はてなキーワード: 物言いとは
うっすらとしたフラグだと、これはフラグだという自信が持てなくてスルーしてしまい、
あからさまに口説かれる、ゴリゴリ来られる場合しかフラグを育てられなくて交際に繋がらないのだけど、
これまで付き合った人全員、ボダっ気があるというか、年齢不相応な構ってちゃんというか、精神が不安定な人だった。
彼女が絶え間なく居る。浮気はしないが、関係がダメになりそうになると次の好きな女を作る。女友達もたくさん。
コミュ力が高いというより顔色を伺う。自尊心が低い。過去の暗い話を良くする。営業職で、飲み会でははしゃぐが、根は暗い。
精神が健康な人(承認欲求過剰でない人)と付き合おうと思ったら、うっすらとしたフラグを嗅ぎ取って、
ある程度は自分も積極性を持たなきゃいけないのかもしれないな。
健康な人はそこまで恋愛に餓えてないもんな。渇望がないから積極性にも欠ける。
ChieOsanai よほど変なコミュニティにいるのか、よほど増田が鈍いのか、よほど増田がブs………あ、ごめん。なんでもない。今の忘れて。
学校や、仕事で知り合う営業職の人で、変なコミュニティで知り合ってはいないと思うんだけど…。趣味では男と知り合わない。
あと私自身も学生時代はカフェ店員などの接客バイト中心で、今は営業職、とんでもないブスだったら回されない仕事だと思う…。
ボダって言っても、大量服薬するとか、手首切るレベルの本物ではないと思う。
自己憐憫っぽい物言いがすごく多くて、演劇くさい喋り方をするというか。デートは演出してくれるけど、私はそういうのあまり必要としてない。
愚痴っぽい。女々しい。最初はわかりやすい好意の表現に引っ張られて付き合うけど、根暗さに辟易して突き放すように別れるパターン。
好意の「表現」はオーバーだけど、実際は自分に酔ってるだけで、自分にしか関心が無いのが見え見え。別に自分に酔うのはいいけど。
あと清潔さや、容姿に気を遣うのは長所だと思う。でも性格が……根が本当に暗くて……愚痴聞くのがしんどくて付き合ってられない。
すぐ泣くのも鬱陶しい。女々しい以外に形容しようがない。うざい。重い。それがボダっぽいと感じる。
それそれ。追えない。そもそも、追いたくなるほど好きになる人も居ない。
普段増田のトラックバックには反応しないことにしてるんだけど、
勘違いされているままだと残念なんで、はてブ稼ぎをやめて真面目に書いとくよ。
まず、「アニメ業界の場合を妄想してみる」を書いたのは、cider_kondo さんで、
http://anond.hatelabo.jp/20150429120948
こっちの「残念妄想(というか衒学的自己満足文章)に目が点である。」を書いたのもcider_kondo さんで良いのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20150430030805
もし違っていたら、大変申し訳無い。
以下の文章は誤認した文章となり恐らくcider_kondoさんにとって不愉快な文章になると思うので、謝罪しておきます。
id:cider_kondoと明示的に記載するので、大変お手数をおかけいたしますが、不愉快に思われた場合は運営に削除申請をお願いします。
で、
cider_kondo 駄目だこりゃ。「育成コストを負担したのに移籍されたら丸損」(これ業界の人も普通に指摘してる問題点なんだけど)に「金額関係ない」とか意味不明な返しでただの煽りと解釈するほかないな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150430094552
と、書かれているので、http://anond.hatelabo.jp/20150430094552を、http://anond.hatelabo.jp/20150430000956と、同一増田が書いたと思われていると判断して、以下の文章を書いています。
違います。
cider_kondo 何回でも書くが、現在の動画職は事実上のインターンで1年2年あれば普通は原画職に上がり、収入は倍以上増える。110万というのは訓練中の新人を集中的に集計したようなもの。搾取云々でなく新人育成の不備が課題。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1504/30/news078.html
凄いタイムリーにコメントされてたのを発見して、ほぼこれに対する反論と同じ内容が、下記延々と細かく続くだけです。
その1年か2年の訓練中の新人に、年間110万円しか払わないのが反社会的です。(倍でも220万円ですが)
そのたった1〜2年を、企業側が年収300万円程度渡せず、なぜ雇用者側が耐えなければならないのか、事実上の労働者と判断された瞬間に崩壊するよ、という話です。
(実例もある。ほぼ全く同じ構造でその名も「インターン」と呼ばれていた日本の研修医は、新しい臨床研修制度で平均給与が250万程度から350万程度へとアップした。なお、この背後も関西医大の研修医過労死訴訟が絡んでる)
(なお、個人的には「倍でも220万円ですが」の背景にある部分がこの問題の本質で、アニメーターは末端だから顕著に出ているだけだと思っています)
「国内アニメーターを活用している」の日本語の不自由さが謎なのだが、「国内に動画工程を残している」という意味か?
『「原画マンになれそうな見込みのある人間を雇って、相場よりも高い給料を払って動画の勉強をさせる」という選択肢はほぼありえない。零細企業の多い制作会社でそれだけの余裕があるところは少数だし、原画を描けるようになったところで独立・移籍されたら単なる丸損である。』
とあるのだが。
前者がYESです。
後者が「その選択肢はありえない」というのが企業目線であって、労働者目線ではないという指摘です。
「原画マンになれそうな見込みのある人間を雇って、相場よりも高い給料を払って動画の勉強をさせる」という選択肢はほぼありえない。零細企業の多い制作会社でそれだけの余裕があるところは少数だし、原画を描けるようになったところで独立・移籍されたら単なる丸損である。また、「生活できない収入しかもらえないからこそ、死にものぐるいで練習して少しでも早く原画に上がれるように努力する」というのがなくなると、「いつまで経っても上達せずにだらだら過ごしてしまう人間」も出る(実話)。
念の為、言葉を置き換えて整理しますが、以下で間違いないでしょうか。
(以降も同じですが、違う場合は、たぶん誤読しているので、その点を指摘頂ければ、その部分は修正します)
ここでは、「相場よりも高い給料を払って」を、元々の増田やcider_kondoさんの単純化に倣って、年収300万円相当としています。
そういう零細企業は、企業としての体をなしていない、つまり、雇用を生み出すという社会的責任を果たしておらず潰れるべきだ、というのが元々の増田の論旨で、私も原則的には賛成です。
現状そうである、と、そういう企業は適切に給与を払うべきである、は別だと考えます。
この記載から、現状の低賃金労働環境でなければ(つまり、年収150万円以下のアニメーターを前提としなければ)国内動画は不可能だと判断されているかと思います。
そして、以後、国内アニメーターは、「原画マン育成のためだけに雇うor雇わない」という話を展開されていると考えました。
私は、それは認識が違うのではないか、既に海外への動画発注の依存度合いはかなり高いのではないかと反論しました。
その上で、「国内動画は海外動画とは簡単に置き換えられないのに、『海外動画と張り合うにはダンピングしか無い』と騙して働かせていないか」と露悪的に表現しました。
現状のアニメーターと、年収300万円相当のアニメーターとで、独立・移籍に対する、ハードルは同じだと考えます。(むしろ上がる)
「企業側から見て」損である、というお話をされているかと思います。
それは、「損」ではなく「違法労働で得をしている」状態の是正ではないか、という点を話そうとしています。
上記引用部からは直接読み取れませんがたぶん「教育コスト分の損をする」というお話ではないでしょうか。
これは、かなり広範囲に適用できる話かと思いますが「企業が教育コストを負担するべきではない」というお話をされていますでしょうか?
アニメ業界だけ、教育コストを負担しないとする理由はなにかありますでしょうか?
(競業避止義務は、通常「事実上、転職元の企業の資産を使って、転職先の企業を有利にする」と判断される場合のみで、肉体労働者やIT技術者等が前職で一般的な技術を得てから転職しても、制約を受けません)
これに対して「奴隷を扱う人間の物言いであり、日本企業として許されるべきではない考え方だ」とは述べました。
特に反論はないので、この点に関しては、余談だったのであろうと思います。
(社会道徳を無視して、アニメ業界のためにシゴキが許容されるとは、cider_kondoさんも考えておられないと思います)
そして、現状の動画の大半が海外発注&動画職の平均年齢&原画な人たちが動画として働いてた期間を見たら、育成・選別過程と解釈する以外あり得ぬ。
「アニメ業界の場合を妄想してみる」の記載とは若干矛盾があるようにも思いますが、現状の「動画の大半が海外発注」という点は、共通認識があると思います。
また、「育成・選別過程と解釈する以外あり得ぬ」という記載から、「国内発注の動画は、原画マンの育成・選別過程である」と考えておられると思いますが、間違いないでしょうか?
(「現状既に少ない原画マンを増やすべく、国内アニメーターを活用している」は、上記の意味で用いています)
この現状であれば、既に採算を度外視して、「教育課程として」国内動画を発注しているという意味になると思いますが、この点に齟齬が有りますか?
これに関しては、2点、違うのではないかと指摘したいです。
20年前ならいざしらず、今でも国内の方がトータルでコントロールしやすいという根拠は何かあるのか? あるなら具体的に教えて欲しい。
具体例は出せません。例えば、海外の方がトータルでコントロールしやすいとする根拠は明示頂けますか?
公開されたインタビューや、公開情報以外では、こういった情報は各方面に迷惑がかかる為、お互いになにか手持ちの情報があってもココには書けないということにはご同意頂けると思いますが。
(9年前でよければ「MUSASHI GUN道」の木下ゆうき監督が韓国のアニメーターとのコミュニケーションに苦労されたとするインタビューが公表されていたかと思います)
動画枚数ではなく、例えば「明確な指示が無くても作業をしてもらえる」等を指して、無茶と言いました。
この点に、おそらくcider_kondoさんと認識に相違があります。
cider_kondoさんは、上記3点を前提とされていると思いますが、違いますか?
私は、1番には同意します。2番と3番には同意できない、という話をしています。
2番に関して、動画は海外発注できるできる部分と、できない部分があると考えています。
つまり、原画と原画を繋ぐだけではなく「本来は原画にすべきもの」をアニメーターが補っている部分がまだあると考えるからです。
こちらは、例示できます。
日本アニメ(ーター)見本市の第6話「西荻窪駅徒歩20分2LDK敷礼2ヶ月ペット不可」の動きは、原画によるものではなく、アニメーターの力量が出ていると考えています。
恐らく韓国発注でも、原画の枚数を増やし密なコミュニケーションを取れば、同じクオリティーのものは出来ると思います。
ただ、上記でまさにcider_kondoさんが書かれている通り、スケジュール管理しきれない現状で、遠隔地と密なコミュニケーションを取るのは難しいのではないか、との指摘でした。
3番に関して、1番との整合を指摘される前に詳細に書きますが、「教育のため」である点は否定しません。
アニメは「原画マン」が命であり、「原画マンになるにはアニメーターは良い勉強になる」点は、その通りだと思います。
そこで、(あまり品はよくありませんでしたが)スタジオジブリが国内生産に拘っていた、業界内では有名な理由を挙げました。
ただし、「教育の為だけに、採算度外視して国内発注しているのではないか」というのは、同意できません。
それは、2番や「無茶」の理由が大きい為、海外に出せない工程として国内が残されている(良いように使われている)と考えるからです。
と書かれていることから、「教育コストを払い、アニメーターとして年収300万円で雇い、原画マンに育てた後、移籍・独立されれば損をする」と考えておられるのではないかと思います。
もしも「国内動画は、採算度外視して、教育のためだけに発注している」としても、それは甘いのではないか、アニメ業界だけ特別にルール整備をする理由は無いと考えます。
なぜなら、独立や移籍をされて困るのであれば、相応の給与を払いメリットを明示し、社に残ってもらうのが一般企業だからです。
例えば、IKEAやUNIQLOが、アルバイトを限定正社員として雇用形態を変えたのは、囲い込みの為だと考えています。
(余談にはなりますが、狭い業界ですので、露骨なヘッドハンティングはあまり横行しないのではないかとも考えていますが、こちらは単なる想像です)
また、独立されるから給与を払いたくない(実質的に雇っているが、最低賃金以下でしか雇わない)のは、法令違反だと考えます。
ただし、「現状誰も何も言わないのに、自ら率先して始めるインセンティブが低い」というのは同意します。
そして、それ(ある日突然、アニメーターを正規雇用しなければならなくなった時)に備えない企業は、その時に潰れるのではないかと述べました。
「アニメーターは原画マンへの教育課程でしか無いので、教育コストを払えないor払っても損する現状では払えない」は、2つの理由から違うのではないかと反論します。
1番を無視して「国内アニメーターが海外動画勢と戦うには、ダンピングしか無い」とするのは、不誠実であると思います。
また、2番に関しては、(私は同意しませんが)cider_kondoさんの言われる「国内動画は教育課程でしか無い」という前提をおいたとしても、給与を払わない理由にはならないと考えています。
cider_kondoさん自身が述べておられますが、20年前ならいざしらず、現状で海外動画発注に完全置き換えできないのは、理由があると言うのはご同意いただけると思います。
cider_kondoさんは、完全置き換えしないのは教育のためだけだと言われますが、その為だとしても、年収300万円を払わない理由にはならないと思います。企業側がアニメーターを育成して原画マンにした後、移籍・独立されてしまえば教育コスト分損をする為、なにか方策を考える必要があるというのはその通りだと思いますが、「だから、アニメーターは教育コストなので、最低賃金も払わない」という、無給の丁稚奉公を肯定する立場は、現在の日本社会では、許されていないと考えます(単に司法が見逃しているだけ)。
「適正な賃金を払うと、零細企業が潰れてしまう」と言うのは、ブラック企業擁護でよく見る意見ですが、それは間違っていると考えます。
そして、私は教育のためだけではないと思いますし、そうであるならば尚更、適切な賃金が払われるべきだと思います。
その後も酷い。補助金(普通は農業関係より伝統芸能を引き合いに出す文脈の方が多いのだが、それらが国防に関係あるとでも?)とか
「伝統芸能を引き合いに出す文脈の方が多い」根拠を出せますか。
酪農や畜産を参考にしたらいい。本来なら潰れてる業界を関税や補助金で守ってる例なんていくらでもある。補助金漬けになったら駄作しか生まれなくなる気もするけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150429120948
私は、上記のコメントやTwitterのコメントを幾つも貼れますが。
ソフトパワーって知らんのかとか
ジョセフ・ナイが提示した「ハード・パワー」の対義的な概念としての「ソフト・パワー」であれば、簡単には知っています。
2015年に入ってから三ヶ月が経過した。それは、今年のアニメの第一陣(1~3月期)が終了を迎えたということを意味する。
一月に始まったアニメの中で放送前の注目度が最も高かった作品は、言うまでもなく『艦隊これくしょん』だろう。2013年のサービス稼働時から今現在まで破竹の勢いで隆盛を極めていることは、オタク世界に足を突っ込んでいる人間にとっては周知の事実である。特に同人ジャンルとしての隆盛がめざましく、その勢いはかつての『東方Project』を彷彿とさせるほどである。今、最もオタク系コンテンツの中で熱量の高い作品と言っても過言ではない『艦隊これくしょん』の待ちに待った「アニメ化」である。世間の注目度が鰻登りするのはもはや必然だと言える。
だが、そのような前評判に反して、実際に放送された内容はお世辞にも上出来とは言えないものだった。いまいち目的が見えないまま展開されていくストーリー、調和の取れていないギャグとシリアスの配分、そして視聴者に衝撃を与えただけで後の展開にはあまり影響を与えなかった如月の轟沈・・・・・・少なくとも従来の「艦これファン」は戸惑いを隠せていなかったように思える。元々の期待値が高かったこともあってか、ネット上の書き込みでは非難囂々である。
一方、これと比較すると面白いのが『アイドルマスターシンデレラガールズ』のアニメである。これは『艦これ』と同じソーシャルゲームとしての出自を持つ作品なのだが、ブラウザゲーの『艦これ』と違って課金要素が強く、ネット上に出回っている数々の逸話も相まって「廃課金ソシャゲ」の代名詞みたいな存在だった。そんな敷居の高さもあったのだろう。アニメの放送時期は『艦これ』と同時期だったのだが、「アニメ化」に対する前評判・話題性は『艦これ』と比べてそこまで高くなかったように思える。事実、当の「デレマス」ファンの間でもそこまで期待値は高くなかった。「無難な内容でやり過ごして、ソシャゲ本体に悪影響を及ぼさなければそれで良い」なんて話をされていたぐらいである。
ところが、フタを開けてみればビックリの良作アニメだった。島村卯月・渋谷凜・本田未央の三人を軸に展開されていくアイドル界でのシンデレラストーリー、絶妙に挿入されるシリアス展開、そしてまさかここまで人気キャラになるとは思われていなかったオリジナルの男性プロデューサーの登場・・・・・・あくまで目算に過ぎないが、従来の「デレマスファン」を十分に満足させただけでなく、アニメからの新規ファンを大勢獲得することにも成功しているように思える。前評判の大人しさからは信じられない大躍進である。
もちろん、『艦これ』のアニメだってBlu-rayディスクの売り上げを見れば11000枚となかなかの数値なので、「商業的に失敗だった」わけではないだろう。ランキングで見ても現時点で冬アニメ(1~3月期)の円盤売り上げは暫定『艦これ』が一位なので、むしろ商業的にはまずまずの結果である。『デレマス』のBlu-rayディスクは現時点でまだ発売していないので比較しようがないし、KADOKAWAを初めとするバックの組織がいったい『艦これ』という人気コンテンツにどれほどの売り上げを期待していたかは全く分からないが、まあ近年のアニメ円盤の売り上げ規模から言えばケチはつけられない数値であることに違いはない。
ただ、こと「既存のファンの満足度」という視点に絞って言わせてもらえば、今回の『艦これ』アニメの内容は散々だったと言わざるを得ない。SNS上の反応を見ると、多くのファンが次週の展開を戦々恐々とした気持ちで見ていたことが窺えるし、事実としてその内容が彼ら彼女らの不安を払拭してくれる展開であったことなどほぼなかった。ていうか、他ならぬ「一番ファンからの評価が高かった回」が、本筋の話をガン無視して挿入された第六駆逐艦たちのカレー回(第六話)だったことがいい証拠である。同じ「ソシャゲ出身のアニメ」でありながら『デレマス』アニメとは雲泥の差である。もちろん単純比較はできないけれど、少なくとも『デレマス』はファンが来週の展開を心待ちにできるクオリティではあった。その週の内容をツイッターで実況して盛り上がることができた。各話の展開を思い出として胸に刻むことはできた。どちらがお互いのファンを満足させたか、延いては「どちらが抱えているファンを大切にするアニメだったか」の優劣はハッキリと出ている。
片や従来のファンすら激怒させる結果に終わり、片や従来のファンどころか新規ファンまで含めて感動させた。いったい何が両者をここまで分けたのか? というか『艦これ』のアニメはどうしてあんなお粗末な内容になってしまったのか? 冬アニメが一段落を迎えた今、改めてそれを考察してみたい。自分でも『艦これ』に対してきつい物言いをしているとは思うが、あのような悲劇的な過ちを二度と繰り返させないためにも、ここでキッチリと批判しておかなくてはならない。人気コンテンツにあやかった粗製濫造アニメは決して許してはならないのだ。
さて、そろそろ「どうして『艦これ』のアニメはあれほどお粗末な内容だったのか」その理由を語っていこう。実はそれこそが『デレマス』のアニメと比較してみると浮き彫りになってくる話なのだ。というのは、背後の組織が持っている「アニメ化」への意識が根本的に違っているからである。
『艦これ』のアニメがあれほどお粗末な出来であったのは、言ってしまえば「人気コンテンツをアニメにしてみた」に過ぎなかったからである。内容なんて二の次で、とにかく「旬なジャンル」を一刻も早くアニメにすることが至上の命題だったのだろう。商品的価値は『艦これ』というブランドが保障してくれるのだから、あとは適当にアニメの中で「吹雪」や「赤城」といった登場キャラをそれっぽく動かしておけば良い。そうすれば最低限『艦これのアニメ』としては成立する・・・・・・おそらく、制作サイドにとって最も重要だったのはこの『艦これのアニメ』として「成立している」ことだったのだ。たとえ「胸を打つストーリー」がなかろうが構成が破綻してようが、「吹雪」や「赤城」という人気の艦娘を動かしておけば『艦これのアニメ』に違いはないので、「艦これジャンルの商品」としては問題なく売り出せるのである。
いわば制作サイドにとって、『アニメ艦これ』は「単なる艦これジャンルのグッズの一つ」に過ぎなかったのである。どれくらいのグッズかと言えば、アニメイトなどで売っているキャラクターが印刷されたクリアファイル、あれと同水準の「一グッズ」だ。その商品的価値は「『艦これ』のアニメ」だというそれだけだ。しかし、たったそれだけあれば「金剛を印刷したクリアファイル」が『艦これのグッズ』として販売されるように、「吹雪や赤城が動いているアニメ」も『艦これのグッズ』として販売できるのである。何ともファンを舐めた話だが、「艦娘がただプリントされたクリアファイル」を『艦これのグッズ』として購入してくれるように、「艦娘がただ動いているアニメ」も『艦これのアニメ』として評価してくれると本気で思っていたのだろう。そうでなければあんなお粗末な内容のアニメを本気で『艦これのアニメ』と言って世に出せるわけがない。
もしかしたら「でも、キャラクターもののアニメなんてそんなもんでしょ?」と反論したい方も中には居るかもしれない。ところが『アニメ版デレマス』を見てみると、明らかに『艦これ』とは「アニメ化」に対する意識が異なっていることが分かるのだ。
『アニメ版デレマス』は、「キャラクターが印刷されたクリアファイル」などの「単なるキャラクターグッズ」は明らかに一線を画している。というのは、『アニメ版デレマス』の場合、「それがアニメとして成功するかどうか」は決して「Blu-rayの売れ行きの話」に留まらないからである。一番分かり易いのは、劇中のアイドルたちのデビューソングだろう。言うまでもない話だが、あれらの楽曲はCDショップで実際に販売されている。ファンのみんなはそれらの楽曲を「あ、アニメのあの話で卯月ちゃんが歌ってた曲だ!」と思って購入するのだ。そして彼女たちの歌声を聞きながらアニメの感動的なシーンを思い出したりするのだろう。
ここで考えて欲しい、もしも肝心のアニメの話そのものがお粗末な出来であったら、ファンのみんなはCDを購入するだろうか? もちろん楽曲として優れていれば購入する人間は居るだろうが、多くのファンは「あの娘たちが血の滲む努力の果てに勝ち取ったあの曲」だからそれを欲しいと思うはずだ。元のアニメの内容がイマイチだったら「あんな雑な作品のCDなんて誰が買うか!」と購入を控えるファンが続出するだろう。『アニメ版デレマス』の成否は「アニメという一キャラグッズの成否」に留まらず、「他のデレマスのグッズの売り上げ」にまで影響を及ぼしかねないのだ。
いわば『アニメ版デレマス』は、『アイドルマスターシンデレラガールズ』という作品に関わる全ての商品の「PV」としての宿命を背負っているのだ。劇中のデビューソングを初めとする関連商品を購入させ、あわよくばソシャゲ本体の方へ誘導して重課金させるという、商業的な使命である。そしてそのためには、ただ「卯月や渋谷凜などの人気キャラクターがただ動いているだけのアニメ」では決して許されない。きっちりと視聴者の心に響くような、彼ら彼女らを魅了してやまない良アニメでなければならないのだ。
「背負っているものの重さが違う」、『艦これ』の第6話で第六駆逐艦隊にそう語っていたのは足柄さんだっただろうか。カレー勝負ではその重さが災いして雷たちに勝利を譲る結果になってしまったが、現実の世界ではやはりその重さこそが「作品のクオリティ」として如実に表れたと言えるだろう。「単なる一グッズとしてのアニメ化」に過ぎなかった『艦これ』と「他のグッズの命運を背負ったPVとしてアニメ化」された『デレマス』の違いである。異論がある提督諸君はどうか自分の胸に聞いてみて欲しい。『艦これのアニメ』を見るのと、それと同じ時間を使ってブラウザゲーム内で艦娘のレベリングに励むのと、どっちが満足感を得られるかを(特に第6話以外でだ)。
さて、この話は以上で終わるが、最後に余談として「どうして『アニメ化』に対してそこまで意識が違ったのか」を個人的に考察しておきたい。
それは、そのまま「背後にある企業の態度」の違いだったのではないだろうか? 『艦これ』の背後にあるのはKADOKAWAという企業であり、基本的にここは「その時々の旬の作品のメディアミックスで利益を上げる」のがポリシーである。言うなればKADOKAWAにとって個々のコンテンツは「消費財」であって、食いつぶして消化しきったらまた次のコンテンツに移動するのである。我々にとって『艦これ』は近年まれに見るモンスター的コンテンツであるが、そんな『艦これ』でさえも母体であるKADOKAWAにとってみれば「その時々の旬な作品」の一つに過ぎなかったのではないか? 世に出てから二年に満たない期間で「アニメ化」までこぎ着けたのは、むしろ「旬が過ぎ去らないうちにアニメ化して利益を回収しよう!」というそういうことだったのではないだろうか? 邪推と言われればそれまでだが、どうにもKADOKAWAには「コンテンツへの根本的な不信感」みたいなものがあるような気がしてならない。
対して『デレマス』の背後にあるのはバンダイナムコエンターテイメントという企業である。ここにあるのは別にポリシーと言うほどのものでもなく、「いかに自社コンテンツを長生きさせて利益を上げるか」という企業としてごく普通の態度である。KADOKAWAが個々の作品を「果実」として見なしているのに対して、バンナムはどちらかと言えば「果実のなる『木』の方」と見なしていると言える。生み出したコンテンツは「金のなる木」であって、これを「長持ちさせること」こそが自社の利益になるのである。なのでKADOKAWAのようにコンテンツを「消費」することなどあってはならない、できる限り「持続させること」こそが至上の命題なのだと言える。そのようなスタンスだから、『デレマス』のアニメもしっかりしたものでなければならなかったのだろうと思われる。どっちかというと『プリキュア』のアニメでおもちゃを買わせているバンダイの方のノウハウなんだろうね。終わり
を書いた者です。
まず、こんなに皆様が注目されるとは思わず驚きました。
あと、大半100%カス呼ばわりされるものと覚悟していましたが
いろんな視点のコメントが興味深く、改めて己の愚行を反省させられました。
勝手な物言いで恐縮ですが、気付きを下さった皆様にお礼申し上げます。
「店の名を晒せ」気持ちは同じでしたがどうせ捨て看板だろう無駄無駄と
勝手に諦めていたのですが、ブクマ/twitterで流れてくるリンク先を読んでいくと
「Ruchiru」 ★★★★★★★★ ← 報告が続いています(かなり悪質な例あり)。
参照 新宿歌舞伎町ぼったくり店のご紹介 新宿 弁護士青島克行の歌舞伎町ぼったくり被害相談室
あれ、そんな名前だったような。と思い財布をもう一度確認したら
連日ですね。今日も変わらぬ感じでしょうか。
club Ruchiru 新宿区歌舞伎町1-3-5相模観光ビルB2 03-3202-2117
http://f.hatena.ne.jp/tanaka20150407/20150409012251
追記を読んで、どうにもこれはマズイと思ったので、いくつか指摘いたします。
ブックマークありがとうございます。本当は、アンビバレント女々さんが直接読むとは思ってなくて、ここに書いたんです。あまり傷つけたくないんですけれど……。
増田とはいえインターネットですし、特に今回は、主要な登場人物がほとんど利用している「はてな」という会社のサービスの、
それも、火の粉が大きくなった原因のひとつでもあるような増田というwebサービスに書いておいてこんなカマトトぶったこと言うと、関係者かな?と思う人も出てきそうですが。
彼が最初に「ホテル代は自分が持つね」と言っても、そのあとネットで秘密にするべき行為を公開して彼を裏切ったのは、あなたでしょ? それを秘密にしてね。と言われていったん了承したくせに、それすら裏切ったのはあなたでしょ? お金払うと彼が最初に言ったのにそれを守らない、だから彼が悪いというのならば、あなただって一杯嘘ついているじゃないですか。それはスルーですか? あなたも裏切った以上、後は現実的な負担の話です。彼が支払った交通費、食事代、それとホテル代を相殺してください。
登場人物が少ないくせに、なんだかよく分からない絡まり方をしているので、混乱するのかもしれませんが、この件には、正確に言うと3人の加害者と3人の被害者つまり3組の利害相反者がいます。
1組目 加害者:メメ 被害者:otsune・・・・・これは、増田さんが仰るように「web上でのリベンジポルノ」にまさに該当すると思います。
2組目 加害者:otsune、被害者:メメ・・・・・これは、ホテル代を踏み倒された件ですね。
3組目 加害者:久谷女子およびotsune、被害者:メメ・・・・・これは、久谷女子9号の内容についてです。
更に言えば、「ヤリ捨て」を悪とするという立場に立つ人にとっては、4組目 加害者:otsune、被害者:メメ も成り立ちうるようです。
私は個人的には、この4組目は成人男女同士の色恋沙汰レベルだと思うので、被害加害関係は成り立ちにくいかなぁと思いますが。
なので、「メメはotsuneに酷いことをしたくせに棚に上げて」というのが成立するのは、ホテル代払ってない&やり逃げの道義的責任と相殺されるだけのことで
勝手に人の色恋沙汰に首を突っ込んだ久谷女子さんたちが、関係ない人の色恋沙汰に首を突っ込んで、晒し上げして、追いセクハラしているという構図になりますので、別件ですね。
リベンジポルノをした人は、別の件で石を投げられても文句を言うな、というのでしたら、それは現代社会においては割とまずいことになります。古代バビロニアであれば、或いはオッケーかもしれませんが。
久谷女子が、なぜ珍しくもない痴話喧嘩をフューチャーしたのか、その真意は知る由もありませんし、知りたいとも特に思いませんが、全く関係のない第三者が、石を投げても良い、という理由はありません。
そもそも、メメの行ったリベンジポルノは、正当な方法をもって取り下げをさせるべきだった。
法律家ではないので詳細な加害割合は分かりかねますが、リベンジポルノ(web)に、リベンジポルノ(同人誌)で返した時点で、すでに民事的には痛み分けの条件闘争にしかならないような気がしますが。
ホテル代も結局まだ返してないみたいだしねぇ…。
ええと一応、私の立場としては、メメのリベンジポルノは卑怯極まりなく、十分名誉棄損にあたるものだったと考えています。そういう感じのブコメをした記憶もあります。
あと、いい大人がみっともねーなーというか、というか、さすが(自粛)、見る目が無いな。という感想です。見る目が無いなと感じるのは、メメotsune双方に関して思います。
彼女か彼か、どちらかとリアルな友人であったら、「wwww不幸な出会いやったね、はよ忘れーや」ぐらいなもんです。
お相手がメンタルに問題を抱えていようがいまいが、男女のどちらが「捨てる」側だろうが、スマートにやり捨てをするには、テクニックや経験が必要なわけですが、双方、どうもそういうものをお持ちではなかった。
「メメちゃん悪くない!」とは1ミクロンも考えておりませんが、初動期にotsuneが会ってホテル代を返し、やり逃げしてごめんね、って謝り、その代わりその場でエントリを消させれば、ここまではいかなかったろうねとは思います。
これらはそれほど難しいことだとは思っていません。
本当だったら、相手からそっけなくされてから恋愛は勝負なのに、あなたはそれすらしてません。いきなりリベンジポルノしたりしないでください。
まぁその通りだと思います。でも、やり逃げされてフラれた赤の他人にかける言葉としては、割と辛辣だなとは思いますので
「本当はあなたを傷つけるつもりはなかったのよ」なんて、やっぱりお為ごかしがはなはだしくてケツ蹴り上げたくなります。
久谷女子のみなさんにも、ひょっとして、そんな風にマジで思ってた人でもいるんでしょうか。もしそうなら、凄惨なお花畑だなぁという感じです。
切りつけ合うなら、せめて、ケンカしてる体を保った方がさわやかだと個人的には思います。
「インターネット」「現実」「裁判」「出版」という4つのジャンルがあったとして、その境界を簡単に壊す人を、私は怖いと思います。現実の喧嘩をすぐにインターネットに公開する人とか、ちょっとした感情の行き違いをすぐに裁判沙汰にする人とか、ルール違反じゃありませんか?
これに関しても、やはり「関係者ですかね?」と訝しみたくなる、身びいきが過ぎる物言いだと思います。インターネットも、出版も(同人だろうが商業誌だろうが)同様に「現実」です。
社会的な規範や法律を超えた問題が発生すれば当然現実の法律で裁かれる、インターネットの中で起きた被害は、やはり現実の法律である程度は(ここが弱いのがインターネットの世界のとても良くないところですが)守られ裁かれるのと同様に、
「インターネットで晒される」ということも、残念ですが避けにくいことだと思います。本当に残念ですが。
インターネットは、社会の外にあるものではなく、社会の中のひとつの機能でしかありません。これは、久谷のみなさんやその他同人誌活動をしている方も勘違いしがちなのかもしれませんが、同人誌の世界も同じです。「社会の中」にある何かでしかないのです。
社会の中にある何かでしかない以上、社会で通用する法に準じるべきで、増田さんが考える「ルール違反」は、あまり一般性があるとは思えません。日本で法律に守ってもらいたいと思うのならなおさらです。ちょっと、世の中舐めてませんか?
ちょっと話は変わりますが、姑の人が関連エントリで、メメは社会弱者ではあるがネット喧嘩は強い、的に評していましたが、その辺は一部はあるんでしょう。
私は同意見ではありませんが一理はあるかなーと。インターネットがそういう「社会的弱者のための卑怯な武器」になってしまっているという側面は否定できませんしとても残念なことだと思いますが、だからといって窮鼠を追い詰めていいんか、という妙な正義感があるんで。
こういう人は、今度はネット上の怒りを、現実に持ちこむんじゃないかな。住所を知ったら、直接家の前に貼りこんで、子供の写真をアップしたり、ニコ生のように突撃取材を始めたり……そのあと「私メンヘラだから」と言って罪を逃れて……。だから、久谷女子の方々が住所を彼女に告げなかったのはとても正しかったと思います。淡路島で殺人事件もありました。自分の身を守るために住所を告げない彼女たちは、その点は正しかったと思います。
これは、メメが知り得た情報を元に「実際に危害を加えに行った」という事実が今のところはないようなので、美しいぐらいの名誉棄損だと思いますよ。撤回した方が良いかと思います。
淡路島での殺人事件は、容疑者が「報道できない病気」なのではと言われていますが、その信憑性も分からないし、増田さんは信憑性の不明な噂をもとに、メメは淡路島の容疑者みたいなもんだ、と言っているように受け取れます。
淡路島の一件に関する噂が、仮に真実であったと仮定して、更に、彼女は確かに精神的に健康ではないと自分のブログで告白しておられましたが、それも真実であると仮定した場合、病名は異なりますし、
両方の病名は、あくまでも一般的に、ですが、おおよそ対外的な病気の発露の傾向は180度ぐらいは違います。
これ、追加燃料を狙った釣り増田じゃないとしたら、割とまずいんじゃないかなぁ。追加燃料としては、中々の火力だと思いますが。
奥さんが妊娠して、里帰り中。
先に言っておくが、疎ましくなって帰郷させたわけじゃない。
しっかり甘えられる肉親の元で、という本人の意向で里帰り出産となったのだが、
もう毎日のように、「痛い」、「辛い」、「寂しい」と連絡が来る。
まぁ、あれだ。そこは耐えよう。旦那だし。面倒臭がらず、きちんと会話、LINEは即レスな1ヶ月が過ぎた。
出産というものは、女性ならではのもだし、子どものために身を削ってくれている。
だからこそ、毎日会話だったりメールだったりでケアしているつもりなのだが、
どうも不満らしい。
こう書くと、冷たい物言いをしているように思われそうだが、
きっちりちゃんと遠回しに遠回しに、伝える。
というか、「痛い」、「辛い」、「寂しい」に対して、
そうだね、大変だよね。以外返しようがないのではないだろうか。
1時間もこの問答を繰り返すと、イライラするのは仕方ないのではないだろうか。
というか、そういう不安を解消するために里帰りしたのではないだろうかと。
愛がなくなったというわけではないんだけど、
「痛い」、「辛い」、「寂しい」に対して、俺は無力だ。
俺に何を期待して言うのだろうか。
今まで通り、そうだね、大変だよね。を繰り返す他ないのだろうか。
生活費を稼ぎ、妊娠・出産・里帰り・滞在費・交通費・子どもグッズの購入などをした
出産の痛みも分からないくせに! って言われたらそれまでなんだろうか。
なんかもう、疲れます。
エンゲージリングもふたりで購入しに行き、来月には私の左手薬指に光る予定だ
だが、具体的な入籍については「待った」がかかっている
親類縁者の色々その他心の準備があるのだろうが、それはいい
挙句入籍に対し「敷かれたレールに乗ってる感がある」とのたまった
何か言う気力も削がれてしまった
これが男のマリッジブルーというやつなのか
この中二じみた発言
勉強に意味なんてあるのか、学校なんて行きたくない、と駄々こねる子供みたいだ
ヨーロッパのような事実婚制度が日本で制定され周知され理解され機能するまで5年10年かかる
そしてこの「敷かれたレール」とやらも
現在フツーにサラリーマンしている人間が言ったところで滑稽な話で
なんとなく乗ってしまった波に対して抵抗したいだけなのだろうか
結婚することについては私は何も抵抗はない
「結婚しました」と告げる事は男女が一緒に暮らす上で最もわかりやすく説明不要な理由なのだ
ずっと同棲を続けるということは、結婚しない理由をずっと聞かれることを覚悟しないといけない
何より私の「あなたの家族になりたい」という希望は蔑ろにされてしまうのだろうか
とりあえずほとんどの意見を腹に収めたまま、生温く共に暮らす日を待っている
だけどこれが本質だとしたら
お別れすることも視野にいれないといけないかもしれない
※補足
意外に反応が多かったから補足を少し
・決断の期限は今年の10月、と彼自身が言ったからそれを超えてズルズルする気なら出てくつもり
・腹割って話したい気持ちもやまやまだけど3月は仕事が忙しいのと引っ越しがあり余計なこと考えさせる物言いは今はしたくない
同棲にあたって一度ぶつけたことがあって、結婚の意志があるのは確認してるけど、その時と理由が変わってきてる
自分の意志ははっきりしてても意見のまとまりがなくて、日本の婚姻制度についてもちゃんと調べながら期を見て、とは思う
あと向こうが話してきたタイミングとかで言っていけたらいい
今務めている部署では、ある先輩社員と、自分含めて先輩の目下に当たる社員複数の間で、冷戦状態が続いている。
先輩の人柄を、後輩たちが取り扱いに困っていると言い換えてもいい。
そんな先輩社員の性格だが、一言で言い表すなら「感謝と謝罪という言葉が辞書にない、人間関係を上下のけじめのみで捉えている」という感じである。
どうも「下手に感謝を表出すれば貸しを作ることになる、謝罪すれば舐められる」という人生訓をお持ちのようで、まあ男社会は少なからずそういう要素があるので、そのような結論に至る人がいても不思議ではないが。
また、目下からの不明瞭な発言・不用意な発言は基本一切容赦なく拒絶し、切り捨てる一方で、目下に対しては自身の端的な物言いから気を利かせることを強く要求してくる。
目上に対しては守勢一辺倒。とにかく余計な仕事が増えないように立ち回り、そのための筋立てを作ることしか考えていない。
そしてこの先輩と我々が一緒に仕事で組むと、誰がやっても、必ず最終的には愚痴が漏れ聞こえてくるという結果になる。
とはいえ、我々も先輩から強い態度で拒絶あるいは叱責された時に、すかさず「じゃあ後で詳しく説明したいので、この件で打ち合わせの時間を取っていただけますか?」といった提案の一つもせず「なんだよやってらんねーな」とすぐ自分の殻に閉じこもるわけで、そうして歩み寄りの努力もせず後で愚痴るというのは、全くフェアではない。
そんな両者の仲裁ばっかりやらされている上司曰く「どっちもどっち、お前らもっと真面目に仕事しろ」というスタンスだったり。
まあ、メンバーシップの欠片もない組織のリーダーをやらされていたら、誰だってそう言うだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20150224144111
医者の後ろに控えている助手っぽいおねーさんが前はおばちゃんだったのに、今日は若くてきれいな人だったので威圧されてしまい、
目が行ったり目が合ったりしてしまうと申し訳ないとか怖いとか思ってしまって医者の方向を直視することすらできなかった。
「昨日はダメでした」「効果はいまいち実感できてません」「副作用かわかんないけど眠気がだいぶ強いです」
と言っていたら薬の内容が調整されて、二週間の自宅療養を要するという診断書を作成されて、
はいじゃあこれでおしまい、もういいですよ、って感じで帰されてしまった。
数瞬、あ、あう…と物言いたげにしていたけれど、看護師さんがさっと出てきて「はいはいもういいですよ上着もってねー」と誘導されてしまって何も言えず。
相変わらず発達障害の「は」の字も出せないし、
今対処中のパニック障害が最初に起こった時の事を前回思い出せなくて話せていなかったので、
話しておきたかったのだけどそれすらも言えなかった。
前にもらったトラバにもあったけど、ドクターや病院の姿勢と自分の求めている治療があまり相性がよくないのかもしれない。
最後に何かありますか?的なフリだけでももらえればいろいろ喋れそうなんだけど、
それぐらいなくてもちゃんと言えよ治す気あんのかボケという気持ちと、
あの流れ作業っぽいやり取りに口をはさむのは自分にはかなり難しいよなあという気持ちでぐぬぬってなる。
なんかもう何度受診してもあの感じだとこちらから話題に出すのは難しそうであきらめに似た気持ちになってしまっている。
会社の対応待ちだけどとりあえずじきに休職に入りそうだし(もしかしたらそのまま退職勧奨されるかもしれないけど……)、
平日も体調が良ければ動ける状態になるのを活かしてセカンドオピニオンを兼ねてカウンセリングもやってますよみたいな心療内科を別で探して受診するべきだろうか。
ところで、仮にカウンセリングみたいなのを受けていったい何を話すんだろう、と考えていて、
苦手な人はいても嫌いな人とかいないし悪い人もいないいい会社だなあぐらいに思っていたんだけど、
ミーティングや報告会を除くと「おはようございます」「お疲れ様です」「わかりました」「了解です」「調べておきます」「対応しました」
といった定型文以外の会話って、週に1回するかしないかって感じなことに気付いた。
その1回も、近くの席の雑談から急に話を振られて「ん?ああ、ははは(わかんないので愛想笑い)、そうなんですか」みたいなの。
すぐそばの席では上司や先輩がよく談笑していたりするんだけど、そういえば自分から誰かに話しかけたりとか、今までほとんどしたことない。
というか仕事中に何を話したらいいのかわからない。仕事の話ですら相手の時間を奪うのが申し訳なくて割と億劫だというのに。
もしかして俺、あんまり会社に溶け込めてないのかな?と思ったんだけど、もしそうだとしたらその事実に5年以上気づいてなかったことがまず恐ろしい。
そういえば学生の頃、上級生からいじめられてたのに、周りが教師に言って教師に呼び出されるまで自分では気づいてなかったりした。
どうしようどうしようどうしよう、なんか会社が怖くなってきた。うわああああ
わりと今の会社がやりづらいな転職かなーってぼんやり考えてたら、
原因はやりとりの多い先輩(30代男性)のワールドイズマインっぷりだなと気がついた。
リア充路線の日本人男性で、「俺の常識は世界の常識」とばかりに日常会話を進める上に仕事の納期をたびたびすっ飛ばすのに反省せず、他人のミスにはとても厳しい。
「女は25過ぎたら結婚しないとやばい」「鬱病患者に甘い就業体制は健常者に不利」とかSNSで発言したら即炎上レベルの差別発言をどかどか吐くのでくたびれるし、
「あのアイドルは終わった」だのどや顔で評価することも多く、俺基準ISオールって感じの物言い。常時マウンティング。
「目下に教えてやる」っていう姿勢がベストポジションっぽくて、
上司の前だと打って変わって弱腰で声まで小さくなってる。あと無意識だろうけど上目遣いになってる。残念ながらかわいくはない。
俺こそが世界の中心で、それがわからない他人が理解できないのかもなあ。
(私は最低限しか相手しなくなって久しいけど、入社一年目の女性社員とかよく長時間つかまってて、あーーーーーってなる。)
仕事の愚痴から話は突然でかくなるけど、今とってもホットな曽根綾子氏の例のコラムも根っこは似ている気はする。
彼女もきっと、自分の幸せや快適さがどの人にも共通の真理だと思い込んでるから、新聞にあんなこと書けるんだろう。
幸せのかたちや快・不快の基準は性別・年代・国籍とかの大きめのセクションだけでなく
個人個人でまったく違う。日本は単一民族国家だし「マジョリティ」が固定化され気味のきらいがあるので
マイノリティには居心地が悪い部分もけっこうある。特に女性であるとやりづらいって思うことも「社会」に出てから多々ある
(脱線するけど私は「社会人」という言葉が嫌いだ。往々にして「社会人」は「俺様の知ってる世界を理解できている奴」をさすから)
いろんな人がいて当然っていう世界になったらいいなあ、とぼんやり祈りながら紅茶をすすりながらキーボード叩くしかできないけど、
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150201/1422764650 - 2015年2月8日 03:45 - ウェブ魚拓
でさー、俺がこの手の話で気になってるのが「お前らのそれは異性愛者からの傲慢さから出てくる感情なんじゃねえの」ってことなんだよ。
言葉の端々から「同性愛者は差別されてかわいそう」っていう強者の意識みたいなのが垣間見れるんだよ。
「差別されてかわいそうだから差別されそうな言葉はやめよう」じゃねえんだよ、そもそも差別されるいわれがねえんだよ。
勘違いしすぎだろ。
つかそもそも「同性愛描写は不快に思う人がいるのでなるべく隠しましょう」みたいなのが差別意識丸出しの考え方だろ。
多数とか普通とかってお前らが問題視してる差別意識の現れなんじゃないの。
俺はだんだん腐女子が嫌いになってきているけど、その理由は腐女子が書いてる作品の内容ではなく腐女子の異常な立ち振舞いだということをはっきり言っておきたい。
は? それは一部の人だから全体がそうであるみたいに語るなだって?
お前らはその「一部の人」にどんだけ反応してんだよ。
同性愛表現が苦手な「一部の人」に配慮して作品を隔離し、ノーマルという言葉に差別的なニュアンスを読み取る「一部の人」の意見を押し付けて言葉狩りしてるんでしょ?
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150208/1423403189 - 2015年2月8日 23:50 - ウェブ魚拓
今回は「少しでも理解できないことがあることに言及すると当事者に無理解者扱いされた挙句あからさまに見下した態度を取られる」ということを学びました。
そこで反省の意も込めまして私は「二度と同性愛のことについてブログで言及しない」「明らかな差別問題があっても見て見ぬふりをする」「同性愛問題は存在していないという扱いにする」というスタンスを取らせていただくことといたします。
こんなこと言われてまでなんで腐女子や同性愛の話する必要ねえもんな。
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150208/1423406543 - 2015年2月9日 00:00 - ウェブ魚拓
今まで腐女子がおかしい腐女子がおかしい言ってましたが、今までの話を自分なりにまとめるとあれは腐女子に分類されるのではなくただのクソ女だったのではという結論に至りました。
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150209/1423421060 - 2015年2月9日 04:30 - ウェブ魚拓
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150209/1423412679 - 2015年2月9日 04:55 - ウェブ魚拓
つかもう触れる気ないんで俺の中では存在も消えたわけですが、ああいう物言いの方はそういう人が増えるのが望みなんですかね?
理解を深めるんじゃなくて理解しない人間とは関わらないっていうスタンスに見えてしょうがないんですが、それでいいんですかね。
いやまあ俺はもう関係ないんでどうなろうと知ったこっちゃないのでいいんですが。
でもまあなくなったらなくなったで色んな物を見たいっていう俺の欲求が満たされなくなるという懸念はありますが、まあ見るなこっち来んな黙ってろ口をカペッリーニで閉じるぞみたいな人がいるコミュニティーを無理やり見に行ってもしょうがないんで。
ということでこの話は終わりです。
人気が出ればアニメ化される。放映されて、誰かがエロ絵あげる。おまえらヌく。
それを価値と認められないからこそ、「それ以外にもいいとこはあるんですよ」って、年金が若者にとって損とは限らない的な物言いが馬鹿にされるんですよ。
なぜかって?
結果論的に、文章を書いてる内に、または書こうとして取材に行って殉じる人はいるでしょうよ。
ラノベ書きでも、ふりーじゃーなりすととやらも、当然亡くなってる人はいる。
あそこまで呪われてる人はおらんのですよ。
もちろんラノベ書きでも呪われてるのがいるでしょうよ。
でもね、せいぜいロリコンだったり自己顕示欲の塊だったり売文家だったり程度でしょう。
だけど、安心していい。
一般小説にもそこまで呪われたのはそういない。
京極はんも東野圭吾も宮部みゆきもぜーんぜん呪われちゃいないでしょ?
ちゃんと作家として生き長らえてるじゃない。
呪われてる人は自殺したりなんかで、さっさとこっちの世界からオサラバしてます。
文学として小玉のをつくることができる人はいても、大玉は今の日本じゃ無理です。
思想に殉じることができないのでね。
んでもってそれは、ラノベだけじゃなく一般小説も同じことなんです。
エンタメは楽しけりゃいいんです。
逆に言っちまえば、日本は平和なんです。思想に殉じる必要がなくなった。
健全な一般市民にエロゲを勧めたりしようとすれば、頭おかしいと思われるように、
どんだけ色々言っても、テロやら子供の遠隔操作爆破やらをしないイスラム教徒の方が圧倒的に多いであろう以上、イスラム国のやってることは単なる牽強付会に思えちゃうけどな。
ただ、向こうに通じる、できるだけ無駄に刺激しない形での物言いができるという点では、イスラム法学者の言葉には意味があると思う。
>さすがにウラマー(イスラム法学者)だと認めたら無視はしないとは思うんだけれども。
評価の確定した実績や権威を背景としないと彼は言葉を生まない。
故にその評論めいた言葉は彼の考えではないし、その時々の聞き手に響くように語られていない。
そうでありながら、知者に憧れているのか、会話の中で何とかして言葉で一本取ろうとしてしまう。
一本とったり何らかの形で自分に知の上では優位に会話を終わらせようとしてしまう。
それが余計なひと言であり、的外れな言葉でもあり、余計な火種でもある。
知に憧れるあまり言葉だけで物事が動かせる、自分に評価が集まると思ってしまっているのだろうか。
彼の言葉には未来がない。自分の展望がない。他人の現在を過去の言葉で括ることに終わってしまっている。
彼は評論家を求められているわけでもないので、本来の立ち位置は他の大多数と同じところなのだが、どうしてか自分だけは当事者ではないかのような物言いをする。
独創は本文ではないとのことだが、せめて自分の言葉、自分の考え、自分の行動というものを自ら求めていれば良いとは思うのだが、歳を経るほどにそれらがない言葉というものに、周囲の人々は耳を傾けなくなるのではないだろうか。
知者へのあこがれが彼自身を縛っているのだろうか。
中田考さん(イスラム法学者でムスリム)が叩かれてるようなので、ちょっとだけフォローしたい。
(なお自分はムスリムではないし、かの美しいと有名なクルアーン(コーラン)も注釈でしか触れたことがない)
六信五行なんて訳されることもあるが、ムスリムは義務としての決め事が多い。
判りやすいところでいくと、ザカート(Zakat)というのがあって、これは義務的な施しにあたる。
翻訳の難しいところで、これは税金として解釈されることもあるし、喜捨つまり寄付の一種と看做されることもある。
財産税による社会福祉と言うのが実体に近く、アッラーフに寄進して、それを皆が使う、という再分配機能になっている。
と、言うようにイスラームというのは宗教であるのだが、その根幹が社会制度になっている。
王様が世捨て人を経て悟った宗教とか、大工の息子が突如悟って国教になっちゃった宗教とは違い、
砂漠のど真ん中で戦国時代やってたような連中をまとめ上げてサバイブしてきた宗教なので、
政(まつりごと)やってる連中に好きに利用されちゃう宗教とは違って、
なので、イスラーム共同体を作り守り広げるぞ、いう感じなわけだ。
ウンマ・イスラーミーヤ(ummma islamiya)とか言われるものがそれになる。
で、ジハードのことを聖戦と訳すとまたややこしいことになるんだが、
「アッラーフのための奮闘努力」が多分一番近いニュアンスになる。
意外(?)な事に、大ジハードとは個人的な内面の戦いになる。現実の戦争とか小ジハードなのね。
ラマダーン(断食月間)だとか、宗教的に正しい行いをするのはより困難で重要である、というわけ。
これは、大体の法学者が見解を一致する数少ない部分でもあって、かなり重要な概念なのです。
宗教というよりは生活様式というかまんま国是みたいなものですというのを理解してもらった上で、
さらにムハンマドにもたらされたクルアーンは絶対、というのが義務として五行に組み込まれていて、
ムスリムはみんなそれを守るのは重要だと考えている、という前提をおいた上で、
ダール・アル=イスラームと呼ばれる、イスラーム世界というのがあるわけです。
ダール・アル=ハルブと呼ばれる、非イスラーム世界というのもあるのです。
自分たちのルールとは、違うルールを使ってる世界、というニュアンス。
すると、当然、自分の家を守るのは義務、ということでイスラーム世界を守るのは義務なわけです。
宗教は自由なので無理強いはしないけど、イスラーム世界のルールには従おう、みたいなのがあるのです。
結果、非ムスリムは許容するけど、非イスラーム世界をイスラーム世界に組み入れる努力を怠ってはならない、
という、ワリと複雑なことになっているわけです。
まあ、正確にはアラビア語のクルアーンを読むべきなんだけれども、
不信仰者の攻撃を受けて背を向けてはならない、戦略的撤退等を除いてはアッラーフの怒りを被り地獄に住むことになる、とか書いてある。
そうすると、非イスラーム世界からの攻撃に、ムスリムは防衛する義務があって、背を向けてはならないわけです。
そして、非イスラーム世界の代表例とも言えるのがアメリカ合衆国で、これに背を向けられないと。
ただし、害がない場合(イスラーム世界と和平を結びたがってる異教徒)には、和平を結んでも良い、とされている。
ムスリムである中田考さんの会見は、同胞であるムスリムに対する呼びかけになるわけですね。
イスラーム国をムスリムでないと断定できれば攻撃したり非難したりすることは簡単なんだけど、それは出来ない。
すると、非イスラーム世界と戦っている!と言われれば、背を向けよ、とは声掛け出来ない。
日本政府側には「ムスリムは異教徒と戦って背を向ける事は出来ない(地獄に落ちる)ので、戦うとか言わないで」とまず言ったと。
テロリスト、非テロリストという枠組みではなく、まずイスラーム世界と非イスラーム世界との枠組みの話ね。
で、トルコ経由で人道支援に限って渡すことも出来るよ、仲介するよ、と。
「日本政府の資金は、人道支援に限ってるよ(戦うために使っているわけではない≒非イスラーム世界だが敵対中ではない)」
「(君らも知ってると思うが、安部総理はトルコ・レバノンへ支援すると言ってるわけで)トルコ経由で渡すこともできるよ」
「双方にとって時間が短すぎるよ、そこはなんとかならんかね。自分もそっちに行くよ」
「ヤージディー教徒は解放したよね。そういう態度の方が、主張は通りやすいよ」
ムハンマドにもたらされたクルアーンは絶対、という前提のもとでは、攻撃に折れよとは絶対に言えないわけです。
ただ、テロリストとは交渉しない、テロリストに金を払わないという日本政府側の前提も曲げられないと。
すると、日本は非イスラーム世界だが、人道支援に限って金を出しているので敵対中ではなく、和平を望んでいると、
イスラーム国もムスリムなら、小ジハードを止めろとは言わないから、異教徒に寛大でも良くないか、
そもそも時間も短すぎるし、ちょっとムスリムの法学者たる自分が間に入るから話を聞いてくれまいか、
と、そういう声掛けになるわけです。
質疑応答でも、身代金を払うんじゃない人道支援だ、と繰り返し言ってるのが、板挟みの回答になってるわけですよ。
まあ、ワリと中田考さんはイスラーム国側に立った物言いしてるわけですね。どちらかと言うとメッセージになってる。
敵対すると同じ派閥であっても即処刑する人達なので、非難して即斬首とか困るわけですよ。当然ながら。
(もちろん、ムスリムがみんなこうかとういとそうじゃなくて、過激派は認めないとか、イスラムの名を利用した単なる侵略だ、とか言ってるトコロも多くある)
とういわけで、ワリと詰んでる状況で、譲歩を引き出す限界ギリギリのところだったんじゃないかなあと思うわけです。
だって、日本は米国と協調路線で、ガッツリ名前出してISIL壊滅の為にイラク政府に手を貸すとか言っちゃってるわけで。
本来なら政府はテロリストと交渉しないので、引き伸ばしつつ救出(奪還)作戦を展開して成功させないといけないわけで。
家族とか所属会社経由で身代金に応じるっていう裏取引(政府は目をつぶる)も、時間が短すぎると。