はてなキーワード: 改札口とは
先日、店で警察沙汰が起きてその対応にてんやわんやだった時間帯にちょうど店が混雑して大変なことになった。
で、その大変の嵐が去った頃にバイト仲間のDさんがふらりとやって来たのだけど、なんか事務所でもさもさと菓子を食っていた。
そんなタイミングで、用があって事務所に入った私は、Dさんに何しに来たの? とマイルドに聞こうと思って少し考えたんだが、実際口から出た言葉はというと、
「えーっと、何しに来たんですか。」
しかも意図せずめっちゃ冷ややかな声出た。驚いた様子のDさんは、菓子をモグモグしながら、
「Aさんに何か用があって来たんですけど忘れちゃったー、えへっ」
と言った。まあいいですけど……。
しかし、あの時みたいに直球の暴言をいつもスラスラ言えるくらいの反射神経を持っていたら、人生楽しかろうなあと思った。
今日も雨降りだったが、こうも雨が毎日降り続けると、「雨が降っているからコンビニに行くのはよそう」と人々は思わなくなるし、むしろお出かけしたいけれどコンビニくらいしか行く所がない、という感じで、コンビニは混雑しがち。今日も混んだ。
しかも、みんながみんな、「ピークを外せばコロナにかからない」とばかりにピークを外して来るので、いつもは混まない時間帯に混むのだ。
そんなわけで、普段は暇な時間帯にAさんが休憩に入った頃に混み始める。しかもそんな時に変な動きをするお客様が現れて、レジ対応が止まる。
そのお客様は結構来店する人なのだけれども、今回は商品をいくつかと同時にインターネット支払い三件を持って会計に来た。全部現金で払うというので、うっかり現金払いしか出来ない支払いのために高額のプリペイドカードチャージを先にしてしまって揉めるということはなかった。
ところが、そのお客様は何故か支払いのお金をすごく細かく封筒に小分けして持って来たのだ! たった三件のインターネット支払いと、菓子パンだのを買うためのお金を、封筒五袋と小銭入れと財布と財布の中に忍ばせたジップ袋(絆創膏とか入ってるようなやつ)に別けていて、全部の封筒等から小銭ばかりを出して自動レジに入れていく。封筒の一つからは千円札が数枚はみ出ていて、それを全部使えば余裕で払えるというのに、お客様は、
といって、テーブルの上に封筒を散らかしたまま外に走って行ってしまった。
その状態で次のお客様のお会計をすることは出来ない。商品と封筒を隅に退けて、鬼のようにお金を小分けしているお客様のお会計を「保留」にすれば次のお客様の会計をすることは一応できるのだけれども、支払いの祭にワケの分からないムーブをした挙げ句に「ちょっと待ってて!」と言って車にお金を取りに戻る人というのは、何故か元のレジに戻って来ないことが多い。別のレジで「さっきのお金払いたいんですけど」と駄々をこねて店員を困らせるのが定石。だから私は次のお客様を呼ばずに休憩中のAさんを呼び出して、隣のレジで後から来たお客様達の対応をお願いした。
ちょっと待ってて! と言って車にお金を取りに行くお客様が戻って来るのは遅いの法則、無事発動。すみませんねと言って長財布を開いたお客様だったが、財布の中にあるお札には手を着けず、財布の真ん中にある内ポケットから苦労してすごく小さいジップ袋を取り出す。勿論、ジップ袋を取り出すのに苦労した原因は、ジップ袋の端を内ポケットのファスナーが噛んでいたからだ。
親指と人差し指を入れるのもままならないような小袋から、10円玉を親指と人差し指で摘まんで取ろうと奮闘するお客様。やっとのことで10円玉だけを取り出し(100円は取り出さなかった)、レジに入れ、テーブルの上に散らかした五枚ほどの封筒を一つ一つ取り上げて小銭をちゃりちゃり入れていく。車までわざわざ取りに行かれたお財布の中のお札は手付かず。小銭をいくばくか入れたあと、お客様は先に手に持っていた折り畳み財布から千円出そうか出すまいか逡巡したあと、お財布をハンドバッグに仕舞い込み、今度はハンドバッグの内ポケットを漁ったがお金は出さず、そしてテーブルの上に散らかっている封筒のうち、千円札が数枚チラリズムしている封筒から千円札を出そうか迷った後でやっぱり出さず、封筒を一つ一つ逆さまにして小銭を振り出し、ハンドバッグの内ポケットを漁り、小さなジップ袋からまた小銭を出し、洋服のポケットに手を突っ込んで小銭を出すなどしてやっとのことで払い終えた。そして時間をかけて封筒をハンドバッグに入れたり、長財布に入れようとして封筒の端がファスナーに噛まれたりなどして、最後にはゆっくりとハンドバッグに財布を仕舞うと、
「どうもすいませんでしたね」
といって、都会の駅の改札口を走り抜ける人のような素早さで帰って行った。Aさんのレジの混雑はいつの間にか終わっていた。
22時より15分ほど前、私がトイレ掃除をしている間に子連れのお客様が来店して、チャッカマンを買って行ったとAさん談。
「これで花火ができるねー!」
とはしゃぎながらお子さま達は店を出て行ったそう。その子連れのお客様達の車は店の真ん前に停められていたのだが、車内にも子供が何人も乗っているのが見えたとAさんは言っていた。ちょうど、雨が止んだ、この隙に大勢で花火をするという発想は、私にはなかったぁ……。
すごく久しぶりにコンドームが売れた。なんか、コンドーム買いに来るお客様って、どや顔でコンドームの箱を突きだし、誇らしげな顔でフンッて鼻息を出しがち。
朝食
クリームチーズとブルベリージャムを乗せたトーストと豆乳を2杯。
30を過ぎてから牛乳を上手く消化できなくなって来たので仕方なく豆乳に切り替えた。
行けそうな気もしたが大事をとって一旦降りた。
電車を降りてからトイレのある改札口のフロアへ向かう階段で事態は急変した。
トイレに着く。
既に2人並んでいた。もう波はそこまで来ていた。
2,3分経過しても列に変化はなかった。
このまま耐えるのは無理と判断して、一旦改札を出てパチンコ屋でも探すかと思い列を離れて引き返した矢先、多目的トイレからサラリーマン風の男が出てきた。列からは死角になっているのでここに入れるかは運次第だ。
運が良かったと思う。
尻を拭くともれていた。
幸いパンツには達していない。
私はこれを「おもらし以上おもらし未満」と呼んでいる。
ただ、被害は大きく、この規模の災害をトイレットペーパーだけで修復するのはとても難しい。
数秒悩んだ末、洗面台に尻を突き上げ手で洗った。オストメイトは汚してしまっては大変なので使用しなかった。(そもそも使い方がわからない)
大変な感触だったが間も無くして正常に戻った。
さらに、便座にてトイレットペーパーで何度か拭き取り、事なきを得た。
洗面台、その他を使用前よりも綺麗な状態とし、トイレを発つ。一本後の電車に間に合った。
今後の対策
JRが車椅子対応をしてくれなかった……という件が話題になっているが、これはすべてはネットリテラシーの問題であることが判明した。ネットリテラシーのない情弱の人が、勝手に勘違いして大騒ぎしていただけだったのである。
このことが判明したのは、本人のブログによる。
無人駅だから、もしくは階段しかないから、という理由で、車いすユーザーは事前連絡が必要なら、小田原駅でも、熱海駅でも、それを教えてほしかったです。それを提示するのも合理的配慮の努力義務の一つです。
「教えてほしかった」というが、自分で調べる気はないのだろうか? そう思ったら、次の記述があった。( ★ )
3,事前に下調べをしてから行くべき、駅に連絡をしてから行くべき、そしたらこんなことにはならなかったのでは?
これは誤解である。この誤解がすべての出発点だった。
(1) 上記のページの左下には「駅情報」というアイコンがある。
ここをクリックすると、次のページに飛ぶ。
このページの下の方に「バリアフリー情報」という箇所があり、さまざまな情報が記してある。エスカレーターやエレベーターがないこともわかる。
ではどうすればいいかは、下記の (2)。
(2) 上記ページの一番上には「お身体の不自由なお客さまへ」という項目(白抜き文字)がある。これをクリックすると、次のページに飛ぶ。
この左下に「歩行の不自由なお客様へ」というアイコンがある。これをクリックすると、次のページに飛ぶ。
ここに「車椅子ご利用のお客様へ」という項目がある。これをクリックすると、次のページに飛ぶ。
歩行の不自由なお客さまへ>車いすをご利用のお客さまへ:JR東日本」
ここに次の記述がある。
駅をご利用の際には、駅係員がホームまでのご案内および列車の乗降のお手伝いをさせていただきます。スムーズにご利用いただくために関係箇所との調整が必要な場合がありますので、事前の連絡にご協力をお願い致します。連絡先や各駅のバリアフリー情報などについては、「らくらくおでかけネット」の中でご覧いただけます。
ここには事前連絡をしてほしい旨が記されている。
さらに、掲載された「らくらくおでかけネット」で「来宮」を検索すると、次のページが出る。
駅での利用 [ × ]
以上からわかるように、JR東 のサイトを見れば、車椅子情報はすべて掲載されているとわかる。なのに、本人がR東 のサイトをろくに見ないで、いきなり駅に行ったから、トラブルが起こった。それだけの話だ。
事前にネットで調べれば、何の問題もなかったのに、事前にネットで調べないでいきなり押しかけて、「対応しないのはけしからん」と大々的に騒ぎ立てているわけだ。
これは、先に乙武氏がレストランで騒ぎ立てたときと同様である。
結局、問題のすべては、ネットリテラシーが不足していて、事前にネットで調べなかったことに問題がある。
話の教訓は、「 JRは車椅子に対応せよ」ということではなくて、「車椅子の利用者は、出かける前にスマホで調べるぐらいのことはしよう。最低限のネットリテラシーを身に付けよう」ということだ。それだけで、トラブルは回避できる。
【 追記 】
必要な情報に達するまでに、何度もクリックしなくてはならないので、「情報がわかりにくい」とは言える。これは、ユーザーインターフェースの問題だ。
この二点の問題があったとわかる。今回の本質は、車椅子用の設備ではなくて、ネット上の情報処理の問題だったとわかる。はてなーならば、何とかしろよ。JRじゃなくて、はてなーが頑張れ。
――――――
ついでだが、
JRのサイトの作りの問題ならば、JRがまず第一義的に悪いだろ/冒頭でネットリテラシーのない障害者が悪いと言っておいて、最後ははてなーが頑張れ?論旨が一貫してないぞ
というブコメがあったので、答えよう。
このブコメは誤読だ。本記事は「誰が悪い」という批判はしていない。JRが悪いとも言っていないし、障害者が悪いとも言っていない。上記ブコメは、幻聴を聞いているのだろう。(ただの識字障害かも。精神障害の一種。また、幻聴は統合失調症か。)
本記事の主張は、「誰が悪いか」ではなく、「本質はどこにあるか」だ。それについて、太字で答えている。「今回の本質は、車椅子用の設備ではなくて、ネット上の情報処理の問題だ」と。
本記事の目的は、「誰それが悪い」と批判することではない。「騒動の本質はどこにあるのか」という真実を探ることだ。どうしても「悪い」という言葉を使いたいのであれば、「サイトのユーザーインターフェースが悪かった」と述べている。それだけだ。
デジタルディバイドや視覚障害が理由で欲しい情報にアクセスできない人々も含めて「HPに全て載ってるぞ情弱www」で論破した気になってる
というブコメがあったが、本記事は別に論破しているわけじゃない。誰かを批判しているわけでもない。問題の所在を示しているだけだ。「車椅子用の設備を改善するのではなくて、ネット上の情報処理の問題を改善すべきだ」という趣旨で。そこが本質だ。論駁や批判は目的ではない。
というブコメがあったが、これは妥当である。「誰にでも分かりやすいサイトの作り」を改善点だと理解して、これを改善するように努力することは、大切だ。それが進めば、今回のような問題も起こらなくなるだろう。「何を改善するべきか」ということが明確になるというのが、本記事の目的だ。
参考記事
https://anond.hatelabo.jp/20210409174921
私は駅員をしたこともあるし、車椅子ユーザーの方とお付き合いして、約一年間毎週末お出かけしたり、国内外旅行したことがある。
なので、どのように車椅子ユーザーが乗車しているのか、一人のケースについて書きたいと思う。
いつも駅の改札口に行って
「どこまで行かれますか?」
と聞かれるので、行き先を告げたらやってくれる感じ。
改札口までは自力で行っていた。連絡すれば駅員さんが助けに来てくれるけど、それまで待つのも時間がかかる。
私は体力が相当ないほうなんだけど、それでも一人で電動車椅子を介助してきた。降りてもらう、かつバッテリーを外せばなんとか持てる。順番に移動するのだ。ただこれは、この人が片足で立てるから待っててもらうことができた。そうじゃない場合は一人では難しいと思う。
ここから駅員視点だけど、行き先がわかったら自分以外の人がいる駅なら事務所に連絡して介助をお願いする。自分以外はいない駅なら行き先の駅に連絡して一緒にホームに行く。
ホームに着いたら介助する人がいるという信号を運転手に出して待つ。
電車が到着したら乗せてあげて、「〇〇駅までお願いします」と運転手に連絡する。乗車駅ではこんな感じ。
私のいた鉄道では全駅に介助できる駅員がいたからあとは任せるけど、他の鉄道では無人駅もある。
そういう時は人のいる駅から駅員も電車に乗って介助する。だから無人駅から乗る場合は事前連絡したほうが楽なのは間違いない。そうじゃなければ、現地でインターホンとかで呼び出しをしないといけないから時間がかかる。
色々思い出してきたけど、車椅子ユーザーにもいろんな人がいる。
介助はいりませんって人もいる。でもごくたまに、なかなか乗れなかったりすることもあるから、影でそっと見守ったり、カメラで確認したりしてる。
エレベーターはあるけど、どうしても別の改札口から移動したいんじゃという方は、敷地内までは介助してご案内する。
当たり前だけどいろんな人がいるんだなって思いながら仕事してた。
なお、お付き合いしてる人とは海外旅行にも行ったけど、少なくともニューヨークでは駅が介助してくれることなんてなかった!駅員に聞いてもエレベーターがない時もあって、ひたすら階段を電動車椅子を持ってヒーヒー上がってたりした。当然ホームから電車に乗る時も介助はない。
でも他の乗客が助けてくれるんだよね。何も言わずにスッと持ってくれる。彼らにとっては当たり前のことみたいに。
京都や沖縄にも旅行に行ったけど、助けてくれるのはだいたい外国の方。
ノーマライゼーションって、別にお金出して設備整えるだけじゃないよね。そりゃ当然あったほうがいいに決まってるけど、今すぐにできることじゃないし、人口減少社会において、無人駅も完全に支援するってのは実現が難しい。事業者だけでなく、社会全体で助け合いができるといいなと思う。
「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」
いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、急せきこんで云いいました。
ジョバンニは、
(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙だいだいいろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった。)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸さいわいになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえているようでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫さけびました。
「ぼくわからない。けれども、誰たれだって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。
俄にわかに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石こんごうせきや草の露つゆやあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床かわどこの上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射さした一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架じゅうじかがたって、それはもう凍こおった北極の雲で鋳いたといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。
「ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶すいしょうの珠数じゅずをかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈いのっているのでした。思わず二人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頬ほほは、まるで熟した苹果りんごのあかしのようにうつくしくかがやいて見えました。
そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。
向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火きつねびのように思われました。
それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさえぎられ、白鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、じきもうずうっと遠く小さく、絵のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。ジョバンニのうしろには、いつから乗っていたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリック風の尼あまさんが、まん円な緑の瞳ひとみを、じっとまっすぐに落して、まだ何かことばか声かが、そっちから伝わって来るのを、虔つつしんで聞いているというように見えました。旅人たちはしずかに席に戻もどり、二人も胸いっぱいのかなしみに似た新らしい気持ちを、何気なくちがった語ことばで、そっと談はなし合ったのです。
「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」
早くも、シグナルの緑の燈あかりと、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のそとを過ぎ、それから硫黄いおうのほのおのようなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。
さわやかな秋の時計の盤面ダイアルには、青く灼やかれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまいました。
〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。
「ぼくたちも降りて見ようか。」ジョバンニが云いました。
「降りよう。」
二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口かいさつぐちへかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫むらさきがかった電燈が、一つ点ついているばかり、誰たれも居ませんでした。そこら中を見ても、駅長や赤帽あかぼうらしい人の、影かげもなかったのです。
二人は、停車場の前の、水晶細工のように見える銀杏いちょうの木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこから幅はばの広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通っていました。
さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか一人も見えませんでした。二人がその白い道を、肩かたをならべて行きますと、二人の影は、ちょうど四方に窓のある室へやの中の、二本の柱の影のように、また二つの車輪の輻やのように幾本いくほんも幾本も四方へ出るのでした。そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原かわらに来ました。
カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌てのひらにひろげ、指できしきしさせながら、夢ゆめのように云っているのでした。
「そうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。
河原の礫こいしは、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉トパースや、またくしゃくしゃの皺曲しゅうきょくをあらわしたのや、また稜かどから霧きりのような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚なぎさに行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮ういたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光りんこうをあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。
川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている崖がけの下に、白い岩が、まるで運動場のように平らに川に沿って出ているのでした。そこに小さな五六人の人かげが、何か掘ほり出すか埋めるかしているらしく、立ったり屈かがんだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。
「行ってみよう。」二人は、まるで一度に叫んで、そっちの方へ走りました。その白い岩になった処ところの入口に、
〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物せともののつるつるした標札が立って、向うの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干らんかんも植えられ、木製のきれいなベンチも置いてありました。
「おや、変なものがあるよ。」カムパネルラが、不思議そうに立ちどまって、岩から黒い細長いさきの尖とがったくるみの実のようなものをひろいました。
「くるみの実だよ。そら、沢山たくさんある。流れて来たんじゃない。岩の中に入ってるんだ。」
「大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこしもいたんでない。」
「早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘ってるから。」
二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、またさっきの方へ近よって行きました。左手の渚には、波がやさしい稲妻いなずまのように燃えて寄せ、右手の崖には、いちめん銀や貝殻かいがらでこさえたようなすすきの穂ほがゆれたのです。
だんだん近付いて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴ながぐつをはいた学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、鶴嘴つるはしをふりあげたり、スコープをつかったりしている、三人の助手らしい人たちに夢中むちゅうでいろいろ指図をしていました。
「そこのその突起とっきを壊こわさないように。スコープを使いたまえ、スコープを。おっと、も少し遠くから掘って。いけない、いけない。なぜそんな乱暴をするんだ。」
見ると、その白い柔やわらかな岩の中から、大きな大きな青じろい獣けものの骨が、横に倒たおれて潰つぶれたという風になって、半分以上掘り出されていました。そして気をつけて見ると、そこらには、蹄ひづめの二つある足跡あしあとのついた岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られて番号がつけられてありました。
「君たちは参観かね。」その大学士らしい人が、眼鏡めがねをきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。
「くるみが沢山あったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新らしい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水が寄せたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこつるはしはよしたまえ。ていねいに鑿のみでやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔むかしはたくさん居たさ。」
「標本にするんですか。」
「いや、証明するに要いるんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠しょうこもいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい。そこもスコープではいけない。そのすぐ下に肋骨ろっこつが埋もれてる筈はずじゃないか。」大学士はあわてて走って行きました。
「もう時間だよ。行こう。」カムパネルラが地図と腕時計うでどけいとをくらべながら云いました。
「ああ、ではわたくしどもは失礼いたします。」ジョバンニは、ていねいに大学士におじぎしました。
「そうですか。いや、さよなら。」大学士は、また忙いそがしそうに、あちこち歩きまわって監督かんとくをはじめました。二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないように走りました。そしてほんとうに、風のように走れたのです。息も切れず膝ひざもあつくなりませんでした。
こんなにしてかけるなら、もう世界中だってかけれると、ジョバンニは思いました。
そして二人は、前のあの河原を通り、改札口の電燈がだんだん大きくなって、間もなく二人は、もとの車室の席に座すわって、いま行って来た方を、窓から見ていました。
緊急事態宣言も明けるし、そろそろ会おうって言ったら、もう会いたくない、別れようだって。
まじで10年ぶりにできた彼女だったんだよ。去年の春にアプリで知り合って、緊急事態宣言明けに付き合った。歳のわりには綺麗だし、仕事もしっかりしてて、性格もサバけてて。一円単位でワリカンしてくれるし、俺の趣味の話も聞いてくれた。一回趣味の自転車の店に行ってパーツに悩んで店の中で40分放置した時も、笑って許してくれるような彼女だった。
もちろん俺だってデートコース組んだり、食べる店は探して予約したし、デート中も話は聞いたし、病院で働く彼女にコロナ怖いよね、無理しないでねっていつも言ってた。それに、これが一番デカイんだけど、彼女は絶対触らせてくれない。でも、俺は我慢してた。
彼女は前の彼氏と何かあったらしく、付き合って早々に俺に触られたくないと宣言してきた。手だって繋がせてくれないレベルだったけど、まあ俺は全然モテないし他に当てもないし、自分にとってはこれ以上の彼女はいなさそうだから、しばらく我慢しようと思ってた。
去年の12月、感染者が増えて彼女がデートを嫌がるようになってた中で、珍しく彼女から誘いがあった。友達の結婚式に出るから、ついでに会おうと言われたので、会えるならいいやと思って俺も出かけた。
オシャレした彼女は綺麗だった。それに、二ヶ月ぶりくらいに会ったからか、なんか彼女も楽しそうだし、俺のことをトロンとした目で見てて、あれ、これイケるな?ってモテない俺でも分かった。話し込んでたら彼女が式に遅刻しそうになっちゃって、慌てて駅まで送った。その時もなんだか距離が近い感じがして、これは行くしかないでしょ!ってなった。
改札に入ろうとする彼女を呼び止めて、俺は「キスしていい?」って聞いた。彼女は、
「え、何で」
と聞いた。俺が
「だって付き合ってるじゃん」
「無理」
と言って改札口を通り過ぎた。
その後は年明けの緊急事態宣言で、彼女は病院勤めなので、また会ってくれなくなった。LINEもそっけない。それでも無理しないでね、何があったら言ってね、話聞くよってメッセージしてた。なのに、今日フラれた。
確かに俺はイケメンじゃないし奨学金払ってたから彼女より金はないし、自慢の彼氏じゃなかったよ。でも、ひどいなって思った。付き合ってたのに、一回手を繋いだだけだよ。なんなんだよ。こんな我慢したのに。
首都圏にいくつかあるマイナー鉄道駅の一つ、西武池袋線・元加治駅。今どき駅前にコンビニがない。
昔はあったらしいが、近所の高校生の万引き被害が多く、閉店していらい復活していないそうだ。
駅は入間市と飯能市にまたがり、駅舎所在地は入間市。無投票で当選した市長は「元加治駅南口の開設」と、
飯能市にある「トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園」の観光地化を公約の一つに挙げている。市長就任後に知った。
そう、この駅は北口しかなく、駅南側のあけぼの公園に向かうには北口から降りて線路をぐるりと回る必要がある。
検索したら、この駅周辺の開発に強力に反対する市民がいるそうだ。
以前の藤沢駅・辻堂駅問題であり、新駅設置が決まった村岡新駅への反対にも通じる。
駅が2市にまたがって開発が進まないというも、横浜市と鎌倉市で押し付けあった大船駅周辺の開発と同じ。
大船駅は横浜市側に新たに乗り降りする笠間口を作って、ようやく形になった。
転居したから昨日まで知らなかったけれど、大船駅前の商業施設が完成し、今年2月23日から順次オープンする。
藤沢市は、工場撤退後、辻堂駅前を開発したおかげで、毎年転入者が増えている。
その成功を見て横浜市、鎌倉市はようやく腰を上げ、開発を加速させつつある。
入間市も、隣接する所沢市内各地の再開発の進展を見て、未着手の市西側に目をつけた。
30年もかけず、できるだけ早期に改札口を設置し、保育所や学習教室を核テナントとした駅ビルを誘致するべきだと訴えたいので、ここに書いた。
そもそも新宿・藤沢(辻堂)間、新宿・入間市(元加治)間、日中の所要時間はほぼ同じ。直線距離ならむしろ埼玉のほうが近い。
電車速度が遅いためで、西武線は小田急線を見習い、特急(有料)・快速急行・急行・各駅停車に再編してもらいたい。スピードアップも図ってほしい。
大人気の藤沢、対して、落ち目の横須賀、入間ほか。市が既存住民に忖度し、新たな街づくりを放棄したからだ。
リモートワークでプチ田舎にほど近い郊外に住むなら(津波・地震リスクはノーカウント)、現状、藤沢〜大船間がベスト。湘南の海はすばらしい。
その湘南エリアに入間ICからETC2.0割引適用で片道2050円(新湘南バイパス 藤沢IC)、最短54分で着くらしい。
神奈川・東京市部・埼玉南部まで合併すれば、海なし県は「海あり県」になる。車移動1時間なんて、地方では通常行動の範囲では?
この前100ホッテントリ達成して増プレ入ってさ、嬉しかったからメルマガ会員にもなったんだよ
知らなかったんだけど、毎月ホッテントリ者でオフ会やってるらしいのね 開催場所も近いんでいくことにしたわけ
増プレdiscordのほうで有名な増田文学者も参加するって情報あったからけっこう楽しみにしてだんだけど、まじで酷かった
恵比寿駅の西改札口集合だったんだけど、もう改札出る前から臭えの。異臭。
イヤな予感してさ、ちょっとICカードチャージするフリしながらあたり伺ったら、いましたよ、ヤバい集団。
全員中学生みたいな格好してる・全員全身黒づくめ、全員浮浪者みたい を同時に達成してんのね。意味わかるか?中学生みたいな格好をずっと着替えずにし続けて、ダサイけど彩りはあった服が全部真っ黒になってんの。
関係ない集団かとも思ったんだけど、オフ会情報的に絶対アレだったんだよな。
チラチラ見てたら目があっちゃって、そしたら全員こっち向いてほんとに「ニチャア」って感じで笑ったんだよ。つか、そのニチャアって音が距離を超越して耳元で聞こえた感じがした。今思い出しても鳥肌がたつ。
俺悲鳴上げて逃げちゃったよ。改札抜けてなくて本当に良かったと思った。秋口だったんだけど、電車に駆け込んでひと息ついたときには身体中冷や汗まみれだったぜ。
新型コロナウイルスとの戦闘は長期化する。J&Jが来年初頭にも十億人分のワクチンを供給してみせると大見得を切っているがこれはブコメによれば怪しい要素もあるらしい。すなわち神風が吹いても今年中の収束は怪しい。俺は近々感染爆発が確定してロックダウンが来たら戦時みたいで楽しいと思っているが、ともあれ移動の自粛は、三カ月先にせよ三十年先にせよ今この瞬間は全面禁止してもいずれは制御された解禁に切り替わらねばならず、いずれかの時点で通勤電車の感染対策が議論されることは間違いないだろう。
この新型コロナウイルスは微細飛沫を喉に受けたり、汚染面に触れた指をなめたりすることで伝染し、概ね「生活圏に感染者が訪れ、知らず知らず接触し、あるいは飲食中に発声で撃ち出された飛沫を吸い込み、感染する」という形で広まっていると推測される。そこで今は感染者と接触者を追跡し、人と人との接触を断ち、飲食を禁じるという方法で抑制が図られている。しかし、人と人との接触を完全に禁じる、飲食を伴う交遊を禁じることは、永久には続けられない。
上の鍵括弧内を精読してほしい。こうは考えられないだろうか。つまり、生活圏が小さければ被害は小さい。異なる生活圏同士で感染者が移動しなければ拡大しない。接触は、意図的に行う知人間に限ればいい。飲食は、まあ別の論者に譲ろう。つまり、いくら東京都が巨大都市だと言えど、ちょうど秋葉原で無線機を買うオタク、エロゲを買うオタク、エロ本を買うオタク、コスプレ用品を買うオタク、パソコンを買うオタク、女たちの元締めに貢ぐオタクたちがそれぞれ互いに接触しないように、サイエンス・フィクション作品《都市と都市》における都市のように、互いに密接しあう複数の《生活圏》が感染可能な形で実質的に接触する機会を減少させ、感染拡大の被害を局限化することは、可能ではないだろうか。
そこで、《号車固定》という発想を提案したい。なんのことはない、特に首都圏の鉄道定期券利用者に対し、通勤電車の列番、号車を指示するのだ。1号車から11号車までの番号を利用者に対してランダムに指定する。例えば、まずは駅で「号車固定を受けていないお客様はご乗車になれません」というアナウンスを流し、改札口に箱を置くなどして、定期券に貼るステッカーを支給する。路線ごとに配るほか、できれば色で奇数列車や偶数列車、朝何時などと分離を図る。ステッカーは、最低一週間程度、毎日支給する。チャージする際には剥がす必要もあるので一時的なものになろう。もし固定を破るものが続出して問題となれば、ステッカーではなく大規模に費用をかけて乗降時にカードリーダーに通させるとか、バッジや六芒星の書かれた青い腕輪や鞄に貼る大きなステッカーに変えるとか方法はあろう。定期券は制度導入から最短1日、最大6カ月で失効する。導入から3カ月から6カ月もあれば、システム改修によって、鉄道会社のアプリなりカードの印字内容の変更なり、最悪の場合は追加の指定番号書き込み機を用意するなどして、番号を券面に表示することは可能だろう。実際の乗車時には、固定が守られているかを厳密に検査する必要はない。「号車固定をお守りください」となおざりにアナウンスでも流せばよい。非定期利用者は、特定号車に移してもよいし任意車両に乗せてもよい。今の今まで濃厚接触していた友人知人の集まりが規則正しく各車両に散ったりすれば、むしろ大惨事である。だが、階段最寄りなど特定車両に乗客が集中すれば、規律が乱れているとして、乗車率が一定程度に下がるまで、全員を下ろすなどする。目的は乗客の《生活圏》のコンパートメント化であって乗客間の感染防止ではないから、満員になること、それそのものを抑制はしない。
乗る号車や席や列車が決まっている人も、世間には多いだろう。しかし、日によって状況によってその日の気温次第で違う車両に乗る人も同じくらい多いのではないだろうか。この《固定》制度によって個々の乗客の《生活圏》を強制的に切り離し、「感染者が山手線の朝八時台の列車に乗れば、最大何万人が感染する可能性がある」状況から「京急本線504号車5、立会川から品川、途中セブンイレブンでおにぎり購入、乗り換えて東北本線0635G号車8の品川から大手町と乗車すれば、最大456名に感染させる可能性がある」などと被害を局限化することは可能ではないだろうか?
ラーメンを食い始める瞬間に思い付いたので忘れないうちに書いておく。9a1a a36b
にならって梅田の乗り換えについて書いてみる。
JR大阪駅を起点とし、東から御堂筋、中央、桜橋と大きく分けて3つある改札を使い分ける。
JRの各改札間は改札外で容易に移動可能なので間違えて出ても大丈夫。
改札口に北と南に出口がある場合には南口を利用する。ヨドバシが見えたら逆側へ。
御堂筋南改札すぐの地下への階段を降りて道なりに進むと改札が両側に現れる。
終点から直進すると広場があり、広場中央の階段を昇れば阪急の改札がある。
左手に阪神百貨店が見えたら、周囲にチケットショップを探しながら少しずつ進む。
難関。
中央改札南口をでて階段を下り、直進する(阪神梅田へのルートと共通)
阪神電車の改札(百貨店口)を過ぎて広場(ディアモールの円形広場)に出たら、左隣の道へ入る(急角度に曲がる)。
直進して突き当ったところが東梅田駅。
広場に出たら右斜め前の通路へ入ると西梅田駅の出口専用改札が見えるので、さらに奥に進む。
中南改札なら改札を出て左手、その他は右手に進み、左奥の階段を上る。
手前右側のエスカレーターに乗っても良いが、大抵混雑している。
2F中央改札を出てすぐの階段を1階だけ下りる(1Fへ着く)。
やはり難関。
中西改札を出て左手に進み、売店脇の通路 (地下街に出ると行き過ぎ)を左折する。
出口専用の北改札を出たところの広場で(右手に阪神の改札を見ながら)左斜め前の通路に入って直進。
出た改札によってはかなり遠回りや難しいルートになる。リカバリー不能な場合もあるので、改札出る前に確認すると良い。
梅田の各地下街は相互の連絡通路が複数あるため、目的地までのルートが多数存在し、案内も難しくなる。
各線の駅構内の方が構造が単純なので、なるべく構内を使って目的地の至近距離の改札まで移動して、ルート数を減らすと迷いにくい。
特に御堂筋線南改札は避けた方が無難。出たところが広場で方向が分かりにくい上に動線が混乱していて人が四方八方から押し寄せるため、初見で目当ての通路を正確に選ぶのは難しい。
慣れてない人にJR東西線の利用はおすすめしない。沿線(尼崎ー京橋)には観光地もない。
御堂筋南改札ー阪神東口なら30秒とか、JR-阪急はヨドバシ前の陸橋ルートなど便利なルートがあるのは承知しているが、今回の各ルートはわかりやすさと雨具不要を重視して選んだ。
JR大阪駅は地上にあり、各線とも比較的近距離でつながっており、各改札間の移動も地上で簡単に可能など、迷ったときにリカバリーしやすい。
挨拶として文化的に許容される限度を超えるキスが「性的」であることに誰が異を唱えてるっての?
改札口でたとえば舌をいれるようなキスは普通にはしたないし、駅員が注意するべきだと思うよ
っていうか、チュッチュってなに?
気持ち悪いんだけど
今年で四十歳になる自分だが今まで経験がないことを羅列していく
一人で新幹線に乗った事がない
飛行機に乗った事がない
パスポートの取り方も知らないし
鉄の塊が空を飛ぶなんて信用ならん
性行為をした事がない
自慰行為なら毎日するが、女性と淫部を擦り付けるなど考えただけで射精しそうだ。
勿論そういうお店も怖くて行けない。
二十歳からずっと実家暮らし。 今更家を出る理由もないから考えてないが、いつまでも親に家事をやらせているのも申し訳ない気もする。
アルバイトを二十年間ポツポツとやってきた
周りから取り残されているというか
世間一般の普通がとてもじゃないが普通に感じない。自分にとっちゃベリーハードだよ。
友達もいないし、休日にやる事と言えばアニメ見てバラエティ見てゲームしてジャンクフード食べて寝てるくらい。
家にいながら世の中のコンテンツを消費する日々
遥か彼方に消えていってしまって、何も言われないし自分には何にも期待されていない。
だから案外、無敵なのかもしれない。
別に結婚とか子供欲しいとかお金持ちになりたいなどというのは望んでないし、それがイコール
幸せだとも思わない。
ただ時折押し寄せる虚しさや寂しさ不安感、孤独感に押しつぶされて死んでしまうんじゃないかと思う日もある。
けど自分は頭が弱いからそれさえも忘れるというか、同じことを何回も繰り返しても、じゃあ向上心を持とうとか一切思わないわけで、
結局 何が言いたいのかも分からないわけで、
・スペック
・参加したパーティー
平日。オミカレ経由で申し込み。細かいところはうろ覚えなので適当。
参加者の質については主催の責任ではないと思うし、参加者の量(≠男女比)については平日なので、とりあえずそれ以外についてのみ。
・OTOCON、15時~
昔参加した覚えがあったものの駅遠のほうだったのか現地で迷う。
受付完了メールに道順案内が付いていたので安心したけれど、情報が古いのか、そもそもわたしの読みとり方が悪いのか参考にならず。
JR大阪中央改札口(2階から改札を出ました)を出て右へ進み中央南口(改札を出て左手が中央南口)より外に出る(屋外というか百貨店?への連絡通路)と、目の前に横断歩道(下りエスカレーターしかない)がございます。
その横断歩道を渡っていただくと、地下へ降りる階段があります。
(恐らくこの案内は1階の話なのか?と思いエスカレーターで地下まで降りた)
階段を下りていただくとソフトバンク(携帯ショップ)が見え(改装の関係か見当たらない)、その横に黒色で「大阪第一生命ビル」の表記があります。(ない)
こんな感じ。純粋に方向音痴であるという可能性は捨てきれない。エスカレーターを降りて気持ち右よりに真っ直ぐ進み(百貨店ぞい)、1~2分で右手に『第一生命ビル』行きの階段を発見しました。
会場自体は清潔。昔参加したのと違う会場なので思ってたのと違う(狭い)という感想はありつつもとくに不満はなく。
1:1トーク→第一印象カードにて中間発表→2週目→マッチング、というよくある流れ。
半個室。正方形のテーブルの角を挟んで座るので話しやすい(が、メモしにくい。バインダー貸出なので配慮はされてる)。
個人的にはなぜ移動する男の方が奥側の席なのだろう…という感想。
椅子の下の荷物カゴがへたれた麻素材だったので荷物がしまいにくい。
・シャンクレール、15時~、19時~
直前に会場変更という名の元から予定していた合同開催、という以前の記憶通り。
合同開催前提で申し込んでいるので、25~35歳に参加してるつもりが40歳前後の男性、でもまあ気にしない。無駄な5分だけど。
15時~は5分差同会場の募集だったので、キリの良いほうに応募して変更なし。19時~は価格帯がバラついていたので~30歳だかの安いほうへの応募→「応募したやつは20代前半の男ばっかやから30代男の多いほうに変更せんか」の連絡(~30歳に応募した女が30代男求めてると思ってんのか?という気持ちはあるけれど自分の年齢が年齢だしスルー)で第二ビルへ変更(想定内)。
しかし移動してみたら酷かった。
~30歳のドリンク無しフリータイム無し個室パーティーに応募して、30代男に釣られて変更して、なぜ22~33歳(参加した男女からの印象)のnot個室フリータイム有り軽食有りアルコール有りなのか。
※年齢層の合うパーティーのほうをお勧めします、のみで、パーティーの主旨が違うことについて何の説明もなし。受付時も「本日はありがとうございます、○円になります」のみで変更についてのコメントなし
第三ビル(個室会場)はまあ当たり。第二ビル(オープン会場)はハズレ。
そんな印象。
ちなみに、第三ビル22階(だっけ)にはシャンクレールのスペースはひとつしか有りません。名前を変えて同フロア別会場感出してるけど物理的にひとつしかねえよ。
第三ビルは女性はいいけど、男性は移動面倒くさそうな印象あります。(全部で30?ぐらいスペース有るのに飛び飛びで参加者10人=移動距離が長い)
満員になったらパーテーション有りの半個室ではなく、窓際のカウンター?になる?みたい(男性がちらっと言ってたけどわたしは未経験)
第二ビルは、まあ、参加の流れがクソofクソだったのでアレですけど、エレベーター降りてもそれらしい案内や看板無し。ぱっと見ただのオフィスビル。フロアマップを隅から隅まで見てやっと見つけたレベル。
・コシネクト、19時~
わざわざ「マッチング有り」とか書いてるから特別なことをするのかと思いきや、マッチング=最後のカップル発表でしかなかった。
個室ダイニングしずか(1F)が会場だったのだけれど、ふつうの飲食店としても詰め込みすぎのスペース(半個室風のテーブル2箇所の他は、片側壁とは言えテーブルの間がかろうじて横になったら通れるレベル)で声が聞き取りにくい。狭いテーブルで対面なのでメモしづらい(バインダー等なし)。
トーク終了の合図、あったの?あれ。司会が表に出てくると誰ともなく会話が終わり、その静寂を持ってしてトーク終了、のような進行。なんだったんだアレは。マイク持ってる意味有ったの?
ウーロン茶サービスですが、セルフな上に会場が狭すぎるのでほとんどの参加者が手を着けていませんでした。
行くなら半個室風を狙って早めに行くべき。半個室風取れなかったらハズレでしかない。
参加者については語らないと言いつつも言いたい。20~29歳なのに大卒新卒ばっか。恋活かよ。婚活じゃねーのかよ。22の男に「30ぐらいには結婚しときたいッスねー」とか言われても笑いしかでねーわ。
・エクシオ、15時~
前日夜に着電、検索かけたらエクシオ。リコールするも出ず、翌日(当日)にもなんの連絡もなく。受付でその旨伝えると「管轄外なんでわかんねっすわ」。しかし「オミカレ経由なら電話番号教えて」と言われる。おまえ掛けてきてたろ。
説明時にしつこく「女はとくに気に入った男じゃなくても媚び売れよ(要約)」と言っていて(わざわざ女性の参加者は~と言っていたし書いていた)、そこで微妙な気持ち。
パーティー自体はつつがなく。平日15時だから男4:女3でも、まあ、いい。(ノーマッチングで他の女性とエレベ内で少し愚痴った)
思い違いかと思いつつも、受付ではっきりオミカレ経由って言われてるんですよ。
参加して2日後・3日後に「このパーティーどう?」のエクシオからのメール。
3日目受信後に迷惑メール申告で拒否したら4日目は空いて5日目に別アドレスから同様のメール(こっちも拒否した)
腹が立つのが、わたしの名前を書いているのだけど間違ってる。メール内に解除方法が記載されていない(オススメパーティーに参加するならコチラ!だとか、アプリあります☆だとかは有る)の二点。
名前の間違いについては慣れてる(智子でサトコ、のようなマイナー読みの名前だけど、「ミョウジトモコ様へご招待」みたいな件名で来る)けれど、わざわざカタカナ表記する意味あんのか?そもそも件名に入れる必要あんの????という苛立ちしかない。
オミカレから参加のために個人情報が渡されて、それを流用しやがってるんだろうけどもう参加しない。メール来ても片っ端から迷惑メール申告する。
\まとめ/
OTOCON→ふつう。面子によっては面倒だったり有り難かったりするから2週目についてはプラス気味の印象。中間印象からの2週目なので連絡先も交換しやすい。
シャンクレール→合同開催前提でとりあえず出会いの数をこなすと考えるとまあ有り。
エクシオ→もう行かねえ。
みんな旅行とか行ったのかな。
積ん読してた本が2、3冊消費されたところでたまらなくなってエッセイ紛いのものが出来上がったので、どこに書くにも場所がないのでこちらに。
運良く窓際の席を取れたが、ゴールデンウィーク、しかも異例の10連休である故か通路には立っている人が端から端まで広がっている。自由席だからなのだろうが。
当日に特急券を購入するという考えが甘かったと悟ったのははるばる新潟駅に到着したその時である。慌てて自由席のチケットを購入し、1時間も前からホームに並んで電車が到着するのを今か今かと待っていた甲斐があり、無事に窓際で座り込んで駅弁を食べる贅沢をする権利を得た。
窓の外には平野の田園風景が広がっている。その遥か向こうにそびえる奥羽山脈の頂には、5月にもなろうかというのに相変わらず雪が降り積もり白く輝いていた。
奥羽山脈は手前の山に阻まれ隠れ、そしてまた姿を見せる。手前の山には仄かに淡い白さが点在している。どうやらあれは山桜のようだ。
そう、窓際の席とは山側なのだった。
初夏の日本海の底知れぬ青黒い美しさはえもいわれぬ郷愁が湧くが、遠く高くそびえる山脈の頂上の銀色もまたノスタルジーである。
列車が北に向かえば線路は海に近くなっていき、奥羽山脈は遠く離れて行く。その遥か向こうに見える頂に銀色が輝いていればいるほど、胸の奥が詰まってたまらない心持ちにさせられるのだ。あの山の上から下に降りてくればきっと緑が増えるのだろうが、初夏になろうとしている時季に尚白く輝く凛とした佇まいが胸を打つ。これを横目に眺めながら移動するとはなんとも美しい初夏の電車の旅である。
新潟らしく広く大きな田んぼの中ではトラクターが動いている。ちらほらと水が張られた田んぼも見られ、秋になればここ一帯は美しい金色の広がる風景が見られるに違いない。
さて、新潟平野の自然の豊かさ美しさは想像するに難くない。今回は駅弁をただただ食べている1人の女の話である。
そもそもの旅の出発点は京都なのだが、本日の始まりは富山からだった。富山発、始発の電車に揺られて向かったのは直江津である。つまりは日本海側を延々と北上していくのが今回の旅の目的なのだ。というか、それだけである。日本海側を北上して秋田に向かうのを目的とした旅だった。どこに書くにも宛がないし、需要もなにもあったものでないからこうしてつらつら散文を書き連ねている。
富山駅前に24時間経営または早朝から開いているお寿司屋さんなんかがあればおそらく私はそこに直行しお寿司を朝からとはいえお腹いっぱいいただいていたと思う。しかし富山駅前には何もない。朝5時から、もしくは6時から…更に粘って7時なんかにも開いている店、更にいうならば寿司屋なんて存在しない。7時台から開くのはチェーン店かモーニングをやっている喫茶店か何かだけである。そして元気に営業していたのは24時間営業の吉野家のみであった。
その時点で私は富山で味わう海の幸の幻想を頭の中から叩き出した。白えびの軍艦に唐揚げ、新鮮な蛍烏賊の踊り食いや辛子味噌和え、ずわいがにや幻魚、その他内陸では食べられないお魚などなどである。食べたかった。
しかしそうも言っていられない。猶予はあまり無いのだ。今日中に秋田のその先まで着かなくてはならない。家族と合流する予定がある。そのためにただ日本海を傍目に北上しているのだ。
あいの風とやま鉄道に揺られて泊駅に着けば、1時間近くの待機時間の後に直江津行きが発車する。その頃には7時も回っており、ワンマン運行の1両のみの車内には案外人がいた。
さて直江津に着くまでに私がしていたことといえば、ただ海を眺めることだった。
日本海は海が近い。個人的な感覚だがみんなそう思うのだろうか。太平洋側の事はあまり詳しく無いが、日本海の海は近く深くあるような気がする。その黒く光る朝の海の美しさと言ったら!まるで海の表面にも溢れそうに青魚の群れが泳いでいるかのように、白く立った波が時々日光を浴びて生き物のように揺れている。青さの深い、銀と灰色と藍と黒が混ざったような深い深い海色は、海から随分と離れた所に行ってしまった私の目にも優しく映った。遠く沖には白い漁船が横切って行った。すわ喘ぎそうになる郷愁を感じる。胸の奥に響いて打ち震えるかのような懐かしさと海への憧れが込み上がっては目の奥がじいんと熱くなった。
電車の揺れが心地よくてどうやら眠っていたらしい。これは最近しばらく満足に寝られていないせいだろう。気がついたら直江津駅に着いていて、次の電車が出るまであと1時間の間があった。
大正時代の立ち売り衣装に身を包んだおじさまがいるということをきちんと事前に調べておいた。スマホでなんでも調べられるとは便利な世の中になったものだ。
到着するのが9時前でなくお昼時だったなら今度こそ寿司を食べに行っていたが、時間がないのでそうも言っていられない。
電車好きの皆々様が声高らかに宣言するように、私ももれなくそうだと頷くことにしている。車窓から見える景色も楽しいものだが、そこにご当地の駅弁が加われば怖いもの無しであるし何よりお腹いっぱいになって幸せになる。
朝ご飯代わりに駅弁を購入する事を楽しみに直江津駅に降り立った。
改札口に向かうと、出る直前の部分にこじんまりとしたささやかな売り場がある。まあ何がどうなっているかは気になった人が各自で調べればいいので詳しくは書かない。
しばらく待ってもおじさまが来ないのでどうしようとウンウン首をひねっていたら、親切な黄色ジャンパーの方が声をかけてくれる。同じ会社の人のようで連絡を取ってくれた。すぐに戻ってくるそうだ。どうやら弁当が残り少なくなってきたから補充をしに行っていたらしい。
いただいたのは鱈づくし弁当である。しかし、戻ってきた駅弁売りのおじさまが持ってきた物の中にさらに目を惹く物が存在した。上越名物(?)スルメの天ぷらだった。本当にこれが名物なのかもわからないがとにかく美味しそうなので購入してしまった。繰り返すようだが朝9時前である。少しというか結構重たいラインナップなんじゃないか?との一抹の不安と、大人になった事によって気になったものをパッと買える喜びで押し挟まれながらわくわくと胸を躍らせた。
味や中身の紹介は調べればいくらでも出てくるので割愛するが、鱈づくしの弁当は珍しいものだし鱈子も入っていて味も良い。スイスイ食べれてしまう。しかもスルメの天ぷら、これが1番の食わせ者だった。とにかく美味しい。お酒飲みたい。これを文字通り酒の肴にすればいくらでも日本酒が進むこと間違いない。移動距離が長いため朝の脳内では流石に自重してしまったのだが、どうせ移動中に転寝するならお酒を嗜むのを選択するのが大人の行動だったと今になって反省している。今度こそは間違わず躊躇わずに酒を購入する事をここに誓います。
流れる景色を眺めながら食べる駅弁の味わいの乙な事と言ったら!と満足ながらもやっぱり少し重たかった。行儀が悪いのは重々承知で半分残し、今度はお昼ご飯にするためにとっておいた。
今が秋ならば目の前一面に稲穂の海が広がっているだろう。田園風景の美しさとは未来が楽しみなことにもあるかもしれない。
点在する民家の遥か向こうに山々がそびえている。その更に向こうに相変わらず悠然と存在する白い山脈の頂きを眺めながら駅弁の蓋を開けるこの瞬間の静かな興奮である。
美しい景色を眺めながら、その土地の食べ物をいただき、更に移動までさせてくれる。電車の旅でなければ味わえない幸福な感覚に1人で酔いしれながら最後まで食べきったが、終わってしまうのも少し物哀しい。
ここが機内食やなんかと違う所なのである。駅弁は去り際に満足感と一緒に微かな残り香を置いていく。決して美味しい匂いが残るわけではない。なんだか少し物足りないような、それでいて胸がいっぱいになるような、この土地に少し近づけたような、微かな証を残していく。
反対の窓の向こうには日本海が近づいてきていた。人と人の隙間からちらちらと光る海が見える。
以下、単に新宿駅と言うと都営地下鉄新宿線新宿駅の事で、それ以外を指す場合は○○線新宿駅と付ける。
新宿駅の改札口はいくつかあるが、京王線と繋がってる奴がとにかく酷い。
改札を出ると、向かって左側が大江戸線新宿駅の乗り場と京王モールアネックスを経て都庁方面へ。
正面が京王モール。かなり離れているが丸の内線とこっちも都庁方面。
この中で、左側の通行量が極端に少ない。
それも当然で、大江戸線の乗り換えはわざわざ改札を出る必要がなく、都庁に行くなら「新都心口」という別の改札が近い。
なので、新宿駅の改札を出ると多くの人は右、次に正面に進む。
それなのに、それなのに出口専用改札が左側にあるのだ。
つまり、改札を出たら右に曲がる波ができる。
これによって、入場したい人が改札にたどり着くために、ルミネ方面に行く人の壁を突き抜けなくてはならない。
出口専用改札が右側にあれば人の壁を突破する必要なんかないのに。
ホームから改札に行く動線はどうなんだというと、こちらは2か所ある。
右・京王線側エスカレーターと左・アネックス側エスカレーターだ。
というのも、大江戸線の出口も兼ねており、京王線の連絡口がすぐ近くにあるからだ。
というわけで、入場した人が次にぶつかるのが、右側の京王線側から左側の出口専用改札に向かう人の壁である。
京王線側エスカレーターおよび京王線を利用してJR小田急方面に行く場合、
右側から出てきて、入場改札の前を通って左側改札まで行き、入場改札の前を通って右側を目指す。
改札を挟んで⊂字の動きになる。
もう一度言うが、出口専用改札が右側にあれば人の壁を突破する必要なんかないのだ。
京王モールはなんとなく左側通行が暗黙のルールになっているが、
出口専用改札が右になれば改札から出た人はそのまま右を歩くだろうし、
入場する人は左側の改札を目指すのだから右側通行に変わるだろう。それが効率が良いからだ。
もう一つ。
中地階~ホーム階は左から階段・上りとなっている。下りはない。
電車から降りてエスカレーターに乗った人は、ほぼ直進すれば改札階~中地階の上りエスカレーターに乗れる。
図解するとこうだ
階段 ↑↓壁
階段 ↑↓壁
階段 ↑壁
階段 ↑壁
これはどういう事かというと、改札から降りてくる人は、エスカレーターに並ぶ人の壁をぶちぬかないと階段に辿りつけないという事だ。
運悪く電車の到着とかち合ってしまうと、このあたりの混雑が酷い事になる。
延々と続く2本のレールには力強い鼓動がある。このレールは、知らない町と町をしっかり結びつけ、多くの人々を運んでいる。
しかし、その役割は、「人を運ぶ」ことだけではないのだ。単に「国鉄は人間と荷物を運ぶだけ」なんて考える人には、決して力強い国鉄の鼓動は伝わってこないだろう。
鉄道を愛し、多くの鉄道知識を持っている人でも、本当にこの鼓動をはだで感じたことは少ないはずだ。
確かに鉄道は知識として知れば知るほど楽しいことが出てくるだろう。
でも、「20,000㎞にチャレンジする」……それは、すばらしさの再発見につながっているのだ。知識から体験へ。今、その鼓動を求めて、未来に続く2本のレールにチャレンジしてみよう。
終わることのないロマン、それが列車の旅だ。部屋にじっとこもっていては、自分の心にカビが生えるだけ。部屋の窓から見えるいつもの風景は、ただ立ち止まり、決してなにも話しかけてはこない。とにかく出会いを求めて旅に出る。
ひょっとすると列車の座席に隣り合わせたことから何かが生まれるかもしれない。ある日見たり、聞いたりするもののすべてが出会いなのだ。
たとえば、車窓にそよぐ風の音、新鮮な潮の香り。これほどすばらしいものはないのではないか。
こんな新しい自然な出会いが旅と鉄道の心につながっていく。そんな時、心は少しもひからびていず、いつもいきいきしているのだ。
チャレンジとは、自分で考え、自分で動く、自分自身のための行動といえる。この精神こそ、スポーツと呼ぶにふさわしいものだ。
列車の旅には、楽しさとロマンがある。その上踏破をめざすチャレンジャーにはスポーツという楽しさがプラスされるのだ。
時にはマラソンのように、そして100m競争のように踏破の旅はチャレンジの楽しさを教えてくれる。
踏破ルートは3,000m障害や10種競技と同様に、バラエティに富んでいる。ルートの選択も実行するのもチャレンジャー自身だ。
チャレンジャーは、それぞれの方法で完全踏破への道を切り開いていくことに心を燃やしているのだ。
そこには、自分自身の問題として果たさなければならいことがある。
責任ある行動、多くの義務、これらをすべて実行したチャレンジャーのみが誇り高き名誉を獲得できるのだ。
いわば、人生のドラマがそこにある。よりすばらしいものを手にしたチャレンジャーには限りない自由と可能性があたえられているのだ。
チャレンジしていくと、各自それぞれのスタイルが生まれてくる。
列車待ちのホームで洒落た服装に身を包み、小首をかしげて詩集をひろげているちょっと気どった人。
おもしろいことを探しに出かける娯楽追求派の人などいろいろだ。
どんなスタイルの人でもチャレンジすることの中に、何かを見出しているのだ。
体験という言葉のまえには、どんな耳学問も色あせてしまうように、チャレンジする中で、自分のスタイルを作り出してみよう。
"停車場に、そを聴きに行く"と啄木がうたったように駅にはさまざまの土地から人々が集まり、またさまざまな土地へと旅立っていく。
始発駅…駅員さんに何か尋ねている人がいる。売店でお土産を買っている人。家族連れ。新婚さん。そして、カメラ片手に20,000㎞にチャレンジする人。通りがかりの人に頼んで、自分と駅名表示板が一緒に写るようにシャッターを切ってもらう。これで始発駅の証明写真ができたわけだ。
ふと、駅の大きな時計を見あげる。発車案内表示板がカチャリと変って、次の列車案内を示す。やがて、駅のアナウンスが構内に響きわたる。こうしてチャレンジの旅が始まる。
日本中には、いったい何本の列車が走っているのだろうか。もし、そのすべてに乗ることができたなら、これはすばらしいことだ。時刻表をうめつくす駅名のひとつひとつが語りかけてくるにちがいない。
手に握られた1枚のキップには、いま通りすぎてきた駅の余韻が残っている。改札口でキップにパンチが入れられた時から、自分だけの旅の世界が大きく広がっていくのだ。この瞬間の心のときめきこそチャレンジャーに贈られるファンファーレなのだ。
EL、DL、EC、DC、そしてSL。特急の場合もあるし、急行、普通列車の場合もあるだろう。旅は始まり、心がはずんでいく。流れ変わっていく車窓風景。春なら満開の山桜のトンネルをくぐり、夏はふりしきる蝉時雨の中を、秋は祭りのお囃子の響き、冬は凍てつく空気の中をひたすらに列車は走る。車窓に黄昏が迫り、黄昏は夜をひきつれてくる。寝台車でからだをやすめて聞くレールの音はなつかしい旅の子守唄だ。
日本列島を東西に長く走ったり、日本海と太平洋を結んだり、1線区1線区がつながり日本中を網羅していく。
いかにも郷土色(おくにがら)をあらわしていたいう楽しい線区名もあれば、少々読むのに骨が折れる難読名の線区もある。
こういう線区名がどうしてついたのかを考えてみるのも頭の体操になるだろう。走る場所や列車の種類で線区ごとの印象も、まったくちがってくる。
それらをひとつひとつ味わいながら踏破するのも楽しみのひとつだ。
駅にはいろいろな趣がある。その中でも、終着駅は、心ときめくムードを持っている。大都会の終着駅、ひなびた寒村をひかえた終着駅、高原の終着駅など、それぞれの良さがある。
しかし、どの終着駅も、どこかしら似た雰囲気をもっている。そこから先は、列車が行かないという、キッパリとしたいさぎよさと寂しさが待っているのだ。終着駅の長いホームを口笛をふきながら大股にしかもゆっくりと歩いてみる。改札口で駅名表示板にもたれながら、通りがかった人に写真を撮ってもらい駅を出る。1線区が無事踏破し終ったのだ。
色鉛筆で踏破した線区を塗りつぶす。チャレンジャーの心ときめく一瞬なのだ。
どの線区でもいいから、始発駅~終着駅まで、列車に乗ろう。けれども、踏破認定を受けるには、乗車(踏破)したという証明が必要になる。それが始発駅と終着駅の写真だ。写真と会員申込書などを"いい旅チャレンジ20,000㎞。推進協議会"事務局宛に送る。そうすれば、事務局からチャレンジカードが送られてくる。これでチャレンジの