はてなキーワード: 変顔とは
ただ、ブサメン=モテないという卑屈な発想自体が女にモテなくさせているんだけどね。
この写真の変顔の男はたしかにハンサムじゃないけど、だからといってモテないとは限らないよ・・・。
正直、女にとっては、男の容姿より、包容力のほうが重要。で、その包容力には、経済力が含まれるわけ。
実際、経済力を上げるのは容易じゃないから、こういうことが自分がモテないと信じるブサメンたちの救いになるとはいえないけどさ。
言ってやった。
低次元な話すんなって怒られた。
でもやっぱりビッチだよ。
この人はあわな〜い、って言ってすぐ男をとっかえひっかえするのはビッチじゃないの?
「だって付き合ってみないといい人かは分かんないじゃん!」何それ。
付き合った男の数自慢かよ。
一番この人が合うなー!と思って選んだのがあんたのお父さんよ、実際いい父親でしょ?って言ってくるけどさ
確かに父さんは尊敬するよ。部屋のあちこちに使用済みの爪楊枝おいといたり、食べたお菓子のカスを床にこぼしたままにする以外は本当に良い父親だと思う。
でも母さんは、父さんにその事実が言えるの?父さんと巡り会うまでかなりの数の男の人と付き合ってきたってこと。
言えないんでしょ?
医者や弁護士の卵とも付き合ったことあるけどやっぱり駄目だったな〜って、何???
気持ち悪い。
私は1人しか付き合ったことないから、何人もの男と付き合うとかそういう付き合い方が普通とか全然分かんない。
視野が狭いんだよって怒られた。
じゃあ視野を広くすれば何人の男とも奔放に付き合って交際人数増やしまくっていいの?
なぁんか合わない〜程度で別れた男のひとは可哀想だと思わないの?
人生の美しい思い出☆☆みたいに美化してんのほんと気持ち悪いんだけど。ビッチでしょ。
だから私は、今付き合っている、私にとって初めての彼氏とそこそこ長く交際している。
すぐ他の男に移るとか気持ち悪いし。あとそもそも私は変な女なので、今付き合っている人以外に私のことを好きになってくれる男は今後出てこないっていう確証がある。
だけど、ついに嫌気がさしてきた。
この前、外を歩く他の女ばかり見てかわいいなー!とか、いい乳だなー!とか言ってきた。これは今に始まったことじゃない。
それは冗談だって分かってるし、今までは私も笑いながらヘラヘラと「そうだねー!」とか言って合わせてきたけど、コンプレックスあるし後から嫌な気持ちになるしもう我慢の限界だった。
言うのやめろって言ったけどそれすら冗談と受け取られたみたいだし、私も言い方がヘラヘラしてた。本気で言いたいことを伝えるのがどうしても怖くてできないから。
今の時点でこんなにイライラしてて、今すぐ彼氏の家に火つけてやりたいくらいムシャクシャしてるから、こんな状態じゃ今後の結婚生活とかも無理だろうし、この人とは合わないのかな…
そう思った。
母さんなら多分もう次の男に行くだろう。
だけど私にはとかく出会いがない。
学校にはいい男がいても私に振り向くことはない。なぜなら私は変な女、言い換えると私はネタキャラだからだ。小中高とそうだったので、今更キャラとか接し方とか、どうしたらいいのか分からない。
ネタキャラで、余裕で変顔もできるし、シモい話もお手の物だし、あらゆる会話で笑いを取りにいったり盛り上げたりする役目だ。
そんなキャラをやっている私を好きになってくれた男の人が、Twitterで知り合った今の彼氏しかいない。
こんなんだから、今後、私のことを好きになってくれる男なんかいやしないと強く思う。
もう別れた方がいいのかもしれないけど、別れると悲しい。
彼は冗談で他の女を褒めてるのに、それにいちいち嫌な気持ちになってる私に非があると思うから、別れると彼が可哀想な気持ちになる。
別れた方がいいかもしれないけど、別れたくはない。
何より別れるともう次がないし、次すぐ付き合う男がもし奇跡的にいたところでビッチ母親と同じことになってしまいそうで嫌だ。
どうしたらいいんだ、ほんと
告白したのは彼氏だけど、好きになったのは私。先輩(♀)に恋愛相談したら好きな人にあっという間に伝わっちゃって(社内の人本当に口が軽すぎる)、次の日に会社の憧れの先輩だった彼氏に告白された。「とりあえず付き合おうよ」って。
私はすごく嬉しくて、天にも昇る気持ちで彼女になったけど、緊張と恥ずかしさで一,二か月全然目が合わせられなかった。彼氏は別に気にしてないみたいだった。というか、一,二か月は多分何の感情も抱いてなかったんじゃないかなぁ。
付き合い始めて二か月くらいたって、初めて私の家に呼んだ。その時初めて目を合わせて向き合うことができた。料理をしている時、彼がキッチンに「何か手伝おうか」って歩いてきて、私が「じゃあ、このお皿持っていってください」って頼んだ時、本当に初めて真正面から向き合った。
その時、彼氏がすごいポカーンってした顔をして立ち止まって、しばらく私を見た。私は特に何も考えてなくて、彼をじっと見つめかえした。はっとした顔で、彼がすごいおっかなびっくり「これもっていくね」って言った。その時、手が震えていて、耳が少し赤かった。
「あ、この人私のこと好きになったんだなー」ってなんとなく思った。わかりやす過ぎてびっくりした。
後から、「最初はそうでもなかったけど、だんだん好きになっていった」って言われたけど、この件がきっかけじゃなかったのかなーと個人的に思ってる。指摘すると絶対いやがるから黙ってるけど。
ちなみに、今は至近距離で真正面から見つめ合うことも可能だし、しばらく見つめ合うと変顔大会になるか、どちらかがサザンオールスターズの「TSUNAMI」を歌いだす。なんだか、あの顔をあわせるのも恥ずかしい時期に戻りたいような、戻りたくないような。
40代で高学歴ながら、人生が結構つんでるおっさん。俺は彼よりもう少し勝ち組、頭や知識も多分俺が上。
40代の友達は結婚はおろか、就職もできていない。おそらくつんでいる。が、俺は彼と友達になり、文学や彼女を作る方法なんかを切磋琢磨している。
40代の友達は、俺と同じで、勝ち組だった。しかし、色々あって、今はフリーター的な何か。頭も狂いかけである。ってか客観的に見たら、終わってる。
しかし、やはり高学歴だっただけあって、高尚な話も通じる。この頭で惨めな生活といったらアレだが、ほぼ芽がない人生を送るんだなと思うと辛いなあと感じさせられる。
おそらく結婚は無いだろう、セックスもしたいんだろうが、全然できてないらしい。
俺は、20代だが、どーもこの友達と同じコースをたどるかもしれない。
同僚などは、普通に生活しているが、俺には多分無理だろうと思う。中二ではなく、本当に周りと感覚や考え方がずれていて、普通の生活が楽しめない。
これは今に始まったことではなく、小学校時代から楽しくなかった。
普通、小学校のすべてとは言わないが、楽しい部分もあっただろう。俺にはまったくなかった。根本的に普通の人と一緒にとかが理解できない感じだった。
自由な選択脚がある状況から、自由でない状況に移行する時の違和感が常にある。自由でない状況になったときに変顔なんかして「俺は自由だよな?」というのを確認しないと状況が理解できないような。
この友達もそんな感じを感じている。
つるむ友達の性質に引っ張られているのかもしれないが。俺も多分、彼女できずに終わるかもしれない。
いやその40代の友達は大学時代に1回彼女いたらしいし、35くらいで童貞卒業したらしいが。
俺は、金にあかせて風俗など行ったりしてるが、彼女は多分できないだろうなと思う。
なんたって、その40代の友達は俺よりは見た目も顔もいいのだが、無理だったらしいし。
学歴じゃねーんだよなw収入も同年代の数倍稼いでいるが、そういうのでもないらしい。
ファッション、ダイエット、会話術、出会い力、女を選ぶ選球眼、リスクを恐れずがんがん行くメンタル。
どれもこれも、ほとんど身につかない。
っていうか、多分女に対して興味が湧かない。
興味が湧かないのに、ファッション→ユニクロやウィーゴ止まり。ダイエット→ちょっと筋肉割れてるくらい。会話術→適当にあいずちだけ打つだけ。みたいな。
これはまったく伸びないなと思うし、これやるくらいなら、高級な酒を飲むなりといった趣味に鞍替えしたほうがいいんじゃないのっていう感じ。
ここでダメだってなると。人生1.5個分くらい生きているようなもので。
ああ、俺達はダメなんだよなあって思ってる。
周りのつるんでる同年代の友達と話をしても、モテナイ奴はモテナイらしい。
嫁が妊娠した。避妊はしていた。だが、諸事情でおろさざるを得なくなった。8割くらい俺の事情だ。嫁も事情は理解してくれているので、モメたりした訳ではない。
妊娠の可能性があると分かった当初こそ産みたいという願望はあったみたいだが、市販の妊娠検査薬を使い産婦人科で確定診断するまでの時間で色々と話しあい、お互い合意した。「今回は産まない」と。
正直言うと、新しい生命が嫁のお腹のなかにいる、という実感はあまりない。
目の前にいるのは、ただただ体調の悪い嫁である。それがとても申し訳ないと言うか、いたたまれない気持ちでいっぱいになる。そういえば、ちょっと前から調子が悪そうだったな。
そして、町で子ども連れを見かけると、特に1〜2歳くらいまでの子をみかけると、昔は嫁と一緒に笑いかけたり、変顔をしたりしていた。それが出来なくなった。「かわいいね」とか嫁とのおしゃべりのネタにすることも出来なくなった。子どもという、その存在、その話題が、さも存在しないという反応を心がけている。
いままで子どもは好きで、出来る限り社会は子どもに寛容であるべきだ、と考えていた。様々な場でも主張してきた。しかし、今回の一件で、流産や不妊症で悩む人たちの気持ちがわかったような気がする。
なるべく目に入らないように、なるべく同じ世界にいないように振る舞っているのに、泣いて傍若無人に自分を主張する子どもという存在を憎いと思ってまう気持ちがわかった気がする。
26歳にして、なんだかモテるようになった。
というか、そろそろ一人ぼっちが寂しくなり、出会い系に登録して色々食い散らかして、残ったのが彼らだ。
問題は、誰と付き合うか、だ。
まずは自己紹介。
○増田(26歳)
○性格
おっとりというか、ぼーっとしてるというか、鈍感というか。
○顔
自分じゃなんともいえん。
○趣味
○セックス
で、ココからが本題。
○Fさん(38歳)
○性格
やさしい。
○顔
エロさが顔ににじみ出ている。
○趣味
全く会わない。
エロい話以外はしたくないらしく、休日もAVばっかり見てるらしい。
○セックス
フェラが大好きなおじさん。
そうえばまだキスもしてない。
○Nさん(32歳)
○性格
引っ込み思案。
○顔
○趣味
今度のTGSに参加するらしい、僕も予定があえば参加したかったなあ。
○セックス
いやほんと凄いよ。
拳ぐらいってのが比喩じゃなく、まじで拳ぐらいある。
その上セックスも超上手い。
一晩で六回ぐらいイカされたこともあるし、トコロテンもしちゃった。
○Kさん(35歳)
○性格
にぎやかな感じ。
いっつも喋ってて、暇をさせてくれない楽しい人。
○顔
お笑い芸人の河本が変顔している最中に、6000発ぐらい殴ったらこうなるんじゃないかな?
○趣味
全く会わない。
○セックス
ドへたくそ。
へたくそすぎて、一回もイケたことがない。
○Rさん(28歳)
○性格
いつも笑顔な感じ。
楽しませてくれるだけじゃなくて、真面目な話題もそつなくこなす。
○顔
かなりのイケメン。
DAIGOを5000万円ぐらいかけて改造しても、これだけのイケメンにはなれないと思う。
○趣味
あまりあわない。
あわないけど、僕の趣味に興味をもって接してくれるので、一緒にいて楽しいです。
○セックス
上手ではないけど、凄く丁寧に愛撫してくれるので、不快ではないです。
とまあ、こんな感じの四人の中から誰と付き合うか悩んでる。
勘違いして、恋愛本通りに、美容院行って、服装を店員さんに選んでもらって、教本どおりに女に接してみたけど。まったくダメだな。
なんのことはない、「※ただしイケメンに限る」これだけw 女側の本音!みたいなので散々「見た目より中身」と聞かされたが、ありゃ嘘だ。
おれも正直不思議だったんだよ。女にしてみても結婚しなきゃだから男は捕まえなきゃだめなんだよ、だからイケメン以外にもすそ野を広げなきゃだろ?そこに入り込めるんじゃねーの?
って思ってた。が、しかしだ。
ブサメンには要がない。雰囲気イケメンを目指した爽やか系(キモヤカ)ファッションするだろ?全然お話にならないんだなコレが。必死なのが逆にみたいなw
でも、フツメン以上ならモチロンチャンスあると思うよ。女だって結婚しなきゃだから(2割くらいの底辺女は諦めてるかもしれないが)、上位7割くらいのフツメンにはチャンスは絶対ある。ATM枠として雇ってもらえるはず。
しかし、ブサメンには絶対チャンスは無い。言い切れるw女だってやっぱ本能が告げる危険なラインってのがあるみたいだなw
芸能人で言えばマツコデラックス、バナナマンのデブなほうが変顔してる時、ダイナマイト幸雄(ググってクレw衝撃だぞwおれ以下の人ははじめてみたってくらいw)。このアタリは厳しいらしいな。
で、まあ恋愛は無理だ。しかし、しかしだ。風俗なら全然ウエルカムだぞマジで。喜んで女が相手してくれる。風俗女はマジでいいな。いやもちろんマクドナルドの店員より冷たい心なのは当たり前だけど、普通に話するし普通に恋愛してるっポイ感じになるよ。
どーせ不細工なんて金もらっても結婚できねーんだから、風俗に突っ込んだほうがいいよ、精神衛生上優れてる。
生物的な淘汰だと思えば自然なものだし、なんも苦しむ必要は無い。ブサメンこそ風俗池。フツメンが結婚で使ってる金を使うだけだ(共働きとはいえ男だって金を削られてるだろ)。
楽しく生きようぜ。
でも、宗教とかなら1チャンスあるかなーってのは思う。病気で顔がグチャグチャの男とか、知的障害で要介護みたいなのも普通に美人な奥さんとかいるんだよな海外では。あれはやっぱ宗教だと思うよ。
まあ犬なのだから、ある程度口臭がするのは当然なのだけど、それにしても臭すぎるのだ。
僕が帰ってくると、シッポを振って飛びかかってくるのだが、口を開くと凄まじい臭いがする。傷んだサバの水煮缶のような悪臭だ。その鯖缶臭のする舌でべろんべろん顔をなめてくるから、 僕の顔までサバ臭くなって閉口した。
そんなわけで、歯磨きをしなくてはならなくなったんだけど、犬の歯を磨くのって結構大変なのだ。基本的に動物は歯磨きが嫌いだ。世の中には歯磨き好きな犬もいるのかもしれないが、うちの犬は歯磨きが大の苦手。宅配便のお兄さんと同じくらい嫌悪している。
家族の誰かが歯ブラシを手にした瞬間、機敏に危険を察知してテーブルの下へ隠れる。使わんでもいい野生の勘を、こんなときに限って使ってくる。こうなると、おいしい餌で釣ろうと絶対に出てこない。
仕方なく誰かがテーブルの下に潜り、犬を引っ張り出してくる。捕まるまでは勇ましくうーうー唸るくせに、いざ捕まると浮気の現場を押さえられた間男みたいな情けない顔をする。この辺の考えの甘さが犬のアホかわいいところだ。
そのあと僕が犬の口に手を突っ込み、犬用の歯磨きペーパーでごしごし歯を磨いてやる。犬は悲しそうな顔をしてジタバタもがく。目が上を剥き、ちょっとしたアヘ顔になる。
人間の子供なら歯磨きの重要性を教えることができるけど、犬にとっては理不尽なイジメにしか思えないだろう。スマヌ、スマヌと変顔をする犬に詫びつつ、口の中のねちょねちょした歯垢を根こそぎ掃除した。
出産の話を書いたところその後の話を…というトラックバックをもらったので、その後のことをおおざっぱに書いた。
シモの話も多いので、お食事中の方や苦手な方は注意してください。
初日は母子は別室で過ごした。私の両親や兄弟、遠方にいて立ち会えなかった夫が訪ねて来た。出産という大きな出来事を終えて、神経が興奮したのかあまり休めなかった。
二日目から私の眠るベッドの隣に、赤ちゃんの眠るケースが置かれた。母子同室だ。赤ちゃんの眠るケースというのは、ミルトンのCMなんかで見る透明のキャスターがついた箱のようなものだ。私も赤ちゃんも疲れきっていたのか、二日目の昼過ぎまでグースカ寝ていた。出産の疲れと当日の来客ラッシュで、ベッドの近くに助産師さんが来ていても気づかずに爆睡していた。助産師さんは私の様子を見て、夜からお世話のしかたを教えてくれた。
まずオムツの替え方。
昔むかしは布オムツこそ正義、紙オムツは発育を妨げる!という論調があったらしいが、病院では普通に紙オムツが使用されていた。紙オムツにはテープタイプとパンツタイプがある。病院で使ったのはテープタイプだった。余談だがオムツは市販されていない新生児用のメリーズ。メリーズは通気性がグンバツで人気も高い。近所のドラッグストアでは常に品薄。中国人がまとめ買いをするらしい。
オムツは新しいものを開き、お尻の下に敷く。赤ちゃんの履いているオムツのテープを剥がし、おしり拭きでお尻を拭く。おしり拭きを古いオムツの中に入れて、くるくる丸めて捨てる。下に敷いておいた新しいオムツを履かせる。おわり。
助産師さんには赤ちゃんのおしりをごしごし拭き過ぎないようにと言われた。赤ちゃんは肌が薄いので強く肌をこすられるとすぐ荒れてしまう。もし赤ちゃんのおしりがかぶれてしまったら、温かいお湯でおしりを流してあげ、よく乾かしてからオムツをはかせるといい。ペットの糞尿を始末する時に使う吸水性のシート(水色っぽいやつ)を赤ちゃんの下に敷いて乾かすと、おしっこをされても床やベッドが汚れるリスクが減る。部屋の室温は赤ちゃんが風邪を引かない温度に。
市販の紙オムツには大体どのタイプでも「おしっこお知らせライン」みたいなものがついている。仕組みはよくわからないが、赤ちゃんがおしっこをするとオムツの一部にあるラインの色が変わる。リトマス試験紙がオムツの中に入っているようなものかと思う。赤ちゃんのオムツはこまめに買えてあげた方がいい。ラインの変色はその目安になるので便利だ。赤ちゃんの体調は排泄物の量や色でチェックする。オムツ替えの際は助産師さんが健康な赤ちゃんのうんちはどんなものか、危ないうんちはどんなものか教えてくれる。これは母子手帳にも書いてある。
次に授乳。
助産師さんに授乳する時の赤ちゃんの抱き方や、乳首のくわえさせ方、離し方を教わる。これが一番きつかった。
私が出産したのは総合病院だった。出産中何かトラブルに見舞われた場合、すぐに対応できる大きな病院がいいなと思ったので。その総合病院は母乳育児に力を入れている病院だった。母乳外来という母乳のトラブルに対応した外来もあった。母乳で育てようと考えている人は、出産する病院に産後のことをどこまで相談できるか調べておくといいかもしれない。身近に赤ちゃんがいない人でも、赤ちゃんが飲むものといえば母乳か粉ミルクというイメージが湧くと思う。たぶん離乳食がはじまる生後半年くらいまでは、ほとんどの赤ちゃんは母乳か粉ミルク以外のものは飲まないと思う(例外があるとするなら、赤ちゃん用のイオン飲料か、赤ちゃん用の麦茶くらいかと)。母乳か粉ミルク以外のもの(果汁やはちみつを溶いたお湯など)は体によくないらしい。
病院では母乳だけで育てることを「母乳栄養」、粉ミルクのみで育てることを「人工栄養」、母乳と粉ミルク両方を使って育てることを「混合栄養」と呼んでいた。それぞれにはメリット、デメリットがある。
「母乳栄養」のメリットは、赤ちゃんがぐずったり泣きだしてから授乳するまでにあまり時間がかからないこと、生後半年まで母乳を経由して赤ちゃんに免疫をつけられることかと思う。デメリットは乳房のトラブルが起こりやすいこと、いい母乳を出すために食生活に気をつけなければならないこと…など。
「人工栄養」のメリットは、母が薬を服用していたり出先でも授乳ができることだろうか。それから母乳では不足しがちなビタミンKも、ミルクでは補うことができるらしいと聞いた。デメリットはミルクを作るのに時間がかかること、出先で荷物が多くなることかな。
私は母乳9割の「混合栄養」で育てている。体調が悪い時や夫に面倒を見てもらう時はミルク、それ以外はほとんど母乳だ。
母乳は出産したら出るというものではない。赤ちゃんが乳首を吸うと母親の脳が刺激され、母乳が分泌されるらしい。母乳は「練習」をしないと出ない。赤ちゃんはうまく乳首をくわえて吸う「練習」、お母さんは赤ちゃんを抱っこして乳首をくわえさせて、母乳を吸わせる「練習」。こう書くとごく簡単なようだが、実際は大変だった。
育児書には赤ちゃんは3時間おきに栄養を必要とします的なことが書かれている。助産師さんに赤ちゃんの抱き方から乳首のくわえさせ方などを指導してもらい、3時間置きに授乳する。とはいえ大人が思うように赤ちゃんが母乳を飲んでくれるわけではない。赤ちゃんにも都合がある。乳首をくわえずに泣いたり、くわえながら眠ったりしてしまう。しかもベッドに置くと泣く。私ははじめの一日から五日目までは、赤ちゃん泣く→授乳→置く→泣く→授乳→置く→授乳…のエンドレスパターンで、ほとんど眠れなかった(あとから調べてわかったことだけども、赤ちゃんはお腹の中にいる時、昼間眠って夜は起きているらしい)。
入院中、乳首が擦りきれて出血した。痛かった。大きなかさぶたが出来た。血は毒にはならないから痛みが我慢できないようでなければそのまま授乳してと助産師さんに言われた。私はできれば母乳栄養で育てたかったので、そのまま授乳を続けた。乳首の傷には母乳を塗ったり、馬油を塗って、ラップでパックをすると治りが早いと教えられた。
余談だが赤ちゃんの吸う力というのは意外に強力だ。ある時赤ちゃんの顎を肩にのせるような形で縦抱きしていたら、いつの間にか肩に吸いつかれていた。あとで見てみると、肩に大きな赤あざができていた。あざはしばらく消えなかった。どうせなら星型に切り抜いたマスキングテープでも肩に貼っておけばよかった。うっかり指を吸われた夫が「ギャーッ!痛い!持ってかれる!」と叫ぶことも時々あった。
産まれた直後から何のトラブルもなく母乳を吸う赤ちゃんも、吸わせることができるお母さんも、そう多くは無いと思う。だから母乳で育てようとしているお母さんのまわりの人々は、くれぐれも「おっぱい出てないんじゃない?」「赤ちゃんお腹空いてるんじゃない?かわいそう」とか言ってはいけない。母乳はストレスで止まってしまったりする。どんなゲームだってはじめはレベル1の初心者からはじまる。プレイヤー以外がやいのやいの言ったところで、上達するわけではない。栄養が足りているかどうかは赤ちゃんの体重やおしっこの量で見ればいい。心配ならお母さんを質問責めにするのではなく、その道のプロである助産師や医師に相談したらいいと思う。
また赤ちゃんは産まれた時におおよそ3~4キロくらいあるので、授乳する時に結構腕が痛くなる。育児書には授乳は15分程度とか書いてあるけども、ベストポジションを探す、乳首をくわえさせる、吸わせる、ゲップさせるの流れを2回分(両乳分)やるので、私は毎回30分くらいかかっていた。赤ちゃんによってはちょこっとずつ飲んだりするので、さらに時間がかかったりすると思う。こんな時は授乳クッションが便利だ。授乳の指導をする病院や産院にはきっと置いてあると思う。もし家になかったら、あらかじめ買っておくといいと思う。
それから何度か乳腺炎になりかけたこともあった。乳房にしこりができ、触れるとひどい筋肉痛のような痛みがある。夫がふざけてしこりをつついた時、強い殺意を感じた。それくらい痛かった。乳汁が乳腺で詰まってしまうとできるらしい。熱が出ることもある。悪化すると乳腺をとる手術を受けなければならない。私は生クリームを口にした直後、よくしこりができていた。
母乳には和食のようなあっさりした食事がよいらしく、高脂肪のものはよくないそうだ。たまには甘いものが欲しいとうっかり食べてしまって、後々とても後悔した。それからは洋菓子は避けておやつはわらび餅や煎餅を食べ、豆乳やにぼしを意識的に食べるようにした。とはいえ、生クリームを食べても全然大丈夫な人もいる。乳腺炎のスイッチになる食べ物は人によって違うらしい。
私自身が母乳で育てているので母乳寄りの話になってしまったけど、母乳とミルクに優劣はないと思う。どちらにもそれぞれの大変さ、メリットがある。
沐浴は産前に母親教室でも勉強したけども、病院でも教えてもらった。手順は大体同じだった。
赤ちゃんのお世話を教えてくれる母親教室には、なるべく夫婦や家族で参加した方がいいと思う。赤ちゃんは重い。沐浴はなるべくなら2人以上でやった方がいい。水場では足元が濡れていて転倒する可能性もある。大変だけど1ヶ月の辛抱だ。助産師さんには生後1ヶ月たつと親と一緒の湯船に入れるようになると言われた。
赤ちゃんは大人より新陳代謝がいいので、毎日お風呂に入れなければならない。夏は一日二回、午前と午後に入れる(この場合、午前はシャワーで汗を流すだけでもいいと言われた)。どうしてもいれてあげられない時は、シャワーで汗を流してあげたり、お湯で濡らしたガーゼで全身を優しく拭いてあげる。
私は生後1ヶ月後、赤ちゃんと2人でお風呂に入るのが怖かったし、季節は真夏だったので、赤ちゃん用のバスチェアを買ってシャワーで済ませていた。生後1ヶ月たったら大人用の石鹸を使ってもいいと言われたけども、肌荒れが怖かったのでしばらくは赤ちゃん用の石鹸(ボトルに入っている、ポンプを押すと泡状のやつが出て来るタイプ。ビオレのやつがいい感じだった)を使っていた。しばらくは赤ちゃんの頭から男性の加齢臭のような匂いがしていた。ちゃんと洗っているのに何でだろう?と不思議だったが、思いきって石鹸を大人用の牛乳石鹸に変えたらすぐに加齢臭が消えた。やっぱり大人用の石鹸の方が洗浄力が強いんだな、赤ちゃんって思っているより汗をかいてるんだなと思った。
まとまりなく書いてしまったけど、産後は3ヶ月くらいまでストレスマッハだった。こんなことを書くと「赤ちゃんが可愛くないのか!」「母親失格だ!自覚が足りない!」「産む前にもっと勉強して覚悟しろ!」と言われそうだけど、聞くとやるのとは大違い、百聞は一見に如かず、とにかく毎日が初見殺しだった。
お父さんになる人や同居の家族は、できれば家事を手伝って欲しい。洗いものとか料理とか、1人暮らしの男性ならできそうなことをやってくれるだけで、とてもとてもとて~も有りがたい。夫はもともと料理が好きだったので、時々土日にご飯を作ってくれた。私にとってそれは天恵だった。嬉しかった。今でもすごく感謝している(欲を言えば料理した後の食器も洗って欲しかった…)。反対に「夕飯は作るの大変だろうから、外で食べて来るよ~」という気の遣い方はノーセンキューだった。ご飯炊いちゃったよ…、私ひとりでゆっくりご飯食べられないよ…、一緒に食べられないのは寂しいよ…ボスケテ…という心情だった。
4ヶ月を過ぎて首が座り、赤ちゃんの表情が豊かになってくると、少しずつ精神的にゆとりが出てきた。赤ちゃんは生後3ヶ月くらいまでイロモネアの観客も引くくらい無表情だ。頬笑みかけても変顔を見せても、ほとんど笑わない。相手の気持ちがわらからないのは辛い。言葉も話せない赤ちゃんのことを、わかってあげたくてもわかってあげられないのはすごく辛い。たまにニコッとするけれど、それはいわゆる生理的微笑で、「あっ、ここ笑うところだな」と判断して笑っているわけではない(それだってとても可愛いのだが)。けれどめげてはいけない。赤ちゃんは大人の笑顔を見て、笑うことを学習していく。
赤ちゃんが笑うと、心の底から幸せを感じる。私は産前あまり子どもと接することが得意ではなかったので、ちゃんと赤ちゃんを可愛がれるのか心配でしかたなかった。けれど今は何でこんなに可愛いのかよくわからないと思うくらい可愛い。
夜のお世話で寝不足が辛い。朝起きられない。夫のお弁当が作れない。泣く子の相手をしていると、洗濯掃除がなかなかできない。買いものにいけば暑さや寒さで赤ちゃんが苦しくないか、車や自転車が死角から向かってこないか、急に泣き出したらどうしよと気が気でない。料理中に泣くといちいち火をとめないといけないので、料理に時間がかかる(こんな時、シリコンスチーマーが私をよく助けてくれた)。お風呂に入れる頃にはへろへろ…。私はもともと家事が上手ではなかったので、夫には色々と迷惑をかけてしまった。家事も赤ちゃんのお世話もうまくやりたいと思えば思うほどうまくいかないことが辛くて、時々授乳しながら泣いていた。
時々、夫が「毎日ありがとう」「今日も赤ちゃん可愛いね」と言ってくれることが、とても嬉しかった。ある時「家に帰って赤ちゃんの顔を見ると、とても癒される」と言ってくれた。そういう気持ちを口にすることは気恥かしくてためらわれるかもしれないけど、ほんの少しでいいので勇気を出して伝えてみて欲しい。きっと心を支えてくれる大切なお守りになると思う。
思うまま書いてしまったけど、私の失敗や経験が役に立てば嬉しい。
これから赤ちゃんが産まれるご家族の方、おめでとうございます。赤ちゃんのいる毎日を楽しんでください。携帯のカメラやコンデジで毎日写真を撮ると、後から成長がわかって楽しいですよ。赤ちゃんの写真を残しておこうとすると必然的に一緒に時間を過ごすことの多いお母さんが撮ることになるけど、そうするとお母さんと赤ちゃんが一緒の写真がなかなか残せないので、ご家族の方は意識的に赤ちゃんとお母さん、赤ちゃんとお父さんのツーショットを撮ってあげてください。
チームのリーダーをやっている。私を含め事務所勤務の正社員が3名、事務所勤務パートが1名、在宅のパートが2名。
在宅のパートは2名ともかつて事務所でがっつりフルタイム共に働く仲間だった。両方とも結婚・出産を期に積極的に在宅ワーク体制を作ったため在宅パートが成立している。
チームリーダーごときの私に体制を作ることができたのは、環境の整ったPCさえあればできる作業がうちのチームの職務柄多いこと、会社が彼女達に結婚・妊娠・出産をしても会社と繋がり続けてほしい、積んだノウハウを生かしチーム力になり続けて欲しいと願ったことが要因だと思う。
在宅ワークの体制を作るのは最初は四苦八苦であったが、そもそも彼女達は優秀であったし事務所勤務時代に気の置けない関係をしっかり構築できていたので、有効な提案がボコボコ出て現在はかなりスムーズに在宅ワークを運用できている。
私が在宅ワークのシステムをチーム内で確立するにあたって、自分にあえて直接負担を強いて「これだけは」と作った具体的なルールがいくつかある。
このルールを作るまで、事務所勤務メンバーにも苦労をかけたと思う。通常業務と平行して試行錯誤の体制作りだったから。残業もいっぱいした。でもよく協力してくれたので今の体制がある。
このとき、実際本当に苦労した記憶があるのだけど私はこの苦労の最中に彼女達に対して少しも不満を感じなかったと記憶している(他の事務所勤務メンバーがどう思ったかは知らん)。
なぜかというと、私は常に「これから子供抱えて在宅とはいえ仕事もしなければいけない彼女達のほうがもっと大変」と考えているからである。
私は子供を持つことにまったく興味がなく外でよその子供を見かけてもまったく気持ちが動かない。
外で子連れの人を見かけると子供の速度に合わせてゆっくり歩かねばならない現実や、(特に暑い季節は)しょっちゅう立ち止まり屈んでは子供の様子を確認している様子や、荷物をベビーカーや肩に沢山ぶら下げて歩いている難儀な姿にばかり目が行ってしまう。
私が子育てに対して持っている印象は「負担」「苦労」ただそれのみである。
そんな十字架を背負って親と会社の仕事を兼業している彼女らに「迷惑かけてくれるな」などととても思えない。
子供が熱を出したと聞きゃあ「ああ、それは大変そうだ…仕事してる場合じゃないだろう」と思うのである。
思うに、私に出産願望があり道往くよその子供が可愛く見えていたら私はこういう発想になれなかったのではないかな。
子供のいない女性の多くはおそらくいつかは子供を持ちたいと思っているだろうし、エレベーターでベビーカーの乳幼児と一緒になったら頬が緩んだり、一瞬変顔を披露して子供の興味を引こうとしたりするだろう。
そんな子供好きの小梨女性にとって、子供が熱を出したから保育園に迎えにいくので早退します案件は「納期だって迫っていて人員もカツカツなのにお前は可愛い子供ちゃんの相手するとかまんざらでもない理由で仕事放り出せるのかよ。いいご身分だな」って感じなんじゃないだろうか。
つまり、子持ち兼業の同僚に感じている女性従業員のストレスの正体は、子供を持っている人への持たざる者の嫉妬なのではないかと思う。まあ私は子供好きの気持ちが分からないから憶測の域を出ないけど。
俺は結婚して5年くらい経つ男だけど、ほんとに悩んでることがある。
毎日嫁さんを腕枕して寝るくらいだ(嫁さんが「そうしてくれないと寂しい」ってな)。
けどな?
その他には、人外っ娘とかSMっぽいの(たぶんソフトなの。流血するのとかはちょっとお断りしたい…)も好きだけど。
で、俺には触手は生えてないわけよ。当たり前だけど。
それでと言うか、嫁さんと寝ててもちっとも勃ちゃしない。
いや、というか、たとえ自分に触手があっても、嫁さんは襲わないかなー、という気もする。
ウチの嫁さん、絶対嫌がるからなー。
(いや、どんな娘さんだって実際触手に襲われたらまず嫌がると思うんだけど)
結婚する前、2人でちょっとオナネタの話になったことがあって。
で、その時にちらっと触手モノの話も出たんだけど、嫁さん曰く
「なんかタコみたいなのに絡まれてる絵を見たことがあって、超キモかった。うえぇ、って感じ」
で、嫌悪もあらわな表情のまま
「そういうの見てないよね?」
と睨まれたので、あー俺もああいうのはちょっと…とか大嘘をついたことがある。
なので、嫁さんがこっちの趣味に理解がないのは確実。
実はそんなのしたことない。っていうか、3次でオナニーしたのは中学生くらいまでだな…。
最近は淫夢もアニメ絵で見るくらいだ。(淫夢じゃない夢は実写なのに)
ていうか、触手に限らず、オタク向けのエロって、「嫌がる女の子を無理矢理」なのが多いよな?
結果として和姦になったりならなかったりするけど。
家族もいれば将来もあるリアル女子を襲ってどうこうとか俺は考えられない。
私見だけど、悪魔っ娘とか人外っ娘が流行るのって、「人間じゃない」からあんまり罪悪感がない、ってことがあるんじゃないかな。
非実在っ娘であっても、人間に無理矢理やるのは胸が痛む、みたいなオタはきっと多いんだよ。
(まあ、「人間じゃない」ならいいのか、っていう話ではあるけど)
まして、嫁さん相手なんて俺には無理。
むしろ、もし嫁さんが触手怪物に襲われてたら立ち向かう自信があるよ(まあ、普通は瞬殺されるけどなそういう男は)。
…というわけで、結婚前からのつきあいも含めるとかなり長いんだけど、実のところセックスレス。まったくのゼロ。
といっても、嫁さんの胸とかあそことか触ったりしてイかせることはあるんだ。
それで嫁さんが感じてくれるのはうれしいんだけど、でも嫁さんがいくら喘いでてもこっちのモノはピクリとも動かないという…。
でも、エロアニメとかエロゲーとかエロ同人誌とか見てるとそりゃもうビンビンですよ。
でも、ああいう薬って、基本的に「興奮してるのに勃たない」人を治療するもので、興奮してない人を無理矢理勃たせる薬ではないんだよな。
で、嫁さんハグして寝たら、そりゃもう癒やされちゃって心安らかな気持ちですよ。
「よつばと!」とか読んでる気持ちに近い。
それにね、初めては痛いって言うじゃないですか、女の子。
いや、もしかして「痛いのは最初だけ」なのかも知れないけど、それでも最初にする時はそれが最初なわけでさ…。
「今、挿れたら痛いのかな…」
あとさあ、女の子が感じてる時の顔って、イラストだとかわいいじゃん?
エロゲーとかどう考えても美化しすぎだろ……。
そんなことを言ってるうちに嫁さんももう「女の子」という歳じゃない気がするし、子どもとかどうすんだよ、って話なんだけど…。
ふぅ…。
…というわけで何が言いたいかというと、2次元エロは少子化の原因になるかも知れないよね、ということ。
世の中、エロゲーとかが性犯罪の原因になる、とか言ってる人もいるみたいだけど、たぶん逆だと思う。
…いや、まあ、そういう人もいる、と言った方がいいのかな。
でも、コンビニのエロ雑誌もなんか2次元が3次元と張り合ってるし、風俗の看板なんかアニメ絵の方が多いくらいだし、一体、日本はどうなってしまうのか心配です(賢者タイム)。
あー、この際、俺の所にも悪魔っ娘が現れて、「一週間興奮が収まらない薬」とか無理矢理飲ませてくれねえかなー。
おしまい。
いい話だね。良いメッセージだと思いたい。
いやいや。
「泣かせる前に」って、
まるで橋下が何か心変わりしたみたいじゃないか。
請合ってもいいけど橋下は今でも例の女子高生については「勝手に泣いとけ」って思ってるよ。
いい話だが、「美談」にならない様な、成績の良くない私立女子高生の要望だったらどうだったんだろうね。
2012/02/05
どうだったんだろうねって。
わかりきってるだろ。
「家が貧しいって言いながら必死に勉強もせず私立入ってるような奴は救う価値なし!」
って
橋下はオブラートも無くハッキリ言ってるじゃん。似たような事例でもいつも。
橋下は、
橋下基準の「自分で出来ることを十分頑張ってる」奴が頼ってくると涙を流して力になるぐらいの人情家で
橋下基準の「自分で出来ることを十分やってない」奴が頼ってくると「死滅しろ」って吐き捨てるぐらい嫌悪をあらわにする。
出来合いの言葉にすると
という風にまとめられる。
橋下の個人的な人生に対するスタンスは一貫してる。わかりにくさもない。
「お前のスタンスは施政者として冷酷すぎ。頑張ってない奴も救え」だとかならば
批判足りえる。
だがこれらのブコメと☆つけてる奴等は
橋下の中で「K君」と「成績の悪い私立女子高生」がどういう差をつけられてるのかすらわかってない。
だから「K君に優しくしたのに何故女子高生に優しくできなかった!今ごろ改心しても遅いぞ!」などと
もちろん橋下は全く”改心”なんかしてない。
K君、人生しんどいことがあっても頑張れば必ず報われる。人生捨てたもんじゃない。日本社会は捨てたもんじゃない。.
僕ももう一頑張りしないといけないと、エネルギーをもらったよ。.
今回のK君の行動こそ公の行動。勉強させてもらいました。.
お互いに頑張ろう!
大阪市長 橋下 徹
書き手が滲み出してくるイイ文だ。
頑張らない奴に対して人生や日本社会がどうあるべきかを明確に述べてもいる。
〇違いというとすぐ変顔や溢れ出るヨダレで表現する凡百のフィクションはこのセンスを見習うべき。
キャラ立てというのはこのようにやる。
そして
こんなにわかりやすくも確固としたキャラ・スタンスを打ち出してるのに
それすらきちんと読み取れない批判対象を理解出来ないのであれば、
当然問題点の整理や抽出なんかも出来ず、つまり批判なんか出来ない。
お前等は一切口出さなくてよろしい。
そして最大の特徴は
☆不細工、というのは何か違うようなので、「喪照る女」ということにしてください。
自分で言うのもどうかと思うけど、そういうのが許されるのが増田だと思っているので言わせてもらおうと思います。わたしは不細工だ。小さな頃から、不細工だ、みにくい、汚物だと言われ続けてきました。田舎だったので中高の運動会文化祭には他の学校から男も女も私を見に来ました。高校生のころは地元情報紙の変顔グランプリ?のようなこともしました。背も156cmまで伸び、ミルクタンクも自転車操業になりました。高校卒業と同時に、その小さな街のB1グランプリ候補にも推されたけど大学へ進学するので辞退しました。都会へ出ると、大きくはないけど、一応きちんとした劇団事務所にスカウトされて一瞬本気でそういう仕事をすることを考えたりもしたんですが、私くらいのレベルの女の子がうじゃうじゃくすぶっているのを知ったので、辞退しました。
大学は私立のDランクだったし就職氷河期だったので就活にはかなり身構えていたけれど、あっさりと決まりました。一応"ブラック"のつく企業の事務職。これが顔のおかげだってことはわかってますよ。でも2年でやめた。なぜかって、人間関係がこじれたから。と、ここまで話すと大概「女のいじめでしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。男なんです、問題は。勝手に蹴る→なじられる→いやがらせ。これは学生時代からあったことなのでそういうことが起きないように警戒していたんですが、やはり、という感じでした。俺のイジリーを踏みにじりやがって、みたいに興奮みする男性は本当に多かった。わたしの三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20畳くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、さわやかな嫌がらせが始まるわけです。想像がつくと思うけれど、それが上司の場合は最悪だ。髭剃りを使う女、のような噂を流すのも男だった。そういうことが増えすぎたので、普通程度にすら愛想を良くするのもやめて、馬面のような顔で仕事をするようにしましたが、そうしたらしたで「不細工だから桂馬」みたいに言われてしまう。女の上司や同僚は、最初は安心して近づいてくれてるけど、腹を割ればそんな理不尽な桂馬扱いをする人ばかりだった。ときどき尋常ならぬ敵対心を燃やしてくる不細工もいるけど、グループ内で負けるのはわたしではなくそっちなので問題ない。白豚た黒豚だとか関係なく最初からいやがらせしてくる男も多い。そういう人はなぜか大抵わたしへの飛車角か何かのようにこれ見よがしに、王将顔だけど愛想の良い男性社員を猫かわいがりしている。その男性社員から、私のいないときはその男が歩だということ聞いて、なるほど次郎のいやがらせか、と気がついた。
そんなことが2度ほどあって、とうとう、仕事を一切させてもらえないという嫌がらせに耐えかねて辞めた。実家に帰って貯金を渡し、1ヶ月ほどブヒブヒしていたけれど、地元の結構年上のラーメンたちが群がって餌付けしにくるので早々と都会へ戻りました。
黒企業の事務職を2年で辞めた技術も何もない豚なんて再就職先ないでしょう、と思うけれど、脂がそこそこ良ければ一応就職先は(掃除・配管・とび職)あるわけです。そこで次は5000人規模のメーカーの激務に再就職しました。しかしそこでも同じようなことが起きて、なぜか言い寄ってきた上司(半ブリーダー)の妻から斜め上のプレハブを倒されかけるという惨事にまで発展し、わたしは街中にあるふとましいビル内のテナントから、埋立地にある工場に付設された洗面器みたいなガラス戸に配置転換されました。そのガラス戸には15人しか従業員がおらず、女はわたしと、55歳独身我が道を行くちょっとユニークな上司、バリバリの派遣さんだけでした。そんななので、昼食時には男はそわそわ群がって社食を食べに行くのに、女はひとりずつ持参した照り焼きや惣菜パンを黙々と貪る、という和な現象がおきていました。
そのガラス戸では、入れ歯のような扱いを受けていて、男は誰もにおってこないのでくっちゃあ寝でした。そのガラスでは28歳まで働きました。ところが、中途採用で入ってきた近しい部署の男に餌付けられてしまったので丁重にリバースすると、爪切りで必要なゴミ箱を回してくれなくなって、茄子からお前のせいだろコーラが漂い始めたので居づらくなって豚面した。
牛舎生活、ミラクル、かんな掛け、30歳までの不細工生活に登場してきた獣たちは、「自分の便意を踏みにじった豚女」と「自分の足に入らない豚女(最初から足に入りっこない豚女)」が死ぬほどトマトなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みがモサモサ)、次はそういうことが倦怠に起こりえないガラスにしようと思いました。更にこの肉になると、不細工というだけでなく、出荷しないの?という圧力がかかってきて心臓に辛くなりました。そこで、わたしは29歳にして!はじめて!火商売の世界に身を置いてみることにしました。炭田なこともいろいろとありましたが、元旦に楽しい1年間でした。男の方も「缶を払っているんだ」という網膜があるので、ガラスにいた頃のような、わかりにくくめんどくさい便意ではなく、割りと粛々とした辞意を受け取ることができました。出荷していなくても良いし、不細工ならなお良い、ミルクホールがしわしわならもっと良い、という宇宙です。ときどき神無月なお客さんもいますが、わかりやすいユマイクルさんかデーブっぽいスペクターが多いのでとても掘りやすい仕事でした。栓抜きもかなり増えました。ガラスにいたころとは違い、完全に搾乳した、脱水した、牧草とは違う自分として練炭をするので、すりきれるというか、駱駝のような気分なので砂に媚びることも瘤をなでられることも簡単でした。
30歳になって、わたしはかねてからお付き合いしていたダンプと出荷しました。
わたしより更に豚しい姉が26歳で出荷したあとしきりに「出荷すると楽だよー。誰かの部位になるって知よ」と言っていましたが、その意味をようやく理解しました。確かに出荷してからは、肉骨粉しにくかったですが、屠殺してからが圧倒的に知です。綺麗な豚さん、というような扱いで、言い寄ってくる鴉もほとんどいなくなりました。値札シールをしているだけでこんなに知だなんて。ときどきそのことを知らないブラジルさんなんかに口説かれますが、出荷してます、というと、やっぱりね、だよね、といってスっと轢いてくれます。
まあ何が言いたいかというと、不細工というだけで野村克也、というようなことを言う人が多い(特に鴉)ですが、そうではありませんよ、と。不細工だからこその鎮魂も多い、と言いたかったんです。それと不細工の苦労=肉の嫉妬、というタゲレオタイプの侵食もやめてください。わたしの人生においては、鴉からのいやがらせの方が圧倒的に多かったのですから。こういう話をすると、鴉からの好意(魔的な)は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有しているという点で、トンビの方から多くの賛同を得られます。鴉は胡桃を噛み潰したような車になるので、車道ではあまり話せません。
産地には一切答えませんです(10/28 答えたいところだけ答えます)。
追記
㌘ありとあらゆる断り方を試しました。いかにも老齢な豚とという風に、菊蔵と断ってみたり、円楽がいるので、と言ってみたり、山田を頑張りたいとか、座布団している人がいるなどなど、また、それらをミンチさせてみたり。それを聞いてあっさりと受け止めてくれる人もいれば、なんと言おうとスライスしてくる人もいるのです。混沌指輪をつけてみる、という手も試しました。ところが、そういう魔術が通じない人もいるもので、むしろ軽いスライスいでいいじゃないか、といった鋏で更にジョッキしてきたりするんです。ねばねばしく豆腐しようが、しょうが焼きにしようが、どっちにしろ寄ってくるんです。お断りしたあとも、食道を逆なでしないように、いつも通りに慎重にしても、いやがらせされるときはされるんです。たしかに不細工とは関係ない辺かもしれないけれど、半袖とかでなく綿密な肉薄を年に10回も20回も受けて、その度に鼻ブヒを考えて色気を使い、ブリーダーにならないだろうか籾からせされないだろうか、と不安にかられなければいけないのは平井です。
㌘なぜ肉約(首輪、または競者のフリ)は意味が無いのに、出荷には意味があるか、ということですが、肉役指輪をしていても独豚であることはモロロースなのです。なぜかというと、あたりまえだけど、サランラップ活動する時点で血統書類や保険、堆肥で普通にバレるからです。それに、出荷してます、なんて嘘をついても、そんなに簡単に味噌る鍋だと更にだし汁を呼ぶのではないでしょうか。
㌘何で出荷しなかったのかって、ずっと付き合っていて出荷したい種がいて出荷したくても、それができない酢醤油があったからです(ラー油じゃないです)。ってそのレシピも書こうかと思ったけど、何でそんなことの説明まで、と悲しくなったので書きません。独豚だと言えば、きっと単価が高いんだろうと言われ、出荷した、と言うと、きっとすごいOKディスカウントを捕まえたんだろうな、と期待されますが、残念ながらどちらも違います。ブヒ。
㌘あと確かに胃もたれそうとはよく言われます。
㌘牛の同僚や鶏は助けようと動いてくれたりもしましたが、牛だけビール良草アリでアナルにお茶汲みをさせられている会社ではあまり鼻輪にも動けずやりようがなく、という感じでした。それに密談もしにくい柵なので、あまり朽ち果てることはなかったです。(相手の鴉性のこともバラすことになるし、まるで焼き鳥のようだし)
柳原可奈子みたいなおでぶの女の人が、電車のはじっこの席に座ってガムを噛んでいた。
そこへ照英みたいなガッチリした長身の男性が、ベビーカー押して乗車して来て、柳原さんの近くへ来た。
男がベビーカーか。珍しいな。イクメンってやつか?と思ってみんなさりげなく注目。
柳原さん「席かわりましょうか?」と合図するも、照英さん断って出入り口付近に立つ。
ベビーカーの中の赤ちゃんと柳原さんが軽く向き合うような感じになる。
柳原さんは噛んでいたガムをぷくーーーっと膨らませはじめた。
つぶれてはまた膨らまし、つぶれてはまた膨らまし。
照英さん照れ笑い。
やがて次の駅について、「ごめんね、バイバイね」といって柳原さんは降りていった。
私もそこで降りた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.pjnews.net/news/794/20100326_2
2010年03月27日 07:18 JST 【PJニュース 2010年3月27日】異例の再投票に持ち込まれた日弁連会長選挙(2010年3月10日)では、無派閥の宇都宮健児弁護士が主流派閥の支持した山本剛嗣・日弁連前副会長を破って当選するという快挙を成し遂げた。改革を訴える宇都宮氏の当選は、弁護士の置かれた状況への強い問題意識が背景にある。宇都宮氏を当選させる至ったエネルギーは弁護士会の内外で噴出している。 兵庫県弁護士会(春名一典会長)は3月23日の臨時総会で、司法試験の合格者数を年間3千人まで増やすとする方針を見直し、年間千人程度に段階的に減らすよう政府に求める決議をした。日弁連会長選挙で宇都宮氏は1500人程度への削減を訴えていたが、兵庫県弁護士会の求める削減幅は、それ以上である。これは宇都宮氏の改革に対する地方からの援護射撃となるものである。また、中途半端な改革に終わらせないためのプレッシャーとも読み取ることができる。 この兵庫県弁護士会の決議と同日に日経BP社が運営する安心・安全情報ポータル「SAFETY JAPAN」には悪の弁護士が増えているという衝撃的な記事が掲載された(夏原武「「モンスター弁護士」急増中。「借金整理を頼めばかえって損」「自ら詐欺主導」「夫婦で8億脱税」など。 今後弁護士が信用できなくなる「理由」を、全部書く!」SAFETY JAPAN 2010年3月23日)。 http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20100318/216607/ 記事では依頼人を食い物にする弁護士や、偽造した代理権委任状で交渉の相手方から金を詐取した弁護士の事例が紹介される。このようなモンスター弁護士出現の背景として法曹人員増加を指摘する。また、避けた方がいい弁護士として「広告をばらまいているような弁護士」に言及する。これらは宇都宮氏の問題意識と重なる。
今気付いたが、この記者は私のツイッターをフォローした人だ。ユニオン告発だって別ユニオン関係者が横にいる弁護士告発の席で行われている。この林記者にツイッタ内で「追い出し屋対策で検索してフォローしてるのかもしれませんが、私は追い出し屋被害に遭ったのではなく、追い出し屋対策弁護士の被害に遭ったのですが、なぜか追い出し屋対策を書いている林さんにフォローされました」と言う意味の事をツイートしたら、反応は「○さんの幸福をお祈りしています。」だった。その後書き込みしたオーマイニュースをリンクしたが、、また幸福をお祈りだった。
下のはPJニュースの米しようとしたら、サインインできなくて入らなかったもの
それは殊勝な心がけだと思いますが、実践されなければ意味が無いと思います。そう言葉で言う事によって、イメージアップを図り外面を整えているだけではないですか?
そこまで言うなら、宇都宮弁護士さんも関わっておられた追い出し屋対策会議の他の地域の弁護士も見張られたらどうでしょうか?
私はそこの弁護士に法的に間違った事を言われ、他の弁護士に相談すれば仮処分申請してくれたかもしれないのに、その機会を失いました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1367730408
相互リンク http://b.hatena.ne.jp/entry/www.pjnews.net/news/794/20100326_2
苦情は責任者ではないが、アパートの保全ができると言って(電話相談時)実際に動く弁護士を紹介したこの地域の追い出し屋対策会の中心人物に、言っても「保全してくれると思います」(アパートが壊される前)
壊されてから事務所に電話しても、事務員しか出ません。向こうから折り返しの連絡は返ってきません。大変顔の広い方である政党の無料相談の弁護士も路上生活のボランティアに関わる人も名前を知ってました。
私が何年か前にボランティアで行った事務所と同じ名前だったので、そこの代表の弁護士ならその人に話ができるかと思い、電話したら、今はその代表者は居なくなり、そこの事務所ともう一つ違う市の事務所と両方その人が代表をやっているとの事でした。
電話相談に電話して苦情を言っても、ボランティアが出るとまだまともに聞きますが、弁護士だと相手にされません。ボランティアもまた聞いておきますと言いますが、会のまとめ役がその人なので、返事はありません。
過払いや債務整理や生活相談も追い出し屋対策と一緒にやってます。
私は家賃滞納はありません。大家が代替わりし息子さんが居住者付きで売却した業者が、立ち退き交渉もせず水が止まると言ったり、こちらが立てた調停中に、アパートを半壊にしたのです。半壊になるだいぶ前から相談していたので、仮処分申請する時間はありました。その時に「アパートの保全はできない」と言ったのです。こちらが京都の借家を半壊で勝訴した事件番号2455号の資料を持って相談に行っているのに!!(判例 2455 でぐぐる) ある政党の無料相談では、「勝てるだろうけど、賠償金が数十万だから弁護士が嫌がる。費用対効果、もっと言うと労力対報酬だわな」と言われました。それで今までの弁護士達の不可解な態度にも納得できました。電話相談では調停を立てた事をなじるように「自分で立てちゃって」という言い方をチンピラのような弁護士にされた事もありました。この人は名乗らずにPHS番号だけ教えました。今考えると変です。phsはいつかけても電波が通じない所にいるか電源が入っていませんになります。
自己管理できない状態の人が相談者に多いからと言って、自己決定権を奪っていいわけはないのではないか?とこっちの地域の路上支援の医者もこの会を紹介していたのでメールしましたが、全く返事はありません。
大阪のこの地方の会を紹介した電話相談に電話しても、聞く人もいれば聞かない人もいますが、聞いても上の者に言っておくというだけで、返事は無く、電話の返事はどうなったのか切手を同封した手紙を書いても、返事はありません。ボランティアは善良そうで、過払いばっかり拾いに来て!と怒ったら、テレビで宣伝しているような所のように2割も取ってません、とか、債務整理では本当に深刻に悩み自殺を考える人もいますので、と真面目に返されたりしました。ボランティアの人も騙していると思います。なぜか大阪の司法書士の電話番号を教えられたので、電話したらヘラヘラ、ヘラヘラして、こっちが水道止めると言われ、払う必要のない家賃に込みの水道代を「水道代払ってますか?」と言われたという話をしたら、「水道代払おうね」と言われました。こちらの地域の水道局まで電話しましたが、名義が大家のもの(その当時はまだ前大家)だったので、名義変更しなければ支払いを受ける事はできないと言われました。もっと色々ありますが書ききれません。
このように、ものすごく相談者を疑ってます。何か非がある人だろうと思ってます。
宇都宮先生、先生のやってらっしゃる弱者救済に群がる弁護士たちは、何とかなさらないんですか?
自己管理できない容易に自己決定権を奪える相手だから、自分達のいいように利用して、ボランティアは外向きのイメージ戦略で誤魔化し、やってる事は弱者救済に名を借りた、貧乏な弁護士救済じゃないですかwww
法テラスの受任料わずか10万でも拾いたい、けど、調停イヤ訴訟絶対イヤ><だめ絶対>< みたいな。 やる事は何か書くだけ。
こっちは、図書館にあった弁護士が書いた本に、「法テラスは半分ボランティアみたいなもの」とかネットで見た「受任料が相場の半額になってしまう」とか そういうのを知っていたので遠慮もありました。
しかし、弁護士を一人作るために、公費がいくら使われているか考えると、疑問にも感じます。公共性や公益性がある高い倫理観を要求される仕事だからこそ、たくさんのお金を引っ張る事ができるのです。
今は、食い詰めた弁護士が多いから、弱者救済にマトモな人が周ってこないのではないでしょうか? 昔は企業の仕事をしてる余裕がある事務所でも、社会貢献みたいな(本来の弁護士法に謳ってある仕事はこっちですけど)つもりで、弱者救済の経済的合理性には欠ける仕事もやってたのが、食い詰め弁護士が仕事が無いから、社会貢献的にやってた分野で食っていこうとしているから余計ややこしくなるのではないですか?
早く弁護士にも保険制度を導入し、企業と個人で負担額を変えて、企業からたっぷり取って、個人は企業の負担分で賄えるようにして欲しい。 元々これに近い形で回せるようにしてきたんじゃないんですか? 賠償金が数十万だと弁護士が嫌がるとある政党の弁護士に言われたので、本当にそうなのかと裁判記録を閲覧しに行ったら、賠償金なしで家賃値上げに関する訴訟を見つけたので、その関係者に代理人も含め聞いてみた事もありました。 弱者救済と関係ない大きい事務所のようでした。原告側も被告側も不動産屋さんに弁護士を紹介してもらったと言ってました。
どうして苦しいことを認められなかったのか。
「かわいそう」でした。
人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。
彼等は学校に行けません。
彼等は人を愛せません。
彼等は私たちと同じじゃありません。
だからかわいそうでした。
皆大体同じことを考えたと思います。
今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています。
そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。
違うのです。
周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。
「苦しい」と言えば、
「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、
「死にたい」と言えば、
「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。
そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。
私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブでスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。
理由は私の兄にありました。
私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。
少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。
実践してみれば簡単なことでした。
変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分の価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。
今思えばここが間違いだった、と感じています。
道化は見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です。
そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです。
人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまいます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです。
私はそれを苦痛だと考えませんでした。
周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。
ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。
私はそれを見ているのがとても嫌いでした。
笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。
それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから。
私は本当にうれしいのか?
中学生になり、地元の学校だったので小学校のほとんどの生徒が同じ中学校に入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達に部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。
そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです。
わたしは結論しました。
部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。
こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです。
何故なら、私はその私しか知らなかったからです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。
中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。
勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。
私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです。
一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。
ただの暴力は一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。
彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。
なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。
彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです。
限界はどうしても来てしまうものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです。
そして学校で面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。
しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。
勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分を日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。
人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです。
何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。
私なりの結論でした。
そしてそれは正鵠を得ていました。
教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快な感情と同時に、安心できるのです。高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのです。しかし絶望もします。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます。
この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです。
高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学に希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。
全てが嫌でした。
惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。
こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。
死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべき感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです。
私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです。
二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。
学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰をします。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。
私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員です。おかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです。
しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇的であるためには。
生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです。
結局これが私の思春期の全てでした。
大学生になりました。
冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立の大学に入り、親の前での面子を保たせました。
大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分の学力で行ける範疇の大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。
大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。
しかし確実に私と違うところがありました。
彼等は正常でした。
彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです。
彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです。
思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。
苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。
自分の苦痛を認めずに、自分をいじめた人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。
苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。
使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去の苦痛に相変わらず縋りついています。
行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようです。しかしその症状は殆ど昔からあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。
私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です。
結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。
しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。
こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。
私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。
でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。
なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。