はてなキーワード: Strawberry Fieldsとは
Webエンジニアだと、技術情報を発信したり、記事を読んで新しいインプットを得たりすることが容易だが、
業界ニュースは見るだろうが、情報発信をしたところで、ほとんどレスポンスを得ることはない。
広告で稼ぐということもできず、続けるには他のモチベーションが必要だ。
論文はネットで公開されるので読みに行くだろうが、ニュースサイトで話題になることはない。
Twitterで発信している人を探せれればいいくらいだろうか。
時代はクラウドだ、機械学習だと言われて、新しいことを勉強しようと始めてみるはいいが、実際の業務とは結び付かない。
そもそも自由に触れるサーバーはないし、クラウドを利用することは禁止されている。
機械学習もWeb用のデータセットは色々あるが、業界のはない。
家庭でできるのはGPU4枚挿しくらいで独立した2つのコンセントから供給して学習させるのが、個人の家庭でできる限界だ。
GoogleColaboratoryをやれるようになっても、業務では使えない。
結局エクセルのVBAで頑張ることになり、ネットでは将来性のないスキルセットとして扱われ不安になる。
時代は量子コンピュータだと言われるが、Xanadu社のStrawberry Fieldsで量子計算をしてみても、
まだまだ業務に使えるような代物ではない。
Juliaで色々量子アルゴリズムが出てきているが適用範囲が狭すぎる。
本当に皆触っているのか?
別の増田で、ザ・ミレニアムというバンドの「ポップミュージック史上もっとも美しい曲」ということで紹介されていた曲がめっちゃよかった。
しかし考えてみると「美しい曲」というのは,音楽好きの人の、その人なりの価値観がよくあわられる基準だと思った。
だいたい音楽ってものは、記憶なり経験なりから来る思い入れと切り離すのがわりと難しいジャンルだとは思うんだが、「美しい」という基準は、そうしたものと隔絶して存在してるような、そんなイメージがある。失恋したときに聞いてた心にしみる曲とか、そういうの別にどうでもよくて、曲単体でどうしようもなく美しく感じる、というような。
自分の場合だと、ありがちかもしれんが、フレーミング・リップスのRace for the Prizeのイントロなんかが思い浮かぶ。あとはStrawberry Fields Foreverとかかな。あれはもうだめだ。抵抗できる気がしない。
別にどのジャンルの音楽でもかまわないが、増田たちが「美しい」と感じる曲を紹介していただけたら、嬉しい。アニソンでもクラシックでもジャズでもなんでも。
逆シャアでの、アムロに対するシャアの絡み方とかみてると、しみじみ、「シャアはさびしかったんだろうな…」と感じる。
ジョン・レノンがオノ・ヨーコに出会ったとき「俺より頭のおかしな奴がいる!」と喜んだ、という話がある。(うつくしい伝説かもしれないけど。)
ジョンも、きっとずっとさびしかったんだろうな…と、なんとなく思う。
ビートルズのジョン曲に「Strawberry Fields Forever」というのがあって、こういう歌詞がある。
No one I think is in my tree, I mean it must be high or low.
これは、孤独を「数えられる」人には、わからない感覚かもしれない。「あなたは、どんなときに孤独を感じますか?」という質問の意味がわかる人。白地に黒の水玉。
これがもし黒地に白の水玉なら、「黒」は数えようがない。「あなたは、どんなときに孤独でないと感じますか?」なら、わかる。
つまり、(少なくとも一面で)対等でなければ友達にはなれない。
(少なくとも一面で)その人と対等であれる人がいなければ、その人と友達になれる人はいない。どれだけ友達になってくれようとしても。どれだけ共に時間を過ごしたとしても。
実際、ガルマは坊やなんかじゃないんだけどね。シャアとは指向性が違うだけで。
ガルマ自身もシャアに対して「家族のない君にはわからない」的なことをいってる。
ガルマの木に、シャアはいない。シャアの木に、ガルマはいない。
どちらが高くてどちらが低い、とかいう問題ではなく。高いか、あるいは、低いか。両者じゃ指向性が違う。
No one(I think)is in my tree…孤独とは、そういうものではないだろうか。
同じベクトルで同じように背負うものがあったからこそ、ガルマとイセリナにはわかりあうものがあったのだろう。
同じベクトルで同じように抱えているものがあったからこそ、シャアとララァにはわかりあうものがあったのだろう。
アムロが実際シャアの友達になってくれるか、そしてシャア自身がそれを望んでいたかは別として、アムロはシャアの友達に「なれる」人だった。たぶん。
逆シャアのNew技術リークみたいなことも、そう考えるとものすごく腑に落ちる。対等でありたい。つまり、「友達になりたい」。
いや……「アムロにいてほしい。自分の孤独の木のなかに」。ただ、それだけだといったほうが適切かもしれない。
もちろん、一面では説明のつかない複雑な感情があったとは思う。ララァがらみの部分とか。
でも、アムロと戦っているとき、シャアは少なくとも「孤独」ではなかったんだろうな……と、ぼんやり思う。
私にガンダムを教えてくれた人が、私がガンダムにまんまとハマったのをみて、さりげなくバガボンドを紹介してくれた。
泣いた。