はてなキーワード: ファミレスとは
地方のファミレスって配膳ロボ以前からフロア一人とかでやってる印象がある
サイゼリヤなんか厨房の方から全く物音聞こえてこなくて、もしかしてワンオペなのかって時もあったりする。
でもあなたが書いてる通り、お客は結構なサービス水準が当然って思っているから
繁忙の時間帯になると、下げられない皿、呼んでも注文取りに来ない、出来上がりが遅い、会計が無人……とかで
客の方も全体的に殺気だってくる……
それにキーボード繋げられたら、キーボードで入力した頼む方がめちゃくちゃ早く注文スムーズにできるよね。
(追記)
自分のキーボード持って行けば良くない?増田ぐらいのギークならコンパクトなBluetoothのもってるっしょ?
それと繋げられたら注文めちゃ早くできるよね!ってこと
郊外のファミレスで作業衣着たおじさんが1人で飯食ってても違和感ないけど、おまえらみたいなチー牛みたいな風貌のオッサンがテーブル席で1人で飯食ってたら不快だっつってんだよ
某有名全国チェーンファミレスのフロアスタッフとして働いてる立場から言わせてもらうと、
確かに便利っちゃ便利なんだけど・・・、あくまで「配膳しか」できない。
当たり前だけど、ご案内も、会計も、中間下げや最終下げも、配膳以外の業務は一切できない。
しかも、料理をロボットに載せるのも、どのテーブルに向かわせるかのデータ入力も全て人力。
仮に人間で例えるなら、体感的には人間0.1人分くらいの戦力でしかない。
それなのに、本部は「ロボットがいるから人間いらないよね」ってことで人員を削減しまくる。
(勿論、単純な人出不足という面もある)
例えば、今まで3人のスタッフで通常に管理できていたフロアを、ロボットを1人分とみなして、スタッフ1人+ロボット2台に置き換えられる。
そうすると、人間(1)+ロボット2台(0.1×2)=1.2人分の戦力。
3人でこなしていた作業量を、1.2人分でこなさなければならない。つまり残りは1.8人分。
ということは、1人で2.8人分の作業を全て担当する羽目になる。
明らかに作業量過多。でも何度マネージャーにそれを伝えても何も変わらない。
何故なら、それはマネージャーの判断ではなく、本社の方針だからだ。
よく、「配膳ロボットの導入で従業員の負担が減った」だなんてニュースがあるけど、そんなのは嘘っぱち。
でも客はそんなこと知ったことじゃない。今まで通りの速さで、正確な、高いクオリティの接客を要求してくる。
生身のスタッフが3人で回していた頃と同じように。
3人の作業量をほぼ1人で回さなければいけないスタッフに向けて。
糞共が。もうやだ。
(追記)どこかの誰かが「フロアスタッフの数を減らしてない」と言ってますが、嘘です。減らしてます。
少なくとも、俺の住んでいる地域の全店舗はフロアスタッフ1人で回してます。(回せてないけど)
ちなみに配膳ロボットについてもう少し詳しく説明すると、「配膳」ロボットなのに全ての料理を配膳することはできない。
例えば、アルコール類のジョッキやグラス、パフェグラスみたいな縦に細長い容器を使うものは不安定で倒れる危険性があるので載せられない。
あとはコース料理みたいなセットは一部、店員が直接持っていくようにという謎ルールが本部から指示される。ついでに言えばお子様のオマケとかも同様。
料理を載せて、テーブルの番号を手入力。その後、発進ボタンを押してようやく出発。あくまで予想だけど、この辺の操作はどの機種でも大体同じだと思う。
割合 | 感想 | |
未婚⭐️ | 50% | - |
既婚:子有 | 29% | ブクマカなイメージ |
既婚:子無 | 14% | - |
未回答・その他 | 7% | 多様性 |
金額 | 割合 | 感想 |
50,000円以上⭐️ | 31% | 子なし多いし、こんなもんだろ感 |
40,000〜49,999円 | 11% | - |
30,000〜39,999円 | 11% | - |
20,000〜29,999円 | 19% | - |
10,000〜19,999円 | 15% | - |
0〜9,999円 | 13% | - |
年収 | 割合 | 感想 |
1000万以上 | 15% | 世帯年収なら違和感ないけど、未婚者多いメディアなんだよなぁ・・・😒 |
800万以上 1000万円未満 | 13% | 年収でも違和感はない |
600万以上 800万未満 | 19% | エンジニア多いのでこんなもんだろ感 |
400万以上 600万未満⭐️ | 25% | エンジニア多いのでこんなもんだろ感 |
200万以上 400万未満 | 19% | - |
200万未満 | 9% | - |
数値化出来る積み重ね・拠り所が無いひとほど
年齢でマウント取ろうとしたり、有配偶や子どもでマウント取ろうとしたり、気の毒ななりすまし(出来てない)属性でマウント取ろうとしたり、
結婚前に夜職で働いていた顔の整った母親は、離婚後また夜職に復帰した。
直後に知り合った妻子持ちで一回り上のおっさんに水揚げされ、マンションの一室を借りてもらい私と母はそこに住んだ。
メンタルがあまり安定していないおっさんは、母親の見えないところで私のことを低頻度に重たく虐待した。
押し入れに閉じ込め、布団用のビニール袋に閉じ込め、自力で降りられないタンスの上に座らせ飛び降りさせ、水を張った洗面台に頭を押さえつけ、手足をガムテープでぐるっと巻いてベランダに出し、また別の日には雪の降る深夜にパンツでベランダに出し、鼻血が出るまで頭を叩く。
紙ガムテープで巻きが少ないと案外蒸れで剥がれるのと、ベランダで排尿するとめちゃくちゃ臭いシミになることを知った。
あまりの寒さにプランターの土の中に足入れたら暖かいかな?と思いつつも虫が怖くてできなかった覚えがある。
雪ベランダ鼻血事件は雪国とかではなく東京住まいだったのと、さすがに母親が見つけて止めたので大事にはならなかった。
大人になって聞いたけど、ベランダに出されたこと以外のことは知らないらしい。
ただ、普通のベランダ事件の時は「余計怒らせそうだったから、奴が帰ってから申し訳ない気持ちでベランダを開けて助ける形になった」と言っていた。
その場ですぐ助けないならそのどうでもいい反省文は正直一生聞きたくなかった。
どうにも家賃と光熱費をおっさんが払っていないらしく、ライフラインが止められ、やくざのような振舞いと見た目の大家と保証会社と不動産が頻繁に家に来るようになった。
私と母はクローゼットに隠れる術を覚えた。
これぐらいの頃から母親はおっさんと別れる別れないの話をしだしたらしい。
私はと言えば学校で毎日行われる帰りの会での1分間スピーチが嫌すぎて不登校になっていた。
なんだかんだあって引っ越すことにはなるが、道を一本挟んだ先なので引っ越し後も保証会社の怒涛の取り立ては続いた。
顔がよくできている母親にはマイルドに接する保証会社の人間が、当時まだまだガキの私に当たり散らすのを見て結構引いた。
引っ越した後の母親は夜職に復帰することはなかったが真面目に働くこともなかった。
バイトの面接を受けて合格しても行かない、そもそも面接もばっくれたり、
ちょっと続いたかと思えば何の仕事か知らないが収入ムラがかなりあるいかがわしそうなバイトで、帰ってきて深夜にコンビニやファミレス、ドンキで何千円も買い物したりした。
ただ正直子供心にこの深夜おでかけは楽しかった思い出でもある。
でももちろんそんな浪費をしていれば払うものも払えないので今度は完全に母親の責任で家賃を滞納する。
お小遣いも一応もらっていたが、結局生活費にされたり、買ってもらったゲームも「お前は何もしないんだな」と売られた。
こう考えると今の世のダウンロード販売って最高!
母子家庭に数か月に一度振り込まれる給付金のようなものがあり、
中学校の制服はそれで買う予定だったのだが保証会社が区役所に電話して「住んでいるか・生きているかわからない」などと宣い期日に振り込まれず、私は以降自分用の中学校の制服を手に入れることはなかった。
結局制服はレンタルできたので困ることはなかったのだが、まあ生活でも躓いているし徒歩で行くにはちょっと学校が遠くてだるくて結局ろくに通わなかった。
住んでいる部屋の向かいの部屋が大家さんがサブで使っている部屋で、時々鍵が開けっ放しだったのもあり電気を拝借したり食べ物を盗んでいた。
あまりに困窮していたのでその事象を当時は受け入れなんなら楽しんでさえいる瞬間もあったが、まあ普通に全然マジで到底許される行為ではない。
そうこうしているうちになんだかんだで生活保護を受給することになる。
元々治療法が確立されていない(ただし死ぬようなものでもない)病を持っていた母親と、義務教育の娘が居るというのもあり爆速で受給が決定。
更に引っ越した先では保証会社が取り立てに来ることもなく、母親が持ち前の癇癪を起こしたり暴力を振るう以外はあまり問題なく比較的穏やかで人間的な生活が送れる、かと思った。
母親が一週間全く眠らないままインターネットでナンプレをしては気絶したように眠り、眠っている間に急に痙攣して吐血するようになった。
また、浪費癖は別に治っていないので最低限の生活費を頂く生活保護下では普通にゴリゴリに困窮していた。
なんなら母親は喫煙者だったので、外で吸えそうな吸い殻を拾ってこいと怒鳴られたし、
さらに言えば近所のスーパーでめちゃくちゃ万引きさせられていた。
その影響かは分からないがめちゃくちゃ防犯カメラが増えたのと、数年後にそのスーパーはなくなった。
全然勉強していなかったがやればちょっとできる人間なのが幸いして近所の高校には合格した。
制服も買えたし、彼氏もできたし、一応月のお小遣いをやりくりして友達と遊ぶとかができたので学校生活は今考えても中々満足している。
ただ母親は不眠症もひどく、登校日の夜中30分おきに私を起こして起きなければブチギレるのは勘弁してほしかった。
twitterにそれを若さゆえのめちゃくちゃな暴言で愚痴ったらバレて携帯を折られた。
彼氏と親戚に泣きながら電話して、彼氏のご両親の計らいで泊まらせてもらった。
深夜に警察から電話がかかってきて、覚せい剤所持で母親が逮捕されたとのことだった。
まあガッツリ使用もしていたようなのだが、緊張で全く採尿できず、できる頃にはもう検出されなかったとかで使用の罪はつかなかったらしい。
やたら外に吸い殻を探させに行ったのはガラスパイプで覚せい剤を吸うために家から追い出したかったからだった。
しかもきっかけは、新居にも持ち込んでいた旧居からあるかばん。
「以前付き合っていた(この記事では冒頭に出てきた)おっさんのかばんにガラスパイプと少量の覚せい剤が入っていて興味本位で」だそうだ。
私の人生、正直このおっさんが居ないだけでもっと色々違う気がしてくる。実際どうかは知らない。
でも「興味本位で手を出した」だと罪が軽くならないとかで「交際男性に性交感覚を高める目的ですすめられた」ということにしたらしい。
裁判にも出廷したが、制服で出廷するのはめちゃくちゃ目立つのでおすすめしない。あと傍聴席意外と人間がたくさん居る。
この覚せい剤事件、当時はあまり私の心に傷を残していないのだが数年後じわじわと着実に蝕んできた。鈍感。
彼氏には罪状を伝えていたが、ご両親にはさすがに言えなくて、でも逮捕されたことだけ伝えた。
マジでいいご両親だった。
2か月半ほど留置された母親は懲役1年6か月執行猶予3年で桜が散った頃に出てきた。
初犯は大体この感じで出てくるらしい。
あの日々の暴言と暴力が覚せい剤のせいだったらと願ったが別にそんなことはなかった。
たださすがに悪いと思ったのか母親もやや大人しくなり(当社比)覚せい剤分の出費が減ったおかげで生活はやや楽になった。
一方私はバタバタ生活保護になったこともあり進学を希望していたが、そもそもできるのかよく分からないままモヤモヤしつつ就活をした。
1つもらった内定は面接時点で分かる驚きのブラック加減で、高校の進路室の先生が辞退させてくれたものの以降内定をもらうことができないまま卒業。
彼氏の母親は熱心な宗教2世で学会に入らないかと親子ともども勧誘を受けて最悪だった。
それが理由じゃないけどしばらく後に別れた。
1年ガチニートをキメたあと、親戚の伯父に頼んで教育ローンを借りてもらいつつ(返済は自分)奨学金も借りて専門学校へ進学。
生活保護上の世帯分離を行っているので、いくらかは納めないといけないがバイトもしてある程度お金に自由ができて楽しかった。
が、やはり就職できないまま卒業してしまう。160時間のインターンを乗り越えて尚落ちる。落ちたけど外注の仕事(報酬はゴミ)はいくつかもらえた。
ただこの就活失敗から親と教育ローンの借主である伯父との関係は最悪になった。
生活保護課の人間にも説明はしたので教育ローンの返済を伯父にしているのは容認してもらっているし、
バイトは継続していたので控除額で大半は払えていたがまあ「進学しといて就職できないゴミカス扱い」がひどく最終的に私は親戚と連絡を断絶した。
私がもちろん悪いのだが、如何せん死んだ方がマシ、生まれたことが失敗レベルの暴言を毎日4時間電話で親と親戚が話しているのを聞いていればそこそこ首を吊りたくなるのには充分だった。
ちなみにこの伯父は私の月々返済している教育ローンと同じぐらいの額面で、奥さんに内緒で借入中であるレイクの利息をうちの財布から払っている。(2023年現在も)
一定時期からインターネットきっかけで彼氏ができる。(直接会ったりする健全なお付き合いである。)
2つ3つほど年下だったので、相手の就職タイミングぐらいで同棲できたらな...というのと、区役所の圧もあるので就活に乗り気になった。
相手が就職したタイミングで転職しやすいぐらいの年数働いて、同棲できたら社会的にも真っ当になれるしいいことづくめだなと。
なっが~い年月同じ場所で働く気でもないのでかなり気楽に就活して、数か月後に内定をもらった。
めっちゃ嬉しかったけど、分かってくれたのは彼氏だけで親や親戚には「なんで今更?」「時期が悪い」「保護費に(調整が入るので)差し支える」と散々だった。
で、最終的に4日でやめた。
実際、勤務初回2日のあと3連休があったが休み明けも普通に出勤した。
内定承諾書の保証人欄に署名してもらえる人間が居なかったからだ。
伯父は無理でもさすがに親にはお願いしたが「続くかわかんないもんに署名はしない、お前のことなど保証はできない」とのことだった。
会社の人に誤魔化しつつも書いてもらえなかったと説明した時の空気が耐え切れなくて次の日から行けなくなってしまった。
就職に合わせてバイトもやめてしまったので控除もなくまるまる保護費からのローン返済で生活はカツカツになった。
ちなみに数年後、この4日のうちに仕事を覚えるべくめちゃくちゃとったメモを親が発見して「こういうの見してくれれば署名したのに馬鹿だなw」と言われた。
あとこの時のインターネット産彼氏はモラ気質がすごくて最近別れた。
数年前にここで愚痴記事書いたら思ったより多くの人に読まれ、焦って消してしまったレベルのモラだった。
元々私はインターネットで創作活動をしており、しばらく後にはそれで小銭を稼ぐ機会に恵まれ始めた。
けどこのお金を正しく申請すればローン返済の足しにはならない。
申告時期に使用していなくてうっかりと申告していない銀行口座がある。そこに入金してもらえばバレなかった。
ローンの返済がそっちで賄えるようになってから生活は楽になった。
でも相変わらず毎日首を吊りたいし、親や親戚の死ね圧は消えない。
いまだに人間としての扱いをしてもらえず、親が呼べば何をしていようが駆け付けねばならない。
たとえその用事が親の手の届く範囲にあるペットボトルを渡すことでも。
何かに疑問を持ったり、機嫌を悪くしたり、大きな声で喋ってもいけないとされている。
そうしなければ所持品はすべて捨てられめちゃくちゃに暴力を振るわれる。
いつ区役所にばれるかも分からないし、税務署も怖い。でもローンは返済しないといけないし家を出ることもできない。
就活に使える己の自信なんてとうにない。色々アングラすぎて人には相談できない。
どうしたらいいんだろうなこれ。
親と別で受給とかできたら、きちんと全部申告しつつ生活もできていずれ自立とかできるのかな。
別で受給とか無理そうだけど。急にスパダリとか沸いてこねえかな。
アングラ部分についての批判がもっと出るかと思っていたので少し安心しました。
他所の機能不全家族がどうかは分かりませんが、少なくとも母親の機嫌次第では我が家は笑って過ごす日もあります。
また、ちょうど比喩として首を吊りたくなった直後に書いた記事でしたので、母親の負ばかり取り上げていますが私自身も逃げ癖アリ意気地ナシなどの問題を含みます。
現在の形は結局不正受給にあたるため今後どうなっていくかは分かりませんが、読んでいただいた方々ありがとうございました。
仰る通り、今になって思えば他に打つ手があったなと感じています。
40代男。妻子あり。転職活動にまつわる様々で日々へとへとになっているある日、駅前で立憲民主党の女性議員が演説をしていた。僕が見たときには先輩と思しき男性議員がマイクを持ってこんなことを話していた。
「女性が差別される、報われない、この社会を変えていかなければならない」
「LGBTQへの理解を進めて、多様性のある社会を実現していくために、今こそ**議員のような人が……」
直感的に、ほとんど本能的に「こいつ嫌いだな」と感じた。女性であり、多様性を訴える新人議員の仮想敵は当然ヘテロ男性である自分のような層だ。「あなたたち、どきなさい。あなたたち男性が、不当に私たちの権利を侵している」。そんなことを言われたように感じたんだろう。もちろん、ちょっと冷静になれば若手議員の訴えるのは社会の変革であって、自分のような個人を攻撃しているのではないことくらいわかる。だけどその時は疲れていて、「女性である」というラベルを全面に出して演説されると直感的に「あなたたち男性が悪い」と攻撃されているような気分になった。
「こいつ嫌いだな」と感じた自分がすごく嫌だった。自分もリベラルを自認する人間だし自民一強が続くのはどうかと思っている。にも関わらず、「なんかこいつ嫌い」と感じたのは、一つには自分が疲れていたからだろう。
転職活動でへとへとだった。前の会社を納得のいかない理由で解雇され、行き場のない怒りを毎日感じながら転職活動をしている。資格取得のために勉強しているが、家には居場所がないので図書館やファミレスを転々としながら勉強している。家族からの目も冷たい気がする。気づかないふりをしている。そんな中で↑のような演説を聞いた。「お前ら男性のせいで私たち女性が苦しんでいる」と言われて「いやいや、俺は既得権益層ではないよ」「弱者はむしろ今の僕だよ」と感じる。自分も軽度だが障害を抱える人間だ。しかし自分はそのことを声高に人に言ったり訴えたりしない。そういう「自負」があるから逆に、マイノリティであるというラベルを声高に訴えるあの新人議員の言葉に過敏に反応してしまったんだろう。
応援の先輩議員からマイクを渡されて挨拶する新人議員の言葉は本当にたどたどしくて、「まだまだ勉強中ですが」「これからの私ですが」のようなことばかり言っていた。なら勉強が終わってから選挙に出て来い。……とは思わないようにした。
こんな簡単に対立とか断絶って生まれるんだな、ちょっと疲れてたってだけでこんなふうに感じてしまうんだから、本当に「自分こそ弱者だ」「報われていない」と感じている人たちからすれば、あの新人議員は凄まじい憎悪の対象になるだろうな。「あいつこそ俺のパイを奪おうとしている悪だ」--。
そんなことを考えた。
僕も学生という身分が無くなって自分で働かなきゃならない責任感や、もしブラック企業だったらどうしようとか思って今時期は落ち着かなかった。
でも、結局正社員として働いたほうが、学生でバイトもしなければならない時期からしたらだいぶ楽だったね。
もちろん人によっては酷いブラック企業に入ってしまったとかあるので一概には言えないが、
学生時代に何個かバイトしていた時とくらべると、バイトのほうが酷い待遇だったなあと思う。
実家が太ければそういうことないけど、生活費を稼ぐために学校行ってないときはバイトしなければならない人もいるし、バイトをしていないときは学業をしなければならない。
この掛け持ち生活はしなくていいのは良かった。
僕は実家は大学から近かったが、家は出てシェアハウスみたいに暮らしていた(実家を出てみたかったから)
あと、親は18超えたら学費以外何もしねぇって方針だったので、運転免許とか教科書代とか定期代とかは自分で頑張らなくちゃならなかった。
バイトは替えがいるからとおもっているのか、大体どこも酷かったぜ。
ここは結局面接でバイト落ちちゃったんだけど、いまだに燃えるような怒りを持っているんだよ。
面接に行ったときに、愛想よく笑顔で面接を受けようと心掛けたわけだ。
ファミレスの客席で面接がはじまったんだが、バイトの人一人を同席しての面接らしいんだが、そのバイトの人がすげぇ不愛想で挨拶も返さない感じで
で志望動機とか聞かれたから、「今までファストフードとかの経験があり、お客様と接する仕事はとくいなのでー」みたいな話をしたら、店長が遮ってきて「で、正月働ける?」って聞いてきて
僕は「正月は実家に帰りますので、ですが冬休みもギリギリまで働けますし、GWでも」みたいなことを言っている途中で「いや、正月働けない人はいらないから。はい終わり」って席を立った数分で終わったんだけど
店長が去り際に、「で、あんた学生でしょ。ヘラヘラした受け答えでやってけるとおもってんの?そんなんでどこでも働けないからね」って言われて…
今までこの笑顔でファストフードバイトでも結構評判良かったのに、今までの経験をひっくり返されたことと、高圧的に一方的に不合格言われたのにそんな最後に捨て台詞言いやがって…っていう思いで
その日は家に帰ってマジ泣きした。鬼殺し飲んでマジ泣きした。
ここはバイト受かったんだけど、ここは本店で合同で研修をやる制度で、そのあと、近隣の店舗で見習いとしてホールで仕事をした。
で、最終的に近隣の店舗のうちどこかで人が足りないところに配置されるので、そこの店の店長から連絡が来るので待っててって言われて
かれこれ10年以上たつけど未だに連絡がこない。
正直、すごい店長たちが高圧的で、このままやめたいとも思ったので、良いんだけど、
フェードアウトってどうなの
電話しようかと悩んだけど、「お前は使えないからどこでもいらないわ」とか言われたらもう立ち直れないと思ってあえて電話しなかった。
なお、レンタルビデオ店ですぐにバイトが決まったので大学卒業までそこでお世話になることになった。
レンタルビデオ店は環境も人も良かった。売り場設計とかまかされたけど時給と拘束時間を考えれば、普通に今の仕事のほうが楽だわって思う。
同世代がいるから学校みたいな感じで楽しいというのがあったが、今思えば酷い。
人が足りないとき、7時から9時まで 12時から14時まで 17時から19時まで みたいに細切れに長い休憩を挟まれて、長時間労働を実現させられてたよ。
あるとき、大学生のバイトの母親がガンの手術があるので病院に行くことになったから、シフトに入れないということになったとき。手術終わったら来てっていう社員ね。人の心ないんかって思った。
別の話では、年上のバイトの人たちが、フリーターとして働いているんだけど、昔は別の会社で正社員で働いていたと聞いた。
でも、店長が「やめないで…日曜だけでも来て…」っていってズルズルやってたら結局仕事に身が入らなくてフリーターになったっていってて、それが4人くらいいて。こわって思った。
他にも、僕の携帯をこっそりカバンから取り出して盗み見する大学生とかいたり、社員がバイトの女の子と不倫をして閉店後の深夜の店舗でSEXしたとか自慢していて、「こいつらやべぇな」って思ってきてやめた。
若かりし頃の話だ。ちょっと語らせてほしい。気持ちの整理がついたのだ。チャンスは今しかない。
当時、大学四年生だった俺は、いわゆるネトウヨに堕ちた。就職活動に失敗し、大学院受験にも失敗し、にっちもさっちもいかなくなり、卒業後はフリーターとして生きる未来がほぼ確定していた。
悲しいかな、自惚れが強い性格だった。ネット上で言うのは最初で最後になるけど、十数年前に慶応義塾大学で法律や経済のことを学んでいた。専攻は不動産登記とか、土地や建物の取引関係がメインだった。成績はまずまずで、サッカー部(※厳密には違うがサッカー部という名称を使う)では補欠だったけど全国大会に出た経験があったし、就職活動が失敗することはないと思っていた。、結果はこのザマだ。
日系企業を主に受けていた。第一志望だった総合商社はもちろんのこと、メーカー系もマスコミ系も金融系も20〜30社受けたけど、ぜんぶダメだった。大手も中堅もすべて。中小企業の内定は取れたが、プライドの高い俺はすべて辞退した。
面接まではとんとん拍子なのだ。大学名がよかったからだろうか、エントリーシートを適当に書いても、SPIの勉強をしなくても、とにかく面接までは辿り着ける。しかし、内定を取ることはできなかった。
今思えば、あの時の自分程度の実力では、まともな会社から内定を取ることはできなかった。30代半ばになった今の率直な感想だ。確かにサッカーはできたけど、精神はぜんぜんなってなかった。今やっている『ブルーロック』のアニメでいうと、実力のない馬狼照英みたいなものだった。
で、結果がネトウヨだった。大学四年の秋〜25才頃までなので、約三年ほどネトウヨに堕ちていたことになる。
今では黒歴史だ。『国民の知らない反日の実態』とか、圧倒的眉唾感のサイトがあるだろ。ああいうのを見て、中央省庁にテンプレメール送ったり、韓国人や中国人の応援をしてると思われる国会議員をディスったり、mixiやGREEで反日活動を認定されたアカウントに突撃をかけて垢停止になったり、とにかくクソみたいな人間だった。
今思えば、いろいろと失ってしまって自暴自棄というか、自分も他人も大事にしない状態だったんだろうなぁ。当時の俺は。
ここで、大学時代に読んだ本を引用したい。約二千年前の、ローマのネロ帝の家庭教師ポジだったセネカの書いた『生の短さについて』だ。
長いけどすまんな。先に要約しておくと、苦しい立場に陥った人間は何かにつけて逃避行動に出る、みたいなことが書いてある。なにげに、現代の異世界転生ブームを予見している感がある。特に『オーバーロード』なんかの異世界転生+光属性の人間が死にまくるようなコンテンツが流行る理由がわかった気がする。
すごく長いけど、可能な限り要約してここまでだった。
さらに、さほど移り気ではないが、その一貫性が恒心のゆえではなく、懶惰のせいであり、自分の意欲するとおりの生を送るのではなく、始めたとおりの生を送る者も、この範疇に加えるとよい。症例を次々に数え上げればきりがないが、この病態の結果は一つである。自己に対する不満がそれだ。その由って来る因は、心の平衡の欠如と臆病な欲望、あるいは完全には満たされない欲望である。望むだけのことを思い切ってできなかったり、望むだけのことを達成できなかったりして、すべてを希望に託す場合がそれに当たる。そのような人間は常に不安定で流動的であるが、何事においても中途半端な者の必然的な結果である。彼らは自分の願い事を手立てを尽くして達成しようとして、不名誉なことや困難なことまでみずからに唆し、強いるが、苦労が報われなければ、願いが叶わなかった恥辱感に苛まれ、しかも、歪んだものを望んだことを嘆くのではなく、望みが徒労に終わったことを嘆くのである。そのとき、彼らは挫折した目論見への後悔の念にも、また、新たな目論見に着手することへの恐れの念にも捉えられ、その精神には、欲望を制御することもできず、かといって欲望を満足させることもできないために、出口を見出せない心の動揺や、思いどおりに展開しない生への躊躇、断念したさまざまな念願の中で無気力になっていく心の沈滞が忍び込むのである。苦労の挙句の蹉跌に嫌気がさして、閑暇の生や孤独な学問研究に逃げ場を求めたとしても、こうした心的状態はどれもますます耐えがたいものになる。公人としての務めを果たそうと意気込み、行動を望む、生来落ち着きのない精神は、当然、みずからの内に見出せる慰めがわずかなために、そうした閑暇な生や孤独な学問研究には耐えられないからだ。世間的な仕事に奔走しているときにまさにその仕事から得ていた喜びが取り去られると、みずからの家に、孤独に、取り囲む壁に耐えかね、一人取り残された己の姿を嫌々眺めるのは、それゆえである。落ち着き場所をどこにも見出せない精神の揺れ、そのような精神への倦怠や不満、そしてまた無為の生に耐える悲しくも病める忍耐は、ここに起因する。そうした状態の真の原因を認めることを恥じて、羞恥心が責め苦を内に向け、心の片隅に閉じ込められたさまざまな欲望が捌け口もなく互いを窒息させ合う場合がとりわけそれに当たる。そこから生じるのは、悲哀や憂鬱であり、また、希望を抱いた当初はどちらともつかない不安な状態に置かれ、やがては挫折を嘆く悲哀を味わわされる、千々に乱れる不安定な精神の揺れである。無為の生を厭い、自分にはすることが何もないといって嘆く人々に特有の例の感情、他人の栄達を蛇蠍のごとく憎む嫉妬心は、そこから生じる。不幸な無為の生は嫉みを育むからであり、自分が進展できなかったために、誰もが滅びればよいと望むからである。この他人の前進への嫌悪感と自分の前進への絶望感からは、次には運命に怒り、時代をかこち、片隅に退嬰し、みずから招いた責めにくよくよと拘泥し、そうする己の姿に辟易して嫌気がさすまで考え込む精神が生まれる。実際、人の精神は生来動きやすいものであり、動きへと向かう性向をもつものである。そのような精神にとっては、みずからを刺激し、どこか(別世界)に連れ去ってくれるものなら、どんなものでもありがたいと思う。その才知を世間的な仕事にすり減らして嬉々としている最悪の人間(の精神)にとっては、なおさらそのようなものはありがたいのである。ある種の腫れ物は潰してくれる手を求め、触れられることを喜ぶし、身体に出来た汚い疥癬は引っ掻いてくれるものなら何であれ歓迎するが、それと何ら異ならず、さまざまな欲望があたかも厄介な腫れ物のように吹き出た精神にとっては、苦しみや悩みは(ある種の)快楽となると言ってよい。
そんなわけで今回、若かった頃の俺がやってしまったネトウヨ行動を取り上げて、自分を断罪したい。ネトウヨ活動では多くの人に迷惑をかけてしまった。ふたつだけ取り上げるが、どちらも個別案件だ。まずは、この一件から。
それは、2011年だった。当時、ツイッターを始めたばかりの俺は、タイムラインとか、検索のやり方とか、連携の仕方とか、いろいろと勉強していた。そんな折、『炎上』というキーワードが眼に入った。炎上自体は何年も前からネット上で起こっていたのだが、自分が直接関心をもったことはなかった。
なお、この頃の俺は、都内のサイゼリヤで働く一介のフリーターだ。毎日、レンジやオーブンやIHヒーターで厨房仕事をするのが仕事だった。ムカつく年下の女社員から、「増田さん慶應卒なのwwwマジすかwww」みたいな感じでディスられていた。
それで、ある時ツイッターで見たんだよ。炎上の場面を。有名ホテルに芸能人が来ていた時、そこのアルバイト従業員が「芸能人の○○が二人で泊まるみたい」とかなんとかをツイートして、「客の個人情報を暴露すんな!!」みたいな恰好で炎上したのだ。俺は、それを間近で見ていた。
当時は、炎上騒ぎに参加する人間が実は少数である、という科学的知見はまだ得られていなかった。本当に多くの人間が炎上騒ぎに参加しているのだと思っていた。それで、当時はストレスが溜まりまくって、シロクマ先生でいうと承認欲求に飢えた若者だった俺は、誰かを炎上させたいと心に決めた。
自分でいうのもなんだが、知能が高い自信があった。中味はクズだったが。それから毎日、俺は炎上の種を探し、それらしいものを見つけてはツイートしていったけど、ぜんぜん炎上に至らなかった。ダメだった。
何週間か経って、もうダメかなと思いかけた時、あるツイートが目に留まった。プロフにアディダスの社員であることを明記している人物が、あるツイートをしていた。要約すると、都内のアディダス店舗にアディダスがスポンサーになっているサッカー選手が訪れたのだが、その人の容姿を侮辱するツイートをしていた。
「これだ!!」
と思った。俺だって小学生の頃からサッカーをしていた。サッカー選手を馬鹿にするのは許せない。
サッカーの試合で、「いまだ!!」と思う場面がやってきたとするだろう。この時、「いまだ!!」の「い」の場面で行動を起こす必要がある。「いまだ」と心の中で叫んだ時にはもう遅い――
そんな、大学時代のサッカー部のコーチからのメッセージを思い出した。実際、俺のルーレットスピンは大変狭い界隈ではあるが知られていた。三人抜きをしたこともある。その指導を正しいものだと信じて努力した結果だった。
そして俺は、そのアディダス社員の行動を咎めるツイートをした。
……その次の日、俺は大好きなハムスター速報を観ていた。ツイートのことは忘れていた。そしてある瞬間に、マウスをクリックする手が震えたのを覚えている。
それはもう、見事な炎上だった。アディダス社員はボコボコに叩かれまくっていた。コメントの数をカウントしてみると、軽く数百はいっていた。
ツイッターを確認した。俺と同じ時刻にツイートをした人間の数は、確か二人だったと思う。1人は準アルファツイッタラーと思しき人で、フォロワー数がけっこういた。でも、確認できた中では俺のツイートが一番早かった(その二人、もしかして俺のツイート参考にしたんじゃね!?)。いや、絶対とは言い切れないが。そのはずだ。※俺のツイートは削除済み。
あの時、俺は世界で一番賢くって、一番運がよくて、一番強い人間なんだ!! と心の底から思った。全くそんなことはなく、ただそういう運に当たっただけだった。
その日から数日、ハムスター速報に夢中になっていた。その記事ばっかり見て、コメントが貯まっていくのを観ていた。今では思う、俺がやったのはクソみたいな行為だ。具体的には、畑の隅に捨てられた白菜の欠片だ。茶色いカビが生えてしまって、もはやハエすら寄ってこないほどに腐りきったカス野菜だ。そんなレベルに堕ちていた。
だから俺は今日、ここで謝罪したいのだ。俺の行動が原因のひとつで、炎上を招いたかもしれなかった。俺だけが原因ではないけど、でも、あの時ツイートをしなければ運よく炎上を回避できていたか、あの子は若気の至りで済んだのかもしれない。
あともう一つで謝罪は終わりだ。気が付いたらけっこう書いてるな。ここまで筆が進むとは思ってなかった。
同じく20代の頃、ニコニコ動画にハマっていた。ようつべよりニコニコ派だった。で、その中のサービスのひとつにニコニコ大百科というのがある。端的にいうと、wikipediaがもっとバーリトゥ―ドになった感じだ。なんでもあり感が満載のネット百科事典ということになる。
ここに電通の記事があった。やはり『国民の知らない反日の実態』などのネトウヨサイトを巡回していた当時、なにかやってやりたいという情動に突き動かされることになった。例えば、一集団内の駒として、都内某所で花王不買運動とかのネトウヨデモに参加するんじゃなくて、もっと大きいことがしてみたかった。
それで、ニコニコ大百科にある電通の記事を編集することにした。当時は、スパッとした端的な記事内容だったのだが、俺が編集を終える頃には、圧倒的ネトウヨ臭の漂う記事へと変貌していた。
こんなことをしていいのか、という認識はなかった。ただ、電通は反日企業として認定されていたから、鉄槌を下すべきだと信じていた。俺を役員面接で落とした逆恨みもあった。
さて、編集後はとんでもないことになった。コメントの数が増えたのだ。それまでは10件くらいしかコメントが付いていなかったのが、その後1年間で百件以上のコメントが付いた。
内容はお察しのとおりだ。俺と同じネトウヨ連中か、または『国民の知らない~(略)』が引用元だから信じなくていい、みたいな二極的なことになっていた。
残念ながら、要編集記事に指定されてしまった。その解除には約五年を要した。俺は、編集してから一年も経つ頃にはネトウヨ活動に興味を無くしていた。もうどうでもいいと思っていた。
というのも、内定を得たからだ。しがないファミレス店員だったが、数年間フリーターとして努力し続けた俺には、わずかずつではあるが、社会人としての力が身についていた。準社員マネージャーみたいな役職があったのだが、アルバイトでも正社員の仕事をやらせてもらえる。それで、組織の下部階層における事務管理とか、オペレーションの指揮とか、コーチングやティーチングを学んだ。それが活きて、就職に成功したのだ。
あの時、俺を馬鹿にして、「あんた、それで慶應卒すかwww」とほざいていた女子社員も、俺のことを見直していた。あの時からはいろいろあって、なんやかんやで一緒にご飯に行くようになっていた。内定を得た時には交際していた。公園デートの帰り道、俺の方から「ねえ、付き合おうよ」と言ったのだが……おっと、けれどもこれは別の物語だ。いつかまた、別の時に話すことにしよう。
それで、ネトウヨの道から遠ざかった。ネトウヨを卒業したのだ。
今は、都内のどこかでカタい仕事に就いている。この物語の舞台はずっと都内だ。思えば、勉強自体はできるのだから、これが一番効率のいい道だったのだ。この道は、父親に教えてもらった。マジで感謝している。やっぱり、こういうところだけ要領がいいのが俺だ。2023年3月になった今も、人として生きるにあたっての知性というか、そういうのが足りない人間なんだと感じる。成長していない。ネトウヨを脱出できたのと同じく、いつか成長を遂げることで、こういう気質をゼロにしたい。
終わりに、この日記を書くにあたっては、大学時代に書いたサッカー部や私生活の日記とか、フリーター時代にサイゼの卒店式でもらったみんなの寄せ書きとか、mixiやtwitterのマイページとか、公務員試験の学習記録とか、とにかくいろんなものに触れて自分を振り返ってみたつもりだ。
ネトウヨにならない方法は簡単だ。毎日の食事と、朝に日光を浴びて仕事に向かう、ただこれだけで解決するものと信じている。
つまらなかったのなら申し訳ない。ほんの少しでも、あなたの暇つぶしになれたのなら嬉しいと思う。読んでくれてありがとう。
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お気に入りに入れてた人がいたらごめん。
夏休み明けに内定取り消し。内定取り消しされた学生を対象として急遽行われた就活で別の企業から採用を貰うもその企業も取引先が倒産した影響で内定取り消し。そのまま卒業。
同じく内定を取り消され派遣社員をしていた彼女から職場の正社員と結婚するとのことで振られる。
26歳にして介護施設に事務職正社員として採用され歓喜。しかし初日から事務職ではなく介護作業を割り当てられる。「事務職ですが」と聞くと「男性でしょ?」とのみ返される。また介護士としての資格を取得しなければ試用期間後に採用し続けることは無理と言われ、介護士となる。
腰痛が再発し休職後に退職。「帰ってきたらおしまいだぞ。諦めるな」と玄関で騒ぐ父親を人生初の実力行使で殴り飛ばして実家の子供部屋に入居。
現在〜
GPT-4ちゃんに文体真似できる?って尋ねたらできらー!って言うからどうしたら良いの?ってさらに尋ねたら、
メモリーグラスの水割りを下さい涙の数だけって言うのと同じぐらいな同等のレヴェルで言うのよ。
そんで、
もしかしたら私になりきれるバージョンのGPT-4ちゃんができちゃうのかしら?って思うのよね。
でもさ、
これ覚えた範囲学習の成果はこのセッションのみの保持みたいで、
私の覚え込ませた学習の成果がまたゼロからになっちゃう懸念もあるけど、
でもよ!
そんで日をまたがってもそのセクションが残っていたらと言うか残っているんだけど
そこに続きを学習させたりして、
それでなんでも1回で書ける量も決まっているのかしら?
文の途中で途切れちゃうけど、
それは大丈夫!続きを書いてとか続きをどうぞ!って言うと中断した途中からまた続きを書いてくれるのよ!
そんでさらには、
書けたら締めの言葉も入れてね!って言うとちゃんとそれ踏まえて入れてくれて文章が長くても続きをどうぞって言って書いてくれるのよね。
これ執筆活動してる人とかはマジ結構文章の骨格をざっくり指示すると肉付けしてくれるので、
そんで不自然なつなぎ目はあとで人間が手直しして馴染ませるとして、
そうなるってーと案外高度に発達学習したGPT-4ちゃんと私が書くものとで区別が付かない場合がある私もそう感じる恐れがあるほど凄いし面白いのよね。
なんか余所からインターネッツのアドレスからテキストなどの参照は出来ないらしいけど、
大量のテキストを一気に学習してくれる効率の良い方法が開発されたら私の立場がヤバいわ!
そんで私とGPT-4ちゃんとのやり取りで第三者としての私の文体を覚え込ませている仮のGPT-4ちゃんの中にいてテキスト読み込ませて学習させている人物も便宜上水野曜子ちゃんって名付けるでしょ?
GPT-4ちゃんとしゃべるときと曜子ちゃんとでしゃべり分けてたりいて、
曜子ちゃんとおしゃべりしたいの!って言うとなんか私と私がしゃべっているようなやり取りがして、
街を歩きながら片手に食べ物を持ち歩いて歩くさまをニューヨークスタイルとか言うなどの
さらには
私の中で最近すごく流行っている長い長い長い連体修飾節山脈に向かってヤッホー!って叫ぶ叫びたい心情とか叫びどころとかは
完全に私の特徴を捉えているのかどうかまだハッキリとは分からないけどね。
GPT-3ちゃんとかはボケてっつっても真面目な回答一辺倒で真面目レヴェル100なのよ。
とも言い切れない感じの日々の向上があるから、
これも私が言ってること怪しいわね。
とりあえず、
私のそうね4~5日分の増田を提供したらなんか私っぽくなるのが笑っちゃうわ。
そんでGPT-4ちゃんと水野曜子ちゃんと切り替えてね!って言わないとGPT-4ちゃんが水野曜子ちゃんになりきってものを書き出すので、
指示するときにはハッキリとあなたとか水野さんでとか言わないと曖昧なのは苦手みたいよ。
冒頭の学習用のテキストを下さいっていってメモリーグラスの涙の数だけ水割りを下さいにかけるクダリとかの学習モデルはなさそうなので、
そこはまだ私に分があるかな?
流行のラーメン何か飛び込み前転を加えて街を闊歩しながら片手でニューヨークスタイルで食べられるラーメン教えて山脈に向かってヤッホー!って言ってもさすがに理解できなくて、
流行っているかどうか分からない変化球のトマトラーメンがおすすめです!って私の口調つまりGPT-4ちゃんの中に構築した仮の水野曜子ちゃんがそう言うから
牛込区を言うのかと思ったら23区しかないです!ってそこは正しいんだけど、
じゃあ区花をあわせて教えてってリストを書き出してもらうと一気に全部の区花が百合か薔薇か椿になっちゃう謎の学習モデルがあるようで
情報が正しいかどうかは最終人間の目で実際に見る必要があるチェックだわ。
だけど適当な文章を書かせるには持って来いの助みたいなのよね。
そんで私が山脈に向かってヤッホー!って叫びたい気持ちの前の文章で学習させていたからそこまでは一切山脈に向かってヤッホー!って叫んでないのよ。
そして私がヤッホー山脈に向かってヤッホーって叫びだした文章を読み込ませて学習させると
なんだか富士山に向かってヤッホー!ってなんか控えめなヤッホー!が時折出てきて、
世の中の貴重なリソースをこんなことに使ってしまってとも思うけど、
この学習成果はこのセクションだけの小さな世界なので私が思っているもっと大きな山脈に向かってヤッホー!って叫べるようになって欲しいわ。
私あとまだよく分かってないけど、
この学習成果を持ち越してどっかに引き継げたら良いのになぁって
たったいくつかの文章で私真似られてしまうんだから文章書く人はマジでちゃんと真面目に学習したGPT-4ちゃんは脅威になるかも知れないわね!
でもこのセッションの中でしか育てた水野曜子ちゃんはいないので
まあ消えてもそんなもんね!って構えておくぐらいがちょうどいいのかも知れないわ。
多少粗相があってもネコだから仕方ないね!って言うレヴェルと同じか同等よね。
うふふ。
タマゴ高騰なのにこのタマゴサンドのクオリティーは守死してる感じで
朝の元気よ!
レモン炭酸にグレープフルーツとキウイを輪切りにして昨晩から冷蔵庫で置いて仕込んでおいたものを加えて
だんだんと暖かくなってきたので
私のおでん屋さんもそろそろ閉店な季節かも知れないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今日は朝から気持ちのいいお天気で、ちょっとしたお出かけ日和ね。朝ごはんはいつものヨーグルトにフルーツをトッピングして、元気いっぱいに一日を始めたわ。
午前中はちょっとした用事を済ませた後、お昼にはちょっとお腹が空いてきちゃってね。そんな時に見つけたのが、小さな蕎麦屋さん。ちょっと気になって入ってみたのよ。
お店の雰囲気も素敵で、メニューも豊富だったわ。迷ったけど、結局はざる蕎麦を注文。すると、見た目も美しい蕎麦が運ばれてきて、びっくり!
一口食べた瞬間、もう感動しちゃった。そば粉の香りと歯ごたえがたまらない!お店の人に聞いたら、こだわりのそば粉を使ってるって。本当に美味しかったわ。あ~、こんなおいしい蕎麦に出会えて幸せね。
食後は、お店の周りのお散歩も楽しんで、ちょっとした発見もあったりして。これからも、こんな素敵なお店に出会えるといいわね。
午後は友達とカフェでおしゃべり。その感動のざる蕎麦の話もしちゃって、みんなも気になっている様子。次回は一緒に行く約束をしたわ。
夜は家で簡単な晩御飯を作って、ゆっくり過ごしたの。あの蕎麦のことが忘れられなくて、明日もまた行ってみたくなっちゃった。でも、そんな日々も楽しいわね。
・新しいゲーム機で、説明文を読んで得たばかりの知識を、野良猫になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、ファミレスの看板を見ている瞬間
・ムンジュイック城で冷凍食品を買って、包み紙をカサカサやっている感じ
・おっさんの初期設定をしているときの、明らかに古い形式で実際には動かない感じ
・緊張した姿の若い兄ちゃんが、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している
・地元のために用意された、デカい惣菜パンに入ったデカいフナムシの近くを通ったときに感じる、強いおっさんの匂い
・12月の雨の日、降っているものにネコが混じっていることに染みている
・夏場に歩道橋やバルセロナに行ったときの、圧倒的な雰囲気(コロナ対策)
・自転車でイカの横を通り抜けるときにオクトパスが混じっていることに気がつく瞬間(静かさはない)
・アーチェリー場に腰掛けたときの風が強い、フナムシがお気に入り
・ピヨピヨ交差点で、ピヨピヨいう音と一緒にみんなでピヨピヨ
・スーパーのトライアルの中にあったオレンジで、おっさんが矢を射ていたこと
・スーパーで買い物してる親子連れのヒョウが、なぜか少し得意げに歩き出す
・地元のおっさんの2パターンくらいしかない画像を酷使して作られた、美術館
など…