はてなキーワード: 街道とは
繊細で、陰湿で、幼児的で、良い歳して毎週日曜日八時半にテレビに向かう大きなお友達の自分語りを増田に聞いてほしい。
性自認がどうとか、性指向どうとか、そういう話でもないし、素養もない。
両親もよく呆れずに付き合ってくれたと思う。
クリスマス、誕生日プレゼントはバンダイのおもちゃ、寝間着はプリキュアパジャマ、お菓子は全部プリキュア、帰ったら衣装を着て鏡の前だ。
勿論全て親が買ってくれたが、足りない小物は自作していた。
休日に家族で出かける場所といえばプリキュアショー一択だったし、よく最前列で「がんばえー!」と声を張ったものだ。
休み時間の過ごし方というと、同年代の女の子とプリキュアごっこ。彼女たちがプリキュアから「卒業」していくと、低学年の女の子とプリキュアごっこに興じるのが常だった。
プリキュアになるにしても、若宮アンリのようなスタイルの良い美少年なら良かったが、生憎俺は類人猿顔のド短足だ。
美墨なぎさに憧れて、髪を伸ばそうとした時期があった。でも酷い天然パーマがそれを邪魔した。
酷いいじめ、外見と理想のギャップに苦しんだ俺は、中学に進む頃にもなると、立派な醜いオタクの子に成長を遂げた。
熱暴走していた「プリキュアになりたい熱」は強制スクラムして、前々からやっていた女児向けアーケードゲームにずっぷりハマるようになった。
中学校は、行くのをやめた。
行かなくなるまでにも色々あったけど、今は関係ないだろう。
学校には行かずともゲーセンには欠かさず通った俺は、通信制高校を経て、私立のFラン大に自己推薦で入った。
今も、毎週日曜の朝八時半にテレビの前に座ることは続けている。
地デジになって、10チャンが5チャンになっても、プリキュアを、プリキュアになりたいという気持ちはずっと持ち続けている。でも、ひどいコスプレはやめた。
HUGプリは面白い。間違いなく。
若宮アンリというキャラクターの登場はプリキュアシリーズの中でもエポックメイキングだろうし、俺は彼の登場を好意的に受け止めている。
契機は19話だ。
池の平ホテルの「男の子は仮面ライダー、女の子はプリキュア」というCMが放送後に炎上したのも記憶に新しいが……
その回に登場する、恐らくは抑圧を象徴するキャラクターとして形作られたであろう、愛崎えみるの兄、愛崎正人に対して妙な親近感を感じたのだ。
らしさ、というのは重要だ。俺はいくら類人猿の顔をしているとはいえ、ブサイクを見るとブサイクに感じてしまうし、類人猿顔は類人猿顔だし、オタク顔はオタク顔に見える。女は女だし、男は男だ。
人は生まれ持った「らしさ」で生きればいいし、「らしさ」の枠を飛び越せるのは、若宮アンリのような才溢れる美青年くらいのものだ。
そうだな、君にとってはムダかもしれないけどな、俺は人生の大部分をムダにして、らしさに従うのも「賢いやり方」だというしょっぱい教訓を得たさ。
僕は僕の心を大切にする、君は君の心を愛せ?
分かったよ!若宮アンリくん、頑張ってくれ!君は若宮アンリだ!
俺は俺の類人猿らしさで頑張るよ!
彼の振る舞いにはそれに裏打ちされるだけの才能と、美貌と、それに裏打ちされた芯の強さがある。
翻って、俺はどうだ。
プリキュアになることをやめ、のうのうと生きている。悪いくせみたいにダラダラとプリキュアを見続けている。
ひどい人生だ。
俺は若宮アンリと、彼に感化された「少数者を自認する人々」が、正直よくわからない。
そして昨日の42話だ。
増田のプリキュアフリーク達は、「キュアゴリラ」というプリキュア戦士を覚えているだろうか。
お笑いコンビFUJIWARAが出演した、スマイルプリキュア!17話以来、俺は原西孝幸さんが好きになって、彼がプリキュアについて語る番組は殆ど見た。
「あれ、大きなお友達ってさ、ご法度の裏街道を歩く渡世、天下の嫌われものなんじゃないの?」
そうだ。俺はゲーセンでコソコソと女児のなす列に並び、プリパラのED差し替えでニチャニチャ笑い、ネットで陰湿に笑いを共有しようとする徒である。まとめサイトのコメント欄とかでね。
原西さんは娘さんの影響でプリキュアにハマった、ということらしいが、低身長低学歴低収入の類人猿が、家庭を作るなんて逆立ちしたって無理だ。
彼は大きなお友達であることを隠しもせず、プリキュアを芸に取り入れて人々を笑わせている。
そうか、俺は類人猿なのにキュアゴリラにもなれないのか、という落胆と、自分に対する失望だけが残った。
そのキュアゴリラが、若宮アンリがプリキュアへと変身するシーンで現れたのだ。
男の子でもプリキュアになれる、というより、結局若宮アンリがキュアアンフィニに足るものを持っていた、原西さんがキュアゴリラに足るだけの何かを持っていた、というだけじゃないのか?
ステレオタイプに従って生きるというのは、そんなに悪いことなのか?
プリキュアシリーズに共通するテーマである、個性と志向を互いに認め合い、共生していくという取り組みは素晴らしいことだ
しかし、これといった特別な自認も、指向も、笑いの才能も、フィギュアスケートの才能もない、マジョリティの最低層にいる一介の大きなお友達が俺だ。
俺はどうやったらプリキュアになれるんだ?
誰か教えてくれ。
https://anond.hatelabo.jp/20181104013756 の続き。
ねとらぼの本キャンペーン記事のブクマでオススメされてた短編集。SF多めだけどそうじゃないのもあってごった煮。どれも面白かったけど、頭抜けてるのが『バイパスの夜』。バイパスを走るタクシーが舞台であり、それが最初から最後まで最大限に活用されている。無駄がひとつもない完成品。
他には『悪魔の開幕』と『帰還者』がオススメ。『悪魔の開幕』は何を言ってもネタバレになるので騙されたと思って最後まで読んでほしい。『帰還者』はアレな言い方だけど、富樫のレベルE読んだような読後感。手塚治虫が天才で、本当になんでも描けるんだなということがよく分かる。
父の仇を追って新選組に入隊した深草丘十郎。そこで彼は後に親友となる謎の剣豪少年・鎌切大作と出会う。幕末の動乱を、ふたりの少年はどう生き抜くのか。
ブコメでオススメされてたから読んでみたけど、うーんこれは傑作だ。
ひとことで言うと美しい『アドルフに告ぐ』。物語を彩る様々な立場のキャラクターたち、実際の歴史を背景に躍動する主人公、そして全てはラストに結実する。美しい。圧倒的に美しい。子どものときに出会えていたら本当にたまらなかっただろうなー。これから何度も読み返したい一冊。
北村市郎、通称イッチはとある夜、幽霊の行進と出会う。偶然知り合った記者と情報交換することになるが、彼は交通事故で死んでしまった。本当にあれは幽霊だったのか? 駅のホームで見かけて以来、つきまとってくるようになった美少女の正体は?
これもブコメから。ホラーものかな? と思ったら斜め上に話が転がっていくのがさすがというかなんというか。気負わず笑いながら読んでいいやつだと思われる。「歓声とファンの数とは比例します」「ンン?」「これ歓声の法則」といった切れ味抜群のギャグもあったし。
これもブコメより。手塚治虫の自伝的な作品を集めた短編集。悲惨な戦争体験と、そんな中でも漫画を描き続けた戦中、ようやく悪夢のような戦争から解放され漫画家として立身していくぞ(でも漫画雑誌もない荒野でどうやって?)っていう戦後が主。
特に響いたのは表題作でもある『紙の砦』。時は戦中。特殊訓練所にいながらも隙あらば漫画を描く大寒少年はオペラ歌手を目指す美少女と出会う。
戦争って悲惨だしいいこと何もねーなっていう感じが色濃く描かれる。司馬遼太郎も終戦の時に浜で泣きながらなんでこんな馬鹿な戦争をしたんだって嘆いたらしいが、手塚のそれは叙情も何もなくただただ早く終わってほしい悲惨なものとされているように思う。
そしてラストが特に辛い。仮に――戦争で手塚が両手を失っていたら、手塚は、日本の漫画界はどうなっていたであろうか。
悲惨な戦争話が多い中で『という手紙がきた』は一服の清涼剤。『トキワ荘物語』はとてもしんみりさせてくれる。『動物つれづれ草』も好き。
人類が退化し、代わりに鳥類が惑星の支配者になった世界を描く。その新たな世界で鳥人は高度な文明を築き、ホモ・サピエンスは鳥人の家畜になっていた。そして鳥人たちはかつての人類のように相争い、滅亡の道をたどる。
短編連作の形を取りながら鳥人たちの誕生、栄華、末路を描くんだけど、風刺的な要素の強く出過ぎてて胸焼けする。『むかしむかし……めでたしめでたし』みたいなただの焼き直しにすぎない作品もあって、低調な短編はとことん低調。
ただそこは手塚神、すげー読ませるのもあって、『うずらが丘』は物語の展開力とオチの冷淡な語りおよび視線がさすがの一言だし、『トゥルドス・メルラ・サピエンス(ブラック・バード)』のような掛け値なしのイイハナシダナーにはホッとさせられた。
とはいえかなり疲れさせられるお話であることは間違いないかな……。
時は幕末。世渡り下手だが一本気な府中藩士・伊武谷万二郎と女好きだが顔の広い蘭方医の卵・手塚良庵は最悪の出会いを果たす。だがふたりは腐れ縁のように固く結びつき、ともに動乱の時代を駆け抜けていく。万二郎は下級武士ながらとある事件がきっかけで出世街道を上り、一方の良庵は大坂の適塾を経て江戸の種痘所開設に尽力する。ふたりの青年と、日本の未来はいかに。
うーん、感想の言いにくい作品。面白かったけど、中盤から物語に暗い影が落ち始め、読むのがちょっとしんどくなってしまった。手塚作品にしては長く、それでいて物語が綿密に練り上げられていることは間違いないんだが、同時に間延びしてしまった感も否めない。万二郎を主人公に据えたがゆえの限界という面もあり、愛すべき馬鹿には違いないけど、もうちょっとどうにかならんかったのかというのはある。同じ幕末を扱った『新選組』が青雲の物語であるならば、『陽だまりの樹』は凡庸な人たちの物語、という感じ。
人生に思い残しがある者は死に場所でしか生きた証を残せない、という話はあって、彼女(名前だすとアレなのでボカします)にそれが与えられたのはしみじみ良かったなーと思う。ひきかえ万二郎はそういう悲愴さとも無縁で、さいごまで読者をすっきりさせてくれないやつだった。だけどやっぱり憎めない。
お気に入りのキャラクターは、平助、お紺、お品。三人にはいっしょに酒を飲んでもらって、生きてりゃそりゃ辛いことのひとつやふたつあるよなーって盛大に愚痴ってほしい。
2日目の昼ぐらいに気づき、結局それからひたすら読んでた。ああ、もっと早く知っていれば!(BJとか火の鳥とかが入ってないのは読んだことがあるから。火の鳥は再読しておきたかったけど、せっかくの機会なので未読作品を優先した)
全体的な感想を言えば、俺がおっさんだからだろうけど、青年向けの作品の方が読み応えあった。『ジャングル大帝レオ』や『海のトリトン』は当時革新的だっただろうけど、さすがにいま初読だと平凡って印象が拭えない。それらに並ぶ子ども向け作品の『リボンの騎士』は、今でもおもしろいし、男の子の心と女の子の心が入った王女様が王子様のかっこうをしなくちゃいけなくて……という設定を思いつく手塚神ほんと神ってるなと。
大人向け作品はやはり『アドルフに告ぐ』が文句なしの傑作。行き当たりばったりで連載していたというブコメがあったけどマジか。震える。
短編のイチオシは『バイパスの夜』かなー。「極限まで削ぎ落とした体に鬼が宿る(byライスシャワーCM)」じゃないけど、無駄が何一つ無い完成品とはまさにこのこと。
今回よんだ中で一番好きなのは『新選組』。あそこまで美しい作品はなかなかない。
一番好きなキャラクターは『リボンの騎士』からヘケート。容姿、性格、行動力、作中での立ち回り、どの要素も俺の心を惹きつけてやまない。心に残るキャラクターだった。次点で『陽だまりの樹』からお品さん。
それにしても本当に手塚神がいてくれてよかった。日本漫画界に残した足跡の大きさからしてもそうなんだけど、それ以上に何十年たってもその著作が色褪せずに面白いってほんとすげーこと。これからも多くの人に手塚治虫の諸作が読みつがれていくことを確信して筆を擱く。
ひょんなことから田舎にやってきた.田舎とは言っても,コンビニまでは徒歩5分,スーパーまでは徒歩10分.
もちろん人は少ないし,周りは田んぼと森の緑に満ち溢れているが,ほどよく生活には苦労しない.街道も通っているし,東京へは電車で帰れる.そんな程よい田舎.
東京にいたときは,趣味が高じてものづくりをしていた.気づいてみれば大学も博士進学一歩手前,研究すると覚悟を決めた矢先,とある縁でここへやってきた.
最近思うのは,「やりたいこと」と「できること」は違うってこと.「やりたい!」で飛び込んだ研究の世界だったが,論文締切や学会発表は,やる気だけではどうにもならない.今更だけどつくづく感じている.
本業というのは,むしろ「やれること」で「できること」をこなしていくべきなんじゃないかと,そう思うようになったのは,こっちへやってきてひと月も経たない頃の話.
結局自分は研究ではなく開発がしたかったんだろうな〜,と思っていたところに,友人がものづくりに誘ってくれた.これまた程よくモチベーションを保ってくれている.
「やりたいこと」を諦めるのではなく,「やりたいこと」は趣味として,自分のペースで続けることの楽しみを再確認できたからである.
いつから「やりたいこと」を「やるべきこと」に,そして「できること」に錯覚していたのか...定かではない.
もともと周りに信頼されていないというか,「人から嫌われているんじゃないか?」という,猜疑心にも似た気持ちを心のどこかで抱えてきた.
しかし自分に足りなかったのは,「成功」でも「称賛」でもなく,「自然」と「人とのふれあい」だな〜,と感じさせられる.
空が開けてとてもきれい,どこか風も心地いい.町の人たちもとても暖かく,ともすればこちらに永住したいような,そんな気にさせてくれる.(現実が許してはくれないのだが...
よく女性活躍うんたらで実力もないのに祭り上げられていい感じを醸し出している人を、ガラスのショーケースに入った見世物などと言ったりするが、どうもそうじゃない。同じような悩みが検索してみてもどうにもピンと来るのが出てこなかったので、愚痴の吐出しがてら少し書いてみようと思う。
私自身おそらく祭り上げられた方の人で、男性の多い業界のそこそこの企業で、平均より割かし早くに肩書きが付いた。 ただし、見世物にするのではなく、肩書き相応や肩書き以上の働きを求められ、できなければ責められる。 立場上当然と言えば当然で、ある意味筋は通っている。 ただし昇進が、本当に実力に見合った適切なものであれば。なのですが。
女性管理職を増やしたいだの、いろんな思惑があるのは分かる。 ただ、なんだか、隙あらば女を上にあげようという外圧が凄いのだ。 多少力が足りてなかろうが、ある意味逆差別的に優先させてでもお立ち台に上げてやらせる。 実態は見世物には変わりないかもしれないが、ショーケースのような小奇麗なお飾りではない。 その結果潰れるようなら、そこまでの奴だったとなる。正直、キツい。 私以外にも、やはり最速出世で○○長になった女性とか社内初の女性○○長とか、お立ち台に上げさせられた女性はみなヒィヒィ言っている。 そして、(転職でもすれば別ですが)自ら降りることも基本的に許されない。 次の昇進試験も絶対に受けさせろという、経営幹部クラスからの「要請」があったと、上長からは聞いている。
その上長も混乱しているようで、実力も実績も評価されたから昇進させたんだと言ってみたり、お前は女補正ゆえに期待や評価が別格なんだと言ってみたり、なんだか話が一貫しない。 私の実力が立場にかみ合っていないせいもあるだろう。最近は申し訳なくてちょっとかわいそうなくらいだ。
特に女性総合職の頭数が少ない業界における女性は、その中の全員ではないにしても、一度目をつけられてしまったら、女であるが故に、強制的に謎のスパルタ出世街道を望む望まざるに関わらず歩かされる場合がある。 うちは女性がお飾りではなくきちんと活躍してます!と少しでも高いところから世の中に宣伝したいがために、女性が活躍できる、ではなく、無理やりにでも女性を活躍「させる」。 女だからちやほやされるとか、もうそんな時代じゃない。
七年働く中でそれなりに結果は残したし、同期の中で昇格は早い方だったし、ある程度自信がついたところで新しい部門に異動した。
しかしそこの部門の人の育ちが良いせいか、自分と合わないなという違和感を感じている。
前の部門は地方公立出身、有名私大卒みたいな、地方から頑張って身を立てた人が多かった。
トップもそう言う経歴の人で、田舎出身のわたしの履歴書を見て気に入ったからこそ採用してくれたんだと思う。
今の部門は会社の中では花形の部門というか、出世街道であり、育ちのいい人が多いということに気づいてきた。
単に大学で三田を卒業しただけでなく、高校からとか、NY高とか、ちゃんと折り紙つきの三田の方。
新入社員には他の部門の役員の甥っ子がいる。縁故採用なのかはわからない。ハキハキしたいい子である。しかし、近親者が出世している環境で自分も働いて、何を言われるのか想像したりしないのだろうか。
わたしだったら絶対嫌だ。しかし彼はそんな感覚もないのだろう。飲み会では役員である叔父のことについて聞かれると、嫌がるでも隠すでもなく普通に話す。
ここにきて半年経つが、どうも馴染めないなと思うのは、彼らとの文化格差があるような気がしてならない。
教養としてできて当たり前のゴルフ、長年のお客様とのお付き合い、接待の高級店は知っていたり家族で行ったことあるような文化レベル、、
前の部門では何もわからない中必死でもがき続けて結果を出してきた自分を、ある程度誇りに思ってきたんだけどな。
どうやらそれが求められてないところもあるようだ。
なんだか疲れちゃったなぁ。
付き合っている人がいる。一つ年下で、社内恋愛中。
何かあったらお互いにすぐに話すようにしているので、喧嘩らしい喧嘩は発生しない。
振り返ると、真逆なタイプの人間同士でよく関係が続いたもんだと思う。
こっちは菜食より、あっちは肉食より。
自分は肉をよく食べるようになったし、向こうも嫌いな野菜が減ってきた。
すぐ根暗に全力疾走しようとする自分を全力で止めてくれたり、逆にポジティブ街道ひた走る相手を止めたり。
屋内スポーツやちょっと遠くの大型ショッピングモールに行ったり、モンハンが世を賑わせてる頃に部屋にこもって過去作のモンハンを一からやったり。
とにかくそんな感じで、少しずつお互いを尊重?というか自分にない部分を尊敬して、取り入れて楽しい毎日を過ごしている。
楽しい。本当に楽しい。なのに、どうしてこんなに不安になっているんだろう。
自分たちの関係は、それぞれの上司や近しい人達は知っている。応援もしてくれている。冷やかしたりする人が居ない、良い職場だ。
最初に年齢について触れたけど、自分たちはいわゆる『結婚適齢期』らしい。
相手方の上司と話をした時に「(お互いに)ご両親には会ったの?」と言われたのだ。
こういう話は、上司だけに限った話じゃない。共通の友人からは「いつ結婚すんの?」と言われ、別な友人夫婦からは「早く結婚すりゃいいのに」と言われる。
自分の周りの数少ない友人達はほとんど結婚しておらず、おかげさまで結婚式に呼ばれたことなぞついぞ無い。
一方で、相手は交友関係が広いためか少し前に結婚式ラッシュにあい、『ご祝儀貧乏』にまでなったようだ。友達が多いって大変なんだな…と当時は思ったものだった。
そう、結婚なんて自分とは縁遠いものだったのだ。これまでは。相手がどうかはさておき。
話は変わるが、自分は割と先を見て今を生きるタイプだ。相手は、今を見て今を生きるタイプだ。
どうしてここまで違うんだろうと笑うくらい、人生観すら違う。
そんな人生観すら違う男女が、近々同棲しようという話にまで発展してきている。
いつかは一緒に暮らしたいという話をしなかったわけではない。ただ、自分は何ヶ月も前の段階から話の内容をつめていきたいタイプだった。
こういうタイプの人って、自分の欲しいものを選ぶ時に凄く時間かけて似てるようで違うものをいっぱい並べて吟味したりしない?自分はする。
相手はと言うと、その時に考えたら良いというタイプだった。欲しいものもその時直感でコレ、と思ったものを買うタイプ。
だから、同棲についてもやっと相手にとってのホットな話題になったのだ。自分の住んでる部屋の更新期限がもうじきだから。
今月から、色々な物件を内見して回る予定で。いい部屋見つかると良いね~なんて話したりもしている。
それすらも楽しいし、とても幸せなことなのに。なのにずっと、ずーっと不安が消えない。
多分これは『同棲前ブルー』と呼ばれるものなのだと思う。今はなんでも『なんとかブルー』って言葉があるんだなぁ。サッカーは観ていないけど。
ただでさえ自分はネガティブなのだ。悪い方に考えないでどうするというのか。
重てぇー!こいつ重てぇー!って感じではあるが、そう思ってしまってるので仕方がない。
今更不安になる事なんて何もないはず。日頃の会話で、先の話をする時もあった。相手は完璧に今しか見てない訳じゃない。事あるごとに不安を抱く自分と同じ目線で考えて、持論を展開してくれる。逆もまた然りだ。
…でも、明確なその『結婚』という言葉だけは口にしない。まぁ、お互い様ではあるが。
「いつ結婚するの?」には「先がどうなるかはわかりませんから」、「早く結婚すりゃいいのに」にも「先々の事はまだ、ね」とお互いに言っていた。
確約された未来はない。どっちかが盛大に事故って死ぬかもしれない。寝たきりになるかもしれない。二度と顔も見たくないレベルにまで発展する何かがあるかもしれない。
たくさんの『かもしれない』を胸の内に抱えている限り、はるか先のことを決めてしまうのは良くない。と自分は思う。相手はどうか知らない。
…単純に、今考えてないだけで、したいと思ったらするのかもしれないが。可能性は捨てきれない。ありえるから困る。
とち狂って「結婚を前提に一緒に住んでくれ」と言い出しそうな程度には追い詰められている。
こちらの仕事の都合で、相手がロマンティックに告白する予定だったデートをおじゃんにした罪があり、その他にも様々なフラグを壊してきた自分が下手になにかしたらまた可哀想なことになるかもしれない。
考えてないことはないだろうけど、何も考えていないだろう相手に焦らされ続けて、終わりのないそれをずっと持て余している。
ひと思いにやってくれ。頼むから。
自分がやらかす前に。
ジャニーズjrには推されと呼ばれる人がいる。良い位置に立たせられる代わりに多くのバッシングを引き受ける。
不思議で仕方がない。
色んな人が色んなことを言う。
他のjrの方が頑張ってる。とか、〜が上手いとか。
そんなこと誰にも判断できないのに。推されということだけでバッシングの対象になる。
何でこんなに推されを庇うのかって言ったら、私の自担が推されだったから。スペオキだって言われ続けてきたから。バッシングされ続けてきたから。エリート街道しか走ってなかったから。
ジャニーズに入ったタイミングが一緒だからといって、何でスタートラインが一緒だと思うんだろう。
ずっと疑問だった。
彼が少クラで初めてソロを歌って踊った時、彼は入所してまだ半年にも満たなかった。
先輩jrをバックにつけるなんてとたくさん言われた。
それの何がダメなんだろう。
私には分からない。
何も分からない。
推されの方が大変なのか、そうじゃない方が大変なのか、私は知らない。
知ろうとも思わない。
できないよりも、できた方がいい。
努力なんて見えなくていい。
すぐにできるjrとできないjr、多くの人がすぐにできない方のjrの努力に注目して感心する。
本当にそうなのか疑問に思う。すぐにできないjrはすぐにできるjrにおいていかれてるのだ。すぐにできるjrは先に進んでる。できないjrが努力をほめられているあいだに。
だから、才能。
フィールドは城を中心に城下町、街道、集落、森林、街道などに分けられる。
武士は30人ほどでランダムに割り振られる城下町の自宅からスタート。城下町に発生する武器を集める。城に入ると強い武器が多いがその分農民にラインを上げられてしまう。
農民は70人ほどでランダムに割り振られる城下町の外にある集落からスタート。集落に落ちている農具を集める。
武器は刀、短刀、槍、薙刀、弓、鎌、手斧、棒、素手などに分けられ、武器によって戦闘アクションが異なる。
時間が経過すると、エリアの外側からNPC敵国兵士が攻めてくる。無敵ではないが装備が硬いために武器と体力を消耗させながら抜けることが可能だが、エリアが狭まるに連れて敵兵士の密度が高くなり抜けることが困難になる。
敵国兵士は内通者がいるために殿様がどこに逃げたかを知っている。そのため、ランダムに逃げ続ける殿様を中心に少しずつエリアが狭くなっていく。
敵国兵士に武士、農民とも全滅させられてしまった場合は、勝者なしの状態でゲーム終了。
殿様は目視できるために武士側が意図的に守りを強めることが可能だが、武士が多いことで発見が容易になる危険性がある。
勝利したときの残った人数が多ければ多いほど、個人に割り振られる報酬が高くなる。個人戦でありながらチーム戦の側面が強い。
得られた報酬に応じて戦闘力に関係のない基本衣装を購入できる。衣装によってプレイヤーの熟練度がある程度推測可能。
プレイヤー間は誰彼問わず戦闘することができて、相手から武器を奪うことができる。しかし、味方の人数を減らすとそれだけ勝負が不利になり勝利時の報酬が減ることになる。
武器は何かにヒットするたびに耐久度が減る。所持品には重量の制限があり、武器を取捨選択しながら戦闘する必要がある。
武器の発生状況や相手の装備状況に応じてPKを行うか協力して戦うかの選択が必要になる。
味方同士同盟を結ぶことができて、同盟を結ぶと味方の位置が把握できるようになり同盟を組むとボイスチャットが有効になる。
また、ライフが0になったときも同盟を結んだ誰かがいればダウン状態になり、味方が数秒間タッチすることで復帰できるようになる。
ただし、同名の最大人数は4人。4人が同時にダウンすると全員その場で死んでしまう。
もとから同盟を組むんだ状態でスタートできるスカッド戦もある。
城の見張り台から弓矢部隊が城下町の特定エリアに弓を大量に放つイベントが定期的に発生する。その間は屋外にでると即死の矢を食らってしまう可能性がある。
石川五右衛門による物資供給が定期的に行われる。大きな声を発しながら場内の屋根を駆け巡り、物資設置後はフィールドの大半から目視できる高さの狼煙が上がる。
武士は少ない人数で殿様の探索と防御が必要になるために同盟を組んでも近い位置で行動がし辛い。
農民は装備が弱くなりやすいが固まって行動することで強い武士を相手に戦うことができる。また、人数が多いために殿様の発見率も高い。
自分のことばかり考えて強い装備が欲しいためにPKを続けるとチーム全体の戦闘力が下がり、かと言って人に甘えてばかりで装備を疎かにしてもチームの戦闘力が下がる。
その辺の違いを考慮した戦略を組みつつ、チームプレイか個人プレイかを考える部分が醍醐味。
武士と農民だけで考えると日本特化なシステムだけど、貴族と平民による下剋上は世界中で起こり得る内容なので、スキンを変えれば世界中に転用できるシステム。
奈良県のせんとくん、経済効果が2105億円だか何だか知らんけど、いろんなもんが多過ぎ
まわしを締めた「相撲せんとくん」、桜の花が頭を飾る「桜せんとくん」……。現在、オリジナルのせんとくんを含め、8パターンのデザインが存在する。
県の使用指針には「違う要素を加えたり表情など細部を部分的に加工することはできません」と著作権保護のため、厳格な規定がある。テーマに沿ってせんとくんをアレンジするには、その都度、新たなデザインが求められるのだ。
県は売り上げや製作費用の3%をライセンス料として納めることなどを条件に、商品や広告に利用することを認めており、遷都祭があった10年度には約4900万円の収入があった。
ところが祭りが終わって一段落した11年度は、699万円に激減。同年に県のキャラクターになったのを機に、県は12年度に、「官服」「桜」「紅葉」の3デザインを追加しててこ入れを図ったが、各地に次々と特徴的なゆるキャラが誕生する中で存在感の低下は否めず、16年度は154万円にまで落ち込んだ。県は先月、さらに「はかま姿」を投入し、起死回生を狙う。
通称「海づくりせんとくん」。2014年に開かれた「全国豊かな海づくり大会」PRのため、前年に誕生した。デザイン料約60万円、着ぐるみ代約180万円をかけて作成したが、大会終了後は大型商業施設でのアマゴ販売イベントなど、3回しか登場していない。
県農業水産振興課の一角で、「海づくりせんとくん」は箱に納められている
昨年の「国民文化祭」「全国障害者芸術・文化祭」に登場した通称「はかませんとくん」も、同様の状況に陥る危機にある。デザイン料約60万円、着ぐるみ2体計約330万円をかけて生み出したが、運営を担った大会特別課そのものが、来年度にはなくなる見込み。
実は、私たちが目にするせんとくんには、2種類があるらしい。県の主催事業や県外で催されるPRイベントで会えるせんとくんの多くは、プロのスタッフによるもの。自治体が主催する小規模な行事などでは着ぐるみを貸し出すだけで、自治体職員などがその役目を引き受けているという。県観光プロモーション課幹部は「時々、『元気がない』と指摘をもらいます」と明かす。
ツイッター社の公式マークがついているのが「せんとくんのつぶやき」だ。
奈良県庁の担当者によると、こちらのアカウントでは、主に奈良県全体に関わる情報を発信しているという。もう1つのアカウントが「せんとくん 《OFFICIAL》」で、こちらはせんとくんの活動報告などをメインに発信している。
ツイッターでは奈良県庁が管理する公式アカウントのほか、非公式アカウントもあり、人気のものではフォロワー数は7万を超える。
県ならの魅力創造課の担当者は「問題になる内容はなく、目くじらを立てるつもりはない。持ち味の違う2人のせんとくんを楽しんでもらえれば」と静観しつつ、「公式のフォロワーも増えればありがたい」と期待する。
※なら和み館の場合
「今は売り場のほとんどが『しかまろくん』で、『せんとくん』の売り場はここしかありません」
奈良市観光協会が5年前に作った「しかまろくん」に追いやられてしまっています。
【土産物店の人】
「『しかまろくん』のほうがやっぱり。『せんとくん』は商品がかなり少なくなっている」
お客さんが手にとるのも、「せんとくん」ではありません。
【子供は】
「駅前の土産店なんですが、他のキャラクターグッズに比べると、せんとくんのグッズはやや少ないように感じます」(記者リポート)
店内には奈良市観光協会のマスコットキャラクター「しかまろくん」が所狭しと並んでいて、せんとくんは片隅に追いやられています。
「だいぶ減りましたね。遷都1300年祭が終わった年くらいから、問屋さんが在庫で終わらせていくみたいな感じで」(土産物店)
こいつらは、どんなに仕事やっていても、「親の育て方がカス。嫁と子供かわいそうすぎる。」と思われている。
で、実際の所、仕事もたいしてできていないんだー。(周りが言わないだけで。または仕事カスな自分に全く気づいていない。)
世間体。
寂しい。
家事してくれる女が欲しい。→共働きでも家事は女の仕事がから俺はしないよ!
子供が欲しい。→でも俺は見ないよ!
親を安心させたい→でも美人で金持ちの女がいい!学歴は俺より下ね!
だいたいこんな感じ。
「仕事が忙しい」を理由に家事育児ができないっていうなら、お前の嫁は何なの?
彼女達も、手一杯なのに家事育児やってる。というか、やらないといけない。なぜって子供が死ぬから。
ついでに彼女達の旦那は、お前じゃなくてもいいんだよ。というか、お前じゃ役不足だ。お前じゃダメ。
むしろ、もっと優良物件と結婚できたはずなのに、お前のようなアホと結婚してしまったせいで不幸街道まっしぐら中なんだよ。
お前の扱いが雑になったとか、お前の両親への関わりを嫌がらないか?
それは、当たり前。
原因は、お前なんだよ、アホカス男ども。
よくさ、「俺は毎日仕事頑張ってるんだ!家くらいゆっくりしたい!休ませろ!!」って言ってるバカいるじゃん。
え?じゃあ嫁は?嫁、休んでませんけど?
で、「俺の仕事の方が大変なんだよ!!!!」と、比べる物差しが全く違うのに、それ出してくるガチアホ男がいるんだよね。
これ言う奴、たいがい育ちが悪い。
ここで言う『育ちの悪さ』ってのは、実家が貧乏って意味じゃない。
両親の育て方がクソだったって意味ね。
きみの親は、躾や人間としての教養を自ら教えられる人間じゃなかったんだよ。
親からは、飯食わせてもらって、学校出してもらって、身の回りの世話だけしかやってもらっていない。
親として子に教えなければいけない重要な事を、全部放置されたせいでクソバカアホ価値観のダメ男になってしまったわけだ。
というより、『親が子供に躾をする』って発想すら頭になかった親から産まれちゃったんだよね、きみ。
そんなダメ男なきみに対して、嫁はイラつくわけよ。脳内クソガキのまんまの成人男性と暮らしているんだから。
そして、躾放棄してきた義両親に怒りを感じるんだよ。
義母に対して「躾できないなら子供産むなよクソトメ!!」って思ってんの。
「息子の嫁が他人行儀で、あまり家に来てくれない。」と思っているおじいちゃん、おばあちゃん。いるよね?
嫁は、毎日毎日疲れ果ててますよ。そんな中の貴重な休日は、ゆっくり休みたいんだよ。
おじいちゃん、おばあちゃんの接待なんぞしてたら、嫁は完全に年中無休。
「私たちの時代では考えられない」って言う、じいちゃんばあちゃんさ。
イケメンで金も持ってて女にもモテて、それでも性犯罪ってやりたいもんなんだなーという雑感
痴漢犯罪で、痴漢は性欲関係なく普通の人がストレスの捌け口に行う、みたいな記事を読んだことあるけど↓
https://m.huffingtonpost.jp/2017/10/18/sexual-molester_a_23248308/
アイドルだ何だと10代から持て囃されてるイケメンタレントとか、
生まれた時からずっとエリート街道を歩んできて地位も名誉も権力も手にしているナントカ省の事務次官とか、
こういう人たちは自己肯定感に満ち溢れて承認欲求なんて満たされまくってるだろうし、
立場あるゆえにストレスも溜まるだろうが、お金をたくさん持ってるわけだから、
高い買い物で好きなものを買ったり、豪華な旅行や食事や女遊びだってし放題で、あらゆる合法的ストレス発散法を選べる立場にいるのに、
それでも性犯罪しなきゃいられないのね
なんでだろうね
こういうことするのは一部の人だと分かってるけど
アメリカ・EU諸国と、ロシアの2国間における、シリア内戦を巡る対立が激化している。
今更こんなことを言っても仕方がないけど、国連は役に立たない。
常任理事国が一国でも拒否権を行使すると国連は何もできないことは冷戦時代から指摘されていたけど、今になってその弊害ばかりが大きくなってきている。
アメリカ・EUとロシアは双方とも核保有国同士だけど、核を持っていても、今のような戦争寸前まで行きついてしまうということなのだろうか。
今現在の世界情勢は、1914年に起きた第一次世界大戦前夜と似た状況になってきている。
1900年代初頭の欧州では、二つの大きな軍事同盟が存在していた。
イギリス・ロシア帝国・フランスの「三国協商」と、ドイツ・オーストリアハンガリー・イタリアの「三国同盟」の2陣営。
今現在に当てはめてみると、前述の通りアメリカ・EU陣営と、ロシア陣営と見事に2陣営に分かれている(ちなみに日本はアメリカ・EU陣営)。
そして、第一次世界大戦の前段階である1900年代には、欧州各国が軍拡競争を進めていた。
現在もアメリカもEUもロシアも、そして日本も軍事予算を増やしているのはご存じの通りである。
アメリカのトランプ大統領は軍事予算を増額させているし、欧州では徴兵制を復活させる国が相次いでいる。日本は空母の配備まで始めた。
元々シリアという国のある場所は、昔は「オスマン帝国」と呼ばれていた大国の一部の地域だった。
第一次世界大戦でオスマン帝国が崩壊して、欧米に占領されて、分割されたりして・・・、色々なことがあって現在のシリアとなっている。
シリアは、欧州と中東を結ぶ街道上に位置している国家であり、あの場所が政治的に不安定になると、周辺地域全域が戦争の危機にさらされる場所なのだ。
今フジテレビで佐川氏の退職金が5000万円であるというニュースをやっていた。予想通りといえばそうだが、「人の金」「国民の税金」ということを言う人が街角インタビューとして多く映されていた。
全くアホなことを抜かすな。お前らはいつも税金を払わされているというだけで被害者面をするがそうやって国が維持されてるんだ。なけなしの税金を払っているというだけで行政に対して満足度100%でないというのが不服なのだろう。今回取り沙汰されるべきなのは無論、佐川氏の退職金ではない。国を動かす政治家が汚職を働いたということの方なのだ。佐川氏の給与その他に関して言うならば、国民から金をふんだくっても国が確保するべき人材というのも居るんだ。「佐川氏が本当に優秀かどうか貴様に分かるのか」という野次が飛んできそうだがそんなもの分かるわけがない。分かっていることは、財務省には日本という国で、頭脳自慢で鳴らした有望な若者が集うということだ。分かっていることは佐川氏はその中でも強かに生き抜き、出世街道を突き進んで国税局長官という"一つのゴール"に辿り着いた人間である、ということだ。そしてもう一つ分かっていることがある。それは佐川氏が少なくとも街角インタビューで文句を垂れた人間よりも有能であり、国家運営に多いに貢献してきた人間であるということだ。優秀な人材にしか勤まらないポストというのもあるんだ。優秀な人間を僻むことしかできない癖に、いつでも被害者面して楽なものだ。努力をしない者には僻む権利すら与えられるべきではない。税金を減らしてほしいなら勝手にそうすれば良いだろう。税金減らす代わりに病院で治療費全額負担してみるか?税金減らす代わりに世紀末みたいな場所に住んでみるか?もっと良い使い道があると言うなら言ってみろ。その使い道とは何なんだ。
お前らとはどうやっても格が違う人間はいるんだ。格の違いを認めろだとかそういう元も子もない話をしたいのではない。ただでさえ人材が海外に流れ出している今こそ資質ある人材に官僚となって国の為に働いてもらわなきゃならないんだ。官僚は政治家のトカゲの尻尾ではないんだ。先程テレビで発言した人達は私の3倍は生きてることだろうと思うが、貴方達はその目で一体何を見てきたのだ。貴方達の目は60年間節穴だったのか?そもそもフジテレビもおかしいもんだ。官僚の退職金と一般人の退職金を比べていたが、そんなものを比べるんじゃあない。官僚というのは一般人の何倍も金をもらっていい人達なんだ。文句を言いたいなら国税局の長官にでも何にでもなってみろ。もっと良い税金の使い道があるというなら財務省にでも何でも入って使い道考えてみろ。現実にはそれが出来ないから佐川氏のようなエリート官僚に「どうかこれで国をよろしくお願いします」という意を込めて税金の使い道を考えてもらうんだ。歳食ってからそれが悔しいと思うならもっと若い頃から必死こいて勉強しなきゃいけないんだ。後悔は先に立たない。もっと上を、もっと上を目指してそうしてやっとなれるかなれないかの境目にいるのが官僚なんだ。何の努力もせずに官僚に対して冷たい言葉を浴びせるような人間はもう論外なんだ。