はてなキーワード: 逆効果とは
パイプカットに興味はあるが副作用を恐れて踏み切れない人は多いと思う。
当時の私も副作用に関する記事を探したが、信頼できる記事はほとんど見つけられなかった。
見つけた記事の多くは、「副作用は存在しない」と謳っているものが多く、パイプカット業者の息がかかっているように思えた。記事の信頼性には疑問が残った。
私の場合はそれでもパイプカットをせざるを得なかったので、手術を受けたが、
より正しく副作用を理解していれば、本当に他の道がなかったのか再度検討していたかもしれない。
そこでパイプカット手術を受けるかどうか悩んでいる人たちのために、一人のパイプカット体験者として記事を残しておきたい
ただし、個人差はあると思われるので、私の語るパイプカットが全ての人に当てはまるわけではないことも言及しておく。
これは完全な嘘。
射精感は変わる。
私は敏感な方なので、射精しているときに精子が出て行く感触をいつも感じていたのだが、それを感じられなく無くなった。
(イメージとしては精子が精管?射精管?を通っていくときにギュッギュッと搾り出すような気持ちよさだ。尿道で搾り出す感覚とはまた異なる)
そして無くなってから気づいたが、精子が精管を通って搾り出される感覚は「気持ちよさ」に関係する重大な部分だった。
射精自体は相変わらず気持ちが良い。しかし、射精によって得られる気持ちよさは確実に減った。
今までであれば射精後はドッと疲れて、いっきに眠気が襲ってきたのだが、それがなくなってしまった。
例えるならば、オナニーを途中で止めた後のようなモヤモヤ感である。
射精した後にも関わらず、まだ射精していないかのような気持ちになる。
手術直後は体が手術前の気持ちよさを覚えているので、この差に苦しむと思う。
実際私は手術後最初のセックスで、射精後に不快感を感じた。この感覚の違いによって体調がおかしくなる人はいると思う。
これは(自分の感覚に基づいた)勝手な考察だが、精子を使用すると何らかの物質が出るのだと思う。
精子を出すことに対して物質が出ているのか、精子を補充することに対して物質が出ているのかは分からない。
ただ、その物質によって疲労感がおきたり、交感神経が副交感神経に切り替わってリラックス出来るようになるのだと思われる。
それが出なくなるので、射精後も緊張感が続いてしまうと思われる。
とはいえ1ー2年経つと、昔の感覚を忘れてしまうので最終的には気にならなくなると思う。(ただし慣れるだけで元の感覚に戻るわけではない)
きちんとした研究があるならそちらを参照すべき。
出典も出さずに「男性ホルモンは減らない」と言っている医者はあまり信頼しないほうがいい。完全な商売トーク。
基本的に性欲は落ちない。
私は、パイプカットによる肉体的影響での性欲の減退を感じなかった。
ただし、射精の気持ちよさが減ってしまうことで、次回のセックスに対するモチベーションが下がる人はいるかもしれない(私は下がらなかったが)
これは嘘。
今までコンドームしか使ってこなかった人が、生の気持ちよさに目覚めて性欲が増す可能性はある。
とはいえ、生の感触に慣れてきたら性欲も落ち着くのでは?(つまり性欲が元に戻る)
これは難しいが、おそらく落ちないと思う。
実は昔ほど、勃起力がない気がしているが、
加齢の問題なのか、パイプカットの問題なのか切り分けられない。
おそらく加齢の問題だと思っている。
減ったようには感じられなかった。中出しすると相変わらず穴から垂れてくる。
これは本当。
中出しされると気持ちよいという女性は、相変わらず気持ちよいと言ってくれている。
これは本当。
射精したあとの開放感が減るので、射精でストレス解消をしている人は絶対にパイプカットをしてはいけない。
「オナニーを途中で止めると、体&心臓に大きな負担が与えられる」という報告があったが
私の個人的な感覚をいうと「オナニーを途中で止めることに対する体への負担」と「パイプカットした人の射精後の体への負担」は、かなり似ていると思う。
さて、まとめではパイプカットをオススメしたい相手、オススメしない相手について書く。
経済的な理由で作りたくないならオススメ。トータルでの避妊費用も減る。女性側の負担も減る。ただし自分が犠牲になる覚悟は持つこと。
勉強の合間に、息抜きでオナニー/セックスしたら眠くなって朝まで寝てしまう人にはオススメ。
ただし自制心のある人なら、勉強が全部終わってからオナニー/セックスすればいいので、わざわざパイプカットする必要はない。
気持ちよさを求めているのだろうが、射精感が減るので逆効果。パートナーとのパイプカット無しでの生セックスが一番気持ち良い。これに勝るものは無い。
SEX後の爽快感や開放感がなくなり、その後眠くならないのでストレス発散として使えなくなる。人生変わるリスクがあるのでかなり注意。
避妊せずに生でセックスすればいいと思う。わざわざパイプカットする必要はない。
AIDSなどの性病になってもいいと思えるなら、いっそ子供できちゃってもいいと開き直ってみてはどうか。いいパパになれると思う。
どこかの記事で「知り合いのAV男優でパイプカットしたやつがいたけど、体調がおかしくなって引退した」という記述があった。
私自身のことを考えると、あながち嘘ではないと思える。止めたほうがいいと思う。
私自身は、最終的にはパイプカットをして良かったと思っている。
最初は後悔した。
射精による気持ちよさが失われ、また爽快感が無くなったからだ。
パートナーを孕ませる射精(精子を出しまくる感覚)の気持ちよさが失われた。
そこは今でもとても残念に思っている。
射精をしても、交感神経が副交感神経に切り替わらないので、そのままハイテンションで眠らずに仕事・勉強などを続けることが出来る。
私はついつい勉強の途中にオナニーして朝まで寝てしまう(そして起きて後悔する)ことが多かったので、生産的な活動が増えたことは喜んでいる。
しかしあなたが自制心のあるタイプなら、パイプカットに頼らず生産的な活動は出来るので、メリットにはならないと思う。
肉体的にも経済的にも、これ以上子供を作ると大きな負担になると判断したため避妊を行うことになった。
ゴムは痛いから拒否、ピルは体調が悪くなるから拒否、その他の避妊手術も拒否。
選択肢としてパイプカットしか残っていなかった。パートナーの理解が得られていればパイプカットはしなかったと思う。
手術から半年が経つと、手術跡の感覚になれてくるので不快感を感じることはなくなると思う。1年経てば今の感覚が当たり前になるだろう。
とはいえ、射精後の疲労感・リラックス感がないので、射精後に気持ちよく眠れるといったこともないままである。
精子の残留を感じることは出来ないはず。(少なくとも私には残留の有無を感じられなかった)
精子が管を通る感覚が無くなったというのが一番大きな要因と思われる。
賢者タイムはある。当然勃起しなくなるし、そこで性欲も落ち着く。
スッキリしたけど、以前ほどはスッキリしない、という感覚になる。(リラックス感が下がる)
おそらく変化はないはず。変化を感じることは出来なかった。
ただし、眠気・脱力感におそわれない点を考慮すると、射精後はより活発になれるかもしれない。
増減を感じない。性欲に差を感じない。
医者にも色々種類があって、保険適用外の処置を積極的に行うタイプがいる。
彼らは、もはや医者という本来の目的から逸脱し、儲け主義に走った「業者」とみなしてもよいと思う。
彼らからすれば、いかに多くの患者が処置を受けてくれるかどうかで儲けが決まるので、
出来る限りメリットを強調し、デメリットは極力伝えないようにする。または最小限しか伝えない。
当然、私がここで書いたデメリットなど伝えてくれるはずもない。
パイプカットするにせよ、しないにせよ「後悔しない選択」の一助になればよいと思っている。
平日は普通に医者として診察しているクリニックをオススメしたい。(おそらく泌尿器科になると思う)
腕に差はないし、料金もそれほど高くない。10万円以下で済む。
いざというときに泌尿器科医として診察もらうことが出来るのも大きい。
質問あればどうぞ。
定期的に閲覧するので、気が向いたら返信します。
https://anond.hatelabo.jp/20170710103917
まず、前のトラバは元増田の投稿の細かいところを読み飛ばしてしまっていた部分もなくはなかったようでミスリードな部分が出てしまいました。申し訳ない。
書くのを控えた対策のひとつは西洋医学・東洋医学のくくりかとうと微妙なところ、というものなんですよね。しかし西洋医学でも有効成分の研究はされていないこともないらしい。でも意図的に避けました。研究自体が少なくリスクが分かりませんし、効くということは悪影響や、効きすぎて問題が出る可能性がないとはいえませんし、私も結局は他の病気への影響を懸念して中断していますので。
私は食物アレルギーも持っているのですが将来的にその療法をアレルギー科では指導される可能性がありそうだけれど、婦人科じゃ今の研究の状況を見るとまだまだ未来の話かな、って感じのものです。
目新しい情報がなかったのはそのせいもあるでしょう。
目新しい情報というのは確立していない療法とも言えますから、自己責任になるようなものはなかなかすすめられません。それに研究結果が少ないのに「研究結果があるよ!」というのは信憑性の面では乳酸菌が体に良いことは証明されていますとか怪しげながん治療法とか、そういうことと大差ないでしょう。そうなると結局は以前から効果があるとされる対策のうち健康被害が少ないもの、つまり食事と運動とストレス解消になるということに...。
「適切な対策をしている」と思っていてもそれが本当に最適かというと、医師から具体的な指導を受けられないなら結局は自己流であって健康法にしかなっていないということはあると思います。医師が想定する「食事・運動・ストレス解消」が患者の想定するものと違うのなら、その根本原因のひとつは医療現場の限界と医師の指導姿勢にもあると考えることもできるでしょう。
患者自身が病気について勉強しなければならない、正しい知識を選択するために更にそのための知識をつけなければトンデモ医療に騙されてお金がかかるばかりで治らないどころか下手をすれば人生が変わってしまう、という現状は当事者にとっては辛いことです。
元増田が無知で不適切な対応をしていると感じるとか、ストイックさが足りないのではないかとかいうことではありません。私自身自己流で逆効果なことをしていたこともありましたし、素人であることに変わりはありませんから「私のほうが詳しい!」と言いたいわけでもありません。気休めにもならなかったようなので残念です。
一般的にも知られていることですが、アレルギー治療や、例えば糖尿病なんかも同じみたいですけれども、具体的な指導を受けようとすると入院する必要が出てくることがありますし医師が入院指導をすすめてくることもあります。
しかし生理痛の治療では聞きませんね。そこまでしてもほとんど効果がないということなのか、そこまでする必要はないと考えられているのかは私にはわかりませんが、いずれにしろ更なる婦人科への不満にしかならなそうです。
私も倒れるほどの生理痛ですし、話はそれますが私の持病は西洋医学でも病気と認定される病気です。しかし体質的に薬に副作用が出まくっていて、治る可能性がある病気であるとされていて治療法もあるけれど「これなら飲めるし効くよ!」って薬が少ないんですよね。そして他にできることと言えば食事と運動とストレス解消なわけです...。しかも今月からはロキソニンも禁止ですよ...。あ、別に辛さのマウンティングしてるわけじゃないんですよ?
私自身いくら割り切ったつもりでもやっぱり治らないこともストレスだし、効果が高い食事にすると制限が多くてストレスが溜まるし、元気な時ならストレス解消になる運動も体が辛い時ならストレスだし、そういうときは医師の「治すために頑張っていこう!」という姿勢すらもストレスになってしまう。
だから医学とは違うまた別のものに頼りたくなる人の気持ちも、治らないなら治らないって言って欲しいという気持ちも、頑張ってるの!これ以上どうすればいいの?という気持ちも分からないではありません。
元増田の立場にしてみれば、わかったからどうだということでもありませんけどね...。
6歳の息子が「パパに叩かれるのがいや」と涙ぐみながら訴えてきました。 私が見ていないときに、言うことを聞かなかったりして何度か叩かれたそうです。 夫は普段は子煩悩でおとなしいけれど、プライドが高く ちょっとしたきっかけでかっとなりやすいタイプ。 息子はしばらく前から幼稚園の友達の影響で言動が生意気になってきました。 感情のコントロールが苦手で興奮しやすかったり、相手の反応おかまいなしに 不快な言動を繰り返すことがあります。 ちなみに3歳の時にアスペルガーと診断済み。 私もそんな息子に手を焼いていらいらしてしまうことが少なくないし、 思い切り叩きたい衝動にかられたことも何度もあります。 だから夫の気持ちが全く理解できないわけではありません。 だけど、そこは踏みとどまってきました。 幼い頃2年間療育にまで通わせて、少しずつ積み上げてきたものが台無しに なってしまう気がしたからです。 息子は叩かれたことに傷つき、悔しさと夫への不信感でいっぱいになっていました。 「大人は子供に「お友達を叩いてはだめ」というのにどうしてパパは叩くのか」 と言うのです。 叱られた内容はさておき、大人の理不尽さがどうしても許せないようでした。 そこで私は息子に、 ・パパは○○(息子)にわかってほしいという強い気持ちがあったんだと思うよ。 それを上手に表せなくてつい叩いてしまったんじゃないかな。 ・だけど、大人だからって叩くのはよくないよね。それはパパに伝えておくよ。 と伝えました。そして夫に ・叩くことがしつけだと考えているのなら効果があるどころか 逆効果になっているから今すぐにやめてほしい。 ・叩いたことは、感情的な暴力に過ぎないと自覚してほしい。 とメールしました。口頭だと口下手な私では考えが整理できないし、 お互いに感情的になってけんかになってしまうからです。 夫からは「今後気をつける」とだけ返信がありました。 息子は物事をあまり引きずるタイプではないので、すぐにいつも通り 明るく元気になり、夫とも良い関係に戻ったように見えました。 それが半月ほど前。 ところが、一昨日、夫はまた息子を叩いてしまったようです。 それも私が見ていないところでだったので、息子の訴えで知りました。 夫は息子を叩く心理的ハードルがすっかり下がってしまっているように感じます。 毎回私の見ていないところで手をあげるということは、多少の罪悪感が あるんだろうか…。 夫に「とにかく叩くことはしつけにはならないからやめてほしい」と言うと 「わかったから!!」と大声でどなり、その後は一切会話できなくなりました。 メールにも返信がありません。 叩くといっても、身体にあとが残るほど強く叩いているわけではないし、 昔なら「しつけ」で済んだ話。おおごとにする必要はないのかもしれません。 だけど子供が叩かれる姿も、夫が叩いている姿も、想像するだけで胸が痛くなるし こんなことが続くのは耐えられないです。 けれど、夫のプライドを傷つけず、息子がこれ以上叩かれずに済む方法が 見つかりません。 ※これまでの経緯と自分の考えを整理したくて初めてここに書いています。
少し焦ってはいたが、それでも急げばギリギリ間に合うレベルだし、何より俺には打算があった。
喧騒が煩わしくて普段は避けているが、そこの交差点を利用すれば余裕で間に合うのだ。
呼び止めてきたのは市長だった。
市長は怪我でもしていたのか、杖をつきながらこちらに向かってくる。
しかし、なぜ呼び止められたのだろうか。
「え!?」
『差別的』ってどういうことだ。
「杖や車椅子での移動を余儀なくされている、足が不自由な人もいるのですよ。だのに、あなたは公の場で何も考えず悠々と歩いている」
どうしてそれで俺の行動が差別的ってことになるんだ。
「えーと、あの、市長さん?」
「そして、自分のしていることにまるで無頓着だ。よくない、ああ、これはよくない、よくありませんよ、よくない、よくない、全くもってよくないよ」
「誤解してほしくないのですが、私は二足歩行自体を否定しているわけではありません。ですが、それができない人間の気持ちを少しは考えるべきです。足の不自由に配慮して、“歩み寄り”ましょう」
このままでは遅刻する。
俺はテキトーに話を合わせて、この場を切り抜けることにした。
「はあ、一理ありますね。それで、俺はどうすれば?」
「これです、わたしのやっている通り。杖をつくなり、車椅子に乗るなりしなさい」
俺は引きつる顔をさとられないように手で覆い隠しつつ、もう片方の手でそれを受け取る。
「どうです。これで多少なりとも“理解”は深まることでしょう」
「そうですね」
「これからもそうやって移動するように」
周りを見渡すと、他の人たちも似たような様子だった。
俺は市長のやっていることは理解に苦しむのだが、みんな何も言わないで従っている。
奇妙な光景だと感じるが、それは俺が差別主義者だからなのだろうか。
30近い人間の言うことと思えないが、リアルに困ってるので教えて欲しい。
自分は空気があまり読めず、読めないが故に無礼な発言や過剰な発言が多い。KYなんて可愛いものではなく、基本的発想が自己中心的で無神経の域だと思う。
自己中の自覚はあり、人を不快にさせる発言を改善したい気持ちもあり、微々たるものだが改善してはいる。指摘してくれた相手には感謝しかない。
自己啓発系の本を読んで、失敗も経験といった考え方や、落ち込まないように抑制すると逆効果だからX時までとことん落ち込むと時間で区切る方法を学んだ。
「何で自分は言う前に気づけ無いんだ」と自責して終わりにせず、「これが駄目だったのならこう変えよう」と改善に繋げられるようになった。
なのに「またやってしまった!」と気づいた時のショックだけが脂肪みたいに蓄積して困っている。
もう改善策も見つけて実行できて同じケースでの失敗はしてないのに、ふとした時にショックだけがフラッシュバックしてくる。
昔は「何で自分はこんなに馬鹿なんだろう」って心中で落ち込むだけだった。
次にやけ酒・やけ食い、もしくは1日まったく食欲がわかないの、食欲の両極端化が起きた。
二年くらい前からトイレの個室の方にこもって泣くようになった。家でも職場でも外出先でも一旦泣かないと立ち直れなくなった。
蓄積と悪化を顕著に感じている。
仕事と給与は適量で、人間関係は会社全体で良好なホワイト企業だと思う。特に上司には恩義を感じている。
どんなにムカついても見捨てないでくれる古くからの親友もいる。
家庭環境に特筆点はなく、両親共に健在で、社会に出てから感謝することも多いのでしっかり育ててくれた良い両親だと思う。
自身の外見は上中下なら「下」だが、幸い特徴的部位はなく、いじめの対象となったことはない。
彼女や親友は、遊んでる最中に自分が唐突にトイレにこもり、目を赤くして帰って来たら心配し、話を聞いてくれる。励まし、慰めてくれる。
悩みを打ち明ける相手がいないことはない。
上位3位は就寝前、入浴時、調理時。主に脳内が「無」の状態の時に起きやすい。
なので、気の置けない相手との雑談の合間や、慣れている仕事を行っている際も上位に入る。
圧倒的なのは就寝前で、暗い部屋でいい歳した大人が泣いていると、思考がマイナスに寄ってしまい、蓄積されていたショックが増幅して帰ってくる。
睡眠時間が削られるのも困るが、頻度は低めでも仕事中にも起きてしまうのが本当に悩みどころだ。
就寝前のフラッシュバックで不眠気味になり、仕事に影響が出たので、精神科を受診した。
不眠症の傾向があるとは診断されたが、うつ病の傾向は見られないとのことだった。さもありなんと思った。
フラッシュバックが起きていない時は、70まで生きれるとしてもあと40年余りしかないことを悔やむほど楽しく生きている。
だからこそフラッシュバックが起きる意味は皆目見当もつかず、また発生時の自分の落ち込み様にも理解が出来ない。
睡眠薬は処方してもらったが、嫌なことを思い出さずに入浴できる薬などあるわけもなく、現状はできるだけ脳を「無」にしないことしか対策がない。
そんなの交通事故防止に対し「注意して運転しましょう」と言うだけのようなものだ。
軽減はできても根治はできない。
顔が見える相手だと緊張してしまい、3回受けて3回とも効果や収穫はなかった。
「小さいことは気にしないようにしましょう」と言われ、それができないから受けているのにとがっかりしただけだった。
学生時代には、まだ自分が精神的に幼く、叱られた経験も少ないから強いショックを受けるだけで、大人になれば緩和されると思っていた。
今でも叱られるのがとにかく怖くて嫌だ。
経験として成長に繋がっている実感があっても、「怒られてしまった」というショックの蓄積はなくならない。
新たな注意点の発覚(によるショック)が怖いので、職場の昼食時の雑談などには入らなくなった。
幼少~少年期は腕白で、乱暴な子だったように思う。滅多に叱られない優等生では決してない。
もしかしたらその頃から蓄積されていて段々臆病になり、今、「死にたい」まで到達してしまったのかもしれない。
だとすれば自分は生まれつき異常に打たれ弱く、それは一生改善されることがないのだろうか。
積もり積もって「死にたい」が「死のう」になり、本当に自殺したら、自分としては残念ではある。まだ「こち亀の最終巻を読む」しか夢を達成できていない。
でもフラッシュバックは本当にいつ来るか分からないので、例えば彼女と買い物に出てる最中に「死のう」に到達するほどのフラッシュバックが起きたらと思うと非常に怖い。
自分は死にたいなら死ねばいいが、真面目な両親や、責任感の強い彼女にはどんな迷惑をかけるか分からない。
常日頃から自殺の二文字が頭に浮かんでいるならまだしも、現状では「人生楽しい」という時間の方が長いので、いつ死んでも良いようにと孤独な状態を作り出すことはできない。自分勝手だが。
それでもいつかポーンと自殺してしまいかねないと怯えるほど、フラッシュバックとショックの蓄積が怖い。
これだけ長々と書いたが、そう言えばまだ先週叱られたことを書いていなかった。
女性メンバーが自分はデブだからモテないと自虐ネタを入れて来たのだ。
過去に似たようなケースで「太っているより痩せている方がモテやすくはある」と返したら叱られたので、女性の自虐ネタは否定するのが正解なのだと思っていた。
「別に太っていると思ったことはない」といった旨を返すと「嘘だ~w」というレスが来た。
会話の雰囲気やスタンプから向こうも会話に乗ってきてくれているのだと思ってしばらく会話していたら、後ほど別のメンバーから個別LINEで指摘が来た。
「軽く終わらせて欲しい自虐ネタを、稚拙な嘘でフォローされて、長々とそのネタで会話を継続されると精神的に辛いものだよ」といった内容だった。
時を置いて読み返してみると、たしかに相手の女性からは早く会話を切り上げたい雰囲気が漂っていたし、他のメンバーからも会話をやめるようヒントが飛ばされていた。
自分はむしろ相手の女性に、女性として十分魅力的であるとフォローしていたつもりで、良いことを言っているつもりだった。
冷静になってみたらただのセクハラだった。
ただこれだけだ。
自己中が、女性の前で格好つけたかったものの、ただ空回りしただけだ。
「気をつけよう」で終わらせていい話だし、すでに「自虐ネタの対応は、自分のような人間にはまだレベルが高いので、もっとコミュ力が高い人に任せ勉強させてもらおう」と改善案を自分の中で明示した。
もう一週間も前の話だ。
なのに今日会社でこの一件を指摘された時のショックがフラッシュバックした。
急に心臓が圧迫されたような感覚になり、トイレの個室でひたすら「死にたい」と呟いた。
こんなに死にたいと思ったのは初めてだったので驚いたし、怖くなった。
前回のフラッシュバックの時は、死にたいとは思ったが口には出さなかった。
今回は呪詛のように呟いていたので、いよいよもって危険だと感じた。
まとまりがなく、長々とすまない。
皆はどうしてるんだ?
こんなフラッシュバックは起きないのだろうか?
ここまで読んでくれた人がいたなら、まずは貴重な時間をありがとう。
異常に打たれ弱いと言っておいて説得力もなにもないだろうが、このフラッシュバックを根治したいので、何かあれば是非教えてほしい。
情けないと叩かれて終わるかと思っていたから、今本当に嬉しい。皆どうもありがとう。
帰宅したら教えてくれた病気や本を調べてみる。ブコメも一つ一つ拝読する。
本当にありがとう。
お礼と、情報をまとめた。
http://flashbackshock.hatenablog.com/entry/2017/06/22/023926
あれマジでなんだったんだろう
高校で偏った教育しちゃいけませんだの、同じ高校生でも選挙権があるのとないのがいるだの、
しまいには船に乗ってる生徒が投票できないだの、まあえれー盛り上がってたのになあ
「若者の声が反映されれば勝てると思った? 残念逆効果になっちゃいましたね~www」
先日、ネットの匿名で書き込めるある場所で、自分が古代祐三さんを知らなかったことを
「にわか」
と馬鹿にされました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E7%A5%90%E4%B8%89
日本を代表するゲーム音楽作曲家であり、代表作は『イース』『アクトレイザー』『世界樹の迷宮』など。
ゲーム音楽の黎明期を支えたゲーム音楽作曲家であり、現在も第一線で活躍している。
そのことを踏まえれば、ゲーム音楽好きを名乗りながら古代さんを知らない人間が「にわか」と呼ばれることについては全く異論がないように思えます。
例えるなら…
(人物のたとえが適切かどうかは別として…)というような人が「にわか」と呼ばれてしまうのは仕方ないと容易に想像できます。
ゲーム音楽好きだけど古代祐三を知らないというのはそういうことなのでしょう。
ですが私はにわか叩きに苦言を呈したいのです。
世の中の一部にはゲーム音楽を好み、その音楽を頻繁に聴く層(=ゲーム音楽好き)が存在するわけですが、ただ、ゲームをプレイせずにその音楽を好きになることは稀です。
つまり、「ゲーム音楽好き」とは、あくまで「自分のプレイしたゲームのゲーム音楽好き」なわけです。
私も、ゲーム音楽好きを名乗っておりますが、過去の名作ゲームはあまりプレイしたことなく、あるゲームの音楽を頻繁に聴いています。
人に好きな音楽を聴かれて、わざわざ、「○○と○○のゲームの音楽が好き」というのはめんどくさいです。
ゲーム音楽好きを名乗らなければ叩かれなかったかもしれませんが、じゃぁどうしたらいいのでしょうか。
ゲーム音楽作曲家は基本的に裏方であり、ゲームのファンであってもその名前を知らないこともあると思います。
だから、稀にインタビューが組まれたりしますが、基本的に表にはあまり出てきません。
私はプレイしていい音楽だなと思ったら、その時初めて作曲家の名前を覚えます。
だからいくら作曲家が有名でも、ゲームをプレイしてないと名前を知らないということもあるのではないでしょうか?
もう一つ。
世の中には名作と呼ばれるゲームがたくさんあります、『イース』や『アクトレイザー』や『世界樹の迷宮』などもそのうちのひとつに数えられるでしょう。
しかし、毎年のように繰り返し生み出される名作ゲームは年々増えていきます。
ゲーム業界でも、「いよいよ、あのゲームをプレイしたことがない世代が入ってきたか…」というような経験をすることがあるそうです。
後の世代になればなるほど予習しなくてはならない名作ゲームはどんどん増えていきます。
ただの、業界人でもない一般人が、ゲーム音楽好きを名乗るだけに、それだけの学習が必要なのでしょうか…。
注)もちろん、あくまでここで必要とされているのは、「作曲家の名前を知ってるか知らないか」ということ……ですが、上記の通り、音楽を知らずに人物だけを知るのは難しいような気がします。彼らの気持ちの裏には、「名前を知っているだけではなく音楽を聴いたことがあるかどうか」という気持ちも隠されてるような気がします。
彼らには「ゲーム音楽はこうあるべき」という気持ちがおありなのだと思います。
ゲーム音楽好きは昔の名作ゲームをすべてプレイして作曲家を覚えるべき、そうでなくてもプレイしてないゲームの作曲家まで網羅すべき、と。
そもそも、ゲーム音楽は音楽の中では圧倒的にマイナーな存在です。
世間一般で音楽といえば歌のことであって、BGMを聴くという発想はあまりないようです。実際に、ある人にゲーム音楽を聴くと言ったらすごく驚かれたことがあります。
とはいってもゲーム音楽にもすごいファン層がいるので「ゲーム音楽は相対的にマイナーである」というのが正しいかと思います。
マイナージャンル同士仲良くしたらいいと思うのですが……いきなりにわか叩きはないんじゃないかと思います。
ところで、なぜにわか叩きは行われるのでしょうか。
①にわかを叩くことによって、にわかがその作品または人物についてよく調べ、ファンの質が上昇する。
②にわかを叩くことによって、にわかがファンを離れ、ファンの質が上昇する。
など、いろんなことが考えられるかもしれませんが、これは逆効果ではないかと考えてしまいます。
古代さん自身は、「俺を知らないなんてにわかだなぁ」とは言わないし言えないでしょう。
だからこそファンが代わりに、「ゲーム音楽業界を啓蒙しなくては」「彼の偉業を知らしめなくては」「能力ある人、努力した人は評価されるべきだ」という気持ちがあるのかもしれません。そういう気持ちは大切ですが、古代さんを他人を叩く武器に使うのはどうなのでしょうか?
だらだら書いてしまいましたが、まとめると、
と考えています。
…あと、いちおう書いておきますが、いきなり「誰こいつ」などと書き込んだわけではありません。
貴方はどのようにお考えですか?
追記:
無知をさらしてしまった面もあり、それに関しては申し訳ありません。
追記2:
久しぶりに加筆。
古代さんの曲を聴いてみると書いてみたが、結局ちょろっと聞いただけに終わってしまった。
ぶっちゃけ言うと、今好きで聞いているゲーム音楽も積極的に探し求めていたわけではない。
ゲームをやってて好きになった曲や、動画でつかわれてて好きになった曲ばかり。
「ゲーム音楽あげてけ」みたいなスレがきっかけで好きになった曲といえば、ヴァンパイアキラーくらいだと思う。
現状、古代さんの音楽が好きでは無ければ、好きではない状態の曲を積極的に聴こうとは思わない。
もちろん、それは今自分が好きな音楽についても同じことで、きっかけがなければ好きにはならなかったと思う。
まぁ、もし自分がゲーム音楽関係のイベントや仕事にかかわったとしたら知らないですでは済まされないから、知っておくべきだけど、趣味で聞く分にはどうでもいいでしょとおもう。
ゲーム音楽だなんて、そもそもバックグラウンドに過ぎなんだから、仮にどんなに優れた音楽でもゲームが糞だったら聴いてもらえないし、評価=すごさとも限らんと思う。
なんか考えがまとまらなくてだらだら書いてしまうけど、この手の話はゲーム音楽業界にかかわらず、どの業界にもあると思う。
ゲーム音楽自体、音楽の世界ではマイノリティー側だと思うけど、その中でもマジョリティとマイノリティがいて、マジョリティ側の人はこれは知ってて当たり前だもんなぁ。
JPOの人が、えっ○○知らないの?とか、これ有名なバンドだよとか言ってきたらどう思うよ?
えっゲーム音楽なんて聴いてるの?って笑われたらどう思うよ?
なので暴力革命を目指す政党は組織犯罪処罰法の捜査対象になるだろう
一切革命活動をしなければよいが革命を支持する党員は組織を離れていき政党の支持が減る
時代錯誤の暴力革命でなない求心力を革命政党は持たなければならない
最近の野党の反安倍・反自民の動きは革命以外の求心力を持とうというあらわれだろう
悪口を言うと悪口の対象ではなく悪口を言ったものが嫌われるという心理を民進党やマスコミは知らないのだろうか…
民進党の支持率は下がり、新聞は購読数を減らしテレビは視聴率が減り、スポアンサーはどんどん離れていく。
いずれにせよ
日本共産党や民進党、社民党や山本太郎は方針変更して綱領を変えないとこの先生きのることができないだろう
金沢は最近新幹線が停まるようになったことで、小京都風なる謎の小洒落オーラで転入者が増えています。そこで、転入者に対する百万石まつりのガイドをしたいと思います。
石川三大祭の一つに数えられる軍事演習です。藩民皆兵の理念に基づいて大行進や閲兵式が行われます。一応建前では前田利家が石川県へとやってきた出迎だか歓迎だか言われていますが、本質的には示威です。
参加は強制ですので、町内会に問い合わせてください。町内会によって対応は様々ですが、一般的に郊外のほうが要求が厳しいです(というか中心部は転入者が多いのでマニュアル対応が進んでますが、郊外だと若手が引っ越してくると言うだけで舞い上がってたりします)。あまりにもきつかったら市役所の振興地域課へ相談してください(観光課への相談は逆効果です。いつまでお客様気分なのだとだらけあつかいされます)
一番ハードルが高いのが鎧の準備です。県民男子は当然一式は備えているのですが、県外からの移住者は鎧所持率が低いです。また、住んでいる町内ごとに様々な決め事(色や武装など)があるので結局新調することになるでしょう。町内会によっては貸出用の鎧が備えられているところもあるという話なのですが、家の近くの場合メンテも悪くて実用じゃありませんでした。ぶっちゃけ、在住者の着古したお下がりなどなので、臭いし使わないほうがいいと思います。
鎧を新調するのが一番の問題なのですが、とりあえず、町内会に相談してください。相談しないとこじれます(後述)。しかし相談するにしても予算の目星はつけておきたいです。ピンきりなのですが転入者のひとは30万円前後のものを目指すのが良いと思います。
と言うか、とりあえず相談+価格さえおさえておけば多くのトラブルは防げます。
高いものは緋糸威+二枚胴とかで150万コースとかも有るのですが、そこまでは必要ありません。町内によるのですが、出入りの業者と結託して高額の鎧を斡旋し、キックバックを受け取るようなところもあり、知識なしだとぼったくりにあいます。
一方で変に安いものだと毎年修繕が高くついたりしますし、再購入にもなりかねません。30万前後(25万くらいで十分)がいいと思います。子供が男子で高校生以上なら、セット価格で20万円x2とかでも良いものがあります。
業者さんは町内会に相談して決めたほうがいいです。インターネット通販でも購入できるのですが、大抵の場合、町内会の老人集の機嫌を損ねて揉めます。田舎なのでその辺出入り業者筋とか謎の付き合いがあるのです。あとは、隣近所の人と色が合わなくて浮いてしまうとかもあります。鎧の細かいデザインはずれてても問題ないですが、槍を保つ場合は長さを合わせておいたほうが目立ちません。刀や小太刀は好きにしてください。
乗馬訓練は必要なのか? というのも悩むと思います。町内の懇親会などで勧められたりすることも有ると思いますが、基本はおつきあい程度であとはスルーでいいです。百万石まつりの行列で馬に乗るのは、大学の乗馬クラブのひととあとはかなり限定された有志です(ぶっちゃけ既得権です)。
飲み会で「馬くらい乗れないとねー」というのは年長者のマウンティングで、実際の祭りでそんな声はまずかからないので無視していいです。「車の免許がやっとなんで馬なんて恐れ多いですよ!」とか言っておくと老人は喜ぶので、適当に振りまいてスルーして下さい。
4月と5月に合計4回位の練習が有ると思うのでそれは出ておいたほうがいいです。実際には二回も出れば進行はわかるので十分ですが、最初の一年は鎧になれるために多めに出たほうがいいでしょう。鎧で肌が擦れるので、適切な下着が必要です。ユニクロ系は布地が薄くて使い物になりませんが、そのへんは体格にもよるし値段も安いので探してみてください。通販しても問題にはなりません。
一方で「打ち合わせ」や「士気高揚」などと称する練習(?)の予定がたくさん入る町内会も有るのですが、それは百万石まつりにかこつけたただの飲み会なのでスルーしても問題ないです。最初の一回行っておけば良いでしょう。
(ただし下手に酒に強いアピールをすると、加賀の利き酒とかいってつれまわされます)
寝坊しなければ注意点はあんまりありません。県内企業であれば公休扱いも有ると思いますが、めったにないでしょう。鎧は家で着用じゃなく集合する体育館で着てください。年寄りがトイレは我慢するか垂れ流せとかわけのわからないことを言いますが、集合場所で済ませておけば問題ないです。
最近獣医学部の新設について取りざたされているが、正直公務員獣医の不足は新設以前の問題だと思う。その理由をこれからあげていく
①仕事内容
公務員獣医、特に保健所など公衆衛生の分野で働く獣医師はいわゆる「動物のお医者さん」とは大分かけ離れた仕事をしている。だから「動物のお医者さん」になりたくて入ってくる獣医学生から敬遠されるのは仕方ない部分もあるのだが、それでも狂犬病予防員や人獣共通感染症の対策など獣医師でなければできない仕事ならば少なからずやりがいはあるはずで、ここまでの不足にはならないと思う。現状の公務員獣医は、それらの仕事に加えて旅館の調査や美容所の監視など獣医師でなくてもできる仕事まで任されている。不足している状況で、獣医師でなくてもできる仕事まで押し付けていたら人が集まるわけがない。
接客や応対の仕事をしている人たちならば大なり小なりクレームに悩まされるだろうが、公務員獣医はその中でも大分粘着質なクレームに悩まされることになる。なぜかというと、保健所の獣医師は引き取った動物の殺処分も仕事に入るのだが、これに関して動物愛護関連の団体が何度もクレームをつけてくるのである。また団体だけでなく個人によるものもあり、ネットで実名をあげて非難してくる者もいる(公務員獣医 殺処分で検索すると、香ばしいサイトがいくつも見つかる)。しかもこの手の連中は、なぜかペットを捨てた飼い主よりも獣医師をやっきになって叩いてくる。獣医というのは基本的に動物好きの集まり(偏差値が上がってからは特にその傾向が強い)であり、したくてそんなことをやっているわけではない(もちろんどうしようもない獣医も一定数はいるが)。殺処分などしたくなくて、少しでも減らそうと頑張っている人たちが理不尽な罵倒をくらっている現実を考えれば、不足するのも当然だろう。
③待遇
医療系専門職の公務員の給与というのは医療職棒給表に基づいており、医療職1が医師・歯科医師、医療職2が獣医師・薬剤師・栄養士といったように区分されている。獣医学部・薬学部は以前4年制であったため医学部・歯学部と区別されていたのだが、6年制になった現在も改正されていない。当然医療職1が一番給与が高いのだが、ここでいう医師・歯科医師というのは臨床の現場で働いている人たちだけでなく、保健所で働いている人たちも含んでいる。そして、保健所で働いている医師の仕事というのは基本的に公務員獣医と同様公衆衛生に関わる業務で、仕事内容に多少の差はあれど大枠は同じで勤務時間も変わらない。さて、それで医療職1と医療職2でどれほどの差があるのかという話だが、こんなブログを見つけた。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20090717
このブログによると、公務員医師、獣医師の月収は次のようになっている。
初任職員 58万7200円 21万4700円 37万2500円
本庁課長級 71万7655円 58万1620円 13万6035円
このブログの主は開業医で、本庁課長級(獣医師として出世できる最高職)まで昇進すれば同格の医師との差は大分縮まるため、給与にそこまでの差はないと述べているのだが、悲しいことに獣医師のトップの収入は新人の医師の収入に負けているのである。個人的には、医師と獣医師ではこんなに収入差があると言われるよりも、獣医師はどんなに頑張っても新人の医師に負けますよと言われるほうがよほどやる気をなくす。これで公務員の獣医師と医師でそこまで差はないと言われてもしらけるだけである。
またこれに関連して言えることだが、公務員獣医の不足解消のため高校生に対して公衆衛生や大動物臨床に関する広報活動を積極的に行っていくべきではないかという話を聞いて、正直逆効果にしかならないのではないかと思った。獣医ならではの仕事である牛や馬の臨床は確かに高校生も興味を持ってくれるかもしれないが、同様の仕事内容、勤務時間でこれだけの収入差がある公衆衛生の現実を知ったら、だれも獣医学部を出て公務員になろうとは思わないだろう。
もうさあ、何言っているのかわからないというか、無益じゃん、カタカナ語って。
西洋由来のものをカタカナ語にするのならわかる。インターネットとか、スマートフォンとか、パソコンとか。
でも、グロース戦略とか、エビデンスとか、なんとかビリティー系とかなんなん??
ひどい奴は動詞までもカタカナに直して使ってて本当呆れる。何がスポイルするだ。
日本語ってこんなことにまでカタカナ語使わなきゃいけないぐらい語彙の少ない言語なんだっけ?
何?かっこいいとか思ってる?ちょっと賢く見えるとでも思ってるのか?
これで英語力の低い人間が使ってたらもう、ダサすぎ。使ってる本人もたいしてわかってないだろ。
さらに発音がまるで違うから無理やり日本式にカタカナに直すと、英語力が高い人ほど何言ってるかわからなくなるという顛末。
優れた話し手はいかにすれば聞き手が理解しやすく話せるかをよくわかってる。
会話の中でケーパビリティーが〜っていうのと、能力がっていうのではどちらが伝わり易いか明らかだろ。
言う側も能力って言った方が早いじゃん。
いやいや、ケーパビリティーは能力って意味じゃなくて、可能性って意味で話しているだよだと?バカかおまえは。聞き手は能力として解釈する可能性もあるだろ。
もう本末転倒。
ヘイトスピーチっていうより、日本語で「差別」って言葉を使った方がより、倫理的に間違っているんだなーって伝わるでしょ。
なんで逆効果になるにもかかわらず、無理やりカタカナで表現しようとするのか?それでいて広めようと連呼するな。政治家も頭使ってなんぼの仕事のはずなのにバカばかりだな。
カタカナ語を使う人は聞き手のことを全然考慮してないよね。その「俺なんかかっこいいこと言ってますアピール」は人前でオナニーしてるようなもんだ。まじやめろ。
こんなこともわからないんじゃ、カタカナ語を使ってるやつの話なんて聞かなくてもいい。
どうせたいしたことを言っていない。
[追記]
全てにおいてカタカナ語はやめろとは言ってない。そちらで完全に浸透している言葉もあるし、誤解なく伝わり易い言葉を選んでほしいだけだ。
ただ昨今、会話していても、様々なメディアで記事を読んでいてもやみくもに使われていると言わざるをえない。
ニュアンスって言う奴が出てくるのは予想していた。
内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない
あいつらは、内容の無いことばかり喋っている」と言って、学校や職場の同僚を馬鹿にする人は多い。思春期にありがちなセリフかと思いきや、年配の人が、同じようなことを喋っているのを見て驚くこともある。
ウェイ「あいつらゲームとかの話ばっかり何が面白いんだ」に対して陰キャが「あいつらの会話内容なんじゃん」と言ったところにマジレスされても困る(わざとやってるのだろうけど)。その年配の人とやらも配偶者とかに「電波で仕事の話ばっかりよく飽きないね」的なことを言われて「主婦同士の会話のほうが飽きそうだが」とか感じてるだけのことだろう。
クラスの上半分のウェイは上昇・秩序ゲームやってるのかもしれないが下半分は生き残り・秩序ゲームなのである。上半分はいかにもっと有利なポジションにいけるか、いかに仲良くなるか、いかに役に立ってるアピールをするかで動いているが、下半分はいかにいじめられないか、トラブルに巻き込まれないか、余計なことを押し付けられないかで動く。
おいそれと転校・転職できない環境下なら、カースト弱者は簡単には逃げられないから、内容の無いコミュニケーションを回して校内政治・社内政治を確立し、ヒエラルキーを確定させるのは、コミュ強の社会適応としては有効だと思いますよ。多かれ少なかれ、これはみんなやってるじゃーん、な事だとも思う
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/862819416282603520]
1年間はクラス替えもないのだから、上に行こうなどと考えるよりDQNの気まぐれいじめルーレットを避けることを考えたほうが現実的である。「優しいというのは言い訳であり自己保身」みたいな言い方がある通り、いい人キャラはいじめにくい。無害であり、上に行こうなんていう生意気なことは考えてない、という雰囲気を出す以外の選択肢はない。雑談で盛り上がるより相手の話を面白く聞いて興味深く質問するふりをするほうがいい。抵抗できなさそうなヤツだと思われる副作用もあるが、男気ある系のDQNや教師や先輩に気に入られていればなんとかなる。ウェイとは逆に「無害であること」「その集団に入らない努力」「分際を自覚し身の丈に合わない権利・責任は放棄すること」「過剰に買いかぶられないこと」「お節介を気分を害さないように断ること」が必要なのである。(そういう状況であるのに、某問題群のこととなると臆病だの批判をかわすための安全に痛い自己批判だの安全圏からメタ視線でのポリコレ批判だのという批判もあるが、彼らはオタクにどういう反応をしろというのだろうか)。陰キャが抵抗したり牙を向くときというのはこの秩序が強要や抑圧で乱れたときである。悪魔的なことを言えば陰キャ勢は一人いじめられっ子を生贄として差し出せば1年間は安泰なのであり、そのとき選ばれるのは上からも下からも反感を買う「自分は下じゃない」みたいなナルシスト系の陰キャだ。この時ウェイと陰キャの利害は一致している。
回避的であること、表向き主体性を放棄していることは陰キャにとって合理的である。何かの本で回避性人格障害の治療法が変わったと書いてあったのだが要するに「いじめれっこを同性同年齢の集団に戻していたが最近ではいじめが発生するからなされていない」というものだった。地域にもよるかもしれないがDQNにいじめられて回避的であることを合理的に選択した陰キャを1匹、DQNの群れに投げ入れるなんて狂気の沙汰じゃないだろうか。教師や先輩の介入が入りにくい「集団」に入れるなんて逆効果になるとしか思えない。治療方針の転換は妥当なのだろうと思う。また真面目系クズをACとする意見を見たことがあるが、これも因果関係が逆のように思う。自己犠牲ではなく、自分を大切にするためにこそ逆らわないのだから。
陰キャにとって「あいつは真面目wつまんないやつ」「空気」「影が薄い」「人生楽しいか」と言われたらそれは適応に成功している証拠である。「自分は透明な存在だ」「自分は誰の役にも立っていないのではないか」「何のために生きるのか、なぜ生きなければいけないのか」と感じる機会は当然ウェイより多くなるが、はなからそれ以外の選択肢などないのだから、感じるだけ問うだけ無駄なのであり、そう感じたり問うたりするのは大体が脳のコンディションが悪いときなのなのだから心より体調に気を使ったほうが良い。
長くなったが要するに、サッカー部に入ろうとも考えてない野球豚が「サッカーなんて玉けり遊び何が楽しいんだ」と言ったことにサカ豚から「玉ける練習で、レギュラーを目指してるんだ。」とかガチでこられても唖然とするほかないという話だ。昔のid:p_shirokumaなら「レギュラーになれないやつの僻みだ」と、あさっての方向の批判をしていたと思うが、今回のマジレスはさらに一光年あさっての方向に退却しているように思える。
と増田で聞くのもあれだけど。
一応はてぶは5年くらい?やってる。
ブクマ数は10000弱で中級者くらい?ではある。(たぶん
ただ、最近思ったんだけど、ホッテントリに上がるのってブクマが多いものだよね。
はてブって本来のあとで見るためのブクマよりコメント書くことがメインになってると思う。
なので、愚痴やら批難やらそういうのが多いのばかりで、炎上してるのが多いと思う。
見ていて楽しいものはそうないし、イライラするとか多くて精神的に荒んでくる。
心に余裕あって暇な時ならまだいいけど、時間ないとかストレス溜まってるときの気分転換に見たら逆効果ってレベル。
(私がはてブやりはじめた数年前と比べて)特に最近ってブクマの民度って2chのほうがマシじゃないかなって思うほどに荒れてるように思う(ときもある)。
ホッテントリ見ずにブクマだけ使うってのもありかもだけど、そこそこメインで使うサービスのトップページ的なところを見ない(見れない)のもなんかなーって思う。
そもそもCMなんて宣伝が目的だから、一度ケチついたら終わりなんだよ
音楽に例えるなら、歌は人々を楽しませ、コミュニケーションを円滑にするツールだ。
しかし、歌にははっきりとうまい下手がある。いくら歌という存在が素晴らしかろうと、歌う人物が調子っぱずれでは逆効果となる。ノースティリスだったら死んでたぞってなもんだ。
それに加え、いくら歌がうまかろうが、挨拶も会話も、まじめな相談もすべてが歌で返されたら?
駄洒落はただ韻を踏めばいいというものではない、発想の転換や飛躍、あるいは文脈に沿った返歌、もしくは諧謔、とそういったテクニックを駆使することでユーモアに満ち溢れた駄洒落は出来上がる。
しかしながら、氏の駄洒落の出来はすこぶる悪い。正直、基本(韻を踏むこと)すらできていない。もう、何年も投稿しているはずなのにだ。
(じゃあ、上手な駄洒落の見本を示せ! みたいなマンガの批評に対して「じゃあ、お前が面白いマンガを描いてみろよ!」と返すようなコメントはお控えください)
また駄洒落がうまくない人に限ってしつこく駄洒落を繰り返す傾向にある。
会話において駄洒落やジョークはアクセントのひとつでしかない。相手に何かを伝えることの補助として使われるもので、それ自体が目的と化すと独りよがりな印象を与えてしまう。
オヤジギャグとは質の低い冗談のことを指すが、なぜオヤジなのかと言えば、そういった独りよがりで対話能力の低い人物に中高年(オヤジ)が多いと感じられたからだ。
ブコメは性質としてはメモ帳のようなものだが、はてブはソーシャルな場である。ただメモ帳として使いたいのであれば、プライベート設定にするのが最善だろう。パブリックにブコメを発信するということは、外部となんらかのつながりを得たいと考えた結果と言える。そして大半のブクマカはそのように扱っている。
氏の場合は駄洒落を言うか言わないか、という使い方をしている。「言わないこと」による発言のコントロールもされているが、言っている部分がほぼ駄洒落であり、内容に駄洒落を言うこと以外の目的も感じられず、非常に独りよがりなものを見せつけられる格好となっている。
氏よりもまだ駄洒落が上ず…マシなヒゲじいが結構なヘイトを集めているのも同様の理由だ。
質の低い駄洒落と、独りよがりにそれを繰り返すというダブルパンチこそが、氏のブコメを不愉快たらしめている原因と考える。
これを受け手の問題だと片づけてしまうというのは、いかがなものだろうか。
あと、NG設定について。
これに関してははてブに限らず、SNS全般に言えることだが、NG設定やブロックというものは、自室に侵入したゴキブリに対して姿が見えなくなるスプレーを提供しているに過ぎないということだ。這いまわる音や、シルエットまでなくすことはできない。というか室内にいることに変わりはない分、逆に怖いな。
嫌いな奴のツイートをフォロワーがRTで回してきたみたいなことはツイッターでは日常茶飯事だ。氏をNGにしたところではてブを使っていれば、今回のようにどこかで氏のIDに遭遇してしまう。
ゴキブリに対する根本的な解決方法は殺虫スプレーだが、これをSNSの場で適応するのは不可能だ。だからこそ悩まされる者は、ぐるぐると負の思考に陥っていくし、結果としてその感情は殺意にまで高まる。
元増田に対して非難を浴びせるブコメも多いが、ここには重要な問題があるように感じる。
それと、これに関連して虚構新聞に触れてる人もいたので、それについても。
虚構新聞で取り扱われている記事の質は低くはないかと思われる。しかし、サイトの思想上、それらの記事は他の新聞記事に紛れ込ませることに存在意義を見出している。しかし事実に基づかない記事というのは、ニュースメディアの意義に反するし、純粋にニュースメディアを欲している人たちにとって、それがいくら出来のいいジョークであろうとゴミクズ以下の代物でしかない。
先ほど自室にゴキブリが…という例え話をしたが、これも人の部屋にゴミを投げ捨てるような行為と捉えられてもおかしくはないだろう。
出勤したくないのでもう少し調べる
https://www.atpress.ne.jp/releases/122654/att_122654_2.pdf
図中に示されている%は、参加者の中で BHQ の値の増加した人の比率で、その横に示している数値は BHQ が増加した人におけるその増加量(指標換算)の平均になります。