され、米国政府との公式な通信が不可能になってしまい、連日続く謎の生物による襲撃事件によって賑わっていた米国マスコミも同時期に沈黙。以降米国との情報のやりとりは完全に途絶え、状況を確かめようと派遣された航空機や複数の軍艦は米国近海において消息を絶った。
また、日本近海においても謎の生物の発見談や、その生物による攻撃事件などが頻発する中、日本の研究機関は『コア』と大戦中の艦艇の部品を触媒として用いることで、生物を強化し特殊な能力を付与し得る培養液の開発に成功する。
後に『高速修復剤』として用いられるところの液剤であった。
日本においては、米国の完全な沈黙の後に発見され『深海棲艦』と呼称されるようになった生物によって起こされる、多数の襲撃事件や、軍事施設への攻撃に対処する為に、液剤に適合する人間のサンプルと、そしてその適合後の人間が使用できる種々の兵器の開発が急がれていた。
たまには回転寿司でも食うかと店に入った。
光物を中心に何皿かつまみ、最後はコーンマヨ軍艦で〆て帰ろうかと、タッチパネルを操り注文した。
俺のような本物の選ばれた大人だけに許された特別な時間。それがコーン・マヨ。
少しすると運ばれてきたことを伝えるブザーが鳴る。
ようし、取るぞ!とレーンに目をやっても、俺はコーンマヨ軍艦の姿を捉えることはできなかった。
あれ?見逃してしまったのか?
もう一周してくるかな?と待ってみたが一向に来る気配は無い。
ブザー。無い。おかしい。
向こうのテーブルの子供が間違って取っちゃったのかな?
正直、大人がムキになるには少々分が悪い。わかってる。何も特別な事はない。すまん。
しかたない。3度目の注文。
自分のところに来る前に、子供が取っていないかちょっと見てみよう。
3つ隣のテーブルの子供だろうか。
……スッ
2つ隣のおばさんだった。
ぐああああああああああああああああああ。
なんでええええええええええええええええ。
店員さあああああああああああああああん。
「お子さんが途中で取っちゃったんですかね…すぐ持ってきます」
違うのおおおおおおおおおおおおおおおお。
隣の隣のおばさんなのおおおおおおおおお。
なんか恥ずかしいよおおおおおおおおおお。
「お待たせいたしましたー」
モグッモグモグーッ
沈 -fin-
先日当落が発表された今夏の夏コミC88において、艦隊これくしょん(略称:艦これ)のサークル数が大方の予想を大きく裏切って前同維持の1846サークルに留まる事態となった。
艦これの同人サークル数は、ゲームのサービスが開始して以来、常に明確な増加の一途にあった。
それが、種々のコンテンツにおける"最大の華"であるアニメ化をもってしてもほとんど増加を維持することができなくなったことに鑑みれば、艦これの同人界隈はついに最盛期を越えて「秋」の時代に突入したと言える。
約2年で成長の限界に達した艦これの同人界隈は今後どうなって行くのか、これまでの傾向を分析しつつ今後について言及してみたい。
尚、本稿は艦これやその他の作品並びにそれらのファンを煽ったり貶したりするものではないことを先に述べておく。
本稿を読み進める方は、あくまで冷静に数字とその結果を見ていただければ幸いである。
序文で「大方の予想を大きく裏切って」と述べた通り、C88の当落発表まで、Twitterや各種掲示板の艦これコミュニティでは「C88では艦これサークル数が2000を超える」ことがほぼ確実視されていた。
読者の方の中にも、漠然とそう思っていた方は多いのではないかと思う。
そのような意見が支配的だった理由を精査してみると、主に以下の2つの要素が根拠として挙げられていることが分かった。
まずは、これまでのコミケにおける艦これ同人サークル数の変遷を見ることにしよう。
・C86(2014年夏):1498 [+362:前同131.9%]
・C87(2014年冬):1840 [+342:前同122.8%]
※註1)C85時点では「301:艦これ」というジャンルコードは存在しないため、有志が計測した実測値となり誤差が含まれる
このように艦これの同人サークル数は毎回約350サークル増という極めて高い増加率を誇っていたことが分かる。
(尚、C84の締め切りは2013年2月であったが、艦これのゲーム本編の提供開始が2013年4月であるため、C84に艦これのサークルは存在しない)
また、2015年は年始からアニメ版艦これの放映が始まり、結果的に賛否は割れたものの大変な盛り上がりを見せていた。
前述したように、ゲームや小説や漫画を原作とする作品において、アニメ化は一般にコンテンツ最大の盛り上がりを見せる場となる。
この傾向は、例えば最近ではアイドルマスター系列作品やラブライブ、進撃の巨人などの作品でも明らかである。
(比較的誰でも簡単に確認することができて、かつこの傾向が顕著に表れる指標としては、pixiv大百科の各作品タグに掲載されている毎日の閲覧数を示したグラフが分かりやすい)
アニメが華と言われる理由はいくつかあるが、本分析のテーマである二次創作や同人に限れば「お金を払ったり特別な装置を用意したりせずとも、TVで見るだけで手軽にその作品の世界に触れることができ、新規のファンが増える」「声や映像によってキャラクターの所作や性格がイメージしやすくなる」という点が大きい。
上述の①及び②のような状況を見て、C88の1846サークル [+6:前同100.1%]という壊滅的な成長率を予想するのはほとんど不可能であろう。
特に②の要素は、他作品の当時の傾向に鑑みれば、本来であれば艦これ同人界隈に大きなプラスの寄与をもたらしたはずである。
C88での艦これサークル大幅躍進を確信する声がほとんどだった一方で、ごく少数ではあるがアニメの出来が良くなかったため、C88ではサークルが艦これから離れるのではないかという意見もあった。
確かに、艦これのアニメに関しては、一部の作画の問題やシナリオの迷走などで賛否が大幅に割れていたことは否定できない。
(賛否の割れた例としては、加賀の弓の構え方、赤城の食べていた大盛りカレーの描写、如月の轟沈、提督が吹雪を採用した理由など、激論が繰り広げられていたのを覚えている方は多いのではないかと思う)
これはニコニコ動画での放送後アンケートの結果からも見て取ることができ、特に3話及び9話以降で顕著である。
しかしながら、アニメが艦これの同人サークル数に負の影響を与えたという考え方には否定的にならざるを得ない。
C88の参加申し込み期限は、郵送が2/4(水)、オンラインが2/12(木)であった。
艦これのアニメ放映開始が、一番早いところで1/7(水)深夜であったため、C88の申し込み締め切りまでに4話あるいは5話まで放送されていたことになる。
アニメの前半期で大きく評価の割れた回は3話の如月轟沈の回のみであり、1~2話及び4話以降はしばらく相対的に評価の高い回が続いたため、サークル数の伸びをここまで抑え込むほどの壊滅的な影響があったとは考えにくい。(則ち、9話以降の影響は申し込み期限の時点では現れない)
もう一つの理由として、堅調なアニメDVD&BDの売り上げが挙げられる。
あれほどまでに賛否が割れたにも関わらず、アニメのBlu-ray Discの売り上げは初巻で2万枚に達するほどの売り上げを見せている。
もちろん、BDの売り上げが艦これの同人界隈の盛衰をそのまま反映する指標であるとは思わない。
また、全巻同時予約かつ予約キャンセルを受け付けない前提で別途特典を付けるなどの一部の販売方法の影響も少なからずあるかもしれない。
しかしながら、それでもなお2万枚という販売数は昨今のアニメBDの中でもかなりの上位に位置しているものであり、それだけアニメに否定的でないファンがいるということであり、言い換えれば艦これファンの絶対数自体がまだ多いということに他ならない。
また、後述するが、同人界隈の動向を調べる上で相関性の高いpixivやニコニコ動画の投稿数等も、アニメ放映中に増加していたことも付け加えておきたい。
以上を考慮すると、アニメがC88のサークル数増加に負の影響を与えたとは言えないと結論付けるべきである。
では、同人界隈と相関性の高いpixiv、ニコニコ動画の投稿数や実際の同人誌即売会のサークル数はどのように変化していたのだろうか。
同人界隈の各種分析を行っているありらいおん氏の所見では、「2周年を迎えた艦これの二次創作は、pixiv・ニコ動とも現在も拡大を続けています。アニメ放送後も、今のところ艦これの二次創作投稿が目に見えて減衰するような様子はありません。(中略)これからの1年も艦これでは活気のある二次創作活動が続くでしょう。」と結論付けていた。
http://ascii.jp/elem/000/001/001/1001334/
しかしながら細かく数字を見ていくと、実際には2月をピークに緩やかに減少を続けていたことが分かり、特に記事の掲載後には一部の指標で前年の極小値を下回る数字が現れていることが分かった。
言い換えれば、兆候はすでに現れていたということに他ならない。
pixivは同人サークルが多く利用している投稿サイトであり、そこでの作品投稿数と即売会でのサークル数の間には強い相関関係が見られる。
【月ごとの週平均投稿数】
・ 9月:3653
・10月:3266
・12月:3997
・ 1月:4089
・ 2月:4516
・ 4月:4001
・ 5月:3790
上記の調査結果から、艦これは昨年10月に極小値を示したあと、アニメ化の影響を受けて急回復し、今年2月にピークを迎え、その後緩やかに減少していることが分かる。
6月現在の投稿規模は昨年9月とほぼ同程度であり、アニメ化によるプラスの影響は全くなくなってしまったと言ってよい。
ここで注目したいのは、C88の申し込み期限であった2月の投稿数が極大値(実際には過去最大値)を示していることである。
C87の申し込み期限は8/21であったが、投稿数が当時の2割増しの状態でなおC88の申し込み数はほとんど増えなかったことになる。
・ 9月:13.15
・12月:13.98
・ 2月:15.61
・ 3月:15.57
・ 4月:13.84
・ 5月:13.02
となり、著しく減少していることが分かる。
特に6月はまだ全体平均が出せないとは言え、11月の極小値を下回る結果が出始めていることは驚きに値する。
pixivの傾向を見れば創作者、閲覧者ともに艦これ離れが進み始めていることが明らかになりつつある。
ニコニコ動画も伸び悩む。
投稿数を見ると、やはり2月の週平均投稿数1200を境に下降の一途をたどり、現在は週平均500未満まで落ち込んでいる。
これは昨年10月~今年1月の平均値とほぼ同じで、やはりアニメ化による効果は消滅したと考えて良い。
閲覧数もアニメ最盛期に週平均約13,500あったことと比較すると、現在の約8800という数字はあまりに寂しい。
これもやはりアニメ化以前の極小値である昨年10月の数字とほぼ同じである。
オールジャンルイベントではない、艦これのみを対象としたいわゆるオンリー即売会が振るわないという話を耳にしたことはあったが、実際にサークル数の増減を検証してみると、
・駆逐してやる!なのです!4:41(-4:前同93%)
・(舞鶴)砲雷撃戦!よーい!16:106(-23:前同86%) ※註2)
・海ゆかば3:133(-74:前同64%)
※註2)「砲雷撃戦」は開催地ごとに規模が全く異なるため、同じ開催地のもので比較
と軒並み前同を割り込む事態となっており、増加したのは
・西海ノ暁5:145(+81:前同179%)
など、わずかであったため、そのような話は強ち間違いではないことが判明した。
参加するサークル数が万遍なく減少しているということは、それだけ艦これの同人サークルが少なくなっていることに他ならず、コミケの参加サークルが頭打ちになっている傾向にも合致する。
無論、艦これはオンリーイベントが比較的多く開催されているためサークルが参加するイベントを選りすぐって見かけ上分散しているという可能性もあるが、昨年と比較して開催されるオンリー即売会の数自体も減少しており、疑問が残る。
コミケと同様に、艦これはその他のオールジャンルイベントでもサークル数が伸び続けていた。
しかしながら、実際に直近のイベントで検証してみると、どうやらすでに頭打ちの兆候は見えていたことが明らかとなった。
・コミックトレジャー:381(-34:前同91%)
直近の同人誌即売会の状況を分析する限りでは、C88での艦これサークル数の頭打ちはむしろ予想されてしかるべきものだった可能性が高い。
上述の各種指標が示す通り、艦これ二次創作の勢力が昨年最も低下した時期と同程度まで落ち込んでいて、尚且つ今もなお減少を続けていることを考慮すると、艦これ同人界隈はすでに成熟期を越えてその先へと足を踏み込んだ地点に達したというべきであろう。
アニメ化を経てその隆盛を維持することが困難であった理由を考察するのは容易ではないが、敢えてその愚を犯して私見を述べるならば、艦これそのものの手軽さゆえに訪れた結末なのではないかと思う。
艦これが多くの人に支持された一番の理由はやはり片手間で遊べる手軽さであると思う。
しかしながら、それ故にシンプルなデザインは大幅な要素の追加を許さず、システムの改良やシナリオの設定・追加などの大幅な改定が行われることはほとんどなかった。
加えて国産艦で追加できる艦は最早ほとんど残されておらず(「信濃」を除けばほとんどが駆逐艦のみ)、海外艦に活路を見出そうと試みているものの、必ずしもユーザーに好意的に受け取られているわけではない。(「ローマ」「リットリオ」などは残念ながらあまり芳しい評価を得られなかった)
イベントや改二、大型建造、キャラクターボイスの追加などで拡大・維持してきた人気を、ついに保てなくなる線まで達してしまったのではないだろうか。
言い換えれば、大変失礼な言い回しであることは承知の上で敢えて使うが、作品としての寿命が近づいているということになる。
再びC88に目を向ければ、半ば公式の同人サークルであるC2機関が落選していることも興味深い。
個別の当落をあれこれと詮索するのは良くないことだが、同規模の「東方Project」で言えば「上海アリス幻樂団」が落選するに等しい事態であり、今後の動向に注目が集まるのは必至である。
以上を踏まえると、今後艦これの同人サークル数が増えるというのはなかなか厳しい想定になると結論せざるを得ない。
これ以降もVita版やアーケード版の発売はあるが、アニメ以上のインパクトファクターになるとは考えにくい。
それというのも、艦これは先述の通りその手軽さがユーザーに受け入れられた大きな要素であり、専用のゲーム機を必要とするVita版、衰退著しいゲームセンターに設置される大型のアーケード版などはむしろその流れに逆行するもので、一時的な話題性はあるにしても、アニメほどの起爆剤には決してなり得ないからである。
各々の創作者に迷惑をかけかねないため詳細は敢えて省くが、すでに一部では「ポスト艦これ」を探る動きも出始めている。
これらは間違いなく即売会のサークル数にも影響してくることだろう。
すでにコミケのサークル数が減り始めている東方Projectの場合は、しかしながら各地のオンリー即売会がなおも堅調で、特に博麗神社例大祭の参加人数が一転して増加に転じるなど一部ではむしろ復調の兆しすらも見られるが、これはひとえに東方ファンが10年以上にわたって積み重ねてきた"基礎体力"とも言うべき根強い人気に下支えされての結果である。
近年のコンテンツ消費サイクルの激しい中、2年もの間同人人気を拡大し続けた艦これではあるが、そのような理由で「単に規模が似ているから」と今後の艦これ同人界隈の行方を東方Projectの現状をもとに比較することは困難である。
アニメ「響け!ユーフォニアム」を通して見る揺れる心
http://seagull.hateblo.jp/entry/2015/05/11/144400
こちらを見てて、滝先生が「生徒に目標を決めさせる場面が誘導尋問的である」という指摘に「そう!そうなんだよ!」と思った吹奏楽経験者です。
自分は中高大とアマチュア吹奏楽続けてた(就職後時間が取れなくて止めた)んだけども、中高はいわゆる弱小で、大学も中高に比べれば雲泥とはいえ、まあそこまで上手くはなかった感じの人間です(全国大会にはほぼ縁のないレベル)。
でまあ滝先生にモヤモヤする点って、それが効果的かつピーキーな手法だからなんですよね。
そもそも吹奏楽(オーケストラもだけど)同時に演奏する人数がやたらに多い。
ロックバンドですら「音楽性の違い」とか様々な理由で解散するのに、50人からの人数(しかもまだお互いの意思疎通・合議能力に乏しい高校生)をまとめ上げるのは大変。
その上、「部活の外の人たち」は「コンクールの結果」でしか部活の価値を判断してくれない。
短期間で「コンクールの結果」を出すためにはああいうやり方が効率的ではあるんですよね。
ただねえ、中高の部活って、「迷ったり・失敗したりする」事も大事な財産だとも思うのですよね。
特に高校生ともなれば、自主的に色々やってみたくもなる年頃で(高校生だと演奏会で身の丈に合わない曲を選んで轟沈なんてことも結構ある)、それを先生がキリキリ誘導しちゃうのが正しいのかっていうところはすごくモヤモヤするわけです。
もちろん、生徒たちの意思をサポートできる知識とか人脈とかはすごく大事なんですけど、結果として路頭に迷ってたからといって、圧倒的な手腕でひとつの方向に導くのが「正解」なのかどうかってのはまあ「答えのない問い」ですよね。だからモヤモヤする(それとは別に滝先生みたいな「デキる人」の表面だけ見習って、生徒を地獄に叩き落す勘違い指導者が少なからずいる、って問題もあるんだけどそれは別問題なのでおいておく)。
実際問題として、「顧問の先生に導かれて結果を叩き出した」生徒たちの少なくない人数は、高校卒業後音楽から離れます。
まあもちろんそれはある意味当然の事(高校の部活は吹奏楽に限らずおおむねそんなものではある)なのだけども、「彼ら彼女らが高校で自分が今後音楽にどう向き合っていくかを考える機会と知識」をきちんと得られた結果なのだろうか、ってのは色んな吹奏楽経験者を見ていて疑問に思うところなのでした。
結局先生にのせられて部活を続けて、「その先を自分がどう歩くか」を考える機会も材料も得られなかったんじゃないのかって。
ま、回答はありません。でもねえ、全国大会に出る吹奏楽部だった人でも、吹奏楽のCD(今はCDに限らんけど)を買ったりする人って少数派だったりとか、吹奏楽のプロの音源ってびっくりするほど多種多様にあるのに、売れているCDはアマチュアのCDばっかりだという現状とか、肝心の全国大会でもトップレベルの学校がいまだに非音楽的な曲カットをしていたりする現状だとか考えてると、「結果」ってなんだろうなーと思うわけで。
そもそも音楽に客観的に定量的に決められるような「結果」なんてないんだから当たり前ではあるんですけどね。
あくまで吹奏楽コンクールは演奏技術のみを競う場ですから(だから音楽的にひどいカットをしても基本減点されない)。
なんかモヤモヤに引きずられて話がそれました。すいません。
で、原作の誠実なところは「このモヤモヤにはすっきりした回答なんぞない」というところをきちんと描こうとしているところだと思います。
同じ音楽を扱った作品でも「BECK」とかだと勝負に普通に勝ってしまうわけですけど(あれは基本的には、プロが「客ウケ=動員数」という基準で勝負してる話だからそれでいい。作者の「本当にいい音楽は誰にでも伝わるはずだ」という暴力的な音楽観はヒシヒシ感じるけど)、この作品は「結果」ってのがそんなに分かりやすいものではない事をきちんと踏まえている。
だから滝先生も全面的に作中で肯定されるわけではない(はず、原作一巻を読む限りでは)し、かつ、群像劇として多種多様な価値観の人々が「設定された目的のために協力はしても考え方を相容れることはあんまりない」という方向で話が進みます。
このモヤモヤについて、見る人が色々考えてくれるといいなあと、私も思う次第です。
他にも作中の曲についてとか原作者が楽曲のスコア見てなくて事実誤認してる部分とか色々言いたいことはあるんだけど、最後にひとつだけ。
「吹部」っていう略称は、大学の「回生」並に関東・東北(多分北海道も)では通用しないから気をつけろ!
ただし、「ブラバン」はブラバンで熱心な吹奏楽部員の神経を逆なでする(brass bandは本義的には金管楽器と打楽器の編成を指すので)から気をつけろ!
ちょっとだけ追記しておくと、
そもそも「コンクール全国大会出場」と「コンクールに出場して思い出作り」の二択しかないのがおかしいって指摘はきちんとしておいた方がいいですね。例えば演奏会に力入れたいからとかマーチングに力点置いてるからとかでコンクールに出ないって選択をしている学校も少数だが存在するし。ここには滝先生の「吹奏楽部はコンクールありきだ」っていう偏狭さがあるともいえるわけです。あえて極端な二択を提示することで、ほかの選択肢を考慮する余地を奪うって言う詐欺師の常套手段です。
極論、そういう様々な選択があってモヤモヤする音楽活動ってやつを、コンクール一生懸命やって技術的に上手くなるっていう否定しづらい名目で塗りつぶしてるともいえる、んだよね。滝先生は。
2015年に入ってから三ヶ月が経過した。それは、今年のアニメの第一陣(1~3月期)が終了を迎えたということを意味する。
一月に始まったアニメの中で放送前の注目度が最も高かった作品は、言うまでもなく『艦隊これくしょん』だろう。2013年のサービス稼働時から今現在まで破竹の勢いで隆盛を極めていることは、オタク世界に足を突っ込んでいる人間にとっては周知の事実である。特に同人ジャンルとしての隆盛がめざましく、その勢いはかつての『東方Project』を彷彿とさせるほどである。今、最もオタク系コンテンツの中で熱量の高い作品と言っても過言ではない『艦隊これくしょん』の待ちに待った「アニメ化」である。世間の注目度が鰻登りするのはもはや必然だと言える。
だが、そのような前評判に反して、実際に放送された内容はお世辞にも上出来とは言えないものだった。いまいち目的が見えないまま展開されていくストーリー、調和の取れていないギャグとシリアスの配分、そして視聴者に衝撃を与えただけで後の展開にはあまり影響を与えなかった如月の轟沈・・・・・・少なくとも従来の「艦これファン」は戸惑いを隠せていなかったように思える。元々の期待値が高かったこともあってか、ネット上の書き込みでは非難囂々である。
一方、これと比較すると面白いのが『アイドルマスターシンデレラガールズ』のアニメである。これは『艦これ』と同じソーシャルゲームとしての出自を持つ作品なのだが、ブラウザゲーの『艦これ』と違って課金要素が強く、ネット上に出回っている数々の逸話も相まって「廃課金ソシャゲ」の代名詞みたいな存在だった。そんな敷居の高さもあったのだろう。アニメの放送時期は『艦これ』と同時期だったのだが、「アニメ化」に対する前評判・話題性は『艦これ』と比べてそこまで高くなかったように思える。事実、当の「デレマス」ファンの間でもそこまで期待値は高くなかった。「無難な内容でやり過ごして、ソシャゲ本体に悪影響を及ぼさなければそれで良い」なんて話をされていたぐらいである。
ところが、フタを開けてみればビックリの良作アニメだった。島村卯月・渋谷凜・本田未央の三人を軸に展開されていくアイドル界でのシンデレラストーリー、絶妙に挿入されるシリアス展開、そしてまさかここまで人気キャラになるとは思われていなかったオリジナルの男性プロデューサーの登場・・・・・・あくまで目算に過ぎないが、従来の「デレマスファン」を十分に満足させただけでなく、アニメからの新規ファンを大勢獲得することにも成功しているように思える。前評判の大人しさからは信じられない大躍進である。
もちろん、『艦これ』のアニメだってBlu-rayディスクの売り上げを見れば11000枚となかなかの数値なので、「商業的に失敗だった」わけではないだろう。ランキングで見ても現時点で冬アニメ(1~3月期)の円盤売り上げは暫定『艦これ』が一位なので、むしろ商業的にはまずまずの結果である。『デレマス』のBlu-rayディスクは現時点でまだ発売していないので比較しようがないし、KADOKAWAを初めとするバックの組織がいったい『艦これ』という人気コンテンツにどれほどの売り上げを期待していたかは全く分からないが、まあ近年のアニメ円盤の売り上げ規模から言えばケチはつけられない数値であることに違いはない。
ただ、こと「既存のファンの満足度」という視点に絞って言わせてもらえば、今回の『艦これ』アニメの内容は散々だったと言わざるを得ない。SNS上の反応を見ると、多くのファンが次週の展開を戦々恐々とした気持ちで見ていたことが窺えるし、事実としてその内容が彼ら彼女らの不安を払拭してくれる展開であったことなどほぼなかった。ていうか、他ならぬ「一番ファンからの評価が高かった回」が、本筋の話をガン無視して挿入された第六駆逐艦たちのカレー回(第六話)だったことがいい証拠である。同じ「ソシャゲ出身のアニメ」でありながら『デレマス』アニメとは雲泥の差である。もちろん単純比較はできないけれど、少なくとも『デレマス』はファンが来週の展開を心待ちにできるクオリティではあった。その週の内容をツイッターで実況して盛り上がることができた。各話の展開を思い出として胸に刻むことはできた。どちらがお互いのファンを満足させたか、延いては「どちらが抱えているファンを大切にするアニメだったか」の優劣はハッキリと出ている。
片や従来のファンすら激怒させる結果に終わり、片や従来のファンどころか新規ファンまで含めて感動させた。いったい何が両者をここまで分けたのか? というか『艦これ』のアニメはどうしてあんなお粗末な内容になってしまったのか? 冬アニメが一段落を迎えた今、改めてそれを考察してみたい。自分でも『艦これ』に対してきつい物言いをしているとは思うが、あのような悲劇的な過ちを二度と繰り返させないためにも、ここでキッチリと批判しておかなくてはならない。人気コンテンツにあやかった粗製濫造アニメは決して許してはならないのだ。
さて、そろそろ「どうして『艦これ』のアニメはあれほどお粗末な内容だったのか」その理由を語っていこう。実はそれこそが『デレマス』のアニメと比較してみると浮き彫りになってくる話なのだ。というのは、背後の組織が持っている「アニメ化」への意識が根本的に違っているからである。
『艦これ』のアニメがあれほどお粗末な出来であったのは、言ってしまえば「人気コンテンツをアニメにしてみた」に過ぎなかったからである。内容なんて二の次で、とにかく「旬なジャンル」を一刻も早くアニメにすることが至上の命題だったのだろう。商品的価値は『艦これ』というブランドが保障してくれるのだから、あとは適当にアニメの中で「吹雪」や「赤城」といった登場キャラをそれっぽく動かしておけば良い。そうすれば最低限『艦これのアニメ』としては成立する・・・・・・おそらく、制作サイドにとって最も重要だったのはこの『艦これのアニメ』として「成立している」ことだったのだ。たとえ「胸を打つストーリー」がなかろうが構成が破綻してようが、「吹雪」や「赤城」という人気の艦娘を動かしておけば『艦これのアニメ』に違いはないので、「艦これジャンルの商品」としては問題なく売り出せるのである。
いわば制作サイドにとって、『アニメ艦これ』は「単なる艦これジャンルのグッズの一つ」に過ぎなかったのである。どれくらいのグッズかと言えば、アニメイトなどで売っているキャラクターが印刷されたクリアファイル、あれと同水準の「一グッズ」だ。その商品的価値は「『艦これ』のアニメ」だというそれだけだ。しかし、たったそれだけあれば「金剛を印刷したクリアファイル」が『艦これのグッズ』として販売されるように、「吹雪や赤城が動いているアニメ」も『艦これのグッズ』として販売できるのである。何ともファンを舐めた話だが、「艦娘がただプリントされたクリアファイル」を『艦これのグッズ』として購入してくれるように、「艦娘がただ動いているアニメ」も『艦これのアニメ』として評価してくれると本気で思っていたのだろう。そうでなければあんなお粗末な内容のアニメを本気で『艦これのアニメ』と言って世に出せるわけがない。
もしかしたら「でも、キャラクターもののアニメなんてそんなもんでしょ?」と反論したい方も中には居るかもしれない。ところが『アニメ版デレマス』を見てみると、明らかに『艦これ』とは「アニメ化」に対する意識が異なっていることが分かるのだ。
『アニメ版デレマス』は、「キャラクターが印刷されたクリアファイル」などの「単なるキャラクターグッズ」は明らかに一線を画している。というのは、『アニメ版デレマス』の場合、「それがアニメとして成功するかどうか」は決して「Blu-rayの売れ行きの話」に留まらないからである。一番分かり易いのは、劇中のアイドルたちのデビューソングだろう。言うまでもない話だが、あれらの楽曲はCDショップで実際に販売されている。ファンのみんなはそれらの楽曲を「あ、アニメのあの話で卯月ちゃんが歌ってた曲だ!」と思って購入するのだ。そして彼女たちの歌声を聞きながらアニメの感動的なシーンを思い出したりするのだろう。
ここで考えて欲しい、もしも肝心のアニメの話そのものがお粗末な出来であったら、ファンのみんなはCDを購入するだろうか? もちろん楽曲として優れていれば購入する人間は居るだろうが、多くのファンは「あの娘たちが血の滲む努力の果てに勝ち取ったあの曲」だからそれを欲しいと思うはずだ。元のアニメの内容がイマイチだったら「あんな雑な作品のCDなんて誰が買うか!」と購入を控えるファンが続出するだろう。『アニメ版デレマス』の成否は「アニメという一キャラグッズの成否」に留まらず、「他のデレマスのグッズの売り上げ」にまで影響を及ぼしかねないのだ。
いわば『アニメ版デレマス』は、『アイドルマスターシンデレラガールズ』という作品に関わる全ての商品の「PV」としての宿命を背負っているのだ。劇中のデビューソングを初めとする関連商品を購入させ、あわよくばソシャゲ本体の方へ誘導して重課金させるという、商業的な使命である。そしてそのためには、ただ「卯月や渋谷凜などの人気キャラクターがただ動いているだけのアニメ」では決して許されない。きっちりと視聴者の心に響くような、彼ら彼女らを魅了してやまない良アニメでなければならないのだ。
「背負っているものの重さが違う」、『艦これ』の第6話で第六駆逐艦隊にそう語っていたのは足柄さんだっただろうか。カレー勝負ではその重さが災いして雷たちに勝利を譲る結果になってしまったが、現実の世界ではやはりその重さこそが「作品のクオリティ」として如実に表れたと言えるだろう。「単なる一グッズとしてのアニメ化」に過ぎなかった『艦これ』と「他のグッズの命運を背負ったPVとしてアニメ化」された『デレマス』の違いである。異論がある提督諸君はどうか自分の胸に聞いてみて欲しい。『艦これのアニメ』を見るのと、それと同じ時間を使ってブラウザゲーム内で艦娘のレベリングに励むのと、どっちが満足感を得られるかを(特に第6話以外でだ)。
さて、この話は以上で終わるが、最後に余談として「どうして『アニメ化』に対してそこまで意識が違ったのか」を個人的に考察しておきたい。
それは、そのまま「背後にある企業の態度」の違いだったのではないだろうか? 『艦これ』の背後にあるのはKADOKAWAという企業であり、基本的にここは「その時々の旬の作品のメディアミックスで利益を上げる」のがポリシーである。言うなればKADOKAWAにとって個々のコンテンツは「消費財」であって、食いつぶして消化しきったらまた次のコンテンツに移動するのである。我々にとって『艦これ』は近年まれに見るモンスター的コンテンツであるが、そんな『艦これ』でさえも母体であるKADOKAWAにとってみれば「その時々の旬な作品」の一つに過ぎなかったのではないか? 世に出てから二年に満たない期間で「アニメ化」までこぎ着けたのは、むしろ「旬が過ぎ去らないうちにアニメ化して利益を回収しよう!」というそういうことだったのではないだろうか? 邪推と言われればそれまでだが、どうにもKADOKAWAには「コンテンツへの根本的な不信感」みたいなものがあるような気がしてならない。
対して『デレマス』の背後にあるのはバンダイナムコエンターテイメントという企業である。ここにあるのは別にポリシーと言うほどのものでもなく、「いかに自社コンテンツを長生きさせて利益を上げるか」という企業としてごく普通の態度である。KADOKAWAが個々の作品を「果実」として見なしているのに対して、バンナムはどちらかと言えば「果実のなる『木』の方」と見なしていると言える。生み出したコンテンツは「金のなる木」であって、これを「長持ちさせること」こそが自社の利益になるのである。なのでKADOKAWAのようにコンテンツを「消費」することなどあってはならない、できる限り「持続させること」こそが至上の命題なのだと言える。そのようなスタンスだから、『デレマス』のアニメもしっかりしたものでなければならなかったのだろうと思われる。どっちかというと『プリキュア』のアニメでおもちゃを買わせているバンダイの方のノウハウなんだろうね。終わり
アニメ艦これは、女の子をグロく殺傷する描写があるからである。
第1話の開始早々、榛名だったかの砲撃が重巡リ級(たしか)に直撃、
肉片が四散する描写こそなかったが、
当然そうなっただろうと思えるだけの爆発の描写があった。
もっとも同じ1話では、川内と那珂がかなり重たい攻撃を喰らいながらも
ゲホゲホ咳き込む程度のダメージで済んでいたシーンもあったが、
アニメ艦これの世界は、攻撃によって肉体に深刻なダメージを与えうる世界なのだ。
飛行場姫が片腕をもがれるということは、
ゲームのほうでは、艦娘は、自分が人殺しをしてるとは思ってないかもしれない。
または勢力争いを、バーチャルな模擬戦闘で解決しているのかもしれない。
俺はまとめサイトをたまに見るぐらいで、掲示板とかはマメには見ていないので
こういう論議がすでに起きていたのなら申し訳ない。
俺の限界を超えていたので、
艦これアニメがつまらなかったのは、弓道警察が一役買った可能性はないだろうか?
去年11月に加賀さんの弓を構えるポーズが全然弓道やってないと話題になったやつ。
伊達や酔狂であんなポーズになるわけないんだから、あのポーズで弓を射る必然性のあるシーンがあったはずで、
例えば足元に着弾した砲弾を避けながら反撃する、といったダイナミックなシーンが予定されていたのではないか?
空母がそういったダイナミックな攻撃をするシーンは一切なかった。
全部、中途半端に本物の弓道を意識した、地味なポーズで弓を射っていた。
話題になったのが去年の11月なのだから、修正する時間はなんとか捻出できただろう。
あの騒ぎを敏感に察知した艦これ製作陣が、本来あったはずの、ダイナミックで爽快な発艦シーンを消した可能性がある。
もちろん、修正にかかった時間は、他のシーンのクオリティを下げることで取り返すしかない。
最終話に艦娘が戦闘中なのに棒立ち会議しているのは、このためだったのではないか?
どうにも、今回の艦これアニメの製作陣は、視聴者の反感を買うことを異常なまでに恐れているように見えた。
それも変な所で。
例えば提督を出すと、「男を出すな!」って荒れると思って、不自然なまでに提督の姿が出てこないのがそれだ。
如月轟沈の大バッシングを受けて、史実通りなら祥鳳は轟沈するはずなのに、大破炎上で済まされた。
海中に沈みゆくシーンを無理やり改変した物だと思えばしっくりくる)
製作陣は異常なまでに、「これはダメだ」というメッセージを受け取ったのではないか?
まあアレは金の動きがある言葉通りの消費だけど、消費のスタイルってそれだけじゃないよね。
例えばクソコラグランプリなんかは表現というよりはネタにするのに手を動かすっていう消費行為で、
その自由がある限り人命の関わる事件であろうがアニメのキャラクターが轟沈したのと同様にネタとしてしまえるわけだ。
必死にテロへのカウンターなどと言って正当化する様は、まさにSuica暴動と同じく消費の自由を守らんとするアクションだよね。
名大の殺人女子大生なんかはその先を行ってて、殺人事件や殺人鬼に対する萌え消費が
まるでけいおん見てギターを始めるヲタクの如く実際の殺人行為まで行ってしまった感じ。
かような消費への欲望に法的にでなくても制限をかける空気作ってかないとますます混迷の社会を迎える気がするのです。
まうまう!
第4話は……
1は良いんですよ。
空鍋状態の睦月が立ち直り、一歩大人へ成長する過程が自然に描かれています。
第3話における唐突な如月轟沈を、第4話の脚本家が必死にフォローしているように見えるのは気のせいです。
話がつまらないというか、雑なんですよ。
「艦これが流行っているからコピ本出してみるか」くらいの軽いノリで参加した島中サークルの同人誌レベル。
最低でも霧島は健常者にすべきでした。
1番艦金剛も「表向きはハッスルしてるけど根は繊細」というキャラ付けにしてバランスを取るべきだったでしょう。
例えば「如月轟沈で精神が轟沈している睦月を金剛が慰撫する」ような挿話を入れるべきだったと思います。
あと、深海棲艦からの砲弾を素手で弾き飛ばすのはよろしくないです。不沈艦かよ。
「僚艦への思いやりを持つ優しい金剛」を描きたかったのは分かります。
でも肉体言語じゃただマッチョな金剛ですよ。ジャマイカ金剛ですよ。
金剛「Meの装甲は分厚いデース(強気な言葉とは裏腹に足はわなわなと震え、目には涙が)」
吹雪「金剛さん! 絶対に……絶対に許しません!(深海棲艦撃破)」
みたいな展開が見たかったです。
第5話以降はどうなるんでしょうね。
分厚いファン層にあぐらをかく阪神みたいです。
ワレ頑張れや!