はてなキーワード: スティーブとは
機関車トーマスとは機関車に顔があり人間と会話もできる機関車のお話だが、たまに捨てられた機関車が出てくる。
例えば日本から来たヒロはかつて鉄道の英雄と呼ばれていたが故障をし、修理を待っていたが治されないまま森に打ち捨てられていた。
機関車が馬に引かれていた時代から走っていたスティーブンもスクラップ同然で放置されていた。
彼等は気が遠くなる時間を捨てられて過ごしていたのに人を一切恨まず働けることを喜んでいる。
ジェームスがスクラップ工場に行くことをぼやいていたら「本当にひどいわ、あなたまだ役に立つ仕事ができそうなのにスクラップなんて!」と言われるシーンもあった。
顔があり会話も出来て感情も豊かな機関車達に、放置やスクラップが出来るあの世界の人間って何だろう。
あと機関車にはそれぞれ運転手が乗っているがいつも機関車の自由意思で動いているのは何だろう、トンネルに生き埋めになった場面ですら運転手は無表情で冷静だ、彼等は機関車より人間らしくなくて恐い。
「オルタナやインディロックやピッチフォーク系を聴いてる奴は暗いナード!」
普通の人なら社会に出てから勝ち取ったステータスを誇りそうなものですが、
ポップやハードロックやダンスフロア系が好きなカースト上位気取りの洋楽親父の一部は隙あらばスクールカースト語りでこんなマウンティングを始めます。
一昔前ツイッターで「成人式でヤンキーが暴れるのはヤンキーが優等生と一緒に過ごす最後の機会だからだ」という論で盛り上がりました。
マウンティング洋楽親父は成人式以降も洋楽という共通の話題で暴れているヤンキーみたいなもんですね。
米研究で高い知能の人はレディオヘッド、スフィアンスティーブンスなどを聴き、低い人はビヨンセという結果があります。
http://sp.ro69.jp/news/detail/112223
もう社会に出た段階でポップやハードロックやダンスフロア系が好きなマウンティング洋楽親父と彼らの言う“オルタナやインディロックやピッチフォーク系を聴いてる暗いナード!”の地位は逆転しているのでは?
先日誕生日だったのだが、2か月前から自分で誕生会を企画し多くの友人が参加を表明していたものの当日になって多くがドタキャンという事案が発生。
意中の女性も来るというから、自分の誕生日だというのにシャレオツなケーキも用意して待っていたのにこのざまである。
そもそもここ数年の誕生日が肉親のガン発覚&鬱発症からの自殺宣言、古い親友の自殺、尊敬していた師匠との絶縁など散々なものだったので、今度こそ楽しい誕生日にしようと意気込んでいたのだ。
この日のために有給使って連休取って準備してたのにどうしてこうなった。もうヤケクソでごわす、というわけで気合を入れて用意したドンペリ(2006年のやつ、購入価格20800円+税)をこれでもかと無駄に消費することにしたのである。
ビールもたくさん用意していたのに全く減らなかったから自分にかけることにした。使ったものはアサヒ・スーパードライ500ml缶。
やり方はアメリカのプロレス団体・WWEで活躍したスティーブ・オースチンのように2本の缶をぶつけてから缶を握りつぶしつつぶっかけるものを採用した。
ちなみに日本のビールは"テキサスのガラガラ蛇"オースチンですら口に流し込むとフラフラになってしまう代物である。だから頭にぶっかけた。
以上です。よろしくご査収くださいますようお願い申し上げます。
追記
そういえば買ってあったので全部自分で鳴らしたのだが、ひたすらうるさい。そして火薬はくさい。
クラッカーなんて浮かれてないと買わないものなので、ひとりで鳴らすとさみしいものかと思ったが安物だったのでそんなでもなかった。
ほんとそれ。自分でも星飛馬のクリスマスのアレかと思った。しかし彼には家族との先約&勝負の場以外では合わないと心に決めた左門豊作という宿敵(とも)がいたのにかたやおれは……
http://anond.hatelabo.jp/20160613091056
つってまあ、そんだけ見てりゃピクサーとディズニーの新作追ってりゃいいと思うけれど。
とはいっても2010年代のアメリカのアニメスタジオは群雄割拠。これにストップモーションアニメ勢や日本やフランスの伝統的な2Dアニメ勢が絡んできて大乱闘スマッシュブラザーズだし、中国や韓国の新興スタジオも力を伸ばしつつあるわ。
もしかしたら、今が世界的にみて一番アニメが豊潤な時期なのかももしれない。
そんな混沌としたアニメ勢力図を一スタジオ一作品で把握できる、ステキなリストを元増田にプ・レ・ゼ・ン・トよ♥
1. ドリームワークス:『ヒックとドラゴン』(クリス・サンダース&ディーン・デュボア監督、2010年)
『リロ・アンド・スティッチ』の監督(とスティッチの声)を務めながら、ドリームワークスに移籍したクリス・サンダース。名監督、会心の復活作よ。
人間不信のドラゴンとドラゴン使いの一族のおちこぼれ少年が育む純粋無垢な友情の物語に涙しないものはいないわ。
監督が変わった『2』もDVD/ブルーレイでリリース済み。評価は分かれてるけど、1を楽しめたら是非観てもらいたいわね。
ドリームワークスはディズニー/ピクサーの昔からのライバルよ。
創業者の一人であるカッツェンバーグ氏は元ディズニーの幹部。低迷していたディズニーに『トイ・ストーリー』以前のピクサーと手を結ばせた功労者だったけれど、ディズニーのお家騒動に巻き込まれて会社から追い出されちゃったの。
それだけにディズニーやピクサーに対する恨みは深くて、自分が退社する直前に挙がっていたピクサーの『バグズ・ライフ』の企画をパクって『アンツ』を作ってほぼ同時公開し、ラセターをブチ切れさせた逸話もあるわ。
ディズニーとの最大の違いはその量産ペース。たまにハズレもあるけれども、成功した作品はめざとくシリーズ化して貪欲に稼ぐわ。
『シュレック』、『カンフー・パンダ』、『マダガスカル』がそうね。元増田は『マダガスカル』がお肌に合わなかったみたいだけど、『シュレック』は『カンフー・パンダ』並に観といて損はないわ。『マダガスカル』は作品ごとに評価の波が激しいけれど、この二作のシリーズは一貫して高評価を受けていて安心して観られるわよ。
単発作品では、『ガーディアンズ 伝説の勇者たち』たちなんか玄人好みの作品ね。
2. ワーナー・ブラザーズ:『LEGOムービー』(クリストファー・ミラー&フィル・ロード監督、2014年)
『シュガー・ラッシュ』以降の現代的なウェルメイド作劇に感動した元増田なら、『LEGOムービー』は外せないわ。
チャーミングなテクスチャの質感、とぼけたオフビートなキャラクター、意外に王道な感動ストーリー、アッと言わせる伏線やオマージュネタの数々……
クオリティだけでいえば近年の3Dアニメのなかでもトップクラスと言ってもいいわ。たかがLEGO、とあなどるなかれ。あなたの涙腺をしぼりとる大傑作よ。
WBは元々バックスバニーなどで知られるアニメ業界の最大手。テレビでは「カートゥーン・ネットワーク」を系列に抱えてるわね。けれども映画ではディズニーに遅れをとってきたわ。
散発的に『アイアン・ジャイアント』や『ルーニートゥーンズ:バック・イン・ザ・タイム』といった良作を自前で生み出してきたけれども、基本はポケモンや他社製作のアニメの配給が中心。ようやく自社制作で気合入れだしたのはそれこそ2014年の『LEGOムービー』からよ。
これからは豊富なキャラクターコンテンツを利用して『原始家族フリントストーン』や『宇宙家族ジェットソン』、『スクゥービードゥー』といった作品を映画化するみたい。
ちなみにワーナー傘下にはヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズっていうオーストラリアの映画製作会社があるんだけれど、
そこで『マッドマックス』のジョージ・ミラーにふわふわペンギンヒップホップダンスマッドマックスミュージカル映画『ハッピー・フィート』、
『ウォッチメン』や『300』のザック・スナイダーにふわふわフクロウガチ殺し合い300映画『ガフールの伝説』と、
ヤバい映画の監督に見た目かわいい内容ハーコーな動物3Dアニメをやらせててどれも最高よ!
3. ソニー・ピクチャーズ:『モンスター・ホテル』(ゲンディ・タルタコフスキー監督、2012年)
それまでディズニーの独占市場だったアニメ映画界に風穴を開けた90年代のピクサーと2000年代のドリワの活躍を見て大手映画会社はこう考えたわ。
「3Dアニメは儲かる!」。
ソニー・ピクチャーズ・アニメーションはそうやって便乗的に2006年ごろから作品を継続的に発表しつづけてきて、それなりに稼いではいるけれど、他と比べてあまり元気がないわね。特に日本だとほとんど知られてないんじゃないかしら? アニメ映画界で重要なプレイヤーとは言いがたいわね。
ここは『レゴムービー』の監督のデビュー作である『くもりときどきミートボール』を挙げときたいところだけれど、『レゴムービー』を観たなら薦めなくても観るでしょう?
監督のタルタコフスキーはタルコフスキーのパクリみたいな名前だけど、アニメ業界ではレジェンド級のアニメーターよ。『デクスターズ・ラボ』や『サムライ・ジャック』を作った男、いえばすごさが伝わるかしら。
『モンスター・ホテル』は雇われ仕事で、お世辞にも脚本は最高の出来とは言えないけれど、彼が担当したキャラデザや動きはとても艶やか。特に主人公のドラキュラ娘のキュートさといったら! 3Dアニメが実は2Dアニメと地続きだということがよくわかるわ。
4. イルミネーション・エンターテインメント(ユニバーサル):『怪盗グルーの月泥棒』(ピエール・コフィン&クリス・ルノー監督、2010年)
『怪盗グルー』シリーズの大ヒットで一躍アニメ業界を席巻したのがイルミネーション・スタジオね。
大手のユニバーサルが後ろ盾にいるだけあって、よく広告なんかでも観るんじゃないかしら。「バナナバナナ」と喋る、サスペンダーを来た黄色い丸っこい謎生物のキャラ、あれがイルミネーションが誇る人気マスコット「ミニオン」よ。そのミニオンたちのデビュー作がこの『怪盗グルーの月泥棒』。
偏狭な中年大泥棒がいきなり現れた三姉妹の世話に追われててんやわんやになる、といった筋は『モンスターズ・インク』を思わせるけれど、堅実なアニメーション表現とドギツいスラップスティックさでピクサーとの差別化が成功しているわ。
特にスピンオフである『ミニオンズ』はイルミネーションスタジオの「ヤバさ」が最もよく出ている作品なので、『怪盗グルーの月泥棒』『怪盗グルーのミニオン危機一髪』を観た上で是非ごらんになってほしいわね。
しかし、イルミネーションの本領が発揮されるのは今年からだと言ってもいいわ。
2016年に発表されるオリジナル新タイトル二作品――『ペット』と『Sing』(邦題未定)。このふたつを注視していきたいわね。
5. ブルースカイ・スタジオ(20世紀FOX):『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』(スティーブ・マルティーノ監督、2015年)
20世紀FOXは自前のスタジオもあるんだけど、まあせいぜい作ってるのはシンプソンズ映画くらいだし、3D作品は基本ブルースカイ作品と言っていいわね。
2000年代の仁義なきアニメ戦争の最初期に反応したスタジオのひとつで『アイス・エイジ』は観た人も多いんじゃないかしら? あまり印象に残る作品はないし、批評家筋の評価は芳しいとは言いづらいけれど、ソニーなんかと比べると安定して高収益を叩き出してきたブランドね。
そういうわけであまり過大な期待を持たずに『スヌーピー』も観に行ったんだけれど、これが思わぬ収穫だったわ。
原作の感じそのまま活かそうとした2Dと3Dの中間めいた微妙な表現は賛否両論あるだろうけれど、88分でチャーリー・ブラウンの恋物語うまく落とし込んだ良作よ。
『スタンド・バイ・ミー ドラえもん』がやろうとして大失敗したことをうまくやるとこうなる、という感じで、見比べてみると作劇の勉強になるわよ。
6. ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ:『塔の上のラプンツェル』(バイロン・ハワード監督、2010年)
ディズニー映画は2008年の『ボルト』以前と以後で大分変わってくるわ。簡単にいえば、元増田が昔観たであろうオールドグッドな2Dディズニー映画が以前、元増田が大好きだっていうウェルメイドな作劇の3D作品が以降。このラインを意識すると効率良くディズニー映画を愉しめるわ。
もっとも元増田は08年以降のディズニー3Dアニメ映画をだいたいチェック済のようね。
でも『ラプンツェル』を見逃しているのはいただけないわね!
90年以降生まれの女子にとってはマイルストーンといってもいい、新しいディズニープリンセス物語の決定版よ!!
女子にモテたければ是非観るべきだし、女子になりたければ絶対観るべき、現代女子力のパワーソース(力の淵源)よ!
7. ピクサー・アニメーション・スタジオ:『インサイド・ヘッド』(ピート・ドクター監督、2015年)
シュガー・ラッシュ以降のピクサーを観た元増田なら当然鑑賞済みかしら?
現代アメリカアニメを支配するピクサーの作劇の極致ともいえるのがこの『インサイド・ヘッド』よ。
物語自体の面白さもさることながら、「私たちはいつ、どのように成長していくのか」についてここまで丁寧に描いたフィクションは稀有だと思うわ。
8. オン・アニメーション・スタディオズ(メソッド・アニメーション):『リトル・プリンス 星の王子さま』(マーク・オズボーン監督、2015年)
フランスは日本とおなじく2Dアニメーション映画が主流だけど、日本にも白組があるように、フランスのなかにも3Dに情熱をそそぐスタジオがあるわ。
まだまだ知られるとはいえないスタジオだけど、『カンフー・パンダ』のマーク・オズボーンが監督した『リトル・プリンス』で一躍名を上げたわね。
アメリカの大手がかかわっているスタジオでは見られないようなヨーロッパ的な叙情が特徴よ。
今後はこういう小スタジオの3D作品もバンバン出てくるんじゃないかしら?
9. ライカ:『コララインとボタンの魔女』(ヘンリー・セリック監督、2009年)
ここからはちょっと趣向を変えて同じ立体アニメでもストップモーションアニメを紹介するわ。
元増田は『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』という映画をご存知かしら?
ああいう人形を使ったアニメはストップモーション(コマ撮り)アニメと呼ばれてファンも多いわ。一番有名なのは『ウォレスとグルミット』かしらね。
『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』はティム・バートンの監督作だと勘違いしている人も多いけれど、実は監督を担当したのはこのヘンリー・セリック。
彼が自分のスタジオである「ライカ」を立ち上げての第一作目が、この『コララインとボタンの魔女』なのよ。
ストップモーション特有の質感を保ちつつも3DCGと見まごうばかりのなめらかなアニメーションは、気が遠くなるような数の人形パーツによって実現したもの。
セリック独特のゴシックな美意識が溢れる画面は観ているだけでため息が出るわ。
この『コララインとボタンの魔女』の成功によって、ライカはイギリスのアードマン・アニメーションズと並ぶストップモーションのスタジオとして一躍地位を確立したわけ。
ライカはこれまで三作しか発表しておらず、日本に入っているのは『コラライン』含めて二作だけだけれど、二作目の『パラノーマン』もすばらしい出来なので是非見てね。
10. アードマン・アニメーションズ:『映画 ひつじのショーン 〜バック・トゥ・ザ・ホーム〜』(マーク・バードン&リチャード・スターザック監督、2015年)
で、ストップモーションアニメの老舗であり、ストップモーションといえばアードマンと言われるほど有名なアードマン・アニメーションズ。
配給会社はそのときどきによって変わるけれど、一貫して温かみのあるゆるさと精緻な細部へのこだわりをふせもった上質なストップモーションアニメを世界に供給しつづけているわ。
もちろん、去年発表された『ひつじのショーン』も最高だったわね。
『ウォレスとグルミット』とおなじく、テレビシリーズの劇場映画化だけれど、TV版をみてなくとも十全に楽しめるわ。むしろ、テレビシリーズの入り口としてちょうどいいくらい。
アードマンの作品はそのルックを一目見れば即座にわかるので、公開されたらとりあえずチェックしときたいわね。
11. スターバーンズ・インダストリーズ:『アノマリサ』(チャーリー・カウフマン&デューク・ジョンソン監督、2015年)
スターバーンズ・インダストリーズはテレビドラマで活躍するダン・ハーモンが立ち上げたストップモーションアニメ会社。
その第一作目に『マルコヴィッチの穴』などで知られる個性派脚本家チャーリー・カウフマンを監督に迎えて作ったのが、この『アノマリサ』。
アードマンにしろライカにしろ「子どもも大人も愉しめる」映画が信条のストップモーションだけれど、この『アノマリサ』は完全にオトナ向けよ。
カウフマン特有の奥行きある哲学的なストーリーもそうだけれども、一番子どもに見せちゃいけないのはセックスシーン。
なんと精巧に作られた人形同士(男女ともにくたびれた中年)がヤッてる姿をえんえん見せつけられるの! クンニから挿入、絶頂、事後まで全部よ!
はじめに書いておくが、私は発達障害である。ただし軽度である。
これまでの人生の中で、何人か発達障害(おもにアスペルガー)の人に出会ってきたのだが、その人たちが
極端なまでの承認欲求の強さを持っていたのが個人的にとても興味深かったので、それを書いてみたい。
一人は、大変能力のある人だったのだが「ブッダやキリストに並ぶ人間になりたい」とつねづね言っていた。
これを聞いて、こちらもちょっとアホなところがあるものだから「なんてすごい人だ」と素直に思っていた。
もう一人の人は「とにかくすべての人から愛されたい」と言っていた。あと、「日本で初めて◯◯した」とか、そういった人物に
なりたいとも言っていた。
2人は、ここではっきり身分を書く事はできないけど話したら「へ〜」と言われるたぐいの人である。
2人とも努力がすごい。すごい勢いでがりがり目標に向かって邁進する。
もしその努力のモチベーションとなるものが「認められたい」という切実なまでの想いだとしたら…
ときどき言われているけれども、天才型の有名人にアスペルガーの特徴を持つ人が多い。
私はときどき思うんだが、もともとからの天賦の才を持った人が、堪えがたいまでの承認欲求に駆られて
必死に努力に努力を重ね、さらにそれが時流とマッチしたとき、スティーブジョブスみたいな、ああいう存在になるのかなと
そんなふうに思ったりした。
幼いときから、とにかく同じ水準、同じスピード、同じ結果ばかりを求め続ける。
数学だけ突出してできるけど、他はまるきりわかりません、苦手な事を強要されたら突然泣いたり暴れたりします、
あとさ、天才型のアスペは才能が突出してるからすごくわかりやすいのよ
だけど何も才能がない人もやっぱりいるわけよ
突出した能力を持っていてもそれが富に結びつかない人もたくさんいるわけよ
というかそっちのほうが大多数なわけよ
自分はたまたま軽度で、承認欲求もそこまで強いものを持っていなかった。
だけど、これまで見てきた人の中には、自分の承認欲求の強さに自分が堪えられずに壊れてしまったような人も見てきた。
本当にしんどそうだった。
ああ、今ここまで書いてきて思ったけど、承認欲求って性欲とすごく似ているね
性欲の強さを持て余したことは男なら何度かあるんじゃないかな
が2つあるので紹介するぜ!
まずは、花澤香菜『Blue Avenue』!!
こいつはたまげた!「ヘッドホン推奨」だとか銘打つだけはある!確かに音が良い!
そもそも花澤香菜さんの声質的に、音圧を上げればいいというような音楽ではないのだけれども!
このアルバムはニューヨークをテーマにしたアルバムで、いくつかの曲はニューヨークで録音(しかもウィル・リーとかスティーブ・ジョーダンとか参加してる)されているんだけど、
先行シングルはやくしまるえつこ提供曲だったりハウスミュージックだったりと微妙に音楽性がニューヨークっぽくなかった!
でも、このアルバムではそういった先行シングル曲まできちんと馴染んでいてニューヨークの大人な空気感が出ている!
シングルの時の音源からだいぶ音質が変わっている!アルバム用に音を作りなおしているのだ!そのこだわりよう、いいですね!!!
というか単純にポップスとしてこのアルバムレベル高すぎで、個人的に2010年代のベストに入るくらいの出来なんで、一聴の価値アリなんですよ!
マスタリングエンジニア:茅根裕司氏(Sony Music Studios Tokyo)
次が、『TVアニメ『アイカツ! 』オリジナルサウンドトラック アイカツ! の音楽!! 01』!!
これは意外性という部分もあってものすごいびっくりしたサントラだ!
アイカツの音楽を出しているレーベルはランティスで、オーディオ厨にとっては悪名高いところだ!というか音圧競争の元締め的なところだ!
なので普段のアイカツの曲もかなり音圧が強めで、落ち着いた曲でも結構刺激が強い音になっている。子供にあまりよくないね。曲自体はすごくいいのに。
……なんて歯がゆい思いをしてきたんだけれども、なぜかこのサントラだけはマスタリングエンジニアが普段と違う!!
2枚目以降のサントラはいつもの人でいつもの音になっているので、続けて聴いてみると音の傾向の違いが丸わかりだ!!
そして、なぜかこのいつもと違う人のマスタリングの質が異様に高いのか、音の良さが段違いなのである!!
なんだか音の広がりがすごい!立体感というか、奥行きがちゃんと出ているので感動してしまった!!
いやマジで、アニメサントラの中でもかなり上位に入るんじゃなかろうか。
ちなみに、MONACAサウンドのBGMは耳に馴染むので最近TVでもよく使われているのを耳にするぞ!!
以上だ!!ARIAのサントラも質が高いらしいが、残念ながらまだ聴けてないので除外だ!
他にも音がいいのがあったら教えてくれ!
自分は2人用のテーブル席を確保して、MacBook Proをリュックサックから出して、広げた。
MacBook Proでなにをするかというと、まずいピンクレモンスカッシュを飲みながら、この文章を書いているという本当にどうしようもない状態である。
女は性的魅力溢れている。そんな美人ではないが髪は綺麗だし、肌は白いし、胸がでかい。人によっては美人だというし、美人かもしれない。
男はイケメンだ。高身長で、何もかもイケメンだ。性格はわからないが、外見はイケメンだ。イケメンだなんてほとんど容姿で決まるのだ。コーヒーショップで持ち込みのおにぎりを持ち込んで食べるのはよろしくないと思うが、それもイケメンなら許されるのだろう。
2人は並んで勉強している。なにを勉強しているのかわからないが、美男美女が並んでいるのを見ると、息苦しくなる。
男か女か分からない不細工だ。男だったとしても、女だったとしてもとてつもない不細工であるのは間違いない。
まぁ、顔のパーツは元スーパーIT高校生や僕のパーツのどちらかで、肌の色は僕と同じ色だ。背は自分より低い。
髪は短い。僕みたいな陰毛のような髪質だ。若干禿げている。
MacBook Airを広げており、黒いカバーの国産スマホをいじっている。
両者どちらも容姿は全て汚い。
どちらかはマシではあるけど悪いみたいな世界だ。
まぁ、とてつもない不細工が二匹並んでいるのだ。
向こう側の窓辺の美男美女と隣の不細工、自分との容姿の共通点を探ろうとしても全く見えてこない。
隣の不細工がいいやつだったとしてもファーストインプレッションは性格が悪そうに見える。
向かい側のイケメンはおそらく自分のような不細工をバカにしてくるだろうけど、女は股を開くだろうし、印象は隣の不細工よりいいに決まってる。
不細工が2匹並ぶのはなんて哀れなことか。
不細工は隅のテーブル席に座っている、そして2匹目の不細工はその隣に、そしてその隣は空いている。そして隣からは全て埋まっている。
自分の隣はスティーブジョブズスタイルの人が席替えをした。そして次に座った人間もすぐに席替えをした。
不細工はそんなに罪か。
もう終わってしまったけれど、『ザ・オフィス』というテレビコメディがあった。主演は『リトル・ミス・サンシャイン』『四十歳の童貞男』のスティーブ・カレル。元はイギリスの同名コメディ(日本語タイトルは『ジ・オフィス』)だけれど、結果的に本国版より息の長い番組になった。ちなみにイギリス版もアメリカ版も hulu で観られる(はず)だ。
『ザ・オフィス』でスティーブ・カレル演じる製紙会社の課長は日本で言えば昭和世代のセクハラおやじである。ゲイフォビアで男根主義的、アメリカン・マッチョな価値観に染まっていて、ことあるごとに自分の面白ジョーク(大半は性差別、人種差別ネタ)で課内の雰囲気を和ませようとするが、逆にそのジョークのせいで場の空気をきまずくさせてしまう。なにせ、自分の部下がその当該マイノリティであることが多いのだ。
しかし自由の国アメリカといえど、上司に反駁するのは容易じゃない。カレルはアブナイおっさんなのでことあるごとに人事権や給与査定をタテに(実際にその権限が彼にあるかは別にして)振る舞う。部下たちは自然、事なかれ主義でだんまりを決め込んでしまう
しかも、カレルは場の空気を悪くしているのが自分であることに無自覚だ。勇気ある誰かから「それは差別じゃないか?」と指摘されると「これは差別じゃないよ。ただの冗談だろ?」とキレる。本当に差別ではないと信じこんでいるのだ。あげくのはてに破綻しそうになると、別の部下に責任を押し付けようとしたりもする。
まあ、要するに、最低のセクハラおやじが職場の空気を最低にするドラマなのだ。
ドキュメンタリーという体裁だから、シットコムみたいに「ここが笑いどころですよ」という観客の歓声も挿入されておらず、しかもカレルに対するツッコミはなされないか、なされたとしてもシリアスな雰囲気にならざるをえない。
こんな悲惨な番組がコメディになるのか、といえば、なってしまう。アメリカでは成立してしまう。
『ザ・オフィス』で笑うためには、まず「無自覚な差別ネタをジョークのつもりで放言しまくって場の空気を凍らせてしまう困った人(しかも自分では差別ではないと信じている)」というステロタイプを共有していなくてはならない。いわゆる、あるあるネタってやつなのだが、これが一筋縄ではいかない。
このステロタイプで笑うためには更に「こういう困ったおじさんは時代遅れのダサい人間である」という認識も広まっていないといけない。現状ではこういうおっさんが存在を許されないものという(現実はともかく)共通了解が流通していなければならない。
『ドラえもん』やちょっと前のドラマで日本でもあった、「江戸時代の人間が現代にタイムスリップしてきてカルチャーギャップを体験し、その反応に視聴者が笑いをもたらす」タイプの話とキモは一緒なのかもしれない。
仮想の原始人を笑いの的に立てるのだ。
その「原始人」に「かつてどこにでもいて、今もおそらくは地域によっては跳梁しているであろう人間」をあて、都市部のリベラルな価値観、すなわち我々の言うところのポリティカル・コレクトネスの観点からその野蛮さを笑う。言い方は悪いかもしれないが、そういう捻れた観方をできる人間がすくなくともこの番組を8年140エピソード続けさせられるぶんだけ存在する、ということだ。
そうして恐ろしいことに、『ザ・オフィス』は例外中の例外ではない。『サタデー・ナイト・ライブ』といった老舗番組から、オトナ向けのカートゥーンアニメまで、そうした政治的正しさが視聴者の間で広く染み込んでいることを前提にギャグをスケッチしている。
アメリカン・コメディにおける政治的正しさとはもはや「あるべき理念」でもなんでもない。常識であり、前提だ。
アメリカは広いし、チャンネルは山ほど存在するので、コメディ番組がすべてそうだという確証はない。
けれど、日本に紹介されてくるコメディ番組は肌感覚のレベルで政治的正しさを呑み込んでなければなかなか笑えない。
むしろ、政治的正しさに反発を抱く人より、「あるべき理念」としてフィクションに政治的正しさを求めている人のほうが笑いにくいかもしれない。リベラルの風刺とは身内にすら向けられる過激さを持つもので、笑いの矛先が政治的正しさそのものに向けられることも珍しくないからだ。それを半可にしか理解できてなくて、そういうジョークを無理してわかったフリして喜ぶ人間は多いけれど(私もその一人だ)。
シリアスな映画とかはまだわかりやすく「女性が強い」とか「マイノリティが救われる」とかをストレートな形で描いてくれるから、日本でも受け入れやすいんだろうけれどね。マッドマックスみたいに。
海の向こうには、「政治的正しさを前提にしたホンづくりしてる」なんてわざわざ公言しなくても、そんなもん当然前提に据えてるだろって界隈が存在するのだ。おそろしい、おそろしい。
余談だけど、「空気を読めない人の空気の読めなさ加減を笑う」という点ではアメリカ版よりイギリス版のほうが百倍ブラックだ。もはや、気まずい場の空気そのものを笑いに換えているといってもいい。これもこれで、ウルトラハイコンテクストな文化だよなあ、と思います。
" イオンエンジンも眠る丑三つ時。墨を流したような暗がりの中に縞模様の宇宙服の男が歩いています。手には提灯もなく、月は雲で隠れているのにひたひたと日中をゆくが如く堂々と街道を歩いています。向かう先は町外れにあるNASAの酒蔵です。ご存知のように老舗の宇宙問屋であるNASAは宇宙燃料に、嗜好品に、と使い勝手のいい酒を自家栽培するようになり今日では「まるな印のNASAの酒」として市場を賑わせています。その酒蔵へ、男は吸い込まれるように入っていくのです。カードキーで施錠されたNASA鉄壁のセキュリティーも男の手にかかれば造作もありません。懐から取り出した木の葉を滑らせると「ピッ」という小気味良い音を立てて開いてしまいます。扉は油を引いたように滑らかな動きでスライドし、真っ暗だった通路に灯りが点ります。ぬっ、と入ってきた宇宙服の男は電灯の下ではまさしく異様な風体でした。六尺はあろうかという見上げるような宇宙服の大入道で、全身に黄色と黒のだんだら縞が入っています。奇矯奇怪な風体ですが不思議と品位を感じるのはそのゆっくりした立ち振る舞いからでしょうか。やおら男は歩を進めます。警備員はというと監視カメラに睨みを利かせていたのですがちっとも男の侵入には気づきません。煙のようなものがモニターを横切ったようにしか見えないのです。男は真っ直ぐ酒蔵に向かうと醸造樽をにハシゴをかけ、猿の様な勢いで一気に上りきるとそのままどぶり。酒の中に入ってしまいました。立ち泳ぎをしながら男のヘルメットが横一文字に裂けたと思うと大きく開きます。中から輝く白い歯列。どうやら口のようです。そのままごうごうびゅうびゅう音を立てて酒を飲み始めます。しばらくすると宇宙服が全体に赤みを帯び、満足したのでしょう大きな大きなげっぷを垂れました。ぐえーふ。そして滑らかな樽の表面に手を突くとヤモリのように登りきり、ふちから外に飛び降りました。流石に酔っ払っているのでしょう。尻からどっかと落ちてしばらく寝転がっていびきをかきます。しかしそれも寸刻のこと。ふらふらした上体を揺らしながら起き上がるとゆっくり出口へ向かって歩き出します。ここへきて警備員は物音から動き出すのですが男はすんでのところで逃げてしまって行方はようとして知れません。これが月に何べんもあります。
NASAの高官たちは寄り合いを開いて対応を協議することにしました。長官がぱちぱちとはぜる囲炉裏の火を見ながら語ります。「これは我らが神をないがしろにし、ロケットでただ宇宙を駆ることばかり考えた罪ではないのか」かぶりを振って「気ばかりのスティーブ」と呼ばれる翁が怒気混じりの声を上げます「こんなものは怪事でもなんでもない!ただの泥棒だ!警備員を倍増させ、捕まえてしまえば問題ない!」そこへ人事部のロジャースが鼻声で反論します「君、警備員を倍増させるのはいいよ。しかしね、その給料はどうするのかね。10人増やせば月に3万ドルの出費だ。それに泥棒を捕まえたらすぐクビにできるのかね?一ヶ月でクビ切り?おお、怖い。私は幽霊よりも労働組合が怖いね!」長官は二人のやり取りを呆けたような目で見て震えるばかり。とても裁定ができるような状態ではありません。先週妻と協議離婚をしたばかりなのです。親権も奪われました。涙ばかりがぽろぽろこぼれます。頭に浮かぶのは幸せだったころの自宅の庭。今では古タイヤがつまれているだけです。そこへ新役員のホプキンスが手を上げます「それならここにいる役員全員がかりで泥棒を取り押さえようではありませんか。幸い我々は一般職員と違って仕事をしていない。時間は十分にあります。それに私は我々の日本の友達、JAXAから棒を貰う算段をつけています。アジアに生える桃の木で作った棒は邪気を払うといいます。この棒で泥棒を叩きのめせば普通の泥棒なら死ぬでしょうし、怪異であっても無事ではありますまい」その後、閑をもてあました役員たちはそれでも命令を出すのに忙しいと文句を言って中々重い腰を上げませんでした。しかし、長官が人寂しさから全員酒蔵でキャンプをしようと訴えだし、その様があまりに哀れだったため無下に断ると死んでしまうような心持にさせられたため役員総出で寝ずの番をすることになりました。
老人たちの酒蔵生活が始まりました。杜氏は黙々と仕事をするだけで彼らを一瞥もしません。なぜなら彼らはロボットであり視覚センサーを備えていないためそもそも見ることができないからです。終業時刻を迎えそれぞれ酒蔵の目立たないところに張ったテントに戻ると全員それぞれテント内でちびちび酒を飲んだりマンダリンを弾いたり思い思いのことをしています。そんなことで泥棒が捕まるのかはなはだ疑問でありますが、彼らは仕事をしない生活が当たり前になっていたため全員目標を忘れていたのです。そんな生活が四晩も続いた頃でしょうか。ついにだんだらの宇宙服がやってきました。彼は既に見つからないことが当たり前になっていたせいでしょうか。宇宙服の表面は毛羽立ち、ヘルメットからは大きな舌が覗いています。鼻歌を歌いながら酒樽に近寄りハシゴをかけようとすると「ジュワッ」肉を炙るような音がして宇宙服の手袋が黒く焦げました。ハシゴを桃の木製に架け替えていたのです。あっ、とうずくまる大男に老人たちが殺到しました。堕落したとはいえ元はやり手のサラリーマンたちです。身のこなしが違う。久々の仕事に興奮した役員がやたらめったら男の全身を打ち据えます。ぼっ、じゅっ、叩く度に焼きゴテを押し当てたような音がします。きゅうきゅうという音を立て、身をくねらせる大男は徐々に身長が縮んでいき宇宙服もぼろぼろになり獣の毛皮のようになっていきます。狂乱の二分間が過ぎると長官が割って入りました「みな待ちたまえ。もうこの泥棒に盗みを続ける気力はあるまいよ」そこには大男だった痕跡もほとんど残っていない一匹の狸が傷だらけの全身を震わせ横たわっていたのです。不憫に思った長官が狸に尋ねます。ここは人間の酒蔵だ、一体どうして人間の酒蔵を荒らすのか、狸は目に一杯の涙を貯めて語ります。「つい先年、妻と協議離婚をしたのです。親権も奪われ自暴自棄になり、とにかく酒以外に救いがなかったのです。人間様にご迷惑をかけたのはわかっています。それも今日のように罰せられるのを期待していたのかもしれません」それを聞いた長官は膝から崩れ落ちて泣き出しました。おお、お前は私だったのだ。狸を抱き上げ介抱を始めました。もうこんなバカなことをするものではないよ。酒が欲しいのなら私に言いなさい。獣一匹が飲む量くらいはすぐに都合してやろう。「ああ、旦那様。人間とはかくも暖かいものだったのですね。いいえ、いけません。貰うばかりでは狸のプライドが立ちません。どうか私にもできることをやらせてください。そうだ、エンジンの出力を上げるくらいなら狸にとってはどうということはありません。これからNASAで打ち上げるロケットは全て狸の加護を加えましょう」それからというものNASAから打ち上げられるロケットの出力は全て30%増加することになりました。それによりNASAの宇宙開発は飛躍的に進み、今でもNASA本社の玄関には傷ついた狸を抱き上げるかつての長官の銅像が立っているのです。とっぴんぱらりのぷう。"
①病棟の回診
担当の患者さん、俺把握できてるかなあ。研修医にまかせてもいいかなあ。なんか抜けてないよな?
やべえ、また主訴(訴えてる病状)変わったか。鑑別(考えてる症状や病名)変えたほうがいいかなあ。やべえ、病棟に専門書なかったよね。論文調べなきゃ。
ってか、ポリクリの学生のほうが、症状よく見てるなあ。マジかあ。
②外来(病院にいきなり来ました、診察ですって普通に患者くるやつ)
終わらないなあ。患者数多くない?ミスらないように、順番考えるのキッツイなあ。どうやったら上手になるんだー。
マストでやることだけでいい患者と、ヤバイかもしれない患者で対応変えるのまったく慣れない。
③当直
患者さん、来ないでほしいなあ。ファストとx線で逃げ切れる感じで終わらないかなあ、CTやると、患者持ち上げるときに腰が痛いんだよなあ、でも整形行く時間がねえ。ヘルニアかなあ。俺がまずx線とりたいよ。
あ、交通外傷着た。あ、この患者さん、皮膚科コンサルじゃん、皮膚科の先生いたっけ?ってかヤバクね?スティーブンジョンソンっぽくね?他の病院送っても間に合うか微妙じゃね?俺?俺がやるの?わかんねーよ!!!
かつてスティーブジョブズが死んだ時、お悔やみの言葉が世界中に溢れ返って
それが今度は任天堂の岩田聡社長の急逝でバトンタッチされたみたいだ。
普段から調子の悪さを見せなかっただけで深刻な病が進行していた、
だから死んだとき、まさかこの人がという想いでお悔やみを言う人がいるのも確かだけど、
いちいち亡くなったから生前の功績を世界中に知らしめてお悔やみとしようという運動が気持ち悪すぎる。
騒ぎたいなら本人や遺族あるいは親族のいない所で騒げばいいものを
わざわざ本人に見える所でそれをやって完璧オナニータイムなんだよね。
だけど、それを今更のようにぶり返す人達の言動が何というか軽すぎて
お悔やみもクソもない、ただ呆れるほどのオタ芸で騒ぎたいだけではないのか?
そう思うと残念でならない。
実際問題「資格を取れる知識がある」ことが「仕事を完遂できる能力がある」事とイコールではないのは事実だとは思うけどね。
でも確かに資格を基準にすれば、少なくとも求められる知識を確実に有している事の証明にはなるし、「経験○年」なんかよりはちゃんと仕事できる確率は高い人員が集められる気はする。
いい大学出身者が就職で有利なのと同じで、あくまで「それまでに行ってきた努力の総量からまともな人員の確率が高い」とかそういうレベルだとは思うけど。
でもスティーブ・マコネルも「ソフトウエア開発プロフェッショナル」の中で免許制にしろとかそういう事言ってたけどそんな世の中に全然なってないっぽいもんな。
ライブ映像が好きで、好きなミュージシャンのライブ映像をよく漁っているんだけど、彼らが若いころの(若いってほどでもないかもしれないけど)映像を見ていると、表情や全身から大量の熱を振りまいていて、そのエネルギーを見ていると泣けてくる。あるいは、今となっては見せない一生懸命感とかね。
そんなわけで、おれが涙した映像を紹介させてほしい。
それぞれのファンにとっては既知のものばかりだろうが、その辺はご容赦願いたい。
https://www.youtube.com/watch?v=3od114a4o7Y
1982 のライブ映像らしい。彼は 1949 生まれらしいので、33 かそこら。年をとっても自信たっぷりで確信にみちた表情は変わらなかった彼だが、晩年はやはり体も縮んで声が出てないところも多かった。このライブ映像では声はもちろん、表情からも体からも、あらゆるところから熱を発しており、その輝きはおれの涙腺を強烈にキックするわけです。残念なことに彼は 2011 に他界。
彼を知らない人はまずは 49:40- の Alien を聴いてみてほしい。ついでに言うとこの映像に含まれない名曲もたくさんあるので興味あれば掘り下げていただければ。
https://www.youtube.com/watch?v=9ZNVhiOY_ug
ギターを手にする人にとってはスライドギターの人として、映画好きの人にとってはヴィム・ヴェンダースの劇版の作家として、もっとも一般的にはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの仕掛け人として知られる Ry Cooder。この映像は日本の BS で流れたモノらしく 1987(日本語字幕では88と表記されてるけど。。) のライブ映像とのことで、このとき彼は 40 かそこら。
ゴスペル/テックメックス/カリビアン といった要素のミックスなんだけど、それぞれのプレイヤーがズブズブに土着音楽をやってる感が強い。それを一つにしているのは Ry Cooder の才能という他なく。。それぞれのプレイヤーがそれぞれのバックボーンから全力で音を発しているにもかかわらず、たった一点に収束するその集中力と音楽への愛情はおれの胸を深く打つのです。
https://www.youtube.com/watch?v=EkM3Wiy7j5Q
ジャズを聴かない人にとっては「誰?」って感じかもしれませんが、長年にわたって最重要プレイヤーの一人。ジャズ界隈で活動してるんだけど、彼もまたアメリカンルーツミュージックの求道者。(ただ、多作で時期によってやってることが全然違うため一言で説明しずらい人でもある。)
この映像は彼が 42 ぐらいの時のものでボブ・ディランのカバー。カバーを良くやる人で、いずれもオリジナルのもっとも重要なエレメントをきっちり握っている。
また、彼は客演で非常に良い仕事をする人。驚くほどあちこちに顔を出しており、どこに行っても自分の世界全開にもかかわらず、それがその曲の重要な要素を際立たせるという触媒のような人です。
映像の演奏は奇をてらわないアレンジで、美しいコードの上で朴訥としたメロがフォーキーさを増しており、それはやさしくおれの心に触れるのです。
結構大変そうなアレンジを楽器にかじりつくように弾いていて、弾き終わった後に見せる表情は今となってはあまり見られないものではないかと。
https://www.youtube.com/watch?v=lYbrrbbnXnA
現在では WAR と LOW RIDER BAND の 2つに分裂してしまった WAR の 76 年(だそうだ) gypsy man のライブ映像。キンキンに集中したライブ演奏は 70年代の WAR の特筆すべき点の一つだと思う。なかでもこの映像の BB ディッカーソン のガッツあふれるベースは何度聴いてもおれの胸の奥に熱いものをあふれさせてくれるのです。
個人的には、ディッカーソンはソウル/ファンクにおいて最重要ベーシストの一人だと思うんだけど、あまり注目されない(おれが知らないだけで、ベーマガなんかで特集されてるのかもしれないけど)のでぜひ。
WAR は主要メンバーの何人かはすでに他界しているが、ディッカーソンは LOW RIDER BAND で健在なもよう。
https://www.youtube.com/watch?v=wln_zQsynNY
spilit が凄いのでこちらもぜひ。ダルな前半からサックスソロをきっかけとして風景が変わっていくこの流れは WAR にしかできないと確信できる。
https://www.youtube.com/watch?v=zSnbV1FrIhA
最近ではベースはTMスティーブンスに弾かせて、自分は歌ったり叫んだり、ライブハウスの壁を登ったりしている Bootsy ですが、ただただ全力で音楽をやっていたころがあったようで。
I'd Rather be with you は今でもライブのハイライトなわけですが、若いころは熱の入り方が全然違う。映像は 1976 年とのことで、51年生まれの彼は 25歳?ですね。。そら熱も入るわ。wiki 見ると、75 年ぐらいまで P-funk 界隈とかかわっていたようで、映像は初リーダーアルバムが出た年。
funk 独特の時間をかけてじわじわ熱を込めていく前半のあの感じから、キックとコーラスがモゴモゴと盛り上げていく中盤、そしてついに歪んだベースソロに入って行く流れ、もう涙腺崩壊するしかないという。
せっかくなので、通信メディアの個人史を書いてみたい。自分のブログでやっても良いのだが、わざわざ誘導するのも申し訳ないので増田で書くことにする。あと、前半部分は「通信メディア」の話ではない。
ぼくが初めてパソコンに触れたのは小学校4年生のころだった。当時、既に型落ちだったNECのPC-6001を買ってもらったのだ。当時はまだ「パソコン」か「マイコン」かで名称が統一されていなかった時代でもある。記録媒体はカセットテープ。ゲームをするためにはまず、何十分もかけてロードをしなくてはならない。あとちょっとでロード完了というところでエラーが出たりすると泣きそうになった。
市販のゲームは高価だったので、ぼくは当時の多くのパソコン少年と同じく、雑誌の載っていたプログラムをよく入力していた。姉の使っていた譜面台にパソコン雑誌を乗せ、そこに掲載されたプログラムを延々と入力していく。もちろんミスが多発する。エラーが出ると雑誌とにらめっこをしながら、どこが間違えているのかを必死で探す。デバッグがすべて完了するころにはゲーム自体に飽きているということもよくあった。
当時はまだ、パソコンのメーカーがそれぞれの独自の規格でPCを開発していた時代だった。しかも、同じメーカーのパソコンであっても機種が違えば互換性がないことが多かった。だから、NECのパソコンのソフトがシャープのパソコンで動かないのは言うまでもなく、PC-6001はPC-8001よりも新機種であったにもかかわらず、後者のプログラムは前者では動かない。パソコン雑誌で他の機種用の面白そうなゲームプログラムを見ては悔しい思いをよくしていた。移植をする技術はぼくにはなかった。
その後、中学校に上がると、ぼくのパソコンはPC-8801mkII FRになった。名機と言われたPC-8801mkII SRの後継機だ。記録媒体は5インチのフロッピーディスクになり、一瞬でセーブやロードができるようになった。ただし、中学生にとってフロッピーディスクは高価な代物で、500円で10枚入りという安売りのものを愛用していた。ちなみに、安いディスクだとドライブに入ただけでシャカシャカシャカシャカ…という音がする。仲間のあいだでは「シャカシャカディスク」と呼ばれていた。
せっかくの新マシンではあったが、やはり用途はゲームだった。雑誌に掲載されるプログラムも徐々に高度になり、マシン語を使ったものも多かった。01 C3 AA 90…みたいな文字列を果てしなく入力していく作業はかなりの苦行で、エラーが起きると手に負えなくなることも多く、挫折ばかりしていた。
なお、当時はすでにパソコン通信が始まっており、PC-VANやアスキーネットなどの大手もすでにサービスを開始していた。当初は音響カプラという装置を使っていたのではないかと思うが、詳しくはわからない。ぼくにとってパソコン通信は遠い世界の話で、雑誌でたまに見る程度のものだった。
中学3年生になり、高校受験を控えたぼくは、何を思ったかパソコンで受験勉強をしようと思いついた。受験RPGなるものをN88-BASICで作ろうとしたのだ。街を歩いているとモンスターに遭遇する。そのモンスターが出してくる問題に正解すれば、プレイヤーは経験値を稼げる。最終目標は名門ナダール高校への合格という、ゲームと勉強の両立を目指したものだった。結果はまあ、書く必要もないだろう。世の中にそんな都合のいい話はないのである。
高校に入学すると、ぼくの関心はパソコンから遠ざかっていった。部活が忙しくなったほか、当時のバンドブームにのってギターなどを始めてしまったからだ。無論、このあたりはぼくの黒歴史になっている。
ちなみに、ぼくとほぼ同年代の英国人ライター、スティーブン・プールには『トリガー・ハッピー』(2001年)というテレビゲームの歴史を扱った著作がある。この本を読んでいると、高校時代にゲームから離れてバンドをやるところまでまったく同じだった。ここには国境を越えた何かがもしかするとあったのかもしれない。
しかし、大学受験を前にして、ぼくは再びパソコンに向かい始める。3年前に挫折した一大プロジェクトである受験RPGの製作にふたたび乗り出したのだ。アホだ。予備校の夏期講習を受けながら、頭のなかで構想がどんどん膨らんでいった。
技術は全く進歩していなかったが、根気だけはついていた。ゲームの目標を大学合格に切り替え、パソコンのメモリの少なさに苦労しながら様々なアイテムやイベントまで用意した。しかし、言うまでもなく受験には全く何の役にも立たなかった。大学受験が始まる数日前、ほんの気晴らしのつもりで始めたドラクエ3を受験日程がすべて終了するまでにクリアしてしまったのが悪かったのか、1年目のぼくは受験に失敗し、浪人生活に突入したのである。
1年間の辛い浪人生活を経て、ぼくは東京の私立大学になんとか滑りこむことに成功した。入学式当日、知り合いの誰もいないキャンパスを一人で歩いていると、同じく新入生とおぼしき一団が歩いていた。彼らの一人が「あいつのポケベルの番号、いくつだっけ?」と言うのを耳にしてぼくは衝撃を受ける。東京の学生はポケベルを持っている!ぼくにとってポケベルというのはサラリーマンのためのツールであって、普通の学生が持つようなものではないと思い込んでいたからだ。
入学式の時点でグループができているということは、彼らはおそらく付属校か東京の進学校の出身者のグループだったのではないかと想像する。この時点ですでに情報メディアの利用をめぐってかなりの格差が生まれていたのかもしれない。
いずれにせよ、その後のぼくの生活にやはりポケベルは無縁だった。女子高生のあいだでポケベルが流行っているというのも別世界の話題だった。女子高生の妹がいる友人によると、メッセージが来るとすぐに返信しないと仲間はずれにされかねないということだったので、それはそれで大変そうだと思ったのを記憶している。
その一方で、大学に入学してから、ぼくは固定電話と大変に仲が良くなった。一人暮らしを始めたこともあって、友人とよく長電話をするようになったからだ。コードレスではなかったので、硬い床に寝転がりながら何時間も話をした。「いやー、今日はよく話したよね。ところで、いったい何を話していたんだろうね」などと会話を振り返り始めることで会話がまた長くなるという、まったく生産性のないことをよくしていた。ただ、こうした長電話はぼくに限った話ではなく、わりと一般的に行われていたのではないかと思う。一人暮らしの寂しさを紛らわせるうえで固定電話は重要なツールだったのではなかろうか。
あるとき、風呂にお湯を張っていると、たまたま当時好きだった女の子から電話がかかってきたことがあった。話しているうちに浴槽が一杯になった。コードレスではないので電話をしたままではお湯を止めにいくことができない。だが「お湯を止めてくる」と言えば、電話を切られてしまうかもしれない。そのため、浴槽からお湯が溢れるのをただ眺めながら会話を懸命に続けていたことを思い出す。
ぼくが「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは国際政治の授業だった。大学2年生のころだったから1994年のはずだ。日本でもインターネットの商業利用は1992年にすでに始まっていたが、パソコンに関心を失っていたぼくには全く無縁の話だった。大学のパソコン室でタッチタイピングは修得したものの、授業で履修したC言語はあっさり挫折した。数学が果てしなく苦手だったぼくは、理解できない数式をパソコンに解かせるという作業について行けなかったのだ。
大学2年生の終わりごろ、ゼミの選考があった。メディア系のゼミを志望したせいか、志望者には新しいもの好きが多かった。面接の待機場所では多くの志望者が携帯電話を持ち、お互いの番号を交換していた。衝撃的な光景だった。彼らは無意味に相手を電話にかける遊びなどをしていたので、単に見せびらかしたかっただけかもしれない。
しかし、ぼくが携帯電話、というよりPHSを購入したのは大学4年生も終わりに差し掛かったころだった。1996年から1997年にかけて携帯電話・PHSの普及率は25%から46%に跳ねがっているが、こうした指標では若者が先行しがちなことを考えると平均的か、やや遅いぐらいではなかったかと思う。
当時は街のいたるところでPHSの安売りをしていた。今川焼を売っている店でさえ扱っていたぐらいだ。PHSを1年ほど使い、その後はドコモの携帯電話に切り替えた。通話が途切れやすいという難点はあったものの、PHSのほうが音質は良かったのではないかと思う。
他方で、大学3年生になると、ぼくは再びパソコンに関心を持つようになった。1995年、ウィンドウズ95が発売された年である。「インターネット」という言葉が急激に人口に膾炙していった。大学のパソコン室で友人に電子メールを送るようにもなった。当時はメールが来るだけで嬉しかったものだ。ブラウザはまだモザイクを使っていた人が多かったのではないかと思う。しかし、当時のぼくはまだブラウザという概念を理解していなかった。周囲のひとが「モザイク」という言葉を口にするたび、それはエッチな何かなのかとあらぬ妄想に浸っていたのだった。
ともあれ、エプソン製のノートパソコンを購入し、自宅からインターネットに接続するようにもなった。大学の授業でホームページを作ったという友人に刺激を受け、自分でも卒業の直前ぐらいに朝日ネットでホームページを立ち上げた。いまでもそのアドレスにはぼくのホームページが置いてあるので、もうかれこれ20年近くになる。先日、インターネット・アーカイブで自分のページを探してみたところ、16年ぐらい前まで遡ることができた。若気の至りというのは本当に恐ろしいものである。
もっとも、ぼくの目線からすると、当時のインターネットはそれほど面白いものではなかった。今ほどに情報が充実していたわけでもなく、それを探すためのスキルもなかった。ぼくにとってインターネットよりも面白かったのがパソコン通信だった。当時、すでにパソコン通信の時代は終わりつつあったはずだが、それでも見知らぬ人たちとやりとりをするのが面白くて仕方がなかった。もちろん喧嘩も多く、罵り合いをなんとか仲裁したいと思いつつ、結局はうまくいかないということばかりだった。
ぼくが参加していたのは朝日ネットのフォーラムだが、恐ろしいことにいまでもログインすれば当時のログを見ることができる。「ネット上からはとうに消え去ってしまったはずの今なき父親の情報が、パソコン通信のログに残っていることを主人公が発見する」というフィクションを考えていたのだが、興味のあるひとは使ってみてください。
その後、パソコン通信は急速に退潮し、インターネットの時代が本格的にやってきた。ネット上で怪しい情報が飛び交うサイトがあるということを最初に教えてくれたのは知人だった。言うまでもなく「2ちゃんねる」である。それ以前にも「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった掲示板はあったはずだが、それらはぼくの全く知らない領域の話だった。
…と、ここまで書いて力尽きた。ここから先は特筆すべきこともあまりないので、唐突ではあるが、このあたりで終わろうと思う。ずいぶんと長くなったが、最後まで読んでくれたひとは果たしているのだろうか…。
http://anond.hatelabo.jp/20150126171604
シリア内戦で亡くなった欧米の記者のうち経歴が見られる人の場合
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_journalists_killed_during_the_Syrian_Civil_War
メリー·コルビン 米 http://en.wikipedia.org/wiki/Marie_Colvin
リチャード·エンゲル 米 http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Engel
アンソニー·シャディッド 米 http://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Shadid
ジル・ジャキエ 仏 http://en.wikipedia.org/wiki/Gilles_Jacquier
ジェームズ·フォーリー 米 http://en.wikipedia.org/wiki/James_Wright_Foley
http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052970203403704580104791021448612
スティーブン·ソトロフ 米・イスラエル http://en.wikipedia.org/wiki/Steven_Joel_Sotloff
レミ・オシュリク 仏 http://en.wikipedia.org/wiki/Remi_Ochlik
以上の7人には軍歴の記述は無い、徴兵制のある国の場合はわざわざ書いてない可能性もあるだろうが
軍歴があるのが
Yves_Debay ベルギー・仏 (ベルギー軍)http://en.wikipedia.org/wiki/Yves_Debay
ポール·コンロイ 英 (英軍)http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Conroy_%28journalist%29 この人は負傷
アスペルガーの中にはスティーブジョブスやアインシュタインと言った素晴らしい成果を上げる人物がいるが
どこに行ってもちょっと気に食わないだけで、人を発達障害扱いして批判するようなうざい奴らがいる。
こいつらは人のことをアスペルガーだの、ADHDだの批判する癖に、自分の発達障害を棚に上げてるやつらが多い。
それは数理理解障害だ。
数理理解障害とは論理的思考ができず簡単な高校卒業程度の簡単な数学も理解できない障害を言う。
論理的思考ができないことから、組織内で著しい非効率をもたらす障害だ。
この障害のせいで多くの人が時間を無駄にし、ストレスを抱え、二次的に大きな病気の原因にもなる。
また部下なら大きな問題にはならないが、論理力の欠如から大きな成果を上げることはできない。
アスペルガーの中にはスティーブジョブスやアインシュタインと言った素晴らしい成果を上げる人物がいるが