はてなキーワード: 結果的とは
supercellがヒットした以降にボカロで楽曲を発表した世代は、DTMを始めたばかりで音源を買いそろえる余裕がなかった。
クオリティの高い音源を使用するよりもまず楽曲を作ってリリースしたい世代は、DAWの付属音源で妥協して楽曲を作っていたわけである。
彼らの多くはエレキギターとバンドサウンドから音楽制作を始めており、ベロシティやタイミングの変化で生の楽器を再現するスキルがなかったと思われる。
だから、彼ら自身は根底に生楽器へのコンプレックスがあった。多くのボカロPは音楽制作の経験を重ねる過程で、楽曲に演奏家を巻き込んでいったり、
IvoryやTrillian、addictive drumsのような、より”生っぽい”音源を買って、音質をアップグレードしていったわけである。
(メジャー音源をリリースするに際して、有名なプロを読んで再収録をするケースもあった)
とはいえショボい音源を使った楽曲の中でも、今もカラオケランキングで上位に入るような定番のボカロ曲が生まれて、一般的に認知されている「ボカロっぽさ」が生まれてきた。
YOASOBIのサウンドは、そういった当時の「ボカロっぽさ」をジャンルとして再現したものである気がしている。
彼らのチープさは、「ワンルームにこもってノートパソコンに向かい合って作った楽曲が、世間に認められて有名になっていく」ストーリーを連想させる。
そして、そのストーリーを駆けあがってメジャーになったのが、ハチやwowakaなどの世代。今の10代からすれば、米津玄師は「自分たちの世代のアーティスト」ではなく、「少し上の世代で、すでにヒットしたアーティスト」である。
たしかにすごい音楽家であるが、ティーンエージャーからしたらもっと気軽に”推せる”アーティストに出会いたい。そんな気持ちにぴったりと当てはまったのが、YOASOBIである。
学生時代にボカロを聞いていたアラサーとしては、インターネット発のミュージシャンは、メジャー化に際して音質が良くなる印象を持っていた。
だから、デビューしたてのボカロPのようなチープな音源(でも、当時のボカロPよりはミックスの質は断然に良い)が、そのまま街頭のスピーカーからドバドバと流れている状況には少々面食らってしまう。
学校の放送室から、そのまま家で焼いてきたボカロを流している中高生を連想する。
たぶん、そうやって世間に対するカウンター的にショボい音源がヒットしていくのが、今の若い世代にはウケているんじゃないだろうか
(YOASOBIの作曲家自体がその再現を自覚的にやってるかは知らんが、ある程度の音楽知識はあるものの、制作環境的になんらかの縛りがあるような気がする。
で、その縛りから生じた個性が、結果的に彼らの売りになっているんじゃないだろうか)
それにしても、80年代のレトロさをリバイバルするかのように、2010年前後の音質がリバイバルの元ネタとして消費されるとは思わなかった。
一度だけ人と付き合ったことがある。
長時間無意味なLINEのやり取りをするのやそもそも電話が苦手なのだが、相手はそれをコミュニケーション手段とするタイプだったらしく頻繁に要求してくるので、3回に1回くらいは返答していた。
結果、「僕のこと嫌いになった?」を日に何度も言ってくるようになった。
面倒になったので別れた。正直組み合わせが悪すぎたと思う。
文章やネタがとめどなく溢れてくるタイプで、創作者として尊敬している。ただし連絡が多い。あと会話の主導権を強引に持っていくところがある。
嫌いではないけど、自分の精神力が十分あるときでないと辛いものがある。返事はたまにだけ返す。(というか、こちらが返答を練っている間に3通くらい別の話題がポンポン飛んでくるため結果的にそうなる)
曰く、「ごめん、私のこと嫌いになった?」
返事はまだしていない。
ってコメント見たけど本当にそうかなぁ?
西野亮廣エンタメ研究所に貢献しようとしている人たちって最終的には「自分の人生を良くしたい」からやってるんじゃないの?
「この経験を通して何者かになりたい」「この活動を通して何かしらの成功をつかみたい」
もっと有体に言うなら「自分も西野みたいに有名になって稼げるようになりたい」ってのが活動の動機だと感じる
そこに付け込んで金と時間と労力を使わせてるから批判されてるんじゃないかな
これってオタ活と「本質的」に変わらないの?
むしろ「結果的に見返り無し」という部分が同じなだけで「推しの成功」と「自分の成功」求めているものは違うと思うんだけどなぁ。
スカウト型の就活サイトで適当にアポとって何回かWeb面談したら慣れた。
結果的に本命企業のWeb面接でもリラックスできたから、本当にオンライン万歳という気分。
みんな話題にしすぎ
彼の物語を補強することにほかならないよ
彼を押し上げたいのなら勿論良いけど
ディスりたい人のディスりたい気持ちが結果的に押し上げる構造が、一番残念だとは思わない?
天気の話でもしようよ
社員の一人が妊娠・出産し、育休を取ることとなった。めでたい。
もちろんこれは想定のうちで、ある程度バッファを持って労働力を確保しているので問題はない。
しかしこれが続くと流石に厳しいので、女性の割合をある程度以上多くはできないな、というのが正直な気持ちとしてある。
女性の割合が多いほど産前産後休暇と育児休業による労働力の減少リスクを想定せざるを得ず、それを見越した余剰の社員を雇う必要があるわけだ。
そして社員を余分に雇うと、そのコストを販売額に転嫁せざるを得ず、結果的に価格競争力がなくなってしまい、企業経営が立ち行かない。
つまり、男女の雇用機会が均等でなくてはならないのに、実際には女性だけが不当に雇用されない実態がある。
なぜこんなことが起こるのか。
全ての人が一律に休暇を取るのであれば、女性比率に関わらず全ての企業が同等に余剰社員のコストを負担せざるを得ず、平等に全てのコストが上がるので価格競争力も落ちない。
しかし現実には他社がそういったコストを払っていないため、自分たちもそこに対抗せざるを得ない。
つまり何を言いたいかというと、女性だけが産休・育休を取るのではなく、男性も取ることを義務化してしまうと、雇用も男女平等にできるんじゃないかなと思うわけです。
シリーズ物のメジャーバージョンアップでは当たり前になった旧曲の削除。
今回は特にKONAMI曲の一斉削除があり、両者の関係性がどうのだの、パクリ疑惑(疑惑っていうかパクリだわな。これについてはもう少し後述記載したい)で怒られただので半ば一方的にセガが悪者にされてる風潮があったので、視点を変えて反論したい。
・金にならんなら要らん。だから消す。
これはKONAMI曲以外にも当てはまりますね。流行りの曲を収録してコラボイベントとかやって限定アバターなりを貰う事により売り上げが伸びてユーザーは優越感も感じたりする。
流行りものなんだから当然流行りが過ぎればよっぽどの好き物でも無い限りは飽きてプレイ回数も減り、別の流行り、新曲をやり始める。
これは当たり前であり、そうでなきゃバージョンアップする必要性が無くなる。
あのエレクリが移植!すげーw
とか
で盛り上がる話題性が昔ほど無くなったのである。飽きたとも言える。
移植によるインパクトが無くなり、ただただ他社移植による契約手続きなり契約更新料なりで金ばかりかかってインカム増えないんなら、契約切って削除するよね。金にならんのだから。
・パクリだろうがなんだろうが初期費用が安くて金になるなら使う。要らなくなったら捨てる。
怒られるぞwいい加減にしろw
こう反応させてあーだこーだ言って広めた時点でセガの勝ち。なんにもしなくてもユーザーが宣伝してくれてるんだから。
これでどんなもんなんだ、どんだけ似てるんだよでインカム増えれば良し。やり過ぎだなんだで炎上するようなら削除すれば良し。
曲自体もBMSというグレーすぎるグレーな界隈から持ってきたもんだし、アマチュアないしプロ手前の作曲者が作ったもの。契約料もプロに頼むよりは安いと思う。
自社で作る手間が省け、安くあがって話題になってインカム増えれば良し。ダメで叩かれて炎上して、巡り巡ってやっぱりBMS曲はアカン。グレーな界隈だったけどこれをきっかけにKONAMIが本腰入れてBMSに対する扱い方を変える(最終的にはBMSを潰す)となったとしても、その費用、時間、手続きで苦労するのはKONAMIなのだ。
・じゃあBMS無くなったら溢れたコンポーザーはどうすんの?セガも恩恵受けてたじゃん。
BMSが無くなるとなるとまあ行き着くところはここになりますね。某Bから始まるイベントとかの優秀者もここからスタートしてプロになったりしてますからね。
建前上ではイベントはプロになる為の足掛かりではありませんとか将来的に企業製品に収録されるのが目的ではありませんとか綺麗事書いてますが、本音の部分では曲なりMVなり作る人にはプロになりたい、これでメシを食えるようになりたいと考えて動いている方が少なからずいるはず。
なんでそう思うって近年のBMSイベントがただのプロデビュー予選会になってるから。
BMS、それを取り巻く環境が好きだから曲を作ってて、結果的にプロになった。そういう素晴らしい道のりを辿った方もいるでしょう。
それとは逆に、プロになりたい、曲を作りたい、だから宣伝手段としてBMSイベントを使う。曲の話題性が企業の目に止まりオファーが来たら目的達成。
汚いやり方とか不真面目だとか言われるかもしれませんが、これも一つの手段です。なりふり構わずに使えるもん使って勝てれば良いんです。
だからなりふり構わない人はたとえBMSが無くなったとしてもすぐ様別の手段で売り込みを始めるだろう。各種配信手段しかり、元々企業が用意している公募フォームを使うなり。
結局は金になる事、金を稼ぐ事が企業、プロに求められる。一つのやり方に固執する事なく、なんでもやり、汚かろうがなんだろうが使えるもんは使って金にし、失敗したとしても被害は最小限に抑える。
TB1eは、ブリジストンから販売されている電動クロスバイク。
クロスバイクというは、ロードレーサーとママチャリの間にある、カジュアルにスポーティーな自転車のこと。
通勤通学などに推奨されている。
ここがいいよ!TB1e!
1.価格が安い
それなのにこのTB1eは最安値で14万円を切る。電動ママチャリと対して変わらない金額で買える。
2.ほどよくスポーティー
ここは賛否分かれるところだけど、まずタイヤがママチャリと同じで少し太い。
タイヤが太いということは最高速度が低下するデメリットがあるが、タイヤ自体が衝撃に強くなるので段差などで最徐行する必要がなくなる。
街中はむしろ車道歩道の行き来にストレスがないのでメリットのほうが大きいことに気づいた。
今まで乗っていたクロスバイクと比べると巡航速度は3km/hくらい落ちたけど、40kmの街中テスト走行では坂道と段差での減速が減った分トータル時間はほとんど差がなかった。
(距離や速度はサイクルコンピューターを別途取り付けて計測。)
ペダルを止めて惰性走行しているときとか、下り坂のときに充電してくれることによって、電池が長持ちするという仕組み。
ただ、よほどの長距離でなければ今の所そんなに必要とは思えない感じ。
バッテリー保護のために残量90%以下からしか機能しないのだけど、40km走っても85%残っていた。
まずハンドルの高さが3段階変えられる。高いほど姿勢が楽で、低いほど空気抵抗が減って最高速度が高くなる。一番低くしたところ、巡航速度で1km/h早くなった。
ハンドルグリップもデフォルトの筒状のものより、クッションのついた断面が卵型みたいなグリップに変えたほうが長時間乗るなら手のひらの負担が減って楽になる。
サドルも割とクッション強めのものが載ってるけど、amazonで2,000円くらいのに変えただけで全然変わる。先端が細いと漕ぐときの抵抗が減るので単純に速度維持が楽になる。
その結果、平地巡航速度は28km/hまで出せるようになった。
こうなるともともと載ってたクロスバイクと1~2km/hしか差がない。
なんでもOKは嘘。でも、原付免許で走れるキックボードとかに比べたら走れる場所の自由度はめちゃくちゃ高い。
もちろん法令遵守の上での話。
電動キックボードなのにナンバーつけないで違法走行してるの多すぎるし、違法モペットも本当に滅んでほしい。
前輪はパッドブレーキなので交換すると改善されるかも知れないけど、基本的には急ブレーキを必要としない運転を心がければそれほど問題はない。
歩道や見通しの悪いところではいたずらに加速しない。坂道も途中途中で減速するようにする。
電動アシストの良いところは再加速にストレスがないこと。それはつまりいつでも躊躇なく減速できるということで、結果的に運転が安全になるということがわかった。
もちろんその人に安全に運転する意識がないと歩道を暴走するような危険運転を生んでしまうものでもあるので、全てがそうというわけではない。
自転車好きだけど、年齢や体調的なもので半引退状態な人はまーじーでおすすめ。
それか新コロ感染者の伸びが今より鈍くなってて結果的にワクチン接種→現状復帰の流れが今よりも早くなって、その結果全体的に業界全体のダメージは今より少なく済んだかもね。
長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。
子供の頃からなんとなく漠然と、自分の人生は二十歳で終わると思っていた。
高校受験、学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。
憧れた高校に入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。
高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。
憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。
それで満足していたし、それ以上はなかった。
大学は行きたくなかった。
やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。
小学生の頃の昼休み、友達に「絵が上手いから漫画家になればいいじゃん」と言われた。
その時からなんとなく漠然と、自分は漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。
あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。
結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画も3Dも学べる大学に入った。
新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画やアニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。
実際、入学前に散々確認した3Dのモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。
かろうじて漫画の講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分のロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。
これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄な時間を過ごしすぎる。
二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。
それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。
つまり、この時点で気づくべきだった。
私に漫画は向いてない。
授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代のほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。
入学特典として、時間外でも個別相談で作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。
ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。
それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。
教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。
「あなたのネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから」
それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。
自分でなんとかしなきゃ。
とにかく、まずは一作。
そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。
せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。
5個の編集部に持ち込みに行った。
うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。
そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分の担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。
もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。
でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。
帰り道の足取りは重かった。
初めての単身上京、知らない街。
足を止めたら消えてなくなる気がしたから。
うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束の時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。
でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。
でも結局、編集部の名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者の自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。
結果から話すと、うまく行かなかった。
その頃には大学も卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部に投稿した。
持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。
漠然と、自分は漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。
元々していたアルバイトをフルタイムにして、漫画を描いていた。
しかしバイトがハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間に事務所でトーン貼りしたりしてた。
鬱になった。
正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー、作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。
ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。
話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。
当時の店長に相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。
元々2年で辞めるつもりだったし、漫画もバイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。
それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。
すごく嬉しかったが、断った。
雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。
両親はそれが心配だったらしい。
「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」
私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。
今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せな分岐だったのかもしれない。
面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。
当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者の自分には不可能だった。
家から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。
早速応募して、面接。
そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。
作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルームに作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。
お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。
その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手の役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。
あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)
そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。
その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しかし担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいか分からない状態だった。
そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。
展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…
初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。
アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。
相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当に意味不明な事を言われながら、最後に自分の好きなものを描いてみようと思った。
何を描いても、誰にも何も言われない。
好きなように、楽しく。
結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。
せっかく描いたし、SNSにあげてみた。
今まで私の漫画は学校の先生と、編集部の人くらいしか見たことがないし、反応をもらえた事はない。
いいねが1万件ついた。
びっくりした。
たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想のコメントもいっぱいついた。
嬉しかった。
それから、就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。
これで漫画は最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。
ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。
そしてそこで、いきなり連載になった。
今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。
そして実際単行本も出した。
これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。
当時の自分もそう思っていた。
でも実際は違う。
話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語にちょっと複雑な内容を追加した。
とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。
そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。
今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。
担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。
今でも配信サイトのコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。
描けなかった。
今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。
連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。
「よくこれで本が出ましたね」
持っていったネームも単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。
曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。
当たり前といえばそうかもしれない。
過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。
一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。
もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」
一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNSの投稿漫画と同じ。
商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。
3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。
悔しいけど、やっぱり自分には描けない。
その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。
その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。
描けなかった。
私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからはキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。
だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。
しばらく練り直して、やはり変わらなくて。
諦めて別の話を描くことにした。
そこからは真っ暗闇だった。
どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。
下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。
そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。
結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。
そんな事が2年近く続いた。
別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。
足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。
それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。
そろそろ30になる。
二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。
一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。
突然クラスの男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達に相談していた。
男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。
はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。
「別にいいし」
友達を作るのが怖くなった。
どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。
ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。
3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。
友達って難しいな。
親には言えなかった。
友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。
そのまま卒業した。
そう言われ続けて卒業した。
何人か連絡先を交換して話したりした。
仲良くなった人もいる。
ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装に制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。
ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。
100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。
オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。
ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。
趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達の感覚だった。
自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアでボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。
向かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。
そして、ボロボロの爪を見られた。
「オシャレだね」
怖くなった。
ボロボロにハゲた公園の遊具のペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。
しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。
男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。
それがたまらなく怖かった。
その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。
そう言うのが怖くて続かなかった。
そのままもうすぐ30だ。
家を出る能力がないので実家暮らし、毎日両親…特に母に怯えて生きている。
「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから」
少ないながらに在宅でアシスタントはしている。
両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。
本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。
当然、その分給料は減る。
給料が少ないから、その分早く自分の原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。
それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。
真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。
完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。
オスとメスの男女比が1:1でない集団であっても、オスを産みやすい遺伝子・メスを産みやすい遺伝子があって、数が少ない側の性別のほうが生まれやすい遺伝子が広まることで結果的に1:1に戻るらしい。1:1になれば産みやすい遺伝子も釣り合うので偏らないらしい。遺伝子ってよくできてるね。
そもそも日本だって戦争で若い男ゴッソリと減って性比が偏ったのに、あっという間に元通りになったよね。1945年以降の毎年の性比の推移ってグラフないかな。あるかな。
遺伝的に多様性を確保するために、たとえ偏っていてもいずれは自然に1:1に収束するようにできている。
とはいえ、性比が1:1でも一生のうちに一度でも生殖できる個体と、一度も生殖しない個体。というのは太古の昔からいたはずじゃね?って思うけど。そもそも二次性徴を迎えるより若く死亡する率が高かったわけだし。
種全体としては多様さと持続可能性を確保するために、より多くの個体に生殖してもらったほうが有利だとは思うけど、「個人の自由」を解放したら、そりゃあ美男美女に生殖の需要は偏る。そうでない個体は生殖できなくなり、多様さは減る。種の存続よりも「現世代の個人的な好み」によって生殖の成否が決定される。
あー。あとはその、男女で心身の作りが違うし、婦人病という女性しかかからない病気もあるわけだ。
つまりは環境的に「男性が死にやすい要因が増えた」とか「女性が死にやすい要因が増えた」といったケースへの強度を増すためにも、やはり性比を1:1にしたほうが生存戦略として強いのか。かも知れない。
数が少ない側の性別だけ死にやすい環境になったとき、片方の性が極端に数が少なくなったり絶滅してしまったら、生殖機会の確保が困難になるから。1:1が最も生殖機会は高い(選り好みは別として)
遺伝子は、生存するために常に数と性質に余裕を持たせておくわけだから、その「余裕」のための犠牲として、死んだり、自殺してしまったり、生殖できなかったり、多様性ガチャでメチャクチャ不利な先天的な初期スキルを与えられてしまったりする。来世に期待。
提言というほどでもない思考実験の類ですが、この視点てあまり見かけないなと思ったので書きます。
さて、我が日本においてはコロナに関係なく毎年10万人程度が肺炎で亡くなってます。ほとんどが高齢者です。
肺炎を患う原因の内訳としては誤嚥性が約7割、細菌やウィルス感染が約3割らしいのですが
誤嚥で死ぬようではいずれ細菌やウィルスにもやられるような状態と推測します。
言い方は悪いですが「キッカケ」待ち状態の方が毎年10万人くらいいる、ということかと思います。
肺炎はポックリ逝くわけでもないので、その大多数が亡くなるまでの一定期間
どこかしらの医療機関のリソースを使用します。ICUも含まれます。
月毎の件数では1月~2月頃がピークでありますが1年を通せば適度に分散しており
例年であれば医療崩壊をするようなことはありません。
ところが昨年から今年にかけ我が国では自粛生活をしているため「キッカケ」がありません。
本来であれば1年を通して分散して亡くなっていくはずの方々がストックされています。
しかし耐えるといっても限度がありますので、感染力がピークの1月~2月に発症が殺到します。
原因は結果的にコロナ感染かもしれませんがそこは本質ではなく、風邪でもインフルでも同じです。
分散していれば捌けるキャパも、数倍で襲われては厳しいでしょう。
もちろん、これをもって自粛など意味がない、やめるべきだ、などと言うつもりはありませんし、
政府としても「どうせ死ぬんだからバラけて死んでくれ」とも言えないでしょう。
誰だかわからんやつのお気持ち文蔓延ってる増田が言いやすいから言ったんだろ
実際こういう反応もらってんのみるとTwitterで言わなくて正解としか思えん
本気でルール化したいなら規約に書くし、Twitterでも呼びかける それせずに増田で吐き出してるのはまだ愚痴や不満程度に留まってるからだろ
似たような実験があったはず
ITサービスのwebヘルプデスクで、チャットでそのサービスについてQA可能。
そのチャットのアイコン、元々女のアイコンだったけど、男、金髪美女、猫?かなんかのキャラクターにしたらどうなるかって実験。
結果的には 金髪美女>>>>女(元のアイコン)>>>男>>猫の順番で暴言とか性的からかいが多かったそうな
呼んでいる~胸のどこか奥で~
あのさ、
千と千尋の神隠しが何が隠れたのか私見てないから分からないけど、
冒頭の台湾料理的な屋台料理を紹介するテーマの内容でも充分尺的には私良いと思うんだけど、
私の頭の中ではあの曲が流れるのぐるぐるってね。
ってそう言うことを言いたいんじゃなくって、
隠されたの!私の千尋が!って
あーあ、
気に入ってたのになぁ。
一瞬目を離した間に無くなっちゃったわ。
たぶん勘違いして持ってかれたんだと思うんだけど。
でね、
私のタオルが無くなったわけじゃ無い。
仕方ないなーって素っ裸で暖簾のギリギリの所まで言って首だけ間から出して、
番頭のおやっさんにタオルあとでお金払うから1つちょうだいな!って
っておやっさんにうかうかと裸を見せるわけにはいかないと思ってたけど、
幸い中の不幸で番頭さんが女将さんのときじゃなかったのも運の尽きよ。
まあ結果的にタオルはダダダよーってタダで貸してくれたから本当に良かったし、
教訓としては
色つき模様つきのタオルにしなくっちゃ、
また排水溝に流されても困るしね。
教訓として覚えておくはしっかりとこの身に!
であと面白かったのが、
誰も突っ込まないの。
それじゃぜんぜん追いつかない感じで、
私は勝手に手で開けられる蛇口からジャンジャン水を埋めるわけ。
私が身体洗ったり髪の毛洗ってたりしてる間の30分ぐらいでも、
1時間ぐらいでようやくいつもの湯量の位置までの水量レヴェルになったの。
で入ったらまるで水で冷たくて、
それにも誰も突っ込まないし、
そもそもとして、
自分で少なくなったお湯でさえ自分好みに変えられちゃうんだから。
まあタオル1本ぐらいは勘弁してあげるわ。
次行ったら出てきたりしてね。
タオルだけに。
うふふ。
まあ今週はもしかしてずっとハムタマゴサンドパーフェクト!って
感じでスーパータマゴハムサンドで全問正解がかかっている神回でもあるかぽね!
なかなかの梅味!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
キュレーターとは,現代美術の文脈において展覧会の企画・運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトルの展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。
今日のクラシックにおける自主企画の演奏会は,多くの場合「プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家が架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートのマネジメントは演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないか。クラシック音楽にも,お客さんと作品をキュレーションで架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。
ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。
目次
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
5.まとめ
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
繰り返しになるが,現状のクラシック系自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目を披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家の独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家は選曲やプログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。
でもね,正直クラシックのコンサートの演目って似たり寄ったりじゃないですか。
コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックのサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去の音楽を再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。
ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり,技術で劣る演奏家の演奏会に行く理由がなくなってしまうのである。
このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽は特に「文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須のレパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベルが結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。
結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーにしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツと東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要な西洋音楽的技術が結構低いんですよ。川谷絵音や東京事変やKing Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスはクラシックに比べて多角的に評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価の観点として強烈に幅を利かせているのである。
「プロの世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。
例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。
このゲームでは,プレイヤーが最初のガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身の活動への俯瞰的視座」とか「個性的な音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初のキャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…
まともなゲームの運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。
…まぁでも現実世界にはゲームの運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである。
そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会のプログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものにデザインできれば,技術でトッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。
「モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会でデザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品の価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。
また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインのキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。
一方,クラシック音楽の演奏会はどうだろうか。そこに「体験のデザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツは演奏(楽曲)のクオリティ,そのほかはあくまで付属品」だと考えているし,むしろ演奏のクオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。
キュレーターは自分で作品を作れない。その代わりに,個別の作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験をデザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイートの意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。
具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説,選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。
とはいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体を仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験をデザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!
…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤー兼キュレーターになれ,もしくは②プレイヤー兼クリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。
クラシックの演奏家って特殊な立場なんですよね。CDやスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽を聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車が自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手が自動運転にとって変わられるように,中途半端な演奏家はオーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器や音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊的イノベーションだと思っている。
だからこそ,演奏家は「他者の作品の再現」以外の価値を作らなければならないのだ。
こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏を聴くより,自宅のスピーカーでトッププロの演奏を聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯の時間に丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCDの中の人の方が上でしょ?…これが一般人の残酷な本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験をデザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。
また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやすく価値を提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者の作品の再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコースピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。
ちなみに,「自分の作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身が作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています。
女はゼロサムゲームで生きてない、こと恋愛においては。そして女は恋愛での勝利を経済的勝利にある程度変え得るので、結果的に全体的に見てゼロサムゲームで生きることもない。
これは連綿と続いてきた妾の歴史からみればわかりやすい。正妻になれずとも、ある程度の資産と優秀な種を手に入れた女のなんと多いことか。「真実の愛」でも求めない限り、女は最低でも好きな男の種か好きでもない男の資産は手に入る。
本当のゼロサムゲームは男だけ。人類にもそのほかの動物にも、一夫多妻制はあっても逆はほぼない。存在するヒマラヤあたりでも、実質的には乱婚だったりする。男は何人かの女に求められるか、誰にも求められないかのどっちか。フェミなんてのは少なくともセックスする相手がいて自分の子供は持てて国に食わせても貰える強者の立場で、尊厳がない!とか男と違って出世できない!とか高次元のことで悩んでられる勝ち組。フェミは被害者ぶる為に女は損というけど、実際にはモテ男>モテ女>非モテ女がシングルマザーは辛いだの男みたく出世できなくてお飾りの妻は屈辱だのとおままごとみたいな嘆き(全員少なくとも自分の子は持てるし日本じゃ食ってはいける)を繰り返してるわきで、非モテ男は自分の子を持てる見込みもなく静かに死んでいく。男同士で比べればゼロサムゲームとしか言いようがない。