はてなキーワード: 指向性とは
記事とかで「社会現象」っていう表現が安易に使われるけど、ちょっとラインをよく考えようよって話
数字はざっくり
艦これ 400
君の名は 300
けものフレンズ 150
刀剣乱舞 150
アニメ単体じゃないのがいっぱいあるけど
こうみると、大体けもフレあたりは「大ヒット作品」「ブーム」「話題作」なんだよね
君の名は。まで行ってようやく社会現象じみてくるんじゃないかな
でも艦これだと、もうちょいって感じもする。
ドラクエまで行くともう文句のつけようがない。普通にニュースになるレベル。ドラクエやるから会社休むレベル。
あまり安易に「社会現象を巻き起こした」は使わないで欲しいなーと思った
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%8F%BE%E8%B1%A1
「自分は楽しんでいる。楽しいから続けているんだ」。これは自分の趣味活動を継続する上で容易に手を伸ばせる結論だ。しかしゲーム制作という分野でエンターテイメントをシステムとして捉え続けてきた自分に言わせれば、続くのは楽しいから、というのは大間違いである。身も蓋もない言い方をするなら、続くのは『続けさせるようになっているから』でしかない。楽しいかどうかは続けさせるための一因でしかないのである。
限定された期間でしか得られない報酬を短周期で繰り返すソーシャルゲームは、ユーザに継続を強要させるためのシステムとして分かりやすい例だろう。自覚が無さそうところで言えば、体育会系的部活動にも同様の傾向がある。子供たちは、いつでも自分の意思で「楽しくないから辞めます」と言える心理状態にあると言えるだろうか。否、体育会系のコミュニティが自虐的な鍛錬の継続を美化する指向性を持っているのは明らかだ。転部や兼部は新たな楽しみの発見のためには合理的なはずだが、ひとつの部活動に一途に取り組むのに比べてイメージが悪い。他の選択肢を試すことすらなく、青春の大半を辛い練習に費やし、時には試合のレギュラーにすらなれないまま過ごしながら、その日々を合理化している、というのはおそらくそう珍しい事態ではあるまい。
コンプリート願望やコレクター願望、勝利至上主義、達成感、ストレスからの解放、不利益を被ることを美化する価値観、など、楽しくないものを継続させるためのシステムは境界こそ曖昧だが多岐に渡る。しかし、これらのシステムには概ね一貫したひとつの性質がある。それは、「参加者はシステムに従わないことでそのシステム上での価値を失う」ということだ。「時期限定のアイテムを取り逃せば、そのゲームで将来に渡って不利になる」「部活を辞めればスポーツマンとして価値が失墜し根性無しの烙印まで押されてしまう」などがこれある。こうしたシステムは強迫的にプレイヤーに継続を要求する。システムへの参加が自由意志であり、得られるものがシステムの上の価値でしかなくても、システムから脱するという決断を困難にしてしまうのだ。
言うまでもなく、楽しくないことを続けてしまうとしたらそれは不幸である。そして継続を誘発するようにデザインされた趣味はこの商業主義社会において決して少なくない。人は自分の幸福を守るために自分が本当に楽しんでいるかを常に感じ取れるようでなければならないと言えるだろう。
(当然のことではあるが予防線として言っておくと、ソーシャルゲームにしろスポーツにしろ、その楽しみを全面的に否定する意図は勿論ない。ここで言及したいのはシステムが持つ指向性によって楽しくないものを続けてしまうリスクについてのみである。本当に楽しんでいるなら何の問題も無い)
今の童貞高校生の君には難しいかもしれないが、性欲というのはどこまでも消化できない厄介なものなのだ。
童貞でない者なら、乳首ひとつ例にとっても、それを実際に見て触って、口に含んで転がして、念入りにもみほぐしてみたところで射精までのにぎやかし以外の何物でもないと断言できるはずだ。
無論、童貞高校生という性欲カーストの最後尾かつ最高消費者の植物プランクトンには想像もつかないことなのだろうが、乳房太ももケツ秘裂も、いざ自由にいじり倒してハメ殺してみれば、すべて同じものだと言い切れるものなのである。
それらは躍動しながら秘匿された存在であるがゆえ妄想をかきたて、君のあそこをビンビンにさせるわけだが、その射精欲はその指向性のみによって完結した存在なのだと君は知らなければならない。
性欲はどこにも君を導いてくれない。
人間の生理的欲求がすべて、その当事者を満足させるために存在するわけではない。射精欲は射精するまでの存在だ。
時間の無駄以外の何物でもないと誰もが分かりきっていながら、開かずにはいられない扇情的なエロサイトへのリンクを踏まないでいられたら、どんなにかいいだろう。
理想的な指向性を持った場を作るためには、それ以外の人が居心地のいい場を新たに作ったほうがうまくいくと思う
「ここでは◯◯しないでください」ではなく「◯◯専用の場を用意しました」とすればよい
ただ後者をやっても、人はより多くの人が居る方でやりたがる
QiitaはQiita◯◯のように、少しずつ指向性の異なる場を用意するとよいよおもう
Qiitaなんでも
こうすることで、ユーザーが興味のあるジャンルが適切に見つかる
正直、ネットのITエンジニアの興味は、プログラミング以外のエンジニアリングと研究領域に偏ってるフシがあるから
今のまま続けるほど、プログラミングの共有は隠れてしまうと思う
QiitaTeamもやってるわけだし、これはそこまで難しいことではないと思う
小生は二十代後半の高齢童貞であった。今は童貞であるのか、ないのか定かではない。
小生は童貞であったばかりか、女性経験は全くなかった。女性との会話時間は母親を除き、人生の累計で100時間もないだろう。それほど、女性とは縁がなかったし、いわゆる女性との交際に興味は無い。ただし、性欲は有った。通勤途中にはタイトスカートに欲情し、「触ったら犯罪だ」と思いぐっとこらえる程には性欲がある。そして、AV鑑賞と自慰が好きだ。
そんな小生が風俗にて女性と接点を持とうと決意したのは、内発的なものと外発的なものがあった。内発的なものは、AV・エロアニメ・エロ漫画、あらゆるエロメディアに現れる「セックス」(とそれに付随する前戯)が、それほど素晴らしいものであろうか直接経験してみたいと思ったからだ(結果的にはこれは裏切られることになる)。外発的理由は「童貞」というスティグマに小生が耐えられなくなったからだ。友人との会話で、風俗の話を振られて答えられないのが苦痛だったし、会社で女性体験の話題になったときに童貞であると告白すこともできず辛かったからだ。加えて、女性と接することが苦手であったから、性体験が一つの苦手克服のキッカケになると思ったからである。
丁度休暇の得られたタイミングで、意を決して風俗店へ行くことにした。小生が風俗へ行こうと思った理由を考えれば、挿入を経験しておく必要がある。ならばソープ一択と決断した。しかしながら、どの娘が良いだろうかと悩むうちに時間だけが過ぎていった。フォトショ職人の仕事が見事すぎて、どの顔も同じに見えた。しかたが無いので、高級店で髪と身長だけみて小生の好みに合いそうな娘(仮にXさんとする)を選んだ。電話で予約しようとするとお休みと言われた。事前の検討に要した時間が全て無駄になり、自暴自棄になった。もう、3日ほど自慰を我慢していたこともあり、女性であれば誰でも良いという気分に小生はなっていた。そこで、近所の大衆店の中から髪と身長だけを頼りにY嬢を選んで予約した。肩まで掛かるセミロングくらいの黒髪が綺麗だろうと期待した。
お店へ行き、ひとしきりの対応があった。この辺りは、一般的な風俗体験に丁寧な解説があると思われるので割愛する。
実際にY嬢と対面すると、フォトショ職人の凄さが分かる。外見の年齢は30代中盤か後半といったところだろうか。目の前にいる女性が美人であるか、そうでないのか判断がおぼつかない程に緊張していた。とても美人だと感じなかったということは、それほどではなかったのだろう。芸能人で言えば×××に似てると言う感想も持たなかったので、特筆すべき顔つきでもなかったのだろう。髪は綺麗な黒髪のセミロングだった、顔は厚化粧だった。これから一体どうなるのかと不安だったが、何とかなるだろうと楽観的だった。小部屋に入って、小生が童貞であることを告げると、それほど珍しくもない様子だったので安心した。
人生で初めてのキスをした。AVで何百回も見ているキスであったが、実際に体験してみると気持ちが良いという感じはしなかった。感想としては生暖かいコンニャクを口の中に含んでいるというものだった。服を脱がしてもらい、Y嬢も全裸になった。ああ、これからセックスするんだと思ったが全く感情が湧いてこない。ところで、小生はクリスマスに街を歩きながら「今日、街を歩いているカップルはみんなこれからセックスするんだ」という妄想をして、帰宅後に自慰に耽るという大変想像力豊かな童貞だったはずなのだが、全裸の女性を前にして興奮は無かった。
小生はビジホのような風呂に入った。そして、小生が湯船から上がるとY嬢は小生の身体を洗った。Y嬢の胸が小生の腕や背中に当たったが、なんの感慨もなかった。小生が中学生のとき、下着のカタログに載っている些細な胸の谷間にさえ大興奮していたことを思い出したが、いま何も隠すもののない胸を見ても無反応だった。むしろ、他人に身体を洗ってもらうという行為そのものに新鮮さを覚えた。
続いて小生とY嬢は同じ湯船に入った。全裸の女性が目の前に居るのにも関わらず、そこになんの感動も無かった。風呂に浸かりながら、小さくなった股間をペロペロと舐めてくれて、生まれて初めて口内の感覚を知った。強弱を着けて吸ったりしてくれたが、それほど違いが分からなかった。もはや小生はどうやって性的に興奮して良いのか分からなくなった。
マットプレイをしてもらった。まず、うつ伏せでマットの上に寝転がり、Y嬢が上に乗っていた。なるほど、コレは気持ちよかった。その気持ちよさは性的な快感ではなく、全身をぬるぬるした温かい何かで覆われるという肌触りの快感だった。コレだけで値段分の価値は有ったと思った。その間にもゴソゴソと股間をいじってもらったが、一向に興奮しなかった。Y嬢は私の背後に居たので、小生は壁の一点を見つめていた。小生は仰向けになって、Y嬢は上に乗った。これまた、気持ちが良かった。ときどき、股間のイチモツを口に含んでくれたのだが、ここでは少し大きくなったがすぐに萎んでしまった。このとき、初めて女性の胸を触った。柔らかく張りが有った、しかし特に感動しなかった。それから、小生は乳首を含みながら股間のイチモツをシゴカれた。この授乳手コキが、その日一番精神的に高揚したプレイであった。そして、Y嬢はときどき耳に息を吹きかけてくた。これは息の熱さを感じとても気持ちよかった。
マットプレイを終えるとベッドでのプレイとなった。部屋を薄暗くすることになった。この時点で小生の股間は全く機能を果たしておらず、小さくなっていた。ここで、初めて女性の膣に指を入れた。膣の内側は温かく、ヌルヌルとしていた。ふと、中学生のとき好奇心で自身のアナルに指を入れてみたことを思い出し(今はぢが怖いのでやっていない)、人間の温かさとはこのことかと理解した。クリにも触れてみて、なるほどこのような構造をしているのかと感心した。ベッドでは、Y嬢が股間を舐め、膣に挿入してくれた。しかし、行為を行っていくうちに小生のイチモツは小さくなってしまった。なるほど、「セックスとはオナニーほど気持よくない」という友人の名言を思いだし、その意味を知った。口に含んでは萎えるというルーチンを2回ほど繰り返してしまったので、小生は手で射精するということを提案した。
結局、Y嬢は激しく手で小生の股間を刺激してくれて射精となった。射精の後、身体を洗い、拭いてもらい、服を着て退店した。
Y嬢は、作業の途中で色々と小生に世間話を振ってくれた。うまく返せず、申し訳ない気持ちが高まった。小生は、結局プレイの終始を情けない形で過ごしてしまったのだが、Y嬢の対応には何の落ち度も無く問題はすべて小生にあるということを付け加えておく。
結論から言うとセックスはオナニーとは全く別次元の行為であるということである。
AVは基本的に3人称視点で見るものなので、ソープで「自分の視界にY嬢が入っていないが、触覚で性的快感を感じるとき」という場面が多く困惑した。特に、キスやセックスは1人称視点では見えるものが少なすぎて困った。特に、セックスは3人称視点で俯瞰的に見て興奮していたので、1人称視点で見ると情報不足だった。
小生は日頃からコスプレモノあったり、ハイヒールやパンストを履いた女性の動画でオナニーしたり、制服レズキス動画や着衣パンチラ動画で性的欲求を満たして来ていた。しかしながら、ソープで提供されているのはそのような倒錯した性欲とは正反対の、全裸でプレーンな女性だった。したがって、小生が興奮することが出来なかったのは、性欲のフックとなる記号を見つけられなかったからと考えられる。正直に告白すると、小生が大学生くらいまでは全裸で興奮できたのだが、それ以後は全裸では中々興奮できぬ。今回は3日ほど、オナニーを我慢していたので小生の性欲が高まっていると判断したが、緊張には勝てなかった。ちなみに、好きなAVのシリーズは「制服美少女と性交」だ。
この点は、ネット上に散々言われているので繰り返えさない。膣の構造を考えれば刺激が単純であることは容易に想像できる。
この体験を総括してソープは楽しかったかと問われれば、あまり楽しくなかったというのが本音である。セックスは完全な形で出来なかったので、小生は童貞であるのか、無いのか定かでない半人前の童貞である。射精の瞬間以外にはほとんど興奮しなかった。店に足を踏み入れてからは、どうやって性的興奮するのか忘れてしまったようだったのがショックであったが新しい発見でもあった。これまで小生が感じてきた「女性に対する性欲」という幻想を木っ端微塵に破壊されたので、小生の性欲は果たして性欲と呼べるのかということに自信が持てなくなった。はたして、小生が街を往く女性を見て、あるいはAVを見て抱いていた欲望とは性欲と呼べるのだろうか? 女性との肉体的接触で満足が得られないとわかった今では、問に対する答えは謎のままである。
もっと綺麗で可愛い風俗嬢であれば、満足するセックスを行うことができたのだろうか? 多分、そのような問題ではないだろう。小生は有村千佳のようなAV女優が好きである。また、内田真礼のような黒髪ロング(いまは切ってしまったが)で短足の女性も大好きである。これからは内田真礼の水着を見て凄く性的に興奮していたという事実をどうやって受け入れればよいのか、小生には分からない。
昼寝もした、性交した、帰り道に腹一杯の食事をした。小生は人間の3大欲求のすべてを満たし、ソクラテスが言うところの「満足した豚」であった。これからは、この経験を活かして満足した「人間」として適度に性欲につきあいながら生活を送って行きたい。ただ、もう二度と女性とセックスすることは無いだろうと思う。
自分の頭で30秒もろくすっぽかんがえてもいないゴミゴミクズのくせに、
脊髄反射で自分にとって心地いい方向に他人を捻じ曲げようとするサイコパスっぷりを発揮しつつ、
言語化した自分によって自省することなしに絶頂に達してるとこなんですよ。
そこから進化して自分にとって心地いい方向に他人を捻じ曲げるために
知識や屁理屈や、統計を元にして相関から因果関係を導く誤誘導などで誤魔化すクズことはてなブロガーの記事を見て、
自分にとって心地よけりゃ同意してそれが結論であるかのように思い込むし、
自分にとって心地悪けりゃ殺す勢いで否定しまくってスッキリするし、
おまえ情報を得てなんにも変化する気ねぇなら意味ねぇから死ねよという感想しか湧かないんですよね。
自省したことのないクズは自分の発言がどういうところから出てくるのか考えたこともないのだとよくわかるな
しかもなぜか俺が捻じ曲げられる側の人間に違いないという脳内妄想全力で振りかぶっちゃう論理性のなさね
他人に影響を与えようとしてないならどうぞさっさと非公開にしてくださいね
他人のコメント見たらそれが全部他人の意見を捻じ曲げるためだと判断するとかどんだけ感受性豊かなんだ
「私はコメントを見たらそれがすべて他人の意見を捻じ曲げるためだと判断している」とはどこにも書いてないんですが。
論理性がないアホは脊髄反射でコメントするから命題を踏まえた意見を述べられないんだとよくわかるな。
ネット上の意見なんて指向性ないもの腐るほどあるし
はてブの話をしてるんですけど?
30秒もろくすっぽかんがえてもいない脊髄反射でコメントして言語化した自分に酔って自省することなしに絶頂に達してるということや
以前、けものフレンズは「優しさ系」アニメだと書いた ➝ 20170129222811
今回はもう少しつっこんで、けものフレンズは「絵本風アニメ」だと言いたい
ここ数年、きらら枠という優しさにあふれるアニメが流行りだしたが
実際のネタや、指向性は男性向けだけど、登場人物は少女たちばかりで、行動もだいぶ純粋さを強調させた少女という具合
その「少女向け風作品」(実際は男性、大人向け)から更に◯◯風の年齢層を落としたのが優しさ系アニメ
小学生が図書室で読むような本に出てくる登場人物のように、出てくるキャラクターにいい子が多い作品だ
ここまでくると恋愛的な感情より「ともだち」が全面に出てくるのが特徴だ(エロス<アガペ)
けものフレンズは、それを更に低年齢化させ「絵本風作品」(幼児向け風作品)となっていると思う
児童向け図書や絵本を読んだ時、子供向けかと思ったらストーリーの奥が深くて思わずハマってしまった
みたいなものに近いと感じている
もちろん作っているのは大人なのだから、そういうことも割りとあるのだ
※ちなみに「バブみ」に代表される現象にも似ているが、あれは一キャラに対して抱く感情なのでちょっとまた別種だと思う
だが、スタッフはなぜそこまで攻められたのか?
そう考えると、けものフレンズを取り巻く状況と、制作会社ヤオヨロズが持つ新しいものを作っていくという気質、それと低予算であることなど
(というか、流行らす気なかったよね?w)
作り手ももちろんそれをわかっているだろうから、追随する作品は期待できない
逆に考えれば、それだけけものフレンズには価値があるわけだけど
というのは当たり前かつ乱暴なので、ちゃんと書いてみる
その情報がウソかホントか、判別する力が無い場合、人はその情報の出所で判断しようとする
これは対象が難しくなると誰しもある程度やっていることだ(例:医学的知識に対し、医者が言ってるから正しいだろうなど)
この現象が起こる際に、ではどのように出所の良し悪しを決めるかだが、これは刷り込み効果が非常に強い
最初に「ここはデマ情報ばかり流す」と思い込むと中々その認識は変わらないし、「ここは信用できる」という認識も中々変わらない
判別能力がある人からすると、その人の言動は頑固に見えることだろう
例)○○新聞は正しいことを書くが、○○新聞はいつもデマばかりだ
情報が正しいかどうかの判別能力が引く人ほど、騙された経験が多くなる
そして新しい情報が来た時にも、判別能力が無いため、その情報が正しいかどうかわからない
・この人は私を騙そうとしているに違いない
・みんなで私を騙そうとしているに違いない
・ひょっとしたら自作自演なのかもしれない
・彼が言ってることは怪しい、私の敵かもしれない、敵ならウソを言ってるはずだ
・これは誰かの陰謀だ
信頼している情報源へは、より一層信頼するようになり、疑ってる情報源へは、より一層疑うようになる
人に指向性がないと、騙されても「ふーん」で終わる
もちろんそういう人も社会的に問題なのであるが、デマを拡散する人は更に問題意識も抱えている
問題意識とは漠然とした表現だが、単純に「不満」と「理由」があれば問題意識は簡単に完成する
特に騙されやすい人は、上記2点の傾向により信頼する情報源から発せられた情報に感化されやすい
もし「〜〜は問題だ!」ということを発するタイプなら、感化されてしまう
情報の真偽を正しく判断できないということは、つまり白か黒かわかりやすいものしか判断できないということだ
世の中の意見をグレースケールにしたとき、過激な意見ほど分かりやすく、まっとうな意見ほどグレーでわかりづらくなる
自ずと感化される意見も、インプリンティングされる情報源も過激なものとなる
↓
↓
↓
↓
疑心暗鬼が進む
こうしてよくSNSで見る人が完成するわけだ
すると、集まった彼らは基本的にバカなので、議論が前に進まなくなる
(そもそも人数が多いと話が前に進まない)
・年を取って経験値を詰む
・きちんと信用できる頭のいい人達の議論や結論を見せる(白黒以外のグレーの存在を受け入れさせる)
・信頼したいた情報源にひたすら裏切られる、あるいはその逆(過度な信頼を崩壊させる)
ただし、自分が成長し、素晴らしい考え方を発信することで周りを成長させることはできないと思う
難しい話をはじめたり、極端な思想から外れたら、無知蒙昧な彼らの「信頼できる情報源リスト」からは外れていく
説得も難しい
(ちなみにこれを突き詰めたのが宗教だと思ってる
その理屈でいうと人間が存在しうるような宇宙が誕生した確率がどれだけ低いのかという話になるんだが。
今見えている世界自身がランダム性の中で人間その存在を許す宇宙へと指向性を持って状態を変えてきたと
観測することで原因と結果両者が集約するんだからそれまでの道程に指向性がなく完全ランダムと言い切るほうが不自然だろ。
完全ランダムなら観測した後でも結果はランダムであり続けなければならない。
死んだ猫と生きた猫の両方の状態を維持しないといけない。
そうならないのは世界がどちらを選ぶのかを任意的に選択し続けているからだ。
当たり前といえば当たり前なんだけどダラダラやってたら絶対に終わらない仕事を
俺が運命を変えてやる!って意気込みで短時間で終わらせられると、
予測していた「このままダラダラやって終わらなかった自分」から
「短時間で仕事を終わらせたでかした、俺」に変ってしまったんだよな。
ダラダラして終わらなかった自分がいる世界線は消えてしまった。
俺の心変わり1つで、だ。
もちろん気持ちの変りも含めて予測できたとしても実行者の俺自身が知らないなら予言にならないので、
主観的な俺の予測結果から相反する予測へと方向転換できた任意性と指向性はやはり俺自身の心から出自していると考えられる。
逆らうことができるし、やれることまだまだたくさんある。
あのCCさくらやホリックで有名なCLAMPの運命で最初から決められているって論調を思い出したが俺はそうは思わない。
俺がどうするかを決めれるのは俺自身であり、俺の心が予め決められていたものだとしても、
俺の心が決めたことなのだから俺自身の決定であり、それは俺の意思であり他人から押し付けられた運命ではない。
俺は元々重度の引きこもりだった。
大学卒業から6年間引きこもっていたしまともなコミュニケーション1つ取れなかった。
だがこのままだと確実に死ぬと分かっていたので、ツテで何とか就職した。
それから働き出して自分の知らなかったことをどんどん吸収して、
元の自分の性格はそのままかもしれないが考え方が大幅に変わった。
部屋の中で死んでいた運命の俺とは、今の俺は違う道を歩いている。
何がきっかけだったのだろうか。
心だ。
俺は勝つ。
俺はつかみ取る。
俺が運命を変える。
俺は自由だ。
ラジオ局が本気で作る、今までにないラジオ【Hint(ヒント)】
http://www.yoppy.tokyo/hintradio/
https://camp-fire.jp/projects/view/8696
「カッコいいラジオが欲しい」 ニッポン放送アナウンサー吉田尚記がつぶやいたこの一言から「Hint(ヒント)」の開発は始まりました。
分野の異なる3社のコラボレーションにより、まったく新しいラジオの形が誕生しました。
と言う事で、Hintというラジオを本気で作ろうとしているらしいのだけど……
●Bluetooth:4.2搭載
●最大出力:3W
●重量:950g
●電源:ACアダプタまたはリチウムイオン充電池(同梱)
●バッテリー充電方法:同梱の充電器(本体に装着したままの充電はできません)
●バッテリー連続稼働時間:4~6時間(ラジオ連続聴取において)
そして、特徴が
○デザイン
○BLEビーコン
○BLEビーコン連動LED
◎デジタル表示窓
◎音量ダイヤル
◎選局ダイヤル
と言うのがこのHintというラジオの現段階での性能になると思う。
そして、現在クラウドファンディングでの1個の支援金額が21,500円。
Hint \21,500
デザインはラジオとして今までにないもので、グッスマやCerevoがかかわっているだけあって、惹かれる。
いい所
・デザイン
どこにおいても同じように聞ける
・BELビーコン
・バッテリー搭載
持ち運びに便利
悪い所
・デザイン
・機能性
ラジオとして必要最低限、オームの格安ラジオにすら負けているかもしれない
・BELビーコン
・価格
高いです。
これはラジオを聴くのではなく、ワイドFMでニッポン放送だけを聴く為だけにある物に思えて仕方がない。
そして、このラジオの売りの一つであろう、「BLEビーコン」。
※現時点ではニッポン放送からのデータ情報は発信されておりません。
現在、「BLEビーコン」は機能しておらず、Hintが支援者の手元に来る2017年3月頃に対応放送が展開されているかも微妙で、更には今後放送されるとも限らないと言う状態。
そして、「BLEビーコン」が他の局で開始される保証は全くない。
正直な所あっても無くてもいい機能。あって、機能していれば便利かな程度。
一応、2014年にiOS7でiBeaconと言う形でBELビーコンが採用されているが、普及率は……と言ったところ。
入出力端子が無し。
情報はkHzの表示のみ。
シンプルで分かりやすいと言えば聞こえがいいけど、この値段を払ってこれだけ?という感が否めない。
もしあえて、この機能だけに絞っていると言うのであれば完全にニッチ過ぎる製品。
Bluetoothスピーカーが欲しいならそれこそ選択肢がいっぱい。
ワイドFMが聴けてBluetoothスピーカーもって言う事なら(ry
ステレオスピーカー(バスフレ、デジタルアンプ)、Bluetoothスピーカー、NFC対応、内臓バッテリー、移動も楽と似たような条件のSonyのSRF-V1BTを買ってお釣りがくる。
http://www.sony.jp/radio/products/SRF-V1BT/
デザインも別段悪いというわけでもないし。
ラジオ局が本気で作るなら、ラジオが持つ防災用という側面も加味して徹底的に作って欲しかった。
普段はおしゃれに聴けて、いざというときにも頼りになる役に立つぐらいはなぁと。
無指向性スピーカーを搭載しているの今の所唯一無二なラジオではある。
デザインを大変気に入り、ニッポン放送が大好きで大好きでたまらなく、BELビーコンに期待しつつ、無指向性スピーカーでおしゃれにラジオ放送を聴きたいと言う方の為のラジオ。
それか、モノラルの無指向性Bluetoothスピーカー(接続はBluetoothのみ)がほしいんだ!! おまけでラジオも聞けちゃうぜ!!
というのが欲しい人にいいかもしれない。
とまぁ、これだけに、21,500円を払う価値を見いだせればいいラジオではないでしょうか?
支援しようと思う方はクラウドファンディングという特性を理解し、キャンプファイヤーの規約をしっかりと読んでなった得した上で支援してくださいな。
声が小さい。
たぶん単一指向性のマイクを使ってたと思うので、マイクと声の角度が合わないからちゃんと集音できてないのが原因でしょう。
声がまっすぐマイクに向かうようにしてください。いつもの1.5倍の声量で話させてください。
マイクを固定すると無意識で口とマイクの角度がずれるので、マイクを持ちながら話すのが本当は一番いいんですけど。
マイクの使い方について発表前に登壇者全員に必ず説明をして欲しいです。
今年は質問者にもちゃんとマイクを通させることを徹底させてください。
動画に声が残るようにして頂かないとustreamで視聴中やyoutubeで後で見返してる時に意味が分かりません。
マイクが一本しかない場合は面倒臭くさくても登壇者が動いてほしいです。
参考になるシーン https://www.youtube.com/watch?v=-KNEUhw5j-g&feature=youtu.be&t=1625
ミキサー担当さんへ、マイクの音量は100%でいいんです。音量調整はマスターボリュームでやるべきです。
キーボードやギターでも楽器本体の音量は最大にして、ミキサーやアンプで調整するものなんです。
そうしないと本来の音の良さがでないのです。
後、部屋が暗くてせっかくのお顔が見えませんなんとかなりませんか。
やったーーーーーーーーーーー!!!!大学生活最初の夏休み!!!!!!!!!!!
ということで、国立大学で理系学生ライフはじめた人の感想として、高校生のうちからこんなところ見てる人に向けて心得ておくといいことを色々書いてみます。今大人の増田さんにも昨今の大学生の一例として見て欲しいです。
これから書くことは個人の感想だし、高校時代の友人や先輩からの受け売りもあるし、さらにすべての大学に対してうまく当てはまるものではないことをお断りしておきます。というか高校生に向けた話なら今書かずに3月にでも書いたほうがいいとか、具体的な勉強方法については例えば"シケプリ"制度のある東大や横市医には全く当てはまらないとか、まあだめな所いろいろあると思います。ごめんなさい。
これ分かってないとだいぶやばいので一応書いておきます。大学入った瞬間すでに真っ白に燃え尽きてしまっててこの半期でリタイアしかけてる人を実際に見てしまってるので・・・。
1日が勉強と(睡眠OR風呂OR飯)で終わる日が何度もあります。受験の時は一応飯と睡眠は毎日とってたはずなんだけどなぁ。
これは失敗談なのですが、スマホ(もしくはSIMの刺さるスマートデバイス)は買いましょう。必須です。あなたがまだガラケーで親の承認得られないようでしたら合格直後に量販店に駆け込んでSIMフリー端末とプリペイドSIM買いましょう。ハイエンドである必要はないです。
今の大学生、コミュニケーションツールはほぼLINEの一人勝ちで、あとは若干のtwitterです。メールの時代は終わりました。私は頑なに(親の意向もあったのですが)ガラケー、しかも通話とSMSのみの契約だったのですが、そのせいでLINEを全くと言って良いほど使ってなく(一応PC上のAndroid仮想マシンとガラケーのSMSを使ってアカウントは作ってましたけど)入学直後の友達作りに完全に乗り遅れました。というわけで(別にスマホ持ってなかったのが主原因ではないですけど)今私には同学科の友人がいません。ココ重要。
もちろん友達作りだけでなく、「いつでもどこでもすぐググれる環境」を作っておくことはとても良い勉強の見方になります。もちろん重要な情報は本読んだほうがいいですけど、ちょっとしたことを最小の時間で解決できるという点において本当に便利です。
これも失敗談です。新学期が始まった直後は、サークルを宣伝するのを主目的とした(と今となっては感じます・・・)"履修相談テント"がキャンパスにたくさん並びます。履修相談とは読んで字のごとく履修について相談をすることで、例えば学内で使うwebサービスの使い方とか、要項に載ってない暗黙の了解とか、どの授業はテストが難しいだとかこの時間はこの授業をうけるといいとか、そういうことを先輩が教えてくれるらしいです。
しかし入学当初の私は、忙しいはずの先輩たちがそんな自らの時間を割いて後輩のためにいろいろ教えてくれるなんて虫のいい話があるわけ無い、全部宗教勧誘だと勝手に思って近づきもしなかったのですが、本当にいろいろ教えてくれるそうです。さらにメインの目的であるサークルの宣伝もそこまで押し売りみたいなものではないらしいです。
私は理想的な時間割を作ることに失敗し、本来1回生で終わるはずの第2外国語を2回生でもやるはめになったようです。あの時履修相談テントに行っていれば・・・!と常々思います。どうにかまだ留年条件は満たしてないと思いますが・・・。
自分用のノートパソコン持ってないなら買いましょう。必須です。入学直後ガイダンスで偉い人に「学内備え付けのパソコンが沢山あるから買わなくてもいい」みたいなこと言われましたが嘘でした。学内パソコンはたくさんありますが基本的に自分のパソコンを毎日持ち運んで毎日使います。授業の内容まとめたりレポート書いたりとかちょっとした空き時間にできます。後述するコンデジとICレコーダーの母艦としても大活躍します。
個人的にはB5サイズ程度でキーボードが打ちやすい、(自宅にデスクトップ機があるので)CPUは最重要というわけでもない、みたいな基準でアウトレットの型落ちThinkPad X250買いました。
別途PC用の手持ちバッグ持ち運ぶのが手間でなければB4サイズでもアリですし、生協で20万円とかするLet'snoteとか売ってますが、Let'snoteに期待されるであろう軽さ電池持ち頑丈さに加えて生協の手厚い補償とかを考えて価値があると思うならそれもアリだと思います。今のところ非Windowsで困る場面もあまり無い感じなので、Macでドヤリングも悪くないです(でもUSB typeCしか付いてないアレはどうなんでしょうかね)。surface持ってる人意外といますが、大学の机は得てして特に前後方向に狭いのでキックスタンドのせいであまり奥に置けないことを考えたほうがいいです。高い買い物なので、よく悩んで、量販店で実機触って、満足できるもの買いましょう。
なおOffice付属のものを買う必要はありません。まっとうな大学ならDreamsparkもしくは何らかの包括契約とかで実質タダみたいにOffice使えます。
これは私が文字書くのがすごい遅いせいでもあり、またノート写してくれる友だちがいないせいでもあり、また大学の授業というのはまあ本当に教授によって様々なので一概には言えないのですが、スライドをぱっぱっと切り替える人とか速記みたいなスピードで(でも読める)文字書いてすぐ消す人とかいるので、ノート取るの追いつきません。ただただ文章書く・話すだけの人ならパソコンやポメラでメモ取ればいいのですが、図とか数式とかいっぱい出てくるとそうも行きません。そういうとき現代の学生はすぐスマホで写真撮ったりするのですが、運悪く後ろの席にしか座れなかったりするとデジタルズームしかできないスマホのカメラだとどうしても文字が潰れて読めないことがあります。光学ズームのあるデジカメはそういう時の強い味方です。1万円前半くらいのでもいいので持ってると便利です。もちろんシャッター音は消しましょう・・・。
教授はとんでもなく重要なことを唐突にしゃべります。そういう時ちょっとでも眠くなったりボーッとしてるとアウトなので、授業中は常にICレコーダーで録音してます。万一なにか聞き逃しても後で確認すればいい、というのは精神的な余裕も生まれるので良いです。スマホで代用もできなくはないとは思いますが、専用ハードウェアは便利ですよ。PCと接続してデータ移せる機能は必須だと思いますが、外部ストレージが刺さるとかマイクが動いて指向性変わるとか電池交換が可能とか薄いとか、そこらへんは個人の好みで。
この手のものは操作感が命なので、ソフトの作り込みが良い主要3社(オリンパス・パナソニック・ソニー)が鉄板です。
紙で配られた資料はスキャン(してOCR)しましょう。電子データで配られた資料はプリントアウトしましょう。紙には紙の(直接書き込んでメモしやすい/切り取ってノートに貼れる)、電子データには電子データの(なんといっても検索性)良さがあります。
スキャナー持ってない場合、Office Lensなどのアプリで代用もできます。これはなかなかの優れもので、カメラで四角いもの撮ると自動で四角いもの検出して正面から撮ったように伸縮してコントラスト調整して読みやすくする、まで自動で行ってくれます。Microsoft純正アプリだけあってOneDriveへのアップロードもできますし、そうすればOCRも行ってくれます、これがスマホで完結する時代になったのですから恐ろしいものです。ただ自分の場合はハードオフのジャンクコーナーから動きそうなフラットヘッドスキャナ見極めて500円くらいで買いました。
プリントアウトはコンビニでもいいですが、最近は新品のレーザープリンタでもローエンドは1万円しないとかとんでもない安さになってるので、突然レポートをプリントアウトしなきゃいけなくなったりする時とかに備えて1つ家においているとほんとうに便利です。ただしこの手のローエンド品はドラムが交換できないようになっているので、つまりドラムの寿命が来たらその時点でプリンタの寿命なわけです。でもそれでも何万枚かはプリントアウトできるらしいので大学生が一人で使うぶんには全く困りません。交換用トナーもリサイクル品なら高くありません。レーザープリンタ、おすすめです。
理系と言ったら英語です(誰でも英語必須だと思いますが)。英語は何世紀にもわたって世界的なブームが続いてるので、絶対色んな場面で英語使います。東工(予定)や横国などみたいに院の授業は全部英語というのは極端な事例ですが、英語しか資料がないという場面はこれから何度も出くわすと思います。
授業で教えられるものだけでは足りないと思ったので、自ら英語に触れていくことにしました。これは私が個人的に合っていると思うやり方で、効率性とかよりも楽しさ・挫折しにくさ・"英語が嫌いにならないこと"が重点です。ちなみに海外渡航経験はゼロです。
リーディングは自分の興味ある物のネット記事とか読み漁るといいです。googleのニュース検索の中から適当にチョイスして読むとかいい感じです。
日常的に英語に触れる、という点ではブラウザやスマホやゲームやPCの言語設定を英語にするのが最高です。
つい最近ですが、持て余してるパソコンにUbuntuを英語設定でインストールしてみました。変なことするとエラーメッセージとかが英語でバンバン出るのでLinuxと英語が一挙に勉強できてヤバいです。Reboot even if system utterly broken!!
リスニングはラジオのAFN。あっBGMほしいな~といった時にちょくちょくかけます。AMの放送局とかありますがネットで聞けます。英語の冗談で笑えた時本当に嬉しいですよ。
ライティングはたまに海外の掲示板にチョロっとなにか書いたりとか、スピーキングはスマホにOKGoogleしたりとか、その程度です。
私は以上4つの定番ingに加えて、基本的な英単語について瞬間的にイメージをするというのも大事だと思ってて、P-Study systemをやっています。簡単な単語集を制限時間1.5秒とかで4択からパッパッと答えていくのが好きです。
これはおすすめするか迷ったのですが、Wikipediaの「Unicode6.0の携帯電話の絵文字の一覧」をぼーっと眺めることもあります。これも基本的な英単語を瞬間的にイメージする練習です。
Unicode6.0の携帯電話の絵文字の一覧 - Wikipedia
センター本番の英語は8割とか散々な結果で辛かったのですが、今の成績を見る限りどうにか帰国子女グループの次くらいにはできるようになってるみたいです。
レッドブルとかモンスターエナジーとか、エナジードリンクキメると本当に目が冴えますよね。でもただでさえ生活バランス崩れるのにそこにさらに追い打ちをかけるようなことはこれからはやめたほうがいいと思います。エナジードリンクは体力が増えるのではなく体力を前借りしてるだけです。生活リズム・体調が一番大事。18過ぎたら老化始まりますよ。野菜食べましょう。
運動しましょう。ネタではないです。ポケモン捕まえるためにランニングとかでもいいと思います。北大とか筑波とかだだっ広いところだとキャンパス内の散策だけでもいい運動になりそうです。体動かさない日が何日も続くと結構ダウナーになったりします。
個人的な経験になるのですが、体動かした後というのは疲れるというのよりも先に学業が捗るというのが来ます。高校までは通学に1時間とかかけてそれがそこそこの運動になってたわけで、大学のすぐ近くで一人暮らし始めて一気に運動量減ってたんですね。それで今まで運動不足という状況に陥らなかったわけです。
残念な話なのですが、学部学科にかぎらずチャラチャラした見た目・生き方の学生が存在します。ウェイはみんな早慶に行って国立のましてや理系の道に進めばもはやそういったのに出くわすことはないかと思ったのですが、大きな教室に1~2グループとか、ウェイは存在します。これは個人的にすごいカルチャーショックで大学に入ってからの悲しみランキング堂々トップなのですが、そういった生き方の人間はどこにでも一定数存在するということを高校生のうちに知っておけば、もう少しショックは減らせたのかなという思いです。
多くの講義は最後の日に試験があるわけですが、過去問を持っていると本当に捗ります。もちろん試験対策にもなるわけですが、普段の授業でも過去問を見ながら授業を受けるとどこが重要なポイントかがよくわかります。過去問なんて受験までの話だと思ってたのですがどうやらそうではないようです。
過去問の入手方法ですが、もうこれは同じ学科の知っている友人や先輩に頼むのが一番だと思います。残念ながらわたしにはそういった頼れる人がいないので、次点の手段であるインターネットを使います。
なんたるインターネットリテラシー欠如の無頓着かという話なのですが、例えばtwitterで鍵もかけずに学内でしか知り得ない情報を話すような学生というのが若干数いるので(プロフィールに大学のことが書かれてなくても、学内で起こったちょっとした出来事とかをキーワードに検索すると釣れます。教室内での出来事なら確実に同じ授業を受けている人になります。もちろんそこからフォロワーを芋づる式にたどっていくこともします)、そういったアカウントを監視して何か試験に関する情報をつぶやかないかどうか待つわけです。
ごく一部に限りますが、試験問題をアップロードしている非公式サイトなども存在したりします。むしろtwitterではそういうサイトの情報を得ることのほうが多いかも。
実験したらレポート書きます。おそらく(あなたが高校生ならあなたが思っている以上に)大学生活のうち大部分をレポート書くのが占めると思います。
「学生実験 レポート」とかググると章立ての仕方とか出てくるのでそれに従います。もしかしたら教授からなにか指定されるかもしれませんがその場合はそっちを優先します。
多くの場合目的→原理→手順→実験結果→考察→参考文献みたいな章立てで書いていくのですが、最初から順番に愚直に書いていくのはお勧めできません。実験が終わった段階で手順と実験結果は終わっているようなものですし、多くの場合教授が最重要視するのは考察です。まず原理を書いて自分が実験でなにをしたかったのかを再確認し、適当な関連しそうな事項が載っていそうな本を図書館で探して参考文献リストを埋め、本をパラパラめくりながら考察を考えていきます。次に自分が原理や考察を書いて何を学んだのかを目的の項でさもこれから学ぶかのように書き、最後に手順と実験結果を適当に埋めます。
もしWordでレポートを書く場合、"スタイル"を用意しましょう。スタイルとは段落や文字列などに個別にフォントなどを一括設定できる機能です。例えば「目的」と打ったあとその行にカーソル合わせたまま「見出し(自作)」とかいったスタイルを選択するとその行がMSゴシック12ptで「1. 目的」となってそこで改行するとスタイルが自動的に「本文(自作)」とかになってフォントがMS明朝10.5ptに変更されたりします。めちゃくちゃ便利。またページ番号も自動で入力されるように設定します。実験ごとに指定される書式とかあると思うので、それにそってスタイルを自作してテンプレートとして保存しましょう。スタイル機能、Wordにおける超超超重要機能なので絶対使いましょう。
また、とにかく何かしら文章を書いてページを埋めてレポートを書いた気分に浸りたい場合、"=rand()"と打ってみましょう。数段落の文章が自動で挿入されます。自分の場合何も書く文章が思いつかない時にこれをすると、なんだか自分がすごく文章をかける人間なんじゃないかと錯覚して結構書く文章を思いついたりします。
明るい青春、楽しいキャンパスライフなどというのは理系学部生には無縁の話です。実験・レポート・課題・自習の毎日です。もちろん自分が専門にしたいことを中心に学べるのはとても良いことなのですが。
そんな中でも趣味が1つあると、誇張でなく「生きる希望」になります。私は受験勉強に本腰を入れてから一切の趣味活動(上のリンクでバレバレです)を控えて、いざ合格した時に解禁してみると随分とそれを取り巻く環境が変わっていたのを知って戸惑ったのですが、それでも学業とは切り離して好きなものを持っていることに大きな大きな安心感を持っています。
以上、こんな感じです。まだまだ効率化しなくちゃいけないところはいろいろあると思いますが、どうにかほとんど単位は取れそうです。
とは言えこのような場所を好きこのんで読む層に当てはまる話でもないとは思うのだけど、まあ自分の備忘録として。
最近、大学生のお話を聞く機会が増えたのだけど、彼らの大半はどうも自分の内面の発露、表現方法に関して悩みあるいは問題を抱えてる場合が多い。
で、これが彼らにどんな影響を及ぼすかと言えば、卑近であれば就職活動でのエントリーシート、あるいは面接そのものにおいて非常に苦戦するという事態を招く。
彼らはさほど程度は高くないとは言え、大学生なのでそんなにそういう機会が無かったのだろうか、と思うのだが、考えてみれば学部生の論文やゼミ発表などはある程度形式ばったものだったのかしらん、とも思い直すわけである。
つまり、ある程度客観的で指向性のある、極端な話マニュアル化が簡単に可能な表現であれば彼らは十二分にこなせるのだが、それが自己について自由に述べよ、となるとお手上げになってしまうのであろう。
彼らの「自己PR」はまず、感情の言語表現が非常に乏しい。就活における質問として学生時代の熱心に取り組んだものを聞くようなものがよくあるがこれに対し――具体的な例は避けるが、○○が楽しかった、嬉しかった、感動した……と概ねこれで終わってしまう。もちろんちょっとした就活本やウェブでの情報でもこの手の何も言っていないに等しい表現は避けるべしとあるし、彼らも承知しているわけだが、じゃあどうしようかと、煩悶してしまうわけである。
より具体性のある表現を使えとアドバイスするのだけど、それがわからない。で、どうなるかと言えば今度は具体的に偏って、事実の羅列になってしまう。まあ多少マシになったとは言え、これでは自分が何者なのかがあまり伝わらない。この手の質問で企業が求めるのは人間性がわかるエピソードであると思われるので、事実だけ羅列していてはやはり説得力に欠けてしまう。というよりそんなものは履歴書でいいのである。
次にいわゆる「盛り方」があまりに稚拙である。嘘も方便とはよく言うもので、ものを売り込むときにはある程度色を付けるのが世の常であるが、彼らの場合どうにもそれが見え見えであるということだ。
先ほどの具体性の話もそうだが、就活マニュアル的なものではよく具体的な数字を使えとあるという。なるほど的確な数字は説得力を持つし、たとえそれがウソであってもそう証明する事は非常に難しい。少なくとも彼らが日々こなす論文などで示すものよりよほどハードルは低い。
しかし、彼らはそれが上手く使いこなせない。例えばこれもよくある質問として学生時代の功績を聞くようなことが多いが、これに対しよく彼らはパーセントという形で数字を使う。よく考えてみて欲しい。例えばメンバーに声をかけ部の参加率を上げた、ということに対してパーセントで功績を強調してもあまりにも「ミエミエ」で実質的な説得力が無いように感じられないだろうか。これでは先ほどと同じように「何も言っていないに等しい」。それなら何人に声をかけて、あるいはどれだけの期間を費やして、部の参加者を増やしたという方がよほど説得力があるし、そこでの具体的エピソードも盛り込みやすい。(もちろんウソだって構わない、バレないのであれば)
総じて見るに、どうも彼らはステップを省略し安直な結論を提示する傾向(ここでは触れないがこれに付随して外部の「答え」を求めようとする傾向も見受けられる。無論そんなものはない)にあるようで、結果として全く説得力を伴わず、「自分」を明確に伝えることに出来ない「自己PR」を作り上げてしまうようである。論文は日々書き慣れているにもかかわらず、である。
とはいえ、彼らがあるいは我々がそういった事態に対処する術を学ばなかったかと言えばそうではない。反応は様々であろうが,この国の教育には今なお「読書感想文」というものが存在する。
大学生ともなるとそういう機会もないが、読書感想文を書くことはその実自己の内面表現そのものであり、なおかつそれを相手に明確に伝えるための文章を書くと言うことでもある。その一方で、「本」というガイドラインがあるので書くべき道筋がわかりやすく、自分の考えに対して何から手を付ければいいのかわからないということにもなりづらくなる。その道筋を通じて、人に順を追って伝えるというということに対してヒントを得ることも出来よう。
もちろんこれは本でなくたって良いわけで、ドラマであろうが映画であろうがゲームであろうがアニメであろうが、なんだって構わない。要するにそれらを通じて自分が何をどう考えたのか、と省みる機会があれば良いわけで、その上でそれを過たず明確に文章化できれば良いのである。
そして出来上がったそれらを読み返すことで、自分の表現のどこに説得力が足りないのかということも見えてくるだろう。また、人に読ませることを意識すれば、どうしたって多少の見栄も張りたくなるし、あまり好ましくない考え方も書きづらくなるだろう。そういった自分の内面と他者の視線というものをバランスよく取り入れた「ウソの付き方」も磨くことが出来るはずだ。一石二鳥である。
読書感想文というものがこの国の教育においてどのように位置づけられるか、と言えば、「事象と感想、意見などとを区別するとともに、目的や意図に応じて簡単に書いたり詳しく書いたりすること」と「書かれている内容について事象と感想、意見の関係を押さえ、自分の考えを明確にしながら読むこと」を目的とする授業の一環として行われるという。卑近な例ではあるがこうして見るとまったくそれは必要な作業ではなかろうか。これらの中には論文の作成方法も含まれ我々はそれを並行して学んでいくが、外側の事実を対象とするそれだけでは、我々は「自己の内面を誰かに伝える技術を磨く」ことは出来ないのではなかろうか。
確かに自己表現といったものを過度に求める就職活動や、そもそも現実に行われている読書感想文の指導法にはあるいは問題もあるかも知れないし、その是非は問われるべきかも知れない。しかし教育や就職活動といったものから、あるいはこの国の国情から離れたとしても我々が高度に社会性を持ち、他者とのコミュニケーションなくして生活できない生き物である以上、こうした自己を誰かに伝える能力はどのみちどこかで必要になるのである。
自己の表現に関して正解などない。しかしそれはその技術を磨かなくてもよいと言うことは意味しない。たとえ正解が見いだせないものであっても、コツコツと磨き続けることは思いもよらないところで自らを助けることもある。
逆シャアでの、アムロに対するシャアの絡み方とかみてると、しみじみ、「シャアはさびしかったんだろうな…」と感じる。
ジョン・レノンがオノ・ヨーコに出会ったとき「俺より頭のおかしな奴がいる!」と喜んだ、という話がある。(うつくしい伝説かもしれないけど。)
ジョンも、きっとずっとさびしかったんだろうな…と、なんとなく思う。
ビートルズのジョン曲に「Strawberry Fields Forever」というのがあって、こういう歌詞がある。
No one I think is in my tree, I mean it must be high or low.
これは、孤独を「数えられる」人には、わからない感覚かもしれない。「あなたは、どんなときに孤独を感じますか?」という質問の意味がわかる人。白地に黒の水玉。
これがもし黒地に白の水玉なら、「黒」は数えようがない。「あなたは、どんなときに孤独でないと感じますか?」なら、わかる。
つまり、(少なくとも一面で)対等でなければ友達にはなれない。
(少なくとも一面で)その人と対等であれる人がいなければ、その人と友達になれる人はいない。どれだけ友達になってくれようとしても。どれだけ共に時間を過ごしたとしても。
実際、ガルマは坊やなんかじゃないんだけどね。シャアとは指向性が違うだけで。
ガルマ自身もシャアに対して「家族のない君にはわからない」的なことをいってる。
ガルマの木に、シャアはいない。シャアの木に、ガルマはいない。
どちらが高くてどちらが低い、とかいう問題ではなく。高いか、あるいは、低いか。両者じゃ指向性が違う。
No one(I think)is in my tree…孤独とは、そういうものではないだろうか。
同じベクトルで同じように背負うものがあったからこそ、ガルマとイセリナにはわかりあうものがあったのだろう。
同じベクトルで同じように抱えているものがあったからこそ、シャアとララァにはわかりあうものがあったのだろう。
アムロが実際シャアの友達になってくれるか、そしてシャア自身がそれを望んでいたかは別として、アムロはシャアの友達に「なれる」人だった。たぶん。
逆シャアのNew技術リークみたいなことも、そう考えるとものすごく腑に落ちる。対等でありたい。つまり、「友達になりたい」。
いや……「アムロにいてほしい。自分の孤独の木のなかに」。ただ、それだけだといったほうが適切かもしれない。
もちろん、一面では説明のつかない複雑な感情があったとは思う。ララァがらみの部分とか。
でも、アムロと戦っているとき、シャアは少なくとも「孤独」ではなかったんだろうな……と、ぼんやり思う。
私にガンダムを教えてくれた人が、私がガンダムにまんまとハマったのをみて、さりげなくバガボンドを紹介してくれた。
泣いた。