はてなキーワード: 結果的とは
具体的に言うと、週1の在宅勤務が週4に。
在宅と出勤日の割合が逆転した。
結果的に在宅勤務と出勤日が逆転し、毎ひまになった。午後にはやることが無いから本気でボーッとしてる。
「在宅勤務 暇」で調べるとそこそヒットする。
しかし、ほとんど転職サイトへ誘導するための釣り記事であり全く参考にならない。
在宅勤務がヒマなときってみんななにしているの?
厚労相が「扶養照会は義務じゃない」って発言したとTwitterで見かけて、それに対するコメントとか引用リツイートとかが「これで生活保護受けやすくなる」とか「発言は守れよ」とか概ね好意的な風に見えたんだけど、それがどうしてかわからん。
扶養照会、つまり疎遠になってる家族とか親戚に連絡が言って「この人困ってるみたいだけどあなた援助できません?」って問い合わせが無しになって、これまで身内に恥を晒すまいと申請を渋ってた人が申請できるようになって、結果的に生保増えるのまずくね? いや、誰だって将来困ることもあるとか明日は我が身とか可能性としてはあるよ。でも基本的にみんな安月給でも頑張って働いてるじゃん。それで生保に対しては「もらいすぎ」だの「全部酒とパチンコで使うんだろ」とか叩いていたような。なのにその生保が増える可能性があることを歓迎するとはどういうこと?
Twitterでコメつけてるのはいつも生保叩いてる奴じゃないってことかな。でも誰だって生保増えたら困らないか? 社会が養うってことでしょ? 扶養照会でも自宅チェックでもしつこくやって、振り落として振り落として本当の困窮者だけを助けるんじゃだめなのかな。
年老いた姉妹が孤独死、とかそういうニュースがぽつぽつあるから世間が生保容認に傾いてるのか? 大事なのは対象者の見極めであって単にハードルを下げることじゃないと思うんだが。 コロナで皆困ってるのはわかるけど、今後誰でも気楽に申請できるようになったら破綻しないか? リプとか色々読んでみたけどどうもわからんので誰か教えて。
原因はデフレが続いたことで設備投資意欲が下がり、設備投資がされないのでOJTも低調になり、
なので、問題の主因はIT業界の構造や、IT教育の現場ではなくて、
これはもうただただマクロ経済政策の問題。つまり与党と日銀がちゃんとデフレ対策してこなかったのが悪い。
たまーにアメリカとかの大手ITとの国際競争力云々いうけど、別にGAFAと競争なんてしなくてもいいわけ本来は。
もちろん分野的に競合する会社は競争しなくちゃならない場合もあるけど、
日本のITという大きな括りで見るなら競争はいらない。ほとんど内需だけでもいい。
例を挙げると中国のIT企業は国の経済が好調なので、自国民しか使ってないサービスだけ提供しても大きくなれるし、
会社が大きく事業規模が拡大したり、挑戦的なサービスにも取り組むことで、結果的に技術力も上がってる
同様に自国内での消費だけでも会社は大きくなったし、開発が盛んになって技術水準も高かった。
IT業界の人って細かい技術に詳しかったり、ミクロな業界分析では凄い複雑なこと考えてたりするけど、マクロ面での視点に欠けてる人が多いね
そもそも自分たちが乗っかってる土俵、日本経済そのものに問題があって、それで業界の発展が上手くいってないんじゃないか。と考えたりしない。
物品支援なら受けるんかな。ただ、この場合アレルギーやら配送コストやらを考えると、現金に比べると弱い。
クーポン系ならと思ったけど、わざわざ現金がある現状であらたに仕組みづくりとレジ側にも対応が必要なので、そこまでするかという感じ。
なら給与で最近話題になった電子マネーにしたとしても、拒否する層はデジタル機器を苦手にしてそうで、電子マネーを付与しても結局は使えなさそう。
であればコスト度外視で仕事を作って、それを依頼することで給与を受け取ってもらう。現実的な感じはするけど、余計な手間が増えるし、そもそも仕事を出来ていれば経済的な困窮はしてないわけで。うーむ難しい。
抵抗運動をつづけた不平士族が新政府軍に叩き潰され一族郎党八つ裂きにされ
でも、朝食を食べたいなって思うようになって朝起きれるようになったかもしれない。
逆転と時間のずれで、ここ最近は朝日を浴びながら夕食を食べるような生活をしていた。
ただ、結果的にそれが良かったのかもしれない。
体が、朝日で空腹を催すようになったのかもしれない。
この状況が続いて元に戻れるといいな。
メンションもない愚痴ツイートに公式が自分から絡んでいくのもヤバいが、長文DMの締めに「死にたくなりました」
というキモすぎる絡み方の岩田編集長、DM晒された上に映画秘宝が存続の危機になってる今が一番死にたいんじゃないかな。
でも死ぬな。
映画秘宝の創立者の爪の垢煎じて飲めよ。いくら進撃ディスられても元気だぞ。
今も秘宝ファンに冷静になるように、被害者凸しないようツイートしているぞ。トランプとは大違いだな。
それが映画秘宝存続につながるからだってさ。本末転倒のいじましさ、味わい深いよね。
さて、キモDM被害者から双葉社への電話クレームを、映画秘宝編集部に回してしまったことで、結果的に加害者から被害者への
でも考えてみてください。
お客様窓口が
「大変ご迷惑おかけしました。担当部署に確認をして折り返し連絡させていただきます。」
とクレーム受け付けて
と担当部署に回したら、部署のトップが問題の張本人で直接コンタクトをとるまずい事後対応してしまう。
絡んだこともない公式ツイッターからおかしなDMが来たというクレーム、その公式ツイッターがなりすましでなく本物かどうか、
DM投げたの事実かどうか、担当者はだれか、とかゼロから双葉社の方で調べていくのはまあ無駄でしかない。
雑誌の編集プロダクションとか、TVの番組制作とか、別会社のお仕事のクレームはそっちに投げて調べてもらう。普通でしょ。
最初から、秘宝編集部はあそこなんかヤバい。クレームそのまま回したらまずい事態になる、双葉社本体側から調査を入れよう、
なんて発想できるなら、そもそも捨てられた秘宝を拾ってしまうわけねえよなあ。
たまたまトップが個性的な変人だったので犯人に探偵役をお願いする形になりおかしくなったけど、普通これで上手く回るわけだし
出版社側も高度な対応できるほどのコストもかけられないだろうし、経営的旨味はないのにリスク大きい雑誌の発行はやめようか
みたいになるので、秘宝ファンは冷静になって被害者凸するなよ、と町山ツイートしちゃう状況なわけです。
長すぎて倒れた事がある。
詳細は全然覚えていない、というか覚えていられるほどだったら倒れていないと思うけど、結果的に倒れてるんだよね。
今思えば朝ごはん抜いたりしてたのかな。いつもギリギリに起きて、走って学校まで行くこともよくあったから、運悪くその日に当たってしまったか。
子供が1歳で入った保育園は小規模事業なので3歳で卒園。このタイミングでの保活に失敗し、認可外園になった。
ところが子の持病が見つかったとたん2度も診断書提出させたあげく言葉を尽くして退園させられた。
認可外なのだから仕方がない。次の園が見つかるまでうちの子だけ遠出の外出をさせずに留守番させたのも仕方がないだろう。
ただ、退園を通告した園長はわたしがすんなり受け入れたと見たとたん「将来きっと今の状況も笑い話になりますよ」などとすぐに他人事の過去の良い話にまとめ上げようとしたことは覚えておく。
それでは認可園に転園しようと区役所に行ったら区の独自フォーマットの診断書を提出させるくせに、希望園は自分で探すルールだということで、普通の保活と同じ手順を踏むことになった。「やはりご自分で見て希望を決めていただかないと」ともっともらしいことを言って看護師勤務の園がどこかも教えてくれない。
そこで親がかたっぱしから10以上の園に電話して全ての園に1から持病の説明する。そして見学や面接もすることになる。そのうえで大抵「体制が整っていない」と丁重に断られるんだが、いくつかの園からは「おたくが入れるかどうかはこちらが決めることじゃない」とか言われるは新鮮だった。ほんとですよねー区が決めてくれたらお互い楽なのにねー。こういう園はつまり看護師が勤務しているということだろう。体制整ってると強い。
病気の説明が悪いのだろうかと思って持病を説明するサイトをぐぐると「この病気の子の親は過保護になりがち。健常な子と同じように集団保育させましょう」的に書かれてる。そりゃ過保護にはなるでしょうよ。この状況で子の教育のためだけに保育園や幼稚園に入れる鋼メンタルな親はいねーよ。
主治医は「まあ保育園は義務教育ではないから・・・」と言いながら度重なる診断書の要求には全部応じてくれた。内容はいつも「集団生活に支障はありません」というもの。うちと同じ思いをしているたくさんの子を見ているのだろう。
横浜市の子供の医療費がタダなのもありがたい。今までかかったのは入院時の付き添いベッドレンタル代と診断書3通の代金だけ。わたしの年収が百万単位で上がらない限り、今後何年も毎日飲む薬代を含めずっとタダなのだ。
そんな主治医や医療制度に感謝して、不平不満を言わない主義を貫いていたら、結果的には「うちが決めることじゃない」と言い放った園に普通に通ってるよwww区が決めたんだから仕方ないよねwwwww1歳の時も3歳の時も普通の保活では入れなかった超絶近所の認可園に決まったのでほんとラッキーだわwwwwそういえば認可園って保育料タダなんだなwwwwww
インプラントも、金歯も、セラミックの歯も、保険診療の適用対象にならない(一応なる事はあるけれど条件が厳しすぎて殆どの人は無理)
歯科の保険適用の範囲を広げて最初から高度な治療を受けられるようにした方が再発が少なくて結果的に医療費も少なく抑えられると思う
予防歯科が一般化しないのも費用対効果が怪しい割に料金は高いからだと思うし
歯科医療の保険適用を広げろ!って主張、民医連のサイトでちょっと見掛けたくらいで
政治家でも言ってる人を見掛けない
無理やり合格祈願をもじった感じのお菓子とかを見かけて思ったんだけど、合格祈願のお菓子って本質は呪いの藁人形だからえげつないよね。
大学受験に限って言えば合格の枠は決まっていてその枠に収まれば合格、その枠から溢れれば不合格ってわけだ。
つまり、その人が合格を祈願し、それが成就されるってことは一定数の誰かの不合格によって成り立つ。
(定員割れなんてことも状況としてあるにはあるだろうけど、それはそもそも合格祈願に至らないと考えるよ。)
ゲン担ぎに合格祈願の商品を買うそれは、自分が合格まで収まる程度の人数の誰かの不合格が発生することを願うこととも言えるわけで。
そうすると、合格祈願のお菓子を買って合格を願うのは結果的には呪いの藁人形で誰かの不合格を願っているともいえる。
えげつねぇな・・・。
小泉は熱狂的支持をもとに勝ったから盤石な政権になりましたよ。結果的に見れば氷河期を作り、その後の成長もなかったがね。
政府が金融、財政、税制で経済を調整し、税もその一環で貯め込むやつは増税、使ったら減税と調整する手段に使うケインズ主義と。
ぶっちゃけメディア、特にテレビ局が頑張れば新型コロナの感染者数が減って全て解決するのでは? と思っている
馬鹿を減らせば感染者は減るわけだから、偏差値40にもわかるようなCMを流しているテレビ番組が活躍すれば良い
テレビ見ない奴でも話題になれば切り抜き画像・動画がネット上に出回るので、結果的に見ることになる
感染者数減る → 旅行や外食業等の売り上げが改善する → スポンサー復活する、でテレビ局にも良いことだと思うが、何故できないのか
>> [名](スル)家計の負担を軽くするために、子供を奉公に出したり養子にやったりして、養うべき家族の人数を減らすこと。 <<
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A3%E6%B8%9B%E3%82%89%E3%81%97-484194
将来、社会福祉や医療の分野で社会の「経済的負担」になる人が、罹患して発症して重症化して死ぬんでしょ?
成人病予備郡や、不健康な高齢者、そのうち特に経済力がない、感染予防をする知力がない弱者、直接病気で死ななくても、失業したりするのも低所得者や、日本に過剰に存在する飲食業の人たちで、最終的に社会の「経済的負担」になりそうな人たちばかり。
安楽死も簡単にできない、姥捨て山なんてない、障害者の人権も守らなくてはいけない、どんどん負担が増えていく、「福祉」にかかる将来の負担をどんどん削って、
コロナを放置すれば現代では倫理的にNGなことしないで口減らしできるよね。
どんどんかかってどんどん死ねばいいって、未だに思ってしまう。
かかってしまって後遺症が残った人たちが余計に医療に負担になるとか、実際かかってしまった後のトータルコストがどうなるのかとか、微妙なところだと思うし、
倫理的に人を殺してしまうのは良くないこと、殺人や差別をなくすことが社会的の発展や安定には、必要なことなのはわかるから、みんながこれを大声で言うのは駄目なので、いまのように、命は大切って言い続けていただかないといけないのだけれども…。
そして、多様で豊かな文化のためには、色んな人がいっぱいいるのが重要ってのもわかっているつもりなのだが…。
やっぱり、いま口減らしされるのは良い時期なのではないかと考えちゃう。
こういうの書くと、自分がそうなったときのことの想像力が足りないとか言われるんだけど、結果的に自分が足切りの対象になるかもしれないのは、まあ気にならないよ。だって想像力がないんだもん。
結局、コロナは完全に口減らし、どんどん高リスク群の人たちは、罹患してしまえばいいっておもってしまう。
どれくらいの人が同じこと思ってるんだろう。
コロナ頑張れ。
というかチンポに関する質問自体を避けたほうがいいと言いたい。
いきなり何言ってんだと思うかもしれないが俺は自身の経験からそう考えるに至った。
わりと真面目な話なので、どういう事なのかちゃんと説明していく。
俺は、チンポが長い。
チン長30センチを超えている。
なかでも一番困ることのひとつは、
他人からチン長に関する質問をアホほどされることだと思っている。
俺は今まで生きてきて数え切れないくらいチン長に関する質問をされてきた。
よくある質問がこういうやつ。
「合うパンツ見つけるの大変じゃない?」
「昔から長かったの?」
「家族も長いの?」
「どうやったら長くなるの?」
「カルシウムたくさん摂ったの?」
「牛乳よく飲むの?」
「どうやってしまってんの?」
「トイレどうやるの?」
「AV男優やらないの?」
「チン長比べてみてもいい?」
「ちょっとチン長分けてくれない?」
他にも沢山あるが省略する。
こういう質問は大抵セットで訊かれるというか、
パターンは違えどだいたい同じことを一通り訊かれる。
後で詳しく書くが、これがまた困るのよな。
例えば、通りすがりの人間、信号待ちの人間、ATM待ちの人間、レジ係の人間、散歩中の猫など。
その場に偶然居合わせただけの人間から訊かれることもわりと多い。
大抵の人間は礼儀正しいが、なかには失礼な態度で絡んでくる輩もいる。
「いま急いでいるのですいません」と答えた途端にキレる輩もいる。
質問ついでになぜか延々自チン語りをする輩もいる。
当たり前のように質問して一定時間拘束しようとする人間はマジで困る。
もちろん全員が全員そうではない。
でも人の都合なんかお構いなしって人間には、どうしても出会ってしまうのよな。
そういうのは”通り魔”と呼ぶほかない。
よく会っているはずの知り合いから定期的に訊かれることもあった。
好きでもなく親しくもない先輩から何度も何度も同じことを訊かれるのは正直ウザかった。
そういうのに悪気がねえのは知っている。
単なる会話のきっかけであるとかポジティブな意味合いで訊いているのも知っている。
だがそういうことじゃない。
主に問題なのは、俺の都合などお構いなしにそれが何度も繰り返されることだ。
俺は元々他者とのコミュニケーションがそんなに好きな方じゃない。
そんな人間が、
何度も何度も同じことを質問され、
何度も何度も同じことに答えるのはやっぱりしんどい。
一個一個は些末なことであっても塵も積もればそのストレスは山となる。
同じ問答の繰り返しは少しずつ負の感情を増幅させる。
誰にも相談すらできないなら尚更。
あんたが何気なくぶつけた質問も、俺にとっては百万回目の質問ちゅうこった。
加えて言うなら、これがもし”玉の大きさ”や”ハゲ”だったらということ。
知らん人間からいきなり「玉大きいねぇ!何グラム?」と訊かれたら。
知り合いから「相変わらずハゲてるねぇ!あと何本?」と頻繁に訊かれたら。
前者はもちろん、後者も関係性次第でハラスメントになるだろう。
大抵の人間にとってはそういう質問をすること自体が憚られるはず。
でも長チン相手だと話は違ってくる。
同じく身体的特徴に関する質問でも、「チン長何センチ?」は気軽にして良いものと思われている。
セクハラというわけでもないし、長チンはポジティブな要素だから世間的にはOKだと捉えられている。
世間的にはそこまで大したことじゃないから言い出しづらいってのもある。
こういうことを愚痴っても自慢話にしか思えないって意見があるのもわかる。
共感できねえよ、知らねえよ、どうでもいいわ、てのもわかる。
チンポはでかいのに器は小さいんだな、てのも実際言われたことがある。
両親にすら同じようなことを言われた。
愚痴っても誰にも分かってもらえないこと。
とりあえずポジティブチンキングでいけと励まされ話をそらされること。
もっと辛い人もいるんだからその程度のこと気にすんなよと言われること。
大人になった今はそれも理解できるが、子供の頃はやはり辛かった。
だから俺は、玉が大きい人間の玉が大きいことによる愚痴や不満を自慢とは思わない。
最近は玉に関する悩みも真面目に受け取られるような風潮になっていて良いことだなと思う。
ただし自虐風自慢はクソだと思っている。
うちの兄貴の自虐風長チン自慢を見ていると毎回アッチンブリケしたくなる。
兎にも角にも、
チンポの長い人間に安易にチンポのことを訊かないほうが良いと言いたい。
そして、チンポが長い人間だけの問題じゃないとも俺は考えている。
他にも色んな人間が同じ様な悩みを抱えている気がする。
だから俺は、彼らに対して安易にそういう質問をぶつけないように気を付けている。
質問するにしても、その人個人のことを見極めてから、あるいは親しくなってからだ。
だが今回の話は結局のところ、ほとんど俺個人の経験に基づく話でしかない。
いろいろだと思う。
だが質問責めが好きじゃない人間もいるということだけは覚えておいて欲しい。
そして俺と同じ様な悩みを抱えている人間がどれだけいるのかも知りたい。
余談だが、昔の俺はチン長に関する質問にはいつも真面目に答えていた。
根がクソ真面目な人間なのでそういうのでボケたり適当ぶっこくことができなかった。
そのうち私生活で色々あって鬱になり、そこから質問にはほとんど適当に答えるようになった。
真面目に答えないことに最初は罪悪感めいたものもあったが段々気にならなくなっていった。
そうしたら少しずつ気が楽になっていったのを覚えている。
その後色々あって鬱ではなくなり、気付けば質問されることも前ほど嫌じゃなくなっていた。
そういうやつには無表情で勃起すると大抵訊いてこなくなる。
あしらい方を覚えられたと考えれば結果的には良かったのかもしれない。
ちなみに俺は自分のチンポが長いことそれ自体を嫌だと思ったことは一度もない。
むしろ誇らしく感じているし、そういうところが俺のいいところだと思う。
今の時代、若書きが通用するのって小説だと純文学とライトノベルだけだよ。
で、なんでそういうことが日本の文芸だけで起きるのかっていうと、出版社が一種の芸能事務所化しちゃっている日本の特殊事情に原因がある。
海外では基本的に在野のエージェントを通すなどしてそれなりに選別されたうえで出版するかどうかが決まるから若くしてデビューと言っても日本ほど早くないし、また欧米は特に文学の全体を貫く文化的な文脈があるから批評家が機能していて、文学理論を無視した雰囲気小説は全く評価されないので学んでいない勢いだけの作家は頭角を現しづらい(ほぼ不可能)。
日本の現代作家ってあんまり文学理論学ばないからそもそも世界的にはレベルが低いんだけど、とりわけ純文学は作家が育たない。その原因は80年代ごろから顕著になるけど出版に広告代理店が絡んでマスメディアと癒着し始めたため(著名な流行作家とかが昔テレビに出てたのはこの流れのせい)、ほそぼそとやるだけでは純文の編集部が肩身が狭くなる一方なので注目を集める素材じゃないと売り出せない状況になったから、売りどころがわかりづらい純文学はしだいに「若い女性」とか「アウトロー」みたいなので広告的に盛り上げられる人選になっていったため。で、売り出したら売り出しっぱなしで育て方がわからないのでモブ化するしかなくなる。
いわゆる「瑞々しい感性」っていう売り文句はこういう雑な売り方を強引に肯定したもの。
エンタメ小説は技術体系が比較的出来上がっているので良否の判断がつきやすい。だから結果的に技術的に未熟な作家は取り上げられにくい。
ライトノベル(ジュブナイル小説ではないいわゆるオタクが好むタイプのラノベ)はある意味ポストモダンの申し子で構造が破綻していた方が面白いから未熟さが売りにできるので、純文学に近いスタンスになっている。
ちなみに明治大正のころも若い文豪がいっぱいいたという反論がありそうなので先に封じておくと、あれらの作家は同人誌から出発している半同人作家で、そもそも出版業界自体も未熟で小さく尾崎紅葉や夏目漱石などといった作家の弟子であったり同じ大学のよしみみたいなコネデビューしかなかった。
自分はプログラミングほぼ未経験(大学の学部時代にCのコードを写経して動かすと単位がもらえる謎の講義に出たことがあるぐらい)の状態から、社会人になってから独学でPHPを勉強していわゆるweb系のソフトウェアエンジニアに転職した。以後8年近くソフトウェアエンジニアとして働いている。
初心者向けのプログラミングスクールの話題が尽きないが、スクールに通わなくても独学でもなんとかなった自分みたいのもいるよ.という例を紹介してみたい。このエントリがプログラミングに興味がある人の役に立てば幸いである。昔の話なので出てくる話題が古いのはご勘弁いただきたい。
なお、web系のソフトウェアエンジニアになる前は、上流系SIerでExcelと顧客折衝をがんばるSEをしていた。基本情報ぐらいは持っていたがコードを書く業務は一切なかった。
いきなり何言ってんだと思うかもしれないが俺は自身の経験からそう考えるに至った。
わりと真面目な話なので、どういう事なのかちゃんと説明していく。
俺は、背が高い。
なかでも一番困ることのひとつは、
他人から身長に関する質問をアホほどされることだと思っている。
俺は今まで生きてきて数え切れないくらい身長に関する質問をされてきた。
よくある質問がこういうやつ。
「靴のサイズは?」
「合う服見つけるの大変じゃない?」
「昔から大きかったの?」
「家族も大きいの?」
「どうやったら大きくなるの?」
「カルシウムたくさん摂ったの?」
「牛乳よく飲むの?」
「バレーやってるの?」
「バスケやってるの?」
「なにかスポーツやらないの?」
「身長比べてみてもいい?」
他にも沢山あるが省略する。
こういう質問は大抵セットで訊かれるというか、
パターンは違えどだいたい同じことを一通り訊かれる。
後で詳しく書くが、これがまた困るのよな。
例えば、通りすがりの人間、信号待ちの人間、ATM待ちの人間、レジ係の人間、散歩中の猫など。
その場に偶然居合わせただけの人間から訊かれることもわりと多い。
大抵の人間は礼儀正しいが、なかには失礼な態度で絡んでくる輩もいる。
「いま急いでいるのですいません」と答えた途端にキレる輩もいる。
当たり前のように質問して一定時間拘束しようとする人間はマジで困る。
もちろん全員が全員そうではない。
でも人の都合なんかお構いなしって人間には、どうしても出会ってしまうのよな。
そういうのは”通り魔”と呼ぶほかない。
よく会っているはずの知り合いから定期的に訊かれることもあった。
好きでもなく親しくもない先輩から何度も何度も同じことを訊かれるのは正直ウザかった。
そういうのに悪気がねえのは知っている。
単なる会話のきっかけであるとかポジティブな意味合いで訊いているのも知っている。
だがそういうことじゃない。
主に問題なのは、俺の都合などお構いなしにそれが何度も繰り返されることだ。
俺は元々他者とのコミュニケーションがそんなに好きな方じゃない。
そんな人間が、
何度も何度も同じことを質問され、
何度も何度も同じことに答えるのはやっぱりしんどい。
一個一個は些末なことであっても塵も積もればそのストレスは山となる。
同じ問答の繰り返しは少しずつ負の感情を増幅させる。
誰にも相談すらできないなら尚更。
あんたが何気なくぶつけた質問も、俺にとっては百万回目の質問ちゅうこった。
加えて言うなら、これがもし”胸の大きさ”や”体重”だったらということ。
知らん人間からいきなり「胸大きいねぇ!何センチ?」と訊かれたら。
知り合いから「相変わらず太ってるねぇ!いま体重何キロ?」と頻繁に訊かれたら。
前者はもちろん、後者も関係性次第でハラスメントになるだろう。
大抵の人間にとってはそういう質問をすること自体が憚られるはず。
同じく身体的特徴に関する質問でも、「身長何センチ?」は気軽にして良いものと思われている。
セクハラというわけでもないし、高身長はポジティブな要素だから世間的にはOKだと捉えられている。
世間的にはそこまで大したことじゃないから言い出しづらいってのもある。
こういうことを愚痴っても自慢話にしか思えないって意見があるのもわかる。
共感できねえよ、知らねえよ、どうでもいいわ、てのもわかる。
体はでかいのに器は小さいんだな、てのも実際言われたことがある。
両親にすら同じようなことを言われた。
愚痴っても誰にも分かってもらえないこと。
とりあえずポジティブシンキングでいけと励まされ話をそらされること。
もっと辛い人もいるんだからその程度のこと気にすんなよと言われること。
大人になった今はそれも理解できるが、子供の頃はやはり辛かった。
だから俺は、胸が大きい人間の胸が大きいことによる愚痴や不満を自慢とは思わない。
最近は胸に関する悩みも真面目に受け取られるような風潮になっていて良いことだなと思う。
ただし自虐風自慢はクソだと思っている。
うちの兄貴の自虐風高身長自慢を見ていると毎回アッチョンブリケしたくなる。
兎にも角にも、
背の高い人間に安易に身長のことを訊かないほうが良いと言いたい。
他にも色んな人間が同じ様な悩みを抱えている気がする。
だから俺は、彼らに対して安易にそういう質問をぶつけないように気を付けている。
質問するにしても、その人個人のことを見極めてから、あるいは親しくなってからだ。
だが今回の話は結局のところ、ほとんど俺個人の経験に基づく話でしかない。
いろいろだと思う。
だが質問責めが好きじゃない人間もいるということだけは覚えておいて欲しい。
そして俺と同じ様な悩みを抱えている人間がどれだけいるのかも知りたい。
余談だが、昔の俺は身長に関する質問にはいつも真面目に答えていた。
根がクソ真面目な人間なのでそういうのでボケたり適当ぶっこくことができなかった。
そのうち私生活で色々あって鬱になり、そこから質問にはほとんど適当に答えるようになった。
真面目に答えないことに最初は罪悪感めいたものもあったが段々気にならなくなっていった。
そうしたら少しずつ気が楽になっていったのを覚えている。
その後色々あって鬱ではなくなり、気付けば質問されることも前ほど嫌じゃなくなっていた。
そういうやつには無表情で冷たく答えると大抵訊いてこなくなる。
あしらい方を覚えられたと考えれば結果的には良かったのかもしれない。
ちなみに俺は自分の背が高いことそれ自体を嫌だと思ったことは一度もない。
むしろ誇らしく感じているし、そういうところが俺のいいところだと思う。