はてなキーワード: 植物プランクトンとは
何を根拠に日本海が太平洋より濁っているのかが、わからん。透明度は日本海側の方が高い。
海水温は日本海よりも太平洋の方が高いので、プランクトンの量は多くて透視度は低い。
普通の日本人が思い浮かべる日本海沿岸の海水と、珊瑚礁のある南太平洋辺りの海水を比べて言ってるなら。
海の栄養塩類の供給は、陸から流れ込む分と、深海に沈んだ海の生物の遺骸の分解したものから。
深海の海水は冷たく重いため高緯度地方の表層海水も冷たい処から湧き上がってくる。そのため高緯度から流れてくる冷たい海流=寒流の方が栄養塩類が多く植物プランクトンが多くそれを食べる動物プランクトンや魚も多い。
太平洋側の日本近海なら、少し緑に濁っているけれど栄養があって魚を養っている海流を親潮と呼んでる。
低緯度地方から流れてくる暖流は元々栄養塩類の少ない海域からくるのでプランクトンが少なく透明度が高い。
水域が貧栄養から富栄養へ変化すると、栄養塩が豊富に存在する為、日光の当たる水面付近では、植物プランクトンが増殖する(一次生産の増大)。また、それを捕食する動物プランクトンも増える。更に、これらのプランクトンを捕食する、魚貝類の増殖につながる。
しかし、港湾内や池、湖などの停滞水域では、光合成が停止する夜間等に、生物の呼吸による酸素の消費が増えるため、水中が酸欠状態となる。また、異常増殖したプランクトンの群集が死滅すると、これが沈降した水底では有機物の酸化的分解が進行し、急激に溶存酸素量が低下して貧酸素水塊が形成される。水温躍層によりこの水塊が維持されると、有機物の分解が停滞してヘドロが堆積し、嫌気性微生物が優占して悪臭の原因となる。また、水塊と周囲の水が混和した際、貝類等に酸欠被害をもたらす事がある。
パンティーの冬(パンティーのふゆ、英: Panties winter)は、リチャード・パンティーや、カール・スキャンティーらにより提唱された現象で、超巨大パンティーを地球に被せる事により地球上に大規模環境変動が起き、人為的に氷河期が発生する、というもの。
この現象は、パンティーで地表を覆う事に伴う広範囲の日陰化により、日光が遮られた結果発生するとされる。
太陽光が超巨大パンティーによって大気透明度の低下で極端に遮断される事から、海洋植物プランクトンを含む植物が光合成を行えずに枯れ、それを食糧とする動物が飢えて死に、また気温も急激に下がる事が予想されるなど、人間が生存できない程の地球環境の悪化を招くとされているが、近年はこの仮説を真っ向から否定する論文も発表されており、パンティーの冬の存在自体に懐疑的な科学者も少なくない。
ちなみに、パンティーを強制的に被せられている事による催畸性の問題もあり、一度超巨大パンティーを地球が被れば、国家間の報復合戦から地域限定戦争によっても世界規模の被害が懸念され、超巨大パンティーの危険性を説明する上で、本項で述べる現象は度々引用される概念である。
今の童貞高校生の君には難しいかもしれないが、性欲というのはどこまでも消化できない厄介なものなのだ。
童貞でない者なら、乳首ひとつ例にとっても、それを実際に見て触って、口に含んで転がして、念入りにもみほぐしてみたところで射精までのにぎやかし以外の何物でもないと断言できるはずだ。
無論、童貞高校生という性欲カーストの最後尾かつ最高消費者の植物プランクトンには想像もつかないことなのだろうが、乳房太ももケツ秘裂も、いざ自由にいじり倒してハメ殺してみれば、すべて同じものだと言い切れるものなのである。
それらは躍動しながら秘匿された存在であるがゆえ妄想をかきたて、君のあそこをビンビンにさせるわけだが、その射精欲はその指向性のみによって完結した存在なのだと君は知らなければならない。
性欲はどこにも君を導いてくれない。
人間の生理的欲求がすべて、その当事者を満足させるために存在するわけではない。射精欲は射精するまでの存在だ。
時間の無駄以外の何物でもないと誰もが分かりきっていながら、開かずにはいられない扇情的なエロサイトへのリンクを踏まないでいられたら、どんなにかいいだろう。
早慶戦といえば、早稲田大学と慶應大学がおこなう野球の対抗戦であり、六大学野球のクライマックスとしてよく知られている。
だが、その裏側でもう一つの戦い、「珪藻戦」がおこなわれていることを知る人は少ない。
私がその存在を知ったのは、大学に入った年の五月、教授の下のごとき発言によってである。
小学校の理科で習ったように、珪藻は植物プランクトンの一種だ。
珪藻戦というからにはプランクトンが関係しているのだろうか……興味をひかれて調べてみると、この存在の極めて奇妙であることが、徐々にわかってきた。
慶應大学において、珪藻戦はまことに由緒正しきイベントということになっている。
実際、毎年五月の半ばになると、観戦チケットが中庭で売られるようになり、各種サークルの人間が行列を作る。
しかし、メディアが報道するのは早慶戦のことばかりで、珪藻戦についての記事はさっぱり見当たらない。
対戦相手である早稲田大学では、さすがに珪藻戦の名を知るものは多い。
それでも珪藻戦の話題に触れるものはバカにされるようだ。
早稲田大学の学生に、珪藻戦について知っているか、と聞いたことがある。
彼は失笑しながら、
と答えた。
早慶戦と珪藻戦の決定的な違いは、その応援の仕方にある。
早慶戦の応援は、全学をあげての大行事である。早慶それぞれの学生が肩をがっしりと組み、校歌を若々しく歌い上げる姿をテレビで見たことのある人は多いと思う。
それに対して珪藻戦の応援は気まぐれだ。慶應の学生は自分の大学を応援したりしなかったりする。
これには理由がある。
慶應大学では珪藻戦の日が休校になる。そして珪藻戦は土・日・月と行なわれ、二勝先取であるから、両者一勝ずつで三戦目にもつれこめば、学生は思わぬハッピーマンデーを手にし、自宅で珪藻のごとく光合成にはげむことができる。
だから、慶應生の多くはそれが早慶どちらであるかに関係なく、初日に負けた方を二日目には応援するようだ。
「天は人の上に人をつくらず」という一万円札の教えに従った結果かもしれない。
また、珪藻戦は異性との交友を深める場としても大きな期待を背負っている。
ある卒業生によると、肩を組んだ拍子に指先がおっぱいをかすめてしまう、というのはごく普通にあることで、おっぱいを鷲掴みにしてそのままホテルまで引き摺っていってしまうことすらあるのだという。
人間は珪藻とちがって有性生殖をする生物だから仕方ないのかもしれない。
早稲田には、近ごろ独自に万能細胞を開発している卒業生がいるということである。
これが珪藻戦における勝利を目指したものだ、というのは考えすぎだろうか。