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2017-05-19

校正の極意

昔、とある会社サイト掲載されていたのに知らない間にページが無くなっていた。

この極意を肝に銘じ仕事をしていたのに残念。

4,5,6条が素晴らしい。

【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】

【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】

【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】

【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】

【第5条:自分は「アホ」だという自覚を持つ】

【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負

【第7条:文字パニックにご注意】

【第8条:さまざまなジャンル用語網羅すべし】

第9条:日々是情報収集

【第10条:校正の極意】

"

【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】

校正マンは何も信じてはいけません。一番信じてはいけないものは「自分」のこと。

校正には知識必要です。だから校正マンである自分仕事関係上、それなりに努力もしているので知識を持っていると思っている人が多いようです。そして自分知識に自信を持っている人も多い。そういう人は、校正マンとして不向き!

自分知識に間違いはないと信じて、いちいち調べて確認することを怠った者は、アシをすくわれてスッ転ぶだけ。知っていることも、いちいち確認するのは面倒な作業ですが、自分知識を信じることなく、確認する労力を惜しまない人が、確認作業プロフェッショナルなのです。

【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】

校正仕事は、常に「疑う目」で見ることが必要不可欠。まずは、第1条で述べた通り、自分自身を疑うべし。そして確認するための工程使用するアイテムも「疑う眼」で見なければなりません。国語辞典出版社によって、編纂者によって、辞典の大きさによって(小事典・中辞典・大辞典)も内容が違います。どれを使っても大同小異ほとんど同じだと思っている時点で確認プロフェッショナルではありません。同じ言葉でも辞書によって解釈が異なる場合があることを念頭においておかなければなりません。インターネットでの検索も「疑う眼」で確認すること。情報が多く便利なアイテムですが、情報が多すぎることが問題ひとつ。ふたつ目の問題は、間違った情報も多いという点。確かな情報源を手に入れるまでに、情報の海に溺れてしまう時もあります。常に「疑う眼」で見ることを忘れずに付き合っていると、情報の海で土左衛門になる前にインターネット情報の拠りどころとして使えるようになってきます。紙媒体インターネット等、拠りどころは多いにこしたことはない!数値のデータは、最新のデータの方が良いし、旬の時事ネタを調べる場合にも、印刷物書籍など)よりもインターネットの方が断然便利です。インターネット情報を得る場合には、必ず複数データ調査し、公式サイトなどのデータ確認します。校正大切なことは、信頼できる情報確認すること!疑わしい情報確認しても、それって確認作業にになってないし…(汗)。

【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】

職種によっては「慣れ」ることにでより技術に磨きがかかり熟練工としてして匠と称される場合も多々ありますが、校正プロフェッショナルとしては「慣れ」は大敵でもあります校正のコツを身につけ、経験を生かして間違いを予想して校正することもありますが、この場合細心の注意が必要です。「慣れ」は「思い込み」を生み出すきっかけとなるから…「思い込み」は校正マンの目を曇らせ、ミスを見落とすという最悪の結果を招きます。常に初心を忘れず「思い込み」を全て捨て去り“無心”の状態校正に挑むのが、確認作業プロフェッショナルとしての基本です。

「慣れ」と「思い込み」は命とり…これを肝に銘じて、集中力と根気をもって最初から最後まで校正することが何よりも大切です!

【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】

校正お仕事は、その結果100点満点が当たり前!満点をとっても誰にも褒められることはまずないという、ちょっぴり寂しいお仕事でもあります。全てのミスを見つけ出すことがお仕事なのですから、当然といえば当然です(…が、たまには褒めてもらえるとうれしいのです。ブタもおだてりゃ木に登るぅ~ってな感じで、次回の校正への励みになりますし…)。満点以外の校正は、言葉が悪くお下品ですが(詫)、“クソ”と同じ…そんな校正なら、しない方がマシ(!?)時間無駄使いをしてしまったと落ち込みます。致命的なミス発見できれば、少々の校正ミス(=モレ)があっても実質的な損害を与えることにはなりはしませんが、お客様からの信頼は確実に減少するのは免れることはできません。校正の精度が疑われるような校正結果では、お客様安心していただくことができません。皆さんも経験があると思いますが、試験100点をとるために何度も見直して「完璧!」と提出した答案が、返却された時の点数は98点…なんてことはザラにあります100点満点を目指すなら、200点目標確認作業をしてトントン校正マンは、200点を目指して、120点を目標として常に全力投球します。その結果の100点なので、満点で当たり前というわけです。

校正業務を開始する際に、体調などに左右されることも。なかなか集中できない場合もありますが〆切は待ってはくれません。どのような状況でも集中できる体制を即座に整えることができる…これがプロフェッショナルです。満点以外の校正はクソですが、集中力を欠いた校正作業はクソ以前の問題です…全身全霊をもって集中して校正に挑んでも、校正ミス可能性はなくならないのですから

校正作業完了し、全責任を担うべく校正紙にサインをした後は、ヘトヘトになり暫しの間放心状態になります校正は毎回が真剣勝負、全力投球ですから当然です…“この一球に悔いなし”!

【第5条:自分は「アホ」だという自覚を持つ】

自分のことを「賢い」と思っている人は、大バカ野郎!逆に、自分を「アホ」だと思っている人は、自分のことを「賢い」と思っている人に比べれば「賢い」人です。自分は「アホ」だから、間違うかもしれない!という思いを常に心の隅に常駐させつつ、そんな自分他人様の制作したものに対して間違いを探したり、ミスを指摘したりするなんて恐れ多いコト…と、謙虚姿勢校正に対するのが、確認作業プロフェッショナルです。その謙虚姿勢が、いちいち確認する面倒な作業を怠ることを防ぐための防波堤役割を担ってくれる上、確認する労力の源となるので、自らの間違いやミスの発生率が極端に減少するわけです。自分のことを「賢い」と驕っている校正マンは、いつか取り返しのつかないドツボに填まることになるので、今すぐに校正マン廃業した方が賢明(…!?)です。

なお、自分は「アホ」だという自覚を持っているのにもかかわらず“あほミス(注)”をしてしまったら、それは本当の「アホ」…目も当てられない状態です。そんな状態に陥った「アホ」は、即効で校正マン廃業すべし。

(注)あほミス…「アホちゃう!?」と叫びたくなるような“あほ”みたいなミスのこと。知識能力の不足ではなく、不注意による誤り。SETでは「あほミス」と言いますが、一般用語では「ケアレスミス」のことになりますかね。ちなみに「ケアレスミス」は、careless mistakeの略語です。

【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負

校正お仕事は、実に意地の悪いお仕事です。制作者もプライドを持って全力で業務に勤しんでいます。「完璧だっ!」と渾身の制作物を校正するのですから、その作品の粗探しをする校正マンは、疎ましい存在なのでは…(涙)。しかしながら、ミスや間違いを発見するのが校正マンの使命ですから、そこのところは一歩も譲ることな任務を全うすべし!粗探しという、一見、意地の悪い作業に誇りをもって、全力で挑まねば制作者に対しても失礼にあたります制作社は、作品ケチをつけられたらカチンときたり、ミスを指摘されたら「クソォ~」と悔しがるのが当たり前。そんな感情が湧かない方がおかしい…湧かない場合は、制作作業に対して手抜きしてるからでは?ミスの指摘を受けて悔しがらない制作者は、問題あり…なので、そんな場合には一言苦言申し奉ります。「ミス校正で見つけてもらったらいいや~」などという怠惰な態度は、校正マンに対する冒涜制作者も、常に100%の完成度と誇りをもって全力で校正マンに挑んでいただきたい。分野は違えど、制作校正プロフェッショナル同士の真剣勝負なのですから

【第7条:文字パニックにご注意】

校正(笑)一種に「文字パニック」という症状があります日常の全てにおいて目にする文字がすべて疑わしくなる病気(!?)です。校正業務ではない日常生活においても、辞書等で確認せずにはいられなくなる…それは読めない漢字意味がわからない用語でなく、通常に使用している簡単漢字であっても。その上、一度確認してもまた同じ文字が出てくるたびに辞書を引っぱり出している自分がいる。やめたいのにやめられない、辞書等で確認しないと落ち着かなくてパニくる…これが「文字パニック」。治療方法としては、休養することしかなく、目と体、そして心を休め落ち着いて回復を待つこと。あわてないことが重要で、確認作業プロフェッショナルなら一度はかかる通過儀礼のようなものなので、自覚症状があらわれた際には、校正マンとして一人前になったのかなぁ~と喜ぶべき病気(!?)ということで、お赤飯でも炊いてお祝いしてください(笑)

文字パニックとは別に校正マンがかかりやす病気として「本が読めなくなる病」もあります活字とにらめっこしている時間が多いため、もう活字は見たくないという原因をもつ場合と、本を読んでいても、無意識誤植を探していて内容を楽しむことができなくなる場合の2種類があり、この病にも特効薬はありません。本人の意思時間の経過により、体力と気力が回復すればそのうち治るでしょう。でも、貧乏ゆすりと同じでクセになってしまったら、なかなか治りません。私の場合子供学校からもらってきた学級便りやお知らせのプリントに朱入れしてしてしまう始末。町内の回覧板広報誌やフリーペーパー等々、印刷物を目にするとダメですね。インターネットの画面では今のところ症状は抑えられますが、サイト情報プリントアウトすると、誤植探しをし、数値を重複確認してしまっている自分に気付く今日この頃です(汗)。

【第8条:さまざまなジャンル用語網羅すべし】

何事にも興味を持ち、広く知識習得すべく心を開放しておくこと。自分には関係のない分野の話も、小耳にはさむ程度でもいいので気に留める寛容さが必要です。ひょんなことで、その知識が役立つことがあるからです。校正は、自分知識確認することはなく、調べて確認する作業です。この調べるという作業で、広く知識がある人とそうでない人との差があらわれます校正ではさまざまなジャンル文章校正するため、歴史社会自然科学技術産業芸術など広い分野の知識必要とされます。全ての分野で専門知識をもっているスーパーマンになることは、並大抵の努力では不可能です。用語の大よその意味理解できていたり、見当がついていれば、調べるときに大変助かります校正に費やせる時間無限ではありません。校正マンは、校正だけできればそれでよいというものではなく、定められた納期を守って校正できることもプロフェッショナルとして当然のビジネスマナーです。限られた時間で、どれだけ正しい情報にたどりつけるか…校正マンとしての力量が問われるところです。

第9条:日々是情報収集

前条と内容が重なりますが、ジャンルを問わず知識習得するための心得をもうひとつ友達との何気ない会話、家族との日常職場で流れているラジオテレビ番組CM…等々、日々の生活情報収集に事欠くことがありません。しかしながら、ただただ聞き流してしまうのか、ちょっと意識を持って聞いているかの違いで、情報収集の機会は雲泥の差を生み出してしまます。「さぁ~情報収集だっ!」と意気込んで調べものをすることもありですが、日々の生活でのチャンスを逃す手はありません!いちいちメモして資料を残すなんてことは大変ですので、少し意識を変えるだけで充分です。人間の脳ミソは全く知らないコトを思い出すことは不可能ですが、一度でも耳にしたことは思い出せる可能性が0%ではありません。また、必要に迫られた場合や、自分が興味のある事柄は自ら情報収集することができますが、自分の頭の片隅にもないような事柄についての情報収集することはできませんよね。不特定多数対象情報提供してくるラジオテレビ、街中での雑談や目にする様々な媒体ちょっと意識するだけで、情報収集きっかけは生まれるのです。

校正時での「疑問出し(注)」の巧拙に、期せずして校正マン能力があらわれてしまます。とんでもない見当違いの疑問出しをした場合校正マンは赤っ恥をかくだけでは済まされず、校正の精度そのものに疑いがかかり「この校正マン大丈夫?」という状況を引き起こししまうのです。「これで大丈夫ですか?」と指摘したのに、「オマエこそ大丈夫かい?」という展開に…(涙)そんな事態を招かないためにも、日々是情報収集は、プロフェッショナルとしての日常のあり方です。

(注)疑問出し…原稿の間違いや不備ではないかと考えられるが、調査してもはっきりとは間違いだと判断できない箇所を「これで大丈夫ですか?」と、制作者や先方様に確認するために校正紙に校正マン鉛筆で書き込んでおくこと。

【第10条:校正の極意】

校正に極意はありません。ただ「無心」で校正に対するのみ…

しかするとソレこそが、校正の極意なのかも!?

"

引用http://www.set-inter.com/creator/kotomi-t

2017-04-06

印刷

電車の中でおばちゃんグループホムペ印刷したのを眺めてアレコレお話に花が咲いてる状態なんだけど、

やはりまだまだネット端末だけでは不十分で、紙や印刷物必要なんだなと思った。

2017-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20170221062934

PDF印刷してデジカメ印刷物写真を撮りWordに貼り付けるという仕事があったらしいけど周りの連中からブーイングだったぞ

誰も悲しまない仕事など存在しないのでは

2017-01-26

プリキュアシリーズ運営のためのスケジュールを考えてみるテスト

2月前作の売り上げ分析反省会
3月新番組会議
4月企画書承認監督決定
5月新コンセプト完成
6月キャラデザBGM発注声優オーディション
7月第1週目キービジュアル完成
7月第2週目テーマ曲エンディング曲、メインBGM完成
7月第3週目設定資料完成
8月第1週目玩具向け音声の吹込み
8月第2週目シナリオ発注開始
8月第3週目テーマ曲エンディング曲歌手オーディション
9月第1週目中国玩具作品発注
9月第2週目スマホ向けアプリ発注
9月第3週目webサイト発注
10月第1週目テーマ曲エンディング曲録音
10月第2週目エンディング曲ダンス振り付け発注
11月第1週目2月発売の玩具量産開始
11月第2週目1話パイロットフィルム完成
11月第3週目12月下旬発売雑誌向け原稿入稿
11月第4週目ダンスDVD撮影
12月第1週目小売店向け説明会
12月第2週目第2話完成 販促DVD印刷物発注
12月第3週目第3話完成
12月第4週目第4話完成
12月クリスマス商戦シリーズ発表
1月第1週目声優発表
1月第2週目第5話完成
1月第3週目第6話完成
1月第4週目第7話完成 記者会見
2月第1週目放送スタート

2017-01-06

ネットに書いてる暇があるならやるべきことをやれと言うけど

同人原稿だとか、何らかの作業だとかの締切が差し迫っているのにネットに何か書いてる人を、そんな暇があるなら作業を進めろと文句をつける人が出てくるというのは、ネットではよくある場面である。勿論、こういう指摘はもっともな部分もあるが、かと言ってそれを言うのが絶対に正しいとも言えないのが現実だと思う。

まずに、ネットに書くというのは大した時間を要しない場合も多いということである。たとえばツイッターに、「原稿やばい」と書くだけなら、数分で済む。息抜きちょっとツイッターを開いてちょっと書くだけで、やるべきことを後回しにして時間を多大に浪費していると言われなければならないほどではないと思う。ときたま数文字ネットに書くのに数時間係ると思っているのではないかというレベル文句を見かけるが、冷静に考えて欲しい。

さらに、待機時間ネットをやってるだけかもしれないということがある。たとえば印刷物が関わる作業場合プリンタ印刷をしている時間は(場合によっては乾くまで待ってる時間も)待機時間で、次の作業に移るまで待つ必要がある。こういう待ち時間にちょこっとネットに何か書くというのは、それを辞めたからと言って作業時間を回せるわけでもなく、文句を言われるべきことではないと考える。

あとは、そもそもやるべきことというのがないかもしれない可能性を無視して文句だけ言う人という問題もある。とっくに原稿を書き終えた人相手に、「締め切りギリギリでてんてこ舞いのはずなのにネットやってるとは何事か」と勝手認定して叩くという類の言い方も見たことがあるが、これは流石に論外だろう。

どういうやり方で作業を完成させるかは人それぞれなわけだし、そのあたりを無視して今は暇はないはずで云々と、一方的に決めつけるというのは上記の2つの問題点以前の問題であると思う。自分のやり方だとこういうふうな進み方のはずだから・・で決めつけをするのはよくない。

というわけで、色んな事情で、作業をしなければいけない(ように見える)人でも、ネットにちょこっと書くぐらいなら大した問題がない場合もあるんだから必死文句つけるのはなんだかなあと思う次第である例外なく叩かれて然るべき、なんてのはかなり少ないわけだから、そのあたりもう少し考えて欲しい。

2016-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20161230045814

からそのノイズになるコミュニケーションを取り除くための対策だよ。

印刷物の他に無料PDFがあれば、遠方の通販希望者も納得するし、転売ヤーの関心も薄くなるというもの

2016-12-11

[][]先生遠藤さんの上履きがありません! 4

前話: http://anond.hatelabo.jp/20161109170519

タカヒロ

 アヤネの上履きが隠されたのが、先々週の木曜日のこと。それから週明けの月曜日火曜日水曜日に立て続けに他の女子上履きが隠された。

 隠された上履きを見つけたのはアヤネのときこそユウヤだったけど、先週の3件はぜんぶケンジが見つけた。でも、そのせいで彼は疑われている。

「これからプリントを配りますから、帰る前に記入して前に出してください」

 そう言って先生は、藁半紙印刷物クラス全員に配り始めたーー欠席のケンジを除いて。

「みなさんも気になっていると思います

 先生上履き隠しの犯人をまだ探す気なんだ。

「先々週の木曜日、先週の月曜日から水曜日最近だけで4回も上履きが隠されています。残念ながら、誰も自分がやったと名乗り出てくれていません。クラスの中に隠し事があるのはみんなの問題です。誰がやったのか先生は知りませんが、もし理由があるなら、もう二度と同じことをしなくてもいいように、それを解決しなければいけませんし、誰がやったのかわからないままでは、みんな不安になってしまます。みんながみんなを疑うことになるのは、とても悲しいことです」

 誰が犯人でもみんなの問題にはされたくない。もし理由があるならそれはそいつ問題で、僕たちには関係のないことじゃないか

「ですから、無記名で構わないので、何か少しでも心当たりのあることがあったら、ここに記入してください。『自分がやった』でもいいですし、『誰かがやっているのを見た』とか、『やったと話しているのを聞いた』でもいいです。少しでもヒントになることがあれば、ここに記入してください」

 つまり、『もしやったのがあなたで、それでも黙っているなら、証言を集めて見つけ出しますよ』ということ。こういうことに意味があるのかは疑問だった。誰かの証言があったとしても、それが本当か確かめ方法がない。無記名なんだから。もし誰かの証言犯人を間違えたら、それこそとんでもないことだ。

はい

 前の席のアヤネからプリントを受け取った。A5の藁半紙に、大きな枠が一つ。完全自由記述

 犯人を知りたくないわけじゃなかった。疑われているのはケンジ。でも、3回連続で見つけたってだけで疑うのはフェアじゃない。もともとこういうのは得意不得意があるんだ。ケンジはたまたま、見つけるのが得意だっただけだ。彼は普段から目ざといし、頭もいい。そんなにおかしいことじゃない。

 とはいえ、心当たりがないわけじゃなかった。

だってヒーローだぜ?』

 アヤネの上履きが隠された翌日の、金曜日放課後の帰り道、ケンジがそう言ったことが、ずっと頭から離れない。彼はヒーローになりたくて、3日連続女子上履きを隠したんだろうか? でも、

『俺はやってないんだ!』

 あの怒りが嘘だとは思えなかった。だいたい、もし彼が犯人なら、あんなこと自分から聞くだろうか?

上履き、また盗まれた?』

 思考が頭の中をぐるぐる回った。

 他のみんなは何を考えているんだろう。鉛筆が走る音があちこちから聞こえていた。もしかしたら、真犯人が名乗り出るかもしれない。先生の脅し文句が全く効かないとは限らない。あるいは、真犯人が名乗り出なくても、誰かが犯人証言するかもしれない。そうだ、そうすれば、ケンジの疑いも晴れる。

 そのとき、数分前の自分思考が戻ってきた。

『誰かの証言があったとしても、それが本当か確かめ方法がない。無記名なんだから。もし誰かの証言犯人を間違えたら、それこそとんでもないことだ。』

 誰もが犯人にされる可能性がある……。

 そう思った途端、教室景色が全く違って見てた。37人のクラスで、一人欠席。僕以外の35人が、自分以外の誰かに罪を着せようとしているんだ……。四方から聞こえてくる、藁半紙の表面が鉛筆の先を削り取る音が、自分を刺し殺すためののナイフを研ぐ音のように聞こえた。

ケンジが犯人なら良いんだ』

 頭の中で誰かが言った。

あいつが犯人で間違いない。みんなそう言ってるじゃないか

 違う。ケンジはそんな馬鹿なことしない。いくらヒーローになりたいからって、そんなことするわけがない。それに、もし彼が犯人なら、自分から話題蒸し返したりするわけない。あの怒りが演技なわけがないんだ。

 でも、もしも、もしもあれが全部カモフラージュだったら? 予想外に疑われてしまって、完璧だったはずの計画が狂って、クラス中が敵になった中、一番懐柔しやすい僕に『無実だ』と印象付けるための方策だったら? 言葉尻を捉えて急にキレたのが、僕に罪悪感を覚えさせて、味方につけるための作戦だったとしたら?

 いや、そんなことあるわけない。考えすぎだ。犯人別にいる。それに、僕が犯人にされる心配はない。疑われる理由は何もないんだ。だいたい、もしランダムに当たるとしても、確率は37分の1じゃないか

 すでに何人かが藁半紙を教卓に提出していた。

 ガタッ。

 アヤネが立ち上がった。彼女左手から垂れる藁半紙の真ん中に、数文字漢字が書いてあるのがちらりと見えた。

『………弘』

だってヒーローだぜ?』

『でもいいよなあ、あいつ』

自分で隠したから、見つけられるんだ』

『全部あいつが隠したんじゃねえの?』

『少しでもヒントになることがあれば、ここに記入してください』

 鉛筆を手に取って、僕は精一杯の正直さで記入した。

2016-11-28

プロにタダで仕事を頼んでくる人への断り文句

プログラマでしょ?ホームページ作ってよ!」を1日で対応する - Qiita

http://qiita.com/mhimuro/items/405590746e67971aac47

この記事ブコメを読んでると

ikd9684 「タクシー運転手でしょ?駅まで乗せてってよ!」て言うのと同じ事だと理解してるか?て返せば10秒で済む。

なんてコメントがあって、うまいこと言うな〜と感心した。

俺は雑誌とかの印刷物デザインをしてる関係友達から

無料でお店のフライヤー作ってよ、空いた時間にパパっとでいいから。」

とか言われる。

普段シンプルに断るんだけど、さっきのコメント主みたいにうまい喩えを含んだ断り文句をみんなに教えて欲しい。

2016-11-23

自己投影女子に告ぐ

   11/24 長すぎて入らなかった部分を別記事で追記

腐女子こそ夢小説を書くべき論」が話題になって「よくぞ言ってくれた」と喜んでいる人と記事自体に怒っている人がいた。

記事自体に怒っている人、とりわけ「腐女子こそ夢小説を書くべき論」を読んで欲しい層として想定された(と思われる)「腐女子」以外の人について考えてみた。

腐女子こそ夢小説を書くべき論 - 模索中

腐女子以外で、この記事に対して怒っている人たちに、自分たちを「自己投影勢」と自称している人たちがいる。

自己投影勢」とは?

夢小説を愛好する方の中で、主にガチ恋勢などと言われる人たちのことだ。

彼女らは、夢小説に出て来る名前変換が可能な「主人公」に自分だと思いながら、夢小説を読む。

私は怒っているので、キツイ言い回しになっているかもしれない。

この記事を書いている私は、彼女ら「自己投影勢」の「腐女子こそ夢小説を書くべき論」に対する反応に怒っている。

私が怒っている対象は「自己投影勢の肩身が狭くなるから、こういった記事を書いて腐女子が書く夢小説を増やしてほしくない」と言っている人たちだ。

自己投影全般に怒っているわけでもないし、嗜好について私の理解が及ばないと思っていても馬鹿にもしていないし、気持ち悪いとも思っていない。

彼女らに私の嗜好を貶され、排除しようとされない限りは、はっきり言って、彼女らがどう思っているかは興味がない。

嗜好を名指しして「布教をするな」と言われたのでなければ、この記事を書くことはなかった。


上記の自己投影勢の説明ではあまりにいい加減なので、ある程度、前提条件を絞りたいと思う。そのために私の自己投影名前変換に対する考えを記述する。

私と同じ考えだと自信のある方は飛ばしていいと思う。

目印として本題に入る部分に矢印をいっぱい付けておくのでそこまでスクロールして欲しい。


私のスタンスとしては、他人が書いた小説主人公自分だと思いこむことは特殊技能であると思っている。


これは、キャラ恋人自分だと妄想することとは別の話であることを留意してもらいたい。

誰かの恋人になった自分空想すること自体は、誰もが抱くことのある欲求ひとつであると私は思う。空想し、それを作品アウトプットすることもまた、ありふれた行動であると思う。

しかし、小説という作品媒体になったものを読むとき登場人物が「自分だ」とはっきり信じることのできる人は多くないだろう。

これは感情移入とは異なるものだと私は思う。

映画や本を読むときに、話者となる登場人物感情移入してストーリーを疑似体験する。これは基本的エンターテイメントだと思う。

感情移入する登場人物主人公に限らない。幼少の頃に見ていた映画大人になって見ると、幼少の頃に思い入れ登場人物とは別の人物気持ちになって泣いてしまった、ということはよく耳にする話だ。

さて。このとき観客あるいは読者は、登場人物登場人物であって、自分とは別の個体であることを認識している。境遇自分に重ねることはあっても、自分ではないと分かっているはずだ。

ここでいう感情移入共感意味だと思う。

腕にひどい怪我をした人物を見て、自分の腕が痛い気がして顔をしかめる。怪我一つない自分の腕を押さえる。これが共感だ。多かれ少なかれ、誰しもが持っている感覚だといえる。

共感」は人間社会生活を円滑にする上で欠かせないものだ。一説では、サイコパス共感的な感覚先天的に欠いているのだという。共感が出来ないからと言ってその人がサイコパスであるとは限らないことに気をつけたい。

この共感が強すぎることで、映画テレビを見るのが苦痛だという話が、しばらく前に話題になったと思うので、「共感」というものがピンとこない方はそっちを覗いてみるのがいいかもしれない。

"恥をかくシーン"が苦手な人たち

話は戻って、名前変換によって、いくら登場人物自分名前を冠しているからといって、主人公自分だと思い込む、ということは「共感」ではなく「同一化」に当たるのではないだろうか。

サイコパスの話を持ち出してしまったが、専門用語としての話ではないのでその点はご理解いただきたい。

自己投影と称している人の中で完全な「同一化」ができる人はそう多くないのではないだろうか。多くの人が、夢小説の中で恋愛をしているのは小説の中の「わたし」であって、今この世界にいる「わたし」でないものだと折り合いをつける。

自己投影ってなんだっけ - めもかん。

この記事を書いた方も、おそらくそうだろう。

2は、1よりちょっとだけ現実の私と切り離されている。 なんというか、原作世界二次創作世界パラレルワールドだと認識しているのはこの層が多いんじゃないかなあ。 その世界の「私」となって、キャラと接するのがこれに当たる。

「同一化」と書いたものをこの方のいう1とするならば、2は「折り合いをつけている」人たちのことだろう。3の話はここではしない。

この折り合いが付けられた状態は、映画を見て登場人物共感して涙することと差がないように私は思う。


余談 コンピュータ名前変換 ゲーム夢小説

夢小説は、コンピュータインターネット回線の普及によってもたらされたジャンルであると思う。

それまでは小説といえば紙の書籍主体で、印刷物として市販されている小説主人公たちの名前は変えることができなかった。

それが、コンピュータの普及によってテキストの一部を自分名前に変えることができるようになった。これを女性向けとして利用した人が現れる。これが夢小説のはじまりだと思う。

夢小説の出現よりもひと足早く、ゲームでも主人公名前自分名前に変えることができることが「普通」になっていった。その片手で、インターネット上に公開された名前変換可能テキスト群が夢小説と呼ばれることになった。

一見違うもののように見えるが、双方デジタル化によって生まれユーザビリティの結果であり、本質的には同じものであると思う。

そこで、ゲームをしているユーザー自分名前のついた主人公を「自分だ」と思い込むことができるだろうか?

これは、できる人もいる、が正解だと思う。自分選択によって動きを変える主人公が、自分であると思う人もいれば、画面の中で動く人型のイラストを、自分が操っている操り人形だと思う人もいるだろう。

後者については、海外に多い「プレイヤー視点が画面になるタイプゲーム」のユーザー間では減少する可能性がある。ゲーム内のアバターアバターだと認識することは、ゲームプレイヤー自身アバター俯瞰する形になる、多くの日本産ゲーム特有感覚かもしれない。長くなりそうなので、ゲームでの視点の話はこの程度にしたい。

余談の余談

余談の最後に、私が思うゲーム夢小説の違いをまとめて、話を「自己投影」についてに戻していこう。

ゲームには操作性の問題がある。主人公の行動を自分で操る事ができる。この点が、ただ与えられたテキストを読むだけの「夢小説」とは大きく異なる点だろう。

夢小説の中に出てくる登場人物の行動を、読者は変えることができない。

夢小説の中に出てくる登場人物セリフを、読者は変えることが出来ない。

繰り返しになるが、自分意思とは違う行動を取り、違うセリフを喋る主人公に「共感」するのではなく、「自分だ」と思い込む、「同一化」する事ができるということを、私は特殊技能であると思う。

私の一歩先を行っているのかもしれない、とも思う。


同担拒否」を自称する方たちに対して、いくつかの疑問がある。

まず、私が思うのは彼女らは何を読んでいるのだろう?ということだ。

人が書いた小説を読めば、必ず違和感が生じるだろう。お母さんが枕元で、主人公名前子供名前に置き換えて読んでくれることとはわけが違う。クラスメイト貴方主人公小説を書いてもらい、プレゼントしてもらうのとも違う。

ただ、スクリプトを使って文字列自分名前に置き換えているだけだ。

好きな食べ物も、癖も、言い回しも、得意な教科もすべて変換するわけにはいかない。そんなに違う「わたし」とどのようにして「同一化」するのだろうか。

そして、彼女らは自分で書いた小説を公開するのだろうか?

自分恋人の話を綴った物語を公開して、自分と同じように彼を恋人だと思いこんでいる人が読んで、自分体験他人のものにされることが不愉快ではないのだろうか?

このあたりの感情の処理が、私には理解しがたい。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

本題にうつる前に周りくどく鬱陶しい話をしたのは、前提条件をはっきりさせておきたから、と断っておく。

本題はその「自己投影勢」がなぜ「腐女子こそ夢小説を書くべき論」に怒っているか

なぜ、私が「自己投影勢」が怒っていることに対して怒っているか

という話だ。

私がTwitter観測した限り、怒っている理由には大きく分けて2つあったように思う。私が見かけた2つの理由について話をしたい。

怒っている理由その1

自己投影勢」が馬鹿にされたと感じたか

だそうだ。

これは見当違いな怒りであると私は思う。「腐女子こそ夢小説を書くべき論」の中で、たしか

夢小説ってキャラ×自分なんでしょう」「わたし夢小説自己投影しないし」

など書かれている部分はある。

しかし、これは、この記事を書かれた方の意見ではないのだ。少なくとも私にはそう読める。

私が読むところによると、これは、世間から夢小説」に対して向けられている一般的感想だ。

偏見としてあげられる言葉を持ち出すことすら許さないならば、許さない人が偏見を持っている人にやめてくださいと訴えるべきだ。怒りを持っていく場所が違う。

誰が発言するかによって怒りが違うならば、それは貴方の心にある差別が原因だろう。胸に手を当てて心当たりを探ることをおすすめする。

そういうのもあるけどそれだけじゃないよ!


としているが、自己投影的な考え方を否定しているわけではない。むしろ、全体を通して自己投影は誰もが持ち得るものだと書いているように私には読める。

そもそも、「それだけじゃないよ!」は嫌っている人に嫌いなものをそのまま食わせる馬鹿はいないので「夢小説あなたが嫌いだと思っているものよりもずっと多様なものですよ」と話しかける言葉だ。自己投影を貶めることは書いていない。

行間から書いていない言葉を読み取るのはやめたほうがいいと、老婆心ながら言わせていただこう。

そのうち行間から呪詛を感じ取ってこの記事のせいで呪われたなんていい出しそうだ。

ちなみに今わたし貴方呪詛をかけている。嘘だけど。

怒っている理由その2

夢小説から自己投影勢が追い出される、

というものだ。


はっきり言おう。私にはこの感覚がまったく理解できなかった。そして、これを理解したことによって怒っている。

夢小説のはじまりは、自己投影にある、と言っている人がいた。これは当初のことがわからないので、間違っているかあっているか問題にしない。

私がこれに対していうことがあるとすれば「だから何?」だ。

から? 幼稚園児が遊び場の権利を「すべり台わたしが先に使っていたのでわたしのものです」と主張するくらいにどうでもいい。

余談としてゲーム夢小説の部分で触れたが、主人公名前を変えるという考え方自体は珍しくない。それを二次創作に使うことは、誰にでも思いつく可能性があったことだと私は思う。

夢小説流行り始めた当初、このスクリプト自分で書くことのできる人は少なく、多くの人が他人からこれを借りた。

その借りた先の人が「夢小説」あるいは「ドリーム小説」と読んでいたのなら、これは自己投影云々についていた名前ではなく、名前変換というシステム自体につけられた名前であると私は思う。

異論はもちろんあると思うが、自己投影がたしか原初であったとしても「だから何?」と私は返すだろう。

夢小説ルーツでの幼稚なマウント以外に、私は「追い出される」という感覚理解できなかった。なぜなら、10年以上も前から自己投影勢もあったし、オリキャラ勢もあった。共存していたのだ。

古の超大手夢小説検索サイト「ワンドリサァチ」さんのキャッシュからも、当時から細かく別れていた傾向のチェックボックスを見るとわかるのではないかと思う。

ちなみにワンドリサァチさんがページ消失したのはかなり昔のことだ。ワンドリサァチさんの消失夢小説界隈を、まるで神に言語を乱され方方に散ったバベルの塔逸話のように、引き裂いた。

夢小説史はさておき。なぜ突然、オリキャラ勢が押し寄せてきて……なんていいはじめたのか。

しかに数年前から「夢主はオリキャラです」と発言やすくなったことは感じているが、これはオリキャラ夢主で夢小説を書く人たちが、仲間を募り、自身創作を楽しんだ結果であると思う。彼らは自分たちで、自分たちの楽しむ場を作った。これに嫉妬しているとしたら、理解に苦しむところだけれど、同担拒否です!この小説は私じゃないので読めません!なんて言って、他人牽制しまくっている人がいるのなら、仲間が増えないのは当然だろうと思ったのでこの点は言及するのはやめておこうと思う。

私にとっては、自分の好みではない作品が増えたところで、自分の好きなもの絶対数が変化しなければ、どうでもいいことだったのだが、彼女らにとってはそうではなかったらしい。

問題になった「腐女子こそ夢小説を書くべき論」では、腐女子BL主題として扱った夢小説を書くことを勧めている。

このことに対してアレルギーを起こしたように反応している人たちがいた。

腐向け」という言葉が目に入るだけで、不愉快なのだそうだ。

そもそも、オリキャラ夢主と自分の推しが恋愛しているという情報自体が気に入らないのだそうだ。

腐女子が参入することによって、腐向けでもあり夢小説でもあるものや、彼女らにとって不快ものが増えることによって、住処を追われるのだそうだ。

先述の通り、昔からオリキャラ主人公とする夢小説存在していた。

夢小説を愛好する人の中には「腐向け」を嫌う人は多い。しかし、夢小説の中には「腐向け」の夢小説BLDと呼ばれるものもある。BL夢小説彼女らが何を思うことにも関係なく、すでに存在する。

はっきりいいたい。「何様のつもりだ」

インターネット上は公共の場所だ。不愉快ものを見ることもあるだろう。しかしながら、貴方にとって不愉快ものは、誰かにとっての大切なものだ。それを見て貴方が気分を悪くするだけならいい。

気分が悪くなるから、遠慮しろ、肩身を狭くしていろ、というのは傲慢がすぎるのではないか

腐女子も好きなジャンルで、自分が好きなカップリングとは受け攻めが逆のカップリングが増えてしまうこともあるだろう。逆CPは見るだけでイヤだという人も多いだろう。しかし、だからといって自分の気に入らないCPをの悪口を言ったり、そのCPが増えてほしいという人に、私の地雷から布教活動をしないで下さい、と訴えることを考えて欲しい。

私なら人混みで鳩尾に肘を入れるし、靴を踏む。(暴力はよろしくないと思うがそれくらい腹立たしい)

貴方自身の当然の権利と思って言っているそれは、これと同じことだ。恥を知るがいい。


マナーやら何やらで加工して訴えようと、本質は変化しない。貴方自分不愉快からと、他人活動制限しようとしているのだ。いかなる理由をつけようと「布教活動するな」と訴える行為正当化されないことを覚えておくべきだ。


腐女子の人が「自分の好きなものではないので書かない」ということとは、わけが違う。

自分の好きでないものに増えてほしくない、という権利貴方にはない。

そして、自分の好きなものが数で負けるなら、その分は貴方がかけばいい。貴方布教して増やせばいい。貴方夢小説を読んで楽しいと思った人が、同じような小説を書くように努力すればいい。

他人の足を引っ張るだけの行為生産性がない。

あと、検索で引っかかって云々とか言うな軟弱者。心を鍛えろ。

自分の行動の責任自分で背負え。

蝗に怯えて耕作を怠るな。実りのない田畑では人も増えない。

心優しい私は、対処法をあなたに教えてあげようと思う。心して聞くがいい。

Web ブラウザ上の文字列検索して非表示にするNGワード導入しろ。それくらい自分で調べろ。

最後に、そんな発言をしている人が存在するのか疑問に思う人もいるだろう。それでもツイート引用することは控えたことの意思は汲んでいただけたらと思う。

この長ったらしい文章攻撃目的ではない。軽はずみな発言をした人に自分発言を省みてもらうことが私の望みだ。

2016-09-21

あいつがダメから、俺もダメでいい、ということ。

今年度、我が家地域の組長になっていて、地域と言ってもマンションの全戸の

回覧板とりまとめをする程度の役割ですが。

たまにポストに届けられる回覧板の内容物を回覧板用のバインダーに挟んで、

301号室に届けると105号室まで回って戻ってくる、それを繰り返すだけのことです。

私も夫もフルタイムで働いていますが、どうしても私に家事負担が偏りがちで、

この回覧板を回すのは、夫にやってもらうことにしています

さて、回した回覧板がすぐに戻ってくるかというと、やはりどこかの部屋で止まってしまって

戻ってこないということが、まま起こるのです。

そうして今、もともと3冊あったバインダー最後の1個になってしまい、

次に回覧する印刷物が届いてから2週間が経とうというのに、夫が一向に回覧板を届けに行かないのです。

やらないなら、私がやるよ、と言うと、『止めてる方は戻してほしい』と

メモをつけてから届けに行くからダメだ、というのです。

何度、私がやるよ、メモもつけるよ、と言ってもやったらダメだ言うし、自分では全くやろうとしないのです。

ついには、どうせ回したって、戻さないやつがいるんだから

どうせ誰も見てないんだから、やらなくたっていいんだ、と言う。

私には、この言い分がまったくわからない。

まり、『あいつがダメなんだから、俺だってダメな振る舞いをしていいんだ』という感覚が。

あいつがダメから/悪いから、俺もダメなことをしていい/悪いことをしていい、

そんなこと言ってたら、自分自身がどんどんダメな方へ向かって行ってまうのではないですか?

どう考えても、どうしても私にはわからない。

2016-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20160907113935

お前はいから通信販売印刷物限定されると思い込んでいた??

通信販売(つうしんはんばい)は、小売業態のうちの無店舗販売の一つで、店舗ではなく、メディアを利用して商品を展示し、メディアアクセスした消費者から通信手段で注文を受け、商品販売する方法通販略称される。

2016-04-27

文科省グローバル大」構想に不満続々 「まるで詐欺

「これじゃまるで『SGU詐欺』だ」

まあ、こうなると思っていたけど。つまり毒まんじゅうか。

 大学国際競争力強化を狙った「スーパーグローバル大学」(SGU)構想。文部科学省肝いりで始まったが、選ばれた大学が不満を募らせている。国の支援が想定より少ない上、予定していなかった仕事も次々発生しているからだ。

 「これじゃまるで『SGU詐欺』だ」。東日本大学トップは「びっくりするほど支援の額を値切られた」と話す。

 SGUは世界に通用する研究や国際化を進める大学を重点支援するため、文科省が2014年に募集。104大学が計画を提出し、37大学が選ばれた。「世界ランキングトップ100を目指す力のある大学」(タイプA)は最大で年5億円、「グローバル化を牽引(けんいん)する大学」(タイプB)は最大年3億円を、それぞれ最長10年間支援する。

 だが、15年度の平均支援額は、タイプAが2億8800万円、タイプBは1億3100万円。1億円未満も5大学あった。「あれだけぶち上げておいてこれか。文科省風呂敷を広げすぎ」(西日本大学幹部)。「今も納得していない。でも、『文部科学省さま』に文句は言えない」(関東私大担当者)。さらに、各大学への交付額は未公表で、「あの大学はうちより少なかったようだ」などと臆測が飛び交う。

 ログイン前の続き思わぬ制限もある。

 各大学に昨秋、文科省からメールが届いた。会議シンポジウムでは、「SGU」ではなく正式名称を使うようにとの内容だった。札幌学院大が「SGU」を商標登録しており、「SGUを使用した場合商標権侵害」と書かれていた。東日本大学担当者は「印刷物を刷り直すはめになった。完全に余計な出費。最初に調べておいてほしい」と怒る。

 さらに、文科省の定める英語での呼称は「トップグローバル大学。「スーパーグローバル」は英語では普通は使わない表現からだ。西日本大学担当者は「なんで国内向けはわざわざ妙な名前にするのか。海外向けに翻訳する際、直す手間がバカにならない」とあきれる。

 テレビ番組英会話講師を務める鳥飼玖美子・中央教育研究所理事は「英語では、『グローバル市民』なら国連などでも使っているが、『スーパーグローバル』なんて言い方はしない。『トップグローバル大学』と言えないことはないが、あまり聞かない」。事業自体についても、「そもそも海外ではグローバル人材という概念がないし、グローバル化否定的にとらえられることもある。グローバル人材育成という発想が、グローバルでない」と指摘する。

■「背伸び」した計画も

 SGUに選ばれたくて、実現が難しい計画を立てた大学もある。東日本大学担当者は「海外大学留学協定を結ぶことや、受験生受けを考えると、『国のお墨つき』がないと不利。計画をちょっと『盛って』しまい、精査して青くなっている」と話す。

 計画には、留学生割合数値目標も盛り込まれている。現在海外から留学生授業料減免する大学が少なくない。学生の定員は決まっており、留学生が増えるほど授業料収入に響く。例えば、授業料100万円の3割を減免する場合留学生の受け入れを2千人増やすと年6億円の負担増になる。「『もうからない』学生割合が増え、経営体力との勝負になる」(西日本大学)。減免措置見直し検討する大学も出始めた。

 SGUに選ばれた多くの大学外国人教員比率を上げる目標を掲げた。ただ、外国教育研究歴のある日本人でも「外国人教員等」として比率に含めることが可能だ。「外国人教員の確保は大変なので、日本人で達成すればいい」(関東私大)という、「数あわせ」も頻発しそうだ。

■当初より採択大学数増え…

 事業担当する文部科学省高等教育企画課の担当者は、支援額への不満について、「大学から直接少ないと言われることもある。財政状況が厳しく、予算を思っていたほど確保できなかった上、当初予定していた30大学より採択大学数が増えたので、1大学当たりの支援は少なくなった。『最大で』の金額が、誤解された面もある」と説明。「スーパーグローバル」の呼称については、「和製英語。でも、分かりやすいし、インパクトのある表現だと思う」。外国人教員比率を巡る大学対応は、「グローバルな日本人であれば問題ない。外国籍でなければならないということはない」。計画を『盛った』大学存在想定外で、担当者は「ちゃんとやれないなら理由説明してもらうことになる」と話している。(石山英明

http://digital.asahi.com/articles/ASJ4T5DB4J4TUTIL04W.html?rm=514

2016-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20160416235055

今回は電気もかなり生きてるしネットワークも生きてるからネットのほうが情報届くんだよ

逆に道路が分断されてるから印刷物だと届かない

道路が分断されてるのは津波の時も同じだけどな

2016-04-11

エンブレム問題とき有志があげてた自分ならこう作るみたいなやつと今回の候補案発表に、一部のデザイナーとその発言を笠に着たデザインちょっとわかりますくらいの他業種の人が口々に印刷したときに~だの縮小したときに~だの言ってるけど、別によその歴代エンブレムもわりと縮小したらなにかわかんなくなりそうなのとかテクスチャとかグラデ使われてるのあるんだけどな

そもそも亀倉エンブレム(省略してごめんなさいね)の日の丸だってグラデかかってるし

ていうかそれは印刷所他ががんばるところであってそのデザインがいいか悪いかの判断基準にはならないと思うんだよな


再現性の高さみたいな視点がやたら強調されるけど、そもそもオリンピックなんて大規模な国際行事の関連印刷物やらなにやらを適当印刷所に頼むわけないじゃん、そんなこと気にすることか?と思うんだけど、これは自分感覚おかしいのか?むしろそんなお祭りの時こそガンガン金かけて再現性低いものでも再現してやればいいじゃんと思うんだけど

そして公式に作られる資料印刷物以外での使われ方で醜く見えようともそれはもう委員会エンブレム作者の責任ではないのでは?

自分も一応デザイナーやってるけど、エンブレム問題で目に付くデザイナーサイドの人の意見ほとんど同意できずずっともやもやしている

2016-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20160410202306

家電量販店プリントコーナーはいつも人だかりだよ。

みんな写真印刷してるよ。

印刷物のいいところは、バッテリー不要で見られるところなんだ。

2016-03-27

映画では情報が不足していて、世界観とかストーリーとか人間関係とかがその場では理解できない。

anond:20160327013928

ってことがあるからじゃなかろうか。

印刷物ならば、読み返したり考えたりして理解できるが。

2016-03-23

理不尽にふつふつしながらエンタキーたぁぁーん!!!ってしてる

社内報でそんな勝手が許されると思うなよ!

私の目が黒い内は、絶対にそんな曖昧ものさない!

…という気持ちはいる。気持ちの上では。立場の上ではどうなるか分からないが。

室長級の記事で、何がしたいかよく分からない原稿400字ほどが急に降ってきた。

既存のコーナーでなんとか許容できるかなっていう場所があったのでそこに入れようとしたら、

連載にするから新しくコーナー作れと。今でもぎっちぎちの裏表紙にスペース開けろとご指定

担当課一同で、困惑中。

いやいやだって印刷物から誌面には限りがあるんだよ!文字小さくしたら済むとかい問題じゃないんだって!というか、ページ毎に趣旨も違うんだってデザインとかレイアウトとかの問題だってあるの分かるでしょ、やってたんだから

そもそも、タイトルなし、掲載目的不明(本人も曖昧らしい)、名前顔写真も載せるな、ってそれを社内報でやること自体無謀すぎるでしょ。

社員の役に立つとか、そういう意図社内報は作るべきってアナタ言ってたじゃないの。

それなのに自分でもどうしたいか不明っぽいものを持ってくるとは何事か。

これ、どうにか希望通りの場所ねじ込んで、今仮に入れてるスペースにも新しく記事入れ込んで尻拭いして、

ってどうにかやりくりしてやれよって思われるんだろうか。

こちらとしても大事寄稿尊重はしたい。というかどうにか不自然にならないように入れたいとは思っている。でもその場所にこだわる主張には誰も納得できていない。納得できる理由がない。

うそんな勝手なこと言うんなら、自費出版勝手にやってくれ。もしくは全店メールでもしてくれ。

2016-02-20

[] 仮免修了検定を受けてきた

お昼12から仮免のための検定

一度に受けるの受験者は25人程度

それが 3人1グループに振り分けられ1台の車を共有する

20人の内MTは8割程度

自分を除く男は皆、MTであった

従って自分必然的女性と同じグループとなった

普段学科の座学を観察してると、男でAT限定も少なくないのだが

助手席教官、運転席に受験者、運転席の後ろの席に、同じグループで次の受験者が座る

グループの三人目が運転するときは一人目が後ろに座る

二人目、三人目が後ろに座る場合は、前の人の運転を見て安心するだか緊張するだかがあるけれど、

一人目が、三人目の運転を見るのは何の意味があるのか分からない

一人目にとってはもはや何も得るものはないのだが

運転者にとって、後ろに人が座っているのは、何かしらの足枷になるのだろうか

自分グループの一人目だった

教習所内のコースをただただ走る

左寄りにただただぐるぐる回る

信号もない交差点を右折だの左折だのする

S字・クランクをこなす

脱輪をすると即座にアウトだと事前に脅されていたが、

脱輪しても停止して、バックでコースに戻れれば、それだけで一発アウトというほどの減点ではないらしかった

あと、踏切 (ただ窓を開けて進んで停止して窓を閉める、という手順をこなすだけの茶番) と坂道発進

初めの100mは慣らし走行で、採点対象外となる

100mじゃ数秒だけしかないことになる

採点が始まると、ここから採点ね、と宣言される

さっさと終わらせたい余りに、初めスピードを出しすぎて、

そうするとカーブの手前で速度を落としきれなくて、教官を驚かせてしまったが、

初めの左折を終わらせてからはいもの調子に戻り、

S字なりのイロモノをとりあえず無事こなして終了した

後ろにグループの二人目が座っていたが、バックミラー越しに偶に目が合う以外は別段気にもならなかった

走行が終って発着所と呼ばれるところに停めると、後ろの二人目を降ろして、

教官と二人きりの状態コメントを貰った

最初スピード出てたね。

緊張してました(てへへ

みたいな。

そういえば、

検定は、教習を受けた同じ日には受けられなくて、

必ず新しい日の一番初めに受けさせられる

まり、教習で少し調子を整える、ということができない

スピードをついつい出し過ぎたのはそれがあると思う

教習所側の意図でもあるらしい

グループの二人目が運転してる間は、自分適当な部屋で待たされ、

それが終わると、三人目の運転の後ろに座る

事前の説明で、運転者 (受験者) へのアドバイス絶対にしないことと言われた

何のために座るのかやはり分からない

先に言った事情からグループ自分以外はともに女性であった

人の運転に付き合って、女性の人の運転はとても優しい (つまり遅い) のだなと感心した

自分なら、いくらカーブでもここまで落とさないのに、という速度だった

15キロ10キロくらいまで、カーブの手前までで落とせと習った気がする

速度を落とすときにいちいち速度計はみないが、

自分は、許されるぎりぎりまでしか落とさな

まりせっかちなのだ

から、ここまで、自転車に追い抜かれるような速度までわざわざ落とすのだなあと感心していた

S字・クランクについて、この教習所コースには2つある

1つめは、右折で入ってクランクをして、細い道を横断してS字に入り、左折で抜ける

自分はこの、S字から左折に抜けるときに2回だけ脱輪をしたことがあるので、苦手意識があった

検定では運良く、2つめを一度通るだけで良かった

2つめというのはちょうど1つ目の双対で、左折で入ってS字を通り、細い道を横断してクランクを通ると右折で抜ける

右折のためには左車線を垂直に横断するので、脱輪のチャンスが減り、1つ目に比べて容易なのである

三人目のコースもやはり、この2つめの、クランク・S字であった

初めのクランクで後輪を脱輪した

教官が、バックして戻して、と指示し、少しバックしたが、コースを正さず、全く同じコース前進するものから当然ながら同様に後輪を脱輪した

教官は脱輪を気にせず先に行くよう指示した

検定の事前の説明では、脱輪した場合は、バックしてコースを正せば良いが、

脱輪したまま進んでしま行為は即座に検定を中止する行為だと説明していた

それを教官が指示したということは、そういうことらしかった

その先のS字を無事抜け、その後は踏切坂道のはずだったが、

そのまま発着所に行くよう指示し、終了となった

ネット (知恵袋) の話によると、全てのルートを完走した場合は、またその場合に限り、

検定は合格だと思って良いらしい

狭いロビーで30分ほど待たされる

壁に1から50くらいまでの番号のついたランプがあり、合格者は点灯によって知らされる

(平成時代だというのにね. 趣があって良いが)

残念ながら三人目は不合格であった

3,4人、ランプがついていなかった

ちゃんと数えてたわけじゃないけど

合格した人は教室に集められ、学科試験を受ける

暗記科目はもともと苦手であるが、今だけ (卒業する二週間後まで) 覚えさえいれば良いという覚悟で、つまり一夜漬けの要領で勉強していたので、何とかなった

その日に仮免 (少し綺麗な印刷物ビニールケースに入れられているだけのもの) を交付され、

さっそくその日から路上教習が始まった

2016-01-13

Web公開は同人誌より格下なのか

Web上に二次創作小説を公開しています

同人誌価格の話でたまに

趣味なのになんで金取るの? 見て貰いたいなら無料ネット公開すれば?」

「は、ナニ言ってんの印刷だって金かかるんだよ有料頒布だって赤字だよ」

「いいものにはちゃんと金払えよなんでも無料で手に入るって思ってんじゃねえよ」

みたいな議論を見かけるのですが。

なぜかこの手の話題ときに、

Web無料公開の作品なんて、ちやほやされて喜んでるけど無料じゃなきゃ読んで貰えないカス作品しかないだろ」

て感じで、流れ弾的にdisられることがある。

ネットが普及して無料で読める作品がたくさんあるから読み手がそれに慣れてしまって、自分作品まで無料しろ文句を言われて困るという話も聞く。それは確かに嫌なものだろう、でもそれって、Web活動してる人間が悪いんだろうか?

そもそも二次創作同人って、原作が好きで、その原作ベース自分ドリームを乗っけた作品を書いて、それを同好の士と分かち合いたいから印刷して本って形にして頒布してたんですよね。んで、形にするのにお金がかかるから、その一部を読む人にも負担して貰おうってことで有料になってるんですよね? 少なくともタテマエ的には。

インターネット普及以前には、書いたものを沢山の人に読んで貰うにはそのやり方以外に無かったのだろうけど、いまはそうじゃない。むしろ同好の士と分かち合いたい」という原点に立ち返るなら、読者数を限定されないWeb公開のほうが、ピュアなやりかたと言えるかもしれない。(Web場合、見たくない人の目にまで見えてしまうという問題はありますが)

もちろん、即売会に参加して生身でやりとりするとか、表紙デザイン装丁にこだわるとか、作った物にお金を出していただく喜びを噛みしめるとか、有料頒布印刷物を作ってないと体験できない楽しみが沢山あるのは知っていますが、それは派生的なものであって、二次創作の本筋ではないよね。

それを含めて同人誌作りの楽しさだと語ってくださるのは構わない。楽しそうでなによりだと思う。

でも、それこそが同人活動の楽しみだ、という主張には頷けません。

同人誌を作る人もいれば、Web公開を選ぶ人もいる。それは個人の選択であって、どちらが上とか下とか、他人が格付けすることじゃない。

印刷物としての同人誌が好きだからWeb公開じゃ満足できない」って人がいるのはわかるし、好きにすればいいと思う。でも「同人誌をつくることこそが二次創作の本流、Webでだけの活動は格下」と見下す人が多いのは、どうにも腑に落ちないぞ。

2015-09-03

五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言


五輪エンブレム白紙に戻った。

この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授純丘曜彰である

反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。

エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で

純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。

筆者の感じた純丘氏への疑問とは、

「明らかなデマの流布」「度の過ぎた個人的感情の表出」

そして「独りよがりデザイン論」「デザインに関する知識不足である



明らかなデマの流布


東京オリンピックエンブレムはもう無理筋8月10日

http://www.insightnow.jp/article/8591


瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である

デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、

純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。

以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である


ニーチェの独文の警句英文引用して、名前綴りコピー元のままに間違っていたり

(page:2 より)


Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、

その最後名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、

すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。


このニーチェの脱字の件は、丸ごと事実誤認なのである

Pinterest綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。

ここで問題なのは佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。

事実誤認、それも2ちゃんねるが発信源である単純なデマを、

純丘氏はのまま引き写して記事構成しているのである


この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、

ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。

純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである

最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。


このような杜撰情報収集と決めつけで書かれた文章

大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。

論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが

こんなお粗末な方法文章を書いている人物が学生論文指導をしているのはいかがなものだろう。



度の過ぎた個人的感情の表出


オリンピックに潜り込んだゴキブリたち」8月20日

http://ironna.jp/article/1881


あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。


この記事の、黒い生き物の比喩を用いた執拗レトリック

およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。

まるでいやな気分にさせること自体目的ひとつにもなってしまっているようだ。

純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。

だがそれは個人的感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。

大学教授美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。

識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。

騒動の中、感情ほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。

これ以降、掲示板でもエンブレムゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。



独りよがりデザイン


佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」8月26日

http://www.insightnow.jp/article/8644


もはやリエージュロゴからの盗用かどうかは関係なく、

ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。

疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたもの

超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、

この他者制作物に対する容赦ない物言いは、おそらく氏の、

デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。

むろんそれ自体問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、

己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは

それこそ「無理筋」ではないか、と言葉を返しておきたい。


孤の中心がロゴの中心にある限り、この2つのパーツは、このロゴの四隅以外に配置することは不可能である

(1. 形態問題:パーツの寄せ集め より)


この一文の含まれ段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら

ぜひ翻訳してほしい(もちろん逐語的な理解はしている)。

「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデア否定するのが目的のようだが

なぜそこに「無理と矛盾」(純丘氏)があるのかわからない。

9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?

さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、

あのアニメーションのどこに無理と矛盾があるというのだろう。


黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス悪趣味

(2. 配色の問題ナチスフラッグ色 より)


ここは純丘氏お得意の表象である

解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。

エンブレムを仮に芸術ひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。

しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザインである

デザインとは、提示された課題を〝解決〟するものであって、

アートのように何ものからも束縛されない自由意志構成、配色したものではない。

見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレムであるという情報とともに接する、

そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。

解釈といっても常識的範囲がある。


佐野エンブレムスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。

が、「ナチスフラッグである、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは

エンブレム出自コンテクスト無視した悪意のあるミスリードしかない。

ゴキブリ画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがり解釈

強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。



デザインに関する知識不足


どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視RGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷YMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり

(上掲「佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」page:3 より)


デザイン生業としている人、その周辺に詳しい人で

この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。

この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを

結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである


CMYK を「YMCK」としているところはご愛敬だが、

純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。

発表されたエンブレムRGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、

色指定の要領を知らず、特色を用いてしまっているらしい、

佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、

あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……


RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり

CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である

RGBCMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである

RGB ベースでできている」もなにもない。

ウェブでの使用に向けてロゴを配布するならば RGB だし、

ポスタープログラム印刷するなら CMYKデータを用意する。

純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、

デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。


ここに、さら意味不明な特色のくだりが加わる。

特色というのは印刷インクの一種で、

通常のプロセスカラーCMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである

エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこから情報かわからないが

(筆者は見たことがないので、まずはそのソース問題である)、

それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。

RGBCMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用現場に応じて「自然に」決まるのであって

雑誌カラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである

媒体や場面によっては、予算や仕上がりを考慮した上で

金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。

もちろんそのために CI マニュアルのようなものがあり、

特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、

4色で表現する場合はこの CMYK 値、

そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。


・特色番号(印刷用)

CMYK 値(印刷用)

RGB 値(映像用)


純丘氏の言葉を再掲する。

以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナー想像できるだろうか。

すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定CMYK 値)のない、

そのような色指定が本当に存在するだろうか。

純丘氏の作為産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。

むろん常識的デザインの知識さえあれば、

このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも

デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。


RGBベースでできていて(略)「特色」の金銀が入っている



最後


大阪芸術大学教授純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。

佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど

エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、

このペダンティック解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、

エンブレム白紙化の力のひとつになったと考える。

芸術デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、

この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、

己の求める結論佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉作為的イメージを用いて

流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。


ここには、筆者の知る事実デザインとその周辺に携わる者なら誰でも知っているような知識から

明らかにおかしいと思われるものについてだけ論じた。

五輪エンブレム騒動の中で交わされた、デザインに関する言葉への理解一助となれば幸いである。

2015-05-08

アクセス解析のPtengineのヒートマップ情報は公開される

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ヒートマップの設定をするとき「当社が定める方法」ってがわからなかったし、有料版についても別途の利用規約があるわけじゃなかったから、有料版も公開されるっぽかったけど。

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勝手掲載されることに利用規約で許諾しているんだから当たり前だけど。

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2014-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20141014094428

1999年情報通信白書ネットに落ちてたんで見てみたけど

http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h11/pdf/H11_07_C2E81BECF.pdf

印刷物を取り込んだだけかよ時代を感じるなこれ)

36ページによると、1998年冬の時点で女性率は25.6%だそうで。

調査によって違う(というかアンケート調査なんで元々信頼性は低い)とは言え、男9:女1はないわ。

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