はてなキーワード: 幸せのかたちとは
子育てがしんどくとも、それを上回る喜びが得られると期待できる(信じられる)人と、そうでない人の差。
それは結局、自分の親から「私はあなたがいて幸せです」と言葉と態度で示してもらえたかどうかなんじゃないかと思う。
「もしあなたが産まれなければ、あなたの親はもっと幸せだったと思いますか?」という問いに、イエスと答える人と、そんなこと思ってもみなかった人とでは、世界の見え方は全く異なる。当人の責任ではまったくないというのに。
「子供とはいるだけで親に喜びや幸せをくれるものである」という観念を植え付けてもらえた人は、実際に子供がいるだけで喜びを感じられるし、だから育児のしんどさにも耐えられるし、幸せな家庭を築ける。そういうサイクルがあるのだろう。
逆に、親にそれを示してもらえなかった人はどうすればいいのだ。友人や同僚、物語や歌、あるいは共同体か宗教かが代わりになってくれるのだろうか。
もちろん、子供がいらないという人がみんなそうだというつもりはないし、幸せのかたちはみんな違っていてもいいのは前提としてだ。
変わってることは悪いことかい?君が感じる幸せのかたちに彼がいないからといって、君が彼の好きなものを理解できないからといって、彼も君もどちらかに合わせるように変わる必要はないだろう。
彼はJAZZや粉引の焼き物やサン・テグジュペリを好きでいいし、君はそれを分からないままで、君が好きだと思うものを好きでいていいんだよ。彼も君も、どちらも間違ってはいないのだから。
彼女がいるべきだとか、流行りの歌を知るべきだとか、安定した仕事を長く続けるべきだとか、それは君が幸せになる方法として確立したことだ。それを幸せに思わない人はいる。そして、人の幸せのかたちを押し付けられるとうんざりする人もいる。
それとも、アドバイスがほしいというのは、長く寝てる、人の顔が覚えられない、仕事が安定しない、などを「不便そう」と思って、なんとかしたいと思ったのかな?もしそうなら、ほっておきな、がアドバイスだ。彼が「これこれで困っている」というまで、君は何もする必要はない。
もしくは君の欲しいアドバイスは、彼と付き合いを続ける方法なんだろうか?それは、彼と自分の違いから、彼に会うのが辛いもしくはつまらないと感じて、それでも恩があるから付き合いを続けねばと思っているんだろうか?もしそうなら、距離を置きな、がアドバイスだ。友情は、ずっと一緒にいることではないから、気が乗らないときは、置いておいていいんだよ。
27才と言えば、カート・コバーンが死んだ年だ。
何かを変えられる、自分も何かに変われるかも知れないと思いつつ、何事もなく時間だけが過ぎていく。
いわゆる喪女、無職、キモオタク(百合豚だし腐女子だし)、中高大と孤立し続けたために友人も1人しかいない。
なので、喪女スレや匿名ダイアリーにいる喪女は就職してるだけでめちゃくちゃすごいと思う、人と接点があるということだから。
後、長年の友人が複数人いるという喪女は、それだけ信用に足るひとということだから、本当にすごい。
性欲がない訳ではないと思うが、ツイッターでR18イラストが回ってくると、うわ、グロ、美しくないと思う。こんなかわいいキャラクターでも性行為するとあんな気持ち悪い顔になるんだ、と考えると、喪ブスの自分が性行為など死ぬまでできないと感じる。
とりあえず今年、コロナ禍が明けたら、ちゃんと婚活をしてみようと思う。結婚はしたいので。
たった1人の友人も婚活をしているらしい。
別に人の幸せのかたちが結婚に限らないのは重々承知だが、私は母がほしい。母にできなかった孝行をしたいから。
人生って何?
ここ10年20年で幸せのかたちは多様化した、というのは今更言うまでもないね。結婚しなくてもいいよね、ひとつの会社を勤め上げなくてもいいよね、みたいなのはその一例。いいことだと思う。
ただ、その前提とも言える「幸せになりたい」という思いは変わっていないと感じる。みんなそれぞれの方法で幸せを追い求めている。
そこで考えたんだが、あと一歩進めば、別に幸せにならなくてもいいんじゃないかって話にならないだろうか。そうすれば不幸だからと自死を選ぶこともなくなる。幸福も不幸も生も死も積極的に望まず、惰性で生きたり死んだりする。
なんかもう、そんなもんでいいんじゃないのかな、と思ってきた。だからといって心安らかになるとかではないんだが、どうだっていい。どこへ向かおうとも慣性に身を委ねたい。
この言葉は、別に貴方の子どもや親である貴方を否定しているわけではない。子どもを持つこと自体や、生命を否定するつもりもない。貴方が子ども好きで、自分の子どもを愛していることは本当に本当に、何も悪く思っていない。というか興味があまりない。
子どもは本当に可愛い。貴方の子どもも可愛いと思っているし、健やかに育って欲しいなと思っている。
でも私は子どもは欲しくない。
結婚して2年半あまり。30歳。夫婦の形が多様化している昨今、初対面で未婚既婚や子供の有無を尋ねてくる人はあまりいない。でも、何度か会って少し関係が深まってくると「お子さんは?」と聞いてくる人は結構いる。
子どもの有無を聞かれるのは別に良い。どこに住んでるとか、好きな食べ物とか、多分その程度の質問だと思うから。問題は「どうして子どもいないの?」と聞かれたときで、その答え方だ。聞いてくる人にはほぼ100%子どもがいる。
「子ども欲しくないんですよね」という言葉は思っていることそのままなんだが、あまりにも“強さ”がありすぎる。
普段子持ちの友人達のSNSを見ていると、みんな必死に、自分の全てを投げ打ってギリギリの状態で子育てをしているのが分かる。彼女たちの生活のほぼ全てが子どもで埋めつくされているように感じる。恐らく人の親をやっている人達は皆そうなんだろう。
だから相手の人生の「親」側面を否定して角が立つような気がして、私は「欲しくない」が言えない。いつも笑って誤魔化している。
あまりに何回も聞いてくるので、とっさに「できなくて…」と言って誤魔化したこともあった。すると、相手は翌日不妊治療院のホームページを印刷したものや、身体に良いと言われるお茶を持ってきてくれた。胸がギュッと苦しくなった。
子どもを心から望んでいる人達に失礼なことをしてしまった。生命を望んでないのに望んでいるフリをするというのは、なんか自然に対する大きな冒涜の様な気がした。私は「できなくて…」と言わなくなった。未だに正しい答え方が分かっていない。大して関係が深まってない相手の子持ち人生を否定することなくやんわりと「子どもがいらない」を伝えることは非常に難しい。
なぜ子どもが欲しくないのか?と問われた場合、それらの答えとしてお金や時間など定量的な理由がいくつも挙げられるが、それは上っ面のことで、心を掘り進めていくと最後は“気持ち”に行き着く。
その“気持ち”を“気持ちの問題”と思い込み、問題を乗り越える(乗り越えたいと誰が言った?)様々な手段を提示してまで、子どもを持つことを推奨する人達がいる。
はてなには、子どもを持つことを推奨する人がとても多い。「今は欲しくなくてもそのうち欲しくなるだろうから後悔する前に産めるうちに産んだ方が良い」という考えの人も多い印象がある。
「産んでおいた方がよい」「なんとかなる」「私も欲しくなかったけどできたら最高だった」と言って、子どもが欲しくない気持ちを気持ちのままにしておいてくれない人達は、もし「こどもって必要ですか?」と面と向かって聞かれたらどう答えるつもりなんだろう。そして、自分達が「子どもって必要ですか?」と同じくらい不躾な発言をしていることに気づいているのだろうか。
私は子どもがいない主婦だ。最高に楽しい。これから先の人生を夫と思い描くことがある。50代、70代、90代。それらどのイメージにも「私達の子ども」の姿はない。どちらかが先に死んだときのイメージにも子どもの姿はない。
なぜ子どもが欲しくないのか?は、なぜ恋人が欲しくないのか?とか、なぜ結婚願望がないのか?と似ていると思う。大人だったら恋人がいない人に安易に「紹介するよ」「こうしたらモテるよ」「なんで恋愛しないの」とは言わないだろう。子どもがいない人に対してもそうあるべきではないだろうか。
その人は恋愛から何かを得ることはないかもしれないけれどあなたとの関わりの中で多くの豊かなものや素敵な気持ちを受け取っていると思う。彼がそれを恋愛と呼ばないだけで、あなたのことを特別な友達と思っていると思う。これは私の勝手な想像ですけど。
だから増田にはできるなら彼の安全地帯になってあげてほしい。巷で賛美される週一でデートしてキスしてセックスして結婚して可愛いチャペルで結婚式挙げて子どもは男の子と女の子ひとりずつ、みたいな手垢ベタベタの幸せのかたちなんかよりも、ずっと稀有で得難い2人だけの関係性というのを作っていってほしい。
長い間、恋愛的な意味で好きだったのなら難しいしつらいかもしれないけどそれが唯一の、増田と彼がお互いの特別になれる方法であるように思う。
気がついたら22歳になっていた。
田舎出身なのもあってか、親戚から結婚の話をされることも増えた。
いまは別居婚があるじゃん!夫婦別姓の人も増えてるよ!なんて言われたところで
なにより、「結婚したんだからそろそろ子どもを…」って配偶者や周りから言われるのが嫌い。
子どもを産むために結婚するの?結婚したら子供を産まなきゃいけないの?
子どもが幸せに育つ環境を整えるためには計り知れない努力と、莫大なお金が必要になる。
何が悲しくて自ら女性として見られなくなる道を選ばなければならないのか。
結婚のメリットって何?メリットなんてない、好きだから、愛してるから結婚したなんて綺麗事はもう嫌というほど聞いた。
好きだから「交際」という口約束では満足できなくなって、「結婚」という契約を選んだんでしょ。
生物学的には恋愛は3年で終わるらしい。恋愛が終わった既婚者の皆さんは、自らが交わした契約に何の後悔もないのだろうか。
そして結婚適齢期って誰が決めたんだ?
女には賞味期限があるとか。男だって賞味期限ぐらいあるだろ。気づいてないだけ。誰も言わないだけ。
性機能も成熟して、精神的・経済的にも自立してきた時期が世間一般で言われる結婚適齢期の時期だろう。
書けば書くほど結婚という制度と、それを良しとする風潮に嫌気がさしてくる。
結婚したいと言っている男は、黙って家事炊事洗濯をこなし、気が向いたら性欲処理できる女が欲しいんだろうなとしか思えない。あと社会的に認められるため。
結婚したいと言っている女は、残り物として見られたくないプライドと、人の金でぬくぬくと暮らしたいんだろうなと思ってしまう。年収○○以上じゃないと無理~とか、理解不能。自分の飯ぐらい自分の金で買え。自分の生活は自分で何とかしろ。
既婚者の皆さん、教えてください。
わりと今の会社がやりづらいな転職かなーってぼんやり考えてたら、
原因はやりとりの多い先輩(30代男性)のワールドイズマインっぷりだなと気がついた。
リア充路線の日本人男性で、「俺の常識は世界の常識」とばかりに日常会話を進める上に仕事の納期をたびたびすっ飛ばすのに反省せず、他人のミスにはとても厳しい。
「女は25過ぎたら結婚しないとやばい」「鬱病患者に甘い就業体制は健常者に不利」とかSNSで発言したら即炎上レベルの差別発言をどかどか吐くのでくたびれるし、
「あのアイドルは終わった」だのどや顔で評価することも多く、俺基準ISオールって感じの物言い。常時マウンティング。
「目下に教えてやる」っていう姿勢がベストポジションっぽくて、
上司の前だと打って変わって弱腰で声まで小さくなってる。あと無意識だろうけど上目遣いになってる。残念ながらかわいくはない。
俺こそが世界の中心で、それがわからない他人が理解できないのかもなあ。
(私は最低限しか相手しなくなって久しいけど、入社一年目の女性社員とかよく長時間つかまってて、あーーーーーってなる。)
仕事の愚痴から話は突然でかくなるけど、今とってもホットな曽根綾子氏の例のコラムも根っこは似ている気はする。
彼女もきっと、自分の幸せや快適さがどの人にも共通の真理だと思い込んでるから、新聞にあんなこと書けるんだろう。
幸せのかたちや快・不快の基準は性別・年代・国籍とかの大きめのセクションだけでなく
個人個人でまったく違う。日本は単一民族国家だし「マジョリティ」が固定化され気味のきらいがあるので
マイノリティには居心地が悪い部分もけっこうある。特に女性であるとやりづらいって思うことも「社会」に出てから多々ある
(脱線するけど私は「社会人」という言葉が嫌いだ。往々にして「社会人」は「俺様の知ってる世界を理解できている奴」をさすから)
いろんな人がいて当然っていう世界になったらいいなあ、とぼんやり祈りながら紅茶をすすりながらキーボード叩くしかできないけど、