兄(の嫁)が子供を生んだのはちょうど3年前。
同時期に兄の一歳下の姉も妊娠しており、その3ヶ月後に出産をひかえていた。
同級生になるね、なんて話していたのはそれくらいの時期までだ。
姉のお腹は異常に大きくなってきて、痩せていた姉の浮き出る肋骨とは対象的に、なんか怖い感じになっていた。
「なんか怖い感じ」は病院で検査した結果「羊水過多」と診断された。
お腹の赤ちゃんの肺がうまく発達しておらず、栄養素である羊水を吸収できていないらしい。
大きな病院に入院した姉は、羊水を抜いたりしながら出産に向けて慎重に過ごしていた。
ほぼ確実に障害を持って生まれてくるだろう、と言われていた。
赤ちゃんは見ていないけど、姉から見せてもらった写真では髪の毛もしっかり生えていたし、
体重も2000グラムくらいあったそうで、少し小さい赤ちゃんって感じだった。
でも少し小さい赤ちゃんは鼻に大きな管が通っていて、それを固定するためにほっぺにはぞうさんのイラストのシールが
貼られていた。生まれた赤ちゃんは様態がよくなく、姉はうちから1時間半の病院に毎日赤ちゃんの面会に行っていた。
限られた時間しか会うことができず、さらに抱っこすらできない。
管まみれで寝ている赤ちゃんに触るだけだ。
姉は、完全にやつれていて、でも今日は動いた、とか、今日は笑った気がする、とかそういうことを話していたと思う。
よその赤ちゃんはなんで普通に生まれてくるのだろう、と誰にも言わないが家族みんなひたすら思っていたと思う。
12月30日にもうだめかもしれない、とお母さんから聞いた。
12月31日、赤ちゃんは危篤状態だった。
1月1日。世の中は新しい年が来たことを喜び、騒ぐ中で、赤ちゃんは息を引き取った。
この子が生きたのは20日間。
480時間だけ。
あんなに悲しい元日は二度とないだろう。
亡くなる直前に、姉は初めてわが子を抱いたらしい。もう死んでしまうとわかってからはじめて子供を抱く心境というのは
正直想像できない。
遺体が悪くならないように家で暖房をつけず、寒かったことは覚えている。
赤ちゃんは、私がプレゼントしたピンクの帽子と手袋をしていた。小さいうさぎのプリントの。
はじめての外は寒かったかな。
姉が赤ちゃんを抱き、母が「○○ちゃん、おうちだよ」と言いながら入ってきた。
用意していた新品の布団に、冷たい赤ちゃんを寝かせた。姉が写真を撮って欲しい、と言った。
友人や知人、ドラマ、映画、漫画、小説、あらゆるとこでみる「出産」に、こんなのはなかった。
みんなが祝福したし、みんなが緊張していた。
万全の体制で、とにかく健康に生まれてきて欲しいと思っていた。
赤ちゃんはまた、見たこともないくらいの数の管を小さい体にたくさんとおして、そのせいか、顔がうっ血してすごく茶色かった。
仰向けに寝かされていて、足も、うでも、顔も、お腹も、管がついていた。
おむつがぶかぶかだった。
なんで私が会えたかというと、もうすぐ、亡くなるから、だそうだ。
管さえ外せば亡くなる様な状態だった。
でも確実に生きていた。名前を呼びかけると、苦しそうな茶色い顔して、管のついた足を上げたりした。
あの子はどれくらいの苦しみとか痛みの中で私たちに答えてくれたんだろうか。
「○○くん、すごいねえ〜〜」なんて話しかけるしかできない。そういう優しい話し方でしか空間を保てない。
一人目の赤ちゃんの写真をもっと撮ればよかった、と姉が言っていたので
私は看護師さんに許可をとり、たまたまもっていたコンデジで写真を撮りまくった。
ムービーを撮りまくった。そこには動いている赤ちゃんが写っている。
みんなが呼びかける声が残っている。一人目の子の時には残せなかった、生きていた証。
赤ちゃんが亡くなったあと、姉夫婦が初めて赤ちゃんの沐浴をしている写真がある。
やつれきった二人に、茶色い赤ちゃん。顔がむくんでいて、痛々しい。
「天国でお姉ちゃんがまっているから、仲良くできるね」なんて奇妙なセリフにみんな同調していた。
見たこともないくらいの、小さな棺に、赤ちゃんは入れられた。
管をつけていたせいで顔にはあざがたくさんあった。
健康な赤ちゃんが生まれてくることが、なんでこんなにも難しいことなのか、
こんな悲しみがなぜ姉に2度も訪れるのか。
出生届と死亡届を一緒に書いている姿は、何にも例えられない光景だった。
2人の赤ちゃんが生まれてすぐ亡くなった原因は未だにわかっていない。
このことを思い出しては、本当に姉が不憫になるし、今も働きながら、本当は苦しみながら、前向きに生活している様子に心底尊敬する。
下衆な週刊誌に有ること無いこと書かれたら、もう「検証可能性あり」とされてwikipediaに載る。
まずその週刊誌の出版社に訂正させようにも、とっくの昔に潰れた後。
本人や身内がいくら否定しても、もう無駄。
真面目ぶってる分、アンサイクロペディアよりもたちが悪いサービス。
他の人は分割にしていることが多いのかな?と疑問に思ったのです。
その時ずっと解けずにいた謎の答えが分かった
好きになる相手がみんなと僕は違うんだと
それ以外は幸せとは誰も信じないようなこんな街で
僕のこの恋はどうやら上手くいきそうにない
わかってるそんなこと誰よりもわかっているさ
だけど譫言のように心は君の名を呼ぶから
ばれないように心の口を
必死に塞いでいる
正直あまり良い話ではないのですが、貴重な経験であった事と、これを読む人にとっても、そういう事ってあるのだなという意味で、まあ他人の経験談って何かと考える時の材料になるので書こうと思いました。
っていうよりも自分の一つの記憶として一度整理しておきたいなと思ったってのが本当かもしれません。
あれは2008年の春の終わり頃だったのでもう3年も前ですが、ある個別指導の塾講師として採用され働きはじめた時の事でした。
それまで個別指導というのは家庭教師と同じ事をただ塾という場所でやっているものだと思っていたのですが、どうやら個別指導というのは会場に教壇や黒板のような物がなく、一人一人の生徒が個別に課題に取り組み個々の生徒の申し出に応じて講師が席まで行って個別に教えるというものだという事をこの時知りました。もしかしたら塾によって色々と違いはあるかもしれません。
だから同時に学年の違う生徒が同じ部屋で勉強できるので稼働率という意味では良いのかもしれません。それに講師の個々の技量もありますが、課題を制作するのは本部なので、その課題の出来具合も生徒の伸びが左右される、そんな所でした。
判ってはいたのですが、けっこうなハードワークで時には何十人もの小中学生のマシンガンのように「先生!」と呼びつけられます。朝は昼過ぎから始動なのでのんびりしていますが午後は終電少し前くらいまでが普通でした。
そんな中、接する事になった生徒や親、そしてそれに対する塾としての在り方として、どうしても嫌になってしまった事がありました。嫌な話をするのは嫌ですが、色々と考えさせられたという意味では良い話です。
一つ目は「え?」とビックリしてしまった親の話、まさかと思われるかもしれませんが親の中には「家に居て欲しくないから」という理由で塾に行かせている親がいるという事。本当にこれにはビックリしました。そんな発想はどこから出てくるのかと、ただ例え口でそう思っていると言わなくても態度や対応を見ていればそうとしか思えない。勿論断定するわけではありませんが「ああそうなんだな」と誰でも感じる事はあるでしょう。
それが僕の頭の中に浮かんだ印象です。
しかし、だからと言って塾として預からないわけにもいきません。なんか悲しくなりますよね。なぜ?なぜそんな親の手助けみたいな事をしなければならないのか?勿論塾として経営状況が素晴らしく良ければ、その事が子供にとって良かろうと悪かろうと塾としては生徒本人の「学びたい」「塾に行きたい」という意思を尊重すべきだと思うので、そういった場合拒否する事も不可能ではないでしょう。
そして、次これは小学5年生くらいの双子の女の子の話です。ちょっと記憶があいまいなのですが、たしかその双子の親は娘達を受験の必要な私立に中学に行かせたかったみたいなのですが、片方の女の子は良かったのですがもう片方の女の子があまり勉強が好きではない様子。やりたくなくてやりたくなくて仕方がなくすぐにイタズラ書きなど始めてしまい。「同じ学校に行けなくなると」と言っても「別にいい」という様子、そして母親は講師に対し「もっと厳しくお願いします」というもの。
だいたいにおいてそうですが「やりたい!」と思わせる事も大事ですが、色々とむずかしいものです。
最後に、いわゆる知恵の遅れた子供の話です。知能障害と言っても色々あるようにどう考えても今の制度では普通の学校ではなく養護学校などに行くことになってしまう場合もあれば「際どい」という場合もあります。比較する事がそのまま良いとは思いませんが、同年齢の児童と比べても明らかな差があってもある程度は親の裁量で普通の学校に行く、もしくわ養護学校側から断られる場合もあるでしょう。
例えば6年生で10÷2を計算する時に一々
2×1=2
2×2=4
2×3=6
2×4=8
2×5=10
あっ答えは10だ!ってならないでしょ?
この子は確か九九を覚えていなかったのか、知能の問題で九九を覚える事ができないのか不明ですが、一私塾でそこまで広範囲な性質を持った児童にまで対応しきれません。こんな状態であるのにも関わらずそこに、さらに親の「息子に遅れがある」という事を認めたくないというエゴが相まりその児童に対し塾として毎日何時間もただ右から左へ数字を移動するだけのような拷問にも似た作業をさせ続けるという事をしなければなりませんでした。
かなり主観としての表現なので、そんな事でも長い目で見ればその子の役に立つ勉強なのかもしれません。けれどその時の自分にはどうしてもそうは思えなかったのです。
もちろん、こんな嫌な話ばかりではなく、伸び伸びと成長していく子供達とかかわり、元気がだだ溢れる環境で働けるというのはとても素晴らしい事であるし、一定の生徒にとってはとても有効に活用できる場でもあると思います。
ただ自分にはやっていけないなという思いと、どうにもならないなという無力感に尽き。その仕事は辞める事にしました。
今この瞬間も塾という場を利用して我が子を苦しめている親がいるかもしれないのかと思うととても悲しいですが、そういう事もあるのだなと知れた事が自分にとってはとても良い経験になりました。
子供は親にとっての何なのだろう?
お手伝いしなさい! なんて命令はなんの為?
例えば、食器洗いにしてみても
いまだに「嫌だったのにさせられたなあ」と思いだします。
そういう記憶だけはある
「いい いい 俺洗うから」とか
誰かの家で御馳走になった時に
「御馳走になったし、皿くらい洗わせてよ」
などと言ってしまう
洗っていいよ!だとか言ってしまったり
お母さん!ありがとう!
でも、こういう作業は嫌がる人の方が多い世の中だから
してあげると喜ぶよ!って教えてくれれば
それで良かったのに
「障害者の差別をなくす社会活動」でメシ食ってる奴もいるからな。
http://togetter.com/li/196853のまとめを見て。
何でそこに「差別の有無」とか「障害者と健常者の利害対立」とか言うのか。
そんな重箱の隅ばかりを強調すると、いつまでたっても差別はなくならないと思うんだが。
まあ、それが狙いならそれでいいけど。
そもそも放射能の規制値だって万全を期して法で決めてたんだから、ちょっとくらい逸脱してもいいよねー。
国が言ってるから安全とか、風評被害やめろとか言ってる人、利害関係があって確信犯で言ってるならいいけど、
住専にしたってエイズ問題にしたってB型肝炎にしたって4大公害にしたって、結局は大した責任も取らず、国を信じた奴がバカを見るんだよ。
そうしたバカになりたい人はがんばって東北支援しちゃってるワタシカッコイイとか言いながら東北の物産食っておいてください。
ほんとバカが多すぎていい国だよ日本は。
元です。
自分自身を棚に上げて自分と同じ世代のおばさん(おじさん)は嫌で若い女(男)と恋愛したいって言ってる中年は醜いってだけの話
それはそのとおりね。
ちなみにもともと年上のほうが好きなんだけどね。なのでうろたえているわけで。
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