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2020-06-26

anond:20170809013919

メモ感想

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>なぜ立ち止まれなかったのかを考える材料提供してほしい。

加藤陽子の本(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』等)が参考になるかも

.

>そりゃ大きく変わったのは事実だけど、ずっと前から変わっていたんじゃねーの?

そのへんを考えると、日露戦争終結あたりから歴史を見ていった方が良さそうだな

他のコメントブックマーク含む)を参照してみると、結節(ターニングポイント)としては例えば、以下が挙げられるようだ

開国ペリー来航)

征韓論

台湾出兵

日清戦争

日露戦争

シベリア出兵

世界恐慌

満州事変

・五一五事件

盧溝橋事件

・第二次上海事変

トラウトマン工作

.

>ここから既に国内人材物資徴発が始まっていたわけで、いわゆる戦時下体制内閣は挙国一致内閣

マスコミは1937~1941年もっとスポットあてるべき。

1940年体制』(野口悠紀雄)ってやつかな?

.

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170809013919

ブックマークコメントで、

>それを言ったらペリーが来たときから

日中戦争満州事変帰結で、満州事変日露戦争ロシア革命辛亥革命の延長線上にあり、日露戦争日清戦争維新の不平士族征韓論が背景にあり、維新関ヶ原の… つまり卑弥呼黒幕だったんだよ!

とある

こういうような考え方をして、信長時代から維新まで歴史を説き起こしたのが徳富蘇峰近世日本国民史』だったような気がするな(ふと思い出した)

.

2020-06-07

anond:20200606231113

お前日本士農工商って知ってるか?

昔あった身分制度の1つなんだが、これの下に「えた・ひにん」っていう身分があったんだ

これは士族の下の身分のやつらが自分らより低い身分のやつらをいじめ鬱憤を晴らすための言わばガス抜き存在のためにあったんだな

 

白人社会にとっての士農工商がまさに白人黒人黄色人種なんだ

黒人差別を許さない!と盛り上がってるところ悪いが、

黒人からえた・ひにんとして扱われてきたアジア人がなぜお前らに協力しなければならない?

まず自分たちの行いを反省するところから始めてくれなければ黒人社会的地位が上がってもまたえた・ひにんを差別する文化が残るだけなのは

頭が悪くないから分かるよな?

2020-05-13

[][][]「報国致死はわが社中の精神

之より社中の気風益ますます固結して曾かつて動変することなく、

爾後じご王政維新太平に逢い又無数の事変をも目撃したれども、

報国致死ちしは我社中の精神にして、

今日我輩が専ら国権議論主唱するも、

その由来一朝一夕に非あらず、

蓋けだし社中全体の気風なりとは雖ども、

仁三郎君の一言亦重しと云うべし。

福澤諭吉 故社員の一言今尚精神

第二章 「貧富を問わずに人才を作るは、前金を払うて後の苦労の種子を買うもの

      ――貧民には最低の教育しかいらない 35

「銭あり才あるものは上等の学校に入るべし」

――福沢は選別教育必要を強調する 36

「最も恐るべきは貧にして知ある者」

   ─福沢は貧知者を生まない教育模索する 40

教育の過度を防ぐは、財産の安寧を維持するの一法」

   ─貧知者が生まれぬよう授業料を高くせよ 42

「もっぱら富豪の子弟を教うるの門を開かしむるこそ知者の事」

   ─貧知者が生まれぬよう官立学校を廃せよ 44

「年齢の制限児童を遊惰に導いて悪風に染めしむる」

   ─子どもの遊びの権利も福沢の眼中にはない 48

断じて政事に関するを得せしめず」

   ─文部省から独立にも限度がある 50

学問のすヽめ」の放棄

   ─士族遺伝子を残すためには選別教育こそ必要 58

「報国致死はわが社中の精神

   ─慶応義塾の建学の精神 61

「ただ普通教育・知見のみ、高尚なる学育は第二のこと」

   ─女子高等教育はいらない 67

インパクト出版会 / 天は人の下に人を造る  「福沢諭吉神話」を超えて


第七章 「男女を同権にするがごときは衝突の媒介

――女の領域は家、その美徳優美さ 215

「さしむき自力をもって殖産に従事せんとするも難きこと」

   ─労働権を軽視する福沢女性論は男女平等論とは無縁である」216

「男女を同権にするがごとき平均論は衝突の媒介

   ─良妻賢母主義の原形 219

裁縫の嗜みなき者は女子にして女子にあらず」

   ─家事育児は女の天職 221

新家族の苗字中間一種の新苗字創造して至当ならん」

   ─偕老同穴論が前提されている 226

 「夫婦間の権利については、条文の規定一点の疑いを容るるところなく」

   ─福沢は「明治民法」に全面的な賛意を示す 229

「家会を開設し、婦人女子に家政参与の権を与えたき」

   ─女に参政権はいらない 232

「無遠慮なるべからず、差し出がましく生意気なるべからず」

   ─「女徳」へのこだわり 234

「内実は不品行を犯すとも、これを秘密にして世間の耳目に隠すべし」

   ─ 239

娼妓に依頼して社会の安寧を保つの外あるべからず」

   ─良家の娘を守るために公娼制は不可欠 242

内地においてさえ娼婦必要は何人も認むるところ」

   ─娼婦出稼ぎ人民移住に伴うべきもの 247

人間以外の醜物」、「人類の最下等にして人間社会以外の業」

   ─薄幸な貧しい女性をそこまで指弾するか?! 251

天は人の下に人を造る

2019-10-24

anond:20191024232654

ほんとそれ。

だけど大企業とか一部の集団の中には未だに先祖家系ものをいうところがけっこうあるというね。

あるところでは新入社員の同期は先祖がみんな幕末士族明治時代華族だったり、医者家系ってけっこう先祖代々だし。

そして、生まれついた要素でばかり人を判断する風潮も根強い。生まれつきの要素ばかりでなんでも決めつけて努力放棄する人はほんと多い。

ここの殆どの人は信じられないだろうけど、血液型とか誕生日占いが人事評価基準になる会社とか未だにあるからね。

2019-09-15

anond:20190915172646

というか、田舎へ行く程そうらしい。

都会では想像がつかないが... (そもそも地主とか旧士族とかワケワカ)

anond:20190915114055

世襲」がかなり多いんじゃないかな。

親も親戚も教師地方公務員ばかり。

地主とか旧士族とかだったりする。

財産はあるけど使える金は普通レベルなので、定年まで安定した給料をもらえることが最優先。

公務員コネ社会からコネがあると知れればいじめにもあわない。

2019-04-05

anond:20190405064841

西洋列強に肩を並べたアジア人」が理想なんじゃね。和服にこだわったのは士族文化殉死した西郷じゃん。保守派というより民族派

2018-12-17

日本未来は無い!

日本未来は無い!

いや、これは日本に限った事ではないかも知れないが、そう思う。
戦国時代戦国武将達の間では「人生50年」と言われていた。
この、人生50年については、現代計算方法計算すると50ではなくもっと短かかったとも言われている。
江戸時代平均寿命は30~40歳前後だったという。
これについては、早くに亡くなってしまう人が多かったため等のばらつきがある様だが。

最近延命治療だ何だで70歳~80歳まで生きる人は増えている。
しかし、そこまで長く生きる人が増える事で、痴呆老人が増加しているという問題が出てきている。

今の日本制度は、大半の人が70歳~80歳まで生きる事を想定した仕組みになっている。
その制度を作っているのは、言うまでもなく国会議員だ。
では、国会議員の平均年齢は現在どうなっているのか…というと、55歳となっている。

勿論、若手もいるだろうが、60歳・70歳の国会議員も少なからず居る訳だ。
そういう人達の集まりによって形成されている国会が、果たして40歳以下の国民のためになる
国の運営をするだろうか?
否!
自分達がこれから老いた時でも有利になる国家運営を考えるだろう。

日本未来を作るならば、国会議員に定年を設けるべきだろう。
国を運営する大きな仕事をしているからという理由庶民とは大差のある高給をもらい
安泰な老後の待っている国会議員

そういった国会議員家系を紐解いてみれば
江戸時代大名の子孫、明治時代でいう貴族士族の子孫も少なくない。
江戸城という器が国会議事堂に変わっただけで、政治という中身の部分でやっている事は
何も変わっていない。

こんな日本若者にどうやって希望を持てと言うのだろうか?
今の日本は、技術だけは進歩しているが、行われている政治江戸時代と何ら変わりがない!

2018-08-22

anond:20180821093936

士族末裔でもない連中がこんなことを言っているんなら笑える。

先祖様方は為政者に散々踏みつけられ振り回されてきたというのに為政者もの合従連衡一喜一憂ですか。ご立派にお国思いで忠義なことですな。

2018-07-03

anond:20180703163749

一般的には小泉純一郎竹中平蔵だけれども、

彼らはグローバル資本主義適応しただけであって、

彼らを憎んでも仕方のない話。

明治維新の後不満を持った士族は反乱を起こしたが、

反乱に失敗した後に自由民権運動を始めた。

ロスジェネは?「竹中はひどかった」と言っているだけで

自ら立ち上がろうとはせず、ただ無為に歳を重ねている。

ただの腰抜け。ただの負け犬

2018-06-30

日本資本階級ってさ

明治3年統計

皇族 28

華族 2251人 (0.01%)

士族 109万4890人 (3.64%)

卒 83万0707人 (2.76%)

神職 14万6950人 (0.49%)

僧尼 22万7448人 (0.76%)

平民 2726万5638人 (90.62%)

穢多 44万3093人 (1.47%)

非人 7万7358人 (0.26%)

合計 3008万9429人 (死刑1066人を除く)

これくらいの比率収束するんじゃないの?

2017-07-27

[]武士の商法

武士の商法」とは - 明治維新後、武士士族が始めた商いに失敗が多かったことからその商いのやり方。

また、商売に向いてない人が始めた事業のやり方。

関連 → 士族の商法.

武士の商法とは - はてなキーワード

2017-05-19

原因・背景[編集]

1871年(明治4年)10月宮古島から首里年貢輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民現在台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落拉致された。

先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年明治5年琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡島村現在岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。

開戦準備へ[編集]

副島種臣

宮古島台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在アメリカ合衆国総領事チャールズルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人懲罰するべきだ」と日本外務省提唱した。

初代龍驤台湾出兵旗艦であり副島種臣大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。

孟春(砲艦)は三本マストスクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。

外務卿副島種臣はデロングを仲介しルジャンドル会談、内務卿大久保利通ルジャンドル意見に注目し、ルジャンドル顧問として外務省雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。

1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年明治7年)4月、参議大隈重信台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。

明治六年政変における明治天皇勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的企画したのである

台湾での戦闘[編集]

西郷従道

台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に参議木戸孝允らの長州系は征韓論否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日木戸参議辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。

台湾出兵時の日本人兵士

水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]

国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日谷干城赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵大隊砲兵一小隊出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。

5月6日台湾南部上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリア猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。

収拾への交渉[編集]

明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章イギリス駐日大使パークスは当初は日本軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通北京に赴いて清国政府交渉した。大久保は、ルジャンドルフランス人法学者ボアソナード顧問として台湾問題交渉し[7]、主たる交渉相手総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国互換条款互換憑単によると清国遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球日本帰属国際的に承認されるかたちとなった[1]。

帰結[編集]

日本清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年明治8年)、琉球に対し清との冊封朝貢関係廃止明治年号使用などを命令した。しか琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。

1879年明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年明治13年)の北京での交渉において、日本沖縄本島日本領とし八重山諸島宮古島中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島領有は望まず、冊封関係維持のため二島琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。

また、明治政府兵員輸送英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。

台湾出兵と熱帯病[編集]

被害[編集]

日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。

軍医部の対応[編集]

1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省から外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

2016-01-22

明治政府退職しました

去る明治6年10月24日、私江藤新平明治政府を辞職し下野することになりました。

皆さんご存知の通り、私は征韓派でありまして、志を同じくする西郷氏、板垣氏、副島氏、後藤氏とともに陛下にその重要性を述べてまいりました。

しかし、こうした動きに対して、あえて隠す必要もないかと思いますが、大久保利通氏が強硬に反対しておりました。

無論大久保氏の言い分は充分に解っているつもりです。朝鮮を征伐することが国際的不安をもたらす、と。

その通りかもしれません。しかし我々は西郷氏を挑戦へ派遣することを閣議で決定していたのです。

どうして岩倉氏は両論を陛下に奏上したのでしょうか。三条さんはぶっ倒れてるし。


ええ。負け惜しみです。大久保さんの方が一枚も二枚も上手でした。

今年明治7年、私たち民撰議院設立建白書という文書政府左院に提出しました。

ええ、負け惜しみ反動です。これから政府官僚だけでなく、人民が広く政治に参加して、同じ意見の人々が政党を作り、その意見政権に反映されるべきなのです。

負け惜しみです。だからこそ、この立場政治を考えたいのです。この動きは絶対に広まっていくでしょう。何百年もかけてね。その礎にしたい。板垣君が頑張っています

最近故郷佐賀がなんだか騒がしい。士族鬱憤が溜まっていると伝え聞いています

なんだかそういうの聞いていると、故郷に帰りたくなってきます

みんな何故かめちゃくちゃ私が故郷に帰ることを止めようとしてきました。

故郷が同じ大木君なんかめっちゃやめろ! って言ってきます、笑。 退職したんだから別に良いじゃんw

板垣君も副島君も慰留します。みんなそんなに東京が好きなの? まだ東京で消耗しているの?

私は佐賀で育ちました。幕末には桂君と会ったり(今は木戸君ですね)、姉小路さんに会ったり。大隈君や大木君、副島君、島君あたりとサークル作って活動したり。

維新後は学校を整備したり、四民平等なんて訴えたり、あと民法について仕事したり。警察制度作ったり。いろんなこと中央でをやらせいただきました。

自信あるのは警察制度の中に、新しい技術である写真」を使った捜査を盛り込んだこと。写真ってすごいですよね。これを人相の手がかりにすると効果てきめんだと思います。我ながら先進的な施策だと思います。多分100年以上これ使える手段になるんじゃないかな? とにかく、いろんなことをやらせいただきました。

負け惜しみ反動で書いてます。今佐賀でこれを書いています板垣君、副島君。留めてくれてありがとう大久保氏が私の帰郷するよう権謀術数をめぐらせているということ、聞きました。

でもいいんです! 東京で消耗するより、今は佐賀です。生まれ育った佐賀はいろんなことが今起こっています。あの島君も佐賀に帰ってきているようです。昔は島君といろいろケンカしましたが、今また会ったら。この佐賀で会えたら。また違ったケミストリーを生むことができるんじゃないかと思ってます

板垣君や大木君、副島君等とは遠く離れてしまいましたが、また皆で議論したり、政治をしたりしたいなーと思ってます! まだまだ日本はこれからなんだから!! 今は・・・故郷ゆっくり考えることにしようと思いますそんじゃーね。また連絡するからね。

2016-01-21

5000円札樋口一葉人生面白い昼ドラ朝の連ドラで見たい

父の身分農民で母と結婚が許されなかったために駆け落ちしたが、東京成功して士族にまで成り上がる。

樋口一葉首席卒業するほどの才媛だったが女に学はいらない母の方針で進学できず、娘を可愛がっていた父が歌塾に入れる。

兄が病気で亡くなり、新事業に全財産をつぎ込んで借金までしていた父が大失敗をして失意のまま亡くなり、わず17で大借金母親と妹を背負う女戸主になる。

父親が病の床で娘を頼むと懇願して婚約した相手が、困窮する樋口一葉に莫大な結納金を求めてきたので婚約解消。

一緒に和歌をやっていた女性小説大金をもらっているのを見て和歌をやめて小説を始める。

紹介された10年上の男やもめのイケメン小説家師事恋をする、雪だから泊まっていかないかと誘われても家に帰るなど、あまり進展しないまま結婚してない男女と言うことで醜聞になり決別するが数年間は想いを引きずる。

小説家になった樋口一葉に元婚約者が求婚してくるが断る。

小説成功できず家族を食べさせていけないので諦め、住居を引き払い貧困地区で荒物屋を始めるが士族小説家プライドが鼻につく樋口一葉は受け入れられず商売失敗、借金しまくり踏み倒しまくる。

店をたたんで相場師になろうと50過ぎの海千山千相場師借金を申し込むが愛人になるよう求められる。

樋口一葉の才能を惜しま小説家に復帰させてもらえる、わずか14ヵ月の間に立て続けに代表作となる傑作を発表し天才女流作家として人気を博し多くの一流小説家交流する。

24結核で亡くなる。

2015-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20150629174644

そう?俺は逆に東京に生まれなくてよかった〜って思ってる。

というのは、大学時代東京に出て気づいたんだけど、

東京の人たちって実家を「両親が住んでるところ」ぐらいの意味しか認識してない(できない)んだよ。

先祖代々の**家って感覚がない。

江戸時代からずっと山手に住んでる華族士族の家とかも稀にあるのかもしれないけど

基本的東京人って土地歴史から切断された彷徨える民なんだ。

それをしがらみの無さと肯定的に捉えることもできるかもしれないけど、

俺は自分に帰るべき実家(単なる両親の家ではない、土地とともに何百年の歴史を背負った家系)があることに安堵を覚える。

2015-04-01

現代語訳

人々が自分自身立身し、その財産管理し、その事業を盛んにして、そうすることでその一生を全うすることができるのはなぜかというと、それはほかでもない、身を修め(=自分の行いや心を整え正し)、知識を広め、才能や技芸を伸ばすことによるのである。そうして、その、身を修め(=自分の行いや心を整え正し)、知識を開き、才能や技芸を伸ばすことは、学問によらなければ不可能である。これが学校を設置してある理由であって、日常普段の行い、言葉かい書道算数を始めとして、役人農民商人・様々な職人技芸に携わる人、及び法律政治天文医療等に至るまで、およそ人の営むもの学問関係しないものはない。人はその才能のあるところに応じて勉め励んで学問従事し、そうして初めて自分生活を整え、資産をつくり、事業を盛んにすることができるであろう。そうであるから学問立身のための資本ともいうべきものであって、人たるものは、誰が学問をしないでよいということがあろうか(=人間誰しもが皆、学ばなければならないのである)。

あの、路頭に迷い、飢餓に陥り、家を破産させ、わが身を滅ぼすような人たちは、結局は学問をしなかったことによって、このような(結果をもたらす)過ちを生じたのである

これまで学校が設けられてから長い年月が経っているとはいっても、場合によってはそのやり方が正しくないことから人はその方向を誤り、学問武士階級以上の人に関することと考えて、農業工業商業従事する人、及び女性子どもに至っては、学問自分たちとは関係のないものとし、学問がどういうものであるかをわきまえていない。また、武士階級以上の人で稀に学問する者があっても、どうかすると学問国家のためにするのだと言い、学問立身の基礎であることを知らずに、

ある者は文章を暗記するなど瑣末なことに走ったり、空理(=実際とかけ離れた理論)や虚談(=事実に基づかない話)に陥り、その言っている論は高尚であるかのように見えるけれども、これを実際に自分自身が行い、実際に実施してみることができないものが、少なくない。

これはつまり、長い間従ってきた昔からの悪い習わしであって、文明が行き渡らず、才能と技芸が伸びないために、貧乏な者や破産する者、家を失う者といった連中が多い理由である。こういうわけで、人たるもの学問をしなければならないのである学問を学ぶためには、当然その趣旨を誤ってはならない。このために、このたび文部省で学制を定め、順を追って教則を改正し布告していくので、今から以後、一般の人民華族士族卒族農民職人商人及び女性子ども)は、必ず村に学ばない家が一軒もなく、家には学ばない人が一人もいないようにしようとするのである。人の父兄である者は、よくこの趣旨を十分認識し、その子弟を慈しみ育てる情を厚くし、その子弟を必ず学校に通わせるようにしなければならないのである。高度の学問に至っては、その人の才能に任せるといっても、幼い子弟は男女の別なく、小学校に学ばせないのは、その父兄の手落ちであることになること。

ただし、これまで長い間従ってきた悪い習慣であるところの学問武士階級以上の人のことだとすること、そして学問国家のためにすることだと言うことによって、学費及びその衣類や食事の費用に至るまで、多くを官に頼り、これを給付してくれるのでなければ学ばないと思い、一生を自分から駄目にしてしまう者が少なくない。これは皆惑っていることの甚しいものである。今から以後、これらの弊害を改め、一般の人民は他の事を投げ捨てて自分から奮って必ず学問に(自分自身を)従事させるよう心得るべきであること。

右の通り仰せ出だされましたので、地方官において、片田舎身分の低い人民に至るまで漏らすことのないよう、適宜、(学制の)意味を説き明かしてやり、詳しく細かく申し諭し、文部省規則に従い、学問が普及致しますよう、方法を設けて施行すべきであること。      

2015-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20150122202551

極端にランキングチックな事を言ったら士族華族ルーツを持って東京都世田谷区文京区港区あたりに先祖代々の不動産を持っていて

親族自身東大卒イケメン美女日本世界各国の政官財界要人と顔がきく人以外生きていたらダメということに

実際、「生きる価値がある」のはそこら辺のレベルでしょ。

他はそういう人たちのためにただ生かされているに過ぎないよ。

2014-12-18

高座から物言い

「高座から物言いをしているのは誰か?」

(以前、普通に話している時、「随分高座から物言いだな。」と話している相手では無い人間に横槍を入れられ、揚げ足を取られ、怒鳴り返そうかと思ったことがある。まぁ、それはどうでもいいんだが。)

身分制度がこの国から表層的に消え、(職業身分による分類・分析が出来なくなった今、何か別の指標・方法を使わなければ社会現象分析する事はできない。

(実の所、「身分制度解体」もその嫉妬心から士族階級」をスケープゴートにして寄って集って叩くと言う単なる日本の伝統芸能()であるイジメと全く同じ構造であった。今で言う「公務員叩き」と同じ。その証拠士族以外は殆ど身分解体されていない。何故なら元々平民が9割以上であったから。「士族のみ」が社会的追い剥ぎにあっただけ。それ以外はいつもながら安穏とした生活を続けているだけで終った。平和ボケして暇だったかストレスの捌け口として士族を狙った八つ当たりに過ぎない。平和ボケすると人は傲慢になる。それまで守ってもらっていた人間攻撃すると言う恩を仇で返す事を平気でするようになる。それどころか明治維新の混乱に紛れて不義を働き、ぼろ儲けしたような成金もいる。まぁ、それは商家豪農と呼ばれる大規模農民が主だが。長くなるので別の時に残すか、、、)

様々な分類法が考えられるが、社会学的・経済学的に見るならばやはり所得資産が解り易いだろう。

そして更にその所得を細かく分析すると、ある特徴が現われてくる。

それは「世代」或いは「年代である

(もしこれが解らないようであればこの先の記事は読まない方が時間無駄にしなくて済む。)

経済学社会学をやっている人間、或いは企業経営をしている人間にとっては「市場分析」が当たり前になるが、それが出来ない人間が一部ではいるようだ。(もしかしたらその能力がないのかもしれない。)

個人的にも実際、会社経営をしながら市場分析が出来ない人間を何人も知っている。

勿論、そう言う人間は大抵経営に失敗している。(まぁ、必然ではあると思うが。)

バブル経済に作った蓄財を細々と消費しながら何とかやっている人間も少なからずいるようだが、まぁそう言う人間の先は永く無いだろう。

市場分析をするとどこに資産が集まっているか良く解る。

そして「最近の若者は消費をしない」と言うマスコミの低レベルスケープゴート作りが愚かしく、滑稽に思える。

彼らに脳味噌を使うと言う行為はできるのだろうか。

そして更に事態悪化させる事に大衆もそれを鵜呑みにする。

自ら調べて分析する事も考察する事もなく、ある一部の人間が垂れ流す駄情報だけを取り入れ、飲み込み、踊らされてしま人間達。

そして、その結果が齎す事に対して何の責任も感じていない。

自分は高座に上がって、それより下に抑圧されている人間を叩くのは簡単だろうな。

勿論、それはイジメ構造に他ならない。

(大抵、イジメ撲滅運動をやっているような市民団体構成員イジメをやるような皮肉が世の中には多いから理由は容易に理解できるのだが。)

「何故、最近の若者は消費しないのか。」を考えた事がないらしい。

意図的に「消費しない」のではなく、消費する元手がないから消費できないのである事さえ理解していない。

滑稽であり、愚かしい。

(そう言えば他人を何の理由根拠も示さないままに「愚かしい」と誹謗中傷していた零細企業社長がいたが、ソイツが一番愚かしいと言う事には気づいていなかったようだな。無知・無学・無教養なのに他人を罵る愚かさは過去俺が関わりを持った人間の中でも一番酷かった。慈悲深いならまだしも本当にソイツ以外の他人を全員見下し、貶めていた。まぁ、そう言う最低な人間も世の中にはいる。)

http://www.jili.or.jp/lifeplan/houseeconomy/asset/3.html

http://www.nli-research.co.jp/report/gerontology_journal/2011/gero11_007.pdf

http://rh-guide.com/data/kojin_sisan.html

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4690.html

バブル経済崩壊してからと言うもの給与右肩上がりにもならない上に若年層の給料は低い水準で停滞したまま。

その人口層に「お前らがカネを使わないから経済が回らんのだ。不況はお前らの責任だ。」とする人口層がいる。

彼らは社会構造が全く理解できていないのだろう。

或いは自分達で持っているか意図的にそう言っているのだろうか。

まぁ、自分が優位に立てる立場におかれている時に、自分より立場の悪い状況下に置かれている人間を罵る事など誰でもできるし簡単な事である

しかし、それでは何の問題も解決できないどころか、問題時間経過と共に悪化していくだけである


「水は高きより低きへ流れる。人の心もまた、高きより低きへ流れる。」

つの時代もそれは不変なのかもしれないな。

2014-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20140729131415

早稲田慶応が台頭したの元々は東大や他の国公立大出身からコケにされる事が多かったから、人海戦術国公立大学出身者を排除して

政治マスコミ世界を支配した。今度は早慶金持ちサロンみたいな感じになってきて、カネや家庭の事情上京できない地方民や

首都圏貧乏人を絶望させるような社会を築きつつあるのが皮肉なんだけど

いや、もともと金持ちの金持ちによる金持ちのための学校だぞ?金持ちって言うより士族っていうか貴族っていうか。

今のほうがよっぽど一般人でも入れるわけで。

アメリカSATのように何度もテストを受けて、一番良かったものを提出してくれたらいいよんという形にセンター試験が変わるんだっけ。

これに教育ローンじゃない奨学金制度が充実したら、社会全体の教育レベルは上がっていくと思う。

奨学金制度はいいけど、SATの様なテストは確実に貧富の格差を広げるだけ。そんなのアメリカの現状知ってれば分かるだろ?

ある意味、今の日本みたいな一発制度テストってのは、貧乏人にとってみれば最大限公平な制度なんだよ。

2013-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20131203223926

よ、今日は専門外だけど飲んでたらオモシロイ話聞いたからタレコム

なお、聞いた本人に了承とったけど変に絡まれてもなんだから新規ソースゼロでお届けします。

発端

オレが言ったんじゃないぞ

opiegro32

太田ネタとかじゃなくて本当に腐ってるから太田が悪い!」とか言って茶化す風潮はやめてほしいなあ。本人の悪質さが薄れるだけだよ 2013/12/04

太田克史さんってのは、偉大な人だよ。

講談社メフィスト星海社。積み上がる実績そびえ立つ売上。

というネタで飲んでたのが発端で、

この対応ってあたりまえっちゃーあたりまえだよねー、ねー、みたいな話をしてた。

んでだ、ハタと思い至った。

これは、フーダニットハウダニットホワイダニットクローズドサークル全てが含まれているのではないかと。

結論から組み立てた気配のする小説を読んだ時の強烈な既視感が俺を(以下略

フーダニット

だれが、こんなことをしたのか。

そもそもだ、盗作定義ってのは曖昧だ。

ってのは、オレが書かずに既に書かれてるからそっち読んでくれ。

んで、「盗作ではない」という話でこじれてるのはなにか、という話なのだが、

一回ここをハッキリさせとこう。

  1. 裁判著作権)の話
  2. プライドの話
  3. ビジネスの話
裁判著作権)の話

はい、1番の裁判沙汰にはなりません。両者ともコレはハッキリ認識してる。

盗作定義ってのは曖昧で、そもそもアイデア法律保護対象にはならん。

具体的には『名探偵ドイル』であっても、訴えられて負けたりはしない。

映画ノベライズレベルで同じとかキャラクターが明らかに同じ(二次創作)で無い限り、

もうコレは相当に厳しい。

プライドの話

はい、2番のプライドの話がほとんど全てです。

パクられたと言っている古野まほろの言ってることは突き詰めると

「俺のパクったって言えば許してやるよ」

という事になる。

盗作じゃない盗作じゃないって言ってんのに何度も絡んでるってのは、変だ。

ほっときゃいいんだから

これまで古野について一切、どこかで語ったり、書かれたりしていないのは何故なのか。これらがハッキリすれば、何の問題もないと思います

自尊心の問題なのよね。

俺を無視するな、と。

ビジネスの話

はい、3番のビジネスの話が絡むからヤヤコシイわけだ。

裁判沙汰にはならん、相手のプライドを傷つけてはいる。

そこで、どういう落とし所があり得るか。

コレなー、パクったって言うと、回収絶版ルートなんだよねー

ほれ、仁義とかスジとか浮世のギリってヤツ。

さてここで一つの問題が見えてくる。

ポイントは『イラスト大御所CLAMPを使っている』所。

星海社FICTIONS新人賞で、太田さんイチオシで、CLAMP

さあ、日程逆算は野暮だからやめておくんだ!

と、いう状況下で、メフィストデビューしといて他社に移籍した作家プライドを満たすために何かをするか?

ビジネス的にも問題になりそうなのは、目に見えている。

ハウダニット

いかにして、それがなされたのか。

コレも俺が言ったんじゃないぞ

brainparasite

星海社が著者の退路を全力で断ってる感がある。 2013/12/05

さて、高校生名探偵でって話をしようとして、CLAMP好きそうならどういう"学園"にするだろうか。

普通高校?そりゃ担任ボディーガードなら無くはないだろう。

ミッションスクール?まあマリア様は見てなくても考証が面倒だろう。

というか、高校ってのは中等教育機関から、そもそも「伝統的な」高校ってのは難しい。

私塾か、旧制中等教育学校か、大学予科か。

つうかぶっちゃけた話な、誤解を恐れずに言えば、

明治に諸列強と並ぶ国家にしようと、帝国大学を頂点としたピラミッドを作ったので、

教育機関ってのは、政府か、士族か、パンピーか、みたいな形になった。

慶應義塾福沢諭吉が立ち上げた時に、政府に対抗した中産階級教育機関を目指したのは、まあある意味で流れとしては必然だったのかもしれない。

閑話休題

まりだ、伝統的な高校で、軍閥のニオイを消しつつ権威を身に纏わせるには、サムライのガッコウってのは、オテガルなわけだ。

古野まほろ太田克史出身校とか考えると、このへんは興味深いね

実際に読むと判るけど、中村あきは清涼院流水系の、まあそういう芸風だ。

設定厨って言うよりは、真面目な顔した高校生が賢しらに推理合戦で謙遜しあう、あー、暑くてもぴっちり制服来てんだろうなーっていうそういう感じの話だ。

うっかり私塾からスタートして南洋研究機関を設置した島に移住してたら海軍に施設接収されたり学生総出で米軍に対向するようなおもしろ学園とは根本から違う。

絵は見えてる、書きたい内容もある、ではパッケージをどうしようって時に、誰と誰が相談する?

ホワイダニット

にゆえに、それがおこなわれたのか。

 別に新人賞オリジナリティを重視するのはかまわない。むしろ当然である。既に市場に似たような作品があるのならば、多くの読者は新人ではなく実績のある作家の作品を選ぶだろう。

いやー、そうね。

見事に「設定」に関する話しかしていない部分を引いて来ている所にセンスを感じる。

ポイントはね、誰も筆力を話題にしていない所。

高校生で400枚書くのが凄い、という話はしている。

クサしているのは、平たく言えば「見た目」の話。

想像して欲しい。

大日本帝国って名前世界観で、子爵令嬢の依頼を受けた斬首死体に対面したり、瀟洒なホテルラウンジで酒かっくらったりするガキどもが右往左往するアニメと、

いちおうは現代社会の公立高校で、女子バスケットボール部の壁写真が無くなったり、体育館ジュース飲んだりするガキどもが右往左往するアニメと、

絵面で観た時に、似ているだろうか?

まり星海社にとって芸風というのは、読んで想像した絵面が似ているか否か、だ、

というか、いっちゃなんだがフツーはそうだろう。

完全無欠の生徒会長の号令一下、無理難題適当に片付けるって書くと「生徒会の一存」も「めだかボックス」も同じになっちまうが、読んで受ける印象は相当に異なる。

判り難かったらこう言い直せばマンガラノベに詳しくない連中にも伝わるか。

この4作品はいずれもアーサー・コナン・ドイルの描いた誉れも高き史上最高の名脇役がモトネタだけれども、見栄えはずいぶん違う。

勿論、それぞれコナン・ドイル卿には敬意を払ってるが、例えばそれぞれがそれぞれの作品をいちいち上げたりしているだろうか?

(なお、モンタナ・ジョーンズに関してはマルコ・パゴット絡みでセーフ)

星海社に限らず、新人賞ってのは、いちおうは「応募された作品から」って話になる。

ただな、すげえオモシロイとか、ものごっつ読ませるとかじゃ無え。出版できるか、だ。

んだがね、例えば新人賞が出てない回ってのもあるわけで、応募がゼロだったからじゃない。

ほいでだ、「出版すると設定がヤバイ」ってヤツがハイペースで原稿用紙を埋められるとする。

するってぇとだ、

新人賞ってのは、「審査員の考える出版できそうな作品」に与えられる。

別に要件がツマビラカになってるわけじゃねえから、当然応募側はよく判らんで爆死する。

じゃあ、「審査員の考える出版できそうな見栄え」を「見た目で落ちたヤツ」が知ることが出来れば

言ってみれば効率良く新人賞を通過することが出来るってスンポウだ。

クローズドサークル

ここは、ひらかれていない。

1.選考に関わった全員が『天帝のはしたなき果実』を読んでいないor内容を忘れていた。

2.色々類似点があると気づいていたが、この程度大した類似ではないと考えた。

3.色々類似点があると気づいていたが、読者は類似に気づかないと考えた。

4.気づかれることを想定してのネットでの炎上狙い。

 イラスト大御所CLAMPを使っている時点で4番は無いだろう。考えられる可能性は残りの3つ。外野である我々にはどれが真実なのかを判別する術はない。

はたしてそうだろうか。

中村あきのデビュー作、『ロジック・ロック・フェスティバルLogic Lock Festival〜 探偵殺しのパラドックス』の主人公は、『中村あき』だ。

古野まほろデビュー作、『天帝のはしたなき果実』の主人公は、『古野まほろ』だ。

や、京極堂だってオンナジだよ。猿は主人公じゃないだろ。

そりゃあいくら太田さんに縁の深いメフィスト賞たって、50回も近くなりゃあうっかり読んでない作品が合ってもオカシクナイヨネー

って、真顔で言えるだろうか。

そして、そんな作品がぽっと現れた時に、

太田さんが大きく関わる星海社でそれを見逃す編集者果たしているであろうか?

ミステリは、パズルである

すべては、めいはくでは、ない。

身も蓋もない話、これが星海社からではなく別の出版社から刊行されていたら、ここまで話題になることもなかったと思うのだが……。

そーねー

さて、現実ノックスもヴァン・ダイン関係ねぇ。

登場人物はこれで全部で証拠も全て揃っているので、後は推理するだけでござい、とはならん。

犯人はおまえだ!」というセリフを一度は言ってみえてモンだが、そうもいかん。

しかしだ、状況を平静な目で見つめた時にだ、

小説を構成する主要素であるところのテーマプロットキャラクター

に、世界観だとか設定だとか、小道具の話が入ってないのは、弁護士相談した結果じゃねぇだろう。

誰が、どのように、何のために、「新本格推理小説出版したのかを考えると、

これが壮大なアングルで無い限り、まあ、ソウイウことなんじゃねぇの?

オレは「最前線編集長」を名乗る太田さんが耄碌したとは思わんな。

2013-07-26

右翼文系左翼理系という説

芸能人で見ると分かり易いか

ビートたけし明大時代工学部だったし、左翼活動やって逮捕中退なのは有名な話。

けどこれだけじゃな。

文系にも左翼はいるし。

たとえば宮崎駿も有名な左翼トトロ狭山事件を元に作ったかはともかく政治的なメッセージが色んな作品に見え隠れしてる。ぽんぽこは当時のニュータウン乱発への批判だし。

ドラえもん藤子不二雄左翼だったな。映画版では環境汚染アニメ作品で真っ向から批判してたし、動物愛護も求めてた。

三島由紀夫のように心の通った右翼もいれば、石原慎太郎のように過去矛盾を隠して右翼であるかのように装って見せたり、ただ親米派であればいいという似非右翼も多いし、そういう連中は官僚だったり文系出身政治家ってのはよくある話だし。

学習院大やアメリカ大学に進学してから政治家になった人の殆ど右傾化してるっていうのは、教育の賜物なんでしょうに。

実情として、教育方針自虐史観の強い日本国戦後教育とは異なって天皇も通うような士族学校である学習院自虐史観とかのしがらみのない勝てば官軍教育アメリカ大学に行けば右傾化するのは自然の成り行きだし、戦後教育を享受した人間左傾化するのもまた自然の事だと思う。

そういう意味では作家ほど右翼になりがちだし、理工系を専攻したりアニメ芸術に傾倒するような人ほど左翼になりがちなのはごく自然のことだよ。

そう考えれば、“右翼文系左翼理系”という説もあながち嘘とは言い切れないんじゃないかしら。

無論、文系にも左翼はいるし、理系にも右翼はいると思うけど、問題は大多数が上の通りかどうかの話で、実際そうなんじゃないかって話なのだけど。

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